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■夏の日の想い出・クリスマスの想い出(1)

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(c)Eriko Kawaguchi 2011-12-18 改2013-04-14
 
それはまだボクが政子に出会うずっと前、まだ中学生だった頃の物語。ボクは中学の1年から2年まで陸上部にいたのだけど、足が速かったからではない。マラソンというものに憧れていたからだった。
 
ボクが小学5年生の時、たまたまテレビをつけた時にやっていた大阪国際女子マラソンで、坂本直子というマラソン初挑戦という選手が物凄い勢いで走り、野口みずきと凄まじいデッドヒートを繰り広げたあげく、結局負けて最終的に3位で終わってしまった。ボクは勝った野口より負けた坂本に感情移入してしまった。そして翌年の同じ大会。坂本は凄まじいハイペースで2位以下を大きく引き離す独走。美事に優勝してアテネ五輪の切符をもぎとったのであった。
 
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ボクはその坂本に憧れて「ああ、あんな感じの選手になって自分もこの大会を走ってみたい」などという気持ちになって(ずっと後にこの頃の事を政子や琴絵に自白させられた時『要するに女子マラソン選手になりたかったのね?』
と指摘されたが・・・)、ボクは中学に入るとすぐ陸上部に入った。
 
しかし当時ボクは100mを28秒でしか走れない、とんでもない鈍足であった。うちの中学の陸上部は前年地区大会で優勝したような、けっこうな強豪校であったのだが、陸上部の加藤幾子先生は、そんなボクを門前払いにしたりせず頑張れ頑張れと励ましてくれた。
 
練習前のジョギングなども、他の部員さんたちはみんな軽〜く流しているのだろうけど、ボクはほぼ全力疾走だった。そして最終的には2周くらい周回遅れになっていたけど、一所懸命走っていた。またボクは毎日昼休みにも校舎の周りを自分のペースで何周も何周も走っていた。
 
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そして頑張って練習をした成果もあり、100mのタイムは6月頃には17秒くらいになっていた。ボクがジョギングやロードなどでみんなからずっと遅れながらも頑張って最後まで走っている様子を見て、先生はボクに長距離選手として頑張ってみようかと言った。そもそもマラソン選手が夢で陸上部に入ったのでそれはとても嬉しく毎日毎日たくさん走った。当時たぶん毎日20kmくらい走っていたと思う。分厚い靴下を履いているのに、その靴下が毎日穴が空いてしまい、お母さんはユニクロで安い靴下をたくさん買ってきていた。
 
夏になるとしばしば学校から少し離れた所にある陸上競技場で練習をするようになった。日が長いのをいいことに、毎回7時頃まで練習をしていたが、帰りには真っ暗になっていた。そしてこの真っ暗な時刻に帰るとき、実はボクは密かな冒険をしていた。
 
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当時としてはそんなに明確な意志は無かったのだけど、ボクはスカートを穿いてみたいという気持ちが少しあった。でも、人前で穿いたりする勇気は無かった。でも日が落ちた暗闇の中では、スカートを穿いて歩いていれば、きっとふつうに女の子が歩いているようにしか見えないのではないか、顔だって、見えないだろうから、万一知り合いが近くにいてもボクとはわからないだろう。そんなことを思っていた。
 
姉がしばしば半ばふざけるような感じでボクに自分が着れなくなった服や好みに合わなかった服を押しつけてきた。それでボクの部屋には姉からもらった女物の服が結構あった。ボクはその中の1枚のプリーツスカートを、かさばらないのをいいことに、体操着を入れるスポーツバッグの内ポケットに隠しておいた。普段はかなり慎重に場所を選んでそのスカートを試着していたのだが、陸上部の帰りにはけっこう大胆になっていた。
 
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ボクは陸上競技場での練習が終わると、ミーティングの後「あと少しだけ練習してから帰ります」と言い、競技場の外側をだいたい10周くらい走ってから帰るようにしていた。結果的にボクはいつもみんなより遅れて帰ることになった。
 
そして、この居残り練習が終わった後、ボクはジャージを脱ぎ、上はワイシャツ、下はプリーツスカート、という格好になり、バス停までの1kmほどの道のりを歩いて帰った。夜なので、バス停の待合室はもうボクが辿り着く頃は空っぽになっている。そこで、ボクはバスが来る直前の時間まで待合室の中でスカート姿を満喫していた。この30分ほどのスカートを穿いている時間は、毎回けっこうきつい練習をしている自分へのご褒美になっていた。
 
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このスカートを穿いて夜道を歩いている時間、そしてバス停で待っている時間、ボクの心臓はドキドキしていた。それは不思議な昂揚感のある感覚で、この30分でボクは練習の疲れも取れてしまっていた。それで8時くらいに家に戻り、夕飯を食べて(ボクの担当になっている台所の片付けをしたり、明日用のお米を研いで炊飯器をセットして)から、深夜1時頃まで勉強をしていても、頭がとてもクリアで、しっかり勉強することができていた。
 

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その事件は夏休みに突入する直前の7月中旬に起きた。
 
競技場での練習もその日が5回目だった。いつものように陸上部の練習が7時頃終わり、ミーティングの後、ボクはいつものように居残り練習を始める。みんな「気をつけて帰れよ」と声を掛けて帰って行く。ボクはこの頃、日頃の練習の成果がかなり出て来て、結構なスピードを保ったまま、5kmでも10kmでも事実上の全力疾走をキープすることができるようになっていた。先月いちど肺活量を測定されたら6000ccという結果が出て、測定してくれた体育の先生がびっくりしていた。
 
「唐本、これ水泳選手並みだぞ」
「なんか凄いんですか?」
「他の奴はみんな3000とかだぞ」
「へー」
「やはり毎日陸上部で走っているからだろうな。かなり頑張ってるな」
「はい、頑張ってます」
 
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ボクは小学校の1年の頃以来、体育の先生に褒められるなんて経験はしたことがなかったので、けっこう嬉しかった。
 
この肺活量が増えたことで、ボクは音楽の時間に歌を歌う時、かなり長時間ブレス無しで歌えるようにもなっていた。友人でコーラス部に入っている女子がいて彼女とよく、昼休みに一緒に歌ったりしていたが、長い音符をずっと伸ばして歌う競争などもしていた。1学期の初め頃はこの長音発声で彼女に全然かなわなかったのに、この時期はたいていボクのほうが長い時間声を出し続けられていた。
 
「唐本君、最近凄いよ。惜しいなあ。ほんとに女の子になってコーラス部に入らない?」
「はは。ボクが女の子になると言って、親がショック死しちゃいけないから」
「それ、全然驚かれないと思う。とうとうその気になったかと思われるだけ」
「そうかなあ」
などと言ったりして、彼女とはよく一緒に歌を歌っていた。
 
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ボクはその日そんなことを思い起こしながら、かなりのハイペースで競技場の周りを走り続けた。やがて10周走りきり、更衣室で着換える。いつものようにジャージを脱ぎ、ワイシャツとスカートを着る。最初の頃はスカートを穿く度に変にドキドキしてしまって、あそこが大きくなってしまい困っていたのだけど(大きくなったからといって何かするわけではない)さすがに5回目ともなると少し慣れてきて、スカートを穿いたからといって、変な興奮の仕方はしないようになっていた。
 
それに実はそもそもスポーツ用のサポーターを穿いているので、実はあの辺りもサポーターで押さえつけられているのである。そのサポーターに前開きの穴が無いのが、ちょっと女の子のパンティを穿いてるのに似たような気がして、それも実は密かな楽しみであった。
 
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このサポーターがけっこう高いので、女の子のパンティをサポーター代わりに使っている人がいるという話も聞いていたので、そのうちお母さんにそんなこと言って、女の子用のパンティを買ってもらえないかな、などとその頃は夢想したりもしていた。
 
着替えをまとめて競技場を出てバス停に向かい歩いて行く。この通りは街灯などもなく真っ暗である。だからこそこちらはスカート姿を楽しめるのだが、これって別の意味で危険だよな、という気はしていた。こんな暗い所を女の子がひとり歩きしてるなんて不用心だ。それでボクは念のため「用意」だけはしておいた。しかしそれを本当に使うことになるとは思っていなかった。
 
道を半ばころまで歩いた頃。ボクは後ろのほうに足音がしだしたのを認識した。これはたぶん男性の革靴の音だ。嫌だなあ。後ろを付いてこられるの気になるし、追い越してってくれないかなと思い、ボクはペースを落とした。足音が少しずつこちらと距離を詰めてくる。
 
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その時、ボクは突然恐怖を感じた。駆け出そうとした時、一瞬向こうが早くこちらに駆け寄り、服の端を掴まれてしまった。
 
こいつ、ボクに何かする気だ!ふりほどこうとするのだが、向こうが物凄い腕力でふりほどけない。一瞬でもふりほどけたら、こちらは一応陸上選手である。逃げ切る自信があるのだが、要するにボクは危険を認識するタイミングが遅すぎたんだなと少し後悔した。しかしここは何とかしなければならない。持っている学生鞄やスポーツバッグで相手を殴るが向こうはひるまない。かえって凄い力で頬を平手打ちされ、ちょっと頭がクラクラして、ボクはそこにしゃがみこんでしまった。
 
すると相手はボクの上に覆い被さるようにしてくる。これは絶対やばい!
 
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ボクは「あれ」を使う決断をした。相手に組み敷かれながら、スポーツバッグの中に入っている秘密兵器を取り出す。そして思いっきり相手に向けて噴射した。
 
「ぎゃっ」と相手が顔を押さえてボクから離れた。それでボクは立ち上がり、逃げようとしたが、更に向こうは顔を押さえながらもこちらに向かってくる。再度噴射。相手がひるむ。その時
 
「やめなさい」
と鋭い女性の声がした。その女性はボクをかばうようにして、男の前に立つ。男は相手が2人ではさすがに不利と思ったようで、一目散に逃げていった。
 

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「大丈夫?唐本さん」
と優しく声を掛けてくれたのは加藤先生だった。
「先生・・・・・・」
ボクはほっとして力が抜けてしまい、思わずそこに座り込む。
すると先生はボクを優しくハグしてくれた。
ボクが落ち着いたのを見て、一緒にバス停まで歩きながら話した。
 
「実はね・・・・いつも私、唐本さんがバス停に辿り着くまで、見てたの」
「えー!?」
「だって、生徒がひとり残って練習してるの、顧問として放置しておける?車をバス停の近くに置いてたからね」
 
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「でもほんとに唐本さん頑張ってるんだもん。4月頃からしたら別人だよ」
「100mを16秒2で走れるようになりました。みんなよりずっと遅いけど」
「最初28秒だったもんね。ほんとに努力の人だね」
「ありがとうございます。まだまだ頑張ります」
 
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「そして、唐本さんの趣味・・・・なのかな、この姿もずっと見てた」
「今更だからスカートの件は開き直っちゃおうかな・・・・」
「待合室でスカート姿で待っている所、私車の中から遠目で見てたけど、何だか違和感が無いよ」
「そうですか?」
 
「唐本君って言っちゃうと何か変な気がするから、唐本さんでいい?それとも冬子ちゃんとか言ったほうがいいかな?」
「えっと・・・・それじゃ、唐本さんか冬ちゃんくらいで」
「じゃ、冬ちゃんにしちゃおう。女の子の部員はみんな名前で呼んでるし」
「はい」
「冬ちゃんは、女の子になりたい男の子なのかな?」
 
「そのあたりは自分でも良く分からないです。小さい頃、なぜか友だちってみんな女の子ばかりで。それで彼女達からよく『冬ちゃん、おちんちん取ってスカート穿かない?』なんて言われてたんですよね。何かそんなこと言われてると、ああ女の子になってスカート穿いたりしてみたい気もするな、とか思ったりしたこともありました。このスカートは姉がふざけて「あげる」なんて言うんで、もらっておいたものなんです。今は時々こうやってスカートを穿いて過ごせる時間が持てるだけで満足してます」
 
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「そのあたりは、自分の性別に関する自己認識というのかな、自分なりにゆっくり考えていけばいいんじゃないかな。大人になるまでにね」
「そうですね」
「でも、冬ちゃん、今私と話すのに、普段とは少し違う声使ってるね」
「この格好ではあまり低い声では話したくない気分で」
「でも、もう少し緊張を解いたほうが、もう少し女の子っぽい声になるよ、多分」
「緊張ですか!」
 
この時、私は当時開発中だったメゾソプラノボイスを使っていた。
 
「そうそう。冬ちゃん、高い声出そうとして、その高い声出すために喉が緊張してる。それで少し不自然な声になってるんだよね。その喉の緊張を解くと、もっと自然な声になると思うの」
「わあ、もっと女の子っぽい声になります?」
「女の子みたいな声を出す方法は別途あると思うんだけどね。『もののけ姫』のテーマ曲を歌った、米良美一さんの声なんて女性の声にしか聞こえないでしょ」
「ええ。あれ凄いですよね」
 
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「私はそういう発声法とかわからないけど、今冬ちゃんが使ってる声、少し変えていくことで、けっこう女の子っぽく聞こえると思うよ」
「そうですか?じゃ少し練習してみようかな・・・」
「あ、今くらいの感じ、さっきより少し良い雰囲気」
「こんな感じ?」
「うーん、少し考えすぎてる。さっきくらいの感じのほうがいいよ。ね、冬ちゃんここに練習に来た時はいつも居残り練習するでしょ?」
「はい」
 
「じゃ、帰り私が付き合ってあげるから、バス停までの道々、声の出し方練習しようか」
「え?でもいいんですか?」
「今日みたいな変なのが出たら怖いでしょ」
「ええ、でも」
「実は冬ちゃんを見守ってた私の方も少し怖かったのよね」
「あ、すみません」
「でもふたりで帰れば心強いじゃん」
「あ、そうか。わかりました。よろしくお願いします!」
「はい。陸上の練習の方も頑張ろうね」
「はい」
 
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そういう訳で、この陸上競技場での練習があっていた時期、ボクはここに来る度に加藤先生と一緒に帰ることになり(結局バスに乗らずに自宅まで送ってもらっていた。スカートからズボンへのチェンジは先生の車の後部座席でいつもしていた)、その帰り道ずっとボクはメゾソプラノボイスが自然に響くように、声の出し方の練習をしていた。
 

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夏の日の想い出・クリスマスの想い出(1)

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