【春花】(5)

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千里は旅館で少し仮眠した後、旅館の人に尋ねて市内のスポーツ用品店に行ってみることにした。千里はそこまで歩いて行こうとしたのだが
 
「歩いて行くには遠いよ!」
と言われる。結局“お遍路の道程ではないから、いいじゃん”と言われて、ちょうど宿に入ってきた、50代の世話好きそうな女性・千早さんが自分のリーフで街外れの国道56号線沿いにある結構大きなスポーツ用品店まで送ってくれた。車の座席に乗るのは久しぶりなので、何だか懐かしい気さえした。
 
「これも御接待、御接待」
「ありがとうございます!南無大師金剛遍照」
と言って彼女に自分の納札を1枚渡した。
 
「千早さん、言葉が北陸っぽい。もしかしてそちらもお遍路ですか?」
「うん。このリーフで四国一周」
「それも凄い冒険のような気がします」
「既に2回ぎりぎりくらいで充電所まで辿り着いたことがあった」
「怖いですね!」
「ガソリン車ならJAFにガソリンも持って来てもらう手があるけど、EVはレッカーしかないから」
「それ費用も大変でしょ?」
 
「一応日産のサポートに入ってて年間に1回だけなら55万円以内の費用は補償してくれるんやけど、私、既に去年の秋に出雲の神在祭見に行った時、島根の山中で電欠になっちゃって、サポート頼んだんよね。だから今やると、まともにレッカー代払わないといけない」
 
「ああ、それは辛い」
「旦那からはガソリン車か、せめてHVにすればいいのにて言われるんやけど、もう意地でもEV使うてやる」
「時代のフロンティアですね。頑張って下さい」
 

 
お店で見ていると、千里が今履いているのと同じタイプは無かったものの、ナイキエアの別のモデルがあるので、それを買うことにして、足に合わせてみる。
 
「24cmでいいようですね」
とお店の人はいったん言った。
 
「今履いておられるのは?」
と訊かれるので
「これも24cmなんですよ」
と答える。
 
「だったらそれでもいいかな」
 
「なんかエアクッションが破裂しちゃったらしいんですよ」
と千早さんが言った。
 
お店の人が尋ねる。
「何年くらい履いておられました?」
「今回のお遍路用に買ったんですよ。だから20日くらいかな」
 
「20日で破裂!?」
と千早さんまで驚いている。
 
「そうか。歩きお遍路でしたね」
「ええ、そうです」
「ここまで来られたのならもう500kmくらい歩いておられません?」
「そのくらいかも」
「だったら普通に寿命ですね」
とお店の人。
 
「そんなものですか?」
と千早さんが驚いている。
 
「ほぼ同じ作りのランニングシューズの寿命は長いものでも7-800kmなんですよ。ウォーキングシューズはその3〜4倍もつのが普通ですが、お客様の場合は、実際ランニングシューズ並みの負荷が掛かっていた可能性があります」
 

「確かにランニングシューズ並みかも。でも半分まで来たから、残りの半分もてばいいんですよ」
と千里は言う。
 
「だけどそういうことなら、たまたま、ここまでもったかも知れないけど、次は高松付近まで到達する前に壊れるかもよ?」
と千早さん。
 
お店の人は考えていたが
「こちらを試してみられませんか?」
と言って、出して来てくれたのは、アシックスのゲル・ニンバスである。
 
「ああ、これもいいかも」
「ご存知ですか?」
「使ってみたことはないです」
「空気ではなくて、ゲルが衝撃を吸収するんです。たぶんエアクッションの物より耐久性があると思いますよ」
 
「じゃそれを使ってみようかな」
サイズも余裕があった方がいいと言われて、24.5cmを買うことにした。
 

千里はあわせてスポーツ用のソックスを10足買った。
 
「随分たくさん買うね」
「靴下は1日で穴が空くから」
「ひゃー!」
 
「それだけ激しい衝撃があれば、靴が20日で壊れる訳ですね」
とお店の人も納得していた。
 
「よかったらその壊れた靴はこちらで処分しておきましょうか?」
「あ、助かります。お願いします」
 
「旅館で捨てるつもりだった?」
と千早さんが訊く。
「ううん。自宅に宅急便で送るつもりだった。破れた靴下と一緒に」
「ゴミを送るのは不効率だなあ」
「だってその辺に捨てて行くわけにはいかないじゃん」
 
「もし今お持ちなら、その破れた靴下も一緒に処分しておきましょうか?」
「すみません!だったらお願いします」
 
「千里さん、あちこちで交換した納札(おさめふだ)とかはどうしてる?」
「それはずっと一緒に持って歩いているよ。納札の交換は、代参の意味もあるからね」
「なるほどー」
 

その日も真珠はユウキとデートしていた。この日は富山市に行き、ファボーレで食事をしたあと、富山の市街地内にある某“偽装ラブホテル”に行く。今日は真珠は裸にされて詳細に“観察”された。
 
「やはり女の子の身体はいいでしょ?」
「凄くいいです」
「ブラジャーは結局Eカップ買ったのね?」
「急に重くなったからつけてないと歩いただけでも痛い」
「腕立て伏せしよう」
「頑張る」
 
「ちんちん無くなって嬉しい?」
「嬉しいです。無くなって良かった」
「だったら私の見ている前でオナニーしなさい」
「恥ずかしいよぉ」
「彼氏ができたら彼氏の前でしてみせないといけないんだよ。私で練習しなさい」
「そんなのしないといけないの〜?」
 
30分くらい処女を傷つけない範囲の“プレイ”(主として言葉責め)をして、真珠が逝ってしまったので、一眠りしてから服を着させる。
 
「ああ、裁判所に性別訂正を申請したんだ?」
「お父ちゃんがあまり細かいこと気にしない人だから『お前が女として生きていきたいというのなら、それでいい』と言ってくれて」
「理解のあるお父さんで良かったじゃん」
「一発やりたいくらいだ、なんて言ってお母ちゃんからぶん殴られていた」
「娘に欲情するもんなのかね?」
「私も男の人の感覚はよく分からない」
「ああ、それはボクも分からない」
とユウキも言った。
 

「え?あんた大学には女子として登録されていたの?」
と明恵の母は驚いたように言った。
 
「そうだよ。最初は男子として登録されていたけど『私女子ですけど』と言ったら、私を見て『ほんとですね!すみません』と言って訂正されて、学生証も新たに発行してもらえたよ。その時ついでに名前も明宏から明恵に訂正してもらったし。それも間違いということで」
 
「呆れた!」
 
「それで戸籍の訂正するのと同時に名前も正式に明恵に訂正したいんだけど」
「まあ、いいんじゃない?」
 
本当は20歳になってから自分で変更するつもりだったのだが、性別を訂正することになったので、改名も前倒しでしてしまうことにしたのである。
 

その日西湖が仕事を終えて夜遅くアパートに戻ると母が来ていた。
 
「あんたの名前だけどさ」
「うん?」
「あんた女の子になったのに“西湖”の名前は不便じゃん」
「それは大丈夫だよ」
「いや不便だよ。学校に登録している聖子の名前に変更しようよ。申請書もらってきたから、ここに署名して」
 
母が持って来た書類は《名の変更申立書》というもので、法定代理人として父と母の名前が各々の筆跡で署名・捺印されており、申し立ての趣旨には『申立人の名(西湖)を(聖子)と変更することの許可を求める』と書かれている。申し立ての理由は「通称として永年使用した」に丸がつけられている。事情説明には、幼稚園の頃から実際には“聖子”の名前を使用していた、として、古い年賀状とか学校の名簿!?とかが添付されている・・・けどそれ捏造だ!いいのか?本物は現在通っているS学園の生徒手帳のコピーくらいだけど、それいつの間にコピー取ったのよ!?
 
そもそも・・・戸籍上の名前を変えてしまったら、ボクもう男の子に戻れなくなるじゃん!
 
「それはまだいいよ」
と西湖は言う。
 
「高校卒業するまでに変更しておかないと、後から卒業証明書とか取る時に面倒なことになるよ」
 
母は30分くらい西湖を説得しようとしたが、西湖はあくまで「改名はまだ待って」と主張し、この日の話し合いは平行線に終わった。
 
「15歳未満ならあんたの署名無しでも変更できるから、早く申請しておけば良かったなあ」
などと母は言っていたが、この母ならそういうのこちらの意志を無視してやっちゃいそうで怖いよ!と西湖は思った。
 
「性別は2022年になるまで変更できないのよね。不便ね」
「それも待って」
 
(2022年4月1日から成人年齢は18歳に引き下げられる。その時点で西湖はまだ19歳7ヶ月であるが、成人年齢の引き下げにより、成人したとみなされ性別の変更も申し立てできるようになる。ちなみに龍虎のほうは2021年8月20日に20歳になるので性別を変更したい場合!?はその日から申請可能である!!)
 

「おい。お前らの戸籍とパスポートを作ってやったぞ」
とその日、山村マネージャー(こうちゃん)は“龍虎たち”に言った。
 
「戸籍?」
「パスポート?」
 
「えっと、Fは誰だ?」
「ボク」
という男子制服で男装しているFに赤い付箋をつけたパスポートを渡す。書類がはさんであるので見ると戸籍謄本である?
 
「Nはどっち?」
「わたし」
という女子制服で女装しているNに黄色い付箋をつけたパスポートを渡す。それにも戸籍謄本がはさんである。
 
「戸籍の偽造?」
とベビードール!で女装していて、あまりにも可愛すぎるMが訊く。
 
山村は“ついやってしまいたくなる”気持ちを抑えて説明する。
 
「人聞きの悪いこと言うな。それは正式に発行された戸籍だし、パスポートも正式に取得したものだから」
 
「戸籍の改竄?」
「お前たちは実在しているのだから改竄ではない。真実を反映させただけだ」
と山村は言い切った。Fはそれで納得したようで頷く。
 
「でも同じ場所に複数の同名の戸籍があったら誰か変に思わない?」
とNが尋ねる。
 
「その戸籍をよく見てみろ。ちなみにこれがMの戸籍謄本だ」
と言って、もう1枚の書類をMに渡した。
 
3人は3枚の戸籍謄本を見比べている。
 
「あ、戸籍の場所が違うのか?」
「そうそう。Mの戸籍は元の通り、埼玉県さいたま市にある。Fの戸籍は今住んでいる東京都赤羽に作った。Nの戸籍はこちらの都合で処理しやすい神奈川県川崎市に置いた。都道府県が違うから、まずバレない」
 
「あ、ボクの性別、女になってる」
と龍虎Fが嬉しそうに言う。
「お前、女だろ?」
「うん。ちんちん付いてないし、生理あるし」
 
「私の性別も女になってる〜!」
と龍虎Nが戸惑ったように言う。
 
「お前、もう女の子になりたい気分になってるだろ?」
「少し」
「男の戸籍にして後から変更するのは大変だから、手間を省いて最初から女にしといたぞ」
 
「じゃ私、もう女の子にならないといけないの?」
「お前がその気なら、今からでも手術してやるけど」
「今からというのは、まだ待って!」
と焦ったようにNは言った。
 
「お前も女になる手術してやろうか?」
と山村がMに訊くと
「それ絶対嫌」
と龍虎Mは不快そうに答えた。
 

「あれ〜?女の子になってる」
と、その日美映は緩菜の母子手帳を見ていて、性別が女に丸が付けてあることに気付いた。
 
あの時、なんか男なのか女なのかって、病院の先生も随分悩んでいて、確かDNA鑑定とかして男の子でしたということになって、出生証明書と母子手帳は、男に丸をつけてくれた気がしたのだが、実際母子手帳が女になっているということは、病院の先生は、女に丸をつけたんだっけ?と考えた。
 
ちなみに緩菜の病院の診察券は全て男になっている。これは健康保険証が男で発行されているからで、それは貴司が会社に緩菜を長男(*6)として登録したからである。
 
(*6)京平は「貴司と阿倍子の長男」、緩菜は「貴司と美映の長男」になる。
 

「うーん・・・」
と美映は12秒ほど悩んだものの
「ま、いっか」
と言った。
 
美映は細かいことは気にしない性格である。
 
「だって緩菜ちゃんは女の子だもんね〜。よし可愛いドレス買ってこよう」
と言って、美映は緩菜を自宅に“放置したまま”1人で買物に出かけた。
 
「やれやれ。せめて御飯くらいあげてから出かけて欲しいよ」
と《いんちゃん》はぶつぶつ言いながら、緩菜の好きな“アンパンマン・カレー”を温め始めた。
 
美映はしばしば緩菜にごはんをあげるのを忘れている。
 
美映は細かいことは気にしない性格である!?
 

千里1のお遍路は続く。
 
10月5日も晴れであった。千里は大洲市の旅館を朝早く出ると、約50km歩いて44番札所・大寶寺(だいほうじ:久万高原町)まで到達した。新しく買った靴は快調で歩きやすい気がした。思えば霊山寺を出て歩き始めた頃より、足摺岬付近では、結構辛くなってきつつあった気がする。それは疲れてきたからだろうと思っていたのだが、シューズが傷み始めていたのもあったかも知れないという気がした。
 
この日は大寶寺にお参りした後、そこの宿坊に泊めてもらった。
 
10月5日の行程
52.9km(8時間半)歩いて44.大寶寺(14:30)
 
10月6日も晴れなので、早朝に宿坊を出てから8kmほど歩き、45番札所・岩屋寺(いわやじ)に到達する。この付近は結晶片岩の地形なのだが、浸食により甌穴が空いている岩がいくつもある、本堂横の甌穴はまるで人の顔のようである。
 
ちなみに岩屋寺は車の入れる所から30分ほど山道を歩かなければならないので車遍路さんには辛い札所のひとつである。が、そもそも全部歩いている千里にはあまり関係無いことだ!
 
岩屋寺にお参りしてから、次の46番札所に向かう。
 
ところで、この付近の位置関係なのだが、大洲市方面から歩いて来て、先に到達できるのは44番・大寶寺なので、43→44→45→46 と順番に打つ人が多いのだが、実は46番・浄瑠璃寺のある松山市方面に行くには岩屋寺から大寶寺の付近まで戻る必要がある。
 
そのため43→45→44→46の順に打っても距離はほぼ同じである。歩きの場合は43番からの距離が長いので44→45になるだろうが、車やバイクでのお遍路なら、ここは逆に打っても問題無い所である(雨の中での45は辛いので天候次第かも?)。
 
それで千里は45番岩屋寺から46番浄瑠璃寺まで30kmほどのルートを歩いて14時前に到達した。ここでお参りしてから近くの旅館に泊まる。
 
10月6日の行程。
8.4km(1時間45分)歩いて45.岩屋寺(8:00)
29.5km(5時間歩いて46.浄瑠璃寺(14:00)
合計37.9km
 

 
9月末、ローズ+リリーのカウントダウン・ライブが、今年も昨年と同じ小浜市のミューズ・シアター+アリーナで行われることが発表された。例によって宿泊とセットの申し込みが多数見込まれた。今年も§§ミュージックの若手歌手たちが前座に出演する。
 
■入場&ウェルカム・パフォーマンス
10:00 出店関係者入場開始
13:00 観客入場開始
14:00-16:30 地元の小学校や民謡団体のパフォーマンス
 
■イブニング・パフォーマンス(司会山下ルンバ)
18:00-18:30 §§Junior Stars 東雲はるこ・町田朱美・石川ポルカ
18:30-19:00 小浜JH合唱団(市内の中高生有志による合唱団)
19:00-19:20 阿東梨鈴(○○プロ所属 2019.11debut)
19:20-19:40 花咲ロンド
19:40-20:00 今井葉月
20:00-20:40 §§Young Stars 西宮ネオン・原町カペラ・石川ポルカ
20:40-21:20 §§Senior Stars 桜野レイア・桜木ワルツ・山下ルンバ
21:20-21:40 姫路スピカ
 
§§ミュージックのタレントの出演は、花咲ロンド・今井葉月・姫路スピカがソロで。他は3人ずつのユニットでになったが、人数の都合で石川ポルカがJuniorとYoungの2つに出ることになった。
 
ここには§§ミュージックの4大スター(アクア、品川ありさ、高崎ひろか、白鳥リズム)は出演しない。東京でのカウントダウンや紅白に出場した後、直接新年会のある福岡に移動することになっている。ここ数年元日に福岡でアクアのライブ、そして§§ミュージックの新年会というのが定着している。
 
§§ミュージックのタレントの学年:
桜野レイア(23) 桜木ワルツ(21) 山下ルンバ(21) 品川ありさ(20) 高崎ひろか(20) 西宮ネオン(20大2) 花咲ロンド(20大2) 姫路スピカ(19大1)
アクア(高3) 今井葉月(高2) 原町カペラ(高2) 石川ポルカ(高1)
白鳥リズム(中3) 東雲はるこ(中1) 町田朱美(中1)
 

「葉月(ようげつ)ちゃん、何歌うの?」
と、彼(彼女?)の事実上のマネージャーのようになっている桜木ワルツは尋ねた。葉月は普段の活動はアクアのボディダブルの他は女優としての活動だけで、歌手デビューはしていない。していない主たる理由は時間が無い!からである。ローズ+リリーのマリなどは葉月ちゃんに歌を提供したいと常々言っているのだが。
 
「夏の小浜(アクアのライブ前座)で北里ナナの歌を歌って好評だったので、またそれで行こうかなという気がしているんですが」
 
「でも葉月ちゃん、たまには男性歌手の歌を歌ったら?葉月ちゃんが男子だということ、最近社長でさえ忘れている気がするよ。ミスチルとかどうよ?」
「あ・・・そういえば、私男子でしたっけ?」
「自分でも忘れちゃった!?」
「最近普通の男の子に戻る自信がなくなってきました」
「ちんちん付いてるよね?」
「ここしばらく見てない気もします」
「うーん・・・」
 
と言ってワルツは腕を組んだ。
 
(葉月はあまりにも多忙なので本当に男の子の身体だった頃のことを忘れつつある。そもそも昨日のことも覚えていなかったりする)
 

ところで和実が2017年3月仙台にオープンさせたメイド喫茶《クレール》であるが、TKR関連のライブ、信濃町ガールズの定演などもあり、土日はまあまあの売上げがあるものの、やはり市街地から遠いこともあり、平日はガラガラの状況が続いていた。2018年夏、近所にクレールに便乗する形で出来た屋台村も1年ほどで多くの出店者が撤退してしまい、2019年秋の時点で残っているのは2軒のみである。しかし淳のお給料もあり、また和実がムーランの株主になっていたおかげでその配当が凄まじく、おかげで巨額の銀行ローンを返済しながらも潰れずにやっていくことができていた。
 
2018年10月から2019年3月に掛けての和実の妊娠出産も、ライムが退職した後を引き継いでチーフになったマキコ、和実の友人の梓・照葉・伊藤君らの奮戦、東京のエヴォンからのメイド派遣などもあり、何とか営業を維持した。
 
そんな折り、冬子は唐突にその話を聞いたのである。
 
「隣にイオンができる!?」
「仙台市議さんが誘致に熱心らしいです」
「でもそばにイオンなんかできたら、みんなそっちに行っちゃうんじゃないの?」
と冬子は言う。
 
巨大なイオンタウンがそばにあったら、誰もそんな所に喫茶店があることなど気付かないだろう。むしろイオンに来た客がクレールの駐車場に勝手に駐めて買物に行ったりするかもしれない。それに騒音で、落ち着いてコーヒーを飲む雰囲気ではなくなってしまうかも知れない
 
「ダメかも知んない」
と和実は、ため息を付いて言った。こんな顔の和実を見たのは初めてだと思った。
 
「万一の時は、銀行の借金は私が返してあげるから、変なことだけは考えないでね」
「ごめん。本当に万一の時は頼むかも。でもできるだけ頑張る」
と和実も唇を噛みしめて言っていた。
 
和実はクレールを作る時に店舗と自宅の建設費として銀行から1.2億借りていて毎月36万円の返済をしているがお店の利益からこれを払うのは困難で、淳の給料とムーランの配当無しでは成り立たない。結果的に淳は仕事をやめられず、夫婦別居生活が続いている。(政子から借りた残額の3500万円については、政子が「軌道に乗るまで返済は延期しよう」と言っているので、その言葉に甘えている)
 

青葉は冬子からその話を聞いて疑問を感じた。
 
「あんな所にイオンを作るっておかしいです。2kmも先にはイオンモール名取がありますよ。そもそも震災の爪痕で周辺人口の少ない地区なのに」
 
「だけどイオンの先々代は『タヌキの出るような所に店を出せ』と言っていたらしいよ」
「山の中なら分かりますが、あそこにタヌキは出ないと思いますよ。幽霊ならまだまだたくさん居ますけど」
「なんか凄い土地だなあ」
「和実が毎日2-3人は成仏させているはず」
 
「いっそお寺を建てる?和実に住職になってもらって」
と横から政子が言った。
 

冬子も気になったので、弁護士さんに情報を収集してもらったのだが、どうも現時点では、その市議ひとりが熱心に活動しているだけで、イオン側の反応は不明らしい。ただ、イオンが来るかもという噂から周辺の土地の値段が突然あがり始めているということだった。
 

青葉が7億円で“つい買ってしまった”土地に建てることになったスポーツ施設仮称“エグゼルシス・デ・ファイユ津幡”だが、2つの建物の内、体育館は播磨工務店(お金は千里と冬子が半分ずつ出す)、アクアリゾート(プール&スパ)はムーラン建設(お金は若葉が出す)が建築を担当し、地元の建築業者からもスタッフを受け入れることで、地元の建築業界と話がまとまった。いかにもこの道何十年という雰囲気の南田社長が地元の建築業者の社長たちを宴会に招待した上で、話をまとめてくれた。地元業者の中で萬坊工業という中堅の総合建築会社が、全体の統括をしてくれることになった。
 
ちなみに青葉は例によって南田が人間ではないことに全く気付いていない!(若葉だって察しているのに)
 
しかし主たる建築物の建築費は千里・冬子・若葉が出してくれるおかげで、青葉自身がお金を出したのは土地代、池に関する処理と臨時50mプールの設置費用、駐車場の整備、取り付け道路の再舗装・デリネーター(路肩マーク)設置・道路と駐車場の融雪装置導入費くらいである。
 
(道路に熱線を埋め込み、また水を流す機構をつけて水で雪を融かす。この水で雪を融かす仕組みは北陸独特のもので、当然東北では不可能である)
 
千里・冬子・若葉は地主である青葉に賃貸料を払うことになるが、結果的にはこの賃料で臨時50mプールの維持費(主として管理人の給料と、清掃委託費、消毒薬剤の購入費)と取水・放水の管理委託費、冬季の除雪費用などをまかなうことができた。
 

青葉は9月30日に土地の売買契約をすると、“清掃”と称して、池の水をいったん全部抜き、底面に溜まっていた土砂やゴミを全部取り除くことにした。
 
通常は池からあふれた水が下部にある調整池に流入するようになっているのだが、町の許可を取り、池の下方にある緊急流出口を開けて大半の水を調整池に落としてしまった(落とすのに4時間掛かる:落とすのは壁沿いの水路を使用するので落下エネルギーで調整池底面が傷むことはない)。
 
調整池に落ち込んだ水は、1000m3/h(0.28m3/s)で敷地の東側にある通称・辺来川(通常流量 6000m3/h正式名は無いらしい)に流すことができるので、この時は池に溜まっていた 8000m3が8時間で流出している(実は大雨の際は2km離れた二級河川の方へ流す水路もあるのだが、使用にはその都度、県の許可が必要である)。
 
大半の水を抜いた後は、まずは大型のゴミを取り除く。タンス、自転車、子供用ブランコ、タイヤ、障子、本棚、エアコン、コタツ、ベッド、などなど不法投棄と思われるゴミが結構あった。レポートしている幸花が怒ってコメントしている。これらはムーラン建設の人が持ち込んでくれたクレーンで吊り上げ、ダンプに積み込み、処分場に持って行く。動物の死体が少々あったのだが、これは編集でカットして放送分には入れなかった。ちなみに人間の死体は無かった!
 
「人間の死体が必要なら2〜3体調達してくるけど。年寄りでも若者でも、男でも女でも男の娘でも」
と千里。
 
「それ、現時点では生きている人ではないよね?」
と青葉。
「死体なんてある所にはいくらでも転がっているし。男の娘の遺体は男の子をちょっと改造すれば作れるし」
「それ死体損壊では?」
などと言っていたから、神谷内さんが
 
「警察と関わりになると番組制作が進まないから勘弁して」
と言った。
 
このあたりはどこまで冗談なのかが判然としない!?
 
魚については、魚の種類に詳しい人に来てもらっていたので、外来魚と在来種を区分けして、在来種は用意した水槽に移し(後日池に戻した)、外来魚は「僕たちが処分しておくよ」とムーラン建設の人が言ったので委ねたが、“美味しく頂いた”!らしい。
 
その後土砂の類いを取り除く。これはクレーンと似ているが、先がショベルになっている機械(ケーブル式ショベルというらしい)ですくって、取り敢えず池の近くに作った枠の中に入れた。水分が抜けるのを待ってからダンプに積んで捨てに行くことにする。
 
最後は流入口を少し開けて水を流しながらデッキブラシでお掃除して終了である(ここは明恵・真珠および彼女たちの友人を動員した。異様に男の娘が多かったが、みんな男の子並みに役立った)。このまま数日乾かしてから再度水を入れる予定だったのだが、2日後に雨が降って池は水深2mほどになってしまったので、もうそれでよいことにした。1日だけ干したことになる。
 

この施設のプールやスパで使用する“水”だが、この池(満水時10000m3)から水を吸い上げ、浄水装置で浄化して使用することで、町側との話し合いがまとまっている。郷愁村でもそうだったが、大規模な水の使用は水道だけに頼られると自治体側も辛い。なお、“たまたま”溜まっていたら遊水池の水も使用してよい(基本的には大雨の直後しか溜まっていない)ことも“口頭で”同意を得た。要するに雨が降ったら貯水のチャンスである!
 
50mプールに蓄えられる水の量は、50m×25m×3m=3750m3で、池の容量の4割程度である。遊水池は75000m3で、50mプールの20倍もある。しかも実は遊水池の方が概して水質が良いが、遊水池は通常、空にしてある。
 
通常川から水を取ったり流したりするのには、かなり面倒な手続きと時間が必要だし、めったに許可が降りないのだが、ここは既に10年前の開発の時にそのような手続きが行われ、取水・放水の設備も作られていたため、わりと簡単な手続きで許可が下りた。
 
基本的には以前の開発の時に当時の開発者が取得していた水利権が、10年経っても更新されなかったので権利放棄したとみなされ、新たな開発者に設定された形になった。権利料は、洪水調整機能を引き受けている代価として、認められている取水量(1000m3/h)までは無料!である。ただし、取水量・放水量・放水水質などの報告義務はある。
 
青葉はこれまでここを所有していた銀行から委託を受けて、これらの施設の管理をしていた会社に引き続き管理をしてもらうことで、銀行側、その管理会社と合意して契約を銀行から引き継いだ。細かな手続きは霧川裕子弁護士(霧川司法書士の息子?)に委ねた。彼(彼女?)は2016年に司法試験に合格。1年弱の司法修習を経て2017年秋に弁護士登録した(でもしばしば“司法書士事務所職員”の名刺を使っているし、父親から雑用でこき使われている!)。事務所は父の司法書士事務所に同居しており、“霧川司法書士事務所”“霧川法律事務所”という2つの看板が掛かっている。
 

その電話は10月4日(金)に掛かってきた。津幡町長なのでびっくりする。
 
「あそこのスポーツ施設の名前ですが」
「はい?」
「倶利伽羅(くりから)スポーツパークとかはどうでしょう?」
「倶利伽羅ですか!?」
 
青葉は思わぬことを言われて焦った。
 
「一応エグゼルシス・デ・ファイユ津幡と命名しようと思っているんですが」
「それは正式名称ですよね?正式名称の他に通称もあっていいと思うんですよ」
「まあ確かにそれはそうですが」
 
偶然近くに居た幸花が言った。
 
「横から申し訳ありませんが、倶利伽羅峠なら、むしろ津幡町の運動公園が近いと思うのですが」
 
「ああ!確かにそうかも知れませんね。だったら火牛(かぎゅう)スポーツパークでもいいですよ」
 
「そうですね。一応検討してみます」
と青葉は気の進まない返事をした。
 

 
「ところで頂いた書類を見ていたのですが、ゴルフ練習場、バッティングセンター、テニスコートは作られないんですね」
と町長は言う。
 
「ええ。特に必要を感じなかったので」
と言いつつ、今回は女性のグループが主導しているから、ゴルフやバッティングは外したのかもね、という気がした。
 
「まあゴルフやバッティングについては昔からするとブームも下火かも知れませんが、実はテニスコートについては、結構期待していた人も多くてですね」
 
「そうなんですか?」
 
幸花が疑問を呈した。
 
「津幡町さんって、既にテニスコートを確か2つ持ってましたよね?総合体育館の所と、運動公園と。特に運動公園のは全天候型だったと思うのですが」
 
「それがひとつは運動公園は町の南部にあるので、町の北部にもそういう施設があると助かるというのがありまして」
 
「なるほど」
 
「それに全天候型というのは、多少雨が降ってもできるという意味で、雪が積もっていたり凍結していたら使えませんし、豪雨でも選手の健康に問題が生じまして」
 
「ああ、全天候型って屋根がある訳ではないんですね?」
と青葉は“用語”の問題で確認した。
 
「そうなんですよ。全天候型といっても屋外でして。それに北陸は冬季はほとんど晴れるということがなくて、11月頃から3月頃まで、ずっと雨か雪なんですよ」
と町長は言う。
 
「確かにそうですね」
 
この冬の多湿な気候が、加賀友禅を生んだのである。
 
青葉も東北から北陸に引っ越してた当初、冬季は朝のジョギングに出られない日が増えた感じがあった(正確には出られる日がほとんど無かった!)。岩手なら雪の降る中を雪を踏みしめて走れたのだが、北陸では地面の雪がシャーベットになってしまい、その上を走るのが困難なのである。雪も東北のような粉雪ではなく水分が多いボタ雪なので身体が濡れてしまう。
 
「それで屋根のあるテニスコートというのは、ありがたいと期待する声が当時結構ありまして。能登町さんが屋内テニスコートを持っていて、冬季の小中学生の練習にとても役立っているんですよね。うちにもそれができると助かるという意見がテニス関係者から多く出ていたんですよ」
 
「能登町にありますか?」
「一度見に行かれたりしません?」
「ちょっと行ってきます」
 

千里1のお遍路は続いていた。
 
10月7日は松山市内のお寺を回る。松山の市街地は大寶寺・岩屋寺から北北西方面にあるのだが、46番から51番までもだいたい南南東から北北西へと並んでいる。
 
宿を8時前に出てから
(46番から)1.0km(10分)歩いて47八坂寺(8:00)
4.4km(35分)歩いて48西林寺(9:15)
3.2km(30分)歩いて49浄土寺(10:25)
1.7km(17分)歩いて50繁多寺(11:20)
2.7km(30分)歩いて51石手寺(12:20)
 
読み方は、やさかじ、さいりんじ、じょうどじ、はんたじ、いしてじ。
 
石手寺は衛門三郎再来の寺である。伊予国の有力豪族である河野氏の息子が生まれた時にこのお寺で祈祷を受けたら、いつの間にか衛門三郎再来と書かれた石を手に持っていたということで、きっとこの子は衛門三郎の生まれ変わりなのだろうとされた。以来石手寺は河野氏の庇護を受けて栄えたという。
 
この石手寺から1.2kmほどの所に道後温泉本館がある。
 
せっかく四国に来ているので寄っていくことにしていた。それで今日のお遍路はここまでである。現在道後温泉本館には宿泊できないし、休憩室自体が工事中のため閉鎖されているので、近くの旅館に投宿してから、道後温泉本館に行って、ゆっくりと湯に浸かった。
 
10月7日の行程14.2km(道後温泉までを含む)
 

この日は石手寺を終えたのが13時頃で、旅館に入って荷物を置き、まずは一息つく。雨が降っていたのでお遍路衣装を脱ぎ、普段着で傘を差して道後温泉本館に行ったのは16時頃だった。
 
道後温泉本館には神の湯・霊(たま)の湯・又新殿(ゆうしんでん)などがある(但し又新殿は皇室専用でふだんなら見学だけ可能)のだが、現在工事中で、神の湯だけの営業になっている。
 
半分での営業なので混んでいるかな?とも思ったのだが、平日でもあり、ピーク時間帯(観光客が多いので、ここはお昼前後がいちばん混む)を過ぎたようで客が少ない。北側の玄関から入って料金420円(増税で上がった模様)右手、女湯の脱衣場に入る。人が少ない。服を脱いで浴室に入る。
 
浴室も人が少ない。髪を洗い、身体を洗うと、毎日汗をたくさん掻いているだけにとても気持ちいい。それで浴槽に入る。
 
ここは実は昔の道後温泉本館の男湯だった所と女湯だった所をひとつにまとめて広い浴室にしたらしい。男湯の方は新しい浴室が2つ(東浴室・西浴室)作られている。現在の工事が終わると、女湯も2個になるらしい。
 
湯船に浸かりながら、女湯のシンボルでもある、大国主命・少彦名命の像(湯釜の上にある−男湯の方にはこれが無いらしい)を見ながら身体のあちこちを自分でマッサージしていた時、ふとその“女性”に気付いた。
 
年齢は20歳前後だろうか。視線が微妙に不自然である。何だろう?と思ったが、瞬間的に気付いた。
 
なるほどー。
 
千里が“彼女”のそばに寄る。ギクッとしている雰囲気が可愛い。
 
「大丈夫だよ。ちゃんと分かっているから」
と千里は笑顔で“彼女”に言って、手を握ってあげた。ホッとする表情。手がまだ“男になりきっていない”。たぶん色々な手法で睾丸の活動を抑え込んでいるんだろうなという気がした。
 
「私も元は男の子だったんだよ」
「嘘!?」
「もう手術も終わってから10年近くたつかな」
「すごーい」
 
“彼女”はセーラと名乗った。漢字では“星良”らしい。
 
「こういう所入るのは初めて?」
「2度目です。前はもっと田舎の温泉だったんで全然問題無かったんだけど。今日は入った時は人が少なかったのに、その後大勢入ってきて、あがるにあがれなくなっちゃって。いきなり大きな所に挑戦しすぎたかなと少し後悔してます」
 
千里は考えた。
「まさか、朝からずっと入っているということは?」
「実は」
「のぼせちゃうよ!」
 
「何度か勇気を出してあがって、水を浴びて少し温泉の湯も飲みました」
「そうしないと倒れちゃうね。お腹空いてない?」
「空いてるけど何とか」
「私と少しおしゃべりしてから、一緒にあがらない?」
「はい、助かります」
 
それで“彼女”としばらく話した。言葉が九州っぽいなと思ったが、福岡県の前原(まえばる)の出身で、現在大阪の大学に通っているということだった。
 
「大学にはスカートとか穿いて行ったりする?」
「なかなか勇気が出なくて。夕方になるとけっこうスカートで大阪の町を歩いているんですけど」
「夕方以降の女性のひとり歩きは時には危険だったりするよ。日曜日の昼間とかに出歩いてごらんよ」
「そうですね」
「堀江あたりなら歩いていても目立たないよ」
「そうかも」
 
「こちらへは観光?」
「はい。高校の時に英語部で、坊ちゃんをやったんですよ。それで一度見てみたいなあと思っていて。でも工事中とは知りませんでした」
「うん。私も知らなかった。ちなみに、坊ちゃんでは何の役をしたの?」
「え、えっと。荻野のお婆ちゃんとキヨの2役で」
「へー!!」
 
結局30分くらいおしゃべりしてからあがった。星良がタックをして入浴したものの外れてしまったというので、よく聞いてみると透明荷造り用テープを使用したテープタックだったらしい。接着剤タックはしたことがないというので、コンビニで必要なものを買った上で、彼女が泊まっているホテルに一緒に行き、千里がしてあげたら
 
「凄い!きれーい!」
 
と感動していた。
 
「千里さんが元男の子だったというの、嘘じゃなかろうかと思っていたんですけど、これ見てやっと信じる気になりました」
などとも言っていた。
 
「まあ女の子はタックする必要ないからね。折りたたむようなものが付いてないし」
 
「もう一度温泉行ってこようかなあ」
「付いていってあげようか」
「ぜひ!」
 
それで一緒に夕食を取った後、ふたりでもう一度道後温泉本館に行き、再度一緒に女湯に入った。彼女も3度目になるので、だいぶ度胸がついたようである。彼女はバストは無いものの、雰囲気が女の子なので、あまり不審がられないだろうと思った。
 
接着剤タックは凄く感動したので、しばらくこのままにしておきますと言っていた。千里は外す時は、剥がし剤よりエナメルリムーバーの方が肌に優しいよとアドバイスしておいた。
 

青葉は町のスポーツ振興課の課長さんで、芳永さんという人に案内してもらい、能登町の施設を見学に行ってくることにした。青葉はテニスがよく分からないので、小学生の時にしていたという幸花に付いてきてもらった。〒〒テレビの森下カメラマンにも付いてきてもらい様子を撮影しておく。
 
アルプラザ津幡で待ち合わせて、芳永さんが運転するプリウスに乗り、のと里山海道・珠洲道路を1時間半ほど走り、能登町の室内コート“ウェーブのと”を見に行った。屋外のテニスコートも16面取られているのだが、隣接して屋内コートが4面取られている。青葉が行った時は、小雨が降っていたのもあり、屋外コートには人がおらず、室内で小学生たちが練習していた。
 
「なるほどぉ。こういうものがあれば便利でしょうね」
 
使用料金表を見ると、学生110円・一般220円、高校生以下の部活は無料!である。能登町がテニスに力を入れているというのは聞いていたが(ここではソフトテニスの世界大会も行われるらしい)、こういうバックアップ態勢があったわけだ。芳永さんによると津幡町のテニスコートも個人利用の料金は同じだが団体利用の場合は原則500円らしい(減免制度はある)。
 
見学した後で、近くのショッピングモール“アルプ”の軽食コーナーで休憩した。
 
「でも個人的にはあの手のカーペットコートはあまり好きではないです」
 
と芳永さんは言った。彼は高校・大学でテニスをしていて、高校時代はインターハイにも出たことがあるらしい。
 
「実はそのあたりのコートの種類というのがよく分からないのですが」
と青葉は言う。
 
「私もだいぶ忘れたけどテニスシューズを3つ使ってましたよ」
と幸花が言う。
 
「3つというのなら、ハードコート用・クレイ&オムニ・カーペット用かな?」
「記憶が曖昧なんですけど、オムニという名前は記憶があります。あと1つは室内用でした」
 
「室内用がたぶんカーペット用でしょうね」
 

「テニスコートは基本的にハードコート、クレーコート、グラスコートに大別されます」
と芳永さんは基本的なことから説明してくれる。
 
「ハードコート(hard court) というのはアスファルトの上に合成樹脂でコーティングしたもので、世界のテニスコートの主流です。日本でも強豪高はだいたいこのタイプのコートを用意しています」
 
「わあ」
 
「クレーコート(clay court) というのは土のコートで、ハードコートではないコートのほとんどがこれです。土なので雨が降った後はしばらく使えません」
 
「中学のテニスコートは土だったかも」
「普通の学校には多いですね」
と芳永さんも言う。
 
「グラスコート(grass court)というのはウィンブルドンのセンターコートなどで使用されていますが、芝生のコートで、これは傷みやすいので普段の練習などでは使えません。ウィンブルドンのセンターコートもあの大会だけに使って1年間養生してますね」
 
「それはほとんど使う機会無いですね」
「まあほとんどのプレイヤーにとっては多分そうです」
「ウィンブルドンなんて、おとぎ話の世界だし」
と幸花は言う。
 

 
「日本で非常に多いのが砂入り人工芝のコートで、これは住友の商品名からオムニコート(*7)と呼ばれることが多いです。日本とニュージーランドのみで見られるコートで、世界的には特異なコートです。ところが日本ではこれが雨に強いことから“全天候型コート”とか呼ばれて、物凄く多いんですよ。それで日本のテニス愛好者にはこのコートに慣れている人がまた多いんですよね」
 
「へー!」
 
そういえば幸花が津幡運動公園のコートが全天候型と言っていたなと思い起こす。
 
(*7)住友ゴム工業が“オムニコート”、東亜道路が“スパックサンド”、三菱化成が“ダイヤアリーナ”、積水樹脂が“サンドグラス”などなど。
 

「このコートは柔らかいので足腰に負担が掛からないのがいい所なんですけどね」
と芳永さん。
 
「床面が色々あるから、テニスシューズもそれに合わせて色々必要なんですよね」
と幸花が補足する。
 
「そんなに色々床面があったら、床面が違うとボールの跳ね方とか変わりません?」
と青葉が尋ねる。
 
「変わります。ですからテニス選手は色々な床面を体験しておく必要があるんですよ。それでも各々得意なコート、苦手なコートが出ますけどね」
 
「でしょうね!」
 
「インドアのテニスコートの場合は、WAVEのとでも使用されているカーペットコートが物凄く多いです。これは普通の床にカーペットを敷くだけで作れるので、都会のビルの中にあるスポーツクラブなどでこれを採用している所が多いのもありまして」
 
「ああ。クレーコートとかハードコートは地面でないと無理っぽいですね」
 
「そうなんです。インドアのコートでも1階に専用で作られたものでは屋外のコートと同じ加工をしたものがあります。能登町さんはそういう作り方をしてもよかったと思うのですが、なぜカーペットを採用したのか、疑問を感じますね」
 
「なぜでしょうね」
 
「もし川上さんが進めておられる体育施設でインドア・テニスコートを作ってくださる場合は、できたらハードコート、やむを得ない場合はオムニコートでお願いしたいと、テニス愛好者としては思いますよ」
と芳永さんは言った。
 

青葉は帰りの車中でも色々芳永さん・幸花と話し合った上で、途中の別所岳SAで町長さんに電話を掛けた。
 
(珠洲道路・のと里山海道は携帯圏外の所ばかりなのでPA/SA/道の駅あるいはコンビニの駐車場などから電話しないと途中で切れてしまう。以前は道の駅なのに携帯圏外で公衆電話が唯一の連絡手段などという所も存在したが、現在は解消されている。そもそも能登半島自体、au や docomo ならよいが、softbank は使い物にならない。 au しかつながらない地区、 docomo しかつながらない地区があるため2台持ちのビジネスマンも多い)
 
「テニスコートの需要があれば作るのはいいのですが、体育館にテニスコートとバスケットコートを多階構造で作ると、天井の高さがテニスコート12m、バスケットコート14mになるのですが、これは各々4階建て・5階建てのビルに相当する高さです。合計すると9階建ての高層ビル相当になり、建築費が多分4〜5倍掛かると思います。そしてそれ以上に非常時の避難の問題が出てくるんですよ。音響を考えると、ライブ会場を兼ねるバスケットコートを上にせざるを得ないのですが、その場合、万が一地震や火災が起きた場合に、5階に1万人居るのをどうやって安全に避難させるかといった問題が生じます」
 
「それは問題ですね!」
と町長さんも理解を示した。
 
「あと建築費が4倍になった場合、現在の津幡町さんの公共テニスコートのように学生100円・一般200円という料金ではとても採算が取れないです。能登町さんの場合は、学生の部活は無料ということになっているので、これではほぼ無収入ですよね。しかし室内テニスコートは維持費がかなり高いと思います。また上に作ることになるバスケットコートの方も維持費が高くなってしまいます」
 
「困りましたね。。。いや待って下さい。室内テニスコートと体育館は別棟にしてはいけないんですか?」
 
「それをやると建蔽率をオーバーするんですよ」
「建蔽率ですか!」
 
「この土地は270m×270mで、72900m2あります。体育館が140m×140m = 19600m2, アクアリゾートが140m×120m = 16800m2, これにテニスコートを8コートで設計した場合、さっき芳永さんと検討したレイアウトでは 88m×84m = 7392m2となって合計 43792m2になりまして、建蔽率が60%をわずかに越えます」
 
( 43792÷72900 = 60.07% とても惜しいがテニスコートはざっと計算しただけなので、もっと必要になる可能性がある)
 
↓屋内テニスコートの概略配置設計

 

「ちょっと、検討してお電話します」
と町長は言っていったん電話を切る。
 
森下さんが飲み物を買ってきて全員に配った。
 
「ねえ、あのライダー、男だと思う?女だと思う?」
と今SAに停まったバイクの乗り手について幸花が言った。
 
「微妙。体型だけではどちらとも取れる気がする」
と青葉は答える。
 
「女じゃないですか?」
と芳永さん
 
ライダーがヘルメットを脱ぐ。
 
「・・・」
 
「分からん!」
と全員が言った。
 
顔を見ても男女の判断ができなかった!
 
彼または彼女がトイレに行けば性別が分かるかと思ったのだが、そちらには行かずに施設の中に入る。スナックコーナーを見ている。声を聞けば分かるかな?・・と思ったのだが、オーダーする声を聞いても性別を判断できなかった。
 
「うーん・・・」
と幸花が悩んでいる。
 
それで彼または彼女はサンドイッチとコーヒーをのんびりと食べている。こちらはテニスコートの軒で色々打ち合わせているのだが、その人物にもさりげなく?注意を払っている。
 
やがてその人物は立ち上がると建物を出て行く。幸花が「ちょっと失礼」と言って続いて建物の外に出た。
 
幸花は嬉しそうな顔で戻ってきた。
 
「男子トイレに入って行ったよ」
「男の子だったのか!」
 
「でも凄く中性的だったね」
 

町長からの電話は30分後に掛かってきた(上述の電波事情の問題があるので移動できない。特に穴水ICから柳田ICまでの区間は電波事情が悪い)。
 
町長は言った。
 
「あの付近はほとんどが町有地なんですよ。隣接した町有地を売りますので、それで建蔽率を下げられますよね?」
 
「できますが、追加分の土地に開発許可を取る必要が出てくるのですが」
と青葉。
 
「そのくらいは大丈夫ですよ。出させますから。どのくらいの土地があれば建蔽率をクリアできますかね」
 
「計算してみますが、そちらに戻ってから直接話し合いましょうか?」
「それがいい気がしますね」
 
それで青葉たちはのと里山海道を南下して、津幡町役場まで戻った。幸花が運転して、青葉と芳永さんが後部座席で話し合いながら絵を描いて計算し、その様子を森下さんが撮影する。町役場に行くと神谷内さんも来ていた。
 
ところが町長は新たな提案をした。
 
「こちらも少し考えていたんですが、屋内テニスコートの他にですね、屋内人工芝のグラウンド・ゴルフ場も建てられませんか?利用者多いですよ。多分入場料収入大きいですよ」
と町長は言った。
 
「すみません。グラウンドゴルフってどんなスポーツでしたっけ?」
 
「似たようなものにパークゴルフというのもあるんですが」
「そのあたりがさっぱり分からなくて」
 

「1980年代にはお年寄りのスポーツとしてゲートボールが広く普及したのですが、ゲートボールの問題点はチーム対抗戦だということなんですよね」
 
「はい」
 
「それでどうしても下手な人がチームメンバーから責められるんですよ。度々ゲートボールを巡って殺人事件とかも起きていますし」
「ああ、殺人までいかなくても、いじめとかもあるのでは?」
 
「そういうのもあるようですよ。それで人間関係に嫌気が差してやめる人が相次いで競技人口もかつての10分の1になったと言われます。代わって最近シニア人口の人気を2分するのが、パークゴルフとグラウンドゴルフなんですが、どちらも個人競技なんです。だから下手な人が責められることがなく気楽なんですね。せいぜい『まだ終わらないの?』とか言われる程度ですよ」
 
「その程度なら、いいでしょうね」
 

「パークゴルフは、かなり広い場所を必要とします。ティーからホールまでが数十メートルあって、これを9ホールで1セットにします。ですからこれは屋外でないと無理です」
 
「ああ」
 
「でもグラウンド・ゴルフはかなり狭い所でできます。ちょっとした広場があれば、ここに持って来ましたが、このホールポストというものを立ててプレイできます」
 
と実際のゲーム器具を見せてくれる。
 
「あ、やってるの見たことある気がする」
と幸花。
 
「例えばスタート地点から、外回りで南へ30m 東へ50m 北へ30m 西へ50m とまわって、その後、今度は内回りで東へ25m 南へ15m 西へ25m 北へ15m と回って終了です」
 

 
「外回りと内回りが逆方向なんですね」
「すみません。たとえで言っただけで色々なコースがあります」
「そうでしたか!」
 
「でもそういうわけで50m×30m+アルファの広さがあればプレイできるんですよ。それで手軽なものだから競技人口はパークゴルフの3倍くらいあるんです」
 
「なるほどー」
「しかしこれも冬季は閉鎖されるところが多くてですね」
「ああ」
「でも屋根があって、オールシーズン天候と無関係にプレイできる所があれば、絶対来ますよ。田舎は年寄りだけは豊富で、年寄りは時間を持て余してますから」
 
「確かにそうかも」
 
と言いながら青葉は紙に50m×30mのフィールドを持つ競技場の図を書いてみた。たぶん60m×50mくらいの建物があればいいだろう。余裕を見て60m×60mかな?お年寄りなら広い休憩室があった方がよい気がする。たぶんプレイよりその後のお茶タイムとかの方がメインになったりして?
 
と考えていたら芳永さんは「いい?」という表情をして、青葉が書いた50m×30mの四角の下に同じ大きさの四角をもうひとつ書いた。
 
そうか!競技人口が多いのなら2つあった方がいい。
 
すると・・・建物は80m×60mくらいになるかな。テニスコートとサイズ合わせたほうが美しいから88m×60mくらいでもいいな、と青葉は考えた。
 
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【春花】(5)