広告:放浪息子-1-DVD-あおきえい
[携帯Top] [文字サイズ]

■男の娘とりかえばや物語・ふたつの妊娠(4)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

しかし、何てやつだ!?と涼道は思いました。昨日自分に「一緒に暮らそう」と言っておいて、今日は萌子に恋文を送る!?なんて節操の無い奴なんだ!
 
実を言うと、仲昌としては、昨日会って、涼道の妊娠を聞いて自分と涼道の縁を確信し、更に一緒に暮らそうと言い、それに同意したとも取れることを彼が言った。それでもうこれで彼を落とせたと仲昌は思い込んでしまったのです。
 
すると急に余裕ができて、他の女にも恋文を送り始めたということだったのです。
 
しかし涼道は不愉快でした。そして僅かながらあった仲昌への気持ちは完全に冷めてしまいました。
 
そして涼道は考えたのです。
 
「もう自分で自分に始末を付けるしかない」
と。
 
↓ ↑ Bottom Top

当時は「自殺」というのは極めて罪深いものであると考えられていました。そのため平安時代は自殺はとても少なかったという説もあります。
(異論もある)
 
そのため涼道が考えたのは、こういうことです。
 
お腹が目立つようになる前に姿を消す。そしてどこかで取り敢えず女姿になって子供を産む(さすがに男のままでは子供は産めない)。そして子供は誰か然るべき人に託し、自分は男姿に戻って吉野宮を訪ねていき、そこで頭を丸めて僧になる(尼になるとは考えていない)。
 
そして実際、事態はそれに近い形で進んでいくのです。
 

↓ ↑ Bottom Top

11月中旬になっても涼道には月のものが来ませんでした。それで涼道は妊娠は間違い無いことを確信します。涼道は六条辺りの家でそこに置いてある女物の服を着て、町の医者(くすし)の元を訪れました。医師は妊娠していることを確認しました。もう赤子の心臓も動いてると聞き、涼道の中に、自分は母親になったのだという、新たな意識が生まれました。
 
実はそれで、涼道の心の中に僅かながらあった、自死という選択肢は消滅したのです。自分の道連れで赤子の命まで奪うことはできないと涼道は考えました。少なくとも出産するまでは自死は許されない。
 
辛くても生きていこう。
 
医師からは、予定日は6月下旬だろうと言われました。どうも、9月に、月のもので六条辺りの家に籠もっている所を仲昌が訪ねて来た時、その別れ際にしてしまった、まぐわいで妊娠したようでした。月のものからあまり日数が経っていないから大丈夫だろうと思っていたのですが、そもそも涼道の月のものの周期が不安定なので、早めに排卵してしまったのでしょう。
 
↓ ↑ Bottom Top

(卵管内で精子は3日くらい生きているという問題もあるのだが、そこまでは涼道も理解していない)
 

年も押し迫ってきます。
 
涼道が左大臣宅に行くと
「お前、なんか元気が無いな」
と言われます。
 
「ここの所、体調があまり良くなくて」
 
実際には妊娠が4ヶ月目に入っていて、つわりがきついのです。
 
「それはいけない」
と言うので、左大臣はすぐに坊主を呼んで祈祷をさせました。
 
涼道は祈祷を受けながら思いました。
「こんなに自分のことを心配してくれている人がいるのに、自分が居なくなったらどんなに悲しまれるだろう」
と。
 
父は食事を用意させ、一緒に食べながら、にこやかな表情で言いました。
 
「お前のことをどうしたらいいのだろうと悩んだ時期もあったが、こうして宮中で出世して、多くの人から期待されているのを見ると、私は嬉しい。でもお前がそんなに具合の悪い顔をしていたら心配してしまうよ」
 
↓ ↑ Bottom Top

本人としては、つわりの影響で食欲も進まないのですが、涼道は無理して食事を食べ、できるだけ父に心配をさせないようにしていました。
 

↓ ↑ Bottom Top

年が明けて、涼道と花子は19歳になりました。
 
涼道は、逃れられない運命を前にして、まるで屠殺場に連れて行かれる羊のような気分だと思っていました。
 
中納言として新春を迎えるのは最後になるからと思い、牛車を新調しましたし、配下の者たちにも良い装束をそろえてあげました。むろん自分の装束も立派なものを新調します。
 
年明け最初は父の左大臣宅に挨拶に行きました。その後、内裏にも参内しますが、中納言の立派な出で立ちは宮中の人の目を引きます。宰相中将も見とれてしまうほどでしたが、涼道は彼の視線は黙殺して、姉の尚侍(ないしのかみ)の所に行ってしまいます。宰相中将・仲昌はその後に付いてきます!
 
宣耀殿で姉と新年の挨拶を交わし、自分にくっついてきているのをいいことに仲昌に琵琶を弾いてもらって、涼道は『梅が枝』という曲を歌いました。仲昌としては、物忌みの夜、ここに強引に侵入したのを毅然として拒否した尚侍のことが思い起こされてバツが悪い思いをしながら琵琶を弾いていましたが、むろん尚侍は何も言いません。儀礼的に新年の挨拶を交わしただけです。
 
↓ ↑ Bottom Top

その後、中納言は普通に太政官と近衛府に行き、各々の部署で仕事を処理していきました。仲昌がくっついていますが、黙殺し、着々とし自分の仕事をこなしています(全く仲昌は自分の仕事はどうなっているのだ?)。
 
帝にも拝謁して新年の挨拶をしてきましたが、帝も中納言に篤い信頼を置いているようでした。あらためて『妹をくれ』と言われますが、丁寧にお断りしておきました。
 

↓ ↑ Bottom Top

その花子は日々(夜な夜な?)、雪子に“ご奉仕”させられていました。
 
「胸もだいぶ膨らんできたなあ。これなら、裸にされても、胸の小さな女くらいには見えるぞ」
「それ私、憂鬱なんですけど」
「どうせ、男としては生きていけないのだから、開き直ればいいのに」
「それはそうですけどねー」
「今年中には玉を抜こうか」
「やはり抜くんですか〜?」
「そろそろお前も覚悟を決めなきゃ。そうだ。お前のちんちんを妹にくれてやったら」
「嫌です。でも私小さい頃から、妹に、ちんちん僕にちょうだいと言われてました」
「あはは」
 
「ところで、中納言は体調が悪いのか?なんか疲れたような顔をしていたが」
「秋頃から、体調がよくないようですね」
「ちょっと心配だな。過労かな」
「あまり無理してほしくないですけどねー」
 
↓ ↑ Bottom Top


時は過ぎていきます。
 
3月1日、内裏の南殿で、桜の宴が開かれました。召された歌い人たちが、苦心して美しい歌を詠んでいます。上達部(かんだちめ)たちも各々歌を詠みます。中納言・涼道が詠んだ歌は評判が良く、帝がわざわざ御衣を脱いで、賜ってくれました。
 
(上達部(かんだちめ)とは三位以上の人+参議。中納言は従三位。この後昇進することになる右大将の地位も同じく従三位(それで服の色は変わらないと言われる:当時は位ごとに着る服の色が定められている)。仲昌は参議なので正四位だが↑の例外規定で上達部にカウントされる)
 
涼道は帝から褒美を賜った御礼に舞いを舞いますが、その姿がまた美しく、多くの人から称賛されます。
 
↓ ↑ Bottom Top

父の左大臣は
 
「思えば私はくよくよしすぎていた。誰がこいつを男でないと思うだろうか」
などと、感動して見ていました。
 
夕方からは管弦の宴が行われますが、涼道はこんなことをするのも最後になるだろうと思い、万感の思いを込めて笛を吹き、その響きはまことに素晴らしいものでした。
 

↓ ↑ Bottom Top

帝は中納言・涼道のあまりある才能に感嘆し、思った時に行動しておかねばならぬなと考えて、涼道(中納言・中将・左衛門督)を右大将に任じる宣旨を出されました。またライバル(?)の仲昌王(参議・中将)は、権中納言(従って従三位に昇格)に任じられました。
 
これ以降、この物語では、涼道のことは主として“右大将”、仲昌のことは主として“権中納言”と記載されるようになります。
 
涼道は、父の左大臣宅でも、妻の家の右大臣宅でも、大騒ぎでお祝いをしてもらい、ここの所体調がよくない涼道も、この日ばかりは笑顔で来客にも対応していました(さすがにお酒は遠慮させてもらう)。
 
一方の仲昌の方は、何だか涼道のついでに昇進させられたような気がして、あまり嬉しい気持ちにはなれませんでした。家人がお祝いしましょうと言うのも放置して外出してしまいます。そして涼道に文を送ります。
 
↓ ↑ Bottom Top

「紫の雲の衣の嬉しさにありし契りや思ひ変へつる」
 
(昇進しても衣の色が変わらないように、あなたの(私と一緒になるという約束も)変わりませんよね?)
 
実は涼道が一緒になると約束した(と仲昌は思っている)のに、いつまでも行動に出ないのも不満に思っていたのです。
 
涼道のお返事。
 
「物をこそ思ひ重ぬれ脱ぎ変へていかなる身にか成らむと思へば」
 
(服を重ねるように物思いも重なっていきます。その物思いも服も脱いでしまったら、私はどのような姿になるのでしょう)
 
それで仲昌としては、一応女に戻る気はあるのだなと再認識し、“彼女”との新生活を夢見て、ワクワクするのでした。彼は既に涼道の気持ちが冷めてしまっていることには全く気づいていません。
 
↓ ↑ Bottom Top


新・右大将はお腹が大きくなってきているのを隠して宮中で仕事をしていましたが、見ていると仲昌はどうも他の女と文のやりとりをしているようです。要するに、涼道は既に自分のものと思っているので、安心して他の女ににも攻勢を掛けているのです。
 
こいつ、自分の目の前でよく堂々と、他の女への文とか書くものだ、とますます仲昌の態度に不快感を覚えました。
 
涼道はたぶんこの3月が自分がこうしていられる最後の月だろうからと全てのことに一所懸命取り組みました。精力的に仕事をこなし、右大臣宅にも毎日帰って、妊娠中の萌子のお腹に障らない範囲で、彼女を悦ばせてあげます。
 
また宮中では、これまで彼は人から声を掛けられても、いちいち対応していられないので、たいてい無視していたのですが、この月は、声を掛けてくれた人ごとに丁寧に受け答えをしていました。
 
↓ ↑ Bottom Top

それで人々は、やはり右大将という重い地位に就いたことから、人当たりが柔らかく変化したのだろうか、などと噂していました。
 

↓ ↑ Bottom Top

3月10日。
 
その夜も花子は雪子の“パワハラ”を受けていました。
 
「皇女(ひめみこ)様、今日はちょっと“まずい”のでは?」
「構わん。今までも何度も“まずい”時期にしているが、妊娠したことは無い」
「あ〜れ〜〜!」
 
それで“やられて”しまいます。
 
「妊娠したら、子供は花子ちゃんが産んでね」
「私が産むんですか?」
「お前ももう5年くらい女をしているのだから、そろそろ赤子を産んでもよいぞ」
「あまり産む自信無いなあ」
 

↓ ↑ Bottom Top

3月20日。
 
涼道は、麗景殿の女(楠子)のことを思い出し、まだ月も出てない時分に、匂いを深く焚きこめて麗景殿に行ってみました。
 
(楠子は麗景殿女御の妹。ちなみに麗景殿は、花子の住む宣耀殿と、東宮の住む昭陽舎の間にある:花子の部屋が東宮の部屋の近くではなく、こういう不自然な場所にあるのは、帝がいづれは花子を自分の女御に、と考えているからであろう)
 
廊下に立って、涼道は歌を詠みます。
 
冬に見し月の行方を知らぬかな、あなおぼつかな春の夜の闇
 
(以前冬に見た月はどこに行ったのでしょうね。よく分からない春の闇夜です:以前冬の夜に彼女と会ったことを言っている)
 
すると、お返事がありました。
 
見しままに行方も知らぬ月なれば恨みて山に入りやしにけむ
 
↓ ↑ Bottom Top

(見たものの、その後行方が分からなかった月はきっと見放されたのを恨んで、山の陰に入ってしまったのでしょう:あなたがなかなか来てくださらないから、月はあなたを恨んで山の陰に入ってしまったのでしょう)
 
彼女がずっと自分のことを思ってくれていたことに感動し、結局この夜は明るくなるまで、ずっと彼女と歌のやりとりをしていました。それはここの所の強い心労で疲れていた涼道の心を癒やしてくれる一晩だったのです。
 
(要するに涼道は女性を少なくとも精神的には愛することができる)
 
Time Schedule (一部ネタバレ)
 
-6週6日(-36) 8月 7日 花子能登へ
-5週1日(-34) 8月 9日 性別発覚
-3週3日(-18) 8月25日 花子が能登到着
-2週3日(-11) 9月 2日 能登出発
0週0日( 0) 9月13日 0ヶ月目 最終月経日
0週2日( 2) 9月15日 六条辺りに宰相中将
1週0日( 7) 9月20日 花子京都帰還
1週4日( 11) 9月24日 性交日?
2週0日( 14) 9月27日 (排卵日)受精日
4週0日( 28) 10月12日 2ヶ月目 4週1日( 29) 10月13日 四の君受精?
6週4日( 46) 10月30日 四の君妊娠発覚?
8週0日( 56) 11月10日 3ヶ月目 12週0日( 84) 12月 9日 4ヶ月目 16週0日(112) 1月 7日 5ヶ月目 24週6日(174) 3月10日 雪子受精?
40週0日(280) 6月28日 涼道予定日
42週1日(295) 7月13日 四の君予定日
62週6日(440) 12月11日 雪子予定日
 
↓ ↑ Bottom Top

(↑「とりかへばや物語」夏の巻、ここまで。↓秋の巻)
 
 
↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4 
男の娘とりかえばや物語・ふたつの妊娠(4)

広告:ここはグリーン・ウッド (第4巻) (白泉社文庫)