【春茎】(4)

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その内、幸花が
「あんたおっぱい大きいね」
と言われる。
 
まずい。まずい。その話題は無茶苦茶まずい。
 
それでどうしようと思った時のことだった。
 

突然グラグラっという揺れがある。
 
「きゃー!」
「地震!?」
 
「裸のままでは逃げられない。あがらなくちゃ!」
ということで、5人とも即あがって脱衣場に移動した。
 
幸いにも青葉たちとおばちゃんたちはロッカーがちょうど裏側になっていた。それで明恵はさっと身体を拭くと、急いでブラジャーを着け、パンティを穿く前にTシャツをかぶってしまう。これでバストがないことがバレにくくなる。どんなに急いでいてもブラは省略できない。その後、パンティとジーンズのパンツを穿いた。青葉たちも急いで服を着る。
 
そこに女将さんが飛び込んで来た。
 
「お客さんたち大丈夫?」
「大丈夫です!」
「取り敢えず庭へ」
 
というので誘導されて庭に出たが、揺れはやんだようである。神谷内さんも浴衣姿のまま寄ってくる。
 
「かなり大きかったね」
「速報では震度4だよ」
「きゃー!大きいとは思った」
「S波とP波の時間差がほとんど無かったと思うのですが」
と青葉が言う。
 
「うん。震源地は能登半島と書かれているから、直下型かも」
「わぁ」
 
実際この地震は震度4はこの界隈だけだったのである。輪島市・珠洲市・能登町・曲木町・穴水町の中心観測点ではみんな震度2〜3であった。要するに青葉たちが泊まっている地区の近くに震央があったのだろう。
 

やがて旅館の従業員さんたちが旅館のあちこちをチェックした結果、どこも壊れたりした所はないということで、みなさん食堂に入って下さいということになる。
 
ここで準備中だった夕食の食材の一部が地震で床に落ちてしまい、刺身などが使えなくなったので、冷凍のお肉を解凍して提供したいと旅館の主人から説明があり、客たちは「いいですよー」と声を掛ける。「お肉の方が好き」と言っている人もいる。
 
それでその日の夕食は本来ならお魚尽くしのような料理になるはずだったのが、唐揚げ、トンカツ、すき焼きなどというメニューになった。花火職人さんたちのグループからは歓声が上がっていた。
 
「若い人はきっとお魚よりお肉のほうがいいですよね」
「男の人は特にそうだろうね」
などと幸花も明恵も言いながら、トンカツにかじりついていた。
 
「でもこれ通常の食事の量より多い気がする」
「やはり地震があったからサービスでしょ」
 
しかしこの地震騒動のおかげで、明恵は騒がれずに自然にお風呂からあがることができた訳で、運の強い子のようだなと青葉は思った。
 

食事が終わって部屋に戻るともう布団が敷いてある。川の字に3枚である。
 
「奥が幸花さん、真ん中が私、出口側が明恵ちゃんというのでどう?」
と青葉は提案したが
 
「私、トイレ近いから入口側でいい?」
と幸花が言うので
 
「では奥側が明恵ちゃんで」
と青葉は言い、寝る場所は定まった。
 
「私の布団と青葉さんの布団の間に荷物を置きましょう」
と明恵が言うと
 
「ああ。青葉が明恵ちゃんを襲わない用心ね」
と幸花は言っていた。
 

2019年3月24日(日).
 
翌朝はお魚のフライや煮魚の入った朝食が出てきた。やはり昨夜の夕食でお魚が使えなくなったので、きっと急遽調達してきたのだろう。
 
朝8時半頃精算して宿を出た。
 
この日は最初曲木町にある曲木丘陵にある、天狗岩・饅頭岩を見に行く。これが分かりにくい場所にあるということで、いったん曲木町の役場に行き、そこで場所を知っている人に案内してもらってそこに行くことにする。
 
曲木町役場では、観光課の黒田さんという人が対応してくれた。
 
黒田さんに助手席に乗ってもらい、神谷内さんが運転して現場に向かう。明恵・青葉・幸花が後部座席に座る。
 
役場を出てから2kmほど走った時のことであった。
 

ヴィッツが走るすぐ前を何か黒く大きな動物が横切っていった。車との距離は推定2-3mという至近距離である。
 
神谷内さんがブレーキを踏み掛けたが、黒田さんが
 
「停まらないで!そのまま走って!」
と言うので走り去る。
 
青葉は後ろを振り向いたが、動物はそのまま脇の林の中に入ってしまったようである。
 
「熊に見えた」
と明恵が言う。
 
「間違い無く熊です。役場に連絡しなきゃ」
といって黒田さんが連絡していた。
 
「停まってしまうと、熊から攻撃される危険がありますから、走り去る一手です」
と黒田さん。
 
「あれ轢いてたらどうなったんでしょう?」
と幸花が訊く。
 
「熊は大型トラックとぶつかったって平気です。でもこちらはヴィッツくらいなら、衝突の衝撃で走行不能になる危険があります」
 
「それ無茶苦茶やばくないですか?」
と幸花が顔をしかめて言う。
 
「まあぶつからなくて良かったですね」
 

青葉は腕を組んでいた。明恵と目が合う。どうも彼女も同じ事を考えているようである。
 
やがて車が大きな小屋のようなものがある所に着く。駐車場があり5台ほど駐められる。
 
「ここはこの付近の道路工事をした時の作業小屋なんですよ。崩すにもお金がかかるからそのままにしているんですけどね」
 
トイレがあるので、使わせてもらってから登山道に入る。今日も昨日千体地蔵に行った時と同様の、軽登山の装備である。全員登山靴・軍手に、杖代わりの傘を持っている。むろん長袖・長ズボンで色も黒は避けている。例によって機材は明恵と青葉で持ち、神谷内さんはカメラのみ、幸花は手ブラである。
 
でも黒田さんは半袖に革靴である! よく革靴でこんな道を歩くものだと思って青葉は眺めていた。
 
登山道自体は整備されているようで、危ない場所にはロープも張ってある。急な所には階段も作られていて、わりと歩きやすい。ただ途中いくつか分かれ道があり、案内板などがないので、知らないと迷うだろうと思った。
 
それで山林の中の登山道を20分近く登った所で、木の無い場所に出た。
 

「この先に天狗岩と饅頭岩が並んでいるんですよ」
と言って黒田さんは取材班を案内して、小さな木立を通り抜ける。そこも土の地面だった。
 
青葉は緊張した。明恵と目が合う。
 
饅頭岩はすぐ分かった。半球形の岩が2個並んでいる。
 
「饅頭というよりおっぱいみたい」
と幸花が言った。
 
しかし天狗岩らしきものが見当たらない。
 
その時黒田さんが声を挙げた。
 
「大変だぁ!天狗岩が折れてる」
 
「もしかしてそこに転がっている岩のかけらが天狗岩の残骸ですか?」
と神谷内さんが言った。
 
そこに2mほどに渡って岩のかけらが並んでいるのである。
 
「そうです。去年の秋に来た時はたしかにちゃんと立っていたのに」
「昨夜の地震で崩れたとか?」
「そうかも知れない。これ緊急に町で対処を考えなければ」
 
「崩れた天狗岩を接着して復元するとか?」
「そういうことになるかもしれません」
 
「でもその天狗岩の根元の部分が不思議な形になっていますね」
「ああ、まるで丼のふたみたいだ」
と黒田さんは言ったが、幸花と明恵は顔を見合わせた。
 
「丼のふたというよりむしろ女の子の形だったりして」
「確かにそのようにも見える」
 
天狗岩の根元の丸い部分の中心に凸型の盛り上がりが2本並び、結果的にできている間の窪みがまるで割れ目ちゃんのようにも見える。更にはその先の地面に穴まで開いている。
 
「天狗岩の崩れる前の写真とかありますか?」
と神谷内さんが訊く。
 
「あ、たぶん私のスマホの中に」
というので探してもらうと、昨年4月の日付の天狗岩の写真があった。これはあとでコピーさせてもらうことにする。
 
「天狗の鼻というより、おちんちんに見える」
と幸花は言った。
 
「そっちの饅頭岩がおっぱいに見えるから、一種の陰陽石かも」
と明恵が言うと
 
「確かにそういう説はありました」
と黒田さん。
 
「それで天狗岩が崩れて、まるで女の子みたいな形になっているから、陰陽石というより、もう性転換してもらって、女子(おなご)岩でいいかも」
と幸花。
 
「うーん。それはちょっと困るかも」
と黒田さんは言っていた。
 
そういう訳でこの天狗岩・饅頭岩の取材は、その天狗岩が崩壊した所に出くわすというとんでもない事態になったのである。
 

幸花たちがそのような会話をしている間、青葉は無言で緊張した面持ちで周囲に警戒していた。実は明恵も会話に参加しながらかなり緊張している。
 
青葉は雪娘と蜻蛉に神谷内さんと黒田さんをガードさせている。正直この2人を同時に使うのは辛いのだが、ここはやむを得ない。
 
ちなみに、青葉自身や幸花にはガードは必要無い。そして多分・・・明恵にもガードは必要無い。むしろ影響が出ても構わない!?
 
幸花が気付いた。
「ドイルさん、何か緊張してます?」
 
「そこのですね、天狗岩が倒れた後に穴が開いている所がありますよね」
「はい」
「その穴だけでも、応急処置で塞げませんか?」
 
「この穴が何か?」
「そこからよくないものが流出しています」
と青葉は言った。
 
「ガスか何かですか?」
 
山の中ではしばしば有毒ガスが噴出して危険な場所がある。
 
「妖怪の元のようなものですね」
と青葉は言った。
 
「霊的にやばいものですか?」
と幸花が言う。
 
「これは特に男性に悪影響があります。今ここにいる男性おふたりは私が取り敢えずガードしていますが、これを見に来た男性の観光客が男性能力に影響が出るかも」
 
「それはやばい!」
と黒田さん。
 
「穴を塞げばいいんですか?」
「はい。でもこの周囲に漂っているものをどうするかな?」
 

と青葉が言った時のことだった。
 
青葉の脳内に千里の声が響く。
 
『“姫様”のチャンネルを使って、操作するから、端末になって』
『分かった!お願い』
 
青葉は神谷内さんに
「カメラを停めて下さい」
と言うと、もっともらしく、数珠を取り出して穴の前で合掌し、光明真言を唱えた。すると唱え終わった瞬間、《姫様》のチャンネルから何かとてつもなく大きなものがやってくる。
 
巨大な気球というより飛行船のようなものがその付近に作られた気がした。それはこの饅頭岩・天狗岩の周囲推定100mくらいの範囲を覆うと、急速に縮んでいく。そして全ての物を穴の中に押し戻してしまった。
 
青葉は言った。
 
「すみません。その岩でこの穴を塞げますか?」
 
「やってみよう!」
 
それで黒田さんと神谷内さんの2人で何とか天狗岩の一番下の破片と思われる石を持ち上げ、穴の上に置いた。実は青葉は海坊主にもこの作業を手伝わせた。
 
「何とか持てた」
「あんた結構腕力あるね」
 
と黒田さんと神谷内さんは言っている。岩の重さは推定140-150kgくらい。黒田さんは若い頃漁船にでも乗っていた感じだが、神谷内さんは肉体労働の経験が無い。しかし海坊主がひとりで100kg近くを引き受けたので動かせたのである。
 
「凄い!全部穴の中に押し込んで封印できた!」
と明恵が言った。彼女も何が起きているか自体は認識出来ていたようだ。
 
『千里の奴、また勝手に妾(わらわ)の力を使いおって』
と《姫様》が文句を言っている。
 
「何か気温が少し上がった気がする」
と幸花が言う。
 
「ネガティブな気が体感温度自体を下げていたようですね」
と青葉。
 
「処理出来ました?」
「できました。修復工事をなさる場合も、その岩だけは動かさないようにして下さい」
 
「分かりました。何か凄い処置をしてもらった気がするのですが」
「まあ取材のついでということで」
 
「多分500万円かひょっとすると1000万円くらい取る仕事ですよね?」
と明恵が言った。さすが相場が分かっている。
 
「済みません。町の予算があまり無いんですが」
と黒田さんが言うが
 
「取材のついでですから無料ですよ」
と青葉は笑顔で言った。
 
しかし青葉は、この取材にカメラマンの森下さんもドライバーの城山さんも欠席することになった理由を理解した。彼らの守護霊が回避させたのだろう。それに青葉としても守れるのは2人が限界だった。ここに黒田さんと神谷内さん以外の男性がいても、とてもガードしきれなかった。神谷内さんももしかしたら何か妨害するような出来事があったかも知れないが、参加したのは番組責任者としての使命感だろう。
 
そして熊の目前横断は、青葉たちへの強い警告だったのだろう。あれで青葉も明恵も「この先に何かある」と気付いたのである。
 
しかしここに青葉が来ていなければ、“被害”が出ていたかも知れない。
 

少し休憩してから登山道を降り、黒田さんを町役場まで送った。黒田さんは何度も御礼を言っていた。こちらも案内の御礼を言った。
 
「私が運転しますよ。ドイルさん、さっきの処理で1週間分くらいのエネルギーを使ったでしょう?」
と言って明恵が運転席に座り、曲木町役場を出て、車は珠洲市に戻る。大谷集落を過ぎ、国道249号と県道28号の複雑な分岐を県道方面に進み、少し行った所にゴジラ岩と書かれた看板があった。パーキングに車を駐める。
 
「どこにゴジラが・・・」
と幸花が言うが
 
「あれですよ」
と青葉は指さした。
 
「あれが〜〜〜?」
と幸花は少し呆れたような声を挙げた。
 

(2019.6.17撮影)
 
「ゴジラというよりミニラかも」
「まあゴジラの赤ちゃんかな」
 
そういうことで先に行く。
 

「この先は道の難易度が高くなるから私が運転するよ」
と言って、青葉が運転席に座り、能登半島の先端・禄剛埼を目指す。
 
「ここ、夜中には運転したくない」
と幸花が言った。
 
「夜中は道路の線形が分かりにくいから、よく見てないと、カーブを曲がりきれずに海に転落するかもね」
と青葉。
 
「カーブというより曲がり角だろって感じのカーブが続きますね」
と明恵。
 
実際途中“ただのカーブ”をカーナビが『右方向です』と案内した!
 
やがてヴィッツは能登半島北東端・禄剛埼に近い狼煙(のろし)の道の駅に到着する。車を駐めて降りてから
 
「さあ、登山するよ!」
と声を掛ける。もっとも、ここの遊歩道は軍手までは必要無い。杖を持っていくかは任意である!?
 

道の駅の駐車場を出て道路を横断し、左手の所に“分かりやすい”登り口があるのでそこから登り始めるが・・・
 
「きつーい!ちょっと待って」
と言って幸花が足を止めて休んでいる。
 
ここは物凄い急勾配なのである。
 
「まあ結構きついですよね」
と明恵は言っているが、彼女はわりと平気そうである。
 
神谷内さんも辛そうだ!
 
そういう訳で距離的にはほんの450mほどなのだが、到達するのに20分掛かった!
 
正面に美しい灯台が見えているが“日本の中心”はその手前左手にあった。
 

(2019.6.17撮影)
 
「これはどういう理由でここが日本の中心なんだろう?」
「説明とかは無いね」
「リサーチャーさんが調べてくれたのでは“日本の中心”というのは全国に30ヶ所くらいあるらしい」
「そんなに!?」
 

各種資料によると“日本の中心”は少なくとも28個あるらしい。
 
まず多数の“中心点”がある長野県の中心点リスト:
1.長野県諏訪湖 中央構造線と糸魚川静岡構造線との交点
2.長野県辰野町 日本の地理的中心。東経138度・北緯36度
3.長野県飯田市 日本の人口分布を2等分する緯度線および経度線の交点
4.長野県小川村 本州の形の板を作るとここでバランス
5.長野県上松町 日本の排他的経済水域の形の板を作るとここでバランス
6.長野県南牧村 日本の中央に位置する長野・新潟・山梨・静岡の測量基準点(第8系原点)がある。
7.長野県佐久市 国土地理院の計算による日本で海岸線から最も遠い点
8.長野県上田市 “国土の大神”生島足島神社がある。
9.長野県塩尻市 日本列島の中心に長野があり、長野の中央に塩嶺高原があり、その中央に塩尻市がある。
10.長野県松本市 日本列島の中心に長野があり、その中心は松本市
 
東京にも“中心”が複数ある。
11.東京都永田町 日本水準原点(高さの基準点)
12.東京都麻布台 日本経緯度原点
13.東京都日本橋 国道の起点
 
その他関東にある“中心”
14.栃木県佐野市 北海道最北端と九州最南端との中間で、日本海までの距離と太平洋までの距離が等しい点
15.群馬県渋川市 北海道から九州までを円で囲んだ中心。異説:坂上田村麻呂が臍の形の石を見て「ここが日本の臍だ」と言ったから。
16.千葉県銚子市 ちょうど日本列島が収まる円の中心
 
関西付近の“中心”。
17.兵庫県明石市 日本標準時は明石時刻とも呼ばれる
18.兵庫県西脇市 日本の地理的中心。東経135度・北緯35度
 
中部地方の“中心”
19.山梨県韮崎市 日本列島の最北端(稚内)と最南端(佐多岬)を円で結んだ中心
20.新潟県糸魚川市 日本の東西南北端点を基準にした「経度・緯度の中心」になるのが新潟県沖の海上で、そこから最も近い陸地
21.石川県珠洲市 国土地理院が計算した「日本の重心」になるのが富山県沖の海上で、そこから最も近い陸地
22.岐阜県郡上市 1995年の国勢調査で人口重心とされた。
23.岐阜県関市 その後人口重心が東にずれ2010年時点ではここに重心がある
24.静岡県湖西市 日本の二大都市である東京と大阪の真ん中
25.静岡県袋井市 東京と京都の真ん中
26.福井県 日本海側の都道府県の中でほぼ中心
 
思いも寄らない場所にある“中心”
27.徳島県東みよし町 北緯と東経の数字が0分0秒の点(日本に9つある)の中心
28.青森県東北町 坂上田村麻呂が刻んだとされる「日本の中心」という碑が出土。
 

「そういう訳でここは“日本の重心”らしいです」
と幸花は28ヶ所を羅列したリストのフリップを持って言った。
 
「なんか日本を覆う円の中心というのがいくつもある気がするのですが」
と明恵が突っ込む。
「まあ見解の相違でしょう」
と幸花はサラッと逃げた。
 
「でもきれいな灯台ですね」
と幸花はさっさと話を切り上げてしまった。
 

 
「どこかに菊の御紋章があると聞いたのですが」
と言って探すと、青葉たちが来た公園側から入って右手(実はそちらが正面っぽい)の所に掲げられていた。
 

 
「ここ禄剛埼(ろくごうざき)は能登半島の北東端で海の難所だったので古来、この岬で狼煙(のろし)を上げ、行き交う船に注意を促していたそうです。それでこの地を狼煙というのだそうです」
 
「北東端というと、北端ではないのですか?」
と明恵が訊くと
 
「北端はシャク崎ですね」
と言って幸花は用意していた地図で示した。
 
「ちなみに東端は長手崎です」
とそれも地図で指し示した。
 
「ずっと南の方なんですね!」
「ですです」
 

灯台の近くにはこの岬から各地への距離を示す標識も立っていた。
 

東京302km 上海1598km 釜山783km ウラジオストック772km
 
「つまりここって釜山とウラジオストックの中点付近ですか?」
と明恵。
「どうもそういうことのようですね」
と幸花。
 
これで禄剛埼の取材を終え、青葉たちは灯台横の遊歩道を降りて行く。遊歩道に入ってすぐの所に
 
《義宮正仁親王(現常陸宮)殿下御手植の松》
 
と書かれた標柱が立っている。また
《暁の蝉がきこゆる岬かな》
という前田普羅の句を書いた板もあった。
 
多くの観光客は道の駅左手の登り口から来ると同じ道を帰るので、遊歩道のこちら側から下る人は少ないようである。
 
「私こちらの遊歩道を登りたかった」
と幸花が言っている。
 
「こちらが階段とかになっていて登りやすい気はしますね。でも向こう側は全部舗装されているから、私たちみたいにしっかりした靴を履いていない人は向こう側でないと辛いかも」
と明恵。
 
「うん。トレッキングシューズとかウォーキングシューズなら、こちらでいい気がするね」
と神谷内さんも言った。
 

こちらの道は、道の駅から見て右手側、道路の曲がり角付近に出る。
 
駐車場に戻り、道の駅の施設でアイスクリームを買って食べる。幸花と明恵が並んで食べている所を神谷内さんが撮した。
 
トイレに行ってから車に乗り、道を西へしばらく戻って“つばき茶屋”というところに行った。
 

 
芸能人がよく来る店のようで店内に多数のサイン色紙が飾ってある。見ていると、長嶋一茂、的場浩二、船越英一郎などといった名前も並んでおり「すごーい!」と幸花が言い、撮影許可をもらって色紙が貼られている付近を撮影した。
 
「あ、アクアちゃんのサインもある」
と幸花が言う。
「へー。ここに来たのか」
と青葉が言っていたら
 
「あの時は凄かったですよ。たまたまお店に居たお客さんたちが大騒ぎして、でもそのひとりひとりにちゃんとサインを書いてあげていたんですよ。ニコニコしてて可愛いし、性格もすごくいい女の子ですね」
などとお店の人が言う。
 
「えっと・・・アクアは男の子なんですけど」
「嘘!?女の子とばかり思ってた!」
とお店の人。
 
まあ、アクアはそういう誤解を結構されているよね、と青葉は思う。
 

「そうだ。よかったらそちら様もサインを頂けませんか?」
 
「サイン書くならドイルさんだな」
「え〜〜〜!?」
 
それで青葉は即席で考えた金沢ドイル名義のサインを描いた。
「それだけでは寂しいから私が似顔絵を描いてあげよう」
と言って幸花がハンチング帽をかぶり、ロングマントを着け、パイプでも虫メガネでもなく数珠を持った金沢ドイルの絵を描いてくれた。
 
「似てる気がする」
と神谷内さん。
「皆山さん絵が上手いんですね!」
と明恵も褒めていた。
 
それで最後に青葉が日付を入れて、色紙は壁に貼られた。
 

メニューを持って来てもらう。
 
「面白ーい」
「こんなメニュー初めて見た」
 
小箱に入った小石で構成されたメニューである。石の表側にメニューの名前が書かれており、裏側にはその値段が書かれているのである。
 
「でまかせ定食が美味しいと聞いたのでそれで」
と頼む。フライと煮魚が選択できるということだったので、女子3人(若手3人?)はフライを頼み、神谷内さんが煮魚を選んだ。15分ほどおしゃべりをしている内に配膳されるが
 
「すごーい。これで1000円ですか?」
「こんなにボリュームあるのに」
と声があがった。
 

(2019.06.17撮影)
 
量もかなりあるが、実際食べると物凄く美味しかった。特にフライはお魚が新鮮なようで素晴らしかった。
 

食事の後は、幸花が運転し、県道52号で山を越えて内浦側に出る。
 
(能登半島の西側または北側の日本海沿岸を“外浦”、東側または南側の富山湾沿岸を“内浦”という)
 
珠洲市の中心・飯田の市街地を通過し、上戸の立体交差を越えた所ですぐ右手の細い道に入る。ほんの100mほど入った所に《倒さ杉》はあった。
 

(2019.06.13撮影)
 
「確かに枝が下に向かって伸びている」
「H高校のものと似ていますけど、こちらが大きいですね」
「これで樹齢850年ですか?それならH高校のは600年くらいかも」
「あるいはこちらが1000年くらい経っているかだね」
 
「ここは言われとかの伝承は無いみたいね」
「説明板にもその手の話は書いてないようですね」
 

それですぐ次に行く。7分ほど珠洲道路を走り、コンビニのちょっと先に「←見附島」という案内板があるので、左折する。広い駐車場があるのでそこに駐める。
 

(2019.06.20撮影)
 
「なるほど。確かに軍艦に見えますね」
と明恵は言った。
 
ここは前述のように弘法大師の五鈷杵がここで見つかったので見附島と呼ぶ。全長160m,横幅50m,高さ29m。昭和30年代までは登り口が存在したものの現在は通行不能になっている。上部に見附神社が祭られており、加志波良比古神を祭る。2007年の能登半島地震で社殿が倒壊しているのだが、現在は登れないので修復のメドも立っていない。
 
日曜日なので観光客やデート中のカップルなどが多い。設置されている鐘を鳴らして記念写真を撮ったりしているのが微笑ましい。青葉たちが〒〒テレビの名前が入ったカメラで撮影していたら、積極的に写りにくる若い人たちも多く、青葉たち3人はその観光客たちと肩を組んでカメラに映ったりした。
 

続いてここから旧道を走り5分ほどで恋路海岸に到達する。
 
目の前に弁天様が祭られている島があり、左手には奇岩っぽい岩が並んでいる。
 


(2019.06.13撮影)
 
↑の2つの岩の間にソフトクリームみたいな形をした岩もあったのだが、2007年の能登半島地震以降、今にも崩れそうな状態になっていたのが、つい先月、とうとう崩壊したらしく、少し寂しい景色になってしまった。
 
↓2007.05.03撮影

↓2019.06.27撮影

 
このあたりは以前の写真を用意していたので幸花が示して解説する所を神谷内さんが撮影する。
 
しかし今回やたらと岩の崩壊に遭遇するな、と青葉は思った。
 

先端側の岩を見て幸花が言う。
 
「ねえ、この岩、何かに見えません?」
 
「F15イーグルかな」
と明恵が言う。
 
「何て心がきれいなんだ!」
と幸花は言っていた。
 
見附島同様観光客がけっこう居たので、結局青葉たちは観光客たちと一緒にカメラに映ることになった。
 

ここは、廃線になった筈の《のと鉄道能登線》の中で唯一今でも列車が走っているということで、すぐ近くの恋路駅に行くことにする。取材クルーが行くので何かあるようだと思った観光客がぞろぞろ付いてくる。
 
「可愛い!」
と幸花も明恵も声を挙げた。
 
「トロッコ列車ですか」

(2019.6.27撮影:カバーの掛かっている状態で済みません)
 
「のトロと言うんですよ」
「能登のトロッコかな?」
 
「ここで質問です。このトロッコ列車の動力は何でしょう?」
と運営会社の人が尋ねる。
 
「えっと。電気かな?」
と幸花。
「もっとエコなものです」
「風力?」
と幸花。
「究極のエコですよ」
「もしかして人力ですか?」
と明恵が訊いた。
 
「正解!」
 

そういう訳でこのトロッコ列車は人力で動く(動かす)のである!
 
幸花と明恵が並んで先頭に乗り、その後ろの席に青葉が乗る。神谷内さんはカメラを持ってその様子を撮る。一般のお客さんの中にも乗りたいという人があるので、乗ってもらう。結局満員の8人乗ってトロッコ列車は人力で!200mほど向こうの宗玄駅まで到達した。思わず拍手が沸き起こった。
 

 
この宗玄駅は、地元の酒蔵《宗玄》が、のと鉄道の廃線になった後のトンネルを利用して日本酒の醸成をおこなっているものである。
 
結局この後は観光客が多数乗って、トロッコ列車は何往復もしていた。神谷内さんはその様子をずっと撮影していた。
 
なおこのトロッコ列車の運賃は1人500円である。
 
恋路駅には、のと鉄道の廃線後もずっと旅の記念を書き綴るノートが置かれて訪問者が思い思いのメッセージを残している。見てみるとだいたい週に10件くらいのペースで書き込まれているようであった。

 

車に戻る。神谷内さんが運転して、旧道を更に進む。松波の中心部を通過して、県道35号を少しだけ進み、九里川尻付近の十字路を右折する。少し走って、消防署の十字路を右折する。少し行った所にある《あまめはぎ公園》に車を駐める。
 
トイレがあるので行っておく。
 
「さあ、みんな登山の用意はいいか?」
「今回の旅ってひたすら軽登山ですね!」
 
公園の向かい側にある林道に入っていく。道はわりと広くて歩きやすい。但し所々岩盤の上を歩くような所もあった。
 
「ふつうのハイキングですよね、これなら」
と明恵も言っている。
 
例によって機材は青葉と明恵が持っていて、神谷内さんはカメラのみ、幸花は手ブラである!
 
途中竹林がある。
「ここイノシシがよく出るらしいから気をつけて」
「どう気をつけるんですか!?」
「まあ出会わないことを祈ろう」
 

軽快に20分ほど歩いた所に唐突に簡易トイレがある。
 
「どうもここのようだ」
「あ、左手に何かある」
というので、左手に行ってみると、事前の写真で見たような岩だらけの地形があった。
 
「これがヒデッ坂ですかね?」
「分からないけど撮影しておこう」
「ここ転落しやすそうだから気をつけて」
「滑落したら救助隊が出て大騒ぎになる」
 
杖代わりに持って来た傘を突きながら慎重に動き回った。軍手と杖が無ければ動き回れない場所だ。絶対に小学生などは連れて来たくない。
 
それでだいたい撮影した所で道に戻る。
 
それでトイレそばの階段を登ると「ヒデッ坂」の説明板が立っていた。
 
「こちらがヒデッ坂だったのか」
 
などと言いながら、その説明板の向こうまで行くと、そこに息を呑むような地形が広がっていた。
 

(2017.6.10撮影)
 
「これは凄い」
「これは林道を20分も歩いて来ただけの価値がありますね」
 
広い範囲にわたって岩盤が出ているが、一見羅漢様が数体斜めに立っているようにも見える。
 
「でもこれはおとな限定だよ。子供連れてきたら転落事故のおそれがある」
「18禁でいいかな」
 
「18禁といえば、その岩何かに見えない?」
と幸花が訊く。
 

 
「うーん。あざらし?」
と青葉。
「え〜〜!?」
 
青葉たちは反対側に回ってみた。
 
「こちらからはキティちゃんのリボンに見える」
と明恵。
 
「あんたたち、どんだけ心がキレイなのよ?」
と幸花が言っているが、神谷内さんは苦笑していた。
 

このヒデッ坂の大斜面の左手に細い山道があった。少し進んでみるとさっきの大斜面と似たような地形があったが、やや小規模である。こちらは近くまで行く道が存在しないようなので遠景だけを撮影した。
 
「この道、まだ先に進みます?」
「いや、戻ろう。今日中に羅漢山まで見たい」
「そうですね」
 
それで引き上げることにして、山道をヒデッ坂まで戻り、林道に戻って、あまめはぎ公園に向かって降りて行った。
 

公園で再度トイレに行ってから、車を5分ほど走らせて、この山の向こう側になる河ヶ谷(かがたに)集落に向かった。大きな道路から「河ヶ谷」という案内板のある細い道に入るが、この道路自体がもう林道らしい。
 
その林道を少し走ると集落がある。少し大きな三叉路の所で車を停め、神谷内さんが電話をすると、70歳くらいの男性が軽トラで来てくれた。
 
今日最後の取材地である羅漢山(らかんやま)は、行ったことのある人と一緒でなければ、まず到達不能ということで、町役場から案内可能な人を紹介してもらったのである。男性は新田さんといった。
 
「ああ、その車なら登り口の所まで行けるね」
というのでヴィッツの助手席に同乗してもらい、細い林道を1分ほど進んだ。
 
「ここから行くよ」
と言って新田さんは“何も道の無い所”に入って行く。
 
「あのぉ、そちらの道は違うんですか?」
と遠慮がちに幸花が細い道の見える所を指さすが
 
「ああ、その道からは到達できんよ」
と言われた。
 

そういう訳で、新田さんに案内されて取材クルーは“道無き道”を歩いて行く。傾斜もかなり急である。幸花が荒い息をしているので、時々新田さんは待ってくれた。
 
「機材持ってるあんたらの方が平気そうだね」
と青葉たちの方に声を掛ける。
 
「私は水泳の選手なので」
「私は毎日8km走っているので」
 
「なるほどー。スポーツ・ウーマンか」
と言う新田さんの英語の発音がきれいなので、青葉は「おっ」と思った。
 
「でも今回は霊界探訪じゃなくて秘境探訪だったかも」
などと幸花が言っている。
 
そんなことを言えるというのはまだ多少の精神的余裕があるようだ。
 
20分ほどの完璧な登山で、青葉たちは羅漢山に到達した。
 
「これはヒデッ坂とは別の意味で凄い」
「千体地蔵ともヒデッ坂とも違うタイプの浸食を受けていますね」
 

(*5)羅漢山の写真は例えば↓参照(能登町のホームページ内)
https://bit.ly/2xck5KH
 
本文中にも書いたようにここは行ったことのある人と一緒でないと、まず到達困難であるらしい。私は1度は普通の地図を見ながら5kmほど、その後、日を改めて、町役場の人からFAXしてもらった書き込みのある地図を見ながら河ヶ谷を更に12-13km歩き回ってみたのだが、やはりこの場所を発見できなかった。
 
役場の人によると、登り口は物凄く分かりにくいらしい。特に5月以降は草が茂ってくるのでまず見つけられないという話なので、ここも行くなら3月下旬か4月上旬かも知れない。
 
↓は歩き回っている最中に遠景に見た、たぶん羅漢山と同種の造形の場所。役場の人が書いてくれた地図の場所とは全く違うので、羅漢山ではないと思うが、ここもかなり凄そうな感じであった。
 

 
役場の人が送ってくれた地図では河ヶ谷林道から右手に入っていくのだが、現地で地元の人に道を尋ねたら左に入れと言われた。実は↑の写真は林道の左手に見えたのである。ひょっとすると“羅漢山”は2つあって、この写真はもうひとつの羅漢山なのかも知れない。
 

羅漢山の撮影はもう日没近くの撮影になった。
 
日が沈んでしまうと遭難の恐れがあるので、素早く撤収する。
 
車を駐めた所まで降りた来たらもう日が沈んでしまった。
 
「ギリギリだったね」
「でも凄いものを見られた」
 
三叉路の所まで戻り、青葉たちは新田さんによくよく御礼を言って別れた。
 

この日は河ヶ谷から10分ほど車で行った、能登町の中心部、宇出津(うしつ)の民宿に泊まった。
 
今日は神谷内さんは「男1人・女3人」で予約していたのだが、この日の宿泊客は青葉たち4人だけということで、8畳の部屋を2つ自由に使ってくれと言われた。この日は先に食事ということだったので、荷物を置いてすぐ食堂に行く。夕食は海の幸をふんだんに使ったもので、みんな美味しい美味しいと言って食べていた。
 
食事が終わった後、入浴タイムである。
 
「明恵ちゃーん、一緒にお風呂入ろうね」
と幸花が誘う。
「今日は3人だけみたいだから安心ですね」
と明恵も応じて、青葉も含めて3人でお風呂に行き、女湯と書かれている方に入って、ゆっくりと今日の汗を流した。湯船の中で明恵が
 
「マッサージしていいですか?」
と言い、幸花の足を揉んでくれたが、幸花はそれで随分凝りが取れたようだった。
 
「明恵ちゃんもしてあげるよ」
と言って、青葉が明恵の足を揉みほぐす。
 
「この揉み方はまた違う流儀だ。気持ちいいー」
「まあこういうのも幾つかやり方があるみたいね」
 
最後は明恵が青葉の足を揉みほぐしてくれた。
 
そんなこともやっていたので結局1時間近く入っていた。お風呂から上がると今日は昨日以上にハードだっただけあり、全員ぐっすりと眠った。
 

2019年3月25日(月).
 
またお魚たっぷりの朝御飯を食べてから出発する。
 
今日はわりと良い道を通るので、明恵に運転してもらった。
 
県道6号を上町(かんまち)ICまで行き、珠洲道路に乗って30分ほど走り、能登空港ICで能越自動車道に乗る。これを横田ICで降りて県道23号を通って山を越え、外浦側の志賀町の富来(とぎ)に到達する。
 
最初に行ったのはその県道23号の終点近くにある“世界一長いベンチ”である。
 
「これは確かに長い!」
と幸花が声を挙げる。
 

(2019.6.19撮影)
 
「何メートルあるんですかね?」
と明恵が訊くが
 
「そこに460.9mと書いてあるね」
と神谷内さんが答える。
 
「世界一長いベンチってギネスブック認定ですかね?」
「そうそう。1987年にギネスブックに認定された。でもその後、ドイツに500mのベンチができて抜かれた」
と神谷内さん。
「ありゃ、ドイツに負けましたか」
「でも2011年に富山県南砺市の瑞泉寺前ベンチが653.02mで世界一を取り返したんです」
と青葉が言う。
「おお、さすが富山県人」
「あそこ通る度に案内板を見ますから」
「じゃ今はそこが世界一ですか?」
「そうそう」
 

「しかし460mって、走ったら何分かかりますかね?」
と幸花は言ってしまってから数秒後に後悔することになる。
 
「走ってみれば分かるね」
と神谷内さんは言った。
 
「それ・・・誰が走るんでしょうか?」
「霊界探訪3人娘、頑張ってみよう」
 
「何か皆山さんが質問した時点でこうなりそうという気がした」
「結局私も走るのか」
 
それで神谷内さんが「用意ドン」と声を掛け、3人で走り始める。
 
すぐに青葉>明恵>>幸花と距離が開く。青葉は向こうの端まで到達した所でストップウォッチ・モードにしていた自分の腕時計を見る。1'23"だった。やがて明恵が到着する。明恵は1'41"である。かなり経ってから幸花が到着し、激しい息をしながら両手を膝に置いている。言葉も出ないようである。彼女が2'23"だった。明恵と幸花が端に到達する所は、青葉が自分のスマホで撮影した。
 
「でも全員端まで到達したね!」
 


 
(実はあちこちに貼ってあるこのベンチの写真は圧倒的に入口の所から写したものが多く、この終点側から写したものは少ない)
 
「ところであそこのギリシャ風の柱は?」
「さあ」
 
近寄ってみると《太陽のモニュメント》という案内板が立っていた。
 
「どこいら辺が太陽なのかな?」
「まあ芸術はよく分からない」
 
帰りは3人で歩いて帰ったが、4'10"で帰り着いた。もっとも青葉と明恵のペースに合わせるのに、幸花はかなりきつかったようである。
 
「体力の限界を感じる」
「毎日ウォーキングしましょう」
「アナウンサーは体力勝負ですよ」
「私、アナウンサー採用じゃないんだけどな」
「でも事実上アナウンサーみたいな仕事してますよね」
「まあレポーターかな」
「なるほど」
 

少し休んでから、神谷内さんが運転してまずは国道249号を北上する。15分ほど走った所に特徴のある岩が見える。駐車帯があるのでそこに駐める。
 
「トトロ岩にも見える権現岩」と書かれている。
 

(2019.6.19撮影)
 
「確かにトトロと思えばトトロにも見えるけど、普通に杖を突いた権現様に見えるよ」
と幸花は言った。
 
ここで車は折り返す。今度は幸花が運転して今来た国道249号を南下。関野鼻方面と書かれた所を右に分岐する。ここは県道49号だが、結構狭い道である。やがてコインパーク関野鼻というところがある。有料駐車場になっているので駐車券を取ってゲートを通る。
 
ここはかつて関野鼻パークハウスという観光施設が建っていたのだが、2007年の能登半島地震で建物が崩壊。閉鎖されてしまった。そのパークハウスを含めて関野鼻全体が私有地だったので、一時期は関野鼻自体を見ることができなくなっていたのだが、現在は有料駐車場(1台500円)として運用されている。駐車場を利用することで、関野鼻も見学できることになっている(車をここに駐めない場合は入場不可)。
 
「ヤセの断崖が見えている」
と神谷内さんが言った。
 

(2019.6.19撮影)
 
ヤセの断崖はそばまで行けるが、そばからは断崖全体の様子は見えない。この関野鼻がヤセの断崖のグッド・ビューポイントなのである。
 
遊歩道を先に進むと、階段を降りて更に登った所に展望台のようなものがある。
 
「あそこまで・・・行くんですよね?」
と幸花が遠慮がちに訊く。
「もちろん」
と神谷内さん。
 
「やはりこれは霊界探訪ではなくて肉体運動だ」
と幸花。
「今のはヒネリが足りない」
と青葉は言った。
 
それで階段を降りていくが途中から《義経一太刀岩・弁慶二太刀岩》が見えた。
 

(2019.6.19撮影)
 
昔義経と弁慶が力比べをして、義経は一太刀で岩を切ったが、弁慶は二太刀で切ったというものである。どちらが義経でどちらが弁慶かよく分からないが、左側の岩はハッキリ切れ目が2本見えるので、そちらが弁慶か?
 
その左手の海上には《くぐり岩》も見える。
 

 
《かぶと岩》というのもあるということだったが、どれがそのかぶと岩か分からなかった。あるいは↓か?
 

 
あるいは↓の方がかぶと岩かも知れない。

 
この《かぶと岩》の解説板はボルトが腐食したのか、倒れていた。多分誰も保守する人がいないのだろう。
 
なお駐車場から展望台までの道の高低差はむしろ展望台から帰り道を撮った↓のショットの方がよく分かる。
 

 
取材じゃなかったら、あそこまで行くかやめるか5-6秒悩むような道である。
 

充分見学してから車に戻る。500円の料金を入れて出口のゲートを出る。
 

(写真を撮りに行った時の駐車券)
 
県道49号を更に南下し、ヤセの断崖の駐車場(無料)に到達する。
 
こちらは遊歩道もきれいに整備されているようである。駐車場から100mの掲示がある。そして↓が現在のヤセの断崖である。
 

(2019.6.19撮影)
 
ここは松本清張「ゼロの焦点」の舞台となった高さ53mの断崖絶壁なのだが、(しばしば福井県の東尋坊と混同される)ここも2007年の能登半島地震で崖が10mにわたって崩れてしまい、かつての面影が無くなって、観光客も激減したらしい。つまり昔はこの先に更に10m突き出ていた。
 
ここから《義経の舟隠し》までは遊歩道を300m歩いていく。
 

 
細い入江というより谷間である。義経がここに舟を48艘隠したというのだが、さすがにここに48艘入れるのは無理という気がした。せいぜい10艘くらいだろう。
 
舟隠しという名前の場所は昨日泊まった能登町宇出津(うしつ)にもあるのだが、こちらなら48艘入りそうである。今回の青葉たちの旅では寄っていないが↓は参考写真である。
 
(入江の入口付近)

(入江の奥:現在は湿地だが昔はこの付近まで海だったものと思われる)

 
もっとも宇出津のものは、義経ではなくそこにあった棚木城の防御のため伏兵を忍ばせておくのに実際に使用されていたものらしい。
 
(ちなみにこの宇出津の舟隠しでは1977年9月19日に東京都在住の日本人男性が北朝鮮の工作員に拉致される事件が発生している:“宇出津事件”。当時捜査は不思議な圧力が掛かって打ち切られている)
 

取材一行は、義経の舟隠しからヤセの断崖まで戻り、駐車場に戻って今度は青葉が運転席に座り、県道49号を戻る。やがて国道249号に出るので、ここをまた南下する。富来町の中心部を通過し、更に南下していると「→機具岩」という案内がある(物凄く見逃しそうな案内である)ので、右手に分岐する。その岩はこの分岐点からすぐの所にあった。
 
(手前:男岩側から見た写真)

(ほぼ真正面から見た写真)

 
織物の神様、渟名木入姫命が機具(はたご:織機)を抱えてこの付近を歩いていた時、盗賊に襲われ、驚いた女神が機具を放り投げたら海に落ちて機具岩になったという伝説がある。その機具が化したというのは、この2つの岩の内左側の岩であろう。これは↑の写真では分かりにくいが近くから撮ると↓のような形になっている。
 

 
確かに機具の形にも見える。この2つの岩は夫婦岩(めおといわ)とも言われるが、こういう伝説もあるため、左側の大きな岩が女岩で、右側の小さな岩が男岩である。
 
「夫婦岩で男岩の方が小さいってのは珍しいですね」
「でも確かに機織りの道具なら、それを使うのが女なんでしょうね」
と幸花と青葉が言っていたら、明恵が大胆なことを言う。
 
「穴があいているから女岩なんじゃないんですか?」
 
幸花が頭を抱えている。
 
「あんたね、これテレビで放送するんだからね」
「今の所はピー音で消しましょうか?」
などと言っていたが、実際はこのまま放送された!
 
さすが深夜番組である。
 
しかしこの発言のお陰で、明恵はしばらくネット上で“穴あき女”の異名がついた。
 

明恵が運転して南下する。
 
この道をそのまま突き抜けると国道に戻るが、すぐに右側、県道36号に分岐する。分岐してすぐの所にクリフパークというトイレ・“プライベート駐車場”付きの公園がある。このプライベート駐車場というのは、↓の図に見るように、個別の駐車枠の間に強制的に3mの空間が作られていて、プライバシーが保たれた状態で車中から夕日が見られる作りになっている。
 

 
「あのぉ、プライベート駐車ゾーンって・・・」
「テレビでその先まで言っちゃまずいよ」
「まあ邪魔されずにカップルが夕日を楽しめる駐車場じゃないの?」
「そうそう。夕日を楽しむためのものですよね」
 
何だかかなりヤバいことを言ってしまっている気はする。なお、これ以外に普通の駐車場もある。また、この公園の先端からも機具岩の遠景が見られる。
 

今日はこの公園には停まらず、通過して少し先に行く。右手に巌門入口という所がある。ここの道を入って行き、能登金剛センター前の駐車場に駐める。ここで遅めのお昼ごはんを食べることにする。
 
「今回の取材の最後の食事だからドーンと行きましょうよ」
などと幸花が言う(逆パワハラ)。
 
「分かった、分かった。海鮮能登金剛丼にしようか」
と言って、神谷内さんが1600円の海鮮能登金剛丼を4つ券売機で買って注文する。取材費で出るかどうかは微妙である。
 
しかしこれが1600円もするだけあって、本当に豪華だった。
 
「美味しい〜!」
と言って、幸花・明恵・青葉が食べている所を神谷内さんは撮影している。
 
「ディレクター食べないんですか?」
「僕が食べている所を撮っても絵にならないから。やはり若い子が食べているところを放送しなきゃね」
 
それで女子3人の食事シーンを主として撮影したのであった。
 

食事の後は遊覧船に乗ることにする。食事のすぐ後で船に乗って、胃の中身が揺れないか心配したが、そんなに揺れる船ではないということで乗り場まで降りていって乗船する。乗り場は2つ(能登金剛センターそば・旅の駅そば)あるが、今回は旅の駅そばの乗り場から乗ることにした。この降りて行く所がまた関野鼻みたいに急な階段だった。
 
降りて行く途中から猪ノ鼻崎が見えた。
 

(2019.6.19撮影)
 
2つ並んだ海食洞が猪の鼻のように見えるのでこの名がある。
 
船着き場の近くにも大きな海食洞がある。
 

 
これが巌門かと思ったら違った!
 
遊覧船はこんな感じである。

 
運行時刻とかは定まっていないようで、適当にお客さんが溜まったら船を出すという方式のようである。青葉たちが行った時は誰も居なかった。そのまま10分ほど待つが誰も来ない。
 
「平日だからなあ」
 
それで結局、この4人だけなのに船を出してもらえることになった。
 
「すみませーん」
と言って4人分4400円を船頭さんに支払って乗船する。
 
船は前半分が船室、後ろ半分がデッキになっているが、デッキの方が見えやすいですよというのでそちらに乗る。しかし船は確かに大して揺れないのだが、どこかに捉まっているか、あるいは腰でバランスを取っていないと安定を保てない。荷物は落ちたら困るので全部床に置いた。
 
すぐに巌門(がんもん)に到達する。
 

 
この海食洞を小舟なら向こうまで突き抜けられるのだが、遊覧船のようなサイズの船では(船底が海底にぶつかるので)無理である。それで遊覧船は途中まで入って引き返すことになっている。
 
その先はまず鷹ノ巣岩の傍を通る。

 
高さは30mほどある。頂上に鷹が巣を作っていたので鷹の巣岩という。途中にある窪みの所に見える白いものは海鳥の糞である!
 
そして碁盤島に行く。↓で右側が碁盤島で、それに向かい合う左手にあるのは虎岩である。遊覧船はこの2つの間を通り抜ける。

 
この付近の岩石は縦横にヒビが入るので、碁盤の目のようになる。そこで義経と弁慶がそれを利用して碁を打ったのだという。この島の頂上には窪みがあり、そこには碁石のような小さな石がたくさん入っているらしい。
 
これでだいたい遊覧は終わり、船着き場に戻った。青葉たちは船頭さんたちに御礼を言って船を降り、《旅の駅・巌門》まで登って戻るのだが・・・
 
幸花は途中4回も休んでいた。
 
「この3日間で無茶苦茶身体を鍛えられた気がする」
「まあ今回は霊感より体力が必要だったね」
「私は手ブラにしてもらって、こんなにきついのに、ドイルさんも明恵ちゃんもよくその重そうな機材を持ったまま、スイスイ登っていくね」
「鍛えてるから」
 

「疲れたぁ!」
ということで、旅の駅で海の塩ソフトクリームを買って食べた(お金は青葉が3人分出した)。これがまた美味しかった。
 

 
3人がアイスクリームを食べる所を神谷内さんが撮影して、今回の取材旅行は終了した。実際にはこの後、遊歩道を歩いて巌門の裏側も見たのだが、放送時間の都合でこの部分は丸ごとカットしてしまった。↓はその裏側から見た巌門である。
 

 

なお、今回の取材に明恵が同行することになった経緯として、金沢に戻ってから再現ドラマを撮った。杜の里店では彼女の家に近すぎるので、代わりに〒〒テレビに近いイオンタウン示野を使用し、そこでドイルと幸花が待ち合わせしていた所にちょうど明恵が買物をするのに通りかかり、幸花にキャッチされて、
 
「助手の青山さんが退職したから人手が足りないのよ。あんた知り合いのよしみで手伝って」
と言われて“臨時雇用”されることになったという設定にした。
 
神谷内さんが書いた台本ではあるが、ほとんど事実通りである!
 
しかし視聴者は明恵はリポーターとして採用されて、登場にあたってこういうシナリオのドラマを撮ったのだろうと思うであろう。
 
なおこの放送は6月に放送される予定なので、明恵もそれまではきっと平穏な日常を送れるだろう。なお明恵が次回以降も登場するかについては次の取材までの間に明恵本人が決めて、ということになった。神谷内さんとしては大いに歓迎と言っていた。
 
 
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【春茎】(4)