【△・第3の女】(5)

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9月22日、鱒渕水帆は5ヶ月間にわたる入院を終えて退院した。両親は田舎に戻って来いといったが、田舎に戻れば有無を言わさず速攻で結婚させられるのが見え見えなのもあり、水帆はまだ東京で頑張りたいと言った。
 
兄はその水帆の気持ちに理解を示してくれて、毎日ちゃんと3度の食事を取り、最低6時間は寝ることを条件に東京での生活を両親に認めさせた。兄はコスモス社長とも話して、睡眠を毎日最低6時間は取れる仕事の仕方をさせて欲しいと申し入れ、コスモスも決して無理はさせないと約束した。
 
水帆はコスモス社長からは年内は自由出勤にして、年明けからアクア担当に復帰して、山村マネージャーとの二頭体制にしたいと言われ、事実上3ヶ月間の有給休暇(療養休暇)をもらった。その間は無理しない範囲で色々な音楽を聴いたり、絵を見たり温泉旅行をしたりしていればいいと言われた。それで取り敢えずクラシックのコンサートに行ったり、都内の美術館巡りをしたりしていたが、すぐ飽きて来て何か仕事がしたい気分になる。完全なワーカホリックである。
 

その直後、山村から「アクアの厄払いツアーをするから参加しないか」と誘われた。10月9日、実際にアクアたちと一緒に、住吉神社・伊勢の神宮と参拝すると心が洗われていく感覚があり、水帆は本当に生き返ったことを実感した。
 
この時、ローズ+リリーのケイ(冬子)が制作していたアルバムのことで悩んでいたのでみんなで“できあがったマスター”を聴いてみると、酷い出来だった。
 
「作り直すべきです」
とその場に居た全員が言った。水帆も発言して言った。
 
「全体的に未完成だと思います。これは音の素材をお鍋に入れただけのもので掻き混ぜ不足、煮込み不足です。これはお料理ではなく、素材のままなんです」
 
それで山村が
「自分に任せてくれ。自分が村上社長を説得して制作期限を延長させる」
と言った。
 
マリがその話を正式に依頼したいと言い、山村は村上に実際に延長を呑ませてしまうのである。それで『郷愁』はこの後、2月まで掛けて作り直しされることになる。
 

山村はローズ+リリーにマネージャーが居ない問題も指摘した。
 
「細かいことまでケイが交渉している。その負荷のせいで、それでなくても厳しいスケジュールが更に厳しくなる。交渉力のある専任のマネージャーを雇うべきです」
 
名目上はUTPの須藤美智子がマネージャーのはずだが、実際問題として2011年秋にローズ+リリーの管理は“UTP専務”であるケイ自身がすることになり、須藤の手を離れている。しばしば多くの人からマネージャーと思われている秋乃風花は、むしろケイのアドバイザーに近い存在で、会社組織でいえばフェローのようなものである。
 
鱒渕はそのマネージャーを自分にやらせてもらえないかとコスモス社長に申し出た。
 
「アクアのプロジェクトは山村さんを中心にうまく回っています。今更自分が出ていったら、彼もやりにくいと思うんです。だから、私は現在の歌謡界でアクアと並ぶ2大アーティストの片翼であるローズ+リリーの方をやって、山村さんに負けないセールスをあげたいと思います」
 
「かなり意欲出たね。でもローズ+リリーは今大変な状態だけど、大丈夫?」
 
「はい。元気になりました」
 

「でもあなたのお兄さんとの約束で毎日6時間は寝て欲しいんだけど」
「ちゃんと6時間寝て、その他1日30時間働きます」
と水帆が言うと、コスモスは苦笑して言った。
 
「じゃ細かい点は私がケイちゃんと話し合って詰めるから、あなたは§§ミュージックからサマーガールズ出版への出向ということで」
「はい、それでいいです」
 
「じゃ、ヨシケイかオイシックスを契約して確実に食材が調達できるようにしよう」
「私、ヨシケイが好きかな」
「じゃそれで」
「あ、でも配達を受け取れるかな」
「アクアみたいに宅配ボックスのあるマンションに引っ越そう。今の所は安普請すぎる」
「ああ、引っ越したいとは思っていたのですが、時間が無くてそのままで」
 
「あまりにも安いアパートに住んでるから、ヒモでもいて巻き上げられているのかと思ったよ。でもお兄さんが通帳記帳したら、給料が振り込まれて、光熱費と家賃に携帯代が引き落とされている以外には、ほとんど引き出しの跡が無いって」
 
「すみませーん。ほんとお金使う時間までなくて。男の人と交際とかしている時間も無いですよ」
 
「男の人とというと、女の人とは?」
「興味はありますが、経験は無いです。経験したらハマりそうで恐いですけど」
「ああ。私も興味はあるけど経験は無い」
 
(この時点で実は水帆・コスモス2人とも、男性とも女性とも中性とも!?性体験が無い)
 
「私が水帆ちゃんのマンション見つけてあげるよ。遅くなっても帰宅出来るようにもっと都心近くに部屋を確保しよう」
「高いですよ!」
「それを払えるくらいのお給料は出すから」
「はい、すみません」
 

それでコスモスは不動産探しのサイトでいくつか候補を見つけていった。
 
T駅近く、M駅近く、N駅近く、G駅近く、そして大崎駅近くのマンションである。それをピックアップした上で、不動産屋さんの店舗に行き、現地を見せてもらおうか、などと言っていた時に青葉が偶然事務所を訪問した。するとコスモスは青葉に
 
「よかったらどれがいいか見て頂けませんか?見料は払いますので」
と言った。それで見てもらったら、青葉は
 
「G駅はこれ現地に行ったら分かると思いますけど、近くにラブホテル街があるからやめた方がいいですよ」
「N駅近くの物件は、仕事にはいいんだけど、充分休めなくて疲れると思います」
「M駅近くの物件は、たぶんもう埋まっています」
「T駅近くの物件は、そこに住むと女性機能が停止して男性化するかも」
 
と全部否定した上で「大崎駅のは今日ではなく明日行った方がいいです」と言ったのである。
 
それで翌日不動産屋さんに行くことにしたのだが、水帆は「女性機能が停止して男性化する」という話にドキッとした。水帆の生理は入院中に止まってしまい(正確には実は1月の生理を最後に来ていなかった)、まだ再開していない。それに回復のきっかけとなった、山村に打ってもらった特効薬(?)には副作用として男性化させる作用があると聞いていた。
 
しかしコスモスは
「男性化したらお嫁に行けなくなっちゃうね」
と言って、それを避けることにし、翌日不動産屋さんに行ってみた。するとネットで見ていた物件は昨日埋まってしまったものの、その近くにある別の3LDKの物件が今日登録されたと言われた。実は昨日そこに住んでいた住人が退去したということで、これからクリーニングなどをする予定だという。
 
コスモスは現地に連れて行ったもらってから青葉に電話で「今現地にいるのですが」と言ったら「6階以上なら大丈夫です」と言われた。それで不動産屋さんに尋ねると、今日連れてきてもらった所は4階だったのだが、8階の部屋が明日住人が退去する予定ということで、11月1日以降なら入居可になる予定だということであった。それでそこを予約することにしたのである。
 

ここの家賃は駐車場代・管理費等を含めて26.6万円であった。4階は“特殊事情”で23.6万と聞いたが、コスモスも水帆も、その特殊事情のある所を避けられてよかったと思った。
 
そしてこのマンションは会社で契約し“社員寮”ということにして水帆に入居させることにした。
 
水帆は会社に社員寮の家賃として1万円を払う(実際には住宅手当と相殺)。この方が、家賃全額補助するより、水帆が負担する税金が少なくて済むのである。それに水帆は言った。
 
「もしここ辞めたら、速攻で出ないと、こんな家賃を払える仕事なんて、無いですし。だったら《会社寮》というのでいいです」
 
大崎駅はローズ+リリーの2人が住んでいるマンションの最寄駅・恵比寿まで山手線で3駅(7分)、新宿までも7駅(16分)である。§§ミュージックの事務所のある信濃町までも代々木乗換で25分程度で到達できる。
 
新宿−代々木−原宿−渋谷−【恵比寿】−目黒−五反田−★大崎−品川
 
また隣の品川駅まで行くと新幹線に乗れるし、羽田空港行きの京急にも乗れる。意外に便利なのだが、この駅自体は山手線以外の路線が無く、家賃相場は低いので、山手線内の“穴場”のひとつである。
 
「でも3LDKとか、そんなに部屋があっても使い道があるかなぁ」
と水帆は言ったが
「ケイ先生が書いた曲のCDを並べる棚でも置けばいいよ」
とコスモスは言った。
 
「・・・それどのくらいあります?」
「たぶん3000枚くらい」
「うっそー!?」
 
(CDは翌年更に1000枚ほど増えることになる)
 

水帆は秋乃風花に、ケイが書いた曲の入っているCDのリストとかが無いかと尋ねてみた。すると風花は
 
「名義自体が、マリ&ケイ、水沢歌月、柊洋子、秋穂夢久、鈴蘭杏梨、ヨーコージ、とありますし。他にもいくつか単発的な名義があって私も全部は分からない」
などと言っている。
 
「秋穂夢久とかヨーコージってケイさんなんですか!?」
「秋穂夢久は貝瀬日南専用の名義。ヨーコージは蔵田孝治とケイの共同ペンネーム」
「そんなのみんな知ってるんですか?」
「秋穂夢久は知っている人はほとんど居ないし、他人には言わないでね」
「はい」
「ヨーコージは割と知る人は知ってる」
「ヨーコージの売上げって凄いですよね?」
「だからケイは中高生時代から資金力があって、高校卒業してすぐにサマーガールズ出版を設立したんだよ」
 
「すごーい」
と言ってから水帆は聞いた。
 
「それだけお金があったから若い内に性転換もできたんですかね?」
「だと思うよ。私は同じ高校でもクラスは違ったんだけど、同じクラスだった友人(詩津紅 *1)によると1年生の時から女子制服を着ていることが多かったというし、多分中学生の内に性転換したんだよ」
「すごーい」
 
「別の友人によると、あの子、高校受験の時、滑り止めで私立の女子高校も受けて合格していたらしいから。女の子でなきゃ女子高を受けられて合格するわけないし、中学の内に性転換済みだったのは間違い無いと思う」
 
「ああ、そうですよね」
 
(*1)風花は記憶が混乱しているようだが、詩津紅は1年8組、冬子は5組なのでふたりは同級生ではない。ただ放課後体育倉庫のピアノで一緒に歌っていただけである(ユニット名:綿帽子)。冬子が滑り止めに女子高の私立♀♀学園を受験して合格していたことは多分奈緒がバラしたのだろう。
 

「でも曲だけ聴くなら、何もCDを買いそろえる必要は無い。数百万円かかるし。ケイが所有しているCD・アナログレコードは全部mp3化されて、ケイの部屋のサーバーに入っているから、それを全部コピーさせてもらえばいいよ」
 
「それはケイさんの楽曲をカバーしてるんですか?」
「まあケイの曲もあるけど、それ以外も当然多い。でもコスモスちゃんから年内はいい音楽聴いていればいいと言われたのなら、それ全部聴くのもありかもね」
 
「それ何千枚くらいあるんですか?」
「たぶん2万枚くらいじゃないかなあ」
「え〜〜!?」
 
それを全部聴くには毎日朝から晩まで聴いていてもおそらく3-4年掛かるだろう。
 
風花が水帆を連れてケイのマンションに行き、データをコピーさせてと言ったらケイは言った。
 
「それなんだけど、この春以降、私の時間が取れなくてmp3化ができてないCDがたぶん100枚くらいあるんだよ。書庫のバスケットの中に入っているから、もしよかったらついでにmp3化して、作業が終わったCDは棚に並べてくれない?」
 
「やります」
 
それで水帆のマネージャーとしての初仕事はCDのmp3化となった。ちなみにケイは100枚くらいと言ったのだが、実際には500枚!あって、この作業に水帆は半月ほど掛かることになる。
 
なおその中のケイが関わった作品についてはケイ自身が作ったピックアップ・プログラムが存在し、春の段階で実行した結果できていたリストを見ると、8156曲もあった。JASRAC関係の処理のために作ったリストらしいが、この中には複数の歌手が歌ったもの、吹奏楽やオルゴールなどにアレンジされたもの、またアルバムに収録する際などにリミックスされたもの、も含まれている。しかし買い取りなどにしてJASRACに登録しなかったものは含まれていない。
 
「実際にはたぶん2000曲くらいじゃないかなあ」
と本人は言っていた。
 

10.07 厄払い旅行で『郷愁』問題とローズ+リリーのマネージャー問題が出る。
10.10 鱒渕がローズ+リリーのマネージャーに就任。『郷愁』の期限延長。
10.11 コスモスが鱒渕のマンションを決めてあげる。
10.12-29 ケイの部屋のCD mp3化
11.01 鱒渕お引越。
 

千里が他の男性と結婚することにしたという話に困惑した、貴司の母・保志絵は2017年9月24日、大阪のマンションまで来て貴司に直接話を聞こうと思った。
 
ところが貴司は不在で、阿倍子が居て、保志絵は貴司と阿倍子の結婚以来初めて阿倍子と会うことになった。その阿倍子も出かけてしまい、保志絵は京平と2人マンションに取り残されるが、そこに千里(千里2)がやってくる。
 
「千里ちゃん、結婚するって聞いたんだけど?」
 
すると千里は答えた。
 
「千里は結婚するみたいですね」
 
保志絵がその他人事(ひとごと)のような返事に戸惑っていると、保志絵の携帯に電話が掛かってくる。出ると電話を掛けてきたのも千里だった。千里は目の前にいるのに!?
 
電話を掛けてきた千里(千里1)はしきりに謝り、熱心に求愛されて断れなかったなどと言っていた。保志絵は微笑んでいる目の前の千里に困惑しながら電話を掛けてきた千里に言った。
 
「こちらこそ貴司が曖昧な態度をとり続けてごめんね。幸せになってね」
 
電話を切ってから保志絵は目の前にいる千里に尋ねた。
 
「千里ちゃんって2人いるの?」
 
「それが3人いるんですよね」
 

千里は4月に落雷に遭った時に自分が分裂してしまったことを語り、3人は最初はお互いに自分が3人いることに気付かなかったものの、周囲の人たちの反応から、やがて自分はそのことに気付いたこと。そして3人の千里がかち合わないように調整していることを語った。
 
「7月4日に東京駅で事故にあって霊的能力を失い、身体能力が大きく低下し、今、川島さんと結婚しようとしているのが1番。実は1番は事故のショックで酷い記憶喪失になって、貴司さんのこと自体一時的に忘れていたんですよ」
 
「それで他の男の人と交際してしまったのか」
 
「今は思い出して、本人は貴司さんのことも好きなのに困ったと思ってますけどね。私は2番で千里同士の衝突回避のため海外で生活しています。そして1番の事故の後で代わって日本代表になり、レッドインパルスの1軍で活動しているのが3番です」
 
「千里ちゃんじゃなかったら信じられないよ!こんなこと」
 

夕方貴司が帰ってくるので千里はいったんマンションを出た。そして貴司と少し話し合った保志絵が出てくるので一緒に伊丹空港に行き、札幌に飛んだ。そしてそこで「説明」を要求して待機していた、妹連合(玲羅・理歌・美姫)と会う。
 
千里はホワイトボードに3つの電話番号を書き、理歌に電話させてみた。2番の番号に掛けると、千里自身が持っているガラケーT008が鳴る。3番の電話番号に掛けると電話の向こうに居るのも千里である。理歌は驚いたが、しばらくその千里と話し、全日本のチケットが取れたらお願いなどと頼んだ。
 
「電話の向こうに居たのも千里姉さんだった。これどうなってんの?」
と理歌は目の前にいる千里(千里2)に尋ねる。
 
「もしかして1番の電話番号の向こうにも、姉貴がいる訳?」
と玲羅が言う。
 
それで千里は妹たちに、4月の落雷の際に自分が3つに分裂してしまったことを語った。また自分の占いでは、千里1の信次との結婚は来年の7月で終了し、また貴司も来年早々に離婚するというのが出ていることを語る。
 
妹たちはその説明で、たとえ1番が他の人と結婚しようとしていても、2番も3番も貴司のことを愛していて、貴司の妻だと思っていて、また1番も来年には離婚するというのであれば、自分たちは千里をこれまで通り応援していくと言った。
 
「でも千里お姉さんが3人に別れたまま、兄貴と結婚したらどうなるんだろう?」
「自分には嫉妬しないし一緒に暮らせばいいと思う。まあ貴司さんには日替わりで相手してもらおうかな」
 
「兄貴、早死にしそう!」
 

10月22日、千里3は名古屋での試合を終えた後、新幹線で大阪に移動し、いつも待ち合わせ場所に使っている中央区のNホテルに行った。ロビーに貴司がいるので笑顔で寄っていく。貴司はこの日会えるかどうか半信半疑のまま待っていたのだが、千里が来たので泣いて喜んでいた。その様子を見て、千里は
「どうしたの?」
と不思議そうに尋ねた(演技)。
 
貴司は千里がスマホに(自分が再度贈ったと思っている)リング状のストラップが付いているので、やはり自分を愛してくれているんだ、と感動していた。
 
そういう訳で貴司とデートした千里は、5-6月は1番だったが、7月以降は3番である。2番は自分がデートした場合、次デートした時に混乱が生じやすいので、最初は1を毎回デートさせるつもりでいたのだが、1に事故が発生したため、その後は3にやらせている。
 

実際の所、千里3としては「混乱が生じにくいように」という千里2の配慮を利用して、まんまと毎月貴司と“いいこと”をして楽しんでいるのである。しかしさすがに自分だけでは悪いので、この年、3番は何度か貴司に市川ラボでの練習を勧めておいて《きーちゃん》に
 
「ごめん。貴司が市川に行くけど、私忙しいから誰かに代わりに食事を用意させて」
と言って、その機会を利用して千里2は市川でデートしている。2番もそれが実際には3番の配慮であることには、この年は気付かなかった。
 

11月10日、与党の老齢の大物代議士が亡くなった。そこから半年後に始まる“上島騒動”を予測した人が3(+1)人だけ存在した。
 
千里2はこの事件に冬子が巻き込まれないようにするため、青葉からの警告を装って、しばらく上島雷太と会わないようにして、何かに誘われたりしても絶対にその話に乗らないようにしてと伝えた。
 
またもっと巻き込まれやすそうな雨宮先生については、先生の居場所をほぼ常時把握している三宅先生に、
「近々上島さんがトラブルに巻き込まれます。雨宮先生がそれに連座しないよう、あまり上島さんと会わせないように気をつけてください」
 
と言った。三宅先生は、怪しげなダイエット商品や毛生え薬などの類いのトラブルを想像していたようであるが、
「だったらしばらく海外にでもやっておくか」
と言い、数回にわたって雨宮先生に、アメリカやドイツなどでの用事を作り、渡航させている。雨宮先生は「海外なら浮気ができる!」などと思い、浮き浮きして出かけていたようである。
 
しかしそのお陰で雨宮先生は連座を免れた。今回の事件では上島さんと親しい同じワンティスの水上信次も逮捕まではされなかったものの、任意で事情を聞かれ、起訴猶予処分になる(上島さん同様1年間の謹慎になった)。
 

沖縄でノロをしている明智ヒバリは紅川会長を沖縄に呼び、深刻な事態が起きかけていることを伝えた。紅川はそれを持ち帰り、コスモスと協議したが、コスモスがその問題を知っていたので驚いていた。むろん千里3から言われていたのである。
 
「ヒバリちゃんも醍醐君も言うのなら間違い無いな」
 
ということで千里(千里3)も呼び、3人で協議して“脱上島作戦”(MIU - Maneuver of Independence from Ueshima) を開始する。
 
この時点でこれを知っていたのはその3人だけで、ゆりこにも言っていない。
 
実際の作戦では、§§系の歌手の楽曲にかなり上島作品を使用していたのを、東郷誠一・醍醐春海・山下鐵カ・阿木結紀・寺内雛子などの作品に切り替えていく。それだけでは足りないので、過去の§§プロの歌手の作品で、上島以外の作曲家が書いたものを、必要な許諾を取った上で、新たなアレンジにしたり、新歌詞を乗せたりして再利用した。コスモス自身が忙しいのでこのあたりは紅川が走り回って進めていった。
 
(話を聞いていないゆりこは“春風アルトの父親代わり”を自称する紅川会長が、上島さんの度重なる浮気に怒って上島作品を外し始めたのかと思っていたらしい)
 
編曲は台湾の編曲工房サンフラワー・ミュージック・スタジオ(向日葵音楽工作有限公司)で進めることにした。海外の工房を使うのは、むろん目立たないようにするためであるが、この年から翌年度に掛けて同工房は特需になった。
 
元々台湾ではJ-POPが人気なので、J-POPの構造やセンスに慣れたミュージシャンが多いこともあり、この工房は料金が(日本の工房に比べて)安いわりにセンスよい編曲をしてくれる。以前日本の音楽界で活動していた台湾系の作曲家が数年前に開いた工房である。コスモス自身が過去にこの作曲家の作品を何度か歌った縁があったので、コスモス自身が実際に渡台して契約をまとめた。
 
また、おりしも千里1は“埋め曲”ならどんどん書ける状態になっていたので、大量の楽曲を調達することか出来、随分助かったのである。
 
脱上島作戦でコスモスは千里2とも千里3とも(千里1とも)頻繁に会っているが、どの千里なのかは、千里3にも言われたようにそれぞれの“雰囲気”と“パワーレベル”で判断していたので、千里2がアクオスを持っていても、欺されることなく、よけいな情報はしゃべらないように気をつけていた。それで
 
「コスモスは使えん」
と千里2がグチを言ったりしていた。
 
この時期、正確に千里2と千里3を見分けていたのは、京平・コスモス・アクアの3人くらいで、《きーちゃん》や丸山アイ!でさえ、しばしば欺されている。
 

丸山アイはP代議士の死去で、いよいよ数年前から構想を練っていた自動作曲システムを稼働させる時が来たと思った。それでTS大学の助手で、この方面の研究をしていたものの、資金不足で充分な研究ができないとこぼしていた山鳩さんをスカウトする。そして研究費は何億円使ってもいいから、自動作曲システムを構築して欲しいと依頼した。
 
「ほんとに何億使ってもいいんですか?」
「1000億くらいまではいいよ」
「さすがにそんなには必要ないです!」
「お金は充分あるから、個人的に持病の治療とかがあったら、それに使ってもいいよ。社員福祉ということで出してあげるから」
「特に持病は無いです」
「もし性転換したかったら、手術代くらい出してあげるし」
「僕が性転換したら、女房が仰天します!」
 
山鳩はアイと相談の上、TS大で2014年に運用終了したスーパーコンピュータが、倉庫に眠っているのを買い取れないかと大学側と交渉した。
 
そのスパコンは実際には「廃棄した」ことになっていたのだが、廃棄するための予算が取れず、倉庫に眠っていたのである。それを結局「ゴミ買い取り」の名目で1000万円で丸山アイが買い取ることにした。このスパコンの製作費はわずか4000万円で、当時物凄い低予算でスパコンを作ったというので話題になっていた。T大・K大で制作したものと共通仕様なのだが、潤沢な予算が使えるT大などと違って予算が無いので、ほとんど汎用部品で組み上げたのである。
 
丸山アイはこのスパコンを動かせる、電力事情の良い土地を探し始めた。
 

そして千里3は2ヶ月前に偶然S代議士から直接P代議士の容態を聞いて既に動き始めていた。“手駒”として必要になりそうな数人の人物、《せいちゃん》、《げんちゃん》《すーちゃん》、青葉、鮎川ゆま、木ノ下大吉、ひまわり女子高2年A組15番,17番などなどとの繋がりを確保し、その中の数人には密かにマーカーも付けておいた。
 
それと同時に千里3は千里1が7月の事故以降、大量に書きまくってくれている“埋め曲”の作り方を観察して、それをロジックとして整理していたのである。(実は千里3はわりとコンピュータに強い)
 
そういう訳で、丸山アイがスパコンを使った自動作曲システムの構想をまとめていた時期、千里3もチープな自動作曲システムの構想を練っていた。夢紗蒼依と松本花子の戦いは、実は2017年10月頃から始まっていたのであった。
 

11月11日、青葉は東京辰巳で行われる短水路日本選手権水泳大会(13-15日)に参加するために東京に出てきた。実際には彪志のアパートに泊まっているのだが、そこで彪志が会社に行っている間に掃除をしていたら、ふと先日§§ミュージックに行った時、鱒渕水帆の新しいマンション選びをしている所に遭遇し、意見を求められたので、各々の物件の写真等を見て感じたままのことを伝えたことを思い出す。
 
その時、鱒渕がどれかの物件の話をした時にピクッと顔の表情が変化したことを思い出したのである。私、何かショッキングなこと言ったっけ?と思って考えている内に、鱒渕が反応したのは
 
「そこに住むと女性機能が停止して男性化するかも」
 
という言葉だったことに気付く。
 
「もしかして鱒渕さん、生理不順か何かかな?」
 
気になったので、§§ミュージックに電話して鱒渕さんの所在を訊いてみた。すると、彼女はローズ+リリーの担当になったので、こちらでは所在やスケジュールを把握出来ないので、直接本人の携帯に掛けるか、つながらなかった場合は、サマーガールズ出版のデスクの秋乃風花さんに訊いてくれと言われ、両方の電話番号を教えてくれた。
 
そうか、鱒渕さんがローズ+リリーのマネージャーになるという話があったよなと思いつつも、秋乃さんは別にデスクではないと思うがと考えながら、まずは本人の携帯に掛けたもののつながらない。それで秋乃さんに掛けてみた。
 
「鱒渕さんは15日発売の『青い豚の伝説』に関する打合せで、今★★レコードに行っているんですよ。急ぎの用件なら呼び出しますよ」
 
「いえ、急ぎではないのですが、何時頃そちら終わるか分かります?」
「コスモスさんとの約束で必ず終電には乗らなければならないことになっているんです。ですからたぶん夜中の1時頃になると思います」
「うっ・・・」
 
「さすがに無茶ですよね。急用だと言って呼び出しますから。どうせ今夜中には仕事は終わらないから、少し休んで明日続きをした方がいいですよ」
「それはありますよね。まだ病み上がりだし」
 
それで秋乃さんは★★レコードにいる鱒渕さんを呼び出してくれて、彼女は21時に恵比寿のケイのマンションに戻ることになったのである。それで青葉もそちらに向かうことにした。
 

恵比寿のケイのマンションはこの日ケイもマリも郷愁村の方に行っていて留守だったがケイの親友の詩津紅さんの妹、妃美貴さんが居て、『青い豚の伝説』のパンフレット編集作業をしていた。
 
「ああ、青葉ちゃん、こんばんは。冬子さんは出かけているけど」
「鱒渕さんと会う約束をしたんです。待たせてもらっていいですか?」
「どうぞどうぞ。私も作業しているから、お腹空いたら適当に冷蔵庫から食材出して作って食べてね」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
 
それで勝手にコーヒーを入れて、妃美貴さんにも渡し、しばらく待つ。
 
「妃美貴さんも作業に駆り出されたんですか?」
「私、サマーガールズ出版の社員」
「え?いつの間に」
「勤めていた会社が倒産してさ。クレカの支払いができないんで助けてと言ったら雇ってくれた。退職金が出るまでの当座の生活費とかも貸してくれた」
 
「大変でしたね!でも良かったですね!」
 

結局、鱒渕さんは22時頃マンションに戻ってきた。
 
「あれ?風花ちゃんは?」
「風花さんは自宅マンションで作業中です。でも大宮万葉先生の御用事だったんですよ」
 
「あ、大宮先生、先日はありがとうございました。おかげでいいマンションが見つかりました」
 
「結局大崎のマンションにしたんですか?」
「そうなんですよ。駅から近いし、近所にスーパーはあるし、便利で快適です」
「それはよかった」
と言って少し雑談をしてから、青葉は言った。
 
「少し内密の話をしたいのですが、どこか場所を移しますか?」
 
すると妃美貴が
「防音室を使ってください。あそこは絶対音が漏れませんから」
と言うので、そちらに2人で入った。
 

青葉は言った。
 
「差し出がましいことなんですが、先日の部屋選びの時に、私がどこだかの物件で『そこに住むと女性機能が停止して男性化するかも』と言ったら、鱒渕さんがピクッとしたように思えて。ひょっとしたら、生理不順か何か抱えておられますか?」
 
すると鱒渕は突然泣き出してしまった。
 
青葉は彼女をハグした。
 
「実は・・・生理が止まったまままだ回復しないんです」
「最後に生理があったのは?」
「1月なんですよ。ですから10ヶ月ほど止まったままで」
 
青葉は腕を組んで考えた。
 
彼女はほぼ瀕死の状態にあった。生理くらい止まってもおかしくない。
 
「良かったら少し診させてもらえませんか?何かお助けできるかも知れません」
「はい」
 
それで鱒渕に服を脱いで下着だけになって横になるよう言う。それで青葉は彼女の下腹部の付近に手をかざすようにして、様子を見た。
 
「ああ、分かりました」
と青葉は言った。
 
「治るでしょうか?」
 
「これはですね。振り子時計が停止しているのと同じ状態です。いったん起動を掛ければ簡単に回復します」
 
「本当ですか!?」
 
「少しショックが来ますけど、起動を掛けていいですか?」
「お願いします!」
 
それで青葉は鱒渕の女性器をコントロールしている回路をしっかりと把握した上で“鈴”を作動させた。
 
この“鈴”は人間の身体や心を奮い立たせるような効果がある。青葉は美鳳さんからもらったと思っているが実際には千里が《きーちゃん》に頼んで渡してあげたもので、2009年夏"Special Month"のことである。青葉の知らないことであるが、実は人間の男性器から作られているので性器の活性化には特に良く作用するのである。その男性器を取られた人(多分取られるまでは男性だった)がどうなったかは、この鈴をカマキリ大王様からもらった千里も知らない!
 

「あっ」
と鱒渕が声をあげる。
 
「なんか身体が温まっていく気がします」
「生殖の回路はもう治療が終わっていたのだと思います。ただそれが単純に停止していたんですよ。だから、これでまた排卵が起きて生理も来ると思いますよ」
 
「ありがとうございます。嬉しい」
 
「今夜は自宅に戻ってお風呂に入って寝るといいです。それで生殖機能が回復していくと思います。あとしばらくは無理しないように」
 
「そうします!」
 
鱒渕は御礼はどれだけすればと訊いたが、先日コスモス社長から部屋選びの見料をもらっているので、これはアフターサービスですと言い、追加の御礼は不要と言った。
 
実際には鱒渕は11月下旬に排卵期のような体温変化があり、久しぶりに性欲も感じた。そして12月には生理が再開した。鱒渕は青葉に電話を掛けて「これで女になれました」と言って、泣いて感謝の言葉を述べた。青葉は謝礼不要と言っていたのだが、彪志のアパート宛てに松阪牛の牛肉セットが贈られてきて彪志が仰天することになる。
 

貴司は千里(千里3)と11月19日にデートしたが、11月30日に貴司は美映とのデートをしている。この11月30日には、川島信次と千里1、阿倍子と晴安もデートしていて、その3つのデートが同時進行した結果、信次と千里の遺伝子を受け継ぐ子供が美映の体内に入るという、ややこしいことが起きる。
 
●22:00 信次×千里1
 (避妊具不使用。信次は千里が性転換者なので妊娠しないと思い込んでいるが千里1は妊娠可能)
 
●22:30 貴司×美映
 →千里の呪で美映と千里の女性器が交換され、実際には貴司×千里1になった。そして信次の精子を受け入れた千里の女性器が美映の体内に入る。交換の期限は次の生理または出産まで。
 
●23:00 千里×信次、晴安×阿倍子
 →京平の呪で晴安と千里の“男性器”が交換され、千里1×阿倍子、晴安×信次となった。交換の期限はセックス終了まで。
 
千里は“2回戦”では男役をしたので、自分の体に来ている美映の女性器は使用していない。この後、千里1は信次との関係ではいつも男役をするようになったし、桃香とのセックスは拒否していたので、この女性器はその後も使用されなかった。そのため、美映は結婚して出産したにも関わらず処女のままで、次の夫・日倉孝史と結婚した時に処女の出血を体験することになる。
 
この夜起きたことの全容に気付いていたのは《くうちゃん》のみである。彼はそのことを誰にも話さなかったので、千里がそのことに気付くのは、何年も先のことになる。
 
千里と貴司の次のデートは12月23日(祝)に行われ、貴司が阿倍子との離婚を示唆する発言をしたので千里(千里3)は、やはり予想通りの展開になりつつあるなと思った。
 
「それで離婚した後、私と結婚してくれたらいいんだけど、無理だろうな」
と千里3は呟いて、上弦近い月を眺めていた。
 

そして貴司は翌12月24日、美映から「妊娠したみたいだ」という連絡を受け、衝撃を受ける。
 
最初は中絶するつもりだった美映が、病院に行ってから「やはり産む」と言い出し、産む以上結婚してくれと主張する。それで結局貴司は1月下旬、阿倍子に土下座して離婚して欲しいと言った。阿倍子はてっきり千里と結婚するつもりなのだろうと思ったら、千里ではない女性を妊娠させたというので、阿倍子もほとほと貴司のデタラメさに愛想が尽きてしまい、離婚に同意する。
 
ふたりは2018年1月21日に離婚し、阿倍子は23日に千里(せんり)のマンションを退去した。この時、荷物の運び手がいなかったので、貴司は最初自分が荷造りなどしていたものの、途中で阿倍子と喧嘩してしまったため、千里を東京から呼び寄せて手伝わせた。この時、呼ばれて手伝いに行ったのは千里1である。
 

千里2は12月31日、博多ドームで開かれたローズ+リリーのカウントダウン・ライブに参加したが、翌1月1日、冬子に自分が3つに分裂していることを打ち明けた。冬子は驚いていたが「千里でなかったら信じられない!」と言って、それを信じてくれた。
 
冬子には、7月の事故以来作曲能力を大きく落とした“醍醐春海”に代わって、アクアの楽曲その他を書いている“琴沢幸穂”が実は千里2+千里3であることも打ち明けた。冬子は絶句していた。ついでに琴沢幸穂 Kotosawa Sachiho が実は細川千里 Hosokawa Chisato のアナグラムであることもバラした。
 
1月6日、千里2は旭川に行き美輪子の家を訪問した。美輪子は“千里の婚約”に怒っていたのだが、この時、ちょうどテレビでは全日本の中継をやっていて、そこにも“千里”が映っていた。
 
「この放送は録画?」
「生放送ですよ」
「じゃ、あそこにいるのは?」
「千里です」
「ここにいるあんたは?」
「千里です」
 
「千里って2人いるの〜〜!?」
「私が千里2番、今全日本に出ているのが千里3番です」
「2と3というと1は?」
「川島信次と結婚しようとしているのが1番です」
「じゃ3人いる訳!??」
 
1月7日は青葉の成人式だったが、3人の千里は《きーちゃん》の誘導で、入れ替わり立ち替わり青葉の前に現れて3人各々が青葉にご祝儀を渡した。
 

貴司と千里のデートは、1月は全日本の後、Wリーグ再開で千里3が忙しいのでパスすることにし2月24日(土)に次のデートをしようということになっていたのだが、貴司の海外出張が入ってしまい、結局3月18日(日)にデートすることになった。3月17日(土)には秋田でWリーグの試合があるのだが、その後、千里は東京まで他のメンバーと一緒に新幹線で移動した後、新大阪まで乗り継ぐ。
 
12.24 美映が貴司に妊娠していることを報せる
12.25 中絶に行くが翻意。貴司に結婚を要求。
1.21 貴司と阿倍子が離婚
1.23 阿倍子が神戸の実家に引っ越す。千里1が手伝い。
1.24 美映が貴司と同居開始
2.03 貴司と美映の婚姻届け提出(ボイド)
2.04 千里2が貴司に電話し慰謝料肩代わりの申し出
2.16 千里1と川島信次の婚姻届提出(ボイド)
3.17 千里1と川島信次の結婚式/千里3は秋田で試合/千里2もLFBの試合
3.18 太一と亜矢芽の結婚式/千里3と貴司のデート
3.19-27 信次と千里、新婚旅行
 
1月中旬、貴司が阿倍子に土下座して謝って、離婚して欲しいと言ったことから、京平から千里2に「パパが他の女の人と結婚するって」と連絡があり、千里2は激怒した。千里2はすぐにも貴司の所に行き、ありったけの罵声を浴びせてやりたい気分だったが、自分が激情に駆られて行動しても、何もいいことはないので我慢し、葛西のマンションに来た青葉にひたすらグチを言った。青葉も自身激怒しながらも、千里2の話をずっと聞いてあげた。そして青葉が見聞きしたことは全て千里3に筒抜けになるので、それで千里3も知って激怒した。
 

最後にこのことを知ったのは千里1である。1月23日に阿倍子と離婚したので引越を手伝ってあげて欲しいと貴司から連絡を受け、せっかく貴司が離婚するのに自分が他の男性と結婚しようとしていることを大きく後悔したのだが、その直後、貴司から美映との結婚を聞き、超激怒して電話越しにありったけの非難の言葉を投げつけた。
 
この通話は千里1がやっとiPhoneが壊れていることに気付き、新たに使用し始めたGratina2 KYY10 を使ったのだが、このガラケーは千里2・千里3ともに、各々《きーちゃん》《わっちゃん》に命じてクローンを作っている。それでこの通話は千里2・3ともに傍受して、ふたりとも溜飲が下がる思いだった。
 
それで2月4日に千里2は元々自分が払うつもりだった阿倍子さんへの慰謝料の肩代わりを提案したのである。それとともに、交通費は自分が出すから、市川ラボに毎日通って、ドラゴンズのメンバーと練習をし、レベルアップするよう言った。
 
(市川に貴司が来てくれると、千里2は貴司とイチャイチャできる)
 

そういった経緯を経て、3月18日、貴司は千里(千里3)と3ヶ月ぶりのデートをする。(市川で千里(実は千里2)とイチャイチャしているのはデートとしてカウントしない)
 
この時、千里2の認識では千里3が貴司の離婚と美映との結婚を初めて知ったことになる。それで千里3は千里2の認識に乗じて、本当に今知ったように驚き、そのあたりにある物を手当たり次第貴司に投げつけて貴司を非難する。貴司としてはなぜ今更怒るのか理解不能である。千里3は最初は演技だったのだが、やっている内に本当に腹が立ってきたので、後半は本気である!
 
ちょうどそこに(そのようなやりとりが進行中とはマジで知らなかった)きーちゃんから、作曲依頼の電話が千里3のAquos Phoneに掛かってくる。千里3はこの時点で本気で怒りが頂点に達していたので
 
「いったい何?」
と怒声で言い、電話をした《きーちゃん》がギョッとする。きーちゃんは一瞬自分の数々の千里3への工作がバレて叱られたのかと思った。
 
おそるおそる《きーちゃん》が作曲を依頼すると
 
「それはいいけど、貴司を去勢したいから協力して」
と《きーちゃん》に言った。
 
ああ、自分の工作がバレたのではなかったかと安心した《きーちゃん》は
「いいですよー」
と気楽に言い、貴司の性器を抹消してしまった。
 
「うっそー!?」
と貴司は叫んでいる。実は1月に千里1が貴司を電話越しに非難した時、そんな浮気者のちんちんは切り落としてやると千里1は叫んでいた。それで貴司としては、本当に切られちゃった!と思ったのである。
 
しかし千里3は
「そのビバビバだかビバノンノンだかという女と離婚して、私の所に戻って来るまで、ちんちんは無し」
と宣言し、
 
「これは阿倍子さんの分」
と言って、貴司に数回蹴りを入れてから出て行った。
 
そういう訳で、この後しばらく貴司は男性器無しで過ごすハメになったのだが、様子を見ていた千里2は「あぁ!スッキリした」と声に出して言った。
 
貴司と千里の間では、ほぼ千里が貴司にDVをしている!
(原因はほぼ貴司の浮気だが)
 

ちなみに、千里1はこの前日の3月17日に信次との結婚式を挙げ、18日は信次の兄・太一の結婚式に出ている。信次・千里1、太一・亜矢芽のカップルは19日から新婚旅行に出かけた。
 
その3月19日に西湖は横浜のG高校を受験し、これを落として行く高校が無くなったのを3月22日に千里2が介入してJ高校に行けるようにしてあげるのだが、それは千里1の新婚旅行中のできごとだった。その付近について少し前から説明する。
 

天月西湖(今井葉月)は、アクアがデビュー直前の2014年12月13日に羽田空港でアクアやコスモスたちと偶然遭遇し、「アクアと雰囲気が似ている」としてボディダブル役としてコスモスにスカウトされた。当時は小学6年生であった。それでアクアのデビュー以来、彼のボディダブル役、後にはリハーサル要員として活躍することになり、アクアの仕事が増えるにつれ、彼の仕事も増えた。
 
アクアが3年間仕事をしてきたので、西湖も一緒に3年間仕事をしてきたことになる。つまり西湖は中学の3年間ずっとアクアの代役を務めてきたのである。
 
アクアが撮影に入るのは原則として学校が終わった後の17時以降であるが、そのリハーサルは数時間前に始まっている。それで西湖は中学の3年間頻繁に昼休みあるいは午後の授業の途中で呼び出され、放送局や撮影スタジオなどでリハーサルに参加していた。
 
しかも仕事はしばしば深夜に及ぶ。それで彼は中学3年間、授業の3分の1程を休んでいるし、宿題などの提出物は全く提出していない。また疲労から午前中の授業でしばしば居眠りをしていた。
 
それで西湖は中学の勉強はほとんどしないまま3年間を過ごした。本人としては高校には行かず中卒でもいいかなとも思ったのだが、コスモス社長は「高校くらいは出ていた方がいい」と言い、鱒渕があまりにハードな仕事でダウンしたこともあり、今後は少し仕事の仕方を考えて行くから、高校に行きなさいと言った。
 
それで西湖も高校を受験することにしたのである。
 

ところが彼は中学の勉強を全くしていなくて、中学レベルの学校で教えられるような知識が無いだけでなく、そもそも勉強の仕方も忘れている状態だったこともあり、受けて合格しそうな高校が無かった。
 
結局芸能人が多く在籍している、D高校とJ高校を受けることにしたのだが、勘違いと偶然の重なりでそれ以外に女子校であるS学園も受けることになってしまう。そして西湖はD高校にもJ高校にも落ちて、女子校のS学園にだけ合格し、そこに行く以外の道が無くなってしまった。
 
このあたりまでの経緯
 
1.05 J高校の説明会に行くがS学園の先生が誤って西湖をS学園の説明会に連れ込む。
1.15 J高校とD高校の願書を出すが母がついでにS学園の願書も出してしまう。
2.03 D高校入試(翌日合格発表:落)
2.04 J高校入試(翌日合格発表:落)
2.10 S学園入試(翌日合格発表:合格)
2.13 S学園入学手続き
2.20 船橋のE学院二次募集。即願書提出
2.22 浦和のB学園二次募集。即願書提出
2.26 横浜のG高校二次募集。即願書提出
3.10 E学院入試/岩手で震災イベント/(翌日合格発表:落)
3.15 中学卒業式。
3.17 B学園入試。(翌日合格発表:落)
3.18 母が帰宅。“手術許可書”を書いて渡す。
3.19 G高校入試(翌日合格発表:落)
 

この事態にコスモス社長と桜木ワルツは、S学園に行くしかないのなら、もう開き直ってS学園に入り、3年間女子高生を演じるといいと言い、西湖もそのつもりになった。
 
ここでその話を聞いた千里2は(共学校の)J高校の教師に友人がいたので口利きしてあげ、西湖はJ高校に入れてもらえることになった。それで女子高生にならずに済んだとホッとし、S学園には入学辞退届を出そうとしたのだが、ここで《こうちゃん》が悪戯をして、西湖の母が誤ってJ高校の方に入学辞退届を出すようにしてしまう。
 
それで西湖は結局、やはり女子校のS学園に行かざるを得なくなってしまったのである。男の子である西湖が女子校に入るというので、学校側は西湖が女の子になりたい男の子なのだろうと思い込んでいたのだが、事前面接に西湖と一緒に学校を訪問した西湖の父は否定した。
 
この子は祖父が名女形と言われた柳原蛍蝶で、自分も女役の役者であり、この子には“女形修行”をさせたいので、3年間、まさか女ではないとは誰にも気付かれないように女子高生生活をさせたいと熱弁を振るったのである。だからこの子には何も性別に対する考慮はしなくていい。普通の女子高生として扱ってもらって構わないので、それでも絶対に誰にも性別を疑われることのないようにさせると言った。
 
それで西湖はS学園高校に、ふつうの女子高生として通うことになったのであった。
 
この付近の経緯
 
3.20 桜木ワルツと話してS学園に行くことを決める。制服発注。母に連絡して承諾。
3.21 TDLに行き丸山アイと遭遇。喉仏除去してもらう。
3.22 醍醐春海の口利きでJ高校に入れることになる。用賀のアパートを4月以降西湖が使うことになる。
3.23 深夜(3.24 1時過ぎ)、母がS学園辞退の届をしようとしたが、勾陳の工作でJ高校の辞退届を出してしまう。
3.25 J高校からの入学辞退確認書類到着。母はS学園の書類と思い込み記入して投函。
3.27 J高校辞退届け受理のお知らせが西湖の家に到着。
3.28 父がJ高校と交渉するが、辞退撤回不能。やはりS学園に行くしかなくなる。
3.29 父と一緒にS学園の事前面接に行き、入学の正式許可。S学園・J高校の女子制服を受け取る。
4.01 西湖がS学園のオリエンテーションに出る。
 

せっかく自分がお膳立てして西湖が共学校に通えるようにしてあげたのに、それを《こうちゃん》がぶち壊したことに千里2は激怒する。それで《こうちゃん》が深夜西湖のアパートに侵入してきて「女の子に1歩近づけるように」去勢しようとした所を捕まえ、きつーいお灸を据えるとともに、彼を自分の直接の眷属にしてしまった。それでこれ以降《こうちゃん》は千里2に直接仕えることになる。
 
ちなみに《こうちゃん》本人はこの夜の後、男性器が使用不能になってしまい、それに気づいた後、千里2に泣いて謝り、夏になってやっと機能回復させてもらったものの、千里の恐ろしさをあらためて認識することとなった。
 
西湖の性器は、あまりにも“風前の灯火”(冬子によると“扇風機の前の蝋燭”)状態だったので、夏休みの終わりに千里3が“隠して”しまい、誰にも奪われないようにしてあげた。結果的に西湖は高校を卒業するまでの限定(?)で本当の女の子の身体で過ごすことになった。
 
高校を卒業した時に西湖が男の子の身体に戻りたいと思うかどうかは五分五分かな?とこの時、千里3は思ったのだが、2020年1月に誰も予想できなかった事態が起きて、千里は驚愕することになる。
 
なお、結局西湖に悪戯できなくなった《こうちゃん》は腹いせに、青葉の元同級生・奥村春貴を性転換してしまうが、彼は女の子になりたがっていたので千里3も見ぬ振りをしてあげた。
 
(彼は千里2には屈服したものの、千里3は大したことないと思い込んでいる)
 

なお、千里の用賀のアパートだが、千里1が川島信次と結婚して引っ越してしまうので住む人が居なくなる。しかしここは京平の“神殿”なので、誰かが住んでいないと困る。それでJ高校に通うことになった(とその時は思っていた)西湖に(無料で)住んでもらうことにした。条件は玄関に貼っている2枚の梵字の紙と、押し入れ奥にある箱に入った白銅鏡の維持、それにセックス禁止だが、西湖は高校生でセックスはしないだろうと思われた。
 
西湖が通う高校は《こうちゃん》のせいで、S学園になってしまったが、J高校もS学園も用賀駅が最寄り駅である。東急旧玉川線の弧状の線路跡(現在は都道)を挟んで、北側にS学園、南側にJ高校があり、S学園の生徒は北口、J高校の生徒は東口を使用する。
 
このアパートは神殿なので、しばしば“おキツネさん”や“狛犬さん”、稀にはカラスさんや鹿・猿・タヌキさん!?などまで遊びに来る。西湖はその子たちとすっかり仲良くなってしまい、食べ物や服(女物!)、アクセサリー(女の子用)をもらったり、あるいは色々なことを教えてもらったりもした。お化粧も教えてもらったので西湖はドキドキしながらメイクの練習をしていた。ある時は宝くじをもらったら100万円が当たってびっくりした(桜木ワルツと山分けした)。
 
西湖が優しいし、しばしばお供えもしてくれるので、ここに来る子たちにも西湖は好評だったようである。そのあたりは後に作られることになる緩菜の神殿の住人!とは大いに違う所である。
 

ところで、今年の4月から9月まで放送される『ほのぼの奉行所物語』では、北町与力の娘・南川しの(アクア)、南町与力の娘・北山みつ(岡原襟花)、越中屋きぬ(馬仲敦美)らが箏教室に通い、交流を深めるシーンがある。そのため、この教室の場面に出演する女子たちを対象に、本当の箏のレッスンが行われていた。このレッスンにその3人も出席していたのだが、ここに顔出しで出してもらうことになっている葉月(西湖)は受験をしていたので3月中のレッスンまでは欠席していて、4月になってからやっと参加した。
 
「わぁ、女の子ばっかりだ」
と言って、
「あんたも女の子じゃん」
と共演者の米本愛心(Cold Fly 20)から言われる。彼女も西湖と同様に“たまにセリフがあるかも”という水準の出演者である
 
「ボク、男の子なんだけど」
とアクアが心細そうに言うが
「アクアちゃんは女の子と同類でいいと思う」
と馬仲敦美から言われている。
 
「実際本当は女の子なのではという疑惑がある」
「少なくとも男の子ではない」
「去勢済みというのも確定」
「近くに寄ると女の子の香りがするし」
「生理があることも判明している」
「だから全員女の子ということでいいよね」
 

みんなこれまで3〜4回のレッスンを受けているので、結構弾ける子もいるのだが、西湖は初めてなので、まるで弾けない。たどたどしい探り弾きをしていると
 
「君の演奏、まさに初心者という感じ。ちょっと録音させて」
と言われて、音だけではなく、弾いている様子まで撮影されて
 
「あ、いいな」
と少し弾けるようになっている子たちから羨ましがられた。
 
この録音は放送第1回のアクア演じる南川しのの“最初のお稽古での演奏”ということにして急遽組み込まれたようであった。弾いている所の指だけ映ったが、アクアの熱心なファンたちが「あ、これ葉月ちゃんの指だ」と放送を見てすぐに見抜き、ネットで話題になっていたようである。
 
もっとも西湖は「自分は遅れて参加したからその分頑張って練習しなきゃ」と自分で(番組でも使用している)生田流の箏と爪に教本を買ってきて、用賀のアパートでずっと練習していた。すると狐の女の子が顔を出して
 
「それ違〜う」
と言って、西湖に丁寧に箏の弾き方を教えてくれた。
 
それで次回の番組収録の時、西湖の箏が物凄く進歩していたので、共演者がみんな驚くことになる。(アクアもライバル心を大いに掻き立てられた)
 
箏の監修で来ていた生田流の年配の名取さんが西湖の箏を聞いて
 
「その弾き方は生田流が成立する前の古式の弾き方(*2)だね。こういう弾き方ができる人は貴重だよ」
と感心するように言っていた。
 

(*2) 箏は17世紀半ばに八橋検校(1614-1685)が出て現代につながる箏の近代的な奏法・楽曲構造を確立し、次いで京都に生田検校(1656-1715)が出て生田流を始めた。そして18世紀後半に江戸で山田検校(1757-1817)が出て山田流を創始する。そのため関西では生田流、関東では山田流が多くなった。八橋検校は磐城(福島県)出身で、大阪で三味線を習った後、江戸で箏を覚えたが、西洋音楽の影響を受けたともいう。
 
『ほのぼの奉行所物語』は17世紀末の江戸の物語なので、山田流はまだ無く、生田流が成立しかけている時期である。江戸だから山田流を採用しようという案もあったが、時代が違いすぎるということで、京都で流行ったものではあるが、より古い生田流を採用した。
 
西湖に箏を教えてくれたのは、八橋流の弾き手であった。“女の子”と書いたが年齢は追及しない方がよい(あ、石を投げつけないで!)。なお八橋検校は京都銘菓「八つ橋」の語源で、あのお菓子の形は箏の形をかたどったものである。
 
 
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【△・第3の女】(5)