【春からの生活】(4)

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ワルツが運転するロードスターは、圏央道から関越に乗り高崎まで北上後、北関東道で岩船まで移動してから東北道を南下する。途中、上里SAで焼きまんじゅう、佐野SAでラーメンと餃子を食べた。
 
佐野SAではラーメンを食べた後、屋根を閉めたままの車内でお茶を飲みながらかなり長時間話した。
 
正直な所、今日ワルツと色々話していて、女子高生生活するのも悪くない気がしてきた。
 
西湖はS学園に行くとしたら制服を注文しなきゃと言って、S学園の標準服を作っている衣料品店に連絡し、管理番号と確認のため氏名・携帯番号を伝えて、標準服を製作して欲しいと頼んだ。
 
「この後、どうする?おうちまで送って行ってもいいし、それとも事務所に来る?」
とワルツが訊く。
 
「事務所に行って社長に報告します。それに自宅に行ってもひとりだし。両親も今の時間帯は公演中だから連絡取れないんですよ」
 
「じゃ、晩御飯でも食べてから事務所に行こうか」
「はい」
 
それで久喜白岡から再度圏央道に入って、西湖の自宅がある桶川市を通過し!、関越を南下して大泉で降りると、練馬区内の焼肉屋さんに行った。
 
「コスモス社長のおごりだからたくさん食べて」
「はい!でも今日はたくさんおごってもらっちゃった」
「若い内は、どんどんおごってもらうんだよ。その内、下の子たちに西湖ちゃんがおごってあげないといけなくなるけどね」
「頑張ります」
 
それでお腹いっぱいお肉を食べたら凄く気持ちが落ち着いた。
 
「和紗さん、ボク、3年間女子高生で頑張ります」
「うん、頑張れ。でもボクじゃなくて、私と言った方がいいね」
「あ、それ気をつけます!」
 

21時頃、新宿信濃町まで戻り、ワルツと一緒に事務所に行くと、コスモス、ゆりこ、桜野みちる、緑川志穂と今日は4人も残っていた。やはり上島先生の件の対応で忙しいんだろうなと思う。
 
それで西湖はコスモス社長に、S学園に通うことにしたことを報告。これまでたくさん配慮してもらったことを感謝しますと言った。
 
「そうか、大変かも知れないけど頑張ってね」
とコスモス社長は言った。
 
「ご両親には伝えたの?」
「まだです。両親は公演があるので、深夜でないと連絡がつかないんですよ」
 
「制服は注文した?」
「しました。今日までに注文しないといけなかったんですよ。開き直って3年間女子高生生活します」
 
と西湖は言う。
 
「性転換しろとかって話ではないんでしょ?」
と川崎ゆりこ。
 
「その件では、むしろ向こうの先生に、最近は若い内に手術しちゃう子も多いけど、女性ホルモンで男性化を抑えておけば20歳すぎてから手術しても遅くないからね、って私を心配するように言ってくれたんですよ。もちろん私は女の子になるつもりはないから、女性ホルモンなんて飲みませんけどね」
 
「確かにそうだよね〜」
「今はわりと簡単に女性ホルモンが入手できるしね」
 
「でもうちの母なんて、日曜日に自宅に戻ってきた時、冗談でこんな書類を置いていったんですよ」
 
と言って、先日、母が置いていった『手術許可証』を通学用リュックから出して見せる。
 
「なあに?」
などと言って、みんな見ていたが、困惑するようにして顔を見合わせている。
 
「ホントにこれ冗談なの?」
とワルツが言う。
 
「母は昔からこういう冗談かマジか分からないことするのが好きなんです」
 
「面白いお母さんかも」
と緑川志穂が言った。
 

西湖がテーブルの上に手術許可証を封筒から出したまま放置し、別室で、4月以降の仕事の方針について、打合せていた時、事務所に1人の人物が入って来た。
 
その人物は何気なくテーブルの上にある書類を見ると、一瞬吹き出した。しかしちょっと首を傾げると、その中の1枚を自分のバッグに入れてしまった。
 
そして事務所内で少し作業をするとまた外に出て行った。
 
別室での打合せが終わって出てきた西湖はテーブルの上に放置していた許可証を封筒に戻すと、自分の通学用リュックに戻した。
 
「じゃ明日はオフということで。22日にS学園の行事予定表と現時点でのアクアの仕事予定表を見て、西湖ちゃんの詳細スケジュールを確認しようか」
「はい。よろしくお願いします」
 
「じゃこれプレゼント。明日は気分転換にたっぷり遊んでおいでよ」
とコスモス社長が何か渡す。
 
「わ!?ディズニーランドのチケットですか?」
「お小遣いもあげるよ」
と言ってポチ袋まで渡される。
「すみませーん!」
 
「まあ、正直な所、気分転換して、スッキリした精神状態になってもらわないと仕事に差し支えるからね」
「分かりました!明日はたっぷり遊んできます」
「よしよし」
 

帰宅してから夜中12時頃、母に電話した。
 
「ああ、結局S女学院に通うことにしたのね」
「いや、S女学院じゃなくてS学園ね」
「でも女子高なんでしょ?」
「女子高だけど、学校名には女子とか女とかは入ってないよ」
「だったらあんた将来履歴書に最終学歴を書く時もあまり恥ずかしくないね」
「ほんとだ!」
 
履歴書に「S女子学園高校卒業」などと書いてあったら、性転換したかと思われそう、と考えてから、それって男から女への性転換なのか、女から男への性転換なのか、一瞬悩んでみた。
 
「明日は休みだし、22日に学校に連絡して、お世話になることにしたことを伝えるよ」
「うん。それがいいね。色々配慮してもらっているみたいだしね。制服とかは?」
「今日の夕方までに連絡しないといけなかったんだよ。だから衣料品店に連絡して作ってもらうことにした」
「了解。手術はいつするの?」
「手術?」
「女子高に入るんだから、入学前に性転換手術するんでしょ?時間無いから早く病院予約しないと」
「手術なんて、しないよー!」
「しなくてもいいの?」
「むしろあまり焦って手術しないようにって言われたよ」
「なるほどね。じゃ卒業までに手術すればいいね」
 
「お願いだから、こういう時に冗談はやめてくんない?」
 
と西湖はさすがに不快感を抑えきれずに言った。
 
「でもまあホント行き先が決まって良かった」
「うん。ボクもお昼にG高校の合格発表見た時はどうなることかと思った」
 
それであれこれ30分くらい話して電話を終えた。
 

翌日。西湖はコスモス社長からチケットとお小遣いまでもらったので、ディズニーランドに行ってくることにした。
 
最近、女装ばっかりだったしなあと思い、西湖は男物のポロシャツとズボンを着てみる。
 
胸が目立つ・・・・。
 
ここで西湖は悩む。ブレストフォーム取り外そうか?でも外してしまうと、接着剤のかけらが残って、それが取れるのに数日掛かる。リムーバーを使うと全部取れるけど、これが結構肌に負担になるので、緊急の時以外は使わないようにしている。
 
入試が終わった以上、明日からはまたお仕事たくさんしないといけないし、そしたら女の子役をする時はまたブレストフォームを貼り付けないといけない。
 
結論。
 
ブレストフォームは貼り付けたままにする。
 
となると、結局女装するしかない!?
 

それで西湖はライトブラウンのチュニックを着てライトグリーンの膝丈スカートを穿く。このあたりの服は、ファンから大量に女の子の服をプレゼントされて置き場に困った龍虎(アクア)からもらったものである。
 
膝丈スカートなので、ロングソックスを穿いた。セミロングのウィッグをつけて、眉もちゃんと切りそろえ、カラーリップを塗り、鏡に向かってニコッと微笑んでみると
 
「あ、可愛い」
 
と思ってしまった。
 
(アクアと違って西湖にはナルシシズム的傾向はあまり無い。多分)
 

それで西湖は電車に乗ってディズニーランドに出かけて行った。チケットをタッチして中に入り、まずはスペースマウンテンのファストパスを取ってからホーンテッドマンションに行った。
 
この日西湖は、少し気が重いけど4月から「女子高生」になるのなら、もっと女の子っぽい行動が自然にできるようにならないといけないかなあ、などと考え、かなり女の子らしさを意識して行動していた。
 
それで午前中たっぷり遊んで、もうすぐお昼だから早めに食べておこうと思い、ワールドバザールのレストランに行く。早めに来たのに既に列が出来ている!仕方ないので並んでいたら
 
「ねえ、君」
という若い男性の声がする。
 
「はい?」
と言って振り向くと22-23歳くらいの男性2人だが、どちらも知らない顔である。
 
「君、可愛いね。ひとり?」
 
へ?
 
「もし良かったら、一緒に食事しない?おごってあげるからさ」
 
なぜこの見ず知らずの男性は自分におごってあげるなどと言っているのだろうと西湖は一瞬考えたのだが、2秒ほど考えた所で分かった。
 
ボク、ナンパされてる〜〜〜!?
 
「いえ、私連れがあるので」
と西湖は答えたのだが、
 
「連れって男の子?それともお母さんが誰か?」
などと訊いてくるし、西湖が曖昧な答えをしていると、色々食い下がってくる。
 
これひょっとして逃げた方がいい?と思い始めた頃
 
「ごめーん。待った?」
という若い女の子の声がする。
 
そちらを見ると、丸山アイなので、びっくりする!
 
「あ、お姉さんと来てたの?何ならお姉さんも一緒に」
と男の子たちは言っているが
 
「悪いけど、私もこの子も男の子だから」
などと丸山アイが言う。
 
「うっそー!?」
と男の子たちが驚いた隙に
 
「ここ混んでいるみたいだから、向こう行こうよ」
と言って、丸山アイは西湖の手を引き、その場から離れた。
 

結局丸山アイは別のエリアの少し高そうなレストランに連れて行った。
 
「済みません。ああいう時、どうしたらいいか分からなかった」
と西湖は言った。
 
「まあ悪そうな人ではないと思ったら付き合ってもいいと思うよ」
とアイは言う。
 
「あ、そんなもんですか?」
「そのまま結婚してという訳じゃないだろうしね」
「それはさすがに嫌です」
「ただ見た目ではなかなか男の子って判断できないのが難しいよね」
「ああ、そうなんでしょうね」
 
西湖は少し疑問に感じていたことを訊いてみた。
 
「さっき『私もこの子も男の子』って言っておられましたよね。去年の厄払いツアーの時も、少し疑問を感じたんですが、ひょっとしてアイさんって男の人なんですか?」
 
「ふふふ。西湖ちゃんってやっぱり結構霊感があるね」
とアイは言っている。
 
「へー」
 
アイは西湖の質問に直接は答えなかったが、そういう言い方をするということはやはり本来は男の子なのだろうか。
 
「“丸山アイ”は女の子だけど“高倉竜”は男の子なんだよね。10月のツアーの時は若干混じっていたよね」
とアイは言っている。
 
丸山アイと高倉竜が同一人物というのは知らなかったのだが、あのツアーの時に大宮万葉さんとコスモス社長が話していた言葉の端々から察した。
 
「あ、もしかしてアクアさんなんかが、男の子モードと女の子モードを切り替えるのと似たような感じかな?」
「そうそう。あの子もその切り替えがうまい」
 
と言ってからアイは付け加えた。
 
「西湖ちゃんも男の子モードと女の子モードを結構うまく切り替えている」
 
「そうでしょうか?」
「今日の西湖ちゃんはどこからどう見ても女の子にしか見えないよ」
 
そんなこと言われて西湖は恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。
 
「ほら、そんな仕草が女の子っぽい」
「あっ」
 

「でも普段から、けっこうプライベートではこういう格好してるの?」
「というより、少し女の子するのに慣れておこうかなと思って」
「君、充分慣れていると思うけど」
「そうですか?」
「君は普通にしていても女の子だよ。視線の使い方って意識したことある?」
「いいえ」
と言って西湖は首を振る。
 
「男の子は刺すように見る。女の子は受け入れるように見る。女装に慣れてない男の子は普段と同様に刺すように見てしまうから、女装がバレる」
 
「そういうの意識したこと無かったです」
「龍虎ちゃんも西湖ちゃんも、実は男装していても受け入れるように見ている」
「え〜〜!?」
 
「それもあって、君たちは男装していても女の子に見える」
「そうだったのか・・・」
 

西湖が少し暗い顔をしたのでアイが尋ねた。
 
「何かあったの?」
「実は・・・」
 
と言って、西湖は今年は高校受験の年だったのに、受けた高校をことごとく落としてしまったこと。その中で様々な偶然と誤解の積み重ねから、女子高のS学園を受けることになり、合格してしまったこと。結局それ以外の全ての高校に落ちたのでS学園に行くしか道はなく、3年間女子高生をしようと決意したことを語った。
 
「ふーん。別に女子高に行くくらいそう深刻に考えるほどのことじゃないと思うけど」
と丸山アイは言った。
 
「ボクが男の子なのは知っておられますよね?」
と西湖が念のため言うと
 
「もちろん。でも肉体的な性別なんて、大した問題じゃないし」
とアイは言う。
 
アイにそう言われると、ほんとに大した問題ではないような気がしてきた。
 
「じゃボク、女子高に通ってもいいのかなあ」
「いいと思うよ」
「性転換とかしなくてもいいんですよね?」
「君が性転換したければしてもいいし、したくなければする必要はない」
「ですか?」
 
「性転換なんて他人(ひと)から言われてするようなことじゃない。あれって一種の自己満足だから」
 
「そうなんですか!?」
「自分の身体は男であった方がいいと思ったら男でいればいいし、女の身体でいたいと思ったら女の身体に変えればいい。恋愛とも無関係だよ」
 
「え?でも女の人と結婚するなら男でないといけないですよね?」
 
「恋愛や性欲の向きと、自分の性自己認識も関係無いんだよ。君が男の人と結婚して、ヴァギナが無かったとしても彼氏を悦ばせてあげる方法はいくらでもある。逆に君が女の人と結婚して、その時、おちんちんを取ってしまっていたとしても、ちゃんと彼女を満足させてあげることはできるよ」
 
そういう話を聞いていると男か女かなんて、大した問題ではないし、女子高校に行くのも大した問題ではない気がしてきた。西湖はアイさんと話して良かった!と思った。ただ、今のアイの話は6割くらいしか分からなかった。
 
「私、そのあたりの男女のなんかすることがいまいち分かってないんですけど」
と西湖は言う。
 
実は西湖は《セックス》というのもよく分かっていない。それどころか、女の人にはヴァギナというものがあるらしいということは小学校の保健の時間に習ったのだが、その役割とか、どこにあるか!?というのも分かっていない。だって映像とかイラストだけでは全然分からなかったんだもん。
 
ただ先日母が説明してくれた「性転換手術のやり方」によると、おちんちんをヴァギナに改造可能らしい。逆に言うと女の子にとって大事な物らしいヴァギナを作ろうとすると必然的におちんちんは無くなってしまうことになる。
 
「まあ、君は学校にあまり出ていってなくて、性教育もきちんと受けてないだろうから、よく分からないだろうね」
と丸山アイは言っている。
 

「ただ・・・」
「はい?」
「君が女子高生をやる場合、おっぱいはブレストフォームでごまかして、おちんちんはタックで隠すとしても、ひとつだけ隠せないものがあるね」
「えっと」
 
「君、既に声変わりしているから、喉仏があるよね」
「あ、はい!」
「普段はかなりうまく隠している」
「これ女の子の声で話している間は上の方にあがっていて目立たないんですよ」
「うんうん。あと息を吸って停めても目立たないよね」
「ええ。女子トイレとかでよくそれやってます」
 
「それ削って取っちゃえばいいよ」
「もしかして手術ですか?」
「うん。でも大した手術じゃない。君、喉仏必要?」
 
西湖は首を振った。
 
「要らないんだったら、ボクが削ってあげようか?」
「アイさん、手術できるんですか?」
「ちょっと貸して」
 
と言ってアイは西湖の喉の所に左手を置いた。
 
体温が低いようで、ややひんやりとした感触があった。
 

「喉仏を動かさないでね」
「はい」
と女声で答えるとほとんど動かない。
 
アイはそのまま5分くらい手を置いていた。
 
「終わったよ」
 
「え!?」
 
西湖は手鏡を出して自分の喉を見てみた。
 
「無くなってる〜?」
「無くしたくなかったのなら、1分以内なら戻せるけど」
 
西湖は考えた。
 
「喉仏は要りません」
「じゃ、このままで」
とアイは言った。
 
「これって、魔法か何かですか?」
「手術したよ」
と言って、アイは自分のバッグから1枚の紙を取り出した。
 
「あっ」
 
そこには
 
《私、天月湖斐は、天月西湖が甲状軟骨の切削術を受けることに保護者として同意します》
 
という文章が母の字で書かれていた。
 

「このままでいいなら、ここに日付だけ書いて」
「はい」
 
それで西湖はそこの「年」「月」「日」と書かれた所に 2018 3 21 という数字を書き込んだ。
 
「じゃこれボクがもらっておくね」
と言って、アイはその紙をしまう。
 
「甲状軟骨って、もしかして喉仏のことですか」
「そうだよ。知らなかった?」
「知りませんでした! でもいつの間に?」
 
と言って、西湖は自分のバッグの中に入っていたはずの、手術同意書の封筒を取り出した。そこには3枚しかなくて、甲状軟骨の手術同意書が無くなっている。
 
「ボクの友人が、落ちていたのを拾って昨日ボクに渡したから、君と会う機会があったら、手術してあげてもいいかなと思ってた。でも今日会うとはボクも思わなかった」
 
「あのお、この手術のお代は?」
「じゃこの御飯の代金で」
「分かりました!」
 

「何なら、他の3枚の手術もしてあげられるけど。ボクの手術は痛くないよ」
 
西湖はゴクっと唾を飲み込んだ。
 
残りの3枚って・・・去勢手術、豊胸手術、性転換手術!?
 
「アクアちゃんから聞いたけど、君、精液冷凍してるんでしょ?だったら睾丸はもう無くなってもいいだろうから、去勢してあげようか?」
 
それは女の子役をするのに長時間タックしているので、生殖能力に万一障害が出た時のためにといって、アクアと一緒に4度にわたって精液を冷凍保存したのである。保存の費用は事務所が払ってくれている。だから確かに睾丸を取ってしまったとしても子供は作れると言われた(その付近の仕組みも実はまだよく分かっていない)。
 
でも・・・だからといって睾丸を取ってしまうというのはちょっと・・・
 
「いえ、いいです。ボク、女の子になりたい訳じゃ無いし」
と西湖は答えた。
 
「ふふふ。そのあたりがやはり西湖ちゃんとアクアちゃんの違いだね」
「はい?」
「アクアちゃんだったら『まだ手術しなくていいです』とか言うんだよ」
「あ!アクアさんがそう答えているの何度か聞きました!」
 

西湖は少し考えるようにしてから丸山アイに訊いた。
 
「アクアさんは、その内、女の子になってしまうのでしょうか?」
「彼はそれを19歳の年に最終的に決断すると思う。だけど多分女の子にはならないよ」
「やはりそちらですかね」
 
「今はまだかなり迷っているけどね」
「ああ・・・」
 
「ただ彼の場合、いわゆるオカマさんとは違って、自分の性的自己同一性は全く揺れていない。自分は男だというのを認識していると思う。ただ女の子の服が凄く似合っちゃうから、女の子でも行けるとか、女の子になったら?とか周囲から言われることを快感に感じている。それでその状態をもうしばらくはむさぼっていたいだけだと思うんだよね。彼の場合、小さい頃の病気のために身体もまだ中性で、思春期が来てないし」
 
と言いつつ、アイは思った。アクアの場合、中性のままでいたいから思春期が来るのを自分の意志で停めているんだよなあ。他人のことは言えんけど。
 
「だけど女の子でも行けるとか言われて快感を感じるのは、君もでしょ?」
とアイは指摘する。
「そーかもー」
と西湖が言うと
「実はボクもそうなのさ」
とアイが言う。
 
西湖は大きく頷いた。
 

丸山アイは午後は一緒に遊ぼうよと言って、ディズニーランドの中を西湖と一緒に歩き回り、たくさんのアトラクションに入った。
 
「女の子1人で歩いているとナンパされやすいんだよ。2人だと割と安心」
「ボクあまり友だちが居ないんですよ。男の子も女の子も」
 
「まあそれも高校に入ってから少し作るといいね。中学は小学校から持ち上がりになるから、人間関係が継続してしまうけど、高校ではいったんバラバラになるから、みんな新しい人間関係を作ろうとする。友だちを作るチャンスなんだよ」
 
「そうですね。少し積極的になってみようかな」
「うんうん」
 
あまり遅くまで遊んでもということで、夕方5時に、ふたりで一緒にディズニーランドを出た。
 
「でも結構汗を掻いたね」
「なんか午後から少し暖かくなってきましたしね」
「舞浜ユーラシアにでも寄って汗を流していく?」
「え?」
 
「行ったことない?」
「はい」
「スパだよ」
「スパってお風呂ですか?」
「そうそう」
「でも・・・」
 
西湖は今日は女装して出てきているので、そういう所に入ろうとすると問題が生じる気がしたのである。
 
「ボクと一緒なら大丈夫だよ」
「そうですか?」
「料金は各々払う」
「はい!」
 

それで舞浜駅の北口からシャトルバスで舞浜ユーラシアに入った。3Fまで上がり、靴をロッカーに入れてからフロントで入場料を払う。エレベータで4Fにあがる。
 
丸山アイは女性用ロッカーの方に歩いて行く。西湖は立ち止まってしまった。
 
「どうしたの?」
「あのぉ、アイさんはそちらに入るんですか?」
「もちろん。西湖ちゃんもこっちでしょ?」
「ちょっとボクは・・・」
「もしかして男湯に入るの?」
「ちょっと女湯はまずいかなと思って」
「まあ男湯に入りたいというのなら、試してみる?」
とアイが言った。
 
「試してみる?」ってどういう意味だろうと思いながら西湖は男湯のロッカーの入口を通ろうとした。
 
途端に従業員が飛んできた。
 
「お客様!こちらは男性用ロッカーです。向こうにお回り下さい」
と言って、丸山アイが行こうとしていた方角を指し示している。
 
西湖は困ったような顔でアイを見る。アイが微笑んで近寄り
 
「セイコちゃん、何やってんのよ?あんたそちらに入るには性転換しないといけないよ」
と言って、西湖の腕をとって、女性用ロッカールームに強制連行した。
 

女性用ロッカールームの入口の所にはカウンターがあってエステの受付をしているようだが、丸山アイと西湖がロッカールームに入っていくのを見ても何も言わなかった。西湖はちょっとドキドキしていたのだが、中に入ってしまうともう開き直ってしまった。
 
アイと並びのロッカーを開け、服を脱ぎ始める。
 
「偉い。開き直ったね」
「だって、私、3年間女子高生するんだから、女湯くらい入れなきゃ」
「そうそう。そうでなきゃ」
 
西湖が全部脱いで裸になった頃、アイも全部脱いでいた。
 
「アイさん、女の人にしか見えない」
「男に見えたら大変。西湖ちゃんも女の子にしか見えないよ」
 
それで浴室に入るが、浴室の中は何も身につけていない裸の女性がバストを曝したまま歩き回っている。しかしそれを見ても西湖は特に何も感じなかった。強いて言えば、その中にすごくスタイルのいい女性がいて、わあ、おっぱいの形がきれ〜い、うらやましい〜と思った。
 
身体を洗って浴槽に浸かるが、なんか過去に男湯に入った時と大差無い気がした。1年前に安曇野で女湯に入った時は初めての体験であそこが反応して大変だったけど、やはり2度目だからかなぁという気もした。
 

「ごく平常心でいるみたい」
「立っちゃわないか心配だったんですけど、特に反応しませんでした」
「性的に興奮する状況じゃないからね。私も西湖ちゃんも汗を流しにきただけだもん」
「そうですよね!」
 
それで結局、女湯の浴槽の中でアイと色々なことを話したが楽しかった!
 
アイはまだデビューしてから3年くらいの筈だが、芸能界の色々なエピソードを知っているようで、実名こそ出さないものの、様々な歌手のハプニングやその後の対処などを話してくれた。
 
「やはりスタッフを大事にしない威張っている歌手とかは意地悪されるんだよね。ある時は30代の女性歌手があまりに偉そうにしてるから、ライブ中に音響スタッフが彼女のモニターのスイッチだけを切っちゃったんだよね」
 
「すると聞こえなくなるのでは?」
 
「そうそう。本人だけ、どういう音で鳴っているかが聞こえなくなる。だからとても歌いにくい。それで彼女、歌っている途中で『こらPA、モニター!』とか偉そうに言うから、ますますPAさんが知らんぷりして」
 
「ああ」
 
「最近はぴあとかのシステムのお陰で、チケット代金はきちんと確保されているけど、昔は現金取引だから、色々問題が発生したみたいだよ。ある時は歌手が楽屋まで来ているのに、興行主がお金が無くてギャラをその歌手に払えなくてさ。それで幕はあがらないまま、歌手は帰ってしまったなんてこともあった。お客さんも満席なのに」
 
「わぁ・・・」
「幕を開ける前に現金でちゃんとギャラを約束通りの額払わない限り、歌手は絶対に歌わない」
 
「厳しい世界ですね」
「うん。ビジネスは厳しいんだよ」
 

お風呂にゆっくり入った後は、ユーラシア内のレストランに入り、ここはアイがおごってくれた。
 
「ボクは2014年12月3日デビュー。西湖ちゃんは2015年4月3日デビューだからボクがジャスト4ヶ月先輩だし」
とアイは言っていた。
 
「ジャスト4ヶ月って凄いですね!」
 
西湖はその日、夜9時頃自宅に帰り着いた。少し洗濯物が溜まっているなと思い、今日着ていった服をはじめ、洗濯籠に入っている服を洗濯機に放り込み始めたのだが、ふと気付く。
 
洗い物が女の子の服ばかり!
 
ボク最後に男物の服着たのっていつだっけ??
 
学校にはむろん学生服を着て通学していたものの、実は下には女物の下着を着けていることが多かった。特に最近はブレストフォームを貼り付けっぱなしになっているのでどうしてもブラジャーが必要である。ブラジャー無しでは走ることもできない。女の子って大変だよなとも思う。
 
ちなみに西湖は両親がなかなか帰宅せず小学4年生頃から、ほぼ一人暮らしの状態が続いているので、食事も自分で作るし、掃除洗濯も自分でする。母が
 
「これだけ出来れば、あんた立派なお嫁さんになれるよ」
 
などと言っていたが、多分褒め言葉なのだろう。
 
ボク、お嫁さんに行く気は無いけどね!?
 
とは思いつつ、時々自分がウェディングドレスを着て誰かと腕を組んでバージンロードを歩いている様を想像したりしていることを、西湖は意識していない。
 

3月22日(木)はいったん事務所に出てきてから指示を出すということだったので、朝から信濃町の事務所に出て行った。S学園には正式にお世話になりますという連絡を入れなければと思っていたが、その日は少し寝過ごしたこともあり、昼休みでいいかなと思っていた。
 
S学園の入学手続きの時にもらっていた年間行事予定表を持っていったので、志穂さんが特に中間・期末テストの日程をデータベースに入力して
 
「ここは他の子に替わってもらうか、そもそもアクアの予定を入れないようにするからね」
と言ってくれていた。
 
中学時代は仕事が中間テストにぶつかってしまい、後日1人だけ受けさせてもらったこともあったが、高校ではそれは全部追試になってしまうだろう。
 
それで志穂さんやコスモス社長たちと打ち合わせしていた時、事務所に醍醐春海(千里)が入って来た。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
 
「コスモスちゃん、とりあえず5曲書いたから、適当に割り振って」
と言ってUSBメモリーと分厚い楽譜を渡している。
 
「ありがとうございます!助かります」
とコスモス社長が言っている。
 
西湖は醍醐先生が左手薬指に金色の指輪をしているのを見て、あれ?先生結婚したのかな?と思った。
 
コスモス・ゆりこと醍醐先生が交わす会話を聞いていると、どうも上島先生の事件を受けて、上島先生が書くはずだった曲、あるいは書いてもらって音源製作をしていた曲を緊急差し替えしたりするのに、様々な作曲家が動員されているらしい。しかし上島先生が逮捕されたのが19日なのに、それからわずか3日で5曲書いたって、醍醐先生は凄い!と西湖は思った。
 
少し話が一段落した時、醍醐先生はこちらを見て言った。
 
「西湖ちゃん、大宮万葉(青葉)から聞いたけど高校入試はかなり苦労していたみたいね」
 
「はい。でもおかげさまで、行く高校がやっと決まりました」
 
「ああ。何とか行ける所、見つかった?」
「世田谷区のS学園に行くことにしました。というか、それ以外の高校全部落とされてしまったんですけどね」
と西湖が答えると千里は驚いたように言う。
 
「でもあそこは女子高なのでは?」
「それが入学許可されちゃって。だから3年間女子制服を着て、女子高生として通学します」
 
「うっそー!? 西湖ちゃんって女の子になりたい男の子だったんだっけ?」
「なりたくないですー。でも受け入れてくれるって言っているし」
 

千里はしばらく考えていたようだが、やがて言った。
 
「西湖ちゃん、D高校やJ高校を落とされたのは、性別の勘違いから、願書の不実記載とみなされたのでは、と言ってたね」
 
「それ私の仮説です」
と桜木ワルツが言う。
 
「いや、ありえるよ。アクアほどではないけど、西湖ちゃんも男の子の服を着ていても男装女子に見えちゃうんだ」
と千里。
 
「だったらさ、その誤解を解けば、あらためて入学許可が取れるかも」
「え!?」
 
「私の知り合いがJ高校の教師をしているんだよ。彼女に連絡を取ってみてもいい?」
と千里が訊くと
 
「そういう人がいるんでしたら、ぜひお願いします」
と桜木ワルツが言った。
 
西湖は思わぬ展開に、口の所に手をやっていた。こういう仕草はこの子凄く女の子っぽいよなと千里は思った。
 

千里は赤いフィーチャホンT-008を開くと、その中から数タッチでその番号を見つけて電話を掛けた。
 
「一美ちゃん、おはよう。ところでちょっとそちらで確認してもらえないかと思うことがあってね」
 
と言って、千里はこのように説明した。
 
知り合いの中学3年の芸能人が先日J高校を受験したが落とされたこと。この子は見た目が女の子に見えるし、名前も女の子っぽいので、どうも他に受けた高校でも、女の子と誤解されて、願書が男になっていて男の子みたいな服で受けに行ったので、願書の不実記載と思われた形跡があること、そちらの高校ではそのような誤解が無かったかを確認できないかと。
 
「その子、結局どこに行くの?」
と千石一美は尋ねる。
 
「それが女子高のS学園以外、全部落とされた」
「嘘!?でも男の子なんでしょ?なぜS学園を受験できて合格する訳?」
 
「ほんとに女の子に見えちゃうんで、女の子になりたい男の子と誤解されて、そういう子ならうちに来てもいいよと言われたんで受験してみたら合格通知をもらっちゃったという訳でさ。それ以外の高校に全部落ちたし、仕方ないから3年間女子高生生活をしようかなんて話をしていた所で」
 
「本当に女の子になりたい男の子じゃないの?」
 
「普通の男の子だよ。ただ、役者さんしてて、女の子役が多い。それで女の子の服を着せると女の子にしか見えないし、自然に女の子っぽい行動ができるんだよ。声も女の子の声が出せる」
 
「それでも普通の男の子なのに女子高生生活しなければいけないというのは気の毒だね。分かった。ちょっと受験担当の先生に聞いてみる」
 
「お願い」
 

千石一美からの電話は30分後に掛かってきた。
 
「確認した。面接の態度が凄く男性的で、男の子になりたい女の子と思われて、受け入れる自信が無いという意見が多くて。それで願書の不実記載を理由に事実上門前払い扱いになっていた」
 
「単純ミスであるなら、再度入学許可について検討してもらえない?」
「本人と保護者が午前中にこちらに来れない?」
「行かせる」
と千里は答えた。
 
それで西湖はすぐに両親に連絡を取ってみた。すると父が午前中なら動けるという話である。
 
千里が乗ってきていたオーリスに、男物の服に着替えさせた!西湖と付き添いの桜木ワルツを乗せ、劇団事務所に向かう。そして西湖の父・天月晴渡を拾って、そのまま世田谷区のJ高校まで走った。
 
来意を告げると応接室に通され、千石一美、受験担当の先生、教頭先生が出てきて、単純ミスで不合格にしてしまったことを謝罪した。
 
「では本当に男の子になりたい女の子とかではないんですね?」
「間違い無くこの子は男の子です。生まれた時からちんちん付いてたし、何度も一緒にお風呂入っているから間違い無いですよ」
と晴渡が言う。
 
ん?男の子になりたい女の子と思われていたのか??
 
「でしたらこのまま再度面接ということにしてもいいですか?」
「はいお願いします」
 
それで受験担当の先生と西湖の2人で別室に行き、面接のやり直しをしてくれた。10分ほどで戻って来る。
 
「私はこの生徒は充分J高校で学ぶのにふさわしいと判断しました」
と先生は言った。
 
「ただ、先日の入試の時の採点を確認すると、合格基準点に10点ほど足りないのですが」
と困ったように言う。
 
「そこはおまけで」
と千里が言うと
 
「分かりました。そのくらいはいいことにしようか?」
と教頭が言うので、受験担当の先生も
「まあこちらのミスもあったし、合格させましょうか」
と言った。
 
「ではあらためて入学許可を出します。明日にも到着するように郵送しますが、すぐに制服を作ってもらえますか?」
「はい。すぐ頼みます」
 
「天月さんは、わりと標準的な体型みたいだから、おそらく入学式に何とか間に合いますよ」
と呼ばれてやってきた新入生オリエンテーション担当の先生が言っていた。
 
入学手続きの書類はその場で西湖と父が記入した。芸術科目は音楽と美術はもう定員一杯なので書道でいいかと言われ了承する。入学金については千里が
 
「取り敢えず建て替えておくよ」
と言ってバッグから分厚い札束を出すので先生達が驚いている。
 
「まあ千里ちゃんは毎年億の税金払っているから」
と千石一美が言うと、今度は西湖の父が驚いていた。
 

公演の開始時刻までに戻らないといけない父は劇団に戻り、ワルツ・千里と西湖で後の説明を聞き、その後、教科書を扱っているお店で教科書セットを購入、体操服、内履き、通学用靴、を扱っている店でそれぞれ購入することにした。
 
これらの教科書や体操服などは、本当は昨日行われたオリエンテーションで販売したものらしい。
 
オリエンテーション担当の先生は学校生活に関する注意をした。原則として自動車通学禁止なので、芸能人の場合も緊急の場合以外はそれを守ってもらう。携帯・スマホは校内持ち込み禁止で、仕事での呼び出しは学校を通して行うこと。在学中の原付・バイク・自動車免許取得の禁止、美容整形手術の禁止、パーマ・染色禁止、妊娠・出産・結婚の禁止(妊娠しても妊娠させても退学)、校内でのサイン禁止などを言われる。
 
「うちは1/3以上の欠席があったり、期末試験で40点未満の点を取って追試でも挽回できなかったら、遠慮無く留年させますので、頑張って出席して頑張って勉強してください」
と先生は言っていた。
 
校内を少し案内してもらってから学校を出ることにする。オーリスに乗り込んだところで、千里が思い出したように言った。
 
「西湖ちゃん、通学用のアパートはもう見つけたんだっけ?」
 
「まだです。S学園に行くことをいったん決めたのも一昨日ですし。でも父も母も4月1日の千秋楽までは時間が無いみたいで、どうしようかと思ってました」
 
と西湖が言うと
 
「そういうのも私に言いなさいよ。何とかするから」
とワルツが言う。
 
「すみません!」
 
「ねえ、用賀駅の近くに私が少し物を置くのに使っている1DKアパートがあるんだけど、もし良かったらそこを使う? 私の荷物を置いたままにしておいてくれるなら家賃はタダでいい」
と千里は言った。
 
「どういうものが置いてあるんですか?」
とワルツが訊く。
 
「今は私の住居のひとつなんだよ。だから私の衣類とか楽器類とか生活用品とかが置かれている。でも他の人と同居することになったんで、大半は多分来週中、遅くとも4月4日くらいまでには別の場所に移動させて、若干の祭具が残るだけになる」
 
「祭具というと何かの宗教関係ですか?」
「実際見てもらうといい」
と言って、千里はオーリスを用賀駅近くの月極駐車場に入れて、2人をアパートに案内した。
 
(千里1は新婚旅行中である。ミラは千里2の指示で《つーちゃん》が近隣のスーパーに移動させておいた)
 

ワルツは玄関を入ってすぐの所にある梵字を書いた紙のペアに驚いたようである。
 
「ここはもしかして神殿か何かなのでは?」
「よく分かったね。ここは実はお稲荷さんなんだよ」
「へー!」
 
「そこの梵字の紙、そして重要なのはこれ」
と言って部屋の奥にある桐の箱を開けてみせる。
 
「鏡が入っている」
「銅鏡ですか?でも白いですね」
「そう。白銅鏡。そう古いものではないよ。30年くらい前のものかな」
「へー」
「特別に見せてあげる」
と言って千里はカーテンを引いて部屋を暗くし、シーリングライトも消灯した上で懐中電灯の灯りを鏡に当てた。すると鏡に反射した光が当たった壁に稲穂の模様が浮かび上がる。
 
「きれーい」
「魔鏡というやつですか?」
「そうそう。これを他の人に見せたのは初めて」
「わぁ」
 
それで千里はカーテンを開け、銅鏡も桐の箱に戻した。
 

「この鏡とあの梵字。これだけを維持してもらえばいい」
「お供えとかは?」
「必要無い。あと、この部屋ではセックス禁止なんだけど、西湖ちゃんセックスとかしないよね?」
「相手がいません!」
 
「もし男の子の恋人でも女の子の恋人でもできても、セックスしたい時は他の場所でしてもらえるなら、ほんとにタダでいい。実は私自身がなかなかここに来られなくなるけど、ここには誰かが住んでいないと空間が維持できないから困っていたんだよ」
 
「生気を吸われるようなことは?」
とワルツ。
 
「むしろ元気になると思う。物凄いパワースポットになっているから。ここは実は伏見稲荷と直結しているんだよ」
 
「両親があんなふうなので、長時間何かの作業をしてもらうのが難しいし、ハンコもらうだけでも大変なんです。だからアパート探しはマジでどうしようかと思っていたので、ただ居ればいいのだったら、その話、お受けしたいです」
 
と西湖は言った。
 

「了解。じゃそうしよう。だからここの家賃は私が払い続けるから、西湖ちゃんはここに居てもらえばいい。光熱費だけ払って。そうだ。私が移動する先には同居人さんが持ってる調理器具があるから、西湖ちゃんがお料理とかするなら、ここの調理器具は置いていくけど」
 
「料理は好きなんですけど、なかなか作る時間が無くて。でもあったら使うかな。新しいの揃えるのはけっこう手間が掛かるし」
 
「OK。あと既に9年くらい使っているものだけどエアコンもそのまま付けておこうか?クリーニングはしておくよ」
 
「助かります。たぶん新しいエアコン買っても、電機屋さんが取り付けに来る時に、私在室していられないです」
「じゃそれも置いていこう」
 
他に、こたつ、電気カーペット、空気清浄機、除湿器、洗濯機、冷蔵庫も置いていくことにした。退去前にげんちゃんたちに!クリーニングしてもらう。
 
しかしそういう訳で、用賀のアパートは千里1が引っ越した後に、西湖が入ることになったのである。
 

その後、西湖たちはJ高校の制服を取り扱っている衣料品店が入っているショッピングモールに移動するが、最初にモール内のATMに寄り、西湖はさっき建て替えてもらった入学金を千里に返した。
 
「ありがとうございました」
「はいはい」
 
それで衣料品店に行って、学校から渡された書類を見せて採寸をお願いするが、
 
「あなた標準的な体型だから一週間でできますよ」
 
と、ここでも言われる。同じことを学校でも言われたが、西湖は少し疑問を感じた。158cmの彼は中3男子としてはかなり背が低い方である。その小ささ故にアクアの代理が務められるのだが。普通の男子用の服が大きすぎて中学時代は運動会の応援団衣裳など女子用を着ていた。女子用が入るなら、いっそのことチアガールする?とか言われたが遠慮しておいた(ちょっとやってみたい気はした)。
 
ともかくもサイズを測ってもらう。バスト、ウェスト、ヒップ、肩幅、袖丈、背丈、それにウェストラインから膝までの高さも測られた。ふーん。男子の採寸も女子と似たような所を測られるんだなと思った。
 
代金はその場で前払いした。
 
その後、教科書を扱っている書店に行き、学校で書いてもらった伝票を見せて教科書セットを購入。次は体操服を扱っているスポーツ用品店に行き体操服を購入、内履きを扱っている書店!?に行き、内履きを購入、通学用靴を扱っている靴屋さんに行き、やはり伝票を見せた上でJ高校指定の通学用ローファーを購入した。
 
「内履きが書店というのは面白いですね」
「何か歴史的経緯があったんだろうけどね」
「でも体操服、サイズ計られてMと言われたのが不思議〜」
「ああ、西湖ちゃんはたいていSだよね」
「日本人の体格がもっと小さかった頃から基準が変わっていなかったりして」
「いや、こういう伝統校ではそれありそう。来年で創立100年らしいし」
「でもこのローファー、内張が派手〜」
「まあ色々伝統があるのかもね」
 

新宿信濃町の事務所に戻る最中に、西湖はふと思い出して言った。
 
「そうだ。一昨日、S学園の制服も作ってくださいとお店に頼んじゃったんですけど、どうしましょう?」
「うーん。作ってと言っちゃった以上、そのまま作ってもらうしかないんじゃない?キャンセルされても、もう布の裁断とかしているかも知れないし」
とワルツは言う。
 
「そうですよね。それは作ってもらってちゃんと買い取ることにします」
「どっちみち、撮影現場に入る時のために、女子制服は持っていた方がいい」
「そうなんですよね!」
 
西湖は女の子役が多いので、そういう場合、最初から女の子の服を着て現場に入る方がスムーズに役の中に入っていける。それで今までも中学生の女子制服っぽい服を数種類所有していたのである。
 
「でもJ高校の男子制服とS学園の女子制服があるというのは面白いかも」
 
「J高校とS学園はどちらも用賀駅で生徒が入り乱れるから、S学園の女子制服を着ていたら、そちらの生徒と思われそうだね」
 
「あ、そうですね!」
 

J高校の入学許可証は翌日、3月23日(金)に到着した。
 
J高校に入れることになったので、S学園の方には入学辞退の申し入れをする必要がある。ところがそれは保護者に電話してもらわなければならない。西湖は父にも母にも電話を掛けてみたが、呼び出し音が聞こえるだけで取ってもらえない。それでメールをしてみた。
 
23日の深夜になって、母から電話があった。
 
「へー!J学園の入学許可をもらったの?」
「いや、J学園じゃなくてJ高校だよ」
 
と言いつつ、西湖は、お母ちゃん、お父ちゃんから聞いてないの〜?と思う。
 
「知り合いの先生に連絡して話付けてって、裏口入学みたいなもの?」
「それとは違うと思うけどなあ。別に高額寄付金とか払った訳でもないし」
 
「じゃ2つの学校に合格したことになるわけね。どちらに行くの?」
「S学園は女子校だから、J高校だと思う。結構こちらは厳しい学校なんだけどね」
「厳しいというと?」
 
「S学園は出席日数の半分出ていればいいし、期末試験で20点未満の赤点取っても20点以上取れるまで何度も追試してくれるらしいんだよ。しかも同じ問題で!でもJ高校は出席日数の3分の2以上出ないといけないし、40点未満が赤点で、追試も1回しかないらしくて、本試験とは別問題で、それ落とすと留年なんだよね」
 
「あんたほとんど勉強してないでしょう?そんな厳しい学校大丈夫?それにたぶんアクアちゃんは今年・来年まではいいけど、再来年は高校卒業して日程が物凄いことになるよ。たぶんあんた、ほとんど学校に行けなくなるよ」
 
「うっ・・・・」
 
そのことは西湖は全く考えていなかった。確かに今はアクアはさんは高校生だからこそ、平日はわりと休める。卒業してしまうとフル稼働になる。その時、ほんとに自分の日程はどうなるんだろう?
 
「そんな厳しいJ学園よりS高校に行ったら?」
「女子校だから無理だよぉ」
と言いながら、お母ちゃん、2つの高校の名前がごっちゃになってると思った。
 
「ほんとに大丈夫?難しい高校に行って途中で退学になるくらいなら、最初から易しい高校に行った方がいいと思うよ」
 
「でもボク女の子になりたい訳でもないし、女子高行くなんて無茶だから、何とかJ高校で頑張るよ」
 

「分かった。そしたら、行かない方には辞退の連絡しないといけないんでしょ?」
 
「そうなんだよ。これ生徒からの連絡ではダメで、保護者から電話で学校に申し入れて下さいということになっているんだよね。そしたら学校から書類が送られてくるから、それに記入して返送する。記入には保護者の署名捺印も必要だから、それもお願い」
 
「分かった。でも土日は学校やってないよね?」
「うん。だから月曜日になっちゃうかな」
「じゃ月曜日の午前中に電話してみるよ」
「ありがとう。色々配慮してもらったのに申し訳無いと言っておいてくれる?」
「分かった。言っておく」
 

さて、西湖自身は受験のためにだいぶ仕事を休み、その間リズムやスピカに代わってもらっていたので、22日にJ高校に行くというのが確定した後、どんどん仕事が入れられた。
 
23日はまだ午前中だけだったのだが(それでJ高校の入学許可証を受け取ることができた)、24日から27日までは(普通の学生は)春休みなので、時代劇の撮影で、つくばみらい市のワープステーション江戸に行き、早朝から深夜まで撮影をした。
 
アクアからは
「西湖ちゃん、ごめんねー。ボクの仕事に付き合って全然受験勉強ができなかったんでしょ?でも入る所決まって良かったね」
と言ってもらった。
 
「いえ、ちゃんと勉強してなかったボクが悪いんです。アクアさんはちゃんと仕事しながらお勉強しているみたいだし」
と西湖は答える。
 
「ボクも中学時代はほんとに勉強してなくて、英語も全然分からなかったんだよ。それで反省して高校に入ってから中学の英語を勉強し直しているんだよね。何ならボクと一緒に少し勉強しない?」
 
「やります!」
 

撮影は時代劇なので和服である。過去にも和服での撮影は何度かあったものの、ここまで濃厚な撮影は初体験であった。
 
「洋服に比べて和服って身体の凹凸が分かりにくいですよね」
「むしろ寸胴体型の方が、和服は着やすい」
「巻きスカートと同じで体型が変わっても留めるポイントを変えるだけでそのまま着られる」
「実は男物と女物の差は柄だけかも」
「まあ、他に帯が違うし、男性は《おはしょり》をしない習慣なんだけどね」
 
「この和服って実際に江戸時代の様式なんですかね?」
と葉月が半ばひとりごとのように言うと
 
「全く違うよ」
と近くに居た藤原中臣さんが言う。ふたりは藤原さんに会釈する。
 
今回のドラマではベテラン同心・山門新五郎を演じているが『キャッツアイ』の映画ではカジノの支配人役であった。重厚なバイプレイヤーである。
 

「まあそもそも江戸時代に化繊の和服は無い」
「確かに!」
 
「着付けにしても実際にはこの着方はほぼ現代の着方だよ」
「そうなんですか!?」
 
「こういう広い帯を使い始めたのは江戸時代も後期になってからだし、帯の結び目も前結びが主流だったんだよ」
「へー!」
 
「江戸時代の後期に最初遊郭で後ろ結びが流行り出して、その後一般の女性でも未婚の女性が後ろ結びをするようになる。未婚の子はお母さんが締めてあげられるから」
「なるほどー」
 
「でも後ろ結びが普及してても、遊女の最高級ランクである花魁(おいらん)は前結びのままだったんだよね。あるいはいったん後ろ結びになっていたのを昔のやり方に戻したのかも知れない」
 
「あ、現代のお祭りでやってる花魁道中とか前結びですね」
「そうそう」
 

「ボクはひとりで和服を着る時は前で結んでぐるりと回すんですよ」
とアクアが言うと
 
「そうそう。ボクも若い頃女役やった時に、その半回転方式でやってた」
「わあ、藤原さんも女役なさったんですか?」
「あれは黒歴史にしたいけどね」
「へー」
 
「ボクは大部屋俳優だったから、女が足りない時は、結構女物の服を着せられて、大奥女中とか、芸者とか、そういう役をやらされたよ」
「わあ」
 
「だから男物の侍の服着て立ち回りでぞろぞろ出てきて主役に斬られる役をして、その後今度は女物の和服着て、悪徳代官と越後屋が密談する場でまたぞろぞろ出てくる遊女役」
「忙しいですね!」
 
「予算が無いから少ない人数で撮影していたしね」
「2人分ギャラもらいたい感じ」
「そうそう、僕もそう思ってた!」
と藤原さんは懐かしそうに言う。
 

「そうだ。今井(葉月)ちゃんのおじいさんとも共演したことあるよ」
と彼は少し遠くを見るような目をして言った。
 
「わ、蛍蝶とですか?」
と葉月が驚く。
 
「蛍蝶さんが花魁(おいらん)で、ボクは下っ端の散茶女郎でさ」
「さんちゃ?」
 
「散茶ってのは茶葉を挽いて袋に入れたティーバッグ状のお茶でね」
「そういうのが江戸時代にあったんですか?」
 
「そうそう。上等なお茶は茶葉を袋に入れ、お湯の中で振って茶の成分を出す。でも散茶は挽いてあるから、振らなくてもちゃんとお茶の成分が出てくる。それで客を振らずに誰とでも付き合う女郎を散茶女郎と言ったんだよ」
 
「へー!」
「日本語ってそういう言葉遊び多いですね。ドラ息子とかシャッポを脱ぐとか」
 
(ドラ→鐘を突く→金を尽く→ドラ息子/兜を脱ぐ→シャッポを脱ぐ)
 
「そうそう。大根役者なんてのもそう。僕のことだけど」
と藤原さんが言うと
「藤原さんはイチロー役者です」
とアクアが言う。
 
「君、頭の回転が速いな」
「いえ、これ大根役者の反対は何だろうと今井と話したことあったもので」
 
(大根で食中毒は起きない→当たらない→大根役者/イチローのバットはよく当たる)
 
「なるほどー。そういう訳で、花魁は偉いから、自分の気に入らない客とは付き合わない。でも下っ端の散茶女郎はそんなこと言ってたら稼げないから誰とでも遊ぶ」
 
「客を選ぶってのは面白いですね」
「日本的感覚だと思うよ。遊郭では花魁が上座に座って客は下座だし」
「そのあたりも凄い」
 
「だけど蛍蝶さんの孫娘さんと共演できるというのは長く役者やってきて良かったと思うよ」
 
と藤原さんがほんとに嬉しそうに言うと、アクアも葉月も
 
「孫娘じゃなくて孫息子ですー」
 
とは、とても言えず、一瞬顔を見合わせてから、曖昧に微笑んでいた。
 

西湖が時代劇の撮影から自宅に戻って来たのは、3月27日(火)の深夜である。
 
郵便物が来ているのでチェックする。ひとつはS学園からの手紙である。開封してみる。
 
入学者オリエンテーションを4月1日(日)に行うので、入学する人は全員参加してくださいというものである。それに加えて、入学前に天月西湖さんとは保護者を交えて、就学についての事前打ち合わせをしておきたいので、都合の良い日付を連絡してほしいという、教頭先生の直筆の手紙が入っていた。たぶん性別問題についてあれこれ細かい打合せをしたいということだったのだろうが、これは入学辞退の手続きと行き違いになったなと西湖は思った。
 
もうひとつの封書を開けてみる。
 
え!?
 
西湖は目を疑った。
 
 
 
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【春からの生活】(4)