【春花】(3)

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9月21日(土)。次の札所までは75kmほどあるので1日で歩くのは辛い。それで今日は東洋町の民宿まで行って泊まることにしていた。今日も午後から雨の予報だったのでできるだけ早く辿り着けるよう朝7時に出発する。早百合と一緒ではないので、かなり速いペースで歩く。それで予約しておいた民宿に辿り着いたのは、14時頃であった。
 
「お早いお着きですね」
「済みません。早すぎましたか?」
「いえ、こちらは問題無いのですが、雨が降り出す前で良かったです」
「私も雨が降りそうなので、ピッチを上げて歩いて来たんですよ」
 
そういう訳で15時頃には雨が降り出したが、千里はうまい具合に雨にはぶつからずに済んだ。しかしこの日、この民宿に泊まった他の客の多くが雨に当たって大変だったようである。
 

その客は夕食の案内があり、千里が食堂のある1階に降りていった時にちょうど入って来た。27-28歳くらいの女性に見えた。お遍路姿だがずぶ濡れである。車の音とかもしなかったので、歩きお遍路なのだろう。もし朝5時頃に日和佐を出て歩いて来たのなら時速3kmだと13-14時間かかるので、ちょうど今くらいの時刻に到着する計算になる。しかし雨具無しで雨の中を数時間歩いて来たのなら風邪でも引いてないかと別の心配をする。
 
「すみません、部屋は空いてますか?」
などと訊いているので、予約していなかったようだ。アルトボイスである。
 
「ええ。ちょうど残り1つでした」
と女将(おかみ)さんが笑顔で言う。
 
「でもあなたずぶ濡れ。お部屋に案内する前にお風呂に入った方がいいわ」
と女将さん。
 
すると女性客は「あっ」という表情をして尋ねた。
「もしかしてお風呂は共同ですかね?」
「ええ。うちは古い民宿なので」
「共同のお風呂って男女別ですよね?」
「まあ普通そうですね。男の方と女の人を一緒に入れる訳にはいきませんし」
と女将は戸惑うように答えている。
 
それで千里は“分かってしまった”。
 
「どうしよう?」
と客は悩んでいる。そこで千里は差し出がましいとは思ったが言った。
 
「今から他の客はみんな食事なんですよ。あなた、その間に入っちゃったら?」
「あ・・・それならいいかな?」
と客は少し考えているもよう。
 
「今、女湯は空いてますよね?」
と千里は女将さんに確認した。
 
「女性のお客様は、今日はあなたと」
と言って千里を見る。
「あなたと」
と言って今入って来た客を見る。
 
「その2人だけですから、空いてますよ。男性のお客さんは確かさっき1人、お風呂に行かれましたが」
 
「私は今から食事だから1時間くらいはまだ入浴しませんよ」
と千里は言った。すると彼女は安心したように
 
「だったら、泊めて下さい」
と言った。
 

「はいはい。こちらにお名前書いてくださいね。お着替え持ってます?」
と女将。
「それが荷物も全部濡れてしまって」
「非常用の下着があるからお貸ししますよ。お風呂に入ったらうちの浴衣に着替えればいいし。服はすぐ洗濯してあげますよ」
「助かります。下着、お借りします」
「納経帳は濡れてない?」
「それはビニール袋に入れていたので何とか。でも納め札は濡れてしまったかも」
 
「納め札の用紙、この民宿にもありますよね?」
と千里が訊くと
「ええ。用紙だったら100枚100円+消費税で」
「安いですね!」
「それなら今夜頑張って名前を書きましょう」
 
「消費税は今月中は8%ですね」
「そうなんですよね。来月から10%になっちゃう。宿賃も10%だけど、おにぎりとかをお夜食やお弁当用に売る時は8%だから計算が面倒くさい」
 
「なんか中小企業いじめですよねー」
「全くですよ。パイパイとか言うのも営業に来られたんですが、私には話が難しすぎて。今度大阪に行ってる息子に聞いてもらおうと言っているのですが」
 
「パイパイではなくて、ペイペイだったりして」
「あ、それかも!」
「パイパイだったら、私たちの胸の所に」
「女だったら大抵装備してますね」
「男の人にパイパイがあったら大変ですね」
 
ということで3人で笑ったが、今来た客はやや焦っている感じだった。多分あまりパイパイに自信が無いのかな?もっとも「自信が無い」ではなく「無い」のだったりして!?
 
ともかくも、それでその“女性”客は、この屋根のある暖かい所で雨の夜を過ごすことができたのである。千里は食事中、《びゃくちゃん》に、彼女が風邪を引いてないかチェックしてもらった。すると『風邪引いてたけど治しといたよ』ということであった。女将さんからも葛根湯をもらっていたらしい。
 
彼女はお風呂からあがると、ロビーにいた千里に「あがりました」と報告してくれた。彼女は高浜アリスと名乗った。
 
「石川県の方?」
「よく分かりますね!」
「妹が高岡に住んでいるので。高浜のアリス館ですよね?」
「あれ名前が可愛すぎですよね。ついでにあっちのこともバレてるみたいだし」
「言わなきゃ大丈夫」
「ですよね!」
 
彼女は民宿で買い求めた新しい納札に“高浜アリス”と自署し、南無大師遍照金剛と唱えて1枚千里にくれたので、千里も南無大師遍照金剛と唱え、自分の納札を1枚あげた。ついでに握手した。
 
9月21日の行程40.1km
 

2019年9月22日のMM化学の株主総会は、株主側が招集した総会には株数にして80%を越える多数の株主が出席(10%は病床の義邦氏が持っているので権利行使不能)。会場になった体育館はぎゅうぎゅう詰めの状況であったものの、予定通り、現在の取締役全員の解任と、丸正義月(27)を新社長、メインバンク出身者を新副社長とする、新しい取締役陣の選任が圧倒的多数による賛成で決定された。
 
懇親会では多数の株主が義月氏や、常務取締役・営業部長に就任予定の兄・義陽氏らと話したがり、ふたりも株主たちからの提案をしっかりスマホにメモしていた。
 
一方、前社長が招集した株主総会には、高縄氏本人の1人だけが出席して、自分自身を取締役として選任する決議をしたものの、こちらは当然無効である(そもそも定足数を満たしていない!)。数百人入る大会議室で1人だけでマイクを持ち議事進行?し「ご承認頂ける方は拍手を」と言って、自分ひとりで拍手したりしている様子は異様で、会場スタッフも困惑していたらしい。求めに応じて500人分の水のグラスをテーブルに置いて回ったが、無駄なことしてるなぁと思いながら作業したという。
 
株主側の総会で選任された新経営陣は当然のことながら、高縄・前々社長を特別背任罪で告訴するとともに、巨額の損害賠償請求を行う予定であると発表した。実際に大阪地検特捜部の捜査が始まると共に、社内でも“被害”を調査する組織が作られた。
 

こうしてMM化学の3ヶ月にわたる混乱は少数株主による株主総会の招集という“非常手段”により終止符を打たれたのだが、その間の遺失利益は恐らく200億円を越えるものと推測された。今期の赤字決算は免れないものと考えられ、会社は今期は中間配当を行わないことを発表した。しかし株価は一時は60円まで落ちていたのが取り敢えず500円まで回復した(6月の時点では3000円だった)。
 
経営陣が刷新されたことから、メインバンクが融資をおこない、9月25日の給料日には、きちんと9月分の給料が支払われるとともに、本来は7月上旬に支払われるはずだったボーナスが普段よりは少ない額ながらも支給され、社員の間から歓声があがった。今回はストライキ期間中に会社を支えてくれた非正規の社員たちにも金一封が配られ、彼らも大いに報われた。
 
それでバスケ部員たちも貴司から借りていたお金を完済することができたのである。そして部員たちは気持ち良く、MM化学バスケ部最後のリーグ戦に参戦することができた。
 

「会社の株を社員持ち株会で8.5単元(=850株)相当持っていたんだけど、株価が下がって含み損が200万ちょっと出てる」
と貴司は情けない声で言った。
 
「ああ、社員さんはみんな大変だろうね。それで上がり相場でいくら儲けた?」
と千里は訊いた。
 
「儲け?どうやって儲けが出るわけ?」
 
「だって60円の段階で10万株600万円くらい買っておいたら、今の相場でも5000万円、たぶん来年くらいには1億円か2億円くらいになるよ」
 
「600万も買うお金無いよ!」
「じゃいくら買ったの?」
「買ってないけど」
 
「もったいない!私だって50万株3000万円買っておいたから、今既に2億5千万円になっているのに」
「ひぇー!」
 
「この相場で儲けた人多いと思うけどなあ」
と千里(千里2)は平然とした顔で言った。
 
(千里3は理性派なので、こういう博打のような相場には手を出さない)
 

青葉は玲羅の結婚式の後、9月15日に北海道から高岡に戻ってきたが、翌日9月16日に神谷内さんから依頼された2ヶ所の“幽霊が出る”というスポットに行ってみることにした。
 
最初に行ったのが真珠から伝えられたX町のZZ集落にある集会所である。
 
神谷内さん、森下カメラマン、AD兼レポーターの幸花、“金沢ドイル”青葉、“霊界アシスタント”明恵、“霊界サポーター”真珠という6人でいつものエスティマに乗り、赴いた。
 
「あ、彼岸花がきれい」
と幸花が言った。
 
「彼岸花なんですか?白い彼岸花って初めて見た」
と明恵が言う。
 
「白曼珠沙華(しろ・まんじゅしゃげ)という品種らしい。彼岸花つまり曼珠沙華の近隣種らしいですよ」
と真珠が言う。
 
「親戚なのか!」
「金沢の香林寺というところが、この白曼珠沙華の名所らしいですよ」
「それは知らなかった!」
「そこも取材に行ってみたいね」
 

青葉たちは集会所の管理人さんの案内で、建物の周囲を一周し、その後、中にも入ってみた。青葉は風水羅盤を持って方角を確認しながら見て回った。建物は8間×4間くらいの大きさである。玄関を入って右手に建物の半分を占める集会室があり、左手にはトイレ、給湯室、事務室、玄関正面に和室小部屋(控室や更衣室として使用)があるという構造である。
 
「この給湯室に幽霊が出るんですか?」
「よく分かりますね!」
 
「これは明恵ちゃんも分かるでしょ?」
と青葉は言った。
「まあ分かりますね、これだけハッキリしていたら」
と明恵が言うが、真珠も頷いているので、ある程度霊感のある人には分かってしまうだろうなと青葉は思った。
 
「お湯を沸かしている時に後ろから肩をトントンとされたので振り向いたら誰もいなかったとか、給湯室に入ってきて誰か居る気がしたので声を掛けたものの、よく見たら誰も居なかったとか、その手の話が結構あるんですよ。だからここを使う時、女たちは必ず2人で入るようにしているそうです」
と管理人さんが言う。
 
「問題は対策だよね?」
「これ多分、祓ってもまた来ちゃう」
「方位か何かの問題?」
と幸花が訊く。
 
青葉は少し目を瞑っていたが手を伸ばして言った。
 
「こちらの方角にお墓がありますよね」
「よく分かりますね!そちらにうちの集落の墓地があるんですよ。そこから来ているんですか?」
 
「そうだと思います。それで生前親しかった人を見ると肩でも叩きたくなるんでしょうね。無害だと思います」
 
「なるほどー。次はあんたの番だよとか言われているんじゃないですよね?」
「それはないです。ただ声を掛けやすいタイプの人がよく見るかも知れません」
「なるほどー」
 
「ただ、無関係の浮遊霊が来る場合もあるし、何か対策した方がいいけど、どうしようかな?」
と青葉は言うと、台所と反対側の隅になる、集会室の隅の所まで行く。お墓はその方角にあるのである。
 
「ここは何か取り付けた跡がありますね」
 
「ああ、そこには小さな三角棚が取り付けてあったんですよ。でも唐突に棚があるから、ぶつかる人があって、危ないかもというので取り外したんです。あっ」
 
「それを取り外した後ではありませんか?幽霊を見るようになったのは」
「確かにそんな気がします」
「棚には何か載ってました?」
「お大師さんの人形が・・・それを持って来た方がいいですか?」
「その人形あります?」
「確か和室の押し入れに」
 
といって管理人さんは探し出してくれた。
 
「あの場所に棚を作ってこの人形を後ろ向きに置いておけば幽霊は来なくなりますよ」
「そうです!後ろ向きに置いてありました。なんで後ろ向きなんだろう?ってみんな言ってたんですよ」
 
「でもここに棚を作ったら、また人がぶつからない?」
と幸花が言う。
 
「そうですね。棚(たな)の前に柵(さく)でも立てましょうか」
と青葉。
「ベビーガードみたいなの置いたらどうかな?」
と明恵。
「その方がぶつかった時に痛くないかもね」
 
神谷内さんが可能なら9月27日(金)の放送に間に合わせたいと言ったので、管理人さんは工作の得意な人に頼んで、その週の内に棚を作ってもらい、本当にその前にプラスチック製のベビーガード(子供の居る家で使っていたものがあったのを持って来てくれた)を置いた。その様子をすぐ取材して放送に間に合わせた。それで本当に幽霊が出なくなるかは後日検証することにした。
 

青葉たちは、X町ZZ集会所の幽霊の件の取材が午前中に終わり、続いて津幡町に移動してアルプラザ津幡でお昼を取った後、町内の山中にある、スポーツセンターを建てかけて放置した所に行ってみた。
 
放送局では、不法侵入にならないように、この物件の権利関係を調べてみた。すると、この土地は融資をした銀行が担保権に基づき差し押さえを行い、競売を申し立て、裁判所の公告を経て、銀行自身が自己競落していた。落札価格は融資額と等しい8億円である。
 
なお自己競落の場合、8億円で落札した銀行は、落札額を競売配当金として受け取ることになるので、実際には“差引納付”により、一切の現金の受け渡し無し(見せ金も不要)、ゼロ円でこの土地を自己の所有物とすることができる!
 
それなら競売などせずにそのまま自分の物にできないのかというと、それが法律上できないので、わざわざ競売の手続きを取るのである。この場合、誰かが融資額より大きな金額、例えば10億円で落札したら、銀行はその差額2億円の利益を得ることができるので、融資額いっぱいの価格で入札するのが普通である。もし融資額より少ない金額、例えば5億円で入札した時、誰かが例えば6億円の入札をしていたら、銀行は6億円しか受け取れず、差額2億円の損失が発生することになる。だから融資額未満での入札はあり得ない。
 
そういう訳で、この物件は銀行の所有物になっていたので、放送局が銀行に取材を申し入れた所、許可が出た。銀行としてはテレビで放送されて話題になることで、どこかのデベロッパーが興味を持ってくれると、という期待で取材を許可したようである。
 

当日は取り付け道路の所で、取材陣が銀行の担当者(支店長さんと不動産部長さん)と落ち合い、銀行の人の車に先導されて、中に入った。
 
「これは酷い」
と最初に言ったのは神谷内さんだった!
 
「ドイルさん、応急処置とかできない?これ車を降りたくない」
「ちょっと待って下さい」
 
と言って青葉は千里1に電話をした!
 
千里1はお遍路の最中でその入口にあたる“阿波十里十寺”を回っていた所であったが、話を聞くと
 
「了解、了解」
と言った。そして青葉のスマホを通して“何か”が数体やってくるのを感じる。青葉は思わず腕を伸ばしてスマホを自分の身体から離した。明恵も気配を感じたようで驚いている。真珠はよく分からないようだが緊張している。幸花は何だろう?という顔をしている。神谷内さんは森下カメラマンに「これしっかり撮しといて」と言った。
 
(一応取り付け道路の入口で銀行の人と落ち合った所からずっと撮影している)
 
やってきた“何か”はそのあたりを飛び回って?雑霊を大掃除してくれているようである。ものの5分で!取り敢えずの“クリーニング”が終わったようで、作業をしてくれた“何か”は、またスマホを通して千里1の元へ戻って行った。
 
青葉の《珠》でも浄化できないことはないが、面積が広いので、こんな所を浄化したら、その後しばらく何もできなくなってしまう!それで多分眷属の数に余裕がある千里1に頼んだのである。
 
土地の雰囲気が急激に変わっていくので、銀行の人たちはキョロキョロしていた。
 
取材陣はその変化が完了してから車を降りた!
 
そして銀行の人たちに取り憑いてしまった霊は青葉が即祓った!!
 

青葉は言った。
 
「これは地鎮祭も何もしてないですね。いまだに山林のままという感じですよ」
「山林の中にこれだけの空き地があれば、雨水が凹地に溜まるように雑霊が溜まるでしょうね」
と明恵も言う。
 
「これは幽霊が出て当然ですね」
と真珠も言った。
 
「じゃ打つ手は無いですか?」
と不動産部長さんが尋ねる。
 
「誰かがこの土地を買って、ちゃんと地鎮祭をした上で、きちんと開発し、人が来るようになれば、自然と幽霊は出なくなります」
 
「つまり放置されているから良くないんですか!」
「放置されている空屋に虫がわいたり、野良猫が住みつくのと同じようなものですよ」
「なるほどー」
 
「現状では何らかの対策をとっても意味が無いですね」
「ああ」
 
ともかくも取材陣は放置されている“建てかけ”のスポーツセンターを見て回った。
 

土地は銀行側が所持している図面によると取り付け道路500mの先に270m×270mの土地があり、その内の北側190mほどの部分が開墾され、建物が建つ予定の部分(北側140m)は基礎工事などが行われ、一部は建物も建っているということである。南側80mの部分(↓で駐車場と書かれた部分の下半分&ゴルフ練習場と書かれた部分)は手つかずでまだ森林が残っている(木は立っているが地目は既に公園に変更済み)。
 

 
取り付け道路は幅員が8mで一応センターラインが引かれ街灯も並んでいるが、現在は通電されていない。
 
青葉はこんなに土地が余っているのに、なぜわざわざ県道から500mも入り込んだ土地を買ったのだろうと疑問を感じたので尋ねてみると、周辺の住民との話し合いで騒音が住宅地に漏れない場所として選んだものらしい。周囲の林が消音器の役割を果たすわけである。
 
「この津幡町の運動公園なんて、県道から1.3km入り込むから、大会とかで初めて訪れた人は、この道合っているのか?と不安を感じるらしいですよ」
「あ、高校の時に応援でそこ行ったことある。随分入り込みますよ」
と幸花が言っている。
 
「ただ金沢さんがおっしゃったように、県道から500mも入り込んでいるので、一度大手スーパーが出店を検討したものの諦めたんですよ」
 
「ああ、商業地としては道路から見えないと圧倒的に不利ですもんね」
 

車を駐めた少し先に、大きな楕円形(というよりスタジアム(stadium)型−別名ディスコレクタングル(discorectangle))の池がある。
 
「これ夜中に取り付け道路走って来たら、このまま池に飛び込みません?」
と幸花が言うが
 
「敷地全体のだいたい真ん中付近に噴水のある池があるといいね、というので作ったらしいですが、実は工事中にそんな事故があって、幸い死人は出なかったらしいですが、危険だということで、この柵が作られたらしいです」
 
「やはり飛び込んだ人がいたのか」
「池に飛び込んじゃった人は、命は助かったものの性別が変わっちゃったとかいう噂もあったそうですが」
 
「そういうこともあるかもね」
と明恵。
「ああ“一人転校生”ですね」
と真珠。
 
図面によると幅30m 奥行き70m ほどで、表面積は約2000m2あるらしい。中央に噴水を作り、ボート漕ぎもできるようにする予定だったらしい。
 
「だいたい道路から入って来た線からずらして作ればいいのに」
と幸花が言っている。
 
「設計が悪いですね」
 
「この池は水質が悪化していないようですね」
「どこかの川から取水しているのかな?」
「近くの通称・辺来川(へらいがわ)からの流入路と流出路が作られています。そこにある水深マークを見ると現在3mくらい水深があるようですね」
 
「深い!」
 
「水深マーカーは5mまでありますから、もっと溜められますよ。もっともボート漕ぎをするのなら、もっと低い水位で運用しないと危険ですが。あそこに階段がありますよね」
「あ、ほんとだ」
「階段自体がかなり水没していますが、この階段を降りた所にボートを留められる所を作る予定だったようですが、確認した所、特に構造物は認められませんでした」
 
「ここ、池の底に人間の死体が沈んでいたりしませんよね?」
などと幸花が言う。
 
「超音波で調べた範囲では特に変なものは沈んでいないように思われましたが、一度水を全部抜いて池干ししたほうがいいかも」
 
「池の水ぜんぶ抜く!ですね」
「そうです、そうです」
 
幸花が変なことをいうので青葉は霊的に探査してみたが、動物の死体っぽいものが数個見つかったが、人間の死体のような大きなものは見当たらない。
 

「あと、川からの取水以外に、雨水を溜める機能も作る予定だったんですよ」
「ほぉ」
 
「テニスコートや駐車場の地下に排水機能を兼ねた集水パイプが埋め込まれていて、雨が降るとそれをパイプでこの池に導いているんですよ」
「へー」
「更に建物の屋根に降った雨水も樋でここに集める予定だったらしいです」
 
「それ雨が降る度に池があふれません?」
と幸花が尋ねる。
 
「この土地の面積が72900m2で、池の面積が2000m2ですから全体の約36分の1. 仮に20mmの雨が降って、その半分を集めても水位は36cmしか上がらない計算ですね」
と部長さん。
 
「そのくらいなら大丈夫かな」
と幸花は言ったが、20mm程度の雨で設計するのはどう考えても危ないぞと青葉は思った。
 

「でも別の仕掛けもあるんですよ」
と部長さんは言うと、池のそばに立つ小屋のような建物の鍵を開け、取材陣をその小屋から下に降りる階段に案内した。灯りを点ける。
 
「これは・・・」
 
そこには唐突に大きな体育館サイズの、壁・床・天井をコンクリートで囲まれた空間があったのである。
 
「もしかして遊水池ですか?」
 
「そうです。正式には調整池というらしいんですが、実は池があふれたら自動的にここにオーバーフローした水が流れ込むようになっているんですよ。ここはちょうど駐車場の地下に作られているんです。設計書によれば、この空間は50m×250m×6mの大きさがあり、大雨の時には75000m3の水を蓄えることができるそうです。2500世帯の1ヶ月の水道使用量相当ですね。大雨が終わったらあそこに見える流水口のふたを開けると数日掛けて全ての水を流すことができます。実はここが放置されてしまった後も、大雨の度に町の職員がここに入って遊水池の水を流す作業だけ、させてもらっていたんですよ。そのため、ここだけ電気が来ているんですが、現在は作業は銀行のスタッフで引き継いでいます」
 
「つまりここは辺来川の洪水調整機能を持っているんですね」
「それを兼ねるということで取水の許可を取ったようです」
「なるほどー」
 
「しかし何気に金を掛けてませんか?」
と幸花が訊いた。
 
「開発者の社長さんは、バブル崩壊後に株を始めて、屑株が高騰したら売る手法で500億円ほどの資産を作ったらしいです。お金が余っているから、いくら掛かるかとか全く考えずに工事をさせていたらしいですね」
 
青葉はギクッとした。
 
でもこの話、ちー姉にも聞かせたいぞ!
 
「工事代金も一週間単位に、明細もチェックせず業者の請求書通りの金額を現金で払っていたから、どこの工務店も熱心に仕事していたとか」
 
「すると夜逃げで工務店はあまり被害は出てないんですね?」
「最後の付近の工事分をもらいそこねた所もあったようですが、あまり大きな金額ではなかったようです」
「だったらよかった」
 

池のそばには、バッティングセンターにする予定だった建物が建っているが、かなり傷んでいるようである。壁のコンクリートにかなりヒビが入っているし、壁に穴が空いている所もある。のぞいてみると、中も傷んでいるっぽい。
 
「誰か焚き火してますね」
「室内で焚き火とか危ないなあ」
「ひょっとして床板を剥がして燃やしたのでは?」
「燃えるんですか!?」
「まともな施設なら不燃処理しているはずですが、灯油とか掛ければ燃えるかも」
「不燃処理してなかったりして」
「もしそうなら、ここは巨大な薪(たきぎ)ですね」
 
「多分浮浪者とか暴走族とか入り込んでいたのかも」
「夜中にバリケードが外してあることがあったというのは、暴走族かも知れませんね」
「あそこ屋根にも穴が空いてますよ」
「そもそも鉄骨が曲がっている気がするんですけど」
「能登半島地震のせいかな?」
「あるいは適当な建て方していたのか」
「いやそもそも建物のサイズに比べて鉄骨の数が少なすぎる気がします」
 
「この建物は補修するよりいったん崩して建て直した方がいいかも」
 

地面が低くなっている、かなり広い領域がある。どうもメインの体育館の建設予定地だったようだ。
 
「実はこの土の下に、コンクリートの基礎が作られているんですよ。悪戯されないように土を被せてありますが、うちが競落する時点で調査した時は基礎には問題無いと判断しています」
と部長さんは説明する。
 
「これはつまり地階を作るんですね」
「地下にスパとプールを作る予定だったようです」
 
「だったら後は、かぶせている土を取り除いて、鉄骨を組み立てて屋根と壁を作るだけで済んだりして?」
と幸花。
 
「広さを変更しない場合はそれで行けますね。それに多分40億かかりますが」
「私の給料では払えないな」
と幸花が言うと、神谷内さんが笑っている。
 

「あれ〜?黄色い彼岸花だ」
と、幸花がそれを見付けて言った。
 
「これも彼岸花の近隣種かな?」
と明恵が真珠に訊く。
 
「黄色いのはたぶん鍾馗水仙(しょうきずいせん)です。これもやはり曼珠沙華の近隣種です」
と真珠。
 
「しょうき?」
「七福神の鍾馗様(しょうきさま)ですよ。花の形が鍾馗様のヒゲに似ているとかで」
と真珠が説明すると
「ああ、その鍾馗か!」
と幸花は納得していたが、これは真珠の勘違いで七福神に鍾馗様は入っていない!(*2)
 

(*2)七福神は通常、恵比寿、大黒、弁天、布袋、毘沙門、福禄寿、寿老人とされる。この中で大黒天(だいこくてん)は日本の大国様(だいこくさま)こと大国主神(おおくにぬしのかみ)と同音であることから混同され、また弁天(弁才天/弁財天)は同じ水の女神であることから宗像の神(宗像大社や厳島神社の神)市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)を長女とする三姉妹神と習合されている。毘沙門天の別名は多聞天である。
 
ただ過去に他の神が七福神に数えられたこともある。
 
吉祥天、ダルマ、などはよく入れられるが、他におたふく(御多福)&ひょっとこ、不動明王&愛染明王、鍾馗(しょうき)、白髭明神、宇賀神などが入れられたこともあるらしい。
 
だから真珠の発言は誤りとは言えないが、実際には“ミステリーハンター”真珠は七福神が普通、恵比寿・大黒・弁天・布袋・毘沙門・福禄寿・寿老人であることを知っており、この発言は単純な勘違いである。またこの時は、同様の知識があるはずの明恵も間違いに気付かなかった。青葉は気付いたが、話の腰を折るので訂正しなかった。そこで放送時には真珠の「勘違いしてました。ごめんなさい」という謝罪シーンが挿入されることになる。
 

「実は白曼珠沙華は、赤い曼珠沙華と鍾馗水仙のハーフではないかという説もあるんですよ」
 
「ああ、赤い曼珠沙華の花粉が鍾馗水仙に雌蘂(めしべ)について種ができたみたいな?」
 
「それが困ったことに、曼珠沙華って不稔性(ふねんせい)で、種を作らないんです」
「え?そうなの?」
 
「曼珠沙華って、毒々しいまでの美しさがありますよね。それで子供を作れないから、私は男の娘みたいだって、よく思ってました」
と真珠が言う。
 
男の娘であった真珠が言うと、この言葉は重く感じられた。性別を超えて生きようとする人は、それと引き替えに子孫を作る能力を放棄している。
 
もっとも真珠も明恵も女としての生殖能力を獲得してしまったようだが!(2人とも8月中旬に初めての生理、9月中旬に2度目の生理が来たらしい)
 
「でも種を作れないなら、どうやって増えるの?」
「球根を作って増えるんです」
「ああ!」
 
「球根から発芽してできた個体は元の植物のクローンなんですよね。だから実は日本に存在する曼珠沙華は全て同一のルーツを持つクローンなのではという説もあるんですよ」
 
「日本のミジンコが全部4個体のクローンなのではという説みたいな」
「そうです、そうです。彼岸花も、ひょっとしたら1個だけではなくて、2〜3個体のクローンかも知れないけど、調査するのは大変でしょうね」
「まあミジンコの場合もよく調べたね」
 
ミジンコの場合は全国300の湖沼でミジンコを集め、遺伝子的に同一な4種類しか存在しないという結論に達している。
 
「でも不稔性ならどうやってハーフができた訳?」
「謎ですね。男の娘同士で子供が作れるか?みたいな話かも」
 
「作れないことはないけど難しい」
と青葉が言ったので
「作れるの!?」
と幸花が驚いて言った。
 
「カエルだったかではオス同士の子供を作る実験が成功していたはず。後でやり方を説明するよ」
 
「ちょっと興味あるなあ」
と明恵も言っていた。
 
(物凄く大雑把に言うと、母親にしたいオスのクローンでメスになる個体を作り、その個体が作った卵子と、父親にしたいオスの精子を掛け合わせる。ごく低確率で発生する“コピーエラー”を利用して、性別の違うクローンを作るというのがミソである)
 

「だけど彼岸花って毒花でしょ?なんでこんな身近にたくさん咲いているんだろうね。セイタカアワダチソウみたいに駆除しようみたいな話も起きないし」
と唐突に幸花が言った。
 
これは青葉が知っていた。
 
「毒花を水田の周囲に植えることで、ネズミやモグラを水田に近寄らせないようにしていたんだよ」
 
「あぁ!」
 
「だから山中に唐突に彼岸花が咲いているような場所は、たぶん昔は水田があった所」
「へー」
 
「更に彼岸花の毒って水溶性なんだよね」
「うん?」
「だから毒抜きが可能。それで飢饉の時は、実は非常食にもなるんだよ」
「へー!」
「これ毒抜きの方法は難しいから素人が適当にやると、1度食べただけでは死ななくても、体内に毒が蓄積して数回食べた所で死ぬこともあるから」
 
「怖い!」
 
「だから食べることが可能だからといって、素人はやってみない方がいい」
「なんか推理小説のトリックに使えそう。1回では死なないけど、毎日食べさせていたら、やがて死ぬみたいな」
 

明恵が言った。
 
「ネズミとかモグラ除けに使えるなら、幽霊除けには使えませんかね?」
 
「幽霊はモグラとは違うと思うが」
と幸花。
 
「いや、この土地を使うなら、多少の魔除けにはなりますよ」
「ああこの敷地の周囲をずらっと、赤・黄・白の彼岸花で囲むときれいかもね」
 
「それは実際に害虫除けにもなるかもね。現代ではマムシ除け・ムカデ除けとかの忌避剤を撒くけど、ニガウリを虫除けに使っている所とかもあるよね?彼岸花も害虫除けに使えるし、やり方によっては幽霊除けにも利用できると思う」
と青葉。
 
「幽霊にも利くんだ?」
「やり方次第。これは秘伝の方法がある。実は別の所で、アテの木を使って結界を作ったことあるんだけど、彼岸花も使えると思う」
 
「それやりましょう!」
と幸花が言うが
 
「他人の土地で勝手なことはできないよ!」
と青葉は言った。
 

「いっそテレビ局でここの土地を買って〒〒テレビ・スポーツセンターとかにするとかは?人が出入りしていれば幽霊も寄りつかないんでしょ?」
と幸花が言う。
 
「さすがにうちの番組の予算で7億は出ない」
と神谷内さんは言ったが、放送した時に、さりげなく値切っていると言われた!(実際には勘違いだったらしい)
 
「ドイルさんなら買えません?ドイルさんって結構な資産家でしょ?毎年数億円の税金を払っているとか」
と幸花が言う。
 
「そういうこと、テレビで言わないでよぉ」
と青葉は文句を言うが、支店長さんが(多分半分冗談で)
 
「遊休地ですし、お安くしますよ。7億円でもいいから、お買いになりません?消費税増税前に」
などと言う。
 
「それあと3日しか無いじゃないですか!」
と青葉。これは9月27日放送という前提で発言している。実際に取材しているのは9月16日である。
 
「確かに7億円の2%は140万円もあるから大きいですよね(*3)」
と幸花。
 
(*3)幸花は計算間違いしている。7億円の2%は1400万円である。これも放送時に幸花の謝罪シーンが挿入された。
 

「これ買って何か建てる場合、町側の認可とか必要なんですか?」
と神谷内さんが訊く。
 
「開発許可は必要でしょうけど、ラブホテルとか建てるんじゃなかったら認可出ますよ」
と不動産部長さん。
 
「さあさあ、ドイルさん、買いますか?買いませんか?」
と幸花。
 
何か既に『霊界探訪』ではなく『有吉ゼミ』になっている!
 

「ドイルさん、筮竹(ぜいちく)で易でも立ててみては?」
と明恵が言う。
 
「筮竹ですか〜?」
 
と言って青葉はバッグの中からスパゲティケースに入れた筮竹を取りだした。筮竹の保管と持ち運びにはスパゲティケースが良いと教えてくれたのは千里姉である。青葉は以前は布の袋に入れていたので実は折ってしまったことがあった。
 
「面白いものに入れてますね」
と真珠が興味深そうに言う。
 
「折ったりすることがなくていいよ。ちょうどサイズが合うんだよね」
と青葉は言っている。
 
筮竹を4回使用して易卦(えきか)を立ててみる(四遍筮という少し珍しいやりかた)。
 
「沢地萃(たくちすい)の天火同人(てんかどうじん)に之(い)く」
「吉ですね!」
と明恵。
 
「人が集まってきて賑わいますよ」
と真珠。
「同じ趣味の人たちが出会って新しい文化が生まれるんですね」
と明恵。
 
この2人はどうも易の少なくとも基礎知識はあるようだ。
 
誤魔化せないじゃん!
 
「買っちゃおうかな」
「おぉ!」
 
「これで幽霊は出なくなりますね」
と明恵と真珠は喜んでいるが
 
「究極の自爆営業だな」
と神谷内が言った。
 
そういう訳で、青葉はこの土地を買っちゃうことになったのである!
 
(最終的には銀行側とあらためて交渉して、取り付け道路まで含めて7億円+消費税(8%)で、756,000,000円で増税前最後の平日2019.9.30付で青葉はこの土地を購入した。7億でもいいと言っちゃった銀行の津幡支店長さんは、1億円も安くしたことを頭取から叱られたものの(まさか“お買い上げ”になるとは思いもよらない)、遊休地を処分してくれたことは褒められ金一封をもらったらしい)
 

そういう訳で、9月27日放送の『霊界探訪』は前半で裏磐梯・浄土平と浄土松公園をやり、後半にX町の集会所と津幡町のスポーツ施設・建設放置跡の幽霊処理を放送した。幽霊の処理のほうが『霊界探訪』っぽいものの、実際には浄土平や浄土松公園のヴィジュアルがかなりの反響を呼んだようである。
 
(浄土寺川ダムと射水市の浄土寺町はカットされてしまった!浄土沢と浄土山は素晴らしい景色なので、今回は尺不足で入れられないものの、次回使おうという話になった)
 
ちなみに金沢ドイルが7億円の土地を買っちゃった件については
 
「ドイルさんって、なんでお金持ちなの?高額見料で儲けているとか?」
という疑問がネットにあがるが
 
「違うよ。金沢ドイルは、本業は作曲家でアクアのプロデューサー大宮万葉。アクアの印税で儲けているんだよ」
という情報がすぐに書き込まれる。
 
「金沢ドイルが大宮万葉なのか!」
「アクアの印税は確かに凄そうだ」
「それなら7億くらいポンと出せる訳だ!」
 
ということで、金沢ドイル=大宮万葉であることが知れ渡ることになる。
 

千里1の高知(土佐)路の旅は続いていた。
 
9月22日(日)。雨はあかっているがまたいつ降り出さないとも限らないので、早く出発することにした。それで早めに朝御飯を出してもらい、おにぎりも作ってもらって、朝6時に宿を出た。高浜アリスは日和佐からの40km歩行で疲れたようで朝起きられなかったようだ。風邪は《びゃくちゃん》が治してあげたものの、洗濯してもらったお遍路衣装や、単純に干している菅傘が乾くまであと1泊したほうがいいんじゃないかなーと千里は思った。この宿、御飯の量が多いわりに宿賃は異様に安いし!
 
「白虎が風邪を治したから、俺はあそこを直してやろうか?」
と《こうちゃん》が言ったが
「よけいな親切はしないように」
と千里(千里1)は釘を刺しておいた。
 
もっとも千里は昨夜アリスと“握手”したので、彼女はきっと朝起きたら仰天するだろう。《こうちゃん》は千里1の暴走を知ってて、何も停めようとせずに、むしろ性別の怪しい人と握手するように仕向けている感もある。
 
おかげでこの年“お遍路すると性別が変わる”という噂がトランスの人の間で流れ、翌年春の季節のよい時期に大量のGIDお遍路が発生することを千里1は知るよしもない!
 

 
さて千里1は、まず民宿から6時間歩いて室戸岬の近くまで来る。そして24番・最御崎寺(ほつ・みさきじ)にお参りする。
 
昨日歩いた分と合わせて75kmになる。東京から小田原までが83kmであることを考えるとこの距離の凄さが分かる。この距離を千里は1泊2日で歩いたが、スポーツ選手でもあり、毎日100km歩く修行(但し持ち物は錫杖のみ)をしている千里だからできることであり、普通の人は3日か4日掛けて歩いてもいいと思う。ここは88ヶ所を順打ちする場合、最初の遠距離間隔の場所である。
 
日和佐から室戸岬への行程は、室戸半島の東側・紀伊水道沿いの海岸をひたすら南下するルートである。この日お参りしたのは下記である。
 
36.5km(6時間)歩いて24.最御崎寺(12:00-)
6.5km(1時間)歩いて25.津照寺(13:40-)
3.8km(45分)歩いて26.金剛頂寺(15:05-)
 
読み方は、ほつみさきじ、しんしょうじ、こんごうちょうじ。
 
今回は訪れていないが、最御崎寺の近くには御蔵洞という洞窟があり、若き日の弘法大師・空海が、そこに籠もって海の音を効きながら、ただひたすら読経(虚空蔵求聞持法)に明け暮れた。そのとき彼が念じていたのは自然と一体となることで「わが心空の如くあれ、わが心海の如くあれ」といったものであった。
 
ここから空海の名前が出た。
 

最御崎寺の後は、室戸半島の西側・土佐湾沿いの海岸を北西に歩いて行く。海岸沿いに少し行った所、室津港に津照寺がある。港を見下ろす小高い丘の上のお寺である。
 
これだけ歩いてきた身としては、何もわざわざ丘の上にお寺を作らなくても、浜のそばに作ってくれたら、いいのにと思ってしまう!
 
地図で見ると室津川の河口にできた三角州の港町かなと思ってしまうのだが、実は荒磯を江戸時代に藩命により、人力で開拓して人工的に作られた港である。工事は極めて難航し、工事を指揮した一木権兵衛は、自分の命を捧げるからと神に祈願して港を完成させ、完成した所で自刃したという。この丘の中腹、一木神社に祭られており、津照寺は丘の頂上付近である。
 
津照寺からは更に室戸半島西岸を北西に歩き、元(もと)の町に至る。元川の河口付近に発達した町である。そして!
 
ここから約140mの高低差(距離は約2km)を登って金剛頂寺に至る。
 
40km以上歩いてきて結構疲れている状態で最後に140mの登り道はさすがの千里にも、なかなか辛かった。
 
お参りした後は、そこの宿坊に入って休む。今日は幸いにも雨は降らなかった。
 
9月22日の行程46.8km
 

9月23日(月).
 
金剛頂寺から140mほど山道を下ってから、また室戸半島西岸を北西に進んで行く。海岸沿いに22kmほど歩いてから今日も最後に標高400mのところにある神峯寺(こうのみねじ)まで約4kmの山道を登っていく。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈って毎日この急な坂を登って神峯寺にお参りしていたと言う。
 
しかしこのお遍路の道には、精神を削るルートがたくさん仕掛けられていて、正直歩きお遍路は挫折する人がほとんどなのではという気がした。4年掛けて結願した早百合は偉いと思う。何か願い事があるのだと言っていたが、その願いは叶うのであろうか、と千里は願うような気持ちになった。
 
(その願いが既に叶い喜んでいることを千里はまだ知らない。ところで十種競技は、男子と女子で種目が1つだけ違う。ハードル走が男子は110mHだが、女子はなぜか100mHなのである。なぜ男女で違うのかは諸説ある模様)
 

神峯寺にお参りした後は、今来た山道を降りて行き、更に海岸線を37km歩いて、夕方5時頃、香南(こうなん)市の市街地に至る。今日はここで泊まり、28番札所の大日寺には明日の朝行く。
 
(同じ「こうなん」でも江南市は愛知県、香南市は高知県)
 
本日の軌跡
 
27.5km(4時間半)歩いて27.神峯寺(10:30-)
37.5km(5時間半)歩いて28.大日寺の近くの宿(17:00-)
 
9月23日の行程65.0km
 
普通の人なら神峯寺を降りた所、唐浜駅の近くで1泊した方が良いと思う。
 

2019年9月24日(火)は朝から雨だった。
 
朝から折りたたみ傘を差して大日寺までお参りに行って来た。この旅で初めての傘使用である。その後、香南市内で雨があがるのをどこかで待とうと思っていたら
 
「こちらで休んで行かれませんか?お接待ありますよ」
と声を掛けられる。それで休ませてもらったが、20人くらいのお遍路さんが休憩していた。お茶とお菓子を頂く。体力を使うので甘いお菓子はありがたい。
 
「凄くしっかりした靴履いてますね。もしかして歩きお遍路ですか?」
とライダースーツを着た30歳くらいの女性が訊いた。
 
「ええ。霊山寺(りょうぜんじ)から歩いて来ました」
「何日目ですか?」
「えっと9月16日に出発したから9日目かな」
「歩きだけで?」
「ええ」
「それ物凄い速いペースという気がする」
「私、女修験者の鑑札持っているんですよ」
 
「すごーい!」
と周囲からも声があがる。
 
「その金剛杖や鈴もその辺で売っているのとは違う気がする」
と言っている人もある。
 
「なんか握手してもらったら御利益(ごりやく)ありそう」
などと言うお婆ちゃん(夫と2人で自動車:ジムニー:でのお遍路らしい)があって、結局その場にいる全員と握手することになってしまった! ついでに納札(川島千里名義)も全員に1枚ずつ配った。
 
「月山和紙ですね。出羽の方ですか?」
と「御利益ありそう」と言った人の旦那さんっぽい人が言う。
 
「よくどこの和紙って分かりますね!出羽で鑑札を頂いたんです」
と言って千里が鑑札を見せると、写真を撮っている人までいる!
 

「じゃ、山形県にお住まいですか?」
「いえ。出羽にはたまたま関わったんですけどね。出身は北海道で、もう10年くらい関東に住んでます。千葉市で6年、東京の世田谷区に引越して4年かな」
 
「あ、私も千葉市ですよ」
とライダースーツの女性。
 
「おお、奇遇ですね」
と彼女と握手をする。
 
「そちらはバイクお遍路ですか?こないだ秩父は私もバイクで巡礼したんですけどね」
「そちらのバイクは?」
「YamahaのYZF-R25というバイクなんですが」
「私はYZF-R3だよ」
「おお、奇遇奇遇!」
と三度(みたび)彼女と握手。
 
「私はとても2ヶ月仕事休めないから、バイクで一週間、実際には金曜の晩から夜中中走って四国まで来て、土曜から日曜まで9日間やって、日曜の夜に一晩中走って帰る予定なんですが」
 
「それって、若くなきゃできない!」
という声がある。それで彼女とも握手する人があり、千里もノリで彼女と4度目の握手をした。握手のついでに彼女の納札も1枚頂いた。古庄モニカという名前である。
 
「日本人には珍しい名前ですね。ハーフさん?」
「ニューハーフさんだったりして」
「マジ?」
「冗談、冗談。ついでに両親とも日本人だよ」
「びっくりしたぁ。男の娘には見えないし」
 

10時すぎに雨があかったので各自出発する。ジムニーで回っているという老夫婦からも納札を頂いた。八重龍宮・八重響姫というお名前だったが、切り紙になっている納め札が美しかった。バイクの女性にも
「気をつけて」
と声を掛けたら
「そちらこそ気をつけて」
と言ってくれた。彼女が出発する時、再度(5度目の)握手をした。
 
この日はこの後、このような日程で進んだ。
 
宿から近くまで歩いて28大日寺(07:00)。御接待で休憩。
9.3km(80分)歩いて29国分寺(11:10)
6.9km(54分)歩いて30善楽寺(12:44)
5.7km(51分)歩いて〃安楽寺(14:05)
7.2km(63分)歩いて31竹林寺(15:38)
 
今日は香南市から南国市・高知市と歩くのだが、この付近は市街地が一体化しており、ずっと町中の遍路となった。
 
お寺の読み方はだいにちじ、こくぶんじ、ぜんらくじ、あんらくじ、ちくりんじ、である。ちなみに安楽寺は善楽寺と30番札所を争っていた所で、現在は和解して安楽寺は30番札所の奥の院ということになっている。竹林寺は、よさこい節に「坊さんカンザシ買うを見た」と歌われた坊さん(純信)が所属していた、高知市市内のお寺である(正確には竹林寺の脇坊・妙高寺の僧)。
 
むろん女装趣味があって自分でカンザシを使ったのではなく(カンザシを差す髪が無いだろ?というのが歌の意味)、彼女への贈り物として買ったものである。
 
今日は高知市内の旅館で休む。
 
9月24日の行程29.1km
 

9月25日(水).
 
今日は天気が良い。昨日までたくさん雨を降らした前線は四国を離れているようである。この日は朝6時過ぎに宿を出て、下記の札所を巡った。
 
5.7km(50分)歩いて32禅師峰寺(07:00)
7.5km(1時間)歩いて33雪蹊寺(08:40)
6.5km(1時間)歩いて34種間寺(10:10)
9.8km(100分)歩いて35清瀧寺(12:30)
13.9km(120分)歩いて36青龍寺(15:13)
 
読み方は、ぜんじぶじ、せっけいじ、たねまじ、きよたきじ、しょうりゅうじ。知らないと清瀧寺も青龍寺も「せいりゅうじ」と読んでしまいそうである。
 
竹林寺は高知市の浦戸湾の奥の方にあるのだが、禅師峰寺は海岸線近くにある。どちらも浦戸湾の東岸で、次の雪蹊寺は西岸にあるので湾を横断する浦戸大橋(1480m)を渡る。この橋の歩道部は狭いので、結構な恐怖感がある。
 
雪蹊寺から種間寺・清瀧寺へは市街地っぽい道を歩いて行くが、種間寺・清瀧寺の間で、四国第3の大河である仁淀川(によどがわ)を仁淀川大橋(633m)で越える。そして清瀧寺からは南下して海岸まで出てから宇佐大橋(645m)を越えて、横浪半島にある青龍寺に至る。この日のルートはやたらと大きな橋を越えた。
 
青龍寺の近くにある旅館に入って休んだ。
 
なおここは近くに野球で有名で、他に朝青龍や三都主などの出身校でもある明徳義塾高校がある。朝青龍という名前は実はこの青龍寺から来ている。(だから「あさしょうりゅう」と読む)
 
9月25日の行程43.4km
 

9月26日(木).
 
今日も天気が良い。今日は青龍寺の近くから次の岩本寺まで行くのだが、この青龍寺のある“横浪半島”というのは、須崎市から土佐市方面へ東に延びる半島で、その先端付近に青龍寺はある。昨日は土佐市側から宇佐大橋(1973年架橋)を越えて、半島の先端にショートカットした訳である。橋が出来る以前は、お遍路さんはここを“龍の渡し”という渡し船に乗ってお参りしていた。
 
さて、ここで岩本寺まで行く“水平距離”での最短ルートは、この横浪半島を走る“横浪スカイライン”(以前は有料道路だったが現在は無料開放)を歩いて半島の根元まで行き、それから国道56号を歩くルートである。横浪スカイラインはとても眺めが良く、お勧めと書いている人も多い。ところがこのルートの最大の問題は、その風光明媚な横浪スカイライン自体がアップダウンが激しく、疲れるだけでなく、見通しが利かないのにスピードを出す車もあって(景色が良いので多分脇見運転も多いかも)、事故の多い道だということである。
 
それで迂回になるが、宇佐大橋を戻って浦ノ内湾に沿って歩く県道23号を通るルートを使うことにする。この方が水平距離で遠くても、足に掛かる負荷では短いルートになるのである。
 
それで朝7時に旅館を出て、56kmほどのルートを歩いた。約11時間掛けて18時頃に岩本寺まで辿り着くが既に納経時間は過ぎている。お参りは明日にして宿坊に泊めてもらう。
 
9月26日の行程55.8km
 

9月27日(金).
 
朝から雨が降っているが、傘を差して37番・岩本寺(いわもとじ)にお参りする。
 
次の札所は足摺岬の近くにある38番・金剛福寺であるが、距離は80kmほどある。距離が長いので、途中黒潮町の宿で1泊することにして2日掛けて歩くことにしていた。
 
今居る場所は四万十町なのだが、この後、黒潮町、四万十市、土佐清水市と通って行く(*4)。土佐清水市には桃香の祖母・高園咲子が住んでいる。お遍路するなら、お寄りよと言われていたので、そこにも寄る予定である。
 
岩本寺でそのまま雨が止むのを待ち、お昼頃から歩き始める。そして夕方頃、黒島町の宿に到着。
 
(*4)四万十町と四万十市は別である。高知県には他にも土佐市と土佐町があり別である。四万十市と四万十町は隣接している(四万十市・四万十町・黒潮町の三市町境界点が存在する)が、土佐市と土佐町は離れている。
 
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【春花】(3)