【夏の日の想い出・龍たちの伝説】(6)

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「Mちゃん、Mちゃん」
と呼ぶ声に西湖Mは意識を戻した。
 
「大丈夫?」
と心配そうに自分を見詰めるFの顔がある。そのそばには《こうちゃんさん》もいる。そして
 
「お前、この機械使ったの?」
などと言っている。
 
「はい。使いましたけど」
「俺が来るの待ってたら、こんな痛い目に遭わなくて済んだのに」
「へ?」
「我慢できずに自分で去勢してしまったのか」
「どういう意味ですか?」
「だって無痛去勢機使ったんだろ?もっとも無痛なんて大嘘でかなり痛いんだけど。切断した後で麻酔を打つという不可思議な仕様だから」
 
「これ自動オナニーマシンじゃないんですか?」
「これは無痛去勢機だ」
「うっそー!?だってアイさんはAOMはオートマチック・オナニズム・マシンだとか言ってましたよ」
 
「ああ。確かにそれもAOMだが、こちらは Analgesic Orchiectomy Machine, 無痛去勢機だよ。確かにどちらもAOMだな」
 
「え〜〜〜!?」
「だいたいオナニーなら、金玉まで入れる必要なかろう?チンコだけで充分じゃないか」
「でも穴の空いてるのは男性用自慰機だって、アイさんが」
 
「自動自慰機なら、チンコだけが入る小さな穴が空いている。自動去勢機は去勢が目的だから、当然金玉まで入れる大きな穴が空いている」
 
「あ」
 
その時Fは確かにアイが「小さな穴」と言っていた気がした。私の勘違いで、Mちゃんを去勢しちゃった?
 

「でもどうせ俺が来たら去勢されていたんだから、問題無かろう」
と《こうちゃんさん》は言った。
 
「僕どうなったの?」
 
「これは旧型だから金玉だけを取る。新型ならチンコも切った上で割れ目ちゃんまで形成する」
 
と言って、《こうちゃんさん》は機械を西湖Mの股間から取り外した。
 
(アイが芸人クラウドに使用したのもこの旧型。設計図を捨てたのでもう生産できない)
 
ちんちんは無事である。
 
「良かったぁ、ちんちんがある」
と西湖Mは安堵する。
 
でも袋の中のタマタマは無くなっていた。
 
「玉だけが無くなっているな。良かったな。旧型で。まだチンコは無くしたくなかったろ?」
 
「ちんちんは無いと困ります」
 
「ちょっと喉貸せ」
と言って《こうちゃんさん》は西湖Mの喉に何かを当てていた。
 
これ・・・・似た感覚を体験したことがある。
 
そうだ。女子高であるS学園に入ることになって悩んでいた時、丸山アイさんと遭遇して、アイさんが僕の喉に手を当てて何かしていた。あの時の感覚に似ている。
 
「これで声変わりはキャンセルしたぞ」
と《こうちゃんさん》が言った。
 

西湖Mはおそるおそる声を出す。
 
「どうかな?」
「あ、女の子の声に戻ってる!」
 
「良かったな。それに玉は無くなったから、もう声変わりが来ることはない。精液の方も採取できたようだし」
と言って、西湖のちんちんの先から精液採取容器を取り外した。
 
「まあ、お前も完全な女の子になりたくなったら、いつでも俺を呼べ」
「はい。もしアクアさんが性転換したら僕も性転換して下さい」
「お前のそのアクア依存症はどうにかした方がいいと思うが、その時はそうしてやるよ」
「はい」
 
「それから、お前、玉が無くなったから、これまでお前の睾丸の男性ホルモンとFの卵巣の女性ホルモンでバランスしてたのが、Fの卵巣の女性ホルモンだけになるから、お前もバストが膨らむぞ」
 
「そのくらいはいいかな」
「よしよし」
 
そんなことを言っていた時、《こうちゃんさん》を呼ぶ、龍虎たちの声がある。
 
「すまん。ちょっと呼ばれてるからまた」
と言って、《こうちゃんさん》はAOMと精液の入った容器を持つとどこかに行ってしまった(つまりAOM内に収納された西湖Mの睾丸も彼が持ち去った)。
 
これが11月1日の深夜のことだったのである。
 

「あはは、お前、そんなことで悩んでいたのか?」
と東郷誠一は、深刻な顔をして相談してきた妻の前で大笑いした。
 

「かなちゃん、そんなことで悩んでたの?ごめんごめん」
と春朗は涙を流しながら、自分は浮気をした覚えは無いと訴えてきた妻に明るく答えた。
 
「もしかして、はるちゃん、実はAB型じゃなかったとか?」
「AB型だよ」
「だったら」
「僕はシスAB型なんだよ」
「何それ?」
と佳南が訊くので、春朗は説明をした。
 
「そもそも血液型がA型だというのは、赤血球の表面にA抗原があること、血液型がB型だというのは、赤血球の表面にB抗原があることを言う。AB型の場合は、A抗原とB抗原の両方があり、O型の場合はどちらも無い」
 
「よく分からない」
 
「理解してもらえないと説明が進まないんだけどなあ。それで人間は精子と卵子が合体してできているから、血液型の遺伝子の座は精子由来の座と卵子由来の座が1つずつある。それで両方にA因子があるAAはA型になり、片方がAで片方がOになっているAOでもA型になる。B因子も同様」
 
と言って、春朗はホワイトボードにこういう図を描いた(↓再掲)。
 

 
「ほとんどの人の血液型を決めているのはA因子・B因子・O因子の3種類なんだけど、実はもうひとつ、非常に数は少ないんだけどAB因子というのがあって、これは遺伝子の座の片方だけにあっても赤血球表面にA抗原・B抗原の両方を作りAB型の性質を示す。このAB因子を持っている人はもう片方が何の因子であってもAB型になるんだよ」
と言って、春朗は
 
AB/O →AB型
AB/A →AB型
AB/B →AB型
AB/AB→AB型
 
と書き加えた。
 
「ごめーん。私全然分からない」
「困ったなあ。これ君のお母さんにも説明してもらわないといけないのに」
 
「例えば僕の祖父さんの上田正はO型だけど、祖母さんの上田葉子はAB型。そしてうちの母・京はAB型。
 
「じゃ、やはりAB型とO型の両親からA型・B型以外が生まれることもあるんだ!」
「シスAB型の場合はね」
「良かったあ」
と佳南は胸をなで下ろした。
 

実はこの問題は春朗と礼江が2人だけでこそこそと話し合い、こういうことになっていたのだろうと推測していた。↓がその推測図である。
 

 
上田葉子がAB/OのAB型だったので、正がOO型であっても京はAB/OでAB型になっていた。そして信幸・信繁はB型だが、BO型だと推定される。それで春朗・礼江はAB/OのAB型であった。そして3人の子供は次のような組合せで生まれたのである。
 
春朗(AB/O)×真友子(A/B)→稲美(AB/AまたはAB/BでAB型)
春朗(AB/O)×富(B/B or B/O)→月花(B/OでB型)
春朗(AB/O)×佳南(O/O型)→宏文(O/OでO型)
 
シスAB型というものを知らないと、とっても悩むところであった。
 
「まあ私はAB/BのAB型の可能性もあるけどね」
と礼江。
「それはお前が子供を産んでみないと分からないな」
と春朗。
 
「真友子はAB型だから、お前がA型の子供を産んだら確実にAB/O。B型やAB型の子供を産んだ場合はどちらもあり得る。O型はたぶん生まれないけど万一生まれた場合は真友子もシスAB型でAB/O×AB/Oだったことになる」
 
「あまり産む自信無いなあ」
と礼江は言った。
 

「え〜?それじゃAB型とO型からA型・B型以外が生まれることあるんだ?」
と貞子は驚いて言った。
 
「当時正さんは悩んでね。周囲が奥さんは浮気したに違いないと言う中、自分の妻は絶対に不貞などしてないと頑張って。血液型の世界的な権威と言われた東大名誉教授・古畑種基さんに相談した。それで『これはシスAB型である』と鑑定してもらって、奥さんの潔白が証明された」
 
と東郷誠一は語る。
 
「でもよく奥さんの潔白を信じたね」
 
「上田正という人は、愛する人に全てを捧げる男だった。だからあの人は浮気の歌を1曲も書いていない」
「へー!」
 
「純情とか純愛とか献身とか、そういう歌をひたすら書いているね」
「それはそれで凄い気がする」
と貞子は言った。
 
しかし京さんが「女は結婚した方が幸せ」と母親の一畑葉子さんから言われていたというのは、葉子さんが夫に深く愛される幸せな結婚をしたからなんだろうなと貞子は思いをはせた。
 

その日、松田理史はΛΛテレビからЯRテレビへ移動していた。両社はどちらも六本木にあり、距離も1kmちょっとで歩いて15分くらいで行ける(実は赤坂の##放送もわりと近くでΛΛテレビから20-30分で行ける)ので結構歩いて移動するタレントさんが多い。
 
できるだけ三密は避けているのだが、どうしても人口密度が高いので人が多い。それで歩いている最中に向こうから来た女性とぶつかってしまった。
 
「すみません」
「ごめんなさい」
と言葉を交わす。あれ?聞いたことのある声だと思った。地面に何か落ちてる。パスポート!?
 
「君!落としたよ!」
と言ったが彼女は気付かないようだ。
 
名前で呼びかけないとダメかな?と思い、理史はパスポートを拾うと最初のページを開く。長野龍虎??
 
「長野さん!」
と声を掛けると、振り返ったのはアクア!?
 
「あ、松田さん」
と彼女(?)はこちらを見て微笑む。
 
理史はパスポートのページに目を落とす。性別Fと書いてあるぞ!?
 

「これ落としたよ」
「きゃー!ありがとう。こんなの落としたら大変だった」
と言って彼女(?)は、パスポートを受けとる。
 
「あれ?君はもしかしてマクラちゃんとか?」
「うん、よく分かったね」
 
「もしかしてアクアちゃんと同姓同名?」
 
アクアの本名は世間的には田代龍虎ということになっているが、実は苗字は長野であることを、彼と長い付き合いである理史は知っている。
 
「実はそうなのよ。うちの親とアクアの親は一時期お互いに連絡が取れない状態になってたから偶然同じ名前付けちゃったのよね」
「なるほどぉ」
 
「生まれた場所は違うんだけどね。あの子は神奈川県の町田市、私はペンシルヴェイニヤ州で生まれている。だから実は私は、日本のパスポートとアメリカのパスポートと両方持ってる」
と言って彼女は白頭鷲の紋章の付いたパスポートをバッグから取り出して見せた。
 
「二重国籍か。でも町田市は神奈川じゃなくて東京都だけど」
「え〜?そうだった?アクアの出生地は神奈川だよって私、随分人に言っちゃった」
「あはは」
 
「近い内にアメリカに移動するの?」
「うん。憂鬱なんだけどね。向こうに到着したら2週間は自己隔離。家族以外の人と会ってはいけない」
「日本に来た時もそうだったでしょ?」
「そうそう。ホテルに2週間缶詰。大変だったよ」
「ほんとに大変だね!」
 

「日本には時々来てたの?」
「実はアクアの代役をだいぶやらされていた」
「こんなに似てたら、やらせたくなるだろうね!」
 
「アクアは実は女の子なのでは?という噂が広がった原因のひとつは私だって気がするよ。私、生理用ナプキンとか使うしさ」
 
「ああ、それはありがち」
と言ってから、理史は試しに言ってみた。
 
「良かったら、メールアドレスとか教えてくれない?」
 
「いいよ」
と彼女は快く応じて、自分のiPhoneを開き、QRコードを表示させた。それを理史は自分のXPeriaで読み取り、確認のためEメールとショートメールを送る。マクラのiPhoneが都度鳴る。Eメールにはワンティスの『紫陽花の心』、ショートメールには同じくワンティスの『疾走』のメロディが鳴った。へー。ワンティスとか好きなのか?と思った。ともかくもこれで彼女のiPhoneに理史のメールアドレスと電話番号が記録される。
 
「じゃまた会える機会があったら」
「うん。気をつけてね」
「お互いにね」
 
なお、2人ともマスクで顔が半分隠れていることもあり、2人に気付いた人は居なかったようである。
 

政子は大輝におっぱいをあげながら、片手であやめと遊びつつ、漫画を読みながらポテチを摘まみながら、音楽を聴きながらネットの書き込みを見ていたのだが(器用だなと思った)、唐突に言った。
 
「ねぇ、冬、パワーパフガールズでさ」
「うん」
「お砂糖、スパイス、素敵なものいっばいって言うじゃん」
「うん」
「あれマザーグースだよね?元ネタ覚えてる?」
「覚えてないけどすぐ出ると思うよ」
と言って、私は本部屋から英語版のマザーグースを持ってくると該当ページを開き読んであげた。
 
What are little girls made of?
Sugar and spice,
And everything nice,
That's what little girls are made of.
 
小さな女の子は何でできてるの?
砂糖、スパイス、そして素敵な全てのもの。
それで小さな女の子はできてるの。
 
What are little boys made of?
Snips and snails,
And puppy dog tails,
That's what little boys are made of.
 
小さな男の子は何でできてるの?
切れ端、カタツムリ、小犬のしっぽ。
それで小さな男の子はできてるの。
 

「切れ端って何?」
「男の子ってなんか訳の分からないものの切れ端をよくポケットに入れてるじゃん。木の切れ端とか、消しゴムのかけらとか、おもちゃから外れたバネとか」
 
「ああ、そうかもね」
と言ってから政子は
「ラウディラフボーイズは脇毛を使ってたね」
という。
「それも切れ端かもね」
 
政子は何か考えていた。
 
「ね、ね、人間を作るのって面白そうだよね」
「マーサ、その大輝ちゃんを作ったばかりじゃん」
「そうか。そういう製造方法もあるか」
「ケミカルXは無いしね」
「ドラえもんでのび太がしずちゃんに『一緒に作ろうよ、赤ちゃん』と言って怒らせた時は材料はどんなんだったっけ?」
 
「まあドラえもんは割とその手の際どいジョークが多いよね。あれはね」
と言って私はドラえもんの本(8巻)を持って来て確認する。
 
「石鹸の脂肪、釘の鉄、マッチの燐(りん)、鉛筆の炭素、それに硫黄とマグネシウム」
 
「硫黄とかマグネシウムってどうやって手に入れるんだっけ?」
「硫黄は鉱石標本から、マグネシウムはお祖父さんのカメラのフラッシュから」
 
「全然身近な材料じゃない。今では手に入らないものばかり。だいたいマッチが家に無いし、見たこともない子が多い、チョークなんてふつうの家には無い」
 
「メモ書きもホワイトボードだしね。フラッシュも昔みたいに使い捨ての燃焼型じゃなくて、電気式の再利用可能なものしか使わないし(**)」
 
(**)マグネシウムを使用した閃光粉(Flash Powder)は撮影助手がカメラのシャッターに合わせて燃焼させる方式のもので1880-1930年代に使用された。1930年代からはアルミニウムを燃焼させる方式で撮影者がカメラのシャッターと連動して発光させられる“閃光電球(flash bulb)”に取って代わられるが、これも使い捨てである。プリントごっこに使用されていたのがこの閃光電球。
 
再利用可能なエレクトロニック・フラッシュ別名ストロボ(Strobo:商標)が普及するのは1980年代からである。発明されたのは1960年代だが初期のものは光量が小さく用途が限定されていた。
 
つまり閃光粉が使用されていたのは昭和初期!までと思われる。ドラえもんの連載開始は1970年で当時10歳だったとすると当初ののび太は1960年生まれ。お祖父さんは1900-1910年頃の生まれかも知れないから、その青年期はフラッシュパウダーの時代だったかも。
 

「じゃ今では人間製造機は使えないね。というか22世紀で使えたとは思えない」
「まあこの漫画が書かれたのは1975年だし」
 
「じゃ宿題で人間を作りなさいと言われたら、セックスするしか無いのかなあ」
「そんな宿題は出ないと思うけど」
 
でも政子は、結局マザーグースの詩をベースにして
「How to make a cute girl」
という詩を書いたのである。ただし「材料:男の娘」というのは却下したので、ぶつぶつ言いながら、書き換えていた。
 
「これ曲を付けて」
「時間が取れた時にね」
 
「これでミュータントができて、やめろー!僕はお前の親だぞ!とかならないよね?」
 
「実行しなければ大丈夫だと思うけど」
 

「やめてー!助けて!」
と綾香は悲鳴をあげた。
 
「ごめん。僕に近寄らないで。身の安全が保証できない」
とアイは言った。
 
さっきから既にテレビを爆発させ、パソコンを3台破壊し、窓ガラスもたくさん割れている。とにかくアイが視線をやった方角にあるものが破壊されてしまうのである。
 
「雅希ちゃん、こっちへ」
と楠本京華が綾香の手を引いて何とか部屋の外に脱出した。
 
「しーちゃん居る?」
と京華が叫ぶと、江川詩浮子が姿を現す。
 
「江川さん?今どこから」
「細かいことは気にしない」
「これどうしよう?」
「早紀は日本一の霊能者だから、早紀を停められる人は居ないと思う」
と江川詩浮子。
 
「しーちゃんにも無理?」
「私にも抑えられない。いっそあの子を殺すことならできるけど」
 
相打ちになるだろうけど、と詩浮子は心の中で付け加えた。
 
「それはやめて!」
と綾香が言う。
 
「不確かだけど、できる人がいるとしたら羽衣さんくらいしか思いつかない」
「呼べるかな?」
 
江川詩浮子は部屋の中に向かって叫んだ。
 
「早紀、羽衣さんはどこにいるか分かる?」
「択捉島の**市の**という酒場にいる」
「あそこか。私が呼んで来る」
と言って江川詩浮子は姿を消した。
 
「どこ行ったの?」
「気にしない」
と楠本京華は言った。
 

20分ほどで、羽衣が来てくれた。
 
「何事だ?」
「早紀が暴走してるんです。自分でコントロール利かないみたいで、とにかくあの子の視線が向く方角にあるものが破壊されるんです」
と楠本京華は羽衣に説明する。
 
「様子を見る」
と言って羽衣はドアを開けた。
 
「危ない!」
とアイが叫んだ。
 
瞬間、羽衣の首が転げ落ちる。
 
「きゃー!!」
と城崎綾香は悲鳴をあげた。
 
しかし羽衣はその落ちた首を拾い上げると、自分の身体の上に乗せてギュッと押さえつけた。
 
「全く。私でないと死んでた」
などと羽衣は言っている。
 
「あのお、お婆さん、人間ですか?」
と綾香が尋ねる。
 
「あまり自信が無い」
と羽衣は言う。
 
その時、羽衣が作務衣のポケットに入れている、今どき珍しいガラケーについたリスのストラップが“しゃべった”。
 
「おい、羽衣、駿馬を呼べ」
 
「しゃべった?」
と綾香はまた驚いている。
 
「私も年だからなあ。確かにあいつの方が何とかするかも知れない」
 

それで羽衣は駿馬、つまり千里を呼んだのである。
 
「何事ですか?」
と言って2人の千里がやってきたので、綾香は
「醍醐春海先生?双子だったんですか?」
と驚いている。
 
「虚空が暴走してるんだよ」
と自分でもギョッとしたふうの羽衣が言う。
 
「何でまた?」
「たぶん妊娠のせいだと思います。つわりの一種かも」
と楠本京華は千里が2人いるのを見ても、何も表情を変えずに説明する。
 
「迷惑なつわりだなあ」
「自分で妊娠せずに誰か他の女の子か男の娘かに妊娠させればいいのに」
などと2人の千里は言っている。
 

「だけど、これとうとう“時が来た”んじゃない?」
「だと思う。これ2人のパワーが無いと無理だよね」
と2人の千里は言うと、2人の身体を明るい光が包み込む。
 
そして
 
2人の千里はお互いに近づいて行くと、
 
1人の千里になった。
 
「きゃっ!」
と綾香が悲鳴をあげる。
 

千里が部屋の中に入る。アイがついこちらを見る。エネルギーの塊が飛んでくる。しかし千里はそれを軽く手で振り払った。軌道を変えられたエネルギーの塊が何やら怪しげな機械にぶつかり、機械は粉砕される。
 
千里はアイに近づいて行くと彼女をハグした。
 
「あっ」
「落ち着きなよ、早紀ちゃん」
「ごめん」
 
早紀の励起状態が急速に落ち着いていく。彼女は座り込んだ。
 

「もう大丈夫だよ。入っておいでよ。靴履いたままね」
と千里は外で恐る恐るこちらを伺っていた人たちに笑顔で言った。
 

その日(11/3)は祝日だったが日中の予定が珍しく入っていなかったので、アクアは2人とも朝からずっと寝ていた。
 
夕方からテレビ局で仕事がある。
 
「どちらが行く?」
「じゃんけん」
 
Mが勝った。
 
「あーん。負けちゃった」
とFは言って、テレビ局に行くための服に着替える。
 
「スカートスーツなんだ?」
とMが言う。
「今更誰にも何も言われないよ」
とF。
「まあ、そうかもね」
 
「背中のファスナーあげてくれない?」
「OKOK」
 

それでMはFの服の背中のファスナーを上げてあげた。
 
「OK」
「さんきゅー」
 
と言った時のことだった。
 
ドン!
 
という凄い音がした。
 
「わっ」
と言ってFは一瞬倒れそうになったが、何とか持ちこたえた。
 
「なんだろう?今の」
とFは言ったが返事が無い。
 
「M?」
と言ってFはあたりを見回すが、その付近には見当たらない。
 

FはMの部屋に行ってみる。
 
居ない。
 
自分の部屋に行ってみる。
 
居ない。
 
Nの部屋に行ってみる。
 
居ない。
 
トイレやお風呂も見てみる。
 
居ない。
 
「M、どこ行ったのよぉ?」
 
『僕はここ』
という声が“自分の内面”からした。
 
「嘘!?まさかボクひとりになっちゃったの!?」
 
『自分が女の子として生きていく気持ちが勝(まさ)ったのかもな』
と内部からMの声がする。
 
「そうなのかなあ。自分はやはり男として生きていかなきゃいけないんだろうなという気が結構していたんだけど」
 
『取り敢えず仕事行かなきゃ』
「うん。行って来ます」
 
と龍虎Fは自分の内面に向かって言うと、マンションを出た。
 

「あれ〜。またひとりになった?」
とテレビ局でリハーサルの仕事をしていた葉月Mは思った。仕事に出ているのはだいたいMなのだが、突然Fの意識が共存したのである。Fは平日は学校に行くが、今日は祝日なので、朝からずっと自分のマンション(建て替えられた用賀の“橘ハイツ”)で休んでいた。
 
『御飯作ってる最中だったのに』
などとFが言っている。
 
『火はつけてない?』
『材料切ってた所だったから』
『良かった。じゃ帰宅してからその続き作るか』
 

龍虎はその日(11/3)夜12時近くまで仕事をしてから緑川マネージャーの車で代々木のマンションに帰宅した。
 
部屋の中に入って
「M?」
と呼ぶが返事は無い。ひとつひとつの部屋を覗いていくが誰も居ない。
 
ふっと溜息をつくと龍虎は冷凍室からストックのスープの冷凍したのを耐熱容器に入れてレンジで温めながら、茶碗を2つ出して御飯を盛った後で「あっ」と思う。
 
ひとつの茶碗の分はジャーに戻し、自分の茶碗と箸だけ持って食卓に置く。やがてレンジがチンと言うので、温まったスープを食卓に持って来て
「頂きます」
と言った。
『M?』
と自分の内面に呼びかけるが反応がない。寝てるのかなあ?Nも呼びかけても反応がないことの方が多いし。ちなみにNにも呼びかけてみたが反応は無かった。
 

食べ終わったので食器を片付ける。食洗に入れてスイッチを入れる。
 
紅茶を入れる。
 
砂糖を2袋入れて飲む。
 
『なかよし』を少し読む。読んでいるとけっこう気が紛れる。
 
時計を見るともう2時近い。
 
「寝なくちゃ」
と独り言のように言った。
 
歯を磨いてから寝ようとしていたら《こうちゃんさん》が来た。
 
「お前どっちだっけ?」
「ボクはF」
「Mは風呂か何か?」
 
「こうちゃんさん、Mが居なくなっちゃったよぉ」
と言ってFは泣き出してしまった。
 
「とうとう1人になったのか?」
と《こうちゃんさん》が驚く。
 
「もうボクこの後ずっと1人なの?」
とFは泣きながら訊いたが、《こうちゃんさん》は言う。
 
「お前は元々1人だ。1人で生きて行かなければならない」
「そんなぁ」
 
「だけどお前には俺もいる。千里や川南たちもいる。お前に命を預けている西湖もいる。お前と結婚してもいいくらいに思っているコスモスもいる。お前は俺やそいつらと一緒に生きていけばいいんだよ。決して孤独ではないぞ」
 
と《こうちゃんさん》は言った。
 
「だって・・・」
 
「この3年半のことは夢だったんだよ」
「もうNやMには会えないの?」
と龍虎は涙を流しながら尋ねる。
 
「自分の中にいるたろ?」
「でも声を掛けても反応無いこと多いし」
「お前があいつらを忘れない限り、あいつらは存在し続けるよ」
「ボクはNのこともMのことも忘れない」
と言って、龍虎は《こうちゃんさん》に抱きついて泣いた。《こうちゃんさん》もそういう龍虎を泣くがままにしておいてくれた。
 

「ところでお前、Fだっけ?Mだっけ?」
「Fだけど」
「そうか。折角Mに入れてやるダミーの睾丸が出来たから持って来たのに」
「早かったね!」
「頑張ったからな。女性ホルモンを強力に分泌するタイプだぞ」
「それMは嫌がると思う」
「Mは居なくなってしまったし。お前に入れてやろうか?」
「さすがにボクは睾丸は要らない」
「そうだろうな。残念だ」
と言ってから《こうちゃんさん》は言った。
 
「Fが残ったのなら、明日にでも『アクアは実は女の子でした』という記者会見を開くか」
「それは待って」
「そうか。まだ心の整理がつかないよな。お前が落ち着くまでそれは待つよ」
「ありがとう」
 

翌日(11/4)、龍虎は朝起きると、念のためMの部屋、Nの部屋などを覗いて廻り、誰も居ないことを確認すると「はあ」と溜息をついた。
 
そして朝御飯を作って食べると、仕事に出かけた。
 
「アクアちゃんどうしたの?なんか元気ないね」
「済みません。頑張りますね」
「うん」
 
それでアクアは空元気で頑張って仕事をした。そして夜遅く、高村マネージャーの車で帰宅した。
 
「アクアちゃん凄く疲れているみたい」
と高村さんは心配した。
 
「ごめんなさい。少し疲れが溜まっているみたいで。でも頑張りますね」
「うん。でも無理しないでね」
「ありがとうございます」
 

私とコスモスはその日は夜通しコスモスの自宅で打ち合わせをしていたのだが、11/4の朝、千里から電話があり、アクアが1人になったと報された。ただ本人が1人になってしまったことにかなりショックを受けているから、あまりそのことには触れないで欲しいと要請され、私もコスモスも了承した。
 
「結局どちらが残ったの?」
「どちらも残ったよ」
「じゃまだ2人なの?」
「いや1人になった」
「意味が分からないんですけど」
 
「でも1人しかいないから、コスモスちゃん、あの子の仕事の量をコントロールしてよ。でないと過労死するから」
 
「分かった。私の責任で何とかする」
「山村に頼んでてもあいつ適当だからさ」
「ああ、あの人はそもそもそういう性格だもんね」
と3人の見解は一致した。
 

その日(11/4) 龍虎はマンションに帰ると、またMの部屋、Nの部屋と覗いて廻るが誰も居ない。そして溜息をつくと、気分転換に焼肉でもしようと思って、お肉を解凍する。その間にホットプレートを用意した。
 
レンジがチンと鳴るので、お肉を取り出すが、自分がお肉を500gも解凍してしまったことに気付く。
 
「どうしよう?こんなにひとりで食べられないよぉ」
 
Mがいたら、あの子が300gくらい食べてくれるのに。
 
「寂しいよぉ!」
とFは叫んだ。
 

ところがその途端、突然目の前にMが出現した。
 
「Mちゃん!」
と言って、Fは彼に飛び付いてキスした!
 
「ちょっとちょっと」
「ね。お願い。今すぐ私を抱いて」
「何を突然」
「だって、消えちゃったらセックスできないじゃん」
「予言する。Fは1年以内に好きな男の子ができるよ」
「ほんとに?」
「うん。僕が言うんだから間違い無い」
 
そんなことを言われるとそういうことあるかもという気がした。
 
「お肉解凍しすぎたのよ。一緒に食べてくれない?」
「OKOK」
 
それでFとMはこの夜、一緒に御飯を食べたのである。
 

「あ、2人になった」
と西湖は声を出した。
 
「今回はなんか長かったねー」
と西湖Fも言った。
 
「おかげで今日は学校休んじゃったよ」
「ごめんねー。明日はちゃんと私が学校行くね」
「うん」
 
それで西湖は“作りすぎた”ハンバーグをどうしようと思っていた所だったので、ふたりで一緒に御飯を食べ、交替でお風呂に入って寝た。
 

ところが朝(11/5)、7時半頃、西湖が起きてみるとまた1人になっていた。
 
「えっと・・・どちらが残ってるんだっけ?」
と思って自分のお股を確認する。
 
「あ、ボク女の子だ。今度はMが消えたのか。でも困ったなあ」
と西湖が言っていたら、おキツネさんが何人か出てくる。
 
「西湖ちゃんどうしたの?」
「1人が学校に行って、もうひとりは午前中仮眠しておいて、午後から仕事に行きたいんだけど、1人になっちゃって」
 
「京平さんに頼んだらきっと何とかしてくれるよ」
「あ、ここの主(ぬし)の偉いおキツネさんだね」
「そうそう。京平さんはお母さんも凄いんだよ」
「へー」
 
それでおキツネさんたちは京平を呼んできた。
 
「西湖ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、京平さん」
 
それは何だか幼稚園生くらいの男の子に見えた。スカート穿いてるのはそういうのが好きなのかな?(スカートを穿いていても男と分かるのは自分も男の娘だから!)
 
「西湖ちゃん、この指輪をあげるよ」
と言って彼は緑色の石が入っている指輪を渡してくれた。
 
「右手の人差し指に填めて」
「はい」
 
「それで2人になるように念じてごらん」
 
西湖が「ふたりになれますように」と念じると、西湖は2人に分裂した。
 
「わぁい!2人になった」
 
なお、指輪はFの右手に残っている。
 
「よかったね。でも2倍疲れるからね」
と京平さんが言う。
 
「それは慣れてます。ありがとうございました」
「ふたりに別れる時だけ填めてれば、後はポケットとかに入れておいてもいいから」
「分かりました」
 
それで京平さんは鏡の中に戻っていった。
 
それでこの日、西湖はFが学校に行き、Mは午後から仕事に出かけたのである。でも、夕方にはFはMの中に合流した。それで指輪で分裂した場合、時間制限があるのかな?と西湖は思った。
 

11/4の夜、2人に別れた龍虎のほうは、楽しくおしゃべりしながら夕食を食べ、交替でお風呂に入ってから、
「絶対何もしないから」
とFが言うので、ひとつのベッドに並んで寝た。
 
(11/5)朝5時に起きたが、2人のままである。そのまま一緒に朝御飯を食べる。
 
「なんかこのまま行けるのかも。Mが仕事に行かない?」
「それもいいかな」
と言ってMが出かける準備をする。
 
「え〜?ズボン穿くの?」
「僕、男の子だし」
「男でもスカート穿けばいいのに」
「僕のズボン捨てないでよね」
「あれは彩佳のせいだよぉ」
「でも黙認してるんでしょ?」
 
そんなことを言っていた時、Mがむせた。
 
「大丈夫?」
と言ってFがMの背中を叩いてあげる。
 
ところがその時突然Mは後に気配が無くなったので驚く。
 
「F?」
と言って見回すも誰も居ない。
 
「うっそー!?なんで?」
 
龍虎Mは念のため全ての部屋を見て廻ったが、自分しか居ないことを認識する。
 
「僕が消えてFが残ることになったんじゃ無かったの〜?」
とMは戸惑うように声をあげた。
 

しかし仕事がある。出かけなければならない。それで今日の仕事のスケジュールを確認し、持ち物を揃えてから出ようとしていた時、唐突にまた2人になってしまった。
 
「あ、また2人になった」
「取り敢えず仕事に行く」
「いってらっしゃーい」
と言ってFはMにキスした。
 
「ちょっとそういうのやめろって」
「早く行かないと。河合さん待たせるよ」
「うん」
 
それでMは和城理紗に“心の声”で呼びかける。原宿界隈のマンションに転送される。その前の通りに“アクアのアクア”がハザードを焚いて停まっているので、駆け寄る。
 
河合マネージャーに
「すみません。遅くなりました」
と声を掛け、彼女の車で今日の仕事先に向かった。
 
しかしその日Mが帰宅するとFは居なかった。
 

翌日(11月6日)、朝8時頃、龍虎はまた2人に分裂した。
 
「もしかしたら、しばらく1人になったり2人になったりするのかも」
「そのうち完全に1人になるんだろうけどね」
 
「それでさ、ふと思ったんだけどさ」
とFは言う。
 
「最初にボクだけになった時、Mがボクの背中のファスナーを締めてくれてたよね」
「うん。あの状態から唐突に自分がどこかの空間に飛ばされる感覚があった」
 
「次にMだけになった時は、Mがむせてボクが背中を叩いていた」
「そうそう」
「その状態からボクもいきなりどこかの空間に飛ばされた」
「やはりね」
 
「それで思ったんだけどさ」
「1回交代?」
「合体する時に前の方に居た側に統合されるのでは?」
 
「位置関係なの〜〜?」
 
実はFは数ヶ月前に千里さんが言ってた、ガッターロボ(?)とかいうのの合体の話を思い出したのである。組合せにより別の機能を持つ合体ロボ。千里さんはきっとボクたちがこういう状態になることを知ってたんだ。
 
「あり得ると思わない?」
「かも知れない」
 
「昨日は夕方17時頃にボク消えちゃった。今日はMが仕事に行かない?でもボクも近くまで行ってるからさ。それで17時頃、前後に並んでみようよ。そしたらきっとその時、前にいる側に統合されるよ」
 
「それが本当なら、どちらが表に出るかをコントロールできることになる」
「いつ2人に別れるかは分からないけどね」
 
それでその日(11/6)Mが朝から仕事に出かけ、Fは日中はドラマの台本を読みながらマンションで過ごし、夕方放送局に出かけた。そして17時頃Mがトイレに行くと称して中座。Fと“心の声”で連絡を取りながら、トイレ(むろん女子トイレ)の個室で落ち合う。そしてFが前・Mが後に並んでいた(5分ほど待った)ら、本当にFに統合されたのである。
 
『これは意外に便利かもね』
『当面これで何とかなりそうな気がする』
『あとは分裂をコントロールできたらいいんだけどなあ』
 

時間を戻して11月5日の夕方、私は千里からの連絡で、千里の長年の思い人であった貴司さんが、奥さんの美映さんと離婚し、数ヶ月以内に千里と結婚するということを聞いた。
 
「おめでとうと言っていいのかな」
「うん。言って言って」
「おめでとう」
「ありがとう」
 
千里と貴司さんはまだ高校生の頃に実は結婚式をあげていたらしい。しかし当時はまだ年齢不足(17歳と15歳)と千里の法的な性別が男になっていたことから、婚姻届を提出できなかった。ふたりは24歳くらいになったら婚姻届を提出しようと言っていたらしいが、その後、貴司さんが大阪で就職したことも含めて色々な経緯があり。こじれにこじれて貴司さんは別の女性と2度も結婚するに至る(ただし千里によると貴司さんは前々妻の阿倍子さんとも、前妻の美映さんとも1度もセックスしていないらしい!結婚していたのに)
 
そして千里は貴司さんが他の女性と結婚生活を送っていても、ずっと自分こそが正当な妻であるという意識を持ち続けていた。貴司さんとも実際問題として月に1度くらいはデートを続けていたようである。それがやっと正常化することになったようだ。美映さんには慰謝料を5000万円払ったらしいが、きっと実際に出したのは千里なのだろう。
 

「でも子供たちはどうするの?早月ちゃんは桃香の所に置いて、由美ちゃんだけ連れて貴司さんの所に行くの?」
 
“法的には”早月は桃香の娘、由美は千里の娘である。
 
「ああ、それだけど、貴司が今の川口市のマンションを引き払って緩菜と一緒に浦和に来ることになった。貴司にはもう会社やめなよと言ってる。バスケのためにあの会社に入ったのにバスケ部が廃部になったから」
 
「廃部になったの!?」
 
「9月いっぱいで廃部になった。だから貴司は一般社員として会社に残留していた。でもそんな所やめて、Bリーグの下位のチームでもいいから入れる所を探しなよと言った」
 
「私もそれに賛成」
「だから川口市に居る必要ないから、こちらに来なよって」
 
「それはいいけど、だったらまさか桃香と千里と貴司さんの3人で共同生活するわけ?」
 

「今の浦和のマンションでは大人3人暮らすには狭いから、もっと広いマンションに移動するつもり。新しい物件を確保してから、貴司も川口のマンションを解約してこちらに来る予定。緩菜は既にこちらに連れてきてるけどね」
 
「ちょっと待って。広さの問題じゃなくさ」
と私はもっと根本的な問題があるのではと指摘する。夫婦が住んでいる家に妻の友人(愛人かも?)が同居するなんて・・・
 
「それなんだけどさあ、私は不本意なんだけど、桃香とも結婚することになった」
「貴司さんと結婚するんじゃないの?」
「だから重婚」
「え〜〜〜!?」
 
「こんなことなら、3人に分裂したままでも良かったよ」
「私、それ割と歓迎するんだけど。1人じゃ仕事こなせないでしょ?」
「やはり冬に分裂してもらって、仕事半分渡そうかな」
「やだ」
 

その日、彩佳・桐絵・宏恵の3人は郊外のスーパーまで買い出しに行き、結構重い荷物を3人で分担して持って渋谷の自宅マンションに戻ろうと駅に向かっていた。ところがそこにクラクションが鳴るので見ると千里さんである。
 
「君たち、どこまで行くの?乗せて行こうか」
「お願いします!」
 
というので、3人は千里のオーリスに乗り込んだ。
 
「買い出し?大変だね」
「渋谷界隈で買物してたら破産します」
「だよねー。町中は高いもん」
 
その時、ふと宏恵が思いついて尋ねた。
「今入っているマンションを決める時に千里さん、1階・3階・8階に空き部屋があると聞いて、8階がいいとおっしゃいましたよね。あれは何か理由があったんですか?」
 
「別に大した理由じゃ無いよ」
「そうなんですか?」
「2階の部屋でガス爆発が起きるから、1階や3階にいると怪我しかねないと思って」
と千里が言うと
 
「ガス爆発が起きるんですか!?」
と3人は驚く。
 
「8階は無事だよ」
と千里は平気そうな顔で言う。
 
「でもでもですよ」
と桐絵は言う。
 
「あのビル、物凄くボロっちくて、今にも崩れそうなのに、それで2階で爆発が起きたら全体が崩れちゃうということありません?」
 
「ああ、それは可能性あるかもね」
と千里は言っている。
 
「それいつ起きるか分かります?」
「うーんとね・・・・。今度の三隣亡」
「それ何日ですか?」
「分からない。今すっと降りてきた」
「誰か暦確認できる?」
「ちょっと待って」
と言って彩佳がネットで暦を確認している。
 
「三隣亡は11月16日」
「16日って・・・」
「明日じゃん!」
「逃げよう」
「どこへ」
「龍の所になだれ込もうよ。緊急避難だよ」
 

それで3人は渋谷のマンションから取り敢えず逃げ出すことにしたのである。
 
千里は「引っ越すなら」と言って2トントラックを持って来てくれた。ついでに腕力のありそうな男性3人も来ている。それでその3人と千里とで彩佳たちの部屋の荷物を全部2tトラックに積み込み、代々木の龍虎のマンションまで持って行く。そして彩佳が自分の鍵でエントランスと龍虎の部屋(1005)を開け、男性3人と千里で荷物を全部龍虎の部屋のLDKに運び入れてしまった。
 
「これで安心だね」
と彩佳たちは言った。
 

龍虎はその日も夜遅くまで仕事をしてから帰宅した。この所、だいたい朝8時頃に2人に分裂し、分裂して正確に9時間後の夕方17時頃、ひとりになるパターンが定着しており、FとMはだいたい1日交替で表に出ていた。分裂から統合までが正確に9時間のようだというのが分かり、2人は統合される時間に必ず一緒に居るようにした。
 
和城理紗に事情を説明して2人を同じ場所に一時的に転送してもらうようにした。理紗は驚いていたが話を聞いた千里さんも
「うん。その方式でしばらく運用すればいいよ」
と言ってくれた。
 

この日(11/15)は夕方まではFがお仕事をしMはマンションで休んでいて、夕方以降はMの方が表に出て仕事をこなした。それで帰宅するのもMである。
 
Mは「ただいまあ」と言って帰宅した時、女の子の声がしたので
「F!?」
と思わず声をあげたが、居たのは彩佳たちである。
 
「なんでアヤたち、ここにいるの?」
「うちのマンションが崩れそうなのよ」
「ホント?」
「だからここに取り敢えず避難してきた」
 
「龍ちゃん、このLDKだけでいいから貸してよ。ここで私たち3人も寝るから」
「龍を襲ったりはしないからさ」
 
それは構わないが、分裂する所は見られたくない。
 
「だったら、このマンション全部使っていいから」
「龍はどうするの?」
「僕は上の階の部屋で寝るから」
「そんなのあったんたっけ?」
 
それを知っているのは彩佳だけである。
 
龍虎はすぐ上(1803)に行こうとしたが
「あん、御飯食べてってよぉ」
と言うので結局彼女たち3人と一緒に御飯を食べた。
 

彩佳が龍虎の分の御飯を盛ってあげて、それで一緒に御飯を食べていたら、龍虎が涙ぐんでいる。宏恵が
 
「龍ちゃんどうしたの?」
と訊いた。
 
「なんかこんなに多人数で食べるの楽しいなと思って」
「ああ、いつもひとりで食べてたんだよね」
「私たちで御飯くらい作っておくから、毎日一緒に食べようよ。遅くなってもいいよ。どうせ私たち起きてるし」
 
「うん。ありがとう」
 
と言って、龍虎はその日3人のおしゃべりに心を癒やされながら、夕食を取ったのであった。
 
彩佳たちは龍虎のLDKに渋谷のマンションの配置を再現していた。カラーボックスを4つ並べてその間に板を渡し、3人の勉強机にしていた。布団もそこに敷いて寝ると言っていたが、龍虎は(内面のFと会話した上で)せっかく寝室が3つあるから、それを1人ずつ使っていいよと言った。それでMで彩佳、Nで桐絵、Fで宏恵が寝ることにしたようだった。渋谷のマンションに入りきれなかったのをMの部屋に置いていた荷物も、龍虎自身も手伝い、各々の部屋に移動した。
 
↓1005号のレイアウト

(↑トイレが2つあるのは、3人の龍虎が共同生活するには必要と考えて千里がそういう物件を選んだため。結果的には彩佳たち3人が暮らすのにも助かる)
 
「私と一緒にMで寝ない?」
と彩佳は龍虎に言ったが
「また今度ね」
と答えて手だけ握ってあげたら、彩佳はそれで納得したようだ(桐絵たちが「そこでキス」と煽ったが、彩佳が照れて真っ赤になった)。やはり誕生日の日にちゃんとセックスした(?)ことで、本人も精神的に余裕ができたようである。ケイナさんの言った通りだなと龍虎は思った。
 
それでその日は龍虎だけ18階に行って寝た。翌日朝8時にはまた龍虎はFとMに分裂したので日中はMが仕事をしFはマンション18階で歌の練習をしたり台本を読んだりして過ごす。夕方合体してFになったので夕方以降はFが仕事をしてマンションに帰宅。彩佳たちと一緒に御飯を食べてから18階で寝た。このパターンの生活がしばらく続くことになる。龍虎は自分ちの大きな冷蔵庫は10階に置いたまま、彩佳たちが使っていた小型冷蔵庫を18階に移動して使うことにした。
 
なお、彩佳たちのマンションは本当に11/16に、2階の部屋でガス爆発があり、エレベータも変形して、出入り不能になった。上の階に居た人たちは自衛隊が出動して救出した。その翌日にはビル自体が崩壊。隣接するビル3棟にまで被害が及んだ(まさに三隣亡)。この様子は海外にまで報道された。彩佳たちの賃貸契約は解約となり、敷金も全額返還してもらった上に迷惑料までもらってしまった。しかし彩佳たちは前日に避難していたので何も被害は無かった。
 

★タイムスケジュール
 
●10.31
22:00 西湖が龍虎たちのマンションに寄り一緒に晩御飯。
●11.01
01:00 西湖たち帰宅
07:00 西湖M声変わり。映画の撮影には聖子Fが行く。
22:00 撮影完了
23:00 龍虎帰宅
23:20 西湖帰宅
24:00 西湖Mが去勢→龍虎M睾丸消失。
●11.02
●11.03
龍虎は日中お休み。夕方からお仕事の予定。
午後 アイの暴走
夕方 合体!
夜_ 勾陳が龍虎の合体を知る。
●11.04
この日はひとりになった龍虎Fがひとりでお仕事。
_8:00 千里がコスモスと冬子に龍虎の合体を連絡。
10:00 美映が緩菜を連れて浦和の千里宅を訪れ貴司の買取り打診。
14:30 貴司と美映の離婚届け提出。美映は単身で大阪に戻る。
夜_ 千里が2番を分離して貴司と寝る(貴司は睾丸を返してもらう)。
___ 同時刻、龍虎と西湖がまた2人になる。
●11.05
05:00 龍虎起きるがまだ2人のまま。
07:00 千里3+1が千里2を吸収。同時刻龍虎・西湖がまた1人になる。
07:30 西湖起きてみると1人になっている。
08:00 京平が西湖に指輪を渡し、西湖が2人に分離。同時刻龍虎も分離。千里のシンクロが切れる。
17:00 西湖が合体。龍虎も合体。
夕方 千里が冬子に貴司との再婚予定を連絡。
 
●11.06
08:00 西湖分離。龍虎も分離。龍虎はMが日中仕事に。西湖はFが朝から学校・Mが午後から仕事。
17:00 西湖が合体。龍虎も合体(F).夕方以降は龍虎Fがお仕事。
23:00 龍虎Fが帰宅。
 
以降このパターン。
 龍虎:偶数日は龍虎は日中M・夕方からF(Fが帰宅)、奇数日は逆。
 西湖:平日はFが午前中に学校・Mが午後仕事(夕方合体するが性別は不定)。土日は午前中Fが仕事。午後以降は平日と同じ。
 
●11.15
11.15 彩佳たちが龍虎のマンションに避難してくる。
11.16 彩佳たちが住んでいたマンションでガス爆発(翌日崩壊)
 

千里はある人物と話し合っていた。
 
「なんか統合が不完全なんだけど」
「ボクのせいじゃないよ。Mが去勢しちゃったでしょ?」
「うん」
「あれが完全統合を妨害している。Mに睾丸が無い限り完全合体は無理。そこで統合の糸がほぐれちゃうから、放置しておいても1日以内にまた分離してしまう。ボクも計算外だった」
 
それ絶対嘘だろ?わざとだろ?アクアのガードが堅いから、ガードの弱そうな西湖を狙ったろ?と千里は思う。しかしMの睾丸が無いのは・・・本人以外全ての人が賛成だろう!あの子が声変わりすると大量の失業者が出るし、§§ミュージックもあけぼのテレビも倒産するし!!
 
睾丸の有無自体については世間的には曖昧にしておけばいい。どうせ国民のほとんど!が、アクアには睾丸は無いと思っているし、アクアは声色で男声も出せるから実用上も問題無いし。
 
「でもこの後どうするのさ?」
「取り敢えず西湖ちゃんが高校卒業するまではこのままでいいんじゃない?」
 
まあ確かにその方が西湖が過労死する確率は小さくなる。アクアもだけど!
 
「西湖Fがペリドットの指輪填めてるけど、あれ誰が渡したの?」
と千里は訊いた。
 
「千里ちゃんの息子だけど」
「うむむ」
 
くそー。京平まで分離容認派か。私も2人か3人に戻っちゃおうかな。その方が仕事がはかどるし!どっちみち来月貴司が同居したら“夜”は3人に別れる必要が出ちゃったし。
 
「でもあの指輪のおかげで、千里ちゃんの分裂とアクアちゃんの分裂のシンクロは切れたね」
「それも指輪のせいだったのか。京平のパワーは凄まじい」
「千里ちゃんと桃香ちゃんのシンクロも一緒に切れたよ」
「・・・」
 
「でも今回は本当にありがとう。日本に住めなくなる所だったよ。借り作っちゃった」
と彼女は言う。
 
「それはいいけど。警察も夫婦喧嘩と聞いて、呆れて帰ってくれたしね」
「それ以外、説明のしようがなかったし」
「でも大分絞られてたね」
「仕方ない。でもマンションの修理代、掃除代、電化製品とかの買い換えて300万飛んだ」
「300万で済んで良かったじゃん」
「まあ死人が出なくて良かったね」
「羽衣さんも丈夫だねぇ」
 

《こうちゃんさん》は休憩中のアクアに話しかけた。
 
「あのさ、龍、お前が元々女の子だったという記者会見するのが嫌ならさ、実は半陰陽でデビューの頃は男の子だったけど、体質が変化して女の子に変わってしまった、と発表するのはどうだろう?」
 
「何言ってんの?僕は男だよ」
とアクアは言うと、自分を探しているふうの監督に向かって
 
「今行きます」
と手を挙げて声をあげ、そちらに向かった。
 
《こうちゃんさん》は「へ?」という顔で男らしい歩みで向こうに歩いて行くアクアの背中を見送った。
 
 
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【夏の日の想い出・龍たちの伝説】(6)