【春花】(4)

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9月28日(土)は午後から雨の予報だったので、朝食もパスして朝5時に出発した(おにぎりを作ってもらった)。おかげで昼13時頃、まだ雨が降り出すギリギリ前くらいに土佐清水市内の高園家に到着した。
 
9月27日の行程37.1km
9月28日の行程36.5km
 

「よく来たね」
「お遍路姿が格好いい」
 
などといって歓迎される。この家には咲子と、長男の高園山彦・珠子夫妻が住んでいるのだが、市内の別の家に住んでいる山彦の長男、高園春彦・佑子夫妻、岡山に住んでいる武石満彦・紗希夫妻(満彦は山彦の長女・秋子の長男)も来ていた。
 
「ずっと歩いてお遍路してるの?凄いね」
とみんな驚いている。
 
「その金剛杖は、この世の物ではない気がする」
と咲子が指摘する。
 
「青葉から渡されたんですけど、出所は『聞く必要ない』と言われたんですけどね」
と千里。
「この世の物ではないって、あの世の物?」
と山彦が訊く。
 
「たぶん神様の持ち物」
「なぜそんなものを青葉が持っていたんだろう?」
「私も分からないけど、お遍路はあの世とこの世の境目だから、その杖が誰かに持ってもらって四国を一周したかったのかもね」
と咲子は言った。
 
「その五鈷鈴も気になっているんだけど」
と紗希が言う。
 
「ああ、これは確かにある場所で神様から授かったものなんですよね」
「それもこの世のものではないけど、明らかに千里ちゃんを守護している。おそらくお遍路を結願した時に、千里ちゃんの物になる」
と咲子。
 

千里が高園咲子の一族と関わっているのは、元々は桃香が咲子の孫だからで、千里(千里1)は川島信次と結婚していて、まだ籍を抜いていなかったので咲子から誘われた時、結構悩んだ。しかし実は千里の祖母の村山天子と咲子が“姉妹のようなもの”という関係があり、千里は京平の力を利用して天子と咲子を毎年会わせてあげている。それで今回はお邪魔することにした経緯もあった。
 
この天子と咲子の関係については、今回咲子が話してくれて、山彦・春彦や満彦たちも驚いていたようである。桃香と“結婚していた”はずが、川島信次とも結婚したことについて、何か言われるかなとも思ったのだが、その件は何も言われなかったので、ホッとした。咲子さんが何か言っておいてくれたのかなという気もした。
 

この日は早めにお風呂をもらい、夕食後はすぐに休ませてもらうことにした。でも般若心経書かなきゃなあと思って2枚だけ書いてから寝ようと思い書いていたら、紗希が満彦と一緒に
 
「お邪魔しまーす」
と言ってやってきた。
 
「みんながいる所では、聞きにくかったんだけど、桃香ちゃんとの関係はどうなっているのか、よかったら教えてくれないかなと思ってさ」
と紗希が言っている。
 
千里は脱力したが、まあこの2人ならいいかと思い、千里(千里1)自身が認識している内容を説明した。
 
「ああ、だったら桃香ちゃんは今は別の子と付き合っているんだ?」
 
「指輪も交換して半同棲状態になっているみたいだよ。私が茫然自失状態だったからしばらく付いててくれたけど、私もだいぶ元気になったから、もう向こうで彼女と一緒に暮らしてもいいよと言っているんだけどね。どうも半同棲というのが快適みたいで」
 
「それ浮気しやすいからでしょ?」
「そうそう。浮気はもう桃香の病気のようなものだから」
 
「そもそも桃香ちゃんと千里ちゃんって、最初から夫婦には見えなかったし」
と紗希は言っている。
 
「元々私は、桃香の妹になった青葉のもう1人の姉という立場でここに来ていたんで、桃香の奥さんというつもりは無かったんだけどね。桃香が適当にしゃべっていたんで誤解を招いていた感じで」
 
「ああ、そんな気はしていたよ」
 
「まあ桃香と何度かセックスしたことは否定しないけど、恋愛関係がある訳ではない。私の見解では」
 
「桃香の見解はまた違う気もするが」
と言って紗希は苦笑している。
 
「まあいいけどね」
と千里も苦笑しながら言った。
 

「そちらの2人は紗希ちゃんが旦那さんで、満彦さんが奥さんだよね?」
と千里は尋ねる。
 
「そうだよ。うちの中ではみっちゃんは完全女装で、スカート穿いてる。セックスでも私が男役、みっちゃんは女役だし」
と紗希。
 
「ボクは主婦みたいなのするのに憧れていたし。強い女の子が好きだったんだよね」
と満彦。
 
「満彦さんはMTF?」
 
「そのつもりは無かったんだけど」
と言って満彦は頭を掻いている。
 
「いや、実は色々ご奉仕させたご褒美に女性ホルモン打ってたら、すっかり女性化してしまって」
と紗希も頭を掻きながら言っている。
 
「実は男性機能が消失しちゃって。おっぱいが今Bカップくらいあってブラジャーつけてないと胸が揺れて痛いし。あれはもう立たないし、射精もできないんだよ。そもそも短くなっている気がするし、タマも少し小さくなってきた気がする」
と満彦は言っている。
 
「足の毛も顔の毛も全部脱毛しちゃったし」
「顔や足のむだ毛を剃らなくてよくなったのは便利」
「喉仏も無いよね?」
「うん。削っちゃった」
 
「だったら女として生きて行くの?」
「その覚悟ができなくて」
と満彦。
「覚悟決めたらいいのに。満代(みつよ)って名前も付けてあげたのに」
 
「会社とかどうしてるんですか?」
「グレーとかのシャツをワイシャツの下に着て誤魔化している」
「健康診断は?」
「サボッてる」
「トイレは?」
「実はもう立ってできなくなっちゃったから、いつも個室」
「まあ立ってはできないような下着をつけてるのもあるよね」
「うん。ガードルしてたら立って出来ない」
 
「それ他の社員にはバレているのでは?」
「うん。バレてる。女子社員たちがボクを“仲間”とみなしてる感じで」
「ああ」
「おやつとか食べに行くのに誘われるんだよねー。男子社員から飲みに誘われることは無くなったし。最近お茶入れのローテーションに組み込まれちゃったし」
 
「既に女子社員になっている気がする」
「スカート穿いて出勤したらと唆しているんだけど」
「それは恥ずかしいよぉ」
「でも定期券は作っちゃったね」
「うん」
と言って満彦は“武石満代・性別:女”と記載された定期券を見せてくれた。
 
「おお、頑張ってるじゃん」
と言って千里は満彦、いや満代と握手した。
 
「元々女の子になりたかったんだよね?」
と千里が尋ねると
「なってもいいかなあという気はしてたけど、積極的になりたい訳ではない」
と満代(満彦)は言っているが
「もう男には戻れないし、ちょっとタイに行って、ちょっと手術してくればいいじゃん、と言っているんだけどね」
と紗希。
 
「その勇気は無い」
「ちんちん要らないんでしょ?」
「無ければ無いで何とかなるかも知れないけど、要らないとか邪魔とかは思わない」
「使ってないくせに」
 
「でも精子の冷凍保存とかしとけばよかったかなあという気はしてる」
「ああ、現状では子供作れないよね」
「そうそう。双方の親から、孫はまだできないのかって言われるけど、ボクはもう父親になる能力が無いんですよ」
と満代(満彦)。
 
「だったら満代ちゃんが母親になればいいね」
と千里が言うと、満代(満彦)は
「え〜〜!?」
と言うものの、紗希は
「賛成、賛成」
と言って、千里と握手した。
 
 

9月27日(金)の深夜(28日の0:10-1:10)に石川県ローカルで『霊界探訪・浄土編』が放送され、“霊界探偵団”ツーリングの様子と、福島県の浄土平と浄土松公園の風景が放送されるとともに、X町のZZ集会所と、津幡町の建設放置跡の幽霊対策も放送された。金沢ドイルの超自爆営業の様子も放送されたのだが、石川県ローカルだったはずが、この自爆営業の話がネットで拡散すると、それを見たいという声もあちこちで置き、28日の日中にyoutubeに(無断)転載された。このビデオは夕方には著作権侵害で削除されたものの、結構な人がこれを見たようである。
 
最初に青葉に電話して来たのは、最近ずっと東京の尾久のマンションに住んでいる感じの幡山ジャネ(彼女の住民票は金沢市)である。お昼頃であった。
 
「青葉、大きな買物したね」
「まだ契約はしてないですけど、放送した以上買わざるを得ないというか」
「あそこに何建てるの?」
「まだ、なーんにも考えてません」
 
「プールは作るよね?」
「まあ検討してもいいですけど」
「プールだけでも今年中に作ってくんない?」
「今年中にですか!?」
「そしたら私も青葉も練習できるじゃん」
「ジャネさんは郷愁プールでも練習できるのでは?」
「それだとずっと東京か埼玉にいないといけないしさ。金沢の近くに自由に使える50mプールがあれば、私実家からそこに練習に通えるもん」
 
「うーん、確かにそれはそうですが。ジャネさんがずっとこちらにいたら筒石さんが寂しがりません?」
「私は別に君康に恋愛感情は無いよ」
「そうなんですか!?」
 
「でも青葉だって、高岡プールでは、思いっきり練習できないでしょ?」
「確かに共用だから全力では泳げないんですよ」
と言いながら、私、3月で引退するつもりなのに、と思っている。
 
「だったら私たち専用のプールを作ろうよ」
「まだ設計も何もしてないので。検討はしますが」
 
「うん。全体設計は後回しにして、とりあえずプール置いちゃおうよ」
「そうですね・・・」
 

次に電話して来たのは、冬子である。16時頃のことである。
 
「青葉、霊界探偵見たよ。7億、ポンと買っちゃうなんて、気前がいいね」
「いや、うまく乗せられちゃって」
「そこに体育館建てるよね?」
「まだ設計も何もしてないので、これから考えるんですが」
 
「体育館建ててさ1万人クラスのライブができるようにしようよ」
「1万人ですか?」
「金沢も富山も大きな箱がなくて、全国ツアーやる時にいつもネックになっていたんだよね。3万人クラスでもいいよ」
 
「さすがにそれを埋められるほどの商圏は無いと思います」
「だったら1万人でもいいよ。ライブに使えるように音響・遮音ができるなら建設費半分、私が出していいからさ」
「半分ですか・・・」
 
「深川アリーナは都心に建てたから色々制約もあって58億円掛かったけど、たぶん金沢で建てたら40億円くらいで済むんじゃないかなあ。どっちみち半額は私が出すよ」
 
「済みません。少し検討してからまたお返事します」
 

そして最後に電話してきたのが千里2である(千里3はインドでアジアカップをやっている)。21時頃のことであった。
 
「ハロー青葉、面白い買物をしたねー」
「なんかジャネさんからはプール作ってねと言われて、冬子さんからは1万人入る体育館作ってねと言われたんだけど」
 
「それでバスケットと1万人ライブができて、50mプールもある体育館の構造設計ができたから、資料そちらにメールさせるね」
 
「構造設計?」
「ミューズ3を半日借りて動かしてさっきできあがった所」
 
「もうできたの!?」
「そりゃ700Tflopsのマシンだからね。音響の極大点を見付けるのに苦労したよ。一応残響可変システムで、ロックにもクラシックにも対応できるようにする」
 
「私、まだ売買契約してないんだけど?」
「あ、そうそう。建設費は播磨工務店に見積もり取ったらたぶん20億とか言ってたから、私が半額出すよ」
「冬子さんも半額出すと言ってたけど」
「じゃ、私と冬で半分ずつ出せばいいかな」
「私は?」
「地主さんということで」
 

9月29日(日).
 
千里1はこの日、足摺岬近くの金剛福寺にお参りしてから、次の札所・宿毛市(すくもし)の延光寺方面(正確にはその途中の月山方面)に向かう予定だった。しかし紗希さんが
 
「金剛福寺まで付き合っていい?」
というので、一緒に出ることにした。
 
朝6時出発である。紗希は運動能力が高いようで、千里が彼女の様子を伺いながらピッチを上げていくと、このお遍路で普通に歩いているペースまで上げても付いてきた。それで金剛福寺までの13.4kmの行程を2時間で歩ききり、8時頃到着した。金剛福寺には、満代(満彦)が車で来て、待機していた。
 
紗希は歩いている間トイレを我慢してたなどと言って、トイレに行ったのでそれを待つ。千里は歩いている内に汗で出てしまったので、今は大丈夫である。お参りしてからトイレには行くつもりである。
 
紗希がスッキリした表情でトイレから出てきたので、満代まで入れて3人でお参りし、納経軸に墨書と御朱印を頂く。紗希も持参の御朱印帳にもらっていた。
 
「へー。京都の東寺で頂いた御朱印帳ですか」
「うん。神社の御朱印集めもしてるけど、お寺のはこの御朱印帳に頂いている。西大寺のももらったよ」
と言って見せてくれた。西大寺は奈良のでは無く、裸祭で有名な岡山の方の西大寺である。
 
満代が朝御飯を持ってきてくれていたので、車の中で一緒に朝御飯を食べた。
 
「何ならこのまま次の札所まで車で送って行こうか?」
「いや、今回は歩いて回ることにしているから」
「うん。じゃ頑張ってね。握手」
と紗希が言うので、笑顔で握手した。紗希のついでに満彦とも握手した。
 
満代と紗希が車で帰っていったのを見送り、千里はトイレに行って屈伸運動をしてから出発する。
 
足摺岬から足摺半島西岸を北上し、国道321号に沿って歩き、足摺岬と並んで南側に突き出している叶崎の近くを経由するルートで大月町方面へ行く。そして大月町に入ってすぐの所にある休憩所を目印に国道321号と別れて、湾沿いの道に進む。大浦集落から山越えの道を歩き、月山神社に至る。このルートは実は空海さんでさえ見られなかったというので「見残し」というらしい。
 
この月山神社は明治の神仏分離で神社になってしまったものの、重要な番外札所である。金剛福寺を打ったお遍路は、次はこの月山を経由して次の延光寺に行くか、あるいは観自在寺を打った後、少し打ち戻って篠山(標高1065m 現在は廃寺)を越えて次の龍光寺に向かうかのどちらかをするのが、不文律とされていた。
 
愛媛県愛南町一本松に札掛という所があるが、これは篠山に行けなかったお遍路が、ここに札を掛けて篠山を遙拝し去った名残らしい。篠山に置かれていた仏像は現在篠山中腹の歓喜光寺に移されており、明治期までは観自在寺を打った人がこの歓喜光寺を打ち戻るのが一般的だったらしい。なお観自在寺には篠山の遙拝所がある。
 
現在、足摺岬の金剛福寺から宿毛市の延光寺へは、多くのお遍路が最短ルートである市野瀬・三原経由の山越えの遍路道を行くのだが(市野瀬まで打ち戻ることになる)、千里がわざわざ遠回りして海岸沿いのルートを選択したのは、この古式の流儀に従うためである。
 

さて、金剛福寺から既に40km歩いて来ているのだが、この付近には泊まれるようなところが無いので、10kmほど遍路道を歩いた所のホテルまで行った。月山にお参りしたのが15時頃で、ホテルに到着したのは17時半である。さすがに今日は疲れて最後の方はペースが落ちた。
 
この日のルート。高園家を出発してから
 
13.4km(2時間)歩いて38金剛福寺(08:00)
40.0km(5時間45分)歩いて月山神社(15:00)
10.0km(2時間)歩いてホテル(17:30)
 
9月29日の行程63.4km
 
このルートは足摺岬の近くに泊まれば50kmくらいで済むが、それでもかなりの健脚でないと辛い。千里は1日で歩いてしまっているが、実際には竜串海岸で1泊するのが良いようである。もっとも、現在、月山に寄るお遍路の多くは車の利用である。
 

9月30日(月).
 
延光寺へ向かうのだが、昨夜泊まったホテルから更に22kmほどある。つまり金剛福寺から月山ルートで延光寺へ行くと、72kmほどあることになる。これに対して多くの歩き遍路が通る市野瀬・三原ルートは50kmくらいである。普通の人の足では2日掛かるか3日掛かるかという問題になる。
 
この日千里は延光寺まで行った後、とうとう県境を越えて愛媛(伊予)路へと入り、その最初の札所である観自在寺へと進んだ。ここで延光寺から宿毛の市街地へは18kmほど西へ進むことになる。
 
(昔の篠山越えをしていた人たちは延光寺から西方の観自在寺にお参りした後、千里の今回のルートとは逆に東へ12kmほど打ち戻ってから、1065mの篠山越えの道を歩いたことになる。どう考えてもこのルートは月山に寄るルートより厳しい。多分多数の行き倒れがあったであろう)
 
この日は観自在寺でお参りし篠山を遙拝した後、観自在寺の宿坊に泊まった。
 
この日のルート
22.0km(3時間15分)歩いて39延光寺(9:15)
25.8km(4時間)歩いて40観自在寺(14:00)
 
9月30日の行程47.8km
 
増税前最後の夜は過ぎていった!
 

ところで昨日、金剛福寺まで千里と一緒に歩いた紗希は、千里と別れて満代が運転する車で少し道を戻ったのだが、10分くらい行った所で脇道に車を入れて駐めてもらった。
 
「さっちゃん、大丈夫?」
と満代が心配そうに言う。
 
「うん。大丈夫だけど30分くらい待って」
「うん」
 
実際には紗希は5分くらい苦しそうにしていたが、やがて穏やかな表情になる。そして更に5分くらいしてから、そっと手をお股の所に当てた。
 
「やった!女の子に戻ったよ」
「おめでとう」
 
「私、やはり男として生きるのは無理だとこの一晩で分かったよ」
「ボクの方は取り敢えずこのまま女でもいいかなあと思っている」
「それでいいと思うよ。法的な性別も変更する?」
「さっちゃんと離婚したくないから、それは直さなくていい」
「同性婚ができないって不便だよね」
 
「まあボクはさっちゃんが男でも愛していける自信あるけどね。でもさっちゃん、男の身体でも女子トイレ使ってたね」
「ごめーん。長年の習慣で」
 
「立ってした?」
「それはしてみた。気持ち良かった」
「ボクはもうできないなあ」
 
「最後にもう1回射精しちゃったよ。射精って凄く気持ちいい。でも女子トイレで射精するなんて、ほぼ変態だね。でも惜しいけど、やはり私は女の方がいい。咲子さんに言われたように、お遍路に付き合ったら女に戻れたし。みっちゃんも男に戻りたかったら、お遍路すればいいのかもね」
 
(紗希は性転換の原因が千里との握手であることに気付いていない)
 
「どうしても女でやっていけないと思ったらその時考えるよ。でも咲子さん、全てを見通している感じだった」
「私たちの間に子供ができない理由も知っていたし、私が昨夜男の子になっちゃったこともすぐ気が付いたし。でもみっちゃんは女の子になれて良かったのかな」
 
「うん。ボクはこれでいい気がする。びっくりしたけど、凄く調子いい。昨夜の逆転セックスも気持ち良かったし。でもさっちゃんが女の子に戻ったから、ボクたち完全なレスピアンになっちゃったね」
「たくさん可愛がってあげるよ」
 
「お手柔らかに」
「でも完全に女子になっちゃったから、会社にもスカート穿いて行く?」
「恥ずかしいよぉ」
 
「今更だと思うけどなあ」
「さて、いったん咲子さんちに戻ろうか」
「うん。さすがに13km歩いたらクタクタ。千里さんペース速いんだもん。女の身体では無理だった。男の身体だから何とかなった。でもこのままでは運転できないから、もう一晩泊めてもらって、岡山に帰るのは明日かな」
 
それで満代は車をスタートさせた。
 
(満代も千里と2回握手したのだが、現時点ではまだ女の身体のままである。理由についてはたぶん来年の夏くらいに書くことになるだろう)
 

9月29日(日)、青葉は千里2に電話した。
 
「ちー姉、あの設計書見てたんだけど、50mプールは体育館の地下1階に作って、1階床が開いたら、体育館の観客席がそのままプールの観客席になるって、面白いこと考えたね」
 
「面白いでしょ?小浜のミューズ・アリーナの床が上下するのにヒントを得たんだよ」
「面白いのはいいんだけど、それだと50mプールが使えるのは、体育館ができた後になるよね?」
 
「うーん。。。そうなるかな?」
「私、水泳は3月で引退するつもりだし、ジャネさんは4月の日本選手権に向けて練習するのに使いたいから、できるだけ早く50mプールは使えるようにしたいんだけど」
 
「だったら50mプールは観客席無しの別棟にするかな」
 
「それでいいよ。観客に見せるようなプールにしたら一般開放しないといけないでしょ?むしろ私とジャネさんだけが使うプールでいいんだよ。まあ竹下リルは呼ぼうよ、とジャネさんとは話したんだけどね」
 
「分かった。だったら50mプールは隣の別棟に移すよ。体育館の地階は何に使おうかなあ」
「トレーニング室とか、あるいはジムやダンススタジオとかでもいいんじゃない?」
 
「あ、そうだ。トイレを作り忘れていたから、たくさんトイレを作ろう。1万人入る体育館なら、トイレは便器数300くらいは最低必要だし」
 
「まさかトイレが無かったの?」
「最初140x140のサイズで作るつもりだったから、あったんだけど、若葉が半分くらいちょうだいと言うから、飲食店街とトイレをカットしたんだよね」
 
「トイレ無しでは許可降りないと思うけど」
 

それで千里姉はその日の夜遅く、正確には9月30日の午前1時頃、新たな設計書を送って来た。昨日(28日)もらった設計書とまるで違うレイアウトになっていたのでびっくりした。
 
結局、体育館とアクアリゾートの建物を並べて建てる方向にしたようである。昨日の設計書では、体育館の下にプールだったのだが、それだとプールが完成した後で体育館の工事に取りかからなければならず、完成が遅くなってしまうということのようである。別棟にすれば両方を同時に着工できる。ここで体育館は播磨工務店、アクアリゾートはムーラン建設が担当すると千里姉は言っていた。
 
なんか勝手に話を進めているし!
 
ちなみにトイレは体育館の1階・地階・2階に各々トイレユニットを6つずつ、合計18ユニット設置する設計になっていた。各ユニットは多目的トイレが4室、男子トイレに小便器28個・個室7個+オムツ交換台、女子トイレに個室39個とオムツ交換台がある。つまり便器数は男性用35個、女性用39個あり、全体では男性用630 女性用702 となる。13000人入場できる場合、基準ではトイレは男性用260 女性用390が必要で、この設置数は基準の倍くらいある。
 
「まあ同じ建物でも、2階を播磨工務店にさせて、1階と地階をムーラン建設にさせて並行作業させる手はあるんだけどね」」
 
「下の階ができてない内に、どうやって上を作るのさ?」
 
「1階と地下の工事をしている間に、別の場所で2階を組み立てておいて、1階まで完成したら2階を持って来て、ポンと置く」
 
「そんなやり方、あり〜〜?」
 
だいたい“別の場所”ってどこよ?
 
「性転換手術と豊胸手術を同時にする場合、2人の医師が上半身の豊胸手術と下半身の性転換手術を並行して進めて、おっぱい無し・ちんちんありだった人が3時間ほどでおっぱいあり・ちんちん無しの身体になれるのと同じようなものだよ」
 
「それ患者の体力がもたない気がする」
 
「でも豊胸手術で左右の胸を2人の医師が並行して手術する病院はあるよ」
「そうなの?」
 
「美容院で頭の左右を別の美容師が処理する美容院もあるじゃん。美容院も病院も似たようなものだよ」
「おっぱいと髪の毛は違う気がする」
 

2019年9月30日(月).
 
青葉はスポーツセンター建設放棄地を所有していた銀行から7億円(+消費税で756,000,000円)で買い取る売買契約書に署名捺印をして、その場で代金を振り込んだ。ちなみに青葉の振込限度額は千里の勧めで100億円にしている。
 
「確かに頂きました」
と先日現地取材に同行してくれた支店長さんが事務員が確認してくれたのを見て答えた。この日は〒〒テレビから神谷内ディレクターと石崎部長に森下カメラマン、銀行側は支店長の他に先日やはり同行してくれた不動産部長に頭取まで来ている。売買が成立した所で石崎部長と銀行の頭取が握手した(本当は石崎さんは関係無いんだけど!)。
 
「なんか普通のショッピングでもした感じですね」
と石崎部長。
「まあ7円の買物も7億円の買物も、原理的には同じですね」
と頭取さんも笑っている。
 
この様子は〒〒テレビで撮影している!
 
「ちなみに、この土地はどのように利用するか構想とかは考えられましたか?」
「はい。こちらが設計図と構造計算書です」
と言って、青葉が分厚い書類を見せると、頭取さんはびっくりしている。
 
千里姉が送って来た書類を今朝自宅のレーザープリンタ(分速30枚)で印刷して持って来たものである。
 
「もしかして、前々からここを買う気ありました?」
と不動産部長が尋ねている。
 
「いいえ。先日テレビ番組の中で買うことを決めた後で、知人の建築家に設計を依頼して、これを作ってもらったんですよ」
 
「よく半月で作りましたね!」
と頭取さんは驚いているが、実は半日で作られたものである!
 
「700TFlopsのスーパーコンピュータが自由に利用できる人なので、耐震設計とかも、ほぼオートで数分で出来ちゃうらしいです」
 
「それはかなり大手ですね!」
 
まあ大手にも色々コネがあるみたいね、と青葉は思う。
 

「ドイルさん、それ見せてよ」
と神谷内さんが言う。
 
「カメラに映さないなら」
と青葉が言うので、神谷内さんと視線で会話した森下さんがカメラを停める。
 
「これですね」
と言って頭取に渡したものと同じ物を神谷内さんにも一部渡した。
 
仮称“エグゼルシス・デ・ファイユ津幡”は体育館とプールの複合スポーツ施設とする。
 
ここでエグゼルシス(exercice)は「練習」ということで英語のエクチャサイズ(exercise)である。デ(des)はドゥレ(de les)が縮まった形で英語なら of the. そして、レファイユ (Les Feilles)は「葉」という意味で、青葉の名前から来ている。
 
ちなみに“青葉”はフランス語に直訳すると"Feuilles vertes"(緑の葉)だろう。“青葉”、“青信号”、野菜の“青物”、“青汁”など、日本語には緑色なのに青という言葉を使うものが多い。
 
なお、フランス語を使うのは、英語だとどこかの商標などとぶつかるからである!
 

 
建物の配置は結局このようになった。
 

 
青葉と千里の数回のやりとり、そして多分その間に千里と若葉さんの数回のやりとりもあって、一時はひとつの建物の中で1階プール、2階体育館といった案もあったようだが、最終的には別棟にすることになった。
 
施設は24時間使用できるようにするため、光害と騒音に留意した設計にする。体育館もプールも防音である。駐車場の周囲には抑音のためのコンクリート製の壁を設置する。これは猪などの侵入防止も兼ねる。
 
体育館部分(仮称:91Club津幡)は、東京の深川アリーナ(91Club体育館)の主要株主であるフェニックス・トラインが建設運用する。実質千里と冬子の共同運用である。千里と冬子の共同運用の体育館は深川アリーナに続き2つ目であるが、千里は個人的に、茨城県に常総ラボ、兵庫県に市川ラボ、福井県に小浜ラボを所有している。常総ラボには女装ビーツ、市川ラボには市川ドラゴンズ、小浜ラボには小浜ハルコンズというチームが常駐しているらしいが、この91Club津幡は、サブアリーナに、金沢周辺のメンバーからなる女形ズというチームが常駐することになっているらしい。
 
プール&スパ部分(仮称:津幡アクアリゾート)は、埼玉県熊谷市で郷愁アクアリゾートを運用するトレーラー・レストラン“ムーラン”が建設運用する。若葉さんがほとんどの株式を所有する会社である(千里姉と和実、若葉さんの事実上の夫である紺野さんも一部の株式を所有する)。若葉さんは株や仮想通貨の運用で得たお金を「減らしたい」という理由でムーランを運営している内に、ムーラン福島(ムーランパーク福島)、ムーラン小浜(ミューズパーク&藍小浜)、ムーラン郷愁村(郷愁アクアリゾート)なども開店、既に従業員が700人くらい(本人談)の中堅企業になっている。
 
普通の会社は“お金を増やしたい”という意図で運営されるので、ふつう経費をできるだけ節約するのだが、ムーランは“お金を減らしたい”という意図で運営されているので、本人がその気になった所にはどんどんお金を掛ける。若葉さんには、“経営者視点”がそもそも不存在で“利用者視点”しかないので、結果的に面白がったり共感したりする人が出て、お店は賑わい、本人の意図に反して、お金はどんどん増えている。
 

体育館はバスケットやバレーのコートがメインアリーナに4面、サブアリーナに2面取れて、センターコート仕様の場合で観客7000人、ステージを使ってライブ会場として使用する場合、最大13000人程度のキャパシティを持つものとする。メインアリーナを2分割して、サブアリーナと同じサイズの会場2個としても使用できるようにする。地下にはジム・スタジオ・プールにスカッシュの部屋を備えたフィットネスクラブ仕様の装備を作り、武道場も板張り仕様の部屋と畳敷きの部屋を1つずつ用意する。地下にはムーラン津幡店を設置する!また2階に体育館内を一周する460mのジョギングコースを設置する。
 
↓体育館(通常営業)

 
↓体育館(センターコート仕様/ライブの座席)

 
ここで使用している座席ブロックは“偏向型”の“移動座席”である。使わない時は“折りたたんで”コンパクトに倉庫に格納しておくことができる。実は若葉の伯母の会社が取り扱っている商品である。「若葉のお友だちなら」1階に並べるパイプ椅子と一緒にまとめて5億円でいいよと言ったらしいが、赤字にならないことを祈りたい。普段は1・2階に0度(横向き)のブロックを並べておく。
 
“スタッガード”つまり前後の列で席が互い違いになり、前列の人の頭と頭の間に座ることができるようになっているため、単純に並べたものより少し収容力が落ちる。仕様書によれば各々の収容人数は、0/90度=153人、15/75度=143人、30/60度=140人、45度=138人なので、ここから上記の図のように並べた場合、センターコート仕様のバスケの試合で7044人、全フロア使用したライブ仕様で12944人という計算になった。
 
「13000人が必要ならあと56席くらい何とかしますよ」
と向こうの人は言っていたらしいが!?
 
なお、ライブはメインアリーナのみなら8208人、メインアリーナを半分に切った会場なら3520人、という計算結果が出ている。最終的な数字は“作り込んでみないと分からない”らしい。建設時の不確定要素があるためらしい。
 
アクアリゾートの方は、プールは水泳連盟の公認が取れる基準の50m, 25mプール、および多数の遊泳用プールで構成するものとする。公認プールは深さ3mだが、遊泳用プールは1.5m以下で設計し、幼児用プールは40cmとする。遊泳用プールとスパは一体の物で共通入場券で利用できる。
 
↓アクアリゾートの予定図

 
遊泳プールの男女各々の更衣室からそのまま地下に降りると男女の浴室があり、マッサージなどのリラックスゾーンも一緒である。裸にならずに水着のままリラックスゾーンに行ってもよい。つまりプールの更衣室とスパの脱衣室が兼用になっている。これは今は亡きルネスかなざわと同じ構造である。またそのまま2階に登ると男女各々の仮眠室がある。家族などで泊まりたい人のため個室も用意されていて(仮眠室以外に)約500人の宿泊が可能。
 
プールとスパは24時間営業だが、24時間を越えて利用する場合はパスポート代わりのブレスレットの交換が必要である。ブレスレットは曜日別に色が違う(日=オレンジ、月=銀色、火=赤、水=青、木=茶、金=金色、土=緑)ので、更新していない人は一目で分かる仕様になっている。ブレスは防水のICチップを内蔵していてロッカーの鍵を兼ねるし、男女各々の専用エリアと共用エリアの間のゲートを通過するのに必要である。そのため男性客が女性専用エリアに侵入することはできない。
 
もっとも性別チェックはアバウトなので、常時女装しているような(パスしている)人には多分最初から女性用のブレスレットが発行される!
 
お店はプール内に軽食店があるほか、2階南側のゾーンにエリアを設定。このエリアには受付を通らずにアクセス可能であり、道の駅の指定を目指す。お店は夜間は閉鎖されるが、トイレや自販機は24時間利用可能。
 

「アクアリゾートは今の説明でも触れましたが、2008年に閉鎖されたルネスかなざわをお手本に考えています。あそこは運営はうまく行っていたのに運営企業自体の破綻により閉鎖されてしまって、ひじょうにもったいなかったので」
と言って、若葉が送って来た図面を見せる。
 
「なるほどー。ああいう感じのものを作る訳ですね。しかし25mプールまでは分かりますが、50mプールとか作って採算取れますか?」
 
「アクアゾーン内の25mプールはアクアリゾートに入場した人は自由に使えますし、体育館内のプールについても、もしフィットネスクラブが入店してくれた場合は、その会員さんが自由に使えるようにしますが、どちらも水深1.2mです。身長150cm未満の人は原則として利用禁止で飛び込みも禁止にします」
 
「なるほど」
 
「しかし地下の50m, 25mプールは基本的には一般開放はしません。水泳部の練習・合宿や大会などでの専用利用としますので、その時だけ水も入れて、監視員も置きます。ですから普段は使わないので費用もほとんど発生しません」
 
「ああ、それはある意味面白い。でもその時だけ水を入れてまた抜くのは、もったいない気もしますが」
 
「この図面では“臨時50mプール”と書いている所があります。これは工事中邪魔にならないよう暫定的にこの場所の地下に置きますが、工事が完了したら別の場所(どこだ?)に移動する予定なのですが、ここは実は私と少数の友人が専用で使わせてもらいます」
 
「へー!」
 
「そしてアクアゾーン地下の50mプールを使う時は、こちらの水をポンプで移動し、使い終わったらまたそのプライベートプールに戻すんですよ」
 
「それはなぜわざわざ別にするんです?ひとつのプールではいけないんですか?」
 
(普通の感覚で)数十億円かかりそうな50mプールを2個作るというのは確かに理解困難だよなと青葉も我ながら思う。頭取さんの疑問は至極当然である。
 
「友人で“足先の無いスイマー”というので随分話題にされた幡山ジャネが東京オリンピックに向けて思いっきり練習する場所が欲しいというので、作ることにしたんですが、オリンピックに向けての練習だから建物の完成を待っていられないんです。まあ私も練習には付き合いますし、他に竹下リルも誘うことにしましたが。それでオリンピックまでやって、その後はまた考えます」
 
「ちょっと待って下さい。これいつまでに作るおつもりで?」
と頭取は困惑しながら訊いている。たぶん2〜3年掛けての建設を考えていたのだろう。
 
「臨時50mプールは年末までに。他の部分は春頃までに。まあスライダーは安全基準が厳しいから夏までに使えたらいいかなという所で」
 
「そんなに早くできるんですか!?」
 
「暫定50mプールは私有地の中の工作物で所有者と友人だけがプライベートに使用するものにすぎないので、建築確認がそんなに難しくないと思われます。FRP製のプールって、工場で製造されたパーツを現地に運んで組み立てるだけだから半月もあればできるんですよ」
 
「それは知らなかった」
 
「他の部分は審査に少し掛かるかも知れませんが、建築確認が取れてから工事を始めます。これは多分11月か12月開始になるかな」
 
「なるほど。それにしても3〜4ヶ月で建ちます?」
 
「埼玉県の郷愁アクアリゾートを3ヶ月で完成させた建築会社を使いますので」
 
と青葉は明るく答えた。
 

青葉はその日の内に取り敢えず“プライベートに使用する”50mプールについて津幡町の土木課に行き、開発許可について相談したのだが、書類内容を確認した土木課の人は
「これは開発許可を取る必要はありません」
と言った。
「ああ、やはりそうですか、念のためご相談に来たのですが」
 
「開発許可が必要な案件というのは、道路や水路を設置したり移動したりして、土地の区画を変更する場合、切り土・盛り土で土地の形を変更する場合、山林を宅地にするなど土地の質を変更する場合で、この計画ではいづれにも該当しませんので、開発許可は不要です」
 
「分かりました。ありがとうございます」
 
それで青葉はその足で、今度は金沢市内の民間指定確認検査機関に行き、構造計算書やその他必要な書類を揃えて、建築確認の申請を行った。これは書類が極めてパーフェクトだった(実は大手ゼネコンに長年勤めている人?が作らせたものらしい)ので、木造民家並みに半月で許可が取れてしまった。
 

また青葉は銀行の頭取からの紹介で、津幡町長さんにも会うことになった。長年放置されていた建てかけ施設の更新ということで、町としても期待していますという言葉をもらい、青葉・千里2と握手した(千里1ではないので、町長がこの2人と握手しても性転換はしない!)。町としても協力できる所があればどんどん協力すると言ってくれた。それで名刺(作曲家・大宮万葉の名刺と、作曲家・鴨乃清見の名刺)を渡して来た。
 
付いてきてくれた神谷内さんが
 
「2人は姉妹の作曲家兼スポーツ選手で、大宮万葉さんはアクアや槇原愛などの曲、鴨乃清見さんは大西典香や山森水絵の曲を書いているんですよ。それに大宮さんは水泳で、鴨乃さんはバスケットで、各々日本代表候補になっていて、東京オリンピックを目指しています」
と説明すると
 
「おお、それは凄い!」
と感激して。再度2人と握手した。アクアの曲など書いていたらお金持ちだろうから、こういう投資をしてくれるのだろうと町長も考えたようである。
 
なお町長が
「それで“お姉さん”が水泳の練習をするのにプライベート・プールも作るんですね」
 
と言ったのは、もう気にしないことにした!
 

 
千里1のお遍路は続いていた。
 
消費税があがった10月1日の朝、宿坊の食堂の人たちが慌ただしく紙に墨書した新しい価格表をプラスチック製の価格表の上に貼り付けていた。
 
「たいへんですね!」
「経営規模の小さな店ほど負荷が大きいんじゃないかね。これって」
と40代くらいの職員さんが文句を言っていた。
 
10月1日も2日も雨だったのでお遍路には行かず、観自在寺の宿坊でひたすら般若心経を書いた。
 
千里がお手本を見ずに直接和紙(美鳳さんからもらった用紙だが、先日遭遇した八重龍宮さんによるとこれも月山和紙らしい)にお経を書いているのをちょうど回ってきた年配の僧が見とがめた。
 
「そなた、写経というのは、お手本を前に置き、それを見ながら書くものだぞ。そなたのは“写経”ではなく“筆経”じゃ」
 
と先日《こうちゃん》からも指摘されたことを言われる。それで先日と同様に返事する。
 
「御老師様(*5)、私は心の中に掲げたお手本を見ながら書いているのでございます」
 
(*5)“老師”とは自分を指導してくれる僧への敬称で「先生」程度の意味。“年老いた”という意味は無い。
 

すると僧はムッとして大きな声で叫んだ。
「喝!」
 
千里は間髪入れずに答えた。
「キャッツ&ドッグ」
 
「お主やるな・・・」
と僧は悔しそうである!
 
実は「喝!」というシブがき隊のシングルが存在し、その次のシングルが「キャッツ&ドッグ」である。この僧の世代なら知っているだろうと瞬間的に思いついたので答えたのだが「ここ禅寺だったっけ?」などと千里は焦りながら考えている。
 
(観自在寺は真言宗。むろん禅寺ではない)
 
「作麼生(そもさん)!」
「説破(せっぱ)!」
 
「ここに1本の筆が落ちていた。これは誰の筆か?」
と僧は自分の懐から筆を1本取り出して言った。
 
「私のですからもらいます」
と言って、千里は僧の手から筆を奪い取ってしまった!
 

僧は大笑いして
「参った参った」
と言い、
 
「それがお主の筆なら、これはきっとわしの筆じゃろう」
と言って、千里が写経に使用していた筆を取り上げる。
 
(結果的に筆を交換したことになる。なお千里が使用していたのは佳穂さん手製の特別な筆であり、実は僧は素敵な筆をお布施してもらったようなものである)
 
そして僧は
 
「わしがお手本を書いてやるから、これからはそれを見なくてもいいから掲げて書くように」
 
と言うと、美しい字で般若心経を書き上げ、最後に自分の名前を書いてから
「やる」
と言って千里に渡した。千里は“寛親”と書かれた、その名前を見てびっくりした。
 
「ありがとうございます。頂きます、☆彡寺の寛親僧正様でしたか」
「うむ。知っておったか」
「お名前だけは」
 
思わぬ大物の名前が出てきて、名前だけは知っている人も何人かいるようで、結構なざわめきがある。
 

「せっかくだから一度音読してみなさい」
と寛親が言う。
 
「音読ですか?」
と千里は情け無さそうに言う。
 
「読めないか?」
寛親は漢字をそのまま書くだけで読んだことが無いのだろうかと思ったようである。
 
「読めないことはないのですが、私の読み方はあまり一般向けではないので」
「構わん、構わん。どんな読み方も供養じゃ」
 
この時、寛親は宗派の違いによる読み方の違いのことかと思ったようである。実は般若心経はいくつもの読み方が存在する。しかしやむを得ないので、千里は寛親が書いてくれた般若心経を音読した!
 
すると千里と阿闍梨のやりとりを息をのんで見ていた周囲の人物が最初は戸惑うようにし、お互い顔を見合わせ、やがて忍び笑いが漏れ始め、最後に千里が心経を読み終えると、かなり笑っていた!
 
寛親は笑ったりはせず、頷くようにして言った。
 
「ありがたいお経を聞かせてもらった。礼を言うぞ。わしの寿命は今ので3年伸びたな」
 
「毎日お聞かせできないのが残念です」
 
「今気付いた。そなた、どこかの高僧から印可を得ているな?」
 
そういうの何故分かるのだろう?と千里は思いながら答えた。
 
「長谷川瞬嶽と申す僧より、瞬里の名前を頂きました」
「瞬嶽殿のお弟子さんであったか!」
 
「お名前を覚えて頂いているようで幸いです」
「あの人のお弟子さんって、少し変わった人が多いよね?」
などと言っている。
「瞬角さんとか結構変わっていたようです」
「僕、一度、瞬角さんのポルシェに乗せてもらって、二度と乗りたくないと思った」
などと寛親がさっきまでとは違う口調で言うので、さすがの千里も吹き出した。
 
僧正が千里に握手を求めたので握手したが、僧正がこの後、女僧正になってしまったかどうかは定かでは無い!?
 
ともかくも千里はこの後、阿闍梨の書いてくれたお手本を前に置いて、でもそれは見ずに!般若心経を書き続け(寛親からもらった形になった筆も凄く書きやすかった)、この2日間で40枚(30分に1枚のペース)書き上げて、残りは20枚ほどになった。
 

10月3日は晴れたので出発する。2日間の休憩で体力もかなり回復している。そして今日はいきなり50km歩行である。
 
朝6時に宿坊を出発。観自在寺にも2日間の宿の御礼参りをしてから歩き始める。最初は10kmほど歩いて内海から山中の遍路道に入り、柳水大師・清水大師とお参りしていく。山道(清水大師は標高460m)を結局9kmほど歩いて国道56号に戻り、8kmほど歩くと津島町に至る。ここまで既に27kmほど歩いており、ふつうの人はここで1泊した方が良い。
 
千里はそのまま歩き続ける。松尾峠はトンネルを抜けずに旧道を歩き、宇和島市街地近くの馬目木大師にお参りしてから市街地を歩いて、龍光院へ。名前が紛らわしいのだが、こちらは別格6番札所になっているお寺である。ここにも到着したのが13時頃である。お参りして休憩した後、更に10km歩く。最終的に41番札所・龍光寺に到着したのは3時半頃であった。
 
元は隣接している稲荷神社と一体のもので、ここは神社の雰囲気が強く、神社体質の千里には心地よい。「お母ちゃん頑張ってね」という京平の声を聞いた気がした。お遍路を終わったら、京平と緩菜の所に寄って行こう、と千里は思った。
 
今日はここにお参りしてから1kmほど道を戻り、務田(むでん)駅近くの民宿に泊まる。
 
10月3日の行程 53.0km (宿への1kmを含む)
 

10月4日は晴れである。朝8時に出発し、3.6km(龍光寺から2.6k)歩いてまずは佛木寺に至る。お参りした後、10.6km歩いて明石寺に向かう。
 
務田から龍光寺・佛木寺を通って明石寺方面に行くのは県道31号を行くのだが、ここで歯長峠を越えることになる。多くの人が発信しているが、現在この歯長峠の旧道は、崖崩れのため通行止めの状態が続いている。それで歯長トンネルでバイパスして向こうに抜けることになる。ただしこのトンネルも日によっては工事などにより通行できない時もあるらしい。その場合は佛木寺から高光付近まで8kmほど打ち戻り、国道56号を通って明石寺方面に行くしかない。現地で情報を確認しなければ峠まで行ってから通れないということになった時、あまりにも悲惨すぎる。
 
千里は佛木寺でお寺の人に訊いてみたら「今日は通れますよ」ということだったので、そのまま県道31号の山道を歩いていった。
 
山道を歩いて行っていると、バイクっぽい大きなエンジン音が聞こえる。かなりの排気量だな。1800ccくらいあるぞ?と思っていたら、実際巨大なバイクに乗った女性!がやってきた。30代のお水系かな?という雰囲気。千里を見てバイクを停める。
 
「お姉ちゃん、歩きなの?乗ってかない?」
「ありがとうございます。でも私は歩きお遍路なので」
「ちょっと車に乗るくらいバレないって」
「同行二人(どうぎょうににん)と言って、遍路は1人で歩いていても弘法大師様と一緒なんです。誰も見ていないと思っても、弘法大師様が見てますよ」
 
「あんたマジメだね!私、高校時代にマラソン大会で彼氏のバイクに乗せてもらったことあるけど」
「それはさすがにまずいのでは?」
「ダチに告げ口されて叱られて、もう1回先生の監視付きで走らされた」
「あはは」
「でも叱った先生が付き合って一緒に走ってくれたんだよ」
「それはいい先生ですね」
「うん。私も尊敬した」
 

「でも格好いいワルキューレですね」
「あんた、よくこれがワルキューレって分かるね!」
「Goldwing Valkyrie F6Cですよね? 私もバイクに乗るので」
「そうなんだよ。ゴールドウィングかワルキューレかどっちかにしてくれって名前。あんたのマシンは?」
「Kawasaki ZZR-1400ですよ」
「忍者じゃない奴だ!」
「よくご存知ですね!」
 
ZZR-1400はカワサキのNinjaシリーズのバイクなのだが、この型だけニンジャという名前がタイトルされていない(後継機にはタイトルされた)。
 
結局その女性がバイクを押しながら歩き、千里と話すが、かなり意気投合した。
 
「特別に住所・メールアドレス入りの納め札をあげておきますね」
と言って、千里は“村山千里”名義の納め札を渡した。
 
「あんた、村山千里って、醍醐春海か!」
「ああ、バレてる」
「ハートライダーに出てたよね?」
「何度か出ました」
「冬の北海道をバイクで走破したの、あんただったよね?あれ感動したよ」
「あれ酷いんですよ。私が下見で1度走行してきたら、『ああ、生きて帰ってきたか。だったら番組にするかな』って」
「あはは、テレビ局ってそんなものだよ」
 
バイクを押しながら30分近く話し、最後は握手して別れる。それで彼女はF6Cで歯長峠方面へ去って行った。30分間スローペースで歩いて千里も結構休憩になった。千里は彼女が戻ってこないので、やはりトンネルは通れるようだと確信し、そのまま歩いて行った。
 
「旧道は通行止めです」という看板が出ている。それでトンネルを通るが、内部は暗く懐中電灯が必要だった。懐中電灯は夜間の遍路になった場合のために常備している。
 

明石寺にお参りした後は、更に21.4km歩き、大洲(おおず)市に向かったが、この途中でこの過酷な歩行に耐えてきたナイキエアが破裂してしまった。普通のお遍路よりかなり速い速度で歩いて来たので、衝撃も激しかったのだろう。エアが無くても靴底自体のクッションがあるから歩けるのだが、空気が出入りして女児の草履のように音が少しうるさい。それで千里は持っている接着剤で、上下をくっつけてしまった!
 
これで音はしなくなったものの、どこかで新しい靴を買った方がいいかもと考えた。
 
さて、この日は15時頃、大洲市中心部の旅館に投宿した。
 
次の札所までの距離が長いので途中で1泊するのである。伊予の道は、最初の観自在寺から龍光寺までが50km, 佛木寺・明石寺を経て、明石寺から大寶寺までが70kmあるというハードな始まり方をする。
 
本日のルート。務田を出てから
3.6km(35分)歩いて42.佛木寺(08:30)
10.6km(90分)歩いて43.明石寺(10:45)
21.4km(2時間半)歩いて.伊予大洲の旅館(15:00)
 
お寺の名前の読み方は、ぶつもくじ、めいせきじ。
 
10月4日の行程35.6km
 
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【春花】(4)