【春曙】(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-09-11
その日、西湖の用賀のアパートに母が来訪していた。
「劇団は公演できなくて大変でしょう?」
「そうなのよね。公演どころか練習もできないんだよ。一応次は『間違い続き』をする予定で、配役も決めて台本も書いていたんだけど、各自台本を読んでてと言ってあるだけでさ」
「資金繰りは大丈夫?」
「元々劇団は、公演と公演の間の準備期間には、公演しないから、3〜4ヶ月公演できなくても平気」
「あ、そうか」
「まああまり長く続いたらやばいけどね」
「お父ちゃんに言っててよ。もしどうしても資金繰りが厳しい時は、私が出資か何かするからって」
「大丈夫とは思うけど、万が一の時は頼むかも」
「うん」
「それでさ、本題だけど、とうとう来年で卒業だからさ、卒業する前に女の子らしい名前に改名しようよ」
「いや、しなくていい」
「だって女の子で“西湖”の字は変じゃない。学校で使っている“聖子”に変えようよ」
「だから変えないって」
母からはこれまでも何度か改名しようというのを言われているのだが、いつも西湖は必要無いと言っている。しかしこの日の母はかなり頑張った。
「ほら。改名のための申請書も書いたんだよ。これ提出すればまず改名認められるからさ、ここに名前書いてハンコ押してよ」
と言って書類を示す。
「だから必要無いって」
と西湖はあくまで拒否した。
西湖(M)としては、名前まで女の子に変えてしまったら、もう男の子には戻れなくなるという気持ちがある。もっとも、母が来ているので押し入れの中!に隠れている西湖F(聖子)の方は
「ボクは改名賛成」
などと脳内通信で言ってきていた。
3時間ほども粘ってから母は帰っていったが、参ったなと西湖は思った。母は
「一緒に性別も変更する?」
などと言って、性別変更の申請書まで置いていったが、こちらは医師の診断書が必要だということだった。
西湖は母が置いていった書類を眺めている。
「ボクが性別の診断受けてこようか?」
などと押し入れから出て来た西湖Fが言う。
「その場合は完全な女だと診断されるだろうから、この書類ではないと思う。性別の取り扱い変更ではなくて、性別訂正の申請書を書かないといけない」
「その申請書の用紙もらってこようか?」
「僕は性別も名前も変えたくない」
「でもボクたち、ひとりに戻った時にどちらが残るかって、分からないね」
「なんか毎回違うもんね」
1月に2人に分裂した後、数回1人に戻ったことがあるものの、その時、Mが残った時もあればFが残った時もあったのである。
「いっそ戸籍がふたつあればいいのにね」
「そういう訳にもいかないもんなあ」
「ボクたちが1人に戻った時さ」
と龍虎Fは《こうちゃんさん》に尋ねた。
「もしMが残った場合はM用の戸籍・パスポートを使って、ボクが残った場合はF用の戸籍・パスポートを使えばいいんだよね」
「まあ当然そうなるな。元々3人がひとつずつ使えるように用意したものだし」
「ここだけの話さ、多分自分が消えるんだろうと思ってたけど、ひょっとしたらボクの方が残るかも知れない気もしてきた」
「まあその時は、私は実は女の子でした。ごめんなさい、と記者会見すればいい」
と《こうちゃんさん》。
「それ誰も驚かない気がしない?」
「みんな『そんなこと、とっくに知ってた』と言うだろうな」
「だよねー」
3月末にスタートした、あけぼのテレビは、有料番組と無料番組で構成されている。但し有料番組も最初の5分間だけは無料で視聴できる。その後はスクランブルされる。このスクランブルされている間、その番組を購入していない人で、定額会員(月1000円)でもない人の端末では、環境ビデオのような風景画像が流されるのと同時に、ピアノ、ギター、ヴァイオリン、あるいはエレクトーンによるノンボーカルの音楽演奏が流れるようになっていた。
なお、風景画像は、撮影担当のサンシャイン映像制作の社員が2人組で全国の高速道路を走り回り、ずっと車窓から撮影しているものがメインである。場所によっては車を駐めて、夕日などをずっと映したり、遊歩道などを歩きながら撮影したケースもある。
演奏をしているのは、概ね信濃町ガールズの子たちで、深夜時間帯には本人が演奏している映像とともに、同じ音源が再生されていた。また、この音源・映像はわりと使い回しされて、たいてい1週間も経てば同じものが流れるようになっていた。番組表でも、この時間帯は誰の演奏というのが公表されているので、わりとこの音楽や映像にも人気が出た、中には有料会員なのに、無料会員向けの映像も見るために別のパソコンで無料番組を受信して録画しておくような人たちも出ていた。(有料番組は原則録画不可だが、無料番組はVideoProcなどで録画できる)
仕事をしている層から、タイムシフト放送をして欲しいという声が結構あり、あけぼのテレビでは§§ミュージックの子たちに限定して試験的にこれをおこなっていたのだが、6月から一般の人でも、一週間以内のタイムシフト受信を許可することにした(但し混雑時間帯の18-22時を除く)。番組によっては一週間ではなく、1ヶ月間、あるいは1年以内まで視聴できるものも設定する。
これを見るには“プレミアム会員”になる必要がある。プレミアム会員は、一般は3000円、学生は2000円という値段設定としたが、10万人も希望者が出て、コスモスたちはびっくりした。
4月下旬、§§ミュージックは今年のロックギャル・コンテストを中止すると発表した。どうしても狭い会場で密集が発生するからである。換気の良い会場はなかなか得られないし、そもそも歌唱行為自体に問題が起きやすい。
代わりにビデオ審査による“2020ビデオガール・コンテスト”を開催すると発表した。これはビデオデータ(mp4, flvなど一般的な形式ならOK)を送ってもらい、それを審査して候補者を絞り、50-100人程度でリモート審査をして、最終的に10人くらいを東京まで送迎してリアル審査するというものである。公共交通機関を使わなくても東京に来られるように何か適当な手段を用意するとした。
コスモスは、3月以来、江藤さんのプライベートジェットをかなり利用させてもらっていたのだが、利用率が高まり、江藤さんのご厚意に甘えてばかりはいられないとして、1機、§§ミュージックあるいはあけぼのテレビの名義でジェット機を購入することを考えて、ケイに相談した。
「飛行機って買うとしたらどのくらいの納期で買えるもの?」
「まあ普通は数ヶ月かかる。だいたい1年は見ておいた方がいいと思う」
「そんなに掛かるのか!」
「B787みたいな大型機なら数年かかる」
「さすがに787は必要無い」
「小型機を運用している会社からさ、1機、パイロットごとレンタルする手がある」
「その手があったか!」
それで調べていたところ、関東に本拠地を持つ小型機航空会社で、ホンダジェット(乗員乗客合計7名。新機価格5.6億円)を長期間レンタルしてもいいという会社があることが分かり、江藤さんと若葉にも一緒に行ってもらって条件面も含めて交渉。1年間2億円(燃料費・運用費別)でレンタルできることになった。延長については年末くらいまでに話し合う。
条件は
・その機体は§§ミュージック用だけに使用し、他用途には使わないこと。
・使用する前に徹底的な機内消毒を行う。
・操縦するパイロットは、非常時を除いて最大3人までにして欲しいこと。
といったものである。これで“2020ビデオガールコンテスト”の最終選進出者を公共交通機関を使わずに運べるメドがついた。
もっとも実際にこれを最も使うのは、アクア、姫路スピカ、白鳥リズム、ラピスラズリ、ローザ+リリン、といった付近になるのである。
「ところでホンダジェットかガルフG650の新規購入の話も進めておく?」
と若葉はコスモスに尋ねた。
「若葉ちゃんの伯母さんの会社がルート持ってるよね。お願い」
「ホンダ?ガルフ?」
「ホンダで」
「了解。予約入れておく」
新規購入ができた場合は、この航空会社・N航空にメンテをお願いしたいというのも取り敢えず口頭で申し入れ、内諾を得た。
「アクアをこれに乗せてプーケットまで連れて行ってそのまま手術室へ」
「本人が了解すれば」
2020年4月27日(月・友引・なる)、クレール若林店に隣接して建設されていた“若林店2号館”が竣工し、播磨工務店・青組(青葉通り店を建てたチーム)からムーランに引き渡された。ここの土地は千里(フェニックス・リゾート)の所有で、その土地にムーランがこれを建てて、クレールに月20万円で貸すのである。
本当は前日に完成していたのだが、その後一晩で2号館の上に盛り土をして、若林植物公園の地面を作り上げた。そのため、建設中は地上にあったのが、一晩で公園地下の施設となった。
正確には最初に公園の該当部分をいったん深さ4mほど掘り下げている。そこに高さ6mの建物を建てたので、建築中、建物は地上から2mほど出ていた。完成してから土をかぶせて、公園の地面の高さである周辺道路面から2.7mにしている。つまり建物の屋根から地面までは0.7mほどしかないので、この部分には樹木は植えられない。花だけを植える予定である。
ここへのアクセスはクレール本館から、エレベータ2機とエスカレータ4機であるが、災害などの時のために、スロープでアクセスすることもできる。車椅子にも配慮した傾斜1/12のスロープ(水平距離48m)で降りていくことができる。この傾斜なら、電動ではない、手回し方式の車椅子でも自力で登ることができる。むろん誰か親切な人が押してくれたら、もっと楽に登ることもできるはずである。
実際に運用してみると、このスロープ利用派がわりと多く、半分くらいの人がスロープで上下していた。これはボニアート・アサドにしても信濃町ガールズにしても、若い客が多いこともあるのだろう。
このスロープの壁には、事務所の許可を得てζζプロや§§ミュージックの多数の歌手の写真を展示しており、これが毎月少しずつ変わるので、それを見るためにこちらを使う人もあったようである。
展示が終わった写真やポスターは販売するが希望者が多いので、たいてい抽選となった。その売上は事務所に帰属するが、クレールは手数料として3割もらえることになっている。
なおエレベータは本来定員20名だが8名で運用する。エレベータが地上と2号館を往復する時間を1分と見た時、2機で16人/分の運送能力になる。エレベータは障碍者やお年寄り・妊婦など優先でお願いしますと掲示している。
エスカレータは1段おきに乗るように「乗車禁止」のステップをペイントしている。基本的に歩行禁止である。エスカレータ(1人乗り)は1機につき本来75人/分の搬送能力があるが、1段おきに使うので4機で150人/分である。
なおこのエスカレーターは、開演前には下向き、開演後は上向きで運用する。(開演前に昇りたい人・開演後に下りたい人はエレベータかスロープで)むろんセンサーで人が来た時だけ動く方式である。
150人/分ということは、800人の搬送は5分半ほどでできるが、非常時には一時的に全ステップに乗るのを許可するので3分ほどで全員を脱出させられるはずである。スロープから脱出する人たちもあるだろうから、もっと早く全員脱出できる可能性もある。
むろんエスカレータ・エレベータおよび照明は災害などでの停電時には自家発電に即切り替わる。
この“2号館”の天井は約5.5mである。音響上は本当は最低でも7mとりたかったが、公園の地下に設置し、地上にある若林店本館から楽にアクセスできるということを考えて5.5mに抑えた。
トイレや通路などを除いた客室部分は40m×40mの四角形なので、空気の量は8800m
3であり、建築基準に従えば、最低 30m
3/人時 で換気しなければならないので、800人入った場合、22分ほどで空気が全部入れ替わる必要があるが、実際には15分ほどでこの空気が全部入れ替わるように設計している。
部屋の上方に空気吹出口があり、床近くの強制排気口と、床板に空けた自然排気孔から排出されるので、空気は上から下へ流れている。結果的に人が居る層(床から2mほど)だけを考えると6分程度で空気は完全に入れ替わることになる。
排出された空気は付属の浄化施設で一度ガスバーナーの1000度以上の高温に曝されているパイプの中を通った上で、水中にパイプを通して冷却し、最終的には念のため目の細かいULPAフィルターを通してから外に排出される。これは火牛体育館の地下に作った浄化施設と同じ仕様である。
この“2号館”には様々な感染予防対策をしている。
・座席間隔を大きく開けてソーシャル・ディスタンスを保つ。
・テーブルの向こう側に飛沫防止の透明アクリル板を取り付け。
・約15分(人が居る所だけなら6分)で空気が完全に入れ替わる換気システム。
・ステージと客席の間に巨大なエアーカーテンを設置し、ステージと客席は各々独立した換気体系になる。
・トイレ個室のドア・ふた・洗浄は自動。どこにも触らずに利用できる。便座は除菌ジェルで各自に拭いてもらう。
・男子小便器は元々飛沫の発生しにくい最新便器に飛沫防止ドーム設置。
・トイレ内に強い吸気口があるので、トイレ中の空気は外に出て行かない。
・感染予防と視界遮断回避のため公演中は人手による配膳をしない。公演中の追加オーダーは自動配膳システム(お寿司屋さんの新幹線と同じシステム)で行う。そのため各テーブルに注文用タブレットを設置している(自分のスマホからも注文できる)。
・本館や青葉店も同じだが、トレイ・皿・コップ・ストローは全て紙製、スプーン・フォークもバイオマス・プラスチックで使い捨て。コップは蓋(紙製!)付き、トレイは折りたためる!仕様で、食べかけで中断する場合は折りたたむとほこり・ウィルスの付着を予防できる。
ここは3000人程度入るホール規模のサイズだが、定員800人のレストラン仕様である。あくまで飲食店であり、ステージでの演奏は単なるサービスという建前である。むろん飲食店なので、注文をせずにここに座ることは許されない。最低1ドリンクのオーダーが必要であるが、ミュージック・フィーは取らない。
実際はカフェラテとオムレツまたはサンドイッチのオーダーをする人が多かった。
この“2号館”は基本的には毎月1回のボニアート・アサドの“里帰りライブ”と、月2回の信濃町ガールズの定演のみで使用される予定だったが、それ以外に月に1度TKRのわりと集客力のあるセミプロアーティスト(銀クラス)の演奏も行われるようになった(むろんライブ自体は無料。ギャラも無し!)ので毎週1回土曜日にここが使われることになった。
なおステージは端に置く方法と中央に置く方法が設定できるが、ボニアート・アサドも信濃町ガールズも、お客さんとの距離が小さくなるように中央ステージを選択したので、基本的に当面は中央ステージ固定とした。
実は円形の部屋にする案もあったが、円形の部屋は音響が悪い(楕円よりはマシだが)ので没とした。
その日山村マネージャーは信濃町の事務所で、アクア・葉月と話していたのだが、2人が仕事で出ていった後、山村がふと見たら何か書類が落ちていた。
拾って見てみる。
「へー!」
山村はニヤニヤしながらその書類を自分のバッグに入れた。
「あけぼのテレビ凄く好調なようですね」
と、春風アルトは、在来局の情報番組の取材も受けた。この情報番組はいち早く出演者の個室分離出演、雛壇の廃止などを取り入れてくれた所で、石川ポルカがレギュラー出演している番組である。
「うちの所属タレントの出演機会増加が目的なので、15年前なら、秋葉原か原宿あたりにでも§§劇場とか作ったかも知れないですね」
とコスモスはインタビューに応えた。
「ああ、確かに専用劇場みたいなものですかね」
「はい。でも放送時間の枠はまだたくさん空いていて、手探りで番組を作っている所ですから、枠が欲しい!という方がありましたら、申し込んで下さいね」
とコスモスは言った。
「それは充分な感染対策をした撮影をするのが条件ですよね」
「はい。その費用負担をして頂けることが当然条件になります」
実際、いくつかのプロダクションやレコード会社から枠が欲しいという照会があり、企画をアルト・コスモス・ケイの3人で検討した上で、細かい条件は制作衛生委員会との話し合いで合意に達したものを採用していった。むろん審査基準の中で最も大きいのが感染予防対策である。あけぼのテレビの番組出演者から感染者が出たというのは絶対に困るのである。
全部で10個のレコード会社が、各々自社の歌手のCDをひたすら紹介する番組を作り、結果的に平日の21:00-22:00はこのレコード会社の時間に設定された。これはナビゲーターが個室からナビゲートすればいいので、感染対策は比較的楽な企画であった。
∞∞プロ、○○プロ、ΘΘプロ、$$アーツ、ζζプロの5社が各々の所属タレントを使ったバラエティを制作して、これが平日の20:00-21:00に設定されることになった。これは各プロダクションからのビデオ持ち込みによる放送であるが、感染対策については、結局あけぼのテレビの検査班と消毒班に頼ることになった。出演者は“毎朝”検温報告してもらうとともに、出演直前に簡易検査キットで陰性を確認してもらう。毎朝検温が困難な人は残念ながら出演をお断りする。
そして19:00-20:00は§§ミュージックの自主制作の番組が定着していく。
月 Music Quiz MC:海野博晃 As.斎藤恵梨香
火 Music Best 16 MC:後藤正俊 As.三田雪代
水 日本リモート観光 Nav.鮎川ゆま
木 That's E-Spo Nav.キャロル前田 As.桜井真理子
金 フォークランド 演:先割れフォーク As.中村昭恵
『ミュージック・ベスト16』は、司会に後藤正俊さんを引き出したことから、多くのプロダクション・レコード会社が協力してくれた。9-16位はPV紹介、8位以上に出演を要請するが、その多くが本当に出演してくれた。映像はコロナの折り、生出演ではなく原則としてリモート出演またはビデオ出演である。そのためスケジュールの合わない人もビデオで出演してくれて、結果的に出演率が高くなる。大田区のスタジオに居るのは、司会の後藤さんと、アシスタントの三田雪代(信濃町ミューズ)だけである。
この番組は飲料メーカーがスポンサーになってくれた。この飲料メーカーはお酒も販売しているが、あけぼのテレビとの話し合いで、お酒の広告は流さないことにしてもらっている。
『Music Quiz』は音楽をテーマとするクイズ番組で、レギュラーは、スカイヤーズのBunBun、元ドリームボーイズの大守清志、スイート・ヴァニラズのエリゼ、山森水絵の4人。これに毎回ゲスト回答者を迎えるということで、第一回のゲストはビンゴ・アキちゃんだった。この超豪華な解答陣は在来局からも驚かれたし、ビンゴ・アキちゃんはあまりに大物が並んでいるのでビビッていた。
出演者は実はBunBun, 大守さん、エリゼはケイのコネ、山森水絵は醍醐春海のコネである。ビンゴ・アキは∞∞ブロの鈴木社長からプッシュされて最初のゲストとして呼んだ。
出演者が凄い顔ぶれになったので、この顔ぶれを制御できるのはまた海野博晃さんクラスしかあり得なかった。特にBunBunやエリゼはわりとわがままな性格である。(大守さんはいつも蔵田さんのセーブ役だったので常識的で好人物)
アシスタントは信濃町ミューズの斎藤恵梨香であるが彼女も最初は少しビビッていた。山森水絵は実は品川ありさと仲がよいので、ありさは事前に2人を会わせて交款させておいたこともあり、初期の段階では恵梨香はかなり水絵に助けられている。
しかし豪華な出演者といい、司会の海野さんといい、『あけぼのテレビは予算が凄い』と噂されるようになった。もっともあけぼのテレビは全ての番組を基本的に§§メディアサービスや出資会社のスタッフで制作しており、外部委託していないので、中間マージンが不要で、それ故に潤沢な予算が使える面もあるのである。
またこの番組はお菓子メーカーがスポンサーになってくれたので、そのスポンサー料も使えたことが大きかった。若いファンの多い山森水絵が出ていることもあり、視聴率も好調だった。
『日本リモート観光』は不要不急の外出が自粛になっている中で、出歩けない視聴者に代わって、鮎川ゆまが全国各地の名所を紹介するという番組である。ゆまはポルシェ・パナメーラのオーナーであるが、この番組では番組スポンサーから提供された“赤いスープラ”に乗って、全国を回っている。
食料も持参して、人との接触を極力避けるという徹底ぶり。外に出て行くのは、道の駅やSA/PAなどでトイレ休憩する時くらいである。このため、車内には小型の冷蔵庫まで設置している(運転中はインバーターで駆動し、休憩中は大型バッテリーを使用する。就寝中はできるだけ開けないようにしてスイッチを切っておく)
地元の食べ物は、予めリサーチしておいたテイクアウト可能なお店だけに寄っているが、リサーチ班に応じて、それまで店内飲食のみだったお店でテイクアウトを始めた所もあり、早速利用させてもらった。
撮影はサンシャイン映像制作がこのために雇った薙沢圭輔さんという30代のカメラマンである。小さな映像制作会社にいたのだが、コロナのあおりで倒産してしまった。サンシャイン映像制作の則竹部長が知っていたので声を掛けて雇った。
ちなみに、普通なら女性のゆまと一緒に旅するなら女性カメラマンを使うところを、あえてカメラマンを男性にするのは、女性のカメラマンだと、レスビアンのゆまにレイプされかねない!からである。
ゆまは大酒飲みであるが、この番組の取材中は禁酒するよう、千里とケイから強く要求され、本人も自粛すると約束した。
「お酒を買うのはいい?帰宅してから飲む」
「薙沢さんに預かってもらう条件」
「じゃそれで」
『That's E-Spo』は、リアルのスポーツの開催が困難になっている中、世界的にも注目度が高まっている E-Sports の世界をリポートする。ナビゲーターは数年前からかなりE-Sportsにハマっているという、キャロル前田である。アシスタントは、ゲーム好きの桜井真理子が務めた。キャロルはこの番組では一貫して女装だったので、ふたりはまるで姉妹のような感じで解説をしていた。
「ちなみにキャロルさんって恋愛対象はどちらですか?」
「ボクはストレートだよ」
「ストレートって、男性が好き?」
「もちろん」
「ちょっと安心しました。もしやられちゃったら結婚してもらおうと思ってたけど、その可能性は無さそうですね」
「ボクのちんちんはもう立たないから、女の子とセックスするのは不可能だよ」
「男の人とはセックスできるんですか?」
「内緒」
キャロル前田が主宰するバンド、アドベンチャーのメンツも出演してE-Sportsに参加していたが、その“美少年ぶり”が、また話題になっていた。
この番組は通販やネットオークションをしているメーカーがスポンサーだが、その広告も番組の雰囲気と調和する電子っぽい造りになっていて、視聴者はCMまで楽しんでいたようである。
金曜日は、先割れフォーク(マツ也・スキ也)の2人に“健全なお笑い”の時間の制作をお願いした。彼らが指名した若手芸人を使い、コント中心の1時間を送る。トークが入るので、出演者には出演しない日も含めて毎朝の検温と報告をお願いし、撮影時には毎回簡易検査キットを使って感染の有無を確認してから撮影に入る。撮影場所は大田区サテライトの、この時点ではほぼこの番組専用の第10スタジオだが、次亜塩素酸水のミスト発生装置、ULPA搭載空気清浄機を動作させ、窓やドアなどは開放した状態で撮影した。またお互いに身体にタッチしたりするので、使い捨ての透明プラスチック手袋を着用した状態で演技をしてもらっている。
先割れフォークは芸歴は長いものの自分たちの番組を持つのは初めてだったのだが、長い芸歴に裏打ちされた、本当に楽しめる1時間となり、彼らの評価も上がることになる。
この番組のアシスタントに指名されたのは、中村昭恵である。彼女は『気球に乗って5日間』でもガス屋の娘役で出演していた。実はドラマの端役などには何度も出演経験があり、演技力もあり、元々割と機転が利いたのだが、この番組でお笑いセンスを大いに鍛えられることになる。この他毎回数人の信濃町ガールズをお手伝いに使っているが、彼女たちもお笑いセンスを鍛えられていく。
この番組には家電メーカーがスポンサーになってくれて、そのメーカーから提供してもらった製品を、セットの中に多く取り入れている。
《こうちゃん》はS学園の女子制服を着た《とうふちゃん》(かぶちゃんの姉)を連れて、家庭裁判所までやってきた。そして用意していた書類を提出しようと思ったのだが・・・
窓口の前に千里が立っている!
千里は言った。
「あんた、去勢されたい?」
《こうちゃん》は
「なんで分かったの!?」
と言いながらも、おとなしく、用意していた書類を千里に渡した。
《とうふちゃん》は
「なんかこんなことになるかも、という気もしたよ」
と言って、笑っていた。
「こうちゃんって、千里さんの掌の上で飛び回っている孫悟空なのかも」
「うーん。それは過去に数回思ったことはある」
と《こうちゃん》も認めた。
そういう訳で、西湖の名前と性別が、本人も知らないうちに変更される事態は、千里の活躍?により、本人も知らないうちに回避されたのである。
2020年5月14日、政府は5月31日までとしていた全国の緊急事態宣言を北海道、千葉、埼玉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の8都道府県以外の39県で解除することを発表した。
5月21日、政府は大阪、兵庫、京都の3府県の緊急事態宣言を解除した。
5月25日、北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都道県も緊急事態が解除された。
多くの地域では6月以降、学校が再開されることになったものの、感染防止対策を充分した上での授業が求められた。
明恵や真珠が通う金沢市のG大学では、6月以降、出席番号が奇数の学生と偶数の学生に分けて、週交替で授業をおこなうことが決定した。
明恵と真珠は偶然2人とも奇数番号なので、一週間登校して授業を受けたら、翌週は4〜5月と同様のリモート授業を受けるということになった。リモートの時はこれまで同様、真珠がモーニングコールをしてあげる。
しかし6月からリアル授業を再開することができたのは、金沢市内ではG大学と国立のK大学(青葉が3月に卒業した大学)との2校だけで、他の大学は態勢が整わない(教室面積に対して在籍学生数が多すぎる??)として、当面リモート授業のみ(あるいは休校!!)という状態を継続することになった。
千葉市の小学校では6月1日から授業が開始されることになった。当面は学級を出席番号の偶数奇数で2分割して、各児童は1日に午前中または午後の3時間だけ授業を受けるという方式である。それでも
「学校に行ける!」
と言って、来紗はランドセルを家の中でしょって喜んでいた。
なお入学式は6月9日(火)の午前中に行われることになった。在校生無しで、新入生と担任・校長だけで行われる。式は30分ほどで終わる予定である。保護者は児童1人につき最大2名にしてくれと言われた。
「桃香、平日だけど時間取れる?」
と季里子は(同居している)桃香に尋ねた。
「うん。大丈夫だと思う」
「でも分散授業で忙しいんじゃないの?」
「うん、夕方以降は高校生も来るから厳しいけど、日中は浪人生だけだから何とかなるんだよ。私は来紗のパパだから出なくちゃ」
塾でも生徒の数を半分にするため、分散授業が行われており、教員は倍忙しい。そもそも桃香が臨時教員から正規の教員に引き上げられたのも、教員不足という背景がある。
千里は高岡に居座ったままの桃香に電話した。
「幼稚園が6月1日から再開されるんだよ。入園式は6月8日に行われるんだけど、桃香来る?一応、園児1人につき保護者2名までは出席できる」
「じゃ行くよ。私は京平のお父ちゃん(*7)だからな」
「早月たちは?」
「強行軍になると思うし、わざわざ感染リスクをおかさせることになるから高岡に置いて行く」
「分かった。じゃ車で迎えに行くから」
「いや、レンタカーでも借りていくよ」
「そのレンタカーの修理代を払いたくないからね」
「むむ」
しかしその後、桃香から、東京へは優子が自分のムラーノに乗せて往復してくれることになったという連絡があった。今のコロナの状況では三回忌に千葉に行けるかどうかも怪しいので、桃香が行くついでがあるなら、それを送迎するのとともに自分は信次の墓参りをしてきたいということだった。子供にはハードな日程になるので、奏音は高岡に置いて行くということである。
千里も優子が運転するのなら安心だと思った。しかし彼女がムラーノを運転してくるという話に千里(千里1)は少しドキッとした。
千里(実は千里2!)は優子の所に行き
「東京まで往復するのなら、念のためワクチン打っておきなよ」
と言って、ワクチンを接種してあげた。
「半月くらい空けて2度打たないといけないんだよ。2度目は東京に来た時に打つね」
「うん、ありがとう。これの料金は?」
「桃香からもらっておくから大丈夫」
「了解〜」
(*7)京平は自分の親たちをこう呼ぶ
千里:お母ちゃん
桃香:お父ちゃん
阿倍子:ママ
貴司:パパ
ちなみに早月は、こう呼ぶ
桃香:おかあちゃん
千里:ちーかあちゃん
季里子:きーママ
季里子が「きーママ」になるのは、来紗と伊鈴が季里子を「ママ」と呼ぶのでそれにつられた感じである。ちなみに来紗と伊鈴は桃香を「パパ」と呼ぶ。夏樹のことは「お父ちゃん」のままである!
なお、由美はこう呼ぶ
千里:おかあちゃん
桃香:ももかあちゃん
(桃香は早月と由美の遺伝子上の母であり、来紗・伊鈴の育ての父!である)
この子たちの会話を聞いていると、そばにいる大人がかなり混乱する。本人たちも分かって会話しているのかは、結構微妙である。
上野美津穂は5月18日に会社に退職願いを提出し、会社を辞めたものの、まだとても起き上がれそうにない感じだった。
5月20日の夕方、青葉が寄ってくれた。
「ごめんね。すぐ来ようと思ってたんだけど、忙しくてなかなか来られなくて」
と青葉は言う。
「青葉、4人分くらい仕事してるもん。作曲してアナウンサーして、水泳選手やって、霊能者やって。青葉が4人、最低でも2人必要だよ」
自分が2人いたら便利な気もしたが、千里姉を見ていると分裂しているのも色々大変みたいだ、と青葉は思った。
「霊のほうのお仕事は基本的に断ってるんだけどね。身が持たないから」
「だよね」
「でもこれは私に任せて」
と言って、青葉は美津穂の手を握った。
「あ・・・」
「楽にしてて、そのまま寝てていいから。何も考えずに」
「うん」
青葉は何も言わずにずっと美津穂の手を握っていた。美津穂はぼろぼろ涙が出て来たが、青葉はたくさん涙を出したほうが早く回復すると言った。
「エグゼルシス・デ・ファイユ津幡まで来てもらった方がこちらは楽なんだけど、この状態ではとても動き回れないよね」
「エグ何とか津幡って何だっけ?」
「津幡に作ったスポーツ施設だよ」
「もしかして火牛スポーツセンターのこと?」
「まあ世間ではそう呼ぶ人もいる」
「なんだ。最初から火牛スポーツセンターと言ってもらえば分かりやすいのに。なんか難しい名前を言うから」
と美津穂が言う。
えーん、誰も正式名を言ってくれないよぉと青葉は思った。
「じゃ来週くらいからは私がそちらに行くよ」
と美津穂。
「うん。助かる」
と青葉。
この日、青葉は2時間近くそのまま美津穂に付いていた。おかげでこの日、青葉が帰った後、美津穂はひとりで歩いてトイレまで往復することができた。
青葉はこの後もこの週は1日おきに来てくれて、美津穂はかなり精神力も体力も回復した。そして翌週からは母の運転する車に乗って津幡まで行き、毎日青葉のヒーリングを受けることができた。そして月末までにはほぼ完全に回復して、普通の生活ができるようになったのである。
美津穂のお母さんはヒーリング料に10万くらい払えばいいですか?と訊いたが、青葉は「友だちだから不要ですよ」と言ったので、美津穂がケーキを焼いて日本代表候補の人たちに差し入れした。ホールケーキ2個があっという間に消えて、さすが日本代表!と美津穂は思った。
(2020年)5月22日(金・なる)、予定より少し遅れたが、千葉市内で再建中だった季里子の実家が竣工した。ヘーベルハウスで4LDKである。1階の和室を季里子の両親が使い、2階の洋間1(6畳)を季里子と桃香、洋間2(16畳)を来紗と伊鈴に使わせるが、季里子としては、ここに早月ちゃんと由美ちゃんも引き取り、女の子4人で共用しようと思っていたので、この部屋はパーティションで4畳ずつ4分割している。空いている2区画は取り敢えず物置的な使い方である。2階のもうひとつの洋間(6畳)は客間として予備に考えればいいかと思っている。
北区の仮住まいからの引越は、父も季里子も動ける5月24日(日)におこなった。桃香が「トラック借りてくるよ」と言ったが、実際に4トントラックを持ってきてくれたのは千里さんである!千里さんはトラックを置くと「よろしく」と言って帰ってしまった。まあ桃香にトラックなんて危なくて運転させられない。
トラックは父・真栗が運転した。昔の普通免許なので中型8t限定に移行しており、4トン車まで運転できる。父は“バックしない限り”4トン車も大丈夫だと言っていた。新居に付ける所はバックが必要だったが、季里子の誘導で何とかどこにもぶつけずにバック駐車できた。
荷造りと搬入・搬出は、季里子の長姉(元長兄で法的性別変更済み)とその夫、次兄とその彼氏(元女性で法的には妻)も手伝ってくれて、無事その日の内に全ての荷物を新居に運ぶことができた。使ったトラックは近所のスーパーの駐車場に駐めておいてと言われていたので駐めてから千里さんにメールすると、1時間程度の内に回収されたようである。
来紗は次兄と彼のパートナーに首をひねっていた。
「ルオおじさんって男だよね?」
「僕は男だよ、来紗ちゃん」
「カズシさんは、ルオさんの・・・旦那さん?」
「そうだよ。僕とカズシは夫婦だから」
「男の人同士でも夫婦になるんだ!」
「来紗ちゃんのママとパパだって女同士じゃん」
「あ、そうか!男同士・女同士で結婚してもいいのね」
「もちろんだよ。来紗ちゃんも女の子と結婚する?」
「それもいいなあ。男の子って乱暴だし」
季里子の父・真栗(まぐり)が頭を抱えていた。
更に来紗には疑問があった。
「あれ?ルオおじさんって、次男なんでしょ?」
「そうだよ」
「長男は誰なの?」
「私が長男だよ」
と長姉(元長兄)のマルカが言う。
「だってマルカおばさんは女なのに」
「最初に生まれた子は女でも長男を名乗っていいんだよ」
「そうだったんだ!」
「だから来紗ちゃんは長女でもあり長男でもあるね」
「そうだったのか。長男というのもいいなあ」
「長男を名乗るならちんちん付けないといけないけどね」
「あ、ちんちん欲しいと思ってた!マルカおばさんは、ちんちんあるの?」
「昔あったけど、結婚する時に邪魔だから取っちゃった」
「そうか。男の人と結婚するなら、ちんちんは邪魔かもね」
「結婚する時に取ればいいんだよ」
「へー。私も結婚するまで、ちんちん付けてもらおうかな」
真栗(まぐり)が「もう勘弁してぇ」という顔をしていた。
そもそもレスビアンの自分が二児の母になっていること自体、何だか信じられない気持ちもしている。これも“精子を持っていた女の子”夏樹ちゃんのお陰だね! もっとも桃香も精子を持っている疑いが濃厚なんだけど。名前だけ聞き出した、小空ちゃん・小歌ちゃんは、桃香の種で長崎に住んでいる母親が産んだらしいし。
(季里子は小空・小歌の“母”が今東京に住んでいることを知らない)
やはり早月ちゃんって、本当は桃香が父親で千里さんが母親なんじゃないのかなあ。千里さんが授乳している所見たこともあるし。父の乳に乳は無いはずだよね??乳に乳があるのは母のはず。桃香が授乳してる所なんて見たことないもん。
(2020年)5月27日は、早百合の給料日だった。月末近くに給料日のある会社は多いが、“ごとび(五十日)”である25日の所が多い中で、27日に給料日が設定されている会社というのは、要するに資金力の弱い会社が多い。もっとも早百合が大学生時代にバイトしていたファミレスは月末締めの翌月13日払いで、色々な支払い(毎月10日前後が多い)に間に合わん!といつも思っていた。しかし結果的には計画的なお金の使い方が身についたかも知れない。
さて・・・。
5月27日、給料は振り込まれていなかった。
朝出勤途中にお金を引き出そうとした運転手さんが
「入ってない」
と騒ぎだし、経理課に問い合わせると
「午後には何とか」
という解答だったのだが、15時過ぎても入金しておらず、この日にクレカの引き落としや、住宅ローンの返済がある人たちが青くなっていた。
労組側から会社に説明を求める。
その結果、会社に資金が全く無いということが判明する。
コロナの影響で、みんながお出かけを自粛し、またスポーツ大会の中止でクラブ活動の遠征などが無くなり、結果的にここ3ヶ月ほどの受注が従来の5分の1以下になったため、急速に資金繰りが悪化したのだという。
早百合はそもそも4月入社だったので、そんなに減っているというのには気づかなかったが、その時期から、先行きに不安を感じて退職する人が相次いでいたらしい。
「給料はいつ出るんですか?」
と労組は会社を追及するが、
「今何とか融資してもらえないか金融機関と協議中で」
という答えで、要するに支払いのメドは全く立っていないようだ。
それどころか、どうも小切手の不渡りを出したようだという話が出てくる。
小切手は即換金される可能性があるから、本来口座にお金がある状態で発行するものだ。ところが1ヶ月先くらいの日付で小切手を切るということが行われる場合もある。受けとった側は(手形と違って小切手に書かれた日付には意味が無いので)日付を気にせずそのまま金融機関に持ち込めば、即日取立ててもらえる。しかし多くの場合、相手企業との関係に配慮し、書いてある日付が来てから金融機関に持ち込む。それが落ちなかったらしい。
要するに1ヶ月程度の間に資金を何とかするつもりが失敗したのだろう。
当然銀行からは取引停止をくらう。
もはや融資も何もあったものではない。
ダメだこりゃ!と早百合は匙を投げた。
翌朝会社に来てみると、ヤクザのような男たちがビル前にたむろしていて、社員が建物に入るのを拒んでいた。早百合はちょうど一緒になった同僚と顔を見合わせ
「帰ろうか」
と言ってその日は帰宅した。
同僚と一緒に博多駅のケンタッキーでチキンのセットを買って
「じゃバーチャルパーティーで」
と言って別れた。
要するに各自自宅で食べようということである!
それで早百合は地下鉄/筑肥線で前原に戻り、自宅で金麦!を開けて飲みながら(やけ酒?)、ケンタッキーを食べた。きっと会社はこのまま倒産するのだろう。早百合は畳の上に寝転がると、
「4月に買った定期、まだ有効期限1ヶ月もあるのに」
と文句を言った。
ザマーミロ鉄板はマリナが緊急に会社に1600万円の出資をしたおかげで、5月末、6月上旬の危機を何とか乗り切ることができた。板付社長は新しく会社の共同オーナーになったマリナに尋ねた。
「何か要望ある。できる範囲で対応するけど」
「そしたら会社名変えませんか?インパクトはあるけど、名刺とか渡す時に恥ずかしくて」
とマリナが言うと
「私も電話受ける時に恥ずかしい」
と社長の奥さんも言っている。
「そうだなあ。サマーガールズ出版のもじりだったんだが。何かそれに似た感じでインパクトのあるものってないかね」
「サドマゾ・ノーパンとか」
とケイナが言うが
「それを名刺に入れたいの?」
とマリナに睨まれる。
「ちょっと恥ずかしいかな」
とケイナ。
「私とても電話口で言えない!」
と奥さん。
「サワークリーム食パンとかは?」
と奥さんが言った。
「まるでパン屋さんみたい」
「ああ、副業でパン屋さんするのもいいかな」
「設備投資に金がかかりますよ」
「ここの1階のパン屋さんが廃業するらしいから、その設備を安く買い取るとか」
「あのパン屋さん、辞めちゃうんですか?美味しいのに」
「御主人が年なもんで朝起きるのが辛いらしい」
「ああ。パン屋さんは朝が早いから」
「それにコロナで売上が落ちてるみたいだよ」
「パン屋さんは、営業してる所はむしろ客足が伸びてるんですけどね。外食しない代わりに、そういうのを買って帰るんですよ。但し、客が自由にトングで裸で置かれたパンを取る方式はダメです。ガラスケースに入れて指示して入れてもらうか、パンを全て個包装にするか」
「そのための設備投資や労働力の確保ができなかったみたいね」
「でもパン屋さんなら、うちの孫がやってくれないかなあ、新宿のパン屋さんでバイトしてるのよ。そこはコロナ対策でお店を1000万円掛けて改装したらしい。人手も増やして全部個包装して並べる」
と奥さんが言う。
「社長のところ、お孫さんとかいたんでしたっけ?」
とマリナは訊いた。
孫がいるような年齢、しかもその孫が働いているような年齢とは思ってもいなかった。
「えっと・・・」
と社長が照れてる!?
「私たちが結婚したのが1982年なんだけど、当時私たち18歳と16歳で」
「結婚可能年齢ギリギリですか!」
「実は妊娠しちゃったから慌てて結婚したんだけど」
「ああ、悪い男だ」
「実は婚姻届けの翌日に出生届けを出した」
「なんとまあ泥縄な」
つまり奥さんは16歳の誕生日の翌日に母になっちゃった訳か。
「出産で高校退学になっちゃったから、NHK学園に再入学して3年かけて卒業した」
「それ凄く偉いです」
「その後、子供2人育てながら、普通の大学に入って女子大生4年やったんだけどね」
「ほんとに偉いですよ」
「まあ自衛隊で給料良かったからできたけど、子育ては全然協力してくれなかったね」
「それはすまん」
社長は防衛大学校の出身と聞いた。子供を育てないといけないから、学費が掛からず勉強しながら給料までもらえる防大を選んだのかな、とマリナは思った。
「でもその結婚した年に生まれた娘が高校卒業してすぐに結婚して子供を産んで、その子が今年20歳。一応女子大生だけど学校はコロナで休校中」
「すごーい!」
マリナは頭の中で計算した。
「だったら社長って今年で56歳ですか?」
「うん」
「47-48歳かと思ってた!」
「確かに俺は若く見られること多い」
「あのぉ、だったら奥さんは54歳?」
とケイナが遠慮がちに訊く。
「まだ誕生日前だから53歳だけどね」
「まだ30代だと思ってた!」
§§ミュージックのコスモス社長は言った。
「マリナちゃんたち、結構スタジオを借りているよね」
「あ、はい。ネタの練習するのに使ってるんですよ。大きな声出すから、自宅ではできなくて。昨年は1年でスタジオ代で300万くらい使ってるかも」
それもザマーミロ鉄板の経営を圧迫する原因のひとつになっていた。
「マリナちゃん、3LDKのマンション買ったんでしょ?部屋のひとつに防音工事して、そこで練習したら」
あ、それは考えたことが無かった。
「それどのくらい掛かるんですかね」
「業者や方式にもよるけど、エレキ楽器の演奏とかがなければ100万くらいで行けると思うよ」
「だったら、やっちゃおうかな」
それでマリナはコスモス社長から業者を紹介してもらい、自宅マンションのクローゼット!(約5畳)に防音工事をしてもらったのである。防音のレベルはどうせならということで、中でピアノやエレキギターを弾いても大丈夫なレベルにしてもらった。クローゼットを使用したのは、窓が無いので防音化しやすかったためである。費用は150万円だった。
マリナは
「意外に安かったね」
と言ったが、ケイナから
「150万が安いって、お前、少し金銭感覚くるってないか?普通のサラリーマンなら2年ローンで払う金額だぞ」
と注意された。確かにちょっと最近大きな出費が続いたもんなと、マリナは少し反省した。
「あ、そうそう。大阪の藤山さんが先日、こぼしてたんですけど」
と§§ミュージックの美咲瞳は言った。
「何か?」
「電話を受ける時、今『こちらローザ+リリンの専属マネージャー、藤山です』と言っているんですけど、オフィス名とかあったら、楽なのにって」
「ああ、確かにその応答は長すぎるかも」
「でも藤山さんって大阪におられるんですね」
「まあ、テレワークですよ」
「なるほどー」
「東京で何か荷物の受け渡しとかある場合は、野々村に連絡して下さい」
と言って、マリナは野々村愛華に渡しているスマホの電話番号とメールアドレスを美咲マネージャーに渡した。
「この人は都内ですか?」
「自宅は吉祥寺なんですよ」
「だったら、マリナさんたちのマンションからも近いですね」
「自転車で7-8分と言ってましたね」
「ああ、自転車で往復してるんですか」
「それも可能だけど、彼女今妊娠しているんで、自転車とバイクを禁止してます。車で5分くらいみたいですね」
「あら、藤山さんも妊娠しているんでしょ?」
「そうなんですよ。だからトリブル妊娠です」
「すごーい!」
名称の件に付いては、マリナは藤山渚本人とラインで話して、オフィス名(屋号)を定めることにした。向こうは店舗営業中で、料理中のようだ。それで途切れ途切れに返事が返ってくる。実はこちらもコスモスから頼まれた作曲をしながらである。
「ケイナとマリナの事務所ということで、オフィス・KM(ケーエム)とか、どうだろう」
「わりと短くていいね。でもケーエムだとキロメートルみたい」
KMは kilometre (キロメートル)の他に Knowledge Management(知識情報処理)、kokusai motorcars(国際自動車:東京のバス会社)、Kenichi Mikawa (美川憲一!)などがある。
「いっそオフィス・キロメートルにする?」
「わりと覚えてもらえていいかも」
「しゃ、オフィス・キロメートルで」
なんか結局長くなったぞ、という気はした。
「会社設立する場合は、株式会社粁かな」
「そんな漢字があるんだ!」
「メートルが“米突”の略で米だから、キロメートルは1000倍で粁。ヘクトメートルは粨、デカメートルは籵、デシメートルは粉、センチメートルは糎、ミリメートルは粍」
「先生、質問です!デシメートルって“こな”ですか?」
「それって秘密らしいよ」
マリナは渚・愛華と話し合って、荷物の受け取り用を兼ねて、都区内に小さなものでもいいからオフィスを作ろうということになった。それで物件を探した結果、代々木駅の近くに面積12m
2(3.0m×4.0m)の小規模オフィスを借りた。
代々木なら§§ミュージック最寄りの信濃町駅から中央線で2駅である。UTPのある新宿へは山手線で1駅(実は歩いても20分で行ける)、板橋区のサワークリーム食パン!からは東武東上本線か地下鉄副都心線から池袋乗換で20分くらい、マリナたちのマンションがある三鷹や愛華の住んでいる吉祥寺からは中央線または京王井の頭線から新宿あるいは渋谷乗り換えで20分くらい。
という訳で代々木はひじょうに便利な所にあるのである。§§ミュージックの美咲さんと、UTPの甲斐さんにも鍵を渡しておき、何か荷物の受け渡しがあったら誰もいなかった場合でも勝手に入って、荷物を置いたりあるいは持って行っていいことにした。
ここはとても小さいが、キッチン・トイレ付きで、家賃は1ヶ月6万円である!トイレが共用の所ならもっと安い所もあるのだが、コロナ感染予防を考えてトイレ付きの物件にこだわった。
玄関に向いた所にカウンターを置き、その後方にパーティションを設置して、ドアで出入りするようにする。このパーティションの内側にテーブル・椅子と仮眠用のベッドを置く。寝る時は確実にパーティションの所に施錠するように、愛華には言った。彼女は防犯用男声アプリとか使いますと言っていた。昔ホステスさんをしていた人なので、その付近の防御意識はわりとしっかりしているようだ。
また歩いて200mほどの所に駐車場を2枠(2枠で月7万円)借りた。それで愛華は感染対策もあるし実際には車(日産Cube)で出勤してくると言っていた。愛華も実はバイク好きなのだが、妊娠中はバイク・自転車を夫から禁止されている。出産後はバイクにするかもと言っていた。彼女のバイクはKawasaki Z650である。
「ね、ね、夜間のお留守番役とか要らない?」
とマリナの姉、歩は言った。
「は?」
「そのアイファちゃんだっけ?主婦なんでしょ?居られるのは日中だけだよね。でも芸能界のお仕事って夜の方が多くない?だから夜間のお留守番してあげるよ」
「要するにそこに住むつもり?」
とマリナは尋ねる。
「正解!」
「家賃取るよ」
「留守番の報酬とバーターということで」
「ま、いっか」
それでマリナの姉・歩がここに住み込むことになったのである。歩はこれまで川口市内の安アパートに住んでおり、そこから都区内の会社に出勤してきていたのだが、大幅に通勤時間が短縮されることになる。歩が会社が終わってここに戻るのは19時頃であり、愛華は夕飯の支度があるので16時くらいまでしかいられない。結果的に16-19時頃は誰も不在になるが、美咲さん・甲斐さんは鍵を持っているので、大きな問題は無い。朝も7-10時くらいが人が不在になる。
なお、ここは龍虎のマンションからも比較的近い。
また、ここはローズクォーツの音源制作が深夜まで及んだ時の仮眠場所としても使うことにした。マリナ自身はいいとしてケイナを同じ部屋に泊めていいものか少し悩んだが、歩−マリナ−ケイナ、と並んで寝れば問題ないということにした。実はこれでホテル代がたぶん年間100万くらい節約できる。
ケイナも今更、女性の着替えとか下着姿を見て欲情したりはしない。この辺りは長年の女装生活でケイナは(3次元の)女性に対してほとんど不感症になっていた。2次元の女性にはわりと反応するのだが、先日の引越の時、その手の本を全部揚浜フラフラに捨てられてしまい、わりとオナニーに困っているようだ。
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【春曙】(5)