【春茎】(1)

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岬は夢を見ていた。
 
五重塔が建っていた。そこに大きなブルドーザーがやってきて、五重塔の下の部分を壊し始めた。やがて五重塔は大きな音を立てて倒れた。その後を多数の土木車両が入って片付けてしまう。
 
車両が去った後には、何もない草原になっていた。その何もない草原を岬はじっと見つめていた。
 

2018年10月24-25日に学校を休んで人間ドックを受けて来た西湖は診断書を事務所に提出し、その診断書を見た秋風コスモス社長も、桜木ワルツも
「異常は無いみたいで良かった」
と言ってくれた。
 
西湖は婦人科とかまで受診していることに何か言われないかなとドキドキしていたのだが、何も言われなかった。また診断書の性別が女になっていたのも、ふたりは気付かないようであった。
 
週末は北海道に飛び、北里ナナの『シルバークリスマス/風車小屋の娘』のPV撮影をしたが、なかなかハードだった!続いて翌週からはアクア主演の連続ドラマ『少年探偵団II』の撮影も始まる。主演のリハーサル役だから出番も多く、たくさんセリフを覚えなければいけないので大変なのだが、このドラマは出演者の多くが中高生なので、学校が終わった時刻から放送局に入ればリハに間に合う。つまり学校を早退する必要が無いのがいいところである!
 
しかし年末が近づくと、特別番組などの制作が続き、拘束時間も長いので、数日連続で学校を休まざるを得ない日もあった。更に、アクアのミニアルバム、北里ナナのシングル、アクアのシングルとCD発売が続き、更にローズ+リリーのカウントダウンライブのプレ・イベントへの出演があるのでその練習、またアクアのドームツアーが1月1日から始まるのでそのリハーサルと、かなり忙しい日々が続いた。
 

「今年も年末年始の『お世話になりました/今年もよろしく』のビデオ撮るよ〜」
と川崎ゆりこ副社長が言った。
 
このビデオは§§ミュージックの全タレント出演なので、全員が集まれる時間ということで、どうしても深夜になってしまう。その日は『少年探偵団II』の撮影終了後、桜木ワルツの運転するボルボにアクアと一緒に乗り、スタジオに入った。
 
スタジオに若手マネージャーの具志堅さんがいて
 
「お疲れ様です。これアクアさんの、今井さんの、桜木さんの」
と言って、各々に衣装の入った袋を2つずつ渡してくれた。袋に名前も書いてある。
 
具志堅さんは現在大学4年で都内の芸術系大学に在籍しており、現時点ではアルバイトだが、3月で卒業するので4月からは正社員になる予定である。
 
「皆さん、先に白い方を着て欲しいんですが、ひとりで着られる方は?」
「この3人は全員自分で着れるよ」
と桜木ワルツが言うと
「それではお願いします。着替えは3Bを使って、白いのに着替え終わったら5Aに集まって下さい」
「了解」
 

それでアクア・葉月・ワルツの3人は指定された3Bに行く。
 
着換え始めて少ししてからアクアが
「あっ」
と声を挙げる。
 
「どうしたの?」
と桜木ワルツが尋ねる。
 
「ワルツさん、ボクたちと同じ部屋で着換えてよかったんでしょうか?」
 
「ん?何か問題があったっけ?」
「だってワルツさん、女の人なのに」
 
「うーん。。。私は全然気にしないけど。ライブの時なんて男性スタッフのいる場所で下着まで脱いで着換えたりしてるし」
「ライブの時はそうですよね!」
 
「それにここにいる3人は全員女子ではないかという疑惑もある」
などとワルツは言っている。
 
するとそれまで悩むような顔をしていた葉月は
「性別問題はあまり深く追及しないことにしません?」
と言った。
 
「うん、それでいいね。アクアちゃんは本当は女の子なのに男の子のふりをしているのかも知れない。葉月ちゃんは男の子だった筈だけど実は女の子になっちゃったかも知れない。私は女の子のつもりだったけどひょっとすると男の子かも知れない」
と桜木ワルツ。
 

「男の子なんですか〜?」
「こないだドラマで男の子役したけど面白かった」
 
「あれ格好よかったです!」
「あれちゃんとちんちんもつけて、ボクサーと男物のシャツ着て演じたんだよ」
 
「ちんちんも付けたんですか!」
「お股にああいうのがあると動きがまるで変わるんだね〜。面白い体験だった」
 
「日本では来月(*1)公開ですけど、既にアメリカでは賛否両論巻き起こっている映画『サスペリア(Suspiria)』で、ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)という女優さんが1人3役やっているんですよ。これが、対立する2人の魔女と、劇団の謎を調査する男性精神科医の役で、その男性精神科医の役をする時は、ちゃんとおちんちん取り付けて男になりきって演じたらしいです。ボク、先日特別に見せてもらったんですが、同じ人物が演じているとは、とても思えない凄い演技でした」
 
とアクアが言っている。
 
(*1)2019年1月25日日本公開。アメリカでは2018年10月26日に公開された。
 
「1人3役なんだ!」
とワルツが驚いている。
 
「その男性精神科医はルッツ・エバースドルフ(Lutz Ebersdorf)という男性役者名で演じていて、撮影現場で彼が実はティルダ・スウィントンであることに他の役者さんは気付かなかったそうです」
とアクア。
 
「それは凄いですね!」
と葉月が感心している。
 
「全く容貌の違う2人を演じたというと『メリーポピンズ』で煙突掃除人と銀行の会長を演じ分けたディック・ヴァン・ダイクの例もあるし、『さびしんぼう』で富田靖子は全く性格の違う2人の女の子を演じ分けて、指摘されないと1人2役に気付かない人もいた。でも男女双方を演じたというのは凄いね」
 
と桜木ワルツは言っていた。
 
「でもアクアさんはいつも男女二役やってますよ」
「そういえばそうだ!」
「ボクの1人2役は、どちらもボクが演じていることがみんなに分かってるもん」
 

3人とも基本的に振袖の着付けは自分でできるのだが、帯はお互いに他の人のを締めてあげた。
 
つまり・・・
 
アクアも葉月も振袖である!
 
が、そのことを誰も問題にしなかった!!
 

5Aのスタジオに移動すると、もう既にかなりの人が集まっていた。アクアたちの後から来たのはドラマの撮影が深夜に及んで遅れた高崎ひろか、大阪で仕事をしていて新幹線で駆けつけて来た白鳥リズム、そして西宮ネオンだけだった。
 
「ネオン君、まだ来ない?」
「いや30分くらい前に来ていたはず」
「どこに居るんだっけ?」
「彼は2Cで着換えてもらったはずですね。私見てきます」
と言って新人マネージャーの原田友恵が飛んで行った。
 
彼女は音楽系の専門学校を出た後、別のプロダクションに入社したのだが、今年度は上島騒動の余波で音楽市場全体が縮小してしまったので入社後3ヶ月でリストラされてしまった。一時はコンビニでバイトをしていたが、3ヶ月間のマネージャー時代に親しくなっていた河合友里がそのコンビニで遭遇し、「人手が足りないのよ。コンビニでバイトするくらいなら、うちに来ない?」と誘い、§§ミュージックに入社したのである。
 
「ほんとに人手不足だ!忙しい!」
と悲鳴をあげていたが。
 

ネオンは着替えはしたものの、どこに行けばいいのか分からず、みんなが居そうな場所を探して彷徨っていたらしい。原田が階段で2階まで降りていこうとしていたので、その途中4階で遭遇し、連れてきた。
 
例によって、西宮ネオンは紋付き袴である。
 
「あ、ネオン君は紋付き袴なのに、ボクは振袖だ」
などとアクアが言うので
 
「何を今更?」
「毎年振袖着てるくせに」
「アクアさんはそもそも実は女子ではないかという疑惑がある」
 
などと他の子たちから非難されていた。
 
ちなみに葉月が振袖姿であることは誰も(本人さえも)問題に感じていなかった!
 

例年通り、最初全員白い振袖(模様は全員違う)を着て
 
『2018年・今年もありがとうございました』のビデオを撮影する。
 
但しこれで引退する桜野みちるだけは特別に桜模様の豪華な加賀友禅の振袖を着ている。アクアが着ている豪華な振袖より更に高価な品である。
 
このビデオの出演者は13人である。
 
桜野みちる、アクア、品川ありさ、高崎ひろか、西宮ネオン、姫路スピカ、花咲ロンド、石川ポルカ、白鳥リズム、桜木ワルツ、今井葉月、川崎ゆりこ、秋風コスモス
 
例によってゆりこがピアノを弾き、コスモスが指揮棒を持つ。
 
昨年の年末もこの同じ13人で撮影したが、今年は桜野みちるは特別に10秒の枠をもらい、2010年にデビュー以来の9年間の応援に感謝しますとメッセージを述べた。
 
続いてお着替えタイムとなり、みちる以外、全員青い振袖に着替える。スタジオでそのまま着換えるので、男性の西宮ネオンはいったん2階の控室に戻っていた。
 
アクアや葉月が他の子たちと一緒に着換えていることは誰も問題にしない!
 
むしろアクアも葉月も早く自分の着換えを済ませて、自分で振袖を着られない子の着換えを手伝ってあげていた。
 

全員着替え終わった所で西宮ネオンを呼んできて撮影する。
 
『2019年・今年もよろしくお願いします』のビデオは下記15人で撮影した。
 
アクア、品川ありさ、高崎ひろか、西宮ネオン、姫路スピカ、花咲ロンド、石川ポルカ、白鳥リズム、原町カペラ、桜木ワルツ、山下ルンバ、桜野レイア、今井葉月、川崎ゆりこ、秋風コスモス
 
桜野みちるが抜けて、原町カペラ(ロックギャルコンテスト2018優勝者)と研修生から昇格する山下ルンバ・桜野レイアの2人が加わる。
 
この時初めて桜野レイアが桜野みちるの妹ということを知った子も多く
 
「そうだったんですか!?」
 
と驚いていた。彼女は本名の羽藤玲香あるいはステージネームのレイアで§§ミュージック内では知られていたので、姉妹であることに多くの人が気付いていなかったのである。
 
「似てない姉妹だって小さい頃から言われてた」
とレイアは言っていた。
 
「ついでにレイアの方が姉と思われる」
とみちる。これはレイアの方が身長が高いからである。
 
「お姉ちゃんが中学に入学する時、制服の採寸に一緒に付いて行ったら、入学するのは私かと誤解されて私が採寸されそうになった」
などとレイアは言っている。
 
「でも妹と思われて得することもあった」
とみちる。
 
「ちなみに兄と妹と思われることもよくあった」
とレイア。
 
レイアはショートカットだが、みちるはセミロングである。レイアは昔から髪は短くしていたらしい。バレー選手だったのもあるのだろうが。
 
「ああ。最近はスカート穿く男の子も結構いるよね、とか言われてたね」
とみちるが言うのを聞いて葉月はドキドキしていた。
 
なお、“2018年末”で使用したピアノは2018年初と同じYamahaのS6Bで、“2019年初”のビデオで使用したのは、スタインウェイ A-188 Parlor Grand Piano である。S6B(212cm)より小さい188cmなので、安いのを使ったように見えたかも知れないが、S6Bが500万円なのに対して A-188は1000万円で値段は倍する!
 
コスモスが使用する指揮棒の色は“2018年末”では銀色のものを使用したが、“2019年初”では桜色のものを使用した。これは引退する桜野みちるへの敬意を込めて選んだものである。
 

その日は全校生徒総出で校庭の雪掻きをすることになった。
 
岬たちのクラスは体育館裏の部室棟の付近を指定された。
 
「つららが凄い」
「これまず落とそう」
と言って、雪掻き用スコップで数人の男子が手分けして部室棟の屋根にできているつららをなぎ落とす。
 
「これ下に居る時に落ちてきたら恐いな」
「まあ死ぬかもね」
 
そんなことを言っていた時、ひとりの男子・啓太が落ちてきたつららの1本をお股の所に立てて「でっけぇ」などと言っている。
 
すると茜が金属製のスコップでそれを折ってしまった。
 
「ぎゃー。俺のチンコが折れた!」
と啓太。
「出るチンコは打たれる」
と茜。
 
「落合、お前よく“ちんこ”とか発音するな」
と久彦が呆れて言っている。
 
「チンコが無くなってしまった。俺もう女にならないといけない。茜、お前の女子制服を俺にくれ」
と啓太はまだ悪のりしている。
 
「あんたの顔で女になっても嫁のもらい手無いよ」
と茜。
 
「顔より中身で勝負。お茶の水女子大に進学して才媛を目指すかな」
「性別以前に成績で落とされるな」
 
そんな会話を聞きながら岬はドキドキした思いをしていた。
 

鱒渕水帆は短大卒業後2015年春から2017年春までアクアのマネージャーを務めたが、過労でダウンし死の淵を彷徨う。しかし5ヶ月にわたる入院の末退院することができた。その後志願して、ローズ+リリーのマネージャーに転じた。
 
初仕事として、★★レコードの村上社長から唐突に勝手なタイトルと強引なスケジュールを押しつけられて悲惨な状態になっていたアルバム『郷愁』の制作延期を村上社長に飲ませ、その後も制作に関する各方面との交渉、協力してくれるアーティストのギャラ・交通費などの支払いなど様々な雑事をこなしてケイの負荷を下げることに尽力。結果的にケイは制作に集中することができて、何とか『郷愁』を2018年3月にリリースさせることができた。
 
それと平行して2017.12.31-01.01のカウントダウン・ライブ、2018.03.10-11の復興支援イベントに関する事務的な処理も遂行している。またアルバム制作と平行してシングル『Four Seasons』を制作し、2018.01.01にリリースした。
 
水帆はローズ+リリーのマネージャーとしてこれらの作業をしていて、これまでマネージャーも置かずによくこれだけの仕事をケイはしていたものだと少々呆れた。水帆が専任でやっていてもかなり忙しいのである。むしろ助手が欲しいくらいである!
 

2018年春、毎年1000曲近い楽曲を書いていた上島雷太が不公正な土地取引に絡んで逮捕され、結局起訴猶予にはなったものの無期限の音楽活動停止を発表した。音楽界に激震が走る。
 
上島作品が事実上使用禁止になってしまったことで、多数の歌手、プロダクション、レコード会社から悲鳴があがった。結果的に活動停止に追い込まれるアーティストが続出し、また多くの歌手が新譜を出したいのに作品が得られないという事態に陥ったのである。
 
◇◇テレビの響原部長が音頭をとって、UDP(Ueshima Diversion Project)“上島代替プロジェクト”が発足し、多数の作曲家で何とか上島作品の代替をすることになった。そのためこの年は日本中の作曲家が物凄く多忙になったのである。
 
特にケイは普段でも年間150曲ほど書いているのに、うまく乗せられてそれプラス200曲書くという約束をしてしまう。鱒渕はこの会議にはケイを出さずに自分が代わりに出るべきだったなと悔やんだが仕方がない。
 

鱒渕はコスモスと相談した。
 
「いくらケイ先生が凄くても年間350曲は無茶すぎる。書いたとしても壊れてしまう」
とコスモスも言った。
 
「上島問題については実は去年の秋にこういう事態が起きることを予想して、§§ミュージックの歌手の曲には上島作品を使わないようにしていたのよ」
 
「そうだったんですか!」
 
「他の作家の作品に代替するようにしてきていたのだけど、事件発覚でその他の作家さんたちも軒並み忙しくなっちゃったから困ったな」
とコスモスも困っているようである。
 
コスモスは昨年秋から上島作品の代替作業を進め、台湾の音楽工房・サンフラワー・ミュージック・スタジオ(以下SFMS)と契約して過去の作品の手直しなどをしていた。紅川・コスモス・ゆりこに、山村・鱒渕・沢村・月原・小野、桜野みちるといった面々で会議をし、SFMSのオーナーとも電話で話した結果、台湾の作曲家に頼れないかという案が出てくる。
 
4月中にコスモスと鱒渕、それに多忙なのに申し訳無かったが山村も入れた3人で台湾に飛び、SFMSの仲介で、現地の若手作曲家3人と契約することに成功する(山村が中国語を話せたのが大いに助かった)。彼らの作品を当面毎月2曲ずつ、年間合計72曲買取りすることにし、SFMSでJPOP風に編曲した上で、この半数を“花園光紀”名義で§§ミュージック関係で使用し、残りをケイ名義で出すことにした。
 
§§ミュージックでは昨年秋頃から、上島作品を山下鐵カ・阿木結紀・寺内雛子などの作品に切り替えていたのだが、この人たちが多忙になったので、各々の作家と話して当面§§ミュージック分は彼ら・彼女らには発注しないことにし、その分を花園光紀で補うことにしたのである。そしてこの作品をケイのルートでも出して、ケイの負荷を少しでも下げる。
 
「よかった。じゃ帰国したらケイさんに伝えますね」
と鱒渕は言ったが、コスモスは
「伝える必要はない」
と言った。
「いいんですか?」
 
「どうせ大量に楽曲を書いていたら自分が何曲書いたかなんて分からなくなるから適当に本人の作品に混ぜて渡していけばいい」
 
「それでいいんですか〜?」
 

4月下旬、★★レコードの村上社長は、腹心の滝口が売り出したフローズン・ヨーグルツの2枚目のシングルが悲惨な売上げだった腹いせに、マリ&ケイの活動を邪魔しようとした。ローズ+リリーの形式的な営業窓口ということになっているUTP(宇都宮プロジェクト)の須藤社長を呼び、ケイが大量の楽曲を書いていて、過去の作品と類似の作品ができてしまわないか不安だと言って、須藤とローズクォーツのマキの2人に楽曲の類似チェックをやらせた。
 
その結果、ケイの作品が全て過去のどれかの作品に似たフレーズがあるとして没にされてしまう。
 
鱒渕がコスモスとも相談の上、紅川さんを通して○○プロの丸花さんに介入してもらい、須藤たちの作業を中止させようかと話をしている間に、事態に気付いた★★レコードの佐田副社長が先に手を打ってくれた。佐田は村上社長の秘書の中に自分のスパイを潜入させているので、村上の動きをかなり素早くキャッチできる。
 
佐田は雨宮三森に相談し、雨宮はローズクォーツのタカ、更には“千里”を呼び出した。
 
「チェック用のデータベースを破壊して、チェック用のマシン自体にウィルスを仕込みましょう」
と“千里”は言い、タカがデータベースのコピーを作ってくれたので、“千里”はそのデータベースを破壊し、制作したウィルス(感染能力は無い)と一緒に渡した。タカはその壊れたデータベースをチェック用マシンに上書きし、あわせてウィルスを感染させた。
 
これで須藤とマキの“類似曲”チェックは無効になった。人力でのチェックを須藤から頼まれていた島原コズエと透明姉妹にもタカが言いくるめて、ケイの過去の作品との類似は一切チェックせず、他の作家の作品と“似すぎている”ものだけチェックするようにした。
 
この結果、半月ほど出荷が停止していたケイの作品出荷が再開され、ケイの唐突な納品停止に焦っていたUDP(上島代替プロジェクト)の響原部長をホッとさせた。この時点ではUDPはほとんどケイ頼りだったのである。人気作家はみんな2-3ヶ月先まで予定が埋まっており、すぐには代替作品を書けなかった。
 
なお、極めて邪魔な滝口史苑は佐田副社長の画策で“新しいプロジェクトの調査”名目で1年間のアメリカ出張にしてしまった!またこのチェックシステムを組んだプログラマも邪魔なので福岡支店の課長に“栄転”させてしまった!
 

鱒渕は“ケイ”が約束してしまった200曲の代替曲制作を何とかやりとげるためには“花園光紀”以外にもケイのゴーストライターが必要だと考えた。鱒渕が最初に考えたのが福井新一(本名:福井玲花)である。
 
彼女は上島雷太の元恋人で、上島との娘・貴京の母である。そして実は養育費代わりに彼女の作品を上島雷太の名前で発表し、その印税は全て本人に渡るようにしていた。結果的に上島が唯一使っていたゴーストライターだったのだが、上島の活動自粛に伴い、彼女も作品が出せなくなってしまった。
 
鱒渕は石川県在住の福井新一に内密に相談したいことがあると連絡し、交通費を持つから東京に出てきてくれないかと頼んだ。そして紅川会長と東堂千一夜さんも同席してもらい、帝国ホテルのディナーに招待した上で、彼女に上島が活動再開できるまでの1年か2年の間、ケイのゴーストライターをしてもらえないかと頼んだ。
 
福井は東堂千一夜さんまで出てきているのに驚きその件を快諾した。また東堂は現在上島雷太の名前でクレジットされている福井作品を全て本来の名義に戻し、その印税がちゃんと福井に支払われるようにすると言い、それもどうしようと思っていた福井は「助かります」と答えた。
 
東堂千一夜は彼女の楽曲を使用していた歌手ひとりひとりと話し合い、名義変更の承諾を取って回った。歌手側としては、名義変更によりその曲を使用出来るようになるので全員受け入れてくれた。正直助かった!と言われた。
 
彼女は年間40曲を書く多作な作家なので、ケイ名義で楽曲を出すことで花園光紀と合わせて約70曲程度を確保したことになる。
 
鱒渕はそれ以外にもいわゆる“上島ファミリー”の歌手に声を掛けて自分の名前ででもいいし、ケイの名前でもいいから曲を書いてもらえないかと頼みこんで回った。この結果10人以上の歌手から合計(2018年度いっぱいで)40曲ほどをもらうことができた。
 
全員が“ケイ名義”で出すことを望んだ。
 
「だってどう考えても私の名前で出すより報酬が大きいです」
と鈴懸くれあなどは言っていた。
 

そういう訳で2018年度前半の鱒渕のローズ+リリーのマネージャーとしての活動の大半は、ケイの名前で楽曲を書いてくれる人の確保のための作業だったのである。
 
「鱒渕さんに来てもらって助かった。ケイは完全にオーバーフローだし、私だけではどうにもならなかったよ」
とサマーガールズ出版の秋乃風花部長などは言っていた、
 
ケイへの作曲依頼が多すぎるので、これまで取っていなかった“作曲料”を取ることを鱒渕と風花・マリ・コスモスの4人の話し合いで決めた。
 
この時期は相前後して、多くの人気作家が同様の金額を提示するようになっていた。特に巨額の提示をしたのが海野博晃で1曲300万円である。さすがにこんな高額を提示した作家は他にはいなかったものの、海野がそういう額を提示したおかげで他の作曲家も提示しやすくなった。ケイの作曲料は当初50万円を提示したが、それでも依頼が多すぎるので100万円まで値上げした。
 
鱒渕は一方でyoutubeを見たり、ストリートライブをしているアマチュアバンドを見て回ったり、こまめにライブハウスを覗いたりして、新人作曲家の発掘を積極的に行った。彼らには取り敢えずUDPへの本人名義での納品を勧め、UDPとの契約仲介をしてあげたのだが、この年鱒渕が発掘したバンドや作曲家は10組以上で、これも楽曲不足の緩和に大いに貢献した。
 
鱒渕のこのような活動は7月くらいまで続き、様々な作曲家との交渉で全国を飛び回るので、なかなかハードだぞと思っていた。
 

2018年7月29日、マリが唐突に妊娠していることを発表した。鱒渕は寝耳に水だったので、マリが居る仙台に即飛んで行った。マリは
 
「お母ちゃんにも氷川さんにも言うつもりはないけど、鱒渕さんにだけは言っておくね」
と言って、その父親がケイであることを打ち明けてくれた。鱒渕は仰天したものの、
「マリさんが父親が誰か公表したくないのなら、それでいいと思います。それプライバシーだもん。何か面倒な相手との話があったら私を呼んで下さい。防波堤になりますから」
 
「ありがとう。頼むかも」
 
鱒渕は氷川や風花、コスモスとも話し合い、マリは10月から来年7月まで産休としてライブには出さないことにしたが、ローズ+リリー10周年のツアーには参加させ、椅子に座って歌い、品川ありさに司会をさせることなどを決めた。
 

8月、鱒渕が久しぶりに§§ミュージックを訪れたら、コスモス社長が
 
「ちょっと、ちょっと」
と呼ぶ。それで会議室に入ったら、コスモスは1枚のCDを再生した。
 
「ケイ先生の作品ですか? 昔風の作風ですが、未発表の古い作品かな?」
と鱒渕は尋ねた。
 
「やはりケイ先生の作品に聞こえるよね?」
とコスモスは楽しそうに言った。
 
「違うんですか?どなたかがケイ風に書いたのかな?」
「これはコンピュータが作曲した作品」
「え〜〜〜!?」
 
「醍醐春海先生と大宮万葉先生が中心になって開発して、鮎川ゆま先生、峰川伊梨耶先生も関わっている」
 
「ケイ先生は?」
「関わっていない」
「へー!」
 
「松本花子の名前は知らない?」
「新進の演歌作曲家さんですよね?」
 
「これも松本花子作品」
「松本花子ってコンピュータだったんですか!?」
 
「これ秘密ね。演歌が自動作曲しやすかったので、最初まず演歌用のシステムを作ったみたい。ソフトウェアの部品を交換することで、色々な傾向の音楽が作れるらしいけど、これはケイ風作品に特化したシステム」
 
「へー!」
と言ってから、鱒渕はハッとした。
 

「コンピュータなら、このシステムでケイ先生風の作品を作れば?」
「そう。ケイ先生のゴーストライター代わりになると思う」
「それ凄く助かります!」
 
「ただ、現時点では試作品レベルなのよ。だから実際にコンピュータが作った作品を制作してみて問題点が出たら、それを制作側にフィードバックしていく必要がある。うちでそのアルファテストを引き受けることにした。その作業を水帆ちゃん、やってもらえない?まだアルファ版レベルだからたくさん問題点が出ると思うけど、水帆ちゃんは音楽理論に明るいから心強い」
 
「やります!このシステムを立ち上げる以外、ケイ先生が壊れないようにする道は無い気がします」
 
「サマーガールズ出版の秋乃さんにも話をしている。システム側の担当者で、ひまわり女子高2年A組17番・森野眠美(もりのたみ)さんという人がいるから、その3人でフィードバック作業をして欲しいんだけど」
 
「分かりました。その森野さんというのは女子高生なんですね?」
「ううん。実は峰川イリヤ先生のお父さんで58歳かな」
「お母さん?」
「お父さん」
 
「なんでお父さんが女子高の生徒なんですかぁ!?」
「これ知らない?」
 
と言って、コスモスは生徒手帳を1冊取り出した。
 
「随分可愛い生徒手帳ですね」
と言って鱒渕は中を見た。
 
「鱒渕さんが入社するより前に引退しちゃったから、知らなくてもしょうがないけど、これ海浜ひまわりちゃんのファンクラブ会員証なのよ」
 
「へー!!」
「ファンクラブ創設した時に、先着3900人だけこの生徒手帳型の会員証を発行したのよね。ICチップ入っているから、登録アーティストをひまわりちゃん以外の子に変更すれば今でも§§ミュージックのファンクラブ会員証として有効。これは再発行用にリザーブしているものだけどね」
 
「凄い」
 
「だから男の子でもおじさんでも、女子高の生徒手帳がもらえたんだな。その2年A組17番の生徒手帳を持っているから、通称2A17ということで」
 
「あははは」
 

実際に2A17さんに会ってみると、すごく紳士的な人なので鱒渕は安心した。学校の先生だということだったが、この先生なら生徒から慕われているだろうなあと思った。数学が担当ではあるものの、物理・化学・地学・英語も教えられると言っていた。とても博識な人だったし英語の発音もきれいだった。
 
「でもひまわり女子高2年A組17番なんて名前を使っていたら女性と誤解されたりしません?」
「ボク、中学高校の女子制服もたくさんコレクションしてるよ。200着くらいあるかな」
「・・・・なんかちょっと危ない趣味ですね」
「それを着て出歩くことは娘から禁止されているんだけど」
 
鱒渕は少し考えた。
 
「着るんですか〜〜〜!?」
「仕方ないから室内で着て自撮りするだけ」
 
「あのぉ、高校の先生をしているのって、まさか趣味と実益を兼ねてませんよね?」
「ボクは女子制服を着るのが趣味なだけで、制服を着ている女子中高生には一切興味は無いよ。ロリコンでもないし」
 
「だったら安心しました」
と鱒渕は答えたが、本当に安心していいのか?と少し不安を感じた。
 

そういう訳で8月以降、鱒渕の主たる仕事は、ケイのゴーストライター確保から松本花子システム“ケイ風作品版”のテストを兼ねたケイ作品を使用した§§ミュージックの歌手の音源製作に移ったのであった。
 
このシステムがだいたい使い物になるようになった頃合いを見て、風花はマリと話してケイに「作曲禁止」を言い渡した。ケイは4月から8月までの間に既に150曲ほどの作品を書いており、本来のペースの2倍以上の制作で精神的にかなり消耗していた。これ以上書かせたら2度とまともな作品は書けなくなると風花は心配していたので、最低1年くらい休ませようということにしたのである。ただしケイ本人が全然書かないのは嫌だと言うので、月に1曲だけ書いていいことにした。
 
そういう訳で9月以降の“ケイ”名義の作品はほとんどが松本花子や同時期に本格稼働し始めた夢紗蒼依作品になっていくのだが、鱒渕はケイ本人から頼まれてこの夢紗蒼依から供給された作品に関する処理もおこなった。
 
松本花子が従来型プログラミングでパソコンで動いているのに対して、夢紗蒼依はスーパーコンピュータでディープラーニングを使用した人工知能で動いているというのは、面白いと思った。結果的に似たようなものを作るのにまるで正反対のアプローチがあるもんだなと感心していた。
 
それで鱒渕は結果的にこの2つの自動作曲システム双方に関わることになったのだが、守秘義務を守り、相互に相手の情報を流さないように気をつけた。
 

ただ鱒渕は困惑した。
 
それは醍醐春海がどうも松本花子・夢紗蒼依の双方に関わっているようなのである。この問題について、鱒渕は(2018年)10月頃、コスモス社長に相談した。するとコスモスはとんでもないことを言った。
 
「松本花子に関わっている醍醐先生は3番さんなのよね。もし醍醐先生が夢紗蒼依にも関わっているとしたら、それは多分2番さんだと思う」
 
「2番?3番?」
 
「醍醐先生って3人居て、それぞれ独立に別々に行動しているから」
 
「うっそー!?」
 
「2番さんはフランスのプロバスケットリーグLFBとアメリカのセミプロバスケットリーグWBCBLを兼任している。このふたつのリーグは季節が違うから両立できるのよね。LFBは10月から4月まで、WBCBLは5月から8月まで。一方で3番さんは日本のWリーグ・レッドインパルスの選手で、主として春から秋にかけては日本代表としても活動している」
 
「もしかして一卵性双生児ですか?」
「去年の春に分裂したらしいのよね〜」
「人間が分裂するものですか?」
「だってアクアだって3人に分裂したよ」
 
鱒渕はしばらく考えた。
 
「アクアって3人いるんですか〜〜〜!?」
 
「でなきゃ、あの忙しさに耐えられないよ」
とコスモスは平然として言った。
 
「ちなみにケイ先生は10人いるという噂がある」
「あり得る気がしてきた・・・」
 

ローズ+リリーの10周年記念ツアーは9月8日から10月14日まで行われた。
 
ところがここでまた鱒渕が悩む問題が発生した。レコード会社がこのローズ+リリーのツアーと並行してKARIONのツアーも実施することを決めてしまった。ローズ+リリーのケイは(公式には認めていないが)KARIONの蘭子と同一人物である。KARIONのライブはだいたいローズ+リリーと同じ日に近隣の会場で実施する。ケイは高校生の時にもローズ+リリーのツアーとKARIONのツアーを同じ近くの会場を使うように設定して掛け持ちしたことがある。しかし女子高生の体力と27歳の体力は違う。
 
これは無茶だと思った。
 
どうも★★レコードはおかしいよなあと思いながらも、何か対策が取れないか悩んでいたのだが、そこに丸山アイから「ちょっと話したい」という連絡があった。
 

「色々お世話になっています。アクアも随分可愛がってくださっているみたいで」
と鱒渕はアイに言った。
 
鱒渕が瀕死の状態から救われたのは丸山アイが研究途中の“何にでも効く薬”のおかげであるのだが、それは鱒渕の知らないことである。
 
「あれ誰があんなの決めたの?ローズ+リリーのツアーとKARIONのツアーの同時進行って?」
とアイは責めるように言った。
 
「すみません。気付いた時にはもう発表されていて。レコード会社の方で勝手に進めてしまっていたみたいで」
 
「そのあたりの営業的な話って、必ず鱒渕さん通すように、氷川さんあたりに文句言っておいたほうがいいよ」
 
「文句言っていいんですか?」
「鱒渕さんが言いにくいようだったら、山村さんから言ってもらいなよ」
 
鱒渕は少し考えてから言った。
「ちょっと山村に相談してみます」
「うん。それでさ」
「はい」
 
「ふたつのツアーの掛け持ちは絶対無理だから、ケイはどちらかだけに出そうと思う。ローズ+リリーかKARIONか選択するならどっち?」
 
「ローズ+リリーです。これ自分が担当しているから言うわけではないですけど」
 
「よし。ケイはローズ+リリーのライブだけに出してKARIONは欠席させよう」
と丸山アイは言う。
 
「でも欠席させて大丈夫ですか?」
「KARIONのツアーには別のケイを参加させる」
 
「やはりケイ先生って複数いるんですね!?」
 
「まあそのあたりはあまり深く追及しないで欲しいけど、スムーズに2人のケイを動かすために協力してくれない?」
 
「はい、私ができることなら」
 
そういう訳で、江川詩浮子(しーちゃん)がKARIONのライブでケイの代役をする作戦は、鱒渕の協力によりスムーズに実行されたのであった。
 

鱒渕は丸山アイからローズ+リリーのカウントダウン・ライブを今年も実施する計画も打ち明けられた。
 
「マリさんが無理です」
「マリちゃんはホログラフィにする」
「もしかして本物のケイさんとホログラフィのマリさんとでデュエットするんですか?」
 
「そうそう」
「でもライブでしょ?ホログラフィだとハプニング的なものに対応できないということはないでしょうか?」
 
「録画したホログラフィならね。やろうとしているのは、現地にマリちゃんも行って、ステージ近くのスタジオで椅子に座って歌唱させて、映像はマリちゃんの顔だけリアルタイムでホログラフィに変換して表示するという方法なんだよ」
 
「リアルタイムのホログラフィ!?」
「Muse-3のパワーがあれば、顔だけならリアルタイムで変換できるらしい」
 
「凄い!!」
 
と言ってから鱒渕は尋ねた。
 

「その場でマリさんの顔にレーザー光線を当ててホログラフィを生成するんですか?」
 
「まさか。人間にレーザー光線なんて当てたら失明するよ」
「ですよね!」
 
「マリちゃんの映像は様々な角度から多数の普通のカメラで撮影する。その映像からスーパーコンピュータに計算させて、ホログラムの干渉縞を直接生成するんだよ」
 
「そんなことができるんですか!?」
「Computer Generated Hologram. まあスーパーコンピュータのパワーがなければ無理」
「なるほどー」
 
「ダンスなどの身体の動きは予め録画しておいたものから再生する。歌の振付は全部録画パターンを使用するし、MCとかの時の動きは予め録画していた幾つかのパターンから誰かがノリで選択して操作する」
 
「それはどなたか歌手にやらせた方がいいですね」
「美空ちゃんにしてもらおうかと思っているんだけどね」
「あ、マリちゃんとは仲良しだから、いいですね!」
 
(実際には美空は適当すぎる!ということで本番では小風が操作した)
 

それで鱒渕は松本花子のシステムを軌道に乗せる作業に関わる一方で、何度も小浜まで行き、カウントダウンライブのテストや準備にも参加した。鱒渕はピアノやギターも上手いし、歌も上手いので随分テスト歌手も務めた。
 
一方でその時期にはローズ+リリーの10周年記念ツアーもやっていたので鱒渕は完璧にオーバーワークだったのだが、仕事中毒の鱒渕はそのくらい忙しくやっている方が充実しているようで快適だった。
 
小浜でのカウントダウン・ライブ本番では、鱒渕が楽屋に、風花がステージ傍に陣取り、お互いにインカムで連絡を取りながら、出演者に指示を出した。この作業も昨年までは風花はUTPから派遣されてきているアシスタントと2人でやっていたが、アシスタントがアーティストの顔を識別できなかったりして、あわやという事態も発生していたらしい。今回は全くそのようなトラブルは起きなかったので、氷川さんも
 
「ほんとに鱒渕さんがいてくれて助かった」
と言っていた。
 

カウントダウン・ライブが終わってすぐ、今年の東北復興支援イベントの詳細が発表され、マリが歌う予定であるというので世間では大いに驚かれた。但し2月10日までにマリが出産した場合であり、出産日がそれより遅れた場合は“誰かが女装してマリの代役で歌う”というコメントをアクアが読み上げた。
 
わざわざアクアがそれを発表したことで、マリが出られない場合の代役というのはアクアなのでは?という憶測からその時点で売れ残っていたチケットが全部売れてしまい、鱒渕はコスモス社長の戦略に感心した。
 
「誰もアクアが代役するなんて言ってないし」
とコスモスは言っていた。
 
「実際は誰にやらせるんですか?」
「ハイライトセブンスターズのヒロシさんにお願いした」
「凄い!」
「観客もヒロシさんなら許してくれるでしょ?」
「逆にそのくらいのクラスの歌手でないと納得しないでしょうね」
 
「まあヒロシさんに断られたらアクアにやらせるつもりだったけどね」
「チケット買った人はそれ結構期待していると思いますけど」
「だからアクアもゲスト出演させる」
「ああ、それはいいことだと思います」
 

2019年1月7日、青葉は仙台から東京に行き、水連で専務理事さんと会い、タッチの特訓をしてくれと言われた。それでその日の夕方から早速金沢市内のプールで特訓を始めることになったのだが、それで東京から金沢へ帰るのに新幹線に乗ったら、隣にある人物が乗ってきた。
 
「あれ?青葉、偶然だね」
と“千里”は言ったのだが、青葉は顔をしかめて言った。
 
「丸山アイさん、いったい何の冗談ですか?」
「うっそー!? 私の変装分かった?」
 
「それで欺されるのは、姉のことをあまり知らない人だけだと思いますけど」
 
「そう?私この変装で、桃香ちゃんとも細川貴司君ともセックスしたのに」
「それどちらも、ぼんやりさんだし」
と青葉は言っておく。
 
「ところでさ、内密の話があるんだよ。ここでは話しにくい。グランクラスの並びの席を取ってるから、そちらに移動しない?」
 
「ええ」
 

それで一緒にグランクラスに移動した。1B,1Cで端の並びなので話し声が他に聞こえにくい。
 
「一部でさ、TKRを★★レコードが吸収するという話が出ている」
と千里に扮した丸山アイは言った。
 
「それ何か意味があるんですか?TKRの利益は株主である★★レコードに還元されているし、TKRって、実質アクアとステラジオだけで支えられているから万一どちらか、というか特にアクアにトラブルがあったりしたら倒産は避けられないです。そのリスク回避のために別会社にしたのに」
と青葉は素直な疑問を提示する。
 
「それが分かってない人たちがいるんだな。2018年度の★★レコードの売上はたぶん160億円くらい。これに対してTKRの2018年度の売上は恐らく70億円くらい」
 
「そんなに差が縮まってます!?」
「だから村上社長としてはTKRを吸収すれば★★レコードの売上げを250億円にできるという皮算用をしているのさ。松前社長の時代はアクアの分を除いても280億円の売上があったんだけどね」
 
「それは★★レコードの売上げを支えていたアーティストが軒並み勢いを失っているからですよ。スカイヤーズ、スイート・ヴァニラズ、AYA、スリファーズ、XANFUS。これにローズ+リリーを加えた6組がビッグ6と言っていたのに今やローズ+リリー以外の5組は3年くらい前の10分の1以下の売上げになっています。その一方で新しい元気のいいアーティストが出て来ない」
 
「それでローズ+リリーをテコ入れしようとして『郷愁』なんてのを作らせた」
「そして更に売上げを悪化させた訳ですね」
 
「TKRが★★レコードに吸収されたらどうなると思う?」
「最悪ですね。アクアが自由に活動できるのはTKRがああいう性別曖昧なタレントに寛容だからだし、ステラジオにしてもあんな無軌道な制作を★★レコードは許してくれませんよ。★★レコードがTKRを吸収したら、きっとアクアには男なら男らしくしろって言うだろうし、ステラジオには法令を遵守しろと言います」
 
「だろうね」
 
「結果的にアクアは潰されるし、ステラジオは★★レコードとの契約を切ってたぶんЮЮレコードあたりに移籍します」
 
「ボクと同じ予想だ。まあそういうことで、この吸収合併を阻止したい。それに協力してほしい」
 
と丸山アイは言った。
 
「どうやって阻止するんです?」
「株を買い占める。今賛同者が5人集まっている。他にも資金力のある人に声を掛けていく。ただしボクがこういう工作をしていたことは内緒にして欲しい」
 
「共謀したとしたらたぶん証券取引法違反ですよね?」
「それに問われる危険がある。だからこういうことについて、物わかりの良さそう人にだけ声を掛けている」
 
「どのくらい株を買い占めるつもりなんですか?」
「1人1人は5%未満」
「大量保有報告書を出さなくてもいいようにですか!」
「よく分かっているじゃん。バレると合併派の工作が始まるからそれを避ける。そして合計34%以上」
 
「合併に必要な特別決議を阻止出来る数字?」
「そうそう」
 
「今★★レコードの株価っていくらでしたっけ?」
「村上さんが社長になって以来、どんどん成績が悪化しているから株価も下がりっぱなしなんだよ。今朝の寄り付きでは900円だった。5%は250万株。だから200-240万株くらい買って、TKR合併に反対票を投じてもらえると嬉しい。4月になったら売ってもいい」
 
「200万株で900円なら・・・18億円か」
「青葉ちゃんならお小遣い程度でしょ?」
「それ買っていたら上がりません?」
「★★レコードがTKRを吸収するという情報は来月下旬に公になる。そうしたら値上がりすると思うけど、それまでならそんなに上がらないと思う。多分上がっても1500円くらい」
 
「1500円なら30億円・・・」
「それでも青葉ちゃんにはおやつ代程度」
 
「私はマリさんじゃないですよ!」
「あの子の年間おやつ代は恐ろしそうだよね」
 

「でも私はお返事しないですよ」
と青葉は言った。
 
「うん、それでいい」
「でも握手してもいいかな」
「OKOK」
 
それで青葉は千里に扮した丸山アイと握手した。
 
「ところでボク、やっと分かった」
と丸山アイは言った。
 
「何がですか?」
 
「松本花子って、青葉ちゃんと千里ちゃんでやってたんだ?」
 
「こちらもカウントダウンのおかげで、夢紗蒼依をアイさん、ケイさん、千里姉の3人でやっていることが分かりました。たぶん若葉さんも絡んでいるかな。恐ろしい額の投資をしておられるようだから誰かスポンサーがいないと無理でしょうし。冬子さんに近くて豊かな資金力を持っている人というと若葉さんを思い浮かべます」
 
「その返事はしないけど、なぜ千里ちゃんが双方に関わっているかは知ってるよね?」
 
「そりゃもちろんですよ」
 
青葉と丸山アイはお互いに笑顔を見せ合った。
 
「小浜の本拠地に今度青葉ちゃんを招待するよ」
「何かあるんですか?」
 
「アクアのライブイベントをこの夏に小浜でやるから」
「小浜で?集客出来ます?」
「アクアなら、沖ノ鳥島でやったって7万人来るさ」
 
「そうでしょうね!」
 

2月3日、マリは赤ちゃんを出産した。これでマリが3月11日のライブで歌えることが確定し、ケイが報道各社にFAXを送ってそのことを明言した。またケイはヒロシの“女装代役”が無くなったので、ヒロシに違約金として2000万円を払った。しかしヒロシはこの違約金を受け取らず、復興イベントの売上と一緒に被災自治体に寄付してほしいと言ったので、それに加えさせてもらうことにした。
 

2019年2月8日、金沢市のG大学で第1期の合格者発表が行われた。夏野明宏は合格していた。授業料全免のSA, 半免のSBには入っていなかったものの年間20万円割引されるAに入っていた。母は
 
「20万円だけなの〜?」
と不満そうであったが、まともに全額払うよりはマシである。
 
翌日には入学手続き書類が到着したので、すぐに学納金を振り込み、書類を返送した。これで明宏はG大学に入学できることになった。
 

明宏と母は大学近くのアパートを探すことにし、大学の書類で推奨されていたT不動産に行ってみたのだが、混雑していて予約してもらわないと対応できないし、その予約も今日はもういっぱいで明日以降になると言われた。
 
「他を当たってみようか」
 
それでネットで検索して見つけておいたA不動産に行ってみる。
 
「どこにあるんだっけ?」
「旗は立っているけど」
「店舗らしきものがない」
「倒産したのかな?」
「あるかも」
 
それでどうしよう?と言っていたら、近くに別の不動産屋さんN不動産があるのに気付く。
 
「ちょっと入ってみる?」
「そうだねー。近くだし」
 
それでそこに入ってみると、店舗が凄く広いのでびっくりする。番号札を渡され少し待つ。フリードリンクなどもあるので飲みながら待っていたら、10分程で窓口に案内された。窓口の担当者さんは明宏たちの希望を聞きながら幾つかの候補を挙げた。
 
「実物を見てみますか?」
「見てみます」
 

すぐに40歳くらいの女性が案内してくれて、N不動産の車で現地まで行った。
 
オートロックである。その割には家賃は3万円ということで格安だ。部屋はワンルームかと思ったが居室と台所の間にドアがあるので1DKになるらしい。築30年経っているので、それで少し安いようである。
 
「明るーい」
と明宏も母も声を挙げた。全面窓なので部屋が明るい。窓は北東向きである。多分朝日とともに目覚めることができる(*1).
 
「まあ難点としては4階なのにエレベータが無いことなんですけどね」
「それは歩けばいいね」
「うん。足の鍛錬だね」
 
4階建てなので窓の外を見てもここを覗けるようなアパートが存在しない。この界隈はほとんどの建物が2階建て以下である。
 
なおネットは光回線が引いてあるということで、NTTと契約したら半月程度で使えるようになるということだった。しかし明宏は「私はゲームもしないし、光回線が必要なほどもネット使わないからUQ Wimaxにしようかな?」と言い、追ってそちらの販売店に行くことにした。
 
他に電気、水道、プロパンガスの契約が必要である(ガスレンジを使わなかったとしてもお風呂がガスになっている)。テレビを置けばNHKとの契約が必要だが、明宏は「テレビも要らない」と言った。
 
それでそこを契約することにした。ここは大学まで歩いて10分という場所である。但し10分で歩いて大学に到達するには傾斜の急な階段を上らなければならない!ので、通常はG大学の系列のG高校前のバス停からシャトルバスに乗ればよいということであった。不動産屋のスタッフさん(本当は協力会社の家電店の社員らしい)は親切にそのバス乗り場にも連れていってくれた。アパートから150mくらいだからアパートの階段を降りる時間を入れても急げば3分程度でここに到達できるだろう。
 
「このアパートの近くにコンビニがあったんですが、それは潰れてしまったんですよ」
 
「でもこのバス乗り場の前にコンビニがあるから、まあいいかな」
 
それで明宏はこのアパートを契約することにしたのである。
 

(*1)この部屋は玄関が南西にあり、窓は中に入って真正面の北東にあった。
 
明宏は2000年生まれなので“もし明宏が男なら”本命卦は離になり、南西は絶命、北東は五鬼となり、最悪の部屋である。しかし“もし明宏が女なら”本命卦は乾になって、南西は延年、北東は天医になり、とても良い部屋である。
 
つまりこの部屋は明宏の性別により吉凶が反転する。
 

契約書は郵送するのでそれに署名捺印して返送してくれと言われた。わざわざ郵便を往復させるのは実家の所在確認のためだろうなと明宏は思った。
 
書類は2日後に到着したので、記入して母の印鑑ももらった。
 
それで書類を返送しようとして、唐突に明宏はその記載に気付いてしまった。
 
《このマンションは女性専用ですので、男性の連れ込みはご遠慮下さい。但し2等親以内の男性親族に限っては入館証を発行しますので、N不動産にお申付けください。戸籍謄本で確認の上、写真付きの入館証を発行します》
 
男性の連れ込み不可って・・・それって入居者も男性は不可だよね?
 
 
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【春茎】(1)