【春動】(4)

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少し時間を戻して、1月2日の夜、青山家。
 
大晦日からこの家に泊まっている藤尾歩は
「では姫始めしまーす」
と言い、
「おお、頑張れ」
と言う義兄たちに手を振った。
 
恥ずかしがっている広紀の手を握り、部屋に引き籠もる。
 
部屋には布団が2つ並べて敷いてあり、ストーブも入っている。
「さあ、お嬢ちゃん、姫始めを始めようぜ」
と歩は言った。
 
「昨夜もしたじゃん」
と広紀。
 
「1月2日の夜にするのが姫始めだよ。昨夜のは姫試し」
「何それ!?」
 
広紀は灯りを消した上で片方の布団に潜り込むと、時間節約で、自主的に服を脱いで裸になった。
 
『ぼくこのまま歩の奧さんでもいいかもねー』
と広紀は思った。ウェディングドレス着るの少し恥ずかしいけど、頑張ろう、などと考えている。
 
歩は自分も服を脱いで裸になると、広紀の布団の中に潜り込み、まずは広紀の乳首を舐める。
「あ」
と広紀が声を漏らすので
『可愛い!』
と思う。
 
充分舐めて広紀が昂揚しているのを感じ取り、彼女の秘所に指を当ててゆっくりと回転運動を掛ける。
「あん」
と広紀が声を出すので、歩自身の心も昂揚する。刺激している内に広紀が濡れてくるのを感じる。そろそろいいかな?
 
「じゃ入れるよ」
「うん」
 
それで歩は“連結用のプラグ”を“コネクタのジャック”に差し込もうとしたのだが
 
「あれ?」
と声を挙げる。
 
「どうしたの?」
と広紀。
「ぼくのちんちんが無くなってる」
と歩。
 
「嘘!?」
 
歩は部屋の灯りを点けて、布団もめぐる。広紀が恥ずかしそうに両腕を交差させて胸を隠す。
 
「あゆみん、女の子になっちゃったの?」
「うーん。ぼく、どうも性転換してしまったようだ」
と歩は言った。
 

「なんでそうなっちゃったんだろう?」
「もしかしたら、男の身体になったのはも何か一時的な一種の勃起状態で、それが落ち着いて、元の女の身体に戻ったのかも」
 
「勃起(ぼっき)状態??」
「あ、間違い。励起(れいき)状態」
 
いや、わざと言ってるだろ?睾丸が付いてたせいか、最近の歩は物凄くスケベだ。まるで脳細胞が全て性欲でてきているかのようだ。昼間いきなりバイブのスイッチを入れられて悲鳴をあげそうになったこともある。屋根の上で作業している時にやらないで欲しい(←お前たち仕事中だぞ!)。運転しながら悪戯したりするし(←その内事故起こすぞ)。
 
「あゆみんが女に戻ったのなら、ぼくもその内、男の子に戻れるのかなあ」
と広紀が言うと
 
「それはいけない。広紀が男に戻る前に姫始めをしなくちゃ」
と言って、歩は結局、女体に戻ったまま、広紀の上にかぶさった。
 
「でもちんちん無いのに?」
「ちんちんくらい無くても、女の子とセックスするのには支障は無い」
「そうなの!?」
 
それで2人は姫始めをしたが、普段のセックスとあまり変わらないので、歩って、ちんちんとたまたまが物理的に無くなっても、ヴァーチャルには存在しているのでは?と広紀は思った。
 
そういう訳で、1月2日の夜、彼女たちの事業部員最後の睾丸が、歩の股間から消滅したのであった。
 

それより半日前。1月2日の朝。
 
「富山県の一宮(いちのみや)ってどこだったっけ?」
と、まだ高岡に居た桃香(桃香A)は朋子に訊いた。
 
「どこだっけ?」
というので、朋子は東京に居る青葉に電話してみた(青葉は1月1日の内に小浜から東京に移動している)。
 
「越中国の一宮と称される神社は4つある」
「4つもあるの!?」
「ひとつがうちのすぐ近くの気多神社(けたじんじゃ)」
「ここ一宮だったんだ!」
 
「ひとつが南砺(なんと)市の高瀬神社、ひとつが射水(いみず)市の射水神社、あとひとつが立山の山の上にある雄山神社」
 
「立山の山の上では気軽に行けないね」
「夏の間しか近づけないよ。あんな所に冬でも行けるのは、ちー姉くらいだと思う。でも麓に中宮祈願殿、その更に手前に前立社壇というのがあって、前立社壇なら地鉄(富山地方鉄道)ですぐそばまで行けるから、初詣はそこに行く人が多いと思う」
「なるほどー」
 
「越中国一宮については、この4社を挙げる資料と、高瀬神社・気多神社のみを挙げる資料がある」
「だったら、気多神社って意外に凄いんだ!」
「近所だし、初詣はそこに行けば?」
「だねー」
と朋子は答えたのだが、桃香は
 
「こんな近い所に行ってもありがたみが無い。適度に苦労する所まで行こう」
などと言う。
 
気多神社は、青葉邸からは、ほぼ「裏山」の感覚である。
 
季里子は
「なんでわざわざ苦労しないといけないのよ」
と言う。全くである。
 
「青葉、お隣の新潟県や石川県の一宮はどこ?」
 
「越後国一宮は弥彦(やひこ)神社、あるいは直江津の居多(こた)神社、加賀国一宮は白山市(はくさんし)の白山比咩(しらやまひめ)神社、能登国一宮は羽咋市(はくいし)の気多(けた)大社。直江津の居多神社とうちのそばの気多神社は羽咋・気多大社の苗裔神(びょうえいしん)つまり子供の神社だよ」
 
(気多大社の主要な苗裔神としては、伏木の気多神社、直江津の居多神社、飛騨市の気多若宮神社、小松市の気多御子神社、兵庫県豊岡市の気多神社の5社が挙げられる。伏木は元々越中国国府があった場所で、伏木の気多神社は、気多大社の国府遙拝所が発展したものとも言われる)
 
「弥彦神社は参拝客多そうだなあ。直江津と羽咋(はくい)と白山(はくさん)ってどれが近いんだっけ?」
 
「そりゃ羽咋がいちばん近い。羽咋までは氷見(ひみ)から国道415号を越えたら40kmくらい。津幡経由でも70kmくらい。少し遠回りだけど道は圧倒的にこちらがいい。どっちみち1時間ちょっと。白山比咩神社までは80kmくらいで金沢市内が渋滞するし、市街地から先の道路状態が悪くてスピード出せないし混みやすいから2時間以上かかる。直江津までは150kmくらいで、そもそも高岡市内で小杉ICまで行くのに時間掛かるし、上越市内も混みそうだから3時間掛以上掛かると思う」
 
「よし、直江津はさすがに時間かかりそうだし、白山比咩神社に行こう」
 
「え〜〜〜!?」
と声を挙げたのは季里子である。
 

それで、青葉家に居るメンツは、わざわざ金沢市の西側・白山市(旧鶴来町)にある白山比咩(しらやまひめ)神社まで初詣に出掛けたのである。
 
2台の車に分乗する。
 
マーチニスモ(青葉の車)季里子・桃香・来紗・伊鈴
アクアのアクア(朋子の車)朋子・京平・由美・緩菜
 
京平は助手席でジュニアシートに座らせた(早月は千里と一緒に小浜に行っている)。
 
それで道を知っている朋子が先を行き、季里子がそれを追尾した。距離が離れたら桃香が京平に電話するように言っておいた。それで朋子のスマホを京平が持つ。京平は電話係である。小学生の来紗・伊鈴より幼稚園児の京平の方がしっかりしているので、京平に頼んだ。
 
朝10時くらいに出て、お昼頃、やっと白山比咩神社の駐車場まで辿り着く。
 
三ヶ日なので車が無茶苦茶多い。うまい具合に2つ並んで空いている所があったのでそこに駐めるが、地面は雪だらけなので、隣とあまり近づきすぎないように慎重に駐めた。季里子にはさすがにこの状態で駐めるのは厳しいので2台とも朋子が駐車させた。
 
「お義母さん、済みません」
「いやいや、これは雪道に慣れてる人でないと厳しいよ」
「ちょっとアクセル踏みすぎたら、後ろの車にぶつけそう」
「恐いよね」
 
「普段なら反対側から突き抜けるのだが」
と桃香が言っているが、
 
「桃香なら普段でも隣の車にぶつけそうで恐い」
と季里子は言う。
 

子供たちがお腹空いたと言うので、先に途中で買ってきたお弁当を車内で食べた。
 
その後でみんなトイレに行ってから参拝するが、雪道で子供たちは楽しそうにはしゃいでいた。
 
ソーシャル・ディスタンスを空けて並び、祈祷の申し込みをして控室に入り順番を待つ。
 
走り回って叱られたので、由美と緩菜はおとなしく桃香のそばに座っていた。
 
その時、緩菜は一瞬、千里の気配を感じて
「お母ちゃん!?」
と呟きながら、ある方向を見た。
 
そこには若いカップル?が座っているが、その紋付き袴の女性?と、隣の振袖の男性?に緩菜は千里の気配を感じたのである。
 
「うーん・・・・」
 
緩菜の見る感じ、性別逆転カップルっぽい。お母ちゃんの気配を感じるということは、この2人、お母ちゃんの“犠牲者”ではなかろうかと思った。きっと無意識に性転換しちゃったんだ!
 
『おにいちゃん』
と緩菜は京平に脳間通信で呼びかけた。
『なあに?』
『このボールをあそこの振袖着てる男の娘さんの隣の紋付き袴着てる男装女子さんの足元に転がして』
と伝えて、持って来ている手鞠を渡す。
『いいよ』
と言って、京平はいかにも“うっかり落とした”ような振りをして、ボールをその紋付き袴の女性の足元に転がした。
 
「あ。ごめん」
と京平が言う(演技力が無いのでわざとらしい)。
 
緩菜がボールを追いかけて行く。
 

紋付き袴を着た歩は、足元に転がってきたボールを反射的に停め、駆け寄ってきた小さな女の子に渡した。
「はい」
「お兄さん、ありがとう」
と言って緩菜は歩に微笑んだ。
「どういたしまして」
と歩。
 
それで緩菜はボールを受け取ったついでに、歩の手にも触れた。そして緩菜は隣に座っている広紀に
「あ、お姉さん、何か付いてる(憑いてる?)」
と言って、彼女の振袖の袖口付近を払う(祓う?)ようにし、本人の手にも触れた。
 
「ありがとう」
と広紀が言った。
 
『これで2人とも元の性別に戻れるんじゃないかなあ』
と思いながら、緩菜は手鞠を持って桃香の所に戻った。
 

結構な時間待ってやっと昇殿祈祷してもらい、お守りや撤饌・御神酒などを頂いて社殿を出る。おみくじを引くと、みんな吉や大吉だったが、桃香だけ凶だった。
 
「お正月は凶を減らしてると思うのに、それで凶を引く桃香は凄い」
と季里子は言っていた。
 
「恋愛運凶と書かれている」
「つまり浮気は失敗するということね」
 
それで帰ろうとするのだが、朋子も季里子もどの付近に車を駐めたか不確かだった。
 
「どの辺だったっけ?」
「うーん・・・」
「なんか辿り着くだけで疲れたからなあ」
 
京平と緩菜が顔を見合わせる。
「緩菜が分かるみたいだよ」
と京平が言う。
「ホントに?」
 
それで半信半疑で緩菜に付いていくと、ちゃんとマーチとアクアが並んでいる所に辿り着けた。
「緩菜ちゃんすごーい!」
 
「この子はお母ちゃん譲りでこういうの得意なんだよ。ぼくはお父ちゃん譲りで、すぐ迷子になる」(*9)
などと京平は言っていた。
 
季里子は、確かに千里さんは道に迷ったことないと言ってたもんなあと思ったが、朋子は、美映さんって方向感覚いいのかな?などと思っていた。
 

(*9) 貴司もわりとよく迷子になるが。阿倍子はかなり酷い方向音痴である。貴司と阿倍子の馴れそめも、阿倍子がホテルの部屋を間違ったのが原因だった。阿倍子と京平の組合せは最悪で、梅田の地下街を2時間さまよったこともある。
 
なお、京平は法的には貴司と阿倍子の子だが、本当は貴司と千里の子。緩菜は法的には貴司と美映の子だが、本当は信次と千里の子。つまりふたりは法的には同父異母兄妹だが、実際は異父同母兄妹である。
 
↓4人の関係
 
_京平|早月|緩菜|由美
京−−|捻れ|同母|××
早捻れ|−−|捻れ|同母
緩同母|捻れ|−−|同父
由××|同母|同父|−−
 
(京平と由美だけが無関係。他の組合せは全て親の片方が共通)
 

さて、桃香たちより少し前に初詣に来ていた青山一家も、社殿を出た後駐車場に来て「どこに駐めたっけ?」と悩んでしまった。
 
「これだけ駐車場が広いと、ぐるっと回って探すのも大変そう」
「雪降ってて車に積もってるし、一回りしても見付けきれないかも」
「うーん・・・」
 
結局、動きやすい服装をしている広紀の兄2人が、反対方向に駐車場を一周して探すことになる。そして次兄が“長兄とすれ違った後で”見付けて、全員を呼び寄せた。
 
「こんな所にあったのか。気がつかなかった」
と長兄。
 
「雪かぶってるからね〜」
と父。
 
「こんな所に駐めたっけ?」
と母。
 
「まあ車が勝手に移動する訳無いからここに駐めたんだろうね」
と広紀。
 
「まあ辿り着くまでに結構疲れたからね」
と三男。
 
「いっそ、こういうの、入口付近で駐めて、参拝している間にどんどん出口の方に移動させて出口近くで受け取るって訳にはいかないのかなあ。そしたらいつかは前の方に押し出されてくるから、それ待ってれば乗ることができる」
などと歩が言う。
 
「それどうやって移動させるのさ?」
と広紀。
 
「うーん。立体駐車場みたいなプレートの上に車を駐めるようにして、そのプレートを横に移動させていけばいいんじゃない?」
 
「途中の車が抜けた場合は?」
と広紀が呆れて訊く。
 
「えっと、その場合は空いたプレートも列から外れて末尾に戻る」
と歩。
 
「そんな複雑な機構なんてすぐ故障するに決まってる」
と広紀は断言する。
 
「そうかなあ。いいアイデアだと思ったのに」
と歩はまだ言っていた。
 

さて、『北陸霊界探訪』の編集部(他にもいくつかの番組を担当している神谷内ディレクターおよび幸花サブディレクター+用も無いのに放送局に来て常駐している明恵・真珠)は、12月の同番組でとりあげた『妖怪足つかみ/転ばぬ先の糸』の後、3月の番組で取りあげるネタを検討していた。
 
「今度は妖怪枕返しを追いかけるとかは?」
「妖怪足つかみも雲を掴むような話だったけど、それは更に雲を掴むような話だ」
「そもそも枕返しには実害が無いと思う」
「一反木綿」
「目撃例は多いだろうけどね」
「塗り壁」
「あれは少し休みなさいということだと思う」
「ヒダル餓鬼」
「それは非常食の大切さを言っているのだと思う」
 
「やはり予備選力って大事だよね〜」
「そそ。いつもいっぱいいっぱいでは、いざという時に破綻する」
 
「そうだ。初海ちゃんの妹さんがこちらに来てもいいかと言ってるらしい」
「何歳?」
「4つ下らしいんですよ。だから今高校2年生」
「それは予備戦力として貴重だ」
「一度連れてきてと言っといて」
 
「私たちがお嫁さんに行った後の後継者になるかも」
「向こうが先にお嫁さんに行ったりして」
「むむむ」
 
君たち、大学を出たら就職とかする気は?
 
「子泣きじじい」
「赤ちゃんって起きてる時はいいけど、眠るととたん重たくなるらしいよ」
「親はたいへんだ」
「小豆研ぎ」
「あれも意味不明な妖怪だ」
「この手の愉快犯的な妖怪ってわりと多いよね」
「おとろし」
「あれは神棚を守ってくれている妖怪らしいよ」
 

若い女の子が局内で暇そうにしていると、結構雑用に徴用される。初海も含めてバイクが使えるので、お使いなどの用事もこなしていた。受験シーズンなので、追い込みに入る受験生の様子を学習塾に取材したり、受験祈願に訪れる人たちを金沢市内で菅原道真公を祭る田井菅原神社・椿原天満宮(この2つはすぐ近くにある)などからレポートした。(北陸には実は“菅原神社”がひじょうに多い)
 
その日、明恵と真珠は、報道部の箕山ディレクターおよび女性カメラマンの長山と一緒にS市の小さな私設美術館に来ていた。
 
「これは凄いですね」
と真珠が声を挙げた。
 
「何体くらいあるんですか?」
「全部で4000体くらいですね。実は私も数えきれなくなりました」
とオーナーの渡辺さんは言う。
 
美術館内には、物凄く多数のビスクドールが並んでいるのである。
 
オーナーさんは言う。
「私、子供の頃から、この西洋のビスクドールが好きで、お小遣いでよく買ってたんです。その私が少女時代に買い集めた子たちは、ここではなく、館長室に置いています」
 
「ああ、その子たちには特別な思い入れがありますよね」
「そうなんですよ。後に私、ヴァイオリンでドイツに3年ほど留学したので、その時期に毎週のように買いに行ってました」
 
「ああ、本職はヴァイオリニストさんですか」
「いえ。そちらは結局物にならなくて。帰国後複数の楽団で演奏しましたが、体力の限界を感じて32歳で3人目の妊娠を機会に引退しました」
 
「オーケストラは体力使うでしょうね!」
 
「ちなみにその後のお仕事は?」
「私、ソリストやるほどの腕も無かったし、夫がここS市の出身で、里帰りしてレストランを始めたいと言うので、レストランの看板娘ですね」
 
「大転身ですね」
 
「ええ。まあメイン看板娘の地位は、その後、娘に譲りましたが。今は私がグランド看板娘、娘がシニア看板娘で、孫娘がジュニア看板娘です」
 
「オー、グランド・マスコット・ガール!」
「あ、その言い方面白い。もらった!」
 
(真珠のアドリブだったが、気に入ってもらえたようだ)
 
「幸運にも、お店が好調だったお陰で、趣味の人形コレクションを続けられました。最初の頃は私の給料は5万円、少し好調になってからは10万円になったんですが、そのお給料をほとんどお人形さんに注ぎ込んでましたね」
「ごはん食べられないじゃないですか」
「子供の食べ残しを恵んでもらってました」
「なんか壮絶な生活だ」
 
「でもお店にたくさんビスクドールを並べていると、人形のあるレストランというので、雑誌にも紹介されて、わざわざそれを見るのに来て下さる方もあったんですよ」
 
「それは来たくなりますよ」
「その内、店舗と分けて人形展示室を作って。この美術館はその展示室が発展したものですね。今でもレストランにも数十体のドールを置いていますが」
「なるほどー」
 

「ここに居る子たちは、ずっと子供の頃から買い集められたものなんですか」
 
「ドイツ留学中は、しょっちゅう買いに行くからお店の人と親しくなって、帰国してからも、しばしば送ってもらってたんですよ。その後、ネットのオークションで買い求めたり、他のコレクターさんが諸事情でコレクションをやめるのを丸ごと引き取ったりとかしてる内にこの量になりました」
 
「他のコレクターさんのを丸ごと引き取るのでドーンと増える気がする」
と明恵が言う。
 
「まさにそうなんですよ。私、20代の頃からたくさんお人形さんのお洋服を作ってお小遣い稼ぎしていたので、コレクターさんとのつながりも多くて。その縁で『養女にして下さる方を知りませんか』と訊かれることもあって」
 
「それで結局自分で引き取っちゃったと」
「そうなんですよ。随分養子縁組の仲介もしましたけどね」
 
「でもここ入場料安いですね」
「東京とかなら1000円くらい入場料取っても人が来るかも知れませんけど、こんな田舎では300円が限界です。これ以上安くするとマナーの悪い客が来そうなので、田舎では少し高めかも知れませんけど、300円+消費税30円あるいは、ケーキ・コーヒー付きで700円+消費税70円頂いています。実際はケーキ付きのチケットを買って下さる方が多いです」
 
「人形たちを見ながらお茶飲むのは素敵ですよ」
「そう言ってくださるかたが多いんですよ」
 
「それに無料とかだと躾の悪い子供とかが入ってきて壊されそうですよね」
「それで手摺りを作ったんですけど、あまり酷いようであればアクリルの板とか設置しなければならなくなるかも。本当は手に取って見ていただくのが理想なんですけどね」
 
(「コロナ終息までは人形に触るのはNGです」というのをテロップで流す)
 

「なんかビスクドールとかポーセリンドールとかチャイナドールとかアンティークドールとか、色々な言い方がありますよね」
と真珠が尋ねた(台本!)。
 
「はい。まず明快なのはチャイナドールとビスクドールの違いですね。釉薬を塗った陶器で作られたのがチャイナドールで、二度焼きの素焼きで作られたのがビスクドールです」
 
「ああ、ビスクドールは素焼きなんですね」
「そうです。そうです。これってお菓子のビスケットと同じ語源なんですよ」
「そうだったんですか!」
 
「どちらもフランス語の bis cuit 二度焼いたという意味です。ビスケットというのは、普通のパンを長期保存するために再度焼いたものですよね。ビスクドールも多層に着色して、その度に焼いて定着させていきます」
「茶碗の絵付けと同じですね」
「そうです、そうです。あれと同じ技法なんですよ」
とオーナーさん。
 
「そしてチャイナドールとビスクドールの総称が、ポーセリンドールです」
「なるほど」
 
「ちなみにチャイナドールとは言うけど、中国とは無関係ですよね(台本!)」
「はい。このチャイナは陶磁器という意味です。ボーンチャイナのチャイナと同じですね。ちなみにジャパンは漆器の意味ですよね」
 
「乾燥した気候の中国と、湿度が高く樹木の豊かな日本の各々代表的な文化と思われたんでしょうかね」
「そうかも知れないですね」
 

「アンティークドールというのは?」
「それは1930年より前に作られたポーセリンドールのことですね」
「1930年というのは何か明確な線があるのですか?(台本!!)」
 
「1930年(6月17日)にアメリカで関税法が改訂されて、アメリカは輸入品に高率の関税を掛けるようになりました。諸国は報復でアメリカ製品に高率の関税を掛けました。これで大消費地のアメリカでヨーロッパの生産物が販売できなくなって、世界中が大不況になるんですよ。これが大恐慌の引き金になったとも言われます。これで多数の人形メーカーが潰れたんですよ(*10)」
「わぁ・・・」
 
「だから、それ以前の古き良き時代に作られたのがアンティークドールですね」
「なるほどー」
 
「そちらのガラスケースの中に並べられているのが、そのアンティークドールたちです」
「さすがに、90年以上生きて来たお姉様方は特別扱いですね」
 
「はい。あの子たちはガラス越しに眺めるだけにして頂きます」
「貴重なものでしょうからね」
「はい」
 
(*10) 筆者の手元にポーセリンドールのメーカー一覧があるが、ここに載っているドイツの人形メーカー58社の内、1930年に閉鎖または製造中止したメーカーが15社もある。1932年までに閉鎖されたものが8社、1930年代閉鎖が13社。
 

「ここに居るお人形たちって、圧倒的に女の子が多くて、まるで女子校みたいですけども何人か男の子もいますね」
 
「はい。ビスクドールというと、女の子人形というイメージが大きいのですが、実際には当時男の子人形も結構作られてて、メーカーによっては男女半々作っていたメーカーもあったんですよ」
 
「じゃ残っているのが女の子が多いんですか?」
「そのあたりは実はコレクターの間でも定見が無いのですが、ひょっとしたら、男の子たちは乱暴だからも男の子人形をもらっても壊しちゃったのかも」
「ありそう!!」
 
「それとドレスメーカーの要請で人形が作られるようになったから、女性の服を着せられる女の子人形が多く生産されたという説もあります」
 
「なるほどー」
 
「中には中性の子も居るんですよ」
「男の娘ですか?」
「中性的な顔立ちで作られていて、男の子の服も女の子の服も着せられるという子ですね」
「それは男の子の服と女の子の服を交互に着せたい」
 
「今ここに居る子、この子はジュモー社のトリステ(Triste)というお人形のリプロダクション(*11)ですが、この子が中性ドールですね」
と言って、オーナーさんはガラスケースの中の1体の人形を指し示す。
 
「今日は男の子の服を着てますね」
「はい。男の子が少ないので、こういう服を着せてますが、女の子の服でも行けますよ」
「確かにこの顔なら、女の子の服でも似合いそうな気がします」
 
(*11) 現存するアンティークドールから型(モールド)を取って、その型から生産した製品をリプロダクションと言う。そもそもビスクドールは1体1体微妙に顔が違うが、同じ型からリプロダクトした製品もやはり1体1体顔は違う。リプロダクトといっても、良質のものは、かなり高い価格になる。オーナーさんがガラスケースの中に入れていることからも、相当のお値段で買い求めたことが想像される。
 

「ビスクドールというのは、どうやって生れたんですか?」
 
「元々は1840年頃にドイツで素朴な磁器人形が作られ始めたんですよ。これは釉薬を使用したチャイナドールの形式で、髪の毛なども単に描いただけでした。ところが1860年頃にフランスでファッションドールというのが生まれます。これは、洋服の宣伝用に、陶器の人形にミニチュアの服を着せたものでした」
 
「マネキンみたいなものだったんですね」
「はい。ミニチュアですが。それで素敵なお洋服を着せるから、人形本体もどんどん素敵なものになっていき、ここで素焼きのビスクドールができていくんですよ」
 
「すると素朴なドイツ人形の下敷きがあった中、フランスで高性能の人形が作られていくんですね」
 
「そうなんです。より豊かな表情にするため、素焼きに絵付けをして二度焼く技法が発達しましたし、髪の毛もモヘアや人毛を使用するようになりました。また色々なポーズを取らせられるように関節が動かせるようになります」
 
「精密になっていったんですね」
 
「はい。このファッションドールはおとなの形をした人形だったのですが、この技法で、子供の形をした人形が、子供のおもちゃとして作られるようになりました。これをベベドールというのですが。そしてだいたい1860年代から1880年代が、フレンチドールの黄金時代だったと言われます。この時期の有名メーカーがジュモー(Jumeau)とかブリュ(Bru)ですね」
 
「どちらも有名ですよね」
と真珠。
 
「女の子なら知ってますよね。でも1890年代になると、ドイツにこの手の人形を作る産業が興ります」
とオーナーさん。
 
(でも取材陣の中で元々ジュモー・ブリュを知っていたのは真珠とカメラマンの長山さん(女性)のみで、男性のディレクターと明恵は知らなかった。真珠は小さい頃から女の子していて人形も買ってもらっていたが、明恵は女性指向を隠していたので、人形遊びの経験が無かった)
 
「それは1840年代の素朴な人形とは別ですね」
 
「はい。全く別のものです。ジャーマンドールは1890年代に隆興して量産方式で安価なビスクドールを生産し、市場を支配するようになります。フランスのメーカーは対抗してSFBJ (Societe Francaise de Fabrication de Bebes et Jouets) という組織を作るのですが、品質は1880年代よりも落ちていきました」
 
「売れないと品質は落ちるでしょうね」
「だと思いますよ。いい職人さえを雇えないもん」
 

「だからフレンチドール全盛期のジュモーやブリュとかの製品なら数百万円するものもありますが、1890年代のジャーマンドールなら数十万円、SFBJの製品は数千円からせいぜい数万円ですね」
 
「あはは」
 
「つまりフレンチドールは1880年代までのものと1890年代以降のものはまるで別物なんですね」
 
「そうなんですよ」
とオーナーさんも認める。
 
「唯一、ジュモーが細々と高品質のものを作り続けていただけですね」
「偉い」
「偉いですね。ジュモーは1958年まで生産を続けました。それでも私が生まれる前ですが」
 
年齢のことにはあまり触れない方がいいと判断して話題を変える。
 

「ちなみに1880年代までのフレンチドールと1890年代以降のジャーマンドールって、やはり様式に違いがあるのでしょうか?(台本)」
 
「人形本体の体型が違いますね。フレンチドールは肩幅が小さくてモデルさんみたいな体型、ジャーマンドールはある程度肩幅があって、普通の子供の体型をしています。どちらが好みかは人によります」
 
「確かに好みが分かれそう」
 
「顔の形などもフレンチドールはフランス人っぽい顔、ジャーマンドールはゲルマン民族っぽい顔と言われますね」
 
「ま、それは生産地の標準的な顔に近くなるでしょうね」
 
「そして最大の違いが目ですね」
「目ですか!」(台本のやりとり)
 
「1880年代以前のフレンチドールはペーパーウェイト・アイ(Paperweight eyes) と言って。球形のダラス玉をベースに、更にガラスを乗せることでうるうるした目になります。この系統の人形の目は丸く飛び出しているのが特徴です」
 
「これに対してジャーマンドールの目はガラスを吹いて作っていて、プローアイ(Blown eyes) (*12) と言います。ガラス玉を使ってないから軽量ですし、平坦に近く、より人間っぽい目になります。これもペーパーウェイトアイとブローアイのどちらが好きかというのは、コレクターによってもかなり意見が分かれるんですよ」
 
「それも分かれそう!」
 
「ちなみに人形を寝せると目を閉じるスリーピングアイ(sleep eyes) は、ブローアイでないと作れませんね」
 
「ああ!あれはドイツ式だったんですか!」
「似た仕掛けでキョロキョロと周囲を見回すフラーティアイ(Flirty eyes) というのもあります」
 
「プラスチックの人形にもいますね!確かに似たような仕組みで作れそう」
 
(*12) “吹いた”は“吹く” blow の過去分詞で blown (blow-blew-blown). 誤って brown と書いちゃうと“茶色”! brown eyesは「茶色の目」で、フランス人形にひじょうに多い。
 

「ジャーマンドールが輝いていたのが1890年代から1930年までですね。でも20世紀に入る頃から、今度はアメリカでも人形メーカーが多数できるんですよ。その中でも有名なのがキューピーですね」
 
「キューピーってセルロイドじゃないんですか!?」
「初期の頃はビスクドールを作っていたんです」
「へー!!」
 
「そして、関税法ショックの1930年代以降は、セルロイドを含めてビニール素材の人形が作られるようになって壊れやすいビスクドールは下火になってしまうんです。細々と少し高級な人形を欲しがる裕福な人向けの人形を作る人たちが残った程度で」
 
「あぁ」
 

「ちなみにセルロイド人形を大量に作ってヨーロッパに輸出したのが日本です」
「アメリカじゃないんだ!?」
 
「アメリカ生まれのセルロイト(*13)と歌いますよね。あの歌が作られたのが1921年なんですが、そこで野口雨情が歌ったのは確かにキューピー社のセルロイド製人形です。キューピー社は初期はビスクドールを作っていたのですが、この頃、セルロイドに移行したんですよ」
 
「待って下さい。“青い目の人形”ってフランス人形みたいな人形かと思ってました(台本!)」
 
「そこで混乱があるのですが、野口雨情作詞・本居長世作曲『青い眼の人形』が発表されたのは1921年で、その時に歌われたのはセルロイドで出来たキューピー人形でした。しかしその後、1927年に、日米友好の印としてアメリカの家庭から大量の人形が寄贈されて、日本の小学校などに届けられて、これも野口雨情の歌にちなんで、“青い目の人形”と呼ばれたんです」
 
「歌と人形は別だったんだ!」
 
「そこが混乱している人多いですよね。この時、アメリカから贈られた人形の大半は、アメリカの人形メーカーが作ったコンポジションドール、つまり、おがくずや粘度などを混ぜて成形したものにペイントした人形です。ごく一部ビスクドールもあったのですが、セルロイドはほとんど無かったと思います」
 
「セルロイドじゃなかったんだ!?」
 
「セルロイドの材料は樟脳(しょうのう=カンフル(camphor):サロンパスの原料!)なので、楠(くすのき)がたくさんある日本や台湾はセルロイドの大生産地だったんですよ」
 
「わあ」
 
「ああ、私の世界観が・・・」
と真珠が言っている。
 
(*13) 今日では「セルロイド」と呼ぶが、この歌の歌詞は「セルロイト」である。当時は celluloid の最後のdを濁らずに呼んでいたものと思われる。ただし近年の童謡の本では「セルロイド」と表記されていることが多い。
 

「1930年代以降、長くビスクドール冬の時代が続いたのですが、1977年になってアメリカで人形コレクターの Mildred Seeley という人が DAG (Doll Artisan Guild) という組織を設立して(後の Doll Artisan Guild International. Inc)、そこでポーセリンドールの製造技術を再発掘し、人形作家たちを教育し、良質のポーセリンドールを再び生み出していこうという動きが始まりました。そして人形作家を夢見る世界中の若い人がそこで学んで、再び良質の人形が作られるようになったんです」
 
「半世紀ぶりの復興ですね」
「それで今ではまた高品質の人形が世界中で作られているんですよ」
 
「やはりビスクドールって世界中の女の子の憧れですもん。ずっと技術を受けついでいって欲しいですね」
 
「ほんとにそうですよね!」
 
と真珠と館長さんは台本外で意気投合していた。
 

「でも本当に壮観ですよね」
「ここ見に来て下さる方は、やはり若い女性が多いのですが、中には『この人形、夜中に動き回ったりしてませんよね?』とかおっしゃる方もありますよ」
 
「リアルですからね!」
と明恵。
 
「ちなみに動く子はここには居ないけど、しゃべる子とか、ミルクを飲む子は居ますよ」
「あ、ミルク飲み人形は友だちが持ってました。プラスチックですけど」
「プラスチック製のドールでもありますよね。しゃべる子は・・・」
と言って、オーナーさんは一体の人形を手に取る。
 
どこか触ると人形が「ママー」としゃべった!
「すごーい!」
オーナーさんが更に触ると今度は「パパー」としゃべった。
「2種類しゃべるんですか!?」
 
「この子はこの2種類の言葉を話せるんですよ」
「よく作られてますねー」
 
「結構色々な機能を持った子がいたんですよねー」
とオーナーさんは遠い目をして話した。
 
話が長くなりそうなので、ディレクターが「そろそろ話をまとめろ」というサインを送る。
 
「ちなみにこの子たち、本当に動き回ったりすることないですよね」
と真珠は尋ねる。
 
「どうでしょう。時々人形たちの配置が変わってる気もするのですが、たぶん気のせいです」
とオーナーさん。
 
「まあ人形が勝手に動くことはないでしょうね」
「だと思うんですけどね。人形が動き回らないようにする対策とかあったら是非教えてほしいです」
とオーナーさんは笑顔で言っていた。
 

この西洋人形美術館のレポートは1月9日(日)のローカル番組で放送されたが、『霊界探訪』のコンビが取材していたので、
 
「人形が本当に動いていたら、金沢ドイルさんの出番だな」
などという視聴者の声もあったようである(番組のハッシュタグを付けたツイッターの書き込みが20-30件見られた)。
 

1月12日には、明恵と初海が、カメラマンの吉沢さんとの3人で局のアクアに乗って示野のイオンタウンに来ていた。店内でやっていたイベントを取材して、車に戻ろうとした時、吉沢さんが
 
「どこに駐めたっけ?」
と言った。
 
「こっちですよ」
と言って、明恵が駐車場所まで連れて行く。
 
「よく覚えてるね!」
「覚えてなくても分かりますよ」
「そうなの?」
「川上さんなんかもこういうの見付けるの得意だよね」
と初海が言うと
 
「ああ、北陸ドイルさんね」
と吉沢さんが言うので
 
「金沢ドイルです!」
と明恵。
 
「あ、間違い間違い」
「金沢から北陸に勝手にグレードアップしたな」
 

「でもこういう広い駐車場で自分の車が分からなくなって、仕方ないから、順に1列ずつ見ていって、やっと見付けた時に「こんな所に駐めたっけ?」と思うこと無い?」
 
「私はどっちみち記憶が無いから、ここに駐めたのだろうと思います」
と初海。
 
「まあ車が勝手に動くわけないから、そこに駐めたんでしょうね」
と明恵。
 
「そうだよね。車がひとりで動いてたら、みんなびっくりするよね」
と吉沢さん。
 
「夜中だと誰も気付かないかもしれないけどね」
「それはきっと乗り逃げだ」
 

「これだけ多数の車が駐まってたら、鍵差しこみっぱなしとかの無防備な車が絶対4〜5台はあるだろうから、乗り逃げする気になったらできるだろうね」
と吉沢さんが言うと
 
「今取り敢えず周囲50mほどの範囲に鍵差してロックされてない車両が3台ありますよ」
と明恵が言う。
 
「マジ!?」
と吉沢さん。
 
「田舎町から出て来た人に無防備な人がいるんですよ。田舎だと車持ってく人なんて居ないから」
 
「でもドイルさんなら、一瞬でこの駐車場全体の無防備な車両見付けるだろうね」
 
などと言っていた時、明恵が
「あっ」
と声を挙げる。
 

「ちょっと来て」
と言うので、ふたりとも明恵に付いていく。
 
「あ、子供が!」
 
アイドリングしている軽自動車の中に2〜3歳くらいの子供が居て泣いているのである。
 
「この車両は・・・」
「ロックされてる」
「初海ちゃん、警備員さん呼んできて」
「うん」
 
それで初海が警備員を呼びにお店の方に走っていく。一方明恵は子供を励ます。明恵が声を掛けたので子供は泣き止んだが、不安そうな顔をしている。
 
やがて警備員が駆け付けてくる。電話連絡して館内放送したようだ。店では車の鍵を開けられる専門家も呼んだようである。
 
吉沢さんは局から応援を呼び、ひとりにはイベントを取材したビデオを渡す。ひとりは報道用に(子供を怯えさせないようなアングルから)撮影した。
 
子供は明恵と初海、それに来てくれた女性の警備員さんとで励まし続けた。明恵はずっと童謡を歌ってあげていた。
 

結局車の持ち主が来る前に専門家が到着し、金具を隙間に差しこんで窓を下げることに成功。子供を救出した(女性の警備員さんが抱えて引き出した)。
「念のため病院に運ぼう」
 
それで子供を病院に運び、警察も来て車の持ち主を照会したりしている内にやっと車の持ち主の女性が来た。持ち主は警官まで居るのでギョッとしたようである。
 
「すみません。子供は?」
と青ざめた顔で尋ねる。
 
「大丈夫そうには見えたけど、念のため病院に運んだよ」
と警官。
 
「ありがとうございます!自分の車を見付けきれなくなって。本棟側に駐めてた気がしたのですが、どうしても見付からないから、カーマの方にも行ってて、それでも見付からないから、今こちらに来た所で。こちらに駐めた記憶が無いのですが」
 
「車が勝手に移動する訳無いでしょ?それよりそもそも子供を残して車から離れちゃいかんでしょ?これ夏なら死んでるかも知れないよ」
 
「済みません、済みません」
と母親は泣きそうな顔である。
 
結局警官も付き添って病院に行く。それで子供が無事だったので、子供を抱きしめて泣いて「ごめんね、ごめんね」と言っていたという(応援で来た杉田さんが付いていったので、後でそちらから聞いた)。母親は警察から、たっぷり搾られたようである。
 
吉沢は、漆野報道部長とも電話で話し合った。それで、子供が無事だったこともあり、この件は報道しないことを決めた。
 
「しかしお店の駐車場に沢口さんを常備していたら、子供の車内放置死は防げるな」
「たまたま気付いただけです。こういうの体調にもよるし、やはり普通に警備員さんが巡回したほうがいいと思いますよ」
と明恵は言った。
 
そんな子供の命に関わるような作業、日常的にしていたら、身が持たない!
 
それで結局3時間近く閉じ込めがあった車のそばに居て、やっと自分たちの車の所に戻ったのだが、
 
「あれ?車がロックされてなかった」
「ああ」
「ごめーん。駆け付ける時にロックし忘れてたみたい」
「乗り逃げされなくて良かったですね」
 

翌日(1/13 Thu)夕方、『霊界探訪』編集局に幸花、そして明恵・真珠・初海の3人が集まっていた。
 
「くにちゃんとは上手くいってる?」
と初海が真珠に訊く。
 
「もちろん、もちろん。ぼく、大学出ても就職先見付からなかったら、くにちゃんと結婚しちゃおうかなあ」
「いいんじゃないの?それでどちらが奧さんなの?」
「そりゃ、くにちゃんが奧さんに決まってる。ぼく、料理あまりできないし」
「なるほどねー」
 
明恵は、この2人って、異性愛なのだろうか?男性同性愛なのだろうか?それとも女性同性愛なのだろうか?と疑問を感じた。戸籍上は男女だけど、心は2人とも男の子っぽい。でも邦生に男性機能があるようにはとても思えないから、もしかして2人はレスビアンセックスしている??
 
「ところでさ、次の『霊界探訪』のネタ無い?」
と幸花が訊くと
 
「それなんですけど、『動く人形の怪』とかはどうですか?」
と初海が言った。
 
「へー」
 
「昨日の事件の駐車場で、吉沢さんが『こんな所に駐めた記憶がないけど、車が勝手に移動する訳無いし』と言ってたし、あの母親も『ここに駐めた記憶が無い』と言って警官から『車が勝手に移動する訳無い』と言われてたじゃん」
と初海は明恵に言う。
 
その事件を幸花は知らなかったので、明恵がかいつまんで説明した。
 
「確かに車が見付からなくて、勝手に移動したりしてないよなと思うことあるよ」
と幸花も言っている。
 
「複数で来てて、車でお留守番してた人が、待っている間にひとりでどこか行ってきて、戻った時に別の場所に駐めてるというのはあるけどね」
 
「そういう時はたいていメールくれてますよね」
「でもそのメールに気付かないで前の場所で必死に探しているというのはある」
 
「車がさすがにひとりで勝手に動くのはナイトライダーとかでもない限り無いだろうけど、その手の話はわりとあるかもね」
 
「あるいは一種の乗り逃げだけど、ロックしてない車を誰かが勝手に移動したという可能性は無いこともない」
「かっこいい車とかだと運転してみたくなる人はいるかも」
「まあ昨日みたいなミラとかアクアではあり得ない」
「いや高い車は恐れ多いけど、安い車だと罪悪感が小さい可能性も」
「パチンコ屋の傘立てでは安い傘が盗られやすいという論理だな」
 
「でも確かに車がたくさん並んでるのって、人形がたくさん並んでるのと似た状況だよね!」
「でしょ?北陸寺社探訪でW神社に行った時も、夜中に人形が動くって話あったし」
 
それ言ったの初海じゃん!
 
「でも実際問題として人形が動いたりするもんなの?」
「位置が変わってる気がするというのは、よく言われるね。でもたいていは気のせいだと思う」
「やはり記憶の混乱だよね」
「そうだと思うよ」
 
「それって逆に、見てる人が不安がらないようにする仕組みが作れたらいいね」
「それは妖怪足つかみの解決の仕方と似ている気がする」
「確かに確かに」
 

4人でそんなことを話していたら、神谷内さんが入ってきた。
 
「ねえ、君たち、次の『霊界探訪』のネタ何か無い?」
というので、幸花は今話していた「動く人形」の話と、先日から何度か話していた「白いセダン」の話をした。
 
「白いセダンはスピード超過のワゴン車事件や脇道から飛び出す車に似てるね」
「でも話が曖昧すぎるんですよ」
「そうすると、動く人形の方が有望か」
「解決策が見付かればですが」
 
「ところで川上さんは、いつこちらに戻ってくるの?」
 
青葉が10月末からずっと東京方面に行っているため、結構な支障が起きているのである。
 
「北島康介杯が1月20日から23日まであるので、その後、24日に津幡組の他のメンバーと一緒にこちらに戻ると聞いてます」
 
「1月24日かぁ。事件にひととおりの結論を出してから番組としてまとめる必要があるから、半月程度で解決する必要があるなあ」
「結構厳しいですよね」
「じゃ24日に川上さんが戻って来たら、すぐこちらに顔を出してもらおう。次の大会は?」
 
「3月2日の“国際大会日本代表選手選考会”です。福岡で5月に開催される、世界水泳の代表選手を決める大会なので超重要な大会です。たぶん2月中旬くらいに熊谷に移動して、向こうで調整するのではないかと」
 
「だったら本当に時間無いじゃん!」
「練習も忙しいだろうけど、何とか時間を取ってもらいたいですよね」
 

とにかくドイルが戻るまでの間に、他のメンバーでまとめられるだけの情報をまとめることにする。
 
W神社、S市の西洋人形美術館にも再度お伺いし、今度は『北陸霊界探訪』の取材であることを言った上で、再度取材させて頂いた。W神社の宮司さんも「ああ、金沢ドイルさんの番組ですか。あの人凄いですね」と言って、協力してくれた。ついでに色々“怪しい”話もしてくれた。
 
実は神社でも手に負えない人形があって、慈眼芳子さんに処理してもらったことがあったことも話してくれた。これも番組内で(たぶん)放送することになる。
 
また金沢周辺の大型駐車場を持つ遊園地・寺社・ショッピングモールなどで、各々許可をもらって撮影した。またネットで、この手の情報を募集したら「車が勝手に動いたとしか思えない」という話がいくつも飛び込んで来た。3人ほど取材に応じてくれたので、顔を映さない・音声は変形するという条件で取材させてもらった。
 
また、自分ちの盆栽が時々位置を変えている気がするという人もあり、訪問したら盆栽が1000個くらい並んでいて壮観だった(これを自慢するのが目的だったりして!?)。
 

その日、邦生のマンションに女子行員が12人も来ていた。頼恵ちゃんの誕生パーティーということだった。でもこの人数で会話しながら飲食するのは禁止なので、マンションの3つの部屋に分かれて、彼女たちは会食していた。それで給仕係?の邦生と真珠は大変だった。
 
夜10時頃、パーティーはお開きとなり、みんな各々の部屋で適当に布団を敷いて寝てしまう。どう考えても人数に比べて布団の数が足りないと思ったが、何とかするのかも知れない。でもきっと朝には布団の取り合いになってる。コロナじゃなくても普通の風邪を引かなきゃいいけど、と邦生は思った。
 
「疲れたねー。ぼくたちも寝よう」
と真珠。
「お風呂入らなくていい?」
「明日の朝入る」
「それでもいいかもねー」
と言って、邦生と真珠はリビングの隅に自分たちの布団を敷いて寝る。
 
キスを交わしてから
「おやすみー」
と言って寝た。
 
“しよう”と言われたら、俺体力あるかなあと少し不安だったのだが、真珠も疲れたようである。
 

でも夜中ふと目が覚めたら、真珠が自分の上に乗っている!?
「まこ!?」
「寝てて、寝てて。ぼくが勝手にしてるから」
 
“してる”というか“入れられてる”!でも眠たいからいいやと思った。
 
「じゃ寝てるー」
と言って、邦生は(疲れているので)真珠にされながら寝ていた。
 
邦生は眠りに落ちて行きながら「俺妊娠しないよな?」と不安になった。
 

邦生と真珠は病院に来ていた。
 
「おめでとうございます。妊娠3ヶ月ですよ」
「わあ、凄い。くーにん、元気な赤ちゃん産んでね」
と真珠が言っていた。
 
え?やはり俺が産むの!?
 
ふたりは市役所に来ていた。
 
「おめでとうございます。妊娠中はふたりで協力して、無理しないようにしてね」
と窓口の担当保健婦さんは言っていた。それで邦生は「お母さんの氏名:吉田邦生」と名前が入った母子手帳をもらった。
 
ふたりは車屋さんに来ていた。
「くーにん、妊娠中はバイクは危険だから、通勤には四輪を使おう」
と真珠が言い、邦生はピンクのスズキ・スペーシアの前に立っていた。
 
俺がこんな可愛い車に乗るの!?
 
「くーにんの妊娠中、Ninja1000はぼくが使っていい?」
「まあいいけど」
 
「くーにんはこれ着けてね」
と言われて、邦生は大きくなりかけたお腹に、腹帯を巻いた。
 
「鼓動聞こえるかなあ?」
などと言って、真珠が邦生のお腹に耳を付けていた。
 

そこで目が覚めた!
 
「夢か!良かったぁ!」
と思う。
 
邦生は思わずお腹に手をやり、妊娠してるような兆候は無いことを確認した。
 
リビングに敷いた布団の中で、真珠は邦生の隣で幸せそうな顔で寝ていた。
 
自分が“入れられた”のは、夢なのか現実なのか、判然としない。取り敢えず邦生はトイレに行ったが少し“痛い”ので、やはり入れられたようだ。ほんとに俺妊娠しないよね?と不安がよぎる。トイレを出て再度真珠の隣に潜り込み、寝ている真珠の唇にキスしてから一眠りした。
 
ちなみにこの夜このマンションに泊まっていった邦生の同僚女子は12人ではなく6人である。集まったのは8人だったが、近い所に住む女子2人を峰代がタクシーに乗せて帰した。また料理を作ったり配膳するのはみんなで協力してやっていた。
 
峰代はコロナ対策の自主規制として、集まるのは最大9人、泊まるのは最大(邦生と真珠以外に)6人まで(1部屋に2人ずつ)としている。6人というのは3つの部屋に各々距離を置いて布団を敷いて寝られる人数である(距離を置いた上で、頭の向きは逆にする)。
 
(一応布団は各部屋の押し入れに3組ずつ入っているが当面2個までしか使わない)
 

1月18日(火).
 
職場で広紀が悩んでいるようなので、歩が声を掛けると
「仕事が終わった後で相談に乗って」
ということだった。それで夕方仕事が終わった後、歩のRX-8に一緒に乗って会社を出る(広紀のトコットは会社に置去り:つまり明日の朝はRX-8で一緒に出勤する)。
 
「実は生理が来ないなあと思って」
「へ?」
「女の子の身体になっちゃった後、ちょうど14日目の11月23日(火)に最初の生理が来たんだよね」
 
と広紀はダイアリーを見ながら言う。
 
「その27日後の12月20日(月)に2度目の生理が来た。だからその27日後の1月16日(日)に3度目の生理が来て良さそうなんだけど、今日(1/18)になってもまだ来ないんだよ」
 
「生理が乱れてるだけじゃない?ぼくなんて乱れすぎてて、訳が分からない感じ。15日で来たり90日くらい来なかったり。PMSとかは?」
 
「ここの所、ずっと体調悪い。何度か吐いたりもした。だからそれがPMSかと思ってたんだけど、その状態が続きすぎてるんだよね」
 
「単に消化不良だったりして」
 
「何か最近変な物食べたかなあとも考えてみたけど、心当たりはない。もちろんコロナじゃない。簡易検査キットで週2回検査されてるけど、昨日の検査でも陰性だった」
 
「うーん・・・・。体調が悪いのが続いてて、吐いたりして、来ると思ってた生理が来ないって、妊娠という可能性は?」
と歩は言った。
 
「妊娠!?僕が!??」
 
 
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【春動】(4)