【春社】(2)

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5月11日(水)。昼休みに学食で星衣良たちとおしゃべりしていたら明日香から電話が掛かってきた。
 
「やったよ!私免許取った」
「おお、すごい!」
 
「でも帰りのバス待つの辛い。青葉、迎えにきてくれたりしないよね?」
「三時限目の講義が終わるの待ってくれるなら」
「微妙だな・・・」
「待ってくれるなら、帰りは明日香が運転してもいいし」
 
「あ、それやってみたい」
 
それでその日は三時限目が終わった所で星衣良も一緒に付き合って高速を走り富山県運転教育センターまで行った。
 
「確かにこれは富山市内とは思えない風景だ」
と星衣良も言う。
 
到着すると明日香は玄関近くのロビーで待っていた。どうもKindle Fireで映画を見ていたようである。
 
「今映画2本目に突入した所だった」
「それ終わるまで待つ?」
「ううん。帰る」
 
それで明日香はグリーンの帯の真新しい免許証を得意そうに見せる。
 
「おお、さすがさすが」
「でも、もう少し可愛く写真映ればよかったのに」
と星衣良。
「あれ有無を言わさずいきなり撮るんだよ。全然可愛い顔する暇が無かった」
と明日香。
 
「うん。あれは最初から心の準備しておかないとダメ」
と青葉。
 
「青葉はどんな顔で映った?」
というので自分の免許証を見せる。
 
「あ、可愛い」
「何度も撮ったからね」
「あれ?青葉の免許証は青で、明日香のは緑だ。これ男女で色が違うの?」
 
「いや性別じゃなくて更新回数で変わる。最初に受け取る免許証はグリーンで1度でも更新したらブルーになる」
 
「ああ、そういうことか」
「青葉は更新してるの?」
「私のは更新ではなくて、別の種類の免許を取ったからブルーになったんだよ」
 
「ん?」
と言って星衣良は青葉の免許証をよくよく見る。
 
「なんか車種の所にたくさん書いてある」
「現時点で、原付、小特、普通、普通二輪、大特の5種類が設定されてる。4月中に牽引を取りに行きたかったんだけど、忙しくてダメだったから、今月下旬くらいを考えてる」
 
「なんでそんなにたくさん取るの?」
「いや、この車種欄を全部埋めたいんで」
「変わった趣味だ」
「あはは」
 

帰りは明日香が運転する。明日香の初実地運転である。自動車学校の卒業記念にもらった初心者マークを貼ろうとしたら、既に貼ってある。
 
「私のために貼ってくれたの?」
「いや、私もまだ初心者期間だから」
「免許5種類も持ってるのに、まだ若葉が必要なんだ!?」
「普通免許取って1年経つまではね」
 
明日香が運転席、青葉が助手席に乗って、星衣良は後部座席に乗る。
 
「お、ちゃんとスムーズに発進した」
と星衣良。
 
「オートマだからね。マニュアル車はちょっと緊張するけど」
と明日香。
 
「でもこの試験場、富山から遠かったね」
と運転しながら明日香は言う。
 
「えーっと、ここ富山市内だと思うけど」
「嘘!? なんか周囲は田んぼばかりだよ」
「富山市内にもこういう場所があるんだよ」
 
「金沢に住民票移した子が、石川県の免許センターも行く時、まわりが田圃ばかりで、バス乗り間違ってないか不安になったと言ってた」
と星衣良。
 
「まあ緑が残されているのはよいこと」
 

美由紀たちを金沢市内で拾って高岡まで送り届ける必要があるので、いったん金沢まで戻ることになる。時間節約と練習を兼ねて高速を使う。
 
一般道は何とか普通に運転し、高速もランプをあがってETCゲートを通過するまでは良かったのだが、合流車線で停まってしまう。
 
「なぜ停まる?」
と星衣良。
「入れないよぉ」
と明日香。
 
「うん。最初の内は合流が難しい」
と青葉。
 
こちらの車が停まっている内に、後ろから来た車がどんどん合流していくが、明日香は合流できない。青葉も走行車線にその内大きな途切れが出ないかと思ってずっと後ろを見ている。
 
しかし、その内、若葉マークを付けた車が合流車線の端で停まったままでいるのを見て親切心を起こしてくれたのか、走行車線を走ってきたトラックがハザードを焚いて停まって、クラクションを鳴らしてくれた。それで明日香はそちらにお辞儀をして、やっと走行車線に入ることができた。
 
「優しい人がいて良かったね」
「うん。助かった!」
 
「結構トラックの運転手さんには優しい人が多いよ」
「へー」
「乱暴な人も多いけどね」
「ああ」
 

北陸道を森本ICで降りてそのまま山環(金沢外環状道路の山側部分)に乗る。ここは国道359,304号の合流点の上に山環・北陸道が通りお互いに接続する複雑なインターチェンジだが、しっかり行き先の指示を見ながら間違えず進行し、合流も、うまい具合に走行車線に車がいなかったことからスムーズに行った。
 
それで山環を7kmほど走り、いつものイオンで美由紀・世梨奈と会う。
 
「疲れたから一息ついてから帰ろう」
 
と言って、明日香はラーメンを食べている。
 
「この時間に食べたら晩ご飯が入らないのでは?」
「大丈夫。行ける。ここまでの運転でかなりエネルギー使った」
 
美由紀と世梨奈も既にラインで明日香が免許を取ったのは聞いていたのだが、帰り道明日香が運転すると言うと
 
「え〜〜〜!?」
と言う。
 
「明日香ほんとに大丈夫?」
「星衣良、ここまで来る時、運転どうだった?」
 
「青葉ほどうまくはないけど、まあまあだったよ」
と星衣良。
 
「生きて帰られるかな?」
などと美由紀は不安そうに言う。
 
「帰りは高速には乗らないから大丈夫でしょ」
と星衣良は言う。
 
それで明日香の運転でイオンを出る。ここは駐車場の出口から脇道に出て、信号のある交差点で本通りに乗るので初心者にも優しい。それで山環を戻っていき、本来は今町JCTまで行くのだが、その前の森本ICで降りることを提案した。
 
「旧道を走っていこうよ」
「OKOK」
 
今町JCTは無茶苦茶交通量が多いので、そこを敢えて避けたのである。森本ICで一般道に降りる場合は単純に左側に分岐して(IC内を間違えずに進行すれば)、交差点で一般道に入ることができる。
 
それで明日香は旧8号線(県道215号線)を走って、津幡駅まで行った。ここで星衣良を下ろす。
 
「星衣良、もし私たちが今日このあと事故死したらお線香あげてね」
などと美由紀は言っている。
 
「OKOK。香典は500円でいい?」
「せめて1000円くらいちょうだい。クォーターパウンダー食べたいから」
「あちらの世界にマクドナルドあるの?」
「きっとあるよ。カーネル・サンダースも既に死んでるし」
「カーネル・サンダースはケンタッキー!」
「あ、そうか。マクドナルドは?」
「創業者はマクドナルド兄弟だけど、実質的な初代経営者はレイ・クロック」
「聞いたことないや。その人生きてるの?」
「もう30年くらい前に死んだよ」
「だったら大丈夫だな。マクドナルド天国支店はきっとあるよ」
 

アルプラザ津幡横の南中条ICから津幡バイパスに乗る。今回の合流はとてもうまく行った。
 
「明日香、うまいうまい」
と世梨奈が褒める。
 
「えへへ」
と明日香も得意げである。
 
バイパスに乗ってしまうと後は楽である。
 
「ここ早めに右車線に行っておいて」
「了解」
 
この先の舟橋JCTで七尾方面と高岡方面が分岐するのだが、その直前に車線変更禁止区間が無茶苦茶多いので、早めに車線移動しておかないと、直前になったら目的の方面に行けないという事態が発生するのである。ここは初心者には厳しいJCTである。
 
しかし今日は青葉の指示に従って早めに高岡方面に行く右車線に移動しておいたので、スムーズにそちらに入ることができた。
 
そのまま津幡北バイパス・小矢部バイパスと走って小矢部市内芹川東交差点まで来たのだが・・・・
 
「あ、ダメ」
と青葉が言った時はもう遅かった。
 
「え!?」
 
「今の交差点は左折しなきゃ。直進しちゃったから、これ福岡ICに乗るしかない」
と青葉。
 
「え〜〜〜!?」
と明日香は叫んでいる。
 
この交差点は他の人の運転で何度も通っているはずだが、自分が運転しない人はこういうのをあまり意識していないものなのである。
 
「Uターンする?」
「高速でUターンは禁止。潔く高速に乗ろう」
と青葉。
 
「今日はやはり私の命日になるのかな」
などと美由紀が言っている。
 
「ごめーん。事前に注意しておくの忘れた」
と青葉。
 
ここの福岡ICの入口はひじょうに間違いやすいのである。
 

仕方無いので、そのまま進み、福岡ICから能越自動車道に乗った。ここは走っている車が少ないこともあり、そのまま楽に合流できた。
 
しばらく走った所に本線料金所があるのでブースで停めようとしたのだが、手前で停まりすぎる。慌てて再発進したらブースを行き過ぎた。バックしようとするので、青葉が「バックはダメ!」と行って制止する。
 
後ろの車の人が「この下手くそ!!」と叫んでいた。
 
結局料金所の職員さんがブースを出て料金徴収に来てくれた。
 
「すみません」
と青葉が謝り、百円玉を2枚明日香に渡すので、それを明日香が職員さんに払い、領収書をもらった。明日香はさすがに顔がこわばっていた。
 
車を発進させる。
 
「ここはETCが無かったんだっけ?」
と世梨奈が尋ねる。
 
「うん。無いんだよ。それにここだけ本線料金所なんだよね」
 
美由紀は
「死ぬかと思ったぁ」
などと言っている。
 

その後は能越道を高岡北ICまで走って一般道に降りた。高岡北ICも単純に分岐して交差点で一般道に入れるので楽なICである。
 
「まあここまで来れば大丈夫かな」
と世梨奈は言っている。
 
「生きて帰れる?」
と美由紀はまだ不安そうであったが、その後は特に問題無く、無事伏木駅に到着した。
 
「良かったぁ、今日は死なずに済んだ」
と美由紀。
 
「ごめんねー。もっと練習してうまくなるから」
と明日香も言っていた。
 

翌日、12日は青葉の運転で往復したので、美由紀は
 
「やはり青葉の運転は安心だ」
と言っていた。青葉は助手席に明日香を座らせ、自分が運転しているつもりになって前とか横とか見ててごらんよと言い、明日香も真剣に周囲や、青葉の運転操作を見ていた。
 
「でも合流うまいね」
 
「合流はね。初心者は目標にした車の前に入ろうとする。それは絶対うまく行かない。目標にした車の後ろに入ってその車に付いて行けばいいんだよ」
 
「ああ!」
 
「それと基本的に合流は大縄飛びの要領だから。走っている車のリズムを感じとってその中に溶け込むんだ」
 
「ああ、何となく意味は分かる」
 
「女装者が女の子たちの間に溶け込むのと同じかな」
と美由紀が言うので
 
「なぜそういう話になるのさ!?」
と世梨奈が呆れていた。
 

その日の夜、青葉が自分の部屋で勉強をしていたら朋子が
 
「青葉、来て来て」
と言う。
 
何事だろうと思って出て行くと『スター発掘し隊』というテレビ番組をやっている。
 
「波歌(しれん)ちゃんが出ているのよ」
「え!?」
 
先日の高知での葬儀の時に会った、北海道に住む従姪の波歌(しれん)が、テレビに出ている。どうもあの葬儀の直後の4月10日に札幌で行われたビデオオーディシヨンで地区優勝し、翌週4月17日に東京で行われたステージオーディシヨンで決勝進出12人の中のひとりに選ばれていたらしい。
 
「すごーい。決勝まで来たんだ」
「そうみたい。よく頑張ったね」
 
4月10日は青葉も美滝に付き添って金沢で行われたビデオオーディシヨンに行っている。美滝は落ちている。
 
「あ、あの子も出てる」
と青葉が言う。
 
「7番の番号をつけてる子」
「あ、なんか可愛い子だね」
 
「その子とこないだ金沢のオーディシヨン会場で会ったんだよ」
「へー!」
「金沢ではあの子が優勝したのか」
 
番号は地域順に付けられているようで、北海道で優勝した波歌が1番、東京の優勝者が4番を付けていて、金沢の優勝者・八島が7番、沖縄の優勝者が12番である。
 
ステージオーディションの時の各々の子の歌唱映像がプレイバックされていたが、波歌はその中でもひときわ上手いと青葉は思った。
 
まあ、そもそもの全体的レベルが低い気もするが!
 
しかしアイドルのオーディシヨンなんて、歌唱力はこんなものかもね〜と思って見ている。
 
青葉が見た感じ、波歌、八島のほか、松本の優勝者・広夢ちゃん、福岡の優勝者・春都ちゃんが上手いなと思った。
 
司会者のデンチュー昼村が歌い終わった春都と少し話しをした後
 
「ところでハルトちゃんって、音で聞いたら男の子みたいな名前だよね」
と言うと、彼女は
「すみませーん。私、戸籍上は男なんで」
 
と答えるので、会場から「え〜!?」という声が起こる。
 
「女の子になりたい男の子?」
「女の子になりたいですー」
「学校には男子制服で通ってるの?」
「そうなんですよー。女子制服で通いたいんだけど、世間体がとか父から言われて」
「あんた、全国放送でこういう格好さらしたら、もうそれ今更だよ」
「そうですね。再度お父ちゃんと話し合ってみます」
 
青葉は、テレビでこんな会話を流す以上、恐らく既にお父さんは折れているのではと想像した。
 

「青葉、男の子だって分かった?」
と朋子が訊く。
「いや、分からなかった。最近の男の娘は完璧すぎる子が多いよ」
「ほんとにねー」
「この子、こっそり女性ホルモン飲んでたんじゃないかなあ。男性的な発達が全然見られないもん」
 
「でもゴールデンウィーク中に合宿やってたんだ?」
「凄いね」
 
番組はその合宿の様子も映していた。早朝から集合して挨拶をして近くの公園や神社の清掃活動、午前中は音楽理論やダンスの技術解説などのお勉強、お昼前に1時間座禅をし、午後は歌唱レッスン、ダンスレッスンの実技。夕食は自分たちで手分けして調理し、夕食後は有名歌手のステージビデオの鑑賞と朝から晩まで鍛えられている。途中、中学生の八島がスマホを持ち込んでいるのが見つかり、取り上げられるシーンなども映されていた。
 
そして番組開始から20分ほど経ったところで
 
「合格者はありません。全員落選です」
と言われている。
 
「あらあら」
 

番組はこの女性歌手オーディションの方はこれでいったん打ち切って、もうひとつの企画である街角で女の子をスカウトするコーナーに行くのかと思ったら、CM明けにカメラが落選した子の中で最初に波歌を追った。
 
「なんだろう?」
と朋子。
 
「どうもさっき全員不合格と言ったのが演出だったみたいね」
と青葉。
 
番組にはテロップで「北海道代表・花山波歌(はなやま・しれん)」と表示されている。
 
「苗字の読みが間違っている」
と朋子。
 
彼女の苗字は「かやま」と読むのである。
 
「きっと、下の名前がふつうに読めないのに気を取られすぎて苗字の読み方の確認をし忘れたんだよ」
と青葉。
 
結局波歌はスタジオに戻ってくださいということになる。
 

番組はその後、青葉たちの知らない女の子・月嶋優羽(つきしま・ことり)を追いかけ、彼女もスタジオに戻される。青葉はこの子が声を掛けられたのを意外に思った。あまり目立った感じがなかったのである。
 
そして最後に雪丘八島(ゆきおか・やまと)を追いかけたが、ここでカメラマンが痴漢に間違われるハプニングが起きる。
 
「この子の名前も読めないね」
と朋子。
「ついでに苗字の読みが間違ってる。この子は『すすぎ・やまと』なんだよ」
と青葉。
 
「すずき?」
「すすぎ。すすいだら洗濯物は白くなるでしょ?雪も白いからだって」
「日本語って難しいね!」
 
結局この3人でユニットを組んでデビューを目指すということになり、仮のユニット名として『ドライ』という名前が与えられた。
 
「でも波歌ちゃんとそのヤマトちゃんの苗字の読みが間違ってたから、コトリちゃんの苗字も読み間違ってたりして」
と朋子が言うと青葉は少し考えて言った。
 
「あの子の苗字は『ツジマ』だと思う」
「へー!」
 

「でもまだ名前を出せない大先生がプロデュースするって言ってたけど、確かこの番組始まった時に、元ラララグーンのソウ∽(「そうじ」と読む)がプロデュースすると言ってなかったっけ?」
 
と朋子が言う。ミーハーな朋子はラララグーンのファンでもあったようで、ラララグーンのCDは全部持っているらしい。
 
「そういえばそんな話を聞いた気もする。何でだろう?」
 
などと言っていた時、千里から電話が入った。
 
「青葉、ちょっとお願いがあるんだけど」
「うん?」
 
「こんな夜分に申し訳無いんだけど、ジャネちゃんのお母さんに連絡してさ」
「うん」
「この週末、東京に出てきて欲しいんだよ」
「へ?何しに?」
「詳しいことは今言えない。でも必ずジャネさんの力になることだから。青葉も可能なら付き添いで付いてきて」
 
「分かった。私は動ける。じゃお母さんに連絡してみる」
 
それで青葉が電話を掛けてみると、青葉の「治療」でジャネが急速に回復してきつつあったこともあり、すぐに病院に外出許可を取ると言っていた。どうもまだ病院でジャネさんに付いていたようであった。
 

翌13日(金)の朝。この日は雨であった。まずはいつものように伏木駅で美由紀・明日香・世梨奈の3人を拾い、金沢方面に向かう。
 
伏木を出てすぐ美由紀が言った。
 
「明日うちの大学、東京芸大の教授を招いて特別講義があるのよ。もしよかったら、連れて行ってくれないかな」
と言う。
 
「あ、美由紀が移動するなら、私も朝だけ頼めない?」
と世梨奈が言う。
 
「世梨奈はローズ+リリーの伴奏だよね?」
「そうなんだよ。明日は神戸公演だから、金沢からサンダーバードに乗る。青葉に乗せてもらえたら乗り換えとかしなくて楽だし」
 
「あ、私も明日金沢でコンサートがあるのに行くつもりだった」
と明日香。
「何のコンサート?」
「金沢室内楽団の演奏会なんだよ。チケットは実はもらっちゃったんだけどね。昼の1時から3時まで。金沢森林ホール」
 
「私は明日は昼から金沢に出るつもりだったんだけど、3人ともついでがあるなら、朝から出てもいいよ」
と青葉。
 
「じゃ、よろしく」
「でも私、そのまま東京に出るから帰りは運転できないんだよね。帰りは明日香が運転する?」
 
「え〜〜〜〜!?」
と言ったのは美由紀である。
 
「私まだ死にたくないよ」
「こないだは死ななかったじゃん」
と世梨奈。
 
「いや明日こそは死ぬ」
 
「美由紀が死んだら、シャリアピンステーキでもお供えしてあげるから」
と青葉。
「うーん。。。鰤の活き作りの方がいいな」
「じゃそれで」
 
「私、一昨日も昨日もお父ちゃんの車を借りて運転練習してたんだよ。お母ちゃんに助手席に乗ってもらって。こないだよりは少しはうまくなってると思う。私頑張るね。今日も帰ったら練習するから」
 
と明日香は言っている。
 
「でも明日の帰りは私も世梨奈も居ないから明日香と美由紀だけか」
 
その組み合わせは微妙に不安がある。
 
この日は雨だったので、津幡でいったん8号線から降りて少し走り、星衣良の下宿先に行く。
 
「サンキュ、サンキュ」
と言って星衣良が乗ってくる。南中条ICに戻る。
 
「ねえ、星衣良は明日金沢に行く用事無いよね?」
「明日?土曜日?」
 
それで話を聞いた星衣良は
「じゃ金沢まて行って竪町界隈を散策するよ。帰りは私が助手席に乗ってあげる」
と言った。
 
「おお、星衣良が乗ってくれるだけで私の明日の生存確率が上がった気がする」
などと美由紀は言っていた。
 

その日、大学に着いてから教室に行こうとしていたら、バッタリと水泳部の圭織に会う。それで明日の夕方からジャネさんを連れて東京まで行くと言うと
 
「私も行きたい!」
と彼女は言った。
 
「車椅子押すのにも青葉ひとりでは大変だよ」
 
などと言うので千里に連絡した所、彼女の分までチケットを手配すると言っていた。
 

チケットはその日の夕方、高岡の旅行代理店の人が自宅まで届けてくれていた。
 
青葉が帰宅してから見ると金沢から東京までの新幹線切符でグリーン席であった。ジャネさんの体力にまだ不安があるので、少しでも楽な席をということで手配してくれたのだろう。
 
翌14日、朝は伏木駅で美由紀・世梨奈・明日香を拾い、津幡で星衣良を拾って、まず金沢駅に行き、神戸に向かう世梨奈を降ろした。
 
「演奏頑張ってね〜」
「お土産は神戸プリンでいいよ」
などと言って送り出した。このツアーには美津穂および合唱軽音部の後輩2名も参加しているが、美津穂は富山に下宿しているので富山から新幹線・サンダーバードの乗り継ぎで移動、後輩2名は新高岡から新幹線・サンダーバードの乗り継ぎにしたようである。
 
金沢駅の後は美由紀のG大学まで行き、彼女を降ろした。
 

「この後、どうする?」
 
今8時だが、明日香のコンサートは13時からだし、星衣良もお店が開く時間まではすることがない。
 
「明日香、運転席に乗って。合流の練習しようよ」
「おお」
「星衣良はどうする?どこかに置いて行ってもいいけど」
「いや、暇だし付き合うよ」
 
それで運転交代して、明日香が運転席、青葉が助手席に乗り、山環に戻ってこれをずっと白山方面に走っていく。するとこの道は四十万付近(正確にはもう少し先の国道157号との交点・安養寺北交差点)から先は加賀産業開発道路になる。この道をひたすら走り、八幡ICで小松バイパス(高架道路)に乗る。これを福井方面にひたすら走る。
 
「それでさ、ICがある度にいったん下に降りて、そのまままた上に乗って合流しよう。今日はたくさん合流の練習」
「なるほどー」
 

小松バイパスは短い間隔で多数のICがある。そこでそのひとつひとつでランプを降りてはまたランプを登って合流というのをやったのである。
 
最初の内はなかなかうまく合流できなかったものの、次第に要領を掴んでくる。
 
「ちゃんとキックダウンできてるじゃん」
と青葉。
「うん。途中で自動車学校で教えられたのを思い出した」
と飛鳥。
 
「今日は合流車線で1度しか停まらなかったね」
と星衣良が言う。
 
「うん。少し慣れてきた」
と明日香。
 
「大事なのは、もしかしたら無理かもと少しでも思ったらそこには入らないこと。強引に入ろうとして追突されたら、大怪我するから」
「分かった」
 

小松バイパスをいちばん西の箱宮ICまで走ると、地面の高さの道路になる。その少し先にあるコンビニで休憩した。
 
「ちょっと疲れた」
「休もう。30分くらい休んでから戻ろう」
「OKOK」
 
練習に付き合ってくれた御礼ということで明日香のおごりでスパゲティとか牛丼とかを買って食べ、車内でしばしおしゃべりする。ここで結局1時間ほど休んでいたので、再度コンビニに入り、トイレを借りた上でコーヒーとか肉マンとかを買って車に戻った。
 
帰りは産業道路・山環方面には行かず、小松バイパス・金沢西バイパスとひたすら走ったが、これもICがある度にいったん降りてはまた登って合流の練習を繰り返した。その後は明日香も少し疲れているようなので、朝日ICを過ぎて平面交差になったところで脇に寄せて停めて運転交代。青葉の運転で金沢まで戻る。車を市役所の南側にある民間駐車場に駐めた。
 

ここは星衣良が散策したい商店街のすぐ近くで、明日香が行きたいコンサートホールへは(明日香の足で)15分くらい、青葉が行くK大学病院へは(青葉の足で)やはり15分くらいである。帰りの待ち合わせも商店街の近くの方が便利なのでここに駐めた。
 
明日香に車のキーと駐車場代精算用の千円札を渡し「後はよろしく〜」とは言ったものの、星衣良は今日は特に目的も無いので、結局3人でコンサートホールの所まで一緒に歩いてから別れた。
 
青葉はそこから7分で病院到達したものの、別れた時、青葉の歩き方を見たふたりが「ジェット推進だ」などと言っていた。
 

しばらく病室でジャネとお母さんと話をする。ジャネは外出するので1年半ぶりの外出着で、ブラウスとロングプリーツスカートを身につけている。やがて、圭織が来て、ジャネのお父さんも来て病院を出る。今回の外出では病院の車椅子を借りたのだが、ジャネは1年半ぶりに病院の建物の外に出て「外の空気はいいなあ」と言っていた。
 
お父さんは友人から借りたというアルファードを持って来ていたので、それに協力してジャネを乗せ、金沢駅まで行った。お父さんは学校の体育の先生をしており、週末は部活の生徒たちに付いているとのことで、金沢に残る。しかしホームまではお父さんが車椅子を押して行った。
 
青葉、圭織、ジャネ、お母さんの4人で新幹線に乗り込み、お父さんの見送りで東京に向けて発車した。グリーン車には初めて乗ったという圭織が
 
「すごーい。乗り心地がいい」
と感動していた。
 
その日は取り敢えず東京駅近くのホテルに泊まった。
 

ホテルで一息ついていたら明日香から電話が掛かってくる。
 
「お疲れ〜。今日はどうだった?」
 
「うん。自分としてはまあこないだよりうまく運転できた気はしたんだけどね」
「何か問題あった?」
 
「いやあ、うっかり舟橋JCTで能登方面に行っちゃって」
「あそこは難しいんだよ」
 
「車線変更するの忘れててさ。気づいた時はもう七尾方面に行くしか無かった」
「まあ仕方無いね。慣れてきたら、あそこ分岐の直前にも高岡方面に進行できる場所があるんだけど」
 
「うん。それには気づいたけど、私の腕ではあそこは進行できなかった」
「初心者には難しいんだよね〜」
 
「仕方無いから次のICで降りたら、なんか凄い所で」
 
「あそこは次の能瀬ICで降りちゃいけないんだよ。能瀬ICは難しいもん。その更にひとつ次の狩鹿野ICまで行った方がいい」
 
「そうだったのか!20分くらいあの付近の田んぼの中を彷徨ったら、美由紀がうるさかった」
 
「あはは」
 
「でも身にしみてあそこの怖さが分かったから次は行けると思う」
「うん。月曜日は私そちらに戻ってると思うけど、月曜日の帰りも運転する?私が助手席に乗ってあげるから」
 
「うん。運転したい!」
と明日香は明るく言った。
 

さてまた1ヶ月半ほど時を戻す。
 
千里は4月1日付けでレッドインパルスの一軍正選手となり、当日は歓迎会に出席した。もっともみんなから
 
「去年もいたよね」
「いや、10年くらい前からいた気がする」
 
などと言われた。
 

4月1日には千里が勤めている(?)Jソフトウェアでも入社式が行われた。現在の社員は32人。これに8人の新人さん(大卒3名・専門学校卒5名)が加わる。実際にはこのうち数人は2月頃からバイト資格で出社して補助作業を中心に仕事をしてくれている。8人の内男性3人はビジネスススーツ、女性5人はJソフトの女子制服を着ている。
 
千里本人に代わって出社して彼らを見ていた千里Cこと《せいちゃん》はあれ〜、千里の女子制服は誰が持っているんだ?と疑問に思った。千里A,B,Cと「3人1役」をしているので、しばしば物が3人の間で行方不明になることがある。更に千里Aが物忘れの天才である。制服については、昨年の春には結構女子制服を着て勤務していたものの、最近はずっと私服である。他の女子社員でも女子制服を着ているのは事務の子くらいだ。矢島さんにしても竹下さんにしても女子制服を着ている所を見たことが無い。おかげで《せいちゃん》はあまりスカートを穿かなくて済んでいる。女装自体には随分慣れてきたものの、いまだにスカートは苦手である。
 
また《せいちゃん》は今日入社した8人の中で1年後まで残るのは何人だろうとも思っていた。昨年4月に入社したのは千里を含めて5人だったが、千里以外の4人は全員半年以内に辞めてしまった(昨年度入社組では途中入社の3人が残っている。途中入社自体は10人くらい居た)。
 
専門学校卒の中で佐久間安祐美という子が
「私は女ではありますけど、男並みに仕事するつもりですので、どんどん鍛えてください」
と本当に男っぽい口調で言うので、1日付けで係長に昇進したばかりの矢島さんが
 
「うん。頑張ってね」
と言った上で
「まあうちはそもそも男女関係無く仕事してる気もするけどね」
と付け加えた。
 
最後に自己紹介+誓いの言葉を言った石田光子という子は、ややおどおどした感じで
 
「実は私、戸籍上は男なんですけど、普通の女子と同様に頑張りますのでよろしくお願いします」
と、ふつうに女の声に聞こえる声で言う。
 
「別に戸籍で仕事する訳でもないから戸籍の性別はわりとどうでもいい」
と長山次長が言う。
 
「そもそもうちの会社は、女だからといって軽い仕事を割り当てられるってこともないから、逆にOLしたいと思ってたら、期待外れかも知れないけどね」
と矢島さんが付け加えた。
 
「千里ちゃん、何か付け加えることある?」
 
と矢島さんがこちらに振るので、《せいちゃんは》
 
「まあ女子トイレに入って悲鳴あげられなければ、問題無いんじゃない?」
と言った。
 
すると千里の1年先輩の竹下さんが
「ごめーん。私、昨年実績で3回、女子トイレで悲鳴あげられた」
と言っていた。
 

千里はレッドインパルスの入社式から1日置いて4月3日には今度は3月いっぱいで辞めた40 minutesの送別会をしてもらったものの
 
「選手としては辞めてもオーナーとしては残るんだから、送別会の必要もないんだけどねえ」
 
などと言われる。
 
そしてこの日、その送別会の最中に冬子から電話があり、★★レコードのドライバー・チームが解散という噂があることを聞く。
 
結局、ドライバーチームの恩恵を特に受けている6人で集まって意見交換することにし、千里はこの送別会の会場からそのままアテンザを運転して、密談をおこなう上島雷太さんの家まで行った。
 

話し合いは夕方19時から、夜通し続いたが、話の流れとしては、★★レコードがしないのなら、この6人で共同で会社を設立し、その会社でドライバーを雇うという方向で早い時期に固まった。それで上島さんと後藤さんのふたりが代表になって★★レコード側と交渉するということになる。
 
しかし40 minutesの運営会社を作り、青葉が個人会社を作り、ここでもまたドライバー会社設立って、会社作りが続くなと千里は思った。
 
上島さん宅での話し合いは明け方まで続いたものの、雨宮先生は途中でダウンしてしまう。明け方、後藤さんと田中さんが「少し寝せて」と言って奥の部屋に行き仮眠をしたのを機に、千里と冬子は退出することにする。
 
「どうやって帰る?タクシー呼ぼうか?」
と冬子が訊くので、千里は
 
「車で来ているから冬のマンションまで送るよ。その後、私は今日は40 munutesの運営会社設立で、9時に立川さんと一緒に法務局に行って、そのあと創立記念のお茶会の準備」
と答える。
 
「忙しいね! でも徹夜してて運転大丈夫?」
「ああ。私目立たないように適度に寝てたし」
 
それで千里のアテンザに冬子を乗せて車を出す。実際には千里は運転席に座るなり『きーちゃん、運転よろしく〜』と言って眠ってしまう。それで《きーちゃん》が『やれやれ』という顔をして、千里の中に入って車を運転し、冬子を恵比寿のマンションに置いてから江東区の40 minutesの運営会社の事務所前に付ける。ここで千里を起こす。
 
「ありがとう。じゃ、このまま運転頼むね。少し待ってて」
と言って千里は《きーちゃん》を運転席に残したまま自分だけ分離して運転席から降り、道路のそばから立川さんに電話する。立川さんとお願いしていた司法書士さんが降りてくるので、千里が助手席に乗り、2人を後部座席に乗せて
 
「じゃ、きーちゃん、法務局までよろしく〜」
と言う。
 
それで《きーちゃん》はハザードランプを消して方向指示器を点けて発進。2kmほど離れた法務局墨田事務所まで行った。3人を降ろしてから《きーちゃん》は車をいったん、いつもの練習場所の体育館の駐車場に駐めた。
 
なお、ここの法務局は駐車場がわずか3台分しかなく、といって駅から歩くと結構な距離があるという困った場所にある。
 

法務局での登記手続きは、番号札を先に《こうちゃん》に取っておいてもらったので、あまり待ち時間もなく順番となる。そして書類はあらかじめ司法書士さんにチェックしてもらっていたし、その司法書士さんに同席もしてもらっていたのでスムーズに終了する。
 
それでまた《きーちゃん》に迎えに来てもらい、司法書士さんをそちらの事務所まで送った後、千里と立川さんは40 minutesの事務所まで送ってもらった。
 
この日は14時と19時に簡単なお祝いの会を開くことになっていたので、千里と立川夫人の潤(うるう)さん、総務部長の浩子、そして《きーちゃん》の4人でビールやおつまみなどを買いに行ったり、狭い事務所の中に折りたたみ式のテーブルを並べたりした。このテーブルは、練習場所に使わせてもらっている廃校の備品を許可を取って借りてきたものである。これを運ぶのに《きーちゃん》と千里・浩子は体育館と事務所を2往復した。
 
駐車スペースは2台分借りていて、お昼過ぎまでは立川さんの車と千里の車が使用していたのだが、車で来るメンバーがいた時のために2台とも13時頃、《こうちゃん》に頼んで体育館の方に移動させた。
 
13時半頃から、麻依子や夕子など、主婦のメンバーが子連れで集まってくる。麻依子の子供・希良々ちゃんももう3歳で結構おしゃべりする。「ジュース飲みたい」などと言うものの「甘いものはダメ」とママに言われて、結局お茶をもらって飲んでいる。
 

14時を少しすぎた所で
 
「キャプテンが来てないので、不肖副キャプテンの私が乾杯の音頭を取らせていただきます。株式会社豫拾分および女子バスケットチーム40 minutesの将来の発展と皆様の幸福および女らしさ増進を祈って乾杯!」
 
と麻依子が言って、みんなでビールやコーラなどで乾杯する。
 
「女らしさと言っちゃったけど、一部男子スタッフもいるが」
「性転換してもいいよー」
「立川社長が性転換すると、潤さんが困ると思う」
「私は別にかまわないよー」
「どうします?社長」
 
立川さんは苦笑していた。
 
「なんか結構おつまみがたくさんある」
「足りなくなったら買ってくるから遠慮無く食べてね〜」
「お昼食べ損ねた人のためにチキンとかも買ってるよ〜」
 
選手たちは千里とほぼ同世代以下の人がほとんどであるが、早く結婚した人の中には、もう5〜6歳の子供がいる人もいる。そういう子供たちはハンバーガーやおにぎり、チキンなどにかぶりついてご機嫌である。
 

「この子たちの中から将来うちの選手が出るかも」
「あ、君なんかいい雰囲気してるね」
「ごめーん。その子、男の子」
「なんだ」
「残念」
「ちなみに、性転換させる気は?」
「勘弁して〜」
 
「せいてんかんってなあに?」
「君、女の子になってみたくない?」
「おんなのこに? それもいいかなあ。でもどうやってなるの?」
「手術すればいいんだよ」
「しゅじゅつってこわそう」
「大丈夫だよ。大して痛くないよ」
「ちょっとぉ、変な誘惑しないでよぉ」
 
子供にあまり甘いものは飲ませないという方針で、ノンアルコール飲料としては、ウーロン茶、コカコーラゼロ、三ツ矢サイダー・ゼロストリング、野菜と果実をミックスした野菜生活のシリーズ、などなどを用意していたが、子供たちには不評であった!!
 

「しかし、つい昨日送別会をしたはずの人がいる」
などと一部から言われる。
 
「えー。選手としてはさよならしたということで」
と千里は言っている。
 
「でも普段の練習より確実に人数が多い」
「あまり見たことない人もいる」
「すみませーん。幽霊部員でーす」
 
などといった会話が交わされていた。おかげで、準備を手伝ったので「まあ一緒に」と浩子や潤(うるう)さんから言われた《きーちゃん》も部屋に居たものの、全く目立たなかった。
 
(きーちゃんは千里に擬態せずに27-28歳くらいの女性の姿を取っている。これが本来のきーちゃんの素顔なのかどうかは千里も知らない)
 
「でも会社も設立したし、これで新しい練習用の体育館とか建てられたら凄いけどね〜」
「秋から毎日いつでも練習できるようになったのはいいけど、体育館のボロさがグレードアップしたしね」
 
40 minutesは夏頃までは江東区内の公共体育館を使って練習していたのだが、使える時間帯が限られるので、秋から、廃校になった小学校の体育館を借り切って、いつでも練習できるようになった。ただし手狭になったし、廃校になっていただけあり、かなりの傷みがあった。窓ガラスの敗れた所などは、段ボール!で応急措置をしたまま使っている。空調がないし火気厳禁なので冬期は電気ストーブで乗り切った。
 
「あそこ、夏は冷房とか無いですよね」
「窓を開けよう。エコだよ」
「扇風機くらい用意するから」
 

「でも新しい体育館は建てるよ。場所や工期はまだ未定だけど」
と千里が言うと
 
「凄い!」
「この会社、そんなにお金があるんだ!?」
 
という声が出る。
 
「建てるのは、今の所、40 minutes, ローキューツ、ジョイフルゴールド、江戸っ娘の共同という線。話し合い中」
 
「共用ですか?」
と少しがっかりしたような声が出る。
 
「今検討中の設計ではメインアリーナに2コート、サブアリーナに1コート取れるから3チームまでは同時に練習できると思う。それが完成した後で、今使っている体育館も若干改修する予定」
 
「おお!」
 
(新体育館は最終的には床にタラフレックスを敷いてコートのラインを変える方式にしたため、練習時にはメインコートに3コート設定することも可能になった。サブアリーナまで使うと4チームが同時に練習可能となる)
 
「でもこの夏は悪いけど、冷房無しで頑張って」
「うーん・・・」
 
「昼間は前の体育館の方を借りられないかなあ」
「空いている時は使えると思うよ。それは照会しておくよ」
と立川さんが言っていた。
 

14時からのパーティーは16時に「中締め」を宣言したのだが、おしゃべりは続き、結局17時すぎまで何人か残って話していた。
 
だいたいみんな帰った所で、千里、浩子、きーちゃん、麻依子などでゴミを捨てたり食器を洗ったりして片付ける。
 
「麻依子はいいよ。自分ちの夕飯の支度あるでしょ?」
「平気平気。帰ってみて誰もいなかったら、適当に何か作って食べてるから」
「偉い旦那だ」
「こういうのは最初が肝心なんだよ」
「ほほお」
 
片付けが終わった所で今度は19時からの2回目のパーティーの準備を始める。
 
「私、今日は3日分くらい働いている気がする」
と《きーちゃん》が言う。
 
「ごめんねー。千里のお友達でしたっけ?」
と浩子。
 
「法務局まで行くのに車を駐める所がないから、送ってと言われてドライバーだけの予定だったんですけどねー」
「それは申し訳無い」
と浩子。
 
「申し訳ないついでに2度目のパーティーの準備と片付けもよろしく」
と千里。
 
「はいはい」
と《きーちゃん》もあきらめ顔である。
 

だいたいの準備まで終わった所で麻依子は18時で帰る。お土産代わりにケンタッキーのチキンを6本とビール2缶を持たせた。
 
2度目のパーティーは勤め人さん中心である。プロ契約した雪子・渚紗・誠美・星乃・暢子といった面々もこの時間帯に来た(橘花は学校の先生なのでプロ契約とかはできないし試合参加報酬も払えない)。新キャプテン星乃が音頭を取って乾杯し、あとは自由に飲み食いしてということになる。お腹を空かせてきている人が多いとみて、焼き鳥、フライドチキン、天ぷら、トンカツなど、本格的な「おかず」という感じのものも用意した。また社会人が多いことからビールを飲む子も多かった。
 
「由実、まあ飲め飲め」
と早速酔っぱらっている暢子が、松崎由実にビールを勧めているが
 
「その子は未成年だからダメ」
と言って聖子が停めている。
 
このメンツにも新体育館の建設計画が進行中であることを発表すると歓声があがっていた。
 
「でも共用体育館かあ」
 
「建設費がたぶん100億円近くかかるからね。さすがに1チームだけでは建てきれない」
 
「体育館を建てるのってそのくらい掛かるのか」
「いや、もう億と言われた時点で思考停止してしまう。高いんだか安いんだか分からない」
 
「最初は50億円程度で3000人程度収容の体育館を建てるつもりだったんだよ。でも計画進めているうちに、ローキューツのオーナーから、5000人収容にしてコンサートにも使えるものにしたいという意見が出てね」
 
「ローズ+リリーのケイさんか!」
 
「5000人ならアリーナ席も設置したら7000人くらい入るから。今首都圏は大きな会場が不足しているんだよねえ。ケイは3割出すと言ってるし」
「100億の3割と言ったら、えっと・・・」
「30億!」
 
「なんか数字が大きすぎてピンと来ない」
 

「でも4月から始めるクロスリーグだけどさ」
と橘花が言う。
 
「ジョイフルゴールドは強い。レッドインパルスは無茶苦茶強い。うちは千里が抜けるのが苦しいけど、他のメンツもかなり成長してきたし、これに聖子も加入したし、渚紗はきっと千里の穴を埋めるべく頑張るだろうし、何とかその2チームに食らいついていけると思う」
 
「ローキューツがちょっと心配だよね」
とリリムが橘花の言葉を先読みして言った。
 
「いや、それを言おうとした所」
と橘花。
 
「ローキューツとの対戦では少し手加減した方がいいのかなあ。あそこ薫も引退したみたいだしさぁ」
と橘花が言ったが
 
「あ、それは配慮不要」
と千里は明快に断言する。
 
「物凄い新戦力が入ったみたいよ」
「ほんとに!?」
 
「旭川L女子校卒の黒川アミラでしょ?あの子、背が高いけど見かけ倒しでわりと不器用だよ」
 
と北海道系の情報を一応押さえている暢子が言うが
 
「アミラも凄いけど、須佐ミナミが物凄い」
と千里は言った。
 
「誰それ!?」
 
「つい数日前に加入した。インカレ経験者。だから手加減しようなんて思ったら痛い目に遭うよ。全力で行かなきゃ」
と千里。
 
「いや、それは良かった。こちらも全力で行けたら、それこそ望む所だ」
と橘花は言った。
 

19時からのパーティーは、飲んでいる子が多いので、21時に中締めを宣言しても、みんな全く帰る様子が無く、22時すぎてからやっとぼちぼち帰る子が出て、23時近くなってから
 
「しまった。終電の時間だ!」
と言って慌てて帰る子が出始める。
 
結局23時半になってから
「24時で鍵を閉めるから。まだ飲みたい人は各自自主的に場所を移動して飲んで」
と夕子が言ったので、やっと解散の雰囲気になった。
 
「浩子ちゃん、片付けは明日でいいよ。今日はもう帰ろう」
と潤さんも言うので、
 
「じゃ放置して帰りましょう」
ということで、全員24時までに退去した。
 
千里はお酒は飲んでいないので《きーちゃん》に
「付き合わせてごめんねー」
と言って、彼女を吸収して自分でアテンザを運転して、経堂のアパートに帰還した。
 

「ただいまあ。桃香、遅くなってごめん」
と言って部屋に入ると、桃香が
 
「お帰り。実はうちの高知の祖父さんが死んだんだ。千里一緒に来れる?」
と聞いた。
 
「和彦(にぎひこ)じいさん?」
「うん」
 
「ありゃあ。いくつだっけ?」
「昨日、4月4日に100歳の誕生日を近くに住む孫・曾孫とかだけ集まってしたんだよ。夕方までは元気だったらしいんだけど、22時すぎに亡くなったらしい」
 
「わあ。100歳の誕生日に逝ったのか」
「まあ大往生だね」
「私は8日の夕方から合宿に入るけど、それまでなら動けるよ」
「じゃ一緒に行こう」
「うん」
 

それで桃香が朋子と連絡を取りながら、取り敢えず行きのチケットを確保する。
 
「羽田から高知空港に飛んで、その後はレンタカーかな?」
「たぶんそうなると思う」
 
「館山の洋彦伯父たちが、一緒の便で行こうと言ってる」
「ああ、できるだけまとまってレンタカー借りた方がいいよね。お母さんたちは?」
 
「母ちゃんたちは金沢まで車で走ってサンダーバードの始発に乗って、伊丹から高知空港に着く。こちらもほぼ同じ時刻に着く便に乗るぞ」
 
金沢535-8:22大阪 伊丹10:20-11:05高知空港
羽田9:50-1115高知空港
 
「じゃ6人でレンタカーを借りればいいのかな?」
「うん。そうなりそう。ミニバンを借りればいいかな」
 
そんなことを言っていたら、青葉のフィアンセである彪志君も行くという話が飛び込んでくる。
 
「まだ正式に婚約した訳ではないけど、まあいいだろうね」
「じゃミニバンに7人乗りかな」
 

航空券は洋彦夫婦の分まで4枚まとめて確保して千里のカードで決済、座席も確定させ、eチケットの控えを人数分プリントした。全ての作業(作業自体は桃香がしている。千里がしたら危ない)が終わったのは午前3時頃で
 
「千里、起こしてくれ」
と言って桃香は眠った。
 
「じゃ私も寝るか。たいちゃん起こしてね〜」
と言って千里も眠った。
 

千里は5時に目を覚まし、旅支度を調えた。
 
2時間しか寝ていないが、旅の途中で睡眠を補うつもりである。
 
自分の分と桃香の分の喪服を旅行用バッグに詰め、換えの服や下着なども入れる。朝ご飯を作りながらシンクに放置されている食器を洗って片付ける。6時過ぎに桃香を起こそうとした所で電話がある。千里はその件を手配してから桃香を起こした。桃香は半分眠ったような状態で朝御飯を食べた。
 

7時にアパートを出て経堂駅から小田急に乗る。何度か乗り換えて1時間ほどで羽田空港第一ターミナルに入る。
 
ここでうまく彪志および洋彦夫妻と落ち合うことができたので、eチケットの控えを全員に配ってから荷物をカウンターで預け、保安検査場を通る。そして9:50の飛行機に無事乗ることができた。
 
「飛行機の乗り方が変わってたからびっくりした!」
と恵奈が言っていた。
 
高知空港に到着すると、まず朋子・青葉と落ち合うことができたが、洋彦が
 
「あっ」
と言って走っていき、女子大生くらいの女の子を捕まえる。
 
「おーい!」
 
「ああ、おじさん!」
とその女の子は振り返って笑顔で言った。
 
「初めてだったよね。こちら朋子ちゃんが養女にした青葉ちゃん」
「初めまして、青葉です」
 
「こちらは桃香ちゃんの奥さんの千里ちゃん」
「初めまして、千里と申します」
 
「へー!桃香ちゃん、女の人と結婚したんだ?さっすが!」
と彼女は感激している。
 
「こちらも初めまして。私、・・・」
と言いかけたところで洋彦が停める。
 
「待った、待った。ここでクイズです。この子の名前は何と読むでしょう?」
と言って洋彦は
 
《花山月音》
 
と彼女の名前を書いた。すると青葉も千里もそれを見た瞬間
「かやま・だいな」
 
と読んでしまったので、洋彦がびっくりしたし、本人も超びっくりしていた。
 
「ちゃんと読んでもらったの、私、初めて」
と本人は言っていた。
 
 
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【春社】(2)