【夏の日の想い出・東へ西へ】(4)

前頁次頁目次

1  2  3  4  5 
 
翌11月9日(日)。
 
私たちは本来はこの日の早朝の便で日本に帰る予定だったのだが、アクアの乗馬シーンを撮影するため、1日滞在を延ばし、この日の朝は牧場に行って、アクアが単独で馬に乗る所、コスモスとふたりで乗る所(身長の関係でコスモスが王子役でアクアはお姫様役)、そして牧場の娘さんが王子の衣装を着けて馬を走らせるシーンを撮影した。
 
その後、私たちはアクアが最初振袖を着ていたのを王子様の衣装にチェンジするシーン、およびその前のアクアが振袖を着て、街やビーチを歩いているシーンなども撮影した。
 
この時点でもうお昼近くである。
 
ホノルルから日本への便は、成田行きは9:05-12:50が出発時刻となっており、もうこの日は成田へは帰られない。ただ、羽田行きなら夕方に出る便がある。私たちは協議の上、明日朝の成田便で帰ることにし、この日一日、再度アクアの撮影を続けることにした。
 
桜井さんと美原さんが「Aqua Holiday in Hawaii」というストーリーを考えた。ベッドですやすやと寝ているアクアが目覚めるシーンから着替えて朝御飯を食べるシーン。これはもうお昼なのだが、ホテルの一室で、今、朝ということにして撮影した。この場面は必要であれば、明日再度撮影することにする。
 
アクアのお着替えは、紳士用のパジャマからアロハシャツ&ホワイトスラックスに着替えるのだが、女の子用パジャマからムームーに着替える裏バージョン!?もついでに撮っておく。朝食を食べるシーンは、ホテルにお願いして、朝食のメニューを特別に作ってもらい、それを食べるシーンを撮影した。
 
その後、オアフ島内の観光地をアクアが歩き回るシーンである。ダイヤモンドヘッドを望むワイキキ・ビーチ、カメハメハ大王の像、ロイヤル・ハワイアン・センターなどを歩く(アラモアナショッピングセンターには一昨日行っている)。この間、アクアは昨日の動画撮影をしていた間に桜井さんが自ら調達してきた服を何種類か着せていた。
 
お昼はナカムラさんお勧めの庶民的なプレートランチのお店で、ロコモコ風の食事を取る。“お昼”と言っているが実はもう3時である。むろん食事中の様子を桜井さんと美原さんがずっと撮影している。ここでは、一緒に食事している私とマリ、コスモスも一緒に撮影していた。作品に残すかどうかはあとで検討して決める。
 
「マノア滝行く?」
「どのくらい時間掛かるんだったっけ?」
「距離的には登山口から1.2kmくらい。たぶん片道20-30分」
「それバスとかは無いんだっけ?」
「バスだと1時間」
「なぜだぁ!」
 
ということで、みんな若いんだから歩こうということになる。政子と富永さんはお留守番ということにして、桜井・三輪、美原・安藤、私と龍虎とコスモス、それに荷物持ちに調達した現地スタッフの男性2人の合計9人が歩きやすい靴に履き替えて歩いて行く。その途中をずっと撮影する。演技抜きで一所懸命歩き軽く汗を掻くアクアの姿は、傍で見ていても美しいと思った。この子は全てが絵になる感じである。
 
20分ほど歩いて16時すぎ、マノア・フォールズに到達。美しい滝の姿に私たちは心洗われる思いだった。ここでもアクア単独の写真、コスモスと並んだ写真、私も入った写真・動画を撮っておいた。
 
「ケイちゃんに入ってもらうなら、マリちゃんも連れてくるべきだったかな」
「いや、マリにはここは無理です」
「うん。そんな気もした」
 
このマノア滝往復が、今日の撮影のエポックとなった。
 

帰りは少しずつ日が落ちていくが、その光の中でも撮影を続ける。光の加減が変わっていく中でけっこう美しい映像が撮れていたようである。コスモスと掛け合いのようなことをしているのも、桜井さん・美原さんは笑いながら撮っていた。
 
マリたちと合流した後、車でワイキキビーチの隣のカハナモクビーチに行く。ここで椰子の木の間に太陽が沈んでいく背景の中、マノア滝まで往復したままの格好のアクアを撮影した。もっとも何度かそのままの衣装の上にムームーを着せられて、その様子も撮影されていた。
 
完全に日が沈んであたりが暗くなるまで撮影は続けられた。
 
この後、桜井さんが目を付けていたというステーキレストランに入って夕食を取ったが、ここでも夕食風景の撮影をおこなう。桜井さんも美原さんも今日は本人たちがまともに食事できてないのではという気がした。例によってアクアは最初はアロハにホワイトスラックスだったものの、途中でムームーも着せられていた。学生服とまた七色のセーラー服も着せられていた。アクアもひたすら着替えていて、なかなか食事が進まない。
 
「このお店、ドレスコードは無かったんだっけ?」
「フォーマルであれば問題無い。アクアは今セーラー服だから問題なし」
「あのぉ、学生服に着替えてもいいですか?」
「セーラー服の写真、もう少し取りたいからこのままで」
「はい」
 
私たちが撮影しながら食事をしていたら、近くに日本人観光客っぽい女性3人が来て座った。3人ともムームーを着ている。やがて食事が来て食べ始めるが、
 
「わあ、ここのステーキ美味しいね」
「それにこのボリューム感が凄い」
「うん。日本ではこんな量のステーキ出す店なんて無いもん。みんな60gとか80gとかばかりで」
「量の多い店でもせいぜい120gだよね」
「これ240gくらいありそう」
「うん。食べがいがある」
 
などと言っている。確かにここのお店のステーキは分量が多い。政子がご機嫌で、私の分も半分くらい食べている。コスモスも半分あげていた。
 
「でもここは男の目が無いから、こういう量のお肉を気にせず食べられるね」
「ほんとほんと」
「レディス・オンリーの店だから、いいよね」
 
などと彼女たちが言っていた。
 
え?
 
と私は思って、思わずコスモスと顔を見あせた。
 
桜井さんが「あっ」という顔をしている。美原さんは「ん?」という感じなので彼女は気付いていなかったようである。
 
で龍虎は・・・・今の会話に気付いてない。
 
私はコスモスと視線で会話を交わす。
 
『まあ、いいよね』
『うん。アクアを見て男の子と思う人なんていないし』
 
ということで、いいことにしておいた。
 

翌日11月10日(月)。
 
桜井さんと美原さんは、コスモスから鍵を借りて、マジで寝ている龍虎の部屋に侵入して、朝日の中で彼の寝起きを撮影したようである。さすがの龍虎も
 
「え?これ撮影してるんですか?」
と言ってびっくりしていた。
 
幸いにも龍虎はふつうのユニセクシュアルなパジャマを着ていたようである。(正直女の子用のパジャマ着てたらどうしよう?と思ったのだが)
 
この日の朝食の様子も撮影した上で、私たちは帰国の途に就く。ただし、美原さんと助手の安藤さん、それに富永さんはあと数日滞在して、必要なら追加で景色などを撮ることにする。それで私と政子、龍虎とコスモス、桜井さんと助手の三輪さんがホノルル空港9:05の便に乗った。
 
成田に到着するのは“翌日”11月11日(火)の13:30である。
 
ハワイに来る時は“余分な1日”が出現して金曜日を2度やったのだが、日本に帰るときは“幻の1日”が蒸発して、月曜日が消えてしまった。
 
(ちなみに行く時の所要時間は6:35だったが帰りは9:25である。帰りが時間が掛かるのはジェット気流に逆らって飛ばなければならないからである)
 

むろんこの時刻に到着すると、龍虎は今日の学校の授業には間に合わない。入国手続きをした上で自分の町まで行けばもう6時間目が終わっている。
 
それでどうせ学校休むんだから、ということで私たちは都内の写真スタジオに入った。
 
ここで念のため色々な衣装を着けて追加の撮影をしておこうというものである。
 
ハワイに持って行った衣装は一部手荷物で日本に持って来たものを除いて後日船便で返送するが、桜井さんのイメージで欲しい衣装を連絡してあったので、それを氷川さんが手配してくれていた。
 
「町添も加藤も女の子と信じていたみたいだけど、私はあれ?と思っていたのよね」
などと氷川さんは言っている。
 
「きっと氷川さんはケイとその周囲にいる男の娘をたくさん見ているから気付いたんですよ」
と政子。
 
アロハにしてもハワイでは急遽手配したので、必ずしも桜井さんが完全に満足するようなコーディネーションが作れなかったのだが、センスの良い氷川さんが、桜井さんのことばから、かなり彼女のイメージに近いものを選んでくれていたので
 
「そうそう。これよ。こういう服が欲しかったのよ」
などと言って、アクアに着せては撮影していた。
 
「ムームーも着せるんですか?」
「そそ。それは私の純粋な趣味で」
 
などと言って、結局アクアはムームーとか、セーラー服、更には水着まで着せられて撮影をしていた。セーラー服は色々なデザインのもの20種類くらいを着せられていた。氷川さんが『男の娘に着せるなら』と選んでくれた、かなり萌えるもので、桜井さんはこの写真を公開できないのがもったいない、などと言っていた。
 
水着での撮影もさんざんした上で
 
「アクアちゃん、タンキニがこれだけ行けるんだから、実はビキニでも着られない?」
 
「え〜〜〜!?」
と本人は嫌がっているが
 
「いや、アクアはビキニが着られるはず」
と政子もおだてて、結局三角ブラのビキニを着せられてしまう。
 
「胸が無いな」
「無いですよ〜。僕男の子なんだから」
「まあいいや。どうせこの写真は公開しないし」
 
などと言って、桜井さんはビキニ姿のアクアを楽しそうに撮影していた。
 

11月12日に旭川に着き、《こうちゃん》と別れたゆみは、13日午後は旭岳ロープーウェイに登った。大雪山系を先日の層雲峡ロープウェイ(黒岳)の裏側から見ることになる。
 
雪の中、まだ凍結していない姿見の池に映る美しい旭岳の姿に見とれていたら近くで「金庫岩」とか「偽金庫岩」という言葉が聞こえる。
 
何だろう?と思ってそちらを見ると、男性3人・女性1人のグループである。その中の男性2人はどこかで見たような記憶がある。ゆみがそちらを見たら4人ともゆみに気付いたようである。全員会釈するので、こちらも会釈する。
 
男性の1人が近づいてくる。
 
「AYAさん、ご旅行ですか?」
「ええ。済みません。お名前が思い出せなくて」
「ああ。僕は分からなくて当然なんですよ。いつも顔を隠しているので」
 
しかし、ゆみはその言葉で連想がひらめいた。
 
「あ、思い出した!チェリーツインだ!」
「はい。そうです。そちらの男ふたりが紅さやか・紅ゆたか。そちらの女の子が少女X、僕が少女Yです」
 
「え?少女Yさんって男の人だったの?」
「すみませーん。戸籍上は女なんですが、こういう格好するのが好きなもんで」
「FTMさん?」
「FTXくらいかなあ。けっこう女のメリットを楽しんでいる面もあるし」
「へー!」
 
「八雲は男の子に生まれていたら、きっと手術してちんちん取っちゃってる」
などと少女Xが言っている。
 

ゆみは「きんこいわ」とか「にせきんこいわ」と言った言葉を聞いた気がしたと言った。
 
「こっから山頂に行く途中に金庫岩・ニセ金庫岩というのがあるんですよ」
と紅さやかが説明する。
 
「その昔SOS遭難事件というのがありましてね」
「はい?」
 
「もう随分昔なんですが、1989年にこの付近で遭難した2人組がありまして。ヘリコプターが出て捜索活動していたら、倒木でSOSの文字を作ってある所を見つけて、それでその近くを探していて、2人を発見したんですよ」
 
「凄いですね。木を動かして文字を作って救助を待っていたんですか」
とゆみは感心する。
 
「警察もそう思った。ところが助かった2人はそんな文字のことは知らないと言う」
「え〜〜!?」
「だったら他にも遭難者がいるのではというので、そのSOSの文字の付近を再度徹底的に捜索した。すると、人間の骨とみられるものを数点回収した」
 
「わぁ・・・」
「その骨は大学で鑑定してもらった結果、女性のものと思われた。ところが近くにあった遺留品から浮かび上がったのは5年前の1984年に行方不明になった愛知県の男性だった」
 
「え!?」
「警察では、だったら、白骨が見つかった女性以外にも男性の遺体もあるのではというので、再度徹底的に捜査したものの、それらしきものは見つからなかった」
 
「まさか殺人事件?」
とゆみは言ったが
 
「僕はその話聞いた時、男を装って生きていた女だったのではと思っちゃった」
と男装の少女Yは言っている。
 
「ああ。そういう可能性もあるか」
 
「どうもおかしいというので警察も首をひねっていた時に、大学の方から、済みません。よくよく再鑑定したら男性の骨でしたという報告が」
 
「あら」
「骨盤の形が女みたいだったらしいです。それで女と思ったものの、多分DNAとか調べて男と再判定したんじゃないですかね」
 
「ああ。女みたいな骨格の男というのもいるかもですね」
 

「まあそれで結局は1984年に遭難した男性が救助を求めて倒木を並べてSOSの文字を作った。しかし彼は発見してもらえることはなく、代わりに5年後に別の遭難者がその文字のおかげで助かった」
 
「その人は天国で神様から褒められているかも」
「そんな気もしますね。結果的に人を助けたんだから」
 
「ただ疑問もあってですね」
「ええ」
「倒木を動かすなんて凄まじい体力使うじゃないですか」
「ええ」
「それだけの体力があったら、何とかそこから山を登って脱出できなかったのかと」
 
「うむむむ」
 
「あと、彼が遭難した経緯が不明だったのですが、ここで金庫岩・偽金庫岩というのが出てくるんですよ」
 
「はい」
 
「彼は大雪山系の裏手にある黒岳の方から縦走して旭岳まで到達して、その後は下山しようとしている最中に遭難したんです。縦走まではちゃんとできていたのに最後の下山でミスったんですよね」
 
そういう話ってありがちだよなと、ゆみは思った。最後のツメというのは本当に大事である。「おうちに着くまでが遠足」って小学生の頃、よく先生から言われていたよなと思い起こしていた。
 
「それで旭岳の山頂からここ姿見の池まで降りてくる時の目印になるのが金庫岩といって四角い大きな岩なんですよ。下山ルートはこの金庫岩の左手を行く」
 
「ええ」
 
「ところがこの金庫岩のすぐ近くにそれとそっくりの岩があって、実はその岩のところは右に行かないと姿見まで降りてこられない」
 
「わっ」
 
「だから彼はその偽金庫岩を見て、金庫岩と思い込み、そこの左を行ってしまったのではないかと。そうするとそこから先は急斜面になっていて降りるのは楽なんだけど、登るのは物凄く大変なんです」
 
「それいっそそこからどんどん降りて行くことはできないんですか?」
「残念ながらその先に200mくらいの高さの崖があるんですよ」
「あらあ」
「だから脱出するにはその急斜面を登る以外に方法がない。でもそれが物凄く大変なんです。筋力のある人でも、登っては休み登っては休みでないと、とても登れない」
 
「でも大木を動かしてSOSを作る体力はあったんだ?」
「ですからそこが謎なんですよね」
 
「うむむ」
 
「この事件が起きてから、あらためて登山関係者に聞いてみると、この金庫岩と偽金庫岩は、結構間違う人があったらしいです」
 
「あら」
 
「でも普通は少し行った所で、この道はおかしいと思って引き返す。でもこのSOSを作った遭難者は、偽金庫岩の所から4kmも斜面を降りてしまったんですよ」
 
「急斜面4kmを戻るのもめげそうですね」
「非常食を充分持っていないと厳しいでしょうね」
 

ゆみは考えていた。人生だって間違うことはある。間違ってすぐなら結構回復することもできる。しかし間違ったまま長く進んでしまった場合、その後はどうすればいいのだろう?
 
「まあ僕たちもよく山の縦走はやるんで、道を間違うこともよくあるんですよ」
と紅さやかは言う。
 
「ただ、なんか変だというのはけっこうすぐ気付くよね」
と紅ゆたか。
 
「そうそう。その時、だいたい2つくらい前のポイントまで戻ってみると、正しい道に戻ることができるんですよ」
 
「2つ戻るんですか?」
「うん。1つではダメ。そういう時はだいたい2つ前でうまく行くことが多い」
「面白いですね」
 
「多分人間って1つくらいおかしいところがあっても自分の都合の良いように解釈しちゃう。でも予定と違う物が2つ続いたら、変だと気付く」
「だから2つ前で正しい道に戻れるのかもね」
 
と紅さやか・紅ゆたかは言った。
 

「そういえば北海道旅行中だったんですよね?」
「ええ」
「美幌は行かれました?」
「昨日網走からこちらまで、知り合いの運転で走ってきたところで」
「ああ、車ですか」
「ええ。でも初心者の私の腕では、R240/R39のルートは運転無理だと言われて」
「ああ。確かにR39は初心者にはちと辛い」
「冬にR240通るのは、内地の初心者には厳しすぎる」
 
「僕たちの拠点にしている牧場が美幌町にあるんですよ。良かったら寄っていかれませんか? 一宿一飯くらいは提供しますし、行きの運転は僕がしますよ」
 
「それ日本語の使い方変。それと運転は僕がするよ」
と少女Yが言う。
 
「ああ。一応生物学的には女の八雲がした方がいいかもね」
 
それで、ゆみは少女Yこと桜木八雲の運転で、また美幌町に戻ることになるのである。ついでに少女Xこと桜川陽子も同乗してくれた。
 
しかし女装男子の《こうちゃん》に運転してもらって越えた石北峠を今度は男装女子の少女Yさんに運転してもらって戻るって、おもしろーいと、ゆみは思った。
 

「でも少女Xさん、少女Yさんって、なぜいつも顔を隠しているんですか?」
とゆみは行きすがらカイエンの助手席で尋ねた。
 
「まあお互いもう時効という気もするんですけどね」
「僕はじつは以前別のアイドルユニットでデビュー予定だったんですが、喫煙で補導されてクビになっちゃったんですよ」
「あらら」
 
「アイドルを首になると同時に高校もクビです」
「あぁぁ」
 
「あれもバカみたいな話で、たばこに興味持って、一度吸ってみようかなと思って、買ってきて1本取り出して火を付けてそれを唇につけた瞬間、すぐそばに座っていた女性から『あんた高校生じゃないの?』って。その人が私服の女性警官だったらしいんです」
と少女X。
 
「なんて間が悪い」
「だから、私はタバコの煙を一度も体内に入れてないんですよ」
「それでも未成年喫煙になっちゃうんだ?」
とゆみ。
 
「まあ唇につけたら既遂だよなあ」
と少女Xは言う。
 

「少女Xの方は本人は何も悪いことしてないんですよ」
と運転しながら少女Yが言う。
 
「実はお姉さんが刑事犯を犯しましてね」
「あらら」
「この子も私と同じユニットでデビュー予定だったんだけど、そのままデビューすると、絶対騒がれるってんで辞退したんですよ」
と少女Yは語る。
 
「それ可哀相。でもお姉さん、何をなさったんですか?」
「連続放火魔です」
「わっ」
 
「もっとも病気で精神に変調をきたしてやったことと認定されて懲役5年で済みました。死者も出てなかったし、被害は私たちで何とか弁済したので」
 
「よく弁済できましたね!」
「姉はそもそも燃えてもいいような廃屋みたいなのばかり火を付けていたんですよ。それで損害額が意外に小さかったんです。それでちょうどその頃、私たちチェリーツインでデビューして、『雪の光/命の光』がヒットして凄い印税とかもらっちゃったから、それでチェリーツインの他のメンバーが私にお金貸してくれて、それで損害額を弁済できたんですよ」
 
「凄い」
「だから実は私はチェリーツインのメンバーにまだ凄い借金がある。あと、もうひとりの妹がロト6を何本も当てて」
 
「それも凄い!」
「当たり番号の予測プログラムとか作ったんですよ。それがうまい具合に的中したみたいで」
 
「そんなプログラム作れるんだ?」
「いや、当たったのは偶然だと思いますけどね。その後、全然当たらないらしいから」
 
「それってきっと神様が助けてくれたんですよ」
 
「私もそう思います」
 

「でも八雲さんも陽子さんも、元々アイドルグループか何かでデビュー予定だったんですか?」
 
「そうなんですよ。メテオーナというグループなんですが」
 
「え?それKARIONの元の名前ですよね?」
「凄い。知っているんだ?」
「小風ちゃんから聞いた気がしたから」
 
「実は小風、美空、私と八雲、それにもうひとり笹雨って子でメテオーナを結成したんですよ。ところが、八雲が喫煙で補導されてクビになって、笹雨が卍卍プロに引き抜かれてソロデビューしちゃったから離脱して、それから私が姉の事件で辞退して、2人になっちゃったけど、小風はメゾソプラノ、美空はアルトで、これではコーラスユニットにならない。それで、別途『千代紙』というユニットでデビュー予定だった源優子と柊洋子、つまり和泉と蘭子を合体させて4人で新たにKARIONという名前を付けてデビューに至ったんです」
 
「あれって、最初から蘭子がメンバーだったんだ?」
「ええ。でもいったん蘭子は辞めたんですよ。性転換手術受けたいからって」
 
「ああ。やはりその時に性転換手術受けたんですか?」
「そうそう。だから、ピンチヒッターでラムって外人の女の子を加えて音源制作をやり直した」
 
「やり直したんですか?」
「うん。蘭子を入れたバージョンでほぼマスター音源は完成間近だった。でもそこから録り直した。ところが、明日プレスを始めるという日になってラムがお父さんがインドに転勤になったから辞めたいと言い出したんですよ」
と陽子が語る。
 
「うっそー!?」
 
「それで急遽、性転換手術が終わって休養中だった蘭子を呼び出して、緊急事態だから蘭子が歌ったバージョンに差し戻して発売させてくれと頼んで、蘭子もそれに合意して元々のバージョンを徹夜でマスタリングしてプレスに回したんです。蘭子は手術後の病み上がりだから、デビューイベントには出席させたけど、そのあとしばらくライブには出ていなかったんですよね」
 
「あのあたりってそういう状況だったのか。じゃ、蘭子ことケイは2007年の末に性転換手術をしたんですね」
 
「11月下旬か12月頭みたいですね。だから高校1年の12月以降は蘭子は女子制服で通学していたらしいですよ。音源制作とかにもいつも女子制服で出てきていたと美空が言ってましたから」
 
「ケイはそのあたりでかなり世間に嘘ついているなあ」
「ケイの高校時代を知っている友人の誰に聞いても、男子制服を着たケイは見たことが無いと言ってたと小風も言ってたから、ひょっとしたら入学した時から女子制服だったのかも。集合写真とかを見直しても、全部女子制服でしか写ってないそうです」
 
「やはりそうだったのか」
「本当は18歳にならないと性転換手術を受けられないのを年齢ごまかして受けたから、それまでまだ手術してないことにしていたんでしょうね」
 
「ああ、ありがち」
 
「それで初期の頃、蘭子はライブ休みがちだったから、KARIONは4人で歌いはするんだけど、蘭子の代わりにコーラス隊の阿由子って子が前に出てきて他の3人と並んで歌うことも多かったんですよ。だから当時、KARIONというのは、前面に並ぶ4人と後ろでコーラスやダンスをしている4人の合計8人でKARIONで、時々フォーメーション変えていると思っていた人もあったみたい」
 
「へー!」
 

「笹雨って、卍卍プロなら、もしかして高足佐々さん?」
と、ゆみは訊いた。
 
「ですです。笹雨という名前を使ったら訴訟起こすと警告したんで、本名なのに使えなかったんですよ。でも全然売れませんでしたね」
「卍卍プロに関わった人はろくな目に遭ってない気がする」
とゆみは言う。
 
かつてAYAを一緒にやっていた、あすか・あおいの顔が思い浮かぶ。彼女らは卍卍プロに引き抜かれて《テスレコ》としてデビューしたものの法廷闘争になり短期間で隠退に追い込まれた。その後、あすかは短大卒業後ΘΘプロに拾われて春吉社長が$$アーツ側と交渉して「手打ち」をし、香日明日香(かすあすか)の名前で女優として芸能界に復帰した。現在はテレビドラマやバラエティなどに出演している。しかしあおいは消息不明になり、風の噂では博多でスナックのチーママをしているとも聞いた。彼女は都会議員をしていたお父さんが選挙違反で逮捕され失職したのも不運であった。
 
「高足佐々もなんか運が悪いですよね」
 
「ええ。歌手としても全然売れなかったし、特撮の***に出たけど撮影中に怪我して降板。そのあと連続ドラマの***に主役の恋人役で出たら、肝心の主役が病気で降板して、巻き添え降板」
 
「そして今はAVに行っちゃいましたね」
「あれ、私もびっくりしました。よくあんな大胆なビデオ撮れるなあと感心してるというか」
「私もけっこうAVのお誘いきたけど、とても精神的に耐えられんと思った」
「よほど男とそういうのするのが好きでもなきゃ、しない方がいいですよ」
 

「お姉さんはもう刑期は終わられたんですか?」
とゆみは訊く。
 
「刑期は未決勾留期間を差し引いて2012年11月までだったのですがも2011年3月に刑期の3分の2が過ぎたところで仮釈放されたんです。でもその直後に東日本大震災が起きたので、姉はその復旧ボランティアに行ったんですよ」
 
「わあ」
 
「最初の頃、崩れた家とかの片付けなどの作業ばかりしていたそうです。それで大量の遺体を見て、その人たちの菩提を弔いたいと言って、姉は頭を丸めて得度したんですよ」
 
「凄い・・・」
 
「愛知県の女性専用の修行寺で修行して、住職の資格も取ったんです。でもその後、本山の偉い坊さんに菩提を弔うのもいいけど、若い人にしかできないこともあると言われて、いったん尼さんは辞めて、この春、北海道で造林会社に就職したんですよ」
 
「おぉ」
 
「自分がたくさん建物燃やしてしまったから、その罪滅ぼしにたくさん木を植えたいと言って」
 
「偉いと思う」
 
「私に損害額の補償してくれたのの借金返せなくてごめん、とか言ってましたけど、それは私は気にしてないです。それより姉がそういうことで社会に貢献してくれていることが嬉しいです。人はそれぞれ自分ができることでこの世のために働けばいいんですよ」
 
「自分ができることで・・・・か」
 
「だって自分ができないことはできないじゃないですか?」
「ですよね!」
 
「自分にはできないとか言って諦めるなとか言う人あるけど、できないことはできないですよ。そういう精神論みたいなの、私はあまり好きじゃ無い」
と陽子は言う。
 
「ああ、蔵田孝治さんとかもそういう意見だった」
とゆみ。
 
ゆみは蔵田と同じ事務所なのだが、蔵田のライバルの上島雷太からずっと曲をもらっているという微妙な立場である。ただ同じ事務所なので、色々話す機会も多かった。
 
「蔵田先生は自分のできることを物凄く深く掘り下げていく人ですね」
と陽子も言う。
 
「あ、そうか。チェリーツインって、結構蔵田さんからも曲を頂いてますね」
「デビュー曲を頂いたんですよ。それで大きく注目されたんですよねー」
「そうだったのか」
 

マウンテンフット牧場では山本オーナーが
 
「おお、また芸能人さんがいらっしゃった」
と言って、焼肉で歓待してくれた。
 
「この牛肉、美味しい!
「うちは肉牛は育ててないんだけど、これは近くの別の牧場の牛なんですよ。北見牛ですよ」
「へー」
 
「でも色々芸能人さん、いらっしゃるんですか?」
 
「蔵田さん夫妻、しまうららさんは常連になっちゃいました。醍醐春海さんもこれまで結構な回数来てますね」
と桃川さんが言う。
 
「わぁ、醍醐先生が」
 
それで、ゆみは実は今回の北海道旅行は醍醐先生に勧められてきたことを言う。
 
「だったら、最初から縁があったんですね」
「でもそれなら醍醐先生もお人が悪い。最初からここに寄って下さるよう、おっしゃれば良かったのに」
 
と山本さんは言うが、ゆみは多分醍醐先生は自然と自分がチェリーツインのメンバーと遭遇してここに誘われることを予想していたのだろうと思った。あの先生の言葉は、しばしば予定調和を引き起こすことをゆみは思い起こしていた。
 

食事の席に小学5−6年生くらいの女の子がいる。
 
「この子はどなたかのお子さん?」
とゆみが訊くと
「ああ、私の娘です」
と桃川さんが言う。
 
「ああ、桃川さん、結婚なさってたんですか?」
「いやあ、結婚はしてないんですけどね」
「じゃシングルマザー?」
 
「限り無く結婚に近いと思うけどな」
と紅さやかさんが言う。
 
「実は彼氏の子供なんだよね」
「うん、まあ、戸籍上は私とは親子関係が無いんですよ」
「でも遺伝子上は親子だし」
「戸籍上は叔母と姪だよね」
「ひょっとしたら叔父と甥ではという説もある」
「へ?」
桃川さんは苦笑している。
 
「なぜそうなるんです?」
「話せば長くなるんですが」
「聞きたい」
「じゃ、あとで子供が寝てから」
「はい」
 

「しかしせっかく遠路はるばるお越し頂いたことだし、チェリーツインの演奏をお聞かせしては?」
とオーナーの妹、英代さんが言う。
 
「よし、それでは失礼して」
と言ってチェリーツインのメンバーが立ち上がる。楽器を持ち込んできてセットする。普段楽器は別棟のほぼチェリーツイン専用になっているE棟という所に置いてあるらしく、そこは防音設備も入れて、いつでも練習できるようになっているらしい。桃川親子・少女X・少女Yもそちらで寝泊まりしているという話であった。
 
「紅姉妹は?」
とゆみが訊くと
「一応E棟は原則女性のみということで」
「ラウンジや楽器練習室は構わないけどね」
 
「そもそもあのふたりは住所不定無職だし」
「ふらふらと山歩きばかりしていて、定職に就いてないんですよ」
「へー」
 
「でもチェリーツインの活動のおかげで年収が300万円を越えている」
「住所不定無職で年収300万円って凄い!」
 
「しかし、AYAさんにまで《紅姉妹》と言われている」
「しまった。男の人だった!」
「なぜかあのふたりは姉妹と言われる」
「実は片方は性転換しているのではという疑惑はあるけど」
と事務の時枝さんが言っていたら
 
「根も葉もない噂を広げないでよぉ」
と紅さやかが向こうから声を掛けていた。
 
やがて位置に付く。最前面に気良姉妹がマイクを持って立ち、その後ろに紅姉妹がギターとベースを持って立ち、その左右斜め後方広がるようにドラムスの桃川とキーボードの男性が立って、最奥に少女X・少女Yがスタンドマイクの前に立つ。ふだんのライブでは少女X・少女Yは大道具に擬態しているのだが、今日はふつうに素顔である。
 
ゆみはキーボードの男性を見て「あれ?」と思った。
 
「キーボードの人は新加入?」
「ああ。臨時雇いです」
「どもー。臨時雇いの紅真珠です」
とキーボードの人は言う。
 
「あ、思い出した!ラッキーブロッサムのMonkeyさんだ!」
「はい。その節はお世話になりました。解散した後は放浪生活を続けていて、この牧場には半月ほど前に辿り着いたんですよ」
 
「この牧場は色々な人が漂着するから。私もだけど」
と少女X。
「私も漂着物」
と桃川さんが言っている。
 
「ふたりとも漂着してから既に7年」
と紅ゆたか。
 

それでゆみはチェリーツインの生演奏を聴いたが、ああ、やはり生バンドっていいなあという気持ちが強まっていくのを感じた。途中でゆみ自身も席を立ち、少女X・少女Yと並んで一緒に歌う。すると物凄く気持ち良くて、気分がどんどん昂揚していくを感じた。ゆみは過去のライブツアーを思い起こしていた。ポーラースターの人たち、自分が休んでいるから今お仕事無いよね?申し訳無いなあ、などというのも考えていた。
 
この日。ゆみは《チェリーツイン専用》のE棟のほうに泊めてもらった。朝起きると、防音のラウンジで桃川さんがグランドピアノを弾きながら、ずっと譜面の調整をしているっぽいのを見る。
 
わあ、本当に頑張っているなあとゆみは思った。
 
1月14日はその桃川さんの運転で旭川に移動した。桃川さんは娘のしずかちゃんを連れていた。
 
「すみません!お手数お掛けして」
「いえ。私も用事があったし、ついでにこの子を妹に会わせてあげようと思って」
「妹さんは別に暮らしてるんですか?」
 
「実は三姉妹なんですよ。いちばん上が函館、2番目がこの子で美幌、3番目は旭川に住んでいるんです」
 
「なぜそんなバラバラに?」
「いや、それも話せば長いことながら」
「そういえば、その子も桃川さんの遺伝子上の子供だけど、戸籍上は姪だとか言っておられましたね」
 
その話は昨夜ライブが盛り上がりすぎて遅くなり、結局、聞きそびれてしまったのである。
 
「じゃ、そのあたりも含めて旅の途中の与太話ということで」
 
と言って桃川さんは長い長い物語を語り始めた。
 

桃川さんの話を聞いている内に、ゆみは涙が止まらなくなった。
 
それはとてもとても悲しい話の連続であった。
 
桃川さんが運転する、ゆみのポルシェ・カイエンはR39石北峠ではなく、R333を通って行った。端野峠(端野トンネル)・ルクシ峠(新佐呂間トンネル)を越えた後、大きく蛇行してから旭峠(旭野トンネル)を越える。更にジグザグの道が続く。
 
「なんか昨日に増して凄い道って気がします」
「ところが最近は旭川に出る場合、R39石北峠ではなく、こちらの道で北見峠を越える車が多いんですよ」
「へー。なぜ?」
「行けば分かりますよ」
と桃川さんは言った。
 
そして桃川さんの長い話の中で、三姉妹がバラバラに知人に保護されたあたりまで聞いた頃、車は突然快適な道を走り始めた。
 
「なんかこれ凄くいい道じゃないですか?」
「でしょ。ここは旭川紋別自動車道です。丸瀬布(まるせっぷ)までは結構大変だけど、その先はすごーく楽になるんです」
 
ゆみは、そういう話も多いよなと思った。最初は大変でもその内楽になるものというのはよくある。
 
「こんな道があったんだ?あれ?でもETCが鳴らなかった」
「全線無料ですから」
「それは素敵だ」
「ただ比布(ぴっぷ)ジャンクションから先は道央自動車道になるので有料になります。だからみんなその直前の比布北ICで降ります」
 
「へー。あれ?ピップって、もしかして」
「ピップ・エレキバンのCMに使われた所ですよ〜」
「なんか懐かしのCM集とかで、会長さんが樹木希林さんと一緒にピップ・エレキバン!って言っているのを見たことある」
 
「横矢勲さんって人らしいです。私たちが生まれる前にもう亡くなったんですけどね」
「へー」
 
(桃川はさりげなく嘘をついている。ピップ会長の横矢勲が亡くなったのは1986年であるが、桃川は1978年生。女性の年齢をごまかす嘘は日常茶飯事)
 

桃川の長い長い話が終わったのは、北見峠を抜ける北大雪トンネルを抜けた頃だった。
 
このルートは本当にトンネルが多い。丸瀬布ICに乗った後、白滝トンネル、北大雪トンネル、かみこし(上越)トンネル、なかこし(中越)トンネル、愛別トンネルと長いトンネルが続く。
 
ゆみはたくさんもらい泣きしたが言った。
 
「でも春美さん、彼と一緒に暮らさないんですか?」
「そうだなあ。私も何だかあいつとは、半ば腐れ縁みたいなものだし。今更結婚とかも考えられないし。そもそもお互いの生活があるから、同居は不可能なんですよ。私も彼も仕事辞められないから引っ越せないんですよ」
 
「確かに難しいなあ・・・・。でも婚姻届だけでも出しちゃったら?単身赴任みたいなものということで。兄妹であっても、血はつながってないんだから、婚姻可能なんでしょ?」
 
「義理の親子は結婚できないけど、義理の兄妹は結婚できるんですよね。でも、婚姻するには、私の戸籍上の性別を女に直さないといけない」
 
「直せないんですか?」
「そのためには、私の身体をちゃんと女の形に直さないといけない」
「そんなの、ちょちょいと手術しちゃえばいいじゃないですか」
 
「そっかー。手術しちゃうか」
「女になりたくない訳じゃ無いんでしょ?」
 
「自分の意識としては最初から女なんですよ。去勢した時は高校出たらすぐに女になる手術受けたいと思っていたけど、なんかずるずると20年間中性状態で来ちゃった」
 
そんな会話をしながら、ゆみは思っていた。最初に道東から道央へは女装男子、道央から道東へは男装女子と一緒だったが、今回は中性さんと一緒だったのか。
 
「だったらやっちゃいましょう。思い切って。お金無かったら、私貸しますよ」
「お金貸しますよ、というのは数人から言われた」
「人間関係に恵まれてますね」
「全くです」
 
「これ、醍醐先生から習ったんですけどね」
とゆみは言った。
 
「ええ。この車が比布北ICで降りる時に、時計の数字を見て、数字が奇数だったら手術しちゃう。偶数だったらもう少し待つってのどうですか?」
 
「わっ。運命を賭ける時計ですね」
「そうそう」
「よし。賭けてみようかな」
 
「ああ。でも私も色々決断しなきゃ」
とゆみは言った。
 
「ゆみちゃんも、色々悩みが多いみたい」
「私もなんか子供の頃から色々あったなあと思って」
「しゃべっちゃいません?他人には言いませんよ」
「そうだなあ。春美さんの身の上話聞かせてもらったし。私も言っちゃおう」
 
そう言って、ゆみは小さい頃からの自分のことを話し始めた。
 

私や龍虎たち、そして桜井さんは11日(火)に帰国したのだが、美原さんは13日(木)に帰国した。この週は毎日放課後に、そして週末は丸一日使ってアクアの写真集およびビデオクリップのための追加の撮影が都内で行われた。それと並行して、私とコスモス、富永さんの3人が加わって、桜井さんが撮影した写真の中から、どれを写真集に収録するか、そしてどういう配列にするかについて、打ち合わせを続けた。
 
またこの間、私は政子およびスターキッズと一緒に『雪月花』の制作を進めていた。こちらはもう最後の1曲、AYAと一緒に歌う予定の『Step by Step』を残すのみとなった。またKARIONのアルバム『四・十二・二十四』も制作は佳境に入りつつあった。
 
アクアのプロデューサーが誰なのか不明確でどうも迷走気味であることを憂慮した上島先生、紅川社長、町添部長の三者はお互い忙しい中、上島先生のご自宅に深夜集まり、話し合った結果、ここまでアクアに関する作業に結構関わり、アクアのことを充分よく理解していると思われる、秋風コスモスを暫定的なプロジェクトリーダーにすることを決めた。
 
紅川社長から言われたコスモスは
「え〜〜〜!?」
 
と超絶驚いていたが、取り敢えず§§プロの“デスク”田所さんとふたりでアクアのスケジュール管理をすることにし、アクアを動かす場合は、必ず田所かコスモスにひとこと言うようにし、田所とコスモスは情報を常に共有するということにして、当面の混乱を防ぐことにした。
 
「しかし、僕はてっきりアクアちゃんって女の子と思い込んでいた。御免御免」
と町添さんは謝っていた。
 
「女性ホルモンとか飲んでるんだっけ?」
「飲んでません!」
「去勢はしてるの?」
「してませんし、する予定もありません」
「でも将来女の子になりたいんだよね?」
「なりたくないです。僕は普通の男の子です」
 
こういう会話はもう10回くらい見たなと私は思っていた。
 

XANFUSのドームツアーは11月14日の北海ドームを皮切りに、15日博多ドーム、16日愛知ドーム、21日埼玉ドーム、22日京阪ドーム、23,24日関東ドームと続いたが、かろうじて1万6千枚売れた最終日の関東ドーム以外は全て2000人程度しか入っておらず、それもほとんどがスタンド席なので、光帆は全く人の居ないアリーナ席を前にして、カラオケの伴奏で歌を歌うという、悲惨な歌唱を強いられた。
 
もう泣いて逃げ出したい気分だったが、スタンドで立ち上がって拍手を送ってくれている、わずかな観客のために何とか気持ちを振るい立たせて歌った。ホテルに帰ってから電話で織絵と話すひとときが、何とか心を支えていた。
 
そんな中、22日にはXANFUSに震来・離花という2人の女の子を追加してXANFUSは3人になるという発表があったものの、その2人のお披露目はドームでは行われなかった。
 
社員が全員で社長に「それは物凄い反発が来る」と言って反対したので、強引な悠木社長も折れたのである。
 
実際、光帆は新メンバーのことについては、22-24日のライブで一言も言及しなかった。
 

そして24日の関東ドームのライブが終わった翌日11月25日、XANFUSをプロデュースしていた、ガラクン・アルヒデドが違法薬物の所持で逮捕されたというニュースが大きく報じられた。
 
1ヶ月ほど前に違法ドラッグを扱っていた売人が逮捕され、その販売リストを調べている内、その中にあったフリーのメールアドレスが、ガラクンが使用しているものと判明し、そこから捜査線上に浮上した。警察が任意の家宅捜査を行った所、俗称セブンスヘブン(7th Heaven)と呼ばれる2C-T-7を主成分とするフェネチルアミン系の粉末(いわゆるラブ・ドラッグの一種)と、デイトリッパーと呼ばれるα-メチルトリプタミン(AMT)を主成分とするドリンク(幻覚作用がある)が発見された。
 
本人は使用を否定し、発見された薬物も「自分は知らない。多分誰かが持ち込んだ物だ」と主張したものの、彼、および同居している内縁の妻の元歌手のふたりとも尿検査が陽性であったため、そろって逮捕された。裁判所は2人に10日間の勾留を認めた。
 
★★レコードはガラクン・アルヒデトが作詞作曲して発売中であったXANFUSの『DANCE HEAVEN』の回収、および発売予定であった『あの雲の向こう』の発売延期を決定した。『あの雲の向こう』は解雇された音羽が首を宣告されたその場で歌唱させられて収録した録音に光帆が重ねて歌唱したものをベースにしていて、発売されていれば、音羽と光帆のXANFUSの最後の作品になる予定であった。
 
実際には★★レコードは逮捕が報道される前日に全て回収してしまい、報道後に回収すると発表した。多くのCDショップは売れてないから回収するのだろうと思ったらしく、報道が出て驚いたと多くの関係者が語った。結果的にこの作品はオークションサイトなどにもほとんど出回らなかった。
 

11月14日(金)。桃川の運転するカイエンで旭川に戻ったゆみは、その日は旭川市内に泊まり、翌日、醍醐春海の“義妹”という、細川理歌と落ち合った。
 
「こんにちは。お世話になります」
「北海道にようこそ」
 
彼女にはこの後、礼文島までの往復に同行してもらうことになっているのである。
 
「醍醐先生って、妹さんが何人もおられるんですね?」
とゆみはカイエンを運転しながら言う。
 
旭川から稚内までは4時間ほど掛かるので、比較的道の良い前半・音威子府村までをゆみ、後半を理歌が運転しようということになった。
 
「実の妹は玲羅ちゃんだけですね。青葉ちゃんは、震災で両親を亡くして途方に暮れていたのを千里姉さんが友だちの桃香さんと一緒に保護して、お姉さん代わりになってあげたんですよ」
 
「ええ。なんか話だけは聞きました。大変だったみたいですね」
 
「そして私と妹の美姫は千里姉さんの夫の貴司の妹です」
「あれ?醍醐先生、結婚しておられたんですか」
 
「法的にはうちの貴司兄は別の女性と結婚しています。でも私も妹も母もその結婚を認めていません」
 
「うーん・・・・」
 
「貴司兄はそれ以前に千里姉と結婚式を挙げているんですよ。当時は年齢が足りなくて婚姻届を出せなかったんですが」
 
「式を挙げたんだ!」
 
「私たちはそちらの式の方が有効と思っています。ですから、私たちは千里姉さんの妹です」
 
「うーん・・・。そのお兄さん自身の態度は?」
 
「要するに二股ですね。兄は2012年の1月に千里さんに、7月に安倍子さんにダイヤのエンゲージリングを贈っています」
 
「え〜〜!?そんなのありですか?」
 
「たぶん兄としては、法的な奥さん・阿倍子さんの方は大阪の妻、千里姉さんは東京の妻という感覚なのではという気がします」
 
「えっと、理歌さんのお兄さんなのにこういうこと言っては悪いけど」
と、ゆみは前提を置いた上で
 
「悪い奴っちゃ」
と言った。
 
「同感です。完全に詐欺ですよね」
 

ゆみは考えていた。自分自身の育った家庭が複雑だと思っていた。しかし昨日桃川さんから聞いた、あの家庭事情はあまりにも複雑すぎる。昨日聞いたばかりなのに、それを他人に説明する自信が無い。考えているだけで混乱する。
 
そして醍醐先生の事情もまた複雑そうだ。
 
世の中には、本当に複雑な家庭ってあるもんなんだなあ。
 
そう、ゆみは思っていた。
 

「今、阿倍子さんは妊娠しているんですけどね」
「あ、はい」
 
「阿倍子さんは実は不妊症なんですよ」
「え?」
「それで前の夫にも離婚されたらしくて」
「へー。でも妊娠って」
 
「2年間ひたすら不妊治療したあげく、結局卵子を借りたんです」
「あぁ・・・」
 
「その卵子を貸したのが、どうも千里姉さんのようで」
 
「え〜〜〜!?」
 
「貴司兄も、千里姉さんも言葉を濁すんですけど、どうも言葉の端々から想像すると、そういうことみたいで」
 
「それ、どうなるんですか?」
 
「あの子が生まれると、たぶんこの三角関係が完全に安定してしまいそうで。その子は安倍子さんが産む以上、日本の法律では安倍子さんの息子と戸籍には記載されます。でも遺伝子上は千里姉さんの息子なんですよ」
 
「複雑!」
 
「それと千里姉さん、自分は元男の子だとか言っていたけど、卵子を提供できたということはそれは嘘で実は最初から女の子だったことになります」
「それか半陰陽だったのか」
「その可能性もあります。千里姉さんは自分が男の子だったのは間違い無いと言うものの、性転換手術したと称する時期もなんか怪しいし。兄は中学2年の千里姉さんのヌードを見ているらしいから、それ以前に手術したのは確実と思っていたのですけど。実は最初から性別をごまかしていた可能性が高い気がするんですよね。だからMTFと称していて実はFTXだったのかもという気もするんですよ」
 
「うーん・・・」
 
醍醐先生の性別問題を置いておいても、昨日桃川さんから聞いた話と少し似てるかも知れない気がした。しかし、しずかちゃんの場合は恋愛関係とは無関係に卵子と精子の貸し借りが行われている。こちらの場合は、いわば“ふたりの妻”共同の子供が生まれようとしているのだ。
 
「あ、でも息子ってもう性別が分かっているんですね」
 
「お医者さんはもう少し週数が進まないと性別までは分からないと言っています。でも千里姉さんは男の子だよと言っています。貴司兄と話し合って、もう名前も決めているとかで」
 
「名前は、貴司さんと千里さんで決めちゃったんですか?」
「そうみたいです」
 
「やはりこの三角関係は私の理解を超えているかも知れない」
 
「いや、私たちもよく分からないことが多いんですよ。ふたりはその息子に既に会っていると言うし」
 
「え〜〜〜!?」
「何か複雑な事情があるみたいだけど、自分たちでも全ては説明できないと言ってました」
 
「う・・・・ん」
 

ゆみと理歌は15日(土)に旭川から稚内に移動し、取り敢えずその日は稚内市内に泊まる。翌日は稚内北端の野寒布(のしゃっぷ)岬、その東側にある北海道最北端の宗谷岬などを見た。そして17日(月)は朝からフェリーに乗り利尻島に行き、午後には礼文島に行って、礼文島に住む、理歌の伯父の家に泊めてもらった。
 
稚内6:50-8:40利尻16:10-16:50礼文
 
フェリーの中で話していて
 
「以前はうちの祖母があの家に住んでいたんですけどね」
と理歌が言うので、お祖母ちゃんは亡くなったのかな、とゆみは思ったのだが、
 
「ここではブロードバンドが無くてゲームができないというので、今は留萌の私の父の家に移っているんですよ」
 
と理歌が言うのでびっくりした。
 
「ゲームするために引っ越したんですか!?」
「完璧にはまってますね。朝から晩まで、ひたすらニンテンドーDSの画面見ていろいろやってます」
 
「わあ、そういうのやったことがない人がはまると凄いのかも」
「だっこちゃんやフラフープで遊んでいた世代らしいから、ああいうのが新鮮だったんだろうと思います」
 
「へー」
 
「もっともここだけの話、血のつながらない息子の所より、血のつながりのある息子の所に来たかったのかもという気もするんですけどね」
 
「へ?」
「お祖母ちゃんは後妻さんなんですよ」
「あぁ!」
 
「お祖父さんは、前妻さんとの間に5人、お祖母ちゃんとの間に3人子供を作ったんです」
 
「たくさん作りましたね!」
「ええ。あの時代でも8人兄弟というのは珍しかったと思います。もっとも病気とか事故とかで死んで、今残っているのは、5人だけなんですけどね」
 
「ああ」
「但しお祖母ちゃんが産んだ子の中で最初の子は、戸籍上は前妻さんの子供ということになっているんですよ」
 
「う・・・・」
 
「結構昔の田舎では、そのあたりかなり適当だったみたいで」
「あぁ・・・」
 
「そもそもその子を産んだときはお祖母ちゃんはまだ女子高校生だったから、出産したなんてのが知れたら退学になるというので、当時本妻さんが自分が産んだことにしてあげたというのもあったみたいです」
 
「うーん。。。でも高校生に子供産ませるなんて・・・」
「悪い奴ですよねぇ」
と理歌は言う。
 
「お祖母ちゃんは前妻さんの従妹なんですよ。それがレイプされて妊娠しちゃって」
「酷い」
「それで前妻さんが亡くなった後、自分が産んだ子供の世話をしてくれと言われて最初はお手伝いさんという名目で住み込んで、なしくずしに愛人にされて喪が明けてから後妻になったんですよ」
 
「酷いなあ」
「なんかうちの兄の女癖の悪さって、お祖父ちゃんの遺伝ではという気もしますよ」
 
「でも、世の中、女癖の悪い男の遺伝子がはびこるんですよ」
「そうなんですよね。潔癖な男の遺伝子って残らないから」
 
ゆみは自分も理歌のお祖母ちゃんと同じ立場になっていたかも知れない気がした。たまたま自分は妊娠せずに済んだだけだ。自分が子供の頃に“父”にされたことが否応なく頭に浮かんでくる。“父”は随分と自分を裸にして、あちこち身体を触っていた。当時はその意味が分かってなかったものの「母ちゃんに告げ口したらただじゃおかないからな」という“父”の恫喝で母には何も言わなかった。むしろ・・・母に対して嫉妬めいた感情まで持っていた。
 
しかし今思い起こしても、絶対に“父”を許せない気分だ。
 
もっとも“父”も自分の実の娘である世都子にはそういうことはしていなかったから、最低限「獣よりはマシ」だったんだろう。
 
しかし・・・・醍醐先生の《夫》の祖父の家庭もなんか複雑っぽい。ただ昔は女の人が若くして出産で死んだりしているから、後妻さんをもらう男性も多かったろうというのは考えた。この程度の複雑さの家庭って、昔は実は多かったのかも知れない。
 
ゆみは、少しずつ、自分がこの半年苦悩してきたことは、実は大したことではなかったのかもと思い始めていた。
 
 
前頁次頁目次

1  2  3  4  5 
【夏の日の想い出・東へ西へ】(4)