【夏の日の想い出・つながり】(6)

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「紅川さんはご存知だったんですか?」
と私は翌日、ちょうど§§プロの事務所で紅川さんと会ったので桜野みちるの件を尋ねてみた。
 
「寝耳に水」
 
「わぁ。でもよく許してあげましたね」
「別れさせる訳にもいかないしさ。森原君が向こうの社長と一緒に僕の所に来て、手を突いて謝ったし」
 
「違約金とかは?」
「契約違反なんだけど、請求しない。むしろみちるはこれまで本当にうちに貢献してきたから、慰労金を出すよ」
 
「紅川さんも随分丸くなりましたね!」
「まあ僕も年取ったかな」
「そんなことをおっしゃる年とは思いませんけど。兼岩さんとか鈴木さんとか丸花さんとかを見てくださいよ」
 
紅川さんはまだ61歳である。ζζプロの兼岩会長は68歳、∞∞プロの鈴木社長は70歳、○○プロの丸花社長は75歳だ」
 
「ああいう化け物たちにはかなわん」
「えっと・・・」
 

「でもみちるさんが引退してしまうと、§§プロは稼ぎ手がいなくなってしまいませんか?」
と政子が心配して言う。
 
「うん。その件で宮崎君(日野ソナタ:§§プロダクション副社長)や伊藤君(秋風コスモス:§§ミュージック社長)とも話したんだけど、§§プロダクションは店仕舞いしようと思う」
 
「え〜〜!?」
 
「現在所属している歌手・タレントは∞∞プロに引き取ってもらうという方向で考えている。マネージャーもね」
 
「§§ミュージックに移籍とかではなくてですか?」
「その線も検討したけど、それでは事務所を分割した意味が無くなるから。この分割は伊藤君に、若い感性で運用してもらうためのもの。だから伊藤君より上の年代の歌手を在籍させたくないんだよ。これは僕と宮崎君との一致した意見」
 
「コスモスは年齢とか気にしないと思うけど、やはり歌手の方はやりにくいかな」
「うん。そうだと思うんだよ。だから∞∞プロに丸投げして、あとは宮崎君や田所君が中心になって運用してもらう」
 
「紅川さんは?」
「僕は少し疲れたから、郷里の宮古島に帰って芸能界から引退しようと思っている」
 
「え〜〜!?」
 

この件では∞∞プロの鈴木一郎社長との話し合いで、結局来年4月1日付けで∞∞プロ傘下に§§プロダクションという《部門》を作り、そこに現在の§§プロダクション株式会社のタレントおよびマネージャーを移籍させ、紅川さんは∞∞プロの副社長・§§プロ部門担当ということになった。ただし実際には副社長というのは名前だけで、この部門の運用は日野ソナタが∞∞プロ部門・部長の肩書きで統括する。また田所が部長補佐ということになった。現在の§§プロダクション株式会社は咲田川商事と改名の上休眠会社化する。咲田川というのは紅川さんの故郷、宮古島にある川の名前である。
 
そして§§ミュージックの方は沢村がデスクに就任することになる。沢村はそれを言われて「私がですか〜!?自信無いです」と叫んだが、「困った時はいつでも相談してよ」と田所から言われて、不安そうな顔をしながらも受諾した。
 

「そういえば、春風アルトさんは、まだ上野さんの所にいるんですか?」
と私は∞∞プロに移籍することになった日野ソナタに尋ねた。
 
「ケイちゃんにしては情報が遅い。アルトちゃんは7月上旬に旦那を追って沖縄に移動したよ」
「へー!」
「実は今、ふたりで宮古島の紅川さんの実家に滞在しているんだよ」
「そうだったのか」
「現地で上島先生は泡盛作りの弟子にしてもらったらしい」
「へー」
「最近の泡盛製造はほぼ機械化されているんだけど、そこの酒造所は昔ながらの手造り・少量生産で」
「わぁ」
「その代わり、かなりの重労働。酒造所に泊まり込んで24時間麹(こうじ)のチェックをしている。だから結局アルトさんとほとんど会えない」
「あらら」
 
「麹(こうじ)造りって昔は女の仕事だったらしいね」
「へー」
「常時付いてないといけないし、気温をチェックして寒かったら毛布掛けて、熱かったら窓を開けてと、細かい配慮が必要だから、女向きだった」
「なるほど」
「麹(こうじ)造りは赤ちゃんを育てるのに似ているんだって」
「ああ」
「それでアルトさんから『私赤ちゃん産めないみたいだから、雷ちゃんが代わりに赤ちゃん産むといいかも』などと言われているらしい」
「えっと」
 
「そのアルトさんのほうは紅型(びんがた)作りの手伝いをしている」
「頑張ってますね」
 
「でもハネムーンのやり直しになったりしてね。宮古島って私も島巡りの旅で行ったけど、凄く優しい空気が流れている、いい所だよ」
とソナタは言った。
 
彼女は桜島法子(夏風ロビン)とふたりで2年がかりで日本全国の離島を巡り、多数の写真を撮り、また多数の曲を書いた。その一部をローズクォーツが歌って『アイランド・リリカル』というアルバムとして発売したところ、ゴールドディスクとなり、最終的に写真集も発売されたのである。
 
第2弾としてソナタ自身が歌唱したアルバム『アイランド・ララバイ』もとても好評であった。
 
(リリカル:叙情詩、ララバイ:子守歌)
 

この年、私はKARIONのアルバムを作ったのと夏から秋にかけてローズ+リリー10周年の全国ツアーをやった以外は、ひたすら楽曲を書いていて、ローズ+リリーの制作がほとんどできなかったのだが、私たちがここ数年間ずっと復興支援イベントを行ってきたことから、宮城県の遠刈田温泉から、温泉のキャンペーンソングを書いてくれないかという依頼が来た。
 
正直今の自分の精神状態では、充分な品質の曲を書く自信が無かったのだが、政子が
 
「冬が書けないなら、私が書いてあげるよ」
と言って、例によって五線紙に/とか\とかいった線を書いて《政子流楽譜》を作ってしまった。それで私は政子に確認しながら、それを普通に人が読める音符に直していく。
 
これが『霧の中の遠刈田』という旅情あふれる曲となった。曲調としては初期のローズ+リリーの路線に近いフォーク調の曲になっている。
 
MIDIを作っている時間が無いので、近藤さんのギター1本で、私とマリが取り敢えず仮歌を吹き込み、温泉組合に送ると向こう側からも「いい曲ですね〜」というお返事が来たのでそのまま制作することにした。
 
スターキッズを召集して、アコスティック・バージョンで収録してマスターを作り、その状態で温泉協会に納入する。そして企画に参加している向こうの放送局のスタッフの手でパンフレットを制作して一緒に工場に持ち込みプレスした。
 
このCDは、一応書類は★★レコードを通すものの、正式のローズ+リリーのシングルではなく、温泉組合の買い取り方式となる。一般販売もせず、遠刈田温泉や、共同制作した放送局でだけ買うことができる。実際には通販大手のArtemisが、温泉組合から大量に買い付けて全国から注文できるようにしたようである。このArtemis経由でかなりの枚数売れたようである。結果的には温泉組合に巨額の利益をもたらした。
 

売れ行きが思った以上に好調であったことから、宮城県の放送局でキャンペーンをしたいという打診があった。しかし私はひたすら作曲をしていて忙しい。それで渋っていたら政子が
 
「私が行ってくるよ。私ローズ+リリーのリーダーだし」
と言って仙台に出かけて行った。
 
これが7月29日(日)のことであった。
 
ところが私は翌日朝のニュースを見て驚愕することになる。
 
《ローズ+リリーのマリ妊娠》
《予定日は3月頃》
《お相手は交際の噂される俳優Nか?》
 
といった文字が並んでいたのである。
 
要するにマリはキャンペーンの初日に急に気分が悪くなり、その様子が女性記者の目に、妊娠のつわりのように見えたので質問した所、マリは妊娠していることを認めたというのである。
 
私はマリに連絡を取ろうと試みたのだが、どうしても繋がらなかった。その状態で私のマンションにまで多数の記者からマリさんの赤ちゃんの父親は誰ですか?という問合せがある。私は知りませんと答えるのだが、記者は納得せず、ほとほと疲れてもう電話に出ないことにした!
 

結局マリの妊娠発覚のため、長時間街頭に立つキャンペーンはさせられないということになり、私は急遽宮城県に行き、マリに代わって2日目以降の街頭キャンペーンをした。マリはその間に東京に戻ったので私はマリと行き違いになってしまう。
 
東京に戻ってきたマリの所に氷川さんが来て、何かあった時に対処しなければならないから、自分にだけでも父親が誰か教えてくれと言ったものの、マリは頑として口を割らなかった。これには氷川さんも困ってしまったようである。
 
結局マリの妊娠問題については、報道各社が本人から聞いた話をとりまとめた結果、このような情報が整理された。
 
・妊娠は事実で予定日は2月24日である。
・相手の男性が誰か公表するつもりはない。
・その人とは結婚しないし認知も拒否。
・出産の前後だけは休ませてもらうが、音楽活動はずっと続ける。
 
マリが引退などするつもりはないと語ったことは、ファンをかなり安堵させた。妊娠したのなら、このまま秋くらいにローズ+リリーは解散して相手の男性と結婚するのでは?という憶測もかなり飛び交っていたのである。
 

そして7月31日、更に私が婚約したことが報道された。どうもマリの子供の父親が誰か、私たちの友人たちに尋ね回っていた記者たちが私の婚約を察知したようで、複数の新聞が同時に報道した。
 
この件に付いては、私は氷川さん、森本課長とも話した上できちんと公表することにした。記者会見は開かず報道各社に要点をまとめたFAXを送った。
 
・長年のボーイフレンドであった弁護士の木原正望と婚約したこと。
・婚約指輪をもらったこと。
・妊娠していないこと!
・音楽活動を引退したり休んだりする予定は無いこと。
・結婚式の日程は未定。少なくとも3年以上先であること!
 
FAXには私が振袖を着てダイヤの婚約指輪をつけ、正望がブラックフォーマルを着てセイコーの時計をつけている写真(結納式のもの)もプリントしておいた。それで報道各社はそのFAXを掲載してこの件の報道をしたようである。
 
「妊娠はしてません、とかケイさんもなかなか冗談がきつい」
などとワイドショーのレポーターは言っていた。
 
「しかし結婚は3年以上先って、そんな婚約ってあるのか?」
「木原さんとの仲はこれまでもファンの間では周知だった。結局今までと何も状況が変わらないのでは?」
 

8月上旬。町添さんが氷川さんと一緒にマンションに来訪した。
 
「結局マリちゃんの赤ちゃんの父親って誰なの?」
と町添さんがあらためて訊く。
 
「少し落ち着いたら私にだけは話すと言っているのですが、まだ聞いてないんですよ」
 
「俳優のNさんではとか、上島雷太ではという噂も流れているけど」
「どちらも違いますね。Nさんとは食事をしただけだし、上島先生とマリが何かあったようなことは1度もありません」
 
どうも町添さんは大林亮平のことは知らないようである。氷川さんは2人の関係を知っていると思うが、私たちへの義理を通して上司にも言ってないのだろう。
 
「それでローズ+リリーのCDを出そうよ」
「すみません。今とても精神的にゆとりが無くて」
 
「過去の音源をリミックスする。一部録音だけやり直す」
「過去のと言うと?」
 
「『お嫁さんにしてね』『祝愛宴』それと『Long Vacation』」
「そういうコンセプトですか!」
「キャッチフレーズは『婚約したケイ、出産するマリ、があなたに贈るラブソング』」
「あははは」
 
「『Long Vacation』だけ録音をやり直す。これ音質があまり良くないんだよ」
「ああ、そうでしょうね」
 
あの時期までは須藤さんが音源製作の主導をしていたのだが、須藤さんは安いものが好きなので、あまり技術力のないスタジオで録音されているのである。
 
「それで8月中に発売ね」
「まあアレンジ変更しなければ行けるでしょうね」
 

「それとローズ+リリーの全国ツアーもしよう。ローズ+リリー10周年」
「いつですか?」
「9月から10月に掛けて」
「マリの体力が・・・」
 
「マリちゃんを椅子に座らせて歌わせようと思う」
「ああ、それなら何とかなるかも」
「ついでにケイちゃんも椅子に座ろう。ケイちゃんもかなり疲労がたまっていそうだから」
「溜まってます」
 
ローズ+リリーのツアーに関しては、私やマリに負荷が掛からないよう、氷川さんと近藤さん・七星さんで話し合って決めるということになった。
 

8月10日(金).
 
急遽決まったローズ+リリーの全国ツアーが発表になった。全国20箇所である。
 
9月8日(土)札幌 札幌スポーツパーク(10000)
9月9日(日)函館 函館ファイブス(5000)
9月12日(水)千葉 幕張サブアリーナ(15000)
9月15日(土)埼玉 大宮アリーナ(20000)★
9月16日(日)福島 ビッグパルス福島(5500)★
9月17日(祝)宮城 宮城ハイパーアリーナ(7000)★
9月19日(水)静岡 静岡グランドホール(4000)
9月22日(土)名古屋 愛知スポーツセンター(8000)★
9月23日(日)金沢 金沢スポーツセンター (5000)★
9月24日(振)長岡 アーレン長岡(5000)★
9月26日(水)高松 高松スポーツセンター(5000)
9月29日(土)広島 広島レッドアリーナ(8400)
9月30日(日)大阪 大阪ユーホール(10000)
10月3日(水)横浜 横浜エリーナ(12000)
10月6日(土)那覇 沖縄なんくるエリア (10000)★
10月7日(日)福岡 福岡マリンアリーナ(11000)★
10月8日(祝)別府 別府アイコンプラザ(7000)★
10月10日(水)大村 シーキャップ大村(5000)
10月13日(土)神戸 神戸ポートランドホール(6000)★
10月14日(日)東京 深川アリーナ(9000)★
 
合計座席数 167,900 完売時の売上 1,450,656,000円
 
結果的に私はKARIONの制作が終わったらすぐローズ+リリーのツアーに関する作業に入ることになり、全く時間の余裕が無い!
 

これと同時進行でKARIONのツアーも行う。これは1月のKARION 10周年ツアーが私のスケジュールの問題で5箇所しかできなかったので、それを補うものである。そのため1月のツアーで行かなかった都市で行うが(東京と札幌のみ重複)、原則としてローズ+リリーと同じ都市(一部近隣都市)で行うことにする(↑で★を付けた所)。例によってKARIONのライブは昼間(13:00-15:00)でローズ+リリーは夕方(18:00-21:00)である。
 
9月15日(土)埼玉 大宮サウンドシティ(2500)
9月16日(日)福島 福島奏楽堂(1000)
9月17日(祝)宮城 仙台スタープラザ(2300)
9月22日(土)豊橋 豊橋アイホール(1500)
9月23日(日)金沢 金沢音楽堂(1500)
9月24日(振)新潟 新潟文化ホール(1900)
10月6日(土)那覇 那覇市民ホール(1700)
10月7日(日)小倉 小倉太陽ホール(2000)
10月8日(祝)大分 大分スピリットシアター(1900)
10月13日(土)神戸 神戸国際会館(2000)
10月14日(日)東京 国際パティオ(5000)
10月20日(土)旭川 旭川文化ホール(1500)
 
12ヶ所 総座席数 25,300 完売時の売上 191,268,000円
 
近隣都市になるのは、9.22の豊橋→名古屋、9.24の新潟→長岡、10.7の小倉→福岡、10.8の大分→別府である。ローズ+リリーのライブに連動して日程を組んだら北海道が無くなってしまったので、あらためて旭川公演を入れた。ここだけKARIONの単独ライブとなる。
 
また今回マリの体調に配慮して、ローズ+リリーの公演では前半と後半の間に1時間程度の長い幕間パフォーマンスを入れる。つまりこういうスケジュールになる。
 
18:00-19:00 前半
19:00-20:00 幕間パフォーマンス
20:00-21:00 後半
 
ここで幕間に出てくるのはだいたいローズ+リリーと親しいアーティストだが、KARIONがライブをした都市では、原則としてKARIONが出演する。つまりKARIONのライブの後はKARIONとトラベリングベルズの全員がローズ+リリーの公演場所に移動することになる。そして私は3時間ぶっ通しライブになる!!その前に2時間公演をやっているのに!!!
 
「ケイ大丈夫か?」
「ケイと蘭子は別人だから大丈夫のはず」
「まだその話やってるのか?」
 
KARIONが出ない日のゲストは下記のようになる。
 
9月8日(土)札幌 Golden Six
9月9日(日)函館 Golden Six
9月12日(水)千葉 ハイライトセブンスターズ
9月19日(水)静岡 XANFUS
9月26日(水)高松 XANFUS
9月29日(土)広島 丸山アイ
9月30日(日)大阪 Rainbow Flute Bands
10月3日(水)横浜 リダンダンシー・リダンジョッシー
10月10日(水)大村 XANFUS
10月14日(日)東京 桜野みちる
 
最終日の10.14だけは、KARIONの公演もあるが、特別に今年いっぱいで引退する桜野みちるがゲストになる。
 

XANFUSは19日にゲスト出演した後、20日(木)に静岡、21日(金)に名古屋、22日(土)に大阪でライブハウスに出演することになっており、こちらから渡す交通費・宿泊費をその費用の一部に充てる!と言っていた。費用節約である。それでXANFUSには新幹線のチケットではなく現金で交通費を渡すしホテルもこちらでは取らずにツイン2つ・シングル3つ分相当の現金を渡す。
 
こちらは新幹線のグリーン席相当で計算して渡すが、彼女たちは楽器と一緒にハイエースで!移動するらしい。またこちらはだいたいシティホテルに宿泊を取っているのだが、彼女たちはそのお金で格安ビジネスホテルに泊まって節約するらしい。
 
XANFUSはこれをやりたいので、わざわざ遠隔地のイベントに名乗りを上げた。
 
26日高松の後も27日(木)岡山、28日(金)広島、29日(土)松山、30日(日)高松とライブハウスに出演する。また10日大村の後も11日(木)長崎、12日(金)熊本、13日(土)福岡、14日(日)北九州、15日(月)大分とライブハウスに出る。いづれもローズ+リリー側から渡す交通費・宿泊費を向こうのツアーの費用に充填するという。
 
「来年は東日本ツアーやりたいからよろしく」
などと光帆は言っていた!
 
「でもライブで疲れた後、車の運転は気をつけてね〜」
「大丈夫、由妃のどちらかはその日のライブに出てないから、出てない方が運転する」
「なるほど〜!」
「どっちみち女の子由妃は授乳中だから、男の娘由妃もそれに付き合って禁酒中なんだよね。だから、安心して他のメンバーは飲める」
「ああ」
 
「でも由妃ちゃん中型免許持ってたの?」
「ふたりとも大型免許持ってるよ」
「だったらいいね」
「同じ日に試験受けて一緒に合格したから免許の記載事項も同じらしい」
「ほんっとに仲良いね!」
「見回りしていた試験官が『え!?』と思ったらしい」
「なるほどー」
「写真撮る時に、うっかり逆になったらしいけど、まあいいかと思ったと」
「うん、問題無い気がする」
「当時は性別が違っていたんだけど、免許証の表面には印刷されてないし」
「うん、あれは助かる」
 
「音羽も大型持ってるけど、あいつは真っ先に飲んでるから」
「まあボーカルはいちばん疲れるから、運転は避けた方がいいよ」
 

8月12-13日(日月).
 
私はやっと政子とゆっくり話すことができた。お盆でどこもかしこも休みなのに乗じて、私は「お盆期間中は休みます!」と宣言し、リッツカールトンのスイートに政子と一緒に2泊した。「連絡は取れません」と宣言し、スマホの電源も切って2人だけの時間を満喫した。
 
それで政子はやっと今お腹の中にいる子供の父親について語ってくれた。
 
「これ、冬と亮平だけに打ち明けることにしたから」
「亮平君?じゃ、やはり父親は亮平君なの?」
 
実は私はその可能性が最も高いと思っていたのである。実際政子は亮平と別れたと言っておきながら、その後何度もセックスしているようである。
 
「ううん。父親は冬だよ」
「へ?」
「亮平は笑って、ケイちゃんが父親ならいいや。新たに恋人が出来たのでなければ自分も安心だし、ケイちゃんには嫉妬しないよと言ってくれた」
 
「ちょっと待って。私が父親なの〜〜!?」
 
「覚えてる?冬。冬が去勢手術をした前夜、私たち1度だけ冬が男役をするセックスをしたよね。避妊具はつけずに」
 
「覚えてるけど・・・」
「あの後、私自分のヴァギナから冬の精液をスポイトで吸い上げたんだよ」
「うっそー!?」
「そしてそれを冷凍保存しておいてもらったんだよね。実は今回はその精液を使って妊娠したんだよ」
 
「ちょっと待って。人工授精とかする時は、父親の同意が必要だよね?」
「うん。冬の同意書を偽造した」
「ひっどーい!」
 
私は偶然の巡り合わせからこの精液の存在自体は知っていた。ただどうやって政子が私の精液を入手したのかは謎だった。それがまさか自分の体内から吸い上げたものだとは思わなかった。
 

「産んでいいよね?」
「まあ、中絶しろとは言えないし」
「認知はしなくていいからね」
「私、戸籍上女だから認知できない気がする」
「そうかもね〜。養育費も要らないから」
「私たち一緒に生活しているから、養育費の仕送りするとかいう状況ではない気がする」
「そういえばそうだ」
「でも万一別々に暮らすようになった場合は、ちゃんと生活支援するよ」
「そうだね〜、その時はよろしく」
 
「性別とかは分かっているの?」
「お医者さんはまだ分からないと言っている。でも私この子の名前決めちゃった」
「名前?」
「あやめ、というの」
「女の子ならそれでいいけど、男の子だったら?」
「その時はおちんちんを切ってもらって、やはり女の子として出生届出して」
「無茶な!」
 
それでこの子の父親が誰かというのは、私と亮平君以外誰も知らないまま、妊娠の週数は進んでいくのであった。但し生まれた後、その子を見て、青葉と千里には即誰が父親か分かってしまったようである。
 

8月15日(水).
 
私は意外な人物から連絡を受け、都内のレストランで密かに会った。
 
「松山君久しぶり」
 
それは高校の同級生で大阪在住の松山貴昭であった。政子と恋人同士だった時期もあるが、現在の奥さんと政子との激しい取り合いの末、政子が敗れ、彼は今の奥さん・露子さんと結婚したのである。
 
「実はさ、政子が妊娠して、その父親を発表してないでしょ?」
「うん」
 
と返事しながら、私は罪悪感を感じている。
 
「それでうちの妻が疑っているんだよ。それって僕の子供じゃないのかって」
 
「松山君ここだけの話、政子との関係は?」
「あの時以来切れてる。妻に見つかるからメールのやりとりもしてない」
 
「じゃ政子が松山君の子供を妊娠するわけない」
「でもそれを妻が信じてくれないんだよ」
 

私は腕を組んで悩んだ。
 
政子を奥さんに会わせて絶対に浮気はしていないと宣誓させるか?いや、それでは誰の子供か言えと奥さんは言うだろう。
 
私は唐突に千里が京平君のDNA鑑定書を取ったことを思い出した。
 
「DNA鑑定すればいいよ」
「それって子供が産まれた後だよね?」
「胎児でもできるよ」
「子宮内に針とか刺して胎児の組織を採取するの?」
 
「胎児の組織は取らないけど羊水を検査する方法はある。でも政子の妊娠は現時点では実際かなり不安定みたいなんで、させたくない。でも、赤ちゃんは臍の緒で母親とつながっているから胎児のDNAが母親の血液中に混入するんだよ。だから政子の血液を採って鑑定することができる」
 
「そんなことができるんだ!だったら、僕も採血か何かすればいい?」
 
「それはきちんと裁判資料にもなるような厳密な鑑定をしてくれる認定機関があるから、そこに依頼して、指示に従えばいい」
 
「そういう所があるんだ!だったらそれ紹介してくれない?費用は全部僕が出すから」
「20万円くらいかかると思うけどいい?」
「うっ。でも家庭争議には代えられない。やるよ」
「分かった。政子にも言って対応させるから」
 
それで鑑定が行われた結果、政子のお腹の中にいる子が松山君の子供である可能性は0%との鑑定結果が出て、奥さんの疑いは晴れたのである。
 
でも松山君は今回の鑑定に幾ら掛かったかは奥さんに内緒にした!
 

そしてこの鑑定のおまけで、胎児は女児であることが判明した。
 
「やはり、あやめちゃんだぁ」
と政子は喜んでいた。
 
「でもこういう方法があるなら、これやれば超音波でちんちん付いているかどうかとかで見るより確かなのに」
「料金が高いから、ふつうできないよ」
「へー。幾ら?5〜6万円?」
「今回やったのは21万円」
「うっそー!?」
 
(政子はあまりの料金の高さに驚き、松山君に悪いと言って、友人の佐野君を通して半額の10万を彼に渡した)
 

8月19日(日).
 
信次さんの四十九日の法要が行われたので、私と政子は千葉の川島さんの家に行き、法要に出席した。今回出席したのは、康子さん・千里・太一さん夫妻と生まれたばかりの翔和君、康子さんのお兄さんの小林成政さん、康子さんの亡夫の弟(信次の叔父)川島義崇さんといった親族7人と、千里の友人として桃香と青葉、私と政子、小夜子とあきら、淳と和実、それに千里のマネージャー天野貴子さんの9人で合計16名である。
 
千里を見た感じは、お葬式の時に比べるとかなりマシになっていて、私たちが行くと
 
「来てくれてありがとうね」
と言って涙を流していたので、私も政子も千里をハグして
「少しずつでもいいから元気を出してね」
と言った。
 
やはり本当に少しずつであるが、回復してきているようである。
 

四十九日の法要が終わった後、川島宅に残った桃香を除いたクロスロードのメンツ7人でお茶を飲んだ。
 
「淳さんは、お仕事の方はちゃんと片付きそう?」
「うん。システムは安定していて、今はずっとドキュメントの整理をしているんだよ」
「だったら、予定通り性転換手術受けられそう?」
「それもうドキドキしていて・・・」
 
「逃げるなら今だよ」
とあきらが言う。あきらも実は年末に性転換手術を受けることにしている。それでクロスロードのオリジナルメンバーは全員女性になってしまう。
 
「逃げたい気分半分だけど、逃げたら女になるチャンスはもう無いだろうから頑張る」
と淳は言っている。
 
「あとわずかの命になった、おちんちんを可愛がってあげよう」
と政子は言っているが
「実はここの所、毎日のようにしている」
などと淳。
「セックス?」
と訊くと首を振る。
「じゃオナニー?」
と訊くと、恥ずかしそうに頷く。
 
「まるで乙女のような恥ずかしがり方だ」
「40歳にもなって、オナニーくらいで恥ずかしがることないのに」
「さすがにまだ40歳ではない」
「まあ40歳前に女になることができてよかったね」
「女の子と呼ばれる年齢で女になることができなかったことは残念だけどね」
 

けっこうみんなで淳をからかっていたのだが、青葉が沈んだ雰囲気なのが気になった。
 
「青葉、どうかしたの?」
と私が訊くと、本人は
「あ、えっと・・・」
と言って、何かためらっているような表情。
 
すると和実が言った。
 
「青葉は、彪志君と破局したらしいんだよ」
「うっそー!?」
 
「別れたことは認める」
と青葉は言う。
 
「なんでまた?」
「うん。ちょっと・・・」
 
「言っていいかな?」
と言って和実が説明してくれた。
 
「彪志君にお見合いの話があったらしいんだよ。彪志君のお母さんが持ち込んできた」
「なぜそんなことを?」
「もちろん彪志君は断った」
「だろうね」
 
「ところがその話を聞いた青葉はせっかくお見合いの話があるんなら受ければいいのにと言ったらしい」
「なぜ?」
 
「私が悪かったんだよ」
と青葉は言っている。
 
「それで彪志君と言い争いになってしまったらしくて」
「え〜?」
「それで青葉は、子供の産めない私なんかより、ちゃんと産める天然女性と結婚すればいいじゃんとか言って、すると彪志君も怒って、だったらそういう人と結婚して子供8人くらい作るよとか言って」
 
「ああ」
 
「それで結局喧嘩別れ」
と和実は渋い顔で言っている。
 
「青葉、それ彪志君も一時的に怒っただけのことだよ。きっと青葉のことをまだ好きだから、喧嘩したことを謝りに行っておいでよ」
と私は言った。
 
「別にあいつと話すことなんか無い」
と青葉は言っている。
 
「そんな意地張ってたら絶対後悔するよ、と私も言ったんだけどね」
と和実も困ったような顔で言っている。
 
「私は結婚する資格の無い女なんだよ。だからずっと一人で生きていくし、それで平気だから」
と青葉は言うものの、その目には涙が浮かんでいた。
 

私はその夜再度青葉に電話を掛けて話し合ったのだが、青葉は泣いていた。
 
「だって千里姉の2番さんはずっと貴司さんと恋仲なのに結婚できずにいて、その間貴司さんは2度も他の天然女性と結婚しているし、1番さんはせっかく男の人と結婚したのに亡くなってしまうし、私たちみたいな種族は幸せな結婚はできないんじゃないかと思って」
と彼女は涙声で語った。
 
「そんなことはないよ。私も正望と婚約したし、ほら、チェリーツインの桃川春美さんは紆余曲折あったけど、ちゃんと男の人と結婚したじゃん」
 
「あっ・・・」
 
「自信を持ちなよ。過去に男の子だったなんて関係無い。今青葉は女の子なんだから、ちゃんと男の人と結婚する資格があるよ」
 
「そうですね・・・」
「だから彪志君に会いに行ってみなよ。彼はきっと青葉のことを待ってるよ」
 
「すみません。もう少し考えてみます」
「うん」
 

四十九日法要から一週間も経たない、8月25日(土).
 
この日の午前中、私はローキューツの秋から冬にかけての大会スケジュールの確認や費用概算について、キャプテンの原口揚羽と打ち合わせた。私が忙しいので彼女に恵比寿のマンションまで来てもらい打ち合わせる。
 
「まあ強敵は多いけど、何とか上まで行きたいね」
 
「地域リーグも昔からの強豪、レピス、湘南自動車、BC運輸、千女会といったところと新興のKL銀行、江戸娘、40 minutes、ローキューツの4者との激しい争いになって、結局この8者で一部リーグという線に落ち着きましたからね」
 
「今年は赤城鐵道、MS銀行、NF商事、東女会といった所が涙を呑んだね」
「そのあたりが当然2部上位になって入れ替え戦に出てくると思いますから、こちらも絶対負けられませんよ」
「なんか物凄くハイレベルになっている」
「KL銀行と40 minutesはさっさとWリーグに昇格して欲しいんですけどね。だってWリーグの下位チームより明らかに強いですよ」
 
「その意見、江戸娘の青山さんからも聞いた」
「あはは」
 
江戸娘のオーナーは現在政子なのだが、政子の性格で実際のオーナーの業務ができるはずもなく、政子は結局お金を出すだけで、実際の業務はほぼ全て私が代行している。
 

「そういえば昨日、うちの千城台体育館に千里さんが来たんですよ」
「え!?」
 
「しばらくバスケから離れていたんで少しここで練習させてくれと言って」
「へー!」
 
「ワールドカップ前の合宿で激しい練習やってんじゃないかと思ってたんで、何を言っているんだろう?と思ったんですが、手合わせしたら、ほんとになまっている感じだったんですよ。1on1で私が半分勝てましたから」
 
「ふーん・・・」
 
揚羽がマッチングをして半分くらい勝つというのは間違い無く千里1だと思った。千里2でも千里3でも、100%揚羽には勝てるはずである。しかし半分勝てるというのは、少なくとも数日前に見た千里1とは全然違うと私は思った。あの千里ならたぶん全敗だ。
 
「千里、元気そうだった?」
「時折、ボーっとしている感じの時もあるんですが、気合いが入るとやはり気迫が違うんですよ。でもどうも身体が思うように動かないみたいで、結構首をひねってました」
 
「その時居たのは、揚羽ちゃんだけ?」
「私と紫(揚羽の妹)だけです」
 
「もしまた来たら、相手をしてあげて。でもこの件はあまり人には言わないようにして」
「はい、でもどうしたんでしょうね。ホントに調子悪そうだった」
 
「他の人には漏らさないで欲しいんだけど、千里は昨年夏くらいから二重人格状態になっているんだよ」
 
「え!?そうだったんですか?」
「片方はもちろん世界のトップレベルなんだけど、片方はプロの二軍レベル」
「なるほど〜!」
 
「実は結婚して主婦していたのも、そちらの千里で、世界大会に出て活躍している方の千里は自分が結婚したことも知らない」
 
「うっそー!?」
 
「このことは、千里の周辺のごく少数の人だけが知っているんだけど、そういうわけで、千里と会った時は、どちらの千里かによって話を合わせてあげて。多分どっちの千里なのかは見ただけで分かると思う」
 
「はい。多分私も分かると思います。それで昨日のことが納得行きました」
 

それで揚羽は帰ったのだが、彼女の話からすると千里1はかなり回復している気がする。いったい何があって急にそんなに状態が改善されたのだろう。
 
私は彼女に会いに行ってみようと思った。千里1はまだ千葉にいるはずなので、政子のリーフを借りて、千葉まで行ってみる(エルグランドは川崎ゆりこが借りだしていた)。
 
「こんにちは、千里いる?」
「あ、冬、おはよう!」
と言う千里1の表情は、かなり活き活きしている。日曜日に見たのとは全く違う。
 
「だいぶ元気になったみたい」
「うん。少し元気になった」
と本人も言っている。
 
それであがって持参のケーキを出し、千里が入れてくれたお茶を飲みながら少し話した。康子さんは外出中ということだった。
 
「私の作曲が停まっててごめんね〜。少しは貢献しなきゃと思って少しピアノ弾いたりもしてみるんだけど、なーんにも思いつかないんだよね」
 
「まあ今回のことはショックだったろうから今は仕方ないよ。無理せず少しずつ精神力を回復させていけばいいと思う」
 
「ありがとう。バスケも少し練習しなきゃと思って、先日はローキューツの体育館に行ってみたんだけど、ちょうど居合わせた揚羽と勝負してみたら半分しか勝てなかった。かなり実力が落ちているみたい」
 
「練習していれば回復するよ」
「うん。そう思って取り敢えず毎日4km走ることにした。実はまだ10km走る自信がなくて」
「最初はそのくらいから始めればいいよ。深川アリーナにも来ればいいのに。ここから深川はわりと近いし」
「いや、あそこで40 minutesやジョイフルゴールドのメンバーと顔合わせたらとても恥ずかしいプレイしかできないと思う。だからもう少し自分を鍛えないといけない」
 
「でも強い人と練習しないと伸びないよ。そうだ。ちょっと待って」
 
私は時計を見る。現在14時。アメリカは午前1時である。千里2はまだ起きていると思った。それでいったん部屋の外に出て、彼女に電話する。
 
「え!?そんなに回復しているの?」
と千里2は驚いていた。
 
「うん。かなり元気になってるよ。まだ作曲は無理っぽいし、揚羽ちゃんと1on1やって半分くらいしか勝てなかったらしいけど」
 
「そのくらいまで回復してるなら、いい練習パートナーを行かせるよ。南野鈴子(みなみのすずこ)さんという人から連絡させるから。実はローキューツのOGなんだよ。千里とは入れ違いになっていて知らないだろうけど」
「分かった」
 
それで千里2との電話を切った後で、
「南野鈴子(みなみのすずこ)さんというローキューツのOGさんがしばらく練習パートナーを務めてくれるって」
「その人知らない」
と千里1は首を傾げて言う。
 
「うん。千里とは入れ違いになったから、千里は彼女のこと知らないはずと言っていた。短期間の在籍だったらしいし」
「へー」
 
「練習場所も2人だけでできる所を確保するからと言っていたよ」
「凄い。あ、でも場所代は?」
「2人分の年間パス代だけ払ってって」
「分かった。だったら、新しいバッシュとボールとか買おうかな」
「ああ、いいんじゃない」
 
千里とは1時間ほど話したが、この様子だと多分数ヶ月以内に千里1は復活すると感じた。霊感はまだ喪失したままのようであるが、おそらく体力が回復すれば霊感も戻ってくるのではと私は思った。
 

「でも千里マジでこないだの四十九日の時に見たのとはまるで雰囲気が違う。何かあったの?」
と私は尋ねる。
 
すると千里は微妙な微笑みを浮かべてから言った。
 
「私、女の子のママになったから、頑張らなくちゃと思った」
「今、仙台で代理母さんのお腹の中で育っている子のこと?」
 
その子について、信次さんが死亡したことで、やはり医者は代理母プロジェクトは中止して、胎児は中絶すると言ったのだが、桃香が頑張って医者を説得し、代理母さんも合意の上で、普通の養子として千里に引き渡すことになったのである。それでその子は中絶されることなく、無事育ちつつある。
 
「ううん。あの子の性別はまだ分からない。でも一昨日、私の血を引く女の子が生まれたんだよ。カンナちゃん」
 
「かんな?なんか10月生まれみたいな名前」
「そういう名前にするって、貴司と約束していたから」
「貴司さんと千里の子供!?」
「そうだよ。貴司は美映さんが産んだと思っているだろうし、美映さんも自分が産んだと思っているだろうけど、本当に産んだのは私。だからこれ使っているんだよ」
 
と言って千里は産褥パッドの袋を見せてくれた。
 
「美映さんはこういうものは一切使う必要無いはず。そしてお乳も出ない。本当は子供産んでないから。私は、しばらくお乳も出なくなっていたけど、また出るようになった。初乳をカンナちゃんに飲ませたよ」
 
「へー!」
 
「カンナって10月のことでしょ?」
「うん」
「10月の別名は小春。つまりこの子が小春、ローズ+リリーのライブにも出た“謎の男の娘”さんなんだよ。やっと生まれてくれた。写真ももらったよ」
 
と千里は嬉しそうに言って、生まれたての赤ちゃんの写真を見せてくれた。
 
(この写真は羽衣が千里に渡したものである)
 
「わあ、可愛い。でも女の子なんでしょ?」
 
写真は本当に生まれたての所を撮ったもののようで、血も付いているし裸である。そのお股には確かにおちんちんのようなものが見当たらないので、間違い無く女の子のようである。
 
「男の娘のはずだったんだけど、病院の看護婦さんが『女の子ですよ』と言ってたし、この写真を見る限りは女の子に見えるし、予定が変わって女の子で生まれて来たのかも」
 
「まあその方が苦労しなくて済むよね」
 
「冬にしても、私にしても間違って男の子で生まれて来たおかげで随分苦労しているよね」
「まあね。でも男の子で生まれて来たからこそ体験できた色々なこともあるよ」
「結構黒歴史にしたいものが多いけどね」
「それは同意」
 

2018年8月29日(水).
 
ローズ+リリーの27枚目のシングル『お嫁さんにしてね』が発売された。
 
このCDの音源はマリが「録り直したい」と言ったので、結局3曲とも新しく録音し直している。特に『Long Vacation』と『祝愛宴』は、当時のマリ自身の歌唱力が低かったので、そのままリミックスだけして出すのは、良心が許さなかったのであろう。『お嫁さんにしてね』はバンジョーとフィドルなども入れてカントリー色のあるアレンジにした。
 
記者会見は、いつもは★★レコードの会見室で、生演奏した後質問に応じるのだが、そういう形で記者会見をするとマリのお腹の中の子供の父親についてかなり追及されるのが目に見えている。それでマリの精神状態に配慮して、記者会見は行うものの、音源とPVだけ流して、記者会見は私と氷川さんだけでやり、マリは欠席させることにした。
 
PVでは『祝愛宴』で、平安時代かと思わせる、十二単(じゅうにひとえ)や狩衣を着た男女が寝殿造りの屋敷で和歌を取り交わしたりする様の様子がかなり記者たちの興味を引いたようである。出演しているのは○○ミュージックスクールの生徒さんたちである。この人たちには昨年『同窓会』のPVにも出てもらった。
 
『お嫁さんにしてね』は千里が元々フロリダで見た結婚式の様子から着想を得たものなので、今回のPVもFMIに依頼してフロリダの結婚式の様子を撮影してもらい、それを編集してまとめあげた。映っているのはみな現地の役者さんたちだが、結婚式を挙げているカップルだけは本当の夫婦である。
 
『Long Vacation 2018』については、新海誠の『秒速5センチメートル』を思わせるような青春物語に仕立てている。桜木ワルツと岩本卓也が出演し、学校の制服を着た男女が別れに涙するシーン。大学生になった各々が別の恋人と付き合うシーンを経て、おとなになった2人が小さな駅で運命的に再会するシーンが描かれる。ふたりが小さな喫茶店で長く話し合うシーンが描かれ、ふたりのデートが描かれ、最後はふたりの結婚式のシーンで終了する。
 
このPVについては「これ映画化したいですね」という意見も出ていた。
 

しかし、今回の記者会見では、やはりマリの子供の父親のことでたくさん追及された!
 
むろん私は「聞いてはいますが、マリが公表したくないと言っているので言いません」というので押し通した。
 
この日は記者の数も多くて、席に座れず立ったままの記者が多数居た。
 
「お相手は芸能人か音楽関係者ですか?あるいは一般の方ですか?」
「それもお答えできません」
「答えられないということは芸能人ですか?」
「勝手な憶測をされても困ります」
 
「結婚しないということですが、相手は既婚者ですか?」
「既婚者ではないということはお答えしてもいいです。マリは不倫はしてません」
「既婚者ではないのに結婚しないのはなぜですか?」
「結婚というものに拘束されたくないからと言っております。ですから認知も拒否と言っています。相手もマリの気持ちに考慮して、認知はしないものの、養育については責任を持つと言っています」
 
この件はみんなしっかり書き留めていた。
 
「ではその人とは現在恋愛関係にあるのですか?」
「恋愛という形でも拘束されたくないと言っています。ですからただのお友達です」
 
「俳優のNさんではないのですか?」
「違います。Nさんとはラーメン屋さんで偶然遭遇しただけでデートもしていません」
「上島雷太さんでもない?」
「上島先生とマリは2人だけで会ったことは1度もありません。いつも私が一緒です。それに私は既婚者ではないと申し上げました」
 
「渋紙銀児さんということは?」
「渋紙さんとはあれ以来、一度も会っていません」
 
「ある方面からの噂で、高校の時の同級生ではないかという話も聞いたのですが」
 
よくそんなところまで調べたなと思った。きっと昔の同級生の誰かが漏らしたのだろう。マリと松山君が交際していたことは、元同級生の間ではけっこう知られていた。相当、私たちの周囲の人物まで取材に回ったもようだ。
 
「その人も既婚者です。彼は独身時代にマリと交際していた時期もあったので、今回の件で奥さんから疑いを持たれて困っていると相談されました。それで結局DNA鑑定をして、その可能性がないことを証明しました。実際彼とはもう3年ほど会っていないのですよ」
 
他にも数人の名前があげられたものの、私は全て否定した。しかしそれだけ名前があがったのに、大林亮平の名前が出て来なかったのは凄いと思った。おそらくは※※エージェンシーの親会社的な存在である∞∞プロの力で一切情報が流れないように押さえ込んでいるのだろう。桜野みちるの件が漏れてしまったのは、本人たちの自主リークがあった可能性がある。みちるは本来は契約上26歳になるまで結婚できなかった。
 
結局このやりとりで15分近く使った!
 

その後、私自身の婚約についても尋ねられたが、これはありのままの状況を答えた。エンゲージリングは、つけておられないのですか?と言われたのでバッグの中から出して左手薬指に装着したら、みんな一斉に写真を撮っていた。さすがにちょっと恥ずかしい。
 
「随分小さなエンゲージリングだと思うのですが」
などと無遠慮なことを言う記者もある。カチンと来たが私は平常心で笑顔で答える。
 
「この指輪を買ったのは、私も彼もまだ大学生の時でした。ローズ+リリーも活動休止中で、どちらもお金が無い中、精一杯背伸びして買ったものです。今ならどちらも経済的なゆとりがありますが、愛の記念なので、買い直すことはありません」
 
「それを買われたのはいつですか?」
「2011年11月15日です。大安です」
「では7年前に買った指輪を今年受け取られたのですか?」
 
「そうです。7年前は一緒に買いに行って、私の指に合わせてもらいましたけど、私はその時はまだ受け取れないと言って受け取りませんでした。でも今回は婚約することに同意したので受け取りました」
 
「それでご結婚なさるのは?」
「少なくとも2〜3年以内は無理です。ひょっとしたら7年後かも知れませんね」
と私はこの時、言ったのだが、本当にそうなった!
 

私の婚約問題でも10分ほど使い、やっと楽曲の話、そしてツアーの話に入る。
 
「マリさんはこのまま引退ということはないのでしょうか?」
「それはありません。マリは妊娠中も音楽活動を続けます。ライブツアーが終わったら、次のローズ+リリーのアルバム制作準備に入ります」
 
「そのアルバムはいつ頃リリースの予定でしょうか?」
「おそらく来年の春くらいになると思います。ですからマリの産休開けくらいに、新しいアルバムを持って全国ツアーができると思います」
 
「アルバムのタイトルは決まっていますか?」
「まだ未定ですが、今漠然と考えているのは『星たちの歌』というものです」
「“うた”の漢字は?」
「歌手の“歌”です」
 
「マリさんの産休はいつからいつまでですか?」
「今度のツアーが終わった後、来年の7月までの予定です」
「それでは今年のカウントダウン、および震災イベントはお休みですか?」
 
「カウントダウンはお休みになると思います。震災イベントはローズ+リリーは演奏しませんが、私たちが費用を負担して、お友達のユニットが出場して実施します。私はもしかしたら司会をさせて頂くかも知れません」
 
震災イベントについては和泉・光帆・花野子およびコスモスと同意済みである。
 
これは記者たちが頷いてしっかりメモしていた。
 

KARIONの12枚目のアルバム『1024』は9月12日(水)に発売された。この日私は夕方から千葉の幕張でローズ+リリーのライブがあるのだが、お昼の12時から発売記者会見をし、トラベリングベルズの伴奏でKARIONがアルバムの中から3曲ショードバージョンで生演奏して、その後、質疑応答に応じた。
 
KARIONのツアーは9月15日より始まるが、ローズ+リリーのツアーは既に8日から始まっていた。
 

この9月12日、淳が国内の病院でとうとう性転換手術を受けた。
 
私や政子はツアー中でもあり行かなかったが、現地に青葉・桃香・あきら・小夜子が入って、若干不安そうな顔をしながら最後まで逃亡したりせずに!手術を受けた淳を励ましたようである。青葉はヒーリングもしてあげて、それで結構楽になったようだと、小夜子さんから連絡があった。
 
なお、淳は和実との婚姻状態をキープするため、法的な性別は変更しない。
 
現地には和実はもちろん行っているし、他に掛尾さんという淳の古い友人(女性)も来ていた。淳が今の会社に入社した頃の同僚らしい。彼女は淳の会社の専務から、たまたまその話を聞き、手術を受けた病院が近所だったので顔を出したということであった。
 
「へー。淳ちゃん、結局女の子と結婚したのか。でも女の子と結婚したのに淳ちゃん自身が女の子になってしまってもよかったの?」
と彼女が言うと、和実は少し嫉妬するような顔で
 
「私たちはレスビアンですから」
と答えた。
 
「淳ちゃんにそういう傾向があるとは知らなかった」
 
「淳は、もしかして男性との恋愛経験ありました?」
と和実が訊くと
「言っちゃおうかなぁ」
などと彼女は言う。
 
「ちょっと勘弁してぇ」
と淳は痛みに耐えながら言っていた。
 
「もしかして淳、私が知る前から女性社員してました?」
 
「淳ちゃんが会社に入ってきた時、男の子だと思った社員はひとりも居なかったよ」
と掛尾さん。
 
「淳、私に色々隠し事してたね?」
 
「実は淳さんって、男性社員だったことがないとか?」
などと小夜子が言うが
 
「いや、ちゃんと男性社員していたけど」
などと言って、淳が焦っているので、ヒーリングをしてあげていた青葉も思わず苦笑していた。
 
 
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【夏の日の想い出・つながり】(6)