【春老】(2)

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「3人目が大堀さんという人で」
 
「ステラジオですか!」
と言って青葉は驚いた。
 
「はい、そうです」
 
「大堀さんって、事務所の副社長のピュア大堀さんですよね?亡くなったんですか?」
 
「先週亡くなりました。死因は膵臓癌ということでした」
「膵臓癌は勝負が早いし、あれ自覚症状も無いんですよ」
 
「そうなんです。本人はいたって元気で病院にも掛かっていなかったんですよ。それで、その話聞いてから森元課長に言ったんですよ。こういう事態はうちの社員でも起きうる。全員に強制的に健康診断受けさせましょうよと」
 
「制作部の人たちってみんな忙しいから健康診断サボッてそう」
「そうなんです。そしたら『おまえもう7年くらい受けてないだろう?』と言われました」
「あはは、薮蛇でしたか」
 
「でもそれで取り敢えず、いちばんサボッている北川と南に今週中に1日休んで人間ドックに行って来いという社長命令が出ました」
 
「社長命令ですか!」
 
「町添部長が言ったくらいではあの2人、聞きませんから」
「八雲さんも健康診断受けるんですか?」
「私の身体の状態に配慮してくれて、みんなとは違う自分の好きな病院でいいから今月中に受けろという命令です」
 

「いや、ちゃんと見てもらった方がいいですよ。でもピュア大堀さんがステラジオを担当なさってたんですね」
 
「ここまで2代続けてマネージャーが亡くなったこともあり、社員にやらせると尻込みするかもというので、共同オーナーでもある彼女が自分で担当したんですよね。それで彼女は押しが強いし人脈も豊富なのでそのおかげもあって、ここ1年ほどステラジオも快進撃を続けてすっかりビッグなアーティストになったのですが・・・・」
 
「どうするんです?この後?」
 
「社長の妹さん、サニー春吉常務が担当することになったようです。3代続けてマネージャーが死んだとなると、誰もやりたがらないから。それでシアター春吉社長、サニーさん、ホシとナミに、バックバンドのトリテリスのメンバー、それにTKR(*1)の担当の住吉君と三田原課長まで一緒にお祓いを受けてきたらしいですよ」
 

(*1)ステラジオはこの1月にアクアなどと一緒に★★レコードから新会社TKRに移管された。
 

「うーん。単なる偶然ならいいけど、お祓いは気休めかも知れませんね」
 
「私もそんな気がしてですね。いや、実は私も大堀さんが亡くなったこと知らなくて。今日の午前中に、ばったりと放送局でホシとナミに会いましてね」
 
「それでその話を聞いたんですか」
 
「そうなんです。彼女たちが、これ怖いし、もしサニーさんまで亡くなったら気の毒だし、誰か良い霊能者とかがいないだろうかと言われて、それで考えていたら、去年の秋に凄く気持ちいいヒーリングをしてくれた大宮先生のことを思いついたんですよ。確か本職はヒーリングより心霊的なトラブルの対処だと聞いた気がしたので。向こうの社長さんも、もし適当な人がいたらお金はいくら掛かってもいいから、正式に依頼したいと言っているそうです」
 
「私、この手の相談については最低100万円取りますけど」
 
そのくらいは取らないと、命がいくつあっても足りない。
 
「そのくらい出すと思います」
「状況次第ではもう少し高くなるかも知れません。また必要経費は別途請求します」
「そのあたりは大丈夫です」
「それと私には手が終えない案件と判断したら辞退させて頂きますが」
「それはやむを得ないと思いします」
 
「じゃ、一度取り敢えず、そちらに行ってみましょう。それぞれの方が亡くなられた時のことをもう少し詳しく聞きたいです。今週の土日とかはどうでしょうか?」
 
「芸能事務所は土日当然営業してますから大丈夫ですよ。話をしておきます。あ、それと」
 
「はい?」
 
「大宮先生は、ローズ+リリーのおふたりと親しいですよね?」
と八雲さんは少し言いにくそうにする。
 
少なくともステラジオ側はローズ+リリーをライバルと思っている。何度かそのような発言もしている。しかしローズ+リリー側はほとんど気にしていないように見える。冬子さんは自分がいちばん脅威を感じるのはラビット4だと言っていたが、実は青葉はラビット4を必ずしも評価していない。感性は良いものの楽曲自体の造りが素人だと思っていた。青葉はステラジオを結構評価していた。そしてこの時期実はもっと関心を持っていたのが、小野寺イルザや北野天子に楽曲を提供している上野美由貴である。
 
「大丈夫です。霊能者は守秘義務についても厳しく法律で定められていますし全ての物事に対して中立です。少なくとも相談ごとを他に漏らしたりはしませんよ」
 
と言いつつ、★★レコードの権力争いで町添さんたちの側に荷担したことが自分を責める。
 
「助かります。でもそんなの法律にも定められているんですか?弁護士とか医者は分かるけど」
 
「ええ。刑法第134条の2に、ちゃんと書いてありますよ」
「へー!」
 

そういう訳でその週の週末、4月16-17日に青葉は急遽、東京に行くことにした。
 
交通費に関しては八雲さんが新幹線のグリーン席の片道分×2(往復料金よりも少しだけ高くなる)の料金を翌日朝に振り込んでくれたので取り敢えず行きの切符だけ予約しておいた。帰りは出た所勝負になる可能性が高い。
 
図らずも不可解な連続死に同時に2つ関わることになってしまった青葉は、今週末に東京に行く前に、何とか水泳部に関わる問題の方だけでもメドをつけたいと考えた。
 
そこで翌日、12日。青葉は水泳部の4年生女子、圭織さんに相談してみた。
 

「最初にこれお渡ししておきます」
と言って青葉は《心霊相談師・川上瞬葉》という名刺を渡した。
 
「これあんたの名刺?」
「あまり出したくないんですけどね。怪しい人だと思われるから」
「いや、そんな怪しい人だったのかと驚いた!」
 
「私バイトしてるから時間取れませんと言ってましたでしょう?実は心霊相談の仕事なんですよ。それで今週末も東京まで行ってこないといけないんですけどね」
 
「へー。じゃ結構はやってるんだ?」
「宣伝とかは一切してないのですが口コミで色々相談が持ち込まれてきて。でも実際問題として持ち込まれる相談の大半をお断りしている現状です。とても手が回らないので」
 
「そんなに相談事が持ち込まれるんだ!」
 

「それでですね。昨日言っておられた、部長さんが3代続けて亡くなったという話なんですが」
 
圭織さんは腕を組んだ。
 
「あれね。ひょっとして何かの呪いということはないかって、何人かと話してたのよ。実際には部長以外にも病気とか事故とかで亡くなった人がいるのよ。ここ1年ほどほんとに水泳部の男子は凄い死亡率でさ」
 
「やはりそうでしたか・・・」
 
「何かの呪い?」
 
「実は私もどうも巻き込まれてしまったみたいで。私自身が下手すると命を落としかねない状況で」
 
「え〜〜〜!?」
「でも私はまだいいんです。おかしな幽霊とか妖怪とかに襲われても、何とか身を守れると思うので。それより筒石さんが心配で。筒石さん、完璧に巻き込まれています。今のままでは本当に命が危ないです」
 
「マジ?」
 

「それで私としては不本意なんですが、何とかしてこの問題を解決せざるを得ません。それで、以前亡くなった方のことをもう少し詳しくお聞きできないかと思って」
 
「うん。私が知っている範囲のことなら、何でも話すよ」
 
まず青葉は亡くなった人の人数を尋ねる。圭織はしばらく考えていたが、やがてこの1年間に亡くなった男性は5人だと思うと言った。
 
「その男性たちなんですけど、亡くなる前に彼女ができたみたいなことを言っておられませんでした?」
 
「え?ちょっと待って」
 
と言って圭織さんは考えている。
 
「うーん・・・このスマホじゃチェックできないなあ。古いツイッターの書込みを見れば確認できると思うんだけど」
 
「私のパソコン使って下さい」
 

自分のAQUOSでテザリングしてPCをネットに接続した状態で、彼女に渡す。すると圭織はツイッターのサイトを開き、発言検索をしてひとつずつ確認していった。
 
「最初に亡くなったのは工事現場で死んだ木倒部長だと思う。亡くなる3週間くらい前に単純に『わくわく』という書き込みがある。その後、『♪』とか『はーと』とかの書き込みが続いている。やはり女の子と付き合っている」
 
そこまで言ってから圭織さんはハッとするように言った。
 
「私、男子のことばかり考えていたけど、この事件はもしかしたら、ジャネさんの事件から始まっているのかも知れない」
 
「女性ですか?」
「うん。凄い人だったよ。2015年の世界選手権の日本代表にほぼ内定してたんだ」
「そんな凄い選手がいたんですか!」
 
「あの人も考えてみると事件の少し前から誰かに付きまとわれているみたいなこと言ってた。そしてその日、交通事故に逢って。ダンプカーに轢かれて右足を切断して」
 
「わあ。でも死んだ訳じゃなかったんですか?」
 
「彼女、事故に遭うまでは全国的にも注目されて、将来を嘱望されてた選手だったからさ」
「あぁぁ」
 
「それで片足を失って、もう自分は選手としてはダメだって絶望してしまったんだと思う。お母さんも国体に出たことのある選手でね。小さい頃からお母さんに厳しく鍛えられていた。うちの部にはほとんど籍を置いているだけで実際には、スイミングクラブで毎日6時間くらい泳いでいたのよ」
「凄い練習量ですね」
 
「それで、その挫折に耐えられなかったんだと思う。入院中に病院の3階の窓から飛び降りて・・・」
 
と言って、圭織さんは目を瞑って口をつぐんだ。
 
青葉は絶句した。仕事柄自分の感情を表に出さないように訓練している。しかしこれは青葉も涙を浮かべてしまった。
 
「悲しいですね」
 
「うん。みんな泣いたよ。どうしてもっと彼女の心を癒してあげられなかったんだろうと、みんな落ち込んでしまった」
 
「いや、他の人に罪はないです」
「それは頭では分かっているんだけどね」
 

「男子で2番目に亡くなったのが**さん。この人は部長はしてない。ちょっと気の弱い人で無口で、彼女とかできそうにないタイプだった。だから死ぬ少し前の変化に女子部員の間でも何あったんだろうね?と言ってたんだよ。凄く積極的になって。この人は海に浮かんでいるのが発見された。大量のアルコールが検出されたから、酔って誤って転落したのだろうということになった。やはりこの人も亡くなる3週間前に女の子と会った感じだね。デートしたっぽい書き込みがある」
 
「なるほど」
 
「3番目が、ガス中毒で死んだ多縞部長。この人は水泳は大したことないけど、美形でさ。女装させたくなるくらいだったから、けっこう女子たちには人気があったんだよ。でも彼女作らないみたいだから、もしかしたらホモかオカマかもね、なんて言ってたんだ。それが亡くなる3週間くらい前に『可愛い女の子だったなあ』という書き込みがある。そしてこの書き込み見ると、どうも自分の部屋に連れ込んでいる感じだなあ」
 
「だったら亡くなった時も、その彼女と一緒だったかも知れませんね」
 
「あり得る。その次が**さんかな。この人も部長はしてない。この人のことは覚えてる。それまでいつも暗い顔していて、とっつきにくかったのが、亡くなる少し前から妙に明るくなったんだよ。それで『彼女でもできたの?』とからかったら『いやあ』とか照れ笑いしてさ。それが体調が悪いと言って病院に行ったら、医者が青くなって。緊急入院させられたけど、その日の内に逝ってしまった。医者は急性白血病と死因を書いたらしいけど、亡くなる前日までどこも悪い所なんてあるようには見えなかったんだよ。いくら急性と言っても。そんなのってある?原子炉の中にでも入ったのなら別だけどさ」
 
「ああ」
 
「もしかして、男をたぶらかしては殺している女がいる?」
 
「今の段階ではひとつの仮説です」
 
「最後の溝潟さんは・・・・これ最近だったから結構覚えてる。彼ね、最初『変な紙を拾った』と言ったのよ」
 
「紙ですか!?」
 
青葉は自分が拾おうとして《雪娘》が制止してくれた赤い紙のことを思い出した。筒石さんはあれを拾ってしまった。
 
「その後、明らかに彼女ができたような雰囲気だったのよね。それが突然の事故で」
 
と言って圭織さんはまた涙を浮かべている。最近のことなので、特に当時の記憶が強烈なのだろう。
 

「だいぶ分かってきました。これ私何とかします」
「本当に?」
 
実際問題として何とかしないと青葉も危険なのである。もっとも今いちばん危険な状態にあるのは筒石だ。
 
筒石が赤い紙に触り、あの女と会ったのは11日月曜日である。今までのケースではだいたい女と会ってから3週間後に不慮の死を遂げている。
 
ということは、5月2日くらいが危ない。ただ「3週間」というのは圭織の記憶の中での日数である。多少前後する可能性はある。すると4月29日〜5月5日くらいは危険日と考えて警戒を最大にする必要がある。
 
私の今年のゴールデンウィークはこれでつぶれるのか!!
 

この日遅く青葉が自宅で勉強していたら電話が掛かってきた。
 
見ると、秋風コスモスである。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わした後、コスモスは尋ねた。
 
「今、大宮先生、お時間とか取れますでしょうか?」
 
「あ、えっと・・・。ちょっと面倒な案件を複数抱えていて」
「どこかの曲作りですか?」
「いえ、霊的な相談事の方なんですよ」
 
「ああ、そちらですか!」
「ちょっと人の生き死にに関わることで、しばらく臨戦態勢という感じです」
「大変そうですね」
 
「それとちょっと大学の授業が始まる所で、そちらの準備にも時間を取られてまして」
「部活とかは入られたんですか?」
 
「あ、えっと水泳部に」
「ああ!大宮先生、インターハイで入賞したんでしたよね?」
「そうですね。まああの時は競争相手が少なかったから、まぐれですけど」
「大学でもインターハイみたいな大会とかあるんですか?」
 
「大学だとインターカレッジ、略してインカレと言いますね」
「へー」
「確か7月頃、中部予選があって、9月が本番だったと思います」
「なるほど」
「あとそれと、インカレの前、8月には全国公というのもあるんですよ」
「ぜんこっこう??」
「全国国公立大学水泳選手権だったかな。そんな感じの名前で」
「へー」
「それの予選はインカレの予選より少し前にあるはずです」
「なるほど」
 
実は青葉も一度聞いただけなので、かなり不確かなのである。そんなのに出てと言われる前に、早々に逃げ出そうと思っていたのに、変な事件に巻き込まれてしまって、これを解決するまでは辞めるに辞められない状況になってしまった。
 
「じゃ、今アクアの楽曲を書く余裕は無いですかね?」
 
あ、その依頼だったのか!
 
「あ、済みません。今抱えている案件が片付けば何とかなるんですが」
「分かりました。ではまた夏過ぎくらいに話が出てくると思いますので、その頃またお願いできますか?」
「はい、それまでには何とかします」
 
それまでどころか、あと半月以内くらいに何とかしないと筒石さんが死んでしまう可能性がある。
 
「分かりました。お忙しい所失礼しました。またよろしくお願いします」
「はい、またよろしくお願いします」
 

コスモスとの電話を切ってから、青葉は大きく息をついた。
 
しかしあの女が鍵を持っているのは確かだが、なぜ女は付き合った男を殺してしまうのだろうか。そのあたりの原因を突き止めないと、この案件は解決できないぞと青葉は思った。
 

青葉はこの週、慌ただしく会社設立の準備を進める傍ら、水泳部の先輩たちや顧問の先生と話しをしたり、また友人たちの人脈を頼ってK大学のOB/OG、あるいは近隣の大学の水泳部のOB/OGの人たちと接触し、K大学の水泳部に関わる1980年代頃に「悲恋」事件が無かったかというのを聞いて回った。
 
青葉はこれはおそらくかなり古い時代の悲恋が発端になっているのではという気がしたのである。
 
しかしそういう訳でこの週青葉は、アナウンススクールも新学期早々欠席したし、講義もだいぶサボってしまった(代返のききそうなのは星衣良が代返してくれていたようである)。むろん水泳部の練習自体には1度も出てない!
 

15日(金)の夕方。青葉はステラジオの件の話を聞くため、東京に向かう新幹線に乗った。
 
今回の東京行きに関しては、依頼の性質上、誰にも東京に行くことを言わないことにした。桃香から尋ねられても、金沢に行っているくらいで言っておいてと母にも頼んだ。万一桃香から冬子にバレるとまずいのである。
 
千里なら守秘義務を守ってくれるだろうが、桃香はそのあたりが怪しい。しかも親友の冬子になら、うっかり話してしまうかも知れない。
 
新宿の京王プラザホテルに泊まる。青葉もだいぶこういう高級ホテルに泊まるのにも慣れてきた。以前はふかふかすぎるベッドでは安眠できなかったので、わざわざ床に寝たりしていた。
 
翌日朝9時半に八雲さんが迎えに来てくれたので一緒にホテルを出る。
 

「八雲さん、わざわざ男装しなくても、普段通り女装でいいのに」
と青葉は言ってみる。
 
「いや、私は一応男として会社に勤めているので仕事上は基本的に男装で」
「それ無理がある気がするけどなあ」
「北川にも氷川にもそんなこと言われてる」
 
八雲さんは青葉の前では女声で話している。彼女は普段の勤務中は男声で話していることが多いものの、女声の練習をできるだけしたいので、性別がバレている人の前では女声を使うようにしているらしい。
 
ホテルから歩いて15分ほどで、ステラジオや立山みるく等が所属するΘΘプロに到達する。ビルの前でレコード会社側の現在のステラジオ担当住吉さんと合流するが、八雲さんは住吉さんに会ったとたん男声に切り替えたので、青葉は思わず吹き出した。住吉さんが不思議そうな顔で見ている。取り敢えず3人で一緒に2階の事務所に入った。
 
「ようこそいらっしゃいました」
と社長のシアター春吉さんが笑顔で握手をしてくれた。
 
「川上さんの数々の武勇伝を聞きましたよ。竹田宗聖さんとか中村晃湖さんが一目置いておられるとか」
とシアターさんは言っている。
 
おそらくこちらの名前を聞いてから即調べたのだろう。大したものである。
 
シアター春吉社長、妹のサニー春吉常務、そして副社長の急逝で補充の取締役として数日前に任命されたというターモン舞鶴取締役が名刺を出す。こちらは《心霊相談師・川上瞬葉》の名刺を出した。
 
「この瞬の文字を使える人は、長谷川一門の中でもごく少数だそうですね」
と社長。
「はい、そうです。全部で20人もいません」
と青葉は答える。しかし長谷川一門という名前まで調べ上げたのか!この人の調査能力は凄いなと青葉は思った。一般の人にはほとんど知られていない名前である。
 

「ターモン舞鶴さんって、もしかしてキャッスル舞鶴さんの?」
「はい、妹です。今回のお話聞いて、姉の本当の死因が分かったら、私もここ1年ほどもやもやしていたものが晴れると思って」
 
「そのあたりはお話を聞いてみないと分かりませんけどね」
と青葉は言っておく。
 
青葉はまずはそれぞれの人の亡くなった時の状況を尋ねた。
 
「長浜はその日仕事で出張してましてね。自分の車で行ったのですが、北陸道の非常駐車帯に駐めた車の中で亡くなっていたんですよ。駐車帯に停まっている車があることに気付いた警察高速隊のパトカーが寄せてみたら、運転席で倒れていたそうです。エンジンは掛けっぱなしだったのを警官が停めたらしいのですが、呼吸も脈拍も無いので、すぐに病院に運んだものの死亡が確認されました」
 
「死因は睡眠時無呼吸症候群とおっしゃいました?」
「ええ。おそらくは疲れてちょっと休もうと思って駐車帯に駐めて仮眠している内に呼吸が停まって死んだのではないかと」
 

「なるほど」
と言ってから青葉は何気なく尋ねた。
 
「車の窓は開いてましたか?」
 
「うーん・・・・」
と言って社長は悩んでいるが
「済みません。分かりません」
と答える。
 
5年も前のことでは分からなくても無理は無いだろう。警察の調書を見させてもらったとしても、そこまで書かれているかどうかは怪しい。病死として処理されているので、そもそも調書が作られたかどうかも怪しい。
 
「亡くなった場所はどのあたりですか?」
 
それで社長は道路地図を持って来た。
「この付近です」
と言って指し示した場所は、北陸道の親不知子不知の付近であった。
 

「キャッスル舞鶴の場合はレコーディングの作業中でしてね。風邪でも引いたみたいだから、悪いけど先にあがるねと言って帰宅したものの、翌日出てこないので行ってみたら死んでいたんですよ」
と社長。
 
「どういう様子で死んでおられましたか?」
「携帯から私宛にメールを送ろうとしていたようで、私のアドレスだけが記入されていました。文章はまだ何も入力されていませんでした」
「お布団の中ですか?」
「居間兼食堂の床に倒れていました」
 
「そうですか」
 
「私は実家から通っていたのですが、姉は遅くなることが多いからと都心のマンションに独り住まいだったんです。母が悔やんでました。実家なら異変に気付いてすぐ病院に運んだりできたろうし、言い残すことがあれば聞いてあげられたろうにと」
と妹のターモン舞鶴さん。
 

「大堀の場合は、ツアーの最中だったんですよ。前日のライブまでは普通にしていたし、ライブ後の食事の席でも特に変わった様子は無かったんです。それが翌朝出てこないもので、ホテルの人に鍵を開けてもらって中に入ると死んでました」
 
「ツアー中なら大変だったでしょう?」
「とにかくその日は最終日の公演があったので、ステラジオのふたりには急病とだけ言っておいて、公演が終わった後で報せました」
 
「最終日で良かったですね」
「です。何日もはふたりに秘密にすることは不可能でした。でも言えば動揺してまともなパフォーマンスができない恐れがありましたから」
 
「社長さんも大変でしたね。死因は癌とおっしゃいました?」
 
「はい。医者はそう診断しました。でも前日まで、特に体調が悪そうな様子は無かったんですよ」
 
青葉は水泳部の事件の方の被害者でやはり突然白血病になって死んだ人がいたという話を思い起こしていた。
 
「どういう様子で亡くなっておられました?」
「ベッドのそばで倒れていました。服装は昼間の服装のままだったので、何か作業をしていたようです」
「窓は開いてましたか?」
 
「えっと・・・」
と言って社長は記憶を辿っているようだ」
「開いてました」
と社長は言ってから
「何かプラスチックを燃やしたような臭いがしてました。おそらくそれを燃やすのに窓を開けたのではないかと」
 
「何を燃やしたか分かりましたか?」
「分かりません。それらしきものは見あたらなかったのですよ。もしかしたら燃えかすを窓の外に投げ捨てたのかも知れません」
 
「なるほど」
 
青葉はその彼女が今際の際(いまわのきわ)に焼却したものこそ、重要な手がかりと思ったものの、その様子ではおそらく処分されてしまったのだろう。
 
しかし今回は何だか探偵の気分だ!
 

青葉は質問を変えた。
 
取り敢えず、みんなの記憶が新しい、ピュア大堀さんのケースについて、亡くなる数日前とかから、何か変わったことは無かったかというのを尋ねる。気のせいでもいいし、関係あるとは思えないことでもいい。例えばツバメが巣を作っていたとか、ゴキブリが大量発生したとか、近くで痴漢が出たとかでもいいからというので尋ねる。
 
みんな首をひねっている。八雲さんと住吉さんも考えている。
 
なかなか出てこないので青葉はまた質問を変える。
 
「でしたら、ピュア大堀さんが、キャッスル舞鶴さんから引き継いで使用していたグッズとか装置・設備の類って無いでしょうか?」
 
「それならステラジオのロゴマークが入った旗とかかな」
「どんなのですか?」
 
サニー春吉さんが旗を出してくる。青葉は触ってよくよく見てみるが、特に何か問題がありそうには見えない。
 
他にステラジオの過去の全てのCD/DVD またそれらの元データの格納されたハードディスク、楽譜集、写真集、プロモーション素材なども1時間以上かけて見せてもらったが、青葉のセンサーに引っかかるような怪しいものは見あたらなかった。
 
青葉はこのままではお手上げという気分になる。
 

「亡くなったピュア大堀さんのご自宅を見せていただけますでしょうか?」
「待って。家族に連絡してみる」
 
それで社長が連絡した所、見てもらうのはOKだし、まだショックで彼女の部屋はそのままにしてあるとお母さんが言っているということだった。あまり大勢で行ってもということで、社長、妹のサニーさん、ターモンさん、それに青葉と八雲さんの5人だけで訪問することにした。
 
ターモンさんが運転するロールスロイス・ファントムで移動する。
 
「凄い車ですね」
「うん。特注品」
と言って、シアター春吉社長は車を褒められてご機嫌である。
 
同じ大手プロダクションのトップでも、○○プロの丸花社長はフェアレディZとか、NSXを使っている。本当に運転すること自体が好きなようだ。ご自身国内A級ライセンスを持っていて時々サーキットで走っているようである。∞∞プロの鈴木社長の場合は、とっても庶民的なマツダ・アクセラの愛用者だ。その前はファミリアに20年乗ったと言っていた。車で見栄張る必要は無いし、適度に燃費が良くて取り回しが楽な車が好きだと言っていた。
 
大堀さんの家は八王子市の郊外にあった。結婚してお子さんが3人できたもののご主人とは離婚していた。母親の急死で今、福岡に住んでいた大堀さんのお母さん、子供たちのお祖母ちゃんが泊まり込んで、大学生と高校生の子供たち3人の面倒を見ているらしい。
 

喪中の紙が貼られた玄関を
「失礼します」
と言って入った青葉は、突然の雰囲気に警戒態勢を取る。
 
何だこれは?
 
青葉の眷属たちも警戒態勢である。海坊主は指をポキポキ鳴らしている。雪娘は彼女が持つ剣をいつでも抜ける体勢だ。蜻蛉も紅娘も小紫もかなり緊張しているのが分かる。
 
「どうしました?」
と青葉の様子に気づいたふうの八雲さんが言う。
 
「何か居ます。あるいは在ります」
 
青葉はその気配が存在する方向に慎重に歩いて行った。
 
「この部屋は?」
「そこが娘の部屋です」
 
と故人のお母さん。
 
「皆さん、ちょっと下がっていてください。えっと、ここより遠くに居て下さい」
と言って青葉は廊下に指で線を引いた。その線の所に蜻蛉を待機させる。
 

青葉は強力な霊鎧を身にまとった上で、障子を開けた。
 
青葉は思わず声をあげそうになった。声をあげなかったのは、プロの霊能者としての意識ゆえである。霊能者はたとえどんなとんでもないものを見ても、クライアントの前で驚いたりする様を見せてはいけないのである。
 
しかし青葉は内心「何これ〜!?」と思った。
 
『海坊主、やっちゃって』
『OK』
 
故人の部屋の中は、まさに《妖怪の缶詰》という感じになっていた。海坊主はその部屋に中にいた妖怪を2〜3分で全部片付けてくれた。
 
「この部屋は今クリーンにしました。もう中に入れます」
と青葉は社長たちの方を見て言った。
 
それで全員中に入る。
 
「あら?何かここきれいになった感じ」
とお母さんが言う。
 
「変なものが大量に湧いていたので処分しました」
と青葉はポーカーフェイスで言った。
 
「何がいたんです?」
「妖怪の類ですが、みんな雑魚です。大物はいませんでした」
 
と言いつつ、青葉は警戒を緩めない。どうも・・・他にも何かいるような気がしてならないのである。怪しげな気配自体は無くなったし、蜻蛉や小紫たちはもう警戒態勢を解除してしまっている。ただ勘の良い雪娘だけがまだ警戒を弛めていない。
 

青葉は部屋の中をチェックさせてもらう。
 
念のため白い手袋をはめた上であちこち調べる。ワーキングデスクは引き出しを全部開けて中を見させてもらった。本棚に並んでいる本をチェックする。
 
「このパソコン起動していいですか?」
「どうぞ」
 
起動するとパスワードを訊いてくる。青葉は難なくパスワードを入れてOSを立ち上げたので、社長がびっくりする。
 
「なぜパスワードが分かったのです?」
「私のレベルの霊能者なら分かることです」
と青葉は何でも無さそうに言う。
 
「凄い!」
と社長もサニーさんも言った。
 

「そのパソコン、そのまま起動したままにしておいてもらえない?業務関係のファイルが無いか調べたい」
と社長が言う。
 
「でもファイル自体も暗号化されてるっぽいですよ」
「うっ」
「正確には・・・・フォルダ単位でパスワードが掛けられている感じですね」
「セキュリティ対策の見本にしたいな」
 
「でしたら、社長、川上君に依頼して、このパソコンのデータ全部サルベージしてもらったらどうでしょう? 川上君、できる?」
と八雲さんが訊く。
 
「私が取り出せる範囲で良ければ」
「だったらそれ頼む。50万払うから」
「了解です」
 

取り敢えずパソコンの中をチェックする。ステラジオOld,2015,2016と書かれたフォルダがあるので、青葉はまた難なく各々のパスワードを打ち込んでフォルダを開く。社長が感心している。
 
中を見ていくが、特に怪しい雰囲気のものは無い。
 
青葉は考えていた。
 
あれだけの妖怪が集まったということは、この部屋に何かがあるはずだ。そう簡単にあれだけ大量の妖怪は集まって来ない。青葉は目をつぶり、自分の存在を滅却して、その場の空気と一体になった。
 
この部屋の波動を感じ取る。それにシンクロする。
 

青葉はふと目を開けると、本棚に立っていた《SR楽譜集》と書かれたファイルを取った。SRはステラジオのことだろう。Cubaseか何かで作ったスコア譜が多数ファイリングされている。
 
ファイルはごく普通のフラットファイルだ。国内大手メーカーの製品である。裏表紙に綴じ具が固定されているので、古いものが下、新しいものが上に来る。
 
青葉はそのいちばん下を見た。裏側の表紙が二重になっているのに気づく。
 
「これ外してみていいですか?」
「どうぞ」
 
楽譜を全部外し、その二重になっている裏表紙の1枚目を取り外すと、そこに1枚のピアノ譜があった。他のはプリントしたバンドスコアなのだが、これは手書きのピアノ譜である。そして譜面に1枚SDカードがセロテープで留めてある。ピアノ譜のタイトルの所にはSR-DSと書かれていて、SDカードにもSR-DSという同じ字が書かれている。おそらくはこの譜面を演奏したデータがこのカードに入っているのだろう。
 
青葉はその先頭数小節を読もうとしたのだが・・読めなかった。
 
何だこれは!?
 
およそ「曲」とは思えなかったのである。
 
「この曲は聴いたことありません。未発表曲ですか?」
と青葉は尋ねた。
 
「見せて」
と言って八雲さんが楽譜を見る。八雲さんも数秒見ていたが首をひねる。
 
「この曲は見たことない。それにそもそも、これって曲だっけ?」
と八雲さんが言う。
 
「およそ普通の楽曲のスタイルを取ってませんよね」
「無調音楽っぽいね」
と社長もそれを眺めて言う。
 
「ちょっとそのSDカード聞いてみようか?たぶんこの譜面の演奏だよね」
「そう思います」
 
それで八雲さんは、そのSDカードを先ほど青葉が立ち上げたパソコンにセットしようとした。
 

そこに青葉のスマホに着信があった。
 
「礼江さん、ちょっと待って」
と青葉は八雲さんを女性名で呼んで停めさせる。八雲さんは勘弁してよおという顔をしている。
 
着メロは『ワルキューレの騎行』で、千里姉からの着信を示している。
 
「はい」
「おっはよー。青葉、死んでない?」
などと千里は明るい。
 
「何とか生きてるけど」
「今凄く危険な曲を再生しようとしたでしょ?」
「よく分かるね」
 
「青葉と私は霊的につながっているから、青葉が危ない時は私もピクッとするよ」
「そちら、練習中だった?」
「練習試合中だけど、タイム要求した」
 
「この電話掛けるために!?」
と青葉がさすがに驚く。
 
「だってまだ青葉に死なれたら困るからさ。警告。その曲を再生したら、今そこの場にいる人全員、1分以内に死ぬから」
 
え〜〜〜!?と青葉は思わず声をあげそうになったが、それで青葉はこの事件の原因が分かってしまった。
 
「その時の死因はね、各々本人が自分の健康に関していちばん不安を持っているものになると思う」
 
なるほどー! それでいきなり癌で死ぬ訳だ。
 
「青葉、譜面を数小節頭の中で読んでみたりしなかった?」
「ちょっと読んだ」
「それだけで寿命1年くらい短くなったから」
「うっ・・・」
「まあ青葉はあと50年くらい生きられた筈なんだけど、享年が1年短くなったね」
 
私、そんなに寿命が残っているのかなあと青葉は考えた。以前自分の寿命は50歳くらいと誰かに言われたことがある気がした。50歳で死ぬのなら余命は31-32年である。
 
「あまり危ないことしてると、その内また寿命消費するよ」
 
「でもありがとう。助かった」
「じゃチャージドタイムアウトが終わるから。また」
「うん」
 

千里との電話を切ってから青葉は言った。
 
「今のは私の姉弟子からの連絡です。私たちがこの曲を再生しようとしたのを察知して、やめろと電話を掛けてきました」
 
「凄いね!その姉弟子さん」
と春吉社長が驚く。
 
「数少ない瞬の字を持つ人のひとりです。それで、この曲を聞いたら、この場にいる人は全員1分以内に死ぬそうです」
 
「え〜〜〜〜!?」
とその場にいた全員が声をあげた。
 
「その時の死因は、各々本人が自分の健康に関していちばん不安を持っているものになるそうです」
と青葉。
 
「つまり一番弱い所を突くんだな」
と八雲さんが言うが、女声である。恐らく、あまりに驚いて、男声を使うのを忘れて女声になってしまったのだろう。しかも女声を使っていることに気付いていないふうである。
 

社長が、この曲のことをもしかしたら知っているのではと言ってステラジオの2人を呼び出した。彼女たちは1時間ほどでやってきたがメンツの中に青葉がいるので驚く。
 
「あなた、たしか大宮万葉さんですよね?」
とやや敵対的な視線で言う。青葉と冬子の関係を知っているのだろう。
 
「はい、そうです。でも今日は《作曲家・大宮万葉》ではなく《拝み屋・川上瞬葉》として来ました」
 
と言って2人に名刺も渡す。
 
「私がこの名前で活動している時は全ての人間に対して中立です。守秘義務がありますので、お聞きした話は一切誰にも話しません。むろんローズ+リリーや加藤課長などにも絶対話しませんよ」
と青葉が言うと、ホシがしばらく考えるようにしていたが
 
「あんた信用できそうだね。だったら知っていることは何でも話す」
と言った。ナミはホシがそう言ったのでうなずいている。
 
「で何ですか?」
 

「この譜面を見て頂きたいのです。まともに読むと危険なので、あまりじっくりとは見ないで下さい。この譜面をご存じですか?」
 
見せられたホシが物凄い表情をした。
 
青葉は人間にこんな表情があるのかと思った。
 
そのホシの表情は、驚きというより激しい恐怖に包まれたものであった。
 
「ナミは見るな」
と言って後ろに押しやってからすぐに裏返しにして目に入らないようにし、
 
「この譜面、残ってたのか・・・・」
と言ってから、ホシは厳しい顔をしている。
 
たっぷり1〜2分経ってからホシは言った。
 
「ちょっとこの話を聞く人を減らして欲しいのですが」
「分かった」
 

それで取り敢えず大堀さんのお母さん、サニーさん、ターモンさんにも席を外してもらった。青葉・社長・八雲さんの3人だけで話を聞く。
 
「この譜面は危険だといって、長浜さん、私たちの最初のマネージャーですが、彼女が私たちから取り上げて、廃棄すると言っていたんです」
 
「この譜面の由来は?」
 
「秘密にして頂けますか?」
とホシはあらためて訊く。
 
「もちろんです。私たち祈祷師は、弁護士や医者と同じです。クライアントのことは、たとえ犯罪をおかしていたとしても絶対に他人には言いません」
 
「実は、私、デビュー前の一時期、クスリをやっていて」
とホシは語り始めた。
 
「どういう系統のお薬ですか?」
「こんなこと話しちゃったら事務所クビになっちゃうかも知れないけど」
とホシは前提を置いてから
 
「LSDです」
と言った。
 

社長は腕を組んで、しかめ面をしている。八雲さんはポーカーフェイスである。青葉も当然無表情だ。
 
「あちこちのクラブとかに出演して歌っていた時期に、クラブに来ていた客から勧められたんです。でハマってしまって。でもナミにぶん殴られて。3ヶ月精神病院に入院して、薬から抜けました」
 
「辛かったでしょう?」
と青葉は言う。
 
「薬はとうにやめているのに、度々フラッシュバックが起きるんですよ。もうあの時は自分が怖かったです」
 
「LSDは禁断症状は無いんだけど、そのフラッシュバックが怖いんですよね」
 
「それで、その曲はそのLSDのフラッシュバック状態で書いた曲なんです。LSDって、感覚が混線するんですよね。音が見えて、色が聞こえるんです。遠近感とかも無茶苦茶で、ドアが手のひらみたいに小さく見えて、四角い窓が丸く見えて、それもアドバルーンみたいに大きく見えて。窓に鉄格子が無かったら、そこから飛び降りていたかも」
 
「まあ脳自体がパニックになってますからね」
 
「その精神状態で書いたものだから、自分で後から見てもさっぱり分からなくて。だから自分では演奏したことありません。でもこの譜面を見た、ある音楽家さんが『面白そう。ちょっとコピーさせてよ』と言って、譜面をコピーしていったのですが・・・」
 
「亡くなりましたか?」
 
「はい」
と言ってホシはうつむいた。
 

「その譜面は長浜さんが回収して焼却したと言っていました。そして私が持っていたオリジナルも取り上げて、私たちの目の前でシュレッダーに掛けて処分しました。長浜さん、これはたぶん悪魔の歌だ。これを歌えば多分死ぬと言って」
 
「じゃもしかして長浜君は知ってて、その曲を演奏してみたのかね?」
と社長は驚いたように言う。
 
「ここにSDカードがあります。ホシさんのお話なら、もしかしたらこのSDカードはその亡くなられたミュージシャンさんが演奏なさったデータかも知れないですね。あるいはこのデータを何かの間違いでうっかり聞いてしまったのかも」
 
「それならあり得るな」
 
「じゃ、舞鶴君や大堀が死んだのも?」
「その人たちは危険な曲とは知らずに、再生したのかも。大堀さんが亡くなる直前に焼却したのはこのデータのコピーかも知れませんね」
 
と青葉は言う。
 
ホシが泣き出した。
 
自分が書いた曲のせいで、少なくとも4人の命が失われたことになる。
 
「私・・・・歌手引退します。亡くなった人たちに悪い」
と言ってホシが泣きじゃくっている。ナミがその彼女の背中を撫でている。
 

社長はしばらく考えていた。
 
「その最初に亡くなった音楽家さんって、どういう人?」
「金沢の片町でスナック経営していた40代の人です。金沢でのライブの時に伴奏とコーラスをしてくださったんですよ。せめてもの贖罪にご遺族に最初の頃は毎月2万円、今は毎月10万円、匿名で送金しています。もっと送ってあげたいけど、そこまで経済力が無いので」
 
とホシは言った。
 
発端は金沢か・・・と青葉は少し驚いていた。
 
「男の人?女の人?」
と社長が質問すると、ホシとナミは一瞬顔を見合わせた。
 
「うーん。。。。どっちだろ?」
とホシが悩む。
 
「へ?」
 
「身体は男、心は女というか」
とホシ。
「ああ、そういう人か」
 
「でも奥さん居たね」
とナミ。
 
「いや、ニューハーフさんで女性と結婚している人は割とよくいる」
と八雲さんが言う。
 
「名前が奇抜すぎて最初ドラッグクイーンさんかと思ったんですけどね」
「うん。でも中身はまともに普通の女性という感じだった。話していて男と話している感じが全く無かったから」
「へー」
 
「じゃ、その人の遺族への補償は僕にさせてよ。僕は君たちとアーティスト契約をした。その君たちに関する全ての責任は僕が取るから」
 
と社長は言った。
 
「すみません」
と言ってホシはまだ涙ぐんでいる。
 

社長は妹のサニーさんだけを呼んで事情を話した。サニーさんも息を呑んでいた。
 
「とりあえずステラジオは1週間お休み。一週間後にまた今後のことを考えよう。だから、絶対早まったことしないこと。いいね?」
と社長は念を押した。
 
「はい」
とホシは力なくうなずいた。
 
「波流美(ナミ)ちゃん、紗早江(ホシ)ちゃんから絶対に目を離さないで」
「分かりました」
「陽子、おまえもこのふたりに付いてて。おまえか、波流美ちゃんかどちらかは必ず紗早江ちゃんを見ているようにして」
 
と社長はサニーさんを本名で呼んで話した。
 
「分かった。絶対に目を離さない」
とサニー常務も答えた。
 
その後で社長はまずターモン舞鶴さんを呼んだ。亡くなったキャッスル舞鶴さんの妹さんである。
 
ターモンさんはじっと話を聞いていたが、やがて言った。
 
「それホシちゃんは悪くないよ。クスリの仕業だよ。だから、二度とこういう過ちをしないこと。それだけを誓ってくれれば私はいい。姉貴も絶対あんたを恨んだりはしてないから」
 
「ありがとうございます」
と言ってホシはまた泣いている。
 

最後に大堀さんのお母さん、そしてお子さんたちも呼んだ。
 
社長の話にお母さんは悲痛な表情をして聞いていた。子供たち3人はむしろ無表情で聞いていた。
 
「じゃ、ホシちゃんたちは、この曲が残っていたことを知らなかったのね?」
「はい。初代マネージャーが処分したと言っていたので、それを信じていました」
 
「だったらあなたたちに罪は無い。これはただの事故だよ」
とお母さんは言った。
 
「私もその意見に賛成。これはただの事故。お母ちゃんは交通事故とかに遭ったのと同じだよ」
と長女の女子大生・浮見子さんがしっかりした口調で言う。その弟と妹の高校生はお姉ちゃんがそう言ったので、顔を見合わせてから頷いた。
 
「すみません」
と言ってホシはその場に土下座してまた泣いた。
 

社長は、大堀さんの遺族、舞鶴さんの遺族、長浜さんの遺族にもあらためてきちんと補償をすることを約束して、青葉たちとともに大堀家を出た。なお譜面とSDカードは青葉が持った。
 
「それ処分するの?」
「処分させてください。これ以上死人を出したくないです」
「どうやって処分するか見てもいい?」
「いいですよ」
 
それで青葉は瞬法さんに連絡を取り、彼のお寺に社長・八雲さんと一緒に3人でお邪魔した。
 
「禍々しい気を放っているね」
と瞬法さんは言った。
 
「そうですか。私にはよく分からなくて」
 
瞬法さんはこの手の感覚に物凄く鋭敏なのである。
 
「修行不足だな。お焚き上げしようか」
と言って瞬法さんはお寺の庭に護摩壇を組むと火を入れた。瞬法さん、そして青葉が特別なお経を唱える中、瞬法さんは楽譜を火に投じた。その瞬間炎が凄まじく巨大になる。
 
「わっ」
と社長が声をあげる。
 
しかし瞬法さんと青葉は何事もなかったかのように長いお経を最後まで唱えた。
 
「終わりました。あの世の物はあの世へ送り届けるのが良いです」
と瞬法さんは言う。
 
「今の炎を見て僕も思った。あれはこの世のものでは無いんだよ」
と社長も言った。
 

ステラジオのふたりは取り敢えず静かな所で静養させようということで、社長の親戚が経営している富山県の温泉宿で過ごさせることにした。社長はサニー春吉さんの他、懇意にしているカウンセラーさんと連絡を取り、その人にも同行してもらうことにした。
 
青葉たちは事務所に戻ってあらためて今後のことを話した。
 
「ステラジオに関しては半年くらい休養させてもいいと思う。アルバムの制作中とか言えば、そのくらい露出しなくても大丈夫だろうし」
 
と社長は言う。
 
「ツアーとか夏フェスとかはどうします?」
「全部キャンセルする。もしキープロスとかの代替出場が可能なら出させる」
 
「まあキープロスを売り出すチャンスになるかも知れませんね」
「うん。それは言える」
 
「その後は?」
と八雲さんが訊くと、
 
「その後、どうなると思う?」
と社長はこちらに質問を返してきた。
 
「ホシさんは強いです。絶対に立ち直りますよ」
と青葉は言った。
 
「僕もそう思う。今回の事件を契機にして彼女はアーティストとしてひとまわり成長すると思う」
と社長。
 
「私も同感です。ステラジオはここ2年ほど全力疾走してきたし、ここで一度休養するのもまた良いかも知れません。きっと復活したステラジオは物凄く強烈になってますよ」
と八雲さんは言った。
 
「じゃ、そういうことになることを期待して、前祝いしようよ」
と言って社長はドンペリを持って来た。
 
「社長、川上君はまだ未成年なんですが」
と八雲さんが言う。
 
「八雲君、君は守秘義務があるよね?」
「はい」
「川上君、君も守秘義務があるよね?」
「はい」
 
「ということであれば、ここで未成年飲酒させても、それがどこかに漏れることはあり得ない」
と社長。
 
「分かりました。頂きます」
と青葉も苦笑してグラスを持つ。
 
社長が3つのグラスにシャンパンを注ぎ、社長・青葉・八雲さんは乾杯した。
 
あ、美味しい、と青葉は思った。
 

「だけど、今回の川上さんの問題解決の仕方は見事だったね」
と社長はドンペリをお代わりしながら言う。
 
「今回はうまく行き過ぎました。正直この問題は1日で解決するとは思ってもいませんでした」
 
「トラブルを予兆するようなものが無かったことを確認。あれで多分怨恨とか呪詛とか、その手の可能性が消えたよね」
 
「そうですね」
「それから死んだ人たちが共通で持っていたものが無いか聞いた。実際にはそれがホンボシではあったんだけど、結局引き継いだ人が危険なものを引き継いでいたこと自体を知らなかったんだな」
 
「世の中、結構知らぬが仏ですよ」
と青葉は言う。八雲さんも頷いている。
 
「それで解決の糸口を求めるのに、最も最近死んだ人の自宅に行く。これも基本を踏襲している。そしてそこで問題の原因となるものを発見した」
 
「あそこで姉弟子の力を借りましたけどね」
 
「でも君たちってそもそもネットワークで動いてるんでしょ?」
「まあそうですね。この世界に1匹狼の祈祷師は存在しません。ひとりひとりの得意分野があるから、いつも助け合っているんですよ。私も竹田さんや中村さんとお互いに助け合ってますよ」
 
「でも凄いよね。あの電話が掛かってくるのが遅れていたら、みんな死んでしまっていた所だ」
 
「それを停めたんだから、やはり川上君は優秀なんですよ。社長、報酬はたっぷり払ってあげてください」
と八雲さんが言う。
 

「分かった。口座番号教えて。今月中に払うから」
「ありがとうございます。あ、でももしよかったら今月ではなく来月いただけませんか?」
 
「それはかまわないけど、どうして?」
「今、私個人会社の設立をしようと思って手続きを進めている所なんですよ。それが近い内に設立できると思うので、できたら登記が終わって銀行口座を開設してから、その口座にいただけないかと」
 
「ああ。それはかまわないよ」
「ではその会社の口座ができましたら、すぐお知らせしますので」
「OKOK。よろしく」
 
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【春老】(2)