【春花】(6)
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(C)Eriko Kawaguchi 2019-12.28/改2020-04-18
「それも作ってもらったりした場合、追加で270m×60mもあれば足りますかね?」
と町長は尋ねる。
「ちょっと待って下さいね」
体育館が140×140=19600 プールが140×120=16800 テニスが90×90=8100 ゴルフが90×70=6300 なら合計で50800m
2。これに対して50m追加なら敷地は270m×320m=86400m
2なので建蔽率は 58.8% になる。
「現時点では58.8%になりますね。行けますよ。ただですね」
「はい」
実はもしこういう機会があったら頼むと若葉さんから言われていたことがあったのである。
「実は今、設計上、体育館とプールの間が10m離れているのですが、この間隔が狭すぎるという意見がありまして。もし可能なら横に10m追加できませんか?ですから、270×270 を 270×320 にするのではなく 280×310 にするんですよ。縦の寸法は現在体育館が140m テニスコートとグラウンドゴルフをくっつけて建てれば150mなので、310mあれば何とかなるんですよね。建蔽率は面積が 280×310 = 86800 で、58.5% になります」
「ああ、それは可能ですよ」
「それが可能なら、更に検討して欲しいことがあるのですが」
と青葉は言う。
「実は以前開発された時に作られて残っている体育館の基礎ですが、これは確認したら敷地ぎりぎりに作られているんですよ。これ違法ですよね?」
「50cm空けないといけないですね」
(民法234条1項により、建物は敷地境界から最低50cm空けた所から建てなければならない)
「だから適法に建てるにはせっかく作られている基礎をいったん除去して新たな基礎を作る必要があります。そこでいっそのことですね。現在の土地の周囲に4mくらいの道路を巡らせることができませんかね。万一火災が起きた時の消防車の通路になるのと同時に、普段はここをジョギングコースとして解放するんですよ」
「ああ、それはいいですね!」
「280m×310mの回りなら、一周が1180mになりますね。敷地全体に塀を作るからこの道は風からは守られて結構走りやすい気がします」
「動物の侵入の可能性も低いですしね」
「そうなんですよ」
能登では、タヌキ・キツネの侵入はざらである。地区によっては猪や鹿が来ることもある。以前は熊は居なかったのだが、数年前から目撃されるようになった。
「でもそれキリが悪いですね。いっそ280×320にしません?そしたら一周1.2kmですよ」
「それでもいいですよ」
「だったらこういう土地を追加することになりますね」
と言って町長さんは絵を描いた。
町から追加で売ってもらうのは↑で薄黄色で塗った逆C字型の土地である。
「追加分の面積は 21452m
2になりますね」
(288m×328m - 270m×270m から元々道路として所有していた8m×14mを引いて94464 - 72900 - 112 = 21452)
「いびつな形の土地で済みません」
「それで矩形の土地になるんだから問題無いですよ。ではそれでいきましょう。これで建蔽率は・・・ 53.8% だから、多少予定が変わっても何とかなりますよね?」
「なると思います」
「だったら、この付近の路線価が9200円なので、掛け算して・・・1億9735万8400円、キリのいいところで1億9700万円というのでいかかです?」
「いいですよ。そのくらいの資金はあります」
「テニスコートの運営費の件に付いては補助とか頂けるんでしょうか?」
と幸花が言った。青葉としてはわりとそれは構わない気はしていた。
「それなんですが、町から年間たとえば300万円くらい補助するなら維持できます?」
「300万円頂けるなら何とかしますよ」
青葉は実際にはその倍かかる気がしたが、そのくらいは地元への貢献ということでよいだろうと思った。
「そこでですね。年間300万ならですよ。10年で3000万ですよね。だから毎年300万お支払いする代わりに3000万値引いて1億6700万円で土地を売るという案などご検討頂けません?」
青葉は天を仰いだ。
「町長さん、商売人ですね!」
「どうでしょう?」
「いいですよ。それで」
「では取引成立ですね」
それで青葉と町長は握手した。
(しっかり森下カメラマンが撮影する)
正式には議会の承認が必要らしいが、与党が過半数を持っているので大丈夫ですよ、とのことであった。結果的に町としては風紀上の問題が生じかけていた土地を処理してもらえ、スポーツ振興にもなり、更に町に1億6700万円の臨時収入が入ることになる。町のメリットは大きい。
冬子のメリットは北陸に大型のライブ会場が得られる。若葉のメリットはお金を減らせる!(増える気もする)。千里のメリットは北陸に居る時にバスケができる!?し、知人のチームに練習場所を提供できる。
では青葉のメリットは・・・何だろう!? 思いつかない!!
取り敢えずお金が12-13億円ほど消費される!!(既に7億払っているのだが)
なお、町との実際の売買契約は年末になったのだが、そういうわけで、エグセルシス・デファイユ津幡はこのような形になることになったのであった。
ただしテニス場・グラウンド・ゴルフ場は春以降の建築である。
千里1のお遍路は続いていた。
10月8日は午前中雨だったので道後温泉の宿で、雨があがるのを待ちながら心経を書いていたのだが、この日とうとう東寺の分まで所定の枚数を書き上げた。
「やったぁ!」
と思わず叫んだが、この後も念のため毎日1枚くらいは書こうかなと思った。
お昼くらいに雨があがったので出発した。
松山市内のお寺が2つ残っているが、市の中心部からは離れて海岸付近にある。
道後温泉から
9.5km(95分)歩いて52太山寺(13:30)
2.5km(25分)歩いて53圓明寺(14:30)
34.4km(5時間)歩いて宿泊(19:58)
読み方は、たいさんじ、えんみょうじ。
2つのお寺を打った後は今治市の次のお寺の近くまで歩いて近くの旅館に投宿した。伊予路は松山市、今治市、西条市、と各々の市内にお寺が集中していて、そのまとまり同士の相互間が離れている。
10月8日の行程46.4km
10月9日は晴れたので順調に今治市の札所を打っていく。
この日は千里が朝起きた時、ふと気付いたら、何人かの眷属が居なかった。そういえば昨日から居なかったような気もした。別に珍しいことでもないので、気にせず朝御飯を食べ、準備をして出かけたら、54番延命寺でお参りをしている最中に戻ってきた。
「何してたの?」
「まあちょっと寄り合いかな。支店対抗運動会みたいな」
「そういうのがあるんだ!」
「取り敢えず優勝した」
「それはおめでとう」
「男の娘チームが意外に手強かった。昨日は僅差で負けたけど今日は逆転して総合ポイントでもこちらが優勝した」
「頑張ったね!」
この子たちも色々付き合いがあるんだな、と千里は思った。
(女装ビーツ、市川ドラゴンズ、小浜ハルコンズ、仙台コシネルズ、対抗運動会。主催者千里2!で、1回戦・雑木林引き抜き競争はコシネルズの勝ち。女装ビーツは1本差!で破れた。樹木の運搬は競争させると途中で落としたりした時に怖いので、千里2が分担を決め、福井の製材所へは小浜ハルコンズ、栃木の製材所へは仙台コシネルズ、残りの木を一時的に山に置くのはドラゴンズとビーツにやらせた。そして今日行われた2回戦・雑霊狩りは、昔からよく千里にやらされているおかげで、女装ビーツが圧勝して、総合優勝であった)
旅館から少し歩いて54延命寺(8:00)
3.4km(30分)歩いて55南光坊(9:10)
3.0km(25分)歩いて56泰山寺(10:15)
3.1km(25分)歩いて57栄福寺(11:20)
2.4km(25分)歩いて58仙遊寺(12:12)
6.1km(90分)歩いて59国分寺(14:20)
17.0km(3時間)歩いて清楽寺(18:00)
2.0km(20分)歩いた旅館に宿泊(18:30)
読み方はえんめいじ、なんこうぼう、たいさんじ、えいふくじ、せんゆうじ。こくぶんじ、せいらくじ。
53圓明寺(えんみょうじ)と54延命寺(えんめいじ)はどちらがどっちの読み方か分からなくなりそうだが、実は54番は昔は圓明寺と書いていて、53番と字も同じだったのを、紛らわしいので通称だった延命寺を名乗るようになったもの。
西条市内の清楽寺は60番札所・横峰寺の前札所である。ここは明治の廃仏毀釈で横峰寺が廃寺になってしまった時、60番札所を引き継いだ所である。その後、横峰寺が再興されるとそちらに札所を返して、こちらは前札所になった。
八十八ヶ所の中には前札所のある所が3ヶ所あるらしいが、ここは次の横峰寺が標高700mの山の上にあり、しかも厳しい登山道を上らないと到達できなかったので、その麓に前札所が作られた。但し昔前札所があったのは蔵王権現堂(現・妙雲寺)で、千里が立ち寄った清楽寺は↑の経緯で新しく前札所となった所である。
千里が到着したのはもう夕方6時でお寺は閉まっていたものの、山門前で一礼して般若心経を心の中で唱えてから、2kmほど進んだ所にある旅館に投宿した。
10月10日(木)も晴れだった。
早朝旅館を出て8kmほどの山道を登る。標高745mの横峰寺に到達するのに、千里の足でも3時間ほどかかった。
さすがに一休みさせてもらってから参拝する。
そして次の札所・香園寺に向かうのだが、これは今来たルートを戻る行程である!実は香園寺は清楽寺から、ほんの1kmほどの所にある。だからここは逆打ちしてもいいくらいである。
ともかくも今登ってきた道を下っていく。さすがに下りは2時間ほどで降りきることができた。
この日のルート
旅館から
8.0km(180分)歩いて60横峰寺(9:00)
9.7km(120分)歩いて61香園寺(12:00)
1.3km(10分)歩いて62宝寿寺(12:30)
1.5km(11分)歩いて63吉祥寺(13:20)
3.2km(30分)歩いて64前神寺(14:30)
今日は前神寺の近くの温泉に泊まる。
10月10日の行程23.7km (745mまでの登山・下山を含む)
10月11日は、また長距離歩行である。
温泉旅館を出てから45km歩き、お昼頃次の札所に到着した。
45.2km(7時間半)歩いて65三角寺(13:30)
三角寺(さんかくじ)は標高355mの所にある山で、かつては険しい山道を登って参拝していたが、現在はかなり整備されている。最後仁王門に登る段差の大きな73段の階段は45km歩いて来た身には、なかなか辛い。
この寺で愛媛の札所は打ち上げである。次はとうとう讃岐(香川)路に入る。この日は四国中央市の市街地まで5.3kmほど降りて、市街地の旅館に泊まった。
10月11日の行程50.5km
10月12日(土)、千里1は四国中央市の旅館を朝6時に出た。
まずは約20km(5時間半)歩いて雲辺寺まで行く。お遍路の札所の中で最も高い900mの位置にあるお寺である。
三角寺から雲辺寺へは、山の上の道を歩いて行く近道?もあるのだが、千里は宿泊のため、いったん里まで下りてしまったので、そのまま国道192号を歩く。遍路道も川滝付近でこの国道192号に合流する。結局旅館を出てから15kmほどを約2時間半かけて三好市佐野まで行く。そして、そこから残り5kmほどを2時間半かけて登って行くのである。
千里がその遍路道と合流した川滝を過ぎ、もうすぐ県境という付近を歩いていた時、千里の後方から近づいてくる足音があった。千里はだいたい時速6kmくらいで歩いているが、ウォーキングをする人の中には平地なら時速7-8kmのペースで歩く人もあるので、追い付かれるのは珍しくもない。ただどんな人だろうと思い、振り返って見た。
40代くらいのたぶん男性?である。“たぶん”を付けたのは、千里が最初その人の雰囲気で女性のような気がしたものの、髪が短いし、筋肉質なので、やはり男性かなと考え直したからである。お遍路衣装を着ている。まだ真新しい感じだ。ひょっとして讃岐路から歩き始めた人だろうか?
しかし何かお遍路にしては違和感がある。この違和感の正体は何だろうと思ったので、千里は男性に声を掛けた。
「お疲れ様です。南無大師遍照金剛」
「あ、おはようございます」
と言った男性は何故か焦ったような顔をした。
ちょうど道路工事をしていて大きな工事用車両が出て来ようとしていた。警備員さんから「あんたたちちょっと待って」と言って停められる。
「全行程歩いておられるんですか?」
と千里は男性に尋ねた。
「え、えっと、よくまだ分からなくて。この近くからかな」
「ああ、三角寺から?」
やはり讃岐路から始めたのだろう。雲辺寺は実は徳島県にあるが、讃岐(香川)路の最初の札所とみなされている。この界隈は県境が複雑で、近くには愛媛・香川・徳島3県の県境である曼陀峠(まんだとうげ)もあり、実はその峠を越えるお遍路道もある。しかし千里は(愛媛県四国中央市の宿から)歩きやすい国道を歩いて来た。今、千里たちがいる所の数メートル先には徳島県という看板も立っている。千里のルートは徳島県三好市池田町佐野まで行き、そこからまっすぐ雲辺寺に登って行く道である。
「この近くの方ですか?」
「いや、北海道なんだけど」
「あら、私も北海道出身なんですよ」
「あ、そうなんだ?」
と言いながら男性は焦っている。
「私は留萠(るもい)なんですけど、そちらはどこですか?」
「えっと、“じっかち”という所なんだけど」
千里は考えた。
「ひょっとして十勝(とかち)ですか?」
「あ、そうも読むかも」
「北海道で生まれたけど道外で育ったとか?胆振(いぶり)とかは読めない人もたまにいるけど、北海道の人で十勝を読めない人って初めて」
と千里は戸惑うように言った。
「あ、そうなんだよ。十勝で生まれたけど、育ったのは北陸の島根で」
「島根は北陸ではなく山陰ですが?」
「あ、えっとそこも小さい頃に移動して、東北の栃木に住んでいたんだよ」
「栃木は関東だと思いますが」
「あれ〜〜〜!?」
千里がここまで地理に弱い人も珍しいかもなどと思っていた時に後方から愛媛県警のパトカーが来た。県境だからかUターンするようでハザードをつけて、バックで脇道に入る。
ところがパトカーは脇道から発進して元来た道に戻りかけた所で突然停止し、ハザードを再度焚くと乗っていた警官が2人降りて、こちらに走ってくる。
何だ何だ?
その時千里は男性の「やべー。お巡りに見つかった!あと少しで県境越えられたのに」という心の声を聞いた。
まさか逃走犯? 逃げる時にお遍路に化けた?県境を越えたら警察は追跡できないという“都市伝説”を信じてる?
千里は猛烈に怒った。
よりによって神聖なお遍路の衣装をそんなことに使うなんて!それで男性が「そうだこいつを人質に取って」という心の声を発して千里を掴まえようとした所を逆に柔道の技で鮮やかに投げた。
2人の警官が走り寄ると男に手錠を掛け
「####だな?**町の衣料品店での強盗傷害の疑いで緊急逮捕する」
と年配の警官が言った。
「強盗犯なんですか!」
と千里は驚いて言った。
「何かされましたか?」
「されそうになったので反撃して投げを打ちました」
「こいつは市内の衣料品店で主人を刺した後、店にあったお遍路の衣装を着て逃げていたんですよ。こいつ既に前科3犯で一度は人を殺したこともあるんです。服役あけにまた事件を起こしたんですよ」
「この人と今少し話していたら、話が変なので困惑していた所です。お巡りさんたちがきたら焦った声を出すし、危害を加えられそうになったので反撃したのですが」
「怪我がなくて良かったです。お手数ですが、署まで来て調書作成にご協力頂けませんか?簡単に済みますから」
「私、お遍路中で今日は40kmほど歩いて観音寺市まで行きたいんですが」
「だったら事情聴取の後で、観音寺まで署の車で送り届けますよ」
「私は歩きお遍路ですから車に乗せてもらう訳にはいきません」
そんなことを言っていたら、工事の現場監督?かなという感じの70代の男性が寄ってきていった。
「奥さんは何時までに観音寺に辿り着く予定だったの?」
「16時なんです。17時にはお寺が閉まってしまうので時間の余裕が無いんですよ」
「だったらさ、パトカーで警察に行って事情聴取して、1時間以内にこの場所まで送ってもらったら?同じ地点から再開すれば問題無いよね?」
すると年配の警官が言った。
「それ約束します。1時間以内に必ずここにお連れします」
本来なら被疑者と別のパトカーに千里を乗せるべき所だろうが時間が惜しいし、千里も全然気にしないと言ったので、男と同じパトカーで署まで行くことにした。千里が助手席に乗り、年配の警官が運転。若い警官が被疑者と一緒に後部座席に乗って署まで行く。
「でもあんた強いね。捕まえようとしたらスルリと逃げられて投げを打たれたから参ったと思った」
と男は言っている。
「これでも過去にバスケットの日本代表も務めた者なので」
「日本代表!それなら女でも、かなわねえや。しかし、お遍路なら紛れられるかなと思ったんだけどなあ」
「お遍路にしては少し変な雰囲気だったから。気付いた」
と運転している警官(警部だった)は言っている。
確かに変だったね!
「刺された人は死んでないんですよね?」
と千里は警官に確認する。
「ええ。少し入院は必要ですけどね」
「よかった。だったら、あなた次にシャバに出てきたら、今後こそ本物のお遍路になって一部の区間だけでも歩いてみたら?それで以前殺してしまった人の菩提も弔って。お遍路って生と死の境界線にあるから、人生変わりますよ」
男はしばらく考えるようにしていたが、やがて言った。
「考えておく。今回**さんには申し訳無いことをした。最初は俺を諭してくれていたのに、つい言い争いになってしまって」
強盗傷害と聞いたが、それならむしろ“傷害後窃盗”の事例なのではという気がした。傷害罪(最高刑15年)と窃盗罪(最高刑10年)の併合罪で最高刑は22.5年になる。強盗傷害なら最高刑は無期懲役である。
「反省する気持ちがあるのなら、正直に供述することだな」
と運転している警部は言った。
「そういえばさっき会った時に生麦大豆なんたら言ってたのはお遍路の挨拶言葉?」
と男は千里に尋ねた。
「南無大師遍照金剛ですね。“南無”は“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”とか“南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)”とかの“南無”で、帰依(きえ)するという意味。大師は弘法大師で、四国88ヶ所は弘法大師への信仰でまとまっているんですよ。遍照金剛は弘法大師の別名です」
「へー」
「でも今あなた面白いこと言いましたね。生麦大豆とか」
「すまん。なんかそんな風に聞こえたから」
「昔話がありましてね」
「うん」
「ある所にどんな病気でも治してしまう凄いおばあちゃんがいたらしいです。病気の人が来て、そのお婆ちゃんが『生麦大豆半升五合』と唱えるとすぐ治ってしまっていたらしいです」
「ああ、たまにそういう凄い人がいるんだよね」
「ところがある時、旅のお坊さんが来て、お婆さんが呪文を唱えているのを聞いて『お婆ちゃん、呪文を間違って覚えているね。生麦大豆半升五合じゃなくてね南無大師遍照金剛だよ』と言ったらしい」
「ああ、話が見えた」
と男も言う。
「お婆ちゃんがその後、正しい呪文に変えて南無大師遍照金剛と唱えるようになったんだけど、全然病気を治せなくなってしまったらしい」
と千里は話を結んだ。
「なんか色々考えさせられるなあ」
と運転している警部は言っている。
「私の知り合いの陸上選手で物凄く変なフォームで走る人がいます。そんなフォームで走ったら効率悪いだろうから、正しいフォームにすればもっと速くなるのでは、と言う人もいるんですけど、本人にとってはそれが1番いいんですよ」
「それフォーム直したらスピード出なくなるだろうね」
と警部。
「プロ野球でも、おかしなコーチにフォーム矯正されて勝てなくなるピッチャーよくいますよ」
と若い警官。
「まあ、人はそれぞれ自分のやり方がある。それは無理に直さなくてもいいから、そのやり方で道を究めればいいんですよ。お兄さんも今回の罪は償わなければいけないけど、その後は自分の行くべき道を行ったら?」
と千里が言うと、彼は深く考えているようだった。
男を緊急逮捕した警部さんが事情を話してくれたので、千里は別の警官(こちらは警部補さんだった)から状況を訊かれたが、男と話したのはほんの2-3分だったので、聴取は10分ほどで終わった。それでさっきの警官の若い方の人が車でさっきの工事現場の所まで送ってくれた。
「でも日本代表になる人は違いますね。元殺人犯の前であんなに落ち着いて話しができる女性って初めて見ましたよ。男でも震え上がるのに」
などと彼は言っていた。
結局この事件で40分近く消費したが、“山登り”する前に休憩できて良かった!
それで改めて雲辺寺への道を昇って行き、お参りした後は、山を反対側、北の(香川県)観音寺市方面に抜けて、大興寺まで行く。その後は平地を歩いて回る。
20.0km(5時間)歩いて66雲辺寺(12:00)
9.4km(75分)歩いて67大興寺(14:00)
8.7km(80分)歩いて68神恵院(16:00)
0.0km(0分)歩いて69観音寺(16:30)
読み方は、うんぺんじ、だいこうじ、じんねいん、かんのんじ。
なお、神恵院と観音寺は同じ場所に並んでいる。
元々琴弾八幡宮というのがあり、その境内に建てられた別当寺が観音寺と呼ばれた。八十八ヶ所が定められた時、八幡宮自身と観音寺が共に札所になった。明治の神仏分離の際に、八幡宮に置かれていた阿弥陀如来図(弘法大師筆)は観音寺の西金堂に移され、ここが神恵院本堂とされた。しかし2002年に新しい神恵院本堂が境内に建立され、それまでの神恵院本堂は観音寺の西金堂に戻った。
仁王門を入り左手に神恵院の(新)本堂と隣に大師堂(実は十王堂の建物に間借りしている)、その近くに観音寺の大師堂もあるが、観音寺の本堂は(仁王門から見て)右手に行った所である。
2つ続けてお参りした後、日没直前になったが、神恵院から歩いてすぐの所にある“銭形”の展望台に行ってみる。
昔の時代劇『銭形平次』で、この砂絵がタイトルに使用されていたが、誰が何の目的で造ったのか分からない“寛永通寶”の砂絵である。
東西122m 南北90m の楕円だが、山の上からはちょうど円に見えるようになっている。砂の高さは2mほどである。観音寺市のシンボルでもあり、毎年2回ボランティアによる調整が行われている。台風などで崩れた時は市民総出で作り直したりしているという。
「まあよく造ったもんだね」
と千里が言うと
「隣に五百円玉の砂絵でも造ろうか?」
と《こうちゃん》。
「騒ぎになるから、やめときなさい」
近くに21-22歳くらい同士のカップルがガイドさん?に連れられてきている。すごく仲睦まじい感じなのでまだ若いけど新婚旅行かも?と思った。
「すごーい。これ見たらお金持ちになれるかな?」
と彼女。
「見るだけでお金持ちになれるなら、毎日観光客さん案内している私はきっと大金持ちですね」
「確かに確かに」
「でも見る度に20文(もん)くらいは得しているかも」
「運転手さんの手取りは1回の案内で20文くらい?」
「経費引いたらそんなものかも」
ああ、観光タクシーとかの運転手さんかな?と思った。
「寛永通宝って今のお金にしたら幾らくらいですか?」
と彼氏。
「江戸時代の立ち食いそばが“二八そば”と言われて2×8=16文(もん)ですから、現代の300円くらいと考えると1文20円くらいになりますね。1両が10万円くらいとも言われますが、4000文で1両なのでそこから計算すると1文25円くらい。まあそのくらいの価値ですね」
とガイドさんは語る。
ガイドさんがふと千里に気付いて言った。
「そちらはひょっとして歩きお遍路さんですか?」
「そうですよ。南無大師遍照金剛。そちらは新婚さんですか?」
「昨日結婚したんですぅ」
と彼女が笑顔で言う。
「それはおめでとう!言葉が山陰の人っぽい」
「すごーい!米子なんですよ」
「米子は6年前に出雲の神在祭(かみありまつり)を見に行った時泊まって蟹を食べたなあ」
「わあ!近くに住んでいて、神在祭は見に行ったことないです」
「地元の名所ってわりとそういうもんですよね」
千里はそういえば、あの時、《こうちゃん》が私の振りして信子を性転換させちゃったなあ、などと思い起こしていた。
ガイドさんが言った。
「お遍路さんはどこから歩いてこられました?」
「霊山寺を出て順打ちでここまで来ました。4分の3終わった所ですね」
「ずっと歩いて?」
「そうですよ」
「なんか握手でもしたら御利益(ごりやく)がありそう」
「あ、だったら握手してもいいですか?」
と彼女。
「いいですよ」
と言って、千里は新婚夫婦、更にはガイドさんとまで握手した。
《こうちゃん》がニヤニヤしてそれを見ているので「何だろう?」と
千里は思った。
この日は観音寺市内の旅館で休む。ちなみに、お寺の名前は「かんのんじ」だが、市の名前は「かんおんじ」である。
10月12日の行程38.1km
今日は愛媛県四国中央市→徳島県との県境手前(→四国中央市街)→徳島県三好市→香川県観音寺市と3県にまたがるルートを歩いた。
ところで千里の活躍(?)によって逮捕された男であるが・・・、男だったはずなのだが・・・その日の夜は署長の判断で松山署に移送されて女子留置場に収容された!
(女子留置場はスタッフを女性のみで構成しなければならないので数が少なく、大きな都市にしか無い。また常に定員が厳しく相部屋である・・・つまり彼(?)は女子の相部屋に収容されて古株の未決入居者にたっぷり“可愛がられた”)
千里はお遍路をしたら人生変わりますよと言ったが、どうもその前に人生変わったようである!?
10月13日(日)はよく晴れた。
この日は観音寺市内の宿を7時に出て、三豊市から善通寺市を歩き巡った。
4.5km(50分)歩いて70本山寺(8:00)
11.3km(105分)歩いて71弥谷寺(10:25)
3.5km(30分)歩いて72曼荼羅寺(11:50)
0.5km(3分)歩いて73出釈迦寺(12:25)
2.2km(17分)歩いて74甲山寺(13:20)
1.6km(10分)歩いて75善通寺(14:15)
3.8km(45分)歩いて76金倉寺(16:30)
3.9km(45分)歩いて多度津市内で宿泊(18:00)
読み方は、もとやまじ、いやだにじ、まんだらじ、しゅっしゃかじ、こうやまじ、ぜんつうじ、こんぞうじ。
善通寺は大きなお寺でもあり、高野山・東寺とならぶ弘法大師三大霊場のひとつなので1時間半掛けてお参りしている。善通寺市は弘法大師の出生地であり、このお寺も、元々は弘法大師の父が創建したものである。
この日は日曜日でもあり観光客が多く、握手を求めてきた人も結構いたので千里はこの日たくさん握手をしている。
この日の《こうちゃん》は何だか凄く楽しそうだった!
10月13日の行程31.3km
10月14日(月)も晴れであった。
今日は多度津町、宇多津町、坂出市、高松市、坂出市と歩き回る。今日は札所と札所の間が全部徒歩1時間程度である。
宿を出てからすぐの所の77道隆寺(8:00)
7.2km(60分)歩いて78郷照寺(9:40)
5.9km(50分)歩いて79天皇寺(11:15)
6.6km(60分)歩いて80國分寺(12:50)
6.5km(50分)歩いて81白峯寺(14:20)
5.0km(50分)歩いて82根香寺(15:55)
11.9km(110分)歩いて高松市内で宿泊(18:30)
読み方は、どうりゅうじ、ごうしょうじ、てんのうじ、こくぶんじ、しろみねじ、ねごろじ。
天皇寺は崇徳上皇を祀った白峰宮の別当寺であった所。天皇寺という名前も崇徳院にちなむものである。また白峯寺は崇徳院の墓所の近くにあった寺で、近くであった縁で、院をお祀りしている。
崇徳院は「瀬を早み、岩にせかるる滝川の、われても末に逢はむとぞ思ふ」の人であるが、保元の乱で敗れて讃岐に流され、物凄い呪詛をしながら亡くなった。千里もここでは厳粛な気持ちにならざるを得ない。普段は冗談と悪ふざけばかりの《こうちゃん》でさえ、ここでは厳しい顔をしていた。
(こうちゃんはエイリアス使いなので、千里1の傍に1人、千里2の傍に1人付いているほか、別の1人がアクアのマネージャーもしている。千里3が呼んでもすぐ駆けつける。虚空にもわりと雑用でこき使われている。彼がエイリアスを最大何人出せるのかは、長い付き合いである虚空も知らない)
千里も正直今日は白峯寺で終えたくはなかったので、根香寺まで行けるように頑張った。
10月14日の行程43.1km
10月24日(木)にK大水泳部で、4年生の送別会が行われた。青葉たち4年生は一応卒業まではK大水泳部に籍は残るものの、この後は卒論や就活などもあり、顔を出せなくなる人が多いので、この時点で送別会を実施したのである。
4年生のメンバーでは、青葉は〒〒テレビ入社が決まっているし、杏梨と春貴は理系なので修士課程への進学を予定しており、蒼生恵と吉田君は金沢市内の企業への就職が内々定している。中原君は東京の企業に行くらしい。
この日は金沢市内の焼肉屋さん(ファミレスの予定が吉田君の希望で焼肉屋さんになったらしい)でノンアルコールで賑やかに送別会が行われ、記念品も渡された。青葉は水色ボディのボールペンをもらった。ひとりひとり色が違うようで、杏梨は赤、蒼生恵は青、吉田君は緑、中原君は黄色、そして春貴は紫であった。
「何となくこの人はこの色かなあというイメージで決めた」
などと新部長の希美が言っていた。
10月26-27日(土日)には東京辰巳国際水泳場で日本選手権(25m)水泳競技大会が行われた。青葉は世界選手権代表なので全ての種目にエントリー可能だが、400m, 800m, 400m個人メドレーに出場した。
青葉は24日(木)に大宮まで出ていき、その日は彪志のアパートに泊まる。25日は公式練習日だったが、軽く流しただけですぐ引き上げ、深川アリーナの25mプールで夕方まで泳いだ。この日は深川アリーナの休憩室に泊まらせてもらい、26日朝も軽く泳いでから辰巳に出て行った。
東京辰巳国際水泳場のメインプールは長さは50mだが、幅が2.5m×10コースで25mある。そこでこれを半分に切ってA面・B面という2つの25mプールとして使い、同時進行で別の種目を実施するのである。今回の大会では、A面では午前中女子の予選、B面では男子の予選を行い、午後からはA面のみを使い男女のB決勝と決勝を行うという方式が採られた。つまり女子はA面のみ使用する。
青葉は26日には400m個人メドレーと800mに出場した。まずは午前10時すぎに400m個人メドレーの予選に出場する。これは問題無い。
15:36、女子800m自由形のタイム決勝最終組がおこなわれる。これは実質青葉とジャネの競争のようなものであった。他の選手はこの2人に大きく離される。結果は0.2秒差でジャネの優勝である。青葉は悔しい顔をしながらも彼女と握手した。3位は南野さんであった。
16時半、400m個人メドレーの決勝が行われる。正直800mを泳いだ1時間後にこれを泳ぐのは辛い。しかし頑張る。気合いである。そして青葉は
金堂さんと0.1秒差で優勝した。金堂さんが、かなり悔しそうだった。
世界選手権では青葉はフライングで失格し、繰り上げで決勝に出た金堂さんが銀メダルを取っているし、彼女は400m個人メドレーの日本記録保持者でもある。ここは優勝してスッキリしておきたかったろうが、青葉も
彼女にそう楽はさせないつもりである。3位は竹下リルだった。
27日は午前中10時半頃から400m自由形の予選が行われた。そして16時半頃から決勝が行われた。
これは青葉・ジャネ・金堂3人の戦いである。春の日本選手権では、0.28秒差の中に3人が入っていた。3人ともハイペースで飛ばすので
4位以下との差がどんどん開いていく。
タッチ。
青葉は時計を見て首を振った。
ジャネが1位、青葉は0.01秒差の2位、金堂は青葉と0.18秒差の3位
だった。つまり0.19秒差の中に3人が入っていたのだが、優勝した
ジャネに笑顔は無かった。長身で腕の長いジャネが0.01秒差(距離で1.6cm)で勝ったということは、身体自体は青葉が5-6cm先行していたことになる。
(実際着順が逆では?という声が観客の中から随分あった)
しかし3人の中で最も長身の金堂が2人に握手を求めたので、それで
青葉とジャネも握手し、3人で笑顔で表彰台に登った。
青葉は10月24日夕方の新幹線で大宮まで出てきて、25日は午後辰巳水泳場に顔を出しただけで、あとは深川でずっと練習していたのだが、この日は物凄い雨だった。休憩時間にニュースを何気なく見ていたら、千葉県でかなりの被害が出ているようなので驚く。
彪志にメールする。
《千葉で雨が凄いことになっているみたいだけど、お友だちとか大丈夫?》
《mixiで呼びかけたけど、無事な人からは反応が返ってきてる。でも反応のない人の中に無事じゃない人がいるかも》
確かに無事じゃない人は反応もできないだろう。
病院で医薬品が不足する所なども出る可能性があるので、今夜は社内待機してくれと言われているという話だった。
『姫様、神社は無事でしょうか?』
と青葉は後ろに居候している姫様に尋ねる。
『神社自体は無事だが、真知が孤立してるぞ』
と《姫様》は言った。
「それはまずい」
と青葉は声を出し、千葉玉依姫神社の巫女長(に千里姉が任命した!)をしている後藤真知に電話を掛けてみるものの繋がらない。
『あそこは高台だから大丈夫だし、動かない方がよいから、私が伝えておこう。ついでに食糧を下僕(しもべ)に届けさせるから、5000円くらい頼む』
『分かりました』
というので青葉は姫様に1万円札を渡した。
実際1人で玉依姫神社の社務所に居た後藤真知は、豪雨を見ながら、どうしたものかと悩んでいた。これではバイク(GSR250S)で自宅に帰るのも難しそうだ。自宅(江戸川区)も被害が出ているかも知れないが、母に電話が通じない。そもそもどこにも電話が通じない!
その時、後ろでガタッという音がした気がした。
何だろう?雨でどこか社務所の屋根でも壊れた?と思って振り返ると、縁起物の招き猫を多数並べた棚の所に三毛猫がいた。三毛猫がしゃべった!
「真知ちゃん、ここは高台だから雨の被害は無いと思う。落ち着くまでここにずっと居た方が安全だよ。ちなみにお母さんも無事だよ」
三毛猫がそうしゃべるのを真知は呆然として見ていた。でもこの三毛猫は何度か見たことがある気がした。近所に住んでる三毛猫だろうか?などと思う。
しかしよくよく見たら、そこには三毛猫ではなく、見慣れないレジ袋があった。
何だ何だ?と思って見てみると、中にまだ暖かいチキン南蛮弁当とペットボトルの暖かいお茶のほか、カップ麺、サトウのごはん、レトルトの銀座カレー、お菓子などが多数入っている。ペットボトルの水もある。
「これ猫が化けたものではないよね?」
と悩んだものの、
「タヌキは化けるかも知れないけど、猫は化けないだろう」
などと呟きながら、取り敢えずペットボトルのお茶を飲みながらお弁当を食べ、まだ入る気がしたのでお湯を沸かして“一平ちゃん”を食べたら、結構落ち着いた。
「よく分からないけど、これだけ食糧があれば何とかなるよね」
などと思っていたら、今度は縁起物を渡す所のガラス戸がノックされた気がした。
まさかこんな時に客?と思って見ると、そこに八村塁(NBAワシントン・ウィザーズ所属の日本人プロバスケット選手)が居る気がした。
「きゃー!!塁さまぁ!」
と黄色い声をあげて窓を開けるものの、誰も居ない。
あれぇ?幻でも見たかなと思ったら、何か飛び込んできた。
「きゃっ!」
と悲鳴をあげて窓を閉める。
見ると床に何かズタ袋が落ちている。あけてみると、缶詰、カップ麺、レトルト食品の類いが大量に入っている。食パン、ハム。チーズ、ジャム、アルファ米の炊き込みごはん(水を掛けると勝手に暖まり食べられるようになるもの)まである。ペットボトルの水にジュース、ビール!?まで入っていた。
「助かる〜。でも誰が投入してくれたの?やはり塁様?」
と真知は声をあげたが、アメリカに居るはずの八村塁がこんな所に来る訳が無い。
結局真知は日曜の夜までずっと神社に滞在した。ここは電気は太陽光パネルによる自家発電だし、雨水を溜めた水槽から取った水をいったん電気ケトルで沸騰させれば飲用に使えるので、食糧さえあれば結構何とか自立生活が可能なのである。むろんペットボトルの水がある間は雨水を使わなくてもそちらでやっていける。
もっともさすがにこの豪雨の中では、参拝客は誰もこなかった。
電話もネットもつながらず暇なので、真知はずっと地下のバスケット練習場でバスケのシュート練習をしたり、社務所内で仮眠したりしていた。
日曜日になって警察の人が来て
「無事ですか?」
と尋ねたが、
「ここは自家発電もあるし何とかなってます」
と答えると
「何かあったら署に連絡ください」
と直通の番号の入った名刺を置いていった。
「最近は男性の巫女さんも居るんですね」
と警官が言ったのは気にしないことにした!
(真知は伊勢の神宮に巫女研修に行った時『男性の方は困るんですけど』と言われたクチである)
康子は物凄い雨の音に驚いて目を覚ましたが、窓を開けて外を見ると、家の前の通りが川になっている!どうしよう?と思った時、千里さんの『お母さん、2階に逃げて』という声を聞いた気がした。
そうだ、2階ならと思い、まずは仏間に行って、夫・夫の前妻・信次の位牌、千里さんからもらったお遍路の菅傘と遍路衣装を持って2階に駆け上がった。2階の部屋の床の間にそれを置くと少し落ち着いてきて、再度1階に降りて、まずは布団や毛布を持って2階にあがる。それから台所に降りて冷蔵庫の中から少し食糧を持ってこようとしたら既に廊下や居間の畳の所まで水が来ていた。
取り敢えず食糧をボウルとかエコバッグに入れて2階にあがったが、これどのくらい2階にいなければならないんだろうと悩んだ。トイレとかどうしようかな?と思っていた時、2階の部屋の窓がトントンとされた気がした。
2階にお客?
な訳無いよね?と思いながら窓を開けたら何か飛び込んできた。
何?何?
と思うが窓から凄い雨が降り込むので、すぐ窓を閉める。それで畳に落ちているものを見ると、何かのズタ袋である。
おそるおそる中を見ると大量の食糧が入っていた。
「助かる!」
と思う。カップ麺やレトルトカレー、ペットボトルの水などもある。ピンクのビニール袋に入ったものがあるので何だろう?と思って見ていたら、緊急トイレであることが分かった。
助かるかも!と思った。取り敢えずおしっこはこれで何とかなるようであった。
しかし大の方はできないようだ。
と思ったら急にしたくなった!
康子はおそるおそる1階に降りて、玄関で長靴を取ってくる。それを履いてトイレに行き、何とか用を済ませた。まだ長靴を履けば1階は歩けるようである。そして降りたついでに、台所から電気ケトルとオーブントースター、IHヒーターを持ってあがった。これでカップ麺とかは食べられる。
でも食糧とか投下してくれたのは誰だろう?自衛隊かな??
などと考えた。
(ちなみにすぐ停電したのでせっかく康子が決死の思いで持って来たケトルやIHヒーターは使えなかった。台風15号の被害の後で買っておいたカセットコンロとボンベを再度取りに行くはめになった)
季里子は全然無事ではなかった。
雨が酷いので勤務先では業務を途中で打ち切り、お店は閉めて各自帰宅した。避難勧告が出ていたので身の回りの物と貴重品だけ持ち、2人の娘および母と一緒に近くの体育館に避難する。父とは電話が通じなくて連絡が取れないが、会社に居ればたぶん大丈夫だろう。
土曜日になってやっと電話が通じるようになる。父は結局会社に泊まり込んでいるらしい。自宅を見に行きたいがどうしようと思っていた所に夏樹から電話があった。夏樹が住んでいたアパートは崩壊してしまったものの、本人は会社に出ていたので無事ということだった。
「そちらも大変そうだね。取り敢えずそちらに行くよ」
と言って、バイクで来てくれた。バイクはアパートから少し離れた駐車場に置いていたので無事だったらしい。
「自宅の様子見に行きたいの?じゃ一緒に行こうよ」
と言って、夏樹は季里子をYZF-R3のリアシートに乗せ、そちらに行ってみる。
季里子は夏樹に抱きついてバイクに乗っていて言った。
「なっちゃん、かなり女性化してるみたい。これおっぱいかなり大きい」
「あまり触らないで。運転ミスるから」
「分かった」
ほんの数分で季里子の家の近くまで到達する。
「これは酷い」
その付近一帯が壊滅していた。
バイクを降りて歩いて行ってみるが、季里子の家があったと思われる付近は跡形もない。鉄砲水か何か起きたようで、多数の岩が転がっていた。
「早めに避難しておいてよかったね」
「でもこれからどうしよう?」
と季里子は困ったように言う。
「私もアパート流されちゃったし。どこか居候させてくれそうな親戚か友人の家にでも避難して、少し落ち着いた所で、アパートか何か探すしかないね」
と夏樹。
「居候させてくれそうな人か・・・」
と悩んでいた季里子は
「あっ!」
と思いついて言った。
短水路日本選手権が終わった後、長距離陣上位の6人(ジャネ、青葉、金堂、南野、永井、竹下)は東京北区のHPSCに集められた。実は明日から長距離の日本代表候補12名が3週間の合宿に入るのである。長距離陣は代表活動で合宿をしていても、どうしても日本では短距離陣が優先され、少ない割り当てレーンではあまり練習できないのだが、今回は長距離陣のみで、しかも男女合わせて12名という少数精鋭の合宿なので、かなり練習できそうだった。
ちなみにHPSC (High Performance Sports Center) というのは従来のNTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)、JISS(国立スポーツ科学センター)を拡充する施設として今年 NTC東館(NTC-E) が作られたのでその総称として新たな名前が付いたものである。これには下記の施設が含まれる。
NTC-W 屋内トレーニングセンター・ウェスト(従来のナショナルトレーニングセンター)
NTC-E 屋内トレーニングセンター・イースト
JISS 国立スポーツ科学センター
味の素フィールド西が丘
陸上競技場
屋内テニスコート
アスリートヴィレッジ(つまり選手村)
競泳用プールはこれまでJISSのものを使用していたのだが、NTC-Eにも新設されたので、より充実した合宿ができるようになった。
青葉たちは選手村で1泊した後、翌朝バスに乗って長野県東御(とうみ)市に向かった。
ここの湯の丸高原1750mの高地に“GMOアスリーツパーク湯の丸屋内プール”という、高地トレーニング用の施設ができた(今月完成したばかり)ので゜それを早速代表候補チームの合宿に使わせてもらうのである。
施設はプール棟の他、陸上用400mトラック、800mジョギングコース、テニスコート6面(但しテニスコートは民間管理)などを有している。これまで国内の高地トレーニングの施設としては御岳高原と蔵王坊平にも施設があったが、スキー・陸上・サッカーなどが主で、本格的な競泳プールは無かったのである。
青葉たちはお昼頃湯の丸に到着し、施設の説明を受けたが、ジャネも青葉も南野さんも腕を組んで考え込んだ。
「どうして10レーン、水深3mで作らなかったんですかね?」
とジャネは尋ねた。
ここは50mプールではあるが、8レーンで水深2mしかないのである。
「うーん。予算の関係かなあ」
などと水野コーチは言っていた。
ちなみに50m×21m×2m=2100KL, 50m×25m×3m=3750KL だからこの規格ならフル規格で作った場合に比べて約半分の水量で済むことになる。
男女12人で8レーンなので、男子4レーン、女子4レーンを使用することになった。女子は取り敢えず3レーンに2人ずつ入ってひたすら泳ぐ。トップスイマーばかりなので“周回遅れ”は発生せず、結構快適な練習ができた。すれ違う時にお互いぶつからないように気をつけるだけである。
(ジャネと青葉、金堂と竹下、南野と永井、というタイムの近い者同士の組み合わせにした)
技術的に教えることは何もないので、水野コーチもどちらかというと見ているだけで、時々激励したり、さすがに長時間泳ぎすぎと思った子に休憩するよう声を掛ける程度であった。
しかし男子の方のコーチは結構細かいことを指示するタイプのようで、フォームまで注意されている選手もいた。
練習は18時で終わりなので、みんな水から上がって着換えてからアスリート食堂に行き、晩御飯を食べる。その時、この話が出た。
「でも(竹下)リルちゃんが凄く力をつけてきた。怖いね」
とジャネが言うと、リルは嬉しそうにしている。
「牛肉食べてる?」
「食べてます。牛乳も毎日1L飲んでます。そのおかげで春から3cm伸びて178cmになりました」
「成長期だね!」
「春までに180cm越えたいなあ」
「私はそろそろ伸び止まりかも。春から1cm伸びただけの184cm」
と金堂さんが言っている。
現在竹下リルは高校1年、金堂多江が高校2年である。
「多江ちゃんもまだ伸びると思うよ。牛肉食べて頑張ろう」
と南野さん。
「お母ちゃんが悲鳴あげそうだ」
「うちは近くに牛肉100g98円とかのセールをよくやっているお店があって、そこでまとめ買いしているんだよ」
「安いね!」
「仙台もきっと探せばあるよ」
とリルは言った。
「南野さん、永井さんは卒業した後はどうするの?」
と青葉は尋ねた。2人は青葉と同学年である。
「私はNN社の本社に内定している」
と南野さん。
「おお、STスイミングクラブだ!」
STスイミングクラブを運営しているのがNN社なのである。
「じゃ、私と同じ所属になるのか」
と金堂さん。彼女はSTスイミングクラブの仙台校に所属している。
「私はZZ社の東京本社」
と永井さん。
「ZZ社の水着とかランニングシューズにはお世話になってるな」
「じゃ2人とも春からは東京?」
「そうなるね。やはり東京は環境がいいし」
と南野さんと永井さんは顔を見合わせながら言っている。
「川上さんは?」
「私は3月22日まではK大所属のまま活動して卒業式とともに引退かな」
と青葉が言うと
「え〜〜〜!?」
という声があがる。
「いや、それは世間が許さん」
と水野コーチが言う。
「どこか就職するの?」
「金沢のテレビ局に就職が決まっている」
「そこは水泳部無いの?」
「特に運動部とかは無いなあ」
「金沢でもどこかのスイミングクラブに所属するとか」
するとジャネが言う。
「うちのスイミングクラブに入らない?会費も要らないよ」
ジャネにしては随分親切な言葉だが、ライバルが消えるのは不満なのだろう。
彼女は金沢市内大手のスイミングクラブに所属している。もっとも今年は金沢にいないことが多く、熊谷市の郷愁アクアリゾートでひたすら泳いでいた。
「いや、来年はオリンピックの取材とかで忙しくなると思うし」
「それは取材する側ではなく、取材される側になるべきだな」
「でも青葉、さすがに3月での引退はコーチも言うように世間が許さないよ。どこも行くあてが無いのなら、名前だけでもうちのスイミングクラブに入りなよ。今度ちょっとうちの社長に会わない?」
「そうですねぇ」
と青葉は返事をためらった。
「でもみんな合宿が終わった後は、春までどこで練習するの?」
と南野さんが訊いた。
「大学のプールも閉鎖されてるし市民プールで泳ぐつもり。所属しているスイミングクラブでも泳ぐけど、あまり長時間は占有できないんだよね」
と永井さん。
「ああ、概してスイミングクラブより大学のプールの方がコースを独占できる」
「私は出身中学のプールで練習させてもらえることになった」
と金堂さんが言う。
「屋内プール持っているんだ?」
「新設校だったから、当時の市長さんが張り切って屋内温水プールで造ってくれたんだよね。東北は屋外にプールを造ると使える期間も短いし」
「むしろ夏はプール、冬はスケートって所もあるんじゃない?」
「そうそう。そういう学校もある」
「でもそのおかげで、多江ちゃんみたいな子が出てきて、市長さんも嬉しいだろうね」
「うん。建設費は屋外プールの3倍掛かったらしいけどね」
「リルちゃんは?」
と金堂さんが訊く。
「私はジャネさんと青葉さんが造るプールに招待されたから、そこでひたすら泳ぐつもり」
と竹下リルは言った。
「プールを造る!?」
と南野さん・永井さん・金堂さんが驚いたように言う
「いやあ、ジャネさんから造ってと言われて」
と青葉。
「青葉がスポーツセンター用の土地を買ったと聞いたからプール造ってと言った」
とジャネ。
「スポーツセンターを作るんですか?」
「それが何と言うか・・・」
「その経緯を見せてあげるよ」
と言ってジャネはパソコンを取り出すと、そこに録画していた『霊界探訪』の該当部分を見せる。
みんな唖然としていた。
「川上さんって霊能者だったんだ?」
「最近は忙しいからほとんどの依頼を断っているけどね」
「それでこの土地買っちゃったんですか?7億で」
「うん。まあ」
「青葉さん、そんなお金持ちだったんだ?」
「この子は、歌手のアクアのメイン作曲家だから印税収入が凄いんだよ」
「え!?作曲家?」
「知らなかった!」
「うーん。毎年払っている税金は凄いかな」
「プールは何コースあるんですか?」
「2.5m幅10コースの50mプールで水深3m」
「公式規格じゃないですか!」
「幾らしたんですか?」
「えっと、プール本体は3億円かなあ」
「すごーい!」
「それいつできるの?」
と南野さんが訊く。
「来月頭にできると聞いた」
「取り敢えず見学させて!」
「まあいいけど」
それで結局、湯の丸での合宿が終わったら、水野コーチも含めて、みんなで津幡に行ってみることにしたのである。
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【春花】(6)