【夏の日の想い出・東へ西へ】(5)

前頁次頁時間索引目次

1  2  3  4  5 
 
利尻島ではタクシーをチャーターして、オタトマリ沼、姫沼、ペシ岬などの景勝地を見てまわった。もっとも、多くの景勝地が、10月末で資料館などの営業は終わっていたらしい。
 
「あと少し早く来るべきだったのかな」
「まあ資料館といっても、そう大きな期待はしない方がいいと思いますが」
「ああ」
 
礼文島では、理歌の伯父・芳朗さんの家でたくさんの海の幸をごちそうになった。
 
「ホッケの刺身なんて初めて食べた!」
「ごくごく新鮮なのでないといけないんですよ」
と理歌。
「寄生虫がいるから、分かっている人がさばかないといけないのよね」
と芳朗さんの奥さん・鶴子さんが言っていた。
 
お酒も勧められたが、自分があまりお酒に強くないのは分かっているので遠慮しておいた。
 
「うん。お酒は拒否した方がいいです。でないと、アルコール抜けるのに数日掛かるくらい飲まされますから。稚内に4−5日滞在するはめになるかも」
と理歌が言う。
 
「あははは」
 
この家でも、ゆみは自分が「普通の人間」として、扱ってもらえていることを実感していた。モデルのお仕事を始めた中学生の頃から、自分は同級生たちからも「特殊な人」という目で見られ、接するのも(常に緊張が必要な)他のタレントさんや、自分をまるで神様のように崇拝しているファンの人たちとかばかりであった。
 
ゆみは自分が人間であることを忘れていたよなあ、というのを考えていた。
 
考えてみれば『08年組』の仲間、XANFUS, KARION, ローズ+リリーの子たちがいちばん警戒心無しで接することができていた。
 

翌日は午前中から昼過ぎまで、鶴子さんが車に理歌とゆみを乗せて、礼文島内の景勝地、桃岩・猫岩、礼文滝、北端の須古頓(スコトン)岬などに連れて行ってくれた。
 
そして夕方の便(礼文17:10-19:05稚内)で稚内に戻り、その日は稚内で泊まった。
 
翌11月19日(水)は理歌とゆみで交代しながらカイエンを運転して留萌に入り、理歌の実家に寄せてもらった。ゲーム好きのお祖母ちゃんと対面したが、お祖母ちゃんが「私AYAのファン。ティンカーベル以来聞いている」と言ったので、びっくりした。その『ティンカーベル』のCDにサインを書いてあげたら物凄く喜んでいた。
 
「でもこのCD、インディーズだから普通のレコード屋さんには売ってなかったのに」
 
と言う。これは実はAYAが、あすか・ゆみ・あおい、という3人組だった時代の最後のCDである。このCDが12万枚(最終的には40万枚)も売れたのでAYAはメジャーデビューが決まった。もっとも最初に売れた12万枚とその後大手の販売ルートに乗って更に売れた28万枚はCD番号は同じでも実はパッケージが異なる。ここにあるのは最初に売れた初期版である。
 
但しそのメジャーデビュー前に、あすか・あおいが離脱してしまった。
 
そして・・・『ティンカーベル』の“本当の”作曲者は醍醐先生だ。このことはごく少数の関係者しか知らない。名義上はロイヤル高島作詞・アキ北原作曲とクレジットされているが、むろん印税は醍醐先生に支払われているし、その印税のおかげで、自分はあの年、日本代表での活動を含めてバスケをたくさん出来たと先生は言っていた。
 
「当時ラジオで偶然聴いて気に入ったから、取り寄せたんですよ」
とお祖母ちゃんは言っている。
 
「すごーい。私自身、このCDすごく久しぶりに見ました」
とゆみは本当に驚いたように言った。
 
「うちのお祖母ちゃんってミーハーだからなあ」
と理歌が言っていた。
 
しかしゆみはこういう場所にも自分の古くからのファンがいるんだなあというのをまた再認識していた。
 
20日は留萌市内の黄金岬などを見た上で理歌と一緒に札幌に出て、この日はホテルに泊まった。理歌は自分のアパートにいったん戻ったのだが、翌日21日(金)の朝、またホテルに来てくれて、一緒に玲羅のアパートを訪れた。
 

「おお、久しぶり」
と言って、ゆみが音羽と抱き合う。
 
「なんかこのまま押し倒してやっちゃいたいくらい」
と音羽が言うので
 
「私、レスビアンの趣味は無いから勘弁して〜」
とゆみは言っておく。
 
「落ちこぼれ同士、くっついちゃうのもありだと思うけどなあ」
「落ちこぼれかあ」
「私は首になっちゃったし、ゆみちゃんも首寸前でしょ?」
「うん。そんな気はする。今のままだとたぶん4月に契約を更改してもらえない」
 
「ゆみちゃん、月給とかもらってるの?」
「無いよお。印税・著作権使用料の9割、テレビ出演のギャラの7割をもらうだけ。ライブはまあ適当に」
 
「それでも、結構な収入があったでしょう」
「うん。CD出してないのに、これまでのCDをファンの人たちが買ってくれているんだよ。本当にありがたい」
 
「ゆみちゃん、貯金してる?」
「少しはしてるけど、大した金額ではない。ひょっとすると春から路頭に迷うかもという気はしてた」
 
「AVのお誘いとか来たりして」
「既に来てる。音羽ちゃんは?」
「実家にたくさん来てるらしい」
 
「やはり!」
 

「でも昼間は観光地とか景勝地とか見てまわって、夜はどうしてたの?」
と織絵はゆみに訊いた。
 
「なんか長いこと、夜型の生活してたから、夜2時くらいにならないと眠れないんだよね」
とゆみ。
 
「あ、私もそんな感じ」
 
「テレビとか見る気にもならないし、夜になったら、妄想したり、詩を書いたりしてた」
 
「どんな妄想するの?」
「内緒」
「ふふふ。でもどんな詩を書いたの?」
 
「これなんだけどね」
と言って、ゆみは帯広の雑貨屋さんで買った少女趣味なノートに多数書き綴った詩を見せた。
 
「ずいぶんたくさん書いたね」
 
「私、作詞家になろうかなあ」
「ああ、それもいいと思うよ」
 
などと言って織絵は見ていたのだが、その中の一篇に目を留める。『Take a chance』という詩である。実は桃川さんの身の上話を聞いたあとインスパイアされて書いた詩だ。全てを失った人がどん底から復活していく姿勢を様々な比喩表現で書いた詩である。
 
「これなんか凄くいい詩だと思う」
「あ、それは自分でもいい出来だと思った」
 
「よし。これに曲を付けよう」
と織絵は言った。
 
「お、すごい」
「落ちこぼれA子作詞・落ちこぼれB子作曲、ということで」
 
「それもいいかもね〜」
 
それで織絵は玲羅の電子キーボードを借りて1時間ほど掛け曲を書き上げた。
 
「この電子キーボード、あちこち出ない音があるね。まあ作曲に使うのには支障が無いけど」
 
「これお姉ちゃんが小さい頃に使ってたキーボードなんですよ」
「おお、醍醐先生が使っていたものなら、プレミア物だ」
 

理歌と玲羅で協力して、お昼、そして夕食を作ってくれた。理歌は夕食まで一緒に食べてから帰って行った。
 
織絵とゆみは、玲羅・理歌もまじえて、色々話していたのだが、織絵が言い出した。
 
「ねえ、玲羅ちゃん、青葉ちゃんに、ゆみちゃんのヒーリングもしてもらえないかなあ」
「ああ。それ聞いてみます」
 
それで玲羅が千里に連絡したところ、明日こちらに来てくれることになった。
 
青葉は翌22日朝、小松8:20-9:55新千歳という便で飛んできてくれた。そしてゆみのヒーリングをしてくれたのだが、ゆみは青葉のセッションでぼろぼろ涙を流していた。
 
ふたりはふすまを閉めた奥の4畳半でセッションをし、織絵と玲羅は六畳や台所にいてクラシック音楽を流し、ゆみたちの会話が向こうには聞こえないように配慮してくれた。
 
「これって金属疲労みたいなもんですよ。長年タレント活動できる人って、概して忍耐力が物凄いんです。でもどんなに忍耐力のある人でも、厳しいスケジュールで動き、無茶を言われ、売れてないタレントさんからやっかみを受け、勘違いした有名男性芸能人からセクハラされたり、頭のおかしなファンから変なことされそうになったり、そういうのに日々耐えていくのは大変ですよ。その長年の疲労がここで一気に吹き出してきたんです」
 
と青葉は言った。
 
「ああ、そうかも知れない気はする」
 
「でもかなり気も晴れたでしょ?」
 
「実はそんな気もする!」
 

ゆみはこの春に起きた“できごと”について、初めて人に語った。これまで誰にも言わなかったことである。青葉はそれを静かに聞いていたが言った。
 
「ちょっと《修正》作業をしましょうよ」
「はい?」
 
青葉はゆみを半覚醒状態に導いた。そして彼女にその時のことを思い出させた。ゆみが涙を流しながら、そのことを再度語った後、青葉は彼女を完全に眠らせた。そして彼女の夢の中に自分も入り込み、別のシーンを映画でも見るように見せた。
 
ゆみは30分ほど深く眠ってから起きたが、
「私あの出来事、忘れられない気がしていたのに、記憶が曖昧な気がしてきた」
と言った。
 
「元々記憶なんて、思い込みが紛れ込んでいるものなんですよ」
「本当はどうだったんだろう。本当私分からなくなって来た」
 
「誰もそれ見てなかったんでしょ?だったら、ゆみさんが覚えているものが真実ということでいいんですよ」
と青葉は言った。
 
「そうですよね。そう思っちゃおう」
と言って、ゆみはまた涙を流していた。
 

「心の中のつっかえがだいぶ取れたと思います。体内の“気の流れ”があちこち滞っていたのが、かなりよく流れるようになりましたよ」
 
「そうそう。滞っていたのが流れるようになった感覚!」
「特に子宮や卵巣の付近が酷かったです。最近、生理も乱れてたでしょ?」
「6月から8月まで一度も来なかったんですよ。私妊娠した?と思って思わず妊娠検査薬まで買ってきちゃった」
「反応はどうでした?」
「陰性だったからホッとした。その時期、妊娠するようなことした覚えは無かったんだけどね。あれ、男の子とセックスせずに自然妊娠ってことあるのかな?」
 
「そうですね。2000年ほど前に中東の地でそういうこともあったらしいですけど」
「ああ。。。。たまにはあるかもね」
 
「そうですね。実は処女生殖で生まれている人も時にはいるかも知れませんけど、大抵はセックスしたから出来たんだろうと思っちゃうから」
 
「そうか。実はそういうことあるかも知れないのか」
「その可能性はありますよ。だってコモドドラゴンとか処女生殖しますよ」
「そうだよね!なんか女って凄いね」
「ええ、女性は偉大です」
 

青葉とゆみのセッションは長時間続いた。ゆみはかなり気分が楽になってきたと言った。
 
「ゆみさんの悩みはもうほとんど解消しかかっていました。私が今日したのは最後の一押しです」
 
「そうかも知れない。私、北海道に来てから、どんどん気分がよくなってきた。もっと早く来ればよかったのかなあ」
 
「北海道に来たら解決するくらいの所まで、ゆみさんが自分で回復していたのだと思います。仕上げをするために北海道に来るのが良かったんですよ」
 
「あ、そうなのかも」
 
「後は無理せず、もう少しのんびりと休養していれば、その内、何かしたくなりますよ」
 
「無理しなくていい?」
 
「今無理すると、また2年くらい浮上できなくなりますよ。今のままなら、まああと数ヶ月で立ち直れる気がします。自然に何かしたくなった時に何かすればいいんですよ」
 
「そういえば昨日、織絵ちゃんとふたりでこんな曲を書いたんですよ。それで歌ってみたいねと言っていたんですけど、私はDTMとかしたことないし、織絵ちゃんも、遙か昔にやったことがあるだけで最近のソフト分からないと言うし、大宮万葉さん、もし良かったらこれを編曲してMIDIとか作ってもらえないかなと思って。依頼料はヒーリングと別に払いますから」
 
と言って、ゆみが手書きの譜面を見せる。
 
青葉はそれを黙読してみたが、物凄く良いできの曲だと思った。
 
「これ私がしてもいいけど、姉の方が作業早いです」
「おっ」
 
それで青葉は千里に連絡して、その曲の編曲をしてMIDIを作る作業をしてもらうことにした。千里は特急で作業してくれて、翌日にはCubaseのデータとそこから落としたMIDI,mp3を送って来た。
 
そして千里が「お勧めのスタジオがある」と言って、旭川市内のスタジオを紹介した。ゆみにしても織絵にしても、人の多い札幌で動き回るとどうしても目立ってしまう。それなら旭川の方がまだ目撃されてネットなどに書かれる確率は低いと考え、玲羅のセフィーロ・ワゴンに4人で乗って旭川のスタジオに移動した。
 

スタジオでは、荒木さんというベテランの技師さんが対応してくれたが、荒木さんは、単に録音作業をするだけでなく、ゆみと織絵に様々な歌唱指導もしてくれた。ふたりともこういう指導をされるのは久しぶりだったので、原点に帰るような新鮮さを感じた。
 
作業が終わった後で、荒木さんは意外なことを言った。
 
AYAのメジャーデビュー曲『スーパースター』をこのスタジオで鴨乃清見さんが調整作業したというのである。
 
そして今回の仕事を依頼してきたのが、鴨乃清見さんだと彼は言った。
 
今回織絵たちは醍醐春海(千里)に紹介されてこのスタジオに来た。ということは鴨乃清見というのは醍醐春海だったということになり、ゆみや青葉はその事実に驚愕した。
 

スタジオでの作業が終わった後、4人でお茶を飲んでいて、ゆみはAYAデビューの時の様々なゴタゴタのことを語った。
 
「まあ相性悪いなとは思ってたのよね〜。でも芸能人のユニットなんてそんなものかもと思って割り切ることにした。だって、漫才のコンビとかでもプライベートでは全く交流が無くてお互いの電話番号も知らないとか、楽屋では一言も口を利かないとか、そもそも楽屋は別なんて人たちもいるじゃん」
 
「お互い別の楽屋に居て、ステージに登る直前に並ぶなんて、それ自体が名人芸みたいなペアもいるらしいですね」
と玲羅が言う。
 
「まあだからステージ以外であまり話をしなくてもいいかとは思っていたんだけどね。なんか話が合わない感じもあったし。あすかちゃんは洋楽専門らしくて横文字の歌手の名前がたくさん出てくるけど、私全然分からなくて。あおいちゃんは何故芸能界に入ろうと思った?という感じのお嬢様っぽい人で、少しとろい感じで。だからあのふたりがペアを組んで他の事務所からデビューすると聞いて『空中分解しないか?』と思ったけど、それ以前にこちらの事務所から訴えられて活動停止・隠退に追い込まれたからね」
 
「当時、ゆみちゃんはその卍卍プロから誘われなかったの?」
「誘われたけど、私はH出版社と契約している身ですから、マネージメント契約を結んでくれというのなら、そちらと交渉してください、と言った」
「なるほどー」
 
「まああの3人の中ではあすかがダントツで可愛くて、あおいも美人タイプだし。私は顔は人並みだから、向こうはあの2人だけでいいと思ったのかもね」
とゆみは言うが
 
「ゆみちゃんも可愛いのに!」
と他の3人は言う。
 
ゆみは更に自分の小さい頃の話を織絵・青葉・玲羅にした。これまで話したのは過去に3人だけであった。そしてゆみは、その“父”がこの6月に亡くなったことも話した。
 
玲羅が言った。
 
「ゆみさん。お墓参りでもしてきませんか。生きてた頃はいろいろあったろうけど、死んでしまったら、もうみんな仏様ですよ」
 
「そうだねぇ」
 
「私もそれがいいと思う。それで自分の心に決着を付けなよ」
と織絵も言った。
 
それで、そろそろ帰ろうかと言ってお店を出ようとした4人は玄関のところで∞∞プロの鈴木社長にバッタリと遭遇した。
 
鈴木社長は織絵とゆみが歌った『Take a chance』のビデオを見るとふたりのユニットに“XAYA”と命名した。また織絵に自分の所と契約しないかと誘った。
 

ゆみは翌11月24日(振)、カイエンを札幌に置いたまま単身、飛行機で東京に戻った。そして私のマンションを訪れると旭川のスタジオで制作した『Take a chance』の音源とビデオを見せてくれた。
 
「面白いものを作ったね〜」
と言って、動画を見ながら、私はゆみも織絵も精神力をかなり回復させていることを確信した。
 
ゆみと私たちは翌日から27日まで一緒に今年のアルバム『雪月花』の最後の曲となる『Step by Step』の音源制作を行った。
 
この収録の最中にはAYAの元マネージャー高崎充子がPolar Starのリーダー・杉山さんと一緒に姿を見せ、歌っているゆみに笑顔で手を振った。ゆみは驚いて会釈していたが、充子と杉山さんは特にゆみとは話さず、すぐに帰ってしまった。
 
この制作が11月27日に終了。残るは麻布先生と有咲によるマスタリング作業となった。これにはサウンドプロデューサーである七星さんが立ち会うことになる。
 
ゆみと織絵のユニット“XAYA”が歌う『Take a chance』の楽曲およびビデオの権利関係については鈴木社長が関係各者と協議して調整、11月30日の夕方、大手動画サイトに掲載された。たちまち物凄い数のビューカウントとなり、AYAのファンもXANFUSのファンも熱狂した。
 
「音羽はアメリカに行っていると聞いたけど、じゃ、AYAもアメリカに行っていたわけ?」
「たぶん光帆経由で連絡を取り合って会ったのでは?」
「これもアメリカからアップロードしたのかな?」
 
そしてこのビデオが公開される直前、その日の朝一番に光帆は事務所に対して専属契約の解除申入書を提出した。
 

さて、ゆみが札幌に置いていったカイエンだが、実は織絵が乗って苫小牧まで走り、11月29日18:45の大洗行きフェリーに乗り込んだ。そして11月30日14:00に大洗港に到着した。織絵の乗るカイエンは17時前に、恵比寿の私のマンションに到着した。
 
一方で契約解除の申し入れをした美来(光帆)は事務所を出た後、★★レコードに行って、町添部長・加藤課長・福本さんと今後について話し合っていたのだが、その後、18時頃、私のマンションを訪問した。
 
私と政子が美来と話し合っていた時、音も立てずにそっと美来の後ろに忍び寄っていた女性が、いきなり美来の目のところに後ろから手を当てると
 
「だ〜れだ?」
と訊いた。
 
「オリー!?」
と言って驚いたように美来は後ろを振り向いた。
 
ふたりが熱くキスしているのを見て、私と政子は静かに席を立った。
 

同じ11月30日の午後、まだ織絵が大洗港に到着する少し前くらいの時間に、テレビ局の会議室に10人のメンツが集まっていた。明日収録する『性転の伝説』の打ち合わせなのである。
 
集まっているのは、武者プロデューサー、東国ディレクター、審査員長の荻田美佐子、ハルラノの慎也と鉄也、事務所社長の山口さん、ローズクォーツのタカ(審査員)、アクアと付き添いの秋風コスモス、そして司会の古屋疾風である。
 
「今日の話の内容は1月2日の放送が終わるまで一切口外しないということでお願いします」
と最初に武者プロデューサーが一同に念を押した。
 
「しかしアクアちゃんって可愛いね〜」
と慎也が言う。
 
「まあ慎也とアクアちゃんが今着ている服のままでも並んでいたら、多くの奴が服装とは逆に、慎也が男でアクアちゃんは女の子と思うよな」
と鉄也が言うが
 
「いや、それ以外には見えねぇ」
とタカが言っている。
 
「でもどうして慎也さん、お化粧してスカート穿いてるんですか?」
とアクアは率直な質問をした。
 
「俺、女だから」
「うっそー!?」
 
「正確には生まれた時は男だったけど、手術して女になった」
「そうだったんですか!」
 
「まあ、こいつが女だってのがとても信じられないのと同じくらい、アクアちゃんが男の子だってのは信じられない」
と鉄也。
 
「アクアちゃんはやはり高校くらい出たら性転換する予定?」
「僕別に性転換するつもりはないです。僕はふつうの男の子です」
「いやふつうの男の子には見えない」
「ふだんはスカートとか穿くんでしょ?」
「穿きませんよぉ」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
「こんな可愛い子を男にしてしまうのは、絶対世の中の損失だと思う」
「同感。君は絶対女の子になるべきだよ。嫁さんにしたいって男はいくらでもいるよ」
「そうそう。ちょっと手術受けてくればいいじゃん」
 
「女の子になるとか手術とか勘弁してくださーい」
とアクアは言っている。
 
「でもちんちん無くしたいと思ってるんでしょ?」
「無くなると困りますー」
と言いつつ、アクアはさっきトイレで見たことはきっと何かの間違いだよね、などと思っていた。
 
「そういえばタカ子さんも今日は男装なんですね」
とアクアは訊いた。
 
「俺、普通の男だし。なんかテレビ局の番組では最近、女装させられてばかりだけどさ」
 
「普段は女装なさらないんですか?」
「俺は女装趣味は無いよ」
「うっそー!?」
「ああ、タカはもう後戻りできないくらい、女装者だと思われているよな」
 
「アクアちゃんにも、なぜセーラー服じゃなくて学生服を着てきた?と質問したい気分だ」
と古屋疾風さんは言っていた。
 
「僕、セーラー服は持ってません」
とアクアは言うが
「そのくらい買ってもらえばいいのに」
と荻田美佐子さんから言われ
 
え〜?どうしよう?とアクアは思って、ドキドキした気分になった。
 
こないだの写真集撮影でもたくさんセーラー服を着たことを思い出す。そのセーラー服の下には、キャミソール、ブラジャー、パンティーを着けていて、その下には豊かなバストと・・・・女の子のお股があったりして!?
 

桜井さんたちとの写真集の編集作業、美原さんたちとのビデオ編集作業を私はローズ+リリーのツアー準備、KARIONのアルバム制作作業と並行して進めていた。
 
まず写真集の編集がだいたい11月下旬までにまとまり、印刷に取りかかる。紅川社長はこの印刷を強気に30万部も印刷指示した。通常のアイドルの写真集売上はトップアイドルでも10万部程度である。
 
一方でビデオクリップの編集は12月初旬にずれ込んだ。
 
結局6本のビデオで構成している。先頭に、お姫様を助けてモンスターと闘う『Aqua Fighter』(BGM ハイライトセブンスターズ『Hurry Up!』)を置く。
 
つまりアクアは冒頭振袖で登場する!
 
その後次のようなクリップを並べる。
 
『Aqua Rock』アクアが様々な楽器を演奏する。服装は色とりどりの戦隊風?。
BGM:ローズ+リリー『恋人たちの海』
 
『Aqua Marine』ビーチでのアクアを撮影したもの。海兵さんのブルードレスや水兵さんのセーラー服などを着ている。
BGM:スイートヴァニラズ『浜風の誘惑』
 
『Aqua Town』街でのアクアを映したもの。服装は数種類のアロハシャツの他、パイロット風の衣装、ライダースーツなども混じっている。大型バイクに跨がるアクアが収録されているが、むろん跨がっているだけである。
BGM:AYA『スーパースター』
 
『Aqua Fall』マノア滝への往復の様子を編集したもの。ワンカットだけコスモスと並んでいるシーンが入っている。
BGM:篠田その歌『Drinving Road No.10』
 
『Aqua Holiday』アクアの1日を描いたもの。
BGM:Golden Six『Golden Aqua Bridge』
 
使用している楽曲は全て既存曲だが、この中で冒頭のハイライトセブンスターズ以外の5曲はアクア自身に歌わせて収録したカバー版となっている。特に『Aqua Rock』ではギターとピアノも本人が演奏している。(それ以外の楽器演奏はスターキッズに協力してもらった)
 
『Aqua Holiday』の最後は、空港でのアクアを撮影したものだが、アロハシャツとホワイトスラックスを着ていたアクアを、そこに現れた数人の戦闘員が拉致して、ムームーを着せてしまい、アクアが困ったような表情をするという場面で終わっている。
 
つまりアクアは冒頭に女装(日本女性の正装である振袖)で登場して、最後は女装(ハワイ女性の正装であるムームー)で締めているのである。
 
これはムームーを着たアクアの写真・動画があまりに可愛かったため、紅川社長自身が
「これ出しちゃおうよ」
 
と言って、収録を許可したものである。コスモスは「いいんですかぁ?」と言っていたが紅川さんは「まあこの程度はおふざけということで」と笑って言っていた。
 
ちなみにこの場面はアロハシャツとホワイトスラックスで微笑んでいる場面までは実際のホノルル空港で撮影したものだが、拉致してムームーを着せるところは実は茨城空港内で撮影している。後ろで行き交っているのは国内で調達した外人さんのエキストラである。アクアが拉致されているのをちらっと見るが、そのまま通り過ぎるという演技をしてもらっている。
 
(合成ならそもそもこちらを見ないし、人の多い空港で撮影すると騒ぎになる)
 
このビデオクリップも紅川社長と町添部長は10万枚のプレスを指示した。この手のビデオDVDは普通はせいぜい売れても5万枚程度である。
 

12月1日の『性転の伝説』収録では、私は審査員になったマリを放送局まで車で送っていき、いったん自宅に帰って溜まっている様々な作業をしていた。帰る時に呼んでもらえば迎えに行くということにした。以下は政子から聞いた話である。
 
この番組は放送時間は夜19:00-20:54の114分で、CMとオープニングを除くと101分の長さになる。実際の収録時間は3〜4時間の予定だったが、実際には途中の休憩をはさみながら13時から18時すぎまで5時間の長丁場になった。
 
20人の男性タレントさんを登場させ、だいたい1人あたり5分くらいのトークをするのを目安にしていたのだが、実際には女装させるのに時間がかかって次の出場者が出てくるまで間があったりした。
 
最後に出場者が女装のまま並ぶシーンがあるため、女装させられた出演者は最後までその格好でいなければならない。一応出演者には「トイレは男性用を使用して下さい」と注意しているので、この日ΛΛテレビのトイレには女性の格好をした男性タレントさんが多数入って来て、他の番組の出演者さんがギョッとする場面もあったらしい。ヒロシなどは女装するとマジで女の子にしか見えないので年配の俳優さんから「君、ここは男子トイレだよ」と注意されて困った、などと言っていた。
 
一般に忙しい人は後の方で来ればよいようになっており、割と暇と思われるタレントさんの収録を先にやっている。
 
つまり実は実際の収録順序と放送順序は異なっている。
 
番組のトップバッターとして登場したWooden Fourなども実際には収録の後半になって放送局入りをしている。
 
また実際の放送順は、きれいな人と笑うしかない人が交互程度に登場するように整列していた。また、笑うしかない人の多くは5分くらいトークをしていても、放送時は1分程度にカットされている。より美しい人はより長く映している。
 

そういう訳で《放送順》はこのようになった。
 
1.Wooden Fourの本騨真樹 50点 性転換手術のクーポン券(拒否)
2.美青年俳優の高橋和繁 45点 スカート20着
3.バインディング・スクリューの田船智史 45点 ブラジャー20枚
4.ウィリーウィリーの健 20点 女性ホルモン注射
5.スカイロードのkomatsu 44点 女子用水着10着
6.俳優の三鷹春男 30点 お化粧品セット
7.漫画家のクラリス城 42点 牛の去勢器具
8.トランプリンの貴弘 15点 バストブースター
9.Rainbow Flute Bandsのポール 45点 パンティ50枚
10.ハルラノの慎也 0点 女性ホルモン注射1年分
11.ナラシノ・エキスプレス・サービスの海野博晃 45点 女子中学生用セーラー服3着
12.サッカー選手の田安達郎 38点 ハイヒール10足
13.俳優の田崎秀三 40点 キャミソール20着
14.作家の近藤長作 28点 女性ホルモン注射
15.ハイライトセブンスターズのヒロシ 50点 性転換手術のクーポン券(拒否)
16.演歌歌手の原口猛瑠 25点 女性ホルモン注射
17.大学教授の篠川英太 38点 パンティストッキング100足
18.スカイヤーズのBunBun 40点 女性コスプレ衣装セット
19.ローズクォーツのサト 20点 女性ホルモン注射
20.アクア 50点 強制性転換→視聴者に譲る
21.大林亮平 50点 50点 性転換手術のクーポン券(拒否)
 
実はこれ以外に出演者に何かのトラブル(事務所の意向による辞退や不祥事)があった場合に備えて、お笑い芸人さん2人を撮影しているが(実は最後の整列シーンにも端に2人立たせていて、彼らまで映した映像も存在した)、そのような非常事態は起きなかったので、この2人の女装映像はお蔵入りとなった。
 

アイドルユニットWooden Fourの本騨真樹君は美しい女装を披露して50点をもらい「性転換手術のクーポン券プレゼント」と言われたものの受け取りを拒否した。代わりにウィングの商品券10万円分をもらったのだが、この部分は放映されなかった。本騨君はこれを実際には恋人の山村星歌に譲ったが、そのこともWooden Fourのメンバー以外は知らない。
 
美青年俳優の高橋和繁は結構きれいな女装を披露して45点をもらい、賞品としてスカート20着(のクーポン)をもらった。彼は同じ事務所の女優さんに譲ると言っていた。
 
ロックバンド、バインディング・スクリューの田船智史もやはりきれいな女装で45点をもらい、ブラジャー20枚のクーポンをもらったが「姉に譲ります」と言っていた(姉は作曲家の田船美玲)。
 
お笑いコンビ・ウィリーウィリーの健は適当な女装(明らかに手抜き)で20点となり、女性ホルモン注射をしますと言われて警備員(役の人)に取り押さえられ、白衣を着た医師(本物)に注射をされて悲鳴をあげていたが、実際にはこの場面は放送されなかった! 実際には注射したのはブドウ糖らしい。彼の出演場面はそもそも1分しか流されなかった。彼はこのほかお土産に花村唯香の写真集をもらっていた。
 
男性アイドルグループ・スカイロードのkomatsuはまたきれいな女装で44点をもらい、女子用水着10着をもらった。ファンクラブで募集して抽選で10人に配りますと言っていた。
 
アクション俳優の三鷹春男は結構しっかり女装させられていたものの、本人の骨格がどうにもならないので30点であった。お化粧品セットをプレゼントされていたが、同じ事務所の女優さんに譲ると言っていた。
 
漫画家のクラリス城は、まあまあの女装で42点をもらい、牛の去勢器具をプレゼントされた。漫画の資料に使わせてもらいますなどと言っていた。
 
お笑いコンビ・トランプリンの貴弘はまた適当な女装で15点であった。実は慎也を除く出演者の中の最低点である。プレゼントはバストブースターで、その場で塗られていたが「これ本当におっぱい大きくなっちゃうの?」などと不安そうな顔を見せていた(バストブースターの効き目はせいぜい数時間)。彼もお土産に花村唯香の写真集をもらった。
 
Rainbow Flute Bandsのポールは、かなり無理のある女装で、きれいにお化粧され可愛い服を着ているものの男にしか見えなかったのだが、審査員は45点を付けた。彼は実際には肉体的には女なのだが、ふだん男装でしかテレビにもステージにも姿を見せておらず、女装姿は貴重な露出だったので、それでみんな9点を付けたようである。パンティ50枚をもらったが、彼は男性用トランクスしか穿かない。女物のパンティを使用する他のメンバーに分けますと言っていた。
 
「女物のパンティ穿くメンバーって誰?」
という質問に彼は
「うーん。。。キャロルかなあ」
 
と答えて笑いを取っていた。ふだんあまり笑わないキャロルもこれには吹き出していた。むろんゲイのキャロルが女物を穿く訳が無く、実際にはモニカ、アリス、ジュン、フェイの4人で山分けしたようである。“性別不詳”のフェイは過去に
 
「ボクはちんちんはついてるけど、パンティは女の子パンティが大好き」
と深夜のラジオ番組で発言したこともある。
(但しこの発言の前半については「嘘つかないように」とそばに居たアリスから突っ込まれていた)
 

そして10番目にはハルラノの慎也が登場するが、彼はファンデもアイライナーも入れられず、化粧は口紅を塗っただけ。服もバーゲンの売れ残りのようなスカートを穿いただけというひどい格好で0点であった。女性ホルモン注射1年分をプレゼントすると言われたものの拒否した。
 
実はこの番組で何もプレゼントをもらわなかったのは慎也のみである。
 

「口直し」に登場したナラシノ・エキスプレス・サービスの海野博晃は元々女装が趣味であることを公表している(女になりたい訳ではなく女性ホルモンなども摂っていないし、奥さんとは普通の夫婦生活をしているらしい)。「スタッフに頼らず自分でお化粧して自前の服をもってきて着た」と自分で言っただけのことはあり、ごく自然で、普通にそのあたりに居そうなおばちゃんになっていた。45点をもらう。
 
この番組では予定している3人(本騨真樹・ヒロシ・アクア)以外には最高でも45点しかつけないことを審査員たちは事前に決めていた(最後に予定外だった大林亮平に50点をつけたのはオマケ)。
 
海野さんは女子中学生用セーラー服3着をプレゼントされたが「ライブで着る」と約束していた。
 
サッカー選手の田安達郎はかなり無理のある女装だったが「可愛い」という声が審査員のマリや花村唯香から出て結局38点ももらう。ハイヒール10足をプレゼントされていたが、球団の事務の女の子たちに配りますと言っていた。
 
三枚目俳優の田崎秀三は意外に可愛くなっていて40点をもらう。キャミソール20着をプレゼントされたものの、女房に譲ると言っていた。
 
バラエティ番組に登場の多い作家の近藤長作は適当な女装で28点。女性ホルモン注射と言われて、彼も警備員に取り押さえられて強制的に注射されたらしいが、この場面はやはり放送されなかった。実際に打たれたのはニンニクらしい。彼の登場シーンも1分しか放送されなかった。彼もお土産に花村唯香の写真集をもらった。
 
ハイライトセブンスターズのヒロシは本当に可愛い女装で「結婚したい」という声が他の(男性)出演者からまで出ていた。むろん50点をもらい、性転換手術のクーポン券プレゼントと言われたものの拒否してウィングの商品券10万円分をもらっていた。彼は放送された部分でも「スカートくらい穿いてますよ」と発言したが、この商品券も「自分で使う」と言ったらしい。ここはさすがにまずいのではということで、商品券プレゼントの部分以降は放送ではカットされた。
 
演歌歌手の原口猛瑠も適当な女装をさせられて25点であった。彼も取り押さえられて「女性ホルモン」を注射されたが、実際には生理食塩水だったらしい。例によってお土産は花村唯香の写真集である。彼の登場シーンも放送では1分しか無かった。
 
実はひどい女装を披露して、3分以上の時間を取って放送されたのも慎也のみだったのである。
 
バラエティ番組に登場の多い大学教授の篠川英太は元々がスリムな体型だけあって結構見られる女装になり38点を取った。パンティストッキング100足をプレゼントされたが「女房が使うと思います」と言っていた。
 
スカイヤーズのBunBunもまあまあの女装で40点を取った。女性コスプレ衣装セット(ナース・CA・セーラー服)をもらったが「スカイヤーズの他のメンバーに着せる」などと発言していた。
 
そしてラスト前に登場したローズクォーツのサトは極めて不気味な女装を披露し「サトさんの登場シーンは全部カットしましょうか?」などと司会の古屋さんが言うほどの事態となったものの「まあいいでしょう」と審査員長の荻田さんが言ったので撮影は続行された。20点を取って女性ホルモン注射をされた(実際にはクエン酸)が、例によって注射シーンは放送されなかった。彼は《特製タカ子写真集》をお土産にもらった。
 
(このタカ子写真集が欲しいという問い合わせが放送後随分寄せられて本当に写真集を作ることになってしまった!
 

そして最後にアクアが登場し、この場面は実際の収録でも15分掛け、放送でも8分ほど掛けている。彼はもちろん50点満点で、強制性転換と言われたものの「その権利を視聴者に譲ります」とかわした。ここは実際台本には無かったやりとりで、アクアがどうも機転が利きそうと判断した古屋さんが、わざと無茶振りしてみたのだが、アクアはうまく対処して、後からプロデューサーや古屋さんから褒められたらしい。
 
その後、オマケで大林亮平が登場し、彼もとても美人になっていたので50点をもらった。性転換手術のクーポン券は拒否して、ウィングの下着クーポン10万円分をもらったが、これは「後で適当な人に譲る」と発言したため、彼の妹さん(モデルの大林みるく)に譲るのではと思った人が多かったようだが、実際にはマリにプレゼントしたので、マリが「もうけ、もうけ」と言って喜んでいた。
 
その後、結果発表のシーンを撮影(慎也を強制性転換手術のため連行していくシーンを含む)して番組収録は終了した。
 

12月4日(木)のことである。町添さんが早朝から私のマンションに来訪した。この時刻に来るというのは、つまり(午前中は寝ているのが確実な)政子抜きで、私だけと話し合いたいという意味である。
 
「ちょっとアクア君のことだけど」
と町添さんは切り出した。
 
「はい。何かありました?」
 
「あの子って本当に男の子なんだっけ?」
「男の子ですけど。あの子を古くから知っている私の友人が証言していますから間違い無いですよ」
 
「でもそれ昔は男の子だったけど、既に女の子になっているということは?」
「あの子は女の子になりたい男の子ではなく、普通の男の子ですから」
「でも、それ恥ずかしがってそう言っているだけで、実は密かに手術していてもう女の子になっているということはない?」
 
「それはないと思いますよ。そもそも中学生に性転換手術する病院はさすがに無いです。高校生くらいなら、年齢ごまかしたらやってくれる所はありますけど」
 
まあ青葉は中学3年で性転換手術を受けたが、あれは例外中の例外中の例外という話だった。
 
「だけどケイちゃんも、大学に入ってから性転換したと公的には言っているけど、実際には小学4年生の時に性転換してるでしょ?ここだけの話」
と町添さんは言う。
 
うーん。。。町添さんにまでそう思われているとは。
 
しかし自分に対する誤解は置いておいて、アクアのことは何とかしてあげなければならないかと私は考えた。
 
「疑問があるなら、病院で医師に診察させてはどうです? テレビ局などに話を持ちかけて、テレビ局側が指定する医師に診察させればいいんですよ。そうすれば疑いようもなくなります」
 
「それやっても大丈夫? 診察させてみたら実は女の子でした、ということになったら、アクアに関する色々な企画がひっくり返って、大損害が出るからさ」
 
「うーん。でしたら、テレビ局に話を持っていく前に、内々に医師の診察を受けさせますか?」
 
「じゃ、それ僕が指定する病院で受けさせてもいいかな?」
「大丈夫ですよ」
と私は笑顔で言ってコスモスに連絡を取った。
 

それで結局、アクアに翌日金曜日に学校を休んでもらって、★★レコードが指定する病院で性別検査を受けさせることになった。こういうことで学校を休ませるのは申し訳ないのだが、土日は全てもう仕事の予定が入っているのである。
 
付き添いはアクアのプロジェクトの“リーダー”であるコスモス、私、そして★★レコードから、ここまでアクアに関わっていなかった、北川さんがアクア本人と一緒に病院内を付いて回ることにした。
 
しかし付き添いが全員女性だ!
 
「ボク何をすればいいんですか?」
とアクアは戸惑うように言っていたが
 
「お医者さんに龍ちゃんの身体を見せて、少し検査したりして、龍ちゃんが間違いなく男の子であることを確認したいということなんだよ」
 
「万一ボク、女の子だと言われたらどうしよう?」
「その時はいっそ性転換手術しちゃう?」
「え〜?それは嫌です」
 

ともかくも、最初は尿と血液を採取する。紙コップをもらってトイレに入り、おしっこを取ってもらう。私たちは廊下で見ていたが、彼はちゃんと男子トイレに入っていた。それを提出したら処置室に行って、看護婦さんに採血してもらう。
 
その後、泌尿器科に行き、実際に龍虎の股間の状態を医師に診断してもらった。
 
龍虎はまた下着まで脱いでその付近をお医者さんに見せる。私たちは一応女でもあるし、カーテンのこちら側で待機している。
 
医師でもない私たちやレコード会社スタッフが、アクアの性器を目視したりするのは、セクハラ行為として問題になる可能性があるので、見るのはあくまで医師や検査技師のみというのがスタンスである。
 
「まあ普通に男性器があるね。睾丸が小さいなあ。これサイズ測ってみよう」
という声が聞こえてくる。
 
「これは小学4年生くらい、これから第二次性徴が始まろうとするくらいの子のサイズだね」
 
「僕、小学校低学年の時に大病して、その時物凄く強い薬とかも使って髪の毛とかも全部抜けたりしたんです。それで性器の発達も遅れているみたいなんです」
と龍虎は自己申告する。
 
「どういう病気ですか?」
「****という診断名が付けられています」
 
「ごめん。聞いたことない病気だ。ちょっと待って」
と言って医師はその病気をデータベースで調べていた。
 
「これまで症例は世界でも100人以下ということみたいね」
 
「はい。物凄く珍しい病気だと言われました。でも根本的な原因は**付近にできた腫瘍で、それを小学2年生の時に手術して除去することで治癒したんですよ。でも手術だけでは済まずにかなり化学療法もしました」
 
「なるほどねぇ。その影響で発達が遅いんだろうね。でもこれ小学2年生とかの睾丸のサイズではないから、ちゃんとその後少しずつ睾丸は発達しているんだろうね。だからこの睾丸はたぶん死んでないよ。ペニスのサイズも測っていい?」
 
「はい、どうぞ」
 
それで医師は龍虎のペニスのサイズを測っているようである。
 
「こちらは小学1年生くらいのサイズだ」
「小さいなとは思ったりします」
「男性ホルモンとか処方を勧められたことはない?」
「ホルモン的な治療はしたくないんです。自分の自然な発達に任せたいので」
「なるほど、君がそう思うのであればそれでもいいと思う。睾丸はちゃんと少しずつ大きくなってきているから、これは睾丸がある程度のサイズまで到達したら、そこから出る男性ホルモンによってペニスももっと大きくなるだろうね」
 
と医師は言った。
 
こういう会話が全部カーテンのこちらに居る私たちに聞こえている。これを聞いて良いというのは、龍虎本人、里親の田代夫妻、親権者の長野支香の同意を得ている。
 

「念のため、胸も見せてもらえますか?もうパンツとズボンは穿いていいですよ」
「はい」
 
それで龍虎はパンツとズボンを穿いた上で、今度は上半身裸になったようである。
 
「胸の形は普通の男の子ですね。特に膨らんだりもしていない。乳首も男の子のサイズだから、君は間違い無く男の子だよ」
と医師が言うと
 
「女の子みたいな胸だとか言われたらどうしようと思いました。少し脂肪付いてるかなあみたいな気もしたので」
などと言っている。
 
「このくらいの脂肪は男の子の胸でも付いてるよ。じゃ精子の量を調べたいので、ちょっとそちらの部屋で精液をこれに取ってきてください。」
と医師は言った。
 
「あ、えっと・・・」
 
と龍虎がためらっているので医師が尋ねる。
 
「君、オナニーは前回いつした?」
「1週間くらい前かなあ」
 
「ああ、そのくらいの頻度なんだ?でも1週間経っていれば出せるよね。いや今朝やっちゃったので、まだ出ないと言い出す人はたまにあるんだけどね。時間かかってもいいから、焦らずにね」
 
「はい」
と言って、龍虎は医師に渡された容器を持って個室に入ったようである。
 

龍虎は医師から渡された容器を持って個室に入ってから、どうしよう?と思った。
 
オナニーというもの自体はさすがに中学生なので知っている。しかし実際にはしたことがないのである。射精も経験無い。
 
龍虎はたぶん自分はまだ射精ができる状態まで性的に発達していないのだろうと思っていた。
 
でも射精できなかったら、なんかもっと色々検査されそう。
 
そう思って悩んでいた時、突然肩をトントンとされ、ギョッとする。
 
びっくりして振り向くと《こうちゃん》である。龍虎は首を傾げた。
 
《こうちゃん》はニヤリと笑うと、何かビニールに入った液体を龍虎が持っている容器に注いだ。
 
『それを代わりに出せばいいよ』
という《こうちゃん》の声が直接龍虎の頭の中に響いた。
 
龍虎が頷く。
 
『じゃな』と(脳内に)言って《こうちゃん》の姿は消えた。
 
龍虎は唇に手をあてて少し考えていたものの、そのあと5分くらい心の中で数を数えてから個室を出た。液体の入った容器を医師に渡した。
 
「ご苦労さん。やはり時間掛かったね。弱いんだろうね。普段はだいたいどのくらいの時間で出る?」
 
「うーん。7-8分でしょうか」
「なるほどなるほど。まだ中学生くらいなら、そのくらい掛かっても不自然ではないよ。じゃこれ検査に回すね。次はMRI室に行って」
と医師が言った。
 

カーテンのこちらでは、北川さんが小声でささやいた。
 
「出すまで結構時間が掛かったみたいね。私、自分の時計で見てたけど10分ちょっと掛かった」
 
「声変わりがまだ来てないことからも分かるように、たぶん性的な能力もまだ弱いから、出すのにも時間が掛かるんでしょう」
と私は言った。
 
しかしコスモスは何か考えている風であった。
 

下着だけになってMRIの中に入れられる。
 
「ワイヤー入りのブラはしてませんか?」
と看護婦さんが尋ねていた。
「ぼくブラはしてません!」
「あら、中学生でしょ?そろそろブラした方がいいわよ」
などと言われている。
 
不必要な所ではあまり表情を変えないコスモスがさすがに苦笑している。
 

私たちは控室の方で検査の様子を見ていた。
 
「MRIで何を調べるんだっけ?」
と北川さん。
「たぶん体内に子宮とか卵巣とかが存在しないか確認しているんですよ」
と私は答える。
 
「なるほどー」
「龍虎は毎年病気の再発に備えて徹底的な検査を受けているから、万一そんなものが存在していたら、とっくに指摘されていたはずです。もし実は女の子であったと判明したら、あの子なら、とっくに女の子になりなさいと周囲から説得されて、性器の修正手術を受けさせられて女の子として生活してますよ。そういうことになっていない以上、あの子が男の子なのは間違いないと思いますけどね」
 
と私は言った。もっとも支香などは「あの子が性転換手術受けたいと言い出した時のために手術の資金は貯めてる」などと言っていた。
 
「まあスポーツ選手で男っぽい女子選手が性別を疑われるのと同じで、美形すぎる男性タレントは性別を疑われちゃう、というのが、今回の騒動の実態かも知れませんね」
とコスモスは言った。
 

その後、龍虎は臨床心理技師さんから、心理的な性別のチェックをされていた。このチェックだけは、他の人が聞いていると、本人が自分の返事をバイアスさせる可能性があるのでと言われ、私たちは同席しなかった。心理技師さんとふたりだけのセッションとなった。
 
検査が終わったあと2時間ほど待った。その間にお昼御飯も食べる。龍虎は今日の検査のために昨夜9時以降絶食だったらしく
 
「お腹空いたぁ」
と言って、ハンバーグランチを食べていた。
 
やがて呼ばれて診察室に行く。私たち3人も一緒に先生の診断を聞く。(ここで聞いていいことも、田代夫妻と支香の了承を得ている)
 
「陰茎、睾丸、陰嚢、前立腺といった男性器は全て存在します。卵巣、子宮、膣、陰唇、陰核などは存在しません。完全に男性の性器形態です」
 
と最初に医師は言った。
 
「良かったぁ」
と龍虎は本当に安心したふうである。
 
「あんたは女だからきちんと女の形にする手術受けなさいとか言われたら、どうしようかと思いました」
などと龍虎は言っている。
 
「心理的にも完全に男の子ですね。心理的な女性度は30%で、これは男の子としては普通の範囲です」
と医師。
 
「それは3割女で7割男という意味ではないのですか?」
と北川さんが質問する。
 
「女っぽい性格の男性なら女性度は80%以上あります。ほとんどの男性は60%未満で、その程度は男性の正常な範囲とみなされます」
 
「それ天然女性で検査しても、やはり同じ基準ですか?」
とコスモスが尋ねた。
 
「女性の場合は50%以上なら女性の正常範囲ですね」
「じゃ、どっちみち30%なら男性の正常値なんですね」
 

「女性ホルモンは中学生男子の正常値を少し超えていますが、問題無い範囲。男性ホルモンは中学生男子の正常値からはかなり低いですが、小学4年生くらいの標準値ですね。実際そのくらいの年齢並みの性的発達の度合いなのだと思われます」
 
「やはり女性ホルモンが高くて男性ホルモンは低いんですね。それ女子中学生の標準値と比べたらどうなんでしょう?」
と北川さんは質問する。
 
「女性の女性ホルモン量というのは生理周期によって著しく変動します。卵胞期の女性のエストラジオールの量は、実は男性のエストラジオールの量と大差無いのですよ」
 
「そうなんですか!」
「そういう意味では、女子中学生並みの女性ホルモン量かも知れませんが、男子中学生の正常値範囲を少し超えた程度ですから、異常ではありません」
 
「分かりました。男性ホルモンの方は?」
 
「テストステロンは結構男女で差があります。男性は女性の5〜100倍くらいのテストステロンがあります」
「そんなに差があるんですか!」
「彼のテストステロンの量は男子中学生の正常値下限の半分程度ですが、それでも女性の正常値上限の倍以上あります」
 
「それってホルモン的に中性状態ということですか?」
「実際そうだと思います。彼は第二次性徴が現れ始める少し前くらいの身体的状態なんですよ。ですからこれから少しずつ睾丸も発達して男性ホルモンも増えて、男らしい身体になっていくと思いますよ」
 
「分かりました!」
 
「精液も検査しましたが、精子がわずかに混じっていました。これも睾丸が発達してくれば、増えて行くと思います」
 
「ああ、精子はあったんですね」
と私は確認した。
 
「小学4年生くらいならこれが普通です」
 
「要するにこの子の性的な発達は小学4年生程度ということなんですね」
 
「そうです。これは小さい頃にした病気のせいでしょうね」
 

「性染色体はXYで間違い無いです。ですから遺伝子的にも間違い無く男性ですね」
 
「それも僕、あんたはXXだとか言われたらどうしようと思った」
と龍虎は言っている。
 
「まあ遺伝子的にXXの男性は普通に居ますし、本人が男性として精神的に発達していれば、そのまま男性として生きて行くことを私たちはお勧めしています。でも患者さんの場合は、XYですから、男性であることは疑いの余地もないですね」
 
と医師は言った。
 
今日の診断内容を医師は診断書としてまとめてくれた。それを北川さんは持ち帰る。
 

医師との面談が終わった後、帰ろうということになるが、龍虎は
 
「すみません。トイレに行って来ます」
と言って私たちから離れた。
 
見ていると採尿の時同様、ちゃんと男子トイレに入る。その後ろ姿を見ながら私はコスモスに尋ねた。
 
「実際問題として、あの子、男子トイレと女子トイレのどちらを多く使ってます?ここだけの話」
 
するとコスモスは微笑んで言った。
 
「悪いこと唆す子がいなければだいたい男子トイレに入るみたいですよ。マリさんとか、うちの川崎ゆりことか、桜野みちるとか、悪い道に誘う子がいると女子トイレに入るみたいです」
 
「なるほどねー」
と北川さんが言っていた。
 
「でも今日1日、あの子を見ていて私は確信した」
と北川さんが言う。
 
「あの子は男の子の心と体のまま、女の子のアドバンテージだけむさぼろうとしている」
 
私もコスモスも苦笑した。
 
 
前頁次頁時間索引目次

1  2  3  4  5 
【夏の日の想い出・東へ西へ】(5)