【春社】(5)

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青葉はスナックのオーナー、木倒マラのお父さん、木倒カタリに再度話を聞く必要を感じた。あの人の話は、他の人の話とあまりにも違いすぎるのである。それで青葉はカタリに電話を掛けて会見を申し込んだ。
 
「大変申し訳ないのですが、先日お聞きしたマソさんとサトギさんのことで再度お話を聞きたいのですが」
「どういうことでしょう?」
「あのサトギさんって、カタリさんの息子さんですよね?」
 
しばらく沈黙があった後でお父さんは
「申し訳ありませんでした」
と青葉に謝った。
 
「あまりに辛い事件だったので、自分なりに都合のいいように解釈してしまった部分があったかも知れません。でも冷静に考えると確かに事実と多少異なることを話してしまったかも知れません」
 
確かに30年前にサトギが無理心中に近い形で死に、6年前にはマラが悪魔の歌で死亡。息子2人が異常な死に方をしたとあっては父親は辛かったであろう。
 
木倒カタリは、今夜なら詳しい話をしてもいいと言う。青葉が今富山県内に居て、金沢に出て行くと21時すぎになるのだがと言ったのだが、夜間の方が、マラの奥さんがお店に出ており、またワサオの2人の妹がうまい具合に今週末は水泳部の合宿に行っているらしい(妹さんたちはK大学ではなくH大学に通っているとのこと)。
 
青葉はジャネさんたちと一緒にいた千里を呼び寄せると簡単に事情を話し、
 
「ちー姉、ちょっと付き合ってもらえない?」
と頼んだ。
 
「いいよ。私は明日の朝までに合宿所に入ればいいから」
「入れる?」
「夜中この車を運転して岐阜に戻って、朝1番の新幹線に乗れば問題無い。東京で借りた車はだれか友達に言って返却に行ってもらうよ」
 
「ごめんねー」
「こういう性質の訪問に青葉ひとりで行かせる訳にはいかないから」
「うん。ひとりではさすがに怖い」
 
万一向こうが開き直って青葉に危害を加えようとした場合、青葉ひとりでは男性の攻撃を食い止める自信が無い。《海坊主》を使う手はあるものの、あまり人間相手に眷属の力は使いたくないのである。
 

ジャネたちを病院で、圭織を自宅近くで降ろした後、千里の提案で途中のコンビニで、お酒とお菓子を買ってから、木倒家を訪問した。千里が清酒『鬼ころし』を勧めるとお父さんはホッとしたような表情をして
 
「いただきます」
と言って、1杯飲んでから、話を始めた。お酒を飲んだことで、かなり落ち着くことができたように見えた。
 
「息子、木倒マラの元の名前はサトギです」
と最初にお父さんは言った。
 
これにはさすがの青葉もびっくりした。サトギとマラは兄弟かと思っていたのである。
 
「サトギさんってマソさんの事件のあと亡くなったのではなかったのですか?息をしていなかったとおっしゃいませんでした?」
 
「息も心臓も本当に止まっていたんです。でも車に乗せて、病院の救急に連れ込んだら蘇生したんですよ」
 
「あぁ!!!」
 

「大量に薬を飲んでいたらしいですが、それでショックのような感じで心臓が停まってしまったため、薬は実際大半が胃の中にあったそうです。それで胃の中を洗浄した上で電気ショックを与えて心臓マッサージと人工呼吸をしたら心臓が動き出したんです」
 
「それは運が良い」
「ところが蘇生するにはしたのですが、サトギは全ての記憶を失っていたのです」
 
「記憶喪失ですか?」
「いや、それがもっと酷い状態で」
とお父さんは辛そうな顔をして言う。
 
「そもそも人間として基本的なこともできない状態で。咀嚼もできないし、排尿もできないし、日本語さえ話せなかったんですよ」
 
「そこまで・・・・」
 
「やはり脳に長時間血液が行ってなかった影響だろうとお医者さんはおっしゃいました」
「それ30分近く心臓が停まってません?」
 
「そのくらいかも知れません。蘇生したこと自体が奇跡だと、お医者さんはおっしゃいました。それで病院でずっとリハビリして。咀嚼は数日で、排尿は1〜2ヶ月で、言葉についても1年ほどで話せるようになりました。つっかかり、つっかかりですが」
 
「それは良かったですね」
と青葉が言うとお父さんは少しだけ気持ちが楽になるような表情をした。
 
「恋人だったクミコさんが物凄く献身的なお世話をしてくれました。彼女は息子のことが好きだったものの、息子はマソさんに入れあげていて辛い思いをしていたようでしたが、『今は私だけのサトちゃんだから、これでもいい』と言ってました。それでお恥ずかしいことに、その内クミコさんが妊娠してしまいまして」
 
「それは別にいいと思いますよ」
と青葉も千里も言う。
 
「それで、クミコさんは息子のことが好きだし、息子もまだきちんとした意志表示はできない状態ではあったのですが、クミコさんのことを気に入っていたようだったので、向こうのご両親とも話した上で、婚姻届けを出したんですよ。生まれてくる子供を非嫡出子にはしたくないというのが、双方の親にはありました」
 
「取り敢えず婚姻届け後に出産すればいいですよね」
 
「ですです。それで無事ワサオが生まれて。ところが結婚して1年くらい経った頃、ワサオが生まれてから半年した頃に、サトギが突然言い出したんです」
 
「はい」
 

「自分はサトギではなくマソだと」
「え!?」
 
青葉は基本的に霊的な相談事で人と話をする時には何を聞いても驚かないように訓練している。しかしさすがの青葉もこの展開には驚いてしまった。チラッと千里姉に視線をやったが、千里姉はポーカーフェイスである。くっそー、負けたと青葉は思った。
 
「マソさんのご両親を呼んで話してみました。息子はマソさんしか知らないはずのことをたくさん知っていました」
 
サトギが自殺した。そして魂が肉体を離れてしまった後に、まだその付近で迷っていたマソの魂が入り込んでしまったのだろうか。あるいはふたりは現世への執着心に差があったのかも知れない。
 
「そしてマソを名乗るサトギは自分はサトギに突き落とされて窓から落ちたと言いました」
 
やはり・・・・。
 
「私たちは1年くらい掛けて話し合いました。それで基本的にはサトギがマソを名乗るのは妄想とみなすことにしようと決めました」
 
「その方が平和だと思います」
 
「私は自宅を担保に銀行からお金を借りたり、会社から退職金の前借りをしたりして、マソさんの両親に慰謝料として3000万円払いました。銀行から借りた分は後日家を売却して返済しました」
「大変でしたね」
 
「クミコさんとの結婚については、息子はクミコさんの献身的なお世話に深く感謝しているし、クミコさんのことは好きだから、結婚していてもいいと言い、それで結婚は維持することになりました。実際ふたりは結構仲良くやっているようでした」
 
「それも良かったです」
 
「そして・・・・」
とお父さんは少し言いにくそうにしてから
 
「息子は自分はマソで、女だから女の服を着たいと言って」
「ああ」
「クミコさんがそれに理解を示してくれて、それで息子はそれ以降、女の服を着て暮らしていたのですよ」
 
「そういう経緯があったんですか」
 
「ヒゲとか足の毛とかはきれいに脱毛したようです。なんか電気針で1本ずつ焼いていくとかで結構痛いらしいですね」
 
レーザー脱毛が普及する以前はそういう脱毛法が一般的であった。
 
「のど仏も削ったし、おっぱいも大きくしたのですが、チンポコはクミコさんが取らないでと懇願したので、そのままにしたようです。それでワサオを筆頭に子供も3人できたんですよ」
 
「なるほど」
 
「名前もマソを名乗りたいと言ったものの、マソさんのご両親がそれはやめてくれと言いまして、それで元々マソというのがマラソンの略だったということで、代わりにあの子はマラを名乗ったんです」
 
「そういう経緯でマラになったんですか」
 
「でも当時は、マラに変な意味があることに、誰も気付かなかったんです」
 
「まあ元々は仏教用語ですしね」
 
青葉はそう言いながら、魔羅って、悪魔の別訳だよなと思っていた。元々はサンスクリットのMaraであるが、漢訳の時点で、意訳した悪魔と音訳した魔羅というふたつの訳語が並立してしまった。
 
しかし今回の事件はどうにも悪魔絡みだ。
 

「しかし女装している男なんて、どこ行っても仕事が無いでしょう。それであの子はオカマバーに勤め始めたんですよ」
 
今でこそ社会的な理解が進み、ふつうの会社にふつうに勤めているMTF/FTMさんは増えた。しかし20-30年前は、そういう人の仕事先はほとんど無かったであろう。特に声が男性化してしまっているMTFは女の格好をしていても目立ってしまう。メラニー法(男性が女声を出す訓練法のひとつ)が日本で知られるようになったのも1996年頃からだ。
 
(逆にFTMは男性ホルモンの摂取で声を(不可逆的に)男性化できるので男社会に溶け込みやすい)
 
1990年代前半までのMTFで《心の性別》で会社などに勤めることができていたのは、物凄く完璧なごく一部の人のみで、それも運良く理解する会社に当たるか、あるいは身元をあまりきちんと確認しない会社に勤めた場合と思われる。今でも多いが昔は、男として会社に勤めつつ私生活は女という二重生活組が随分多かったであろう。"Sunday Night Remover"の世界だ(*1)。
 
ただ30-40年前でも、会社勤めなどはできないものの主婦として女性の中に埋没していたMTFがわりと存在することを多くの関係者が語っている。
 

(*1)Sunday Night Removerは前橋梨乃さんが1990年頃に女装雑誌「QUEEN」で発表した小説で、金曜日の晩に女装し、日曜日の晩に男に戻る二重生活者を描いたものです。日曜日の晩にリムーバーを使ってマニキュアを落とすことから、この名前があります。
 
小説の中で主人公の友人の女装者が、ビキニパンティを穿いた姿をさらした時、「この子は前のものをどうやって処理しているんだろう」と主人公が思うという場面があります。私はこの場面をリアルタイムにQUEEN誌で読んだのですが、それで私は恐らく、パンティの上から見ただけではまるで付いてないかのように見せるテクがあるのではと思いました。
 
タックが広く知られるようになるのはその10年後くらいではないかと思います。私が医療用ホチキスでタックしているアメリカの女装者の写真を見たのが1998年のことで、ニフティの某フォーラムのサーバーを使ってテープ・タックの方法が図解で公開されたのは2002年頃だと思います。
 

「生き返った後のあの子はやはり性格的にマソさんだったと思います。サトギは、あまり人付き合いがうまく無かったのですが、マソさんは明るく社交的な性格でした。それであの子は人気ゲイボーイになったみたいで、やがて独立して自分のお店を持ったんですよ。当時は景気が良くて。この家も当時息子が新たに建てたものなんです」
 
「なるほどですね」
 
「それと元々のサトギは音痴だったんですが、マソさんは歌もうまかったんです。水泳選手で肺活量もあるから、物凄く長い音符をブレスもせずに歌うことができたんですよね。それとサトギは楽器なんてやったことなかったのにマソさんは小さい頃からエレクトーンを習っていたということで、マソさんのご両親から遺品のエレクトーンを譲り受けまして、それをよく弾くようになりました」
 
「ほんとに中身はマソさんになっていたんですね」
 
「それでその内、お店にも楽器を置いて演奏するようになったんです。その演奏がプロ級だというので、それも評判になってお店は繁盛したようです。その頃になると息子もかなりしっかりと歌を歌えるようになって、女みたいな声も出せるようになって。会話は男声で結構つっかかるのに、歌は女声でスムーズに歌えるんです。それに刺激されて、歌や楽器の上手いオカマさんが随分お店に入ったみたいですよ。チーママの玉梨乙子(たまなし・おとこ)さんというのも、東京に歌手になるため出て行ったものの挫折して帰って来たという人で歌もギターも物凄く上手いです。ただあの人は女の声を出すのが苦手っぽいですが」
 
「そういうお店はユニークだし、繁盛するでしょうね」
 
「その演奏が本格的なんで、スートラ・バンドと名前を付けて、お店を休んでライブハウスなどに出演することもあって、その内、チーママの乙子さんの東京時代のコネもあって、東京方面の歌手とかがツアーでやってきた時の伴奏を務めることもあったようです」
 
そういう経緯でステラジオの伴奏も務めたのだろう。
 

「それでワサオのことなんですが」
と言って、お父さんは暗い顔をした。
 
「ワサオのほうがサトギだったと思います」
 
青葉は今度は驚きの声をあげるのをギリギリ抑えることができたものの、内心は驚愕していた。
 
「そのことに気付いたのは4−5歳の頃です。何か言動が物凄くサトギに似ていたんです。最初は親子だから当然だろうと思っていたのですが、どうにもそれだけでは説明できないものがあって。10歳くらいまでには、この子はサトギの生まれ変わりであることを私は確信しました」
 
青葉は考えていた。30年前に起きたマソとサトギの事件。
 
それが近年まで眠っていたのは・・・マソはサトギの身体に転移し、サトギは息子・ワサオの身体に転生していたからだ。
 
「ただ純粋なサトギではなくて若干マラも混じっている感じで、女装が好きなようでした。でも女になりたいというのではなく、性格的には完全に男だったようです。ワサオの女装は純粋な趣味というかフェチに近いものだったようで」
「なるほど」
 
ワサオがたまに女装していたというのは圭織さんからも聞いている。
 
千里が、お父さんに当時の時系列を確認してくれた。するとマソが交通事故に遭い右足の先を切断したのが1988年の6月、サトギがマソを病院の窓から突き落とし、サトギが一度死んだのは2ヶ月後の8月という。そしてワサオが生まれたのは1990年の4月で、サトギとクミコの結婚は1989年の9月。マソの一周忌が過ぎて少し置いてから婚姻届けを出したとのことであった。
 
「マソさんとサトギさんの生まれ年は?」
「ふたりとも1969年生まれで事故当時は1年生でした。マソさんは死亡により除籍、サトギも自殺未遂後、とても大学などに行ける状態ではなかったので、退学の手続きを取りました」
 
「ということは、息子さんが2010年に亡くなったのは、数え年42歳の厄年ですね」
と千里が確認した。
 
「そうなんですよ。やはり厄年だからなあと思ったんです」
 

■簡易年表(暫定2版)
1954 中川恵一生まれる 1988年当時34歳(講師) 2016年時点で62歳(教授)
1965.10.31 城金自由(くろみ:ジャネの母)生まれる
1967.1.23 水渓一二三(ほっぷ)生まれる
1967.8.3 城金平泳(ひらみ)生まれる
1969.4.27 6:13 木倒サトギ生まれる (牡牛座生.金星逆行中 ボイド中)
1969.12.6 0:27 水渓十二六(マソ)生まれる(射手座。牡牛座とはインコンジャンクト)
1988.06 水渓マソ(18歳.大1)が事故に遭い、足の先を切断
1988.08 木倒サトギ(19歳)が水渓マソを突き落としマソ死亡。サトギも自殺を図るが蘇生
1989.07 クミコが妊娠。9月サトギとクミコの婚姻届けを提出
1990.04 木倒ワサオ生まれる
1990.08.04 双紗早江【ホシ】生まれる
1990.07.03 林波流美【ナミ】生まれる
1993.08.28 16:35 幡山ジャネ生まる
2008.10 ステラジオ結成(高校3年)  2009.08 ホシがLSDにはまる。3ヶ月(10-12)入院して薬を抜く。
2010.01 ホシたちがメーン長浜と知り合う
2010.07 木倒マラ(サトギから改名.数えの42歳)がDSを演奏して死亡。この時木倒ワサオ(20歳)は浪人中。メーン長浜が自分で1000万円調達してマラの遺族に補償金を払う。
2011.02 メーン長浜が死亡。
2011.06 ステラジオ・デビュー
2014.12 幡山ジャネが事故で足の先を失う
2015.01.12 木倒ワサオ(24歳.4年生)がジャネ(21歳,3年生)を突き落とす。ワサオは自殺?。
2015.01.12 キャッスル舞鶴が自宅マンションで死亡。
2015.07 多縞部長が一酸化炭素中毒で死亡
2015.11 **が白血病で死亡
2016.03 溝潟部長が感電死
2016.03.下旬 ピュア大堀が公演先で膵臓癌により死亡。SDカードを焼き捨てる
 

青葉は考えていた。
 
サトギの身体を借りたマソは2010年の悪魔の曲の事件で死亡し、息子ワサオの身体に転生したサトギも2015年1月に死亡した。
 
ふたりが本当に死んだことで、水泳部の怪死事件は始まったのだ。もしかしたらワサオが死ぬ以前から、霊魂になったマソは多数の水泳選手を誘惑していたかも知れない。しかしサトギがワサオの身体に入っていた間は、サトギに邪魔されずにマソは男の子とのデートを楽しんでいたのではなかろうか。
 
しかし考えてみると、サトギは30年前にマソを突き落とし、昨年はジャネを突き落としたことになる。重罪犯である。美鳳さんが「禁固300年」と言っていたが、そのあと水泳部の男子を3人も殺していることを考えると、妥当な刑期だと青葉は思った。
 

「お父さんは、メーン長浜さんが亡くなった件については心当たりがありませんか?」
と千里が質問した。
 
ん?と青葉は思う。それ何か関係あるんだっけ??
 
しかし千里から訊かれたお父さんは、辛そうな顔をして少し考えていたが、やがて
「これを見ていただけますか?」
 
と言って、机の引き出しの鍵を開けて1つのボイスレコーダーを取り出した。
 
「これ録音部分はUSBメモリーになっています」
と言って本体から取り出してみせる。
 
「このボイスレコーダーの索引を見てみて下さい。絶対に再生しないように」
と言って、再度USBメモリーをボイスレコーダー本体に填める。
 

青葉はそのボイスレコーダーを操作してデータ一覧を見た。
 
「1件データが入っていますね。2010年7月22日0:13のタイムスタンプです」
 
「それが息子が亡くなった時刻です」
 
青葉はぞっとした。
 
「つまり」
「それが死の曲なのだと思います。長浜さんはデス・ソングとおっしゃって、そのデータをコピーしたSDカードにSR-DSと記入なさっていました」
 
それがあの譜面に貼り付けてあったSDカードか!
 
青葉はDSはDevil Songだろうかと思ったのだが、Death Songであったか。
 
「その時の状況を教えていただけますか?」
「はい。何とも不思議なんです」
 
「あれはマラが死んだ翌年の2月頃だったと思います。その日、長浜さんが金沢までいらっしゃいまして。最終的に金額も妥結して、長浜さんは現金で1000万円渡して下さいました。現金で渡せば税金とか面倒なことを回避できるとおっしゃって。その代わりこの件は絶対に誰にも言わないでくれと」
 
「なるほど」
 
おそらくはデビュー直前のステラジオに関して「醜聞」の発生を防ぐために裏金的にそのお金を用意して渡したのだろう。春吉社長も知らなかったのを見ると、あるいは個人的に用意したのかも知れない。
 
「最後に長浜さんが、ステラジオ関連の伴奏スコアとか、写真とかあったら全部出して欲しいとおっしゃいました。それで写真などがデジカメの中に入っていたのを差し出しましたし、そのボイスレコーダーもお渡ししました。すると長浜さんはデジカメの写真は自分のパソコンにコピーしてからメモリースティックを初期化なさいました」
 
「ボイスレコーダーについてはインデックスを表示なさって、最後の録音が7月22日なので、これが問題の曲だろうとおっしゃって、専門家に分析させてみるとおっしゃって、その曲だけまずSDカードにコピーなさって、ファイルのようなものにセロテープで留めておられました」
 
それがあの《SR楽譜集》なのだろう。
 
「そのあとで長浜さんはその曲をUSBメモリーから削除なさっていたようでした。その上で残りの曲をまるごと、カーナビから抜いたSDカードにコピーなさいまして帰り道聴いてみるとおっしゃいました。その上でUSBメモリーの方は初期化なさいました」
 
青葉は腕を組んで考えた。
 
「ところがその直後、長浜さんが亡くなったと聞いて。気になったのでボイス・レコーダーを見てみたんです。するとこの曲が入っていて」
 
「つまり初期化しても残っていたんですか?」
「はい。実は私もこのデータを削除してみたり、再度初期化してみたりしたのですが、どうしても消えないのですよ」
 
青葉は東京でSDカードと楽譜をお焚き上げしたにも関わらず、しばらくすると元の場所に戻っていたことを思い起こした。
 
「ということは、もしかしたら、長浜さんが問題のデータを削除したあとで、中身をまるごとコピーした時、このデータも一緒にコピーされてしまった可能性がありますね」
と千里が言った。
 
「私もそのことに思い至って。でも人に言ったら頭がおかしいと思われそうで」
 
要するに事態はこのように進行したのだろう。
 
(1)USBメモリーからDSを抜き出しSR-DSというSDカードを作る。
(2)USBメモリーからDSを削除。
(3)残りの曲をカーナビのSDカードにコピー。
(4)USBメモリーを初期化。
 
初期化した後のUSBメモリーにDSが残っているのだから、長浜がコピーしたSDカードの中にもDSはコピーされてしまった可能性が高い。
 
SR-DSのSDカードは先日青葉が高野山で封印した。しかしカーナビの方はまだ残っている可能性がある。
 

「その長浜さんが持っておられたカーナビですが、どこのメーカーのものとかは分かりますか?」
 
「あれは多分五洋社のアナコンダではないかと」
 
青葉はお父さんとの話をいったん中断して、春吉社長に電話を掛けた。手短に事情を説明すると社長は驚いていた。
 
「それで、長浜さんの自動車に五洋社のポータブル・カーナビが置かれていませんでしたか?もしかしたらメーカーは違う可能性もあります。もしそれを今誰かが使っていたらひじょうに危険なので即電源を落として欲しいのです」
 
「ちょっと待って下さい。確認して折り返し電話します」
 

社長が調べてくれている間にお父さんとの話を続ける。
 
「これを再生してみたことあります?」
「ありません。怖くて。でも・・・」
「はい」
 
「孫が、ワサオがこれを何度か持ち出していたんです。私はそれは危険な物だから触ってはいけないと言いました。でも、危ないことには使わないからと言っていたのですが」
 
「危ないことに使わないって・・・何に使ったんでしょうかね?」
 
「分かりません。実は捨てたこともあるのですが、いつの間にか机の引き出しの中にまたあるんですよ」
 
「呪われた曲だからでしょうね。ワサオさんは、この曲がどういうものかはご存じだったんですね?」
 
「はい。知っていました。私とクミコに長浜さんは数ヶ月にわたって交渉をしていましたから、ワサオもそれを聞いていたと思います。一時はひょっとしてあの子が、初期化したUSBメモリーからデータを復活させたのか、あるいは密かにコピーを持っていたのかと思ったのですが」
 
確かに初期化したUSBメモリーから初期化前のデータを復活させるのは原理的には可能である。但し凄まじく大変な手間が掛かる。以前からコピーを取っていた可能性はある。しかし長浜の死の状況を考えると、むしろこの曲は削除しても初期化しても勝手に自分で復活すると考えたほうが自然である、
 
「ちょっと削除してみていいですか?」
と青葉は尋ねた。
「はい」
 
それで青葉はボイスレコーダーを操作してその曲を削除してみた。確かに消える。インデックスには表示されない。そのあと目を瞑って10数えてから再度インデックス表示する。
 
復活している。
 
「初期化してみます」
 
それで今度は青葉はUSBメモリーを初期化してみた。いったん何も無い状態になることを確認する。10数えてから再度インデックスを表示させる。
 
やはり復活している。
 
「お姉さん、やってみる?」
と言って青葉は千里に手渡すが
 
「私が触ったら誤って再生させてしまいそうだから、やめとく」
と言って千里はそのまま青葉に返した。
 
確かに、機械音痴のちー姉が触ると、そういう危険もある!
 
「しかし、これで長浜さんが亡くなった状況が分かりましたね」
と青葉は言った。
 
「やはり、それを聴いて亡くなられたのですか」
と言って、お父さんは肩を落とす。
 
「これは事故です。お父さんには責任はありませんよ」
と千里が言った。
 
それでお父さんはふっと息をついてから言った。
 
「それでですね、あの子が、ワサオが死んだ晩も、そのボイスレコーダーを持ち出したようなのです。鍵が開いていてボイスレコーダーが無くなっていることに気付いて焦っていた時、警察から連絡があって孫の死を知りました。そして葬式が終わってから自宅に戻ってふと見たら、その引き出しにまたそのボイスレコーダーは戻っていたのです」
 

青葉はまた衝撃を受けていた。
 
警察も実は木倒ワサオは自殺ではと遺書から判断したものの、自殺方法に関しては首をひねっていた。鉄骨をうまく自分の上に落とす方法が分からなかったのである。それで結局検察官の判断としては、自殺・事故双方の可能性があるということになったのである。
 
「もしかして、お孫さんは、この曲を再生して自殺したのでは?」
「そんな気がします。これはクミコさんにも言ってないのですが」
 
青葉は少し考えた。
 
「いや、違うかも」
と青葉は自分で言った。
 
「はい?」
「もしワサオさんがこのボイスレコーダーを再生させて自殺したのでしたら、亡くなった現場にボイスレコーダーは落ちていたはずなんですよ」
 
「あ、そうか」
「それに、どうせならこれを病室で再生して、ジャネさんと一緒に死のうとしたのではないでしょうか」
 
「ああ、そうかも」
 
「ですから多分お孫さんはこのボイスレコーダーをどこかに捨てるか焼却したのだと思います。でもこの曲の作用で復活しちゃったんですよ」
 
「あぁ・・・」
 

そうこうしている内に、春吉社長からの電話が掛かってきた。
 
「確かに長浜は五洋社のポータブルカーナビを使っていたようです。それで今それがどこにあるのか、社員全員に一斉メールして確認したのですが、立山みるくが自分の車に乗せて使っているのが、ひょっとしてそれではなかろうかと言う社員があって、緊急に立山に連絡しました。立山はまさにそのカーナビを使って運転中だったらしく、すぐ電源を落とすように言いました。そしてそのままの状態で至急事務所に持ってくるよう言いました。表面に書いてあるブランド名を見てもらったら、GOYOU ANACONDA と確かに書いてあるそうです」
 
「私、明日そちらに行きます。それまで絶対に電源を入れないでください」
「分かりました」
 
今日東京まで往復してきたのに、また明日は東京か!
 

「そうだ。幡山さんとの交渉がまとまったんですよ」
とお父さんは言った。
 
木倒ワサオが幡山ジャネを突き落とし、そのあとジャネは16ヶ月に渡って病院で植物状態になって入院していた。その間に掛かった医療費は、高額医療費制度から払われているものもあるが、保険外治療なども受けさせているためかなりの額に及ぶ。またその間、水泳のコーチをしていたお母さんは、そこのスイミングクラブを退職してずっと娘に付いていた。その逸失利益や、毎日の病院までの交通費などもある。
 
「いくらで妥結しましたか?」
「4000万円払うことで同意しました」
 
「それってほぼ損害実費で、慰謝料が入っていないのでは?」
「だと思います。向こうのお母さんが、ワサオはジャネさんに同情して一緒に死のうとしたのだから。悪意で殺そうとしたのではないからといって、実費を負担してもらうだけでいい、そちらもお孫さんを失って辛かったでしょうとおっしゃってくださいまして」
 
「じゃ、ΘΘプロから5000万円もらったら、その内の4000万円がそのまま幡山さんに行く感じですか」
 
「そうなります」
 
「お店の借金はどうします?」
 
「実はワサオの死に関して建設会社から300万円のお見舞い金を頂きました」
 
見舞金の額としては異例である。
 
「それから、実はあの後、弁護士さん入れて過払い金の返還をさせたら1600万円に圧縮できたのですよ。それで金利の高い所優先で1300万円を返済しようと思います。残り300万円くらいなら何とか少しずつ返して行けるので」
 
「なるほどですね」
 

青葉はサトギの霊が水泳部の男子を3人取り殺し、更にあと1人未遂で終わったことについては、お父さんには言う必要は無いと考えていた。
 
幽霊のしたことについては、誰にも責任は無い。人間の法律は生きている人間を裁くものである。あの世の人間は、あの世の法で裁けば良い。サトギは美鳳さんによって禁固300年に処せられている。
 
そもそも圭織さんから聞いた話では、一酸化炭素中毒で死んだ人と白血病で死んだ人は生命保険が下りているし、高電圧線で感電死した人はその電線を管理していた会社からつい先日慰謝料が支払われて遺族と和解している。この3件の死因を蒸し返すのは、遺族の利益にもならない。
 

青葉たちとお父さんの話し合いは結局夜の12時すぎまで続いた。そして12時半ころ、マラ(サトギ)の妻であったクミコがお店の仕事を終えて戻って来た。
 
お父さんから事情を聞いたクミコは泣いた。
 
「あの人、マラを名乗るサトギが生きていた頃も、私のことは大事にしてくれるんだけど、頻繁に浮気もしていたんですよ」
 
「えっと・・・浮気って、相手は男性ですか?女性ですか?」
「男性です。あの人、結婚する時、おまえ以外の女とは決して寝ないからと言ってたのに、だからといって男と寝るって、ひどくないですか?」
 
「ああ、へりくつですね」
と千里が言ってるが、ちー姉、自分のことは棚に上げてるなと青葉は思った。
 
しかし、今回の事件で、ある意味最も可哀相なのがこの人だ。
 

「どうもあの人の浮気相手は、あの人のこと、完全に性転換した女だと思っていたみたいです。だから相手はストレートの男性がほとんどだったんですよ。ああいうのって、まるで付いてないかのように装うことできるもんなんですかね?」
とクミコは言う。
 
「それは可能ではありますけど・・・・いわゆるスマタの達人ですね。まるでヴァギナに入れているかのように、スマタで男を逝かせる名人さんって、時々いるんですよ。ただ、あまり性体験の無い男性に限ると思います。ある程度女性との経験がある人を誤魔化すのは難しいです」
 
と千里が解説する。
 
「御主人、性転換はしてなかったんですよね?」
と青葉。
 
「ええ。だって、私との夜の生活ではちゃんと男としてしてましたよ」
 
「逆に、性転換済みでもデ**ドーを使えば、ふつうに女性とセックスできますけど」
と千里が言う。
 
「え〜!?」
と言ってから
 
「でもちゃんと出てましたよ」
と彼女が言うと
「液が出るデ**ドーもあるんですよね〜」
と千里は言う。
 
「嘘!?」
 
「そういう道具も使わずに、指だけで、まるでおちんちんを入れているかのように相手の女性に感じさせる、レスビアンの達人もいますよ。バイの人に聞いたことありますけど、マジで男性としている時と同程度に気持ちいいらしいです」
と千里。
 
「え〜〜〜〜!?」
 
それって桃姉のことでは?そのバイの人って自分のことでは?と青葉は思った。
 
「明るい所で御主人の男性器を確認したことは?」
「そんなの見せるもんじゃないとか言って・・・・え〜?私自信無くなってきた」
 
「今となっては確かめようが無いですね」
と青葉は微笑みながら言った。
 
奥さんは何だか悩んでいた。
 

「でも御主人が亡くなって、息子さんが亡くなって、辛いかも知れないけど、お嬢さんが2人いるんでしょう?」
 
と千里はクミコに言った。
 
「はい。取り敢えず娘ということでもいいかな」
とクミコ。
 
取り敢えずって何だ??
 
「そのお嬢さんたちのためにも、ここは頑張らなきゃいけませんよ」
と千里。
「ほんとですね」
 
「だから、早まったことはしないでくださいよ。辛いことがあったらご連絡ください。かえって事情を知る私たちの方が話しやすいでしょう?」
 
と千里は言って、自分の《F神社副巫女長・村山千里》の名刺を渡した。青葉も《心霊相談師・川上瞬葉》の名刺をクミコにも渡した。
 
「ありがとうございます。何とか頑張ります」
と言って、また彼女は疲れたような顔をしていた。
 

結局、青葉と千里が木倒家を辞したのは夜中の3時である。
 
「ちー姉。福祉車両の返却はうちのお母ちゃんに頼もうと思う。だから、ちー姉は私と一緒に朝一番の新幹線で、東京に出ない?」
 
「それがいいかもね」
 
それで千里と青葉はその日は金沢市内のホテルに泊まり、翌朝1番の新幹線で東京に向かった。途中、富山駅の新幹線ホームで福祉車両の鍵を朋子に渡すことに成功した(ついでにガソリン代と帰りの電車賃で2万円渡した)。千里と青葉は8:32に東京駅に到着。千里はそのまま北区の合宿所に行き、青葉はΘΘプロに向かった。
 

千里は昨日、青葉に木倒家への同行を頼まれた時点で千葉にいる《すーちゃん》に連絡し、夕方自分の振りをして合宿所に入ってくれるよう頼んだ。中に入るためのIDカードは千里が持っているのだが、千里は合宿所の常連なので、たいていは提示しなくても顔パスで入れてしまう。もし警備員さんが千里を知らない人であったとしても、忘れたといえば何とかなるはずである。
 
それで《すーちゃん》は用賀のアパートまで電車で行き、千里が持っていくはずだった荷物を持ち、15日夕方合宿所に入った。実際門の所は顔パスで通過できた。
 
夕食後の自主練習にも千里の代理で出ていたのだが、
「スリーの精度が悪い」
と言われる。
 
「すみませーん。ちょっと疲れがピークで。でも明日までには回復させます」
「そうしてもらわなくちゃね」
 

コート脇で休憩している時に佐藤玲央美から肩をとんとんされる。
 
「なあに?レオちゃん」
と《すーちゃん》は千里の振りして訊くのだが、玲央美はニヤニヤして
 
「あんた、きーちゃんだっけ?こうちゃんだっけ?」
などと言う。
 
《すーちゃん》も身代わりがバレていることに焦ったものの
「あ、えっと、すーちゃんとでも呼んでもらえたら」
と答えた。
 
「こないだの紅白戦後半も出てたよね?」
「すみませーん」
「まあ、代表合宿はレベル高いし、楽しんでね。千里はいつ来るの?」
「今夜中に交代する予定なんですけど」
 
と言ったものの、千里の予定が変わったため、結局交代は翌日の朝、練習が始まった直後になった。
 

16日の朝はいきなり紅白戦をしたが、玲央美はドリブルで相手コートに侵攻し、行く手を日吉紀美鹿に阻まれた所で、センターラインを越えて少し来た所であった千里に擬態した《すーちゃん》にパスする。《すーちゃん》はそのままドリブルでスリーポイントラインの所まで来る。そして立ち止まった瞬間、《きーちゃん》と交代。更に次の瞬間、千里本人と交代した。千里は自分がボールを持ってスリーポイントラインの所にいるので驚いたものの、そこから美しくスリーを決めた。
 
「おお、さすがさすが。でも今、撃つまで少し時間が掛かったのはどうした?」
と高田コーチから声を掛けられた。
 
実際問題として、他の選手は千里がフリーの状態でスリーポイントラインの所に立ったので、もう入るものと思って、その後の攻撃/守備体制につこうとしており、誰も千里にチェックに行こうともしなかったのである。それで千里が2秒近く停まったままでいたのに「ん?」と思った。
 
「すみませーん。今一瞬寝てました」
「そりゃいかん。後で敷地内5周。目が覚めるぞ」
「分かりました。紅白戦終わったら行ってきます」
 
ついでに千里とお互いのマーカーになっていた湧見絵津子まで「ムダだと思ってもちゃんと邪魔しに行け。突進するだけでも相手は心理的に圧迫されて手元が狂うことだってあるんだから」と叱られていた。
 
玲央美は腕を組んで千里を見つめていた。
 

なお、この時は、ローズ+リリーのツアーに参加中で愛知県のホテルに居た《きーちゃん》がまず試合中の《すーちゃん》と入れ替わり、その後東京駅にいた千里と入れ替わったので、《きーちゃん》は東京駅、《すーちゃん》は愛知に残った。
 
その後、《すーちゃん》は愛知のホテルをチェックアウトして新幹線で東京に帰還し、《きーちゃん》は東京駅から用賀のアパートに戻ってライブツアーの疲れを休めた。《きーちゃん》は来週もローズ+リリーのツアーで秘密の作戦を実行する。
 
また昨日の内に東京に戻ってレンタカーを返却した後待機していた《こうちゃん》は、一晩一緒に過ごした奥多摩のメスの龍に『またね〜』と言って別れてから合宿中の千里の所に戻って千里に吸収された。
 
なお富山駅で福祉車両の鍵を受け取った朋子は、そのまま新幹線で金沢に行ったあと、岐阜まで走って車両を返却、舞耶さんに色々便宜を図ってもらった御礼を言い、お土産に富山のお菓子「月世界」を渡してから《ワイドビューひだ》で富山に戻った。
 

16日朝、青葉がΘΘプロの事務所に入っていくと
 
「これなんですよ」
と結局、事務所に泊まったふうの春吉社長が青葉に言ってカーナビを見せた。
 
立山みるくとターモン舞鶴さん、それに大堀浮見子まで泊まり込んでいたようで、不安そうな顔で出てきた。今日の浮見子さんは男性用のビジネススーツを着ている。この人の服装はどうにもよく分からない。また何かの撮影なのだろうか。しかしこの人の男装は妖しい魅力がある。それは自分が女だから妖しさを感じるのだろうかと青葉は訝った。
 
社長から渡されたものを見ると、たしかに五洋社のポータブル・カーナビ、アナコンダの古いモデルである。裏に株式会社ΘΘプロダクションという名前と電話番号がテプラで貼り付けてあるので、本来は会社の備品だったのかも知れない。
 
「みなさん、念のため耳栓をしてください」
と言って、全員に耳栓を配る。青葉も耳栓をする。
 
カーナビのスイッチを入れる。準備中の表示から、楽曲の再生画面になった瞬間に一時停止ボタンを押した。
 
再生中だった曲は、ほね組 from AKB48の『ほねほねワルツ』である。演奏時間4:13の内2:16まで再生が進んでいる。楽曲の再生はランダムが指定されている。青葉はそこから索引を表示させる。
 
この曲の次に再生予定だった曲は『20100722-001342』と表示されている。これはマラが死亡した日時である。フォルダ名は20110221。これはメーン長浜が死亡した日である。アーティスト名やアルバム名などは無い。間違い無く問題の曲である。青葉は次の曲にスキップさせて、槇原敬之『天国と地獄へのエレベータ』になった所でカーナビの電源を落とした。
 
青葉は耳栓を外した。他の人も外す。
 
「もし次の曲が再生されていたら死んでましたね」
と青葉が言うと
 
「きゃーーーー!!」
と立山みるくが叫んだ。社長も舞鶴さんたちも厳しい顔をしている。
 
「それって川上さんからの連絡が少しでも遅れていたら、カーナビを持っているのが、みるくちゃんではないかと気付いた社員からの連絡が少しでも遅れていたら、みるくちゃんが電話を取るのがあと2分遅れていたら、アウトだったということですね」
と社長。
 
「ひーーー!!」
と悲鳴を上げて、みるくは青くなった。腰が抜けてしまったようで、その場に座り込む。
 
「その再生直前に発見できたんだから、みるくちゃん、運が強いよ」
と浮見子さんが言うと
 
「あ、そうそう。私って悪運が強いって小さい頃から言われていた」
と本人は言って、少しは気を静めたようである。
 

「このカーナビはいつから使っておられました?」
と青葉は立山みるくに尋ねる。
 
みるくは浮見子さんから、気付けにワインを1杯もらって飲んだので何とか起き上がることができたようで、椅子に座っている。
 
「今年の2月に免許を取って、3月に中古車でモコを買ったんです。私、給料安いからとても新車は買えないので」
と言うと、社長が苦笑いしている。
 
「でも私って方向音痴なんですよねー。道に迷って撮影に遅れそうになってギリギリで飛び込んだりして叱られて。その時、カーナビ付ければいいよと言われたんですけど、お金無いしと言ってたら、誰が言ったか覚えてないんですけど、確か事務所の隅に古いカーナビが1個転がってたよということで、転がってるなら借りててもいいかなということで借りることにしたんですよ」
 
「それがいつですか?」
「4月頭だと思います」
 
青葉は社長と顔を見合わせた。それはもしかしたら大堀さんが亡くなって間もない頃ではなかろうか。
 
「楽曲はいつもランダム再生ですか?」
「ランダムって?」
 
どうも立山ミルクは機械音痴っぽく、ランダム再生とシーケンシャル再生の違いもよく分かっていなかったようである。その付近の設定は変えてないと言うので、ずっとランダム再生のままだったようである。
 
「4月頭から1ヶ月以上、ずっとこれを使ってた?」
「はい。そうなると思います」
 
「その間に1度でも問題の曲が流れていたら、その日が立山さんの命日になっていたところでしたね」
と青葉。
 
「うっそー!!」
 
「まあ、こういうのがまさに、知らぬが仏だろうね」
と春吉社長は腕を組んで言った。
 

浮見子さんがカーナビのSDカードを取り出してパソコンで何か見ている。その上で、スマホを出して何か計算しているっぽい。
 
「1月半、約45日間に、毎日2時間再生したとしてざっと1800曲。このカーナビの中に登録されている曲が1078曲なので、この1月半の間にDSに当たる確率は81%ありました」
 
と浮見子さんが言う ( 1.0-(1077/1078)1800= 0.8119 )
 
「きゃー!!」
と立山みるくがマジで悲鳴をあげる。
 
「生存確率2割を生き延びた訳だ」
と社長さん。
 
「やはり私運が強い?」
「うん、強い」
 
「ランダム再生だったから良かったね。シーケンシャル再生なら、確実に1度は回ってきていた」
 
「ひぇーっ!!!」
 
今日はみるくは悲鳴の上げっぱなしである。
 

青葉は、浮見子さんがパソコンでそのSDカードを開いているついでに問題の曲の入っているフォルダをチェックさせてもらった。2010.6-7月の録音が記録されている。フォルダ内の曲は21曲で、最後の1曲が問題のDSである。
 
その後、社長は何人かの社員とメールのやりとりをしていたが、このカーナビはみんな少なくとも2月頃までは見てないという。以前長浜さんが使っていたのを覚えている何人かも、長浜さんの遺族が引き取ったのか、あるいは誰か他の人が使っているかと思っていたらしい。社長はここ数年の間に辞めた社員やタレントさんまで含めてこのカーナビを使っていなかったか問い合わせたが、使っていたという人は見つからなかった、
 
社長のおごりで全員けっこう豪華な仕出しでお昼を食べ、少しした頃であった。
 
「社長、ツイッターにこんな書き込みがあるんですが」
と浮見子さんが言う。
 
「何だね?」
 
社長が青葉を手招きするので、青葉もそのメッセージを見る。
 
《ΘΘプロって常識の無い会社だな。カーナビの落とし物があったの見つけて、わざわざ送料掛けて送ってやったのに、その後、なーんにも音沙汰無し》
 
日付を見ると4月上旬である。
 
「これ、母が亡くなる少し前くらいのことではないでしょうか」
「ちょっと気になるね」
 
春吉さんはそのツイッターの発信者に
 
《ΘΘプロの社長、春吉でございます。そちら様が落とし物を拾ってくださったのに、何も対応ができておりませんで、大変申し訳ありませんでした。改めて御礼をさせて頂きますので、ご住所とお電話番号を教えて頂けませんでしょうか》
 
と直信をした。
 
すると10分ほどで相手から反応があり、住所と携帯の番号を教えてくれた。社長はそのカーナビをどこで拾ったのか尋ねた。すると、新潟県の親不知海岸で拾ったと彼は言ってきた。彼は最初連絡した時、オオホリさんという人が対応したので、そのオオホリさん宛に送ったと言った。
 

「社長、長浜さんが乗っていた車はもしかして外車でした?」
「うん。フィアットの左ハンドル車だよ。どうも川上君も僕と同じこと考えたようだね」
 
「はい。恐らく、長浜さんは運転しながらSDカードに入っていた曲を聴いていて、問題の悪魔の歌が再生されたのに驚いて、車を停められる所に停めた。しかしまともに聞いてしまったので、もう自分の死は免れないと悟った。それで、これ以上被害が出ないようにと、運転席の窓を開けてSDカードをカーナビごと海に投げ捨てた。そこで事切れた」
 
「うん、そういうことだろうね」
 
「それをこの人が偶然拾った。5年経ってますけど、その間にいったん海に流されていたのが、波に寄せられて海岸まで戻って来たのかも知れません。そして届けてくれたので、大堀さんが受け取り、そのまま電源を入れたら、問題の曲が再生されてしまった」
 
「5年も海に沈んでいたら故障してそうなものだけど、悪魔の歌の作用が機械を生かしておいたのだろうね」
「だと思います」
 
「大堀は急に死にそうになって、これは今聞いてしまった曲が元凶ではと考えてカーナビからSDカードを抜いて焼却した。しかし、焼却したにも関わらずカードは復活したんだよ」
と社長。
 
「だいたいそういう状況でしょうね」
 
「この届けてくれた人は悪くないですよ。たぶんこのカーナビは中に入っていた問題の歌の作用で自ら、岸まで辿り着いたんだと思います。そしてその人が放置していても、きっとその内東京まで何らかの方法で辿り着いていましたよ。実際問題として、死んだのが母で良かったんです。社員さんが死んでいたら申し訳無いですから」
と浮見子さんが言う。
 
「浮見子君にそう言ってもらうと、僕も少しだけ気持ちが楽になるよ」
と社長は言った。
 
今回の事件では春吉社長もかなり参っているようである。
 
青葉は、木倒家で回収したボイスレコーダーと、このカーナビをまた例の封印の場所に持っていって封印すると告げた。
 
「あのぉ、そしたら私のカーナビは?」
と立山みるくが言うので、社長が笑って
 
「新品をひとつ買ってあげるよ」
と言うと
 
「やった!」
と言って立山みるくは喜んでいた。
 

春吉社長が「大堀君のことでちょっと」と言って、浮見子さんと青葉だけを別室に招き入れた。
 
「これターモン舞鶴君には言っていいかどうか迷っていてね」
と春吉社長は言う。
 
「実は浮見子君に言われて、例の大堀君の家で復活していた《SR楽譜集》を先日、川上さんが東京に来る前に、うちの調査部門に調べさせたんだよ。楽譜の譜面は絶対に見るなと厳命した上で、紙とSDカードについている指紋を分析させた」
 
「はい」
 
「楽譜については紙質の問題から指紋の採取は困難と言われた。しかしSDカードには3種類の指紋があった。そのひとつはメーン長浜君のもの、1つがキャッスル舞鶴君の指紋、もうひとつはあの場で触った八雲君の指紋。他の人の指紋は検出されていない。川上君は手袋をしていたからね」
 
「はい。手袋するのは基本です。でもつまり大堀清河(さやか)副社長は触っていないんですね」
 
「うん。だからやはり清河ちゃんは、あの譜面またはSDカードで死んだのではなく、カーナビの方のを聞いて亡くなったのだろうね」
と春吉社長。
 
浮見子さんはじっと聞いている。
 

「それとね。キャッスル舞鶴君が亡くなった時のことで思い出したことがあったんだよ」
 
「はい」
 
「あの時、警察が彼女の携帯をチェックしたら、亡くなったと思われる時刻の直前に5分間ほど通話していたんだよ」
 
「はい?」
 
「当時事務所の子にも事情聴取しているのだけど、その通話は元々事務所に掛かってきたのを、ステラジオ絡みだったので、事務所の子が舞鶴に照会して舞鶴が相手に掛け直したようなんだ。それで通話した相手について、警察も電話会社に照会して調査したみたいでね。通話中に舞鶴に変わった様子が無かったか確認するのに向こうの人とも話したみたい。それで相手の人に心当たりはありませんかと私も当時警察から尋ねられてね」
 
「ええ」
 
「その時に相手の名前をメモしていたのが、こないだ出てきたんだよ」
 
と言って春吉社長が見せたメモに青葉は衝撃を受けた。
 
キトウ・ワサオ 080-****-****
 
と書かれていた。
 
「私も当時はステラジオ絡みで、木倒真良さんという人が亡くなっていたのを知らなかったからさ。でもこれって、あの真良さんの息子さんだよね?」
 
その関係は社長がこのメモに気付いてから調査させたのだろう。当然ワサオが死んでいることも社長は既に知っているだろう。
 
「そうです。舞鶴さんが亡くなったのって、何日でしたっけ?」
「2015年1月12日19-20時頃。その通話は19:14-19:19の5分間。だから警察はこの通話の直後くらいに亡くなったのではと推測した」
 
と社長はメモを見ながら言う。
 
青葉もメモを見ながら確認する、
「ちょうどそのくらい時刻にワサオさんも亡くなっているんですよ」
 
「ああ、やはり同時くらいか」
 
ワサオが鉄骨の下敷きになっているのは通りがかりの人により19時半頃発見されている。しかし工事関係者が19:10頃に現場に異常が無いことを確認している。またワサオはすぐに病院に運ばれ、医師は30分程度以内に死亡したものと推定したことを、青葉は昨夜カタリさんから聞いている。
 
「警察の人は当時実際にはお母さんか誰かと話したのではないでしょうか」
「そうだろうね」
 
「これをどう推測する?」
と社長は青葉に投げかけてくる。
 
全く、今回はまるで探偵だよ!と思いながら青葉は答えた。
 
「いくつかの考え方がありますが、ひとつの考えは、ワサオさんは自分が死ぬ前にこの曲をこの世から消そうとして手元にあるデータも捨てるか焼却した上で、舞鶴さんにそちらには残ってないか確認してもらおうと思い、連絡した。ところが舞鶴さんはこの曲にまつわる因縁を知らなかったし、ワサオさんの話もあまり信用せずに、どんな曲なのか確認しようと思って再生してしまった。聴くだけで死ぬ曲なんて話は普通信じませんし、万一やばそうだと思ったら途中で止めればいいと思ったのではないでしょうか。ところがこの曲は恐らく最初の数秒が流れると、最後まで再生を停められなくなるんですよ。それでワサオさんも電話越しにそれを聴いてしまって、双方同時に死亡した」
 
と青葉は話した。
 
「川上君、君って性善説だね!」
と春吉社長は言った。
 
「だったら、僕もそういう解釈にしておくよ」
 
と社長は言い、浮見子さんも頷いていた。
 
 
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【春社】(5)