【夏の日の想い出・東へ西へ】(2)

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少し時を戻して11月26日。青葉が北海道からいったん東京に寄った日のことである。
 
青葉はケイのマンションを出ると、恵比寿駅方面に歩き始めた。
 
ところが少し歩いた所で後ろから来た赤いインプレッサが停車してクラクションを鳴らす。窓を開けて顔を出したのを見ると千里姉である。
 
「ちー姉!?」
「北海道からこっちに戻って来たの?」
「うん。冬子さんからの依頼だから、その結果報告に来た。ちー姉は?」
 
「冬の所に行くつもりだったんだけど、青葉が出てきたの見たから。どこに行くの?ホテルまでなら送ろうか?」
「新宿に出て夜行バスで高岡に戻るよ」
 
「今夜帰るんだ!?」
「だって学校あるし」
「一週間休んだついでに明日も休めばいいのに」
「できるだけ授業出たいもん」
 
「じゃ私が高岡まで送って行くよ」
「え〜〜!?」
 
「今から高岡まで走れば・・・・」
と言ってカーナビを操作している。
 
「到着予定時刻は3:55になっている。約5時間かな」
「ちー姉、そのカーナビの速度設定おかしくない?」
「毛布も布団もあるから、それかぶって後部座席でずっと寝てていいし、トイレ行きたくなったらいつでも休憩するし、この車には非常食もたくさん積んでるし。お湯を沸かすための設備もあるからカップ麺やレトルトカレーも食べられるよ」
 
「まあいいか。ちょっとちー姉と話したい気分だったし」
と言って、青葉はインプの後部座席に乗り込んだ。荷室から毛布と布団を引き出し、それを身体に掛ける。車は発進し、Uターンしてから近くの首都高のランプを目指した。
 
その千里の赤いインプの後をつける青いインプがあった。2分も走っている内に青葉がその車に気付く。
 
「ちー姉、もしかして後ろの青いインプ、ちー姉を尾行しているということは?考えたらさっき私が車のそばに立ったまま話していた時、少し後ろの方に停まってスモールランプにしてたよ。そしてこちらが出たらすぐ向こうも普通のライトに切り替えて発進してUターンして同じ方向に来ている」
 
「うん。先週の月曜日に北海道から戻ってきたあと、ずっと尾行してるよ」
「誰がそんなことしてるんだろう?興信所か何か?もしかして細川さんの奥さんの依頼とか?」
 
「あれは冬子のお友達だよ」
「え〜〜!?」
 
「確か小山内さんじゃなかったかな。冬子が、私の生活実態に疑問を感じて尾行させているんだと思う。こないだも大阪往復に付いてきたけど、今夜も高岡までの往復、付いてくるかな?」
 
「うーん・・・私もちー姉の生活実態に疑問を感じてる」
 
「大したことしてないけどなあ。大学に行って、ファミレスと神社のバイトして、ほかにちょっとバスケとか作曲とかしてるだけだよ。後はまあ身体を鍛えるのに日々の基礎トレーニングかな。冬の間は1日40kmのウォーキング」
 
「その時点で既にちー姉が3〜4人居ないと不可能だと思うんだけど」
「ああ、あんた双子でしょとか、よく言われたね」
と言って千里は笑っている。
 
しかし青いインプは高樹町の入口から千里の車が首都高に入ろうとした時、ランプの直前で進入をやめ、脇に停車してハザードを焚いた。
 
「どうしたのかな?」
「冬子から、もうそろそろいいよという指令が出たのかもね」
「ああ」
 

「でも今回の織絵ちゃんのヒーリングの件も助かったけど、こないだの胚移植の件もありがとうね。今のところ順調だよ」
 
「だったら良かった。ああいうのは初めての経験で緊張した」
 
「まだ本人は基本的に絶対安静。トイレに行く以外は寝てなさいということにしている。実は私の友だちに頼んで買物とかも行ってもらっている。私が前面に出ると彼女も気にするだろうから、貴司が買物していることにしてね」
 
「3ヶ月目に入るくらいまではそれで行った方がいいと思う。あの人、本当にホルモンの分泌が不安定なんだもん。男の娘並みの不安定さ」
 
「実際私や青葉の女性ホルモンの方がよほど安定して分泌されてるだろうね。実はお医者さんも安定期に入るまで入院しててもいいという意見なんだ。本人がずっと病院にいるのは気が滅入るというから自宅に置いているけど。それで悪いけどさ、出産に到達するまで月1回でもいいから、リモートであの人のホルモン分泌のメンテをしてあげてくれない?」
 
「いいよ。それはやる。今夜は私も疲れてるから、取り敢えず明日1回リモート掛けておく。もっともこの件についても色々聞きたいことはあるんだけど」
 
「たぶん私が正直に答えても青葉は満足しないと思う。実際、私にもよく分からないことが多すぎるんだよ」
 
「まあいいけどね」
と言って青葉は目を瞑って取り敢えず身体を休めることにした。結局青葉はそのまま熟睡し、明け方、有磯海SAで休んで千里と一緒に早めの朝御飯を食べた後、4時半頃、帰宅した。
 
千里は自宅で1時間ほど仮眠してから「帰るね」と言って帰っていった。朋子が「慌ただしいね!」と言っていた。
 

11月5日(水)朝。私たちは東京駅に集合した。
 
この日集まったのはこういうメンツである。
 
龍虎、上島先生夫妻、長野支香、田代夫妻、志水さん。
村山千里、佐々木川南、白浜夏恋、若生暢子。
私と政子、それに§§プロの社長名代として龍虎の先輩になる秋風コスモス。
以上14名である。
 
今日はアクアのデビュー前に、亡き両親への報告と慰霊をしようという趣旨なのである。
 

東京駅6:00の《のぞみ》に乗り、7:36に名古屋駅に到着する。在来線に乗り換えて8時過ぎに尾張一宮駅に到着する。
 
高岡さんのお父さんは現在さいたま市に住んでいるのだが、一族が元々一宮市の出身なので、お墓も一宮市にあるのである。一宮近郊には現在隣の稲沢市内に高岡さんのお父さんのお姉さん(龍虎の大伯母)が住んでおり、その人がお墓の日々の維持をしているらしい。
 
尾張一宮駅からは4台のタクシーに分乗してお墓のあるお寺まで行った。お墓の場所を知っている上島先生、支香、田代父、志水さんの4人が1人ずつ別れて乗っている。
 
上島夫妻、冬子・政子
支香、夏恋、暢子
田代夫妻、龍虎、川南
志水、コスモス、千里
 
お墓を掃除し、花を立て、線香に火を付けて墓の前に置く。
 
「この中でお経が唱えられる人?」
と支香が訊く。
 
「僕は怪しいな。海原なら般若心経を暗唱できるんだけど」
と上島先生が言う。
 
「千里は唱えられる」
と若生暢子が言う。
 
「ではぜひ」
と上島先生。
 
「いや、私の般若心経はちょっと問題があって・・・」
 
「いや、他ではまず聞くことのできない般若心経だから、ぜひやってもらおう」
 
「でも、死者への冒涜になりそうで・・・」
と千里が渋るが
「多少つっかかり、つっかかりでもいいよ」
などと上島先生が言うので
 
「では失礼します」
と言って、千里は《般若心経》を唱え始めた。
 
上島先生がポカーンという顔をしている。志水さんが可笑しさをこらえきれずに笑い声が出ないように口をげんこつで押さえている。アルトさんも一所懸命笑いをこらえている。政子はあからさまに笑っているが、さすがに笑い声まではたてない。
 
凄いと思ったのがコスモスで、彼女はいっさい表情を変えずにずっと合掌していた。
 

千里の《祝詞風般若心経》が終わる。
 
「お粗末様でした」
と千里。
 
「いや、これは凄かった」
と上島先生は言った。
 
「まあ凄いとしか褒めようがないな」
などと若生暢子は言っていた。
 

火の始末をする。燃え掛けの線香は全部袋に入れて持ち帰る。お花はそのままにしておいて良いと高岡さんの伯母から言われている。
 
お寺の前で待ってもらっていたタクシーに再度分乗して尾張一宮駅に戻った。名古屋まで行ってから《のぞみ》に乗り継ぎ、11:43に東京駅に戻った。そのまま東北新幹線乗り場に向かい、12:20の《はやぶさ》に乗る。車内で駅弁を食べた(例によって政子は3個食べた)。13:52に仙台に着く。
 
ここで龍虎の祖母(支香の母)と合流する。今回の慰霊会は物凄いハードスケジュールなので、祖母は体力を考えて今回ここだけの参加になった。実は高岡さんのお墓には数日前に支香とふたりで泊まりがけで行ってきている。1月3日の公式慰霊会には出席予定である。
 
それで15人でタクシー4台に分乗して仙台市郊外にある長野家の墓に行った。
 
「なんで夫婦なのにお墓が名古屋と仙台に別れてるの?」
とタクシーの中で政子が訊いた。
 
このタクシーに乗っているのは、上島先生夫妻、私と政子の4人である。
 
「正式に結婚してなかったから」
「正式に結婚してなくても夫婦なのに。龍虎ちゃんの両親なのに」
 
この問題について上島先生が言う。
 
「籍が入ってないから、夕香の骨を高岡家の墓に入れる訳にはいかないし、ふたりの関係を高岡のお父さんがずっと認めていなかったんだよ。だけど昨年明らかになったワンティスの著作権問題(実際には夕香が書いた詩を高岡作詞として公表し、印税の処理がされていたことが明らかになり、その是正処理がなされたこと)以降、少しお父さんも軟化していてね。実は三宅が間に入って話をまとめて、高岡家・長野家で一緒に親戚の杯を交わさないかという話も出てきている。そして高岡と夕香の骨を各々分骨して、双方の墓に入れてはどうかという案も出ている。ただ、ここで龍虎の問題で、まだ高岡のお父さんが頑なでね」
 
「何かあるんですか?」
「高岡のお父さんはまだ龍虎を高岡の息子と認めていない」
と上島先生。
 
「そんなのDNA鑑定とかすれば分かるんじゃないんですか?」
と政子。
 
「DNA鑑定ならもう龍虎の戸籍を作った時に1度している。本人たちが死んでいるから、高岡の弟さんと支香さんに協力してもらって鑑定した結果、高岡と夕香の子供である可能性は高いと出ている。でもその結果を受け入れてくれないんだよ。だから、龍虎の母の欄には長野夕香の名前が入っているけど、父の欄は空白のまま」
 
「DNA鑑定の結果が出ているなら、戸籍に記載できないんですか?」
と政子は更に訊くが
「法的には承認を取る必要は無いけど、一応お父さんの承認の上で記載したいと支香が言うし、僕もそれに賛成している。だからそのままになっている。その問題もあって親戚の杯の件と分骨の話もなかなか決まらないんだよ」
 
「難しいなあ」
と言ってから、政子は私に訊いた。
 
「私と冬って死んだらお墓は別々なのかなあ」
「各々の夫と一緒の墓になると思うよ」
と私は答える。
 
「それ寂しいよお。一緒のお墓に入りたい」
「骨なんてただの物質だよ。死んでも気持ちがひとつであればいいと思うよ」
と私が言うと
 
「うーん。。。。私はそこまで割り切れない気がする」
と政子は言っていた。
 
「各々の子供に、遺言で一部お互いに分骨して相手の墓にも入れて欲しいと書き残しておけば、もしかしたら対応してくれるかもね」
とアルトさんが言った。
 
私の子供ね・・・。私、子供産めないからなあ。
 

長野夕香のお墓は高台にあるお寺の中にあった。
 
「ここは高台にあるので津波の被害を免れたんですよ。平地にあった墓地はもう悲惨なことになったみたい」
と龍虎のお祖母さんが言う。
 
「津波は生きている人も死んだ人も全部飲み込んでしまった」
とコスモスが厳しい顔で言う。
 
あるいはコスモスの知り合いもあの津波で命を落としたのだろうかと私は思ったものの、そのことを訊くのははばかられた。
 
ここでも千里が般若心経を唱えてみんなで合掌したが、龍虎の祖母がかなりおもしろがっていた。
 

仙台駅に戻ったのが15時半くらいである。ここで龍虎の祖母とは別れる。
 
また新幹線に乗って東京に戻るが、その車内での出来事である。
 
私たちはグランクラスに乗っているのだが、グランクラスという座席はそもそもE5系新幹線にわずか18席(3席×6列)しかなく、その内の5列15席を確保しているので、事実上買い占め状態である。仙台行きの新幹線では上等なドレスを着た外国人の観光客っぽい女性3人と一緒だったが、東京に戻る新幹線では他に客がいなかった。
 
すると身内だけなのをいいことに政子が言い出す。
 
「今日はアクアが学生服で楽しくない」
 
「だって、うちのお父さん・お母さんの追悼だから。皆さんも喪服だし」
と龍虎。
 
「まさか学生服で参加するとは思わなかったからなあ。そうだと知っていたら、私がアクアに合いそうな可愛い喪服を買ってきてあげたのに」
と政子が言うと
 
「実は持って来ていたんですが、拒否されたんです」
と佐々木川南が言う。
 
「おお、あるのなら、それを着よう」
と政子。
 
「え〜〜!?そんなあ」
「芸能界の先輩として命令するから、この後はそれを着なさい」
「勘弁してくださいよぉ」
 
「取り敢えずお墓参りは終わったし、いいじゃん」
「でもこの後、行く所が」
 
政子が上島先生の顔を見るが
 
「じゃ着てみて変だったら学生服に戻るということで」
と上島先生も言うので
 
「じゃお着替え決定」
と政子が言う。
 
「うーん。。。。じゃちょっと試着するだけ」
と龍虎も妥協する。すると、川南が「よし」と言って、
 
「じゃ着替えよう。こちらにおいで」
と言い、龍虎を座席の後ろの方に連れていく。
 

10分後、凄く可愛い女性用の黒いフォーマルドレスを着たアクアが恥ずかしそうにして、出てきてみんなにその姿を披露する。
 
「可愛い!」
と思わずアルトが声をあげる。
 
「ローラ・アシュレイかな?」
「そーでーす。ピアノの発表会とかに着てもいいよ」
「恥ずかしいよお」
「何を今更」
 
「それ下着はどうしたの?」
と政子が訊く。
 
「男物の下着を着けてたから没収して女の子用のを着けさせました。ドレスの下は黒いスリップです。パンティとブラも黒」
と川南。
 
「川南さんが没収するから、また僕の男物の服が減る」
と龍虎。
 
没収したら返さないのか!?
 
「じゃ龍ちゃん、この後はこの衣装で」
とアルトまで悪のりして言っている。
 
「それ、天国のお父さんに叱られます」
 
「いや、自分の子供が可愛くなるのは、高岡も笑って許してくれるよ」
と上島先生は笑いながら言っている。
 
「まあ、あんたのそういう格好は今更だね」
と田代母。
 
「龍、マジで女の子になるつもりないの?」
と志水。
 
「女の子にはなりたくないよぉ」
と龍虎は言うが、全く説得力が無い。
 
「龍ちゃん、こういう格好の方がリラックスしている気がする」
と白浜夏恋。
 
「まあ似合ってるしな」
と若生暢子。
 

結局龍虎はドレス姿のままということになる。
 
東京駅近くのレンタカー屋さんで予約していたクラウン・マジェスタを2台借り、それに分乗(運転は田代父と川南)して八王子市内のホテルに移動した。
 
このマジェスタに私・千里・上島先生・龍虎の4人は乗らなかった。別途、電車で田園調布まで移動する。この時、目立たないように私、千里と龍虎、上島先生が各々別の車両に乗った。
 
田園調布の駅で50代の女性が待っている。立ち話すると目立つので、とりあえず彼女のセドリックに乗り込んだ。そのあとでお互い挨拶する。
 
「ご無沙汰しております、鈴木さん」
と助手席に乗った上島先生。
 
「上島さんとは何度もパーティーで会ってるわね」
と鈴木さんと呼ばれた運転席の女性。
 
「鈴木さん、こちらは私以上に★★レコードの屋台骨を支えている作曲家、ケイと醍醐春海です。そしてこちらが高岡の遺児・長野龍虎です」
と上島先生が紹介する。
 
「お初にお目に掛かります」
と後部座席の3人は挨拶し、私と千里は名刺を出す。龍虎は
 
「まだ名刺とかは作ってもらっていないのですが、12月末のスペシャル番組に出してもらった後、春からのドラマに出演させてもらうことになっております長野龍虎です。よろしくお願いします」
と挨拶した。
 
「あんた可愛いね。高岡さんの子供というの抜きでも売れるよ。国民的美少女って感じだし」
と鈴木さんも笑顔で言う。
 
「えっと御免なさい。僕、一応男の子なんですが」
と龍虎。
 
「え?うそ!?」
「まあだいたいこの子は女の子と間違われます」
「りゅうこって女の子名前だし」
「空を飛ぶ龍に吼える虎なんです」
「そっちの字か!でも女の子の服着てるし」
「こういう服が似合うと言われてしばしば着せられちゃうんですよ。今日も最初は学生服を着ていたのに、これ着せられちゃって」
「いや、あんたは学生服着てても男装美少女にしか見えないと思う。声も女の子みたいな声だし」
「声変わりがまだなもので」
 

「あ、それでこちらは★★レコードの星原相談役のお嬢さん、鈴木片子さんね」
と上島先生は運転席の女性を紹介した。
 
「私は名刺持ってないけど、よろしくね」
と鈴木さんは笑顔で挨拶した。
 

「でもあの車は素敵よね。私も年に1度しか乗らないのよ」
と鈴木さんはセドリックを出しながら言う。
 
「年に1度しか動かさないんですか?」
と私が尋ねる。
 
「それ以上は父が自分たち用には動かさせないもので」
「ああ」
 
やがて星原相談役のご自宅に到着する。私もここに来るのは初めてであるが、上島先生も初めてのようだ。大会社の創業者の自宅にしては、比較的質素な作りである。ただ敷地面積はかなり広いようだ。
 
応接室に通され、お茶を出してもらったが、手をつけずに待つ。やがて足取りのやや怪しい老人が出てくる。足取りは怪しいものの、眼光が鋭いのがさすが、小さなレコード店をメジャーレーベルまで育て上げた人だと私は思った。
 
「おお、上島君、久しぶり」
と言って、星原さんはいきなり千里に握手を求める。
 
千里もびっくりしたようだが、にこやかに
 
「申し訳ありません。私は上島先生の友人・雨宮先生の弟子で醍醐春海と申します。上島先生はそちらに」
と言って、手で指し示す。
 
「ああ、そちらが上島君か。いや、以前会った時は確か男だったような気がしたのに、いつの間に性転換したんだっけ?と思った」
などと相談役は言っている。
 
これは(医学的に)ぼけているのか、(お笑い的に)ボケているのか、私は判断に迷った。
 
しかし性転換ということばに龍虎が何だかドキドキしている風だ。
 

「それで、こちらが高岡の遺児の長野龍虎です。ふたりは正式に結婚していなかったので母親の姓の長野を名乗っています」
と上島先生が龍虎を紹介する。
 
「ああ、君が高岡君たちの・・・娘さん?」
「すみません。息子です。一応私、男なので」
「いや、確か息子と聞いていた気がしたけど、娘の聞き間違いだったっけ?と思って」
 
「この子はよく女の子と間違えられるんですよ。今日もうまく乗せられてこういう服を着せられちゃって」
 
「女装しているようには見えん。ふつうに女の子にしか見えない。じゃいっそ、女の子にしちゃったら? この顔で男ですと言っても混乱するだけだし。今は男の子を女の子にするのも、簡単にできるんでしょ?」
 
「まあ女の子にする手術は2〜3時間で終わりますが」
「だったらデビュー前に手術しちゃおうよ」
「え〜〜!?」
 
「デビュー前に美容整形する子なんてざらじゃん」
「まあよくいますね」
「それと同じようなものだよ」
「すみません。性転換手術とかは勘弁してください」
 
「以前、アイドル歌手の山江麻寛子とか、男の子だったけど、女の子にした方が売れるってんで、モロッコに行かせて性転換手術受けさせて、女の子アイドルとして売り出して大成功したよね?」
 
「星原さん、山江麻寛子は間違い無く生まれながらの女性ですが。結婚して子供も産んでますし」
「そうだっけ?誰かと勘違いしてたかなあ」
 

お茶を飲みながら、最近の音楽界のことを中心に少しお話をしたが、星原さんは娘を結婚させたことを後悔しているなどと言い出した。私は、お嬢さんの前でそんな話をされても・・・と反応に困ったのだが、すぐにそれはこの場に居ない、片子さんの妹さんの話であることに気付いた。
 
「娘はハッキリ言いませんが、旦那がかなりの浮気性の上に、どうも暴力も振るわれているみたいで」
と星原さん。
 
私はそっと上島先生の様子を伺ったのだが、頷いているので、どうもその話はけっこう知られているっぽい。
 
「準子さん、一度里帰りでもさせてはどうです?」
と上島先生は言ったが
 
「それも言ったが、自分が居ないと、何始めるか分からないからと言って」
と星原さん。
 
そのあたりまで話している内に、星原さんが最初に上島先生と「間違えて」千里と握手したのは、どうも惚けたふりのおふざけだったようだと私は判断した。
 

「で、車だけど、話を聞いてすぐ整備させたから」
と星原相談役は言った。
 
「私も久しぶりで楽しみにしておりました」
と上島先生。
 
「じゃ見てみようか」
と言ってガレージに行く。ガレージには車が5台並んでいる。さきほど鈴木さんに乗せてもらったセドリック、スカイラインGTR、おそらく普段使いだと思われるウィングロードと並んでいるので日産が好きなのだろうなと思った。その横にあるプリウスは「これは私の」と鈴木さんが言った。そしてもう1台他の車とは別の仕切りの所に入れられている『例の車』Porsche 996 40th anniversary editionである。
 
「ミシェランのスタッドレスも履かせてるから」
と星原さんが言う。
 
上島先生が、あらためてこの車がここに来た経緯を説明した。
 
「当時高岡は、ワンティスが売れに売れて大金を手にして、発売されたばかりのこの40th anniversay editionを買った。競争率が高かったけど、日本で一番の売れっ子グループのリーダーということで、販売店が宣伝効果を考えて配慮してくれたのではとも(★★レコードの)加藤君などは言っていた」
 
「ところが高岡は買ってまだ1ヶ月もしない内にあの事故を起こして自分は夕香とともに死んでしまうし、当然車も廃車。それで販売店が青くなった。宣伝効果どころか逆効果。連日ニュースはポルシェ996の写真を出すし、最高速度290km/hだと説明する。訳の分からない自称評論家さんとか出てきてそんな速度が出る車を日本国内で発売してはいけない、法的に規制すべきだと言ったりするし。誰がそんな速度を道路で出そうとする?みんなサーキットで楽しむためにああいう車を買うに決まっている。ところが、その時、自動車コレクターでこのポルシェを自分でも所有していた音速通信の重富社長が接触してきたんだよ」
 
「自分の買った40th anniversay editionを譲るから、その車で安全運転して、ポルシェの良さをアピールしてくれないかと。重富さんは特にポルシェが好きで、ポルシェだけで5台も持っていた。それが連日テレビでポルシェが批判されているみたいで、耐えられんと言っていたんだよ」
 
「ただ、当時高岡は実際にはあの車の購入代金のほとんどを銀行から借りていた。その借金の返済、そして重富社長から譲り受けるための資金が当時、ワンティスの他のメンバーには無かった」
 
「それを星原相談役が個人的に出してくださったんだよ」
と上島先生は説明する。
 
「まあそれでこの車は僕が買ったんだけど、基本的には高岡君たちのものだと思っているから、ワンティスのメンバーにはいつでも来て乗ってくれと言っている」
と星原さん。
 
「その後、僕はお金が出来たから、星原さんが出してくれた分を僕が払っても良かったんだけど、僕が払ってしまうと、ワンティスの他のメンバーが乗りに来るのに抵抗を感じるかも知れないと星原さんや加藤さんが言ってさ、それで高岡が買った車のローン肩代わり分だけ僕が出させてもらって、重富さんから譲り受けた時のお金はそのままにしている。だから車の所有権は今でも星原さんにあるんだよ」
と上島先生は補足説明した。
 
「実際、ワンティスの各メンバーさんが追悼を兼ねてしばしば乗りに来られるんですよ。車好きの雨宮さんとか、海原さんなどは毎年3〜4回は来ますね」
と鈴木さん。
 
「雨宮君は、奥さんとのデートに貸してと言って借りて半月くらい乗り回したこともあったね」
と星原さん。
 
雨宮先生の奥さん!??それ誰?と私は思ったのだが、上島先生も千里も何だか頷いているし、龍虎は「問題」に気付いていない雰囲気だ。それで私もその件については質問しなかった。
 
「当時、テレビの色々な番組に、上島先生がこのポルシェに乗って出演しておられましたね。私はそれが高岡先生が事故死した車と同型のものとは全然知らなかったんですが」
と私は言う。
 
「うん。テレビ局に協力してもらって、たくさんこの車を映してもらった。結果的にはポルシェ911のイメージをあげられたんじゃないかと思う」
と上島先生は言う。
 
(ポルシェの大きなシリーズ名として911というのがあり、996というのはその911の5代目のモデル名である。この911/996の中に更に様々な車種がある。911のモデルは順に901,930,964,993,996,997,991となっている)
 
「まあそのポルシェのイメージ回復プロジェクトは3年くらいで終了したからその後は僕も年に1度くらいしか乗ってないけどね」
 
「今でもいつでも乗りに来ていいんだよ。事前に連絡もらったら整備させておくから」
と星原さん。
 

「それで今回のドライバーが『性転換した上島君』な訳ね?」
と星原さんはにやりと笑って言う。
 
「はい、性転換した元上島雷太です。よろしくお願いします」
と千里は笑顔で言った。
 
ずっと性転換ネタは嫌そうな顔をしていた龍虎もこれには少し笑った。
 
「これ私の国内A級ライセンスです」
と言って千里がライセンスを見せる。
 
「それ凄いね」
と言って上島先生が千里のライセンスを覗き込んだ。
 
「A級ライセンスって凄いね。レーサーなの?」
と鈴木さんも言うが
 
「レーサーの人たちが持っているのは国際A級ライセンスで、これは車を趣味とする人たちがサーキットとかで車を走らせるのに持っている国内A級ライセンスなんですよ」
と千里は説明した。
 
「ああ、国内と国際ってあるんだ!?国際が上なのか!」
と鈴木さんが感心したように言い、
 
「ケイちゃん知ってた?」
と訊く。
 
「国際A級が国内A級の上というのは知ってましたが、私もこのライセンスは初めてみました」
と私は言う。
 
「国内Bから始まって国内Aを取って、その後、国際C,B,Aの順だっけ?」
「うん。実際には国際C以上は取るのに物凄くお金も必要だし、高い技能も必要。職業ドライバーでないと、取るのも維持するのも困難だよ」
 
「ああ、維持にも条件があるんだっけ?」
「うん。毎年いくつものレースに出て上位に入ってないとランク落とされる」
「厳しいね」
 
「国際A級なんて、超絶凄い技量を持つ人の証だから、取得したまま何もしないで勲章みたいに維持することは許されない。ちゃんと高い技量を維持していることを実際のレースで証明できなければいけない」
 
と千里が言うと、星原さんたちも頷いているが、私はその話って音楽の世界についても言えるよなと思った。過去にどんなに売れたアーティストでも、今ちゃんと実力があることを証明できなければプロ歌手は名乗れない。
 

「じゃ君、この車の最高速度 290km/hで走ってみる?」
と星原さん。
「そうですね。サーキットでなら試してみたいですね」
と千里も言った。
 
「中央道で走ってみればいい」
「まだ逮捕されたくないので」
「軟弱な」
 
「高岡はそれだけの技量もないのに300km/hで走って事故起こしてしまったんですよ」
と上島先生が厳しい顔で言う。
 
「『性転換前の上島君』はサーキットで最高速を経験していたね」
と星原さん。
 
「テレビ局の企画で、鈴鹿にも行きましたし、富士スピードウェイがリニューアル・オープンしたらすぐそこにも行きました。2度ともフォーミュラドライバーの井原慶子さんが運転するこの車の助手席に乗せてもらいました。車のスペック上は290km/hですが、鈴鹿でも300km/h越えたし、直線が長い富士では320km/hまで行きました」
 
富士スピードウェイは開業当初から構造的に事故の起きやすさが指摘されており1974年には超絶危険であった30度バンクが廃止されたが、その後も事故が後を絶たなかった。更には老朽化も目立ってきたので、2003年にいったん閉鎖して大規模なリニューアル工事をおこない、2005年に再開した。
 
「気持ち良かったろ?」
 
「鈴鹿で2度とごめんだと思ったのですが、再度富士に行かされました。井原さんから、何だか怯えてると言われました」
 
「あははは。上島君も体当たり芸人扱いだな」
と星原さんは笑っている。
 

そういう訳で車を借り受けて、千里の運転で八王子のホテルまで移動した。
 
「エンジン音が凄いね」
「まあこの音だけで目立つよね」
 
「でも私も富士スピードウェイは何度かフェラーリで走りましたけど、運転している分には特に怖くは無かったですよ」
と運転席の千里は言う。
 
「たぶんあれは助手席だから怖いんだよ」
と助手席後ろの後部座席に座る私は言った。
 
「ああ。そういうものかもね。富士スピードウェイで200km/hで走っても怖くないのに、富士急ハイランドの絶叫マシンに雨宮先生に言われて乗せられた時は死ぬーと思ったし」
と千里が言っている。
 
「それもしかしてAYAのアルバム『絶叫マシン』ということは?」
と私は訊いた。
 
「ケイも私たちとは別日程で絶叫マシンに乗せられたとその時聞いた」
「うん。私もあれは死んだと思った」
 
すると助手席に座る上島先生が
「ああ。僕がダウンしてた時に雨宮グループ総出で対応してくれたアルバムか。あれは済まなかった。でも僕も富士急ハイランドは、例の時に死んだ」
と言っている。
 
2年前、上島先生が支香と浮気していたのがバレて、アルトさんが怒って家出をした。アルトさんは何日も友人たちにさえ連絡せずにあちこち放浪していたのだが、私と政子がうまく接触できて自宅に連れ戻すことができた。上島先生は土下座して謝り、再度ふたりだけで三三九度をやり直したらしいが、アルトさんは上島先生にお詫びに丸一日富士急ハイランドでのデートを要求した。それで上島先生は次々に絶叫マシンに乗せられたらしい。
 
そして・・・どうも上島先生の浮気はそれ以降、停まっている雰囲気もあるのである。あれは本当に反省したのだろう。アルトさんの家出はきっと最後通告だったのだ。
 

やがて私たちも八王子のホテルに到着。駐車場に駐めていたら周囲の視線が凄かった。
 
先に着いていたメンバーに声を掛け、レストランに入って個室(というよりパーティールーム)で食事をした。
 
龍虎は実は喪主でもあるのだが、むしろ話題の中心で、みんなから可愛いとか褒められるし、学校での出来事なども政子やコスモスがうまく引き出し、川南や夏恋が色々ネタバレをして恥ずかしがっていた。
 
「で、その男湯脱衣室から追い出された後、君はどうしたのだね?」
「いや、それはその・・・」
「なぜ答えられん?」
 
しかし色々話を聞いていると、どうもこの子の「友だち」というのは女の子ばかりのようだというのに気付く。彼の話題の中に、男子っぽい名前が全く出てこないのである。
 
龍虎がトイレに立った時、政子も一緒に席を立った。強制的に女子トイレに誘導するつもりだろう。もっとも龍虎は今女性用の喪服を着ているから、それで男子トイレに入ろうとしても拒否されるか叱られそうだ。
 

ふたりが居なくなったら、自然に11年前の事故の話が出た。
 
「後でFAXに印字されている時刻を確認したら3:15だった」
 
と上島先生が言う。
 
「それが『疾走』の歌詞だったんですね?」
と私は確認する。
 
「そう。その夜は、ちょうど音源制作が一段落した後で、僕と雨宮と下川の3人で僕のアパートで飲んでいた。高岡はいい詩を夕香が書いたから、曲を付けてと書き添えていた。詩の本文は夕香の字で、そのコメントだけ高岡の字だった」
 
事故当時高岡さんは夕香さんと一緒に八王子市内のマンションに住んでいた。他のメンバーは質素にアパート暮らしであった。
 
「八王子から事故現場までは250kmくらいある。でも事故が起きたのは警察によると4:51だったらしい」
と上島先生。
「つまり平均で時速150以上出していたってことですか」
 
250km÷96分=156.25km/h
 
「夫が言ってましたが、途中警察の覆面パトカーに目撃されたものの、そのパトカーは振り切られてしまったらしいです。その目撃時刻から考えても速度180km/hくらいで走っていたということのようです」
と志水さん。
 
「ポルシェの暴走車はポルシェのパトカーでないと捕まえきれないからなあ」
と田代父が言う。
 
「オービスには全く映っていなかったらしい。つまり高岡はオービスの場所を把握していて、そこではスピードを落としていたんだな」
と上島先生。
 
「けっこう意識はしっかりしてますね」
 
「たぶん本人はこのくらいお酒飲んでても大丈夫と思ってたんじゃないかね。この話は龍虎のいる所では言えないけど、あいつ飲酒運転の常習犯だったし。でも事故現場は直線が8km以上続いた先に突然急カーブが連続する場所なんだよ。しかも急勾配の下り坂だし。直線の間に容易に300km/hを越えたと思うね」
と上島先生。
 
「アルコールが入ってなくてもその速度では厳しい道だったかも知れませんね」
と私は言った。
 
高岡さんと夕香さんの遺体からは高濃度のアルコールが検出されている。
 

少ししんみりとした雰囲気になりかけた時、政子が龍虎と一緒に戻ってくる。
 
「龍虎ったら、私がトイレしている間に逃げようとするんだから」
と政子。
「だって、トイレ終わった後で、トイレ内に立って待っているのって凄く変です。ボク、痴漢と間違われないかとヒヤヒヤでした」
と龍虎。
 
「君は女の子にしか見えないから、そういう誤解はありえない」
と政子。
 
「まあ龍が、男子トイレにたたずんでいたら、通報されるよね」
と川南は言っていた。
 

夜中過ぎに出発した。
 
高岡さんたちは250kmをわずか1時間半で走破したのだが、私たちは安全運転で行くから純粋な走行時間だけでも3時間掛け、途中休憩もはさむのでこの時間に出ることにした。
 
冬の夜中だから寒い。全員しっかり防寒具を着て乗り込む。
 
先頭を走るポルシェには、運転席に千里、道案内役の上島先生が助手席、私は助手席の後ろで、龍虎は運転席の後ろである。実は龍虎は車の中でいちばん安全な席に乗せている。そして千里と私、上島先生と龍虎が言葉を交わすことが多いので、お互いが見えやすいように互い違いに座っている。
 
またポルシェの後部座席(カイエンなどのセダンタイプを除く)は元々非常用で狭いので、身体の小さな私と龍虎が乗るのも合理的である。
 
ポルシェには田代夫妻も志水さんも乗せないというのは、私と支香と川南との三者会談で決めた。田代夫妻を乗せると志水さんに悪いし、志水さんを乗せると田代夫妻に悪い。それで一時は支香さんが乗るつもりだったが、支香さんと上島先生は浮気した過去があるので、ふたりが一緒に乗るのにアルトさんが露骨に反対した。それで結局私がここに乗ることになったのである。
 
あと2台のマジェスタは最初コスモスと夏恋が運転し、途中で田代父と川南に交代すると言っていた。このように乗車している。
 
アルト・政子・コスモス・川南・暢子
田代夫妻・志水・支香・夏恋
 
コスモスは実は運転がかなりうまく国内B級ライセンスも持っている。事務所から免許証を取り上げられて運転禁止されていた時期も、しばしばプロドライバーに同乗してもらった上でサーキットで走っていた。
 
ポルシェに続いてコスモスたちの車が走り、最後を支香たちの車が走る。実は現場を正確に知っているのが上島先生と支香だけなのである。志水さんも龍虎が幼い頃、亡き夫に連れられて何度か現場に行ったことがあるらしいが、正確な場所はあやふやらしい。
 

千里が運転するポルシェは制限速度ジャストの安定走行で走って行く。多数の車が追い越していくが、千里も私も上島先生も全く気にしない。龍虎には寝ているように言ったので、渡された毛布を身体に掛けて寝ていた。
 
私は千里の眠気防止も兼ねて最初いろいろ話しかけていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていた。上島先生も寝ていたようである。
 
3時頃、途中のPAで休憩し、マジェスタの方はどちらも運転交代した。SAではなくPAを使ったのは、御飯を食べ始めて時間を取る子が出ないようにする配慮である。10分ほどの休憩ですぐ出発する。
 
「醍醐君は交代しなくて大丈夫なの?」
と上島先生が訊くが
 
「私は過去に48時間連続運転したこともありますから。10分程度のトイレ休憩の繰り返しだけで」
と千里は言う。
 
「それは凄いね!」
 
「それいつ寝る訳?」
「もちろん、運転しながら寝る」
「あぶない人だ」
 
私は20日に千里が5時間連続運転して大阪に行った後、午前中いっぱいデートして、6時間連続運転で東京に戻ってきて2時間バスケの練習をし、そのあとまた車を運転して千葉に戻ったというのを麻央から報告されたことを思い起こしていた。26日もほとんど休憩無しで高岡まで往復している。そういえば9月に千里が運転するエスティマで宮崎に行った時も、本人は何度か仮眠したと言っていたが、あれも実は連続運転ではなかったのだろうか?
 
「脳を全部眠らせたら事故るけど、運転は脳の5%程度でできるんだよ。だから脳のあちこちを順番に使って計画的に部分的に眠らせ、部分的に運転させれば問題無い。念のため私は最低20%程度は起こしておく」
と千里は解説する。
 
「それ普通の人には無理」
「まあ私は普通じゃ無いから」
「やはりスーパーウーマン?」
「ううん。変態」
 
上島先生が吹き出していた。
 
「私も随分変態だと言われたなあ」
と私は言った。
 
「いきなり与えられた譜面を黙読で読んだだけで演奏できる人は天才なんだって。でも譜読みもせずにそのままマジ初見で弾いちゃう人は変態だと言われた」
と千里。
 
「ああ、それ私も同じ事いわれた」
と私は言った。
 
「それ何となく分かる。ケイ君も醍醐君も、そういう意味の変態なんだ!」
と上島先生が感心するように言った。
 

4時すぎ、事故現場のひとつ手前のPAで再度休憩する。全員確実にトイレに行っておく。4:30に出発する。控えめの速度で走り4:48頃長い直線が続いたあと急カーブが連続する場所の非常駐車帯の先頭付近にポルシェは停車した。あとの2台もその後に停車する。
 
停車する1分ほど前、上島先生が「このちょっと先だよ」と言うのでポルシェはハザードを焚いた。それで後続の車もそろそろであることを認識した。
 
「長時間停められないからみんな急いで」
と言って全員降りる。龍虎が持って来た花束を置く。
 
「その先にある急カーブの所が現場なんだよ」
と上島先生は言った。龍虎が手を合わせている。
 
上島先生は時計を見ていた。
 
「4時51分」
という声に全員合掌して黙祷を捧げた。
 

1分間の黙祷の後、花束も回収し、急いで車に戻り出発する。
 
3台の車は事故現場からほんの1分も走ると、次のPAに入った。
 
駐車場に車を駐め、PAの端まで歩いて行く。再度事故現場の方を向き、千里の《般若心経》に合わせて合掌した。
 
みんなが目を開けた時、やっと天文薄明が始まった薄暗い空気の中、私は何かが宙を舞っているのを見る。
 
「これ虫か何かですか?」
と龍虎が訊く。
 
「雪虫だよ」
と支香が教える。
 
「これが舞うと雪になるんだ」
と支香は補足説明する。
 
「これが雪虫だったのか」
と言って政子はぼーっとした感じでその虫たちの舞を見ている。
 
「事故のあった日は天気はどうだったんですか?」
と千里が上島先生に訊いた。
 
「僕たちが駆けつけた時は、きれいな快晴だったよ」
「へー」
「でも明け方まで雪が降っていたらしい。だから、高岡はその雪道の中、制御に失敗したんだよ」
 
「タイヤはスタッドレスですか?」
と私は質問した。
 
「スタッドレスだった。だけど、あいつ雪道の運転って必ずしも多くしてないと思う。そもそもそんなに雪の降らない地域で生まれ育っているし、東京に出てきて大学に入った後で免許を取っている」
と上島先生は言う。
 
「スタッドレス履いてても、雪道の運転って独特の技量が必要だから」
と支香は言った。彼女は仙台生まれだ。
 
私は北海道に行ったゆみのことが少し心配になった。すると私の心を読んだかのように千里が言った。
 
「私、バスケ関係で、知り合いが北海道中にいるから。ゆみちゃんが行っている地域の知人に随時サポートのお願いをしているから大丈夫だよ」
 
「だったら大丈夫かな」
 
「車の居ない広い駐車場でわざとスリップさせて体勢を立て直す練習とかもさせたと言っていた。スリップって実際に経験してないと実際起きた時に対処できないから」
 
「そこまでしてたら安心だね」
 
「あとマジで雪が降っている日に山越えの道とかを通る時は運転を代わってもらうことにしているし」
 
「そこまでしてくれたら、凄く安心だ!」
 

「事故の直前、私の携帯に姉からメールが入っていたんです。眠くなってきたから次のPAでHして寝るねって。タイムスタンプが4:50でした」
と支香は言った。
 
「あと1分、たぶん彼の車の速度なら30秒もすればここにたどり着けたんだろうなあ」
と上島先生。
 
「いや、事故って自宅とか休憩場所まであとちょっとという時にいちばん発生しやすいんですよ」
と田代父が言う。
 

ここには休憩できる施設が(夜間は)無いので、全員いったん車に戻り更に10分ほど走ってから、次のSAで停めて休憩する。
 
「1月に公式慰霊会する時は、もうこのSAでいいと思わない?」
と上島先生が支香に尋ねる。
 
「うん。1月はうちの母ちゃんも来るし、ワンティスのメンバーの中にも色々爆弾抱えている人もいるから、設備の整っているここでやった方がいいと思う」
と支香も答える。
 
「まあ龍虎さえ良ければ」
 
「僕はみなさんが慰霊してくださりやすい場所でしてもらえるだけで、十二分ありがたいです」
と黒いワンピース姿の龍虎は、しんみりとした表情で答えた。
 

施設内に入り、スナックコーナーで多くの人が飲み物や軽食を取っている中、政子はラーメンの大盛りなど頼んでいる。すると、千里と同じ 40 minutes のメンバー若生暢子がそれに付き合い、暢子が千里たちに
 
「サン、レン、リバ、お前たちもこのくらい食え」
などと言うので
 
「じゃ付き合おうか」
と言って、結局5人で大盛りラーメンを食べていた。政子以外の4人は現役バスケ選手なので、結構食べるようである。
 
「凄いね!君たち!」
と上島先生が感心していた。
 
「サンはしばしば小食を装っているが、実際にはかなり食べる」
 
などと暢子は言っている。千里も笑っている。
 
「まあ彼氏の前ではサラダだけ食べて、後で夜泣きそばを食べる程度は普通の女の子でもやること」
とアルトさんが解説(?)している。
 
「うちのタレントさんはだいたいそういうパターンですよね」
とアルトの後輩になるコスモスも言っている。
 
「そうそう。社長の奥さんが『あんたたちしっかり食べてないとアイドルなんてできないからね』とよく言ってた。基本的にうちは食事を抜くの禁止だし」
とアルトさん。
 
アルトはコスモスやアクア(龍虎)の所属する事務所§§プロの大先輩でもある(現在は所属アーティスト一覧から名前が外れているものの、過去に出した曲の印税は引き続きそちら経由で受け取っている)。
 
「時々しっかり食べきれない子が短期間で辞めてる」
とコスモスは言っている。
 
「ああ。(川崎)ゆりこちゃんも、(桜野)みちるちゃんもかなり食べるでしょ?」
とアルト。
 
「ゆりこはラーメン3杯完食したことあります。まあテレビの撮影で丸1日まともに食べられなかった後ですけどね」
 
「それはいい話を聞いた。今度焼肉にでも誘おう」
と政子は言っている。
 
「(明智)ヒバリは全然食べられない子だったんですよ」
と言ってコスモスの顔が曇る。
 
「ここだけの話、あの子、今どこにいるの?スイスとも聞いたけど」
とアルトが小声で言うが、コスモスは
 
「日本国内ですよ」
とだけ言って笑顔になった。それでアルトもそれ以上は追及しなかった。
 
私は今回の慰霊会でずっとコスモスを見ていて、この子って、ちゃらちゃらしているみたいで、実際にはかなりしっかりした子だぞと思った。
 

千里は上島先生の勧めで食事の後仮眠していた。
 
結局ここで2時間ほど休憩した後、帰ることにする。
 
このSA内にある給油所で全車満タン給油する。ガソリン代は上島先生がまとめて払っていた。今回の(内輪の)慰霊会の費用は上島先生・私・千里・紅川社長の4人で出し合うことにしているので後日精算する。
 
次のICで中央道をいったん降りて、すぐに今度は上り線に乗り直し、東京方面に向かう。途中のPAでトイレと運転交代のため休憩し、お昼前には八王子ICを降りて、市内のレストランで軽食を取った。
 
実は高岡さんが使っていたのと同じポルシェを使って《安全に往復してくる》というのが、今回の慰霊の旅のポイントでもあったのである。霊能者などがいうところの「修正」という作業である。
 
「おうちに帰るまでが遠足だよね?」
と政子が言ったが、実はまさにそれなのである。
 
このレストランで解散することにする。
 
鉄道で帰る人が多いので、八王子駅に行き、ここで大半の人が降りた。政子はコスモス・アルトと一緒に八王子近くに美味しいランチの出るお店があるとかでそれを食べに行くという話で、タクシーに乗って移動していた。田代夫妻と志水さんは電車で各々の家に帰還した。支香は午後から仕事があるらしく、やはり電車で都心に向かった。マジェスタの給油と返却は、川南・夏恋・暢子の3人にお願いした。
 

私と上島先生、千里と龍虎の《ポルシェ組》が、そのままポルシェ996に乗って星原相談役のご自宅に向かった。ご自宅近くのGSで満タン給油してから星原邸に入る。
 
鈴木片子さんは不在であったが、鈴木さんの娘・康恵さんがいてくれて対応してくれた。現在都内の大学に通っているということである。
 
「ごきょうだいは?」
「私が先頭で女3人なんですよ」
「へー」
「実は名前がですね。こうなっているんです」
とメモ用紙に書いてみせてくれる。
 
《康恵・秀美・光奈》
 
私は一瞬考えたのだが、私より先に龍虎が発言した。
 
「もしかして徳川三代将軍ですか?」
 
「そうなの。家康・秀忠・家光。もうひとり生まれたら次は家綱から取って綱代か何かになる予定だったらしい」
 
「《つなよ》は《ツナマヨ》とからかわれそうだ」
と上島先生。
「私たちもそう言っている!」
 
「そもそも男の子だったらどうしたんですか?」
「その時は取り敢えず性転換させるということで」
「強制的に女の子にしちゃうんですか!?」
「女の子には不要なものをちょっと手術して取っちゃえばいいんですよ」
「なるほどねー」
 
上島先生は笑っているが、龍虎は微妙に嫌そうな顔をしていた。
 
お茶まで頂いて、一息ついたところでタクシーでも呼んで帰ろうとしていた所に星原取締役が起きて来られた。
 
「おはようございます」
「おはよう。お疲れさんでした」
「いい慰霊の旅が出来ました。ありがとうございました」
 
「そうそう。昨夜君たちが出た後でふと思ったんだけどね」
「はい」
「この車を預かってから10年経ったし、僕自身がそろそろお迎えが来そうな気もしてね」
と星原さんがいうので
「星原さん、まだ40年行けますよ」
と上島先生が言う。
 
「まあ自分の寿命はだいたい分かってるよ。それで、自分が死んでしまうとこの車も相続税だの何だので大変になりそうでさ」
「確かに税金高いですね」
 
「だから相続税を払うよりは、僕が生きている内にこの車を買わない?」
と星原さんは言った。
 
「私はそれで構いませんが」
と上島先生は一瞬考えてから言ったのだが
 
「いや、龍虎君に買ってもらえないかと思ってね」
と星原さん。
 
「なるほどー!その方がいいです」
と上島先生は笑顔になって言った。
 
「済みません。おいくらなのでしょう?」
と龍虎が驚いて訊く。
 
「君の言い値で売るよ」
 
それで龍虎は上島先生に訊く。
「上島先生、これどのくらい値段するものなんですか?」
 
「確かあの車は定価は1260万円くらいだったと思う。中古品ならそこから価値が下がって、10年経った今ではたぶん600万円くらいで手に入る個体もあるとは思うんだけど、星原さんがきちんとメンテしているし、使用頻度も最初の3年程度を除けば年に30-40日程度でほとんど傷んでない。走行距離もまだ30000km程度。更にはワンティス絡みの物件だから、むしろ価値があがっている。もしオークションに出せば5000万円出す人もいると思う」
 
「5000万って、僕、そんなお金無いですよぉ!」
 
すると星原さんが言う。
「一般の人に売るなら5000万円もあり得るけど、元々のオーナーの娘に売るのだから、1000万円という線でどうよ?」
 
やはり“娘”と言われるんだ!?
 
「むしろそれ未満では申し訳ないですね」
と上島先生。
 
「1000万円でも・・・」
と龍虎は困っているようだが
 
「僕が龍虎にお金を貸して、それで龍虎が買うというのでは?」
と上島先生は提案する。
 
「それならいいです。でも1000万円でも返せるかなあ」
 
すると千里が言った。
「たぶん最初に出すCDの印税で、そのくらい楽に払える」
 
「ほんとに?」
 
「1500円のCDが100万枚出荷されたら、歌手は1350万円の印税を手にする」
「100万枚って無茶ですー!」
「まあそこから税金引かれるけどね」
 
「いや、一度に返せなくても龍虎なら間違い無く、そのくらい1〜2年で返せると私も思うよ」
と私は龍虎に言った。
 
「じゃ、その件は上島君と話を進めればいいかな?」
「では、進めましょう」
 
ということで、このポルシェは龍虎が買うことが決まった。
 
「でも買っても、私運転免許が無い」
「それは免許持っているドライバーを雇えばいいんだよ」
 
「実際、龍虎が18歳になって免許をとっても、事務所は絶対に龍虎に運転などはさせないだろうね」
 
「まあ事務所は心配するよね」
 
「恋愛禁止・運転禁止はアイドルなら普通の契約条項」
 
 
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【夏の日の想い出・東へ西へ】(2)