【女子中学生・冬の旅】(4)

前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6 
 
2月13日(日・大安・みつ).
 
P神社で長年巫女を務めてきた、梨花さんが結婚することになり、P神社で挙式をおこなった。
 
神職2人・巫女さん11人体制!でおこなう。たぶん1994年にこの神社が復活して以来、最大の体制である。この神社の最初の巫女さんの結婚式だからこその待遇だ。今回の式の費用は宮司がほとんどを出している。ちなみに神職と巫女と合わせて13人になるが"13"という数字は、易では“天火同人”で結婚にとても良い卦である。
 
祭主はむろん翻田常弥宮司だが、祭員として孫で三重の皇學館3年生の和弥(花絵の弟)が参加する。
 
長年梨花を支えてきたものの現在は札幌で女子大生をしている乃愛(20)が帰省してきて、今回の巫女のリーダーを務める。彼女と花絵(23)で三三九度をおこなう。
 
中3の広海は受験なので欠席する(でも友人として結婚式に出席した!)
 
高2の純代、旭川から駆け付けてきてくれた守恵(20)、それにセナが巫女舞を奉納し、恵香が龍笛を吹いて千里が太鼓を打ち、梨花と同期だった元巫女の亜耶(梨花の1つ年下)が箏を弾く。更に旭川A神社から呼んだ美遙さん・典代さんが篳篥(ひちりき)と笙(しょう)(*20) を吹く。この2人は2年前の浅美さん(この神社の元巫女)の結婚式の時にも来てくれた。
 

多人数の演奏になるので、A神社の2人には前日に来てもらい、5人で一緒に練習したのだが、途中で
 
「この人数の演奏には“指揮者”が必要」
 
ということになる。それで急遽A神社からもう1人ベテランの木村治子さんという40代の巫女さんに来てもらい、その人に鞨鼓(かっこ)(*20) を打ってもらうことになった。みんなこの鞨鼓の音に合わせて演奏するのである。
 
結果的に、笙・篳篥・龍笛・箏・太鼓・鞨鼓と楽器が6つも入る大合奏になった。
 
前日の練習は木村さんが到着したあと3時間掛けたが
「この時間でちゃんと合わせられるのは、みんなさすが」
と木村さんは褒めていた。
 
(この時、木村さんは千里の“龍笛”を聴いていない。木村さんがそれを聴くのは約1年半後になる。もっとも別の千里だが!)
 

巫女舞のメンツは純代・守恵は早くに決まっていたが、3人目のセナは花嫁の梨花さん自身の指名である。
 
「ぼくでいいんですか〜?」
「君は女の子だもん。何も問題無い」
 
大神が頷いていた。
 
他に、沙苗・蓮菜・小町が、控室に居る参列者にお茶やお菓子を出す作業をした。この3人まで入れると14人の巫女が参加していたことになる。
 
巫女舞:純代・守恵・セナ
三三九度:乃愛・花絵
音楽:治子・美遙・典代・恵香・千里・亜耶
補助:沙苗・蓮菜・小町
 
これ以外にも実は美那と玲羅が神社の受付と巫女控室でお留守番をしていた。結果的に16人もの巫女がこの小さな神社に居たことになる。
 

狩衣を着けた和弥が先導して新郎新婦の親族・親友など合計40名ほどを拝殿にあげる。この中に広海が居る。
 
拝殿にあげる前に千里が大幣(おおぬさ)で参列者のお祓いをした。また例によって変なの憑けてる人がいたので粉砕しておいた!千里としてはサービスで祓ってあげている訳ではく単に「神聖な拝殿に変なのは侵入禁止!」と思っているだけである。
 
大神が例によって呆れるような顔をしていた。
 

ちなみに北国では、拝殿は関東関西などのような吹抜ではなくちゃんと壁がある室内である。北陸や北海道で吹き抜けにしたら拝殿の除雪が必要だし、祭礼で凍死しかねない。むろんこの日は火力の強いストーブを5個も置いていて、かなり暖かい。
 
千里はこの暖かい拝殿に入る前の拝殿下、渡り廊下の端で雑霊を祓ってしまった。
 
雅楽の演奏に合わせて、乃愛と花絵が先導し、新郎・新婦が入場してくる。新郎は羽織袴、新婦は白無垢に綿帽子をかぶっていた。そして純代が先導して衣冠姿の祭主・翻田常弥宮司が入ってくる。
 
雅楽の演奏が流れる中、祭主が祝詞を奏上する。和弥はそばに控えていて、拝礼や拍手は祭主と一緒に行う。
 
この祝詞が物凄く長かった。千里がこれまで聴いた中で、最高の長さだと思った。
 

三三九度が行われる。
 
花絵が提子(ひさげ)を持ち、乃愛が銚子(ちょうし)を持つ(*15).
 
和弥が素焼きの杯(*16) を3つ重ねた三方(*17) を持って来る。新郎の前に掲げるので、新郎はいちばん上に載っている小杯を取り、これに乃愛が3度に分けて銚子でお酒を注ぐ。この時、最初は少しだけ、2度目はたくさん注いで3度目は少しだけ注ぐのが古来の作法である(*18).
 
注がれたお酒を新郎が3度に分けて飲む。杯を和弥がいったん受け取り、新婦に渡す。乃愛が3度に分けてお酒を注ぐ。新婦が3度に分けて飲む。杯をいったん和弥が受け取り、再度新郎に渡す。乃愛が3度に分けてお酒を注ぐ。新婦が3度に分けて飲む。杯を和弥が受け取り、台の下に置く(*19).
 
和弥が三方を新婦の前に掲げるので今度は新婦が中杯を取る。この中杯は新婦→新郎→新婦とリレーされて、小杯と同様にお酒が注がれそれを飲む。
 
中杯まで終わった所で、花絵が持つ提子(ひさげ)から、乃愛の持つ銚子(ちょうし)にお酒が追加される(*15).
 
和弥が三方を新郎の前に掲げるので新郎が大杯を取る。大杯は新郎→新婦→新郎とリレーされて、小杯・中杯と同様にお酒が注がれそれを飲む。
 
使用した日本酒は市内の神居酒造の特上品“純米大吟醸酒コタンピル”である。素焼きの大中小の杯は桐の箱に入れ挙式の日付を記入して新郎新婦に記念品として渡される(*16).
 

三三九度の後は、木村さんの鞨鼓、千里の太鼓、亜耶の箏、恵香の龍笛、美遙さんの篳篥(ひちりき)、典代さんの笙(しょう)(*20) の合奏が行われる中、純代・守恵・セナによる巫女舞が奉納された。純代が要(かなめ)の位置で舞う。
 
この後、指輪交換・誓詞奏上が行われ、親族堅めの儀が行われた。親族の持つ素焼きの杯にお酒を注ぐのは、乃愛と花絵が行う。この杯も結婚式の記念品となる。未成年などお酒が飲めない参列者(白い花を付けている)にはサイダーを注いだ。
 
最後に新郎新婦による玉串奉奠(たまくじ・ほうてん)が行われ、祭主のお話があって、式は終了する。
 
純代の先導で祭主が退場、乃愛と花絵が先導して新郎新婦が退場し、最後に和弥が促して参列者が拝殿から退出する。千里と守恵で参列者に記念品や撤饌を渡した。親族控室にはセナが案内した。
 
市内の写真館の人の手で記念写真が撮影され、その後、一同は祝賀会をおこなう市内のレストランにバス2台で移動した。花絵が旭川から来た3人によくよくお礼を言って、謝礼を渡して送り出す。
 
(巫女16人の記念写真は、式が始まる前に和弥の手で撮影されている)
 
乃愛・亜耶・守恵・花絵は友人として祝賀会にも出席するので巫女衣装を脱いでドレスに着替えていた。宮司と和弥も出席するのでドレス・・・ではなくスーツに着替える(和弥のドレス姿は見てみたい気もするが宮司のドレスはやめてほしい)。神社は千里に!任せて宮司や乃愛たちは一緒にレストランに向かった。
 
純代・恵香・沙苗・セナ・美那も帰宅したので、宮司さんたちが戻るまでは、千里と蓮菜、玲羅、小町、それに宮司の奧さんの林田菊子さんとでお留守番をした。
 
「なんか急に静かになったね」
「このくらいの人数が普段の体勢ですね」
 

(*15) 銚子(ちょうし)は長い注ぎ口が付いているので「長柄銚子」ともいう。お酒を杯に注ぐための道具である。提子(ひさげ)はお酒を持ち運び、また銚子に追加するための道具で注ぎ口は短い。銚子にお酒を追加するのに使われることから「くわえ」「加え銚子」とも呼ばれる。
 
三三九度では大の杯に行く前にお酒の追加が行われる。
 
銚子や提子の素材は、白木のもの、漆塗りのもの、更に蒔絵の施されたもの、また錫製・白銅製などの金属製のものもある。真鍮に金メッキを施したものも見られる。
 
現代では徳利(とくり/とっくり)のことを“お銚子”とも呼ぶが、これは杯に酒を注ぐという機能が、銚子と同じだからで、明治時代に生まれた俗称である。従って、時代劇で「おやじ、お銚子もう1本」と言っていたら誤り。江戸時代にはそういう用法は無かった。
 

(*16) 三三九度に使用する杯の素材は神社によりまちまちである。素焼きの杯、釉薬を使用した陶磁器、漆塗りの杯(多くは木乾製)、樹脂製の杯、また錫製、白銅製、銀製、真鍮に金メッキの杯などが見られるが、他にもあるかも知れない。一般に記念にもらえる所が多いが、もえらない所もあるらしい。記念に欲しい場合、予約の際に確認しておいたほうが良いかも。
 
もらった杯は、筆者個人としては、普段お酒を飲むのに使って良いと思うが、神棚に飾っておけという人もある(邪魔になると思う)。筆者がもらった杯は特に大事な記念品の類いを納めたガラス戸付きの棚に置いている。
 

(*17) お正月の鏡餅を載せるのと同様の台であるが、3方向に穴が空いているので三方(さんぼう)という。お寺でも同様のものを使用するが、仏法僧に掛けて三宝と書かれる。読みも「さんぽう」である。神社は濁点、お寺は半濁点。
 
元々は現代でも宴会の時などに使用する膳(銘々膳)と同じ物で、単なる食事を載せる台である。
 
日本では江戸時代から明治まではひとりひとりの前に膳(銘々膳)を置くのが主流だった。明治時代に西洋人がテーブルで食事するのを見て、西洋のテーブルの脚を短く切った“ちゃぶ台”が一般家庭で広まっていく。特に関東大震災を契機に倒れにくいちゃぶ台は膳に代わって主流となった。
 
食事の後で食器を洗う習慣は、ちゃぶ台が使われるようになり、大皿が使われ、また食器が共用されるようになってから生まれたものである。それ以前は個人の食器が決まっていて、ずっと自分の膳に載せられたままだったから特に洗うことも無かった。食事の後ごはん茶碗にお茶を注いで飲んで終わりである。
 
1960年代以降は農村改良運動の結果、農村ではテーブルと椅子で食事する家庭が増え、その文化が都会に波及。マンションにはダイニングキッチンが設けられるようになる。一方1980年代以降は家具調コタツが普及し、居間で食事する家庭でもこれがちゃぶ台に取って代わったので、昔風の折畳み脚のちゃぶ台はあまり見られなくなっていった。
 

(*18) ここで乃愛がしたように“鼠馬鼠”といって、少し注ぎ、沢山注いでから、また少し注ぐのが、古式の作法である。陰陽陰という組み合わせで、理にかなっている。しかし近年は少し・少し・沢山と3度目をメインにする神社が多いようだ。
 
小中大杯に注ぐ量を仮に15.30,45 ml とした場合、新郎は15+15+30+45+45=150ml, 新婦は15+30+30+45=120ml のお酒を飲むことになる。古くは新婦から飲み始めたらしいが、新郎が先に飲むようになったのは女性が多く飲むのは辛いからだと思う。
 
1度目と2度目は注ぐ振りだけで3度目に本当に注ぐというのは最近生まれた便法と思われる。
 

(*19) 三三九度は最近は最近、下記のような略式の三三六度?、超略式の三三三度!をする所もあるがP神社はきちんと正式の三三九度をする。
 
●三三六度
小杯に3度で注ぐ→新郎が3度で飲み干す。
小杯に3度で注ぐ→新婦が3度で飲み干す。
(新郎の2度目が略されている)
 
中杯に3度で注ぐ→新婦が3度で飲み干す。
中杯に3度で注ぐ→新郎が3度で飲み干す。
(新婦の2度目が略されている)
 
大杯に3度で注ぐ→新郎が3度で飲み干す。
大杯に3度で注ぐ→新婦が3度で飲み干す。
(新郎の2度目が略されている)
 
●三三三度
小杯に3度で注ぐ→新郎が一口飲む→新婦が一口飲む→新郎が飲み干す。
中杯に3度で注ぐ→新婦が一口飲む→新郎が一口飲む→新婦が飲み干す。
大杯に3度で注ぐ→新郎が一口飲む→新婦が一口飲む→新郎が飲み干す。
 
●三三三度(別流儀:杯を“交わして”ない気がする)
小杯に3度で注ぐ→新郎が3度で飲み干す。
中杯に3度で注ぐ→新婦が3度で飲み干す。
大杯に3度で注ぐ→新郎が3度で飲み干す。
 

(*20) 篳篥(ひちりき)はタブルリードの縦笛で、構造的にはオーボエとルーツを同じくする楽器である。オーボエ同様、習得は結構大変。基本的に主旋律を担当する。これに対して龍笛は一般に副旋律を担当する。
 
笙(しょう)は、17本の長さの異なる竹を縦に立てて束ねた形をしており、その構造はバグパイプなどと似ている。基本的に和音を担当する。習得にはかなりの練習を必要とする。上手く吹ける人は少ない。
 
おなじ“しょう”と呼ばれる楽器でも、子守唄に出てくる“デンデン太鼓にしょうの笛”の“しょう”は漢字では“簫”と書き、これはリコーダーに似た楽器である。子供が簡単に吹きこなせるので、お土産に欲しがるのである。(パンフルート型の“簫”も存在する。そちらのほうが古い)
 
篳篥・龍笛・笙を“三管”といって、雅楽の音律を構成する。雅楽ではこれとリズムセクション“三鼓”(羯鼓・鉦鼓・太鼓)、更に“両弦”(琵琶・箏)で基本構成になる。かつては弦楽器としては和琴(わごん)も入っていたのだが、現代では弾ける人がほとんど居ない(“とりかへばや物語”の時代でも伝承者が少ないと書かれている)。楽器そのものも現代ではほとんど存在しないと思われる。
 
雅楽の合奏では、本文でも述べたが、羯鼓(かっこ)奏者が指揮者の役割を果たすので、概して経歴が長いか身分が上でリズム感の良い奏者が担当する。
 

宮司さんが祝賀会に行っている間は、祈祷希望のお客さんとか来ませんようにと思っていたのだが、いらっしゃった!!
 
鎹(かすがい)さんとおっしゃる方で、市内で不動産業を営んでおられるらしい。しかし最近商売があまりうまく行っておらず、開運厄除の祈祷をお願いしたいということだった。
 
「私自身ここ10年ほどモグラ叩きのように身体のあちこちに異常が出て悩んでいるのですが、今年は息子が大学受験で、夜中勉強しているとラップ音がうるさくて集中できないとか言って。それで息子は忙しいので取り敢えず代表で私だけでもお祓いを受けてこようと思ったのですが、宮司さん、お留守でしたか」
 
と、とても残念そうである。
 
千里が見るに、この人、かなりの量の雑霊を憑けている。これだけ憑けていたら体調も悪いだろうと思った。
 
「でしたら、取り敢えず御祓所で簡単なお祓いだけでもしましょうか。少しは軽減されるかも知れません。家のお祓いでしたら、あらためてそちらにお伺いするように宮司に申し伝えますよ」
と千里は言った。
 
「お願いします」
 
それで千里は蓮菜と玲羅に受付を頼み、小町を連れて鎹さんと3人で御祓所に入った。普段は車祓いなどをする場所である。
 
小町が鈴祓いをする。それだけで結構な量の雑霊が剥がれた。
 
小町が太鼓を叩き、千里が龍笛(TS No.222:千里Yの常用龍笛)(*26) で『清空楽』を演奏した。浄化に特に効果のある楽曲である。
 
そして千里がこの曲を吹いている間に。鎹さんの身体からどんどん雑霊が剥がれていく。千里はそれを視線を向けるだけでどんどん破壊した。雑霊たちの断末魔の声が凄まじい。小町は太鼓を叩きながら
 
「やはり千里さん、すごーい」
と思っていた。
 

千里の演奏は10分ほども続いたが、その間に鎹さんに憑いていた雑霊は全て外され、破壊されてしまった。
 
「なんか物凄くすっきりしました。身体が軽くなった気がします」
 
あれだけ憑けてたらねぇ〜。
 
「そうですか。良かったですね」
と千里は笑顔で言った。
 
「すみません。お代は?」
「このくらい無料で。宮司が祝詞を上げた訳でも無いのに料金など取れませんから」
「分かりました。では家祓いの時にまとめて」
と鎹さんは言って帰って行った。
 

千里は夕方戻って来た宮司に、鎹さんの件を報告した。勝手にお祓いをしたことについて謝ったが
 
「巫女さんがお祓いするのは普通だから問題無い」
と言われた。
 
家祓いの件については、宮司が直接鎹さんに電話して、来週の日曜日、2月20日に行うことになった。
 
「千里ちゃん来てよね(ほぼ千里に頼っている)」
「はい、もちろん」
「花絵、手伝って。さすがに新婚の巫女長を引っ張り出す訳にはいかない」
「りょうか〜〜〜い」
 
梨花は結婚後もこの神社の巫女(巫女長)を続ける。実際梨花に代われる人なんて居ない。宮司でさえ不確かな所のある、様々な神事の次第をしっかり把握している。しかし一応今月いっぱいは“原則として”お休みということにしている。結婚に伴う特別休暇+有休の溜まっていた分を使用する。
 
その間は事実上の巫女No.2である高校生の純代と、宮司の孫である花絵の負担が大きくなる。もちろん千里・蓮菜の負荷も大きくなる。
 

2月14日はバレンタインデーである。女の子も男の子も男の娘も心騒ぐ日である。
 
日本でバレンタインデーのキャンペーンが行われた最初は1958年の新宿伊勢丹でメリーが行ったものと思われるが、この時に売れたチョコはわずか3個だったらしい。しかし1970年代半ば頃から中高生の間で話題になり始め、1980年代になると、完璧に季節の行事となった。
 
初期の頃は好きな人に告白する行為だったが、特にホワイトデーが生まれてからは、恋人や夫婦間で贈る方が主流となった。更に義理チョコ・友チョコ・社内チョコなどまで出来てもはや趣旨不明になりつつある。
 
ということで、受験勉強中の貴司は、千里がどんなチョコをくれるか楽しみにしていたのであった。
 
貴司は年内くらいは土日は神社に行って、倉庫部屋(ここはほぼ貴司の私室と化している)で漫画を読んでいたのだが
 
「さすがに少しは勉強しなさい」
と叱られて、年明けてからは自宅から出ずに一応問題集などをしている。
 
貴司としても“答案に名前さえ書けば通してくれる”U高校にはバスケ部が無いので、何とかバスケ部のあるS高校に入らなければならない。S高校の入試に通るためには最低でも九九が分かってないといけない!ので、貴司は今頑張って小学3年生の問題集をやっているのである!!
 
「はち・しち・・・54? あ、違った」
などとやっているレベルである。
 

2月14日(月).
 
貴司は授業を受けながら心は上の空(うわのそら)で、チョコのことばかり考えていた(どっちみち授業内容はほとんど分からない)。
 
昼休み。千里がチョコを持ってきてくれるかなあ・・・と思っていたが、千里は来なかった。
 
授業が終わり、掃除をして終わりの会をする。しばらく教室に居たが、千里は来ない。
 
貴司は待ちきれなくなり、まずは女子バスケット部が練習しているサブ体育館に行ってみた。千里は居ない。
 
中谷(数子)さんがボールを追いかけてこちらにきた所に声を掛けてみた。
「千里は来てない?」
「村山さんはめったに練習来ませんよ」
「そう?ありがとう」
 

剣道部のほうかなあと思い、メイン体育館に行ってみる。剣道部で練習している千里を見付ける。防具を着けて対戦中である。顔は見えないが“村山”という名札が付いているので分かる。“工藤”という名前を付けた子と対戦している。格好いいなあなどと思って貴司は見ていた。
 
やがて対戦は終わった。千里が勝ったようである。
 
貴司は千里に声を掛けた。
 
「ね、ね、千里。何か忘れ物とかは無い?」
「忘れもの?何だろう?」
と千里は首を傾げている。
 
「今日は何日だっけ?」
「えっと・・・2月16日かな?」
と言って、隣の今対戦した相手の子に訊いている。その“工藤”という名札を付けた女子は
「14日だよ」
と訂正した。
 

「2月14日だって」
と千里は貴司に言った。
 
「えっと、だから忘れ物とかは・・・」
と貴司は言ったが、そこに顧問の先生が来て
 
「村山さん、ここに記入漏れがあるんだけど」
と言った。
「はい、すみません。じゃ貴司またね」
と言って、千里は向こうに行ってしまった。
 
そんなぁ・・・・
 
と貴司は思い、とぼとぼと体育館を出た。
 
今年は他の女の子で貴司にチョコをくれた子は居なかった。他の子とデートしようとすると確実に潰される(*21) ので、ガールフレンドはほぼ居なくなっている。
 
(*21) 貴司の浮気を潰しているのはたいてい“千里Bs”である。“千里Bw”のほうはまだ休眠中である。たぶんあと半年くらいは目覚めない。A大神や千里GはBwは永遠に目覚めず、その内“千里Bs”に吸収されて消滅するのではと思っていた。
 
千里Bw: B-weak 元々の千里Bで消極的で流される性格。『私男の子だしぃ』とくよくよしてる子。長く冬眠していたのは精神的に自滅したため?
 
千里Bs: B-strong 千里Bの怒りから生まれた強い性格の子。積極的で行動的。自分は女だと主張する。貴司の浮気を絶対許さない。Bwの冬眠中、Bsは貴司の浮気を潰したついでに何度も自分が代わりにデートしている。
 
キスをして身体接触もかなり濃厚にしているが、まだこの時点ではセックスには至っていない。でも貴司はだいぶ“触られた”ので、セックスに至るのは時間の問題と思っている。女性関係が続かない貴司が千里とはずっと続いているのはBsと身体の関係寸前の状態にあるためである。
 
心理学的にいえばBw/Bsはお互いにシャドウだと思われる。
 

それで貴司は失意のまま教室に戻り、通学鞄を持って半分意識が飛んだ状態で自宅まで帰った。
 
「ただいまあ」
と言って、家の中に入ると、小学生の妹、理歌と美姫が一緒に宿題をしていて
 
「お兄ちゃん、荷物来てるよ」
と言った。
 
「ありがとう」
と言って、居間のテーブルに載っているものを見ると、差出人“村山千里”である。たちまち心がバラ色になる。
 
それで開けてみると、ロイズのチョコレート・セットであった。
 
「おぉ!」
と貴司は声をあげて、思わずそのチョコレートの箱を抱きしめた。
 
「千里ありがとう!でも直接渡さずに配送するって、なんて奥ゆかしいんだ」
などと思っている。
 
メッセージカードが添付されていて、千里の可愛い字で
「貴司、受験頑張ってね」
と書かれていた。ハートマークが添えられているので、貴司は思わずそのメッセージカードにキスした。
 
兄の行動を呆れて見ていた妹たちは、
「それチョコ?少しちょうだい」
と言った。
 

このチョコの配送手続きをしたのは、千里Gである。Rはバレンタインとかきれいさっぱり忘れている。むろんYはバレンタインなど贈るはずもない。Bwはずっと冬眠しているし、Bsもほとんどの時間寝ている。
 

バレンタインで、蓮菜はむろん田代君にあげたし、留実子はむろん鞠古君にあげた。恵香は野球部3年の山田君にあげた。彼はたくさんもらっていた。玖美子はバレンタインには興味が無い。沙苗はP神社の宮司さんにあげた。
 
セナはかなり悩んでいたが、沙苗に励まされて、剣道部3年の古河君にあげた。ちなみに古河君は、セナが元男の子とは知らないが、彼も5-6枚もらったので、たぶん問題無い。
 

この日(2/14) 千里Yはいつものように、15:10に授業が終わるとすぐに(掃除・終りの会はRに任せて?)S町バス停に出現し、バスでC町まで行く。そしてP神社に入る。
 
神社は現在梨花が休暇中なので、昼間居るのは、花絵と(宮司の奧さん)林田さんだけである。林田さんは原則として内向きの仕事だけをして、神社の表(おもて)には出ない。小町も昼間は小学生の振りをして学校に行っている。
 
それで千里が神社に来ると、受付・兼・御札授与所の所に居た花絵が
 
「ひとりで辛かった。しばらく代わって。少し出掛けてくる」
と言うので、
「着替えてから」
と言い、荷物を巫女控室に置き、シャワーを浴びてから巫女衣装に着替える。千里が巫女衣装で出てくると、
 
「じゃ行ってくるね」
と言って、花絵は出掛けてしまった。千里は受付の所で勉強しながら待機する。
 

花絵が出掛けている間に、昨日龍笛によるお祓いをしてあげた鎹さんが、奧さん?と息子・娘2人ずつを連れてやってくるので笑顔で会釈しながらも少し驚く。家祓いは日曜日にやる予定だったのだが。
 
「あ、いたいた。昨日の巫女さんだ。悪いけど、女房と息子・娘たちにも昨日僕にしてくれたお祓いをしてくれない?」
などと鎹さんは言っている。
 
「少々お待ちください」
 
千里は林田さんに声を掛け、一時的に受付を頼んだ。林田さんは一応女性神社職員の服装である。白衣(しらぎぬ)(*23)に袴だが、緋袴を穿く巫女さんと違って袴の色は松葉色である(*22)。千早(ちはや)も着けていない。
 

(*22) 巫女さんの袴は基本的に緋色であるが、神社の一部には既婚または年長の巫女が茶色の袴を穿く所もある(巫女であれば全員緋色の所も多い)。白・浅葱色(あさぎいろ)(*24) ・紫の袴を穿いているのは巫女ではなく女性神職である。特に紫を穿いていたら多分その神社の宮司か禰宜(ねぎ)さん。とっても偉い人。事務の女性の場合は松葉色や紺色を穿く所が多い。
 

 
実際の色合いは神社によってかなりまちまち。↑は一例である。紫には幾つかランクがあるが、ここでは説明を割愛する。
 
また超上位の神職も白を穿くが、普通の神社には居ない。この意味の白い袴は神社本庁の統理、伊勢の神宮の大宮司のみである。普通の神社で白を見たら、たぶん浅葱色の下のランク。つまり超上位の神職と最下位の神職が偶然にも白なのである。前者はとっても豪華な袴なので見れば区別が付く。見なくても雰囲気で区別がつく。
 
(*23) 巫女さんが着ているものは白衣(しらぎぬ/びゃくえ)、看護師さんが着ているのは白衣(はくい)。どちらも萌え対象である!!
 
何?若い修行中の坊さんが着ている白衣(びゃくえ)にも萌えるって??筆者には分からない世界だなあ。
 
(*24) “あさぎいろ”という色には“浅葱色”と“浅黄色”があるので電話で色名を伝える場合は、とっても注意が必要である。メールでも変換ミスに注意したい。前者は青系統、後者は黄系統の色である。不安な時は“青系のほうの浅葱色”“黄色系のほうの浅黄色”と書いたほうが無難かも。
 

 

千里は鎹さん一家を待合室に通し、ちょうど学校から帰ってきた小町にお茶を出すように言う。
 
「何名様ですか?」
「6名様」
「分かりました」
 
それで千里は宮司の部屋に行った。
 
小町は急いで着替えてからお茶とお菓子を用意して待合室に行く。お客さんは一家で両親と姉兄妹妹の4人きょうだいかなと思ったが、小町はその6人を見て、なんて大量に雑霊を憑けているんだと思った。千里さん、どうもこの雑霊を全部祓うつもりでいるみたいだけど、それ1時間くらい掛かるのでは?千里さん体力持つかなと心配した。
 
一方、千里は宮司に、鎹さんが先日千里がした笛のお祓いを受けたいと言っていると報告した。千里は続けて言う。
 
「それで例えば、宮司に祝詞を上げて頂いて、それとともに私が笛を吹くというのではどうでしょうか」
「うん。そうしようか。巫女舞もしよう」
「それいいですね。長時間笛が吹けるし」
 
それで千里は待合室に戻り、鎹さんに説明すると、それでいいということになった。それで、鎹一家は、ふつうに昇殿して大祈祷(料金3万円)を受けることになった。
 
「玉串を捧げるのを、受験を控えている長男にさせていいですか」
「はい、いいですよ。よろしく」
 

千里は神社深部!に行く。P大神は唐突に千里が来たのでびっくりしている。
 
「大神様、お願いがあります」
「何の用じゃ?」
 
「今から祈祷する一家に**明神の第13秘伝を使いたいのですが、この神社内で使ってもいいですか?」
 
「面白い名前を聴いた。千里なら特に許す。使ってみよ」
 
「はい。ありがとうございます。でもこれを使うと私、かなり消耗して、これからお客さんを拝殿にあげないといけないのに、そこまで余裕が無くなる気がするんです。それで私の影武者を立ててもらえないでしょうか。私の代わりに昇殿して笛を吹いてもらいたいんです。お客さんの先導は小町にやらせます」
 
「・・・・何とかする」
 
「ありがとうございます。お願いします」
 

千里は拝殿に行き、榊を1本台の上に置いた。それから巫女控室に戻り、小町に
 
「今から祈祷するのに、私は身代わりに昇殿させるから、小町がお客さんを先導して」
と言った。
 
「はい。身代わりですか?」
「私と笛の調べが違うかも知れないけど、気付かないふりしてて」
 
「はい、分かりました」
 

それで千里はお客さんを通した部屋の隣の部屋に入った。そして静かに座ると、あぐらを掻き左の足袋(たび)を脱ぐ。
 
右手の中指と左手の薬指で左足の中指を両側から押さえる。そして強い浄化の心を持った。
 
千里の身体の中に光の玉が生まれ、それは襖を通過して待合室の鎹一家を包み込んだ。
 
物凄く多数の悲鳴や断末魔が千里の耳には聞こえる。それとともに一家の各人に憑いている雑霊が消えて行った。
 
千里は足袋を履いたが・・・
 
消えちゃった!!
 

小春は宮司さんからのインターホンで
「お客さんをあげて」
 
と言われたので待合室に行く。すると、お客さんの一家にさっき憑いていた雑霊がきれいに無くなっているので「うっそー」と思う。まさか千里さん、もう除霊しちゃったの?こんな短時間で??
 
とにかく
「ご昇殿下さい」
と言って、お客さんたちを連れて拝殿に向かう。拝殿下で大幣(おおぬさ)でお祓いをするが今更お祓いする必要も無い気がした。拝殿に昇る。一家が着席する。
 
“千里”が先導して宮司が上ってくる。小町は『この千里さんは既に身代わりなのだろうか?』と訝った。本人にしか見えないけど。波動も同じだし。
 

祈祷が始まる。
 
“千里”が鈴祓いをする。でも既に一家はクリアなので、まあ運気を少し上げるくらいの効果はあるかな、と思った。
 
小町が太鼓を叩く。“千里”が龍笛を吹く。持っている龍笛は千里さんが普段使っているのと同じ物に見える(*26). 龍笛が始まった時、宮司が一瞬ビクッとしたような気がした。やはり本来の千里さんとは違うことに気付いたのかな。私には違いがわからないけどと思う。
 
神職の祝詞が始まる。
 
でも龍笛の調べが美しい。こんなのやはり千里さんにしか吹けない。恵香さんの龍笛はむしろフルートっぽいもん。などと思っていたのだが、ずっと聴いている内に普段の千里さんの音とは微妙に違う気がしてきた。それで小町もこれが“身代わり”であることを認識した。凄く似てるけど。
 

やがて宮司の祝詞が終わる。太鼓と龍笛も停まる。
 
その後
「巫女舞を致します」
と千里が言い、龍笛を構える。小町はどうやら、私が舞うということのようだと思う(千里の伝え忘れ)。神職が太鼓の所に行くので、小町は千里の笛・神職の太鼓に合わせて巫女舞を奉納した。神職の祝詞が10分くらい、更に小町の舞が10分くらいなので、合計20分くらい、鎹一家は千里の笛の音を聴いたことになる。
 
一家はどうも千里の笛に聴き惚れている感じだ。素敵な笛だもんね〜。
 
やがて巫女舞が終わる。玉串奉奠(たまぐし・ほうてん)だが、通常代表して父親がすることが多いのだが、この日は長女さんが榊を持って、奉奠をした。
 
宮司が一般的なお話をして、祈祷は終了した。
 

ご祈祷が終わったので“千里”が先導して神職が拝殿を出る。小町が先導して鎹一家も拝殿を出る。小町は御神酒・御札・御守り・撤饌(てっせん)などのセットを神社の白い紙袋に入れて渡すが、
 
「御札(おふだ)は土曜日にそちらの御自宅に神職が行くまでは貼らないでください」
と注意した。
「分かりました」
 
それで一家は
「凄くすっきりした気分」
「何か身体が軽い」
などと言いながら帰って行った。
 

小町が控室に戻ると、やがて千里が入ってくるが
「お腹空いたぁ」
などと言っている。
 
この千里はどうも本物のようだと思う。
 
「小町、私お腹空いたから帰る。もう少ししたら恵香たちが来ると思うからよろしく」
 
「うん。分かった」
 
それで千里Yはセーラー服に着替えて帰っちゃった。千里と入れ替わりに恵香・蓮菜・セナがやってきたので小町もホッとした。
 
「あれ?千里は?」
「さっきまで居ましたけど、お腹空いたと言って帰っちゃいました」
「お腹空くよね。何かおやつ無い?」
「さっき祈祷のお客さんが手土産に持って来て下さった黄金屋の洋菓子が」
「食べよう!」
と言って、鎹さんが持って来てくれた洋菓子の箱を開け、みんなで食べた。花絵の分を取っておくともに、宮司の所にも2個とお茶を、蓮菜が持っていった。
 

神社を後にした千里Yは自宅ではなく、小春の家に瞬間移動で帰った。お腹が空きすぎて、歩いて帰る体力が無かったのである。でもだから蓮菜たちと遭遇しなかった。
 
小春は千里の着けている時計が黄色なのを見て「Yがこちらに来るのは珍しい」と思ったが
 
「千里お帰り。今日は早かったね」
と言う。いつもならYは神社に8時か9時まで居る。
 
「お腹空いたから神社早引きしてきた。お肉食べたい」
 
実は何か食べたかったからここに来た。村山家に行っても食料が無い!
 
「豚肉と鶏肉しかないけど」
「豚肉500-600g食べたい」
「分かった」
 

それで小春は200gの豚肉冷凍バックを3つ解凍し、あり合わせの野菜と一緒にホットプレートで焼いた。普段なら200gで、千里・小春・小糸の分まである。でもこの日の千里Yはもりもり食べて、本当に1人で豚肉600g食べちゃった。
 
小春も小糸も呆気にとられて見ていた。
 
凄い食欲!と小春は思ったが小春は数日後、今度はRの食欲に驚くことになる。
 
「疲れたから寝る」
と千里Yは言って、そのまま小春の部屋で眠っちゃった。
 
「お母さん、私お腹空いた」
と小糸が言うので、
 
「私たちは私たちで食べようね」
と言って、豚肉をもう1パック解凍して焼き、中華麺を2個投入して結果的に焼きそばにした。全部は食べきれないので半分くらいは皿に取ってラップを掛けておき(多分Rかコリンが食べる)、残りを小春と小糸で食べた。
 
小糸がお稲荷さんも欲しいと言うので作ってあげたら、美味しそうに食べていた(小糸は稲荷寿しにハマり中)。
 

少し時間を戻す。
 
“千里Bs”は、A大神様から起こされた(*25).
 
「まだ眠たいのに」
と文句を言いながら、A大神から渡された巫女衣装を着て、同じく大神から渡された龍笛を持ってP神社に出現した。
 
「ああ、ここに来たのは1年10ヶ月ぶりかなあ」
などと社務所入口にある日めくりを見て思う。
 
A大神から宮司さんを先導して昇殿し、P神社の神楽と巫女舞の笛を吹けと言われたなあと思い、まずは宮司さんの部屋に行く。
 
「宮司さん、お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」
と挨拶すると
 
「ご無沙汰?久しぶり?」
と宮司は首をひねっている。
 
だってほんの5分ほど前に話したのに!
 
「昇殿してと言われたんですが」
「うん。行こう」
と言って、宮司はまずインターホンで巫女控室を呼ぶ。小町が返事したので
「お客様をあげて」
と伝えた。
 
小町とお客さんが昇殿したという合図のランプが点くので、千里は宮司を先導して昇殿した。小町が太鼓の所に居る。小町とも久しぶりだなあと思ったが、仕事中なので余計なことは言わない(うん、それがいい)。
 

「鈴祓いをして」とP大神から思念が来るのでお客さんの前で鈴を振る。
 
この人たち充分クリアだから、鈴祓いとかする必要も無さそうと思いながらも、千里は鈴を振った。父母と姉兄妹2人と見たが、母親は疲れている感じ、長女は思い詰めている感じだったので、特にその2人に鈴をよく聴かせるように振った。
 
その後、龍笛を吹く位置に就く。龍笛はA大神から渡されたTS No.200 織姫である。千里はこの“織姫”を吹くのも久しぶりだなあと思った(*26).
 
小町の太鼓が始まり、千里も約2年ぶりとなった、この神社の神楽の曲を吹く。神職さんが一瞬ビクッとしたのは何だろうと思った。
 

約10分間の祝詞が終わった後、P大神から「小町に巫女舞をさせて」という思念がくるので
 
「巫女舞を奉納します」
と言って笛を構える。小町が立って神殿前に進み、宮司が代わりに太鼓の所に就く。
 
演奏が始まるので小町が舞う。これが10分ほど続いた。
 
そして玉串奉奠だが、これは父親ではなく長女さんがした。
 
宮司のお話があり、祈祷は終了する。
 
千里は宮司を先導して拝殿を降り、一緒に宮司室まで行く。そして
「お疲れ様でした」
と言って宮司室を出る。
 
廊下に立った時、向こうから蓮菜・恵香・セナが来るのを見る。
 
「あれ〜、セナがセーラー服を着てる。あの子、ずっとセーラー服なのかな。もう女の子になるつもり?まああの子ならいいよね。女の子になる素質はあったと思う」
 
などと思って楽しくなる。
 
「でもみんな来るなら私は休んでていいよね。まだ眠たいし」
と言って、消えちゃった!!
 

その後、お客さんを連れて拝殿を降りた小町が控室に戻ると、そこにYが出現して
 
「お腹空いたから帰るね」
と言って帰っちゃった。
 
ということで結果的に宮司さんも千里Bsも鎹一家がたくさん雑霊を憑けていた状態を見ていないのである!
 
(くっくっくっくっくえすちょん(しつこい!)玉串奉奠したのは誰なのでしょうか?)
 

(*25) 千里から『身代わりを』と頼まれたP大神は、A大神との“ホットライン”で「休眠中の千里Bを寄越せませんか」と依頼した。それでA大神は、千里Bを起こすことにしたが、実際にはB(≒Bw)は起きずに、Bsが出現した。それで、この子でも多分いいだろうと思い、A大神はBsにP神社の巫女衣装と“織姫”を渡して、「P神社で昇殿して笛を吹いてきて」と言い、P神社に転送した。
 
Bsが来たので千里Yは30mルールにより消滅した。
 
宮司が千里の笛を聴いてビクッとしたのは、笛の音がいつもの千里とは違っていたことと、使用している笛が物凄い極上品であることを認識したからである。
 

(*26) 千里たちは手塩竹笛工房の梁瀬龍五(1916-1996) (*27) が最晩年に製作した龍笛を使用している。
 
No.200 “織姫”
1995年7月に細川保志絵が手塩竹笛工房で400万円で購入した天然煤竹の名品龍笛。保志絵は千里(千里B)の龍笛の腕に惚れ込み、これを(事実上)プレゼントした(法的には預けているだけ)。しかしBが休眠してしまったので、現在千里Vが使用している。
 
千里Vは東京に行く時にNo.224(後述)のほうを持って行ったので、No.200はW町の家に置かれたままであった。A大神は自らのエイリアスをW町の家に示現させ、留守番をしているGに「織姫貸して」と言って借りていき、千里Bsに渡した。祈祷が終わったらBsは消えてしまったので、A大神はW町の家に再度現れてGに返した。
 

No.210“かぐや”Rにリザーブ
No.214 天野貴子が1992-3年頃に札幌の楽器店で80万円で買った。
No.218 梁瀬龍五の遺言により保志絵に贈呈され保志絵が自分で使用している。
No.219 天子にリザーブされている。
No.220“白雪”Yにリザーブ
No.221 A大神が千里Vに渡したがVは224を使っているので221は星子に貸与中
No.222 A大神の指示で小春が千里Yに渡した。後に岸本メイの手で微調整が行われゼロナンバーの龍笛に匹敵する名品となったので“月姫”の名が与えられた。
 
No.224 保志絵がNo.200を買った時におまけでもらった。千里Bに渡したが、Bが休眠してしまったため、現在はVが使用している。
 
No.228 保志絵はNo.224を千里Bに渡すつもりで誤って千里Rに渡してしまった。
A大神の指示により224は小春が回収してBに渡し、Rには代わりにこの228を渡した。
 
No.229 A大神がGに「あんたもこれで練習しなさい」と言って渡した。
 
つまり2005.2現在各千里たちが使用している龍笛は下記である。
 
Y:No.222
R:No.228
G:No.229
V:No.224
星子(Bの影武者)No.221
 

(*27) A大神は梁瀬龍五の腕を評価し、彼の生活支援のため毎年1本彼の作品を購入していた。また彼の死後、作品の価値の分からない息子が「無価値な民芸品」と思って完成品・製作途中のもの・材料を全て廃棄しようとしたのを、廃棄を依頼された業者から丸ごと100万円で買い取り保管していた。
 
それでA大神の手元には数十本の手塩工房の龍笛が存在する。制作中であった10本は、弟子の岸本メイ(栃木県那須町)に依頼し、数年掛けて全て完成させた。
 
梁瀬龍五がひとりで全て完成させた最後の作品はNo.230“銀河”で、これを完成させた後、No.228を作り、No.229を製作している最中に龍五は亡くなった。229を完成させたのはメイである。228もメイの手で調整が掛かっている。
 

2月17日(木).
 
留萌市内の私立校高・U高校の入試が行われた。S高校に行きたい貴司も念のため滑り止めでここを受験した。
 

ところでこの時点のS中2年生の男女別“在籍”者数はこのようになっている。
 
1組女子12名(セナと沙苗を含む。小春を含まない)
___男子16名(公世と雅海を含む)
2組女子11名
___男子15名(鞠古君を含む)
3組女子13名(留実子を含む)
___男子15名(司を含む)
 
学籍簿上の性別で数えると女子36名・男子46名である。
 
しかし体育の授業では雅海は女子として扱われているため、女子37男子45となる。
 

2月18日(金).
 
S中でスキー大会が行われた。
 
ここしばらく暖かい日が続いて、雪の少なくなっている場所もあったのだが、今週までなら何とかなりそうということで、この日実施された。
 
滑降、回転、大回転、距離(3km,5km)、ジャンプという種目ラインナップになっている。まず滑降は全員参加で、もう1種目、距離かジャンプに出る。回転or大回転は参加希望者のみである(どちらか片方)。つまり最低2種目、最大3種目に出る(リレー代表を除く)。なお回転か大回転に出た人は、ノルディック(距離・ジャンプ)はパスすることができる。
 
千里は昨年5kmを走ったのだが、今年はジャンプに出てと言われた。
 
「嫌だぁ!死ぬぅ!」
と叫んだが
 
「この中学が始まって以来スキー大会のジャンプ競技で死亡した生徒は居ないらしいから」
と言われた。
 
「私が最初の1人になるかも」
「東京タワーの頂上から落としても死にそうにない顔してるけど」
 
(うん、たぶん死なない)
 

午前中はひたすら滑降競技が行われた。2年は女子37男子45で、6人ずつ滑るので、女子7組、男子8組の予定である。
 
「すみません。ぼくが女子に入ったから1組増えちゃって」
と雅海は広沢先生に言ったが
「雅海ちゃんは女の子なんだから何も気にする必要無いよ」
と答えた。
 
「ぼくが男子に行きましょうか?」
と留実子が訊いたが
「花和君は射精するようになったら男子に行こう」
「努力します」
 
でも男子たちの間では、留実子は毎日オナニーして射精しているという認識がある!
 

そういう訳で、女子は37人を 6×2 + 5×5 としたはずだった。
 
でも実際には 6人の組は2組 ではなく4組で5人の組が3組だった。ということは全部で 6×4 + 5×3 = 39人滑ったことになる。
 
「人数が合わない」
と鶴野先生が悩んでいたが、広沢先生は
「この学年は去年も合わなかったから問題無い」
と言って笑っていた。
 
鶴野先生は、もしかしたら公世ちゃんと司ちゃんが女子で滑ったのかもと思った。実際には、千里が2人滑ったのと、(座敷童子の)小春も出場したからである。
 

なお1年生の潮尾由紀(よしのり)は男子の所に並んでいたら
 
「君。女子は向こうだよ」
と言われた。すると男子たちが
 
「潮尾さん、向こう行かなきゃ」
と言い、女子たちも
 
「由紀(ゆき)ちゃん、こっちおいで」
と言うのでそちらに行き、めでたく女子として滑った。
 
ということで、1年生も人数が合わなかった。
 
司や公世も「女子は向こう」と言われたが
「ぼくは男子です」
と主張して、男子の組で滑った。
 

ログハウス構造のヒュッテで交替でお昼を食べてから、午後の部になる。
 
最初に大回転、続いて回転が行われた。
 
ちなみに回転(スラローム)と大回転(ジャイアント・スラローム)の違いは旗門の数で、回転の方が旗門はずっと多い。つまり回転はちょこまか曲がる技術系の競技で、大回転は曲がりが少なくスピード勝負の競技である。だから国際大会でかつて日本人は大回転では勝てず、回転のほうで活躍していた。近年は更に旗門が少なく滑降に近い、スーパー大回転(スーパー・ジャイアント・スラローム)も行われている。
 
留実子は大回転で圧倒的トップであった。留実子はパワー型なので、技術系の回転より、曲がりが少なくスピード勝負の大回転のほうが得意である。回転のほうはスキー部の女子が優勝した。
 
回転の旗門は大回転の旗門の倍の数があるのだが、大回転の旗門は左右1本ずつ2本立てるのに対して、回転では一般に外側の旗門を“仮想”として省略する。それで結果的に使用する物理的な旗門の数は(ほぼ)同じになるのである。
 
だから大回転と回転では旗門は追加・回収の必要はあまり無く、単に移動させればよい。(青青)-(赤赤)→青赤青赤のようにする。この設置・移動・撤去は、設営担当の先生たちとスキー部の生徒でおこなった。
 

その後、距離(クロスカントリー)3kmが行われる一方でジャンプが行われる。2年1組女子でジャンプに出るのは、千里、恵香、佐奈恵の3人である。千里はジャンプ台に来てからも
 
「怖いよー、怖いよー」
と言っていた。
 
「剣道全国3位の人が何を怖がってる?」
「剣道じゃ、こんな高い所から飛ぶ技(わざ)なんて無いもん」
などとやっている。
 
つまりここに居るのは千里Rである。YはRが居ると30mルールで出現できない。滑降の時はRが滑っていった後でYが出現したのでYも滑ることになった。
 
千里が滑走しないので後ろの方から「まだぁ?」という声も掛かる。結局
 
「往生際が悪い」
と恵香から言われて背中を押される。それで
「きゃー!!」
と悲鳴をあげながら滑走。空に飛び出す。
 
一応前傾姿勢は取るがまだ悲鳴をあげている。
 
そして・・・
 
K点のかなり先に着地した!
 
(あまりの怖さに“飛んだ”んだと思う)
 
「千里すごーい!」
と言われて計測される。
 
「スキー部でもこんなに飛ぶ子は居ないよ」
「さすが剣道全国3位」
 

ということで物凄い記録が出た。
 
「千里凄いね」
と言って、計測していた3年生の柴田久子(バスケ部)が近寄るが、千里の様子が変である。
 
「千里!?」
 
久子が千里の顔の前で手を振るが反応が無い。
 
「ちょっとこの子立ったまま気絶してるよ」
「え〜〜〜!?」
 
「僕が本部まで連れてく」
と言って、鞠古君がスキーを外した上で千里を抱えてジャンプ台の脇を登り、本部まで連れて行ってくれた。千里と鞠古君のスキーは恵香と佐奈恵が運んだ。
 
保健室の清原先生が千里の血圧・脈拍・酸素量を見たが正常なので、
 
「多分少し置けば意識回復する」
ということで放置される。
 

「全くもう」
と言って小春が寄ってきて千里の身体にタッチしたら目を覚ました。
 
「私寝てたのかな?」
「死んではいなかったよ」
 
「今何かした?」
と清原先生。
 
「ハイバネートしてたのでレジューム掛けました」
と小春。
 
「まるでパソコンみたいね」
 

千里はジャンプで圧倒的優勝だったので
「凄いよ、千里。来年も出てね」
と言われ
「絶対嫌ー!」
と泣いていた!!
 

スキー大会も終わり掛け、最後の競技、学年縦断15kmリレーが行われていた。
 
同じクラス番号の代表で、1年→2年→3年とたすきをつなぐ形式である。先に行われた女子では、3組が2年の留実子が他の2人に大差を付け、3年でもそのリードが死守されて優勝した。
 
例によって「男子が出るのずるいよな」とは言われたが!
 
続けて男子のリレーが行われたのだが、その途中、コースの下り坂上端で監視をしていた牧野先生から本部に連絡が入る。
 
「双眼鏡で見ていたら、上の方に少しクラック(*28) が発生しているようなんですよ。危険じゃないですかね?」
 
「やばいな」
「中止させようか」
「でもこの競技で終わりですよ」
などと先生たちが言っていたのだが、木原光知校長が決断する。
 
「中止しよう。今走っている生徒が戻ってきたらそこで終了」
「分かりました」
 
レースは2年生が走っている所だった。3年生の走者には中止を告げる。そして2年生の帰還を待つ。
 

(*28) 積雪に発生しているひび割れ。積雪がそこで千切れようとしているものであり、全層雪崩の前兆として極めて危険な兆候。ほかに多数のスノーボールが転がってくるのも危険な兆候である。また、雪の庇(ひさし)ができているのは表層雪崩の原因になりかねない状態。
 
雪崩には、主として表層雪崩・全層雪崩の2種類がある。(*29)
 
表層雪崩は急に雪が降ったり冷え込んだ時に発生しやすく、スピードが速くて(100-200km/h) 遠くまで到達する(見通し角18度)。だいたい1〜2月頃の厳寒期に発生する。
 
全層雪崩は暖かくなり雪が弛んできた時に発生しやすい。スピードは表層雪崩よりは遅く(40-80km/h) 、到達距離も短い(見通し角24度)。だいたい春先に発生する。
 
つまり気温が急に下がった時に表層雪崩が起きやすく、気温が上がってきた時に全層雪崩が起きやすい。
 

(*29) 更に恐ろしい“ホウ雪崩”というものもある。ホウラ、アワ、アイなどとも呼ばれ、鈴木牧之『北越雪譜』(天保8年)にはホフラと書かれている。極めて大量の雪が200km/h ほどの高速で滑り落ちてくる。
 
1938年には黒部第3ダム建築現場でホウが発生し作業員宿舎を直撃。鉄筋コンクリートの上に増設された3〜4階の木造部分が雪衝突の衝撃で600mも先まで吹き飛び、84人もの死者を出している。
 
この雪崩を含む、黒3ダム建築の様子については、吉村昭『高熱隧道』に詳しい。
 
ここは元々、戦時中の電力不足解消のため国家的急務の事業としてとても危険な現場で工事が敢行されていた。超高温の岩盤の中にトンネルを通すため、穴を掘る人に水を掛けながら作業をし、その水を掛けている人にまた水を掛ける人がいるなどという凄い現場だった。あまりの高温のためダイナマイトの自然爆発もよく起き多数の死者が出ている。上記著作には自然爆発を防ぐため様々な試行錯誤をする様子なども書かれている。
 
そんな中でホウで大量の犠牲者が出て、しかも死者数と遺体数(バラバラの人体断片を組み合わせて「これで1人」としていったもの)を何とか合わせ付けて葬儀までした後から、もう1体、遺体が発見される。それで作業員たちと建設会社との間に不穏な空気が流れ現場指揮者が交替した・・・と上記著作には書かれている。ノンフィクション小説なので、どの程度真実を反映しているかは不明。しかしホウの恐ろしさがよく分かる。
 
 
前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6 
【女子中学生・冬の旅】(4)