【春花】(2)

前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6  7 
 
2019年8月31日に、アクアは小浜市特設会場(ミューズパーク)で7万人ライブをしたのだが、そのあとで川崎ゆりこ副社長から訊かれた。
 
「いよいよ高校卒業前に性転換手術を受ける?」
 
しかしアクアは即答で否定した。
「性転換はしません」
 
卒業したら忙しくなって性転換手術を受ける暇もなくなるよと、ゆりこは言ったが、アクアは自分は女の子になるつもりは無いという。それで昨年と同様にミニアルバムの制作をすることになるのだが、楽曲を揃えるのにどっちみち少し時間が掛かる。それでアクアは、運転免許を取ってくることにした。
 
9月2日(月)、学校が終わった後で、河合友里にボルボで送ってもらって都内の自動車学校に行き、普通免許(MT)コースに入校した。
 
例によって入校の際、あやうく性別女で書類を作られそうになったが、SEX:M と書かれたパスポートを提示して、ちゃんと男で作ってもらった。ちなみに入校手続きをしたのは龍虎Mである。
 
これから半月ほどは、できるだけ仕事を入れないようにしてもらい、高校の授業が終わった後、毎日自動車学校に行くことになる。本当は合宿で取りたい所なのだが、龍虎は一応高校生なので、さすがに学校を休んで自動車学校の合宿に行くわけにはいかず、通学で取ることになった。
 
なお、龍虎は既に二輪免許を持っているので学科はほとんど免除(受けるのは2時間のみ)になる。また実車もゼロから取る人より2時間短い。それで順調にいけば次の日程で免許を取得できることになる。
 
9/2-6,9-10 第1段階(7日)
9/11 仮免試験+第2段階1日目
9/12-13,17-20 第2段階2〜7日
9/24 卒業試験
9/25 運転免許センターで学科に合格すれば免許取得
 
実はその間に少し(?)だけ仕事が入っている。
 
9.07-08 北海道遠軽町へ行き『花園の秘密』のPV撮影
9.14-16 源平のロケ。富士市・沼津市など
9.21-23 奄美大島で『Hei Tiare』のPV撮影
 
アクアはもしこれ自分が性転換手術を受けていたとしても、手術の翌日とかに北海道や奄美まで行くはめになったんだろうか?などと考え、頭が痛くなった。性転換手術を受けるわけでもなく、自動車学校に行くだけなのだが、それでもこの日程はなかなかハードである。もっともアクアは3人いるので、負荷分散して何とか乗り切った。
 
このあたりは自分が3人居る便利さだよな、と龍虎は思っていた。
 

ところで青葉は大学4年生なので、卒業論文を提出しなければならない。提出期限は2020年1月13日(月)17:00である。
 
指導教官と話し合い、論文のタイトルは『ネット時代の社会的情報拡散』と決めた。論文のプロットは春から海外遠征などもしながら煮詰めており、資料もオーストラリア、フランス、イタリアなどで遠征のついでに集めてきている。
 
取り敢えず後期の頭には卒論の履修届を出した。あとは書き上げるだけだが、問題はそれをいつ書くか!であった。
 
「身体が3つ欲しい!」
などと言ったら《姫様》が
「千里と同様に3人になりたいなら分裂させてやろうか?」
などと言うので
 
2-3秒考えた上で「遠慮します」と言った!
 

9月26日(木).
 
龍虎は鮫洲運転免許試験場で学科試験に合格し、これまでの自動二輪に加えて普通免許が設定された新しい青い帯の運転免許証を手にした。
 
実は仮免試験で1回失敗したので予定より2日遅れの9/25の卒業になったので、翌日、試験場に来て、学科試験を受け、普通免許を取ったのである。
 
この後はしばらく山村や高村友香に助手席に同乗してもらって主として夜間の交通の少ない時間帯に練習することにしている。
 
練習用の車はボルボやBMWを壊したら修理代が高いから、安い車で練習したいと龍虎本人が申し出たので、和泉が「私のCR-Z(6MT)を使いなよ。BMWとかより遙かに安い」と言って貸してくれた。「安い車といっても、ヤワな車は困る」と言っていたコスモスも「まあCR-Zなら大丈夫でしょ」と言って認めてくれた。
 
これに先だって龍虎は事務所に、誓約書を提出している。内容はこのようなものである。通常のアーティストのもの(山下ルンバや桜木ワルツが提出しているもの)より、かなり厳しい。アクアが交通違反で捕まったなどというのは絶対に困るのである。へたすると事務所が潰れる。
 
・特に自分で運転する必要がある時以外はマネージャーに運転させるかタクシーなどを利用する。私用でも日曜や夜間でもいつでも山村か高村に連絡すること。
・できるだけ誰か運転経験の豊かな人に同乗してもらい単独運転は避ける。
・交通法規を厳守して運転する。
・特に速度超過には気をつける。原則として左車線を走る。後ろに車が付いていたらすぐ道を譲る。
・駐車違反厳禁。ハミ禁区間の追越厳禁。
・運転中の通話・スマホ使用厳禁。運転中のカーナビ操作厳禁。
・無理な信号通過はしない。歩行者信号の点滅で減速(ポンピングブレーキ)。
・若葉マーク期間中は都区内・大阪市内・名古屋市内の一般道路、首都高・外環道・圏央道、大阪と名古屋の都市高速は走行禁止。
・長時間運転する場合は2時間以内に1回、1時間以上の休憩をする。
・過労運転・飲酒運転はもちろん厳禁。
 
「あのぉ、運転経験の豊かな人に同乗してもらえというのであれば、その人に運転させろということになるのでは?」
とアクアが言うと、コスモス社長は
 
「つまりアクアは運転するなということね」
などと言っていた。
 
取り敢えず22時までに仕事が終わった日は高村さんか誰かに同乗してもらって運転練習することにしているが、22時までに終わる日があるか、というのは大きな疑問である。
 

アクアは2019年の夏は『ヒカルの碁・棋聖降臨』の映画を撮っていたのだが、撮影自体は8月中に終了したものの、編集その他打ち合わせで、何度か撮影を担当した大和映像に行った。ある日、打ち合わせを終えて帰ろうとしていた時に廊下で大曽根部長(肩書きは部長だが筆頭株主なので実は社長より偉い)から唐突にこんなことを訊かれた。
 
「ね、ね、アクアちゃんってさ、マジな話、男湯に入れるよね?」
 
「小学1年生の時に生きるか死ぬかというより、今死ぬか半年後に死ぬかみたいな感じの大手術を受けたんです。その手術の跡が目立ちますけど、それを気にしなければ問題ありません」
とアクアMは答えた。
 
大曽根さんは多分身体の別の場所の心配をしたのではという気もするが、アクアはそれに気づいたのか気づかなかったのか、お腹の傷のことを言った。
 
「ああ、それは平気だよ」
と大曽根さんは言った。
 
実を言うと、アクアの男子水着写真がごく少数しか無く、女子水着写真が多いのは、この傷を隠すためではという説も一部では昔からあるのである。むろんその少数の男子水着写真や、その何倍もの数がある大胆な女子ビキニ写真では、傷を堂々と曝しており、かえって手術を経験しているファン(特に女子)から「勇気を持てました」というお便りももらったりする。
 
「あの手術の後では、看護婦さんから『こんなに傷が目立つと女優さんにはなれないかもしれないけど、勉強で頑張ってね』なんて言われたんですけどね−」
 
この子“女優”になりたかったのか?と大曽根は一瞬ツッコミたくなったのを抑えて言った。
 
「だったら熱気球の操縦士の資格を11月くらいまでに取っておいてくれない?実技10時間で取れるからさ」
 
「熱気球ですか?」
「うん。詳しいことはまた後で企画書まとめて、そちらに持って行かせるね」
「はい」
 

大曽根さんが向こうに行ってしまってからアクアはコスモスに訊いた。
 
「男湯からなぜ気球になるんでしょう?」
「熱気球を使って男湯を覗きに行くとか」
「男湯を覗くんですか!?」
「だって女湯を覗いたら犯罪だし」
「男湯を覗いても犯罪だと思いますけど」
 
などとアクアはコスモスとよく分からない会話をしながら次の仕事場所に移動した。
 

「今井さんって女湯に入るの問題無かったよね?」
とその日葉月は旧知の河村監督(大和映像)から尋ねられた。
 
「へ?」
と葉月は戸惑うように声を出す。まさかお風呂に入る場面を撮影するようなドラマの話でもあるのだろうか。
 
するとこの日たまたま一緒に来ていた川崎ゆりこが言った。
「まあ今井を男湯に入れたら、事務所がBPOから叱られそうですね」
 
「だよね。なんか今井ちゃんって男の子だったような気もしたんだけど、多分別の子と勘違いしたかな」
「それはうちのアクアでは」
 
(実は男子生徒役でオーディションを受けた葉月に、君って女顔だし女子生徒役しない?と言って葉月が“女優”になるきっかけを作ったのが河村監督本人なのだが、葉月クラスの役者さんは多いので記憶が曖昧になっているのだろう)
 
「あ、そうだよね。だったらさ、11月くらいまでに熱気球の操縦免許取っておいてくれない?詳しい話はあとで企画書にまとめて、そちらの事務所に持っていくから」
「熱気球ですか?」
「実技付きの講習に10回出れば取れるらしいんだよ。講習は群馬県とかでもやってる所あったはずだから」
「へー。なんか面白そうですね」
「じゃまた」
 
と言って河村さんは行ってしまった。
 

「女湯の話と気球はどうつながるんでしょうか?」
と葉月はゆりこに尋ねた。
 
「うーん。気球で女湯を覗くとか?」
「それ犯罪なのでは?」
「女の子が覗くのなら問題無いかもね。そのまま女湯に引きずり込まれて裸に剥かれてお風呂に入るとか」
「どういう物語なんです!?」
「よく分からないけど、何か新しいドラマの話かな」
 
「ちなみにあんた実際女湯に入って問題無いよね?」
「ヌードをカメラに曝すことになるんでしょうか?」
と葉月はちょっと不安そうである。
 
「たぶんアクアのボディダブルだろうから、映像に残るのはアクアのヌードだけだよ」
「だったらいいかな。ヌードを曝すのはちょっと自信無いなと思って」
 
“嫌です”とか“恥ずかしい”ではなく“自信無い”と言うのが、さすが女優魂が身についているなと、ゆりこは思った。ヌード撮影自体はきっと平気なのだろう。
 
「でも水着姿は曝してるくせに」
「そうですけどね」
 
葉月は今年の春、タイのプーケットで撮影してきた写真集を出し、12万部も売れている。高校生でもあり着衣の写真がほとんどだが、数枚水着写真も入っている。むろん女子水着である。ビキニの写真も1枚だけ含まれていて、反響が凄かった。
 

アクアと葉月、ついでに“予備”と言われて姫路スピカまで、企画の詳細はまだ知らされないまま9月下旬から11月に掛けて群馬県の気球クラブに3人で通い、最終的には12回18時間の講習フライトを経て、ペーパーテスト・実技テストにも合格して“熱気球操縦士技能証”を取得した。
 
なお、群馬県の練習場に行く時は河合友里や緑川志穂の運転する車で行ったが(スピカも免許は持っているがアクアを乗せての運転はまだお許しが出ていない)、帰りは運転免許を取ったアクアの練習を兼ね、アクアが運転席に座り、河合や原田が助手席に座って(後部座席にスピカと葉月が並ぶ)三芳PAまでアクアが運転した。それより内側は若葉マークの間は運転禁止らしい。
 
「だけどアクアさん運転うまい気がします。乗っていて凄く楽ちん」
と葉月は言った。
 
「うん、アクアちゃんは上手いと思う。才能あるよ」
とスピカも言っている。
 
「免許取ってからあらためて首都高とかを友里さんや志穂さんの運転する車に乗って走ってたら、よくこんなにチョコマカ分岐があるのを間違えずに走れるもんだと思ったよ」
とアクアは言っていた。
 
「首都高はそれが怖いんだよ。分岐と分岐の間が短すぎるから、不慣れな人は分岐しそこねたり1つ早く分岐してしまったりして、自分の行きたい方向に行けないんだ。カーナビの案内聞いてからでは間に合わない。その前に曲がるための心の準備が必要。でもカーナビの案内ですぐ分岐すると1つ早すぎるんだよね。みんな何度か痛い目に遭ってる内にちゃんと分岐できるようになる。若葉マークの内はやめといた方が良いよ。千葉に行くつもりが中央道に乗らざるを得なくなったりするから」
 
と友里は言っている。
 
「怖そう」
「葉月ちゃんが免許取ったら練習に付き合ってあげるよ」
とアクアは言うが
「とんでもないです。アクアさん忙しいのに」
と葉月は答える。
 
「気分転換だよ」
「ああ、それは分かる気がする」
「もっともボクは事務所に提出した誓約書で誰かベテランドライバーに同乗してもらわないといけないんだけどね」
「それはアクアさんにもしものことがあったら大変ですもん」
「事故るよりお巡りさんに捕まる方が怖いけどね」
「なるほどー」
 
確かにその方が被害額が大きそうだと葉月も思った。
 

月乃岬は2019年6月22日のロックギャルコンテスト石川県大会で優勝。翌日の北陸大会でも優勝。そして7月21日の全国大会でも優勝して歌手デビューが決まった。親友の落合茜も3位ながらもハイスコアだったので、彼女はいったん研修生になるものの、来年の適当な時期にデビューということになった。芸名も決まり、月乃岬は東雲はるこ(しののめ・はるこ)、茜は町田朱美ということになった。どちらも駅名シリーズである!
 
コンテストの翌日地元に戻って学校で転出学の手続き、市役所で転出の手続きをし、23日に足立区の寮の隣り合う部屋番号の部屋に入居、その日の内に足立区役所で転入の手続き、翌7月24日には区内の中学校に行き転入学の手続きを取った。
 
岬(東雲はるこ)は研修生ではないものの、デビューまでは研修生と同様に扱われる。それで他の研修生たちと一緒に都内の提携している芸能スクールでレッスンを受けたり、また寮内の講義室で先輩や§§ミュージックと関連のあるミュージシャンなどの講義を聴いたり、あるいは自主的な歌や楽器のレッスン、それに「これは大事なこと」と言って、10代の女子の心の成長に関わる問題の講義を、心理学の専門家から受けたりした。
 
性教育もしっかり受けた!
 
が、男子の性器・性行動の話、恋愛やセックスに関する話は、みんな息を呑んでビデオ上映などを見ていた。むろん女子の性器・性行動、また性周期のことも講義では取り上げられるのだが、女性器の構造について意外に無知も子も居て「え?そうなってるんだっけ?」などという声もあがっていた。
 
「それが分からないというのは、ひょっとして君には女性性器が無いとか?」
「多分あるはず」
 
岬は自分の身体が“純正品”の女子とは少し違うので、別の意味で熱心に映像を見ていた。
 

8月4日(日).
 
寮生たちが本邸(旧紅川邸)のダイニングに集まり、がやがやと食事をしていた時、岬は急に下腹部が痛いような気がした。すると副寮母の花さん(山下ルンバ)が
「みさきちゃん、トイレ行っておいで」
と言う。
「あ、はい」
「君が席を外している間に食事誰かが食べちゃうことないから、ゆっくりしといで」
と高校生の高島瑞絵さんが言うと笑いが起きる。
 
「じゃ、ちょっと行ってきます」
と言って、岬が席を立つと
 
「ついでにプレゼント」
と言って花さんが何かポケットティッシュみたいなものを投げてよこしたので反射的に受け取り、
 
「ありがとうございます」
と言って、本邸のトイレに行った。
 

ここは個室が4つもあるので、気兼ねなく籠もっていることができる。岬は最も奥の個室に入ると、スカートをめくり、パンティを下げて便器に座る。するとあの付近から血が出ているのでギョッとする。私どうしちゃったの?どこか怪我した?と焦るが、その時、岬は初めて花さんが投げてくれたものの“正体”に気付いた。
 
そして3分くらい便器に座ったまま考えていて、やっと出血の“正体”に気付く。
 
昔読んだ漫画で変態っぽい警官が敬礼して「署長、報告します!」とか言っているシーンを岬は思い出していた。
 
でもなんで私がそうなるの??
 
取り敢えず出血をトイレットペーパーで拭き、それからしばらくぼーっとしていたら、足音がしてドアがトントンと軽くノックされる。壁をノックして
「入ってます」
と答える。
 
「私」
という声は茜である。
 
「どうしたの?」
と彼女が小声で訊く。
 
「茜、どうしよう?私、ショチョーになっちゃった」
「うーん。中学2年で所長というのは割と出世した部類かもね」
と茜は言った。
 
「取り敢えず私のパンツ適当なの1枚持って来てくんない?」
「了解了解」
 
それで茜が替えのパンティをビニール袋に入れて持って来て、上から投入してくれたので、岬はそのパンティに花さんからプレゼントされた生理用品を取り付けた(使い方は何度も“生理ごっこ”で、やったことがあるので知っている。ついでに部屋に行けば1パックある)。汚れたパンティはビニール袋の中に入れた。
 
私がパンツとだけ言ったのにビニール袋も一緒に渡してくれるって、茜すごく気が回るなあ、と岬は親友を尊敬する気持ちになった。
 
岬は次は9月1日に同様の体験をするが、この時は予め「そろそろかも」と思って最初から“おざぶ”を付けていたので、パンティを汚さなくて済んだ。
 

青葉は9月9日は小樽ラボ2階の“男子禁制エリア”に泊めてもらい、10日の飛行機(新千歳13:45-15:15富山)で高岡の自宅に戻った。
 
そして、翌11日は〒〒テレビ取材班の“浄土ツアー”に出発する。これはこのような行程で走行した。明恵たちは金沢から出発しているが、青葉は小杉ICで北陸道に乗り、呉羽PAで合流している。
 
金沢9/11 8:00 (北陸道・磐越道) 15:00 喜多方(喜多方ラーメンを食べる)
喜多方9/12 9:00(レークライン・スカイライン)15:00 高湯温泉
高湯温泉9/13 9:00 (東北道)10:30 郡山市浄土松公園 12:00 (磐越道・北陸道)19:00金沢
 
結局岩手の浄土ヶ浜は遠すぎるということで断念した。特にバイク初心者の明恵が参加していることもあり、あまり無理はしないことにした。
 
ツーリング参加者は、金沢ドイル(青葉)、吉田君、明恵、真珠の4人で、吉田君(Ninja 1000)が先頭、明恵(YZF-R25)、真珠(GSX250F)、と続き青葉(FJR1300)がしんがりを務める。神谷内さん、森下カメラマン、幸花は別途放送局のカローラフィールダーで一緒に行くことにした。運転は神谷内と幸花が交替でおこなう。
 
バイクの4人、車に乗る3人が全員インカムをつけており、常時グループ会話ができるようにしている。この会話は録音用にもう1台同じインカムを用意し、これにピックアップを付けていて全部録音しておく。このインカムは16人までグループトークできる優れものである(同時にマイクを使用できるのは6人まで)。
 
この日程は幸いにも雨が降らず、念のため用意していた雨対策の装備は使わなかった。明恵や真珠は浄土平の風景に感動し、また浄土松公園の奇岩に騒いでいた。
 
「やはり女の子たちが騒いでいる所は絵になるねえ」
と神谷内さんは言っていたが、幸花は「女の子ねぇ…」と腕を組んで微妙に悩んでいた。
 

このツアー中に青葉は、喜多方で泊まった夜、明恵と真珠から女の子の身体になってしまったことで相談を受けた。ちなみにこの日はホテル泊だったので、各個室にお風呂がある。部屋割りは、神谷内と森下、幸花と青葉、明恵と真珠、そして吉田君単独である。青葉が明恵たちの部屋に行って話を聞いた。
 
「性転換した原因は千里姉と握手したせいだと思う」
と青葉は言った。それで千里が現在“暴走中”であることを説明した。
 
「男に戻りたいなら、戻せる人を手配するけど」
と青葉は言ったが、ふたりとも
「女の子のままでいいです!」
と言った。
 
「でも原因が分かって良かった」
「実はまた突発的に男に戻っちゃわないか不安だったんです」
 
「でも千里さんと再度握手すると、また性転換しちゃうんですか?」
「性転換したら、再度千里姉と握手すればいいね」
「だったら問題ない気がする」
 
それで病院で診察を受けた上で、半陰陽ということにして性別訂正をする方向で進めることにした。ふたりとも、取り敢えず母親と話し合うと言っていた。
 
なお明恵の高機能ブレストフォームの試用は終了することになるので、青葉からその旨、高園舞耶に連絡することにした。なお青葉は明恵の代わりのモニター利用者として、ハイライト・セブンスターのヒロシ!を紹介した。彼は同棲中のフェイに唆されて最近ほぼ常時ブレストフォームを付けてはいるものの、女の子になる気は全く無いので、安心してモニターができるはずである!もっとも彼の女湯進入を幇助することになるかも知れないが!?
 

浄土ツアー2日目の高湯温泉では、明恵と真珠は青葉に連れられて女湯に入った。明恵は春の能登半島巡りでも女湯に入ったが、真珠は女湯初体験(本人の弁を信じれば)ということで結構ドキドキしていたようである。幸花はまだ2人が本当の女の子になってしまったことを知らないので
 
「あんたたち堂々と入るね。まあいいけど」
などと言っていた。実際には4人でけっこうガールズトークが盛り上がった。
 

9月13日は、浄土松公園を見た後、磐越道に戻り、磐梯山SAで磐梯山を間近に見て一緒に早めのお昼を食べた所までで青葉は一行と別れた。磐越の上り・郡山方面に乗り直すが、郡山JCTから北へ向かい、安達太良SAに入る。ここで千里2と合流することにしていたのである。実際には向こうがこちらを見付けてくれた。波動で人を見付けるというのは青葉もできるが、千里姉の方が上手いよな、といつも思う。
 
ここで再度お昼を一緒に食べてから、千里2のオーリスに同乗して北上する。青葉のバイクは『回送させておくからキーだけ貸して』というので渡しておいた。きっと明日くらいには、高岡の自宅に戻されているのだろう!
 
千里が運転する車は途中、前沢SAで短い休憩をした他は、ほぼノンストップで青森まで走り、車ごと青函フェリーに乗る。
 
青森20:30-0:20函館
 
そして函館から夜通し走り、輪厚(わっつ)PAで時間調整を兼ねて休憩仮眠する。そして朝7時頃、札幌に到着した。
 
「女の子になって便利になったことは、毎朝ヒゲを剃らなくてもいいことだと思わない?」
などと千里が言うので
「ちー姉も、私もヒゲを剃ったことはないはず」
と言うと千里は笑っていた。
 
「クロスロードのメンツでヒゲの処理をしていたのは、淳とあきらだけだろうね」
「呉羽はヒゲを剃っていたらしいよ」
「へー。あの子にヒゲって、あまり考えられないけどなあ」
 
「明恵ちゃんと真珠ちゃんもクロスロードに勧誘する?」
「明恵ちゃんはCBFに誘われて入っちゃったらしいから、たぶん真珠ちゃんもそちらに入るんじゃないかな」
「素早い!」
「フェイちゃんが勧誘したらしい」
「どこでそういう子を見付けるんだろうね」
「情報網が凄いね」
 

千里と青葉がホテルに入って行くと、ちょうどロビーで今日の花嫁(玲羅)と花婿(長内陽介)が一緒に食事をしているところだった。
 
「結婚おめでとう」
と言って、青葉の祝儀と千里2の祝儀を渡した。
 
「今着いたの?」
「そうそう。昨日の昼頃東京を出て夜通し走って来た。青葉はバイクだったから途中で拾って一緒に車で来た」
 
「千里さんは青葉さんを迎えに行ったの?」
と長内さんが不思議そうに訊くので
「そうそう。東京まで迎えに行った」
と千里2が答える。
 
「東京まで?」
と長内さんが驚くので
「姉貴は冗談がつまらない」
と玲羅が言っていた。
 
長内さんが混乱しているのは千里1が昨夜の内に来ていたからである。むろん彼は千里が3人に分裂していることは知らない。
 
千里1は桃香と一緒に、早月・由美を連れて新幹線で昨日の内に札幌に入っている。長内さんとも挨拶を交わしていたであろう。
 
経堂9/13 4:49-5:06新宿5:13-5:32東京6:32-10:53新函館北斗11:09-14:41札幌
 
おとなだけなら飛行機のほうが楽だが、子供を2人も連れて飛行機はなかなか大変である。泣いたりしないように気を紛らせてあげているだけで、大人がくたくたになる。それで新幹線を使うことにしたのだが、朝が苦手な桃香を4時に起こすのは、きっと大変だったろう。
 

千里3はこの日、9月14日から日本代表の合宿が始まっていた。しかし練習は11:45から13:15まで1時間半の休憩となる。千里3はこの時間を利用して札幌に行ってくることにした。
 
シャワーを浴びて汗を流し、まずは神戸に転送してもらい、阿倍子がまだ寝ているのをいいことに京平を連れ出す。更に姫路に転送してもらい、美映が緩菜を放置して地下のバスケット練習場で練習しているのをいいことに緩菜を連れ出す。そして千里2が用意していてくれたホテル内の部屋に転送してもらい、自身ドレスに着換えるとともに、千里2が子供たちにタキシードとドレスを着せた。しかし千里が2人並んでいるので、緩菜は悩んでいるように見えた。(緩菜はまだ封印が解けていないようで、普通の1歳の子供だった)
 
「緩菜はドレスなんだ?」
と京平が言う。
 
「京平もドレス着る?」
「ドレスも可愛いけどなあ。でもボク男の子だからタキシードでいいよ」
 
玲羅の結婚式は11:30から、祝賀会は12:30からであった。千里2は理歌に頼んで、千里1や津気子を親族控室に釘付けにしておいたので、千里3はこの結婚式と祝賀会の間の時間を利用して、花嫁控室に行った。
 
「おお、京平君、緩菜ちゃん、可愛いね」
「玲羅お姉ちゃん、すごくきれい」
と京平が言うので
「よしよし。君はちゃんと人の褒め方を知っているね」
と言って、頭なでなでされていた。
 
「甥御さん、姪御さんですか?」
と着付けをしてくれている美容師さんが訊く。
 
「そうそう。式や祝賀会の間は友人に預かってもらっているんだけどね」
と千里3は答えた。
 
「あ、そうだ。これ大事な物」
と言って千里3は玲羅に祝儀袋を渡した。
 
「ありがとう。これがいちばん大事」
と玲羅も笑顔で受け取った。
 
そういう訳で、千里1、千里2,千里3は各々祝儀袋を玲羅に渡したものの、千里1は昨日桃香と一緒に玲羅と津気子だけが居る場で渡しており、千里2は今朝玲羅と長内さんだけが居る場で渡し、千里3は美容師さんだけが居る場で渡したのである。それで複数回受け取ったことに気付いた人は居なかった。
 
ちなみに名義は1番が“川島千里”、2番が“村山千里”、3番は“細川千里”であった。ふだんは2番と3番は逆の名義を使っているのだが、今回は3番が(どっちみち短時間しか滞在できない)子供たちを連れてくることにしたので、3番が細川の苗字を使用した。
 

結婚式が終わった後、千里2は桃香に声を掛けた。
 
「こちらに車を回送してもらっていたから、車で帰ろうよ」
「ああ、それがいいかも。新幹線の中で由美が泣くのが大変だった」
と桃香は言う。
 
それで桃香・千里2・早月・由美は車(オーリス)で帰宅することになる。
 
札幌9/14 20:00-24:00函館2:00(青函フェリー)5:50青森
 
子供たちを乗せているので、絶対に桃香には運転させられない。それで千里2がひとりで運転するが、このくらいの連続運転は平気である。フェリーの中ではぐっすり寝ておいた。
 
青森から東北道を下り、小坂JCTで秋田自動車道に入り、取り敢えずできている終端の大館能代空港ICまで行く。次は二ツ井白神ICからができているので、その間7kmほど国道7号を走る。秋田道に戻って河辺JCTからは日本海東北自動車道を走る(秋田道本線は河辺JCTの先は東北道の北上JCTまで行く)。
 
これがまだ象潟(きさかた)ICまでしか出来てないので、そこからまた国道7号を50kmほど走り、酒田みなとICで日本海東北自動車道に戻る。あつみ温泉ICでまた途切れているので国道7号を行く。
 
けっこう海岸に近い所を走るので景色にバラエティがあり、子供たちは随分楽しそうであった。桃香も「新幹線より車の方が子供にはいいみたい」と言っていた。
 
道の駅あつみ“しゃりん”で食事をできる所があるので昼食を取る。ここで1時間ほど休んでから出発する。
 
ちなみに今運転しているのは千里1ではなく千里2なので、桃香からのHな行為は全てシャットアウトである。
 
「そこまで殴らなくてもいいじゃん」
「猥褻犯には厳しくあたる。あまりやってると季里子ちゃんに告げ口するぞ」
「それは勘弁して〜」
 

桃香は2014年以降、千里と季里子の二股状態にある。2014年初めに季里子は名目上の夫(子供の精子提供者)であった夏樹と円満離婚(実際には季里子と夏樹は人工授精をしてもらうために婚姻届けを出しただけで、結婚の実態は全く無かった)。同年7月に千里が冬子の勧めで桃香に結婚指輪を返却し、9月に季里子が桃香の指輪を再度受け取ったので、桃香的には実は季里子が正式な奥さんで、来紗・伊鈴の“パパ”である。実は毎月(少額だが)養育費も払っている。千里が川島信次と結婚していた時期は向こうに入り浸りになっていた。
 
信次が亡くなった後で千里が茫然自失状態になっていたのには季里子も同情し、しばらく付いてあげてていいよと言ってくれたので、付いているのが実情である。季里子は早月・由美も自分の子供のように可愛がってくれる。
 
信次の一周忌(2019.7.4)が過ぎると、桃香は千里(千里1)との性的な関係が復活したものの、千里1自身は2019年5月に“巫女の力”を復活させて作曲活動に復帰し、バスケの本格的な練習も再開しているので、経堂のアパートも不在がちである。桃香はそれをいいことに季里子と半同棲になっており、あくまで千里1との関係は“つまみ食い”であって、毎晩している訳では無い。現状では千里1とセックスすると、性転換×2回してしまうのだが、さすがの桃香も毎晩性転換×2回していたら身が持たないかも!?
 
この二股状態は2019年末まで続く。
 

国道7号を40kmほど走って、朝日まほろばICから、また日本海東北自動車道に戻る。その後は、日本海東北自動車道と北陸自動車道を走って小杉ICに至り、ここで降りて高岡の桃香の実家に入った。
 
これが9月15日の20時頃である。そして千里2は桃香と早月・由美を降ろすと
「じゃ、私は四国にお遍路に行ってくるね」
と言い残して、桃香の実家を出た。
 
「御飯くらい食べて行けばいいのに。忙しい子だね」
と朋子は呆れるように言っていた。それでも「ちょっと待って」と言って、おにぎりを作って渡してくれた。
 
千里2が桃香たちを実家に置いていったのは、千里1のお遍路中、早月と由美の食事が不安だったからである!
 
なお実際には千里2は《つーちゃん》にオーリスの回送を頼んで、彼女と入れ替わりでフランス・マルセイユに移動した。朋子が作ってくれたおにぎりは千里1のリュック!の中に転送してあげた。
 

その、本当にお遍路に行く千里1は実際には飛行機で四国に移動した。
 
新千歳9/15 10:00-11:40羽田13:20-14:45徳島空港(バス)15:25徳島駅前(泊)
 
徳島駅近くの旅館に泊まり、お風呂にも入って、しっかり身体を休める。不足している写経をしていたらリュックの付近で何か音がした気がした。見ると手作りのおにぎりが5個も入っている。あれ〜?これ朋子母さんの手作りおにぎりのような気がするけど、なんでここにあるんだろう?と思う。すると《きーちゃん》が
『富山に行ってた代役さんが朋子さんからもらったのをこちらに転送した』
と説明する。
 
千里はなんで私の代役が富山に行ったんだっけ?と思ったものの、まあいいやと思い、
 
『だったらもらうね。お風呂に入ったら少しお腹すいてきた所だった。朋子母さん、いただきまーす』
 
と答えて、それを食べながら般若心経を5枚も書いた。
 

翌9月16日(祝).
 
お遍路セットを身に付ける。
 
白いお遍路ズボンに足首を守る脚絆(きゃはん=ゲートル)、上も白衣(びゃくえ)に輪袈裟。青葉から渡された金剛杖、美鳳さんからもらった五鈷鈴、愛用の藤雲石の数珠、“同行二人(どうぎょうににん)”と書かれた菅笠(すげがさ)。ここで“同行二人”というのは弘法大師と2人で歩くという意味であり、金剛杖がその弘法大師の象徴である。
 
(昔テレビドラマのラストで『同行二人と言うし2人でお遍路に行きましょう』とと言って2人で歩いて行くというシーンで終わっているものがあった。脚本家さんは同行二人の意味が分かってない!と批判されることになった。しかしその騒ぎのおかげで私はこの言葉を覚えた)
 
これに納札箱に山谷袋を持つのが標準的だが、全行程を歩くというハードな行程なので、登山用リュックにさせてもらった。リュックには防水スプレーを掛けている。リュックの中身は
 
・『四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編』(お遍路する時の最も標準的な地図)
・“川島千里”の名前を記入済みの白い納札(おさめふだ)200枚
・納経軸(完了した後康子さんにあげようと掛け軸にした)
・納経帳(番外札所のためにこれも持って行く)
・御影帳
・経本
・ろうそくと線香にライター
・昨夜までに書いた75枚の般若心経
・写経用紙と筆・墨・硯
 
といったものである。これらは全部ジップロックに入れている。その他、アクエリアスのペットボトル4本、非常食のおにぎり・カロリーメイト・ガーナチョコ、筆記具、五線紙、ティッシュ、生理用品、下着や靴下の換え、タオル、アンメルツ、オキシドールと絆創膏、葛根湯、ビニール袋多数、モバイルバッテリー3個、UQ Wifiルーター、1mのコード付き電源タップ、AC→USB×4のアダプタ、お財布など。
 
カメラが無いのは千里が撮っても絶対に写らず、持っていても無意味だからである!
 
しかし結構な重さである。リュックなのでこの重みは両肩に掛かるので良い。山谷袋(ずた袋)では片方に掛かるので辛い。一応リュック形状になるズタ袋もあるが、肩紐が細くて食い込むので素直にしっかりしたリュックにした。
 
手には手甲(てっこう)を付けるのが標準的だが、軍手にさせてもらった。また本来は裸足で歩くのが大地の恵みを得られてよいとされるが、バリバリ歩こうというので、ナイキ・エアズームのウォーキングシューズを履く。遍路道は険しい山道もあるが、9割が舗装路なので、トレッキングシューズよりウォーキングシューズの方が良いという意見が多い。交換用のインソールも用意しているし、厚手の靴下も多数用意している。基本的に靴下は1日1足履き潰すつもりである。軍手も適度に交換する。
 

徳島駅からJRで板東駅まで移動する。
 
(坂東市は茨城県だが、板東駅は徳島県。偏が土偏と木偏の違いがある)
 
そこから700mほど歩いて1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)に到達する。いよいよ四国お遍路1130km(280里)の旅に出発である。
 
門前で合掌一礼して中に入る。水屋で手と口を清め、鐘を撞いてから本堂に行く。自分の名前を書いた納札を納め、ろうそく・線香をあげる。お賽銭を入れて合掌し、納経する。それで終わりかなと思ったのだが、ここで他の人の行動を見ていて、大師堂にも行って同じことをしなければならないことに気付く!
 
それで大師堂に行き、納札を納め、ろうそく・線香をあげて、お賽銭を入れ合掌する。そして納経する。ここで納経軸に墨書・御朱印を受け、御影を頂く。それでお寺を出て、門の所で合掌一礼する。
 
「でもこれなら1ヶ所につき写経が2枚いるじゃない!」
と思わず千里は声に出した。
 
千里は昨夜までに75枚の写経を書いていたのでこれで88ヶ所の内8割くらい行けると思っていたのに、前半にも届かない!
 
そういう訳で千里はこの後、毎日4枚くらいずつ般若心経を書くハメになるのである。
 

この日は下記の札所を巡った。
 
板東駅から
0.7km(_6分)歩いて1霊山寺(07:36)
1.3km(11分)歩いて2極楽寺(08:50)
2.7km(26分)歩いて3金泉寺(10:00)
5.0km(43分)歩いて4大日寺(11:30)ここでお昼。
2.0km(17分)歩いて5地蔵寺(12:30)
5.0km(46分)歩いて6安楽寺(14:03)
1.2km(_9分)歩いて7十楽寺(14:53)
4.0km(34分)歩いて8熊谷寺(16:13)
2.7km(26分)歩いて宿泊場所の予定が・・・
 
お寺の名前の読み方は、りょうぜんじ、ごくらくじ、こんせんじ、だいにちじ、じぞうじ、あんらくじ、じゅうらくじ、くまだにじ、である。霊山寺は有名なのに、わりと読み間違えられている。
 
お遍路道は最初、鳴門市から吉野川沿いに川上へ西行する。この付近は札所と札所の間隔も短く、比較的易しい道である。
 
熊谷寺をお参りし終わったのが16時半。納経締め切り時間の30分前である。
 
その後2.7km(26分)歩いて次の札所の近くまで行き、その近所にあったホテルに泊まるつもりだったのだが、この日は満室だと言われた。
 
ありゃ困ったなと思ったのだが、声を掛けてくる年配の女性が居る。
 
「よかったらうちにお泊まりになりませんか?お接待しますよ」
「ほんとですか?助かります」
 
ということで、善意に甘えることにした。
 
9/16の行程24.6km
 

結局その晩はその女性の家に千里を含めて3人の女性が泊めてもらった。全員歩きお遍路である。1人は女子大生、もうひとりは40代の女性だった。女子大生は1年に1国ずつ歩いてきたということで、香川から始めて愛媛、高知ときて、4年目の今年は徳島路を歩いて、これで結願になる予定ということだった。
 
「実際50日もバイトもせずに歩くだけのお金がないので」
「普通そうですよね!」
「8月はずっとバイトしてて、その資金で今年も四国に来ました」
「どちらの方?言葉は九州っぽい気がする」
「佐賀県の呼子(よぶこ)ってところなんですよ。大学は福岡市ですが」
「朝市で有名なところですね」
「そうなんです!」
 
40代の女性は大病をして3年近く入院した末、特効薬が開発され、おかげで完治して退院することができたということだった。
 
「みんな、病み上がりで大丈夫?とか言ったんですけどね。3年間死の恐怖に隣り合わせで病院のベッドで過ごした体験が、私にお遍路に向かわせたんです」
 
「精神が削られる時間ですね、それ」
「最初は早く退院したいとか、考えていたんだけど、だんだん無気力になってしまって。考え方がどんどんネガティブになっていったんです。私いつ死ぬのかな。死ぬ時って苦しいのかな、とか。だからこれは再出発の旅なんですよ」
 
「人生100年です。まだ半分以上残ってますよ。頑張りましょう」
 
彼女は裸足で歩いているということだった。
 

 
千里が結婚して3ヶ月で夫が事故死して、数ヶ月茫然自失の状態で過ごしたこと、忘れ形見の子供が生まれたことから頑張らなきゃと思い直して、既に坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所をやって、仕上げにお遍路をしようと思っていると言うと
 
「ほんとにそれはショックですね」
とみんな同情してくれた。
 
「結婚して3ヶ月なんていちばん幸せな時期なのに」
「でも子供がいるのなら頑張らなきゃね」
 
「そのお子さんは?」
「友だちに預けてきました。西国33ヶ所は車で回ったから連れていたんですけどね。四国は歩くことにしたから、さすがに0歳児には無理だし」
「いや、西国33ヶ所もけっこう赤ちゃんには辛いですよ」
「お乳が出るように水分取らないといけないけど、水分取り過ぎるとトイレが辛いし」
「それは切実よね!」
「男の人だとその辺でしちゃうんだろうけど」
「女はそうはいかないもんね」
 

その夜は般若心経を30分で1枚、6枚書いてから寝た。お手本を見ずに書いているので“写経”ではなく純粋な“筆経”では?と《こうちゃん》が突っ込むと『心の中の経本を見ながら書いているんだよ』と千里1が言ったので『うーん』と彼は悩んでいた。
 
翌9月17日(火)。朝御飯を頂き、よくよく御礼を言い「南無大師遍照金剛」と唱えて(本当は最初に声を掛けられた時に唱える)納札も渡してから7時に出発する。女子大生の早百合とは同時出発になった。何となく一緒に歩き出す。この段階ではペースが違うだろうから、その内バラバラになるだろうと思っていた。
 
彼女はヨネックスのウォーキングシューズを履いていた。出発前にアンメルツを塗っていた。40代の女性は体力が微妙なようで少し遅めの出発にしたようである。
 
この日は出発点近くの9番札所・法輪寺に行った後、
 
3.8km(35分)歩いて10切幡寺(08:00)
9.3km(1時間20分)歩いて11藤井寺(09:50)
12.9km(4時間半)歩いて12焼山寺(14:50)
1.0km(20分)歩いて杖杉庵(16:20)
4.0km(1時間)歩いて宿泊(17:50)
 
と進んだ。読み方は、ほうりんじ、きりはたじ、ふじいでら、しょうさんじ、じょうしんあん、である。焼山寺は、つい訓読みしてしまいがちだがお寺の名前は一般に音読みが多い。
 

藤井寺から焼山寺(標高700m!)に至る途中で小休憩してお昼にしたが、早百合は千里の速いピッチにしっかり付いてきた。この藤井寺から焼山に至る道はアップダウンが大きく、お遍路随一の難所である。
 
400mほど登って長戸庵
アップダウンを繰り返して柳水庵
100mほど下った後300mほど登って浄蓮庵
300m降りた後、急な山道を200m登って焼山寺
 
下ってまた登るというのが物凄く精神的に削られる。この道は物理的な体力消耗も激しいが、実は精神力も試される場所で、たぶんこの途中でギブアップする人も多いのではと思われた。ちなみに途中の柳水庵は非常時には宿泊も可能である。この道を歩いてきた人は柳水庵・浄蓮庵の納経印を焼山寺で頂くことができる。
 
千里たちはかなり速いペースで4時間半で歩ききっているが、御遍路道の入口の所には「健脚5時間・平均6時間・弱足8時間」という看板が立っていた。千里は早百合に適宜おにぎり、チョコ、アクエリアスなどを渡してカロリー補給させながら歩き、彼女がアンメルツを塗ったり足をマッサージする時間待ってあげたりした。
 
「よく付いてこれるね。スポーツとかしてた?」
「中学高校の時に陸上部だった」
「それでか!一般的なウォーキング速度より1割くらい速いのに」
「速いなと思ったけど、少し昔を思い出して頑張りましたよ」
 
ずっと後から聞いたら、こんな山中で1人にはなりたくないので必死になって千里に付いていったらしい。でも彼女は陸上でロードなども走っていたせいか、下り道の歩き方が凄くうまかった。ほとんど体力を使わず重力を利用して降りていて、千里のほうが彼女の身体の使い方を学ばせてもらった。
 
「坂道は足で走るんじゃなくて、身体の重心で走るんだと言われました」
「そのお手本みたいな歩き方してる。早百合ちゃん凄いよ」
 

実際下りのペースが速かったことから“健脚”の時間より短い時間で到達できた。2人とも足底のしっかりした靴を履いているので岩面でも滑らずに済む。
 
なお彼女が持っているカメラであちこちで一緒に記念写真を撮り、後で送ってくれたので、この徳島路の写真は残ることになる。
 
焼山寺で1時間ほど休んでから、1kmほど(下り200m程度)降りた所に衛門三郎終焉の地の杖杉庵(じょうしんあん)があるので、そこまで2人で一緒に行った。しかし焼山寺道があまりに凄いので、衛門三郎ってこの山道で体力の限界を超えて亡くなったのでは?という気さえした。
 
杖杉庵まで来たのが16時半頃で、ここでお参りした後、山道4km(下り300m程度)を降りて神山町の中心部に至る。藤井寺を出る前にこの中心部付近にある旅館に予約を入れておいたので、18時頃、ここの宿屋に入った。
 
「でもほんとに早百合ちゃん、頑張ったねぇ!」
「私長距離選手だったから、筋力はないけど体力はあるから。歩く時は歩くのに必要な筋肉だけを動かしているんですよ」
 
「うんうん、そんな感じだった。長距離って5000mとか10000mとか走ってたの?」
「5000mはだいぶ走りました。10000mはまだ走ったことないんですよ。でもマラソンは2回完走してる」
「マラソン完走できるなら10000mは楽勝でしょ?」
「そう言われるんですけど、あれは全然別の競技なんですよ」
 

「ああ、そうかも。ひたすら長距離?」
 
「私、身体が柔らかいし、総合力があるとか言われて、走り高跳びとか、あと十種競技にも何度か出たことありますよ」
 
「へー。走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ、100m, 200m, 400m, 1500m とかだったっけ?」
 
「惜しいです。200mがなくて、110mハードルなんです」
「ハードルか!」
 
「でも凄いです。9個当てた人は初めてですよ。陸上やってました?」
「私はずっとバスケット部なんだよ。でも高校時代に陸上部の子と一緒にハーフマラソン走ったことはあるよ」
「すごーい!高校生でハーフ走れるって凄いですね。やはりその頃からスタミナあったんですねー」
「中学生の頃はスタミナなくて40分間走り回れなかったんだけど、高校時代にけっこうスタミナ付けたかな」
「かなり努力しましたね」
 
「明日はどうする?一緒に歩く?別行動にする?」
「よかったら付き合わせて下さい」
「じゃ、頑張ろう」
 
そういう訳で千里は徳島路はずっと彼女と一緒に歩くことになった。この日はお風呂に入った後、彼女の足をマッサージしてあげた。ついでに足の裏の内出血などを《びゃくちゃん》に治療してもらった。
 
9/17の行程34.2km(但し高低差が凄い)
 
(一般に高低差100mは水平距離1km相当と言われる。焼山寺道はアップダウンが2000m近くあるので、水平距離で34kmでも実際は50km以上の歩行に相当する)
 

翌9月18日(水)は朝7時に出発した。
 
お遍路道は焼山寺で折り返しとなり、吉野川の支流・鮎喰川(あくいがわ)に沿って川下へ東行する。
 
15.0km(3時間)歩いて13大日寺(10:00)
2.3km(20分)歩いて14常楽寺(11:00)
0.7km(6分)歩いて15国分寺(11:45)
1.8km(20分)歩いて16観音寺(12:35)
2.8km(30分)歩いて17井戸寺(13:35)
16.8km(2時間半)歩いて18恩山寺(16:40)
4.0km(29分)歩いて立江寺の宿坊(18:00)
 
読み方は、だいにちじ、じょうらくじ、こくぶんじ、かんおんじ、いどじ、おんざんじ、たつえじ、である。観音寺は、つい「かんのんじ」と読みたくなる。実は観音寺がある町の名前は「かんのんじ」である。
 
井戸寺で出発点の近くまで戻ってきてからは南行して、恩山寺・立江寺と進む。
 
焼山寺の麓から大日寺までの距離は遠いが、アップダウンがそれほどでもないので速いペースで歩くことができた。観音寺まで行った所でお昼を食べている。最後は19番札所立江寺まで辿り着いているが、納経時間が終わっているので、お参りは明日にして、ここの宿坊に入って休む。この日もお風呂から上がった後、早百合の足をマッサージ、ヒーリングしてあげた。
 
9月18日の行程43.4km
 

9月19日(木)は朝7時に立江寺でお参りした後、出発する。
 
今日の行程は「1に焼山、2にお鶴、3に太龍」と呼ばれ、お遍路中のNo2/No3難所のコラボである!鶴林寺は標高516mの山の頂上付近、太龍寺は標高600mの山の頂上付近にある。しかし千里と早百合は焼山を既に歩いているので、今日は精神的な余裕があった。
 
13.1km(3時間)歩いて20鶴林寺(10:40)
6.7km(3時間)歩いて21太龍寺(14:40)
4.0km(35分)歩いて宿(16:00)
 
読み方は、かくりんじ、たいりゅうじ。
 
鶴林寺への道は勝浦川沿いに平地を10km歩いた後で3kmの登り道、太龍寺へは400m降りてから500m登るという、また精神力を試される道である。しかし2人はこれをかなり速いペースで踏破した。鶴林寺から400m降りた所でお昼を食べてからその先を歩いている。太龍寺でお参りした後は、登って来た道を4km降りた所にある民宿に泊まった。
 
9月19日の行程23.8km(登り降りが凄い)
 

9月20日(金)は午後から雨の予報である。それで朝6時に宿を出発して歩き始める。
 
7.0km(1時間)歩いて22平等寺(07:00)
19.7km(3時間)歩いて23薬王寺(10:40)
 
読み方は、びょうどうじ、やくおうじ、と普通に読む。
 
今日のルートは山道を突っ切り、途中土佐中街道(国道195号)と交差する。薬王寺は海岸近く日和佐(ひわさ)駅のそばである。
 
この薬王寺が徳島(阿波)路最後の札所である。早百合はこれで結願となった。4年掛けて88のお寺全てをお参りした。
 
「結願(けちがん)、おめでとう」
「ありがとうございます」
 
それで千里1は早百合と握手した。
 
この後、早百合は日和佐駅からJRで板東駅まで戻り、霊山寺で満願之証をもらってから高野山に行くということだった。徳島行きが12:38なので、近くのお好み焼き屋さんで一緒にお昼を食べ、駅で彼女を見送った。
 
日和佐12:38-14:11徳島14:17-14:49板東(霊山寺)板東18:59-19:27引田19:33-20:57高松21:13-22:05岡山22:18-23:18新大阪(ネットカフェ泊!)
南海難波9/21 8:19-9:11橋本9:16-9:56極楽橋10:01-10:06高野山10:16-10:30奥の院前
 
千里は午後からは雨が降りそうなので無理をせず、日和佐のドラッグストアで下着の替え、軍手や靴下の替え、電池などを買って装備を調え、着換えや傷んだ靴下など余分な荷物は宅急便で経堂のアパートに送ってから、薬王寺の温泉に泊まった。
 
9月20日の行程26.7km
 
前頁次頁目次

1  2  3  4  5  6  7 
【春花】(2)