【春足】(3)

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その日、桃香は勤務している学習塾から「定期健康診断に行ってきて」と言われ、職場から近い、船橋市内の病院に行った。受付で会社から渡された書類を出すと、カルテを渡され、おしっこを取ってから数字の順番に回って下さいと言われる。
 
それで紙コップをもらい、まずはトイレ(女子トイレ)に入り、おしっこを取った。それを検査室に提出する。その検査室で、体重・身長・腹囲・血圧を測り、採血される。眼科に行って視力、耳鼻科に行って聴力を測定された。眼科で待っている間に問診票に記入し、提出した。
 
その後、胸部X線検査に行く。
「たかぞの・とうこうさん、1番の部屋へ」
と言われて、1番に入る。直前に撮影した男性が服を着ているか気にしない。桃香(ももか)は着ていたトレーナー、ポロシャツをゆっくりと脱ぎ、男性が出ていったところで、その下のTシャツも脱いでブラジャーを外した。
 
カーテンの中に入る。アルコール消毒の臭いがする。1人ずつ機械を消毒しているようである。
 
検査技師が「あれ?」という表情で
「たかぞの・とうこうさんですか?」
と尋ねるので
「はい。そうです」
と答える。
 
すると技師は平静を装い、機械に抱きつくよう桃香に指示し、撮影室に入った。
「息を吸って、止めて」
「はい、OKです」
 
それで桃香はカーテンの外に出て服を着たが、次のクライエントは桃香が服を着て退出した後で!呼ばれた。
 

その後、心電図検査に行く。また例によって
「たかぞの・とうこうさん、1番の部屋へ」
と呼ばれるので、中に入る。ここもアルコールの臭いが凄い。
 
靴下と、上半身の服を脱いだら呼ぶように言われる。今日はこのためにストッキングではなくソックスを履いてきている。
 
それで上半身裸になってから技師を呼ぶと、男性の技士がギョッとしている。
 
「たかぞの・とうこうさんですか?」
「はい。そうです」
というやりとりの上
「私が検査してもよいですか?女性の技士の部屋に行きます?」
と技師さんは確認する。
 
「あなたでいいですよ」
と桃香が言うので、技師さんは桃香のバストにクリップをつける。足にも付ける。それで心電図検査をした。
 

最後に胃癌検診に行く。バリウムを飲む!
 
「睾丸を放射線から守るため」
と言われて鉛のエプロンを渡されるので着ける。
 
私には睾丸は無いはずだけど、まいっかと思う。
 
検査台に寝てあれこれ言われた通りに動く。
 
「お疲れ様でした。終了です」
 
ということで下剤をもらうが、便秘ぎみなのでと言って通常の倍の量をもらった。以前検査を受けた時に出て来なくて死ぬ目にあったので、本当はこの検査は受けたくない気分だったのだが。
 

それで終わりなので、受付に行き、書類をもらって学習塾に帰還した。
 
桃香(ももか)はカルテに「高園桃香 たかぞの・とうこう 男」と記載されているのには気付いていたものの、気にしないことにしていた!
 

青葉は9月いっぱいでタロットの制作が一段落した後、§§ミュージック、TKR, ★★レコード、結実(松本花子プロジェクト)東京支所(大田区)などに顔を出して色々意見交換をした。
 
「え!?2A17さん、本当の女性になっちゃったんですか?」
と青葉はこの時初めてそれを知って驚いた。
 
「まだ知らなかったの?」
と青葉の親友・空帆が言う。
 
「知らなかった。いつ?」
「3月末で長年勤めていた私立高校を退職したから、この機会に性転換手術を受けて女性になってから、学習塾に女性講師として再就職したんだよ」
 
「へー!それはおめでとうございます」
「イリヤさんの奴隷らしいけどね」
「はい、私は人権を放棄した奴隷です」
などと本人は言っている。
 
「人権を放棄したから、もう人間では無いんだって」
「はぁ!?」
「イリヤさんからお金を借りて株の投資をして失敗したから、奴隷になったらしい。それでイリヤさんの命令には従うし、身体のどこを切り刻まれても構いません、という誓約書を提出したらしいよ」
 
「それは民法第90条により公序良俗違反の契約で無効だと思う」
「おお!条文の番号が出てくるのはさすが法学部出身」
「でもイリヤさんの命令で、性転換手術、豊胸手術、全身のレーザー脱毛、喉仏の切削、肩の骨の切削、と受けたから、本人は満足している」
 
「それだけ手術したら痛かったでしょ?」
「痛いけど私は奴隷だから我慢します」
 
「まあ本人がいいなら、それでいいか」
「そうそう」
 
「でも女性講師として再就職したというのはおめでとうございます」
「ありがとうございます」
「戸籍も女性に変更したんですか?」
「結婚維持優先で、法的な性別は変更しません」
「じゃ奥さんも性転換を認めてくれたんだ?」
 
「イリヤさんのお兄さんたちもアレだしねぇ」
と大谷日香理が言っている。
 
「お兄さんたちって、何かあったんだっけ?」
「上のお兄さんはゲイだし、2番目のお兄さんは性転換して女性になっちゃったし」
「知らなかった!」
「あれ、私の遺伝かも。申し訳無い」
と2A17は言っている。
「だからイリヤさんのお母さんは、イリヤさんが子供を産んでくれたのが物凄く嬉しかったらしいですよ」
「私も嬉しい」
と2A17.
 
青葉は言った。
「ゲイもMTFもひとつの個性だと思いますよ。他人に迷惑かける訳でもないし、構わないのでは」
 
「そう言ってもらうと心が軽くなる」
 

それで10月4日(月)、高岡に戻ろうかと思っていたら、桃香から電話があった。
 
「青葉、いつ高岡に帰るの?」
「今日帰るけど」
「車か何か?」
「ビジネスジェットだけど」
「私も同乗させてくれない?母ちゃんから呼ばれてるんだよ」
「桃姉ならいいよ。じゃ浦和に寄ってから熊谷に行くよ」
 
それで青葉は千里姉の専任ドライバーの1人、津島さんの車で浦和の自宅に戻ると、お留守番している千里1に声を掛けてから、桃香と一緒に熊谷の郷愁飛行場に行った。
 
搭乗手続きをしてから、Honda-JetBlueに乗り、能登空港まで飛んだ。そこに母が迎えに来てくれていたので、母の運転する“アクアのアクア(レオ)”で高岡に戻った。
 

「青葉も戻ってきたのならちょうどいい。面倒な話があってさ」
と言って、母がした話は、今住んでいる地域が区画整理に掛かったということだった。
 
「引っ越さないといけないの?」
「基本的には換地が指定されて、そこに引っ越すことになる。来年中に引き渡して欲しいと市は言っている。換地に建てる家の建設中は仮住まいも用意してくれる」
 
「新しい家を建てるの?」
 
「基本的には解体移築」
「この家を解体したら再度建てるのは不可能だと思う」
「かなり痛んでるもんねー」
「痛んでる材木は新しいのと交換するんだけど、この家だと全交換かも」
「この家、この居間以外は安物のベイマツでできてるし」
と桃香が言っている。
「私は木材の種類は分からないけど、居間以外は凄く柱が細いよね」
と母。
 
この家の居間は明治40年(1907)頃に建てられたもの(つまり100年以上経っている)だが、その後、昭和34年(1959)に居間以外の部分を全改築(改築という名目にするため居間を残した)、台所は昭和45年(1970)、お風呂は昭和52年(1977)に改築したもの。但しこのお風呂があまりに古すぎたので、2003年に古いタイルの浴槽と外釜(リモコン無し!)を撤去し、内釜式のホーロー製シャワー付きバスを導入している。
 
「それに換地は今の土地より確実に狭くなる(*6)。でもこの家は敷地のギリギリに建ってるから、建蔽率の問題が出てくる」
「今の家の半分程度の面積しか建坪として取れないだろうね」
「じゃ移築そのものが不可能だ」
 
(*6)区画整理では移動先の土地は必ず狭くなる。これは大きな道路や避難用に公園を確保するためにどうしても全員の宅地が削られるのだが、区画整理後は路線価が高くなるから、整理前の土地の価値と整理後の土地の価値は等しいと説明される。しかし実際には近年は元々路線価の低い地域で行われるケースが増えていることもあり、区画整理してもそんなに路線価があがらないことが多く、この“区画整理の原理”に対しては批判の声も多い。
 

現在、15-16坪の敷地に14坪程度の建物が建っている。仮に20%減歩された場合、13坪程度になり、建蔽率60%を適用すると8坪程度で家を建てなければならないことになる。およそ人が住めるとは思えない(用賀のヴィラは7坪の2DKだが、間取りが芸術的である)
 
「だいたいここは深刻な再建築不可能物件だったからなあ」
と桃香は言う。
 
道路に接しておらず、路地を数十メートル入る(接道義務違反)。そして敷地ギリギリに建てられている(建蔽率違反)。建築基準法が定められた1950年より前に建てられた家にはこういう家が多い。
 
「そういう地区だから、区画整理になったんだと思うよ」
「確かにこの付近は火事が発生したら悲惨だろうから」
 

青葉は言った。
「仮住まいに移って、また引っ越しては大変だし、桃姉が言うとおり、この家を解体して換地で再建築しようとしても建坪が半分程度になったら、住むこと自体が不可能になると思う。いっそどこかに引っ越そうよ。土地の購入代・新築費は私が出すからさ」
 
「賛成。青葉はお金持ちだからここは甘えよう」
と桃香が言う。
 
「やはりその手かねぇ」
と朋子も言い、引っ越す方向で考えることにする。こういう狭小の土地の場合は“換地を定めない”で、清算金(せいぜい数百万という気がする)を受け取って土地は放棄することができるので、その方式で行くことにする。
 

「じゃ、お母ちゃん、お母ちゃんの好みでどこか土地を探してよ。少しくらい高くてもいいから」
と青葉は言う。
 
「土地の吉凶は青葉に見てもらって」
と桃香。
「うん。私が東京に行ってる間なら地図を送って。よくない土地は地図だけでたいてい分かるし」
と青葉。
 
「青葉、いつまでこちらに居るの?」
「10月16-17日に短水路選手権があるから、10月14日頃に向こうに行くつもり」
 
「じゃその間に引越先を決めよう。私もその時、一緒に浦和に戻るよ」
「早月ちゃんたちは大丈夫?千里ちゃん1人で子供4人たいへんでしょ?」
「早月と由美は季里子の所に置いて来たから大丈夫」
「ああ、季里子ちゃんのお母さんが大変そう」
 

「でも新しい土地ってどのくらいの面積が必要なんだろう」
 
「それはどのくらいの家を建てるか次第だと思う」
 
「桃姉がもし高岡に戻ってきた場合、桃姉の子供たちを収容できる広さが必要だと思う」
 
「こちらに帰るつもりはないのだけど」
「でも子供連れて帰省することはあるでしょ?」
「それはあるかも知れないなあ」
「桃姉の子供って何人居るんだっけ?」
「個人的に把握しているのは早月、由美、来紗、伊鈴、小空、小歌の6人だ」
 
「小空・小歌のことは話だけは聞いてたけど」
と母。
 
「その2人は気にしなくていいと思うよ。桃姉の遺伝子を引き継いでいるだけで、実質早紀ちゃんの子供なんだから」
「うん。あの子からはそう言われている」
「一応私の孫なの?」
「遺伝子的にはね。でも実質的に、卵子を貸しただけだから」
「ああ。そういうこと?」
 
「珠那ちゃんと美甘ちゃんは?」
と青葉が言うと、桃香は咳き込む。
 
「なんでそんな名前知ってるの〜?」
「桃姉のお友達はみんな知ってる」
「うーん・・・・」
「その子たちは?」
と朋子が尋ねる。
 
「各々の母親は私のタネでできた子供だと主張している。でも私は精子無いと思うんだけどなあ」
 
「いや、それは怪しい」
と朋子も青葉も言った。
 
実際には千里からお金を借りて(返せないと思う)毎月双方に10万ずつ送金しているらしい。朋子はその送金は続けた方がいいと言った。
 

「まあ連れてくるとして浦和の4人と来紗ちゃん・伊鈴ちゃんで最大6人かなあ」
と青葉が言う。
 
「だったら、お母ちゃんの部屋、桃姉の部屋、ちー姉の部屋、私の部屋、それに子供部屋が2つくらいあれば何とかなるんじゃない?」
 
「それで何DKになるんだっけ?」
「6LDK」
「そんなに大きくなるか?」
「いや。一戸建ての6DKはそんなに大きな家ではないと思う。たぶん建坪20坪、延べ床面積40坪くらいで行ける」
と青葉は大雑把な暗算をして言う。ところが桃香は言った。
 
「平屋建てにしよう」
「え〜〜〜!?」
 

翌日、青葉が〒〒テレビに顔を出したら、早速幸花からお呼びがかかる。
 
“妖怪足つかみ”の件で打ち合わせることになった。8-9月の間に番組に寄せられたメッセージを元に、明恵と真珠が手分けして似たような経験をしたという人に取材していた。青葉はその記録を見て、約半数を「これは無関係」といって選別した。
 
「本物と無関係なものってどうやったら分かるの?」
「勘」
「なるほどねー」
 
「東京でもう1件教えてもらって話を聞いてきた。高崎ひろかちゃんの妹の水森ビーナちゃんも、8月に、やはり足首をいきなり掴まれた気がして転んでいるらしい」
 
「おお!」
 
「彼女は物凄く忙しいからあらためての取材は勘弁して。一応取材の録画はこれ」
と言ってUSBメモリを渡すので
 
「これは貴重なものを」
と言って、幸花は受け取った。
 

「水森ビーナちゃん、人気急上昇中だよね」
と、その取材ビデオを見ながら言う。ビーナは高校の(女子)制服姿である。
 
「うん。『シンドルバッド』でかなり注目されたし、今度は10月23日放送の長時間ドラマ『青い鳥』にもミチル役で出る」
 
「詩恩ちゃんとよく似てるから、並んでると双子みたいだよね」
「そうそう。しかし高崎ひろか・松梨詩恩・水森ビーナと3姉妹で全員売れているというのが凄いよ」
 
「女の子ばかり3人なのね」
「お父さんは1人くらい男の子が欲しかったらしいけど、まあ仕方ないよね。性転換しちゃう訳にもいかないし」
 
(青葉のこの付近の情報は、“ビーナが女の子であることを確認した”舞音と水谷姉妹経由のものが多い。青葉はビーナが男の子である可能性を全く考えもしなかった。ビーナの波動は葉月などと似ていて、性別微妙なので注意しないと男の子であることには気付かない:撮影していて気付いた美高さんが凄い)
 

この日は17時頃に明恵と真珠、更に19時頃、吉田君も来た。
 
「定時で帰れること多いの?」
「融資の人は遅くなることもあるけど、それでも残業は月20時間くらいだよ」
「少ないね!」
「普通の支店の人はほとんど残業は無い。俺が務めてるのは支店ではあっても事実上の石川県本店だから、少しはあるけど、俺の部署は残業月10時間くらい」
「いいなあ」
などと真珠が言っている。明恵も真珠も3年生なので、そろそろ就活が必要である。一応2人ともこの夏は何ヶ所かインターンしてきたらしい。
 
2人は戸籍を女性に修正済みなので、もちろん女子として就職する。2人が就職した後の『北陸霊界探訪』の体制については全く未定である。
 

“妖怪足つかみ”に関する情報を整理するが、青葉が没にした分を見て
 
「あ、これは微妙かもと思ったやつだ」
などと明恵が言っているものもあった。
 
「でもこれかなりありふれた妖怪だという気がしてきた」
「うん。“ひだるがき”とか、枕返しとか、一反木綿(いったんもめん)とか塗り壁とか並みにありふれた妖怪かも」
 
「あ、これ枕返しとノリが似てるかも」
「確かに愉快犯っぽい」
「向こうは悪ふざけのつもりでもそれで骨折してる人もあるからなあ」
「向こうはごめんなさいって言ってるかも」
「あるかもねー」
 
「やはり人間は足が2本だから倒れやすいんだよ」
などと吉田が言う。
 
「足を増設するわけにもいかないし」
と幸花。
 
「でもスフィンクスの質問では老人は杖を突いてるから足3本ということだったね」
と真珠が言う。
 
テーバイの町近くに住むスフィンクスは、通りがかる旅人に
「朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本足になる生き物は何か?」
というナゾナゾを出し、答えられないと、旅人を食べてしまっていた。
 
エディプスは、
「それは人間だ。赤ん坊の時は両手足で這い這いし、おとなは2本の足で歩き、老人は杖を突いて歩くから」
と答え、それでスフィンクスは撤退し、旅人を襲うことは無くなったという。
 

「杖を持ち歩くことを推奨する?」
「転ばぬ先の杖か」
と真珠が言った時、青葉は「あれ?」と思ったが、その時はその先まで頭が行かなかった。
 
「杖持ってプールには行けないしなあ」
「杖持ってバージンロードは歩けないし」
「いや90歳と100歳の結婚式なら杖ありだと思う」
「その年齢ならありだけどね」
「まさに転ばぬ先の杖」
 
「カンガルーはしっぽが強くて、あれで身体を支えられる」
「おお、カンガルーは3本足の生き物か?」
「カンガルーになる?」
「どうやって?」
 

「いや、人間も3本目の足を使えばいいんだよ」
と吉田が言うので、明恵は頭を抱えている。しかし真珠はまだ気付いていない。
 
「人間には3本目の足なんて無いし」
と真面目に答えられて、吉田が困っている。
 
「いやその、3本目の足とか真ん中の足とか言うじゃん」
と吉田が言うので、やっと真珠も分かった。
 
「だったら吉田、その足で立ってみろ」
と言って、真珠は吉田の“3本目の足”を掴んだ!
 
「やめろー。痛い痛い痛い!」
 

「だいたいそんな短い足では立てないだろ?」
と幸花が呆れて言っている。
 
「足自体は立つんですけど」
と吉田。
「だったらそれで全体重支えてみろ」
と真珠。
「勘弁して〜。折れる〜」
と吉田。
 
「折れるようでは使い物にならないな」
と幸花は言いながら、先日青山と“折れる”話をしたなと思った。
 
「折れたら使い物にならなくなります」
と吉田。
 

「まあ使い物にならなくなったら、潔く手術して取っちゃえばいいね。いい病院紹介してあげるよ」
と明恵は言っている。
 
「まだ男を廃業したくないよぉ」
と吉田。
 
「でも吉田、女子の社員証持ってるんだろ?」
「女子更衣室の掃除とか、女子更衣室に連絡や広報の紙貼って来てとかよく頼まれるから持ってるんですよー」
 
「じゃ女子更衣室で着替えてトイレも女子トイレ使ってるの?」
「ちゃんと男子の社員証も持ってるから男子トイレ使いますし、着替えるのは男子更衣室ですよ(ということにしとこう)」
 

「そういや青山君はマジで女子社員になっちゃったのよ」
 
と言って、幸花が彼(彼女?)が何かにひっかかったようにして転ぶ場面を撮影したビデオをみんなに見せる。
 
「これリアルタイムで撮ったの?」
「いや。再現ビデオ」
 
「でも本当に何かにひっかかったみたい」
「記憶が新しい内に再現してもらったからね」
 
「これまだ妖怪の跡が残ってるよ」
と青葉が言う。
 
「除霊が必要?」
「いや自然に消えたと思う。そんなに強い妖怪じゃないから」
 
「でも青山さん、可愛い」
と吉田が言っている。
 
「スカート姿で勤務してるんだって。そもそも彼というか彼女と言った方がいいのか、勤務しているのが女子のみの部署なんだよ」
 
「すごーい!」
「このビデオも放送に流していいよね」
「もちろん入れましょう」
と明恵と真珠が言っている。
 

「社員証と運転免許証も見せてもらったけど、お化粧した顔で写ってたよ」
「おお。すごいすごい」
 
「コロナが落ち着いたら結婚するらしいけど、ウェディングドレス着て式をあげるって」
 
(本人はまだ悩んでいるのだが、幸花のレベルでは既に確定事項になっている)
 
「すごーい!そこまで行ったのか」
 
「性転換手術はしたの?」
「まだらしいけど、結婚するまでには受けるかもね」
「ああ、手術しておかないと初夜に困りますよね」
「でも今タイに渡航するのも大変だしね」
 
「吉田は性転換手術いつ受けるの?」
「そんなの受けるわけないだろ?」
 

「しかし3本目の足というのは、どっちみち、女には使えない手段だ」
と幸花は話を元に(?)戻す。
 
「ちなみに今の会話放送しませんよね?」
「吉田が全体重をそれで支えてみせたら放送してもよい」
「やらせてみましょう」
「勘弁して〜」
 
などと言っていたのだが、実際は放送されてしまう!(さすが深夜番組)
 
吉田が「俺の人格が疑われる」と言っていたが、「今更今更」と幸花は言った。
 

区画整理に伴う青葉たちの引越先探しだが、うまい具合に、すぐに、今住んでいる伏木町内で220坪(21m×35m)の土地が見つかった。実は小学校の校庭に隣接する土地で、騒音問題から買い手が無かったらしい(学校の入口は反対側なので、スクールゾーンには掛かっておらず車の通行規制は無い)。地目は一応宅地である。朋子も桃香や青葉も、子供の声は気にならないと言った。この広さがあれば、桃香が言うように平屋で建てても充分6LDKの家が作れる。青葉が実際に現地に行ってみて運気の良い土地と判断した。そもそも学校のおかげで、物凄く清浄なのである。元気な子供たちの声は強い浄化力を持つ。ここは穴場だと青葉は思った。
 
現地には古い民家が建っていたが、売る場合、古い家屋は撤去して更地にして渡すという話であった。それで引き渡しは11月2日くらいになるという話である。
 
「じゃここ買います」
と青葉が、不動産屋さんに言った時、その“古い家屋”が目の前で物凄い音を立てて崩れてしまった!
 
母が呆然としている。桃香がほこりで咳をしている。不動産屋さんも驚いたようである。
 
《姫様》がVサインしている。もう、全く、親切なんだから。
 
「やはりかなり、痛んでたんでしょうね」
と桃香。
「瓦礫の片付けだけすればいいみたい」
「ですね。これなら来週、10月19日くらいなら引き渡しできると思います」
と不動産屋さんも言った。
 

事務所に行き、基本的な説明を受けた上で売買に同意し、青葉は代金1980万円(1800万+消費税) を即現金(振込)で払った。
 
「コンビニか何かでもお建てになります?」
と不動産屋さんは尋ねた。2000万円を現金でというのは会社関係かとも思ったのだろう。
 
「いえ、普通の民家です。孫たちが集まってきた時に収納できる広さが欲しいんですよ」
「なるほど」
「この子、音楽家だから収入が大きいんですよ。だから資金的な余裕はあるので」
と桃香が言うと
「なるほど、そういうご職業でしたか」
と不動産屋さんは納得していた。
 
「工務店は心当たりがありますか?」
「はい。私が関わっている工務店があるので、そこに頼みます」
「分かりました」
 

10月16-17日に短水路選手権に参加する津幡組は10月14日に千里のA318で能登空港から熊谷に移動する予定で、こちらに来ている桃香もそれに同乗して浦和に戻るつもりだった。ところが12日になって桃香が
 
「優子たちも同乗させていい?」
と言い出した。
 
優子さんが信次さんの命日にお墓参りに行きたかったものの、緊急事態宣言が出ていたので移動を控えていた。解除されたので行ってきたいのだと言う。
 
「そうか。信次さんのお墓に参れるのは、優子さんだけか」
「そうなんだよ。千里も波留さんも再婚しちゃったから」
 
信次の法的な子供と母親
奏音 2016.08.19←府中優子(未婚)
早月 2017.05.10←高園桃香 (2021季里子と結婚)
由美 2019.01.04←川島千里 (2021貴司と結婚)
幸祐 2019.04.01←水鳥波留 (2020原野由梨と結婚)
 
(早月の本当の父は千里だが、戸籍に記入することができないため、父親がいないのは可哀想と康子が言い、信次の子供ということにしてしまった)
 

「じゃ悪いけど感染対策上、選手と一緒には乗せられないから別便にしてもらえる?」
「自動車か何か?」
「ジェット機もう1機呼ぶから」
「ひぇーっ」
 
それで桃香も優子も恐縮していたが、青葉は選手移動用のA318と別にHonda-Jetを1機呼び、桃香・優子・奏音を乗せることにした。すると「3人だけでジェット機一台使うのは申し訳無い」と言って、優子さんの御両親も一緒に墓参りに行くことになった。つまりHonda-Hetには5人乗る。
 
Honda-Jetは10月13日に能登空港に来てもらった。そしてその飛行機に千里と、播磨工務店の南田社長が乗ってきたので、青葉は自分のマーチニスモで迎えに行った。
 

青葉が千里と南田を連れて自宅に戻ると、パジャマ姿でビールを飲んでいた桃香が南田を見て
「わっ」
と声を挙げて、慌てて2階に駆け上がった。桃香は青葉が千里を迎えに行ったと思っていたのである。
 
10分後、桃香はちゃんと(?)トレーナーとジーンズのパンツを穿いて戻って来る。
 
千里が南田社長を紹介すると
 
「社長さんご自身がいらっしゃったんですか」
と朋子が恐縮していた。
 
「まあ他に動ける者がいなかったので」
と南田は言っている。
 
「それで新しい家の間取りを決めよう」
と千里は言った。
 

桃香が平屋にしようと言ったのは、朋子の体力を考えてのことである。2階建ては日常的に階段の上り下りをしなければならないので、足腰が衰えてくると、2階にあがるのがおっくうになって、2階が放置になってしまうのではないか。また手摺りは付けるにしても、やはり転落事故が怖いと言うのである。
 
「青葉ほどは忙しくない娘が孫付きでこちらに住んでて毎日掃除をしてくれたらいいんだけどね」
「お母ちゃん、桃姉が掃除とかする訳が無い」
「確かにそうだ!」
「孫の子守で目が回るだけだな」
と桃香本人!が言っている。
 
ということで、予算に余裕があるのなら平屋建てにしようということになったのである。
 

「敷地は何メートル×何メートル?」
と千里姉が訊く。
 
「35m×21m」
と青葉が答える。
 
「ちょうどバスケットコートが取れる」
と千里が嬉しそうに言う。バスケットのコートは28m×15mである。
 
「なんでバスケットコート作らないといけないの〜?」
と青葉が言う。
 
「25mプールだって取れるじゃん」
と千里が言うと
 
「おお。それは良い。お金はあるんだろうし、プールは作ろう」
と桃香まで言い出す。
 
「でも津幡行けば24時間泳げるから」
と青葉。
 
「でも津幡まで1時間かかるぞ。それにたくさん練習して疲れている身体で運転して帰って来るのは危険だ」
と桃香が言うと
 
「ああ、それは私も心配していた」
と朋子まで言う。
 

「よし、だったら南田さん、地下2階に25mプール作ってよ」
と“千里が”言った。
 
「いいですよ。費用は掘削代・基礎工事代別で浄化設備付き3500万もあれば作れますから」
「青葉にとっては、おやつ代程度だな」
と桃香。
 
「でも地下2階なの?」
と桃香が訊くと
「地下1階にはバスケットコートを作るからね」
と千里。
 
「え〜!?」
 
やはり、ちー姉、バスケットコートを作りたい病なのでは?
 

そういう訳で、うやむやの内に、地下にバスケットコートとプールができることになってしまった。バスケットコートは天井7m, プールは天井3m+水深2mとる。
 
それでB1/B2間の床の厚さ、プールの下の基礎まで考えると14mも地下を掘ることになる。地下の部分は「私が言いだしたから、私がその分の建設費を払う」と千里姉が言ったので、もうお任せすることにした!
 
「だけど津幡から帰ってくる時の疲労問題はどっちみちあるよ。青葉、お金はあるんだから、ドライバー雇いなよ」
「そうだなあ」
「事故でも起こしたら、放送局も首になるし、水連からも謹慎処分くらうぞ」
と桃香は言う。
 
うーん。水泳は辞められるものなら辞めたいのだけど、クビと退会では大違いだ。
 
「青葉、お友達も後輩もたくさんいるし、誰か2人くらい頼んだら?」
と朋子も言い出した。
 
「2人?」
「1人では無理だよ。その本人が過労で倒れる」
「確かに」
「だから私のドライバーは今3人体制」
 
千里姉のドライバーが3人必要なのは、千里姉が3人いるからでは?と青葉はツッコみたかったが、母も桃香もいるので言わなかった。
 
しかしドライバーの件は、明恵たちに、心当たりを尋ねてみようと思った。
 

その件は置いといて!“地上部分”の間取りをみんなで検討する。
 
「なるほど6LDKの平屋建てですね。住人の方の吉方位は分かりますか」
「こうなっています」
と言って、青葉は一覧表を提示した。
 
朋子 1960,02.03 艮(東)
桃香 1990.04.17 艮(東)
青葉 1997.05.22 震(西)
彪志 1993.11.15 兌(東)
千里 1991.03.03 乾(東)
 
つまり青葉だけが逆である。
 
なお子供たちはこのようになっている(緩菜は女として見る)。
 
早月 2017.05.10 坎(西)
由美 2019.01.04 兌(東)
京平 2015.06.28 震(西)
緩菜 2018.08.23 乾(東)
 
「東四命の子と西四命の子を同室にする?」
「由美と緩菜はいいけど、京平と早月は男女を同じ部屋には入れられない」
「面倒くさいから、京平君は性転換しよう」
「だーめ」
「あるいは兄妹だから気にしないことに」
 
京平は母親が千里で、早月は父親が千里なので、ふたりは“ツイスト兄妹”である。
 
「小さい内はいいけど、中学生くらいになったらそうはいかない」
「確かに妹と同じ部屋ではオナニーできんな」
と桃香も言っている。
「オナニー以前にお兄ちゃんのいる部屋で着替えたくないよ」
と千里。
 
「あの子たちの関係がよく分からないんだけど」
と朋子が言うので、千里は子供たちの関係を書き出す。
 
桃香を母とする子→早月・由美
桃香を父とする子→来紗・伊鈴
千里を母とする子→京平・緩菜
千里を父とする子→早月
 
由美・来紗・伊鈴は、京平・緩菜と遺伝子的な関係がない(*7)
 
(複雑になるので、小空・小歌・珠那・美甘は省略した)
 
(*7)本当は緩菜の遺伝子上の父は信次なので由美と緩菜は同父異母姉妹なのだが、そのことに千里はまだ気付いていない。
 

京平と由美は遺伝子的にも法的にも無関係で男女なので実は結婚可能である。それで2人に恋愛関係が生じないように気をつけようと、桃香と千里は話しあっていると朋子にも言っておいた。
 
千里が書き出した表を見て朋子は
 
「あんたたち、どちらも父親・母親の双方になってるんだ。難しい」
と言っている。桃香も
「実は私もよく分かってない」
と言っている。
 
「子供部屋は季里子の家のように小さな部屋4つにするか」
「ああ、それだと何とかなるかも」
 

それで南田も交えて、朋子・桃香・千里・青葉で意見を出し合っていたのだが・・・・・
 
桃香が言った。
「千里、1万円くれ」
「なんで?」
「私は1万円持ってないからだ」
「まあいいけど」
と言って、千里姉はバッグ(札束が400-500枚詰まっている)の中から1万円札を1枚取り出すと、桃香に渡した。
 
すると桃香は、その1万円札を青葉に渡す!
 
「青葉、これでおやつと今日の晩御飯を買ってきなさい」
「なんで〜!?」
「君は貧乏性(びんぼうしょう)すぎて、全く話が進まないからだ」
「え〜〜!?」
 
すると千里も言った。
 
「賛成。青葉の意見に沿って家のレイアウト決めたら最終的に2DKになってしまいそうだ」
「えーっと・・・」
 
「青葉、今晩のおかずは、鰤(ぶり)か鰹(かつお)がいいな」
と朋子まで言っている!
 
「おやつは、ミッシュローゼのケーキが好きだ」
と千里姉。
 
それって、イオンモールまで行って来いということ!?
(順調に行っても片道30分近く掛かるし、この道は混雑しやすい)
 
「ついでにチョコの大袋も」
「はいはい」
 

それで青葉はマーチ・ニスモに乗ると、新高岡駅そばのイオンモール高岡まで出掛けた。
 
そして、ヤケクソでお魚をたくさん(鰤・鰹・鮪・鮭・鯛・鮃・イカ・甘エビなど)、すし太郎、上等の焼き海苔、高そうなお吸い物の素、それにキットカットの大袋、三種のチョコの大袋、たけのこの里の大袋、お茶のペットボトルと買ったら、それだけで5千円くらい行った。ちょっと買いすぎたかなと思ったか、どうせ千里姉のお金だし。
 
そしてミッシュローゼのケーキを適当に5つ買って帰った。余ったお金でガソリンを入れた!
 

結局往復2時間近く掛かったが、青葉が戻ると
 
「青葉、間取りが決まったぞ」
と桃香姉が言っている。
 
試し書きしたホワイトボードが10枚くらい転がっているし、下書きの紙は30枚くらい散乱している。それで最終稿として見せられたのが↓である。
 

 
西側は太陽光を取り入れられる全面掃き出し窓で、冬季は防寒のため雨戸も立てる。
 
LDKの"15J(24J)"というのは、普段は15畳で使うが、(コロナ終息後)人がたくさん来た時は、仏間の全ての襖(ふすま)を外してしまえば合わせて24畳として使えるという意味である。北陸で仏間というのは、基本的に玄関を通らずに外から直接入れて、お祭りの時などにお客様(わりと通り掛かりの人!)を接待できる部屋を意味する。この直接入れる仏間があるのは、北陸の家のひとつの特徴である。
 
千里姉が紅茶を入れてくれたので、それを飲みながら、青葉が買ってきたケーキをみんなで食べながら、青葉はいくつか質問をした。
 
「書庫とかピアノルームとかあるけど」
「青葉が段ボール箱に入れている霊関係の本は本棚に並べた方がいいと思う。あとコンメンタールや判例集とか、様々な外国語の辞書とかも並べよう」
「まあいいけど」
「なぜ青葉の部屋には漫画が無いのだ」
「読まないし。ピアノルームというのは?」
「青葉は作曲で毎年何億も稼いでいるんだから、そのメインのお仕事のための部屋だよ。夜中でも気にせず音を出せる部屋は必須だと思う。だから防音室を作ってそこにピアノとか様々な楽器を収める」
 
「商売道具は大事にしないと」
と桃香。
 
「ピアノとか持ってないけど」
「S3Xくらい買ってあげるから、置いときなさい」
と千里。
 
「そんな大きなピアノが入る?」
「16畳あれば充分。S3Xを四畳半に置いたら反響で耳が、いかれるだろうけどね」
「そもそも置けない気がする」
「いやギリギリ置ける」
 
S3Xは186cm×149cm なので、椅子の分を50cmとして240cm程度になるから四畳半(狭い江戸間でも264cm×264cm)には“斜めに置けば”ギリギリ入るはずである。ただ、他には(常識的には)何も置けないだろうし、かなり強い吸音板を貼り付けないと、反響が凄まじいだろう。
 

「私の部屋が2つあるのはどうして?」
「ふだんは青葉は東側の部屋で寝泊まりすればよい」
「ふだんは基本的にはこの家の南半分だけで生活する」
 
「私か桃香が来ている時はお母さんの北側の部屋を使う」
と千里。
 
↓普段/千里or桃香が来ている時

 
「そして千里・私・更に彪志君まで来ている時は北側の部屋を使う」
と桃香。
 
↓千里&桃香&彪志が来ている時

 
「来紗ちゃん・伊鈴ちゃんが来た場合は、西四命の来紗は東の青葉の部屋、東四命の伊鈴はお母さんの隣の部屋に泊めればよい。季里子ちゃんは桃香と一緒に寝ればいいし」
と千里。
 
「なぜ私移動するの〜?」
「東側の部屋はリビングに近いしお母ちゃんの部屋とも近いから、お母ちゃんと青葉だけの時は近くで寝泊まりした方がいい。でも彪志君が来ている場合、東側の部屋は本命卦が兌の彪志君には絶命の方位ですごくきつい。全然休めない。北側の部屋なら、彪志君は禍害だから、そんなに辛くない」
と千里が説明すると
 
「ああ、それなら分かる」
と青葉は言った。
 
「私にはさっぱり分からん」
と桃香。
 

「でもこの家の主は青葉なんだから、青葉の部屋は4つくらいあってもいいのよ」
と朋子が言う。
 
「4つ!?」
と言って青葉は図面を数えてみる。
 
「ほんとに4つもある!」
と言ってから
「もう少し減らせない?」
などと言い出す。
 
「この図面なら、建物の幅は 31 半間(はんげん)=28mになる。その場合、道路から建物南端までの距離は6mで済む。西側の庭を使わなくても、前面だけでも車が5-6台駐められる。これを例えば東西1部屋ずつ減らして28半間=25mにすると9mも空くから、空きすぎでよくない。するとこの程度の幅はあったほうがいいんだよ」
 
「裏庭を空けたりはしないの?」
「エレベータは端に作らないと邪魔」
「あっそうか。エレベータは飛び出させるとか」
「家に出っ張りを作りたいの?」
「それは問題外だ」
 
浦和の家は本来足りないスペースに強引にプールを造ったので、非常脱出は長ーーいハシゴを登らなければならないが、この家は充分な広さがあるので空堀りから階段で脱出できる。空堀りの階段の出口は姫路の家や上島邸などと同様にグレーチングになっていて、内から外には簡単に出られるが、外から内への侵入は困難。グレーチングの下には吊り屋根があって空堀り内にはあまり雨は降り込まない。なお、敷地内に降った雨水や漏れ出してきた地下水は浄水してプールの水に使用する(この付近は小矢部川に近いので、どうしてもその関係の地下水も豊富である)。プールの排水はトイレ洗浄水などに使用して下水に流す。
 

↓敷地境界から北と西1m東2m(空堀を含む)後退した18m×34mに対する建物・設備位置
 

 
「ねぇ、地下2階のプール、なんでこんなに端に寄ってるの?」
と青葉は訊いた。
 
「ああ、それは青葉が気が変わって4コースのプールを作りたくなった時のため」
「さすがに4コースも要らないよ!」
「いや、青葉が4人くらいに分裂したら必要になるかも」
と千里。
「恐ろしいこと言わないで」
と青葉。
「青葉は既に5人くらい居ると思ってた」
と桃香。
 
朋子は冗談だと思っているが、他の3人は“あり得ること”と思っている。むしろ桃香は本当に青葉は複数いないか?と疑っている。
 

「しかしバスケットコートを使うのは千里が来てる時だろ?頻繁に使うプールが地下1階じゃダメなの?」
と桃香が質問する。
 
これは青葉が答えられる。
 
「それはプールを地下一階にしたら、その水の重さを支えきれないから、だよね?」
と最後は千里に確認した。
 
「そうそう。だからプールは必ず一番下」
 
「なるほどー」
とこれは桃香もすぐ納得した。
 
25mプールの水の容量は2レーンで 5m×25m×2m = 250m3、つまり250トンになる。4レーンなら500t, 8レーンだと1000tである。
 
「まあプールの下に体育館を作ると、プールを支えるために体育館にたくさん柱を立てないといけませんね」
と南田さん。
 
「それぶつかるよね?」
「障害物バスケットの練習ができますよ」
「ふつうのバスケットがしたい」
 

話し合いが終わった後で千里が青葉と2人だけになった時、千里は言った。
 
「そういやコスモスちゃんからさ」
「うん」
「アクアで『若草物語』撮るなら、アクアはメグ、ジョー、ベス、エイミーの内誰ですかね?と訊かれたからさ、その4人ならエイミーだと思いますよ。ベスは東雲はるこあたり、ジョーは白鳥リズムでと答えておいたけど、青葉はどう思う?」
 
細雪(ささめゆき)じゃなくて若草物語になったの〜?と青葉は思った。
 

10月14日(木).
 
青葉たち“津幡組”はスタッフも一緒に千里のA318で熊谷に飛び、用意してもらっていたSCCのバスで深川アリーナに移動した。
 
10月16-17日(土日)の短水路選手権(第63回日本選手権(25m)水泳競技大会)に出場する。
 
今の時期は深川アリーナはサブプール(25m×4)の方を一般開放しているので、津幡組はメインプール(25m×8)の方で練習することができた。
 
(深川アリーナは、夏は8コースのメインプール、冬は4コースのサブプールを一般開放している。夏の土日の日中はメイン・サブの双方を開放する場合もある)
 

桃香、優子一家、南田社長はHonda-Jetで熊谷に移動した。優子一家は優子が信次の遺品となったムラーノに娘と両親を乗せて能登空港まで来た。千里はA318の方に同乗した。青葉・桃香・千里は朋子が運転するマーチニスモで能登空港に入った。マーチニスモはそのまま朋子が運転して帰るが、ムラーノは優子たちが戻るまで空港に駐めっぱなしである。
 
津幡組の他のメンバーは数台の車に分乗して能登空港に集まり、やはり車は駐めっぱなしにする。
 
Honda-Jetの機内では奏音がコーパイ席に乗せてもらいはしゃいでいたが、キャビンにいるおとなたちは、南田社長が色々な建設の裏話をして、飛行機に乗るのが初めてという優子の母も笑い転げていて、乗り物酔いする間もなかった。
 
郷愁飛行場で別れる。桃香は千里が運転するヴィッツで浦和に帰宅した。優子たちはレンタカー(*8)のプリウスに乗り、優子の運転で桶川の康子の家を訪ねた。
 
(*8) 郷愁飛行場・ホテル昭和は利用が多いので大手のレンタカー会社が、予約しておけば配車してくれる。
 

優子たちは、まずは仏壇にお参りする。
 
「そこに掛かっているの、もしかして四国88ヶ所の御朱印ですか?」
と優子の母が尋ねる。
 
「そそ。これ千里ちゃんが信次の菩提を弔うといって88ヶ所歩いて回ってきたのよ。それを頂いたの」
 
「歩いてですか!」
「さすが日本代表のバスケット選手」
と優子が言う。
 
「日本代表なの!?」
「東京オリンピックで取った銀メダル見せてもらったよ」
「さっすが。普通の人には歩いて回るの無理だよね?」
「無理なことはないですけど、相当な体力ないと厳しいと思いますよ」
 
その後でプリウスと康子のポルテの2台で、千葉市の信次のお墓まで行った。(プリウスは優子、ポルテは優子の父が運転した)
 
優子たちはその後、千葉市内のホテルに泊まることにし、康子は自分でポルテを運転して桶川に帰還した(暴走ドライバーの康子が切符を切られないか心配ではあったが)。
 

さて、青葉たちが出場する短水路選手権であるが、今回、津幡組の女子長距離組が出場するのは下記の種目である。
 
川上・竹下 400m, 800m, 400iM
南野 400m, 800m
金堂 400iM, 200iM
 
実は800m自由形のタイム決勝と400m個人メドレー決勝が30分ほどしか空いていないし、400m自由形決勝と200m個人メドレー決勝は20分程度しか空いていないため、この両方の種目に出場するのは困難である。それで金堂は 400m, 800m を諦めてメドレーに賭けることにし、南野はメドレーを諦めて800mに賭けた。
 
10/16(Sat)
10:41 400m個人メドレー 予選
15:54 800m自由形 タイム決勝
16:42 400m個人メドレー 決勝
 
10/17(Sun)
10:31 200m個人メドレー 予選
10:52 400m自由形 予選
15:40 200m個人メドレー 決勝
16:10 400m自由形 決勝
 
でも青葉とリルは30分空いていれば続けて泳ぐ自信があったので、800m, 400miMの両方に出ることにした!
 

1日目。
 
800mでは、青葉が金メダル、竹下が銀メダル、南野が銅メダルと、この種目では津幡組がメダルを独占した。
 
400m個人メドレーでは800mを諦めてこちらに賭けた金堂が金メダル、永井さんが銀メダル、青葉と竹下が同着!で2人とも銅メダルだった(*9).
 
しかしほぼ連続に近い形で行われたこの2つの競技で、800mの1,2位が400iMの同着3位になったので「凄いスタミナだ」と言われた。
 
(*9) 例によって青葉の方が明らかに早かったと言われて、写真を確認して確かにふたりがほぼ同時にゴール板にタッチしていることが確認された。身長が川上・南野・竹下・金堂で161, 174, 179, 185cm なので、それから推定される腕の長さは 61, 66, 68, 71cm で青葉を基準に時間差に直すと南野・竹下・金堂は 0.03 0.04 0.06s有利となり、青葉は竹下より肩の位置で0.04秒以上先行していないと勝てない。
 

そして2日目。
 
200m個人メドレーは、金堂が金メダルで2冠。2位は東京五輪で8位入賞した榎箸さん(春の日本選手権で1位)であった。3位は津幡組の希美が入り、銅メダルである。
 
そして最後の400m自由形では、竹下が金メダル、青葉は0.3秒差の銀メダル(例によって青葉が先にゴールした気がすると言われて写真を確認して、以下同文!)、永井が銅メダルで、南野は永井と僅差の4位だった。
 
永井さんは今年は日本選手権(50m)でもジャパンオープンでもメダルが取れなかったが、400mに絞ることで今回は銀と銅を1個ずつ獲得した。
 
なお、男子の筒石は400m,1500mで金メダルを取り2冠である。筒石が1500mでメダルを取ったのは実は初めてである。(今大会では男子の800m, 女子の1500mは実施されていない)
 
女子短距離組は100mで夏鈴が銅メダル(200mは6位)、200m, 200iMで希美が銅メダル(100mは8位)で、2人は全国大会で初メダルとなった。
 

今回、青葉は800mで金、400mで銀、400iMで銅、また竹下リルも400mで金、800mで銀、400iMで銅で、この2人は三種類のメダルをコンプリートした!
 
今回、いつもの金堂と竹下の“メダル競争”は、金堂が金メダル2個、竹下は金銀銅1個ずつで
 
「これどちらが勝ちだと思います?」
と2人から尋ねられて、南野里美が困っていた。
 
〒〒スイミングクラブ代表として来ている皆山幸花は、
「金の多い(金堂)多江ちゃんの勝ち。でもリルちゃんも頑張ったから、青葉が2人にケンタッキーをおごろう」
と判定して、2人とも歓声をあげていた。
 
「なぜ私がおごるの〜?」
と青葉は思ったものの、ケンタッキーを50本買って(電話で予約して世梨奈に取ってきてもらった)、金堂・竹下に10本ずつ渡し、自分と南野、短距離の希美と夏鈴が5本ずつ取って、残りは“女子”スタッフで分けてもらった。
 
「俺の分は〜?」
と筒石が言っていたが
 
「男子は男子でよろしく」
とジャネが言うので、自分で15本!+男性スタッフ用に5本買っていた。
 
「15本って、さすが男子ですね」
とリルが言う。
「女子でも10本くらい入るよな」
と言って筒石も楽しそうに食べていた。
 
世梨奈は買い出しのついでに個人でも4本買い、幸花の許可を取って、東京で暮らしている親友の明日香の所に、17日夜は泊まった。青葉は時間が取れず行けなかったが、明日香のアパートに仕出しの配送を頼み、今夜の晩御飯の差し入れとした。
 
「明日香の住んでるマンション、4階以下はどこかの学校の男子寮と聞いてたけど、女子寮に変更になってたんだね。女子の生徒さんばかりだったよ」
と世梨奈は言っていた!
 

今回の選手権で上位に入った選手は12/16-21にアラブ首長国連邦で行われる短水路世界選手権 (15th World Swimming Championships (25m) ) に派遣される予定である。海外に出るとなると2019年7月に韓国の光州で行われた世界水泳以来2年5ヶ月ぶりとなる。
 
11/7-17にフィリピンで“第11回アジア水泳選手権”も日程として掲示されているが(本来は2020/11/7-17の予定だったのがコロナのため1年延期)、この大会の代表選手について水連からはまだアナウンスが無い。そもそもこの大会のホームページには現時点でタイトルが出ているだけで中身が全く入っていない。
 
青葉は本当に実施されるのか疑問を感じていた。
 
それで青葉はそれと重なる日程の11/6-7に宇都宮市で行われる「第4回・日本社会人選手権水泳競技大会」にエントリーしている。万一フィリピンにも行ってくれということになったら、そちらはキャンセルすることになる。
 

短水路選手権が終わった翌日、10月18日、青葉は、舞音タロットの編集状況を見せてもらい、千里姉・雨宮先生・コスモスと意見を交わした。
 
(千里2は今月頭からLFBのシーズンが始まった。10/16 18:30 (JST 10/17 1:30)に試合があったが次の試合は10/23である。千里3はWリーグは10/16に始まったが千里姉の試合は10/22が最初である、この日来たのがどちらかは青葉には分からない)
 
それで話し合いが一段落した所で解散する。雨宮先生が電話すると夢路カエル!が何やら凄い車で迎えに来た。
 
「何ですか?その化け物のような車は?」
とコスモスが訊いた。
 
“化け物”と言われて、雨宮先生は嬉しそうである。
 
「フェラーリGTC4ルッソ (Ferrari GTC4 Lusso)ですか?」
と車に詳しい千里が言った。
 
6262cc 12気筒 690PS という凄まじくパワフルなマシンである。エンジン音も物凄い!
 
「そうそう。実は樟南から2000万円で買い取った」
「樟南さんから?」
「あいつ観咲美沙都さんの所に行って土下座して酒辞めるから帰って来て欲しいと言ったらしい。でも奥さんは車も辞めることを要求した」
 
『え〜?車を辞めるの?』
と樟南。
『男を辞めるのでもいいけど。去勢したらもう少しまともな性格になりそう』
と美沙都。
『男辞めるのは勘弁して』
と言って車を辞める決断をした。
 
「それでこの車を売ることにしたんだよ。ところが中古車屋に見積もり取ると、みんな査定が1000万円以下だったらしくて」
と雨宮先生は言う。
 
「かなり痛んでたんですね」
「だいぶあちこちぶつけてたし」
「ああ」
「私のフェラーリ好き知ってるから、雨宮先生なら2000万円で買ってくれませんかと言うからさ、買った!と言った」
 
「好きですね〜」
「まともに走るようにするのと外装直しで1500万掛かった」
「3500万出したら新車で買える気がします」
「この強力フェラーリが廃車にされるのも可哀想だからさ」
「ほんとにフェラーリ、お好きなんですね」
 
「それで美沙都さん、戻って来てくれたんですか?」
「戻って来た。今は美沙都さん自身が自分のレガシィで仕事先には送迎してやってる。実際、樟南は6月に免許取り消しくらって、足に困っていたらしいんだよ」
 
「免許取り消しって何やったんです?」
「点数の累積。最後はスマホ持って25kmオーバー」
「よく報道されませんでしたね」
 
「1年間は再取得できないらしい」
「その程度で済んで良かったじゃないですか」
「幸いにも捕まった時、飲んでなかったらしい」
「幸いなのか不幸なのか」
 
しかし飲酒運転で捕まったら、レコード会社から活動停止処分を食らいそうだ。飲酒運転に対する最近の世間の目は厳しい。
 
8月に取材した時のことを青葉は回想したが、そうだ、あの時はチューニング係の男の娘女子高生・檸檬ちゃんの運転するデリカD:5(在杢さんの車 8人乗り)に乗ってケイさんのマンションまで来たんだった。全員アルコールが入っていたから、彼女しか運転できなかったと言っていた気がする。檸檬ちゃんは免許取り立てだったらしいが「少々ぶつけてもいいからと言われて、恐る恐る運転してきました」とか言っていた。
 
ついでに彼女は免許証の写真が軽くメイクした写真になっていた。自動車学校にも女子制服で通いましたよと彼女は言っていた。
 
 
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【春足】(3)