【娘たちの面談】(4)

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千里は自動車学校で、10/31, 11/1-3 で第1段階、11/4,7,8で第2段階を修了、11/9に卒業試験を受けて合格した。実は第1段階は最低5時間の所を2時間多い7時間掛かっている。第2段階は規定通り7時間で済んだ。
 
9月に普通二輪免許を取った後、1ヶ月半にわたってST250を運転していたことで、けっこう二輪車自体には慣れていたものの、運動神経の良い千里でもさすがに大型バイクはなかなか大変であった。
 
もっとも倒れたバイクを千里がヒョイと起こすので教官が驚いて
「君、いとも簡単に起こしちゃうね」
と感心していた。
 
「そうですか?」
「普通はそのやり方では起こせない。普通はこうやって起こす」
と言って、お手本を見せてくれる。
 
「ああ、それだと起こしやすそう」
と言って、実際にやってみるとほんとに簡単に起こせる。
 
「何かスポーツでもやってるの?」
「はい、バスケットを少々」
「へー。スポーツ少女なんだね。握力とかも凄いでしょ?」
「握力は80くらいしかないですよ」
「凄い!僕だって60くらいしかないのに」
 
ともかくもそれで卒業した翌日の11月10日(木)、再び幕張近くの運転免許試験場に行き、大型自動二輪免許を手にした。有効期限はこれまでと同じ2014年4月3日までのブルー免許ではあるが、免許の種類が、普通・普自二・大自二の3種類となった。
 

冬子が政子と一緒に須藤美智子のマンションを訪れ、「ローズクォーツとローズ+リリーの管轄を分ける」という提案をしたのは11月19日になった。この時点で冬子は、最悪須藤と決裂した場合、2億円程度の違約金を払ってUTPとの契約を破棄することも覚悟していた。
 
町添・冬子・丸花の三者会談で、そのような事態になった場合は、○○プロの子会社を設立し、津田アキ(同プロの元専務)に社長を引き受けてもらい、そこと冬子たちが契約するシナリオも考えていた。○○プロの子会社で、須藤も恩のある△△社の津田邦宏社長のお姉さんであればあれば須藤さんも文句を言えないだろうという考えである。
 
冬子はかなり緊張した状態でその申し入れをしたのだが、須藤は明るく了承した。これには冬子も拍子抜けした。
 
「確かにローズクォーツとローズ+リリーが区別つかなくなっているというのは私も思ってた。せっかくケイを専務にしたしね。うん。じゃそちらはケイが統括してよ」
 
3人の会談は実際問題として、この「担当分割」については数分で済んでしまい、むしろ冬子と政子の恋愛問題について長く話した。
 
須藤美智子が簡単にこの「分離」提案を了承したのは、ローズクォーツ名義でリリースした『夏の日の想い出』がひじょうによく売れていてUTPの核になりそうであったことに加えて、“太荷次長”と一緒に進めていたワランダーズが「かなり有望」と思えていたことがあった。
 
ローズクォーツとワランダーズが売れ出した場合、片方は松島花枝に任せようかとも考えていて、マリのご機嫌を取りながら進めないといけないローズ+リリーはケイが自分にやらせてくれというのなら、それでもいいかと考えたのである。
 

11月下旬。FM局から新番組のパーソナリティにローズクォーツを使いたいという連絡があったので、デモ版を“ラジカセ”で録音してテープを提出した。ところがスポンサーがそのデモ版を聞いてみた所、メンバーの掛け合いのテンポがよくないのでNGということになり、ローズクォーツの新番組の話は消えた。
 
ところがその代わりのパーソナリティについてスポンサーと放送局側が打合せていた所、『名前は覚えてないのだけど』春に鍋島康平さんの追悼番組の司会をした女子大生ペアが使えないかという話が浮上する。
 
「それはローズ+リリーですね。その片割れのケイちゃんはローズクォーツのボーカルでもあるんですよ」
 
「え?そうだったんですか?」
 
それで放送局側から「断った直後にこんな話をして申し訳ないのだけど・・・」と言って、ローズ+リリーに番組のパーソナリティを務めてもらえないかという話があらためて来たのであった。
 
対応した花枝は少し呆れたものの、ケイは快諾して1月から「ローズ+リリーとあなた」が始まることになった。
 
その話を聞いたタカはケイに言った。
 
「ケイちゃん、それでなくても忙しいのに、番組を2つ掛け持つなんて無理だと思う。ケイは『ローズクォーツのリクエスト大作戦』からは外れた方がいい」
 
「私が出なくても大丈夫ですか?」
「ヤスを引き込むから何とかなるよ。歌は俺が歌ってもいいし」
 
それでリクエスト大作戦の方は花枝とタカが共同で放送局側と交渉し、1月いっぱいでケイは降板することが決まった。つまり1月だけケイはふたつの番組を掛け持ちする。但しケイの降板は特にアナウンスせず「今日はケイは欠席なんです」と言っておくことにした。
 

そのヤスこと太田恭史がローズクォーツに参加することになったのは、全くの偶然の経緯であった。
 
12月4日にケイを含むローズクォーツの面々がレコーディングをしていて、お昼を食べようというので近くの食堂に入った。その時、近くの席に偶然太田さんが居たのである。彼はスタジオミュージシャンとして、別のアーティストの音源製作で同じスタジオに入っていたらしい。
 
この時、ローズクォーツって、ほんとに色々な曲が演奏できるよねという話から、いっそカバー曲を集めたアルバムとか作らない?という話になる。それでどんな曲をカバーするかという話をしていた時、その話に興味を持った太田さんが寄ってきて、一緒にあれこれ曲をあげていったのである。
 
この件はどんどん話が大きくなり、カバー曲を集めたアルバムシリーズを制作しようということになる。この時挙げられたラインナップは下記である。
 
Rose Quarts Plays Rock
Rose Quarts Plays Jazz
Rose Quarts Plays Minyo
Rose Quarts Plays Classic
Rose Quarts Plays Latin
Rose Quarts Plays Pops
Rose Quarts Plays Sakura
Rose Quarts Plays Summer
Rose Quarts Plays Autumn
Rose Quarts Plays Anime Song
Rose Quarts Plays Christmas
Rose Quarts Plays Love Song
 
「まあ作っている内に多少の差し替えは発生するだろうね」
「今何も考えずにジャンルだけ決めたけど、実際選曲してみたら、成り立たないアルバムもあると思う」
「逆にこれもやりたいというのも出てくるだろうしね」
 
「でもこれだけ作るとなると2〜3年はかかりそうだなあ」
「制作はここにいる6人で」
 
「ちょっと待って。6人って誰々?」
とマリが尋ねる。
 
「今ここにいるじゃん。俺、マキ、サト、ケイ、マリ、ヤス」
とタカが言う。
 
「私もなの〜!?」
とマリが言い、
「僕もなの〜!?」
と勝手に《ヤス》にされてしまった太田さんが言った。
 
芸能界はだいたいこういうノリで物事が決まっていく。
 

12月5日深夜、町添部長は自宅に、冬子と須藤を呼び、
 
「今後の制作や広報活動では、基本的にローズ+リリーをローズクォーツより優先して欲しい」
 
と通告した。
 
その席でも須藤は、マリがなかなか動いてくれないし、本人の活動意欲も低いままであると、やや不満を言ったのだが、冬子はそのあたりも自分に任せて欲しいと言った。
 
ともかくもこれで今後のローズ+リリーの活動について冬子はローズクォーツ側のスケジュールに煩わされずに、自由に活動できるようになるのである。
 
この方針について元々ローズ+リリーのファンだと言っていたタカも
 
「うん。こちらは何とかするから、ケイはローズ+リリー中心にやってもらった方がいい」
 
と賛成。それでふたりで話し合い、ケイが出られない時のローズクォーツの代替キーボード演奏者として、先日《Plays》シリーズに参加することになってしまったヤスにお願いすることにしたのである。
 
取り敢えず2月のローズクォーツの全国ツアーではケイの負担を少なくするためにキーボードはヤスにお願いできないかということで彼に連絡してみると偶然、別の仕事がキャンセルになってそのツアーの期間は空いていたということで快諾してくれた。
 
「まあケイがどうしても参加できない日はヤスにボーカルもお願いして女装で歌ってもらうということで」
 
「ちょっと待って」
 

11月26日、および12月10-11日に千葉県クラブ選抜大会がおこなわれたが、ローキューツは既に9月のクラブ選手権で優勝しているので、こちらには出場しない(選抜は選手権3位以下のチームで争い2位以上が「裏関」こと関東クラブ選抜に出場する)。
 
11月26-27(土日) 栃木県のK大学体育館で、関東総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン予選)が行われた。ローキューツは千葉県予選で優勝しており、出る権利があったのだが、社会人選手権のほうでオールジャパン出場が決まってしまったので、そちらは辞退する。代わって千葉県で準優勝だった千女会が繰り上がり出場した。
 
12月4-11日、今年の多数の海外大会の中で最後となったU16アジア選手権が中国山東省の済南(チーナン)市で開催された。
 
メインは高校1年生世代(千里たちの5つ下)で、札幌P高校の酒井明穂、岐阜F女子高の大柿友優子、愛知J学園の小池シンシア、岡山E女子高の桃山由里、らが出場した。
 
日本は予選リーグを全勝で通過。準決勝で台湾に勝ち、決勝戦で韓国に勝って、この大会、初優勝を飾った。小池が得点女王とリバウンド女王を取る大活躍であった。
 
この大会は2位までが来年のU17世界選手権に出場できる。中国は前大会の優勝国ではあるが、準決勝で韓国に1点差で負けて、世界選手権への出場を逃した。
 
千里はこの大会の結果を聞いてアンダーエイジの日本代表が自分たちの世代以降どんどん力を付けてきていることを感じるとともに「後ろから追われる脅威」も感じた。
 

千里は11月10日に大型二輪の免許を取った後、《こうちゃん》に見てもらいながら、雨宮先生からST250の代わりに預かったKawasaki ZZR-1400の練習を始めた。
 
何かあった時に対処しやすいよう、夜間の交通量の少ない時間帯を使う。自動車学校で使用した教習車はYamaha FZX750だったので、ZZR-1400とはかなりギャップがあった。最初はなかなか取り回しができず、またまた道路脇の植え込みに突っ込んだりする。(バレないように《げんちゃん》が修理して塗装も直してくれた)
 
しかし一週間もすればだいぶまともに乗れるようになった。
 
「少し遠出してみようかな」
「高速に乗るか?」
「それは来週!」
 
それでともかくも一般道を走って房総半島一周などしてみた。こういうのをしていると結構曲を思いついたりするので、思いついたらバイクを適当な場所に駐めて五線紙にメロディーや伴奏などを綴っていった。
 

この時期はバスケットの活動も少し落ち着いているので、神社やファミレスのバイトにも結構出て行く。
 
「夜間店長!凄いバイクに乗ってますね!」
といつもビーノ(50cc)に乗っている後輩の女子大生・晃奈に言われる。
 
「大型二輪の免許取っちゃったからこれで練習中」
「これで練習なんですか?でもこれ相当排気量がありますでしょう?」
「うん。1350ccかな」
「これで慣れて2000ccくらいのに乗るとか?」
「2000ccなんてあったっけ?実はST250を知人が借りていって、代わりにしばらくこれに乗っていてとか言うもんだから」
 
(国産で最大排気量のバイクは多分Yamaha XV1900。外国のメーカーではDodgeのTomahawkが8300cc, Boss Hoss Cyclesの502 big block 8200cc というのがある。ただしDodgeのは四輪バイク!?である)
 
「そうだったんですか!」
「まあせっかくだからこういう大きなバイクも練習してみようかなと思って」
「でも高そうですね」
「たぶん新車で200万くらいじゃないかなあ」
「乗用車並みの値段ですね!」
「パワーもそのくらいありそう」
「なるほどぉ!」
 

2011年12月10日。ローズクォーツのマキが長年の恋人・葵さんと結婚式を挙げたが、この披露宴でケイとマリは一緒に『ふたりの愛ランド』を歌った。
 
一部のファンの間でのみ知られた《ゴース+ロリー》の活動(2011年8-9月。しかも本物なのか、そっくりさんなのかは議論があった)や「名もなき歌手」として歌った伊豆のイベント(2009.8.14)、長岡のライブハウスでの突発的な歌唱(2010.6.24)などを除けば、ローズ+リリーが公の場で歌うのは2008年12月13日以来1092日ぶりのことで、たくさんの記者が写真を撮り、翌日のスポーツ新聞のトップには《ローズ+リリーが歌った!》というタイトルが踊っていた。
 
このエピソードは『夏の日の想い出』第1期のエピローグなのだが、実際にはこの日を境に、ローズ+リリーは実質、活動再開したのであった。
 
実際この日はマキの結婚式が終わった後、YS大賞の会場に移動してローズ+リリーの『Spell on You』が優秀賞を受賞したのでその賞状をふたりで一緒に受け取っている。この時ふたりはお揃いのミニスカの衣裳を着ていた。
 
そしてマリとケイは「ローズクォーツの新譜キャンペーン」と称して、実際にはクォーツのメンバーは連れずにこの後2人だけで2週間にわたり、全国を駆け巡るのである。
 

ケイがマキの結婚式に出た12月10日の早朝、千里はZZR-1400を満タンにして、東北道の蓮田SA下り(埼玉県蓮田市)まで走り、多数の大型バイクが集まっている付近に近づいて行った。
 
「おっ、参加者?」
と50歳くらいの体格の良い男性が言う。
 
「すげーマシンだな」
と隣に居た40代のサラリーマンっぽい男性。
 
千里はバイクを駐めるとヘルメットを取って挨拶した。髪は走行の邪魔にならないようにアップにまとめている。
 
「こんにちは。室田さんから紹介してもらったのですが、よかったら参加させてください」
と笑顔で挨拶する。
 
実は雨宮先生からの指示でこのツーリングに参加してこいと言われたのである。室田さんというのは、雨宮先生の学生時代の友人でバイク好きらしい。本人はハーレーダビッドソンに乗っている。
 

しかし彼らの反応は芳しくない。
 
「女かい?」
と40代のサラリーマンっぽい男性が少し不快な顔になって言う。
 
「あ、私、男ですから、大丈夫ですよ」
と千里。
 
「男なの!?」
と2人が驚いたように言う。
 
「少なくとも戸籍上は男ですよ〜」
「ホントに?身体は?」
「それは謎ということで」
「チンコあるの?」
「それも秘密で」
 
2人は顔を見合わせている。秘密とわざわざ言うのなら、付いてないのだろうと彼らは考えたようである。近くにいた別の2人の男性も寄ってきた。
 
「どのくらい体力ある?」
「私、毎朝10km走ってますよ」
「それは凄い。スポーツか何かやってんの?」
「ええ。バスケットしてます」
「だったら何とかなるかな?」
とリーダーっぽい50歳くらいの男性。
 
「ちょっと俺と腕相撲してみない?」
と40代のサラリーマン風の男性が言う。
 
「いいですよ」
 
それで千里のバイクの上に両者肘を置いて右手を組む。
 
「女の手の感触だ」
「小学校の頃から女性ホルモン飲んでましたから」
「それなら、ほぼ女の身体なのでは?」
「そのあたりは適当に想像してもらって」
 
「じゃ行くぞ」
「はい」
 
勝負は一瞬で付いた。
 
「待った待った。今のは油断してた。もう一回」
「いいですよ」
 
それで再度やる。千里はワンテンポ置いてから力を入れた。簡単に倒れてしまう。
 
「負けたぁ!さすがスポーツやってるだけあるな」
 
それで千里は今回のツーリングに参加を認めてもらったようであった。
 

千里の後で更に2人男性が到着して今日の参加者は7名である。
 
リーダー格の50歳くらいに見える男性は北村、サブリーダーの40代くらいのサラリーマン風の男性は東山と名乗った。参加者は千里も含めて7人で、千里以外は全員男性。いちばん若いメンバーは19歳の元川さんでCBR400に乗っている。彼も初参加らしい。リーダーの北村さんはゴールドウィングGL-1800 (1832cc). サブリーダーの東山さんは Suzuki Bandit650 (656cc)である。
 
「君、バイクだけ?四輪も乗るの?」
と40代くらいの落ち着いた感じの男性が訊く。この人は柳沢さんといって、Honda GSX1300R "Hayabusa" 1340ccに乗っていた。
 
「ええ。普通車なら乗りますよ。大型四輪の免許はまだ取ってないですけど」
「四輪は何に乗ってるの?」
 
「インプレッサ・スポーツワゴン20S 1994ccです」
「おっ凄い」
「インプは年間何kmくらい乗ってる?」
「年間4万kmくらいかなあ」
「さっすが」
 
「MT?」
「もちろん。ATなんて女のおもちゃですよ。男はMTに乗らなきゃ」
「君、真剣に男なんだっけ?」
「そうですけど」
 
「ちなみに、男湯に入れる?」
「入りたいんですけどねぇ。入ろうとすると従業員さんに追い出されるんですよ」
「あはは、そりゃそうだろうな」
 
「まあ、性別問題はいいよ」
とリーダーの北村さんが笑いながら言っている。
 
「男だと主張している君には悪いけど、世間的な基準で女性として宿泊を取るから」
と言って、東山さんが電話して旅館の予約をしていた。
 

出発前に目的地とルートが地図を開いて説明される。
 
ルートは東北道をこのまま北上し、宮城県の白石ICで降りて遠刈田温泉に行く。ここでご飯を食べ、温泉に入って一休み。軽く仮眠した上で今度は村田ICに出て、東北道を南下。福島西ICで降りて土湯温泉に行く。今日はここで泊である。
 
今日は遠刈田温泉に行く国道457号が結構狭くて“楽しい道”である。
 
明日は土湯温泉を出てから国道459号で、まず桧原湖(ひばらこ)湖南に到達する。これが“結構楽しい道”である。
 
「夏ならレークラインの方を走ると、秋元湖・小野川湖も見られるんだけど、今の時期は通行止めなんだよ」
と北村さんは惜しそうに説明する。
 
桧原湖・秋元湖・小野川湖、それに五色沼と呼ばれる小さな湖沼群は明治21年の磐梯山の噴火で出来た湖沼である。この時の爆発は極めて大きなもので、磐梯四峰のひとつ小磐梯山(推定標高1750m)が山体崩壊を起こして消滅。北側の5村11集落がこの土砂で埋まり477人(500人以上という資料もある)もの犠牲者を出した。この山の土砂が積もってできたのが標高800mの「磐梯高原」であり、「裏磐梯」とも呼ばれて紅葉のシーズンにはかなり混む。
 
「今の季節スカイラインもレークラインも通れないから、“本気で楽しい”道を通れないんだけど、まあ“ほどほどに楽しい”道だから」
 
と北村さんは本当に楽しそうに言っているが、参加者の中には嫌そうな顔をしている人もいる。
 
「桧原湖湖南から喜多方市に抜ける道は、桧原湖までの道よりは“少し楽しい”。まあその道を楽しんでから、喜多方で喜多方ラーメンを食おう」
 
「食えるか食えないか、それが問題だ」
と言っているのはサブリーダーの東山さんである。
 
「胃袋が重力に従ってくれるかどうかの問題だな」
と言っているのは柳沢さんである。
 

出発前にトイレに行っておくことにする。千里以外はむろん男子トイレに行く。千里も一緒にそちらに入ろうとしたのだが
 
「いや、君は女子トイレを使いなさい」
と北村さんが言い、千里も素直に従った。
 
トイレから戻ってきたら全員エンジンを掛ける。
 
だいたい100kmくらいごとに休憩することにし、次は上河内SAで休むことにして、万一はぐれたら、同SAで落ち合うことにする。燃料タンクが充分あるか確認する。1人給油を忘れていたということだったので、その人の給油を待って出発することにする。今日参加しているメンバーのバイクの航続距離は全員350km程度以上あるが、念のため200km程度おきに給油しておこうと言われた。
 
隊列は先頭がリーダーの北村さん、最後がサブリーダーの東山さん。真ん中の4番目を広田さんが走り、千里は3番目を走ってと言われた。
 
北村★−柳沢−村山−広田★−元川−中原−東山★
 
ここで★を付けた3人はインカム(Sena SMH10)でお互いいつでも会話することができる。SMH10は2010年に発売されたBluetoothインカムで、同じ機種であれば4人まで相互通信できるし(900m以内)、他社のインカムも1台なら接続できる優れものである。
 
信号などで隊列が分断されそうな場合はきちんと信号に従い、決して無理な信号通過はしないように注意された。
 

高速道路上は千鳥走行である。北村さんが走行車線の中央寄りを走り、柳沢さんは路肩寄りを走る。そして千里は中央寄りで、広田さんは路肩寄りというように交互に走行軸をずらして走る。こうすることで隊列が短くなって先頭と末尾の人が全体を把握しやすくなるし、前のバイクが万一トラブった場合も回避しやすい。
 
千里は初心者だから無理に前の人にピタリと付いて行こうとせず、マイペースで走りなさいとは言われたのだが、何しろバイクのパワーがハンパ無いので、楽々前の柳沢さんと同じ距離で走っていた。
 
取り敢えず上河内SAで休憩して、再度全員トイレに行ってくる。千里は今回は最初から女子トイレを使用した。
 
「きつくなかった?」
と訊かれる。
 
「全然大丈夫です。この子、凄いパワーあるから」
「だよね〜」
 
「Suzuki ST250に乗っていたんですけど、友人が勝手に借りていっちゃったんですよ。それで代わりにしばらくこれに乗っていてと言うもんだから」
 
「へー!なんでまた?」
「その人がこの翠星石のZZR-1400に乗っているという情報が知れ渡って、見つかるとやばいからだそうです」
 
「・・・・」
 
「その友人ってヤクザ屋さんか何か?」
「いえ。ミュージシャンなんですけどひどい女たらしなんですよ」
「へー!!」
「どうも女の子とトラブル起こして今逃げ回っているみたいで」
「なるほどね〜」
「ミュージシャンって、そちらの方面が乱れてる人けっこう居そう」
 
「まあ私は女ではないから手を出されなくて済んでますけど」
「ああ、そういう時は便利ね」
 
「でも村山さん見てたら、俺は道を誤りそうだ」
「骨折したくなかったら襲わない方がいいですよ〜」
「それは恐い」
 

その後、安積(あさか)PA、国見SAで休憩する。
 
「この先、少し楽しい道だよ〜」
と北村さんが言っている。
 
国見SAでは全員ガソリンを満タンにしてから出発する。
 
白石ICを降りてから国道457号を行く。白石ICから遠刈田温泉に行くには本来県道12号を走れば楽である。それをわざわざ遠回りかつ道の悪いR457を走るのである。
 
こういう狭い道では今度は千鳥にならず1列になって走る。道が狭いので千鳥になって広がるのは迷惑である。しかし高速道路に比べて車間距離も短いので結果的に隊列の長さは短くなっている。
 
北村さんが“楽しい道”と言っていたので、千里もある程度覚悟して走っていたのだが、確かにカーブは多かったものの、そんなに凄いとは思わなかった。
 

それで12時半頃、全員無事に遠刈田温泉の日帰り入浴できる旅館に到着した。
 
ともかくも旅館に入り、受付で入浴と昼食のセットを7人分予約していたことを言うと、入浴券・食事券に休憩室利用券を渡してくれた。最初はお昼を食べてから温泉に入るつもりだったのだが、少し落ち着くまで食べ物が胃に入らないと言っているメンバーもいるので先にお風呂に入ることにした。
 
男女で別れる所まで来て、千里が他の人と一緒に男湯の方に来ようとするので、柳沢さんがギョッとした表情で
 
「君は女湯の方に行きなさい」
と言って、押し返した。
 
「その方が平和かなあ」
などと言って、千里もそちらに入った。女湯の入口には年配の女性が座っているがむろん千里は問題無くそこを通過した。
 

温泉で汗を流すとけっこうスッキリした。その後旅館の大広間で食事を頂く。
 
「あまりバラけずに到着できたね」
「俺は結構疲れた」
「でも温泉に入ったら結構疲れが取れた」
 
「村山さん大丈夫だった?」
「はい。もっと凄い道を想像していたんですが」
「うん。もっと凄い道はたいてい冬季通行止めなんだよ」
「いろは坂とか碓氷(うすい)峠はいつでも通れるけどね」
 
「あ、私こないだ9月に碓氷峠をインプレッサで走りましたよ」
「新道?旧道?」
「18号の旧道です。旧中山道ではなくて」
 
「さすがに旧中山道は辛すぎる」
「てかバイクや車では無理でしょ?登山の装備が必要な道だよ」
「高橋さんが若い頃1000ccバイクで走破したことあるらしい」
「ひぇー!」
「ほんとはバイク走行禁止らしいけどね」
「いや禁止しなくても普通は走行不能だと思う」
 
「でも碓氷峠の旧道を体験していたら、このくらいの道は平気だろうな」
「あ、俺まだ碓氷峠走ったことないんだよね〜」
「あそこはなかなか楽しいよ」
「俺はバイパスの方を走ったんだけど、それでも結構きつかった」
 

「でも旧中山道(きゅうなかせんどう)というと、俺は有賀さつきを連想してしまう」
「ああ『いちにちじゅう・やまみち』と読んでしまったという伝説ね」
「実際は他のアナウンサーがそう読み間違ったのを紹介しようとして自分も『きゅう・ちゅうさんどう』と読んじゃったんだけどね」
 
「山林火災(さんりんかさい)を『やまばやしかさい』と読んじゃった新人アナウンサーがいた。しかも1回だけじゃなくて1つのニュースの中で5回くらい間違った。恥ずかしくなってそのまま辞職したのではと心配している」
 
「ああ、それをバネに成長してくれていたらいいけど」
 
「《ポール・マッカートニー》を一発で読めずに噛んでしまった年配のNHKアナウンサーがいたな」
「『ツァラトゥストラはかく語りき』でひっかかってしまった司会者がいた」
「まあ読み慣れていない言葉を発音するのは難しい」
「黙読していても実際には発音できないこと多いんだよなあ」
「東京特許許可局は目では追えていても実際にはなかなか発音できない」
「お前、今スムーズに発音したな」
 

昼食の後は、休憩室で仮眠させてもらう。千里は仲居さんに案内されて女性用休憩室で休ませてもらった。
 
15時くらいに出発する予定だったが、結構深く眠ってしまった人もあったようで15時半の出発になった。
 
午前中と同じ順番で隊列を組み、まずは県道12/25号で村田ICまで行き、再び東北道に乗る。30kmほど走って国見SAでいったん休憩。ここで日没となる。
 
再度ガソリンを満タンにしてから出発。27kmほど走って福島西ICで降り、国道115号(これは割と良い道)で土湯温泉に至る。今日はここで泊である。
 
到着したのは17時半である。天文薄明が終わる(17:53)前に到着することができた。
 
この日のトリップメーターは蓮田SAから385kmを示していた。この内一般道は45kmほどで、それ以外は全て高速走行であった。
 
「お疲れ様。ちょっと距離が長いからどうかなと思ったけど何とかなったね」
「まあ今日はR457以外は良い道だったし」
「明日が楽しみだな」
 

土湯温泉の旅館では男性たちは4人部屋1つと2人部屋1つ、それに千里が2人部屋のシングルユースとした。部屋代は割り勘だが、千里は自分の分が割高になるので少し余分に出しますよと言った。しかし北村さんは気にするなと言った。
 
「人数の関係で多少の料金差が出るのは仕方ないし」
「じゃおやつか何かでも差し入れましょうか?」
「おやつよりビールがいいかな」
「ではそれで」
 
それでヱビスビールの500cc缶を8本差し入れた。このくらいの量であれば数時間で充分アルコールが抜ける。千里がビールを買ってきたので、北村さんがおつまみを用意してくれた。4人部屋の方に集まってみんなで飲む。
 
「やはりヱビスビールは美味い!」
と上の年齢層に好評である。一方、若い元川さんなどは
「普通のビールと何か違うんですかね〜」
などと言って
「分からない奴はイオンのバーリアルを飲んでいればいい」
などと言われていた。
 
「いやさすがに新ジャンルとビールの違いは分かりますけどね」
「というか、ほぼ全然違う飲み物だよね〜」
 

「男だと主張している村山君はふだんはどんなお酒飲むの?」
「ひとりではあまり飲まないんですけどね〜。あのZZR-1400を私の所に置いて逃亡中のミュージシャンさんに誘われて、ワインとか結構飲みました」
 
「ああ、上品だ」
 
「でもワインって甘いから油断するけど、けっこうアルコール度が高い」
「そうなんですよね〜。だからグラス4〜5杯までにしてるんです。ウィスキー水割りなら20杯くらいは行けるんですけど」
 
「無茶苦茶強いじゃん!」
 
「さすがにそのくらい飲むとアルコール抜けるのに20時間くらい掛かるんですよ」
「そもそも20杯も飲めば普通はぶっ倒れる」
「あ、そういうもんですか?」
「俺は12-13杯が限界だ」
「俺は一度倒れたことがあるんで10杯以上は飲まないようにしている」
 
ワインのグラス1杯は125mlで4杯飲むと500ml. 14%とするとアルコールの量は70ml(56g)になる。ウィスキー水割りシングルのアルコールは30ml×40%=12ml程度なので20杯飲むと240ml(192g)である(ウィスキーの度数は40-43%程度だが、雨宮三森が好きなカティサークは40%)。なおビールの中瓶1本は500ml×5%で25ml(20g)である。
 
アルコールの分解速度は肝臓のサイズと筋肉の量でだいたい決まる。そのため肝臓が大きく筋肉が多い男性は1時間に9g程度、肝臓が小さく筋肉の少ない女性は6.5g程度と言われる。しかし千里はバスケをしていて筋肉が発達しているので普通の女性よりかなり分解速度が速い。そしてそもそもお酒に強いタイプである。それでだいたい10g/h程度とすると、192g÷10=19.2hという計算になる。
 
なお、女性ホルモン剤を摂取している人はそれだけで肝臓に負荷が掛かっているのでアルコールを飲む予定の時はホルモン剤は控えたほうが良い。
 

「あとは彼氏がビール好きで、やはりヱビスビールが最高だとか言うんですよ」
と千里は言った。
 
「彼氏がいるのかぁ!」
「いや、こんな可愛ければ彼氏がいてもおかしくない」
「来年くらいに戸籍の性別を変更しようかなと思っているんで、その後結婚するかも知れないです」
「なるほどね〜」
 
「でも浮気性なのが問題なんですよねぇ。だから浮気したらバーリアルになります」
「いや浮気した奴には水でも飲ませておけばいい」
「あ、今度からそうしようかな」
 
「後は同居してる女友だちが日本酒好きで、よく付き合わされますけど、日本酒の銘柄はよく分かりません」
 
「女の子と同居してるんだ?」
「はい」
「その子とは何も関係とかないわけ?」
「女同士で変なことも起きないですよぉ」
「なるほどぉ!」
 

「でもその村山君の知り合いのミュージシャンさんって、割と有名な人」
「ああ、比較的有名な部類かな。敢えて名前は出しませんけど」
「バイクが好きなんだね。1400ccに乗ってるとか」
 
「四輪も好きですよ。フェラーリに乗っているし。エンツォフェラーリとか飾ってるし」
「おお」
「でも飾っているだけか」
 
「何度か私が運転しましたけど。自分で運転するのは恐いと言うから」
「へー。信頼されてるんだね」
「いえ。自分で運転していてぶつけたら、怒りの持って行きようがないけど、他人がぶつけたら損害賠償請求できるからとかいって」
 
「なんて論理だ」
「まあぶつけたりしませんけど」
「エンツォフェラーリの損害賠償ってちょっと恐い」
 
「それは結局信頼されているような気がするよ」
「普段はフェラーリ612スカリエッティ(Ferrari 612 Scaglietti)に乗っておられるんですよ」
「フェラーリを2台持っているのか!」
「他にRX-8も持っていますが、これは奥さんとのデート専用らしいです」
「へー!」
「それはロマンティックかも」
 

「じゃかなり売れている先生なんだ?」
「まあ暗躍しているというか」
「ほほぉ」
 
「ねぇ、村山君、僕の会社の部下でロックバンドやってる奴がいてさ。何とかレコードとかの制作次長さんだかに見初められて音源製作とかしたのに結局発売デビューに至らなかった奴がいるんだよ」
と柳沢さんが言った。
 
「それは惜しかったですね」
「制作費に数百万注ぎ込んで5万枚もCDプレスしたのに借金だけが残ったとか言ってて」
 
「それは気の毒な。それレコード会社はお金出してくれなかったんですか?」
「デビューできていたらレコード会社が払ってくれていたらしい」
「あぁ」
 
そんな無茶なことさせるレコード会社もあるのかなあ、と千里は少し疑問に思った。だいたいデビューが確定して契約してからプレスするものだ。
 
「もしそういう偉い先生にコネがあるなら、誰かその人の弟子か何かでもいいから紹介してあげられないかなあ。僕が聴いたのでも結構いいと思ったんだよ」
 
「だったら、住所書きますから、制作したマスターのコピーをうちに郵送してもらえませんか?」
「うん!よろしく」
 

この日は明日に備えて22時頃には各自の部屋に戻って寝た。千里は熟睡していた。
 
翌日は、朝御飯を食べてから7:30頃出発する。今日は少し順番を入れ替え、非力な400ccに乗っている元川さんを前に出した。
 
北村★−柳沢−元川−広田★−中原−村山−東山★
 
という順序で走る。
 
「本当の所を言うと、昨日のR457の様子次第では今日は村山さんにはそのまま福島に戻って東北道を帰ってもらおうかと思っていたんだけどね」
と北村さんは言っていた。
 
「いや実は俺が帰った方がよくないか?と言われたけど頑張る」
と元川さんが言っていた。
 
まずは桧原湖まで、かなり“素敵な”道が続くが、この道は「割とまともな道」で、夏なら「とっても素敵な」磐梯吾妻スカイライン(Sky Line)・磐梯吾妻レークライン(Lake Line)を走ることができ、そちらは絶景なポイントがいくつもあるらしい。
 
今日の道でも、わりと曲がりくねっている上に勾配もきついので250ccとかでは辛かったなと千里も思った。この道は約半分まで来た猪苗代町吾妻の付近で谷間に出る。
 
「ここまでの行程で辛かったと思う人は悪いけど、ここからそのまま南下したら猪苗代磐梯高原ICだからそちらから帰って欲しい。この先の道はもっときつい」
と北村さんが言う。
 
「いや頑張ります」
と元川さんが言う。やはり急勾配の所では結構遅れる場面があった。
 
「万一途中で動けなくなったら置いていくからな」
「大丈夫です。ちゃんと完走します」
 
それでそのまま7人で行程を続ける。土湯からここまでの道は国道115号と国道459号の重複区間だったのだが、ここから先は国道459号の単独区間となる。国道115号はさっき北村さんが言っていた南下して猪苗代磐梯高原ICに至る道となる。
 
そして国道459号というのは 459=ジゴク(地獄)とも揶揄されるシゴク(至極)きつい道である。
 
かなり急な勾配を昇った所に、桧原湖はあった。
 
「凍ってるね」
「冬の間はこの凍った湖面でワカサギ釣りとかするんだよ。まあ今くらいの氷では薄すぎてできないけど、もう少し氷が厚くなるとできるようになる」
 
「冬は冬なりの楽しみ方がある訳だ」
「観光地だから、この付近の旅館は値段の高い所が多いんだよね〜」
「ああ」
 
「でも夏くらいにまた来てみたいね」
「まあ道が楽なら言うこと無いのだけど」
「まあその道の悪い所をわざわざ走りに来ているんだけど」
 

冬はあまり見る所もないので、少し休んだだけで行程を続ける。事前に言われてはいたが、この先の道がまた“とっても素敵”であった。
 
ちょっと行った所の道の駅で少し休む。ここからも桧原湖がきれいに展望できる。更に山道を走り1時間ほどで喜多方市街地を含む広い盆地まで降りてきた。喜多方の市街地まで来たのは12時くらいである。
 
「元川、頑張ったな」
「皆さん、ありがとうございます」
「よし。ラーメン食おう」
「ちょっと待って下さい!」
 
結局通りがかりのカフェに入って、とりあえずコーヒーを7杯頼み、実際には、北村さん・東山さん・千里の3人だけが飲んだ。他の4人は水だけ飲んで、水のお代わり!とかしていた。北村さん・東山さん・千里は2杯ずつ飲んだが、残り1杯は「少し胃袋落ち着いたから飲もうかな」と言って柳沢さんが飲んでいた。
 
結局カフェで1時間ほど休んでから、評判のラーメン店・まこと食堂に行く。いつも列ができているらしいが、この日はピーク時間をずらしたおかげで10分ほどでお店に入ることができた。
 
「これは列に並んで待った甲斐があった」
「うん。疲れが取れていく感じだ」
「ちょっとワイルドな感じかな」
 
結構濃いめのスープで、確かに疲れた身体にはとても効く感じであった。
 

この後は高速を通って帰ることになる。イオンに寄って非常食を調達して少し休み、給油もしておく。そのあと会津若松ICから磐越道に乗る。これが15時前であった。
 
その後は磐越道を東進し郡山JCTから東北道を南下する。いったん那須高原SAで休むがここで日没となる。1時間ほど走って佐野SAで再度休憩。
 
「佐野ラーメン食う?」
「食おう。今日はラーメンの梯子だな」
 
それで日は暮れてしまうが、ここで佐野ラーメンと宇都宮餃子を食べながら長めに休み、結局ここでこのまま解散しようということになった。またツーリングの企画があるときは報せるよということで、北村さん・東山さんとメールアドレスを交換しておいた。
 
この日、佐野SAまでのトリップメーターは303kmであった。
 
なお解散後は結局北村さん・柳沢さんと一緒に東北道を南下し、川口JCTで別れて首都高を走り葛西に帰還した。
 

12月11日の九州から始めて17日の北海道まで、一週間掛けたケイとマリの2人による《ローズクォーツ新譜キャンペーン》は、マリのやる気をかなり起こさせた。途中には、町添部長と丸花社長が手配した《マリのやる気を起こさせる人たち》との《偶然の遭遇》もいくつか仕掛けられていたし、町添さんたちが想定外の遭遇まで起きて、マリのテンションは上がったのである。
 
12月17日。青葉は母と一緒に買物に行っていて、ショッピングセンターのベンチで偶然、春に青葉の診断をしてくれた鞠村先生(精神科)に遭遇する。そして鞠村先生が大学病院から独立して、性別に関する診断治療、発達障害の子の支援、糖尿病の症状改善などをサポートするクリニックを設立したことを聞いた。
 
「SRS(性転換手術)もやるよ」
「わあ」
「川上さんはどこか手術してくれる病院とか見つかりそう?」
「実はアメリカで15歳になったら手術してくれるという所を見つけたんです。倫理委員会の許可も頂いたんですよ。予約は15歳の誕生日になってからしないといけないのですが」
 
「ふーん、倫理委員会の審査を通ったのか・・・・」
「ええ」
 
「そちらの予約がまだだったらさ、うちで手術受けない?」
「え?」
「GIDの診断書2枚持ってて、アメリカで審査も通ってるんなら、15歳でも手術できると思うな」
「ほんとですか?」
 
「手術の担当医はアメリカで何十件もSRSを体験している人だよ。3月までは取り敢えず非常勤なんだけど、4月からこちらのクリニックの正式スタッフになる」
「凄い」
 
「住所書いておくから、一度来てみない?」
「はい!」
 
そんな話をしていた時に、ちょうど母が戻ってきて、母にも鞠村先生は同じ話をする。
 
「アメリカまで行かなくても日本で手術受けられるなら、いいんじゃないの?」
と朋子も言った。
 
それで年明けにもふたりでそちらの病院に行ってみることにした。
 

「え〜〜!?ワランダーズ、デビュー不可なんですか?」
と須藤美智子は驚愕して声をあげた。
 
「うん。僕も行けると思ったんだけどねぇ。営業部隊の方がどうしてもこのユニットでは売れないというんだよ」
と“太荷次長”は美智子に言った。
 
「かなり頑張って制作してくれたのに申し訳ないんだけど」
「このプロジェクトに既に500万円くらい投資しているんですけど」
「悪い。何かでまた穴埋めするから」
 
と“太荷次長”は須藤に言うと、帰っていった。
 
その時、彼のカバンが応接室の端に置かれたままであることに、太荷本人も須藤美智子も気付いていなかった。
 

「そんなあ。どうしよお。これじゃボーナス出せないよお」
と言って、須藤美智子は途方に暮れた。
 
ボーナス(払うのは花枝と悠子の2人分で約70万円)については、美智子は冬子に電話して
 
「実は入る予定のお金が入らなくて。少し貸してくれたりしないよね?」
と言うと、冬子は笑って
 
「そのくらい大丈夫ですよ。余裕ができた時に返してくれればいいですから」
と言って、100万円即振り込んでくれたので、それで払うことが出来た。
 
しかしワランダーズの制作に関しては、実はスタジオ代をまだ全額は払っていない。1月末までに払う必要がある。また事務所は来月引越をする予定でその引越代に300万円くらい掛かる。それはワランダーズの件で★★レコードから制作費をもらえるはずだったので、それで払うつもりだった。
 
「どうやって資金調達しよう・・・」
と美智子は頭を抱えた。
 

千里が雨宮先生とやっと会うことができたのは12月16日のことであった。
 
「全くよく私の居場所を見つけ出すわね」
と雨宮先生は言っていたが、思っていたよりは機嫌が良い感じなので、何かいいことでもあったのかな?と千里は思った。
 
「それでこれなんですよ。ちょっと聞いてもらえませんか?」
と言って《スカイロード》というそのバンドの曲を聞かせた。
 
「うまいじゃん。この子たち17-18くらい?」
「今高校3年生だそうです」
「音源もしっかり作られている。なんでこれがボツなのよ?」
「変だと思いませんか?」
 
「うん。これをデビューさせないなんて変。しかもCDをプレスさせた後で不可というのは、おかしい」
 
「それでですね。この子たちにメジャーデビューの話を持ちかけてきたのが“★★レコードの太荷制作次長”だと言うのですが」
 
「太荷さんはこの春に退職したじゃん」
「でもこの子たちが『君たちならメジャーデビューできる』という話を持ちかけられたのは7月らしいんですよ」
 
「今太荷さんはどこに居るの?」
「加藤課長に電話して訊いてみたのですが、知らないそうです。でも太荷さんに関して少し不穏な噂があるらしくて、こちらの話も詳しく聞きたいと言われたのですが、この件、雨宮先生に相談してからの方がいい気がして」
 
「そのスカイロードの代表者かマネージャーに会えない?」
「すぐセッティングします」
 

千里がスカイロードのマネージャー・波釣さん(柳沢さんの部下)に電話してみると、向こうは今夜にでも会いたいということだったので、千里のインプでそちらに向かった。
 
「村山さんのお知り合いって雨宮三森先生だったんですか!」
と向こうは驚愕するとともに、会ってくれたことを感謝感激していた。
 
「あんたたちの音源聴いたけど、物凄くいいと思う。絶対どこかからデビューさせてあげるよ」
と雨宮先生は言う。
 
「本当ですか!嬉しいです」
 
「だけどその太荷さんとのやりとりを全部聞かせてもらえない?」
 
それで波釣さんの話を千里と雨宮先生は聞いたが、これは問題だと感じた。
 
「ちょっとその件、あまり人には言わないでいてくれる?」
「はい、言いません」
 

それで波釣さんと別れた後で、雨宮先生は★★レコードの町添部長に電話する。結果、深夜ではあるが今から話そうということになり、町添部長の自宅に集まることにする。
 
この時集まったのは、雨宮先生と町添部長・松前社長・鬼柳制作次長・加藤課長、作曲家の吉住尚人、同じく作曲家の上野美由貴(秋風メロディー)、上野さんの後見人である§§プロの紅川社長、そしてなりゆきで参加することになった千里である。千里は凄いメンツが集まっているので「車で待機しておきます」と言ったのだが「いや、醍醐さんもぜひ一緒に」と松前社長から言われて、列席させてもらうことになった。
 
「今月初めに実は吉住先生から、こういう対応って不誠実ではないですか?とクレームが入って、それで私も気付いたのですよ」
と町添部長が言う。
 
「その吉住先生から持ち込まれた件、上野美由紀さんが関わった件、そして今日雨宮先生から照会のあった件、全てパターンが共通しています」
と部長。
 
「要するに、君たちは有望だとかいってバンドや歌手を持ち上げておいて、本人がお金を持っている場合はどんどん投資させて音源製作を進める。それでプレスまでさせておいて『すまない。デビューは不可になった』と言って姿を消す。本人がお金を持っていない場合は、どこかの制作者を巻き込む」
と紅川社長。
 
「すみません。私、制作部の次長さんが交代していたの、全然気付いてなくて」
と上野美由貴が言っている。
 
頭の回転の速い妹(秋風コスモス)と対照的に、彼女はのんびりしたタイプである。いつもボーっとしている雰囲気もあり、それで《向こうの世界》とつながりやすく、作曲者としてはそこそこ稼げる程度の作品を書いてはいるのだろうが、アイドルとして売り出すのは色々問題があったのだろう。
 
但し歌は妹と違って上手い!
 

「明らかな詐欺事件だと思います。警察に届けることも考えたのですが、これを警察沙汰にした場合、松前社長や町添取締役の責任も問われると思うのですよね」
と紅川さんが言う。
 
「その場合、★★レコード社内の反松前勢力がここぞとばかりに攻撃を始めて★★レコード社内が凄まじい内紛に陥ると思うんです」
 
「なるほど」
と雨宮先生が頷く。
 
それは村上専務とか佐田常務とかの勢力だろうなと千里は思った。
 
「だから、あまり被害が出ていない内なら、この件、闇に葬ってしまおうかという相談なんですよ」
と紅川さんは言った。
 
「太荷さんは今どこにいるんです?」
「以前の住所にはいませんでした。不動産屋さんに聞くと家賃滞納で追い出されたようなんですよ」
「奥さんとかお子さんは?」
「どうも離婚して奥さんは子供を連れて岩手の実家に帰ったようです」
 
「じゃ行方不明ですか?」
と吉住さんが言ったのだが
 
「それなら、醍醐が見つけてくれるだろう」
と雨宮先生が言う。
 
「そうそう。醍醐先生は、なかなか居場所がつかめない雨宮先生の居場所をいつも見つけてくれるんですよ」
と加藤課長が言っている。
 

千里はため息を付いた。
 
愛用のタロットをバッグから取り出す。
 
シャッフルして3枚引いた。
 
「聖杯の王子。彼はどこかに忘れ物をしたようですね」
「ほほお」
 
「金貨の10。どこか部屋の中。。。会議室か応接室か、そのようなものです」
「じゃ、そこに姿を現すのかな」
 
「剣の王子。ウォリアーとかワンダラーとか、そんな感じの名前の事務所かアーティストをご存知無いですか?」
 
「レッド・ウォーリアーズじゃないよね?」
「いえ。むしろ、黄色い雰囲気です」
 
「それもしかしてワランダーズということは?」
と吉住先生が言った。
 
「そういうバンドをご存知ですか?」
「僕が一時期いろいろ相談に乗ってあげていたんだよ。でもデビューできそうだという話をこの秋に聞いて。でもまだその後のことは聞いてない」
 
「その『デビューできそう』という話にひっかかりを感じるな」
と加藤さん。
 
「深夜で悪いけど連絡してみます」
と言って、吉住先生は電話を掛けていた。
 
「そうか。君たちもプレスまでしたのにデビュー不可と言われたのか」
と先生は向こうと話しながら言っている。
 
一同が顔を見合わせる。
 
「実はちょっと揉め事が起きていてね。事態は急を要するんだよ。真夜中で悪いけど少し話を聞けない?」
 
それで吉住先生が車で走って、彼に会いに行った。
 
そして向こうから電話があった。
 
「ワランダーズは宇都宮プロジェクトという所の支援で制作を進めていたらしい。プレスまで済んで発売日は年明けと言われて、デビュー記者会見で話すこととか考えていたのに、今日になって、突然デビュー不可という連絡が★★レコードからあったと宇都宮プロジェクトの方から伝えられたらしい」
 
「宇都宮プロジェクト?」
「それって、確かローズ+リリーの事務所だよね?」
「宇都宮プロジェクトの誰と話していたんですか?」
「須藤さんという人らしいけど、そういう人あそこの事務所に居る?」
「社長です」
「そうだったの!?ごめん、知らなかった」
 
「でもそれなら、太荷さんが宇都宮プロジェクトに昨日来ていて、村山君の占い通り忘れ物をしていたら」
 
「きっとそれを取りに明日宇都宮プロジェクトに姿を現しますよ」
 
「よし、そこをキャッチしよう」
 
 
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【娘たちの面談】(4)