【春足】(1)

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東京オリンピックの競泳は7月24日から8月1日まで行われた(津幡組が出場する種目は7/31までに終了した:最終日に行われたのは男女50m決勝, 男子1500m決勝,男女400mメドレーリレー決勝の5種目)。
 
津幡組の長距離女子はこのようにエントリーしていた。
 
幡山 400m 800m 1500m
川上 400im 800m 1500m
南野 400im 400m
金堂 400im 800m
竹下 400m 1500m
 
(im=individual medley 個人メドレー)
 
金堂は春の日本選手権では200imにも出場したのだが、彼女は本来中距離選手なのでスピード勝負の200では分が悪い(とは言っても日本記録保持者)。更に春はまだ一時の不調から完全回復していなかった。日本選手権では五輪派遣記録は超えたものの3位で五輪切符を逃した(本来五輪に出られるのは日本選手権2位まで。今回の長距離陣が3位まで出られたのは幡山・川上・金堂が世界水泳でメダルを取っていることから来た特例)
 
ところが7月25日のことである。東京北区のJISSで練習していた、200im女子代表(日本選手権2位)の広嘴さんが泳ぎ終わって離水し、更衣室に行こうとしていて、突然転んだ。
 
びっくりして周囲の人が歩み寄る。
「広嘴さん!」
 
今から泳ごうとしていた200m平泳ぎ代表の那珂さんが起こしてあげる。
「大丈夫?」
 
「突然足首を掴まれたような気がして」
「何か引っかかるようなものある?」
と言って数人が見渡すが、それらしきものは見当たらない。
 
広嘴さんは立ち上がろうとしたが
「痛っ」
と言って座り込んでしまった。
 
「足首が・・・」
「ひねるか何かした?」
「すごく痛い」
 
「動かしちゃだめ!」
「担架持って来て!」
それで担架が持って来られ、コーチ2人で医務室に運んだ。
 
医師は患部を見て言った。
 
「骨折してますね」
「え〜〜〜!?」
 

監督か飛んできて医師と話す。彼女が所属するスイミングクラブの代表者も来た。
 
本人は泳ぎたいと言う。オリンピックは4年に一度だ。しかも今回は1年延期され、やっと掴んだ代表の座である。彼女は日本選手権で2位になったのは初めてだ。しかも25歳という年齢は3年後のパリを狙うのは厳しい。
 
医師はこの状態で試合に出たら、歩けなくなるかも知れないと言う。そもそもこの状態では、まともにキックができず、記録も出ないと思うと言う。
 
監督たちは本人に辞退するよう説得した。本人はかなり抵抗したのだが、現実問題として歩くのもままならない状況では出場不可能ということで、彼女も泣く泣く辞退することを受け入れたのである。
 

夜21時過ぎ。深川アリーナのサブプールで練習していた金堂多江は、水連からの電話を受けた。強化部長なのでびっくりする。
 
「え〜!?広嘴さんが怪我したんですか」
「骨折で全治2ヶ月らしい」
「いったい何してて骨折とか」
「JISSのプールサイドで転んだらしいんだよ。今JISSのプールは一時閉鎖して業者に徹底的に清掃させている」
 
「うーん・・・」
「それで急で申し訳ないんだけど、明日の200m個人メドレー予選に出場してくれない?」
「やります」
と金堂は即答した。
 

それでこの日400imで金メダルを取り、次は29日の800m予選までずっと練習しているつもりでいた金堂は急遽200imにも出場することになり、彼女は連日のようにアクアティクス・センターに出て行くことになるのである。
 
24日 400iM Heats
25日 400iM Final
26日 200iM Heats
27日 200iM Semi-Final
28日 200iM Final
29日 800 Heats
30日
31日 800 Final
 

金堂はこの繰り上げ出場した200imでも金メダルを取り、400imと合わせて個人メドレー2冠となる。彼女は更に800m自由形でも銀メダルを取り、今回のオリンピックの中距離女王と呼ばれることになる。
 
今回の津幡組のメダル
 
金堂 200im(G) 400im(G) 800(S)
川上 800(G) 1500(G) 400im(B)
竹下 400(B) 1500(B)
筒石 400(G) 800(B)
 

津幡組は念のため五輪期間中は熊谷で待機し(白雪姫の“録音”をしていたのだが、青葉たちは気付かなかった)、8月9日にほとんどのメンバーが熊谷からA318で能登空港に帰還した。青葉はひとり残り、8/16-17に内容も知らされないまま“オーディション”に参加して、トップ合格してしまった。合格した後で、1年間アメリカに行って日食観測用の特殊な飛行機に乗る訓練を受けると聞かされ、嫌だ!アメリカに1年とか行きたくない!と思う。
 
すると翌日、水連から呼び出しがあり、鈴木大地会長自ら、青葉に現役継続の説得をされた。それで青葉は、現役継続すれば、日食観測の訓練の方は辞退できるという気持ちもあり、現役を継続することにした。
 
結果的に青葉のアナウンサー業は実質休業が続き、この春に辞表を提出していた青葉と同期のアナウンサー・森本メイは来年春まで仕事を続けることになる(体力がもたないと言って辞表を出していたのだが)。
 

さて、8月9日に北陸に帰還した津幡組であるが、筒石君康はジャネに
「オリンピックが終わったから結婚して欲しい」
と言った。
 
ジャネは7月31日に引退を表明したので、断る理由が無い。それで
「まあいいよ」
と言った。自分が結婚するんじゃないし!!
 
幡山ジャネ(≒水渓一二六:“みずたに・まそ” (*1))本人は君康と結婚生活などする気は無い。百万石スイミングクラブのコーチをしながら、水泳の練習自体は続けて小さな大会などに出場していくつもりでいる。君康と結婚するのは“幽霊の”マラ(水渓一六四“みずたに・まら” (*1))である。
 
(*1)マラもマソも“マラソン”から来た名前。42.195kmを尺貫法に変換すると十里二十六町四十七間一尺五寸になる。そこで上の方の数字を採り一二六で“マソ”と読んだ。マソが一度死んでから木倒サトギの身体に“うっかり”入ってしまった後は“マラ”を名乗り不本意にオカマさんをすることになるが、この時漢字は少しずらして一六四を使用した。仏教用語の魔羅とも、ブランドのマックスマーラとも無関係。ジャネはマソの生まれ変わりである。詳しい話は↓以下付近
j.pl/aoba5/57/_hr009
 

ジャネ自身は結婚には全く興味がないので、結婚式その他の話は両親に投げてしまった。君康の方も、水泳以外の事は全然分からない人なので、結局そちらも彼の両親が進めることにする。
 
かくして双方の親同士で話し合った結果、結婚式は8/21(土・友引)に行うことにした。話が決まってから急だが、両親としては、ジャネの気まぐれを知っているので、気が変わらない内にさっさと結婚させてしまおうという魂胆である。
 
それで場所は金沢市内のAホテルで、ネット形式で結婚式・披露宴をすることになったのである。青葉は19日に津幡に戻ってきて、明後日結婚式だと聞いてびっくりする。むろんネット結婚式・披露宴だから、服装とかも気にする必要がない。適当なドレス着ればいいかなと思った。御祝儀が分からない。素直に母に訊く。
 
「津幡組の幡山さんと筒石さんが結婚するんだけど、御祝儀いくらくらい包めばいいかなあ。200万くらい?」
 
「あんた、芸能界の習慣にハマって、一般的な相場が分からなくなってる。お友達なら3万も包めばいいと思うよ」
 
「そんなに少なくていいんだっけ?」
「ほんとあんた感覚がおかしくなってる」
 

それで青葉は指定の口座に3万円振り込んだのであった。ドレスは朋子に選んでもらい、当日メイクも朋子にしてもらった!
 
放送局に行く時もメイクはだいたい、母にしてもらうか、放送局にいつもたむろしている明恵や真珠にしてもらっている。
 
青葉の服装センスとメイク技術は全く進歩する気配が無い。
 
青葉が自分で服を選び自分でメイクしたら
「あの変なオカマのおばちゃん誰?」
とか言われかねない。1度青葉のメイクがあまりにも酷いので、読む予定だったニュースを急遽幸花が代わりに読んだこともある。それ以来、明恵と真珠は砂原室長から、「川上君のメイクを頼む」と言われている。
 
「でも何で明恵ちゃんも真珠ちゃんも、そんなにお化粧うまいの?」
「女の子ならできて当然」
「女の子でない、くにちゃんだって、上手いのに」
 
くにちゃんこと吉田邦生は彼女たちの3年先輩(青葉の同級生)だが、ここではだいたい「吉田」と呼び捨てされるか、“クニちゃん”である。“邦生”は本当は“ほうせい”と読むのだが、だいたい“くにお”と誤読される傾向がある。彼は銀行に勤めているのだが、同僚の女子たちからも“クニちゃん”と呼ばれている。
 
彼は性的にはストレート(本人談)だが、女性から警戒されないタイプなので、彼のアパートにはしばしば女性の同僚たちが泊まっていったりする(むろんHなことはしない)。それどころか彼女たち専用の衣裳ケースまで置かれていたりする。
 
吉田は女子の同僚たちからはゲイなのだろうと勝手に思われているようである。
 

披露宴のお料理は、青葉は多分出席してくれるだろうというのを見込んで、既に発送されており、前日の20日に到着した。ワイン付きである(シャンパンだと開けきれない人が続出するため)。当日は式の始まる少し前に料理をチンしておけばよい。
 
21日の午前10時から結婚式が行われ、ホテル内のロビーで人前結婚式の形で行われた。たぶん、神前結婚式とかにしてお祓いとかすると、マラ自身が祓われてしまう!からかもと青葉は思った。ジャネ(マソ)の方は、朝からプライベートプールに来て泳いでいるのを、青葉の眷属・笹竹が報告してくれている。
 
「大胆だなあ。火牛ホテルの自分の部屋でおとなしくしてればいいのに」
などと青葉は思った。
 

11:30からネット中継で披露宴が始まる。
 
披露宴の出席者だが、津幡組は全員参加している。高校生の竹下リルには参加費は無料でいいからと言ったらしいが、結局リルのお父さんが「せめて1万円は出しなさい」と言い、お金をくれたので、それを振り込んだらしい。彼女の所にはワインの代わりにサイダーが送られてきたという。未成年の金堂もサイダーである。
 
他には、百万石スイミングクラブの関係者、“スートラ”の玉梨乙子・桜アキナ!(青葉は彼女(?)たちの顔を見て頭が痛くなったが、声さえ出さなきゃ、普通のおばちゃんと出席者は思ってくれるだろう)、筒石が所属している会社の社長さん(東京からの接続)、彼が現在出向しているKS工業の社員さん数人、またK大学の関係者(角光先生、筒石と同期の猿田さん、圭織さん、そして吉田邦生!)、あとは双方の親族だが、結構遠方からの参加も多かったようである。
 

ジャネのお母さんが頼んだ司会者・前川瞳さん(元〒〒テレビアナウンサー)の「新郎新婦の入場です」の声とともに、桜池布恋のエレクトーン演奏でAKB48の『ヘビーローテーション』の音楽とともに新郎新婦が腕を組んで入場してくる。青葉は正直“マラはカメラに映るのか?”というのを心配していたのだが、どうもちゃんと見えているようである。
 
そして2人がメインテーブルに就こうとした時。
 
マラが転んじゃった!
 
びっくりして、新郎が助け起こす。
 
「すみませーん。突然足首を掴まれた気がしたんですが、きっと気のせいです」
とマラは言って、カメラに向かってお詫びに頭を数回下げてからメインテーブルに就いた。
 
多くの人がジャネは義足を使っているので、その問題で躓いたのだろうと思ったようだが、青葉は腕を組んだ。
 
マラは義足など使っていないのである。
 
すると金堂さんがオープンメッセージで書き込んだ。
 
「私は広嘴さんが怪我して繰り上げで五輪の200m個人メドレーに出たんだけど、その広嘴さんも“足首を誰かに掴まれた気がした”と言ってたんですよねー。ジャネさん、彼女みたいに骨折とかしなくて良かった」
 
まあ幽霊は骨折しないかもね!
 
しかし青葉はこの時、金堂さんの言葉を聞き流していた。
 

その後は、司会者による新郎新婦の紹介が行われ、マラが五輪入賞の賞状、筒石がオリンピックで取ったメダルを見せると歓声があがっていた。
 
筒石の会社の社長の音頭で乾杯が行われる。BGMは『Everyday、カチューシャ』だ。今日はAKBで攻めるつもりなのだろうか。
 
ケーキの入刀だが、司会者が『いつもの共同作業を』というと、出席者がみんな大笑いする。2人はもう3年も同棲していたので、今更『初めての共同作業』は白々しいと言って、ジャネ側からそういうセリフにしてと言ったらしい。
 
ここの音楽は『フライングゲット』なので、この音楽でも、くすくすと忍び笑いがある。
 
この後は、余興の時間となり、出席者がカラオケで歌う。ここでカラオケはネットでダイレクトに中継されて、出演者がネットで歌う。その歌と伴奏がネット全体に流れる。
 
こういう仕組みにしないと、たとえば伴奏をネット全体に流してそれに合わせて出席者が歌ったら、通信のタイムラグのために、他の人には伴奏と歌がずれて聞こえてしまう。
 
このあたりは結構難しいのである。多数のネット披露宴をやっているホテルだから、こういう問題もちゃんと理解している。
 
青葉はアクアが6月に出した『英光に向かって泳げ』あります?と訊くと「ありますよー」ということだったので、それを歌った。
 
みんなの出し物が1時間ほど続いた所で両親への花束贈呈となる。布恋が弾くBGMは、いきものがかりの『ありがとう』である。AKBばかりじゃないんだなと思う。ジャネの両親は本当に泣いていた。彼女が1年間意識不明でずっと病院に入っていたことを考えると、今日の日は、ほんとうに涙が出てくるだろう。
 
そして新郎新婦がメンデルスゾーンの『結婚行進曲』に乗せて退場し、披露宴は終わった。
 
今夜は2人はこのホテルに泊まるが、新婚旅行はしないらしい。ご時世的にあまり旅行ができる状態でもないし、そもそも筒石は来年の世界水泳に向けて、ひたすら練習を積みたいところだろう。
 

青葉はネット披露宴が終わると、すぐに愛車のマーチ・ニスモ(赤いアクアは東京で明日香が借りっぱなし)で津幡に行く。プライベートプールに行くと、ジャネはひたすら泳いでいる。
 
「披露宴終わりましたよ」
「そっか。披露宴の間は誰も来ないだろうと思ってずっと泳いでいたんだけど、今日は上がるかな」
「誰かが泳ぎに来たら、変に思うでしょうしね」
 
それでジャネは
「またね」
と言ってあがる。
 

「青葉いつまでこちらに居る?」
とジャネが尋ねた。
 
「分かりませんけど、もしかしたら月末にまた東京に行くかも」
「あんたも忙しいね!」
「結局現役続けることにしたし、おかげで当面金沢のテレビ局にはほとんど出なくていいみたいです」
「福岡(世界水泳)では金メダル6個くらい取れよ」
「そんなに種目がありません!」
 
「男子の種目にも出るとか」
「すみません。女になってしまったので」
「それは残念、マラは男子の出場資格あるかなあ」
「幽霊には出場資格ない気がする」
「そうかもね」
などとジャネは言っていたが
 
「そうだ。筒石が結婚を機に家を建てたいと言ってるんだよ。こちらに居る間に、場所とかを見てあげてくれない?筒石が選んだら。絶対やばい土地とやばい工務店を選ぶからさ」
「でしょうね。世界水泳どころじゃなくなりかねません」
「見料30万くらい払うからさ」
「いいですよ」
 
土地の鑑定は“実費”が結構かかることが多いのである。土地鑑定は最低100万円と言う占い師さんもいる。青葉はお金の無い人からは3万程度しか取らないが、まあジャネからなら30万くらい受け取ってもいいかなと思った。
 

それで結婚式の翌日(8/22)、青葉はジャネと落ち合い、ジャネが下調べしていた、場所をまずは地図上で確認する。
 
この際、筒石は臨席させない!青葉とジャネだけで決めてしまおうという魂胆である。
 
「広さはどのくらいにするんですか?」
「子供はできないし、夫婦だけだから、そんなに面積は要らないと思うんだよね」
 
“子供ができない”というのは、“生身”のジャネは筒石とセックスする気は毛頭無いということだろう。幽霊のマラはたぶん子供を産むことはないだろう。そもそもマラ(の身体)は元男なので、生きていたとしても妊娠能力が無い。
 
「夫婦だけなら2DKもあればいいのかなあ。それともプール付きの家を建てます?」
「それいいかも知れない」
とジャネは“プール付き”の家に興味を持ったようである。
 
「50mプール作ります?」
「さすがに大きすぎる。25mプールで」
「だったら長辺が35m欲しいですね」
「必要だろうね」
 
プールのサイズに加えて、スタート台0.5m プールサイド2m とすると30mの長さが必要になる。敷地の端から50cm空ける必要があるし、壁の厚さを50cmとして最低32mの幅のある土地が必要という計算になる。35mあれば安心である。それでふたりで、津幡アリーナからあまり遠くない場所で、1辺が35m程度以上の売り地をネットで探してみる。
 
「ちなみに予算はどのくらい?」
「君康の奴、会社に入って以来、給料もボーナスもほとんど使ってないんだよ」
「ああ」
「たから口座残高が5000万ある。それに私も3000万くらいはプラスできるよ」
「8000万の内、2000万円程度を土地代で使っても津幡町ならたぶん200坪の土地が買えます」
「一辺35mなら何坪になるんだっけ?」
「もう一辺を10mとすると90坪ですね」
「その広さでいい気がする。2人だけで暮らすのにそんなにあったら持てあます」
「確かに」
 
それで探していくと、40m×15m (180坪)の土地で800万という売り地があったのである。この日登録されたばかりである。但し津幡アリーナから10kmほど離れている。
 
「ここ地図で見る限りは問題ないですよ」
「10kmなんて車で10分だよね?」
「お巡りさんに捕まりたくなかったら15分にしましょう」
「それでも許容範囲だと思うなあ」
 
「じゃちょっと見に行ってみましょう」
 

筒石のボルボで現地に行ってみた(青葉が運転した:ジャネは運転できない。ジャネは一応運転免許を持っているが、それは実はマラが取ったものである)。
 
「ここ風水的にもいいですよ」
と青葉は羅盤で確認しながら言う。
 
「だったら買っちゃう?」
「買っちゃいますか?」
 
それで管理している不動産屋さんを呼び出した。ここは無指定地域だが、住宅を建てることは問題無いらしい。電気ガス水道については、もしかしたら引くのに一部負担が必要かも知れないという話だったが、そのくらいは許容範囲と考えた。家を建てている間に交渉すればいいだろう。千葉の神社でやったように水道管を自分で引いちゃう手もある。不動産屋さんに確認すると、確かに早く引きたい場合はその手が使えるということだった。
 
それでジャネはここを800万(+消費税80万)で買っちゃったのである。代金は即振り込み、土地譲渡の書類は翌日までに作って届けてくれた。
 

「青葉、安い工務店知ってるよね?」
「安いけど少し荒っぽいですよ」
「構わない構わない。雨風しのげればいい」
「じゃ見積もり取りますね」
 
すると翌日、8月23日、千里(1番!)が播磨工務店の九重(じゅうちゃん)を連れて、こちらにやってきたのである。実は3人の千里の中で土地問題に関しては1番がいちばん強い。
 
「現地見せて」
と言うので、青葉・千里・九重の3人で見に行った。
 
(ジャネは「青葉に任せた」と言った)
 
「いい所見つけたね!」
と千里が感心している。
 
「こんないい場所はなかなか無いだろうからと思って即買った」
「賢明賢明。今日まで待ってたら昨日の夕方売れちゃってたよ」
「わっ」
 
千里はその場で、九重さんに指示して土地の四隅に何か埋めていた。軽い結界が作動したのを感じた。きっと家を建ててから本式の結界に変えるのだろう。
 

「んじゃ、筒石さんちに行って打ち合わせようか」
「そうだね」
 
それで3人(青葉・千里・九重)で筒石が借りているマンションに行ったのだが、青葉も千里も絶句した。
 
「何これ〜〜〜!?」
 
「ごめんなさい」
とマラが謝った。
 
借りているマンションが悲惨な状態なのである。
 
「ここ出る時に改装工事が必要だよね?」
「壁も床も天井も交換する必要がありそう」
「だいたい、、なんで襖(ふすま)に穴が空いてるんです?」
「ほんとにごめんなさい」
とマラが消え入りそうにしている。
 
「うちの工務店に改修させるけど、改修費300万円払ってくれない?」
「分かりました。筒石に払わせますので」
と本当にマラは申し訳無さそうにしている。
 
この日は九重がここの改修に必要な木材・建具などを確認していた。
「今のよりいい木材を使うのはい良いよな?」
「それは構わないと思うよ」
「こんな品質の悪い材木は、うちでは扱ってないから」
「なるほどねー」
 

という前提が済んだ所で、マラは“マソの方が話が通ると思うし”と言って、マソに交替する。(マラがバイク(*2)で津幡アリーナに行き、そのバイクにマソが乗って戻って来た)
 
(*2)Honda CBR-250RRの改造版。片足が使えなくても運転に支障がないように改造されている。二輪免許もこのバイクで取った。免許を取ったのはジャネだが、マラは元々バイクにも乗れた(ゴールドウィングに乗っていたらしい)。
 
「何これ?どうやったらこんなにメチャクチャにできる訳?」
とマソ(ジャネ)まで呆れている。
 
「ジャネさん、こちらに来てなかったの?」
「来てない。愛の巣に来るほど野暮じゃない。しかしマラが付いててこれは無いなあ」
と彼女も怒っているようだ。
 
それで青葉が大雑把に書いた“絵”を元に新しい住居とプールの寸法を決めていく。
 
ブールは2コースで作ることにした。君康とマラが泳げたら充分である。マソも使ってもいいが、マソとマラは同時に姿を表す訳にはいかないからそれでいいだろう。2コースのプールなら、2500万で作れるよと九重は言った。実際千里の浦和の家のプールもそのくらいで出来ている。
 
資金8000万の内、900万で土地を買い、今住んでいるマンションの改修費を300万払って!プールの設置費用を2500万として、残りは4300万ということになる。
 
「2DKなら1500万円、3DKで2000万円くらいかな」
と九重は言った。
 
「ユニット工法だよね?」
「そうそう。若葉ちゃんのおかげで大量にユニットハウス作ってるから、ユニット自体が凄くバリエーションが出来てて、仕上がったの見てもユニット工法に見えない」
 
九重は実際の施工例を写真で見せてくれた。
 
「これが本当にユニット工法なんですか?」
 
「ユニット工法のメリットは、費用が安い、工事期間が短い、そして地震に強いこと。デメリットはどうしても部屋のレイアウトに自由が利かないことかな」
 
「それは全然問題無い。でも地震に強いんだ?」
「柔構造だからね」
 
「それでいいと思う、念のため3LDKにしてもらおうかな。私もそこで休めるし」
「いいんじゃない?」
 
それでユニット工法の3LDKを作ることにし、詳細を詰めた結果、建築費は2500万円ということになった(その後色々考えて最終的には4LDKにした)。
 
「予算より1800万安い。筒石にほぼ全部出させて私は1200万だけにしよう」
「実際問題として筒石さんの生活費は全部ジャネさんが出してるんでしょ?住宅費くらい出させればいいですよ」
「そうししよう」
 
ということで商談はまとまったのである。ジャネは筒石の印鑑を勝手に持ち出して契約書に署名捺印した。
 
プールの部品を取り寄せるので、完成は10月になるということだった。不動産屋さんにも10月いっぱいで退去したいと伝えた。
 
なお電気は太陽光パネル(アクアがCMをしているK製作所の“アマテラス”使用)を乗せれば、北電と契約しなくても充分まかなえる計算になった。ガスはプロパンでいいことにする。上下水道だけは引いてもらわないといけないが、水道局に電話した所、本管が近くを通っているので、2ヶ月あれば通せるということだったので、それでお願いした。プールを作ると言うと驚かれたが、使用予定の水量を伝えると「そのくらいは大丈夫です」ということだった。
 
なお敷地内に降る雨水を利用するシステムを500万円掛けて作ってもらうことにした。これで少しは水道代は節約できるはずである。
 
(プールの表面積が25x5=125m2, 敷地面積が450m2でプール面積の3.6倍なので年間降水量を3000mmとして、年間にプールの水位10.8m分の水が得られることになる。青葉は恐らくプールで使う水の3〜4割を雨水でまかなえるかもと推測した)
 

青葉が出演した『北陸霊界探訪』は11月に放送された、“熊騒動”の顛末記が最後である。その後は、明恵と真珠でこのような内容のものを構成した。
 
2021.03.19 北陸寺社探訪(加賀編)
2021.06.25 北陸寺社探訪(能登編)
2021.08.27 北陸寺社探訪(越中編)
 
3月の放送では、“忍者寺”妙立寺を取り上げたのが好評だった。6月の放送では七尾市の“七不思議寺”妙観院が結構好評だったので、9月放送予定の越中編では高岡市の“七不思議寺”勝興寺のレポートを放送予定である。
 
「青葉〜、12月放送分の何かネタ無い?」
と皆山幸花“サブディレクター”から言われる。
 
“サブディレクター”ってこれまでの肩書きのアシスタント・ディレクターと何が違うの?と訊いたが、本人もよく分からないと言っている。
 
「私もオリンピックで精一杯だったし」
と言った時、偶然来ていた、吉田邦生が言った。
 
「こないだ幡山さんの結婚式でさ、幡山さんが派手に転んだじゃん。あの時、誰かに足首掴まれたような気がしたって言ったら、金堂多江ちゃんが、オリンピックの時に、200m個人メドレーの代表だった広嘴さんも、転んで骨折した時、誰かに足首掴まれたような気がしたって言ってたという話だったじゃん。あれってひょっとして妖怪か何かのしわざってことない?」
 
「うーん。そういう妖怪の話は聞いたことないなあ」
と青葉は言う。
 
「それにまるで雲を掴むような話だよ。転ぶ人なんてに日本中に毎日たくさん居るだろうしさ」
 
ということで、この日、この話はそこまでになった。
 
しかし青葉は放送局を出た後で、唐突に“あの時のこと”を思い出したのである。
 
こないた水連で鈴木会長に会った時、自分は入口で派手に転んだ。思えばあの時、自分も誰かに足首を掴まれたような気がしたぞ、と。
 

青葉はケイから“舞音ちゃんタロット”というのを作るから監修してくれないかと言われた。最初は電話でいろいろやりとりしていたものの、埒があかない。それでこないだ高岡に戻ったばかりなのだが、また東京に行くことにした。
 
ケイはだったらついでに、ラピスラズリが夏休みの内に『作曲家アルバム』の取材も頼むと言われたので、取材を8/26-29におこなうことにして(8/31にはラピスラズリの出演するネットフェスがある)、青葉は8/25に Honda-JetBlueで能登空港まで迎えに来てもらい、熊谷に飛んで、浦和の千里の家に入った。
 
この25日の夜、青葉、千里、丸山アイ!、それに制作を統括するコスモスと、舞音の話というと嗅ぎつけてどこからともなくやってくる雨宮先生とで、大田区のサテライトで制作方針を決める会議をした。この場所が選ばれたのは広い駐車場があるからである。
 
舞音本人も出席させたかったのだが、舞音は現在ドラマ(『Girl from West』)の撮影をしていて疲れているので休ませたということであった。
 

基本的な制作方針としては下記のようなことを決めた。
 
・88枚のフルデッキにする。
 
・小アルカナは全て絵カードとする。
 
・コートカードは、Page,Knight,Queen,Kingではなく Prince,Princess,Queen,Kingの方式とする。
 
・8正義と11力は入れ替えない。古典的な順序で行く。
 
他にもカードのデザインやサイズの問題、コートカードの“モデル”決めなともして、この日は深夜2時すぎまで打合せをしていた。さすがに明日に響くから解散することにしたが、細かい問題は専用のSNSで引き続き打ち合わせることにした。
 
また、撮影のための小道具を作るのに、絵の上手い夕波もえこにおおまかなデザインを描いてもらい、その絵をもとに小道具の製作を発注することにした。このあたりのコントロールは花咲ロンドが青葉と連絡を取りながら進めることにした。
 

打合せが終わってから若干の雑談をするが、やはり現在の§§ミュージックの“群雄割拠”状態のことが話題になる。
 
「昨年ラピスラズリが出て来て、アクアと並ぶ核になるかと思ってたら今年は舞音ちゃんが出て来たからね」
 
「あれは嬉しい誤算ですよ」
「オーディションの12位から半年でデビューして、それでアクアに次ぐ核になってしまったのが凄い」
「ミリオン連発してるし、テレビへの露出も多いし」
 
「今忙しさでは、アクア、舞音、ビーナ、ラピスラズリ、という順になってますね。その周辺も忙しい。アクアのスタンドインの葉月、舞音との共演が多い水谷姉妹、ラピスラズリのスタンドインをすることの多い甲斐姉妹、それに舞音やビーナと一緒に使われることの多い長浜夢夜・三陸セレン・山鹿クロム、今あけぼのテレビの中核になってる鈴鹿あまめ」
 
「あまめちゃんの露出度凄いね」
 
「あの子がいなかったらやばかったです。今年は大量にデビューしたから、信濃町ガールズの絶対数が不足してるんですよ。あの子であけぼのテレビはもっているようなもので」
 
「そういう新興勢力が台頭してる中で、カペラちゃんの今日発売のアルバムが凄い。あれカペラちゃんきっとブレイクする」
と丸山アイが言う。青葉も千里もまだ聞いていないというので、コスモスがその音源を流す。
 
雑談をしながら聴いていたのだが、雨宮先生が
「カペラってこんなに歌える子だったの?」
と驚いている。
 
千里も
「これ売れるよ」
と言い、青葉も
「このアルバムすごくよくできてる」
と言った。
 

「まさにケイの言うとおり“群雄割拠・戦国時代”になってきたね」
 
「いつデビューさせてもいい予備軍がたまってきてるんですけど、マネージャーの数が足りないんですよ」
とコスモスが困っているように言う。
 
「マネージャーを10人くらい追加する必要がある」
「そのくらい足りてないです」
 
「そういえばロマンのマネージャーとエーヨのマネージャーを交換したんだね」
とアイが言う。
 
「交換?」
と青葉が訊く。
 
「エーヨを担当していた秋田有花は厳しい人なので、アバウトな性格のエーヨとはどうも相性が悪いようだったので、優しい性格の星野遙香と入れ替えたんですよ」
とコスモスは説明する。
 
「星野というのは、旧姓望月だよね?元KARION担当の」
と千里が訊く。
「そうそう」
 
「まあエーヨの歌唱力では秋田さんは厳しいかもね」
「それで歌唱力のあるロマンの方が秋田を付ければ伸びるだろうと思ったんですよ」
 
「確かに確かに。クロールの息継ぎができない子に1500m泳がせるのは難しい」
と千里が言う。そのたとえで青葉も何となく理解した。
 
「この春からかなり大量に増員したから、相性とかを考える余裕もなく、採用した人をいちばん人手の足りない所に投入してたから。それでミスマッチも発生したんですよ」
 
「まだスワップは多少発生するかもね」
「かも知れないです」
 

「エーヨが元男の子というのは、全く問題にされてないみたいね」
「ファンは全然気にしてないですよ。ちゃんと生理もあるから、半陰陽だったんだろうとみんな思ってくれてるし」
 
何か丸山アイが居心地の悪そうな顔をしているので、何だろう?と青葉は思った。
 
「エーヨって、アイドル性は高いんだけど、歌唱力がまたまだだし、それにあの子、結構ととしいし」
と丸山アイが言うと、みんな悩んでいる。
 
「あれ?もしかして“ととしい”って方言だっけ?」
「私は聞いたことない」
とコスモス。
 
「ごめーん。標準語でいうと何だろう。不注意とかいうのかな」
「ああ、それなら分かる。あの子、忘れ物多いし」
「言ったこと聞いてないし」
「遅刻が多いから、あの子にはわざと30分早い時間を伝えておくんですよ」
 
「確かにそういう性格だと厳しい性格のマネージャーさんとは合わない」
 
「いや、あの子と最初に音源制作した時もさ、スタジオの入口でいきなり転ぶし」
「あの子、ドアを通り抜けられずにぶつかったりするし」
「なんかぼんやりしてることも多いよね」
 
「転んだ時は、足首掴まれたような気がしたけど気のせい、なんて言ってたけどね」
とアイ。
「妖怪足マガリだったりして」
と千里。
 
その時、青葉は「ん?」と思ったが、その場では何も言わなかった。
 

打合せが終わった後、雨宮先生はSCCのドライバーさんに川崎の自宅まで送ってもらった。コスモスは夫の木取さんが仮眠しながら待機していたので、彼の運転する車で千住のマンションに帰る。アイは川越京華(旧姓楠本)の車で中野区のマンションに帰る。そして青葉と千里は、矢鳴さんの運転する車で浦和の自宅に戻った。
 
浦和の家では、桃香や子供たちは当然寝ているので、千里と青葉は地下のラウンジに入った。すると龍虎(アクア)が2人とも!来ている。
 
「大宮先生、おはようございます」
「龍ちゃんたちおはよう。2人揃っているのは珍しい」
 
「さっき仕事が終わってお腹が空いたから」
「大変だね!」
 
実はアクアは映画『白雪姫』の撮影中で、25日はクライマックスの王宮突入、白雪姫と王妃の対決のシーンが撮影された。予定を少し超えそうだったので、監督は22時でいったん終了を宣言した。そして22時半に、アクア×2!、七浜宇菜、雨梨美貴子の4人だけで追加撮影した。スタッフも河村監督と撮影をする美高助監督の2人だけである。時間の余裕がなく2人のアクアを使ったが、アクアが2人いるのに雨梨さんがびっくりしていた。
 
「双子だったの?」
「すみませーん。従妹のマクラです」
「へー!」
 
「あまり話題にされたくないので、秘密で」
「いいよ」
 
しかし雨梨さんはアクアもマクラもどちらも上手いので
「あんたたち2人とも上手い。凄い」
と感心していた。
 
「ちなみにどちらも女の子だよね?」
「えーっと・・・」
とアクアが答えに窮していたら、宇菜が
 
「どちらも女の子であるのは確認済みです」
と言い、それで雨梨さんは納得していた。
 
撮影は深夜1:30頃終わった。無茶苦茶疲れたので、食料のたくさんある所を求めて、浦和に来たのであった。
 

龍虎たちがかなり消耗しているようだったので、「休んでなよ」と言って、青葉と千里で手分けして、スパゲティを茹でたり、冷凍のシチューをチンしたりして晩御飯(夜食)を用意した。
 
「美味しそう!いただきまーす」
と言って食べ始める。よほど疲れていたのか、2人ともスパケディをお代わりして各々2皿食べた。
 
「焼肉でもする?」
「食べます!」
 
それでオージービーフを1kg!解凍してホットプレートで食べたが、龍虎たちはもりもり食べていた。各々400gくらい食べた。
 

「龍ちゃんたち、普段ごはんはどうしてるの?」
と青葉が訊く。
 
「ボクは八王子に戻った時は自分で作りますよ」
「忙しいのによくやるね!」
 
(本当は竜崎由結が作ってくれることも多い)
 
「ボクは彩佳が御飯作って持って来てくれるから、それ食べてます。でも今日は代々木に帰る予定無かったから、彩佳もお休みで」
とM。
「彩佳が食事を作ってくれた日はそれを半分もらってくる日もあるけど」
とF。
 
「半分こ、したら足りなくない?」
「彩佳はいつも2人分作ってくれるんです。彩佳自身が食べる分も入れたら3人分ですけど」
「ああ、Mちゃんがたくさん食べることにしてるんだ?」
「彩佳はどうもボクたちが2人いることに気付いたみたいで」
と龍虎が言うと
 
「それは気付かない方がおかしい」
と千里が言う。
 
「そんな気もします」
と龍虎。
 
「でも山村さん、まだ気付いてないんですよ」
「あいつは鈍いからねー」
と千里も笑っていた。
 

その時、青葉はふと気になり、千里姉に尋ねてみた。
 
「さっき絵代子ちゃんが転んだの、足がかりじゃないかとか言ってたけど、それどんな妖怪?」
 
「足マガリね」
「足が曲がってるの?」
「そうじゃなくて、“まがる”というのか四国の方言で“まとわりつく”という意味なんだよ」
「へー!」
 
「目撃した人の話では綿みたいにしてたって」
「目撃もされてるんだ!」
 
「似たようなような妖怪で、すねこすりというのもいる」
「すねこすり?」
「犬みたいな形してるんだって。人のスネの間をすり抜けるから、それで人間は転ぶことがある」
 
「掴まれたというのなら、どちらかというと、まとわりつく方が近いのかも」
 

龍虎が興味を示したので、青葉は甲斐絵代子が転んだ話をした。すると龍虎は言った。
 
「もしかしたら、あれもそれかも」
「ん?」
「6月にボク、唐突に『白鳥の湖』を踊ることになったんですけど」
「あれよくいきなり言われて踊れたね」
「間違っても仕方ないと開き直って踊ったんですけど、目立つようなミスは無かったと言われました」
「本番30分くらい前に言われたんでしょ?それで踊れるのはアクア以外に居ないよ」
 
「ただあの時ですね」
「うん」
「プリマの赤迫理奈さんが直前に怪我したんで、ボクに踊ってと言われたんですけど、その赤迫さんが転んだ時、何かに足首をつかまれた気がしたって言ったんですよ」
 
「うーん・・・」
と青葉は考え込んだ。これは・・・結構な問題かも知れない。
 
「ああ、また火中の栗を拾おうとしている」
と千里から指摘される。
 
「あの場では言わなかったけど、実は私もそれに遭遇してるんだよ」
と青葉は言う。
 
それで青葉は先日、水連で足首を掴まれた気がして転んだことを話した。またジャネが披露宴で転んだこと、更にオリンピックの200m個人メドレーの代表の広嘴さんが、プールサイドで足首を掴まれ転倒して骨折。せっかのオリンピックに出場できなかったことも話した。
 
「まあそれで繰り上げ出場した金堂さんが金メダル取っちゃったから、水連の内部でやや揉めたみたいですけどねー。そもそもなんで彼女が代表に入ってなかったんだって。3人目の枠を使っても良かったんじゃないかって。彼女は世界水泳の400m個人メドレーの銀メダリストで、あの時、200m個人メドレーでも7位入賞してたし、そもそも200m個人メドレーの日本記録保持者だったし」
 
「ああ」
 

「でも結構妖怪足つかみ、出没してるみたいですねー」
と龍虎。
 
どうも“妖怪足つかみ”になってしまったようだ。
 
「まあ放送局で似た経験をしてないか体験談を募集してみる価値はあるかもね」
と千里。
 
「それ連絡する」
 
それで青葉が皆山幸花にメールしたら
「明日の放送分に入れる」
というお返事が翌朝帰って来た。
 
霊界探訪の放送は27日の深夜である。2日で再現ドラマを作るつもりなのだろう。彼女はジャネが披露宴で転んだ所をリアルタイムで見ているし、あのビデオは保存してあるはずだから、それをたぶんコピーさせてもらうかも知れない。
 
青葉は自分が転んだ時の状況も幸花と直接電話で話して伝えた。他に転んだ人として、絵代子を紹介し、千里が本人に直接電話して取材OKを取った。26日の夕方くらいは時間が取れるということだったので、絵代子の方から仕事の切れ目に幸花に電話してくれることになった。
 
それで幸花はきっと明恵や真珠を使って再現ドラマを作るのだろう。
 

「だけど妖怪だったとして、どうやって収拾するのさ?あちこちで出没しているのがひとつの妖怪とは限らないよ」
と千里は言う。
 
「むしろ全部別の個体だろうね」
 
「一匹封印できたとしても、たくさん残る」
「それはあるよね」
 
この時点では青葉も“対処法”を全く思いつかなかった。
 

実際、27日の放送では、明恵・真珠・吉田君!の3人で再現ビデオを作ったのを流していた。転ぶ役はもちろん吉田君である!
 
「だって万一本当に怪我したら困るもんねー」
「俺なら骨折してもいいのかよ!?」
などと言いながらもやってくれた。
 
反響は大きく、かなり多くのメッセージが寄せられたが、9割は妖怪とは無関係と思われた。幸花・明恵・真珠の3人は、寄せられたメッセージの中で(仮名)“妖怪足つかみ”?の可能性があるかもと思うものを抜き出し、取材が可能かを問い合わせ、OKの人とはZoomなどでの取材を試みた。
 

青葉のほうだが、作曲家アルバムの、今回の取材対象は下記であった。
 
8.26 神崎美恩・浜名麻梨奈
8.27 醍醐春海
8.28 ゴールデンシックス
8.29 ステラジオ
 
8月29日のステラジオの取材は、ケイが欠席し、代わりに千里姉に同行してもらった。ケイは気にしていない(と言っている)のだが、ステラジオの特にホシがケイを物凄くライバル視しているので、遠慮したのである。
 

29日、ラピスが空くのは夕方からなので、青葉はその日の午後、千里と一緒にさいたま市内の病院を訪れた。
 
実はここに200m個人メドレーで日本代表になっていたものの、前日に転んで骨折し、涙の出場辞退となった広嘴さんが入院しているのである。コロナ下なので、無関係の人は病棟に入れない。水連に紹介状を書いてもらい、面会は30分以内と言われた。
 
青葉も千里もワクチンの接種済み証明を提示し、検温の上で病院内に入る。
 
「こんにちは〜」
「あら、川上さん!」
と彼女は意外な訪問者に驚いているようである。
 
「こちらはうちの姉でバスケット日本女子代表でオリンピックに出たんです」
「バスケット、銀メダルって凄いですね!」
「まあ今回は組みあわせが良かったというか」
 
「予選リーグで日本が入った組の1〜3位がそのまま決勝トーナメントで1〜3位になったから」
 
「それは地獄の組という気がする」
 

「それでね。今回は実は金堂さんからの依頼で来たんですよ」
「はい?」
「金堂さん、広嘴さんが怪我したので自分が繰り上げ出場できたことを気にしてて。広嘴さんに悪い気がすると言ってて」
 
「いや、それでしっかり金メダル取ってるから凄いですよ。日本選手権でも彼女と私、0.02秒差だったんですよねー」
 
「それで実は金堂さんから、広嘴さんにヒーリングしてあげられないかと頼まれたんですよ」
 
「ヒーリング?」
 
すると千里が説明した。
「この子、実はヒーリングの達人で、交通事故にあった人を速く回復させたりとか、台風のさなか、離島で病院に連れて行けない盲腸の患者の痛みを翌朝自衛隊が来てくれるまで抑えてたり(盲腸自体が治っていたことまでは言わない)とかもしてて」
 
「すごい」
 
「実は幡山ジャネが1年間意識不明になっていたのを回復させたのもこの子のヒーリングがきっかけなんですよ」
「わぁ!」
 
「まあ効く人効かない人あるし、ジャネさんの場合は偶然私のヒーリングと相性が良かったんだろうけどね」
 
「それで、半ばおまじないみたいなものですけど、広嘴さんにヒーリングしてもいい?」
 
「やって、やって。正直今は罠(わな)をも掴みたい気分で」
「わな?」
 
「あれ?何かそういうことばありませんでした?」
「藁(わら)をもつかむかな」
「あれ〜?私間違って覚えてたかも」
「あるある」
 
「罠を掴んだら怪我しますよ」
「確かに!」
 

それで青葉は面会時間いっぱい、彼女の骨折箇所をヒーリングしてあげたのである
 
「なんかこの30分で凄く痛みが取れた気がする。これまたお願いできません?」
「9月いっぱいは仕事の関係で東京にいますから、その間はまた来ますよ」
「お願いします!」
 
それで青葉は週に2回、病院に来て広嘴さんの骨折のヒーリングをすることにしたのである。
 

舞音のタロットの制作はとても楽しいものだった。
 
青葉はこの子が売れてる訳が分かるよと思った。全てに全力投球である。よくこんなに頑張れるものだと心配になるくらいである。
 
今回の作業の手伝いをしてくれている、夕波もえこ、水谷姉妹、長浜夢夜、三陸セレン・山鹿クロムも、ほんとに元気で、青葉の方が負けそうと思った。
 
しかし青葉はセレンとクロムが男の娘なのにはすぐ気付いたものの、夢夜はふつうの女の子だと思い込んでいて、本人が
 
「ボク男の子ですよー」
と言うので
「うっそー!」
と思ったのであった。
 
「だって波動が女の子なのに」
「あ、それは以前も占い師さんに指摘されたことあります」
 
「睾丸は取ってるよね?」
「あんなの小学校に入る前に取るべきものですよ」
などと夢夜が言うと
 
「ボクたちも取りたーい」
とセレンとクロムが言っていた。
 
彼らは睾丸は取りたいけど、まだ踏ん切りが付かないのだと言っていた。彼らはかなりお仕事をしているので、去勢手術代くらいは簡単に出せそうだから純粋に気持ちの問題なのだろう。
 
「それは迷いがある内は、手術しちゃダメだよ」
 
「コスモス社長からもケイ会長からも言われました。ゆりこ副社長はさっさと取っちゃえばいいのにと言うんですけど」
 
「あはは」
 

撮影は楽しく進んでいく。
 
小道具の金貨が転がっていっても、剣が折れちゃっても!めげない。折れた剣は他のカードの撮影をしている間に道具係さんが30分で新しいのを作ってくれたので、それで撮影した。
 
金貨のエースの撮影に使用した160cmの巨大金貨もよく転がり、最後は釘で床に打ち付けて!撮影した。
 
「床に釘とか打っちゃっていいんですか?」
「床のブロックを交換すればOK」
と雨宮先生は言っていたが、後でそこを見た花ちゃんは
「1個だけ交換すれば目立つ」
と文句を言っていた。結局、穴埋め材で補修したようだ。ごめんなさい!
 

今回タロットのビデオ版(ビデオタロット?)とおまけで、メイキング?ビデオも公開するということで、舞音が白鳥の湖のオデット(聖杯の王女)に扮してアラベスクのポーズをしている後(うしろ)で黒鳥の衣裳を着けた三陸セレンがグランフェッテをしている所などが収録された。
 
セレンは先日ローズ+リリーの制作でもグランフェッテをしたらしく、その後かなり練習したので、だいたい3回に1回くらいは32回転に成功するようになったという話だった。それでやってもらったら1発で成功した。
 
しかしその間、アラベスクのポーズをキープした舞音も大したものである。舞音はバレエは習ったことがないと言っていたし、この日の撮影もトウシューズではなくバレエシューズでおこなったが、身体も柔らかいし、バランス感覚が物凄くいいようだ。
 
ナポレオン(棒の王)は白い馬に乗って撮影したが、舞音は3時間乗馬のレッスンを受けただけらしいが、ちゃんと安定して乗っていた。おとなしい馬を貸してもらったのもあるが、やはり彼女の運動神経の良さだろう。
 

7本の棒をお手玉するところは、最初ためしにリアルで挑戦してみたものの
 
「これ絶対無理」
ということになり、棒をピアノ線で吊って撮影した。
 
棒のAでは、千里姉が本物の!龍を連れてきて撮影したが
 
「これメイキングを公開できないじゃん」
と青葉は文句を言った。舞音は
「私美味しくないからね」
などと言って撮影されていた(龍は笑っていた)が、逃げ出さないのはさすがである。
 
恐らく、千里姉の眷属なのだろうが、千里姉が自分の眷属を青葉に見せてくれたのは初めてである。青葉はその龍を見て、千里姉のパワーの凄まじさを感じた。この龍は千里姉からパワーを分けてもらって存在しているようなのである。
 
このシーンは、青葉・舞音・千里(と龍!)だけで撮影している。撮影したのは、青葉である。(千里姉がカメラを扱ったら絶対何も映っていない)。
 
青葉は正直、龍がカメラに映るのか?と心配したのだが、ちゃんと映っていた。
 
雨宮先生には龍はCGですと説明したが
 
「まるで本物みたい。上手なお絵描きさんね」
と感心していたようである。
 
メイキングビデオでは、背景に何もないところで舞音がポーズを取っているシーンを収録した。
 

撮影は最初の8日間で小アルカナ56枚の撮影をおこない、大アルカナは1枚を1日かけて撮影している(ただし『月』のように既に撮影が終わっているものもある)。実際に撮影に使う時間は毎日4時間くらいで、舞音はどこかに出かけては、テレビ番組の撮影、雑誌などの取材、CM撮影などをこなしていた。
 
「よく体力持つね〜」
「南田容子さんがリハーサル役をしてくれているから、ほぼ本番だけ出ればいいんですよ」
 
何でも先月までは佐藤ゆかがリハーサル役をしてくれていたが、松梨詩恩のリハーサル役をしていたビーナが、自身忙しくなってしまい、とてもリハーサル役までできなくなったので、佐藤ゆかが松梨詩恩のリハーサル役をすることになったらしい。それで舞音のリハーサル役は南田容子に交替したということであった。
 
「詩恩ちゃんが忙しいのは、アクアの仕事を詩恩にかなり振り替えているからなんだけどね」
 
「根本はアクアの忙しさか」
 
「アクアにオファーのあった仕事のだいたい半分を、松梨詩恩・羽鳥セシル・常滑真音・水森ビーナに流している」
と千里が言う。
 
「アクアの仕事の半分の4分の1を負担するだけで4人とも超多忙になる訳だ?」
 
「ほんとアクアちゃんの仕事の量が信じられません」
と舞音は言っているが
 
「きっと舞音ちゃんの仕事の量が信じられないとみんな言ってるよ」
と雨宮先生は言った。
 
「私、アクアちゃんの体力も舞音ちゃんの体力も信じられません」
と夕波もえこが言っていた。
 
 
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【春足】(1)