【春茎】(5)

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4月11日(木).
 
その日G大文学部の1年生150人(女子58人・男子92人)は午前中普通に授業を受け、午後2時、5号館前に集合した。学校のバスに乗り、G大が所有する研修センターに向かう。バスの座席は指定されていたのだが・・・座席表は無視して適当に座っていた!
 
明恵はすっかり仲良くなった竹本初海と並んで座り、道すがらひたすらおしゃべりしていた。やがて研修センターに到着する。ここでまずは大会議室に入り、あらためてこの大学での勉強の仕方や様々な特別講座の説明、就職に向けてのガイド、そして大学生活全般に関する注意などがあった。
 
夕方は交替でお風呂に入りながら空いた時間に食事をしてということであった。浴室は男女とも1度に15人くらい入れるが、クラス単位で区切られ、女子は英文16:00 日文16:30 歴史1 17:00 歴史2 17:30 心理18:00 と指定されていた。なお、男子は8分割になり、16時から20時まで掛かるようであった。
 
心理は入浴時間帯が遅いので明恵たちは先に食事に行き、その後荷物を割り当てられた部屋に置きに行った。
 
「ハスキーは何号室?」
「私は406号室。あっちゃんは?」
「私は307号室になってる」
と各々渡された部屋番号票を見て言う。
「じゃまた後で」
と言って別れ、明恵は3階の307号室に行く。
 

307号室に入り
「こんばんわ。よろしくお願いします」
と明恵は言った。
 
中にいるのは男子ばかりである。
 
明恵が入って来たのを見て、裸になっていたのを慌ててその付近の服であそこを隠している子までいる。
 
307号室のリーダー松本君もギョッとした顔をして言った。
 
「夏野さん、なんでこの部屋に来る?」
 
「え?307号室という部屋番号票をもらったのですが」
「見せて」
 
明恵が見せる。《4319517 夏野明宏 307号室》と印刷されている。
 
「夏野さんの名前って一見男名前に見える」
 
「そうなんですよねぇ。これで“あきえ”って読むんですよ。出生届けを出した祖父があまりに達筆な字で書いていたから、恵って字が宏に見えたらしくて」
 
「それ訂正できないの?」
「20歳すぎたら改名申請します」
 
「でもこれなら性別間違えられるでしょ?」
「よくあります」
 
「確か女子の406号は人数に余裕あった気がする」
と言って、松本君は406号室のリーダー、津田良美にメールしていた。
 
「うん。大丈夫だって。406号に行って」
「はい。ありがとうございます」
 
それで明恵は4階にあがり、406号に行った。
 
「明恵ちゃ〜ん、なんで男子部屋に行ったのよ?」
と良美に言われる。
 
「分かりませ〜ん」
「ちなみに女子だよね?」
「私、男に見えます?」
「女にしか見えないけど」
 
「後でお風呂で確認出来るね」
と初海が笑いながら言っていた。
 

そういう訳で、簡単なプリントに回答しておくように言われていたのも記入せずにおしゃべりばかりしている内に6時になるので、みんなでお風呂に行く。
 
浴室は《加賀》《白山》と名付けられた2つがあるのだが、加賀を男子が、白山を女子が使うことになっている。406号室の子たちはもちろん白山に入る。
 
脱衣場では結局おしゃべりしながら服を脱ぎ、そのまま浴室に入った。各自髪と身体を洗ってから浴槽に入る。結局またおしゃべりしている。それでそろそろ時間かなと言ってみんなであがり、身体を拭いて寝巻き代わりの体操服に着換える。そして18:40頃に部屋に戻った。
 
「21時から講習だから、それまでにテストに回答しなきゃ」
という声が出るので各自プリントを取り出して書く。
 
「1番分かりません」
「それはヴィゴツキーだよ」
「ビゴッキー?」
「そうそう。ビはウに濁点+小さいイね」
「ああ、そっちか」
 
などと答えを教え合いながらながら全員回答した。
 

宿題が終わったので、結局そのあともおしゃべりである。ただ雪代や朱美など会話に参加せずに教科書などを読んでいる子もいた。
 
「夜の講習を始めますので会議室に集まって下さい」
というアナウンスがあるので、全員部屋を出てそちらに向かう。
 
その時、真希が「あっ」と声を出した。
 
「どうしたの?」
「明恵ちゃんが女かどうかお風呂で確認するという話を忘れていた」
「あ、そういえば忘れていた」
「ちんちん付いてたっけ?」
「付いてたら気付いたはず」
「明恵ちゃん、おっぱいもあったよ」
「うん。私と同じくらいのサイズだぁと思って見ていた」
 
「ちんちん無くておっぱいあるなら女でいいね」
「うん、問題ない」
 
ということで、明恵は女としてお風呂パス?してしまったのであった。
 

その日は21時から23時まで夜間の講義があり、そのあと部屋に戻って23:30就寝であった。
 
「おやつを買う場所が無い!」
という声もあったが、しっかりポテチとかチョコの大袋を持って来ている子もいる。
「分けて〜!」
ということで、みんなでシェアして食べた。
 
翌朝は7時起床で、朝御飯を食べた後、分担して掃除をする。この掃除分担表でも明恵は男子の方に入れられていたのだが、松本君と良美が話し合い、明恵は女子の方に組み替えられた。
 
10時に退所し、バスで本学に戻った。そして午後からは普通に授業に出席した。
 
要するにほぼ宿泊することだけが目的のような宿泊研修であった。
 
そして明恵はこの宿泊研修を女子として無難に過ごすことができたのであった。
 
クラスメイトたちとおしゃべりしながら、明恵は『何とかなったなぁ。青葉さんに感謝感謝だよ』と思っていた。アパートに帰ってからは《CBF会員キット》に入っている入浴記録票に記入して、ちょとだけ楽しくなった。
 

週明けには健康診断もあった。
 
健康診断は脱ぎやすい服装でと言われたので、パンストは避けてソックスにする。ボトムはどちらにしようかと悩んだが、「スカートの方が脱ぎやすいよね?」と理屈を付けてスカートにした。
 
要するにスカートを穿きたいのである!
 
あらかじめ健康個人カード(問診票)を書いておかなければならないので記入する。
 
氏名は戸籍通りに記入するが、ふりがなは「あきえ」と振り、性別は女の方にマークした。
 
《何か思い悩んでいることはありませんか?》
 
そりゃあるけど、こんな所に「はい」なんて書いたら、鬱病とか疑われて面倒なことになるので「いいえ」にしておく。
 
《どこか体調のよくない所はありませんか?》
この手のも「いいえ」にしておく。
 
問診票を正直に書いたらどういう目に遭うかは、小学生の時に1度体験している。あれは本当に参った。そういう訳で既往歴の類も無しにしておく。
 
一番下に
「女性の方のみお答え下さい」という欄があり、
 
・現在妊娠中ですか?または妊娠の可能性がありますか?
・生理中ですか?
 
という質問がある。どちらも「いいえ」をマークした。
 

その日は、いつものようにシャトルバスに乗って学校に出て行き、1階ホールに設置された受付で学生証と問診票を提出する。スキャナに読ませる。画面に出た表示と問診票の紙を見比べているようである。
 
「運動部に入る予定はありますか?」
「いいえ」
 
運動部に入る人は心電図検査が必須なのである。それをしておかないと大会にエントリーできない。しかし心電図検査は・・・とってもやばい!
 
「それではこれを持って回ってください」
と言って管理番号がプリントされたカルテを渡された。その管理番号をハンドスキャナで読ませて両者の紐付けをしたようである。
 
一緒に紙コップを渡されたので管理番号のシールを貼り、トイレ(当然女子トイレ)に入って、おしっこを取り提出コーナーに置いた。
 
測定室に行き、着衣のまま(靴だけ脱いで)身長・体重・ウェストを測られた。体重は服の分として女子は0.7kg、男子は1.0kg引いていたようだが、人によっては、もっと引かれている人もいた。測定している看護師さんが服装を見て判断しているようである。明恵は他の女子と同様0.7kg引かれた。
 
女性看護師さんに血圧と脈拍を測られ、続けて採血もされた。別の部屋で視力検査、更には聴力検査もあった。
 

胸部X線間接撮影に行く。
 
「妊娠していますか?あるいはその可能性がありますか?」
とあらためて訊かれる。
 
問診票にも質問項目があったが、念のため確認するのだろう。
 
「いいえ。その可能性はありません」
と答えた。
 
「それでは上半身の服を脱いで、ここに身体をつけて下さい」
と男性の技士さんに言われる。技士さんは撮影室?に引っ込む。それで明恵はトレーナー、ポロシャツ、Tシャツを脱ぎ、ブラジャーを外し“完全に裸になって”から機械に抱きつくようにした。準備OKのボタンを押す。
 
「息を吸って止めて」
 
「はい。OKです。服を着て退出していいですよ」
 
と言われたので、“全部着て”部屋の外に出た。
 
つまりこの方式では、服を脱いでいる間技師さんは部屋の外にいるので、裸を曝さずに済む。なかなか良いシステムだと明恵は思った。
 

最後に内科検診に行く。
 
列は男女混合でできている。こういうの別に男女に分けないんだなあと思いながら列に並んでいた。やがて「次の方どうぞ」と言われカーテンの中に入る。女性の看護師さんがいて「上半身の服を脱いでからカーテンの向こうの先生の所に行ってください」と言われた。
 
それで明恵はトレーナー・Tシャツ・ブラジャー“だけ”を脱いで服を籠の中に入れ、カーテンの向こうの医師の所に行った。
 
男性の医師である。
 
平常心で椅子に座る。
 
聴診器で心音などを見ているようである。
 
医師は、ここまでの検査データ?もモニターで見ながら
 
「特に問題はないようですね。もういいですよ」
 
と言ったので、明恵は礼をして立つと、カーテンのこちらに戻り服を着てから外に出た。すると看護師さんが「次の人」と呼んだ。要するに受診者同士が裸を見ないように制御するので、男女混じって列ができてもいいということのようである。
 
効率は悪いだろうけどね!
 
しかし、お医者さんに見せてもバレないって、これ凄いね!と思いながら明恵は一週間前のできごとを思い出していた。
 

3月23-25日の〒〒テレビの取材旅行は、明恵にとって sometimes girl から always girl に進化する大きな旅となった。それで明恵はその勢いに乗って4月2日、女子用スーツを着て入学式に出たが、全く破綻無く女子を演じることができたので、ますます自信が付いた。
 
しかし4月11-12日に宿泊研修をやります、という話には不安を覚えた。
 
先日の旅では2日間にわたって女湯に入ってしまったものの、それは明恵の性別を理解してくれる人達と一緒だった。女性の中には明恵のような“偽娘”をあからさまに嫌がる人もある。今の明恵がそのまま女湯に入ると面倒な事になりそうだ。
 
いっそ休もうか?
 
しかし入学早々行事を休むというのはあまりしたくない。
 

4月3日は午前中、英語と数学の試験、午後からはまたオリエンテーションだった。4月4日には教科書販売があった。必要な教科書を買ってからいったんアパートに戻る。チャーハンを作って食べながらパラパラと教科書を見ていたら、青葉から電話が入る。
 
「どうも先日はお世話になりました」
「明恵ちゃん、こないだおっぱいが無いのを悩んでいたなと思って」
「あ、はい」
「ブレストフォーム持ってる?」
「いえ」
「無料で使えるようにするから使ってみない?」
「え〜〜?だって高いのに」
「それがモニターで無料で使えるんだよ」
「モニターですか?」
「しっかりした会社だから後から高額の請求書が送られたりすることはないし。新商品の開発中でテスターになってくれる人を探しているんだよ」
 
「そういうことですか」
 
「だから、ちょっと明日東京に出てこない?」
「東京に?」
「交通費も出してあげるから。この交通費の分は私のおごり。天狗岩の所でお手伝いしてくれた御礼も兼ねて」
 
「あ・・・」
「あの時、明恵ちゃんが幸花さんをガードしてたでしょ?」
「よく分かりましたね!」
「そりゃ分かるさ」
 
と言うが、実は姫様が気まぐれで青葉に教えてくれたのである。
 
明恵は考えた。
 
ブレストフォーム着けてたら・・・・
 
女湯に入っても性別バレないかも!?
 
それで明恵は
「行きます」
と答えたのである。
 

明恵はすぐにバスで金沢駅に急行し、16:47の《かがやき512号》に飛び乗った。19:20に東京駅に到着、待ち合わせすることにしていた八重洲口に行くと青葉がいたので会釈して寄っていく。
 
「東京へは音楽関係のお仕事か何かで出ておられたんですか?」
「ううん。今辰巳国際水泳場で日本選手権やってるから。明日だけ競技が無いんだよね。それで付き合ってあげられるなと思って」
 
「わっ忙しい時にすみません!」
「これ往復の新幹線代ね。ホテルも取っておいたから。これクーポン」
といって、現金の入った封筒と旅行会社のクーポンをもらった。
「ありがとうございます!」
 
それでタクシーでそのショップに行った。タクシー代は青葉が出そうとしたのを制して明恵が払った。
 
すぐに採寸される。寝ている状態、立っている状態、そして胸の付近だけ穴が開いている特殊なベッドで俯せになった状態で3Dスキャンされた。また肌の色を特殊な機械で何ヶ所も測定していた。照明も蛍光灯・LED・疑似太陽光など何種類も変えていた。冷たいタオルを当てて冷やした状態の肌の色を見、更に熱いタオルを当てて暖かくなった状態の肌の色も検査していた。この肌の色チェックだけで1時間くらい掛かった。
 
「バストサイズはどのくらいにしますか?」
「どーんとGくらいにする?」
「Aでいいです!」
「それは小さすぎるよ」
 
シミュレーターでAAサイズからFカップまでのバストを生成し、VRゴーグルで自分のバストがそのサイズになっているのを見る。
 
「Bくらいが好きかも」
と明恵は言った。
 
「まあ女性ホルモン飲んでいたら自分の胸も発達してくるから、最初はそのくらいでもいいかもね」
 
女性ホルモンか・・・・
 
その後、接着剤との相性を見るという話でパッチテストを受けたが、どの接着剤も問題は起きなかった。
 
「しっかりくっつくタイプと肌に優しいタイプと、どちらが好みですか?」
「しっかり付くのがいいです!」
「リアルな感触を優先しますか、動きやすさを優先しますか?」
「スポーツとかしないし、よりリアルなもので」
 
「それでは明日16時以降なら受け取れます」
「そんなに早いんですか!」
 
でも助かる〜と思った。オーダーメイドと聞いたのでひょっとして数ヶ月かかるのではと思ったのだが、かなり早いようだ。しかし翌日受け取りというのは凄い。
 
「3Dプリンタで制作するので早いんですよ。特にこれは開発中のものですし」
「なるほど、3Dプリンタですか!」
 
最近の技術革新は凄いなあと思った。青葉はこの後練習するからと言うのでそれで別れた。しかし夜中にまた練習?と聞いて、やはり世界選手権でメダル取る人は違う!と、あらためて青葉を尊敬する気持ちになった。
 

取ってもらったホテル(江東区のビジネスホテル)でぐっすり寝てから翌4月5日の午前中は、せっかく東京に出てきたので、渋谷で少しお洋服(もちろん女物)を買った。お昼はロッテリアで取り、午後は八重洲ブックセンターで本を見た。そして16時に昨日のお店の前で待ち合わせた。
 
ブレストフォームは出来ていた。中身は実際のおっぱいと感触がよく似ているシリコンゴムを使用し、表面は人工皮膚なので触った感触が本物の皮膚そっくりである。乳首の再現性も高く、触った感じも指ではさんだ感じも、ほとんど本物の乳首と変わらない感じだ。
 
高そう〜と明恵は思った。
 
でもモニターだから無料ということである。
 
内部に熱伝導性の良い物質を混ぜているので体温がそのまま反映される。温度によってブレストフォーム自体の表面の色も微妙に変化するという。また乳首の所に触ると、その刺激がちょうど本物の乳首にも伝わるようになっており、触られるとくすぐったかったり、あまり強くいじられると痛いですよと言われた。
 
これだったらおっぱいの触りっこしてもバレないかも、あるいは男の子とHなことしてもバレないかも、などと考えたりする。男の子とのHはちょっと興味あるが、さすがに性転換手術とかしないと無理だろうなとは思う。
 
持ってみると結構重いので、こんな重いのが接着剤くらいでちゃんとくっつくだろうか?落ちないだろうか?と不安になった。
 
上半身裸になり、アルコールで身体をよく拭かれる。胸の付近にアンダーコートのスプレーをする。アンダーコートは接着力を高める効果と皮膚がかぶれたりしないようにする効果を兼ねているらしい。そしてその上に専用の接着剤でブレストフォームを貼り付ける。
 
「重い」
「その重さに慣れて下さいね。腕立て伏せとかして筋肉を鍛えた方がいいです」
「頑張ります!」
 
完全に自分の肌の色で作られているし、端は物凄く薄くなっているので自分でも境目がよく分からない感じであった。しかし乳房表面に触ると本当に自分の胸が触られている感覚なので凄い!と思った。
 
「このままお風呂に入ってもいいんですよね?」
 
「お風呂に入ること自体は全く問題ありません。ただ自宅のお風呂とかなら問題ありませんが、男性器の付いている方が公衆浴場や旅館の大浴場の女湯に入ることは犯罪になる可能性がありますので、それだけはご遠慮下さい」
 
とお店の人は釘を刺している。
 
「どのくらい付けたままにしていいんですか?」
「基本的には朝つけて夕方は外した方が皮膚のかぶれとか起きにくいですが、旅行の時とかは2〜3日貼り付けたままでもいいですよ」
「分かりました!」
 
「連続使用する場合でも、夜中とかにいったん外して装着面をアルコール消毒した上でまたアンダーコートをスプレーし、貼り付けた方がいいですけどね」
「なるほど」
 
「ずっと貼り付けっぱなしの人知ってるけど」
と青葉が言う。
「それはお肌にはあまりよくないですけどね」
とお店の人は言っていた。
 

その後、早めの夕食を一緒に取り、そのあと金沢に帰還した。
 
東京19:24(かがやき517)21:54金沢
 
終点の金沢駅で降りてから表口のバス乗り場に行こうとしていた時、女性がすっと目の前に封筒を差し出した。広告チラシか何かかなと思い、反射的に受け取る。そして帰りのバスの中で何気なく開けてみると
 
《CBF会員証》
というのが入っている。しかもそこに
《夏野明恵様》
と自分の“女名前”が印刷されていたので、明恵はギョッとした。
 
待って。これ広告チラシとかじゃないの??
 
会員規約というのも入っている。それを読んでいてあまりのぶっ飛んだ内容に明恵は思わず声を出してしまった。
 
「何なの〜〜〜?これって!??」
 
・CBF(Club Bain Femme)は女湯に入る会である。
(↓以下抜粋)
・女湯に入るのは純粋に入浴するためであり、よこしまな気持ちを持ってはいけない。
・入浴時に化粧は禁止、水着は禁止。お股をタオルで隠すのも禁止。
・男性器が付いている人は何らかの方法で隠して見えないようにすること(一時的陰茎切断推奨)。
・バストが無い人は何らかの方法であるように見せること(一時的豊胸術推奨)。
・一緒に入っている女性たちに騒がれないように。女性たちに溶け込んで、まさか女ではないとは疑いもされないように、邪魔にもならないように、目立たず静かに入ること。
 
でも「一時的陰茎切断」とか「一時的豊胸」という単語を見てドキドキする。一時的陰茎切断ってどうするんだろう?お風呂の入口にギロチンが置いてあって、そこに差し込んで刃を落とすとか?
 
切断された〜〜〜い!!
 
その時、明恵は自分にこの封筒を渡した女性が、レインボウ・フルート・バンズのフェイに似ていたことを思い出していた。
 

そういう訳で明恵はこのブレストフォームを付けて宿泊研修、健康診断を乗り切った。明恵は女性に性的な興味は無いので、女性の友人たちと一緒にお風呂に入ること自体には心理的な抵抗はない。実を言うと、小学校の修学旅行で男子たちと一緒に入った時のほうが辛かった。正確には恐かった。中学・高校の修学旅行では、明恵の“性的傾向”に配慮してくれた先生が個室のお風呂に入れさせてくれたので助かった。
 
「だってあなたを男子たちと一緒に入浴させるのは、狼の群れの中に羊を1匹放つようなものだもん」
と先生は言ってくれた。
 
今回の宿泊研修では、お風呂の中で、おっぱいの触りっことか始まったらどうしよう?という不安はあったが、そのようなことは起きなかったし、「本当に女かどうか確認しよう」という話も忘れられていて、女子たちから“精密検査”みたいなこともされなかったので、何とかなった感じはあった。
 
健康診断の時は、内科検診はブレストフォームを付けたままで乗り切ったが、X線撮影の時は、部屋の中で誰にも見られていないのをいいことに、ブレストフォームまで外して撮影してもらったのである。ブレストフォームのシリコンゴムはレントゲンには映らないらしいが、感度によっては薄い影のようなものが見えることもあるらしい。その場合に結核などを疑われると面倒なので外して撮影に臨んだのであった。この日は外しやすい接着剤を使ってくっつけておいた。
 

青葉は3月23-25日の〒〒テレビの取材に参加した後は、すぐに東京に行き、深川アリーナに泊まり込んで!毎日朝から晩までサブプールでひたすら泳いだ。大会前なのでデートもセックスも禁止!である(彪志がぶつぶつ文句を言っていた)。
 
4月2日から8日まで、東京辰巳国際水泳場で日本選手権水泳競技大会が行われる。この大会は世界選手権(7.21-28韓国)とユニバーシアード(7.4-14イタリア)の選手選考会も兼ねている。選考方法は下記である。
 
(1)世界選手権は、派遣記録を突破して2位以内に入ったら派遣決定。人数が足りない場合、5月のジャパンオープンが2次選考会となる。
 
(2)ユニバーシアードは、世界選手権に選ばれなかった人の中で大学生または今年か昨年大学を卒業した27歳以下の人から選考する。
 
(3)世界選手権代表になった人はユニバーシアード代表にならないが、ユニバーシアード代表に選ばれた人が、5月のジャパンオープンで世界選手権に追加で代表として選ばれた場合、両方に出場する(ユニバーシアードの辞退は不可)。
 
青葉の場合、派遣記録を突破して2位以内に入れば世界選手権代表になるし、その条件を満たさない場合も、ユニバーシアード代表に選ばれる可能性がある。いやむしろ女子長距離陣の現況を考えると、青葉がどちらの代表にもならないことは考えにくい。
 
青葉としては、実際にはあまり日本代表とかしたくないのだが、だからといってわざわざ多額の費用を掛けてタッチの特訓までさせてもらったし、あまり恥ずかしい成績は出したくないのである。それでデート禁止まで課してひたすら練習をしていた。
 

4月1日は公式練習日だったが、青葉はちょっと顔を出しただけで、深川に戻って丸一日、ひたすら泳いだ。
 
競技初日、4月2日。お昼前に女子400m自由形の予選があるが、青葉は順当に決勝に進出した。他に幡山ジャネ、南野里美、永井蒔恵、金堂多江、などといった現在の日本女子長期離のトップ争いをしている人たちも決勝に進んでいる。青葉が富山の大会で出会った竹下リルは今回は残念ながら予選落ちであった。
 
そして夕方の決勝。青葉は5コースで隣の4コースはジャネ、6コースは金堂さんであった。
 
号砲とともに飛び込む。ジャネは最初から飛ばしている。高校2年生の金堂さんも若さにまかせて飛ばしている。青葉も負けじと最初からスパートである。
 
レースはこの3人が横一線に近い形で並び、それに南野・永井が付いていく展開となった。物凄いハイペースである。
 
400mはプールを4往復するのだが、その4往復目に入った所でジャネがラスト・スパート?を掛けた。しかし青葉もしっかり付いていく。たまらず金堂さんが少し遅れる。しかし彼女も向こうでターンした所から必死に追い上げてきて、トップの2人に追いすがる。
 
タッチ。
 
青葉はジャネの方が僅かに早かったと思った。
 
結果を見る。
 
1.Hatayama 4:05.20
1.Kawakami 4:05.20
3.Kanado__ 4:05.48
4.Minamino 4:09.13
5.Nagai___ 4:09.82
 
「嘘!?同着?負けたと思ったのに」
と青葉は声を挙げたが
「私のほうが負けたと思った」
とジャネは言っている。
 
多分過去のレースではこのくらいのタイミングでは向こうが“タッチ”の上手さ(正確には青葉の下手さ!)の差でジャネの方が早かったのだろうが、青葉のタッチが上手くなったことで、同着になったのだろう。
 
「ああ、悔しい!派遣記録上回っているのに3位だ!」
と金堂さんが言っている。
 
2位までに入らないと世界選手権の代表には確定しない。彼女はまだ高校生なのでユニバーシアードの出場資格も無い。結果的に南野さんと永井さんがユニバ代表確定だろう。
 
なおこの競技の派遣記録は4:05.49、日本記録は4:05.19である。青葉とジャネの記録はその日本記録に0.01秒差の優秀な記録だった。
 

翌4月3日は、お昼に女子1500m自由形の予選があり、青葉は決勝に進出した。他にはジャネ、永井、南野も決勝進出だが、金堂さんと竹下さんはそもそもこの競技には参加していない。高校生の体力では1500mは辛いのかな?などとも思った。もっとも小柄でスピードの無い青葉、片足の先が無いジャネはどちらも長距離ほど力が出せる。
 
4月4日の夕方、1500m自由形決勝が行われる。結果は1位ジャネ、2位青葉で2人とも派遣記録を突破して世界選手権代表が確定した。永井・南野のユニバ代表も確定である。
 

4月4日のお昼に、青葉はジャネと偶然場内で遭遇したので、まあお昼でも一緒にといって会場から少し離れたレストランに行った。それで
 
「夕方の決勝では私が1位になるからよろしくね」
「そうですね。来年の大会は譲ってもいいですよ」
などとジャブをかわしたりしながらも他の選手の噂話やK大水泳部の様子など話していた。
 
「そうだ。筒石さんも世界選手権代表確定、おめでとうございます」
「ああ、あいつも確定したみたいね」
「いつ結婚するんですか?」
「その予定は当面無いな」
「やはり東京オリンピックの後ですか?」
「永久に結婚する気は無いな」
「そうなんですか〜〜〜?」
 
「その件では水連の事務局からも呼び出されて状況を聞かれたよ」
「へー」
 
「去年バドミントンで男子代表選手と女子代表選手がナショナルトレーニングセンター内でデートしていたのが見つかって厳重注意くらったろ?」
 
「あれは、まずいですね」
「君たちは交際しているようだが、デートする場合は外でやるようにと個別に注意されたけど、お互い交際してないよね?と言い合った」
「交際してないんですか?」
 
だいたい同じ場所に住んでいるのに!?と思う。但しジャネの見解ではただのルームシェアである。
 
「まあセックスはするけどね。そう言ったら、とにかくNTCを含めて合宿中はセックスしないようにと言われたけど、私も合宿中はさすがにそんなのしないし」
 
「筒石さんも水泳以外には興味無いでしょ?」
「そそ。あいつは女を抱くよりプールで泳ぐ方が好きな男だよ」
とジャネは言うが、その視線が楽しそうである。結局好きなんだろうな、と青葉は思った。
 
まあ取り殺そうとしたくらい!なんだから、嫌いということはないだろう。
 

そんな話をしていた時、見た顔の女性がこちらにやってくる。
 
「舞耶さん?」
「青葉ちゃんも久しぶり〜」
 
それは桃香の従兄・高園春彦の息子・芳彦(桃香の従甥)の奥さんで舞耶さんである。芳彦さんと舞耶さんは岐阜に住んでいる。そして舞耶さんの会社がジャネの機能性義足を制作している。
 
「調子が微妙だというからスペアを持って来たけど」
とジャネに言う。
「助かります。万一青葉に負けた時に調子の悪い義足で疲れたせいとかは思いたくないから交換したかった」
 
ジャネが義足を外して舞耶に見せているので近くのテーブルに居た女性客が思わず悲鳴をあげた。
 
「すみませーん。これ義足なんです」
「びっくりしたぁ!」
 

「うーん。テスターでは特に断線を確認出来ないけど、やはり交換しましょう。ラボに持ち帰って再度検査しますよ」
「よろしく〜」
 
「そうだ。桃香ちゃんから聞いたけど、青葉ちゃんって元は男の子だったんだって?」
と舞耶は訊いた。
「まあ、そんな時代もありましたね」
と青葉は答える。
 
「そのおっぱいは本物?」
「本物ですけど」
「じゃダメか」
「何か?」
 
「機能性のブレストフォームを開発中なんだけどさ、誰か適当なテスターがいないかなと思って」
 
「機能性のブレストフォーム?」
「普通のブレストフォームなら、ただの作り物だから乳首とか触られても何も感じないでしょ?それを感じるようにしたもの」
「へー!」
 
「外側も普通のならビニールかせいぜい疑似皮膚だけど、これはちゃんと医療用の本格的な人工皮膚を使っているから、触った感じが本当に本物のおっぱいそのもの」
 
「それは凄いですね」
 
「乳癌の手術で乳房を失った人の日常生活・性生活のQOLをあげるために開発したんだけど、テスターとしてはむしろ女の子になりたい男の子の方が使えるんじゃなかろうかという意見も出てね」
 
「それはそんな気がします。その方がおっぱいの使用率も高いでしょうし」
「それで適当な人がいないかなと思ったんだけど、青葉ちゃんは既に本物を持っているなら使えないな」
 
その時青葉は唐突に“彼女”のことを思い出したのである。
 
「使えそうな人がいます。彼氏とかは居ないので、性生活までは確認できないんですけど、いいですか?」
 
「何歳?」
「18歳です」
 
「素晴らしい。それなら性生活なんてこれからだよね。そのおっぱいで女子としての日常を送ってもらったら、すごくいいテストになる気がする」
 
「じゃ連絡しますよ」
 
それで青葉は夏野明恵に連絡し、翌日東京に出てきてもらうことにしたのである。採寸や装着指導は、東京人形町にある、舞耶の会社の製品の販売店で行うことにした。
 

夕方の決勝では交換した義足の調子がよくて気を良くしたのかジャネが物凄く頑張り青葉は2位に終わった。レースを終えてから青葉は東京駅に行き、明恵と落ち合った。タクシーで義肢の販売店に行く。上半身裸になってもらうが
 
「ああ、ホルモンとかはまだやってないのね」
と言われている。
 
「まだ高校出たばかりだから」
と青葉は言っておく。
 
それで胸のサイズ・形を上向き・下向き・立位で測定、肌の色も多数の箇所で測定した。
 
「夏になったら日焼けとかする方?」
「私、太陽に当たってもあまり日焼けしないみたいです」
 
「でしたら今の肌の色で制作しますが、夏になって日焼けして境目の所に違和感が出たら言って下さい。再制作しますから」
 
「はい」
 
明恵には開発中の商品のモニターだというのは伝えたのだが、今一ちゃんと伝わっていない感じもあり、少し不安を感じた。ただ使用感のレポートは毎週書いてくれるということであった。また女性ホルモンを飲むようになったら、そのこともレポートに書き加えて欲しいと言い、了承してもらった。
 

翌日は午前中大田ラボに行き、松本花子関係で2A17,イリヤ,空帆,千里3と打合せした。千里3は3月3日でWリーグも終わり、今オフシーズンである。日本代表の活動は4月下旬から始まるらしい。千里2の方は今LFBがプレイオフに入る所のようでその後はWBCBLも始まるから忙しい状態が続いている。
 
夕方近くになって、義肢販売店の前で明恵と待ち合わせる。
 
ブレストフォームは昨日測定した数値を元に今日の午前中に岐阜のラボで制作。技師の人が新幹線に乗り自分で東京に持って来てくれた。装着状態を自分の目で見ておきたいのだろう。
 
それで明恵にブレストフォームを装着してもらうが、さすがピッタリとフィットしている。明恵がお風呂に入っても大丈夫ですか?と訊くので、技師さんは
「家庭のお風呂に入るのは構わないが、公衆浴場や温泉の女湯に入ると痴漢で捕まるおそれがある」と一応建前を話していた。
 
しかし明恵はきっと積極的にそういう所に入って行くだろうと青葉は思った。制作側でもそういう所で“バレなかった”というレポートは嬉しい。乳癌手術で乳房を失った人の場合、MTFの子以上に“お風呂パス”を気にするだろう。
 
それにそもそも明恵を見て男かもなんて思う人がいる訳無い。男湯に入ろうとしてもまず追い出される。
 
モニター契約書にサインしてもらい、毎週のレポート提出を約束して販売店を出る。そのあと一緒に夕食を取ってから別れた。青葉は深川アリーナに戻り、夜中まで練習を続けた。
 

4月6日は11時半頃に女子800m自由形の予選があり、無難に通過する。そして決勝は翌日4月7日の17時頃である。
 
1人ずつ名前を呼ばれて入場し、各々のレーンの前に立つ。青葉・ジャネの他、南野、永井、金堂、そしてこの種目で初めて決勝に進出した竹下リルもいる。金堂は昨年のジャパンオープンでは“幻の日本記録”8:23.50を出しているが、直前に飲んだ風邪薬にドーピングに引っかかる成分が含まれていたため失格してしまった。今年はリベンジして今度こそ新記録を出したい気分だろう。
 
但し現在の日本記録はあの後ジャネが出した8:09.37になっており、青葉もその時0.01秒差の8:09.38を出している。ちなみに派遣記録は8:25.22である。
 
号砲とともに飛び込む。レースは1500mには出ずにこちらに絞ってきた金堂さんが積極的に飛ばすのを、ジャネと青葉、それに少し遅れて竹下が追う形で始まった。かなりのハイペースである。南野・永井はそんなペースではとても最後までもたないという感じで、敢えて速度を抑えていたようだが、上位4人のペースは全く落ちない。結局金堂さんがトップ、青葉・ジャネ・竹下がそれに続き、かなりの差が付いた状態で南野・永井が続く形で最後の方まで行く。
 
最後の8往復目に入った所でジャネが仕掛ける。青葉もそれに付いて行くが竹下さんは置いて行かれる。ジャネと青葉が金堂さんを抜く。そして・・・最後のターンの後で青葉はそれまでキープしていた全体力を泳ぎに注ぎ込む。ジャネに迫っていき、あと10mくらいの所でジャネを捉えたと思った。
 
ゴール。
 
時計を見る。
 
1.KAWAKAMI 8:14.51
2.HATAYAMA 8:14.53
3.KANADO__ 8:14.74
4.TAKESHITA 8:15.33
 
ジャネとの差は0.02秒でこれは約3cmの差である。但し身体が小さく腕も短い青葉が長身のジャネを3cm上回るには実際には10cmくらい早く到着している必要がある。昨年まではそれに更にタッチ技術の差が出ていた。青葉はようやくジャネと“同じ土俵”で争うことができる状態になったのである。
 
青葉とジャネは激しく息をしながら見つめ合っていたが、金堂さんが例によって
 
「あぁん!派遣Iも突破しているのに3位だ!」
 
と嘆くように言う(I=8:18.55 II=8:25.22)。しかし実際昨年までの青葉のタッチ技術だったら、金堂さんが2位に入って青葉は3位だったであろう。
 
その金堂さんが最初に青葉に「おめでとうございます」と言って握手し、その後ジャネとも握手したので、青葉とジャネもようやく笑顔になって握手した。その3人が日本選手権初出場で大健闘した竹下さんとも握手。更に5,6位に入った南野・永井とも握手した。3,4位の金堂・竹下が高校生なので、南野・永井がユニバ代表だろう。
 

そういう訳で、青葉とジャネは400mでは1位を分け合い、1500mではジャネが1位で青葉が2位、800mでは青葉が1位でジャネが2位となった。この3種目は2人が代表を分け合うことになる。
 
大会7日目の4月8日。この日は午前中に女子400m個人メドレーの予選がある。青葉はもちろん決勝に進出するが、ジャネはメドレーには参加しない。
 
同日17:40から行われた決勝では、青葉と金堂・竹下・南野・永井の5人による争いとなった(竹下は400m Freeでは10位で決勝進出できなかったが400mIMでは8位で決勝進出した)。
 
この競技が今年の日本選手権最後の競技である。
 

名前を1人1人呼ばれては手を振って歓声に応えスタート台の前に並ぶ。
 
個人メドレーはバタフライからスタートする。号砲と共に飛び込むが、金堂が勢いよく飛び出してそれを青葉・竹下、更に南野・永井が追う形で始まった。
 
バタフライで1往復してから、背泳ぎに変わる。背泳ぎが比較的得意な永井が浮上してきて青葉たちと並ぶが金堂は青葉より半身先にいる。永井もなかなかそこまでは追いつけないようである。
 
1往復してから平泳ぎに変わる。ここで平泳ぎが得意な青葉が金堂との差を詰めほとんど並ぶ。永井は青葉に置いていかれる。竹下は青葉に付いていった。つまり金堂から僅差で青葉、僅差で竹下、それに永井が続き、その後が南野という展開である。
 
そして最後は自由形になる。ここで青葉と竹下が一気に金堂を抜き、また南野が5位から浮上してきて、永井を抜き、金堂にも迫ってくる。金堂も抜かれまいと必死である。ターンをうまく利用して金堂が必死の泳ぎで青葉と竹下に迫る。青葉も竹下も頑張って引き離しに掛かるが金堂のスピードが凄い。3人がほぼ並ぶが“ほぼ並ぶ”状態は腕の長さの分だけ金堂が先に居ることになる。
 
青葉が身長161cm、竹下は175cm、金堂は183cmで身長は青葉と金堂で22cmの差があり、腕の長さでは9-10cm程度の差があることになる。10cmはタイムにして0.06秒もある。
 
青葉は必死で抜き返す。竹下も限界を超える泳ぎをする。
 
3人がほとんど同時にゴール。感覚的に僅かに負けたかなと思った。
 
時計を見る。
 
1.KANADO__ 4:31.49
2.KAWAKAMI 4:31.50
3.TAKESHITA 4:31.52
4.MINAMINO 4:33.47
5.NAGAI___ 4:34.98
 
やはり0.01秒負けていた。距離なら2cm程度だが、タッチの上手さの差を考えると同着に近かったかも知れない。しかし竹下とも0.02秒差である。“特訓”前の青葉なら彼女にも負けていた所だ。
 
しかしこれで金堂さんも世界選手権の代表決定である。
 
「やった!」
という声とともに笑顔で青葉と握手する。そのあと上位5人でお互いに握手しあった。
 
この上位5人が派遣記録(I=4:32.52 II=4:36.35)を突破するハイレベルな戦いとなった。
 
むろん南野・永井もユニバ代表決定である。結局、南野・永井は長距離4種目全てでユニバ代表となった。
 
なおゴールの際、身体の位置では青葉>竹下>金堂に見えたという意見が多かったことから、念のためビデオをチェックされたが、やはり腕の長さの差で金堂が2人より先にゴールに到着していることが確認された。
 
金堂さんの長身はそれ自体が武器である。
 
「背が高いから、よくお前男だろ?と言われていたんだけど、スポーツの世界ではこれ凄く有利なんですよね」
と金堂は言っていた。
「金堂さん羨ましい。私ももっと身長欲しい」
と竹下リルが言う。
 
「竹下さんはまだ身長伸びると思うよ。牛乳飲んで牛肉食べて頑張ろう」
と金堂さん。
「よし。毎日晩御飯は牛肉にしてと言おう」
「お母さんが悲鳴をあげそうだ」
「むしろお財布が悲鳴かな」
 

これで日本選手権は終了し、青葉は400m,800m自由形で金メダル、400mメドレーと1500m自由形で銀メダル、ジャネは400m,1500mの自由形で金メダル、800mで銀メダルという結果となった。
 
代表に確定した人の壮行会も行われた。世界選手権(7月光州)の代表は
 
400m自由形 青葉・ジャネ
800m自由形 青葉・ジャネ
1500m自由形 ジャネ・青葉
400m個人メドレー 金堂・青葉
 
となった。その他の競技では、派遣標準を突破出来た人が2人まで居ない競技もあり、それは5月のジャパンオープンで補充される。しかし女子平泳ぎでは50m,100m,200mの3種ともに、誰も派遣記録を突破出来ず(100mではもっと遅いメドレーリレーの100m派遣標準さえも突破できなかった)、代表内定ゼロの異常事態となり水連幹部を青くさせた。(平泳ぎ上位陣の特別合宿が行われることになったようである)
 

西湖の学校では今年も4月に健康診断が行われた。身長と体重の測定は毎月、視力検査は毎学期初めに行われるが、4月にはこれに加えて聴力検査・歯科検診、更に内科検診・心電図検査・胸部X線間接撮影も行われる。
 
去年は心電図検査で焦ったよなあ、などと思いながら西湖はこれらの検診を受けた。昨年、胸にブレストフォームを貼り付けていたことが心電図検査でバレてしまった青島瀬梨香(歌手の田川元菜)は凝りもせずに、ブレストフォームを直前まで貼り付けていたものの、今年は検査を受ける前に服を脱ぐのと一緒に!ブレストフォームを外していた。取り外しに時間が掛かるので少し早めに保険室に入り専用の脱衣所を作ってもらって!前のクラスの最後の方の子たちが検査を受けている間に取り外していたようである。
 
「おっぱい無いのバレてるのに往生際が悪いね」
と他の子たちから陰口を叩かれていたが、西湖は内心冷や汗を掻きながら、そういう会話を聞いていた。
 

西湖はふつうに胸に電極を付けて心電図検査を受け、普通に上半身裸でX線撮影を受けた。前後の子たちと上半身裸を曝し合うことになるが、全く何も気にしない。
 
取り敢えず女の子の身体でいるのは、女子校生活を送るには便利だよな、と思う。しかし次第に自分が男の子だった頃のことを忘れつつあるような気もした。
 
「あなたひょっとして性転換手術受けちゃったってことはないよね?」
と後日、保健室の川相先生から訊かれた。
 
「そんなことはないですよぉ。私は男の子ですよ」
と答えながら、かなり後ろめたい。
 
「だいたい性転換手術なんて受ける時間無いです」
「だよね!忙しすぎる!」
 
「それと私、もう女の子に対して完全に不感症になっちゃいました」
「ああ」
「少なくとも女の子との恋愛なんて考えられないし」
 
「男の子との恋愛は考えられる?」
との質問には少し迷った末に
「分からないです」
と答えた。
 
「まあ無理に男か女かなんて考えずに好きになった人があったら性別関係無く交際して結婚すればいいかもね」
 
「そうかもですね」
と西湖も答えた。
 
「でも私、卒業した後、男の子に戻れる自信ないです」
と西湖が言うと川相先生は少し考えてから言った。
 
「卒業したら正式に性転換手術受けて、女の子になっちゃったら?」
と先生にしては珍しくこういうことを唆す。
 
「去年1年間の女子高生活の中で何度か考えていたんですけど、私、このまま女でやっていける気がします」
「ああ、それは間違い無くやっていける」
 
「それに卒業した後で、ごめんなさい。私男でした、なんて言ったら、同級生たちに殺されるかも」
 
「ああ、それは間違い無く殺される」
と川相先生も言った。
 
「ということはあなたはもう本当の女の子になってしまうしかないね」
 
「そんな気がしてきました」
 
「ちんちん無くなっちゃっても構わないんでしょ?」
と訊かれて
「それはもう少し考えさせて下さい」
と答えると、川相先生は微笑みながら頷いていた。
 

「聞いた?平野がチンコ切るんだって」
と久彦が言うので、岬はドキッとした。
 
「なんで切るの?」
と和茂が訊くので
「切るのは医療用のメスかハサミじゃないの?」
と久彦が答えると
「いや、切る道具じゃなくて理由」
と和茂は言う。
 
「チンコの根本に腫瘍ができてるらしい。チンコの先の方にできたのなら、その先を切れば済むけど、根本だから全部切らないといけないらしい」
 
「うっそー!?」
と香美が手を口の所に当てて驚いている。
 
「茜、あんた何か聞いてないの?」
と近くに居る、平野啓太の親友・落合茜に尋ねる。
 
「ああ、ちんちん切るらしいね。ちんちん無くなっちゃったらもう男じゃなくなるだろうから、スカートをプレゼントしてやるよと言っておいた」
と茜は平然として答えている。
 
「あんた平気なの?」
 
「別にちんちんくらい無くなってもいいんじゃないの?私もちんちん無いし」
 
と言って茜は振り返りもせずに英語の教科書を読んでいた。
 

啓太が病室に寝て窓の外を見ていたら、クラスメイトの月乃岬が入って来た。
 
「ああ、月乃か。見舞いに来てくれたの?ありがとう」
「手術は?」
「3時かららしい。もうすぐ手術着に着換えさせにくる」
 
岬は思い切って言った。
 
「ね。手術受けるの代わってくれない?」
「はぁ!?」
「平野君、ちんちん切られたくないよね?ボク、ちんちん切られたい」
 
啓太はしばらく考えていた。
 
「確かに月乃はちんこ切られたいのかもな」
 
「ボク、ちんちん切られることにならないかなあと思って、いっぱいそういう事例を昔から調べていたんだよ。平野君の症例って、腫瘍がそんなに大きくないなら、ちんちん全部切らなくても、その部分だけ切って、前後を繋ぎ合わせる治療法があると思うんだ」
 
「マジ!?」
「だからもっと大きい病院に掛かってごらんよ。絶対別の治療法を提案してもらえるから」
 
「で、でも、もう30分もしたら俺手術されてしまう」
「だから代わりにボクが手術されるよ。平野君、ベッドの下に隠れておくか、あるいは逃亡するか」
 
「逃亡しようかな・・・。祖母ちゃんの家にかくまってもらおう」
「逃げるならすぐだよ」
「よし。じゃ後は頼む」
 
と言って啓太は病衣を脱いで普段着を着て、逃亡していったのである。
 

岬は啓太が残した病衣を着るとベッドに横になった。
 
するとすぐ看護師さんが入って来て
「平野啓太さん、手術着に着換えますよ」
と言って、服を全部脱ぐように言う。それで岬が裸になると、看護師は手術着を着せた。
 
そこに落合茜が入って来た。思わず「え!?」という声を出した。しかし一瞬で事情を察したようである。
 
「啓太、いよいよちんちん切られるね。感想は?」
「切られたくないよぉ。落合代わってくれない?」
「残念ながら、私はちんちん持ってないからね。誰かちんちんあるけど切られたい子がいたら代わってもらえたのにね」
と茜は言った。
 
「いったんちんちん切るけど、病状が落ち着いたらちゃんと、ちんちんの再建手術するから安心してね」
などと看護師さんは言っている。
 
それで“啓太”を装った岬は手術室に運ばれていった。
 

手術中のランプが点いたすぐ後、啓太の両親が駆けつけて来た。
 
「遅くなった。凄い渋滞していて」
「手術はもう始まりましたよ」
と茜が言う。
 
「落合さん、来てくれたのね」
「まあ幼馴染みのよしみで」
「啓太何か言ってた?」
「女になったら、可愛いスカート穿きたいと言ってましたよ」
「そんな冗談言う余裕があるんだ!」
 

手術は2時間に及ぶ大手術であった。茜は若干の良心の痛みを感じながら啓太の両親と会話していた。
 
「手術中」のランプが消え、医師が出てくる。
 
「先生どうでしたか?」
「手術は成功しました」
「そうですか」
 
「陰茎は全部除去しました。転移の可能性があるので、睾丸および陰嚢の内容物も全て除去しました。あとは化学療法をしながら落ち着いたところで半年後くらいに男性器の再建手術をしますので」
 
「今はお股はどういう形になっているんですか?」
と茜は質問した。
 
「尿道口だけが出ている状態ですが、そのままでは尿道口が炎症を起こしやすいので、それを保護するため、一時的に陰嚢の皮膚を利用して女性の陰裂に似たものを形成し、その中に尿道口が開くようにしています。これは実は後で男性器の再建をする時に陰嚢を作るための皮膚を確保しておくためでもあるのですが」
 
確かに大陰唇と陰嚢は元々同じもので、大陰唇が癒着してしまったのが陰嚢だとは香美が言っていたな、と茜は思い起こしていた。それを左右に分割して折り返して陰裂を作ったのだろう。元の形に戻したようなものだ。
 
「じゃ、見た目は女の子みたいな感じですか?」
 
「そうです。でも一時的なものですから。男性器の再建をすれば、ちゃんと普通の男の子と同じ形に戻りますから」
と医師は言う。
 
「分かりました。でも啓太は子供は作れないんですよね」
とお父さん。
 
「それは諦めてください」
 
「お父さん、大丈夫ですよ。子供作れなくなっても、私が啓太君と結婚してあげますから」
「でもいいの?」
 
「私がそういう約束したら、やっと手術受ける覚悟ができたみたいで」
「そうだったの・・・」
 
そこにストレッチャーに乗せられた“啓太”が出てくる。茜は『岬ちゃん、女の子みたいな形にしてもらえてよかったね』と心の中で言った。
 
しかし両親は戸惑うような顔をして言った。
 
「誰です?これ」
 
「え!?」
と医師が声を挙げた。
 

「ねぇねぇ聞いた?」
と言ってきたのは浅井童夢である。
 
「何を?」
「木村先生の息子さんが連休明けに転校してくるらしい。4年生だけど」
「連休明けの転校って珍しいね。普通は学期の切れ目なのに」
「ちょっと待って。息子さん?」
「男の子が女子校に転校してくるの!?」
 
西湖もびっくりする。そんなのいいんだっけ?と自分のことは棚に上げて考えた。
 
「それがどうも半陰陽だったらしいのよ」
「そういうことか!」
 
「生まれた時にちんちんが付いてたから男の子と思われて、出生届も男の子で出して。名前も男らしい名前だったんだって」
 
「へー」
 
「でも実は睾丸が無かったらしい」
「ありゃ」
 
「小さい頃お医者さんに見せたら『停留睾丸ですね。その内降りてきますよ』と言われたらしい」
「それ藪医者という気がする」
 
「だけど中学2年生になってもまだ声変わりもしないし、むしろ身体に脂肪がついて女の子みたいな体型になってきたんだって」
 
「ああ」
 
「中学3年になるとおっぱいまで膨らんで来たから、大きな病院で精密検査を受けたら、半陰陽で性別自体が曖昧だという判定になったって」
「曖昧なのか!」
 
「それで家族で話し合って、カウンセラーさんとか占い師さんとかとも話して」
「占い師さんにも相談するの〜?」
 
「本人も、自分はあまり腕力もないし、可愛いもの好きだし、おっぱいが大きくなってきたのを受け入れているし、白雪姫になりたいか王子様になりたいかと訊かれたら、白雪姫の方に同調するから、女の子として生きていきたいということになって」
 
「へー」
「それで女性ホルモンの投与受けて受けて充分おっぱいも膨らんで来たところで本人の意志を再度確認して、卒業式も終わった後、手術を受けて、立派な女の子になったらしい」
 
「手術したんだ?」
「立派な女の子になったって・・・」
 
「どんな手術したの?」
「そりゃ、ちんちんを取って、割れ目ちゃんとかヴァギナとか作ったんじゃないの?」
「やはりそういう手術か」
 
「ちんちん取っちゃったのか」
「ちんちん付いてたら女の子水着になれないし」
「アクアはちんちん付いてても、女の子水着になって写真集も出してるよ」
「あれは本当は付いてないというのに1票」
 
「それで高校には女子として通学したいと連絡したら、男子として合格しているので、今更女子でしたといわれても困ると言われたらしくて」
 
「なぜ困る?」
「男女別に定員が設定されていたとか?」
「1人くらいどうにでもなりそうだけど」
「それで随分交渉したけど不調で、どうしようと言っていた時に、うちの理事長さんが、それならうちに転校してくればいいと言ってくれたらしい」
 
「なるほどー」
「だからそちらの学校からS学園に転校ということにして、向こうの学校で4月中に受けた授業数はこちらの授業数に振り替えることにしたと」
 
「それで転校な訳ね」
 
「むこうでは男子制服着てたのかな?」
「まさか。女子制服着てたんじゃないの?」
「でも短期間に女子制服をまた作らないといけないなんて大変ね」
「ほんと。制服って高いのに」
 
「それ戸籍の性別は?」
「手術が終わった所で性別訂正の申請を家庭裁判所に出したって。たぶん2〜3ヶ月で認められるだろうという話」
 
「じゃ戸籍上の性別はちゃんと女の子になるんだ?」
「現時点ではまだ男だけどね」
 
 
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【春茎】(5)