【春からの生活】(7)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-01-01
青葉(一応主人公のはず)は3月14日に東京に出てきてから、ずっと高岡に帰ることができないまま、大宮の彪志のアパートに同居して大量の楽曲を書きつつ、アクアの仕事のため(青葉はアクア・プロジェクトのプロデューサーである)、しばしば新宿信濃町の§§ミュージックに出かけていた。
川崎ゆりこと打ち合わせていた時に、物凄く可愛い女子高制服を来た子が来て、青葉たちに会釈するので青葉も会釈をした。
しかし青葉はそれが誰なのか認識できなかった。
「誰でしたっけ?」
と小さな声でゆりこに訊く。
「今井葉月(いまいはづき)ですよ」
とゆりこは答える。
「あ、葉月(ようげつ)ちゃんか。凄く可愛い服着ているから気付かなかった」
と青葉は言う。
「おはようございます、大宮先生。これ私が今年進学した高校の制服なんですよ」
と葉月本人もこちらに来て挨拶した。
「おはようございます、葉月(ようげつ)ちゃん。進学した高校の女子制服も用意したの?」
と青葉は訊いた。
「いえ、この制服で通学してるんですよ」
「・・・・・まさか、女の子として通学してるの?」
「うちは女子高なので」
「葉月(ようげつ)ちゃん、女子高生になったの!?」
「ことごとく高校入試に落ちて、この学校だけに合格したので、ここに行くことにしました」
「待って。なぜ葉月ちゃんが、女子高を受験できて、合格して、それで女子制服を着て通学するわけ〜? 葉月ちゃん、女の子になりたい男の子だったんだっけ?」
「なりたくないです。でもこれ女形(おやま)修行なんですよ」
それで葉月は長い長い説明をしたが、青葉は半ば呆れていた。
「で、クラスメイトたちは葉月ちゃんが女形修行している男の子と知ってるの?」
「いいえ。普通の女の子だと思っています。それでもバレないように女の子を演じなさいというのが父から与えられたミッションです」
「ミッション・インポシブルという気がする」
と青葉。
「まあバレた時はバレた時で」
と葉月は開き直っているようである。
「ついでに私の芸名の葉月ですが、誰も『ようげつ』とは読んでくれなくて『はづき』と読むので、女子高生になったこともあり『はづき』という読みでよいことにしてしまいました」
ところで少し前、入学式より前の4月5日のことであった。
その日は小学校の時の担任の先生が3月いっぱいで定年退職になり、同窓生で慰労会をするという報せが来ていたので、行ってみようかと思った。この日は珍しくお仕事がお休み(アクアが休みなので)だったのである。
夜中に自分が寝ていたはずの部屋で一騒動あったとは思いもよらない西湖は朝起きて顔を洗って御飯を食べると、慰労会に行く準備を始めた。
最近、女装ばかりだったけど、小学校の同級生が集まるなら男装だろうなと思い、男装するなら久しぶりに男物の下着でもつけようかなと思ってタンスを探すのだが、見つからない。タンスの下着が入っている段は、左側にブラジャー、中央付近にキャミソールやスリップ、右側にパンティーが入っている。確かキャミソールの奥に男物のシャツ、パンティーの奥にトランクスが入っていたはずと思うのだが、無いのである。
あれ〜、タンスはまるごと持って来たと思ったんだけど、段ボールか何かに移したっけ?と思い、まだ梱包を解いていない段ボールを開けてみるのだが、段ボールの中に入っている服は女物の服ばかりである。
龍虎がファンから大量に女の子の服をもらっていて、とても収納できないので西湖にしても、他の§§ミュージックの女性タレントにしても、沢山お裾分けをもらっている。それがこの段ボールに収まっている。
30分ほどの「探索」の結果、どうも男物の下着どころか、男物の衣服が全く無いことに気付く。先月まで中学に通学するのに着ていた学生服やワイシャツも無い。ワイシャツかと思って出して見ると全部ブラウスである。
西湖は実家に電話してみた。1月から始まった公演が4月1日で終わったので、今週くらいは両親は実家に居るはずである。
母が出た。
「あ、お母さん。ボク、じゃなかった、私の男物の服が見つからないんだけど、引越の時に見てないよね?」
女子高生になるんだから自分のことは「ボク」ではなく「わたし」と言いなさいと言われているのだが、長年の習慣は簡単には切り替わらない。
「ああ、男物の服は全部捨てたよ」
「うっそー!?」
「だって女子高生が男の服着てたらおかしいでしょ?学校に行くときだけでなく、普段でも女の子らしくしてなきゃ」
「でも今日は小学校の同窓会があるのに」
「当然女の子の服で行って来なくちゃ」
「恥ずかしいよぉ」
「性転換は別に恥ずかしいことじゃないよ」
「性転換してないよぉ」
「手術こそしてなくても、既に性転換したんだよ。女子高生になるんだから、あんたはもう女の子なの。私たちもあんたのことは娘だと思うし」
「え〜!?」
母は「同窓会女の子デビュー頑張ってね」と言って電話を切った。
「どうしよう?」
と困った顔で西湖は座り込んだ。
結局、西湖は可愛いペールピンクのカットソーに、ダークブラウンの膝丈プリーツスカートを穿き、髪は良くといて微妙な長さになっている前髪を花模様のパッチン留めで留めた。そしてリップクリームも塗り、イルカの形のバッグ(これも龍虎がファンからもらったもの)を持ち、リボン使いの可愛い靴を履いて出かける。
西湖はこんな格好をしても、自分が全然ドキドキしないのを感じていた。龍虎の影武者を始めた頃はセーラー服を着て出歩くのがかなり恥ずかしかったのだが(女物のパンティを穿くだけで立ってしまい困っていた)、今では自分にとって普通の服になってしまった。むしろ学生服を着ている時が変な気分になることもあった。
やはり私女装にハマってるなぁと思う。
会場は桶川市内の公民館のホールである。
先生にお世話になった生徒が色々な年齢で集まるから、知らない顔の方が多いだろうと思ったので、結構開き直っていたのだが、受付の所に中学まで同級だった女の子がいることに気付く。きゃー、やばいとは思ったものの、もう開き直るしかない。
「こんにちは、在籍校・年度とお名前、お願いします」
と言われるので、西湖は
「○○小学校・H24-26・天月西湖」
と堂々と記名した。
「え?」
と受付の子が驚いた顔をして西湖を見る。
「天月君なの?」
「うん」
と西湖は女声で答える。
「女の子になっちゃったの?」
「そうせざるを得なくなったというか」
「やはり自分に正直に生きることにしたのね?」
「そんなものかなあ」
「それでいいと思うよ!」
と彼女は言う。
ふたりのやりとりに気付いて、中学の同級生の子が数人寄ってくる。
「やっぱりそっちに行っちゃったんだ?」
「天月君、よくブラジャーつけてたし」
「多分おっぱいあるよね、ってみんなで噂してた」
「触ってもいいよ」
「どれどれ」
「これ結構大きいじゃん」
「ちんちんは?」
「少なくとも女湯には入れるよ」
「すごーい。手術しちゃったんだ?」
「そういえば、最後まで進学する高校決まらなかったみたいだけど、どうなった?」
「実は東京の女子高に入ったんだよ」
「うっそー!?」
「女子高に入れてもらったの?」
「裸になってみせて、それから心理テスト受けて確かに女の子だと言われた」
「つまりもう女の子の身体なんだ!」
「それで心理的にも女の子なら、女子高にも入れるかもね」
そういうことで、西湖が女子高に進学したことは中学の同級生たちに知られることとなったのである。
でもなんか、勝手に女の子になりたかった元男の子ということにされてしまった気がする。ボクもう男の子に戻れなくなったりして!?
川島信次は新婚旅行から帰って来た翌日、3月28日に出社した時、4月2日(月)付で名古屋支店への転勤を命じられた。ただ、近い内に腫瘍の手術を受ける予定であることから、調整をして、籍としては4月2日付で名古屋支店の籍になるものの、実際の名古屋支店での勤務は5月14日(月)からとすることにした。(それまでは千葉支店に出張中の扱い)
千里1は、体外受精をした仙台から戻った後、ゴールデンウィーク明けまで、ほとんど信次の家には戻らず、同市内のマンスリーマンションで作業を続けた。戻ったのは4/11に信次の手術に付き合った時だけである。
千里がほとんど信次の実家に姿を見せないので、ふたりは半離婚状態にあるのでは?と康子は心配していたが信次は「毎日電話で話してるから大丈夫だよ」と笑い飛ばしていた。
信次は4月9日に入院して11日に手術を受けた。そして16日に退院して1週間自宅療養を続けた。千里は入退院には付き添い、また手術の最中は手術室の外に居て、また毎日午前中に病院を訪れて信次の見舞いをした。
しかし退院した後は、
「ごめん。マジで仕事で時間が取れない」
と言って、マンションに籠もりっきりで信次の家にはほとんど姿を見せなかった。結局千里は千葉の信次の家には数えるくらいしか泊まっていない。
一方、千里2は4月14日にLFBの今シーズン最後の試合に出て、今季の納めの会に出席すると、9月には戻ってきますと言って、飛行機でアメリカに渡った。
わざわざ飛行機を使わなくても簡単に転送してもらえるが、入出国記録をちゃんと付けておかないとヤバいのである。
そしてフィラデルバーグのスワローズの球団事務所に行き、球団代表に挨拶。今季もよろしくお願いしますと言った。その日はフィラデルバーグ市内のアパートに入って泊まり、時差ぼけの調整をした。
また千里3は今年も日本代表候補として召集され、9月22-30日にスペインで開催予定のワールドカップに向けて練習を重ねていた。
西湖の学校では新学期には様々なメディカルチェックが行われた。4月9日の入学式の後、10日は尿検査があったので、朝起きた時最初の尿を取っていく。
前日に配られたキットの袋から、まずは提出用袋を出して出席番号と名前を4年7組3番・天月聖子と書く。
実は西湖はまだ自分の名前を聖子と女の子っぽい書き方をする時にけっこうドキドキする。でも立つとおしっこが出せなくなるのでグッと我慢して興奮を鎮める。
それでトイレに入り、まず採尿コップを出して組み立てる。これでおしっこを受け止めるのだが、これが割と難しい。どの付近からおしっこが出てくるか、なかなか予想が当たらないのである。最初ちょっと出して、あっもっと後ろだと思って位置を調整した。それで少し出してこの程度で行けるかな?というところでいったん止める。そしてスポイトでおしっこを吸い上げる。規定の量まで吸い上げた所でコップに残った尿は流す。そして止めていたおしっこの残りも放出する。西湖はスポイトのふたをして念のためトイレットペーパーで容器を拭いてから提出袋に入れた。
採尿コップは畳んで汚物入れ(黒い袋をセットしている)に捨てるが、汚物入れってわりと便利かもと思った。
10日はM時限目は習熟度別クラスで英語を習う。西湖はむろん一番下のクラスだが、青島瀬梨香(歌手の田川元菜)もこのクラスである。
「中学時代、仕事が忙しすぎて全然授業に出られなかったのよね〜」
と彼女が言っている。
「私も〜。もう入試の問題は呪文でも見ている気分だった」
と西湖も言う。
でも実際授業が始まってみると、瀬梨香は自分より遙かにできるので、これはマジで頑張らなきゃと西湖は思った。
0時限目は数学だが、これも習熟度別でいちばん下のクラスで、西湖は実はマイナスの数もよく分かっておらず、 -2 x -3 = -6 と書いて「違う」と言われる。
「こう考えてみよう。2万円もらえるのがプラスで、2万円払わないといけないのがマイナス。それで2万円を3回もらえたら6万円、2万円を3回払ったらマイナス6万円。-2 x -3 というのは、その2万円を3回払った状態から過去に遡るんだよ。すると、2万円を3回払う前は、今よりお金が6万円多かったでしょ?だから -2 x -3 はプラスの6万円なわけ」
と先生が説明してくれると
「そうだったのか!」
と西湖は感心して言った。
「やっとマイナスの意味が分かりました」
と言ったが、
「私もやっと意味が分かった」
と菊池由美奈(女優の稲川奈那)も言っているので、何だか親近感を感じてしまった。
その0時限目が終わってからSHR(Short HomeRoom)を経て1時限目になる。そのSHRの時間に尿検査のキットが集められる。
「しまった!忘れてた」
と瀬梨香が言っている。
「じゃ青島さんは明日必ず持ってくるように」
「ごめんなさい」
「でも尿検査ってめんどくさいよね〜」
などという声がクラスの中から出ている。
「あれ、最初なかなか落ちてくる所が分からないと思わない?」
などと言っている子がいるので、やはりみんなそうなんだなと思う。
「男の子なら最初からおちんちんをカップの中に入れておけばいいのよね」
「そうか。男の子は便利だね」
「そういう時だけ男の子になりたいな」
西湖はそういえば小学生の頃はそうやっておしっこ取っていたなと懐かしい気がした。
その日の4時限目には身体測定も行われた。全員で保健室に行くがこの時西湖は「あれ?」と思った。西湖と同じことを水希(Fire Fly20)も思ったようで
「あ、そうか。男子と女子を分けないんだね」
と言って
「うちの学校に男子はいない」
と他の子から言われている。
そうなのである。身体測定は、西湖の小学校では男子と女子は時間差を付けていて、男子が保健室に行って来た後、次は女子といった感じで行われていた。中学の時は部屋が分離されており、女子は保健室、男子は理科室だった。
中学時代、西湖は身体検査がある日は前日に忘れずにブレストフォームを外さないといけないので大変だった。それでも上半身裸になるとブラ跡が付いているので、それを他の男子に指摘されて、かなり恥ずかしかった。ただこの問題は保健委員の子が先生に言ってくれて、その後、西湖だけは身体検査の時にシャツを着たままでいいことにしてもらった。でもそのことで疎外感を感じた。
(一方龍虎は「テレビで女の子役してるから」と言って、堂々とブラ跡を曝して身体検査を受けていたのだが、内気な性格の西湖はテレビに出ていることも同級生たちに言ってなかったので、かえって誤解されていた感もある)
そんなことを思い出しながらも、みんなと一緒に保健室に行き、制服を脱いで下着だけになる。キャミソールやスリップをつけている子はそれも脱いでブラとパンティだけになる。ブラ付きキャミソールの子はそのままで良い。西湖もブラとパンティだけになったが、クラスメイトたちと同じなので、仲間意識のようなものを感じて、ちょっと嬉しい気分だった。
むろん西湖は女の子の下着姿を見るのは全然平気である。仕事ではしばしばアクアと一緒に女性タレントの控室にいるが、他の女性タレントが着換えているのを見ても何も感じない。
しかし下着姿になると、やはりバストの大きな子は
「おっきいねー」
とか言って触られたりしている。先頭に並んでいる瀬梨香も次の童夢から
「これすごーい。Dカップ?」
などと言われて、少し恥ずかしがるような顔をしていた。バストが大きいこと言われて恥ずかしがるって、意外に純情なんだなと西湖は思った。
西湖の胸はブレストフォームでBカップサイズの胸にしているが、標準的なサイズなので、あまり注目されずに済む。出席番号順で次の奈津から
「私と同じくらいのサイズだ」
と言われて少し触られたくらいである。触られたのでこちらも
「ほんとだ」
などと言って彼女のバストにも触ったが、このくらいでは気持ちは乱れない。平常心である。
身長計に乗って保健委員の子が数字を読み、それを担任の大月先生がパソコンを使って入力する。西湖は157cmと言われた。あれ?158cmと思っていたんだけどなあと思うが、まあ誤差の範囲であろう。
その後体重計に乗るが、これはワイヤレスの体重計なので、西湖が体重計に乗ると、大月先生の手元に置かれた表示ユニットに体重が表示される。先生はそれを記録する。つまり体重は読み上げられない。これはやはり女子ならではの微妙な気持ちに配慮した方式だよなと西湖は思った。西湖の体重は46.7kgであった。
ただ西湖はブレストフォームをつけていて、その重さが実は1kgほどあるので本当の体重はこれより1kg軽いことになり、やや痩せすぎの部類になる。
翌日11日(水)には、視力、聴力、歯科の検査があった。これはもちろん着衣なので何も問題が無かった。
そして12日(木)は、内科検診・心電図検査・胸部X線間接撮影である。この日西湖はこの検査内容のことを、なーんにも、考えていなかった。
それで先日の身体検査の時と同様にクラス全員で保健室に行くが、まだ前のクラスがやっていて、西湖たちは廊下で待機した。
「そういえば聞いた?用賀駅から学校まで歩いてくる途中に銭湯があるじゃん」
「うん。何かあったの?」
「昨日痴漢が捕まったんだって」
「のぞきか何か?」
「それが堂々と女湯に入っていたらしいよ」
「うっそー!?」
「女に見えるように、長い髪のカツラをつけて、胸にも付けおっぱいを貼り付けていたらしい」
「でもあれが付いてるんでしょ?」
「そうそう。お股にあるものは隠せないよね〜。更にお化粧までして湯船につかっていたらしい。ヒゲを隠すのに」
「お化粧したまま浴槽に浸かるなんて、怪しすぎる」
「普通浴室に入る前にお化粧くらい落とすし、そのまま入っても浴槽に浸かる前に洗い場で落とすよね。それで不審がられて、お股の所タオルで隠しているし、妙に肩が張っているから、入浴していた女性が気付いて、『あんた男じゃないよね?』と言ったら逃げようとしたんで、みんなで椅子とか投げつけて、ひるんだ所を取り押さえて、すぐに警察呼んで引き渡したらしいよ」
「ふてぇやっちゃな」
それって私も下手したら捕まっていたかも知れないよぉ、と西湖は内心冷や汗を掻いていた。西湖の所には先日CBF(女湯に入る会)の会員証が送られて来ていたが、それと同時に丸山アイから「また一緒に女湯に入ろうね♥」というメールも来ていた。
「でも付けおっぱいとかあるんだ?」
「結構リアルらしいよ。ちゃんと乳首も付いているんだって」
「それどうやって取り付けるの?吸着式?」
「普通のバストパッドなら、粘着式のもあるんだよ。でも付けおっぱいは重たいからそんなのでは無理で、両面テープで貼り付けるらしいよ」
「でも境い目でバレない?」
「そうそう。よく見れば境い目があるからバレる」
「でもそんなの貼り付けても、ちんちんがあったらバレるに決まってる」
「実際男が女湯に入ったら、ちんちん立つだろうから、凄くバレやすい」
なんか結構凄いこと言ってるなあ。でも女子高の会話ってこんなものかも、と西湖は思いながら聞いていた。
しかしこの会話をしていた時、瀬梨香がなぜか居心地の悪そうな顔をしていたので、何だろう?と思った。
やがて前のクラスの最後の子が終わって、体育館の方に向かう。6組の担任が出てきて「次どうぞ」という。4年7組の西湖たちが保健室に入る。ここでは心電図と内科検診が行われる。ここが終わってから体育館傍に停まっているレントゲン車で、胸部X線間接撮影が行われる。
保健室の途中にクロススクリーンが立ててあり、その向こうで検査をしているようである。
最初に3人入って下さいと言われるので出席番号1〜3の青島瀬梨香、浅井童夢、天月聖子と入る。このスクリーンの向こう側に更にスクリーンが立ててある。服を脱いで下着だけになって下さいと言われるので、3人とも服を脱ぐ。最初の人入って下さいと言われるので瀬梨香が入る。どうも心電図を取った後、医師の健診を受けるという順序のようだ。瀬梨香が中に入ったので、大月先生は次の人入ってと言う。江川奈津が入ってくる。服を脱ぎ始める。
スクリーンの向こうに行った瀬梨香(歌手の田川元菜)は心電図を取られているようである。ところが
「え?心電が無い!?」
と技師さん(女性)が声を挙げている。
「何?」
と言って内科検診のために控えていた医師(女性)が心電図の所に来たようである。
「ちゃんと取り付けてる?」
などと言って、医師が自分で見ているが、
「問題無いみたいだね」
と言っている。それで再度測定するも、どうも全く心電図が取れないようである。
「機械トラブルですかね」
と言って技師さんは心電図の機械をチェックしているようだ。
ところがその時、医師が言った。
「あれ?君、これもしかしてバストパッドか何か貼り付けてる?」
「ごめんなさい」
と瀬梨香の声がする。
こちらにいた西湖たちは思わず顔を見合わせた。
「私、おっぱい小さいので、でも歌手をしているので胸の大きさを偽装していたんです」
と瀬梨香は言っている。
「そりゃバストパッドに電極付けても心電は検出できないよ。それ外せる?」
と医師。
「すみません。外すのに4〜5分掛かると思うんですが」
「分かった。そちらのスクリーンの向こうで外して」
「はい」
どうも瀬梨香は精巧なブレストフォームを胸に貼り付けていて、そこに電極を付けてしまったので、まったく心電図が取れなかったということのようである。
その会話を聞いて西湖はやばい!と思った。ブレストフォームを貼り付けているのは自分もだ。そして自分の場合「おっぱいが小さい」どころではない。「おっぱいが無い」状態である。それを見たら医師は、思春期遅発症などを疑うだろう。そうなると西湖は自分の性別を申告せざるをえない。その会話は同級生たちに聞かれる。そうなると騒ぎになって、退学せざるを得なくなるかも。
「どうしたの?顔色悪いよ」
と奈津が心配そうに言う。
スクリーンの向こう側にいる保健室の川相先生が
「次の人入って」
と言うので、童夢が中に入り、そちらが先に心電図検査を受けることにしたようである。大月先生が次の子を呼び、出席番号5番の菊池由美奈(女優の稲川奈那)が入ってくる。服を脱ぎ始める。
童夢は正常に心電図を取れたようである。「こちらで診察します」と言われて医師の所に移動する。川相先生が
「次の人」
と言って、西湖を見て、あら?という表情をした。しかし西湖は平常心で
「はい」
と答えて、中に入る。
「ブラジャーを取ってそこに寝て下さい」
と女性の技士さんが言う。
それで西湖はブラジャーを外そうとした。
その時であった。
『助けてあげようか?』
というどこかで聞いたような感じのする声が脳内に響く。
『お願いします』
と西湖が答えると、次の瞬間身体の感触が変わった気がした。
西湖は表情を変えずにブラジャーを後ろ手で外し、ベッドに横になる。身体のあちこちに電極を付けられる。胸には6つも付けられる。
がその電極を付けられた時、確かにはさまれた感触があったのである。胸の所はブレストフォームなので、電極などつけられても何も感じないはずだが、確かにクリップで挟まれる感覚があった。
それで安静にしていると
「はい、終わりました」
と言われ、クリップを外される。どうも心電図は正常に取れたようである。
「そのままお医者さんの所に行って下さい」
と言われるので胸を露出したまま女医さんの前に行き、椅子に座った。
女性医師は胸に聴診器を当て、体内の音を聞いているようである。後ろを向いて背中にも聴診器を当てられる。
「生理はいつありましたか?」
「えっと先月の20日くらいだったと思います」
「生理は定期的に来ている?」
「はい、だいたい28日おきに来ています」
「じゃ問題無いようだね。もういいですよ」
「ありがとうございました」
西湖がこのように普通に心電図検査・内科検診をパスしたので、川相先生は腕を組んで何だか悩んでいた。
川相先生は西湖の身体は女の子の形を偽装しているだけと言っていたけど、実はそういう建前で本当は少なくともバストは女性ホルモンか何かで膨らませているのではと疑ったのだが、そういう川相先生の疑いに西湖は気付いていない。
西湖は医師にお辞儀をすると、ブラジャーを着け、元の場所に戻って服を着る。その服を着ていた時、やっと瀬梨香の
「すみません。おっぱい外しました」
という声が聞こえ、西湖はちょうど服を着終わって出ようとしていた童夢と顔を見合わせる。そして声を出さずに笑った。由美奈は前半の話を聞いていないので「何だろう?」という感じで首を傾げた。
西湖は服を着終わるとスクリーンの外に出て、まだ待機している同級生たちに軽く手を振ると、保健室を出て体育館に向かう。童夢が西湖を待っていたようで、一緒にそちらに行くようになった。
「でもびっくりしたー。あのおっぱいは偽装だったのね」
「まあアイドルは虚像だからね〜」
「色々演出はあるよね」
「男の子アイドルでシークレットブーツで身長偽装している人とか普通にいるし」
「ああ、やはりそうだよね」
「女の子アイドルの付け乳も珍しくないと思うよ」
「でも瀬梨香ちゃん、心電図検査って何するか知らなかったのね」
「私も知らなかった!」
「お互いおっぱい偽物じゃなくて良かったね!」
と言い合ったが、西湖はさすがにちょっと罪悪感を感じた。
体育館の外側にX線撮影車が停まっている。上履きのまま行けるようにスノコが並べられているのでそこを歩いて行く。まだ6組の子たちが並んでいる。7組は童夢と西湖が先頭である。その後、奈津が来て、その後瀬梨香が来る。
「瀬梨香ちゃん、先頭に来て」
と童夢が言うので先頭に並ぶ。
「偽装がバレちゃったぁ」
と瀬梨香は照れながら言っている。
「私も偽乳付けて撮影したことあるけど、瀬梨香ちゃんが使っていたのは凄く精巧なものだったみたい」
と西湖が言うと
「そうなのよ。80万円くらいしたらしい。壊れやすいから気をつけて気をつけて外したよ」
と瀬梨香は言っている。
「凄い。私が使ったのとかは多分8万円くらいのもの」
「いや、8万でも充分良いものだと思う。安いのは2〜3万のもあるみたいだもん」
と瀬梨香。
「そういうものがあるならデートする時に付けておこうかな」
などと奈津が言っている。
「でもホテルまで行った時やばいよ」
「絶対に取り外さない」
「結婚した後ショックが」
「一生欺し続ける」
「赤ちゃん産んでおっぱいあげる時どうするのさ?」
「うーん。。。授乳している所は絶対に夫には見せない」
「でも私、以前一度外すのに失敗して破いちゃったこともあって」
と瀬梨香。
「80万円をやぶくのは辛いね」
「うん。あの時は叱られちゃったよ」
瀬梨香がブレストフォームを取り外した状態のバストサイズについてはみんな敢えてコメントしない!
やがてレントゲン車の中に入る。そこで注意があった。
「部屋の中に黄色い旗があります。妊娠中の人、あるいは最近セックスしてその後まだ生理が来ていない人など、妊娠している可能性のある人は、黙ってその旗をあげてください。その場合、あたかも撮影しているような声を出しますが、実際には撮影しませんので」
「妊娠か・・・」
「私たち妊娠する可能性もあるのね」
「そりゃすることをすれば妊娠もありえる」
という会話がなされるが、西湖はそのあたりの仕組みがよく分かっていない。ボク妊娠したらどうしよう?などと考えている(どういうことをすれば妊娠するのかも分かっていない)。
車の中でやはり下着姿になり、撮影する部屋の中に入ってからブラジャーを外し、機械の所に身体をつけて指示に従い、大きく息を吸って停めて撮影された。
「はい、OKです。ブラジャーを着けて退出して、服を着て帰って下さい」
と言われた。
西湖は心電図もだけど、このX線撮影もブレストフォームをつけたままでは無理だったなと思った。
そして撮影室を出て車内で服を着ていた時
『終わったみたいだね。今夜0時になったら元に戻るから』
という声が脳内に響いた。
西湖はレントゲンが終わって教室に戻った後、「そのこと」がどうにも気になって仕方が無かった。お昼休みにトイレに行った時、それを確認した。
おっぱいに触ってみる。
『この胸、本物だ』
実際指で胸に触ると、ちゃんと触られている感覚があるし、乳首をつまむとちゃんとつままれている感覚がある。
そして西湖はパンティを下げて便器に座ってから、おそるおそるあの付近に触ってみた。
『このお股も本物だ!』
その状態でおしっこをしてみたが、おちんちんが付いている時とは全然違う感覚に驚く。
『なんか滝が落ちていくように直接身体からまっすぐ落ちていく感覚』
と西湖は思った。
普通ならパニックになりそうな所かもと思ったが、西湖は『0時になったら元に戻る』と言われていたので、結構心に余裕があった。
その日も7時間目まで授業を受けてから事務所の車で仕事のある放送局に行く。迎えに来てくれた桜木ワルツが
「今日の西湖は、なんか凄く女っぽい」
と言う。
「やはり女子高生生活してると、完全に女の子の気持ちになっちゃうみたい」
「だったら女の子の身体になっても、やっていけたりしてね」
「私、本当に女の子になりたくなったら、どうしよう?」
「うーん。その場合は取り敢えず高校3年間は我慢した方がいい。高校卒業してから、1年くらい経ってみて、それでも女の子になりたいと思っていたら、性転換手術すればいいと思うよ」
とワルツは言った。
「ああ、やはり冷却期間を置いた方がいいですよね」
「それ絶対必要と思う。後戻りができない手術だからね」
「そうですよね」
その日のお仕事はいつものように22時に終わり、23時前に用賀駅に戻る。
普段はここでセブンイレブンに寄ってアパートに戻るのがパターンになりつつあったのだが、今日は少しでも早く帰りたかった。
それでどこにも寄らずにアパートに戻った。そしてまず服を全部脱ぐと、鏡に全身を映してみた。
「きれーい」
と声をあげる。
「女の子の身体ってやはり美しいなあ」
などと鏡の中の自分に見とれている。
0時までそんなに時間が無いので、取り敢えずトイレに行っておしっこをした後で、お風呂に入る。シャワーを浴びて、あの付近も石鹸を付けて洗ってみる。なんかこれは不思議な感触という感じだ。お風呂からあがってからその付近をよくよく観察する。
割れ目ちゃんのいちばん手前に少しコリコリしたものがある。これがクリトリスというやつかと思う。触ると結構気持ちいい。
おしっこの出てくる所はその少し下の方にある。女の子はクリトリスからおしっこが出る訳ではないというのは何となく聞いていたのだが、実際の様子を見てそれを再認識する。そして・・・・
割れ目ちゃんのいちばん奥の所に穴がある。これがヴァギナか。こんな所にあったのかと西湖はやっと「ヴァギナの位置」を理解した。見えにくいので手鏡で見てみる。ドキドキしながら少しだけ指を入れてみると少し入れた所に感じやすい所があるのに気付く。ここは何だろう?と思った。
西湖が初めて「実際に触ってみることのできる女体」に陶酔している内に時間はどんどん過ぎていく。もう残り10分なので、もう一度トイレに行って来た。
その後、また色々触っている内にもう残り3分である。なんか名残惜しいなあ。この身体また体験してみたいなあ、などと思う。
残り30秒、10秒、5秒となる。ああん、これでもう終わり?
と思ったら0時の時報が鳴ったのに、西湖の身体はそのままである。
え?え!?
なんで元に戻らないの〜〜〜!?
と焦る。
まさかずっとこのまま?と思うと血の気が引くのを感じた。
やだよぉ、ボク女の子になりたい訳ではないよぉと思っていたら、60秒経過して0:01 になった所で突然男の子の身体に戻った。
「わっ」
と声をあげる。
ただし男の子の身体といっても、ブレストフォームは貼り付けたままであるし、お股はタックして女の子の股間に偽装したままである。
西湖はドッと疲れて座り込んだ。
「よかったぁ。男の子に戻れた」
と思わず声をあげた。
ボクを助けてくれた人の時計が1分ずれていたのかな?と西湖は思った。
西湖のそんな様子をリモートで眺めていた人物は
「ククク。男に戻らなくて焦った時の顔が良かった。また女の子に変えてあげよう。一時的に変えるのはOKと許可ももらったし」
などと楽しそうに呟いた。
「今回はついでに女性ホルモンも大量に入れてあげたし。何度も女の子に変えてあげていれば、その内きっと自分で、女の子の身体になりたいから睾丸取ってとか、おっぱい大きくしてとか言い出すよ」
などと独り言のように言いながら、その人物は自分の仕事に戻った。
2018年4月11日(水).
都内のホテルに多数の作詞作曲家が集まった。
上島雷太が不祥事を起こして謹慎になってしまったため、彼が書いていた楽曲を歌っていた歌手たちが大いに困っているので、彼ら・彼女らを助けて欲しい、というのが趣旨で◇◇テレビの響原部長が呼びかけたものである。
集団アイドルに多数の楽曲を提供している作詞家の月村山斗、上島雷太を除けば多作さでは群を抜いている東郷誠一、ネットでの評価が高い後藤正俊・田中晶星、比較的多作な作曲家として知られる、ローズ+リリーのケイ、スイート・ヴァニラズのElise、山本大左、蔵田孝治、松居夜詩子、吉原揚巻、香住零子、などなど。
なかなか高岡に帰れずにいる青葉もここに出席したのだが、千里姉と雨宮派の管理人・新島鈴世さんも来ていたし、あまり公の場に出てくることのない、秋風メロディーや夏風ロビンまで来ていた。
青葉は新島さんの隣に座っている千里をじっと観察して、オーラが弱々しいので1番だなと判断した。
響原部長は昨年上島雷太が書いた楽曲は950曲と言い、その内200曲くらいは何とか代替のメドがついており、この機会に引退させる歌手があるので、ここに来てくれたメンバーで何とか500曲ほど書いてもらえないかと頼んだ。
950という信じがたい数字にかなりのざわめきが起きた。
∂∂レコードの大倉社長、〒〒レコードの永森社長、%%レコードの吉田社長、★★レコードの佐田副社長、なども窮状を訴えるスピーチをした。
現在上島が関わった曲を使用して音源製作を進めていたアーティストがみな代替曲の確保に奔走しており、また既に発売されていたものは全て回収になり大混乱が起きていること、作曲料が高騰していて、何とか発売できても赤字になる見込みのアーティストが続出していること、管理の甘いセミプロ作曲家を動員したことから、盗作問題も出て更に混乱が起きていること、ライブまで中止に追い込まれたアーティストもあること、何も活動ができずに悲鳴をあげている歌手も多いことが述べられる。
青葉は現時点でこの事件の被害額は軽く20-30億円を越えているなと思った。
結局今日出席した作詞作曲家が代替できると思われる曲数を提出して、今日の会合は終了した。青葉も10という数字を提出した。
あとで聞くと響原部長が言ったメドのついた200曲というのは、過去にリリースされた曲を手直しして出すということである。
本来1回リリースした曲は、数年間は他の歌手には歌わせないということが多くの歌手とレコード会社の間で取り決められている。しかし今回はそんなことが言ってられないので、各アーティストと交渉して、今年度に限り再リリースを認めて欲しいと協力を求めた所、現時点で200曲の再利用が決まったらしい。売れた新たな音源の出荷額の0.9%(歌った歌手の取り分と同額)を元の曲の歌手にも払うという異例の処理で何とか納得してもらっているという。
会合の後、青葉は恵比寿のケイのマンションを訪れた。
「冬子さんは何曲って出したんですか?」
と青葉は尋ねた。
「200」
「嘘!?」
「いやこないだ町添さんと極秘に会ったんだよ。それでうまく乗せられて200曲書きますと言ってしまった」
「だって冬子さん、普段でも年間100曲近く書いているでしょ?それに加えて200曲なんて無茶ですよ」
「それはそうなんだけど、やはり上島先生には大きな恩があるから、私が頑張らなきゃと思ってね。やれるだけやるよ」
とケイは悲壮な顔で言っていた。
青葉は千里2と連絡を取ってその日の深夜3時 (4/11 19:00 CET = 4/12 3:00 JST) に葛西のマンションで会った。
「ちー姉は何曲書くの?」
「千里は20曲と書いたよ」
「1番さんなら、そのくらい書けるかもね」
「うん。あの子は良質の作品が書けなくなっている代わりに、駄作なら量産できる。昨年7月から今年3月までの9ヶ月であの子はひたすら駄作を40個も書いている。だから普段書いている作品に加えて20曲くらいは充分いけるよ」
と千里2は言う。
「冬子さんが何曲と回答したか知ってる?」
「200曲」
「無茶だと思わない?」
「ケイなら書ける。でも多分来年以降全く書けなくなると思う」
「何とか回避させようよ」
「ひとつハッキリしていることはさ」
と千里は言う。
「そんなに大量に書いていたら、自分が何曲書いたかなんて分からなくなる」
「うん」
「だから実際には100曲くらい書いたのに200曲と誤認させればいいんだよ」
「なるほどー」
「だから残り100を何人かで手分けして書く」
「それなら何とか冬子さんが壊れなくて済むね」
青葉と千里の計画は雨宮先生も巻き込み(千里2は表に出られないので青葉から雨宮先生に接触して提案した)、何人かの作家にケイの名前で書いてもらうことを了承してもらった。この際もう「ケイ風の作品を書く」というのは考えないことにした。明らかに他の人の作品と分かるものであっても、とにかく「ケイの名前」で発表することによって、ネームバリューからある程度のセールスを見込めるし、プロモーション効果があるのである。
それで実際に書いてくれたのが、AYA, 百瀬みゆき、大西典香、松浦紗雪、篠田その歌、鈴懸くれあといった、上島ファミリーの面々でこの6人で70曲ほど書いてくれた。また元々、唯一上島さんのゴーストライターをしていた福井新一は頑張ってこの1年間に1人で50曲ほど書いてくれた。これが全てケイの名前で発表される。
また雨宮は地方にある音楽大学の学生さんを動員して、ケイが過去に他の歌手に提供したものの売れなかった曲を、各々の歌手の同意を得て焼き直しの作業をした。これで作成された曲が250曲にも及ぶ。更に“琴沢幸穂”の内、千里3は今年はケイのゴーストライターに専念させることにした。千里3はこの1年間で1人で70曲書いた。それで結局ゴーストライターと再生曲でケイ名義の曲を500曲も調達したのであった。
(ケイ名義でこれだけの曲が調達されたお陰で、引退宣告されていた歌手の首がたくさんつながり、その中には長く低迷していた所から復活した歌手もある)
ところがケイ本人に物凄い邪魔が入った。
4月下旬。★★レコードの村上社長は面白くない顔をしていた。
腹心の滝口が主催する戦略的新人開発室からの初の売り出し成功となったフローズンヨーグルツはデビュー曲こそゴールドディスクとなったものの、2枚目のCDは売上198枚というあまりにも悲惨な状況であった。
「なんでこんなに酷い売上げなの?」
と滝口を呼んで訊く。
「すみません。やはり曲が悪かったと思います」
「1枚目と違う作曲家だったんだっけ?」
「はい。1枚目はマリ&ケイの曲と、東郷誠一先生の曲だったのですが、今回、どちらも時間が取れないと断られて、コンペで募集して、凄く良い曲でこれならマリ&ケイにも負けないと思ったんですが、ダメだったようです」
「ケイちゃんも東郷さんも忙しいの?」
「今、上島雷太先生の不祥事で、上島先生が謹慎になって、先生が書いていた曲が使えなくなったため、多数の作曲家がその補填に動員されているんですよ」
「上島って有名な作家?」
滝口は上島雷太を知らないのか〜!?今の騒動を知らないのか〜〜!?と叫びたくなったものの、ぐっとこらえて、
「それでケイちゃんも上島先生のカバーをするため、頑張ってたくさん曲を書いているようなんですよ」
と滝口は言う。
「へー。そんなにたくさん書いていたら、同じような作品が出来たりしないの?」
と村上は何気なく言った。
「どうしても似た作品はできると思いますよ。音の組合せは有限ですから、似たものができるのはやむを得ないです」
滝口が帰ってから、村上社長はしばらく考えていたが、ポンと左手の掌を右手の拳で打つと、秘書を呼んで宇都宮プロジェクトの電話番号を調べさせた。
1時間後、須藤美智子とマキが神妙な顔をしてやってきた。
「ちょっと僕は心配しててね」
と言って村上は話を切り出した。
その日の夕方、須藤とマキはケイのマンションを訪れて言った。
「冬、大量に曲を書いているんだって?」
と須藤が言う。
「ええ。上島先生の代理なんですよ」
とケイが言うと
「あれ?上島先生だったの?上原とか聞いたんだけど」
誰それ?とケイは思う。
「★★レコードの社長からその話を聞いてさ、それで社長は心配していたのよ」
「はい?」
「そんなハイペースで曲を書いていたら、うっかり過去に発表した曲とか、誰か他の作曲者が書いたのと似た曲ができたりしないかって」
「はあ」
「だから、私とマキでチェックしてあげるよ」
それ、迷惑なんですけど〜!?とケイは思った。
しかしふたりは勝手にチェック作業を始めてしまった。ローズクォーツの他のメンバーや今年の代理ボーカルの透明姉妹にも「過去に似た曲が無かったか、見てほしい」といって、ケイが書く曲を見せる。更にはFM局の元DJ島原コズエまで雇って、彼女にもチェックさせた。
それまで3日に2曲くらい書いていたケイの生産がピタリと止まる。
書いた曲がほとんどこのチェックによってはねられてしまうのである。
この事態を最初にキャッチしたのは★★レコードの佐田副社長であった。佐田は村上社長の秘書の中に潜り込ませているスパイから、村上が須藤たちに変なことを吹き込んだことを知り、これはまずいことになるのではと思った。
そして「上島代替作戦(Ueshima Divert Mission)」の管理をしている◇◇テレビの“UDM”本部に照会すると、実際ケイの作品がここしばらく全くあがってきていないことを知る。
佐田は雨宮三森と連絡を取り、都内のSMクラブ!?で密会した。そこを雨宮が指定したのである。嬢には充分な報酬を渡して席を外させ、2人で密談する。
「私はあんたが嫌いだし、あんたと話すことなど無いんだけどね」
と雨宮は不快そうな顔で言う。
「嫌われているかも知れないが、それより事は重大なんだよ」
と佐田は言った。
「ところで、こういう所、雨宮さんは好きなの?」
「よく利用してるよ。何なら、ふたりでプレイしてみる?私はSもMも行けるよ。某所で噂になっていたけど、佐田さん女装が好きで入れられるのも好きだとか」
「好きな訳ではないが宴会の席で女装したことは否定しない。それより本題なんだけど」
と言って、佐田副社長は雨宮に村上社長が須藤たちに指示した内容を説明。実際に須藤たちのチェックでケイの作品が全部はねられているようだ言った。
「村上さんは日本の音楽業界を潰したい訳?」
と雨宮は呆れて言う。
「村上はお金の計算しか分からない男なんだよ」
と佐田は言う。
「これお金の計算にも影響が出ると思うけどね」
と雨宮は言って腕を組んだ。
「分かった。これは何とかする。でも佐田さんも、動いてよ」
「何をすればいい?」
「村上さんには自分のおもちゃで遊んでいてもらおう。考えたんだけど、1970年代くらいのアイドルが歌った歌でさ、フローズンヨーグルツに歌わせることができそうな曲をみつくろって、韓国か台湾あたりのミュージシャンに依頼して焼き直しさせてさ、あてがってよ。滝口はセンスが悪すぎるんだよ。こないだの曲はコンペまでやって、なぜこんな曲を選ぶ?と思ったよ。佐田さんが介入すれば何とかなると思う。今国内のミュージシャンは全員上島代替作戦で忙しいから、外国のミュージシャン使うしかない」
「分かった」
「滝口が邪魔だから、極秘司令か何か出して1年くらい外国に飛ばそうよ。滝口が飛ばされると、多分明智が戦略的新人開発室の責任者になる。彼女の方がまだセンスがいい」
「よし。そのあたりも何とか工作する」
「マキたちの方は私に任せて」
「頼む」
それで結局滝口は佐田からうまく乗せられた村上の司令で、しばらくアメリカのアイドルシーンを研究してくるという仕事を渡され、アメリカに旅立っていった。予想通り、明智が戦略的新人開発室の室長代理として、フローズンヨーグルツを管理することになった。彼女は昨年滝口が癌で入院した時も、短期間ではあるが戦略的音楽開発室の室長代理を務めたのである。
一方、雨宮はローズクォーツのタカを呼び出した。
「どういうご用件ですか?」
「喜べ。タカ子ちゃんの性転換手術を予約してやったぞ。料金も払い込んだから」
「それは雨宮先生が受けて来てください」
「まあ本題を言うと、今マキたちがやっていることをやめさせるかあるいは無効にさせようということなんだよ」
と言って雨宮は趣旨を説明した。
「私もこれはただケイの邪魔をするだけのプロジェクトではないかと思っていました」
とタカは言う。
それでタカはまずサトとヤスに話をし、更に透明姉妹、そして島原コズエにも話をして、取り敢えず『過去のケイ自身の作品』はチェック対象外にすることを決めた。
「私もこれは不要なチェックでは思っていました」
と島原さんも言った。
「他の作曲家の作品との類似だけをチェックすればいいよ」
とサトが言う。
「須藤さんとマキには内緒で」
「須藤さんもマキも物わかりが悪い。過去の作品と似てないか確認するのは必要だと言って、絶対譲りませんよ。だからチェックの作業自体を無効化するしかないと思う」
とヤスが言う。
「須藤さんたちは過去のケイの作品をデータベース化して、それで類似チェックしてるようなんですが、どうします?」
「その件、醍醐先生に頼めませんか?あの人ソフトハウスに勤めているんでしょう?」
とサトが言った。
それで5月中旬、雨宮・タカ・千里の三者会談が開かれたのである。
この会談に実際に出て行ったのは千里Bつまり千里に扮した《きーちゃん》である。話を聞いた“千里”は、そのパソコンにウィルスを仕込むと同時にデータベースを破壊して、チェックがほぼ無効になるようにすると言った。
タカが持って来たディスクのデータを見て“千里”は1日でウィルスを作成し、また破壊したデータベースをタカに渡した。タカはそのウィルスをチェック用のPCに感染させるとともに、破壊したデータベースをPC本体のデータベースに上書きした。これが5月14日(月)のことであった。
それで須藤とマキによるチェックは無効になり、それ以降ケイが書く作品は一切チェックに引っかからなくなったのである。須藤は
「最近はちゃんと自己チェックできているみたいね。過去の作品と似たものは全然発生してないよ」
などとケイに話して、ご機嫌な様子であった。
そういう訳で半月ほど生産が止まっていたケイの作品もどんどん提供されるようになった。ケイ自身もどうやらチェックがソフトのバグか何かで無効になってしまったようだと気付き、自分の過去の作品をどんどん再利用し、歌詞だけ新たな歌詞に置換したりして、提供するようにした。これでケイの負担は飛躍的に軽くなった。
信次の名古屋支店への異動辞令は本当は4月2日付けで出ていたのだが、腫瘍の手術があったので延期され、ゴールデンウィーク明けの5月14日(月)から名古屋支店の勤務となった。
Jソフトで千里を演じ続けていた《せいちゃん》はその14日に何とか仕事のケリをつけて退職した。14日にみんなに送別会をしてもらった。その後《せいちゃん》は《きーちゃん》が確保してくれたホテルに入り、丸2日眠り続けた!
《きーちゃん》からは1ヶ月くらいのんびりと過ごすといいよと言われ、結局、宮崎の青島海岸のホテルに移り、ここで6月頭まで休んで体力の回復をはかった。
一方千里1は5月14日までは千葉のマンスリーマンションでひたすら曲を書き続け、5月15日(火)に名古屋に移動して、やっと信次の新妻となった。それでやっと信次との《新婚生活》が始まることになった。
「ごめんねー。これまで全然奥さんできなくて」
「うん。これからのんびりと末永く一緒にやっていこうよ」
もっとも千里は作曲依頼が大量に来るので、毎日信次を朝会社に送り出したら、日中は名古屋市内に青葉が確保してくれた作曲作業用のマンションに移り、夕方まで作曲作業を続けた。
そして夕方からは、毎日、同じ区内の体育館で活動しているクラブバスケットチームの練習に参加させてもらった。旧知のバスケット選手がいて誘ってくれたのである。
「惜しいなあ。レッドインパルスの籍から抜けているなら正式加入して欲しい」
「いや、これだけの実力があったら、レッドインパルスが手放す訳が無い」
とチームメイトたちは言っていた。
この時期はまだWリーグのレギュラーシーズンが始まっていないので、彼女たちはレッドインパルスに居るはずの千里がここにも居ることには気付かなかった。
練習が終わるのが20時くらいで、千里はそれから買物をして帰宅し信次が帰るのを待った。
信次は忙しいようで、帰宅はだいたい23時過ぎであり、それから一緒に食事をしていた。また、土日はだいたい土曜日の朝8時に出勤していき、その日は会社に1泊して日曜日の夜23時に戻ってくるパターンだったので千里はその土日を利用して東京に出て行き、作曲関係や、40 minutesの運営関係などで打合せその他をしていた(結局新幹線は定期券ではなく回数券を使うことにした)。
信次は5月25日(金)、6月25日(月)の給料日には、千里に
「お給料出たからこれ生活費」
と言って、現金で20万円を渡した。
千里は「お疲れ様〜」と言って、そのお金は名古屋に来てから作った尾張銀行の口座に入金したものの、全く手をつけなかった!
お金に余裕のある千里は、別に信次の給料に頼る必要は無かったのである。
信次と千里は平日の夜は一緒に寝て、することはしていたが、基本的に千里が男役で、信次が女役なので、千里はこれはこれなりに面白い気がしていた。
「千里ちゃん、まだ男の子だった頃、女の子とセックスしたことあるの?」
「ないない。私はセックスでは女役しかしたことないよ」
「へー、徹底しているんだね。でも男役もわりとうまいよ」
「そうかな」
桃香からは「下手くそすぎるから男は首。女になれ」って言われていたけどなあ、と千里は思った。
「そうだ。生まれてくる赤ちゃんの名前、どうしようか?」
と千里は何気なく訊いた。
代理母さんからは毎日「今日の胎児ちゃん」というレポートメールが入っている。この時期、千里も信次もその子の成長を楽しみにしていた。
「そうだなあ、男の子なら幸祐、女の子なら由美だな」
と信次は言った。
「どんな字?」
と言うので信次は紙に書いてみせる。
「何か由来があるの?」
「昔かなりハマりこんだゲームの主人公の標準名が、男の子を選ぶとコースケ、女の子を選ぶとユミだったんだよ」
「へー!ゲーム由来か」
「いけないかな?」
「ううん。いいと思うよ」
と言って、千里は信次が書いた紙を自分の財布の中にしまった。
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【春からの生活】(7)