【娘たちの面談】(3)

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検査は翌日、土曜日まで掛かるということであったので桃香はサンフランシスコ市内の日本系の旅行代理店を通してサンフランシスコにホテルを確保した。
 
「私もあらためて悩んでみたけど、私はやはりレスビアンであってFTMではない気がする」
とその夜、桃香は千里と一緒の部屋で言っていた。
 
「うん。桃香は女の子に入れていても、それは便宜上そうしているだけであって女の子との接触自体を楽しんでいる気がするよ。だいたい桃香って自分の男の子ネームが無いでしょ?FTMの子は普段から男名前を名乗っているよ」
 
と言いつつ、千里は長年の友人である実弥(留実子)のことを考えていた。彼は鞠古君とずっと続いているし、現在は同棲しているが、事実上ゲイのカップルに近い(周囲からもゲイだと思われている)。性的な役割では実弥がほぼ女役ではあるらしいが、鞠古君は女装も嫌いではないようだし、御飯はだいたい鞠古君が作っているらしい。男女のカップルでないと入場できないような場所にはしばしば鞠古君の方が女装して行っている。ただ積極的に女装したい訳ではないようだ。
 
「桃男(ももお)」とか小学校の頃、男の友だちから冗談っぽく呼ばれたりはしたけど、自分で男名前を名乗ったことはないよ」
と桃香は言っている。
 
「だから桃香は女の子のままでいいと思うよ」
「じゃ女の子同士のセックスしない?」
「ダメ」
「ケチ。減るものでもないのに」
 

青葉の検査は10月8日(土)の夕方まで続いた。青葉本人以外に、朋子もかなり質問されたし、桃香・千里もいろいろ検査技師さんに訊かれた。
 
空き時間に桃香が千里に小声の日本語で言う。
 
「ひょっとしたら、この病院のスタッフさんって、性転換している人が随分多くない?」
 
「むしろ、ここの病院のスタッフは全員性転換者ではないかという気がする」
と千里。
 
「うっそー!?」
「たぶんここは、性転換者の、性転換者による、性転換者のための病院」
「凄い」
 

診断の結果については、来週中にまとめて、倫理委員間でも審議した上で直接郵送するということであった。事前に電話で話した時にはすぐ診断結果が出るような話だったのだが、おそらく今までにないケースで、慎重を期すのだろうと桃香は思った。
 
また手術の許可が出た場合、手術自体も、またその予約も15歳になってからでないと受けられないので、来年の5月22日(太平洋夏時間)以降に予約を入れてくれと言われた。
 
それで帰りの便を確保した上で帰ることにする。
 
「今夜の便で帰るのは辛(つら)いよな?」
と桃香。
「明日以降にしようよ。というか明後日以降にしようよ、1日休みたい気分」
と千里。
 
「じゃ1日休むなら、明日はディズニーランドに行こう」
「まあいいけど」
 
朋子はそんな疲れるようなことをわざわざやりたくないと言ったものの、といって英語のできない朋子はひとりでは行動できないし、そもそも女性の単独行動は危険でもあるので、結局4人で明日はディズニーランドに行くことにする。それで帰国便は10月10日で確保することにした。
 
例によって桃香は「直前だから安い便が無い」とぶつぶつ言っていた。
 
LAX 10/10 12:30 - 10/11 16:25 NRT (11h55m DL283 A333)
 
帰りは成田到着便にする。なお飛行時間がアメリカに来る時より1時間以上長く掛かるのは、ジェット気流に逆らう向きに飛ぶからである。
 

それで9日は1日サンフランシスコ近郊のディズニーランドで遊んだ。
 
ここは最初に作られたディズニーランドである。
 
1955 ディズニーランド・リゾート(カリフォルニア)
1971 ディズニー・ワールド・リゾート(フロリダ)
1983 東京ディズニーランド
1992 ディズニーランド・パリ
2005 香港ディズニーランド
 
(この後、2016年には上海ディズニーランドができている。なおディズニー・ランドの技術とノウハウを導入して作られた奈良ドリームランドは1961年にオープンしているが「ディズニーランド」の名称使用許可は取れなかった)
 
ウォルト・ディズニーは1923年頃、子供を連れて遊園地に来ていて、子供ははしゃいでいるのに自分はベンチでタバコを吸ってるくらいしかできないのをつまらないなあと思い、その時、おとなも楽しめる遊園地というものを思いつき、このカリフォルニア州アナハイムの地に新しいコンセプトの遊園地を建設した。実際には彼がそのコンセプトを思いついてから、開園までには20年以上の月日が経過している。
 
さて・・・・
 
ぶつぶつ文句を言っていた朋子は完璧に童心に返って楽しんでいたし、桃香はほぼ子供に戻っていた。千里と青葉は
 
「やはり桃香って中身が子供なんだな」
「お母ちゃん、楽しんでいるみたいでよかった」
 
などと言っていた。むろん青葉と千里も充分に楽しんだ。
 

それで10日に帰国便に乗るのだが、例によって青葉は「パスポートが違う」と言われて別室へ。桃香も「あなたも違う」と言われてやはり別室へ。更に桃香が「ちなみにこの子も女に見えるけど、実は男なんです」と言ったおかげで、本来ならスムーズに出国審査を通れるはずの千里もまた別室に連れて行かれて検査された。
 
今回は桃香も用心して、ちんちんは取り外していたので、ボディタッチだけで解放された。千里ももちろんボディタッチだけで
 
「友人は私の性別を勘違いしてるんです」
と言って解放されたが、青葉はまたまた裸になって《男の証明》をすることになり、ほとほと精神的に疲れていたようである。
 
日本の入国審査は、青葉自身が「私、いわゆるニューハーフなんです」と自己申告して無事通過。千里は他の3人とは別れて自動化ゲートを通ったので何も問題無く通過(実は出国の時もトイレに行くと称して他の3人とタイミングをずらし自動化ゲートを通っている)。桃香は性別を疑われたものの「私確かに女です」と言って運転免許証と健康保険証を見せたら通過することができた。
 
成田には少し早く到着したので、一緒に成田で夕食を取った。
 
しかしこの日は
 
_7:00PDT 23:00JST 朝御飯
11:00PDT _3:00JST お昼ごはん
12:30PDT _4:30JST 搭乗
18:00PDT 10:00JST 夕ご飯?
23:00PDT 15:00JST 夜食?おやつ?
24:00PDT 16:00JST 降機
24:30PDT 16:30JST 夕食
 
ということで1日に5食取っている。
 

日本には夕方の到着になった訳だが、朋子はできるだけ早く会社に出社したいというので、その日の内に帰ることにした。
 
NRT 10/11 17:55 - 19:10 KMQ/小松駅20:00 - 20:46高岡駅
 
成田から小松空港行きがあるので、それに乗り継いで連絡バスで小松駅に移動し、サンダーバードで高岡に帰る。高岡到着が20:46と、とても常識的な時刻に辿り着くことができる。
 
「でもたぶん飛行機の中でも寝てるかも」
「うん、それがいいと思う」
 
桃香も朋子を見送った後、
 
「妙に眠い気がする」
 
と言っていたが、アメリカの時刻では夜の2時頃なので当然である。
 

一方、青葉は千葉で1泊して翌12日の新幹線乗り継ぎで高岡に戻ることにする。それでこの日は千葉の桃香のアパートで3人で1泊した後、12日は午前中に小夜子たちの家を訪れて、3人で、みなみちゃんを見た。桃香と千里は先月生まれたばかりの時にも見ているのだが、青葉は初めてなので
 
「可愛い!」
と言って、嬉しそうに見ていた。
 
「抱いてみる?」
と言われて、千里と青葉は抱っこしたが、桃香は
「落としたりしたらいけないからやめとく」
と言って抱かなかった。
 
「今抱っこした人は私の今の年齢までにはママになるよ」
と小夜子は予言した。
 
「私は?」
と桃香が訊くと
 
「桃香はたぶんパパになる」
と小夜子は答えた。
 
「桃香は既に数人の女の子に子供産ませている気がする」
と千里は言った。
 
ちなみに小夜子は1981年10月9日生まれで30歳になったばかりである。
 
千里の最初の子供である京平が生まれるのは2015年6月で千里が24歳の時、青葉の最初の子供であるしおんが生まれるのは2024年3月で青葉が26歳の時である。
 
(光太郎も入れると光太郎の誕生日は2012.4.15で千里・桃香は21歳だが、この子の出生に関しては様々な問題があった。丸山アイは生まれて来た子を見て「嘘〜!?」と叫んだ)
 

青葉は12日(水)の夕方の便で高岡に戻った。
 
東京18:12-19:29越後湯沢19:39-22:01高岡
 
青葉の診断結果は翌週になって到着した。青葉がGIDであるという診断書とともに、15歳になったら性転換手術をしてもよいという、倫理委員会の許可証が入っていた。他にもX先生から青葉へのお手紙が入っていたが、それを読んで青葉は涙を流していた。ともかくもこれで青葉は来年の夏には性転換手術を受けることができるようになった。
 

冬子と政子はこの時期、ローズクォーツと一緒にスタジオに入り、2年10ヶ月ぶりの正式のローズ+リリーのシングルとなる『涙のピアス/花模様』、『可愛くなろう/恋の間違い探し』の音源製作を行った。音源は21日朝に仕上がり、制作を指揮した須藤美智子は事務所の若い子・桜川悠子に「これを★★レコードに持って行ってね」と言って帰宅した。
 
冬子はその悠子を呼び戻した。美智子に訊かれたら届けましたと言っておくように。またこのことを美智子には言わないように言う。
 
冬子はその音源の品質に大きな不満があったのである。
 
第1にアレンジに多大な問題があった。とてもプロのアレンジではなかった。第2に録音の品質そのものに問題があった。須藤が「安い物好き」で、料金の安いスタジオを使っており、録音機器も安物だった。そもそもプロの音源製作するのに安価なダイナミックマイクを使うというのがあり得ないと冬子は思った。またソフトにしてもPro Tools Free という無料ソフトを使用している。業界のデファクトスタンダードとなっているPro Toolsのバージョンではあるものの、このFree版が出たのは10年も前である。
 
先日冬子はKARIONの『恋のブザービーター』で滝口史苑が主導した制作に不満があったものの、制作過程では一応滝口の指示に従った。しかし発売されたCDは物凄い批判にさらされ、滝口は進退伺いを提出するに至る。
 
(最終的には蔵田孝治に諭されて辞職は思いとどまり、賞与返上給与カットを自ら申し入れた上で他の担当を全部外してもらいKARION専任になって頑張ることになる−彼女を嫌いな小風が凄く嫌そうな顔をした)
 
その反省があったので、これはこの品質でリリースしてはいけないと考えたのである。実際悠子も
 
「大丈夫です。私もこんなスタジオで録るの〜?と思いましたから、社長には言いませんから、お手伝いすることやお使いとかがあったら言ってくださいね」
 
と言っていた。それで悠子にはハードディスク1台と食糧!を買ってきてもらった。
 
冬子は町添部長に電話してプレス工場への持ち込みを2日待ってもらうことにする。そしてまずは★★レコード付属のスタジオに行き、技術者さんに手伝ってもらってfree版のデータを最新のPro Toolsのデータに変換した。
 
その上で政子を呼び出して、★★スタジオの技術者さんの手でボーカルを完全に録り直す。更に冬子は和泉を呼び出した。
 
「なんで私がローズ+リリーの制作を手伝わないといけないのよ?」
 
と文句を言う和泉に頼み込んで、2人で手分けして打ち込みをし、楽曲の伴奏を完全に作り直した。それが10月23日の朝、何とかできあがり、冬子はできあがった音源をタクシーに乗って朝1番に工場に持ち込んだ。
 

それで午後からKARIONの制作があるからそれまで仮眠しようと思っていたら、自宅マンションに須藤美智子が来訪する。
 
勝手に音源を作り直したのがバレた?と焦るのだが、その件ではなく、冬子が最近、男の子と交際しているようだというのをどこかから聞きつけたようで、その件を確認しに来たのであった。
 
冬子は「言ってなくてごめんなさい」と素直に謝り、現状単に何度かデートをしただけであって、結婚などの予定もないことを言った。
 

10月22-23日、千葉県内の高校の体育館を使って千葉県秋季選手権大会(オールジャパン千葉県予選)が行われた。千里が所属する千葉ローキューツは決勝で千女会を10点差で破り優勝して、来月の関東総合に駒を進めた。
 

10月29-30日の土日、クロスロードのメンツで伊豆の温泉に行った。参加者は下記である。
 
桃香・千里・青葉、和実・淳・胡桃、冬子・政子・春奈、あきら・小夜子・みなみ
 
春奈はスリファーズという3人組歌唱ユニットのメンバーでMTF(Pre-op). 現在中学3年生である。彼女は元々は男性的な名前だったのを既にこの「春奈」という名前に改名済みである。
 
彼女は小学5年生の時に学校にスカートを穿いて登校し
「今日から私は女の子になる。名前は春奈ね」
と宣言し、その後、女子で通してきている。中学に入る時は制服問題で学校側と一悶着あったものの、最終的には学校側が折れてくれたらしい。
 
この日はシーズンオフで客も少なかったことから女湯を1時間貸し切って全員で一緒に入った。青葉や千里は堂々と女湯に入ってしまうものの、あきら・淳は女湯に入るのは抵抗があるようだった。しかしそのふたりも貸切ならということで一緒に入った。むろん過去に入った経験はあるらしい。
 
なお、この中で男性として社会生活を送っているのは、淳だけである。彼女はこういうプライベートな集まりでは女装して淳を名乗るが、会社には男性用のスーツを着て、淳平の名前で勤めている。
 
あきらは本人は「男として生活している」と主張しているものの、誰もそう思っていない。名前も戸籍名は晃なのだが「ひらがなで書いた方が女らしいよ」と美容室のオーナーに言われて、美容室のホームページには「浜田あきら・女」として表示されている。そもそもスカート穿いてお化粧して勤務していて、男ですという主張は無い、と同僚には言われているようである。
 
今回の集まりでは、生まれて1ヶ月半の、みなみがアイドルと化して、みんなに抱っこされて愛想をふりまいていた。あまり人見知りしない子のようである。桃香・淳・あきらは恐いと言って抱かなかった。
 

「春奈ちゃんは、女子高生になれそう?」
 
「はい。今の中学の校長先生が進学予定の高校に話してくれて、何度か面談もしたのですが、これだけ女らしければ、女子生徒として受け入れていいよと言ってもらっています。向こうも色々体制を整えたいから、推薦入学でという線で話している所です」
 
「確かに準備整えていて、他の学校に行かれては空振りになるよな」
「どこの学校?」
「地元の公立高校で**高校という所なんですが」
「公立!?」
 
「公立で大丈夫?出席日数とか足りなくなったりしない?」
「大丈夫とは思うんですけどね〜」
 
スリファーズの3人の内、彩夏は成績が微妙で公立は厳しいかも知れないということで、私立で芸能人もけっこう通学している東京北区の私立高校も滑り止めに受験するらしい。千秋は成績が良いので、春奈と同じ高校をやはり(本来の意味での)推薦で受けるらしい。
 

女湯の中で、胸は本物か?という議論が出る。
 
全員他の子のバストを見回していたが
 
「みなみちゃん以外は全員本物」
という結論に達する。
 
「ちんちんがまだ付いているのは何人かな?」
「4人じゃないかな?」
「いや6人だと思う」
 
ここで「6人」というのは、淳、あきら、青葉、春奈、千里、和実で6人なのだが、ずっと後になって
「あの時のちんちんの本数は4で正解だったと思う」
と多くの子が言った。
 
「でもあの時『4人じゃないかな』と言ったのは誰だろう?」
「確かに誰か『4人』と言ったよね」
「それ誰が言ったか覚えてないんだよね〜」
 

この時は、例によって冬子がみんなに「早く手術して女の子になっちゃいなよ」と煽る中で、あきらと淳がドキドキするような顔をしていたし、青葉と春奈は結構考え込んでいる感じだった。
 
「でも私は来年アメリカで手術しちゃうよ」
と青葉が言うと
 
「青葉さんって、私と同い年くらい?」
と春奈が訊く。
 
「春奈さんより1つ下ですよ」
「凄ーい。アメリカだとそれで手術してくれる所あるんだ?」
「病院紹介しましょうか?」
「教えて、教えて」
「じゃ、後で病院の名前と住所・URL教えますね」
 
春奈はその病院に連絡を取り、実際に診察を受けて「16歳になったら手術してもよい」と認定される。それで翌年夏(高校1年)に性転換手術を受けることになるのである。春奈は4月22日が誕生日なので、高校に入学してすぐに16歳になる。つまり先に女子高生になった後で、肉体的にも女の子に変身することになる。
 

お風呂からあがった後は、小宴会場でマグロ尽くしの料理を食べる。大間直送のシビマグロということだった。他に地元産の花鯛のお刺身もあった。
 
「金目鯛はいつ頃からだっけ?」
「12月頃からなんですよ」
「だったら、その頃、また来たいね」
 
という意見が出ていた。
 
これは結局翌年の1月に実現する。
 

一行は10月30日夜、東京に戻り、青葉は次の連絡で高岡に戻った。
 
東京21:40-23:35長岡23:56-2:35
 
新潟方面行き最終新幹線から急行《きたぐに》を使うパターンである。多くの参加者が東京駅で別れたが、千里も
 
「バイトに入るから」
 
と言って東京駅で桃香たちと別れると、葛西のマンションに入って頼まれていた楽曲を書いた。温泉に入っていた間にいくつか思いついたメロディーがあったのでそれを元に組み立てていく。
 
だいたい組み立てたものの、少し不満がある。
 
「ドライブしながら考えようかなあ」
 
などと独り言を言い、朝4時頃、駐車場に行く。この時期、インプレッサは桃香のアパートに近い立体駐車場に駐めていることが多いのだが、葛西の駐車場にST250を駐めているので平気である。バイクで千葉まで行き、インプを出してST250を駐める。そこの立体駐車場ではバイク固定装置が使えるようになっている。
 
ところがそもそも葛西のマンション近くの(平面)駐車場に行って、バイクに乗ろうとしたら何か違和感がある。
 
「ん?」
 
懐中電灯で照らして良くみると、そこに駐まっているのはST250ではなく、かなり巨大なバイクである。
 
あれ〜。ここ誰か他の人の駐車スペースだった?と一瞬考えたのだが、そのバイクに何か紙が貼ってあるのに気付く。
 
雨宮先生のメッセージである。そこにはこう書かれていた。
 
「すまん。千里のバイク、鍵がささったままだったから借りていくね。年明けくらいには返せると思う。それまでこのバイク使ってていいから」
 
「ちょっとぉ!」
 

また鍵を差しっぱなしにしちゃったか、と思いつつも、バイクが無いのは困るので深夜ではあるが、雨宮先生の“彼女”の携帯に電話する。
 
「なんであんた、私が****と一緒にいること知ってたのよ」
「だって雨宮先生の携帯に掛けても、先生出ないじゃないですか」
「まあね」
 
「それでバイク、困るんですけどぉ」
「あんたバイクの免許取ったんでしょ?だからそちらにしばらく乗っててよ。私がそのバイクに乗っているという情報が知れ渡っているみたいだから、そのバイクで移動するのはやばいのよ」
 
「もし私が先生と間違われて射殺されたりしたら、うちの親に賠償金1000億くらい払って下さいよ」
 
「ああ、万一の場合は1000円くらい香典入れておく」
 
「でも私、普通二輪の免許しか取ってないから、こんな大きなバイク動かせないんですけど」
 
そういう訳で目の前にあるのはKawasaki ZZR-1400という大型バイクである。ライムグリーンの明るい色だし、翠星石の派手なイラストが入っている。こりゃ目立つよな、と千里は思った。
 
(正確にはバイクの左右に翠星石と蒼星石のステッカーが貼られていた)
 
なお、このバイクは2012年からは排気量を1441ccに改訂して「Ninja ZX-14R」という名前になるが、ここにあるのはそれ以前のタイプで"Ninja"の名前は冠しておらず、排気量は1352ccである。1352ccなのに"1400"と名乗るのはどうかと思うのだが、以前はこのように「四捨五入」して命名するケースは結構あった。
 

「普通二輪って980ccまで?」
と雨宮先生が言う。
 
「400ccまでです!」
と千里。
 
「400ccも1400ccも大差ないよ。1が付くかどうかじゃん」
「じゃ、今後の作曲印税は7%ではなく17%で」
「それは待った!」
と言ってから先生は言った。
 
「取り敢えず大型二輪の免許取ってよ」
「え〜〜〜!?」
「大型二輪取ったら、ちょっと書いて欲しい曲がある。バイク乗りをテーマにした映画の企画があるのよ」
「そういうことなら取ります」
「その曲は買い取りになるけど、代わりに今頼んでる春川典子に渡す曲だけ特例で印税14%で考えてもいい。著作権使用料は通常の1.2倍で」
 
「春川典子の印税って2倍になっても20万円程度という気がするんですが」
 
演歌系の人のCDは売れてもせいぜい数千枚だ。仮に3000枚売れたとして、1400円のCDの2曲の内の1曲を書いた場合、もらえる印税は
 
700円×0.9×0.14×3000枚=264,600円
 
となる。著作権使用料はJASRACが徴収した金額を原盤権者と作曲者で山分けする。つまり普通は50%を取るのだが、1.2倍ということは60%をこちらにくれるということなのだろう(但し1〜2割の手数料をJASRACに払う)。演歌系の人の場合、実はカラオケや有線での使用料が大きく、CD印税よりそちらの方が美味しいことが多い。むろんいづれもその金額を作詞者の蓮菜と山分けすることになる。
 
「200万円になるかもよ」
と雨宮先生。
 
200万というのは3万枚くらい売れた場合だが、近年ではトップアイドルのCDでもなかなか10万枚に到達しない。AKBの場合はあれはCDが売れているのではなく投票券や握手券が売れているのにすぎない。
 
しかし雨宮先生の無茶振りは今に始まったことではないので千里は妥協する。
 
「分かりました。じゃ取り敢えず大型二輪の取得に自動車学校に行きます」
「免許センターに行って、一発試験受ければいいのに」
「それは無茶です」
 

そういう訳で仕方ないので、千里はその日は電話でタクシーを呼んで千葉市まで行き、インプレッサを駐車場から出して関東周辺の早朝ドライブをした。それで何とか楽曲はまとまった。
 
それが、問題の春川典子に渡す『ふたりの七夕』という曲である。名義は東郷誠一なので、基本的には出荷額から「ケース代」を除いた額の7%を受け取る契約なのだが、今回だけ特例で14%を受け取ることになる。また著作権使用料も通常より割り増しで受け取ることになる。
 
こういう約束をしたことを、雨宮先生は1年後にちょっとだけ後悔したのである。
 

千里は10月31日に自動車学校に行き、大型二輪のコースに申し込んだ。普通二輪を持っているので、教習時間は第1段階5時間と第2段階7時間である。卒業試験まで入れて最短で 5/2+7/3+1=3+3+1=7日間で卒業できることになる。
 

一方伊豆から戻った冬子は、10月31日、KARIONの制作の件で、和泉と一緒に加藤課長・町添部長と秘密の会談をした。
 
ここで和泉・冬子の主導で制作したKARIONの次期CD『星の海』を2人に聞かせるとともに、『恋のブザービーター』の作り直した音源も聞かせる。
 
「見違えたね!」
と2人は改訂作を高く評価してくれた。この改訂版は『星の海』を12月14日に発売した後の、12月28日に発売する予定である。
 
そしてこの時、和泉に促されて冬子はローズ+リリーのCDの、須藤がまとめた音源と、その後冬子が和泉の協力で作り直した音源とを聞かせた。
 
「須藤君の音源なら10万枚しか売れないけど、作り直した音源なら80万枚行く」
と加藤課長は言ったが
 
「私は最初のだと5万枚、作り直したのはミリオンと思いました」
と同席した和泉は言った。
 
町添部長は滝口さんが勝手な制作をしてKARIONに迷惑を掛けたことをあらためて和泉と冬子に陳謝した上で言った。
 
「実は鬼柳次長から提案されたんだけど、僕もそうだと思った。ケイちゃんとマリちゃんはUTPと手を切るべきだと思う。須藤君のやり方については春にJASRACからも注意されたよね」
 
「その件に付いて、マリともかなり話し合ったのですが、近々須藤に申し入れるつもりです」
と冬子は言う。
 
「ここの所、ローズ+リリーの伴奏をローズクォーツがしていて、一方ローズクォーツにマリがボーカルとして参加しているので、両者の活動がごっちゃになってしまっているんですよね」
 
「でもローズ+リリーとローズクォーツは音楽の方向性が全く違う」
と和泉は指摘する。
 
「うん。ローズ+リリーはフォーク系ポップス、ローズクォーツは本来ハードロック」
と冬子も言う。
 
「より正確には本来のクォーツがハードロックだった所に私がボーカルとして入ったことで、ポップロックぎみになってしまっているんだよね。多分現状にマキやサトは不満を持っていると思う。だいたいマキは元々女の子ボーカルを入れること自体に反対していた」
 
「タカさんはどちらも行けるでしょ?」
と和泉。
「あの人はメタルでも演歌でもアイドルでもヒップホップでも、何でもこなしちゃう人です」
と冬子。
 
「彼は苦手なものが存在しない感じだね」
と加藤課長も言っていた。
 

「それで、両者の活動が混乱しているということで、須藤にこういう提案をしようと思っているんです」
と冬子は言った。
 
「管轄を分けてくれと。ローズクォーツは商業的な活動なので、社長の須藤さんが直接管轄して、ローズ+リリーはあくまで私とマリの個人的な活動なので、UTP専務の私に管轄させてくれ、と」
 
「それはうまい言い訳だね」
と加藤さんが感心したように言った。
 
「その上で適当なタイミングを見て、マリはローズクォーツから離脱させます。ローズ+リリーの活動との兼任でマリに負荷が掛かっているからとか言って」
 
「ケイちゃんの方がよほど負荷が大きいと思うけど」
「でもマリは精密機械ですから」
「確かにあの子はデリケートすぎるのが欠点なんだよね」
と町添さんも言う。
 
「マリちゃんの分離はいつ頃考えている?」
「多分半年くらい後です」
 
と、この時冬子は言ったのだが、実際にマリの離脱が宣言されるのは1年後の2012年12月になる。
 

11月1日、冬子は裁判所からの手紙を受け取った。
 
性別の変更と名前の変更を認めるというものであった。これで冬子の戸籍や住民票は女性に変更されることとなる。
 
冬子は新しい幕開けの予感を感じていた。
 

さて“★★レコードの太荷次長”が絶賛し、須藤美智子がプロデュースしたワランダーズのデビューCDは夏から秋にかけて制作がおこなわれ、年末に発売が予定されていた。太荷は
 
「何人かテレビ局のディレクターに聞かせたけど、いいねって褒めてましたよ」
と言っていた。
 
「私もこれは10年に1度のアーティストではという気がしてきました」
と須藤も言っていた。
 
そんな中、須藤は11月3日の夕方、マリが男の子と歩いていたという話を○○プロの人から聞き、マリが男の子と交際しているなどという話は聞いていなかったので仰天し、本人に事情を聞きにいった。マリは別にセックスもしてないし、ただのボーイフレンドですよと言った。それでもそういう話は事務所にも一言言っておいて欲しいと須藤は注意した。
 
ところが11月4日の早朝。須藤は再度政子の自宅を訪れた(この時期まだ政子の両親はタイに赴任しており、政子はひとり暮らしである。両親が帰国するのは2013年3月)。
 
「あんたたち、これ偽装工作ではないよね?」
と美智子は政子に尋ねた。
 
「偽装というと?」
 
「本当は政子ちゃんと冬子ちゃんが愛し合っていて、それを偽装するために各々男の子の恋人とも付き合っているように見せただけとか。だってあんたと冬子ちゃんが続けざまに男の子との交際が発覚するって、できすぎてる」
 
政子は図星だなあと思いつつも否定する。
 
「そんなの偶然ですよ〜。そもそも私はレスビアンでもないし。実際問題として高校時代は若干ケイに興味を持っていたのは事実ですけど、性転換して女の子になってしまったあの子には恋愛的な興味は無いですよ」
 
「だったらいいけど」
と美智子は言ったものの、必ずしも納得していない感じであった。
 

2011年11月5-6日、千里たち千葉ローキューツのメンバーは富山県の砺波市に向かった。この日と翌日の2日間を使って全日本社会人バスケットボール選手権大会が開かれる。
 
会場は富山県西部体育センター(砺波市:となみ)と福野体育館(南砺市:なんと)である。この付近の富山県の地理は、西部の中心・高岡市と中央部の富山市の間に北から射水(いみずし)市・砺波市・南砺市と並んでいる。南砺市の南部は「こきりこ節」「麦や節(*1)」で有名な五箇山(ごかやま)地区である。五箇山地区の道路は冬季はしばしば交通規制が掛かり、それをハイウェイラジオできくと一瞬「おかやま」に聞こえるので「ごかやま」という地名を知らないと「は!?」と思う。
 
(*1)しばしば「麦屋節」とも書かれるが、「麦や菜種は2年で刈るが」という歌詞から来ているので「麦や節」という書き方が本来の書き方のはず。
 

さて、この大会への出場資格は本来は3月19-21日に行われる予定だった全日本クラブバスケットボール選手権大会の3位以上なのだが、この大会が震災のために中止になってしまった。それで今年はクラブバスケット連盟の推薦という形で昨年の上位3チームが推薦された。それで2010年3月の同大会で3位だったローキューツも出場できることになったのである(1位は女形ズ、2位が江戸娘)。
 
そういう訳で今年の組合せはこのようになった。
 
実1山形D┓
C3Rocute┻○┓
教2東女会┓ ┣○┓
実3秋田U┻○┛ ┃
教1千女会┓   ┣○
C1女形ズ┻○┓ ┃
C2江戸娘┓ ┣○┛
実2Joyful┻○┛
 
千里たちは朝1番の新幹線で富山県に入った。
 
東京7:00-8:11越後湯沢8:20-10:27高岡
 
高岡駅から会場の富山県西部体育センター(砺波市)へは、臨時バスが出ていたので、それに乗って入った。
 
(砺波駅まで行くとそこから路線バスで5km 20分ほどだが、高岡から砺波に向かう城端線があまり便利ではないしキャパも少ないので選手がとても乗り切れない。また砺波駅からの路線バスの本数も少ない。高岡駅から直接行けば12km 25分程度である。)
 
今日の試合は13:20からである。女子の4つの試合が2つの会場の2つずつのコートで一気に行われた。
 
千里たちの相手は山形D銀行である。知っている選手も多く、お互いにしばしば交換留学もしており、おなじみの相手ではあるのだが、向こうは何だか嫌そうな顔をしていた。そして20点差で千葉ローキューツが勝利した。
 
代表チームではチームメイトになっていた鶴田早苗が試合後
「全然かなわなーい!」
と声をあげていた。
 
「千里と麻依子と翠花と森下君がいなければ勝つ自信があるのだが」
などと鹿野さん。
 
「それほぼうちのスターターじゃないですか!」
 
「やはり真美にさっさと性転換手術を受けてもらおう」
と鹿野さんが言うと、山形D銀行のマネージャーとしてベンチに座っていた真美がはにかむようにしていた。
 

この日の結果。
 
山形D×−○Rocutes
東女会×−○秋田U
女形ズ×−○千女会
江戸娘×−○Joyful Gold
 
この日は女形ズと千女会の試合が接戦になったほかは、全部点差の大きくついた試合となった。
 

この日はまた臨時バスで高岡市内まで戻り、高岡市内の旅館に泊まった。
 
ちなみに臨時バスは高岡駅−西部体育センター−福野体育館の往復運行なのだが、千里たちは、早めに引き上げたはずの山形D銀行のチームと結局一緒になった。うっかり福野体育館方面に行くバスに乗ってしまったらしい!(運賃はまけてもらったと言っていた)
 
翌日は準決勝と決勝が行われる。また昨日負けた4チームは南砺市の福野体育館で交流戦に出る。準決勝は9:30から昨日と同じ富山県西部体育センター(砺波市)で行われたが、今日もどちらも点差の大きな試合となった。
 
秋田U×−○Rocutes
千女会×−○Joyful Gold
 
この大会は2位以上がオールジャパンに出場できるので、これでローキューツの初のオールジャパン出場が決定した。
 
千里がオールジャパンに出場するのは2008年の大会以来4年ぶりということになる。麻依子や国香にとっては初めてのオールジャパンである。
 

男子の準決勝を経て、12:50から富山県西部体育センターのAコートで決勝戦、Bコートで3位決定戦が同時進行でおこなわれる。Aコートでは両軍のスターティング5がコート中央に整列した。
 
J 月絵/昭子/玲央美/サクラ/ローザ
R 凪子/千里/岬/麻依子/誠美
 
元プロが2人(ローザ・誠美)入っているし、日本代表経験者も5人(千里・誠美・月絵・玲央美・サクラ)居る豪華なラインナップである。
 
ティップオフはローザと誠美で争い、ローザが勝ってジョイフルゴールドが先に攻めて来る。
 
千里−玲央美、サクラ−誠美、が自然にマッチアップするので、結果的に他は月絵−凪子、昭子−岬、ローザ−麻依子という組合せになった。月絵と凪子は高校時代に北海道の大会で何度も対戦している。岬は昭子はスリーが恐いから絶対に離れて守らないように言われていた。それでピタリと付いているので、昭子もやりにくいようであった。
 
玲央美も千里にピタリとマークされているしということで、結局サクラを使うが誠美がきれいにサクラのシュートをブロックしてしまう。ローザがリバウンドを取って再度シュートするも外れる。そのリバウンドを誠美が取って攻守反転。
 
最初は両軍ともなかなか点数が入らず、2分ほど経った所でやっと月絵が自ら得点を挙げて、試合は動き出した。
 

どちらもよく守り、また相手の動きを読んでいるので、複雑な連携プレイやトリックプレイも全部バレている。物凄くハイレベルな読み合いになっているため、観客席から「え〜!?」とか「うっそー!!」といった声もあがる。
 
「なんでこんな複雑なトリックプレイに相手は引っかからない?」
「今のは引っかかったように見せて相手を引っかけようとしたのか!?」
 
「Wリーグでもこんな読み合い無いぞ」
「いやパワーやスピードもWリーグ並み」
 
男子の準決勝を見た後、決勝戦までの暇つぶしに居残って観客席に居た人たちが驚きの声をあげ「女子の試合が凄いぞ」といって呼ばれて集まってくる人もあり、客席は最初は半分くらいだったのが、後半に入る頃には座れずに立って見ている人も多数あった。
 
「女子の試合でこんなにダンクが見られるとは」
「スリーポイントも外れないし」
 
「ローキューツの8番村山は世界大会でスリーポイント女王取ってるから」
「ジョイフルゴールドの28番湧見はその村山の後輩で弟子のようなものらしい」
 

「あの湧見って、日本代表に出ていた湧見絵津子の弟らしいね」
「弟って女子だろ?」
「なんでも手術して女になったらしいよ」
 
(実際には昭子は絵津子の従姉(元従兄)である。昭子の方が1つ上だが、並んでいるとだいたい絵津子の方が上に見られる)
 
「へー。それにしては華奢な感じだね」
「うん。あの体格では女子でもインでは戦えないけど、スリーが物凄くうまい」
 
「元男でも女子の試合に出られるの?」
「性転換してから2年とか経ったら大丈夫らしいよ」
「まああの体格なら、元男子といってもアドバンテージは無いだろうな」
「お前も性転換して女子選手になったら?」
「お前が女子になったら日本代表になれるかも」
「日本代表はおいしいけど、そのためにチンコは捨てたくない」
 
「でも、君は男子の代表には出来ないけど、女になる手術を受けてくれたら女子代表にする、とか言われたら悩まない?」
「悩まない、悩まない」
「それ昔のどうかした国ではそんなこと行われていたかも」
 
「でも女子の身体になるとホルモンの関係で筋肉も落ちるけど、胸が邪魔になって男子だった頃ほど動けないらしいよ」
「なんか経験があるみたいだな」
「いや、元男子のタイのバレーボール選手がそんなことテレビで言ってた」
「ああ、あそこはそういう選手も多そうだ」
 

試合は第2ピリオドまで終わって28-26というロースコアである。まるで1ピリオドの点数のようだ。
 
「このままのペースで行きますかね?何か仕掛けてきますかね?」
「普通の監督なら我慢に我慢を重ねると思う。でも藍川さんはその我慢ができないタイプだと思う」
と千里は言った。
 
「うん。あの人は何か仕掛けてくる気がするよ」
と西原監督も言った。
 

第3ピリオド、ジョイフルゴールドは案の定、長身の選手を揃えてきた。
 
玲央美(181cm)、初美(182cm)、サクラ(180cm)、ローザ(184cm)、ナミナタ(190)、
 
対するローキューツはこのピリオドではこういうメンツで行った。
 
国香(174)/岬(169)/薫(176)/翠花(177)/桃子(178)
 
平均身長がジョイフルゴールドは183cm、ローキューツは175cmで、8cmも違う!
 
そして実際にゲームが始まると、向こうの《天井パス》にこちらは対抗できない。向こうの思うようにかき回されてしまう。
 

国香がわざとファウルして時計を停める。
 
国香・薫・桃子が下がり、千里・誠美に凪子を入れる!
 
身長もパワーもあるナミナタ・マールには、誠美でないと対抗できない。誠美は1−2ピリオドにずっと出ていたのでこのピリオドは休ませたかったのだが、そんなことは言ってられない。千里は体力があるので本当はこのピリオドも休む必要はなかったのだが、他の選手に出場機会を与えてジョイフルゴールドを体験させるために下がっていただけである。向こうがパワープレイで来るなら出ていく。
 
そして159cm凪子の投入は本人も「え〜〜〜!?」と言っていたし、向こうの藍川監督も腕を組んで考え込んでいた。
 
凪子を投入したのは足が速いからである。逆に桃子や薫を下げたのは、彼女たちが体格はあってもスピードでやや劣るからである。千里も足が速い。このピリオドのスターターで交代させなかった岬と翠花もわりと足が速い。
 
つまりこの交代は「身長には速度で勝負する」という鉄則に従ったのである。
 

実際、このメンツはスピードで完全に相手を翻弄した。
 
足が速いポイントガードというと旭川N高校出身の森田雪子(現東京N大学)が100mを12.5秒で走る俊足の持ち主だが、凪子も13秒くらいで走る。ふたりがコート上で競争すると他の選手は全員振り切られていた。
 
向こうが《天井パス》でつないで得点を重ねるなら、こちらは《光速ドリブル》で対抗しようという作戦なのである。
 
それでこのピリオドは最初は立て続けに向こうが6点取ったものの、その後はこちらもどんどん得点し、千里のスリーも含めて12-9まで戻してしまった。
 
結局このピリオドを18-15で終える。しかしここまでの累計は36-31と5点差である。藍川さんの作戦は成功したとはいえないものの、じわじわと点差が開いている。
 

第4ピリオド。ジョイフルゴールドはベストメンバーと思われる布陣できた。小細工無しに実力勝負ということであろう。こちらも同様だが、凪子がさっきのピリオドで消耗しているので、国香をポイントガードに使った。岬も疲労が激しいので薫を使う。岬と薫は実力的には僅差である。
 
J 月絵/治美/玲央美/ローザ/ナミナタ
R 国香/千里/薫/麻依子/誠美
 
リバウンドでは、母賀ローザとナミナタ・マールを擁するジョイフルゴールドが優勢ではあるものの、千里や麻依子はシュートの失敗率が少ない、正確なシュートをするので、あまり関係無い。
 
前半それで点差を詰めて2点差まで追い上げる。向こうは月絵を下げて小平京美を投入する。こちらも薫が山形治美に競り負けている感じなので風谷翠花を投入する。それで残り2分でとうとう同点に追いつく。
 
会場に思わずどよめきが起きる。
 
しかしすぐに玲央美が2点入れて引き離しに掛かる。しかし千里がスリーを入れて逆転。この試合で初めてローキューツがリードを奪う。更にローザと麻依子が2点ずつ取って残り1分で52-53と、ローキューツが1点リードの状態である。
 
ジョイフルゴールドがたっぷり時間を使って攻め上がってくる。残り1分なら常識的に考えるとJ側が2回、R側が1回の攻撃チャンスがある。しかし速攻を繰り返すとR側も2回攻撃できる。だからJ側としてはここは時間を潰したい。
 
わざわざパス回しをしたりして最後はナミナタが確実にダンクでボールをゴールに沈める。しかし後で玲央美はあそこは昭子を出しておくべきだったと言っていた。
 

R側は当然もう1回攻撃チャンスを得るために速攻である。しかしJ側は当然R側が速攻で来ると分かっているから急いで戻っている。ボールマンに過剰なまでの近接ディフェンスをして、時間を使わせる。ここで千里にスリーを撃たれては困るので千里には玲央美と京美の2人でディフェンスしている。結果的に放置されている国香を使う。シュートに行くが、ナミナタがブロック。
 
これがファウルを取られた。
 
フリースローになる。
 
1投目。入る。54-54の同点。
 
2投目。リングの端に当たって跳ね上がる。
 
走り寄った誠美がタップ。そのままゴールに入って2点。54-56!!
 
残りは23秒である。もうショットクロックは消える。
 
しかし点差が2点ある。
 
昭子を入れてスリーを狙う手はある。しかし千里がオンコートしている以上、昭子がスリーを撃たせてもらえる訳が無い。そもそも選手交代をすればその間にR側が防御態勢を整えられるのである。
 
J側は速攻に賭けた。
 

予め走り出していた山形治美に玲央美からロングパスが飛んでいく。治美はほぼフリーの状態である。翠花が何とか追いついたものの、千里が
 
「触っちゃダメ!」
と大きな声で言った。
 
それで翠花は治美にそのまま撃たせた。
 
治美のスリーがきれいに決まって57-56.
 
むろんここは翠花がファウルをしても治美はゴールを決めていたであろう。あわよくば4点プレイで一気に突き放そうという目論見であった。
 
57-56となって、残り18秒。ローキューツの攻撃。
 
ジョイフルゴールドが激しい全コートプレスを掛ける。ボールは8秒以内にフロントコートに進めなければバイオレーションとなり、ジョイフルゴールドのボールになってしまう。
 
こちらも何とかカバーして8秒ギリギリでセンターラインを越える。
 
しかしまた玲央美と京美が千里に付いて、絶対に千里には撃たせまいという相手の態勢である。他の3人はゾーン気味に守っている。
 
誠美を使う。誠美が中に飛び込んで行ってシュート。
 
この時、ローザが伸ばした手と接触したが誠美は構わずボールを投じた。
 
その直後に試合終了のブザーが鳴った。
 

ボールがバックボードに当たった上でリングをゴゴン、ゴゴン、と凄い音を立てて3周回る。
 
そしてボールは外に飛び出して落ちてきた。
 
誠美が頭を抱えて座り込む。
 
一瞬ジョイフルゴールドの選手が抱き合ったり万歳をしたりしている。
 
ところがここで審判が笛を吹いた。
 
手首を叩いている。イリーガル・ユース・オブ・ハンズである。
 
さっきのローザとの接触でファウルがあったと指摘する。
 
この場面はシュートに入ろうとしていたので、ファウルを取るより流した方がシュートする側に有利とみて、すぐには笛を吹かなかったのであろう。シュートが失敗したのであらためて笛を吹いたということだろう。
 
フリースローになる。
 

点差は1点である。2つとも決めれば逆転でローキューツの優勝。2投とも失敗すればジョイフルゴールドの優勝。1投だけ入ると延長戦である。
 
しかし誠美はフリースローが苦手である!
 
「失敗しても責めないから気楽に撃って」
と麻依子が声を掛ける。
 
誠美が審判からボールを受け取り、慎重にセットする。
 
1投目。外れる!
 
観客席からため息が漏れる。
 
「何も考えないで!」
「負けても勝っても今夜は焼肉パーティー!」
と国香が言うと、誠美も思わず顔がほころぶ。
 
審判からボールを受け取る。
 
数回床に打ち付ける。
 
慎重にセットする。
 
撃つ。
 
外れる!
 

誠美が再び頭を抱えて座り込んだ。
 
ジョイフルゴールドの選手達が歓声をあげて抱き合う。
 
千里と麻依子が誠美に駆け寄って
 
「気にしないで。それ以前に逆転してないといけなかったもん」
と言って、彼女を慰めた。
 
こうしてこの大会、ローキューツは準優勝に終わったのである。
 
むろんそれでもオールジャパンには進出する。
 

同時に行われていた3位決定戦では秋田U銀行が勝った。
 
男子の決勝戦の後で表彰式・閉会式が行われる。
 
ジョイフルゴールドのキャプテン伊藤寿恵子が優勝の賞状、副キャプテンの門脇美花が楯をもらう。続いてローキューツのキャプテン石矢浩子が準優勝の賞状をもらい、副キャプテンの麻依子が楯をもらう。浩子と
寿恵子が握手してから照れるような感じで何か言葉を交わしていたのであとで訊いたら
 
「お互い、決勝には出番が無いキャプテンだったね」
と言い合ったということだった。
 
実際ジョイフルゴールドのキャプテンマークは玲央美やローザがだいたい付けていたし、ローキューツも千里や国香が付けていた。
 
「あ、麻依子がオンコートしている時は麻依子にキャプテンマークつけてもらえばよかった」
 
と千里も国香も言ったが
 
「私は透明な副キャプテンなのさ」
と麻依子は言っていた。
 
3位の秋田U銀行まで表彰された後、個人成績も発表される。
 
得点女王は母賀ローザ、3P女王は千里、アシスト女王は玲央美、リバウンド女王は誠美が取った。各々賞状をもらった。
 

表彰式が終わったのが17時くらいだった。臨時バスで高岡駅まで移動し、駅近くの焼肉店で打ち上げをする。その後、下記の連絡で千葉に戻った。
 
高岡19:22-21:42長岡21:56-23:40東京0:01-0:43千葉
 
通常の越後湯沢を使う連絡では高岡18:47発の《はくたか25号》が最終連絡なのだが、新潟行きの特急《北越9号》で長岡まで行くと、東京行きの最終新幹線《Maxとき352号》に間に合うのである(運賃は少し高くなる)。
 
あらかじめこの連絡でチケットを確保しておいたので、全員まとめて座ることができて、結果的にこの列車内でも「打ち上げ」の続きでおやつやジュースを飲みながらの歓談が続いたが、他のお客さんに迷惑にならないよう、大きな声は出さないように言っておいた。
 
千葉到着が深夜になるので、千葉駅から先、帰宅手段の無い選手がいる。それで車が出せる数人で送り届けることにしていた。
 
西原監督と谷地コーチは千葉駅近くの駐車場に駐めている。千里は《こうちゃん》に千葉駅までインプを回送させた!他に夢香のお父さんが迎えに来てくれて、数人乗せてくれる。それで間に合うと思っていたのだが、帰る方角の問題であと1台欲しい感じである。要するに事前の計画が甘かった。タクシー使おうかと言っていたら、麻依子が「待って」と言って、どこかに電話している。
 
「お友だち?」
「うん。まあ友だちかな」
と麻依子が言うので、勘の良い玉緒が言った。
「彼氏ですか?」
「えーっと、まあそれに近いかな」
などと言って麻依子は照れている。
 
「へー!!」
 

それでこの5台の車で全員帰ることができた。千里は車を出してくれた人に「取り敢えずガソリン代」と言って2000円配っておいた。
 
麻依子の彼氏は千里も知っている人物だったのでびっくりした。
 
「村山君、久しぶり!」
「お久しぶりです。河合さん」
と千里も笑顔になる。
 
それは札幌Y高校に居た河合大彦さんであった。
 
「あれ?千里も知っている人?」
と薫が訊く。
 
「私がまだ男子だった頃に2度対戦したんだよ」
と千里は言う。
 
「あの時は勝てたけど、もう勝てないだろうなあ」
と河合さん。
 
高校1年生のウィンターカップ予選で、旭川N高校男子チームは札幌Y高校と決勝で戦い、あと少しの所で負けて東京体育館に行けなかった。その最後のY高校の決勝ゴールを決めたのが河合君である。
 
千里はその試合を最後に男子チームから外れて、女子チームに移籍された。男子バスケット部員としての最後の試合である。
 

「男子だった頃って?」
と浩子が訊く。
 
「うん。私は当時男子バスケ部に入っていたんだよ」
「ああ、女子は男子チームに入ってもいい規定の所わりとあるよね」
 
「そうだね。男子が女子チームに入ってはいけないけどね」
と言って麻依子は苦しそうにしている。
 
「河合さん、今どこにおられるんですか?」
「高校卒業した後、東京の実業団、島浦電機に入ったんだけどね」
「わっ、大企業だ」
「一応レギュラーだね」
と麻依子。
「凄いじゃないですか!」
 
「まあ問題はチームがなかなか浮上しないことで」
「うーん・・・」
「昨年も今年も2部リーグの最下位争いをしてるし」
「でもなかなか下に転落しない所がいい所だね」
と麻依子。
 
「まあ待遇はいいし、それなりに充実してるけどね」
「じゃその内、手合わせを」
と千里は言った。
 
「麻依ちゃん、一度うちの練習場に呼んでみては?」
と薫が言う。
 
「あ、歓迎歓迎」
と浩子も言っている。
 
「じゃ1度お邪魔してみようかな」
と彼も言っていた。
 
 
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【娘たちの面談】(3)