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■夏の日の想い出・幼稚園編(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-04-05
 
物心付いた頃から、私はよく姉の部屋でエレクトーンを弾いていた。
 
姉が小学2年生(私は2歳半)の時、友だちに誘われてエレクトーン教室に通い始めた。教室でエレクトーンの購入も勧められたのだが、お友だちがお姉さんの使っていた HS-8 という一世代前の機種から新しい EL-90 という機種に買い換えるということで、その古い HS-8 を安価に譲ってもらうことになったらしい。
 
幼い私を「お守(も)りしておいて」と言われた姉はしばしば私を自分の部屋に連れていき、エレクトーンで『チューリップ』とか『メリーさんのひつじ』とか『きらきら星』とか『かえるの歌』とか、そんな感じの曲を弾いていたらしいが、姉が弾いていると私は笑顔でそれに聴き入ってご機嫌だったらしい。
 
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そして姉が弾き終わって休んでいると、鍵盤を触りたがるので触らせていたらしいが、最初はめちゃくちゃに鍵盤を単に押すだけだったのが、何となくよく姉が弾いていた『チューリップ』とかを真似て弾こうとする。そこで、私の指を取ってド・レ・ミと押してあげると凄く喜ぶので、それで私の指を握った状態で色々な童謡・唱歌の類を弾いたりしていたらしい。
 
それでその内、ドの音は親指で弾こうね、レの音は人差し指で弾こうね、みたいな感じで指使いを教えてあげると、私はどんどん覚えていき、3歳の誕生日の頃には、ちゃんと指替えしながらドレミファソラシドを弾けるようになり、簡単な曲は探り弾きしたりするようになっていたらしい。
 
姉がそれほど私に熱心に教えてくれたのは、何と言っても私が姉が演奏している時にそれを邪魔しなかったからだと、後に姉は言っていた。小さい妹弟がいる子は、しばしば練習中に下の子が勝手に寄ってきてでたらめに鍵盤を触り邪魔するのにかなり悩まされるようだが、私はそういう「邪魔」はせず、姉が弾いてる時はおとなしく聴いていて、休んでいる時に触るという性格だったのだという。
「『順番』と言うと納得してたんだよね」
と姉は言っていた。
 
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私が幼稚園に入ったのは1996年である。私立の幼稚園で2年保育だった。幼稚園の頃の記憶というのは、ほとんど残っていないのだけど(多分)入園式の時の記憶かなというのがある。
 
園長先生のお話があったのだが、園長先生は「ぐりとぐら」のペープサート(紙人形)を取り出して、両手で表裏ひっくり返しながら、ぐりとぐらの物語を話し始めた。みんな、この物語は知っているので、セリフの所でしばしば園児たちの唱和になる。
 
その内、ぐりとぐらに出てくる女の子、すみれちゃんの話が出てくる。その時、園長先生は(名前順に並んでいたので)列の先頭に居た私を
 
「ちょっと、ちょっと君来て」
と言って近くに呼び、私に、すみれちゃんの役をさせた。私もその本は何度も読んでいたので、すみれちゃんのセリフの所でそれを言う。それで、園長先生の両手のぐり・ぐら、に私のすみれちゃんで、物語は進んでいった。
 
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数年後に母から聞いた話では、先頭に並んでいるふたりの子を見たらどちらも女の子と思ったので、取り敢えず髪の長い私を引っ張り出したのだということだったらしく、園長先生は入園式が終わり、年中組の担任の先生に指摘されるまで、私が女の子ではないことに全然気付かなかったらしい。
 
その私の隣に並んでいたのが、私にとっては最も古い親友、リナであった。
 
リナも最初私のことをてっきり女の子だと思っていたらしい。入園してすぐに隣の席であったこともあり、すぐに仲良くなり、けっこう一緒に遊んだりしていて、1ヶ月くらいたってから
 
「ね、もしかして冬ちゃんって男の子?」と訊いた。
「うん、そうだけど」と私は答える。
 
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「うっそー! どうして男の子トイレ使ってるのかなと不思議に思ってた」
などとリナから言われた。
 
「うん。私、自分では女の子だと思うんだけど、先生が君は男の子だから男の子トイレ使いなさいって言うから、そちらに入ってる」
 
「へー。自分では女の子だと思ってるのか。じゃやはり女の子でいいのかな。でも冬ちゃん、名前の最後が『こ』だから名前も女の子みたいだよね」
「うん。確かに『こ』で終わるとたいてい女の子の名前だけどその前に『ひ』
が付いて『ひこ』で終わるのは男の子の名前なんだって」
「へー、初めて知った」
 
そんなやりとりはあったものの、リナとはずっと仲の良い友だちで、幼稚園でもよく遊んでいたし、幼稚園が終わった後でも、(母同伴で)お互いの家を訪問して、お人形さん遊びをしたり、一緒に絵本を読んだり、お絵かきをしたりして遊んでいた。
 
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私は髪は長くしておくのが好きで、物心付くより前から、かなりのロングヘアだったらしい。元々私は女顔だったようだが、それで髪を長くしていると当然女の子と思われる。
 
みんなから「あら、可愛いお嬢さんですね」と言われると、母も「可愛い」と言われるのは悪い気がしなかったので、さすがにスカートとは穿かせなかったものの結構可愛い感じの服を着せていたらしいし、私が髪を切るのを嫌がったので、幼稚園の頃は胸くらいの長さにしていた。結果的に私を男の子と思う人は、まずいなかったという。
 
母や姉などと一緒に町に出たりした時も、デパートなどでトイレに行こうとしてお店の人に場所を訊いたりすると「あ、連れてってあげるね」などと言われて、だいたい女子トイレに連れて行かれたので、こちらもちゃっかりそのまま女子トイレを使っていた。
 
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私は少なくとも物心付いて以降、立って小便器でおしっこをしたことというのは無い。男子トイレでも個室しか使っていなかったから、女子トイレは個室がたくさんあるので好都合だった。男子トイレはしばしば個室が1個しかなかったりして、そこが塞がっていると待つのが大変だった。
 
そうやって女子トイレを使っていて出ようとした時に姉に遭遇したことが何度かある。
「なんで、あんたこっち使ってるのよ?」
と言われるが
「場所訊いたらここに連れてこられた」
と言うと姉は納得していた。
 

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幼稚園では時々「お散歩」と言って、園を出て近くの道を、多分30分くらい掛けて歩いて園に戻るというのをしていた。幼稚園から数百メートル離れた所に温泉の湧き出ている公園があり、足湯などができるようになっていた。お散歩のコースはいくつかあったが、その公園まで往復してくるコースが園児たちには人気があり、私も好きだった。この時、幼稚園から公園までと公園から幼稚園までは別の道を通るので、それも何だか楽しかった。
 
行った先では公園の滑り台などで遊んだり、裸足になって足湯に浸かって遊んだりしていた。足湯は湧きだしている場所からL字状に公園の端を流れて外に流れ出していた。お湯の深さは10cmもあるかないかだったと思うが気持ちいいので私はリナと一緒に好んで流れの所に腰掛け、足だけお湯に付けて、おしゃべりしたり、尻取りなどしたりして遊んでいた。
 
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そんなある日のこと、近くで遊んでいた男の子のグループのひとりがかけっこか鬼ごっこかしていて転んでしまい、ちょうど私とリナが座っていた所にぶつかってきたことがあった。私もリナもバランスを崩して、湯の流れの中に落ちてしまった(私たちが落ちたおかげで、ぶつかってきた男の子は落ちずに済んだ)。
 
この先のことは小学生の時に書いた「私の思い出」というノートがベースだが、このノートの内容には若干(?)の創作も入っているかも知れない。
 
「あらら、びしょ濡れ! 着替えなきゃ」
と言われて、私とリナは引率していた先生の中のひとりに連れられ、一足先に幼稚園に戻った。
 
園にはだいたい何かで服を汚した子のために予備の服が用意してある。私たちを連れ帰ってくれたのは若い助手の先生だった。年齢が近くて美人だったので園児たちにも人気だったが、性格的にはややのんびりした感じで、よく先輩の先生に叱られていた。
 
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その先生は私たちを連れ帰ってから、服とビニール袋を出して来て、
「これに着替えてね。濡れた服は袋に入れてね」
と言った。
 
私たちは一緒に自分たちの教室で着ていた服を全部脱ぎ、袋に入れた。
 
「へー、冬ちゃん、おちんちん付いてるのか?」とリナ。
「そうなんだよねえ。無くなっちゃうといいのに」と私。
「ふーん。無くしたいんだ」
 
などと言いながら渡されたパンツを穿く。
 
「あれ?」
「あ、それ女の子用なのでは?」
「うーん。でもまあいっか」
「いいんだ?」
「だって私、パンツの前の開き使わないし」
「ふーん。おしっこの時困らない?」
「私、おしっこは座ってするもん」
「へー。女の子と一緒なんだ」
 
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それからシャツを着て、服を着るのだが・・・・
 
「あ、スカートか」
「ね。もしかして○○先生、冬のことを女の子と思い込んでいるのでは?」
「うーん。まあ、いいんじゃない?」
「ふーん。まあ冬ならスカート穿いてもいい気がするよ」
 
そういう訳で、その日はその後スカートを穿いて過ごしたが、そのことで、友人や担任の先生とかからも、何か特に言われたような覚えは無い。そのまま集団下校で家の近くの集合場所までみんなと一緒に帰り、ふつうにバイバイして自宅に帰った。
 
「あら、その服どうしたの?」
と母。
「公園の足湯に落ちちゃって、着替え借りたの」
「ふーん。じゃ洗濯して返せばいいのね?」
「うん」
 
そんな会話をしたらしいことは、ずっと後に母から聞いたことである。その時私がスカートを穿いているのを何か思わなかった?と訊いてみたが、小さい子供だし、別にいいんじゃないかなと思ったなどと言っていた。
 
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私が女の子としての自分をあまり歪めずに育てていくことができたのは、そんな感じの、のんびりしていて許容的な母の姿勢というのもあったのだろう。
 
「でもスカート姿可愛いじゃん、とは思ったよ」
と母は言っていた。
「あの時、お前にスカート好き? って訊いたら好きって言うから、じゃお姉ちゃんの服の小さくなったのあげようかと言ったら、欲しいというから、何枚かスカートあげたら、凄く喜んでいたよ」
 
とも母は言うのだが、私にはそういう記憶が無いし、この時期スカートを日常的に穿いていた記憶は無い。ただスカート穿きたいな、という気持ちはずっとあったと思う。
 

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母によれば私は幼稚園の頃、どちらかというと「目立たない子」だったらしいが、私がいつも褒められていたのが、お絵描きだったという。
 
物心付くか付かない頃から、よく姉が放置していた塗り絵をしていたらしいが、そのうち落書き帳に自分で絵を描くようになり、セーラームーンとかキティちゃんとかの絵をたくさん描いていた。当時私が愛用していたのはクーピーである。
 
幼稚園では持ちやすい?幼児用の太いクレヨンを使っていたのだが、これはディテールが描きにくいので、あくまで幼稚園で使うだけで、家ではクーピーで結構細かい線を使ったお絵描きをしていた。最初の頃は12色のを使っていたが、私がよくお絵描きしているので、小学校に上がった頃には30色の大きな金属製の箱に入ったクーピーを買ってもらい、それでたくさんお絵描きしていた。
 
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当時、幼稚園が終わった後でリナや、他の女の子たちの家に行って遊ぶ時も、私は愛用のクーピーを持って行き、色々な絵を描いていたが、特にセーラー戦士の絵は好評で、リクエストに応じてたくさん描いていた記憶があるし、母が何枚か取っておいてくれたので、幼稚園の時に私が描いたセーラー・ジュピターとセーラー・ウラヌスの絵が今でも残っている。それを見た政子からは
 
「わざわざ性別曖昧な戦士を描いてる所が凄い」
 
などと言われたが
 
「いや。全戦士描いてたけど、たまたまこの2つが残ってたんだよ」
と弁明しておいた。
 
でもリナによれば私が描くセーラー戦士の中ではウラヌス(天王はるか)が最も評判が高かったという。
 
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「当時はるか様には、おちんちんは付いているのか付いてないのかって、結構議論したよね」
などとリナは言う。
「うんうん。付いてる派と付いてない派と、拮抗してた気がするよ」
 
「はるか様には付いてるけど、ウラヌスに変身したら無くなるという説もあった」
 
「そうそう。それがまた、取り外す派、収納する派、ふっと消えちゃう派とか、色々あって」
 
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