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■夏の日の想い出・音の伝説(3)
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「渡部さんが、補助者に音程が高すぎたら赤い札、低すぎたら青い札を上げさせるというのを提案なさったそうですが、こういう機械がありまして」
と町添さんが言って、則竹さんがマイクとモニターのついた機械を持ってくる。
「コト『きらきら星』を歌ってみて」
「そうか。ここに呼ばれたのは音痴のサンプルとしてか」
「そそ。最初の音はこれで」
と言ってドの音を教えてあげる。
琴絵が開き直って歌い出すが、いきなりドの音より20セントほど低い音だ!そして12小節歌う内に短3度近くずれてしまった。
「ご覧の通り、声を文字化するのと同時に音が本来のピッチとどの程度違うかを1〜4小節単位で視覚化して表示するのがこのシステムです」
と則竹さん。
「凄いですね。こんなシステムがあったんですか」
と太田准教授が感心するが、則竹さんは
「いえ、町添から聞いて、それならというので1日で作りました」
と言う。確かに(基本のライブラリを持っていれば)プログラムとしてはそんなに難しいものではないだろう。カラオケの採点システムを少しモディファイしたようなものだ。
「田中鈴厨子は元々絶対音感を持っていたんですよ。楽器の音を何も聞かなくても正しい音をいきなり出すことができていた。そういう元々音感の良かった人がこれを見ながら歌の練習をすれば、けっこうちゃんとした音程が出せるようになる可能性はあると思うのですが、どうでしょう?太田先生」
「いや、それはむしろそういう実験をぜひお願いしたいです。こちらとしても未研究の分野です」
と太田先生。
「私はこれで練習してもうまくならない気がする」
と琴絵。
「うん。コトは音程が外れた表示を確認するためのサンプルということで。あちらのプロジェクトのついでにでも月2回くらい来て、機器のメンテに参加してもらえれば。お弁当とおやつくらいは出るから」
「音痴にもやはり価値があるんだな」
「うんうん。価値がある」
田中鈴厨子にやる気を出させる説得係として、当時スノーベルに多くの楽曲を提供していた、作曲界の長老格の人を担ぎ出すのに成功した。
話を聞き、音程モニターのシステムなどを見て、田中は「やってみようかな」
と言い出した。
元々譜面は読める人であるが、ごく低い域の周波数の音だけは実は僅かながら聞こえるということから、自分の声をベース音に変換して出してあげることで歌いやすさが増すらしかった。またクリック音代わりに光の点滅と楽譜の位置表示を併用することでリズムはかなり正確に取れるようになった。
彼女が練習するのに使うシステム自体、本人と相棒の間島香野美、太田准教授、則竹さんなどで実際に使いながら意見を出してもらって改良していった。
その結果2ヶ月ほどの訓練で田中はかなり良い感じで音程も取れるようになってきた。音程が取りやすいように、ふたりでデュエットする曲は「よな抜き」
の五音階(ドレミソラ)で作ることにした。
「これだけ歌えたら下手なアイドル歌手より上かな」
などと、間島先生からも言われていたりした。
こうして『スノーベル・デビュー30周年アルバム』制作のプロジェクトは動き出したのであった。
「ところで、ローズ+リリーのケイちゃんがKARIONの蘭子と同じ人だったなんて、びっくりだわ」
と、間島先生から言われた。
「あはは、その件は内密にしていただけたら助かります」
と私は答える。
「それはいいけど。でもそれで蘭子ちゃんは表に一切出てこないのね。毎回音源製作には参加してるようなのに、何故正式メンバーにしないんだろうと献納してもらうCD聴く度に思ってたんだけどね」
「恐縮です。私が男の子とバレると、KARION自体が色物と思われてしまうからということで私は表だった活動を自粛させてもらっていたんです」
「そうそう。その件。蘭子ちゃんが実は男の子だったなんて想像できる範囲を越えてたわ」
「すみませーん」
「でもローズ+リリーの方は色物と思われても良かったの?」
「元々1ヶ月限定のユニットという話でしたし。それがあっという間にメジャーデビュー、それに全国ツアーとかで、私自身、え?え?という感じでした」
「アイドルって、やってる内に思考停止しちゃうよね。それで私も結婚を機会にいったん辞めて、落ち着いてからまた再デビューしたんだ。今度は自分のペースで仕事できるような態勢で」
「ローズ+リリーもある意味似てますね。私たちも今は契約自体、自分たちで決定権を持つ形にしていますから」
間島先生は頷いていた。
4月下旬。ローズ+リリーの新しいシングル『100%ピュアガール』とアルバム『Rose+Lily the time reborn, 100時間』が発売された。この発売記念に記者会見代わりに◇◇テレビで、私たちのミニスタジオライブを生放送で放映した。そこにワンティスが『疾走』の伴奏に登場したこと、そして『疾走』の作詞者クレジットが長野夕香になっていたことに、物凄い問い合わせが殺到する。
ワンティスの実質的な代表である上島先生と雨宮先生(このふたりがワンティスという名前の権利を持っている)がレコード会社の幹部と共同で記者会見し、ワンティスの作品の大半で実は作詞者名が偽装されていたことを明らかにし、大きな衝撃、そして騒動が巻き起こった。しかし、騒動の結果、ワンティスは取り敢えず2枚のアルバムを制作することが決まった。
1枚は高岡さんが本当に詩を書いていた初期(アマ時代を含む)の作品を集めたもので、もう1枚は実際にワンティスのヒット曲のほとんどで詩を書いていた夕香さんの代表作といくつかの未発表作を集めたものである。
私と政子はその日用事があって★★レコードに行っていて、ちょうど上島先生と雨宮先生がワンティスのアルバムの件で来社した所に居合わせ「ついでにあんたたちも聞きなさい」などと雨宮先生に言われて、一緒に会議室に入り、雨宮先生がMIDIで伴奏を作り、ご自身で仮歌を入れた「叩き台の音源」を聞くことになった。
「ケイちゃん、マリちゃん、感想を言ってよ。あんたたちなら本音を言ってくれそうだから」
と雨宮先生に言われる。
「どちらもそれぞれの魅力がありますね」
と私は言葉を選びながら言う。
「高岡さんの作品は上島先生もおっしゃっられていたように突き抜けていると思います。独創的です。逆に理解できる人が少ないかも知れない。夕香さんの作品は文学的な評価は低いかも知れないけど、多くの人に受け入れられると思います。平易な言葉で綴られているので」
「そうそう。高岡の詩は難解なんだ。『時計色の空に誓った日』とか言われても、時計色ってどんな色だよ?と。『恋然』とか『貫絡』とか誰も聞いたことのないような造語も多いから耳で聞いても歌詞が想像できない。文法も難しい。それでよく議論してたんだよね」
と雨宮先生は答える。
マリはこんなことを言った。
「高岡さんの詩って凄いです。ちょっと尊敬しちゃう。完璧。額に入れて飾っておきたい。夕香さんの詩はツッコミどころがある。添削したくなっちゃう」
「そうそう。実は添削したくなるような詩の方が、身近に感じるんだ」
と上島先生は言った。
「ツッコミどころが多すぎると評価は低くなるけどね。夕香はほとんど完璧なリングのほんの一部を欠かせて、キャッチーにするのがうまかったんだよ」
「でも上島先生ご自身でもおっしゃってましたけど、高岡さんの詩につけた曲と夕香さんの詩に付けた曲は、全く違う手法で作られていますね」
「そうそう。高岡の詩に付けた曲はだいたい頭の中で作ってる。理論をバンバン使ってる。だから曲自体は『標準的』。夕香の詩に付けた曲はだいたい感性で作ってる。ピアノ弾きながら書いた曲が多い。『偶発的』に見つけた音を使って理論では得られない音の世界を追求している」
「ケイって曲はどう作ってるの?頭?感性?」
と政子から訊かれる。
「マリの詩に付ける曲はだいたい、詩を読んだ時にそのまま浮かんでくることが多いよ。だから作るんじゃなくて掘り出す感じ。自分で曲先で作る場合は、最初のモチーフは何かの着想で書いてるんだけど、その先は結構理論使ってる」
「へー。でも最近は私が詩を書くとすぐ曲付けてくれるけど、高校時代は何日か待たされることが多かったよね」
「あ、えっと・・・・学生服着てると思いつかないもんで」
「あ、そうか! 冬って女の子の服を着ないと作曲できなかったんだった!女の子の服着てるとテストの成績も上がるし」
と政子。
「面白い子ね。だったらいつも女子制服着てれば良かったのに」と雨宮先生。
「ですよねー。どうも冬って、夏服冬服とも女子制服を持ってたみたいなんですよ。そんなの私にまで隠すことなかったのに」と政子。
「拷問して聞き出したのね?」
「拷問するんですけど、なかなか吐きません」
「拷問の仕方教えてあげようか?」
「雨宮先生、そんなこと言ってマリをベッドに誘うつもりでしょ?」
「あら鋭いわね」
「コホン」と町添さんが咳をして、話は元に戻る。
「しかし制作を進める上でギターを誰に弾かせるかというのは課題ですね」
と加藤課長が言う。
「リードギター、リズムギターと別れていたのをギター1本にアレンジする訳にはいかないんですか?」
と私が訊くと
「海原はギターが下手くそ」と雨宮先生。
「あらら」
「リズムギターに求められる単純なフレーズはいいんだけど、高岡がやってたような、テクニカルな演奏は海原には無理だと思う」
と上島先生も言う。
「こないだの『疾走』の音源製作ではスターキッズの近藤君、テレビ局でのライブではローズクォーツの星居君に弾いてもらって、ふたりともテクニッシャンだから、うまく行ったけど、本格的な音源製作をするとなると、誰かフリーで、充分な技術のあるギタリストを入れないと無理」
と上島先生は補足する。
「でも充分な技術を持ってて、フリーって人はなかなかいないよね」
と雨宮先生。
「うん。技術があると、当然どこかから声が掛かって、バンドに入ってしまう」
と上島先生。
「そしてできればある程度名前の知れているアーティストがいい」
「そうそう。無名の新人を入れたのではファンが納得しない。むしろ有名ギタリストの客演という感じにしたい」
その時、政子が唐突に言う。
「あ、フリーのギタリストで有名人だったら naka さんは?」
「ああ!」
「nakaって?」
「元クリッパーズのnakaさんです」と私は説明する。
「あの人、ベーシストじゃないの?」
「本来はギタリストなんですよ。演奏を聴かせてもらいましたが、凄く上手いですよ。実はうちの事務所で4月から始めた通信教育の講座でギター講座を担当してもらってるんです」
「へー」
「クリッパーズではリーダーのkaoruさんがギター担当だからベースに回っていたということで」
「そうだったのか!それは知らなかった」
「あの人がクリッパーズの潤滑油だったよね。協調性はありそうだな」
「通信教育の先生なら、音源製作に参加するくらいの時間は取れるわよね?」
「ちょっと一度演奏を聴いてみたいね」
「nakaさんのギター演奏なら私も聴きましたがうまかったですよ」
と加藤さん。
「実は吉野鉄心の音源製作と近々あるライブで、nakaさんがギターを弾いて、耳が聞こえないベーシストがベースを弾くというので、今社内で進んでいる別のプロジェクトの参考にさせてもらおうと思って先日見学してきたんですよ」
「へー。耳が聞こえないのにベースが弾けるんですか?」
「それもまた凄いな」
「CDも買って来ました」
と言って、部下に内線を入れて持って来させ、掛けてみる。
「ベースラインしっかりしてるね。耳が聞こえない人の演奏とは思えん」
「今の間奏のギターソロ、凄く上手いね」
「全体的に凄くセンスがいい」
「ね、ね、この人、kaoruより上手くない?」
と上島先生も雨宮先生も好感したようであった。
そしてその週末、吉野鉄心のライブがあったので、私と上島先生・雨宮先生・加藤課長の4人で見に行った。
「この作詞作曲・村中ハルって書いてあるけど」
「中村将春をもじったペンネームのようですね」
「中村で村中ってのは、川西幸一が西川幸一になるみたいなものね?」
「はい。その真似だって本人も言ってました」
ベーシストがドラムスの方を向いて演奏しているのは、ドラムスのスティックの動きを見てタイミングを取っているからだと私が説明すると、上島先生たちも感心していた。
さて肝心の中村さんの演奏は、歌手が歌っている間は静かにバッキングをしている。歌手の長い音符に対するレスポンス的な演奏もうるさくならないように無難にまとめるので、こういうギターを弾いてもらえると歌いやすいだろうなと私は思った。
「この人のギター、ハンディキャップを持つベースをしっかりカバーして音の整合性を取ってるね」と上島先生。
「うんうん。このギターがあって、このベースが生きてる。本当にセッションセンスが良い」と雨宮先生。
そして間奏部分になると、ギターは一時的な主役になる。ベースとドラムスの音をバックに、華麗なアドリブっぽいメロディラインを演奏して上島先生をうならせていた。
上島先生がお忙しいので前半だけ見て出たが「あれだけ弾けたら充分使えるね」
と上島先生と雨宮先生は話していた。
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