【春変】(1)

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1954年6月30日毎日新聞の記事。“手術なしで性転換”。
 
近ごろはやりの“性の転換”が今度は南のジャワ娘に飛火し、インドネシアでは大騒ぎしている。北部インドネシアのスラバヤで発刊されているジャワ・ポスト紙が報じた所によると、この娘さんはピエといい、数ヶ月家をあけていた間にどこでどうしたものやら男に早変わりしていたもの。家に帰ってきてからは着ているものをパッパと脱ぐので近所からもノゾかれるし、両親は大弱り。彼女の性転換はなんら手術をしないで行われたというのがミソらしいが、インドネシアの医学界では、大いに首をひねっている。なお彼女は近く女中さんと結婚するとハリきっている。
 

当時はこういう事例に関してほとんど知られていなかったのでしょうが、典型的な「5α還元酵素欠損症(5α-Reductase deficiency)」のケースだと思います。性分化障碍(disorders of sex development, DSD) の一種です。
 
これは1980年代に、日本のテレビ番組が、海外のある島で大量に女の子が男の子に変化したという報道をしてから、日本では知られるようになりました。その島での事例では性転換した男の子(元女の子)たちは、家系を調査すると、数世代前の1人の女性の子孫であることが分かり、その当時は「何らかの遺伝的原因と思われる」という報告でした。これがその後、症状を引き起こす遺伝子が特定されたようです。いわゆる劣性遺伝なので、両親ともにキャリアであった場合に、4分の1の確率で発症する子供が生まれることになります(4分の2の確率でキャリアになり、4分の1の確率でノーキャリアになる)。
 
この症候では生まれた時は女の子のような股間形状(軽症の場合は曖昧だったり、むしろ普通の男の子に見える場合もある)をしているのですが、だいたい普通の女の子なら生理が始まる頃の年齢になってから突然クリトリスが大きくなり、ペニスに変化してしまいます。1980年代にテレビ局が取材していた島では、性転換した子たちは「男の子になれて嬉しい」とか「自分は元々男の子だと思っていた」と言っていましたが、この手の事例では本人に「法的な性別を変更してこのあと男として生きて行くか、整形手術(=事実上の性転換手術)をして女の子に戻るか」を選んでくれと言われて、本人も選びきれず親が勝手に決める訳にもいかず、物凄く悩む事例も多いようです。
 
でもこれは恐らく古くから結構発生していたものと思われますのでコーカサスの民話「アレグナサン」の話(女の子が男装して宮廷に出仕し、ライバルから難題を課されるが、男に性転換して魔物を倒し、姫と結婚するという物語。インドにも類話がある)も、たぶん実話をベースにしたものなのでしょう。
 

その日西湖は国語の授業を受けていて「かわる」と読む文字について講義を受けていた。
 
「単に“かわる”“かえる”という字を挙げると変・化・替・代・換がある。他にもいくつか“かわる”という文字はあるが、使用例は少ない。更迭の“迭”は地位から外して誰か別の人と交替させるという意味。“更”の方も他のものと交替・交換することで、更新・更衣などの熟語がある。天皇の摂政とかいう“摂”は天皇に代わって政治を執るということ。易姓革命の易は王家が交替するということで、易占いの易も英語では典拠となる本“易経”をbook of change と訳している。あれは八卦・六十四卦の様々な卦がお互いに変化して行く占い。他に使用例は少ないけど、間という字も中国の古典で“代わる”という意味で使われている例がある」
 
「さて、主に問題となるのが変・化・替・代・換なのだが、分かりやすいのが“換”でこれは“交換”“換気”など、中身を概ね新しいものに入れ替えるということ。“換骨奪胎”なんて凄い言葉もあるな。人間の骨を交換して臓器も入れ替えるということで皮だけがそのまま。ダークファンタジーなら、人間の外見だけ同じで中は別人になっているなんてのが出てくることがある。昔、マッキントッシュの中身をまるごとwindows機のマザーボードと周辺機器に交換して“Windowsの動くマック”と称して公開して非難囂々来た奴がいた。」
 
「次に“代”だが、これは“代替”“代理”のように、別の人やものが一時的にその役割をするということ。“拍手を持って投票に代える”“代筆”みたいなのがこれ。“役を代わる”は臨時だけど“役を替える”は完全交替、“電話をかわる”の漢字は迷うことが多いけど、この字で“電話を代わる”と書くのが普通。演劇界でボディダブルとかスタンドインなんてのが、本来の出演者の臨時の代わりをしているな」
 
うん、それボクのお仕事、と西湖は思う。
 
「似ているが“替”の方は同等のものと恒久的にかえてしまう。“商売を替える”“シーツを替える”なんてのがこれ。“社長が替わる”というのは別の人が一時的に代理をする訳ではなく別の人が正式に社長になるからこの字を使う」
 
「最後に“変”と“化”だが、これは替とか代が、ひとつの地位に就く人や物を別のものと交換するという意味であるのに対して、同じ人や物がそのありようを変更する意味で使う。だから“女の子に代える”というのは、例えば男の子がその役目をしていたのを女の子と交替するということだけど“女の子に変える”というのは、同じ人物なんだけど性転換しちゃうということ」
 
ボク性別変わっちゃったぁ、と西湖は思う。
 
「特撮とかロボットアニメでは、飛行機が戦闘ロボットに変形したりするけど、ああいうのが“変”の事例。“化”は似ているのだけど、化というのは化けるという意味の通り、仮の姿になること。姿や性質はかわっても本質はかわっていないのに対して、変は根本的にかわること。例えば男の子が女の子に化けるというのは、男の子という本質は変わっていないけど、女の子のような姿になること。でも男の子が女の子に変わるというのは本当に性転換。化粧というのはあれは見た目を変えるだけで、本質的に美人かどうかは変わらん」
 
というところで笑い声がある。
 
「化粧で本人の顔自体が変わったら恐いよな。化学では様々な反応で色々な物質ができるけど、原子自体は何も変わらない。映画化とか小説化というのも作品の本質は変わらないという建前。化は概して可逆的なものが多い。気化して気体になっても温度を下げたら液体に戻る。酸化しても還元すればいい。進化してもすぐ堕落するし、美化してもすぐ汚れる」
 
「これに対して変の場合は本質からして変わるケースが多い。本能寺の変というのは、信長政権が倒れて、明智光秀が天下を取ろうとしたが、すぐ倒され結局秀吉政権に移行する。乙巳の変では蘇我入鹿が倒されて中大兄皇子の政権になる。変心というのは、心変わりして別の人を好きになってしまったもの。まず撚り(より)は戻らないから諦めろ」
 
クスクスという笑い声もあるが、悩むような顔をしているのは恋をしている子か。
 
「仮面ライダーの変身というのは、一時的な形態を変えるだけだから、あれはむしろ化身(けしん)とでもいうべき。あのセリフを考えた時、カフカの『変身』から思いついたらしい。カフカの場合は、虫に変化して、そのまま死んでしまうから元に戻っていない。本来は変身とは不可逆のはず。わりと最近は海外旅行してきて女の子に変身してきました、などと言う人があるが、あれは女に変わったまま元の男には戻らないはずだから、変身で間違いない」
 
西湖は、ボクが女の子に“かわった”のは、変なのだろうか化なのだろうかと悩んだ。
 

福岡市から大学進学のため大阪に出て来て、一人暮らしを始めた星良(つつ・あきら)だが、母からは、女の子の格好で暮らすんでしょ?と唆されたものの、実は完全に女の子ライフに切り替える勇気が無かった!
 
良は女性専用マンションに住んでいるので、間違っても男装でこのマンションに出入りすることはできない。そしてマクドナルドで女性クルーとしてバイトを始めたので、お店には当然女の子の格好で行かなければならない。
 
でも勇気が無い!
 
それで結局、良は性別曖昧な格好で出歩いたのである。女性用のパンツを穿き(実は良は男性用のズボンは入らない)、上はユニセックスなトレーナーを着る。それで出歩けば、良の容姿だとだいたい女子と見られることが多い。
 
マンションに出入りしていて、同じマンションの住人とすれちがったりして会釈しても、向こうは特に何も思わないようである。一度、気さくな感じの女子大生から「どこの大学?」とか「何年生?」なとと訊かれて、大学名と1年生だということを話したが、会話していても、特に向こうは不審に思わなかったようだ。
 
良は女声が出せるわけではないが、ハイトーンで話すし、次兄の佳(まこと)などによると「話し方が女性的」らしく、それで相手は良と会話してもこちらを普通に女性と思うようである。実際高校時代に良あてに電話が掛かってきて「妹さんですか?」などと言われたこともある。
 

大学にもそういう雰囲気の格好で出て行く。今どき学生名簿とかもないので、クラスメイトなどで、良を男だと思った人はいなかったようである。
 
「星良」という学生証(学生証には生年月日は印刷されているが性別は印刷されていない!)を見て「ほし・・・つかさ?」とか「ふみ?」とか諸説が出る。
 
「“あきら”だけど、友だちは苗字とくっつけて“せいら”って呼んでた」
「ああ、それでいいね」
 
ちなみに誰も苗字の読みが“つつ”であるとは思いも寄らない。
 
ちなみに写っている写真も女の子っぽい写真なので、誰も良が女の子ではないとは夢にも思わなかった。
 
「いつもパンツだね。スカート穿かないの?」
「気分次第かな」
 
でも夏休み突入するまでの間、良がスカートを穿いて大学に出て行ったことは無かった。ちなみにトイレは学内では女子トイレを使わせてもらっていた。
 

健康診断については、まだ学校が始まる前の4月2日に(一応)男子として受診したものの、まだ良のことを知っている人がいなかったので、良が男子として受診していたことを覚えている人は誰もいなかったようである。
 
マクドナルドのバイトは、原則として土曜・日曜の昼間4時間ずつと、水曜の夕方に4時間で合計12時間を原則としていたが、週によっては水曜以外にもお願いされることがあった。もっともゴールデンウィークは例の「十連休」の間、毎日出て行ったし、突然休んだ人の代理までして7時間働いた日まであったので、バイト代がその間だけで7万円を超え「すげー」と思った。
 
4/27土曜
4/28日曜
4/29昭和の日
4/30(国民の休日)
5/01新天皇即位
5/02(国民の休日)
5/03憲法記念日
5/04みどりの日
5/05こどもの日
5/06(振替休日)
 
さすがに疲れたし、月の労働時間が長くなりすぎて調整ということもあり5/11-12の土日はお休みにしてもらった。
 

「バイト代、たくさんもらったし、どこか日帰りで旅行でもしてこようかな」
 
そんなことを考えながら、バイトからの帰りに道を歩いていたらバイク屋さんがあった。
 
良は高校時代に当時親しかった男の子!(友だち以上恋人未満。でも1度だけキスした)にノセられて、バイクの免許を取得している。親は良がバイクの免許を取ることを許し、費用も出してはくれたものの、取得した免許は取り上げられてしまい、高校を卒業した所で返してくれた。それで(公式見解としては)高校時代には、自分で路上を運転したことはない。
 
 
「バイクもう半年以上乗ってないなあ。でも高いよね」
と思って眺めていたら『出精価格3万円』なんてのがある。
 
嘘!?凄い値段と思って見てたら、店のお兄さんが寄ってきた。
 
「バイクお探しですか?」
「あ、いえ。でもこれ3万円って凄い値段だなと思って」
「ああ。これは20年以上前のモデルですからね。製造年はハッキリしないけど多分1986年か1987年だと思う。22-23年くらい経っていますね」
「動くんですよね?」
「動きますよ。走行距離は12万kmしかないし」
「3万円って本体価格ですよね?支払い総額はいくらになります?」
「6万くらいかな」
「やはり結構しますよね・・・・」
と良が悩むような顔をしていたら、店のお兄さんは言った。
 
「お姉ちゃん、美人だから5万円に負けちゃおう」
「いいんですか!?」
 
そういう訳で、良はこのバイク (Yamaha XS250 blue) を保険込み5万円で衝動買いしてしまったのである。
 

ちなみに書類に「星良」と書いたら「苗字から書いてください」と言われた!運転免許証を見せて納得してもらう。
 
手続きを終えた後、そのまま“お持ち帰り”していいですよと言われたが、スタートさせ方を忘れていて!お店のお兄さんを不安にさせる。
 
「最近の若い人はみんなセルだよね」
と言って、キックスタートの手本を見せてくれる。
 
「あ、思い出した」
と言って、やってみたら、無事スタートさせることができた(実はセルスタートも忘れていた)。
 
バイクスーツは買った方がいいですよと言われたので、そのままオートバックスまで行くことにする。それにしてもヘルメットは必要なので、そのバイク屋さんで赤いヘルメット(フルフェイス)を1万円のところ、これもオマケしてもらって7000円で買った。女の子だから親切にしてくれている感じもあり、やはり女って得だよね、などと思う。それでオートバックスで、ヘルメットと割とお揃いの赤いライダースーツ、グローブを合計15000円で買った。
 
これでバイト代が全部無くなっちゃった!!
 

でもせっかくだから少し走ってくることにした。学費を少し使い込むことにして、ガソリンを満タンにし、非常食・お茶と念のため下着の替えを買って、北の、亀岡方面に走って行く。亀岡方面を選んだのは、最初奈良方面に行こうかとも思ったものの、大阪市街を通過する自信が無かったからである!!
 
最初はやはり久しぶりの走行で不安もあり、40km/hくらいのゆっくりペースで走ったが、少しずつ本来の速度を出せるようになっていった。亀岡にお昼ころ着いて、コンビニに駐め、トイレを借り、おにぎりとお茶を買って食べた。
 
スマホの地図を見て、国道9号を山陰方面に少し走ってみることにした。
 
速度厳守して走り、30分走っては休み、30分走っては休みしていたら、夕方近くになって唐突に凄いループ橋があり、目が回った!
 
だめだー!休もう!と思い、少し走った所にあったガソリンスタンドで満タンにしてから、どこか休む所が無いかと尋ねる。すると、少し行った所に温泉があるから、そこで泊まればいいですよといわれた。
 
良は休憩してから豊中に帰ろうと思っていたのだが、夕方だし泊まってもいいかなと思った。
 

それでどのあたりか場所を尋ねると
 
「あそこちょっと分かりにくいんですよ。僕が車で案内しますよ」
とGSのお兄さん(推定40歳)が言う。
 
「え?でもお忙しいのに」
「なーに、この時間帯は、お客さん少ないですから」
などと言って、彼は事務所の中の別のスタッフに声を掛けると、GS横の空き地に行く。駐めてあったミラに乗り、良を誘導してくれた。そのミラに付いていくが、ミラって意外と上手い人が乗ってるよね、などと思った。
 
それで国道を少し行った後、脇道に入り、数回分岐を折れてから、やがて一軒の温泉宿の前に到着した。なるほど、これは誘導してもらわなかったら辿り着けなかったなと思った。
 
「ありがとうございました」
と御礼を言う。
 
「ここは弁天様の湯といって、女性ホルモンを刺激する成分があって、入った人はみんな美人になるそうですよ」
と言ってから
「お姉ちゃんみたいな美人はますます美人になるね」
と付け加えた。前半だけなら“美人になる必要がある人”と取られるかもと思って付け加えたようだ。優しい性格の人だなと思った。
 
「それ男の人はどうなるんですか?」
「男なら女になって美人になる」
「だったら、女の子になりたい男の子は来るといいですね」
「ああ、可愛い男の子はみんな女の子になればいいと思うよ」
 
賛成!
 
それでお兄さんは帰っていった。
 

旅館前が駐車場になっているようである。他にも3台車が駐まっている。良はバイクを駐めると旅館の建物に入っていく。ややかすれた筆文字で《奥宮温泉・弁天湯旅館》と書かれた看板が出ている。この看板自体40-50年経ってそうだ。
 
「お泊まりですか?」
と帳場の女性(推定70歳)が声を掛けてくる。
 
「はい、予約してませんけど、もし空いてたら」
 
「大丈夫ですよ。空いてますよ。お一人様?」
「はい、そうです」
「お車ですか?」
「あ、バイクです」
「ああ、ツアーリングとかいうのだっけ?」
「ツーリングかな」
 
("touring"をどう音写するかの問題なので、ひょっとすると女将さんの発音が原語に近いかも?)
 
記帳したら例によって「苗字から書いて」と言われて、以下同文。
 
「では案内しますね」
と言って、女将さんはそのまま良を案内してくれる。
 
「フロントを離れていいんですか?」
「ああ、めったに客は来ないから。今夜は今のところ、あんた1人だし」
「駐車場に車が駐まっていましたけど」
「あれは私のと仲居さんのと板さんの」
 
なるほど、この人以外にも仲居さんがもう1人いるわけか。
 

2階の8畳ほどの部屋に案内された。女将はお茶を入れてお菓子と一緒に勧めてくれた。
 
「食事は18時になったら1階の食堂で。その時はまた案内しますから」
「ありがとうございます」
「お風呂は離れになるけど、1階からそのまま渡り廊下を通って行けますから。天然温泉・掛け流しなんで、24時間いつでも入れますよ」
 
「分かりました」
 
今は17時すぎである。お風呂に入っていたら食事の時間にぶつかる気がしたので、仮眠することにした。布団はまだ敷かれていなかったが、押し入れから毛布を取り出してそれを身体に掛けて寝ることにするが、トイレに行っておこうと思う。スリッパを履いて廊下を歩きトイレに行く。
 
男女の表示が無い。
 
共用トイレなのかな?と思い、中に入ると個室が2つあり、どちらも洋式である。小便器は無いんだなと思いながら個室に入って用を達した。手を洗って部屋に戻った。そして眠った。
 

「お食事の用意ができました」
と、40歳くらいの仲居さんが呼びに来てくれたので目を覚ます。この人がもう1人の従業員なのだろう。年齢的に女将さんの娘さんだろうか?などとも思った。降りて行って食堂に入ると、50代の3人連れの女性客がいた。良の後で着いたのだろう。言葉が九州弁だ。この言葉は熊本あたりかなと思いながら、良はのんびりと食事をした。
 
「あんたはどこから来たの?」
と声を掛けられる。
 
「大阪の豊中市という所です」
と答える。福岡出身と言ったら長時間この人たちと話すことになり面倒そうと思ったので、そのことは言わない。
 
「知らないねぇ」
「マイカタ市なら聞いたことあるけど」
 
それ枚方(ひらかた)市のこと?
 
「昔、万博をした吹田市のそばですよ」
「ああ、太陽の塔の!」
「村田英雄だっけ?こんにちは、こんにちは、とかいうの」
 
三波春夫じゃなかったっけ?
 
「まだ生まれてないので分かりません」
「そうよね。私たちもまだ生まれてないもん」
 
そうか?雰囲気的には生まれていた気がするけど。
 

良はあまり長時間話したくなかったので
 
「今日は疲れたので寝ます」
と言って、部屋に引き上げた。
 
部屋に戻ると布団が敷いてあったので、服を脱ぎ、下着だけになって布団に潜り込み、そのままスヤスヤと眠ってしまった、
 

目が覚めたら23時である。トイレに行ってからお風呂に行って来ようと思った。持参していたタオルとシャンプー・コンディショナー・ボディソープのセット、着替えを持ち、1階まで降りて行く。案内版に従い、食堂の中を通りぬけて!向こう側の廊下を進む。途中から渡り廊下になっていて、温泉棟がある。
 
戸惑う。
 
男女の表示が無い。
 
たったひとつあるドアから食事の時に会った3人組のおばちゃんが出て来た。
 
「あら、こんばんわ」
「こんばんは。こちら女湯ですか?」
「そうだよ。今誰も入ってないよ」
 
「だったら男湯は?」
「あんた男湯に入るつもり?」
「やめときなよ。痴漢で捕まるよ」
 
いや、私、女湯に入ったら痴漢で捕まりそうなんですけど。
 
「ここは女湯だけだよ」
「だったら男の人は?」
「この旅館には女しか泊まらないからね」
「え?ここ女性専用ですか?」
 
「川を挟んでこちらが女専用の弁天湯、向こうが男専用の大黒湯。各々女だけ、男だけで過ごせるからのんびりできていいんだよ」
 
「夫婦はどうするんですか?」
「別れ別れで。あるいはどちらかが性転換するか」
 
「それ妻が男に性転換するか、夫が女に性転換するか悩ましいね」
「私、ちんちん付けて男になってみたーい」
「旦那から、ちんちん取り上げてあんたが男になったら?」
「それだと結局ばらばらに泊まることに」
 

そんな感じで、おばちゃんたちは大声でおしゃべりしながら「じゃね」といって引き上げて行った。
 
良は困った。
 
この旅館には男湯が無い!?
 
そもそもGSの人は、自分は女の子だと思ったから、女性専用の棟に連れて来てくれたのだろう。
 
どうする?
 
良がしばらく悩んでいたら、若い方の仲居さんが通り掛かって声を掛けた。
 
「どうかなさいました?」
「あ、入ります、入ります」
 
それで良は女湯に入ってしまったのである!
 

誰も居ないならいいよね?
 
と自分に言い訳して中でおそるおそる服を脱ぐ。誰に見られる訳でもないが、タオルであの付近を隠して浴室に移動する。まずは洗い場の椅子に座る。髪を洗い、顔を洗う。胸を洗っていて、もう少しおっぱい欲しいなと思う。女性ホルモンとか飲んだほうがいのかなぁ。でもどこに売ってるんだっけ??大阪市内の大きな薬屋さんとか行ってみようかななどと考える。
 
腕を洗い、お腹を洗い、あそこを洗うが、女湯に入っているのに、こんなもの付いているって間違っているよなと思う。またバイト頑張って、性転換手術の代金を貯めなきゃと思った。
 
足まで洗ってから浴槽に浸かる。
 
硫黄の臭いがして、温泉ってのもいいよなあと思う。そういえば女性ホルモンが入っているって言ってた??この浴槽に浸かってたら少し女の子っぽくならないかななどと期待する。
 

それでボーっとして、多分15分くらい浸かっていたろうか。急に首がガクッとなる。うっかり眠りそうになってしまったようだ。あがらなきゃと思ったら、脱衣場に誰か入ってきた感じである。
 
嘘!?
 
まだ他にも女性のお客さんいたの?と焦る。良は取り敢えず、お股の物体を足ではさんで隠した。
 
入ってきたのは、30歳くらいの女性である。
「こんばんは」
と言われるので
「こんばんは」
と答える。
 
彼女は身体をざっと洗うと浴槽に入ってきた、何も無い胸を見られないように腕を組む。
 
「ね、ね、もしかしてXS250は、あんたの?」
「あ、はい。実は今日買ったばかりなんですけど、試し乗りでここまで走ってきました」
 
「いいねぇ。いくらした?」
「込み5万円なんですけど」
 
「それは素敵な値段やね」
「バイト代でそのくらいもらったばかりなので、全部つぎ込んじゃいました」
「うんうん。若い内はそれでいいんよ。うちも就職したてで250cc買っちゃってローン返すのに苦労した」
 
「それは大変でしたね」
「イントネーションが九州かな」
「福岡から4月に出て来たばかりなんです」
「女子大生?」
「はい」
 
返事はしたものの“女子”大生というところに少し抵抗感を感じた。私、女子大生を主張していいのかなあ。確かに大学生だし、女湯に入っている以上は女子のはずだし。しかしこの人、胸大きいなあ。Dより大きいよね?Eカップ?それともF??
 
「お姉さんはお勤めですか?」
「うん。私は食堂の姉ちゃん」
「へー」
「なかなか休みが取れなくてさ、夜中走ろうと思ってここまで来たけど、眠くなったから、ここで泊まることにした。明日早朝に帰らなくちゃ」
 
それでこの時間にきたわけか。
 
「お姉さんもバイクですか?」
「うん。CB600F Hornet。私も最初は250ccから始めて、400ccを経て600ccまで来たけど、もっと大きいのが欲しいなあと思ってる。でも高いよね。あ、私は渚(なぎさ)」
 
「私は星良(せいら)です。でも大型バイクって凄く高いですよね」
「そうそう。四輪なら、かなりいい車が買えるくらいする。まあ道楽だね」
「でも楽しいですね」
 

バイク好きということで話がはずんでしまった。渚さんはアップダウンの激しい英彦山とか、カーブが連続している宮崎の日南海岸とか、九十九折りで有名な福岡の八木山峠とかも走ったことあるよと言っていた。良も八木山峠は彼のバイクに同乗してだが通ったことがあるので、懐かしい気分だった。
 
もっとも良は女ではないとバレないか、かなりヒヤヒヤだったのだが、そのようなこともないまま、渚と結局20分くらいおしゃべりしてしまった。この人と私、何か似ている気がするなあなどと思った。
 
しかし話している内にあくびが出る。
 
「あ、ごめんごめん。引き留めちゃって。もう寝たほうがいいよ」
「はい、そうします」
と答えたものの、あがる時に見られちゃったりしないかな?と不安になる。
 
その時、渚が振り返るようにして、
「今どき温泉の注ぎ口に像が立ってるって珍しいね」
などと言っている。
 
今だ!と思って、良は浴槽からあがった。あがったら股間の余計なものは前に持って行き、後ろ姿を見られても大丈夫なようにする。
 
「あがりますね」
「うん」
「でもそれ弁天様の像ですか?」
「そうそう。ここは弁天の湯だから。旦那によると、川向こうの大黒の湯には大国様(だいこくさま)の像が立っとるらしい」
 
「へー。大黒様って、因幡の白兎のですか?」
「それな。でも道後温泉には、女湯にえびす・だいこくの像が立っとるよ」
「へー!どうご温泉って、松山の?」
「そうそう。行ったことある?」
「いえ。でも高校時代の英語劇で『ぼっちゃん』をしたんです」
 
良は後ろを向いたまま話している。
 
「マドンナ役?」
「いえ。下宿のおばあちゃんの役で」
「マドンナすれは良かったのに!君可愛いのに」
「希望者が多かったので」
「なるほどねー。機会があったら一度行ってみるといいよ」
「そうですね。またバイト代貯めてから」
「うんうん。頑張ってね」
「はい。では失礼します」
 
それで良は脱衣室に移動したが、ドッと疲れが出た。
 
よく女ではないとバレなかったなあと思って身体を拭き、新しい下着をつけ、浴衣を着て部屋に戻った。そして朝までぐっすりと眠った。
 

一方、星良が出ていった跡、浴槽に浸かったままの渚はつぶやいた。
 
「可愛い男の娘だったなあ。あの雰囲気は女湯は初めてと見た。自分が初めて女湯に入った時のこと思い出しちゃったよ。でも次までに最低タックは覚えたほうがいいね。ちんちん付いてることバレバレだったぞ。最後の方は何も無い胸を隠すのも忘れてたし」
 

坂口理都は(2019年)8月19日(月)、着替えなどを入れたスポーツバッグを持ち、朝7時八王子駅前に集合した。この時刻に来るのに、出勤する父の車に同乗して最寄り駅まで送ってもらい5:40の電車に乗っている。乗換駅までの電車本数が少ないので、到着したのが6:30であった。まだ誰も来ていなかったが、結果的に次々と到着した、“強そうな女子たち”みんなと挨拶を交わすことになる。
 
Z中の米崎ソラは7:00ギリギリに到着して「すみませーん」と謝っていた。彼女の所から始発で出て来たらしいが、電車が遅れたということだった。
 
参加者は30人ということだった。米崎さんを始めとして大半が2年生で、1年生は5人ということで、身が引き締まる思いだ。
 
駅前から貸し切りのバスに乗って30分くらい走り、かなり山奥っぽい感じの所まできた。陸上競技場。テニスコート、体育館、屋内プールなどが建っている。理都たちは陸上競技場の内部に設けられたサッカーフィールドで練習することになる。
 
と思ったら、到着するなり、その外側の陸上競技のトラックを20週!走らされる。これだけで8kmである。理都は毎日ジョギングしていたから、ちゃんと走れたが、息があがってかなり遅れてしまった子たちもいた。
 
「リトちゃん、さすが体力あるね」
とソラさんは言うが
「いえ、これ結構きついです」
と答える。
 
実際8月8日にトレーニングを開始した時の体力なら、自分も周回遅れ組だったろうなと理都は思った。この11日間で、けっこう変わった気がする。
 
20週走った後は、準備運動の後、2人ずつ組んで柔軟体操をする。理都はソラと組んだ。
 
「理都ちゃん、けっこう身体柔らかい。わりと筋肉質かなと思ったのに」
「夏休みの間に脂肪がついちゃったかも」
「ああ、長い休みって危険だよね」
 
男の子だった頃は今よりかなり筋肉質だったからなあと思う。理都は性転換前は男の子にしては筋肉が少なく脂肪が多い身体だったが、やはり一般的な女子と比べると脂肪が少なかった。、
 

その日は紅白戦をした後、お昼を食べてから午後はシュート練習、パス練習、ドリブル練習などの基礎的な練習をした。夕方4時頃練習を終えて宿舎に引き上げる。「疲れたねぇ」などと言葉を交わしながら夕食のカレーを食べる。みんなたくさんお代わりしている。理都も5皿食べた!
 
「リトちゃん、シュートの精度がいいね。みんなちゃんと枠に飛ぶんだもん」
と今日1日で仲良くなった、G中学の森あゆみが言う。
 
「え〜だってキーパーに止められるのはしかたないけど、そもそも枠内に蹴らないと話にならないじゃん」
 
「いや、それが日本代表レベルでもちゃんと枠に飛ばない人が多い」
「枠内に飛ばないって問題外だと思うなあ」
「ごめん、私問題外」
とK中の山下ミホ。
 
「でも私、ドリブルしててじゃんじゃんボールを奪われた」
と理都が言うと
 
「ああ。今日は少し調子悪いみたいだなと思った」
とソラ。
 
実は性転換前に比べて反射神経がかなり落ちているようでボールを奪いに来た相手からうまく逃げ切れなかったのである。やはりこういう筋力は、男の子時代より落ちてるなと理都は思っていた。
 
全体的には“男の子時代の身体的記憶”で動けるのだが、やはりどうしても全体的なパワーは落ちている感じだ。
 

食事の後はお風呂だが、人数が多いので、2組に分けられていた。ソラなどは17時からの組で、理都やミホなどが18時からの組である。
 
お風呂は・・・・私、女の子になってよかったなあと思った。男の子の身体ではここで問題が生じる所だった。ミホたちと食堂でそのままおしゃべりしていたが、時間になったので着替えを持ってお風呂に行く。みんなパッパと服を脱いで裸になり浴室に入る。洗い場が16個しかない。それで2組に分けたようである。
 
髪を洗い、顔を洗い、胸を洗う。この大きくなった胸を洗うのもだいぶ慣れたが女の子になりたての頃はこれもかなりドキドキしたものだ。お腹を洗い、お股を洗う。突起物が無くなり、逆に凹みができているお股を洗うと、女になった喜びがこみあげてきた。
 
お股を特に隠したりもせずに浴槽に行きお湯に浸かる。
 
「あんたちんちん付いてないのね。男かと思ったのに」
「あんたこそ、ちんちんはロッカーに預けてきたの?」
などと言い合っている子がいるが、理都は冷や汗である。ちんちん付いてたら大変だった!
 
理都は浴槽の中でミホやレイカたちに、おっぱいを触られたが、これも性転換前なら胸なんて無かったし、やばかったなと思った。
 
お風呂からあがった後は、割り当てられた部屋に行き、ルームメイトに「お休みなさい」と言って、そのままベッドに潜り込んで熟睡した。
 

翌日(20日)も朝からやはり400mトラックの20周をしてから、準備運動・柔軟体操の後、午前中は紅白戦をしたのだが、お昼はお弁当だった。
 
「あれ?食堂に行かないんだ?」
 
昨日のお昼は食堂で唐揚げ(お代わり自由)と御飯・味噌汁(これも当然お代わり自由)を食べたのだが、今日はロビーでお弁当が配られたのである。お弁当は何個でもいいということだったので、みんな最低2個は食べる。理都も3個食べたが、ミホは4個食べていた。
 
午後は今日はシュート練習の後、1on1をかなりやった。今日の理都はこれにほぼ全敗で「ほんとに調子悪いみたい。生理中か何か?」とソラから言われた。昨日のドリブル練習でもそうだったが、やはり瞬発力がものすごく落ちているので相手がどちらから来ると判断できても、身体が思ったように反応してくれないのである。
 
「生理はこないと思うけどなあ。頑張る」
などと言いながら、理都は頑張ったものの、この日は全くダメだった。
 
夕方4時で練習を終えるが、ここで衝撃の事実が発表される。
 
「実は宿泊施設の電源系統が故障してしまって、宿泊も食事もお風呂もできない。修理をお願いしていたのだけど、すぐには直せないというので、今回の合宿はこれで打ち切ることにする」
という、理事さんの発表であった。
 
「え〜〜!?」
という声があがるが、施設が使えないのでは仕方無い。でも理都はこのまま合宿を続けると、力が落ちていることが知れてしまうので、まずいかもと思っていたので、これで良かったかもという気がした。
 

合宿は11月上旬の連休(11/2-4)に続きをするという話だった。今回のメンバーはそのまま招集され、他に秋の新人戦で目立つ選手がいたら追加されるかもという話だあった。理都はそれまでにまだまだ身体を鍛えなきゃと思った。
 
お弁当が配られてそれで夕食となる。理都はそれでお弁当を食べていたが、急にお腹の調子が悪くなった。
 
「どうしたの?」
とソラが心配そうに訊く。
 
「お腹が。トイレ行ってくる」
「お大事に」
 
それでお弁当はまだ食べかけだったのだが、理都はトイレに行った。むろん女子トイレに入る。個室に入ってジャージのパンツを下げ、パンティを下げようとした時、それに気づいてギョッとする。
 
パンティが血だらけなのである。
 
何?何?これどうしたの?
 
取り敢えずパンティを下げて便器に座り、血がたくさん出ているのをトイレットペーバーで拭いた。パンティについている血もできるだけペーパーに吸わせる。
 
私、どこか怪我した?それとも“できたて”の女性器のどこかにトラブルが生じた?などと焦って考えながらしばらくじっとしていた。
 
お腹の調子がおかしいのは、しばらく座っている内に少し落ち着いてきた気がする。しかしどこから出血しているのだろう・・・・と考えている内に唐突にひらめいた。
 
これって、噂に聞く生理なのでは?
 
そうか。私、女の子になったから生理が来たんだ!
 

そんなことを考えていたら、トイレに入ってくる足音がある。トントンとドアをノックされるので「入ってます」と言う。
 
「私」
とソラの声である。
 
「おなか大丈夫?」
「私、生理になったみたい」
「ああ。だから調子悪かったのね。私も生理前の数日ってなんか調子悪いもん。ナプキン持ってる?」
「スポーツバッグの中に」
「ヨネックスの青いのだっけ?」
「そうそう」
「じゃ持って来てあげるよ。パンティの替えとかは大丈夫?」
「あると助かる」
「じゃそれも持って来てあげるね」
「ありがとう!」
 
そういう訳で、ソラは理都のバッグからナプキン1個と替えのパンティを持ってきて個室の中に投げ入れてくれた。先日月季たちと一緒にドラッグストアに行った時に買ってしまった“しあわせ素肌”である。しかしおかげで、理都はこの日の窮地を脱することができたし、力が落ちているのも生理のせいにすることができ、また“女の証明”をすることにもなった。
 

今回の千里1の一連の“犠牲者”の中で、最も早く四国入りしたのは高浜アリス(志浦博美)である。
 
彼女は、金沢に出てイオン示野に居た時、偶然金沢ドイル(青葉)と出会い、相談したいことがあると言ったら快く応じてくれた(博美的解釈)。
 
心の中の様々なわだかまりを解消してもらった上で、お遍路を勧められたが、歩くとしたら少し身体を鍛えなきゃと思い、最初は5kmの歩行から始めた。
 
自分がわずか5kmの歩行でクタクタになることに愕然とする。
 
やはり高校出て以降運動不足だよなと思い、毎日5kmから7-8kmの歩行を自分に課した。また歩くのもいい靴を履いた方がいいと思い、金沢大桑町のスポーツ用品店で1万円のアディダス製ウォーキングシューズを買ったら、歩くのが凄く楽でびっくりした。これなら結構歩けるかもと思い、毎日練習を続ける。すると8月中旬以降は毎日10km歩けるようになった。9月頭には20km歩いてみたが、結構ちゃんと歩けた。
 
それにしても1200km歩くというのは大変なことだと思った。自分の体力では毎日20km歩いても60日、たぶん難所で遅くなることを考えると80日くらいかかってしまう。それで亡くなった彼氏のご両親とも話して、300kmずつ4年掛けて四国を一周しようということにした。
 
そこで、今年の秋には1番札所霊山寺(鳴門市)から、31番札所竹林寺(高知市)までの330kmを歩くことにしたのである。博美が彼の御両親と話し合って計画した日程ではこれを18-20日で歩く。日程に幅を持たせているのは、疲れたら休もうというのと、雨の日は休もうということで、天気次第では20日よりもっと長くかかるかも知れない。また辛かったら無理せず、途中で打ち切って帰ろうということを御両親とも約束した。
 

それでアリスは(2019年)9月10日(火)に志賀町を出発した。
 
彼のお父さんに車で金沢駅まで送ってもらいサンダーバードに乗った。自分の車で行くと駐車代が恐ろしいことになる。この日出発したのは、実はお父さんが当日、金沢まで出る用事があったので、それに便乗させてもらったのである。
 
9/10 金沢10:56-13:09京都13:25-14:32岡山14:42-15:36高松16:12-17:16徳島
 
この日は徳島駅近くのホテルに泊まり、翌日からお遍路の行程を歩くことにする。
 
ところで。
 
アリスは実は・・・女湯に入れない身体である!
 
といって、男湯に入るのは自分のアイデンティティを自ら否定するようで嫌だ。それでできるだけ旅館を避けて部屋に風呂が付いているホテルに泊まるつもりでいる。どうしても大浴場しか無い旅館に泊まったら、お風呂には行かずに、部屋で身体をウェットシートで拭こうと思っていた。
 
「やはり、最低おっぱいは大きくした方がいいよなあ。でも豊胸手術代も高いし」
などとアリスは悩んでいた。
 

9月15日(日)の朝、ロイヤルホストの夜勤を終えた芳野早百合は
「よし行ってくるか」
 
と自分に声を掛け、博多駅に向かった。新幹線に乗って新神戸に向かう。そして新幹線の中で夜勤疲れから来る睡魔に身を任せながら、これまでの旅路を思い起こしていた。
 
1年目(2016)は讃岐路を歩いたので、66番札所の雲辺寺から88番の大窪寺まで歩いた。この時は、博多から下記の連絡で雲辺寺まで行った。
 
博多12:08-13:41福山/福山駅前14:00-15:24今治駅前/今治16:06-17:09観音寺(泊)
観音寺駅前からタクシー(20分)でロープーウェーの山麓駅7:00-7:07山頂駅
 
(山麓駅までの交通機関が存在しない。1日1本(観音寺駅14:53-15:40内野々集落センター)のバスに乗り、そこから山道を30分歩くのが山麓駅に至る唯一の交通機関利用法だが全く実用的でない。タクシーは料金調べサイトの表示では3200円。ロープーウェーは片道1200円・往復2200円。つまり観光バスやマイカーを使わずに参拝したい場合、往復に最低8600円ほどかかることになる。なおこの道は大きな車では通行にかなり注意が必要らしい)
 
雲辺寺は隔絶された山の中にあり、早百合はいきなり険しい山道の洗礼を受けて、ここから歩き始めたことを後悔した。しかし何とか予定より1日遅れで88番大窪寺までを歩き、下記のルートで帰還した。
 
大窪寺前15:47-16:48オレンジタウン駅16:58-17:28高松18:10-19:03岡山20:05-21:51博多
 
(↑の時刻は2016.3の時刻表による)
 
大窪寺からJRオレンジタウン駅までは“さぬき市コミュニティバス”に乗るのだが、これが1日に3本しか運行されていないので注意が必要である。有名なお寺なのに、きっとみんな観光バスか自家用車なのだろう。
 
この年はしまなみ海道で四国に渡り、瀬戸大橋で本州に戻ったが、しまなみ海道の景色が本当に美しくて感動した。
 

2年目(2017年)は伊予路に行くので、40番観自在寺から65番三角寺までを歩こうと思ったのだが、ここで、こういう歩き方をしては、県境のルートを飛ばしてしまうことに気づく。そこで、この年は土佐路最後の39番延光寺から、昨年の出発点である雲辺寺までを歩くことにした。この年はこのルートで四国へ渡った。
 
博多8:22(ソニック7)10:44大分10:48-11:14幸崎/幸崎駅11:28-11:47佐賀関
佐賀関港13:00(国道九四フェリー)14:10三崎港14:40-15:52八幡浜駅
八幡浜16:15-16:50宇和島/宇和島駅17:15-19:07宿毛駅(泊)
宿毛7:15-7:27平田(徒歩2.5km)延光寺
 
国道九四フェリーは国道197号の海上区間を走るフェリーである。国道197号は高知市を出発して四国西部を横断し、細長い佐多岬半島を西行、三崎港から海路を大分県の佐賀関まで渡り、大分市に至る。海上ルートを越える国道の中では比較的容易に踏破できるので、これを踏破したことのある人は割と多いと思う。早百合も、八幡浜まで行くフェリーに乗ることも考えたのだが、どうせなら国道フェリーに乗りたいという気持ちがあり(早百合はありし頃の壱岐対馬国道フェリーにも乗っている)、三崎港までのフェリーを使うことにした。
 
八幡浜から平田駅までは、乗換案内などではいったん予土線で若井(または窪川)まで行き、中村線・宿毛線で平田まで戻ってくるルートを提示するが、それだと遠回りなので、早百合は宇和島から直接バスで宿毛へ移動した。ここは本来、宿毛と宇和島が鉄道でつながれる予定だったルートである。そのため鉄道としては
 
宇和島(未成区間)宿毛(宿毛線)中村(中村線)若井(土讃線)高知
 
のようになっていて、高知から若井・中村に至る列車が下りであるのに対して、宿毛線では宿毛から中村への列車が下りである。実際には建築されなかった宇和島からの鉄道を含めて中村に至るルートが下りとみなされているためである。結果的に中村駅からはどちらに向かう列車も上りである。
 
この年はこの延光寺から雲辺寺まで歩いたが、昨年の倍の距離なので大変だった。雨が降って休んだ日もあったので予定より3日も遅れた。
 
散々苦労して雲辺寺で今年は、いったん打ち終える。それで昨年のルートで観音寺駅まで戻ろうとして、ロープーウェイで山麓駅まで降り、タクシーを呼ぼうかと思ったら、観光客と思われる60歳くらいのご夫婦が「もし良かったら乗って行かれません?」と言って自家用車(日産リーフ)に乗せてくれた。
 
「私たくさん汗掻いているから、座席が汚れますよ」
「全然平気です。むしろ孫がアイスとか落として結構汚れているかも知れないけどごめんなさいね」
「いえ、それこそ気になりません」
「これも御接待で」
「ありがとうございます。南無大師遍照金剛」
と言って、納札を1枚渡して、駅前まで乗せてもらった。
 

観音寺市内で1泊するが、翌日帰る前に銭形を見にいった。早百合は近くにあり、昨年もお参りした神恵院・観音寺に再度お参りした上で、銭形の展望台まで行ったが、ここで昨日自家用車に乗せてくれたご夫婦が、今日はガイドさんに連れられてきていた。
 
「昨日はお世話になりました」
 
なんでも車はうっかり昨夜充電し忘れていたので、午前中近くの公共施設で充電させてもらい、その間、観光タクシーに乗って観音寺市内を回っているのだということだった。
 
「電気自動車も大変ですね!」
 
観光タクシーの運転手さんは40歳前後に見えるが、すごく優しい雰囲気だし、知識が豊富だ。この銭形が作られた時の背景とか現在のメンテ体制についても詳しく説明してくれるので、早百合も感心しながら解説を聞いていた。神崎という名札をつけている。ご夫婦の奥さんのほうが「寛永通宝って今でいうといくらくらいの価値なんですか?」と尋ねると
 
「江戸時代の立ち食いそばが“二八そば”と言われて2×8=16文(もん)ですから、現代の300円くらいと考えると1文20円くらいになりますね。1両が10万円くらいとも言われますが、4000文で1両なのでそこから計算すると1文25円くらい。まあそのくらいの価値ですね」
と詳しく説明してくれた。ほんとにこの人色々なものに詳しいみたい。
 
「まあ1枚20-30円だからいいけど、200-300円くらいだとあまり気軽に銭形平次も投げることができませんよね」
 
「そうそう。銭を投げ尽くして貧乏になって銭無平次、なんてギャグもありました。でも大川橋蔵、美しかったですね」
とガイドさんは言っているので、ひょっとしたらこの人50代かもという気もした。
 
「物凄い美人でしたね」
とご夫婦の夫の方も言う。
 
「美人って・・・銭形平次役なら男の役者さんですよね?」
と早百合が訊くと
 
「女形(おやま)だったんですよ」
と教えてくれた。
 
「それで!」
「30代の頃までなら、もし女装してその辺を歩いていたら、誰も男だなんて思わなかったと思いますよ」
 
へー。そういう人の若い頃を見たかったものだと早百合は思った。
 
「新吾十番勝負なんかはたまにテレビで再放映されることありますが、凄い美形ですね」
と運転手さんも言っている。
 
うーん。マジで見てみたい。ツタヤに無いかな。
 

最後に運転手さんがご夫婦と早百合が並んだ所を写真に撮ってくれた。その場でこちらのスマホにも転送してもらう。ご夫婦はこの後、道後温泉に行くという話であった。早百合は今回は道の途中で道後温泉に寄っていた。
 
ご夫婦と別れた後は、この年は、しまなみルート経由で帰った。
 
観音寺12:37-13:39今治/今治駅前14:15-14:48大三島BS15:15-15:27大山祇神社
大山祇神社(車で20分)盛港18:40-19:05忠海港/忠海19:57-21:07広21:27-22:26広島
広島22:32-23:52博多
 
(↑の時刻は2017.5の時刻表による)
 
途中で、日本全国山祇神社の総本社である大山祇神社に寄っている。その後、盛港までバスで行って忠海へのフェリーに乗ろうと思ったら盛港に行くバスは無いと聞く。それでタクシーに乗ろうかと思ったら、ちょうど大型バイクで通りかかった30代の女性(渚さんと言った)が盛港まで乗せてくれた。
 
「御接待・御接待」
「ありがとうございます。南無大師遍照金剛」
と言って、1枚納札を渡した。
 
「歩いてお遍路してるのか。偉いなあ。私もしてみたいけど、さすがに休みが取れない」
「私、大学生だからできているのかも。歩く時間が取れないならバイクでとかどうですか?」
「ああ。それでもいいかな。バイクなら人間の10倍の速度として5日で回れないかな」
「移動は10倍速でも参拝時間は変わらないから、バイクなら10日くらいみたいですよ。道後温泉で会った女性がそんなことを言ってました」
「ああ、道後温泉も行きたい!」
 
そんなことを言って渚さんとは別れた。
 
忠海(ただのうみ)に着いた後は、ふつうの人なら呉線上りに乗って三島に行き新幹線で帰ると思うのだが、早百合は今日中に辿り着けばいいし、というので長く列車に乗っていられる下りルートを選択して広島に出てから博多に帰還した。
 
(忠海から三島へは3駅、広島までは27駅)
 
 
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【春変】(1)