【春化】(4)

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奥様の名前は真倫(まりん)、旦那様の名前は佐理(すけさと)。ごく普通の二人はごく普通に恋をして、ごく普通に結婚しました。でもただひとつ違っていたのは、2人は逆転夫婦だったのです。
 

「稠野(しげの)は女だろ?旗仲(はたなか)は男だろ?だから結婚するとちょうどいいな」
 
と2人は友人たちにからかわれながらも、高校生時代は“清い?交際”を続けた。
 
(高校の卒業式のあと記念に一緒にホテルに泊まったのが最初のセックスといのが2人の“公式見解”)
 
2人はどちらも鳥取県米子市に生まれた。
 
稠野真倫(しげの・まさみち 1999.10.11 2:35生)は、物心ついた頃から自分は女だと思っていた。友人たちからも半分女の子のようなものと扱ってもらい、実際親しい友人といえば女の子ばかりであった。本人も室内で静かに遊ぶのを好んだ。しばしば姉のスカートを勝手に穿いて出歩いたりもしていた。
 
小学3年生くらいで性転換手術というものがあることを知り、将来は自分もそれを受けたいと思っていた。身体があまり男性化しないように、お友達のお姉さんに教えられて睾丸をいつも体内に押し込んでおくようにし、オナニーは我慢した。むしろ睾丸をいつも体内に入れておくとオナニーは我慢しやすい気がした。名前も真倫(まさみち)は「まりん」とも読めることを小学校時代の友人に指摘され、それ以来本人も「まりん」を名乗っている。
 
旗仲佐理(はたなか・さおり 1999.5.26 7:59生)は、物心ついた頃から男になりたいと思っていた。男は強くなければと思い、身体を鍛えた。男の子たちと一緒に駆けっこをして、鉄棒をして、サッカーとかもして、友人たちからも男に準じたものと扱ってもらった。実際、喧嘩で勝てる男子は少なかった。親はスカートを穿かせようとしたが一切拒否。いつもズボンを穿いていたし、髪も短くしていた。佐理は美容室には行かず、いつも床屋さんで髪を切っていた。小学4年生からスポーツ少年団のサッカー部で男子たちの混じってプレイ。チームのエース・ストライカーとして活躍した(サッカーは中学・高校でも男子サッカー部に所属した)。
 
名前も「佐理」は本来「さおり」と読むのだが、勝手に「すけさと」と読んでいたし、友人たちからも「すけさと君」とか省略形で「すけ君」と呼んでもらっていた。地域の祭りに男の子の祭り衣装を着て参加し、本来は女人禁制の神輿かつぎにも(生理が来るまでは)「ああ、君なら構わないよ」と許してもらって参加していた。
 
2人は中学時代は、真倫は男子制服の着用、佐理は女子制服の着用を強制され、辛い3年間を送った。実際には制服ではなく体操服を着ている時間が長かった。先生たちの中にもけっこうそれを容認してくれる先生もいた。
 
真倫は絶対「男性的反応」が起きないようにガードルをつけていた。佐理は生理が嫌で嫌でたまらず、生理が来る度に死にたい気分になった。正直サッカー部の友人たちが居なかったら本当に自殺していたかもという気がする。
 
2人は高校に入学した時同じクラスになり、お互いを知って
「入れ替わりたーい」
と言った。2人は急速に仲良くなった。真倫は女の子になりたいので身体をいじめて女性的な体型をキープしていたし、佐理は男の子になりたいので身体を鍛えて男性的な体格を作っていたので、2人は制服が交換可能で、しばしば逆の制服を着ていた。多くの先生がそんな2人を容認あるいは黙殺してくれた。
 
ちなみに部活は、佐理は小学校の時以来の男子サッカー部、真倫は女物の浴衣を着て、茶道部である!高校には女子サッカー部もあるのに佐理は男子サッカー部で相変わらずエースとして活躍した。(女子サッカー部の部長さんも男子でエース張っているんじゃ女子チームには来てくれないよね、と残念そうだった。ちなみにサッカーは女子でも(通称)男子チームに参加できる。これは女子チームには女子に限るという規定があるが、(通称)男子チームにはそもそも性別規定が無いためである。サッカーは実は、性別規定のないリーグと女子のみのリーグで構成されている)
 
そして友人たちから佐理と真倫は
「稠野は女だろ?旗仲は男だろ?だから結婚するとちょうどいいな」
などと言われたのである。
 
2人も結婚していいなと思っていたし、その仲は双方の親にも認められていた。でも結婚はせめて大学を出てからということにした。
 
2人は高校の卒業アルバムにも制服を交換して写っている。
 

なお、2人は元々はどちらも将来性転換したいと思っていたのだが、2人が恋愛関係になることで相互に“代替満足”してしまい、無理に高額で痛い手術をして生殖能力を放棄しなくてもいいかなという気持ちになった。ただ微妙に見解が相違するのは、真倫は2人の間に赤ちゃんを作ってもいいと考えているのに対して佐理は自分は絶対に妊娠なんかしたくないという点であった。
 
「俺は赤ちゃんとか産みたくないし、絶対授乳とかもしたくないから、どうしても赤ちゃん作りたいなら、マリンが産んでよ」
「私、妊娠したーい!出産したーい!」
「だったらそれで問題無いな」
 
でも真倫にはあまり妊娠する自信が無かった。
 

2人は国立大学に行くことを親から命令!されたので、必死に勉強した。それで2人とも島根大学(松江市)の総合理工学部に合格した。
 
米子市はしばしば所属を間違えられるが、島根県ではなく鳥取県である。それなのに鳥取大学ではなく島根大学を選んだのは、米子からは鳥取市より松江市のほうが近い!からである。
 
元々、米子は経済圏としては松江・境港などと近い関係にあり県境を越えた「中海・宍道湖・大山圏域」(雲伯地域)を形成している。
 
ちなみに米子市にも実は鳥取大学の米子キャンパスがあるが、ここにあるのは医学部で、ふたりともさすがに医学部に合格できる自信は無かった。
 

ふたりは親の許しを得て松江市では一緒のアパートで暮らした(生活費が節約できる!というので親も認めてくれた)。2人は卒業するまではきちんと避妊することを約束させられたが、特に佐理が絶対に妊娠したくないというので、真倫もきちんと約束を守った。
 
(2人のセックスは佐理が上になり腰を動かすのが基本。そもそも真倫は腰を動かしてセックスするだけの筋力が無い!)
 
むろん大学には、真倫は女の子の格好で、佐理は男の子の格好で通学した。山陰は車社会なので、大学入学後2人ともすぐに運転免許を取ったが、免許証の写真も、真倫は女の子の格好で、佐理は男の子の格好で写っている。
 
「免許証って性別が表示されていないのがいいね」
「うん。これ助かる〜」
 
本人確認書類として使われる三種類の公的書類(運転免許証・パスポート・マイナンバーカード)の中で性別が明記されていないのは運転免許証だけである。
 
2人は結婚は大学を卒業してからと言われていたのだが、大学に入学して以来事実上の夫婦生活を送っていたので、早く結婚したいと親たちに訴えた。それで親たちも折れて、赤ちゃんは卒業するまで作らないというのを条件に結婚を認めてあげることにしたのである。
 
(もっとも佐理の姉は「むしろ在学中に産んじゃえば?就職してすぐ妊娠とか嫌がられるよ」と言った)
 
しかし2人とも20歳になったら結婚していいよということになったので、真倫の誕生日(2019.10.11)に結婚式を挙げることにした(佐理の誕生日は5月)。当日は金曜日なので、夕方、親たちの仕事も終わった19時に米子市で結婚式をあげ、そのあと新婚旅行に行くことにした。
 

芳野早矢人(よしの・はやと)は1998年2月27日4:45 朝市で有名な佐賀県呼子町(現唐津市)で生まれた。ここは漁業の盛んな町でもあり、また壱岐・対馬との間に“国道フェリー”が就航していた町でもある。
 
国道382号は対馬の北端・比田勝港から出発し、対馬南部の国分から海路を通り、壱岐の勝本港から印通寺(いんどうじ)港まで陸上を走り、再び海路で呼子に渡り、そこから唐津市街地南部の瀬田原交差点(和多田駅近く)まで行く。国道マニアなら、一度全線踏破してみたい道のひとつである。
 
但し現在対馬からのフェリーは壱岐の勝本港ではなく郷ノ浦港に着くようになっている。また壱岐からのフェリーは呼子ではなく、唐津東港に着くように変更され(2007年)、交通上の呼子の重要性は大きく下落してしまった。
 
呼子は近くに秀吉が朝鮮出兵に使用した名護屋城の跡地があり、また呼子大橋で結ばれた加部島には、松浦佐用姫(まつらさよひめ)の聖地のひとつである田島神社もある。この呼子大橋も、橋マニア必見の“カーブした橋”である。
 

早矢人の父は漁師であった。近海漁業で、イカ・アジ・クマエビなどを穫っていた。息子に早矢人と名付けたのは九州の伝説的な勇猛な部族・隼人(はやと)にちなんだもので、強い男に育って欲しいという願いを込めたものである。実は早矢人の上のきょうだいは女ばかりで、女が5人!(奈津美:なつみ・美布由:みふゆ・梨央菜:りおな・柚貴恵:ゆきえ・羽都代:はつよ)生まれた末にやっと生まれた男の子であった。ちなみに早矢人の後にも、もうひとり男の子・久真朱(くまそ)が生まれている。これも九州の伝説的な勇猛部族・熊襲(くまそ)からとったものである。
 
きょうだいが7人というと「大家族だね!」と驚かれるが、上が姉5人と言うと「なるほどー。次こそ男だろうと作り続けた結果か」と納得される。
 

さて、漁師の跡取りとして期待された早矢人ではあるが、父は彼が5歳くらいの段階で跡取りにするのは諦め、弟の久真朱に期待を掛けることになる。実は早矢人が生まれつきとても身体が弱く、頻繁に熱を出して寝込み、このままではこの子は10歳までも生きられないかもなどという話になったことで、両親はもうひとり子供を作ることに決め、それで生まれたのが久真朱であった。
 
だから早矢人と久真朱は6つ離れている。一番上の姉・奈津美と早矢人が10歳違うので、奈津美と久真朱は16歳違い。奈津美は母が24歳の時の子供だが、久真朱は40歳で産んだ子供である。
 
早矢人は10歳までに死んでしまうことはなかったものの、病弱さは小学生の間も続き、彼は毎月1度は風邪を引いて学校を休んでいた。しかしそういう早矢人の体質は彼が中学で陸上部に入ったことで大きく変わることになる。毎日2〜3時間陸上部で身体を鍛えた早矢人は全く学校を休まなくなった。それまで偏食が酷かったのも、何でも食べるようになる。
 
そして彼が1年後に駅伝で区間賞を取ったのには父は狂喜した。父は
「これで跡取りが2人できて嬉しい」
などと言っていたが、母は早矢人の“傾向”をちゃんと把握していた。
 

早矢人は物心ついた頃から自分は女の子だと思っていた。何度自分でちんちんを切ってしまおうとしたか分からない。そんな早矢人を見て、
「これ買ってあげるから我慢しなさい」
と言って、母は彼に女の子用のパンティとか、前開きの無い女子用ズボンを買い与えていた(実際には姉たちのおさがりもだいぶもらった)。そういうものを穿いていることで、早矢人も随分気が紛れていた。むろん学校にも前開きの無いズボンを穿いて行っていた。
 
(後から聞くと、母は「病弱な子は女の子のように育てると生き延びる」という言い伝えを信じて、早矢人の女性傾向を容認していたらしい)
 
「スカートも穿きたい」
と早矢人は母に言ってみたが
「父ちゃんが怒るから我慢して」
と言われた。でも姉たちから譲ってもらって部屋の中でだけ穿いていた!
 
小学校でも中学校でも早矢人はトイレで決して小便器は使用せず、いつも個室を使っていたが、友人たちはそういう早矢人を特に変な目では見ずに「半分女みたいなもの」と捉えてくれていた。着替えなども、衝立を立てたりしてその裏で着替えさせてくれた。大会などの時はトイレで着替えていた。
 
また女子の友人たちから可愛いアクセサリーとかもらうこともあり、それは早矢人にとって宝物となった。
 

早矢人は陸上部には入ったものの、元々スポーツの得意な子などとは身体の造りが全く違う。さすがに短距離では“大会運行に支障が出る”ほどの遅さなので、もっぱら長距離を走った。それで中学2年の春頃には10kmくらい全力疾走しても全然平気なほど、体力がついた。
 
早矢人は高校2年まで陸上を続け、高2の夏には八種競技でインターハイ出場も果たした。
 
なお八種競技(octathlon)というのは男子のみの種目で 100m、400m, 110mハードル、1500m、走幅跳、走高跳、砲丸投、槍投、の総合成績で競うものである。女子は七種競技(Heptathlon)になっていて、100mハードル、200m, 800m, 走幅跳、走高跳、砲丸投、槍投、である。
 
ブラジャーを着けているので胸が膨らんで見えるし、女子みたいな髪型にしている早矢人は、実は高校1年の時は誤って七種競技の各種目に呼ばれてしまい、最後までいった所で「私男子ですけど」などと言ったので大会事務局が驚いて、100m, 400m, 110mハードル、1500mを再計測してくれて“参考記録”として男子の3位相当として認定してもらったこともある(「女子と一緒に競技していて気づかなかった訳無い」とチームメイトからは非難轟轟だった)。ちなみに女子としてはぶっち切りの1位相当の記録だった。それで2位だったのが繰り上がりで1位になった他校の選手が「失格になったと聞きましたがフライングか何かですか?」と彼に尋ねる場面もあった。
 
なお大会の時は、混乱の元だから女子トイレを使うように、早矢人は顧問の先生から言われている。(つまり女子トイレで着替えている!)
 
なおインターハイは(男子には)八種競技しかないので、それに出たのだが、それ以外の大会では十種競技にも結構出ている。これは八種競技の種目に棒高跳と円盤投げが加わったものである。ちなみに女子の場合は七種とは随分種目が違う。
 
男子十種競技 100m 110mH 400m 1500m 幅跳 高跳 棒高跳 砲丸投 円盤投 槍投
 
女子十種競技 100m 100mH 400m 1500m 幅跳 高跳 棒高跳 砲丸投 円盤投 槍投
 
つまり女子の十種は男子と110mH/100mHのみの違いである。
 

早矢人の母は「父ちゃんには内緒だよ」と言って、小学5年生の時以来、早矢人に女性ホルモンを渡してくれていたので、それを飲んでいたし、母親に言われていつも睾丸を体内に押し込んでいた。おかげで早矢人は声変わりが来ずに女子のような声をキープしていた。
 
父が
「お前まだ声変わりしないんだな。病院で見てもらわなくていいか?」
と訊いたが、早矢人は
「ハイドンは18歳で声変わりしたらしいよ。遅い人もいるよ」
などと答えていた。
 
父親は元々病弱な子だったから、男性的発達も遅いのだろうと解釈していたようである。
 

早矢人は中学でも高校でも、高い声が出るので、音楽の時間のパート分けはソプラノに入れられていた(むしろテノールとかが出ない)。授業中は男子制服のままソプラノの女子たちの中に座っているが、コーラス部ではだいたい体操服を着ていたし、大会に出る時は親友の巻子が女子制服を貸してくれて、それを着て出場していた。ブラウスやストッキング、ローファーなどは自前である。実は早矢人はそもそも男子制服の下にもブラウスを着ていて、カッターなどは決して着なかった。
 
「大会には制服で出ることと校則には書かれているけど、男子生徒が女子制服を着てはいけないとは書かれていないし」
などと友人たちは言っていたが、一部異説もある。
「そもそもさっちゃんが男子生徒なのかという点に疑問がある」
という意見もあった。
 
中学時代の友人が「早矢人」の「早」の字ぶ始まる女の子らしい名前として「早百合」というのを考えてくれたので、彼(彼女)のことを中高生時代の友人は「早百合ちゃん」とか「さっちゃん」と呼んでくれていた。その名前で年賀状ももらっていた。高校生の時、文化祭で英語部の劇に出演(シンデレラの姉役)した時、配役表にもしっかり芳野早百合と記載された。
 
早矢人は中学までは地元・呼子の学校、高校は唐津市中心部近くの高校に通ったが、大学に進学するのに福岡に出た。そして福岡に出て来たのを機会に、フルタイム女として過ごすようになった。むろん大学にも女の格好で出て行く。
 
大学では、同じ高校から進学した友人・宏花に誘われて、大学の女性合唱サークル・ラフムーベに参加した。部長さんは最初男の子と聞いて「え〜〜!?」と声を挙げたものの、本人の歌唱を聴くと「あんた5月の演奏会の出場者に決定」と言った。
 
早百合はサークルの制服の白いサテンドレスを着ると、凄く華やかな気分になった。靴はパンプスだが、ヒール5cmと言われたのを「無理です〜。歩けません」と言って3cmで勘弁してもらった。1年生には他にも3cmにしてもらった子が数人いた。
 
なお「ラフムーベ(Lachmöwe)」とは福岡市の市鳥“ユリカモメ”のことである。
 

見た目も女子だし、声も女子なので、大学入学後は普通に女子としてバイトもした。バイトは最初塾の先生をしようかとも思ったが(むろん“女性講師”になる気満々)、大学の授業との両立が難しそうなので結局、ロイヤルホストのフロア係に応募して採用された。ロイヤルホストの女子制服を着るのが、早百合には快適だった。なお、名前はもちろん「早百合」を名乗った。
 
「芳野早百合」という名前を見たロイヤルホストの店長さんは
 
「苗字がヨシノじゃなくてヨシナガだったら良かったのにね」
などと言った。
 
「ヨシナガだと何かあるんですか?」
「吉永小百合を知らない?」
「済みません。知りません」
「今の若い子は知らないかぁ!」
と店長さんは嘆いていた。後で調べてみると美人の女優さんだったみたいで、へーと思った。そのファンのことはサユリストというのだと聞いた。
 
でも店長さんも、同僚たちも早百合が女でないとは思いもよらないようだった。早百合は堂々と女子トイレを使用し、女子更衣室で着替えていた。
 
なお。早百合はバイト身分でもあるし学生なので、健康保険や年金の対象ではない。そのため本人確認書類も提出していないし、バイト代は「現金で受けとりたい」と言ったらそれで払ってくれたので、銀行口座も提示していない。
 
ファミレスのバイトの内容は、お客様の案内、料理の配膳、簡単な調理、片付け、店内を巡回してお水を交換したり追加注文を受けたりする、そして掃除など多岐に渡っている。早百合は授業時間とぶつからないように、深夜中心にシフトを入れてもらったので、特に深夜はひとりで様々なことをしなければならず大変だったが、元々実家では(姉弟の人数が多いこともあり)様々な手伝いをしているので、気が利くねと褒められた。またコックさんにも「料理のセンスがある」と言ってもらった。
 
元々人当たりが柔らかいので、お客さんの受けもよく、店長さんは早百合を評価してくれたようであった。
 

ところで、通常大学生は毎年春に健康診断を受けるのだが、この年(2016年)は大学の医療サービスセンターが建て替え工事をしていて4月の段階では設備が使用できなかった。そのため運動部の学生など、どうしても健康診断を受けておかなければならない学生は市内の病院などで対応することにして、一般の学生は建て替え工事が終わる6月に健康診断を行いますということだった。
 
そのため、早百合も健康診断を4月には受けていなかっった。
 

6月上旬、早百合は勤め先から「試用期間を終えて早めに本採用に移行したいから、健康診断書を提出して」と言われた。しかし大学の設備の事情で4月に健康診断を受けていないと言うと、病院か保健所で受けてきてと言われた。
 
それで早百合は住んでいる所の近所にある総合病院に行き、健康診断を申し込んだ。受付で芳野早百合 1998.2.27生・女と記入する。
 
芳野早百合の名前で性別・女と記された診察券(QRコード付)を発行してもらい、紙コップと小型のタブレットを受取って、まずはトイレ(女子トイレ)に行く。この時、トイレのドアを開けるのに診察券をかざす必要があった。もしかして女子トイレには女性クライアントしか入れないようにコントロールしているのかなと思った。だったら、ちゃんと性別女で診察券作ってもらってよかった!
 
個室に入っておしっこを取る。これを検査室の棚に提出する。それから検査室に入り、身長、体重、脈拍、酸素量を計り、血圧を測ってから採血する。タブレットの指示に従い耳鼻科に行く。
 
待っている間にタブレットで問診票を表示させ記入する。様々な既往症を尋ねる所は全て「いいえ」を選択しておく。
 
下の方に女性のみの質問と思われるものが並んでいる。紙の問診票なら『女性の方だけお答えください』などと書かれている部分だろうが、タブレットだし、早百合は性別女性で申し込んだので表示されているのだろう。
 
「生理中ですか?」「いいえ」。生理になりたーい!
「性交経験はありますか?」「いいえ」男の子との交際経験が無いし。
「妊娠していますか?」ドキドキ。「いいえ」妊娠できる自信無いなあ。
「授乳中ですか?」ドキドキ。「いいえ」授乳してみたーい!
 
全部チェックし終えた所で登録ボタンをタップする。
 
やがて名前を呼ばれるので中に入って、聴力を計る。終わった後はタブレットの指示に従い、眼科に行き、ここで視力を測る。次はX線検査に行く。
 

刀剣乱舞をやりながら待つ。
 
「芳野早百合さん、2番検査室に入ってください」
と言われるので中に入るが、まだ前の人(女性)が服を着ている最中である。会釈して、隣の籠を使い、カットソーを脱ぎ、ブラジャーを外す。前の人は面倒な服を着てきたようで、まだ服を着終わっていないが「服を脱いだらカーテンの中へ」という案内で中に入る。機械の上に顎を乗せ、機械に抱きつくようにする。
 
「息を吸って止めて」
「はい。終わりです。服を着て退出してください」
と言われるとすぐに次の人の名前が呼ばれる。
 
どうもここは時間短縮のため、撮影が終わったらすぐ次のクライアントを入れる方式のようである。X線検査を受ける人は多い。たぶん、1号室を男性、2号室を女性にして、着替え中を他人に見られる問題をパスしているのだろう。
 

早百合は脱ぎ着しやすい服を着てきているので、さっと服を着て、次の人が服を脱ぎ終える前に退出した。
 
心電図に行く。ここも検査室は2つあり、やはり男女で分けているようだが、ここは前の人が終わってから次の人を入れる方式のようである。心電図検査はそんなに人が多くないからだろうか。名前を呼ばれて中に入る。服を脱いで籠に入れ上半身裸になってベッドの上で横になる。女性の技師さんが、手足および胸の数ヶ所にクリップを取り付ける。ちょっとこそばゆい(方言?)。
 
すぐに終わるのでクリップを外してもらい、服を着て退出したら次の人が呼ばれた。タブレットの指示に従い、婦人科に行く。この時点で早百合は婦人科でどういう検査をするのか全く知らなかった。問診票を受付に提出してから待つ。
 
名前を呼ばれて診察室に入る。女医さんである。上半身の服を脱いでと言われるので脱いで医師の前に座る。乳房を掴んで揉まれる!?
 
「問題無いようですね。生理は乱れていませんか?」
「ええ。特に乱れていません」
 
(実際には生理など来ていないので“乱れていない”)
 
医師はモニターを見ながら言った。
「ああ、あなたは性交経験は無いですね」
「はい。もてないもので」
「いえ。18歳なら経験が無い方が普通ですよ。だったら経膣エコーはせずに、経腹エコーにしましょう」
「はあ」
 
話の内容がよく分からないのだが、早百合は言われるままに、ベッドに寝てスカートを脱ぎ、服をめくった。女性看護師さんがお腹の下の方にジェルのようなものを塗る。まるでエステみたい!
 
(この時点でもまだ早百合は何の検査を受けるのか全く分かっていない)
 

少しパンティを下げられる。
 
あ、そこはちょっとまずい。
 
パンティを下げた所にもジェルを塗られる。
 
医師がレムニスカート(∞)みたいな形の機器を持ち、ジェルを塗った下腹部にそれを付ける。どうもそのレムニスカート型の器具がカメラになっていて、映像がモニターに映るようである。この時点でやっと早百合は「やばい」と思った。
 
「あれ?」
と言って医師が首をひねっている。
 
「どうかしました?」
 
「子宮が見当たらない」
 
あはは・・・・
 
医師はしばらく機器をあちこち動かしながらモニターを見ていたが、やがて「ハッ」としたようにして、早百合のパンティの上に触った。
 
触られちゃった!!
 

「ああ、これはいけない。こんなものが付いてたら子宮が写らないはずだ」
と女医さんは言った。
 
えっと・・・
 
「そのお股にあるものを取り外してもらえません?」
「取り外すと言っても」
 
「最近の若い人は取り外し方も知らないのかなあ。じゃ私が外してもいい?」
「お願いします!」
 
医師は「あまり他人には見られたくないだろうし」と言い、室内に居た女性看護師2名に席を外すように言った。2人が部屋を出て行く。医師は早百合のパンティを下げた。
 
「婦人科検診に来る時は、ちゃんとディルドーは取り外しておいてくださいね」
と医師は言ったが、早百合は“ディルドー”って何だろうと思った。
 
「IIS - International Industrial Standard の基準で作られたディルドーは全て外し方が共通なんですよ。これは国際規格だから、誰の身体に付いているものでも取り外せますよ。まずはこの場所を握って」
 
と言って医師は早百合のポールの下から3分の1付近を強く握ると、ネジでもはずすかもように右に回した。
 
「これを右に3回まわします。そしてぐいっと引きます」
と言って医師がそれを引っ張るとカタッという何かが外れるような音がした。
 
「そのあと左に4回まわします」
と言って、医師は早百合のポールを左に回した。
 
「これ円周率は3.14と覚えておいて」
「はい」
 
「もっと詳しく言うと、おっぱい(π)=3.14159265 産医師異国に向こう 3589793238462 産後厄無く産婦御社に 643383279 虫散々闇に鳴く5028841971 これには早よ行くない 6939937510 六組九区皆五島 58209749445 小屋に置くな良くしし碁 9230781 国見を七杯 64062862089986 虫・オームに止むにお役悔やむ 28034 庭を見よ 82534 初高三よ 2117 再びいいな」
 
早百合は目をぱちくりさせて聞いていた。
 
「これはおっぱいを育てて、赤ちゃんを産む体勢を作る呪文なんですよ」
 
「五島(ごとう)って五島列島ですか?」
「そうですよ。国見(くにみ)は国見岳ね」
「私はそれ分かりますけど、すっごくローカルな地名ですね」
「これ考えた人は世知原町の生まれらしいのよ」
 
「へー!」
「ちなみに“ごとう”だから510だけど、五島列島知らない東京の人が“ごしま”と誤読して 540 にしちゃったことある」
 
「読み間違うと語呂合わせはまずいですね」
「そうそう。周期律表で希ガス類をHe Na Ar Kr Xe Rn “変な姉ちゃんある日狂ってキスの連続”とすべき所を、“変な姉ちゃん頭が狂ってキスの連発”と覚えてて ArアルゴンじゃなくてうっかりAtにしちゃった子もいた」
 
「Atは85番アスタチンでハロゲンですね。ラドン(Rn)の1つ前」
「おお、さすが現役の学生さんだね」
「受験でだいぶ覚えました」
 
「はい。まずはポールが外れたよ」
と言って、医師は“外れてしまった”ポールを手に持っている。すごーい。これって外れるものだったの??
 
「ポールが外れたら、そこに出来た穴に指を入れて、ボールを掻き出す」
と言って、女医さんは本当にそこに指を突っ込み、中のボールを取り出してしまった。
 
「このポールとボールは後で袋に入れて渡すから自分で取り付けてね」
「はい」
 
取り外したポールと、取り出した2個のボールは取り敢えずプラスチックのトレイの上に置かれている。
 
この時、2個ならんだボールが、「OO」のようになっていて、これもまるでレムニスカート(∞)みたい!と思った。
 
「ボールはOでゼロ。それ自体では何も生み出さないけど、ポールの力でIOまたはIOOで10にも100にもなる」
 
「へー!」
 
「1と0がくっついたのがbあるいは6でこれは卵巣と卵管の形も表している。ここで6以下の素数の二乗を合計すると 22+ 32+ 52= 4 + 9 + 25 = 38.これは赤ちゃんが胎内に留まる週数になっている」
 
「40週じゃないんですか?」
と早百合は質問した。
 
「40週という数え方は最後の月経があってから出産までの週数。実際には月経の2週間後に受精が起きているから、受精から出産までは38週なんだよ」
 
「へー!」
 
「あんたもその内赤ちゃん産むんだから、ちゃんと覚えておきなさい」
 
「私、産めるでしょうか?」
 
「あんたの生年月日・日時・出生場所は?」
「1998年2月27日 4:45 呼子町です」
 
女医さんはノートパソコンを取り出すとホロスコープを表示した!
えっと、この人お医者さんだよね?占星術師じゃないよね?
 
「ああ。あんたは2024年1月に赤ちゃんを産むよ」
と女医さんは言った。
 
「本当ですか!?」
 
早百合は本当に自分にも子供が産める気がしてきた。
 

「赤ちゃん産みやすくするのにちょっと加工しようか」
と医師は言った。
 
早百合のお股は今、ポールが無くなり、ボール2個が取り出された袋だけが残っている。女医さんはその残った袋をハサミで真ん中から左右に切り分けてしまった。そしてピンセットで押し込むと、きれいな割れ目ちゃんの形になるので、凄ーいと思う。
 
ここで医師が電気ドリル(直径が太い!)を出してくるのでギョッとする。でも医師は早百合の表情は気にせず、ドリルのスイッチを入れ、割れ目ちゃんのいちばん奥(早百合からはよく見えない)に回転しているドリルを突っ込み、穴を開けちっゃた!
 
きゃー、何て乱暴な!
 
「このドリルはちょうどおちんちんの太さなんだよ。だからこれを使うと、おちんちんが入るサイズの穴が作れる」
 
「おちんちんって、そんなに太いんですか?」
「ああ。あんたは性交経験が無いから見たことないんだね。あんたがお股に取り付けていたような小さなものじゃないよ。本当の男の子のおちんちんってかなり太いから」
 
そうだったのか。やはり、私についてた、おちんちんってきっとニセモノだったのね。
 
女医さんは、棚から何か箱を取ってくると、その中に入っていた玄米?をその開けた穴の奥にピンセットで押し込んだ。
 
「これは1粒の種。この種は4年掛けて育つから、4年後には、あなたは生理も始まって、男の人とセックスすれば、赤ちゃん産めるようになるよ」
 
「ほんとうですか!?」
 
「あんたの骨盤は女性型に発達しているから大丈夫。ちゃんと妊娠を維持できるよ」
 
それは・・・きっと小学5年生の時以来女性ホルモンを飲んでいるからだろうなと早百合は思った。お母ちゃんのお陰で、自分は女性らしい肉体を獲得できた。
 

「じゃ健診はおしまい!」
「ありがとうございました!」
 
健診だけじゃなかった気もするが。
 
それで早百合は服を着て退出するが、その時、この女医さんの胸にも∞のようなマークが付いているのに気づいた。この病院のマークだろうか?
 
診察室を出てから早百合は、渡すと言われていたボール(ball)とポール(pole)を受けとっていないことに気づいたが、別に要らないやと思った。代わりにホール(hole)開けられちゃったし。
 
それでタブレットに従って内科に行く。ここでたぶん最後かな。順番を待ち、名前を呼ばれたところで診察室に入る。医師はここまでの検査内容や問診表の内容をモニターで見ているようである。
 
「どこか調子の悪い所とかはありませんか?」
「特に無いです」
 
「ちょっと服をめくってください。下着はそのままでいいですよ」
 
それで服をめくると医師は聴診器を当てて心音?などを聞いている後ろを向いて背中にも聴診器を当てられた。
 
「問題無いようですね」
 
それで解放される。少し待っててくださいということで待っていたら、内科の受付の人に呼ばれて健康診断書(封印されている)を渡された。それをそのまま会社に提出してくださいということだった。ここでタブレットは返却した。
 
それで会計に行く。
 
診察券を精算機に入れる。表示された金額を見て仰天する。
 
880,000円
 
と表示されている。こんなに払えないよう!どうしたらいいの?
 

そこで目が覚めた。
 
早百合はそっと自分のお股に手をやってみた。
 
悲しくなった。
 
ちなみに「右に3回まわし、ぐいっと引いて、左に4回まわす」というのも、してみようと思ったが、3回まわすというのが、そもそもできなかった。2回半くらいが限度で、それもかなり痛かった。
 

早百合は翌日、新天町の路上に店を出していていつも客が少なそうだな思っていた40代くらいの占い師さんに相談してみることにした。客の多い人だと、落ち着いて相談できないし、次の客にも相談内容を聞かれそうだし。そもそもそういう“人気占い師”さんって、概してトークのうまい人が多く、占い自体は大したことないのではという気がしたからである。
 
しかし占い師さんは、相談内容が深刻そうだったので「別に高額料金は取らないから事務所に行きましょう」と言って、タクシーで占い師さんの事務所まで行った(タクシー料金は占い師さんが出そうとしたが、早百合が払った)。
 
それでたくさんタロットや占いの道具?に、大きな水晶玉やペンジュラムなども並び、お香が焚かれた、落ち着いた雰囲気の事務所の応接セットで、早百合は相談することになった。
 
早百合は、自分が法的にも肉体的にも男であることを打ち明けた上で、昨夜見た夢の夢解きを依頼した。
 
占い師さんは「あなたが男だなんて信じられない!」と言った上で、早百合から生年月日・日時・出生場所を聞き、ノートパソコンでホロスコープを出したり、何だか細長い棒がたくさんあるのをジャラジャラさせて「えき」とかいうのもやってくれた。
 
タロットでも見てくれたが、出て来たカードで Atargatis (Princess of Wands)というのが、お股の所に大きく開いた口があり歯も見えている人魚の絵が絵が描かれているのを見た時はギョッとした。
 
占い師さんに尋ねると、こういうのを Vagina dentata(歯のある膣)と言い、こういう女性とセックスすると噛まれて、ペニスが無くなってしまうという伝説が、わりと昔から洋の東西にあるらしい。
 
「ちんちん無くなるっていいですね」
「こういう人とセックスしてみたい?」
「私のちんちん、立たないから無理です」
「あら、残念ね。中国の伝説では、どんな男と結婚しても初夜に男がペニスを噛みちぎられて亡くなってしまう女が居たので、鋼鉄のように硬いペニスを持つ男と結婚したら、歯が全部折れてしまって、その後は幸せに暮らしたんだって」
 
「それ噛みちぎられて亡くなった男たちは?」
「まあ不幸な事故ということで」
「いいんですか〜〜!?」
 

なおアタルガティスというのはシリアの女神で人魚の姿をしており、豊穣と漁業の女神であったらしい。
 
「アタルガティスに“歯のある膣”があったという話は聞いたことないけど、この女神の神殿にはペニス(と睾丸)を切断して女の衣装を着た神官が仕えることになっていたらしいですよ」
と占い師さんが言ったので、早百合はその話を聞きたがった。
 
ある時、ストラトニーチェ(Stratonice)という王妃がアタルガティスの神殿を作らなければというお告げを夢に見た。そこで王は王妃と一緒にコンバブス(Combabus)という男を建設場所に行かせ、神殿を作らせた。神殿ができてから王妃とコンバブスが戻って来た時、王はコンバブスを逮捕して死刑にすると言った。彼が王妃と密通しているという噂があったからである。実を言うと、元々そういう噂があったので、わざと2人だけにして証拠をつかもうとしたのである。王はコンパブスが王妃の部屋に入って行くのを見たという証人もあると言った。
 
コンバブスは王に言った。
 
「神殿建設に行く前に私が王に預かって欲しいと言ってお渡しした箱がありましたよね」
「ああ、そういえば預かったな」
「その箱を開けてみてください」
 
それで王が箱を開けてみると、中には切断されたコンバブスのペニスと陰嚢が入っていたのである。それで彼の無実は証明され、王は彼に謝って、彼を神殿の神官に任命した(偽証した男を死刑にした)。
 
それでその後、神殿には去勢した男性が仕えるようになったのである。
 

「男性器を切除して女の衣装を着て神殿に奉仕するっていいですね」
と早百合は言う。
「女のようにお化粧もしていたらしいですよ」
と占い師さん。
 
「すごーい」
「でもキリスト教の初期の信者となったアブガル王(?-AD 50)が去勢を禁止してその習慣は無くなったらしい」
「キリストの時代になって禁止ということは、この風習は随分昔に行われていたんですね。そんな時代にも去勢があったんですか?」
「昔は死亡率も高かったろうけどね」
「でしょうね!」
「アナトリア(トルコ)のキュベレという女神も信者がペニスを切断してそれを奉納する習慣があったらしい。奉納した人には、女の服が与えられて、それ以降は女として暮らす」
 
「それもいいなあ。その時代に生まれてたら、私絶対、奉納してる」
「あなた、前世でそんなことしてるかもね」
「ありそう!」
 

レムニスカートが何度も出て来た件に付いて、占い師さんは「この形?」と言って、タロットの「魔術師」のカードと「力」のカードを見せてくれた。両者のカードに描かれた人物がかぶっている帽子が∞の形をしている。
 
「基本的に吉夢ですね。今あなたは出発点に立っているんですよ」
と占い師さんは言った。
「この力のカードは一般に女性がライオンと遊んでいる絵が描かれている。東洋の言葉で言うと虎穴に入らずんば虎児を得ずですね。ちょっと大変だけど、頑張ればいいことがあるということ」
 
占い師さんは「えき」で出た「か」というものを見て言った。「火山旅」という「か」らしい。
 
「あなた、お遍路に行きなさいよ」
「お遍路って、四国かどこかでしたっけ?」
「そうそう。四国に88ヶ所の霊場が定められている。あなたの夢の中に、レムニスカート(∞)が何度も出て来ていますね。∞は横にすると8でしょ。88ヶ所を象徴していたんですよ。料金も88万円だったし」
「ありそう」
 
関ジャニ∞は「かんじゃに・えいと」だしなと早百合は思う。
 
「それに最後にお米をもらいましたよね。米という字は分解すると八十八になる」
「本当に四国に行けということみたいですね」
 
「できたら歩いて一周するといいです」
「歩くんですか!?何キロあるんです?」
「300里(り)というから1200kmかな」
「何日くらいかかります?」
「1日20km歩いたとして60日だけど、あなた若いからきっと50日かからないと思う」
「1日20kmというのも、結構きつい気がします、普通の人には」
「でもあなた陸上やってたと言いましたよね?」
「はい。長距離と十種競技」
「長距離ランナーなら40日くらいで歩けるかもね。まあ最近は車で回る人が多いけど」
 
「それは歩かなければならない気がします。“力”のカードがそれを示唆してますよね?」
「私もそう思ったので言ったんですよ。ただ、歩きお遍路ってお金がかかるのよ」
「お寺の入場料とか?」
「入場料取るお寺は無いよ。お寺に納めるお賽銭は各々のお寺で本堂と大師堂で100円ずつ入れたとして17600円かな」
「そのくらいはいい気がします」
「それよりたとえば50日かかったとすると、宿代が1泊8000円としても40万円、食事代が1日4000円としても20万円」
「かかりますね!」
 

「一度に負担できないと思ったら、毎年4分の1ずつやって、4年で満願を狙う手もある」
「4年なら、総額88万円かかったとしても、1年22万円だから何とかなりますね」
 
早百合は夢の最後に出て来た88万円というのは、多分お遍路に掛かる費用なのだと思った。やはり歩けということなのだろう。
 
「四国は4つの県だから1年に1県ずつやっていって完了というのがすっきりするかも」
「その方式、いい気がします」
「それが満願したらね、あなたの望みは叶うような気がしますよ」
 
88ヶ所回ったら「あなたは88万8888人目の満願者です。お祝いに性転換手術をプレゼントします」なんて言われたりして?
 
でも早百合はやってみようと思った。
 

なお、健康診断は実際に病院に行ったら、夢で見たのとほとんど同じ手順で、レントゲンや心電図の技師さんの顔まで夢と同じで驚いたものの、婦人科検診は無かったので(どうも30歳以上の女性だけのもよう)、無事女として受診した健康診断書をゲット!それを職場に提出した、早百合は7月以降、(試用ではない)正規のバイトとしてファミレスに勤めることになった。
 
早百合は「ちんちんなんて付いてても付いてなくても、どうでもいいもんなんだなあ」と思った。
 
ちなみに健康診断はそもそも保険の適用外なので、保険証も提示しなかった!早百合はこの病院の、女性として登録した診察券もゲットしたが、病気などでここにかかる場合は、保険証の提示を求められるだろう。
 

それで大学1年のその年は、4つの県の内、讃岐路(香川県)に行ってくることにした。これは4つの県の各々の距離を計算してみると、阿波徳島 190km, 土佐高知 420km 伊予愛媛 370km 讃岐香川 160km という計算になったので、まずはいちばん距離の短い讃岐路をすれば「4分の1終わった!」と思えるからである。それで夏までに溜めたバイト代を使い、歩きやすいと思われる秋に行ってくることにした(本当は溜めたバイト代でまずは去勢手術を受けようと思っていた)。
 
そしてその歩行に耐える体力をつけるため、早百合は、受験のために練習を中止した昨年10月以来、9ヶ月ぶりに毎朝のジョギングを再開した。大濠公園5周(10km) を自分に課したが、大濠公園まで2kmあるので毎日14km走ることになる。
 

早百合は20歳になった所(2018.2.27)で母の承認を取って戸籍を分籍した上で、法的な名前を早矢人から早百合に変更してしまった。永年使用を理由にしたが、中学高校時代に友人たちが“早百合”宛にくれていた年賀状や、“芳野早百合”と名前が印刷されている英語劇のパンフレットなどがとても役に立った。
 
早百合は2007年(2007.1.1-12.31)のバイト収入が130万円を超えてしまったので、父の健康保険の被扶養者から外れて、国民健康保険に入ることになったので、この保険の独立の手続きをした後で、氏名変更の手続きを行い、芳野早百合名義の健康保険証も手にした。また銀行の名義も変更した。その後で、バイト代も現金渡しから銀行振込に変更してもらった。
 
成人式の招待状はこの改名に間に合わなかったので、芳野早矢人名義で来てしまったが、羽都代(はつよ)姉の振袖を借りて成人式の会場まで行ったら、ちゃんと女子用の記念品(花柄のボールペン)をもらうことができた。更に「その振袖、加賀友禅ですよね?」と言われて、市の広報誌用の記念写真撮影にも参加することになり、その記念品(クレールのボールペン)まで頂いた。
 
早百合は5人の姉の中では年齢が近いこともあり、羽都代ともっとも仲が良い。小さい頃から自分が穿けなくなったスカートとか自分では穿いてないパンティとかを早百合にくれていた。振袖について羽都代は快く貸してくれたが、あとでどうもかなり高額のものだったようだと気づいて冷や汗を掻いた。
 
「振袖って若い内は結構着る機会があるから、あんたも作ればいいのに」
 
と言われた。しかし早百合はお遍路のためにできるだけ資金をキープしておきたかったのである。
 
お遍路は、2年目に伊予、3年目に土佐を回り、4年目の2019年はいよいよ最後の阿波路を9月14日(土)から23日(祝)くらいの予定で行ってくることにした。昨年・一昨年と300km以上歩いている早百合だが、今年は距離こそ短いものの、最大の難所と言われる“一に焼山・二にお鶴”の焼山寺と鶴林寺が含まれている。早百合は「焼山はビバークすることになるかも」と考え、簡易野宿装備も持って行くことにした。
 

その日、ケイナとマリナは、ローズクォーツのマネージャー・甲斐窓香から連絡を受けた。
 
「ローズクォーツのツアーを10月にしますのでお願いします。日程はメールしますので」
「はい。分かりました。よろしくお願いします」
 
それで送ってもらった日程表はこのようになっていた。全国9ヶ所である。
 
10/06(日) 札幌
10/09(水) 金沢
10/12(土) 東京
10/13(日) 名古屋
10/14(祝) 大阪
10/16(水) 徳島
10/19(土) 広島
10/20(日) 福岡
10/22(祝) 那覇
 
「ところで宿泊ですが、ダブルルームが良いですか?」
と窓香は尋ねた。
 
「いえ。私たちは別に恋人とかではないので、ツインでお願いします」
「あら、そうでした?おふたりが結婚したという噂を聞いたもので」
「どこからそんな噂が出るんです。そもそも私たち2人とも男だし」
 
「それがマリナさんが性転換手術を受けて戸籍も女性に直したので、婚姻届けを提出したと」
「性転換とかしてません」
とマリナは言いながら、やや後ろめたさを感じた。
 

窓香との電話を終えてからツイッターを検索してみたら
“ローザ+リリン結婚”
“マリナちゃんが花嫁に”
“ウェディングドレス同士の結婚式”
“8月にマリナがバンコクで性転換手術を受けたらしい”
“棒那市の痴漢に襲われてマリナちゃんは男性器を喪失したから、いっそのこと女になることにしたらしい”
 
などといった書き込みが大量に見つかったのでマリナは苦笑した。
 
“マリナ妊娠。ローザ+リリン休業へ。代理ボーカルは鈴鹿美里が再登板”
 
なんてのもあるし、
 
“鈴鹿美里の美里は昨年20歳の誕生日に性転換手術を受けて女の子に生まれ変わっていたらしい”
 
なんてのまで見つかる。美里は天然女子なんだけど!?
 
“鈴鹿美里”は双子の女声デュオだが、いつも主導的で“ボク”なんて自称も使う美里を男の娘、おしとやかな鈴鹿を女の子と思い込んでいるファンはわりと居る。鈴鹿は思春期以降女性ホルモンで男性化を抑えていたが中学3年の12月に特例で去勢手術を受けた。その内性転換手術も受けたいと言っているが、マリナの知る限りではまだ性転換手術は受けていないはずである。
 

青葉(主人公である)は奥村春貴がなかなかお父さんに性別変更を認めてもらえずにいるのを心配して、有磯海クリニックの増田先生(婦人科)にお願いして、高岡市内の奥村家を訪問した。増田先生と青葉に春貴本人の3人でである。
 
春貴のお父さんは、病院の先生の訪問に驚いたものの、話を聞いてくれた。
 
「じゃ、こいつには卵巣や子宮もあるんですか?」
と父は驚いて言った。
 
「これはMRIの写真です。本来は御本人以外には見せないのですが、御本人からもお父さんに見せてあげてと言われましたので」
と言って、春貴の身体を透写したものを見せる。青葉は後ろを向いて自分の目には入らないようにした。
 
「この左右にあるのがが卵巣で、この付近が卵管、これが子宮、これが膣ですね。男性ならたとえ性転換手術をしたとしても残存するはずの前立腺などは見当たりません。ですから、春貴さんは完全な女性なんですよ」
と増田先生は説明する。
 
「卵巣や子宮があるということは、もしかして子供も産めたりします?」
と父は尋ねる。
 
「男の人とそれなりのことをすれば妊娠して、出産に至るでしょうね」
と先生。
 

「最近の性転換手術って、卵巣とかまで作れるようになったんですか?」
 
春貴のそういう傾向を知ってから、父なりに性転換手術についても調べたようである。それで性転換手術では生殖器を除去してしまうので、子供は作れなくなるというのも知ったのだろう。
 
「卵巣を作る技術はまだ無いですね」
「だったら、卵巣の移植手術をしたとか?」
「そんなことする病院は無いと思いますよ。卵巣の移植は実際に実施する計画をしている医師が外国に存在しますが、拒絶反応などの問題もあるので、妊娠する時に一時的に移植して、出産が終わったらすぐ撤去する予定だそうです。それもレシピエントは天然の女性です。男として生まれた人に卵巣や子宮たけ移植しても、妊娠を維持するのは脳下垂体なので、そのシステムを持っていない男性に妊娠維持は不可能だと思いますよ」
 
「だったら息子は・・・」
 
「考えられるのは、お嬢さんは、元々女性であったのが、何らかの原因で男性のような外見で生まれて来てしまった。それが何かのきっかけで本来の形である女性の姿に戻ったのだと思います」
 
「つまりこいつは元々女だったということですか?」
 
「医学的にはそれしか考えられません」
と増田先生は言った。
 

本当のことを言うと、これは千里の眷属《こうちゃん》の悪戯である。彼は天月西湖(今井葉月)の去勢手術を邪魔された腹いせに誰か“犠牲者”を探していて、ちょうど春貴を見つけたのである。
 
《こうちゃん》が昨年10月に春貴に施した内容は、陰茎と睾丸の除去、“ストックしていた”卵巣・卵管・子宮・膣の移植、陰嚢の陰唇への改造である。小陰唇も陰茎海綿体を利用して作成した。実は前立腺を除去したかったので、尿道も丸ごとストックしていた女性のものと交換している。
 
なお、他人の卵巣が入っているのは妊娠した時にまずいだろうということで、昨年の手術の時についでに脊髄から細胞を採取してIPS細胞を作り、これから春貴本人の遺伝子を持つ卵巣その他の女性器セットを1年間かけて育て、9月にインカレが終わった直後、本人が寝ている内に再手術して、全交換している。従って、この後春貴が妊娠した場合、それはちゃんと春貴本人の子供になる。現在は大陰唇・小陰唇も人工的に形成したものではなく“天然もの”(正確には“養殖もの”)である。
 
1年間春貴の身体にあった女性器は再度“ストック”に戻された。
 

増田先生は言う。
 
「ですから、ちゃんと戸籍も女性に訂正したほうがいいですよ。そういう診断書を書きますので、それを裁判所に提出して、訂正をしてください。これは性転換手術を受けて性別を変更する人とは違う扱いなんですよ」
 
「こいつが女だったなんて・・・・」
 
「私も何度もそう説明したんですけど、お父ちゃん話を聞いてくれなくて」
と春貴は言っている。
 

「じゃ、春貴(はるたか)に孫ができる可能性もあるんですかね」
と父は再度念を押す。
 
「あんたが春貴(はるき)の性別訂正を認めてあげないと、この子、法的に男のまま、子供を産まなきゃいけなくなるね」
などと母が援護射撃してくれる。
 
(春貴の名前は元々は「はるたか」だったが、本人は勝手に「はるき」と読むことにして、役所にも読み方変更の届けを出している。母はその改名?を認めてくれたが、父はこの日まではまだ「はるたか」と呼んでいた)
 
「男が子供産んだら、えらいこっちゃ」
「世界中に報道されたりして」
「それはやめてくれー」
 
「だったらこの子が法的に女の子になることを認めてあげなよ」
「仕方ないな」
 
それで春貴の父は春貴の性別訂正に同意してくれたので、春貴は診断書を添えて弁護士さんにお願いして家庭裁判所に性別変更の申し立てをおこなった。実際に裁判所に出廷しての面談(これにも増田先生は出てくれて裁判官に説明してくれた)なども経て、春貴は12月には性別が女性に訂正された。ただちに性別の変更届けを大学に提出し、春貴は女子としてK大学を卒業することになった。
 
(4月からは女子大学院生になる)
 
 
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【春化】(4)