【春からの生活】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-12-31
アキナたちの漫才の後は、◎◎中学の吹奏楽部の子たち(この子たちはずっと別室にいたようなので、アキナたちの漫才も聞いてない。さすがにさっきの話は中学生には聞かせられない)が再登場して、演奏のパフォーマンスをした。
ショスタコヴィッチ『祝典序曲』を演奏した後、THE SQUARE『TAKARAJIMA』、いきものがかり『ブルーバード』、AKB48『願いごとの持ち腐れ』、レミオロメン『3月9日』と演奏し、最後はローズ+リリー『門出』で締めた。
アキナたちの漫才ではかなり騒然としていた会場も中学生たちのパフォーマンスには掛け値無しで拍手が送られ、ひじょうに盛り上がった
成人式が終わって会場を出た後は、また会場前で色々な組合せで並んだりして記念写真を撮った。会場前で待機していた親などもいるので、そういう人も入れて撮影する。千里姉も来ていたので美由紀が並んでいる所を撮ってくれた。
「さっきも明日香ちゃんに撮ってもらったんだけどね」
「まあ何度撮ってもいいし」
「あれ?千里さん、左手薬指に結婚指輪つけてる」
「うん。近い内に結婚する予定だから」
「わあ、おめでとうございます」
「でもすぐに離婚する予定だから」
「そうなんですか!?」
千里が左手薬指につけているのは金色の指輪なので、それでこれは千里2であることが確認できる。つまり千里は1番には(多分眷属を使って言いくるめて)家で留守番をさせておいた上で、式が始まる前に3番、終わった後に2番が来て、3人とも青葉の成人式を祝福できるように調整したのだろう。
でもお陰でご祝儀も3回もらった!
その日は千里と朋子が協力して、料理を作り、成人の日のお祝いとした。
寒鰤・甘エビ・鯨のお刺身、鱈の子付け、海老・鱈・カボチャ・サツマイモの天麩羅、車麩に玉子を落として煮たもの、それに桃香の要望でローストチキンも作った。
「美味しい美味しい」
と言って、主として桃香が食べている!
お酒も高岡の地酒・勝駒の純米吟醸を美味しそうに飲んでいる。
「あんたお酒飲んでるの?」
と朋子が訊く。
「今日はめでたい青葉の成人式だし」
「それで早月におっぱいやったらダメだよ」
「ダメだっけ?」
「早月がアルコール中毒になっちゃう」
「むむむ」
「まあ今日はミルクあげておこう」
と千里が言う。
「こないだまでは千里もおっぱいが出ていたのだが、最近出にくいみたいだ」
と桃香は言っている。
「おっぱい出ていたのは、青葉が出るようにしてあげたんだっけ?」
と朋子が言うが、青葉は
「そうだねー」
と曖昧な返事をしておいた。
千里のおっぱいが出ていたのは京平君を産んだからである。そして最近出なくなったのはお正月に聞いたように“妊娠”したからなんだろうなと青葉は思った。京平君の時と同様、美映さんが妊娠しているように見えて、本当に妊娠しているのは千里姉なのだろう。“どの千里姉”が妊娠しているのかはよく分からないが。
「そういえば、千里ちゃんが買物に出た時に、追加で玉子も頼もうと思って電話したら、この番号は現在使われておりませんとアナウンスがあったんだけど、千里ちゃん番号変えたんだっけ?」
と朋子が尋ねた。すると
「この電話、どうも使い方が分からなくて。鳴った時もどうやって電話に出ればいいのか分からないし」
と千里は言っている。
「はあ?どういう設定にしてんのさ?」
「さあ」
それで桃香はその場で千里のiPhoneの番号を確認した上で、そこに自分のスマホから掛けてみた。
するとiPhoneは鳴らないし、桃香のスマホではやはり
「この番号は現在使われておりません」
というアナウンスが帰ってくる。
「千里、ひょっとしてこの携帯は解約されているとか」
「え〜?」
「もしかしたら口座の残高不足か何かで長期間料金が払われていなくて解約になったのかも」
「あ・・・」
「心当たりある?」
「この電話、4月に落雷に遭って入院した時に友だちに頼んで契約してもらったんだよ。その時口座番号伝えていなかったから、もしかしたら請求書とかで送られて来ていたのに私気付かなくて、料金払っていなかったのかも」
「それは千里なら充分あり得る話だ」
と桃香が言っている。
千里はわりとその手の単純ミスが昔から多い。
桃香は更に千里のiPhoneにしばらく触っていたのだが、やがて言った。
「そもそもこのiPhoneは壊れている」
「え〜〜〜!?」
「恐らく高電圧の物に接触したか何かで回路がいかれている感じ。多分修理不能」
と桃香が言うと
「高電圧の物体ってちー姉のことだと思う」
と青葉が言っている。
「それ凄く心当たりある」
と本人も言う。
「だったら明日にでも近所の携帯ショップに行って、新しいのを買う?」
と桃香が訊くと、千里は言った。
「ガラケーがいい!私静電気が凄いから、たぶんまたスマホ買ってもすぐ壊れると思う」
「確かに千里の静電気は凄まじいもんなあ。家電(かでん)もよく壊れるし。ガラケーがいいのなら、中古のガラケー扱っているショップで調達して私が調整してあげるよ」
「助かる!」
そういう訳で千里1が携帯を使えない状態は半年で終了することになったのである。
桃香は千里と一緒に東京に戻ることにし、その日の深夜にミラに一緒に乗って帰還していった。助手席を最大限前に寄せて、その後ろの席にベビーシートをセットし、千里が運転席、その後ろに桃香が乗るという形である。
そして8日の日中に桃香は千里を連れて中古ガラケーの専門店に行き、結局京セラの最後のガラケーGratina2 KYY10 pinkを買った。すぐにauショップに行き、持ち込みの新規契約をする(千里はそのあたりの意味がさっぱり分かっていなかったようである)。桃香はその電話番号とアドレスを自分のスマホに登録するとともに、メールで朋子と青葉に送った。青葉はその番号を千里2に送っておいた。
iPhoneからは桃香の努力をもってしてもアドレス帳を取り出すことができなかった。閲覧操作自体ができない。それで桃香は自分のスマホに登録されていた信次の番号を千里の新しい携帯に登録してあげた。千里は信次に連絡を取って、信次のお母さんとお兄さんの番号を教えてもらって再登録した。microSDカードはその付近に適当に転がっていたのを挿してあげた。
そして・・・千里1は密かに貴司の電話番号も登録しておいた。また貴司が会社に居る時間帯を狙って電話を掛け、携帯を変えたのでと言ってGratinaの番号とアドレスを伝えておいた。
また9日に横浜の2軍練習場に行った時に、前の携帯が壊れたので、コーチや同僚選手の携帯番号を教えて欲しいと言った。するとコーチは接続ケーブルを使って、直接自分のパソコンから千里が必要と思われる球団関係者(コーチ、二軍選手、事務関係者)の電話番号一覧を一気に千里のGratina2に転送したので
「そんな凄い方法があるんですね!」
と千里が感心したように言う。
「いや、アドレスなんて普通、パソコンにセーブしておくべきものだし」
とコーチは困ったように言っていた。
天月西湖は1月15日朝、劇団事務所に行って、母に高校入試の願書を書いてもらった。西湖は本命はJ高校で滑り止めにD高校と考えていてその2つの願書に、自分が記入すべき所を書いた上で、保護者欄を母に書いてもらったのだが、この時、うっかり(女子高である)S学園の願書も一緒に持って行っていたので、母はそれも書いて、一緒に写真を貼り付けて受験料を払い、投函してしまった。
S学園は女子高で葉月は受けるつもりも無かったので何も記入していなかったのだが、母は親切にもその願書の西湖が書くべき部分まで一緒に書いてくれていたのである。
この3つの高校の入試は、D高校が2月3日(土)、J高校が2月4日(日)、S学園は翌週の2月10日(土)に行われる。合格発表は3校とも翌日である。
西湖はうっかり書類を読み間違っていてD高校が1月22日(月)、J高校は1月23日(火)と思い込んでいたのだが、それは推薦入試の日程で、一般入試の試験日は2月に入ってからであった。西湖は中学の成績は体育・音楽・美術以外全て1で、年間の欠席日数も30日ほどあり、推薦入試を受ける条件を全く満たしていない。
この勘違いは、1月15日に願書を郵送したはずなのに、1月19日(金)になっても受験票が送られてこなかったので電話してみて、分かったものである。受験票は実際には1月25日(木)に到着した。
しかし到着した受験票を見て、西湖は困惑した。D高校とJ高校からも受験票が届いていたが、S学園からも受験票が届いていたのである。母に電話してみたら「願書が3つあったから3つとも出しておいたよ」ということだった。
S学園は女子校なのに〜と思うが、まあ受験料は払い込んだものは返却されることはないし、実際には受験には行かないものの、まあいいかと思った。
しかし普通なら、そもそも男の自分が出したS学園の願書は拒否されたと思うのだが、受験票を送って来てくれたのは、説明会の時に「女学生として行動してくれるのなら、受け入れてもいいよ」と先生たちが言っていたからだろうなと思った。
女子高生としての生活・・・
何かそれもしてみたいような気がするけど、ボク男の子なんだから無理だよねなどと考える。最低でも去勢してくださいとか、おっぱい大きくして下さい、なんて言われたらどうしよう?などと妄想したら、あそこが大きくなるのを感じた。
西湖は自分が女の子に改造されちゃうような妄想をすると男の子の器官が大きくなるのはなぜだろう?と不思議に思う。
しかしアクアさんは時々女子制服を着ているけど(*1)、アクアさんのC学園での扱いって、本当に男子生徒なんだろうか?もしかして女子生徒扱いだったりしないのだろうか??などと西湖は疑問を感じた。
(*1)女子制服を着て出歩いているのは、大抵アクアFである。
千里C(せいちゃん)が中心になって開発していた○○建設のシステムは2018年1月15日に納品され、最初の2日間は小さなトラブルがあったものの、その後はノートラブルで動き続けていた。千里Cはドキュメントの整理もあるのでずっと会社で待機しながらその整理作業をしていたのだが、矢島課長が言った。
「千里ちゃん、ここしばらく全く休んでないでしょう?22日から24日まで休みあげるから自宅で休んでいるといいよ」
「いいんですか?」
「私もいるし、(サブリーダーの)旬子ちゃんもいるから大丈夫よ。それにあんた、結婚式の準備も全然進んでないんじゃないの?」
「実はそうなんですよね−」
と言いつつ《せいちゃん》は気が重い。千里A(千里本人)はちゃんと信次と結婚してくれるよな?俺に代わりに結婚してくれなんて言わないよな?俺はさすがに男と結婚するのは嫌だぞ。
それでともかくも千里Cは休みをもらうことにして、《きーちゃん》が取ってくれたホテルでひたすら寝て過ごすことにした。今回のシステムは途中でどんどん仕様を変更せざるを得なくなって、ほんとに疲れた!
青葉は1月20日(土)、アクアの次のCD制作のため東京に出てきた。次のCDは4月から新たに始まるドラマ『ほのぼの奉行所物語』のエンディングテーマ『お江戸ツツジ』と挿入歌『帯に短し襷に長し』をカップリングしたものである。例によって、青葉はマリの歌詞に曲をつけ、もう1曲は千里3が琴沢幸穂名義で書き、現在の醍醐春海こと千里1が編曲をしている。
月初めに書き上げて送っておいたが、先週末にスコアが完成してアクアやエレメントガードのメンバー、青葉や和泉にも送られて来ている。
金曜日までにエレメントガードは充分練習していたので、この2日間はアクアの歌唱練習と本番収録が行われる予定であった。しかしアクアも忙しい中かなり練習していたようで、20日午前中の段階で一発でうまく行った。そこから調整を掛けていって、その日の午後には完成の域に達して、録音を確定させた。
「最近、アクアちゃんはよく事前に練習しているよね」
と和泉が感心したように言う。
「だってたくさんの人が動いているのに、ボクがもたもたしていたらいけないもん」
「いや、よく練習する時間があるものだと思う」
「それは何とかしますよー」
それで21日はPVの撮影、ジャケットに使う写真の撮影などをした。
このCDは通常表紙版と、ドラマのスティルを使ったジャケットのものと2種類を発売することになる。
21日(日)の夕方、青葉が§§プロを出て、大宮の彪志のアパートに戻ろうとしていたら、千里2から連絡があった。少し話しておきたいということだったのでいったん葛西のマンションまで行った。
「ちー姉、試合はよかったの?」
「今朝5時半に終わった。次は日本時間で28日の午前4時」
「ふーん」
「それで今日の午後、貴司は阿倍子さんとの離婚届けを提出した」
と千里は厳しい顔で言った。
「ちー姉の予測通りだね」
「慰謝料は1000万円。京平の養育費は、京平が20歳になるか、その時点で大学在学中だった場合は22歳になる年の翌年3月まで毎月10万円を送金する」
「貴司さん、結構経済状態が悪化していたみたいだけど1000万円あったの?」
「銀行から借りた」
「へー!」
「収入証明書を提出したらしいけど、まだ2017年のは取れないから2016年のを提出してるんだよね」
「今年はだいぶ落ちてるでしょ?」
「うん。去年の給料は年間1000万円を越していた。だから銀行は簡単に貸してくれたんだと思う」
「今年はどのくらい?」
「給料がそもそも40万から30万までカットされている。ボーナスも3ヶ月分出ていたのが1.5ヶ月分に減らされた。だから今年は750万しか無い」
「計算が合わないんだけど?」
「名目上の給料には、家賃補助の毎月25万が入っているんだよ。これだけで300万円ある。だから750万円といっても家賃補助以外は450万しかない」
「バスケの活動をしていて、奥さんと子供がいて、その金額はきついと思う」
「そうなんだよ。だから今あいつはかなり苦しい生活をしている」
「もう美映さんと同棲してるの?」
「まだ。阿倍子さんはその1000万円でお母さんから家と土地を買い取った。そのお金をお母さんは相続で揉めていた従姉の人に遺留分として払って、それで実家の権利問題は解決した。これは貴司が雇った弁護士に同席させて、きっちり念書を取ったからこの問題ではこれ以上揉めることはないはず。それで阿倍子さんは実家に戻ることができることになった。だから今週引っ越すよ。その後、美映さんがあのマンションに入ると思う」
「じゃ阿倍子さんの手許にはお金は残らなかったんだ」
「まあ貴司が送る養育費の月10万で暮らしていくしかないだろうね。あの人、身体が弱いから、とてもパートとか出られないだろうし」
「生活保護は?」
「自宅土地を持っている人が受けられる訳ない」
「そうか!」
千里1は1月8日に、桃香・早月と一緒に東京に戻った後は、作曲とバスケ漬けの日々を送っていた。バスケは昨年7月のどん底状態に比べると、かなり回復してきていた。それで千里が自分は3月に結婚するのでそれで退団させて欲しいと言うのをコーチは随分惜しみ、だったら休部ということにして落ち着いたら復帰しないかと言ったので、千里もそれで同意した。
22日(月)の夕方は、仕事で東京に出てきたという青葉がこちらにも寄ってくれて、差し入れを置いていった。
23日(火)朝、アパートの家電が鳴るので取ると、Jソフトウェアの**君である。
「村山さん、朝早くからお休みの所、済みません。**商事で今データのバックアップを取ろうとしているのですが、セーブ用のカセットを入れたら502ハードエラーというのが出るんですが、これってやはりカセットが悪いんですかね?」
コンピュータのことに詳しくない千里でもこのくらいは分かる。
「それカセットの向きが逆だと思う」
「え?」
「そのカセット、入れる方向が分かりにくいんだよね。しかも逆にでも物理的には挿入可能なんだ」
「分かりました。逆に入れてみます」
ところが2−3分で再度電話が掛かってくる。
「逆に入れたら504ハードエラーになったんですけど」
逆というのは千里は上下逆という意味で言ったのだが、この子、間違って前後逆に入れたのでは? このカセットは上下逆にしても、前後逆にしても入ってしまうのである。どう考えても設計が悪い。ただ、前後逆ではカセットの開口部が外側に来てしまうから、普通の人はその向きには入れようとしない。
**君って、私より機械音痴だからなあ。あの子絶対入る会社間違っているよと千里は思ったものの
「じゃ、ちょっとそちらに行くよ」
と言った。**商事は下北沢なので、車で15分ほどで到達できる。
それで千里はミラに乗って**商事に向かった。ところが実際にそちらに着いてみると、後輩の溝江旬子が来ている。
「お疲れ様です。修正プログラムを入れに来たら、**君がカセットの入れ方間違えて悩んでいたんで、正しい入れ方を教えましたよ」
「あのカセット、分かりにくいもんね」
「まあ普通の人はダメだったら別の入れ方をしてみるんですけどね。入れ方は4通りしかないから、その内当たるし。あと、書き込みロックも掛かっていました」
「そのカセットのロックって、どちらに押したらロックが掛かるのか表示が無くて分かりにくいよね」
「そうなんですよ。でもこれも両方試してみれば分かるし」
「そうそう」
「でも村山さん、休んでおられたのにすみません。大抵のことは私がフォローできると思いますから、村山さんは休んでいてください」
「ありがとう。助かる」
それで千里は無駄足になったものの、自宅に戻ることにした。
それでミラに乗って走っていたら、ビートルズの『Fool on the Hill』のメロディーが鳴る。
これは貴司の携帯からの着信なのである。繋がらなければメールでもするだろうと思って放置していたら、何度も掛け直しているようで、ずっと鳴っている。千里は根負けしてミラを脇に停めて電話を取った。
そこで千里(千里1)は驚くべきことを聞くことになる。
「貴司、阿倍子さんと離婚したの!?」
悔しーい!だったら自分は信次と婚約していなければ貴司と結婚できたじゃん。と思ったが、貴司の次の言葉はその可能性を打ち砕いた。
「実は他の女性を妊娠させてしまって。その子から結婚を迫られて。阿倍子に土下座して離婚してもらうことにした」
何〜〜!? 他の女を妊娠させただと!?
千里は怒りがこみ上げてきて、貴司にありったけの罵りの言葉を投げつけた。
「千里にも申し訳ない」
と貴司はひたすら謝った。
5分くらいそのやりとりがあった後、
「それで頼みがあるんだけど」
と貴司は言う。
「何がしたいの?極悪浮気男さん。今すぐ大阪に行って、ちんちん切り落としてやろうか?二度と浮気ができないように」
「いや、大阪に来て欲しいんだ」
「ちんちん切って欲しいの?」
「その件はあらためて話し合うとして、実は今日は阿倍子が実家に戻るのに引越をしていて」
「うん」
「それを僕が手伝っていたんだけど、喧嘩してしまって」
「まあ喧嘩にもなるだろうね」
「それで千里悪いけど、僕の代わりに手伝ってあげてくれないか?」
「なんで私がそんなの手伝わないといけないのよ?」
千里はかなり怒っている。
「阿倍子は体力が無くて。でもあいつ友だちとかも全然居ないからさ。兄弟とかもいないし、お母さんは名古屋にいて、お母さんも1日の半分は寝て過ごしている状態だし。だから、頼めるの千里しか居ないんだよ」
「私が手伝いに行ったら阿倍子さん不快に思うと思うけど」
「それは承知なんだけど、千里だけが頼りなんだよ」
千里はかなり怒っていたものの、確かに阿倍子さん友だちがいないと言っていたよなと思い、行ってあげることにした。
ミラで羽田空港まで走り、伊丹行きに乗る。それでお昼過ぎに貴司のマンションに到達した。案の定阿倍子は千里に「帰ってよ」と言ったが、千里が自分も来たくなかったが、貴司から他に頼める人がいないといわれたこと、また自分も結婚することにしたことを言うと、
「千里さんも結婚するの!?」
と驚いたように言い、
「だったら手伝って」
と言った。
それで千里が手伝う、というより千里が主として荷造りをすることで、引越屋さんが来るのに間に合ったのであった。
2018年2月3日(土)、天月西湖(今井葉月)は品川区のD高校の入試を受けに行った。最近仕事が忙しくて髪を切りにも行けなかったので、前日は仕事の途中で1時間ほど抜け出させてもらって放送局内の理髪店に行き、髪が肩につかないように切ってもらった。
「ほんとにそんなに短く切っていいんですか?」
と言われたが
「お願いします」
と言って切ってもらう。
西湖は髪を切るくらいでなんでそんなに確認されるんだろう?と不思議に思った。
3−4日は本当は撮影の仕事が入っていたのだが、今週はアクアと身長が近い白鳥リズムが偶然空いていたので、代わってもらい、試験を受けに行った。この時期、アクアが156cmなのに対して、西湖は158cm、リズムは154cmであった。スピカもしばしばアクアの代役をしているのだが、彼女は162cmあって、アクアとの身長差が6cmあるので微妙である。
しかしD高校に行き、筆記試験(国語・英語・数学)が終わった所で西湖はかなり落ち込んだ。
試験問題がほとんど分からなかったのである!選択問題はもうヤマカンで選択肢を選んだが、叙述式の問題はほとんど空白である。一応午後から面接があり、西湖は気を取り直して、明るく面接に臨んだ。質問された内容について大きな声ではきはきと答える。しかし筆記試験が酷かったから、この高校は厳しいかもという気がした。
翌日は世田谷区のJ高校に行く。ここも午前中に筆記試験(数学・国語・英語)がある。やはり全く試験が分からなかった!昨日のD高校より悲惨ではないかという気がした。ひたすらヤマカンで回答を書いた。しかし午後からの面接はまた気を取り直して元気に受けた。
4日自宅に戻ってから、おそるおそるD高校のホームページを開いて、合格者の一覧を見る。
西湖の受験番号は無かった。
翌日5日は学校を休んでずっと仕事をしていた。そして夜遅く帰宅してからJ高校のホームページで合格発表を見る。
やはり西湖の受験番号は無かった。
ちょっと待って。僕どうすればいいの〜?
西湖は公演の仕事がだいたい片付いたであろう、夜11時頃を狙って母に電話してみた。
「どうしよう?僕D高校もJ高校も落ちちゃった」
「あら。でもあんた3つ願書出したからもうひとつあるんじゃないの?その試験に集中して頑張りなさいよ」
「えー?でも・・・」
だってS学園は女子高だもん。入学するには性転換しないといけないかも。
「もうひとつの高校って、あんたが願書自分では書いてなかった高校?」
「うん、そこ」
「そこあまり気が進まないのかもしれないけど、やはり中卒というのは色々大変だもん。高校くらいは出ておいた方がいいし、あまり好みではない高校でも、入れてくれるなら行くべきだよ」
いや本当に入れてくれるのか。そこに重大な問題があるんだけど。
「まずはそこ頑張って受けて、何なら他の学校の二次募集とかも視野に入れたら?」
「あ、二次募集ってあるんだっけ?」
「最初の募集だけで定員に満たなかった場合、二次募集をする学校があるんだよ。そのあたりはこれから情報が出てくると思うよ」
「分かった。情報収集してみる。ありがとう」
それで西湖はあらためて芸能活動と両立できそうな学校を東京都以外まで範囲を広げて調べた所、浦和のB学園、船橋市のE学院も芸能活動に許容的であることが分かり、どちらも例年二次募集をやっていることが分かる。それで各高校のホームページで取り敢えず資料を取り寄せることにした。実際の二次募集の要項は一次募集の入学者がほぼ確定する2月下旬に公開されるらしい。
そしてS学園をどうするか・・・
取り敢えず試験だけでも受けてみようか?
でも女子高なんか受けて、ボク、女子高生になることになったらどうしよう?と悩む。西湖が悩んでいるふうなのに気付いた桜木ワルツが西湖を個室に呼んで「悩み事があったら私に言ってみて」と言ってくれた。
それで西湖はD高校とJ高校の両方に落ちてしまったことを泣きながら話した。
「J高校はまだいいとして私、芸能人でD高校に落ちた人って初めて聞いた」
と桜木ワルツは言う。
「そうなんですか〜?」
「一般の生徒では落とされる人も稀にあるみたいだけど、芸能人では少々成績が悪くても通してくれるんだよ。芸能人だってのは言ったんでしょ?」
「はい、芸能コースを選んで、過去の作品とかもちゃんと書いておきました」
「それで落とされるなんて、よほど面接の態度がおかしかったか」
「え〜〜〜!?」
「あんた、面接とか全然練習してないでしょ?」
「はい」
「私を試験官だと思ってちょっと練習してみようよ」
「はい!」
「そこのドアから入ってくる所からね」
「お願いします」
それで西湖はいったん部屋の外に出て、ノックをしてから「失礼します」と言って入って来た。入る時には一礼をしている。そして面接官(ワルツ)の前まで歩いて来て「よろしくお願いします」と言ったが、まだ立っているので
「座って」
とワルツが言う。
「失礼します」
と言って西湖は座った。
ワルツは面接でありがちな質問をいくつかした。
「当校を志望した動機はなんですか?」
「中学時代、クラブ活動はしていましたか?」
「あなたの将来の夢は?」
などなど。
西湖はそのひとつひとつの質問にきちんと、大きな声で元気に答えた。
「質問は以上です」
「ありがとうございました。よろしくお願いします」
「では退室してください」
「はい、失礼します」
それで西湖は一礼して立ち上がり、椅子をきちんと直してドアの所まで行くと一礼してからドアを開け、閉じる前に再度一礼した。
それから西湖はドアを開けて
「どうでしたか?」
と訊く。
「何も問題無いと思う」
とワルツは言った。
「だったらどうして落とされたんでしょう?」
「うーん。謎だ」
とワルツも悩んだ。
母からS学園が残っているのならS学園頑張って受けなさいと言われたことを言う。
「ああ、あそこに通いながら芸能活動している子も多いよ。だったら頑張りなよ。あそこも落とされた人って聞いたこと無い。芸能人だけでなく、一般の受験生でも」
「そうなんですか!?」
「だって偏差値30だよ」
「えーっと・・・」
西湖は受験のシステムについても無知なので偏差値というのが分からない。
「よく分からないけど、凄く易しい学校だということですか?」
「うん。それで落とされるのは、ヤンキーな格好して行ったとか、面接の時に暴れたとか、そんなのしかあり得ないと思う」
と言ってから
「D高校も似たようなものだったと思うんだけどね」
と付け加えた。
それで西湖は「うーん」と言って悩む。
「試験はいつ?」
「10日なんですけど」
「その日はまたリズムちゃん空いてるから彼女に代わらせるよ。試験に行っておいで」
「でも・・・」
「何?」
「S学園って女子校なんですけど、ボクが本当に受けていいもんなんでしょうか」
と西湖が言うと、ワルツは一瞬キョトンとしてから
「そういえばそうだった!」
と言った。
そして訊いた。
「でもなんであんたが女子校に願書出したのよ?」
「それが・・・」
と言って西湖はワルツに説明する。
J高校の説明会に行った時、たまたまS学園の先生とエレベータで一緒になり、その先生がS学園の受験生と思い込んで、そちらの会場に連れ込んでしまったこと。それでともかくも入試の書類をもらってしまったこと。母に願書を書いてもらいに行った時、うっかりその書類も持っていったら、母がそれにも記入して出してしまったこと。それで受験票が送られてきたこと。
「なぜ男子が女子校に願書を出して受け付けられて受験票が送られてくる?いやそもそもなぜS学園の先生はあんたを間違って女子校の説明会に連れ込んでしまったの?」
「ボク私服だったから女の子に見えたのかも。それで実際ボクが、私男の子なんですけどと言ったら、女の子になりたい男の子と間違われてしまったみたいで、S学園の教頭先生が、うちは以前にも女の子になりたい男の子を女子生徒として受け入れたことがあるから、君もちゃんと女子生徒としてふるまってくれるなら、来てもいいよと言われたんですけど」
「そういうことか!」
と言ってからワルツはしばらく考えていたが言った。
「あんただったら、10日はしっかり女の子らしい服装で行きなよ。セーラー服持ってたよね?」
「衣裳のなら自宅にも置いてます」
「だったらセーラー服を着ていけばいいよ」
「えー!?」
「ちゃんと女の子らしい態度で面接を受けよう。さっきのは男らしすぎた」
「うっ」
「ちょっと女の子らしい面接の練習をしよう。部屋に入ってくる所から」
「うっそー!?」
それで西湖は事務所にあった衣裳のセーラー服に着換えるよう言われる。
「あんたその髪は女子としては短すぎる。ウィッグも付けよう」
と言われて、西湖が撮影の時に使うセミロングのウィッグを付けさせられる。
それで西湖は再び部屋に入ってくる所から出ていく所まで面接の練習をしたが、今度はセーラー服を着ているのが心理的な影響を与えたようで、話し方なども女の子らしい、控えめな声量でハイトーンの声で受け答えをした。
「どうでしたか?」
と部屋を出る所までやってからドアを開けて訊く。
「充分女の子らしかったよ。10日はそれで頑張って」
「はい」
そしてワルツは突然気付いたように言った。
「あんたD高校落とされた理由だけどさ、あんた女子生徒と思われていて、女なのに、全然女らしくない態度だし髪も男みたいに短くしていたから、性格的に問題のある生徒かと思われたのかも」
「え〜〜〜!?」
「それにあんたが芸歴書いてたのを見て、その映像とか確認すると、やはり女優じゃんということになったとか」
「それありそー」
「だから、あんたS学園の後、いくつか二次募集を受けるのなら全部セーラー服で行きなよ」
「そんなあ」
「まあ取り敢えず10日のS学園はその予行練習のつもりで行ったら?」
「そうします!」
しかしともかくも10日は西湖はセーラー服を着て、頭もウィッグをつけて、受けに行った。
先日の説明会は渋谷で行われたため気付いていなかったが、この高校は、先日受けたJ高校と最寄り駅が同じ用賀駅であった。通学するとこの駅でJ高校の生徒と一緒になるかも、などというのも考える。
ワルツから「この高校を落とした人を知らない」と言われたこともあり、試験の問題が分からなくても開き直って問題を見ていたら、逆に「あれ?これ分かるかも」と思う問題もある。それでD高校やJ高校の試験に比べたら随分問題が解けた気がした。
午後から面接となるが、ここはグループ面接であった。4人単位で案内された。西湖は4人の中の先頭になったので、ノックをして「失礼します」と言ってドアを開け、一礼してから中に入る訳だった。
中に入ると、面接官に二本松先生がいて目が合ったので会釈した。
歩く時もスカートの動きを意識し、膝より下だけを使って歩くようにする。これで凄く女らしくなるのである。座る時もスカートならではの座り方をする。D高校もJ高校もズボンだったので、座る時の仕草がまるで違った。
ひとつの質問に対して4人で順番に答えていく。西湖は先日までの面接とは違って、明るい声ではあるものの、あまり大きすぎず、女らしさを感じさせる話し方をした。そういう話し方も、ドラマでさんざん女の子役をしているのでけっこう慣れている。それで面接は終わって退出する。
退出する時は最後になったので、一礼してから「ありがとうございました」と言ってドアを閉めた。
そして、翌11日S学園のサイトで合格者リストを見ると、自分の受験番号が掲載されていたのである。
西湖は嬉しくて涙が出てきた。人間って悲しくても嬉しくても泣くもんなんだなあとあらためて思った。
ただ合格させてくれたことには感謝するものの、さすがにここには通えないよなあとも思う。
合格した人は2月16日までに入学手続きをしてくださいと書かれている。むろん入学金と設備費を納める必要がある。その後で辞退することもできるが、その場合、入学金の分は返ってこない(設備費は返却される)。一応その期間に「延長手続き」をしておくと、埼玉県の中学を卒業する西湖の場合、埼玉県立高校の合格発表がある3月9日まで手続きを延ばすことができる(都内の中学を出る生徒は都立高校の合格発表のある3月1日まで)。
しかし西湖はどっちみち公立なんて受けても通らないから延長しても無意味である。
西湖はワルツに電話してみた。
「和紗さん、S学園は合格しました」
「良かったね!」
と言ってくれる。
それで入学手続きをするかどうか迷っていることを言うと
「お金の心配が無いのなら、入学金を納めて手続きしておくべき」
と言われた。
「たぶん、西湖ちゃんにとってはたいしたことない金額だよね?」
西湖の収入はアクアのサポートをしているだけにかなり物凄い。高額納税者である。アクアの財産が雨宮先生たちによりしっかり管理されているのに対して西湖の資産は西湖が自分で管理しているものの、無駄遣いしたりする子ではないので、どんどん貯まっていっている。実際無駄遣いする時間も無い!
「金額は全然問題無いです」
「だったら、行くかどうかは後で決めればいいんだし、取り敢えず手続きしておきなよ。万一残りの学校を落としたら、ほんとにやばいよ」
「分かりました。手続きしておきます」
それで西湖は週明けの2月13日、まずは中学に(学生服で)出て行って先生に卒業見込み証明書を書いてもらい、午後から早退して、まずは銀行で入学金と設備費を振り込む。その後、いったん自宅に戻ってセーラー服に着替え!受験票と振込票控え、記入済みの芸術科目選択希望票・家族調査票を持って東京まで出て、世田谷区のS学園まで行く。
桶川→新宿→渋谷→用賀
というルートである。S学園もJ高校もこの用賀駅の近くにあるのだが、J高校が東急の路線(昔の路面電車・玉川線の跡地:現在の東急は地下を走っていて跡地は都道427号になっている)の南側にあるのに対してS学園は北側にある。それでJ高校に行く時は東口から、S学園に行く時は北口から出ることを西湖は再認識した。
学校に行って書類を提出する。芸術科の選択は音楽と書いた。もっとも多分成績下位の方で通っているだろう西湖の場合、希望通りの科目選択にはならない可能性もある。人数調整で美術か書道に回される可能性もあるよなと西湖は思った。家族調査票はこのように書いている。
生徒氏名 天月西湖・あまぎせいこ・15歳・生年月日2002.8.20
住所 埼玉県桶川市**** 048-***-****
緊急連絡先 新宿区信濃町*** §§ミュージック(契約事務所)03-5***-****
家族構成
天月晴渡・あまぎはると・53歳・父 090-****-****
天月湖斐・あまぎこい・45歳・母 080-****-****
西湖はこの調査票には自分にしても家族にしても性別を書く欄が全く無いことを書きながら感じていた。共学校ならたぶん最初に自分の性別を書くのだろうが、女子校に入るのはふつう女子のみだから、わざわざ性別を書かせる必要がないのだろうと考えると、何か新鮮な発見をした気がした。
そういえばここの学校のトイレには男女表示が無いというのも先日試験を受けに来た時に気付いた。女子生徒しかいないから、トイレも女子トイレしか存在せず、性別を表示する必要がないのである。こういう世界が存在することを西湖は今まで知らなかった。むろん西湖は散々女の子役を演じていて女子の格好をしている時には普通に女子トイレを使っているので、今更学校で女子トイレに入ることには全く抵抗を感じない。
父と母の所も性別を書く欄が無いが、普通父は男だし、母は普通は女だから続柄だけ書けば、性別をあらためて書く必要は無い。
書類を提出したらいくつか質問をされた。
「ああ、芸能コースの人ですね」
「はい、そうです」
「契約事務所を緊急連絡先に指定なさっていますが、お祖父さんかお祖母さんとかはおられません?」
「父方の祖母は青森、母方の祖父母は大阪に住んでいるので緊急事態があっても、すぐには来られないと思います」
「なるほどですね」
「あ、そうだ。一応家電(いえでん)の電話番号は書いておきましたが、両親とも仕事で不在がちなので、FAXは受信できますが、電話を掛けてもまず誰も取れないんですよ。ですから連絡は私自身の携帯か、両親の携帯にお願いしたいんですが」
「分かりました。でしたら、この欄外にあなたの携帯番号を書いてください」
それで西湖は自分のスマホを取り出して電話番号を確認しながら記入した。
「現在ご住所は桶川市なんですね。通学の時は都内にアパートか何かを借りられますか?」
「はい、そのつもりです」
「ではアパートが決まったらすぐに住所変更届けを出してください」
「分かりました」
「実際問題として、ここに入学するのは確定ですか?」
「すみません。他の私立にも併願するつもりなので、そちらの結果を見てから最終的には決めさせて下さい」
「分かりました。もし辞退なさる場合はできるだけ早くご連絡ください」
「はい、すみません。お手数お掛けします」
「通学時は標準服を着られますか?」
「え〜?どうしよう?」
「まだ決めておられないのでしたら、とりあえず採寸だけしておきましょうか?それで作る場合ですけど、あなたはわりと標準的な体型みたいですから、3月20日の夕方までに連絡してもらえば、4月9日の入学式に間に合いますから」
「分かりました」
それで採寸は被服実習室で行いますと言われて、そちらに行く。途中に道順の紙が貼られていたので、迷うことなく辿り着いた。西湖が中に入ると5人ほどの女子が順番を待っていた。全員着衣(セーラー服が多い)なので西湖も安心してその列に並ぶ。
窓側にピンクのクロススクリーンが4個並べてあり、どうも採寸はその向こうでおこなっているようである。「次の方どうぞ」と呼ばれると列の先頭の子が向こうに行っている。西湖が並んだ後も数人の女子が入って来て西湖の後ろに並んだ。
やがて西湖の番になるのでカーテンの向こうに行くのだが、まだ前の子の採寸をしている最中であった。下着姿である。その向こうには採寸が終わったのか服を着ている最中の子もいた。
「ここで服を脱いで下着だけになって下さい」
と言われたので西湖はセーラー服とブラウスを脱いだ。採寸されているのが女子なので、そちらには視線をやらないようにする。西湖は昨日『少年探偵団』の最後の撮影を終えたばかりで、胸にはブレストフォームを貼り付け、お股はタックしたままであったので、これなら女の子の中にいても違和感無いよなぁなどと思った。また西湖はしばしば女子更衣室に連れ込まれているので、女の子の下着姿を見ても特に何も感じない。また西湖は足の毛や脇毛などはレーザー脱毛しているのでお肌もすべすべである(ヒゲもレーザー脱毛しているので西湖はヒゲ剃りをする必要が無い)。
やがて前の子の採寸が終わり、こちらへどうぞと言われる。
バスト、ウェスト、ヒップ、肩幅、袖丈、背丈、スカート丈と測られた。胸の所にメジャーを回された時、このサイズで制服を作っちゃうと違うサイズのブレストフォームは貼り付けられないな、などと考えたが、そもそも自分はここの制服を作ることになるのか?というのを改めて考えた。
「採寸終わりましたが、すぐ作っていいですか?」
「あ、いえ。まだ入学辞退する可能性もあるので、後から注文できますか?」
「いつでもいいですよ。でも入学式に間に合わせる場合は、3月21日の20時までにご連絡くださいね」
と言って、伝票の《製造指示待ち》という所に丸を付けていた。
さっき事務室では3月20日までと言われたのだが、ここでは21日と言われた。たぶん事務室の人は少し余裕を見た日付を言ったのだろうと思う。
それで向こう側に移動して服を着る。下着姿になってスタンバイしていた子の採寸が行われ、次の子がカーテンのこちら側に来て服を脱ぎ始めた。
西湖は着て来たセーラー服を着ると反対側のドアから静かに退出する。
その後、少し不純な動機で校内のトイレ(むろんここには女子トイレしか無い)に入りおしっこをしてみた。その後、校舎を退出し、用賀駅から電車を乗り継いで桶川の自宅に帰った。
千里1は貴司が阿倍子と離婚したのはいいとして他の女性を妊娠させたことにかなり怒っていたので、もうこちらは迷うことなく結婚してやると思った。それで婚姻届けを提出するのに適した日時を占星術で調べ始めた。
以前調べた時に、2月16日の午後がいいという結果が出ていたのだが、それを再確認する。
2月16日の朝6:05に朔(新月)になるから、その後が良い。但しその朔の瞬間からボイドが始まり、そのボイドは月が魚座に入る11:43まで続く。従って婚姻届の提出はそのボイドが終わった後にしなければならない。ボイド期間中に決めたり実行したことは無駄・徒労になりがちである。
こういうおめでたいことは、太陽と月がどちらも地上に出ている間がよいので、当日の千葉地方の日入17:22, 月入17:40ということから、届出をするのに良い時間帯は、2.16 11:44-17:22と分かる。但し、ボイド明け直後は(結婚を司る)7室に土星があるので、よくない。その後には冥王星も控えているので冥王星が7室を通過し6室に入った後が良い。すると14:16以降が良いことが分かる。
「よし。2月16日の15:00くらいに提出するようにしよう」
と千里は再確認するように言った。
ところが、である。
2月15日になって朋子から電話が掛かってきた。千里の結婚に絡むことで少し相談したいというのである。朋子から呼ばれては行かざるを得ない。それで千里は信次の会社まで行って、朋子から呼ばれているのでちょっと高岡まで行ってくること、それで婚姻届は勤務時間中で申し訳ないが、信次の手で明日14:16-17:22の間、できたら午後3時か4時頃に区役所に提出して欲しいと言った。
「細かい時間指定だね!」
「その時間帯が占星術的にいいのよ」
「分かった。ちょっと会社を抜け出して区役所まで行ってくるよ」
「ごめんねー」
それで千里は2月15日の夕方の新幹線で高岡に赴いた。
朋子の相談というのは、桃香のことであった。
現在桃香は無職なので、アパートの家賃から光熱費、生活費と早月を育てるための費用などを全部千里に依存している。しかし千里が結婚したらさすがにそれを千里に出してもらうのは申し訳無いから、高岡に呼び戻そうと思っているということであった。
「でも桃香さんはこちらに帰りたがらないと思いますよ。やはり田舎ならではの人間的なしがらみが嫌みたいだし、レスビアンの桃香さんにとっては都会の方が居心地がいいんですよ。費用は気にしないで下さい」
「千里ちゃんが気にしなくても、旦那さんが気にすると思うよ。だって、いわば結婚しているのに、愛人を囲っているようなものじゃん」
「うーん。。。その愛人を囲っていて、早月は私の隠し子なのではというのは桃香本人からも指摘されました」
「早月ちゃんのこと、信次さんには言っているの?」
「いえ。ちょっと言えないです。私が母親になったのならまだしも父親になっているというのはさすがに言えなくて。って、やはりこれ隠し子なんですかね?」
「うーん。。。」
話し合いは結構夜遅くまで続いたのだが、朋子はやはり桃香の生活費援助はせめて千里の結婚挙式までで停めようと強く主張した。それでやむを得ないからどうしても桃香が高岡に戻りたくないというのであれば、家賃などの支払い口座を朋子の口座に変更した上で、生活費も自分が桃香に送金すると朋子は言った。
「分かりました。確かに結婚している女が、愛人に経済支援を続けるのは筋が通らないですよね」
「そうだよ。そういうのがバレたら、向こうのお母さんとかが怒って、離婚という話になりかねないよ。こういう場合、こちらが慰謝料を払うことになるよ」
と朋子はほんとに心配するように言った。
千里はここに青葉がいたら青葉が何か言ってくれないだろうか、などとも思ったのだが、青葉は千里と入れ替わりに東京に行っているらしい。そして朋子がこのタイミングで千里を呼んだのは、逆に青葉には関わらせないようにするためだったのではないかと千里は思った。
(本当は千里2と謀った青葉がわざとこのタイミングで朋子に桃香の経済問題を言い、千里を呼んで話し合うよう仕向けたのである。青葉は桃香の生活費は朋子が出すということにしておいて実際には自分が出すというのを朋子に提案しておいた)
さて、婚姻届けの提出を頼まれた信次だが、早朝上司から電話が掛かってきて、名古屋支店まで緊急に出張して来てくれと言われた。困った信次は母・康子に婚姻届の代理提出を頼んだ。
「何か占いで婚姻届けは今日の15時くらいに提出するのがいいらしいんだよ。でも出張になってしまって。申し訳無いけど、母ちゃん代わりに提出してくれない?」
「分かった。いいよ」
それで信次は、婚姻届とふたりの戸籍謄本、川島と村山の印鑑、委任状を書いてまとめてファスナー付きのクリアファイルに入れ、康子に渡した。
それで信次は7時頃、千葉駅に向かった。康子は15時と言われたので最初はその時間に行けばいいと思ったのだが、急に不安になった。
実際提出に行って、書類に不備があった場合、代理人にはその場で訂正することができない!それで康子は朝から区役所に行って、書類に不備が無いかチェックしてもらおうと思った。それでOKなら、あらためて15時に行って提出すればいいし、問題点があったらいったん持ち帰り、信次に電話して確認した上で訂正をしてから再度持ち込めばいい。
そこで康子は朝9時に区役所に出かけて、息子が急に出張になったため、代理で提出しにきたことを言い、取り敢えず書類のチェックだけして欲しいと言った。
役場の窓口の人は書類を見ていたが、途中で「あっ」と言ってから康子に言った。
「書類自体には不備はありません。これでいいのですが、おふたりともこれ戸籍抄本を添えておられるようなんですよ。各々おひとりだけ印刷されていますよね。抄本で受け付ける自治体もあるのですが、うちでは戸籍謄本の提出をお願いしているので、再度それを用意していただけませんか?」
「すみません!確認します」
それで康子はいったん窓口から離れ、信次に電話するもつながらない。それでメールを送ってみた。
信次からは10時頃電話が掛かってくる。どうも名古屋駅に着いた所のようである。背景の騒音が凄い。
「それ役場の人が勘違いしているよ。どちらもちゃんと謄本で取ってるよ」
「そうなの?」
「そこに書類ある?」
「うん」
「全部事項証明って印刷されてない?」
「うん。そうなってる」
「どちらもそうなってるでしょ?」
「うん。どちらも全部事項証明と書かれている」
「それが謄本なんだよ。昔は謄本・抄本と言っていたけど、今は全部事項証明・個人事項証明というんだけどね。僕も千里も、1人単独の戸籍だから、全部事項証明をとっても1人しか載ってないんだよ」
「そうなの?」
「ふたりとも分籍してるから、親の戸籍に入ってないんだよ」
「知らなかった!」
まあ言ってないもんなと信次は思う。それは自分に子供(奏音)が出来たことを母に隠すためであった。奏音が生まれる前に分籍しておいたので、奏音を認知したこともその分籍した戸籍に記載された。しかし信次はそこから再度転籍したので新しい戸籍には子供を認知していること自体が記載されていない。隠し子のいることを隠すための常套手段だ。
「だからそれちゃんと窓口の人に説明すれば受け付けられるはず」
「分かった。ごめんね」
そこで康子は再び窓口の所に行くと、さっきの人に
「これは各々1人ずつしか載ってないけど、抄本ではなくて謄本です。各々1人だけの戸籍らしいんですよ」
と説明した。
すると係の人は書類を見て
「あ、ほんとだ!すみません。私の勘違いでした」
と謝った。
そしてその人はあらためて全ての書類をチェックして、
「これで問題ありませんね。ではあなたの届け人さんの本人確認ができる身分証明書を見せて下さい」
と言われる。
「身分証明書って、健康保険証でいいですか?」
「健康保険証だけではダメです。運転免許証はお持ちじゃありません?」
「すみません。運転免許は取ってなくて」
「マイナンバーカードか写真付き住民基本台帳カードとかパスポートとかは?」
「持ってません」
「だったら、年金証書か年金手帳とか、写真無しの住民基本台帳カードとか、・・・」
と言って係の人は本人確認に使用できる書類の一覧を見せる。
「この中の2点があればいいんですよ。但し※のついている書類だけ2点ではダメです」
「保険証と国民年金手帳があればいいですか?」
「その2つならOKです」
「すぐ取ってきます!」
それで康子は区役所を出てタクシー乗り場でタクシーに乗ると、すぐに自宅まで往復して来た。戻って来たのは11時すぎである。
それで戸籍係の所に再度行こうとしたが、結構な順番待ちになっており、康子は番号札を取って待った。11:25すぎになってやっと順番になる。それで再度書類を見てもらう。
「はいOKです。ではこれで受け付けます」
「よろしくお願いします。お手数お掛けました」
それで康子は「大変だったぁ!」と思いながら区役所を出た。そして買物してから帰ろうと思い、近くの大手スーパーに寄った。そして買物をしている時に気付いた。
「しまった!あれは提出するのは15時だった!」
康子は信次に電話をしてみたがつながらないので、メールをして、チェックしてもらうだけのつもりが、うっかりすぐ提出してしまったことを書いて詫びた。信次からは夕方になって電話が掛かってきた。
「何度も出し直したりしてたら間違うよ。面倒なこと頼んでごめんねー。これは不可抗力だよ。本人確認書類が必要というのは僕が言い忘れていた。他人の婚姻届を勝手に提出したりする事件が相次いだから厳しくなったんだよね」
と信次は言っていた。
千里1はその件を東京に戻る新幹線の中で信次からのメールで知った。千里1は「それは仕方ない。お母さんを責めないでね」と信次に返信したものの、腕を組んで考え込んだ。
『これ、私の結婚を誰かが霊的に妨害しようとしている』
と。
千里1もこの時期、この程度の霊感は戻って来ていたのである。
しかしともかくも2月16日付けで千里は川島信次と法的には夫婦になったのであった。
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【春からの生活】(2)