【女子中学生の生理整頓】(3)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-06-18
「セナ、そろそろ覚悟を決めて性転換しなさい」
と姉は言った。
「やはり手術受けないとだめ?」
「心の手術だな」
「えっと・・・」
「あんた自分のこと“ぼく”と言ってるでしょ?」
「あ、うん」
「女の子にも“ぼく少女”はわりといるけど、やはり女の子になるなら自分のこと“わたし”と言えるようにならなきゃ。さ、言ってみて」
「えっと・・・わたし」
と言いはしたものの。セナは顔を真っ赤にして俯いた。“わたし”という単語を発音するのにものすごい心理的抵抗があったのである。
「なかなか言えない」
「それを普通に言えるように練習しよう。どういう自称を使うかって単なる慣れなんだよ。だからいつも“わたし”と言うように努力していたら、何の抵抗もなく“わたし”と言えるようになるし、逆に“ぼく”とは言えなくなる」
「そんな気はする」
「だから取り敢えず家の中では“わたし”と言うようにしよう」
「分かった。ぼく頑張る」
「わ・た・し」
「あ、そうか。えっと、わたし頑張る」
と言ってからセナはかぁっと顔が真っ赤になった。
セナが実際に“わたし”と抵抗なく言えるようになるには、結局半年ほどの時間が必要であった。
2月13日(金).
都内の葬祭場で、高岡猛獅と長野夕香の四十九日の法要が営まれた。
法要は時刻や場所を公開しておらず、親族と関係者だけで行われた。この法要は、高岡家と長野家の共同で行われたので、喪主は置かず、上島雷太が追悼委員長を務めた。ふたりの位牌が並べられ、5人の僧による読経、参列者の焼香が行われた。
葬儀は高岡猛獅は愛知県一宮市で、長野夕香は仙台市で行われたのだが、四十九日が合同になったのは、前述のように、高岡の借金問題があった。
高岡が12月に買ったポルシェは事故により全損になったものの、飲酒運転にスピード違反がこの時点では疑われていたため、保険金は降りないかもという話になっていた。その中、分割払いの1月に払うべき金額が引落しできなかったため、期限の利益が喪失されたとしてローン会社から900万円の一括返済を求められた。請求書は猛獅が亡くなっているので相続人である高岡越春のもとへ送付された。
しかし越春にはとても払えない。そこで上島に泣き付いたのである。
上島と雨宮は共同で銀行から900万円借りて高岡に代わってローン会社に返済した。そして越春は2人に借用書を書いたのだが、このことで越春は軟化して、上島からお願いしていた、2人を一緒に供養するという件を了承したのである。
またこの当時、マスコミは「高岡が飲酒運転で猛スピードで車を走らせ事故を起こした」と報道していたので、越春もやはり息子が悪かったのかなと思い始めていたのもある。
それで高岡越春は長野松枝(この時期はとても歩けなかったので車椅子で来ている)と初めて言葉を交わした。
志水夫妻は、龍虎を連れてこの葬祭場まで行ったが、建物の外から黙祷を捧げただけで中には入らずに帰った。
3人の姿に気付いた左座浪は(「社長から脅された」という件を知らないので)なぜ中まで入らなかったのだろうと疑問を感じながら3人の帰る姿を見送った。
志水夫妻は「志水英世」名義と「高岡龍虎」名義で香典を送っておいたので、左座浪は双方に充分な香典返しを送った。
佐藤小登愛の四十九日はこの1日前の2月12日だったのだが、平日にはできないことから、四十九日を過ぎてしまうが、2月14日(土)に行なった。
左座浪源太郎と義浜配次は13日に都内で高岡たちの四十九日に出た後、北海道に飛び、14日は佐藤小登愛の四十九日に出た。
小登愛の母は、茫然自失の状態のままで、話しかけてもほとんど反応が無かった。2人はお父さん、お兄さん、そして2人の妹と話したが、いちばん下の妹・佐藤玲央美がとてもしっかりしている感じだった。
こういうしっかりした性格の女の子は、娘を全部コントロールしたい母親とは相性が悪いだろうなと左座浪は思った。この玲央美が左座浪に言った。
「ワンティスのアルバムは発売停止になったみたいですが、ほとぼりが冷めてから発売するのでしょうか」
「この事件に関しては警察がまだ捜査中なんですよ。だからその結果が出るまでは動きようが無いですが、夏くらいに改めて追悼版として発売する道はあると思いますね」
「そのアルバムって先行して聴かせてもらうことできませんよね。わたしワンティス大好きなので」
と玲央美は笑顔で左座浪に尋ねる。
左座浪は女子中学生の笑顔に負けた!
「じゃこの場にいる人限定で」
と言って、その場に居た人の中で、欲しいと言った3人にプロモーション用に少量事務所で焼いていたCD-Rを配った。“謹呈”のスタンプが押されたものである(伊藤辰吉が千代から譲られて18年後にコスモス経由で上島の手に渡るCDにはこの“謹呈”のスタンプが付いていない)
この時、このCDをもらった3人は下記である。
佐藤理武・佐藤玲央美・天野貴子
この内、理武が持っていたCDは後の引越の際に行方不明になってしまった。でも玲央美と貴子(きーちゃん)は18年後の2022年までこのCDを所持していた。
玲央美が所持している『ワンザナドゥ』のCDは2021年10月に青葉が「国内に3枚」と言った内の1枚である。きーちゃんがもらったCDは、きーちゃんがスペイン・グラナダの千里の自宅ライブラリに置いている。このグラナダの家はとても広いので、千里は半分倉庫代わりに使用しており、きーちゃんとこうちゃんも勝手に荷物を置いている。
(外国にあるので“国内の3枚”には入らない!←ほとんど作者の言い訳)
2004年2月16-18日(月火水).
千里たちのS中では、1−2年生は、3学期の期末テストが行われた。“期末”と言っても、3学期の、ど真ん中ではないかという気もするのだが、本当の期末には行事が多すぎるのである。なお3年生は後述の理由により、一週間前の2月9-11日に期末テストは行われた。
時間割
1日目 1H 国語A 2H 社(地理) 3H 理科1 4-6H 1年生実技
2日目 1H 英語R 2H 国語B 3H 理科2 4H 保健体育 5H 美術
3日目 1H 社(歴史) 2H 英語L 3H 数学 4H 家庭技術 5H 音楽
1年生の実技は次のように行われた。
4H 1組音楽 2組美術 3組体育
5H 1組美術 2組体育 3組音楽
6H 1組体育 2組音楽 3組美術
国語A:現代文
国語B:古文・漢文
英語R:英文読解・作文・文法
英語L:リスニング
理科1:物理化学
理科2:生物地学
2-3日目の4-5時間目は筆記試験である。音楽は実際の曲を聴いて曲名を答える問題、曲名から作曲者を答える問題や楽典の問題が出た。美術も絵画等の写真を見て作品名を答える問題、作品名から作者を答えたり、また「ロココ」とか「印象派」といった美術上の動きについて答える問題も出た。
千里は楽典は(きーちゃんにだいぶ教えてもらっていたので)かなり答えたものの、作品名・作曲者名はあまりよく分からなかった。「白鳥の湖」の作曲者を適当に「バッハ」と書いたら、あとで恵香に!笑われた(蓮菜に笑われても気にしないが、恵香に笑われるとムカつく)。むろん正解はチャイコフスキーである。バッハと答えたのは千里だけだったが、ベートーヴェンと答えた人が3人居た。留実子はサン・サーンスと答え「それは“湖”の付かない“白鳥”だね。時々間違える人いるのよ」と言ってもらったが、この間違いをしたのは留実子だけだった。
また実際にはヴィヴァルディの『四季』が流されたのを千里は『田園』と答えた(でもこの誤答をした人が千里の他に6人も居た)。
2月19日(木)晴れ。
試験が終わってホッとした所(ガックリした所?)でこの日はスキー大会が行われた。本当は先週実施する予定だったのだが、ずっと雪が降っていて、危険なので延期していたのである。
千里は(女子の)滑降と距離5kmに出た。千里はレース用のスキーを持っていないので、蓮菜に借りた。
滑降は全員参加で1年の女子39名(セナを含む!)は6人ずつ7組で滑ることになっていた。5人の組が3組できるはずだったのだが、なぜか5人で滑ったのは1組のみだった!?
「だいたい男女の比が変な気しない?」
「あ、それは思った。2組は男16女12, 3組は男15女12、なのに1組はなぜか男13女15」
「なぜこういうことになったんだろう?」
(答え:男から女に移動した子が2人いる上に座敷童子の小春が入っている)
距離は3km, 5km の種目があり、各クラス男女5人ずつ出ている。千里の他に5kmに出たのは、玖美子・尚子・優美絵・沙苗である。蓮菜は3kmに出ており、蓮菜が使った後、そのスキーを借りて千里は5kmに出た。
千里はレースは普段全く練習していないので走るの自体、見よう見まねだが、何とかみんなに多くは離されない程度には付いていくことができた。てっきり最下位だと思っていたのだが、最下位は沙苗だった!?
「沙苗を追い抜いた記憶が無い」
「私、最初からみんなに離されてた」
「沙苗、ひょっとして筋力落ちてない?」
「睾丸消失後、明らかに落ちてきた気はする。体育のテストでも私最下位だったし」
「また筋トレするといいね。今度は女子の筋肉の付き方するから」
「やはり筋肉の付き方って男女で差があるんだ?」
「当然」
なお千里の前が優美絵で1組はラスト3を独占した!?
ちなみに女子として参加したセナは距離には出なかったが、結果的にジャンプに出ることになり
「恐いよぉ」
と言っている所を鞠古君に背中を押されてジャンプ台を疾走する。
「きゃー」
と言いながら飛んだが、転倒もせずきれいに着地して、距離も1年生9人中3位で「嘘!?」と言いながら、入賞の賞状をもらった。
「凄いじゃん。来年も出てよ」
「嫌だ。二度と出たくない。死ぬかと思った。恐かったよぉ」
などと言って泣いていた!(*11)
大会では他に回転・大回転も行われ、これは希望者のみ参加となった。これに出る人は、ノルディック(距離またはジャンプ)はパスしていいのだが、どちらにも出て、結果的に滑降、距離またはジャンプ、回転または大回転、と3種目に出た人たちもあった。
(*11) 筆者も中学生の時、友人から(物理的に)背中を押されてジャンプ台を飛んだことが1度だけあります。ちゃんと着地はできましたが、死ぬかと思いました!!2度とやりたくないと思いましたが、ジャンパーさんたちは「滑降みたいな恐い競技はやりたくない」とおっしゃるんですよね〜。確かに猛スピードで斜面を滑り降りますからね。
S中では卒業式が近づき、その準備も進んでいた。卒業式で演奏することになる吹奏楽部は『威風堂々』(入場曲)と『大空と大地の中で』(退場曲)を練習していた。千里Rは映子に頼まれて、この編成に加わってフルートを吹く。
「千里、フルートが凄い進化してる。正式に吹奏楽部に入らない?」
「パス」
卒業式での編成は、1〜2年だけなので、それでなくても人数が少なく手が回らない。沙苗も徴用されてサックスを吹いていた。
「沙苗、サックス吹けたんだね?」
「あんたはサックスが吹けそうな顔してると言われて徴用された」
「顔で吹けるんだ!?」
なお吹奏楽部の練習は、他の部活と兼ねる人が多いので、昼休みにおこなっていた。
でも同じく昼休みに練習している合唱同好会とは練習時間がぶつかるので、この時期、合唱同好会は多くのメンバーがこちらに取られて練習できなくなる。
(吹奏楽に徴用されてフルートを吹くのはRで、合唱同好会に参加しているのはBなのだが、昼休みに集まったメンツを見たBは「しばらくお休みにする?」と言った:元々音楽的な能力の高い子が多い)
卒業式で『君が代』のピアノは音楽の藤井先生が弾くが校歌は2年生の阿部光恵(N小合唱サークルのピアニストだった人)が弾く予定である。
「来年はセナちゃんにやってもらおうかな」
と藤井先生は1月初めの合唱同好会の練習の時に言っていた。
「それ、セーラー服になるんでしょうか」
「セーラー服じゃなかったらドレス着る?それでもいいけど」
と藤井先生は言っていた。
藤井先生はセナが男子生徒とは思いも寄らない。セナは合唱同好会では同好会が発足した10月からずっとセーラー服である。先生は音楽の授業で学生服を着ていたセナも見ているはずだが、セナは元々存在が目立たないタイプなので、先生の頭の中で、学生服姿のセナとセーラー服姿のセナが結びついていない。
セナは、みんなと一緒におしゃべりしていても、彼(彼女?)がその場に居たことを誰も覚えていなかったりする。目立つタイプの千里などとは真逆。
むろん、セナが学生服を着てピアノを弾くことはありえない。学生服を着て弾こうとしたら、きっとみんなに捕まって強制的にセーラー服に着替えさせられる(やはりセクハラ)。
2月21日(土).
ほぼ一週間ぶりの開催となったP神社の勉強会で“バレンタインの成果”を報告し合った。恵香・美那は3年生の男子に渡して握手してもらったらしい。
「デートとかは?」
「無理〜。彼人気だもん」
この子たちはバレンタインはまだ“夢”の範囲である。
留実子は鞠古君にチロルの30個詰め合わせをあげたらしい。
「実用的でいい」
と恵香は言っていたが、予算的なものもあるよなと千里は思った。お小遣いをもらっていない留実子には、そのくらいが限度だという気がする。蓮菜はこの日来てなかったが
「お泊まりデートしてるみたいよ」
と美那の情報である。
「現在進行形か!」
「だから今日は来てないのか」
「よくやるなあ」
「あの2人はもう既に結婚しているのでは?」
「実際、蓮菜は“妻”のつもりでいると思う」
「まあ妊娠しないように気をつけなくちゃね」
「中学生が出産とか大変だもんね」
「沙苗は結局宮司さんに渡しただけ?」
「お父ちゃんにも渡したよ」
「反応はどうだった?」
「嬉しそうにしてた」
「娘からもらうのは実は物凄く嬉しい」
「うん。だから私のことを娘として受け入れてくれてるんだと思う」
「まあそのあたり父親は複雑な心境だよね」
「今年は広瀬君には渡さなかったの?」
「去年までは純粋に憧れの気持ちだったけど、今年は少し具体的なこと考えてしまって」
「ほほお」
「宮司さんや父親とは、恋愛の可能性ないから安心して渡せる。でも同年代の男の子なら、何かのまちがいで恋愛に発展する可能性あるじゃん」
「まあ可能性はあるよね」
「その時、自分が恋愛できない身体だというので気が引けてしまって」
「恋愛はできると思うが」
「でもセックスできないし」
「中高生ではまだセックスしなくていいと思うよ」
「蓮菜たちが異常なだけ」
「それにセックスしたくなったら速攻で性転換手術受けたらいいんだよ」
「中学生でも手術してくれる病院紹介しようか」
などと千里が言っている!
「でも沙苗はいつ性転換手術受けるの?」
「早く受けたいけど、18歳未満で受けるのはかなり難しいみたい」
と答えながら、千里が言った“中学生でも手術してくれる病院”というのが気になる。
「ああ。法的な意思表示の問題だろうね」
「だからタイとかでも原則として手術は18歳以上という病院が多いらしい」
「タイ?」
「最近、タイで性転換手術を受ける人が増えてるんだよ」
と沙苗は言う。
「タイなんだ?性転換手術といえばモロッコかと思った」
と恵香。
「モロッコで性転換手術をしていた先生はもう15年くらい前に亡くなってるよ(*12). そのあとシンガポールに行く人が多かったけど、その先生は荒っぽくて、手術後の縫合とかも適当で、大量出血して死ぬかと思って、思わず遺書書いたという人続出」
と沙苗は説明する。
「ほんとに死んでる人もあったりして」
と千里。
「それでタイが最近は増えてるらしい」
と沙苗。
「アメリカでもやってるお医者さん何人かいるけど概して料金が高い。ロシアでもやってるお医者さんいて、料金がかなり安いみたいだけど、言葉の問題もあって東欧圏以外からはあまり行っていない」
と沙苗は解説する。
「じゃタイに行って手術するの?」
「分からない。国内で受けられたらいいんだけど、埼玉医科大とかも物凄い順番待ちで5年10年待つ覚悟が必要らしい」
「それは辛い」
「その付近の市民病院とかで受けられたらいいのにね」
「20-30年後にはそうなってるかもね」
と玖美子も言った。
(*12) ジョルジュ・ブロー(Georges Burou 1910.9.6生)は、1987.12.17に亡くなっている。シリコンによる豊胸手術と、陰茎反転法による造膣手術の開発者である。アメリカにおける性転換手術のパイオニアであるスタンリー・バイバー(Stanley Biber, 1923-2006)なども自分の手法はブローの方法をベースに開発したと述べている。
元々はブロー自身の知り合いのMTFさんに頼まれてほとんど内密に手術を行ったのが出発点だったらしい。しかしその後、クチコミで患者が増えて行き、やがて正式に性転換を希望する人のためのクリニックを立ち上げた。彼は「あまり目立たないようにしたい」ということから、表向きには産婦人科の看板を掲げていた。それで病院は、下の階が産婦人科、上の階が性転換病院だった。
(女は母になり、男は女になる?)
1960年代頃、手術代金は5000ドル(当時の為替相場で180万円)程度だった。
ブローは初期の頃は陰嚢反転法で膣を作っていたが、伸縮が大きすぎて性感があまり良くないし、脱膣が起きる場合もあるとして陰茎反転法に変更した。
ブローは1970年代までに3000人のMTFの患者を診て800人ほどの性転換手術をおこなったと言われる(最終的には1000人を越えたかも)。彼は外見!と性格を見て女性として適応できると確信できる人にしか手術を行わなかったし、未成年の患者はたとえ保護者の同意があっても、成年に達するまで待たせた。
「千里はどこで性転換手術したんだっけ?」
「私は別に性転換手術とかしてないけど」
「そもそも千里の性転換時期は謎だよなあ」
「千里のちんちんを見たことのある人が存在しないしね」
「玲羅ちゃん見たことある?」
「お姉ちゃんのお股は私、物心ついた頃から何度も見てるけど女の子の形だったよ。だから『お兄ちゃんってどうして女の子なのにお兄ちゃんなんだろう』と思ってた」
「なるほどねー」
「千里はたぶん男湯にも入ったことがないはず」
「幼稚園頃の段階で、千里と一緒にお風呂に入ったことある友だちがみんな千里のことを女の子だと信じて疑ってなかった」
と沙苗が言う。
幼稚園の頃の千里を知っているのは、沙苗・蓮菜の他は、鞠古君や田代君くらいだ。当時千里は自分の性別問題であまり日本人の友だちとは付き合っていなかった。蓮菜でさえも当時はあまり話していなかったので、実はこの場にいるメンツでは沙苗が最も古くからの付き合いということになる。
「つまり幼稚園に入る前には性転換を終えていたということか」
「生まれてすぐに性転換してもらったんだったりして」
「でもそんな小さな子の性転換とかしてくれるお医者さんあるんだっけ?」
「ドイツで1歳くらいの双子の男の子を親の希望で性転換して双子の女の子に変えてあげた例はある」
「それはさすがに無茶苦茶な気がする」
「それ絶対大きくなってから不適合を起こす」
「結局千里は生まれながらの女の子だとしか思えないんだよね〜。生理もあるし」
と恵香は言う。
「じゃ男の子のふりをしてただけ?」
「いや、千里が男の子のふりをしたことなど1度も無いはず」
「確かにそうだ!」
「むしろいつも女の子のふりをしていた」
「千里の性別のことを考えていると訳が分からなくなる」
「それでセナはいつ性転換手術するの?」
「え?え?え?えーっと・・・」
突然自分に話が来てセナは焦っている。
「きっと成人式で会った時には既に完全な女性になってるだろうね」
と千里が言うと、セナは顔を真っ赤にしていた。
「既に赤ちゃんもできてたりして」
と言われて、セナは『ぼく赤ちゃん産むの〜!?』と思っていた。
2月21日(土).
千里Rは今月も旭川に出て、きーちゃんの家と天子のアパートを訪問した。だいたい中旬に行くことが多いのだが、今月は期末テストがあったので先週は使えなかった。きーちゃんの側も先週は小登愛の四十九日をやっていた。
いつものように、1日目は龍笛・ピアノ・フルートの練習をし、2日目は午前中越智さんに剣道の指南をしてもらい、午後からはまた龍笛とフルートの指導を受けた。
この2日間にきーちゃんは千里を3回不意打ちしたが、全部防御を張られたし、千里はきーちゃんの攻撃を全部倍返しするので、きーちゃん自身が防御するのに大変だった。
「でもこれ楽しいゲームだね」
と千里は言う。
「わりとお互いに命懸けだけどね」
と、きーちゃん。
「相手の力を信じてるから、安心して命中したら死ぬくらいのを放てるね」
と千里は笑顔で言っていた。
越智さんの指導は本当に新次元に入った感じだった。越智さんがかなり本気で打ち込んでくるので、ちゃんと防御するなり交わさないと怪我しかねない。
でも千里はそれをしっかり防御したり、返し技を出すので、
「君はほんとに凄い」
と越智さんは感心していた。
きーちゃんとの“不意打ち遊び”も剣道の練習になってるよなあと千里は思った。
22日の夕方はまた天子の所に行った。お昼過ぎにコリンを先行してスーパーに行かせ、買物をしてもらっていたので、この日は千里自身が、ビーフストロガノフを作って、3人で食べた。
(Rにいつも付いているのはコリンだけ。Yはいつも小春と一緒だしP大神の眷属・カノ子も付いている。BにはQ大神の眷属・ヒツジ子が付いている。でも元々Rには誰も付いていなかった。ミミ子・ミヨ子・芳子は3人全員を見ている)
そして18時半にミミ子に車で旭川駅に送ってもらい、この日は真面目にJRで留萌に帰れる最終連絡の列車(19:16深川行き)に乗った。本来はこういう連絡である。
旭川19:16-19:46深川20:10-21:05留萌
でも千里は深川まで行く前に、深川行き普通列車の中で消えちゃった!
(やはり面倒だから消えているのだと思う)
コリンはやれやれと思い、自分が千里のチケットを持ち、深川で留萌行きに乗り継いで、留萌駅で小春に荷物をリレーした。
2月24日(火).
この日の午後は全校授業が学活・体育と振り替えになり、除雪ボランティアをおこなった。雪の季節だが、お年寄りの世帯などでは雪下ろしや除雪のできない家も多く、中高生が戦力として駆り出されるのである。
市内の中学・高校で地区の分担を決めて実施している。S中は、留萌市北部のC町・A町のお年寄り世帯を回って除雪作業をした。そもそもこのC町・A町、更にその隣のT町の界隈は、お年寄りだけで暮らしている世帯が多い。なお、山間部のN町は中学生の手には負えないので、青年団でやることになっている。
↓この物語世界の留萌市北部超略図
(矛盾が出て来て改訂するかも。その時はごめんなさい(汗))
作業はだいたい男子が屋根に登って雪下ろしをした上で女子が家の周りの雪を軽トラに乗せ、先生が軽トラを運転して海に捨てに行く。
しかし雪下ろしや除雪作業は中学生にとっては半ばレクリエーションである。ふざけて屋根から突き落とされたりするので
「こら、お前ら怪我したらどうする?」
と先生に叱られたりしていた。
千里や沙苗は当然女子組に入っているが、2人とも腕力があるので雪運びの大いなる戦力になっていた。女子の中には「きっつーい」と言って、作業もせずに座り込んでおしゃべりしている子たちも結構いた。
留実子は当然男子組に参加して、じゃんじゃん雪下ろししていた。
セナは「男子組に行く?女子組に行く?」と田代君から訊かれて、どうしよう?と悩んでいたが、屋根から突き落とされたりしているのを見て
「ぼく女子組に行く」
と言って、逃げてきた。
(また“ぼく”と言っちゃったと思い落ち込んでいる。なかなか人前で“わたし”と言えない)
しかし彼女(まだ彼?)も雪運びの大いなる戦力となった。
2月25日(水).
沙苗は定期健診のため、両親と一緒に札幌に出て、S医大を訪れた。
診察に先立ち、いつものように身長・体重・体温・酸素量・脈拍・血圧を測り、採血する(血糖値や男性ホルモン・女性ホルモンの量などを測る)。
そこまではオープンスペースで測定するが、個室に入って女性看護師さんに、トップバスト・アンダーバスト、ウェスト・ヒップを測られる。その後ベッドに寝て、スカートをめくりパンティを下げてペニスの長さを測られる。これも女性看護師さんがする。沙苗は女性患者扱いなのでたとえペニスの長さであっても、測定するのは女性の看護師さんである。
ところがこの日測定担当の顔見知りの女性看護師さんは言った。
「これ測定できない」
「ですよね。私も存在を確認できない」
沙苗のペニスがあまりに小さすぎて測定不能なのである。沙苗のペニスは春先に初めてここを受診した時は32mm(周囲36mm)と言われた。その後、来診する度に短くなっていき、夏頃10mmを切った(周囲も16mmで、この時点で既にクリトリスサイズ(*13)。但し陰唇が無いから女には見えない。皮膚から突出しているので一応男に見えていた)。12月が5mm(12mm), 1月は3mm(10mm) と言われたが、とうとう測定不能になってしまったようだ。
「仕方ないから測定不能って書いとくね」
「はい」
(*13) 成人女性のクリトリス平均サイズは長さ5-7mm 周囲10mmという統計もある。ただクリトリスのサイズは個人差が大きく小さい人は2-3mm, 大きい人は20mmを越える人もある。ただしこれは外に露出している部分であり、内部に埋もれている部分を含めた全体長は100mm(=10cm)程度ある(そのまま小陰唇海綿体につながる)。
それで診察の順番を2時間くらい待つ。
病院ってどうして予約しててもその時間から長時間待たされるんだろう、などと思っている。
やっと呼ばれて診察室に入る。
「何か変わったことはないですか」
「いえ特に」
などと会話をしながら先生は測定値を見ている。
「ペニス長測定不能!?」
と先生が驚きの声をあげる。
「私も存在を確認できません」
と沙苗。
「ちょっと見せて」
「はい」
それで沙苗はベッドに横になり、スカートをめくってパンティを下げ、その付近を医師に見せた。
一見ペニスは存在しないように見える。といって割れ目ちゃんがある訳ではないので、去勢者の股間に似ている。いわゆるヌルに近い状態である。沙苗はおっぱいもあるので、多分何の偽装も無しで女湯に入れる(先生は沙苗が何度か女湯に入ったことは知らない)
「ちょっとごめんね」
と言って医師はその付近を触っていた。
「ああ。これか」
と言って医師はある一箇所に指を当てている。
「ありました?」
「あることはあるね」
「長さとか測れます?」
「うーん。マイナス2mmかな。直径は3mmくらい」
「マイナスですか」
もういいよ、ということで沙苗はパンティを戻し、スカートをおろしてベッドから起き上がった。
「君おしっこはどうしてるの?」
「何かその付近からじわっと、にじみ出てくる感じなので、終わった後、その界隈を結構広く拭いています」
「どこから出てくるかよく分からないんだ!」
「どこに飛ぶかも分からないので、けっこう便器や床を汚してしまったりするんですよ。普段は気をつけて最初は少しずつ出して方角を調整するんですが、疲れてたり、ぼんやりしてると、思わぬ方角へ勢いよく出て、汚してしまうんですよね」
医師はしばらく考えているようだった。
そしてやがて言った。
「大陰唇を作ろうか」
2月27日(金).
この日、昼休みの放送室の担当は千里だった。
千里はアナウンスした。
「本当に悲しいできごとでしたが、ワンティスの高岡猛獅さんと長野夕香さんが亡くなってから2ヶ月経ちました。それで今日は2人を追悼するため、1月に発売予定だったのが、いったん発売停止になっているワンティスの初アルバム『ワンザナドゥ』をここで丸ごとおかけしたいと思います。この音源は知人から預かったものです。知人の話では恐らく夏くらいにおふたりの追悼版として発売されることになるのではということでした」
そして、きーちゃんから借りて来たmp3音源(もらったCDからクリッピングしたもの)を校内放送で丸ごと流した。
ここで流したのは下記の曲であった。
『索牛』『Long Long Ago』『Voyage romantique』『朝日の海岸』『光の柱』 『生命の水』『Back to the Town』『リズミトピア』『川と花の物語』 『忘れられた座席』『背中に書いたラブレター』『祭り太鼓』
2022年に発売されたものとは、音源自体は同じだが(ノイズの除去をしただけ)、一部タイトルが違っている。また楽曲順序も異なっている。このことを認識しているのはワンティスのメンバーの他には、2022年版の制作に関わった人で元のCDも聴いたコスモス・アクア×2・ケイ・青葉・花ちゃん・ロンド・スピカくらいである(千里は気付いていない!)。
そういう訳で、この時のS中の生徒は、この貴重な音源を聴いたのであった。
このアルバムを聴いたのはこの日登校していたS中の生徒と、伊藤辰吉が経営していたカラオケスナックの客くらいだろう。千里やきーちゃんにしても、辰吉にしても、たぶんこのアルバムは夏頃には発売されるだろうから、それに先行して流しているだけという認識だった。
ちなみに恵香はこの日風邪で休んでいたので、これを聴いていない。でも恵香は自分がその音源およびレーベルの画像データ、封入するパンフレットのInDesignデータ、の入ったSDカードを持っているとは夢にも思っていない。
(実は2021年時点でパンフレットのInDesignデータを所有しているのは恵香だけである!辰吉版・玲央美版・きーちゃん版ともにCDのみ)
千里が校内放送でこの貴重なアルバムを掛けた1週間前。
2月20日(金).
ワンティスのメンバーは4月頃に集まる予定だったのをこの日前倒しして集まり、今後の活動について話し合った。話し合いにはオブザーバー(意見は言わない)として左座浪マネージャーも出席した。
冒頭上島は
「★★レコードの村上次長から、元ワンバン(ワンティスのベースになったバンド)の崎守英二を新たなギタリストに迎えて春くらいから活動再開してほしいという要請が来ている」
ということを説明したが、全員一致でこの提案を否決した。
「俺たちの間でも結構意見の対立はあったけど、崎守君は明らかに俺たちとは路線が違う」
と水上が言い、みんなも同意見だった。
「路線というより音楽のジャンルが違うよね」
「まあ演歌とフォークの区別の付かない人だからなあ、村上さんって」
この件では上島は
「高岡の死のショックはあまりに大きく、今は崎守君といえども新たなメンバーを迎える気持ちにはなれない」
という談話を“表向き”には発表している。
この日の会合は、わりと穏やかなもので、下記のことを決めた。
(1)解散はしない。高岡に代わる新たなリーダーは上島と雨宮を共同リーダーとする。
雨宮は上島をリーダーとして推薦したのだが、海原が不満なようだった。そこに山根が雨宮と共同リーダーということではどうかと提案。それで合意に達した。
(2)少なくとも来年の3月まで活動を休止する。来年の春に再度集まって話し合う。(実際にはこの会合は開かれなかった)
この時点で各々は既に独自の活動を始めつつあった。
(3)★★レコードとの契約が3月末で切れるのを更新しない。そのため来週中に契約解除申入書を提出する。
(更新の1ヶ月前までに解約の意思表示をしない限り契約は継続されることになっている)
メンバーの★★レコードに対する不信感は大きく、活動再開するにしても他のレコード会社という気持ちが強かった。
「加藤さんが高岡の死の責任負わされて外されたけど、加藤さんには責任ないと思う」
「全くもって同意。太荷さんが暫定的に担当するみたいだけど、あの人とはやりたくない」
「加藤さんは俺たちの音楽の最大の理解者だったよ」
(4)契約解除した場合、1億円程度の違約金を請求される可能性があると思われるが、これは上島・雨宮・海原・下川の4人で銀行から借り入れて支払う。左座浪は、事務所が保証人になると明言した。
(アルバム制作費として毎月500万円を★★レコードが支給していたのに、アルバムが発売されなかったことに対する補償。しかしアルバム自体は完成しており発売しないのは★★レコード側の判断なので、須丸社長は違約金を請求しなかった。★★レコードは秋になって、シングルのリミックス音源をまとめたベスト盤を販売し、30万枚のセールスをあげて充分費用は回収した。またアルバム自体、2014年に“One Xanadu”の改訂版“Green Album”が発売されたことにより、制作費問題は解決している。この時は加藤が制作部課長になっていたのでこのアルバムだけスポットで★★レコードと契約した)
会合後、新たな共同リーダーとなった上島・雨宮は、4月からバンドが活動再開した場合に加入する予定だった中村将春に、左座浪も一緒に会いに行き謝罪した。お詫び金も払うと言ったが、彼は辞退した。
両者は
「その内機会があったら一緒に何かやろう」
と言って別れた。
この業界ではよくある儀礼的な挨拶だが、これが10年後に本当に実現するとは、上島たちも中村本人も思いも寄らなかった。
左座浪はこの会合の内容を電話で志水英世に伝達したが
「自分はワンティスからは既に離れているので異論はありません」
とした上で、左座浪がいろいろ便宜を図ってくれていることに感謝していた。
志水英世は
「今住まわせてもらっているマンションですが、今現在引越費用が無いので、2〜3ヶ月住まわせてもらえませんか?できるだけ早く引っ越しますので」
と言った。しかし左座浪は
「そこはそのままずっと住んでていいよ」
と言った。
それで志水夫妻はそこにそのまま2006年2月まで住み続けることになる。
2月28日。留萌市内の唯一の私立高校・U高校で合格発表があった。剣道部3年女子の藤田(美春)さんや田辺(英香)さんなどは受験したものの、合格者リストには受験番号が無かった。でも全く焦っていなかった!一方、バスケ部3年女子の加藤(節子)さんや市田(房江)さんは合格していたものの、このU高校に行く意思は全く無かった!!
実はU高校の入試が2月17日に行われたので、3年生の期末テストはそれにぶつからないように1-2年生より1週間早く実施されたのである。
この当時、留萌市には3つの高校があった(*14).
道立のS高校とK高校、それに私立のU高校である。基本的にレベルは
K高校>?S高校>>>U高校
となっている。K高校は(男子の場合)中学1-2年生程度の勉強が分かっていれば合格する。S高校は(男女とも)九九が分かっていれば合格する(千里はあやしい。玲羅は絶対無理。6×9=38などと答えていた)。ただしS高校でも特進クラスはK高校の男子合格ラインより厳しい。そしてU高校は答案に名前さえ書いていれば(最終的には)合格する。
なおK高校は男子が圧倒的に多いので、女子の受験者は九九が分かっていれば合格できる!S高校は規律が厳しいので自由な校風を求めてK高校を受ける女子もわりと居る(実際には国立大の理学部・工学部・看護科・獣医科・心理科・経営科など狙いの子が多く、女子も“平均点”は高い)。
この年の入試日程。
2,17 私立U高校入試
2.28 U高校合格発表
3.03 公立S高校入試
3.04 公立K高校入試
3.15 中学卒業式
3.16 公立の合格発表
3.26 U高校入学手続き締切り
3.27 U高校補欠合格者発表
3.31 U高校補欠合格者入学手続き締切り
S高校とK高校は試験日がずらしてあるので併願可能である。それでK高校に微妙な生徒は両方受ける(このレベルの子はS高校に落ちる可能性は無い)。
U高校に実際に入学する人のほとんとどは補欠合格者である!!
2月末の合格発表で合格していた人の大半が辞退する!
公立の合格発表の後に私立の入学手続き締切りがあるという親切日程であるため、公立に合格するかどうか微妙な人は、それを待ってから入学手続きをすることができる。それで公立間違い無いと思う人でも、度胸付けに受験する生徒は多い。
結果的にS高校を受ける生徒の大半(K高校を受ける子を除く)がU高校も受けるのでU高校の最初の合格発表で合格者として発表されるのはほとんどがS高校に中位以上で合格できるレベルの生徒である(U高校の定員がS高校定員の約半分であるため)。結果的にその大半が辞退する(とっても無意味な合格発表)。だからU高校の合格発表は3月下旬の“補欠合格者発表”が本番なのである。
K高校は、工業科・建築科・理数科・水産科から成っていて、生徒の9割が男子である。レベルはわりと高いが、女子の受験者は大抵が合格する(授業もレベルが高いから授業に付いていけるかという問題はあるが)。
実業的な教育を受けたい子、または理系の大学を狙う子以外は多くがS高校に進学するので、市内のS中・R中・C中・F中の生徒の7割くらいがS高校に行くことになる。それでS高校は上は国立大学や私立上位を狙うレベルから、下は親が「高校くらい出なさい」と言うので仕方なく高校に来てるというレベルまでレベル範囲の広い学校である。特進科や普通科でも特に意欲のある生徒には大量の補習を実施する(1年生末の内部試験で特進科に転科することも可能)。
一方では授業に顔出しているだけという生徒達も多い(1年後の貴司はこちら)。ただし学校の規律は厳しく(K高校はわりと緩い)遅刻は3回やると親が呼び出されるし、進級に必要な出席日数も厳しく毎年5-6人の留年者を出している。パーマやヘアカラー、リーゼント・モヒカン刈り!などは禁止である(天然パーマや元々茶色や金色の髪の子は親が証明書を出していれば問題無い。外人の子も多いので目立たない)。制服は無いものの高校生らしくない服装は注意されて、改めない場合は親が呼び出される。
また、喫煙・飲酒・暴力・生徒間の恐喝などは1発退学になる。運転免許は就職希望の生徒のみ許可される。二輪免許は家業で必要な生徒にのみ許可される(いづれも特進科は禁止)。妊娠すると(妊娠がバレると!)妊娠した生徒も妊娠させた生徒も退学をくらう。
K高校の女子は少ないので、物凄くもてる!でもK高校に来ているような女子の大半は恋愛には興味はなく、ひたすらお勉強しているのでバレンタインなどする子もほとんど居ない(男の娘ももてるという噂があるが実態不明)。
(*14) 高校が公立2つ、私立1つというのは、この物語の中の設定。史実では2004年当時の留萌市内の高校は下記2校でいづれも道立。
北海道留萌高等学校
北海道留萌千望高等学校(2018年留萌高校に統合)
留萌市以外の留萌振興局管内では下記(全て道立)
北海道増毛高等学校(増毛町。2011年3月閉校)
北海道羽幌高等学校(羽幌町)
北海道苫前商業高等学校(苫前町)
北海道天塩高等学校(天塩町)
北海道遠別農業高等学校(遠別町)
留萌振興局内に私立高校は存在しない。1968年設立の鬼鹿家政高校という学校がかつて存在したのだが、かなり古い時代に閉校している(閉校年不明)。
漁業が盛んだった頃、留萌高校は生徒があふれ、40クラス、1800人ほどの時代もあったようである。当時、北海道一のマンモス校と言われた。それであまりにも高い生徒密度を緩和するため千望高校が作られたのだが(正確には最初“留萌工業高校”が作られ、後に留萌高校商業科と合併して千望高校になった)、基幹産業を失い人口が減りに減って、とうとう1校に戻ってしまった。生徒数も2校が統合されたのに3学年で350人程度のようである。
留萌高校の指定服(制服は1968年に廃止された)は、伝統校にはよくあるパターンで、男子は学生服・女子はセーラー服であった(2018年にブレザーになった)。
2月29日(日).
蓮菜の家に、わりといつものメンツが集まった。
2月初旬から蓮菜の家に飾られている七段飾りの雛人形を前に、おひな祭りの会を開いたのである(蓮菜の家では例年立春前後に飾り、3月3日の夕方片付ける)。
集まったメンツはP神社での勉強会のメンツとほぼ同じである。
蓮菜・玖美子・千里・恵香・美那・穂花・沙苗・セナ・留実子
それに玲羅と小町。
なお、恵香はもう風邪が治ったので出て来ている。
留実子以外は女の子である!
田代君と鞠古君は遠慮した。
「スカート穿いてきたら参加していいよ」と言ったのだが、田代君は「スカート穿いてそちらまで歩いて行く勇気が無い」と言い、鞠古君は「スカート穿いてたら留実子に殴られるから」と言った。
「まあ女子更衣室を使えるメンツだね」
「女子トイレを使えるメンツでもある」
「るみちゃんと小学生2人以外はセーラー服を着てるメンツだ」
「結局千里はセーラー服着てる訳?」
と留実子が訊く。
「私が学生服とか着るわけない」
「でも学生服を着た千里を数回見てるんだけど」
「それはきっと何かの見間違い」
「そうなのかなあ」
「お姉ちゃんは毎朝確かにセーラー服で出掛けてるよ」
と妹の玲羅も証言する。
「るみちゃんもセーラー服姿を見たことない」
「特に注意されないから、ほとんど学生服着てる」
「それでいいと思うよー」
留実子は学校では自粛?してウィッグを着けているが、今日はこのメンツなので丸刈りの頭を曝している。
「うちの中学はそのあたりがわりと緩いと思う」
「やはり女の教頭先生だから、そのあたりが柔軟なのだと思うよ」
「それは多分あるよねー」
おやつは、ひなあられ・菱餅のほか、キットカット・ミニチョコパイ・たけのこの里、などの大袋、白酒代わりのカルピス、朝から主として千里・恵香・美那の3人で(恵香の家の台所を借りて)作った鶏の唐揚げ、それに前日に予約しておいて朝から千里の母が車で買いに行って来たショートケーキ26個(1人2個は食べられるように少し多めに買ってきた)。
3月3日のひな祭りは千里の誕生日でもあるのである。
「そういえば千里は少し早めだけど、誕生日おめでとう」
「ありがとう。私毎年みんなに誕生日を祝ってもらってる」
「その代わり、毎年ひな祭りと合同だけどね」
なおこの日は『女の子の節句だから』というので、和服を着ている子もある。
蓮菜、千里、玲羅、恵香、美那、沙苗の6人が和服である。
「沙苗は小さい頃から和服が多かった」
「たぶん私がスカート穿くのにお父ちゃんが抵抗して、妥協で和服着てたんだと思う」
「でも男物の和服を着てる所は見たことない」
「そのあたりが妥協の落とし所だったんだと思う」
「だけどセナとかはお姉ちゃん居るから、そのお下がりのスカートとかもらってたんだろうけど、沙苗はお姉ちゃんいないよね。女の子の服はどうやって調達してたの?」
(セナは自分のことを言われてドキドキしている)
「お母ちゃんが買ってくれてたよ。私が穿きたいって言ってたから」
と沙苗は答える。
「おお、理解がある」
「パンツもセーラームーンのがいい、とか言ったらそれ買ってくれてた。だから私、男の子用のパンツ穿いた記憶が無い」
「そのあたりは私より進んでるよね。私小さい頃、不本意ながら男の子の下着つけてたもん」
と千里が言うと
「嘘をついてはいけない。千里が男の下着をつけてる所なんて見たことない」
と全員から言われる。
(なぜか全員小学1年生頃から、千里の下着姿を見ている。パンティに盛り上がりが無いのも見ている!)
「和服ひとつ持って来てるけど、セナ着てみない?」
「え?え?」
「セナも女の子らしく和服を着てみよう」
ということで、セナの着ている服を脱がせ、普通の下着(スリップとパンティ)の上に千里が持参した化繊の街着を着付けしてあげた。帯も締めてあげると、すごく女らしくなる。
(なおセナは髪の長さが“女子の標準長”になるよう、12月以降は髪を切らずに伸ばしている最中である)
「記念写真、記念写真」
と言って、みんな並んでいる所を蓮菜の母が写真に撮ってくれた。
「化繊だから、汚したりしても問題無いから、今日はずっとそれ着てなよ」
「うん。そうしようかな」
3月初め、きーちゃんは、T大神から呼ばれて、伊勢まで行き、大神と面会した。大神はおそらく1500歳くらいと思われる。まだ若い神様だが、この神社がこの地に鎮座した時からずっとここの主宰者である。神様になる以前の天女時代は若狭のほうに居たという噂がある。詳細は知らないが、当時はかなり苦労したらしく、そのためか、とても優しい神様である。きーちゃんはまだ“神様未満”だし、いつか神様になれるかどうかも分からないが、天女出身の神様としてT大神には親近感を抱いている。
「帰蝶さん、黒木徹夫さんが亡くなってからもうすぐ2年だね」
「はい、あと2ヶ月で三周忌になります」
「正確な日程はまだ決まってないけど、7月か8月くらいに新たな主(あるじ)に仕えて欲しい」
「了解です」
「今度は少し長い仕事になりそうだけど」
「・・・そうですか」
「詳細については、出羽のH大神に委ねる。そちらから連絡があると思う」
「分かりました」
と返事してから、きーちゃんは出羽のH大神に委ねるということは、藤島月華(鶴岡在住:“スピード狂”瀬高美奈子の祖母)に付くということかな?と思った。じゃ、千里との“セッション”も6月くらいまでかな、と考える。でも、出羽に引っ越すことになるなら、旭川の家自体を千里に貸してもいいかもしれない。あの子、L女子高への進学も考えているみたいだし(←千里の性別のことはもう完全に忘れている)。
しかし月華は今75歳くらいだし、あまり長くない気がするけど!?まさかあの人このあと30年くらい生きたりして!?(←正解!でも、きーちゃんは“長い”の意味を1桁くらい勘違いしている)
千里の誕生日3月3日は水曜日で平日である。平日なので“千里たち”は授業が終わったあと“いつもの行動”をしていた。
Y:バスでC町まで帰り、P神社で巫女さんをしながら恵香たちが来たら勉強会。
B:サブ体育館に行き、女子バスケット部の練習に出る。
R:メイン体育館に行き、女子剣道部の練習に出る。
(Yは学校が終わる前にバスに乗っているのではという疑惑がある)
貴司はその日、メイン体育館に道着姿で来た千里(千里R)に声を掛けた。
「これ誕生日のプレゼント兼ホワイトデーということにしていい?」
と言ってわりと豪華なホワイトチョコのセットを渡す。
「わあ。ありがとう!こないだはごめんね。後から考えたら私の勘違いかも」
(実は後で小春から“別の千里”がチョコを渡していたと教えられたのである)
「いや、気にしないよ。またデートしようよ」
「うん」
と言って2人は握手した。
「握手じゃなくてそこはキスを」
という声が周囲からあり、ふたりは照れていた。
さすがに周囲の目のある所ではキスはしない。
その日、サブ体育館で千里(千里B)がバスケのゴールを引き出していたら“貴司”がやってきた。千里に声を掛ける。
「これ誕生日のプレゼント兼ホワイトデーということにしていい?」
と言ってメイン体育館で(本物の)貴司が千里Rに渡したのと同じホワイトチョコのセットを渡した。
「ありがとう!嬉しい」
「いつかデートしようよ」
「そうだね。ごめんね。デートの約束してるとなんか用事ができて」
「うん。用事ができるのは仕方ない。またな」
「うん」
それで2人は握手した。それで“貴司”はサブ体育館を出て行った。
貴司を装って、本物の貴司がRに渡したのと同じ物をBに渡したのは、小春の友人だったキタキツネの子孫(孫の孫くらい)で源次という2歳の男の子キツネである。エキノコックスに感染していない!(これがとても重要)(*15)
源次は現在思春期に到達したばかりで、まだ生殖したことはないので、小春は彼を小町のお婿さんにできないかなと考えている。彼には
「あと2年くらいセックス我慢するなら、小町と結婚させてあげてもいい」
と言っている。
「2年も我慢するの〜?俺早くやりたいよー」
「オナニーで我慢してなさい」
「オナニーって?」
と訊くので教えてあげたら
「こんな画期的な方法があったとは」
と言って、毎日しているようである。
オナニーがあまりにも楽しくなりすぎて、メスのキツネに興味無くなってしまったらどうしよう?と、小春は一抹の不安を覚えている。
「まあ、その時は人工授精という手もあるか」
(*15) 源次には食事を提供するので野性の動物を食べないことを誓わせた。
そもそも小春は自分たちの系統(キタキツネと精霊のハーフのような一族)のエキノコックス感染防止のため、P大神との話し合いで、10年くらい前から、一族の生息地域に駆虫薬入り餌を撒いたり、一族の長老と話して、エキノコックスの中間宿主になるネズミやリスを“生では”食べないように指導している。それで一族を含めてこの地域のキタキツネの感染率は元々低い。(一族ではネズミ・リスは焼いて!食べている)
小春の所属がP大神配下からA大神配下に移動したことから、駆虫薬入り餌の散布は昨年春からA大神の拠点地域でも始めた。そちらにも元々同類の一族が何グループか住んでいた。オスは3歳になったら他のグループに行き結婚する。但しそのグループのメスに受け入れてもらえたらである!性格が悪いと結婚してもらえず、“一匹狐”として生きていかなければならない(大抵はすぐにヒグマの餌食になる)ので、この一族のオスは優しい性格の子が多い。
この一族は通常のキタキツネより成長速度が遅く、2歳くらいで性的に成熟する。寿命も10年くらいで、長生きの個体はメスなら17-18歳(オスでも14-15歳)くらいまで生きる(普通のキタキツネの寿命は6-7歳くらいで長生きの個体でも12-13歳くらいと言われる)。実際問題として、エキノコックスを駆除しただけでも寿命は確実に延びたと思う。
それで源次は今思春期まっただ中なのである。
(小町は2000年6月頃の生れで現在3歳。小春は1989年7-10月頃の生れで現在14歳だが、肉体が実質消滅しているので病気に罹ることはなく、生命エネルギーが残っている範囲で生き続ける予定:実際には2017年7月まで生きたので28歳くらいで死んだことになり、物凄い長生き)
なお源次は小町との子供ができたら、去勢される運命にあることをまだ知らない!
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【女子中学生の生理整頓】(3)