【夏の日の想い出・少女の秘密】(5)

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3月13日の放送を見てのネットの感想は「がっかり!」という意見が大半をしめた。
 
「和夫の女体が偽装だったなんて」
「未来の医学だったら、チンコ切っても後で戻せそうなのになあ」
「もしかしたら法的に規制されているのかもね。そんなに何度もコロコロと性別変えられたら混乱するもん」
「やはり性転換は1度だけだよね〜」
 
「アクアは結局、おっぱい大きくしてないのか」
「それかなり疑惑あったけどなぁ」
「アクア様のやわらかいバストを夢見てたのに残念」
 
「でも、あのブラ跡はマジだよな?」
「アクアは頻繁に女役やってるから、ブラ跡が実際あるんだと思う」
「女役もしてるけど、絶対プライベートでもブラ着けてるんじゃないの?」
「アクア様はブラジャー着けてもスカート穿いてもいいんだよ、似合うから」
 
「でも和夫の声は放送開始の時よりトーンが高くなっているよ。録画しているのと聞き比べてみるとハッキリ分かる」
「アクア様、声変わりして、トーンが高くなっているのかも」
「そういう声変わりもあるのか?」
「アクアだったら、あり得る気がしてきた」
 

復興イベントが終わったので、KARIONのアルバム制作を再開する。
 
葵照子・醍醐春海からは『天神絵馬』『アクア人魚』という2曲をもらった。少年探偵シリーズの『電人M』と『悪魔人形』へのオマージュである。
 
『天神絵馬』は天神様に絵馬を奉納して願い事をする人々を描いた歌である。淡々とした蓮菜の詩に千里はストリングサウンドをフィーチャーしたスコアを書いてくれた。この部分を、これまでも何度もお付き合い頂いているカンパーナ・ダルキの人たちに入ってもらって演奏することにした。そのほか、箏とか篠笛とかが指定されていたので、篠笛は風花に吹いてもらい、箏は私自身が弾いて、千里の指定通り、和風っぽい雰囲気に仕上げた。
 

ところで篠笛には基本的に囃子用・唄用・ドレミ調律の3種類があるのだが、KARIONの制作で使っている篠笛は「純正律調律」という、世にも不思議な特製の篠笛である。唄用(俗楽音階)も純正律も、ドレミ調律(平均律)より合奏した時の響きが良い、つまり周波数が整数比になっているのだが、どういう整数比を採用するかの考え方が違うので、両者のピッチは結構異なる。下記は各々の「平均律との差(セント単位)」である。
 
  純正律_俗楽
C4 15.64_-3.92
D4 19.55__0.00
E4 _1.96__3.94
F4 13.69_-5.86
G4 17.60_-1.97
A4 _0.00__1.96
B4 _3.91__5.86
C5 15.64_-3.92
 
(1セントは半音の100分の1の周波数比。440Hz付近なら半音が25Hz程度なので1セントは0.25Hz程度である)
 
日本音階は基本音(壱越Dを使う場合と双調Gを使う場合がある)から完全五度(周波数比率2:3)の響きだけを使って構成されており、こういうものを「ピタゴラス音階」と言う。ピタゴラス音階は5度の響きが美しいが三度は響かない。実は三度も美しいことは古くはあまり知られていなかったのである。三度を響かせるため、音階を作るのに五度を取る時に完全五度ではなく1/4コンマだけ狭い音程使うと4つ重ねた時に純正な長三度を得ることができる。これを中全音律と言う。中全音律は三度が美しいが五度は響かない。
 
そこで両者を折衷して「主な五度・三度」の響きがきれいに響くように構成したものが純正律である。
 
ピタゴラス音階や純正律は和声の響きがきれいであるが、移調・転調に弱い欠点がある。それを何とかしようとした物が「広義の平均律」で、主な調律法としてヴェルクマイスター第3の法、キルンベルガー第3の法などが古くから知られていた。キルンベルガーは「平均律クラビーア曲集」などを作ったバッハの弟子である。現代の(狭義の)「平均律」は20世紀初頭頃から使われるようになったもので、オクターブを数理的に12等分しているため移調転調に強いが「ひとつとして和音が響かない」という困った問題がある。
 
KARIONは初期の頃から、和音を重視して純正律で演奏を行ってきている。メインボーカルの和泉の声のピッチに完全に響き合うように、他の3人は声を出している。これはメンバーが全員精密な相対音感を持っているからできることである。ギター・ベースも純正律が出やすいように“変形フレット”を設置した特製のものを使用している。
 
KARIONで使用している箏も純正律の音が鳴る位置に琴柱を置いて演奏しているが、この置き方は箏の達人でありかつ洋楽マニアの風帆叔母と私が共同で考案したもので、こんな特殊な置き方をする人は他には居ないと思う(ローズ+リリーの制作ではふつうの和音階で調弦をしている)。
 
なお、千里や青葉などは横笛の名人なので、日本音階に調律された龍笛を使ってもちゃんと指の押さえ方や息の吹き込み方などを調整して、きれいに響き合う音を出してくれている。
 

『天神絵馬』のPVでは振袖を着たKARIONの4人がやはり振袖を着た海香さんと一緒に亀戸天神にお参りして絵馬を奉納する様子を撮影している。ちなみに絵馬に書いた願い事は、和泉が「芸事進展」、小風は「良縁成就」、美空は「良食歓迎」、私は「開運厄除」、海香さんは「学問成就」であった。
 
ちなみにこのPVを撮る時に黒木さんにも
「黒木さんも振袖着て映らない?」
と小風が誘っていたが
「それ俺の性的指向を誤解されるからやめとく」
と言っていた。
 
黒木さんは小風や美空が“連行”してくるのもあるが、しばしば女性用楽屋に来て、KARIONの4人や女性伴奏者などとおしゃべりしたりしているし、彼が女性用楽屋に居ても誰も違和感を覚えないので、小風にしても私などにしても彼の性的傾向に若干の疑惑を持っている。
 
「だいたい俺の背丈に合う振袖なんて無いよ」
と言うので
「友人の醍醐春海が身長200cmまでの人の振袖作れる所を知ってますよ。あの子バスケット選手なんで」
と私は言う。
 
「バスケット選手は背が高いもんな!しかし200cmなんて女子が居るんだ?」
「顔料インク印刷方式なら30分で振袖が作れますよ。耐久性は無いけど」
「30分!?すげー」
「コスプレ用に作る人があるんですよ。印刷でも酸性インク使って普通の作り方したら2ヶ月掛かります。これは耐久性のある普通の振袖になります」
「なるほどー!」
「作って着てみます?」
「やっぱやめとく。お婿さんに行けなくなるかも知れないし」
 
そんなことを言っていたら小風が
「SHINさん、お婿さんのもらい手が無かったら私がもらってあげるよ」
などと言う。
 
「コーちゃん、そういうの本気にするからやめて」
と黒木さんは言っていた。
 

江戸川乱歩の『悪魔人形』(一部の出版社の版では『魔法人形』)は、乱歩が少女雑誌上で発表したものなので、他の作品とは少しテイストが違っている。小林少年の女装に花崎マユミの男装まで見られて萌え度が高い。
 
「ぼく、女の子に変装します」
「ぼくのからだに合う女の子の洋服も和服も、いつでも使えるように事務所にちゃんと用意してあります」
「ほんとうは男の子なんだよ」
「あたし、男の服をきていくわ」
「男の服をきているが、どうも女らしいね」
 
しかし・・・・なぜ小林少年は女装し、マユミは男装しなければいけないのでしょう??女の子が潜入した方がいい所はマユミが行き、男の子がいい所は小林君が行けばいいと思うのに。明智さんの趣味か??
 

KARION作品の『アクア人魚』は水の中の人魚という意味で人魚の女の子の恋物語である。ちょっと女子高生っぽい可愛いラブソングで、葵照子はこういう歌詞を書くのが本当にうまい。元々アイドル歌手向けに書いていたもののようだが、KARIONが歌うというので多少おとなっぽく調整したようである。
 
演奏は普通のトラベリングベルズ(ピアノは私でグロッケンは和泉)に夢美のヴァイオリンと風花のフルート、そして間奏部分に小風のウォーターグラスが入っている。水を入れたグラスを音階になるように調整して並べたものである。以前『Earth, Wind, Water and Fire』という曲でもこれを入れたことがあり、その時も小風が演奏している。
 
PVはアニメーションで制作した。南国っぽい海で多数の人魚の女の子が出てくる。顔を似せている訳ではないのだが、和泉・美空・蘭子・小風っぽい人魚も脇役として出てきており、赤・青・ピンク・黄色というパーソナルカラーのブラを着けている。
 
制作中にスタジオを訪れていたマリは「アクア人魚というタイトルならアクアを出演させて可愛い美女人魚姿のコスプレさせようよ」と言っていたが、“アクア・プロジェクトのディレクター”に就任した和泉から却下されていた。
 

3月19-21日には前橋市で「第43回全日本クラブバスケットボール選手権大会」が行われた。2018年度からはクラブ連盟と実業団連盟の統合が予定されてはいるものの、2018年3月の全日本クラブ選手権までは行われる予定である。つまりこの大会は来年が最終回となる。
 
この大会では40 minutesが優勝して3連覇を達成。ローキューツは準優勝であった。この大会で退団する愛沢国香主将と須佐ミナミに私は直接花束を渡した。
 

3月20日(祝)。
 
龍虎は母と一緒に、この日行われたC学園の入学準備説明会に出て行った。
 
龍虎が学校の第1体育館“黄金”に入って行くと、ざわめきが起きる。
 
龍虎はこれは自分の顔を知っている人が自分に注目したのと、女子高と思っていたのに男子が入って来たのと、両方があるかなという気がした。
 
受付を済ませる。4年1組になると言われるので、そのプラカードを持っている先生の所に行く。見ると、説明会の時に個別説明をしてくれた山科先生である。
 
「ごきげんよう、山科先生」
「ごきげんよう、龍虎さん」
 
同じ1組のプラカード前に並んでいた女生徒が驚いたような顔をして龍虎に訊く。
 
「まさかアクアさん?」
「はい、そうです。ごきげんよう」
「ごきげんよう。まさかアクアさん、性転換して女子高生になったんですか?」
「性転換してませんよ。今年から芸術科の高等部には男子も入ることになったんですよ」
「知らなかった!あ、そういえばスカートじゃない」
「服装は学生っぽいものならOKということだったんで、上だけ女子制服のブレザーを着て、下は同色のズボン穿いてみました」
 
「なるほどー!あ、私、植村瑞穂です」
「田代龍虎です。よろしく〜」
 
そんな感じで、その場で数人の生徒と龍虎は自己紹介し合う。周囲に居た子で日高洋子、池田由美、村上香代、田中成美という子と挨拶を交わした。洋子ちゃんは165cmくらいで秀才っぽい雰囲気の子、由美ちゃんは150cmくらいでおとなしそうな子、香代ちゃんは154cmくらいでやや太め、いかにもおしゃべり好きという雰囲気の子、成美ちゃんはすらりと背が高くてたぶん170cm近い。活発な雰囲気の子である。洋子ちゃんと成美ちゃんは芸術コースで、他の子は普通コースらしい。
 
龍虎たちの様子を少し離れた所から見ながらなにやら騒いでいる子たちもいる。
 
「やっほー」
と言って、以前からの友人、彩佳と桐絵がやってくる。
 
龍虎が手を振る。
 
「あ、こちらぼくの中学時代の同級生。うちの中学からはこの3人だけがこの高校に来たんだよ」
と龍虎は瑞穂たちに説明する。
 
「よろしくお願いします。南川彩佳です」
「よろしくお願いします。入野桐絵です」
と2人とも挨拶する。
 
「2人とも1組?」
「うん。一緒になった」
「よかった」
 

そこに「ごきげんよう、ごきげんよう」と言って寄ってくる女の子がいる。
 
「ごきげんよう、飛鳥ちゃん」
と龍虎が言うと
「ごきげんよう、龍虎ちゃん」
と彼女も言う。
 
「あのぉ、もしかして松梨詩恩ちゃんですか?」
と瑞穂が尋ねる。
 
「はい、その名前で出ています。本名は天羽飛鳥(あまば・あすか)です。私も1組です。よろしくお願いします」
 
「静夜ちゃん見た?」
と龍虎が訊く。
「うん。向こうの方でクラスメイトになる子につかまってる。あの子は3組」
と飛鳥(詩恩)。
 
瑞穂がそちらを見る。何だか人だかりがしている(こちらも実は結構な人だかりになりつつある感もある)。
 
「星原琥珀ちゃん!?」
「本名は岩下静夜(いわした・せいや)ちゃんね」
と龍虎がコメントする。
 
「個人的に分かっていた芸能人の新入生は私と龍ちゃんとセイちゃんの3人だけど、もしかしたら他にもいるかも」
 
「なんかお仲間がいて心強い。それに中学の同級生も2人入ってくれたし」
と龍虎は言う。
 
「私も中学の同級生が1人一緒に入ってくれたんだよ。まだ来てないみたいだけど。でもそれで凄く心強い」
と飛鳥。
 
「やはり色々不安だもんね〜」
と龍虎は言った。
 
「お嬢様学校みたいな所だったらどうしようと思った」
と飛鳥が言うと
 
「ああ、それは無い無い。そんな子は雙葉とか白百合に行く」
と瑞穂が言っている。
 

集合時間の結構ギリギリになって、学生服を着た男の子が1人やってきて1組の所に並ぶ。周囲がブレザーにスカートの女子高生ばかりなので、何だか居心地が悪そうな顔をしていた。龍虎は彼に近づいて行った。
 
「ごきげんよう。田代龍虎です」
「あっと、ごきげんよう。僕、武野昭徳(たけの・あきのり)です。男子は僕だけなのかなあ。3人合格したと聞いていたんだけど」
 
「取り敢えず私と武野さんだけのようですね。もう1人は辞退でもしたのか、あるいは今日は何かでお休みなのか」
 
「・・・・」
「どうかしました?」
「えっと、田代さん、女子ですよね?」
「私、男子ですけど」
 
「うっそー!?」
と武野君が言うので、近くに居た彩佳が吹き出している。
 
「え、だって今、リュウコちゃんと言いませんでした?女の子名前なのに」
「私の名前は空を飛ぶ龍に、吼える虎なんですよ」
「ああ、そういう名前。でも女子制服着てるのに」
 
「これ、上だけ女子のブレザー着て、下は同色のズボン穿いてみました」
「なるほどー!そうやってアレンジしたのか。でもブレザーは女の子仕様の左前にボタン付いているのに」
「ああ、私そういうの全然気にしません。まあ気になるならボタンの付き方はちょっと御裁縫すれば改造できますけどね」
 
「そういう手もあるか。でも田代さん、声が女の子」
「私、声変わりが遅れているんですよね〜。小さい頃大病をしたので、その影響だと思うんですけど。背も低いし」
 
「だよね。なんか普通の女の子の背丈と思っちゃった」
「156cmなんですよね〜。それも小さい頃の大病のせいだと思うんですけど」
 
「まあ、龍はふつうに女の子の中に埋没しちゃうよね」
と彩佳が言った。
 

この日はあらためて学校の教育方針、進路指導、コース分けなどについて説明があった。また芸術科に男子が入ることになったことも説明された。
 
「代表で、そこの学生服を着た男子生徒さん、挨拶する?」
と校長先生が言うと、武野君は一瞬周囲を見回してから立ち上がり、
 
「あ、すみません。武野昭徳です。私、男ですけど、人畜無害ですので、よろしくお願いします」
などと挨拶していた。
 
校長先生が
「今日来てる男子は彼だけみたいですね」
などと言うので、また彩佳が吹き出していた。瑞穂も「うーん」という感じの顔をしている。
 

先生や理事長さん、生徒会長などのお話・挨拶があった後、教科書その他の販売が行われる。龍虎はトイレに行きたくなったので、母に一声掛けてから体育館のフロアを出る。
 
トイレはどこかな?とキョロキョロしていたら、シスター服の(たぶん)先生に
 
「どうかしました?」
と声を掛けられる。
 
「あ、すみません。お手洗いはどこかなと思って」
「そちらの角を曲がった先よ」
「ありがとうございます」
 
それで龍虎は言われた側の角を曲がる。明るいオレンジ色の洗面台が並んでいて、その向かい側にドアがあり、列が出来ている。龍虎は何も考えずにその列の後ろに並んだ。最後尾に居た長身の子が声を掛ける。
 
「あ、龍虎ちゃん」
「あ、成美ちゃんだったね」
 
それでふたりはしばらくおしゃべりしていた。成美ちゃんはヴァイオリンが得意ということで、中学時代には国内の大きな大会に入賞したこともあるらしい。
 
「すごいなあ。私なんか中学1年の時にやっとスズキ・メソードのモーツァルトのコンチェルトを卒業したのに」
と龍虎は言う。
 
「いや、スズキメソードをそこまで上がってきた人は充分優秀だと思う。お仕事始めてなかったら、メンコンまで卒業していたのでは?」
「かもね〜。でも今の生活が気に入っているから」
と龍虎は言う。
 
「でも成美ちゃん背が高いから指も長いでしょう?」
「比べてみようか?」
と彼女が言うので龍虎と手を合わせてみる。龍虎の中指は彼女の第1関節の所までしかない。
 
「すっごーい。羨ましい」
「龍虎ちゃんも、その内もっと背が伸びたら指も長くなるよ」
と彼女は言うが
「たぶん、私もうこれ以上背は伸びないと思う」
と龍虎は言った。
「ふーん」
と彼女は考えるように声を出した。
 
おしゃべりしている内に、列はドアの中まで進む。トイレの中は個室が両側に3つずつ並んでいるが、右手最奥はどうも用具室のようである。つまり個室は5つあるが、こういう時はどうしても混んでしまう。
 
やがてドアが2つ同時に開いて、成美と龍虎は手を振って個室の中に入った。トイレはウォシュレット・音姫付きで、みんな鳴らしているので龍虎も音姫を鳴らしてから用を達した。
 

体育館に戻ると、既に母が教科書は買ってくれていた。
 
「お母ちゃん、それ重いでしょ?ぼくのリュックに入れるよ」
と言って持参のリュックに入れたものの、ずっしりとした重さが肩に掛かる。これきっつーい。早く帰りたいと思った。
 
家庭科の教材、電子辞書、学校指定の体操服やコート、通学用靴、通学用鞄などが販売されている。家庭科の道具などは中学の時に使っていたのが使える人は新たに買わなくても良いということであった。
 
龍虎は実際、裁縫セットは中学の時のを使うことにし、電子辞書は持っていなかったので買い、体操服の冬用・夏用セット、通学用のローファー、学校指定のハーフコート、通学用のカバンとサブバッグ(どちらも校名のイニシャル入り)、柄の所に校章の入った傘を買った。体操服はその場でメジャーで身体の寸法を測ってから、袋に詰めてくれた。
 
「その教科書重いでしょ?車に持っていくよ」
と言って母が教科書の入ったリュックと、傘に電子辞書を持って行ってくれた。
 

確かに教科書は重かったので助かったと思う。体操服、靴、コート、鞄とサブバッグを持って立っていたら、武野君から声を掛けられる。
 
「もう全部買った?」
と武野君。
「うん」
と龍虎。
 
「僕はトイレ行ってたんだけど、トイレが遠くて遠くて。その間にお母ちゃんにあらかた買ってもらった」
と武野君。
 
「大変だったね」
と言いながら、トイレが遠いって、体育館のトイレに気付かなかったのかな、などと龍虎は思う。
 
「あ、田代君、靴も買ったんだ?」
 
「うん。中学ではスニーカーだったけど、高校生はローファーかなあと思って」
「僕も見てみたけど、合うサイズが無かった」
「あ、そうだよね。武野君サイズはいくつ?」
「28cm」
「大きいね!」
と龍虎が言うが、寄ってきた瑞穂が
「だって武野君、背が高いもん。身長いくら?」
と訊く。
「176cmですよ」
「すごーい。背が高い」
 
「田代君は足のサイズは?」
と武野君が訊く。
 
「22.5cmだよ」
「ああ。それだったらサイズ合うよね」
「うん。今日置いてあるのは21cmから24cmまでと言っていた」
 
そして武野君は龍虎の持っている紙袋にも注目する。
 
「あれ?体操服セットも買ったの?」
と武野君が訊く。
 
「うん。制服採寸会の時に買った人もあったみたいだけど」
「ふーん。。。どっちみち僕はサイズが合わないし」
「ああ、そうだよね!」
 
そこに彩佳と桐絵も来る。
 
「ああ、龍、コートも買ったのね」
「うん。だってこのコート可愛いんだもん」
「可愛いよね〜。龍は可愛いもの好きだし」
「好き〜」
 
「可愛すぎてとても僕には着られない」
と武野君が言っている。
 
「普通の男の子はイオンとかユニクロとかで男子用コートを買った方がいいと思う」
と桐絵。
 
「え?ぼくもふつうの男の子だけど」
と龍虎は言うが
「いや、絶対ふつうではない」
と彩佳が断言する。桐絵も呆れたような顔で頷いている。
 
「だいたい体操服セットを買っているし」
「え?何か問題あった?」
「うーん・・・龍は無自覚なのか、無自覚の振りしているかさっぱり分からん」
と彩佳は言った。
 

3月20日は『時のどこかで』の最終回であった。
 
場面は夏休みが終わって2学期が始まった学校であるが、そこにセーラー服を着た、木田いなほが入って来て、担任の先生が「転校生を紹介する」と言うので、和夫が「え〜〜〜!?」と声をあげる。
 
「何だ芳山、知っているのか?」
「いや、たぶん。別人かなあ。よく知っている人に似ていたので」
「まあ世の中には似た人間が3人は居るというからな」
と先生は言っている。
 
「そういう訳で、曽郷仁奈(そごう・にな)君だ、仲良くしてやってくれ」
と先生は言う。
 
結局、仁奈は和夫の横の席に着席する。
 
「和ちゃん、よろしく」
と彼女が小声で言うので
 
「やっぱりニナなの?」
と和夫も小声で言う。
 
「お兄ちゃんがハマっちゃった平成の時代で女子中生してみようかなあと思ってね」
「結婚は?」
「結婚したよ。でも日中は暇だし」
 
「それにあと半年もしたら卒業して高校進学だけど」
「うん。受験勉強して女子高生になる」
「それもいいかもね」
「和ちゃんも女子高生になるんでしょ?」
「僕は男子高校生になるよぉ」
 

この会話についてはネットでも反応が凄かった。
 
「やはりアクアは女子高生になるのでは?」
「確かにアクアは女子高生でもいい気がするなあ」
「アクア様の女子高生服姿見たーい」
 
と、この手の書き込みが大量にあふれる。
 
「アクアって結局どこの高校に行くんだっけ?」
「D高校の学校説明会で見たという書き込みはあった」
「ああ、やはりD高校に行くのか」
「あそこ芸能人多いもんなあ」
 
「A駅近くで学生服着て両親と一緒に歩いているのを見たという書き込みもあった」
「A駅って何があったっけ?」
「都立A高校、都立K高校、私立S学園、私立C学園」
 
「都立は無いだろ」
「C学園は女子高だからあり得ん」
「だったらS学園に行くのか?」
「あそこ芸能人とかいたっけ?」
「聞いたこと無い。サッカーは強いけど」
「でも校則は緩めじゃない?」
「だったら芸能活動と両立できるかもね」
「何かコネとかあったのなら、あり得るかもね」
 

最終回はどこにも時間の跳躍はせず、ひたすら学校生活が描かれた。一彦(ケン)が遅刻してきて、仁奈がいるのを見てびっくりして
 
「お前、なんでここにいるの〜?」
などと言っていた。
 
また相変わらず、和夫はトイレで個室しか使っていないので、やはりあいつ、***無いのでは?という噂が立つ。
 
和夫の下駄箱に可愛い字で「お話ししたいことがあります」というメッセージが書かれた紙が入っているので、和夫が指定された校舎の裏のヒトツバタゴ(俗称なんじゃもんじゃ)の木の所に行ってみると、いたのは神谷真理子である。
 
「なんだ。マリちゃんか。話があるなら、こんな面倒なことしなくても、ふつうに声掛ければいいのに」
と和夫が言う。
 
「和ちゃん、深町君(ケン)のこと好きじゃないんだっけ?」
と真理子は訊く。
 
「ぼくは男だよ〜。男を好きになるわけないじゃん」
と和夫。
 
「深町君はあきらかに和ちゃんを狙っている」
「何度か結婚しないかと言われたけど、ぼくは男の子には興味無いからと言った。女の子に性転換して結婚しないかとも言われたけど、ぼくは女の子にはなりたくないと言った」
 
「和ちゃんが深町君に興味無いなら、私が狙ってもいい?」
「いいけど、分かってるよね? ぼくたちと深町や曽郷とは生きてる時代が違う」
「それは構わない。必要なら彼と一緒に未来で暮らしてもいい」
 
「マリちゃんがそれでいいなら、ぼくはそれを応援するよ」
「ありがとう。でも、深町君が和ちゃんのこと諦めたら、浅倉君が和ちゃんを狙うかもね」
「なんで〜? 勘弁してよぉ」
 
「これ引いてみて」
と言って、神谷はポーチからタロットカードを取り出した。
 
和夫が1枚引く。
 
「女帝。やはり和ちゃん、いづれ女の子になると思う」
「嘘!?」
 
画面にはマルセイユ版タロットの女帝が映っている。
 
「だって、和ちゃん、既に***は取っちゃってるんでしょ?」
「取ってないよぉ」
 
「だって男子たちが言っていたよ。和ちゃん、トイレでいつも個室に入っているって。それはつまり***が無いから」
 
「えっと・・・」
 

場面が変わり、吾朗が背広を着ている。
 
「じゃちょっと、今日は醤油組合の会合に行ってくるから、留守を頼む」
と奥に向かって言うと、スカートを穿き、前掛けを掛けたロングヘアの和夫が出てくる。
 
この瞬間、ネットには「きゃー!」という悲鳴のような書き込みがあふれる。
 
「うん。あなた行ってらっしゃい。気をつけてね」
と和夫が笑顔で言って手を振る。
 
それで吾朗も手を振って出かけて行った。
 
そこにOL風の服を着た真理子と仁奈が入ってくる。
 
「和子ちゃーん、居る〜?」
「マリちゃん、ニナちゃん、おはよう」
と和夫(和子?)が笑顔で言う。
 
「『続・時のどこかで』の映画が今日封切りでしょ?一緒に見に行かない?」
「ごめーん。今日はお昼過ぎまで、吾朗が会議で出ているのよ。あの人が帰ってきてからなら動けるけど」
 
「あ、だったら午前中、お店番手伝ってあげるよ」
「サンキュー」
 
それで3人は店先でおしゃべりを始めた。
 
「でも和子ちゃんが女の子になったんで、私たちすっかり仲良しになっちゃったね」
などと仁奈が言っている。
 
「女の子になる前から仲良かった気もするけどね」
「元々けっこう女の子っぽかったね」
 
「でも、仁奈、あんたずっとこちらに居るけど、旦那はほっといていいの?」
「平気平気。女房元気で留守が良いと言うんだよ」
 
「そんな言葉は初めて聞いた」
 

この場面が流れている間、ネットには
 
「やはり和夫は性転換したのか?」
「きっとアクアも性転換済み」
 
などという書き込みが大量に流れる。
 
しかし番組の最後では、お布団で、すやすやと眠る和夫の顔が映る。そして和夫は「ハッ」とした顔で起きる。
 
「びっくりしたぁ。夢かぁ! もう真理子の奴、変なこというから、変な夢見ちゃったじゃん」
 
と言ってアクアは布団から出た。何だか可愛いブルーの花柄のパジャマを着ている。そしてアクアは階段を降りるとトイレに行った。そして便器に座った所で「え!?」と言って怪訝な表情をした。
 
そしてそこで
 
『時のどこかで・完』
 
というテロップが流れた。
 

「ちょっと待て〜!」
「こんな終わり方あるかよ?」
「続きは映画でとか?」
「いや、映画はアクアが多忙すぎるからしばらく作らないという話があった」
「じゃこれどうなった訳?」
 
「やはりアクア様、女の子になっちゃったのでは?」
「なんかそうとしか思えない終わり方だよなあ」
「夢落ちと見せて実は、というのはよくあるパターン」
 
この問題について放送局もアクアの事務所も質問されても
 
「この物語はここで終わりなので、後は自由に想像してください」
という回答しかしなかったので、この話題がこのあと一週間近くネットでは騒然とした雰囲気で議論されていた。
 

3月22日(水)、アクアの8枚目のシングルが発売された。今回は岡崎天音作詞・大宮万葉作曲の『星の向こうに』と、葵照子作詞・醍醐春海作曲の『ナースのパワー』である。後者は4月から始まるドラマ『ときめき病院物語III』のエンディングテーマとして使用される。
 
会見にはアクアと事務所社長の秋風コスモス、作曲者の大宮万葉(青葉)と醍醐春海(千里)、レコード会社の三田原課長の5人が出席した
 
いつものようにエレメントガードの生演奏をバックにアクアが生歌唱してから会見をおこなう。コスモスから今回の楽曲のあらましなどが説明された。
 
「バックバンドの方、少し変わりました?」
という質問がある。
 
「はい。キーボードとドラムスが交替しました。キーボードはハルからナツに、ドラムスはレイからユイに交替しています」
とコスモスが答える。
 
「交替の理由をお聞きしていいですか?」
「キーボードのハルは結婚に伴い引退しました。レイは最初は性転換手術を受けるのに退任したいと聞いたのですが」
 
とコスモスが言うので会見場がざわめく。
 
「それは冗談だったようで」
とコスモスが言葉をつなぐと爆笑となる。
 
「実際には彼女はアメリカ国籍でビザの期限が切れるので、延長は可能だったのですが、この機会にしばらく本国で過ごしたいということでしたので、退任となりました」
 
「アメリカ人だったんですか?」
「日系4世だそうです。お父さんが日系3世で、お母さんは中国系らしく、それで見た目はふつうに日本人でしたね」
 

『星の向こうに』の歌詞に歌われている内容の星空がひょっとして南半球の星空では?という質問が出ている。歌詞は事前公開していないのだが、この場でそれに気付くというのは、なかなか注意力の高い記者だ。青葉が答える。
 
「作詞者の岡崎天音さんは、相棒さんが別のユニットの制作で多忙なので暇を持てあまして、オーストラリア旅行に行って来たそうで、その時に書いた詩だそうです」
 
「岡崎天音さんってローズ+リリーのマリさんですよね?それで相棒というのはケイさんで、ケイさんはKARIONの蘭子さんなのでKARIONの制作で忙しいということですか?」
 
「そのあたりはご想像にお任せします」
 
「『ときめき病院物語』もとうとう3シーズン目になりますが、純一と友利恵の関係は何か進展があるのでしょうか?純一は大学生になりますよね?」
 
「そのあたりはドラマのスタッフさんに照会してください」
と三田原さんが答えた。
 
第1シーズンでは、アクア(現実では中2)は中3の佐斗志と中1の友利恵の二役を演じ、純一が高2で舞理奈が中2だった。シーズン毎に年齢も進んでいるので、今年は高校1年のアクアが高2の佐斗志と中3の友利恵を演じ、純一は(浪人していなければ)大学1年となり、舞理奈は高校1年になる。
 
「アクアさんが歌われたのはエンディングテーマということですが、主題歌はどなたが歌われますか?」
 
三田原さんとコスモスが顔を見合わせたが答えてもいいと判断したようだ。三田原さんが答える。
 
「主題歌は新任医師役でドラマ初登場となります元FireFly20の神尾有輝子さんが歌います」
 
この答えに「おぉ!」という声があがっていた。
 
「ところで『ナースのパワー』の歌詞ですが、途中、ナースではなくて茄子(なす)とか膾(なます)とか、直すとか、ナスカの地上絵とか、言っている所があるような気がしたのですが」
 
「気のせいです」
と千里が断言した。
 

「そういえば大宮万葉さんと醍醐春海さんは姉妹という噂を聞いたのですが、大宮万葉さんは震災で家族を全部無くされたとも聞いたのですが」
という質問がある。
 
青葉と千里は一瞬顔を見合わせたが
「私が説明します」
と千里が言って説明する。
 
「当時私は親友の仮名A子ちゃんと震災のボランティアのスタッフとして入っていて、避難所で偶然被災した大宮万葉に遭遇しました。当時私と彼女は初対面ではあったのですが、実は複数の友人を通して間接的なつながりがあったのです。そこで彼女が家族を全部無くしたと聞きまして、取り敢えず保護することにしました。最初は私かA子が彼女の後見人になるつもりだったのですが、私たちがまだ大学生ということもあり、最終的にA子のお母さんが、彼女の未成年後見人になってくれることになり、そちらの実家の富山県の中学に転入しました。それで私とA子は万葉の姉代わりということになっています」
 
アクアはその話はむろん知っているのだが、しんみりとした顔で聞いていた。両親を亡くしたのは、青葉もアクアも同様である。
 
「でも実際に遠い親戚だったんだよね」
と青葉が発言する。
 
「それ去年の春に初めて分かったんだよね〜」
と千里も言う。
 
記者たちが顔を見合わせているので千里が説明する。
 
「去年の春に親戚の女性と話している時にあれ?となりまして。確認してみたら、実は私と万葉は『又従姉妹違い』で、A子は万葉の『三従姉』だったんです。結果的に私とA子は、万葉という存在を通して物凄く遠い親戚にもなっていたことが分かりまして」
 
記者さんたちが考え込んでいるが、この千里の言葉はたぶん理解できた人は居ないだろうと私は思った。
 
「万葉という子は、実は様々な人と人とのつながりを作って行く才能を持っていて、それで私の友人グループは彼女のことを『クロスロード』、つまり交差点と呼んでいます」
 

「そういえば醍醐先生はアクアさんとも古い知り合いだそうですね」
と記者が質問する。
 
「はい。アクアは幼稚園の頃から小学1年の時まで2年近く入院していたのですが、その入院中に偶然知り合ったんですよ。ちょうどその日は彼が腫瘍を取り除く手術をする前日で、私はインターハイをやっている最中で、私たちは約束したんです。私たちが頑張って明日の試合に勝つから、アクアも手術頑張れ、と。結果は私たちのチームはほぼ負け確定の状況から奇跡の逆転勝利。アクアも手術中に心臓が一度停止する危機があったのを何とか乗り越えて無事手術成功で、それ以来の親交がありました」
 
「運が強いんですね」
 
「ええ。アクアは強運の子だと思います」
と千里は言った。
 
「ちなみにそのアクアと初めて会った日に私が書いた曲が『六合の飛行』で、これがLucky Blossomのデビューアルバムに収録されました」
 
「おぉ!」
 

青葉はこの記者会見に出ることを主目的として東京に出てきて、ついでに?フェイの赤ちゃんのメンテ、フェイ本人の産後の体調変化のメンテ、妊娠中の桃香のメンテなどもしたようである。
 
「経堂の桃香のアパートに泊まったの?」
「いえ。大宮の彪志のアパートに泊まりました」
「あ、そうか!」
 
「大宮万葉さんが大宮に泊まったのか」
などと政子が言っている。実際『大宮万葉』という名前を付けたのは政子だが、これは青葉が大宮生まれであることに由来する。
 
青葉は前日に東京に出てきて21日は忙しく飛び回っていたようだ。その21日は私も千里も前橋の全日本クラブ選手権の方に行っていたのだが、22日は千里に青葉やアクア、忙しくなかったらコスモスも連れてうちに来てと言った。それで結局コスモスも入れて4人で来てくれた。
 
ファンの人からもらった薩摩大使を開け、お茶を入れて飲みながら少しおしゃべりしていたら、そこに、スリファーズの3人が来訪する。彼女たちは青葉の1つ上の学年なので4月から大学3年生である。
 
「わっ、川上先生がいる!」
などと春奈が言う。彼女は性転換手術後のヒーリングを青葉にしてもらっている。
 
「先生はやめてくださいよ〜」
と青葉は照れて言っている。年上の人から「先生」と呼ばれるのは、むずかゆいようである。
 

「そういえば、スリファーズの3人はC学園だったね」
と私は言った。
 
「はい、そうです」
 
「4月からアクアがC学園高校に入学するんだよ」
「おお、凄い!」
「やはりアクアちゃん、女子高生になるんだ?」
 
「違いますよぉ。今年から芸術科に限って男子も入れることになったんです」
「なーんだ」
 
「でも考えてみたら、春奈ちゃん、当時は戸籍上は男の子だったのにC学園に入れたんだね」
と私は言った。
 
それについては最初に彩夏が当時の状況を説明した。
 
「あの時、私は公立落としてC学園に入って、春奈と千秋はちゃんと公立に合格したんですけど、その後で仕事が忙しくなって、私の学校は緩いので良かったんですが、公立の2人は、このままだと出席日数不足で留年する可能性もあるということになっちゃって」
 
「あぁ・・・」
 
「それで取り敢えず千秋もC学園に転校することになったんです。千秋は女の子だから問題無く転校できた。そして困ったのが春奈だったんですよね〜」
 
「私、あの高校にはせっかく女子制服着て通学することを認めてもらったり色々便宜を図ってもらっていたのに、ほんとに申し訳なかったんですが、どうしても欠席が多くて。当時私たちは事務所の稼ぎ頭だったから、お仕事の話があると断りにくいというのもあったんですよね」
と春奈は言う。
 
その時期、△△社はスリファーズが急速にブレイクしたため、必死に増員し、ファンクラブなどの処理のためにコンピュータシステムなどにも投資していた。一時的にはスリファーズのための事務所の様相を呈していたので、そのスリファーズが万一こけた場合は、即倒産していたであろう。当時前からの予定で性転換手術を受けた春奈をいち早く現場復帰させなければならなかったのは、そういう事情もあった。
 
「それで半分ダメ元で、相談させてもらったんです。実は私の母がC学園の出身だったし、幼稚園から小学生の時まで習っていたピアノの講師の菱見先生がC学園のピアノ教師になっていたのもあって。だからお話は菱見先生を通して教頭先生にあげたんです。そしたら、取り敢えず1度来て下さいと言われたので母と一緒に行ったのですが、そもそも私、本人の姉か何かと間違えられて」
と春奈。
 
「なるほどー」
「それで戸籍は男だけど、既に性転換手術も終わっているし、中学も今の高校でも女子制服を着て通学しているというのであれば、女子として受け入れるのは問題無いと校長先生や理事長先生に言ってもらって、それで私もC学園に転校して、3人同じクラスにしてもらったんですよね」
 
「そういう経緯だったのか」
 
アクアがその話を興味深そうに聞いていたので、春奈が
 
「アクアちゃんも在学中に性転換して女の子になっても大丈夫だと思うよ」
と言うと
 
「ぼく性転換はしませんよぉ」
とアクアは慌てたように言った。
 

KARIONのアルバム制作はいよいよ山場にさしかかっていた。
 
『大安吉日』も年末のカウントダウンライブで公開した。
 
歌詞の内容はむしろ“日々是好日”という感じでもある。朝起きて学校に行き、友だちとたわいもないおしゃべりをし、お弁当を食べて、授業を受け、部活をして、帰りに神社でおみくじを引いたら大吉だった。そして帰宅すると今日の晩ご飯はスキヤキだよ、と言われて喜ぶという“小さな幸せ”を含んだ平凡な日常を描いた作品である。
 
カウントダウンライブの時はふつうのトラベリングベルズの伴奏で演奏したのだが、CD収録版は "Minimal Sound" にすることにした。ギター・ベース・ドラムスだけで伴奏している。MINO, SHINはお休みである。
 
PVでは美空の日常を描いている。
 
朝御飯として、山盛りのパンケーキにメイプルシロップを掛けて浸透させ、“ダイエット”と称してローズヒップ・ティーを飲んでいる様子に始まり、マリおよびシレーナソニカの穂花の3人で新梅田食堂街を歩いている様子が映される。お昼は3人でおしゃべりしながら、ひたすらお好み焼きを食べている。途中で穂花が取り出したスマホ(私物のLG Qua phone px)の壁紙には“目標!減量5kg”の文字が出ている。その後、3人はおやつ?にケーキを食べ、最後は3人で焼肉屋さんに行って、晩ご飯に山盛りのお肉を楽しそうに食べている様子が描かれている。
 
この曲の歌詞とPVのギャップが話題になることになる。
 
またこの曲の歌詞は、8小節単位の歌詞の先頭文字を拾うと“かれしほしい”になっているという言葉遊びが使われていた。
 

『黒と鹿毛』は黒猫と鹿毛(かげ)色の馬の物語である。
 
鹿毛の馬が颯爽と走っていく様子を偶然見た黒猫は、自分もあんなに速く走れたらと思う。それで走る練習をするけど、どうしてもあんなに速くはならない。他の猫から狩りに誘われても、飼い主が猫じゃらしで遊んでくれようとしてもひたすら階段の上り下りなどして鍛えている。そしてまた鹿毛の馬が走っていく様子を眺めている。
 
これは果てしない夢を見て日々努力する黒猫の物語。
 
PVには小風と、小風の家で飼っている黒猫のクロちゃんが登場している。
 
階段を走って上り下りしている所や、キャットタワーで遊ぶ様子なども映っているが、小風が膝に乗せている様子、丸まって寝ているいわゆるニャンモナイトになっている様子、立ち上がって窓から外を見ている様子なども映って、後で「クロちゃん可愛い!」という声が多数あがっていた。
 
鹿毛の馬は今年デビューした鹿毛の牝馬でフラワーマジックという馬に出演してもらっている。この馬が走っている様子や常歩(なみあし)で歩いている様子が映される。
 
ラストの方ではクロがフラワーマジックに跨がって走っている様子(CG)も入っている。
 
このPVの制作が3月一杯で終わり、これで『少女探偵団』の制作はマスタリングや広報用の写真撮影などを除いて、ほぼ完了した。
 

4月1日(土)。千葉市内のファミレスで、ローキューツから3月いっぱいで退団する選手の送別会と4月から入団する選手の歓迎会を兼ねてのパーティーを開いた。
 
主将を退任する愛沢国香は今月下旬に結婚式を挙げるので、その披露宴にも何人か出席する予定のようである。留学する須佐ミナミはイースター前に向こうは休みに入るので、イースター明けの4月17日から向こうに合流するとのことで、14日に渡米するらしい。
 

「バスケット界の構造改革で、皇后杯へのルートが整理されるみたいですね」
と揚羽が言うので
 
「うん。今までの社会人選手権からのルートが無くなる。総合予選の方に一本化されることになった」
と私は答えた。
 
これまでは、社会人選手権、インカレ上位、インターハイ優勝、地区予選など複数のルートからオールジャパン(皇后杯)に行くことができたが、2018年正月に行われる次のオールジャパンからは、地区予選から勝ち上がっていく方式に統一されることになった。
 
千里から得た情報で、今このようなシステムになることが決まりつつあると私が説明する。
 
「半年掛けて予選をやっていく訳か・・・」
 
・夏頃に行われる都道府県予選(1次ラウンド)で優勝した47チームが2次ラウンドに進出する。
 
・9月頃に行われる2次ラウンドで上位15チームを決定する。
 
・11月頃に行われる3次ラウンドで勝ち上がってきたチームとWリーグの全チームによる試合が行われる。
 
・勝ち残った8チームでお正月の皇后杯が争われる。
 

「ということはWリーグのチームに勝てない限り、皇后杯本戦には出られないわけか」
 
「今までの3回戦までに相当する部分が11月の3次ラウンドに移行されてしまうからね」
 
「各都道府県から1チームだけというのも辛いですね」
「うん。東京とか愛知みたいな激戦区はとっても辛い」
「他人事だけど、40 minutes、江戸娘、ジョイフルゴールドはお互い辛い」
「3つともプロレベルのチームなのに、どこか1つしか2次ラウンドに行けないもんね」
「まあ千葉も、うちは千女会に勝たないといけないけどね」
「うーん・・・」
「きついなあ」
「向こうも『きっついなあ』とか言ってますよ」
 
「まあ新戦力も入ったことだし頑張ろう」
「音歌ちゃんがきっと毎試合40点取ってくれるんじゃないかな」
「それは無茶です!」
 

4月1日は、龍虎が通学することになったC学園で入学式が行われた。
 
龍虎は学校最寄り駅近くのマンションで両親と一緒に起きて朝御飯を食べる。この日は土曜日で公立高校に勤める両親は時間の自由が利くので、昨晩からこちらに来て一緒に泊まったのである。
 
プリントを見ながら持って行くものを確認する。
 
「あら、体操服が要るんだ?」
「あ?そうだっけ?」
「入学式、オリエンテーションの後、身体測定をするので体操服を用意してきてくださいと書かれているよ」
 
「あっと、こないだ買ったまま、まだ名前を書いてなかった」
と言って、龍虎は慌てて先日買った体操服セットの袋を持ってくる。
 
「はい、マイネーム」
と母が渡してくれるので、自分で名前を書くことにする。
 
紙袋から最初に取り出したのは夏用の半袖・半ズボンのようである。それはあとでいいやと思い、更に中から取り出す。
 
「ん?これ何だっけ?」
と言いながら、袋を開けてみる。
 
「・・・・・」
龍虎はそれを見て、固まってしまった。
 
「あんた、それ着るの?」
と母が訊いた。
 
「まさか。いくら僕でもこれ着るのは無茶」
と龍虎は言うが
 
「いや、あんたには着れる気がする」
と母は言う。
 
そこには女子用スクール水着があった。
 
「女子生徒ばかりだから、うっかり間違って女子用を渡しちゃったのかな。男子用と交換してもらう?」
 
「そうだなあ」
「それとも女子用水着を着る?」
 
「どうしよう?」
と龍虎が迷うように言うので、父は「なぜ迷う?」と思わず突っ込みたくなった。
 

入学式は9時から行われ、1時間ほどで終了した。各々の教室に入る。担任の山科先生からあらためて「皆さん入学おめでとう」と言われる。生徒手帳が配られるので、出席番号トップの天羽飛鳥(松梨詩恩)から順に名前を呼ばれて出て行き生徒手帳を受け取った。
 
龍虎が田代(たしろ)なので、ひとつ前が武野昭徳(たけの・あきのり)君、ひとつ後が田中成美(たなか・なるみ)ちゃんである。
 
「どんな顔で写ってる?いきなりバシャッと撮られたからひどい顔になっちゃった」
などと武野君が生徒手帳の最後のページにある身分証明書欄の顔写真を見せる。本人はけっこうイケメンなのに、確かに「匿名少年A」みたいな感じの顔で写ってしまっている。
 
「あれ?田代君、それ女子の制服で写ってる?」
と武野君。
「これ着てくださいと言われたんで着て写真撮影した」
と龍虎。
 
「女の子に間違われたのかな」
 
「実際、龍は女子制服のブレザーを着ているからそれで問題無いはず」
と少し後ろの席にいた(南川)彩佳がわざわざ龍虎の席の所まで来て言う。
 
「しかし田代君、さすが可愛く写っているなあ」
と武野君が言う。
 
「まあ女の子アイドルに見える写真だよね」
と彩佳。
 
「成美ちゃんは?」
「こんな感じ」
と言って成美が見せてくれる。
「おお、成美ちゃんも可愛く写っている」
 
「たぶんいきなり撮られるだろうと思ったから、最初から顔に意識を集中しておいた」
などと彼女は言っている。
 
「彩佳は?」
と龍虎が尋ねる。
 
「これ」
と言って見せてくれた彩佳の写真はかなり微妙である。
 
「だっていきなり撮るんだもん」
と彩佳も文句を言っている。
 
「結局学生服で写ったのは僕だけか」
と武野君。
 
「男子3人入るという話だったけど、結局2人になっちゃったのかな」
と彩佳も言っていた。
 

教室の後ろの方に並んでいる保護者向けの説明などもあった上で、11時前に保護者はいったん退席ということになる。
 
それで生徒だけになった所で、クラス委員や各種委員を決める。最初に立候補を募ったが、名乗り出る生徒がいなかったので、担任から
 
「では誰も名乗り出なかった時のために考えておきました」
と言って先生から指名がある。
 
武野君は美化委員、彩佳は図書委員に指名された。クラス委員は日高洋子が指名された。
 
「ぼくは指名されなくて助かった」
と龍虎が言う。
 
「龍に委員会活動は無理だよ。忙しすぎるもん」
 
実際飛鳥(松梨詩恩)も委員には指名されていない。彼女はたぶん龍虎以上に忙しい。
 
「彩佳は中学1年の時にも図書委員したね」
「うん。その経歴があるから指名されたんだろうな」
 
そのあと全員自己紹介をする。また出席番号1の飛鳥から順に名前と出身中学、趣味など、中学時代に部活などをしていた人はその内容、また簡単なメッセージを言ってくださいと言われる。
 
飛鳥は
 
「部活は小学生の時から中学1年まで合唱部だったんですが、歌手としてデビューしたので辞めました。私、芸能のお仕事をしているのでしばしば休んだり早退したりすると思いますが、出てこられたら頑張って勉学に励みますのでよろしくお願いします」
と言って拍手されていた。
 
出席番号2番の池田由美はC学園中学からの内部進学ということであったが、人前で話すのが苦手のようで、真っ赤になりながら
 
「趣味は手芸とおやつ作りです。中学の時も調理部だったので、高校でも続けたいです。いつか王子様が・・・みたいな憧れはありますけど、それ言うと、どうして女子校に来た?と言われます」
 
と言って、最後は爆笑されながらも拍手をもらった。
 
武野君は
「趣味はピアノで将来はピアニストになりたいと思っています。部活は籍だけ合唱部に置いておいて、大会などに伴奏で出ていました。中学の時も遠くのコンクールに出るのに結構休んだのですが、高校でも休みそうですけど、よろしくお願いします。入学準備説明会に来た時は、まさか男子は僕1人?と思ったのですが、もうひとり見つけたのでホッとしました。男子2人だけのようですが、女子の皆さんも、よかったら仲良くしてください」
 
と言って拍手をもらう。美男子なので、彼を見て隣同士少し興奮気味に言葉を交わしている子もいる。由美ではないが、女子校ではふつう恋愛の機会が無いので、彼はきっとたくさんラブレターをもらったりするだろう。
 
武野君が「男子2人だけ」と言ったのに対して、山科先生がコメントする。
 
「えっと、男子は確かに3人居るんですけどね。田代君は一見、女子に見えるかも知れませんが、男子ですので」
 
そのコメントに教室内がざわめいているが、次はその龍虎の番である。
 
「えー、今先生からコメントされましたが、よく女の子に間違われるのですが、取り敢えず男子の田代龍虎です。『りゅうこ』という名前を音で聞くとまた女の子と間違われるのですが、空を飛ぶ龍に、吼える虎の字です。背が低いのと声変わりしてないのは、小さい頃に大きな病気をした後遺症だと思います。一部で噂されているみたいですけど、決して去勢はしてないです。部活は中1の時までコーラス部だったんですけど、歌手・俳優としてデビューすることになったので辞めました。私もお仕事の関係でよく休むとは思いますけど、よろしくお願いします」
 
と言って拍手をもらった。
 
次に成美が立ち上がる。
 
「田中成美です。ヴァイオリンが好きで、小学校の高学年の頃からあちこちの大会に出ていますが、なかなか大きな大会で優勝できなくて、国際***音楽コンクールでも2年連続で4位になった後、昨年やっと3位入賞できました」
 
とソプラノボイスで言うと拍手がある。成美は一礼して続ける。
 
「中学の時も結構大会に出たり海外に短期留学したりするのに学校を休んでいましたが、高校でも結構休むと思いますが、よろしくお願いします」
 
彼女のメッセージもこのあたりまではみんな何気なく聞いていたのだが、次のひとことは教室全体に衝撃をもたらした。
 
「ちなみに私の名前の『成美』ですが『なるみ』というと、女の子に多い名前なので、女の子と誤解されることもありますが、私は間違いなく男ですので」
 
その瞬間
「え〜〜〜!??」
「うっそー!?」
 
という声が教室内に響き渡った。本人は女子用ブレザーにスカートという普通の女子高生のいでたちで平然として席に着いた。
 
山科先生は
「はい、では次の人」
と言い、彩佳が「信じられない」という顔をしながら立ち上がった。
 

4月1日の夜、私は政子と睦み合って眠っている内に妙に現実感のある夢を見た。街を歩いていて、千里を見かけたので声を掛けたのだが、彼女はこちらを見て、ニコッと笑った後、まるで分身でもするかのように3つに分かれてしまった。
 
そして、ひとりの千里はパソコンの前に座ると何かプログラムを作っているもよう。ひとりの千里はバスケットボールを持ってドリブルして走って行く。そしてもうひとりの千里は龍笛を取り出して美しい曲を吹いた。
 
そこでハッとして目が覚めたが、3つに分裂した内の1人の千里が吹いたメロディーが脳にまだ残っていた。私はその旋律を大急ぎで紙に書き留めた。
 
 
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【夏の日の想い出・少女の秘密】(5)