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結局仲昌は“また逢って欲しい”という涼道に言った上で、この日は帰ることにしたのです。
しかし仲昌を帰した後で涼道は悩みました。
女としての本性を知られてしまった。もう自分は男として宮中に仕え続けるのは無理かも知れない。もうこのままこの世から消え去ってしまいたい。
しかし昨年ほんの半月ほど留守にしただけであれだけ大騒ぎになったのです。もし自分が居なくなったら、父君や母君も姉君も悲しむだろうと考えたら、そういう軽はずみなことはできない、と涼道は思いました。
仲昌の前では冷静な態度を取った涼道でしたが、心の中は滅入ってしまう思いでした。
夕方、左大臣が帰宅します。
涼道は身だしなみを整えて本殿に行き、左大臣と会いました。
「宰相中将が来てたの?」
「ええ。ちょっと個人的な手紙のことで相談したいと言われまして、それで内裏外で会うことにしたんですよ」
仲昌王のためにも、そして自分のためにもここは言い訳をしておきます。左大臣は特に不審には思わなかったようでした。
「お前が一時よりはマシになったものの、妻の所に来る日が少ないといって、右大臣が落ち込んでいるぞ。右大臣に恨まれないよう、もう少し通いなさい」
と苦言を呈する。
「私は別に右大臣に恨まれる覚えはありませんが」
と涼道は反論しておきますが、今夜は右大臣宅の方に泊まることにします。
それで左大臣宅で食事をしてから右大臣宅へ出かけようとしていたら、仲昌王から
の手紙(後朝の文!?)が届きます。
《いかにせむ唯今の間の恋しきに死ぬばかりにも惑わるるかな》
(あなたのことが恋しくて、もう死にそうです)
どうも今だかつてなかった形の恋に舞い上がっているようです。涼道はもう冷静さを取り戻しているのですが、放置しておくと面倒だなと思って返事を書きます。
《人ごとに死ぬる死ぬると聞きつつも長きは君が命とぞ見る》
(愛する人ごとに死ぬ死ぬと言っている人ほど長生きするんですよ)
いつものクールな涼道の復活です。それで右大臣宅に行ったら、到着した頃、またまた仲昌王からの手紙が到着します(お使いの人も大変だ!)。
《死ぬと言ひ、いくら言ひても今更に、まだかばかりの物は思はず》
しつこい奴っちゃと思うのですが、とりあえず返事を書いておきます。
《まして思へ、世に類ひ無き身の憂さに嘆き乱るる程の心を》
それで仲昌王も「あいつも大変なんだろうなあ」と理解し、その夜は涙をぼろぼろ流しながら寝入りました。一方の涼道はちゃんと奥方と一緒に寝て、奥方を逝かせますが“入れる”のは、また今度ねと言っておきました。
これから後、仲昌は他の女のことは放置して、ただ涼道ひとりだけに熱をあげることになります。涼道は「男同士なんだから、いつでも“会える”じゃん」と言ったのですが、実際にはなかなか“逢う”ことができないのです。
右大臣宅に訪ねていくと
「今日は疲れているので会えません。あらためてそちらに参上します」
などと家の者に言わせて、中に入れてくれません。少し粘ってもどうしても会おうとはしません。萌子や左衛門は、きっと萌子のことで仲違いして会いたくないと言っているのだろうと想像していました。
それで涼道が宮中に上がった時に近寄るのですが、こちらを見て一瞬真っ赤になったので、自分を意識してくれているんだなと思いますが、すぐにいつものクールな表情に戻り、いつも通り礼儀正しく接します。周囲の目があるので、抱きしめたりする訳にもいきません。
そして何よりも、ふたりが会って話していると、将来有望で、きっと10年後か20年後の朝廷の中心人物になっていくだろうと思われる2人ですから、たくさん殿上人が集まってきて、話をしようとします。
結果的に仲昌は涼道と確かに“会っている”のに、どうしても2人きりになれないのです! 宿直(とのい)の晩なども、寝具をそばに寄せて(隙あらばやっちゃおうという態勢)話していても、周囲に人が途絶えません。将来の日本について熱い議論がなされたりするのですが、さすがの仲昌もそんな場で涼道に恋しいだの、君が欲しいだの言う訳にはいきません。実際言っても冗談だと思われるでしょう。
やっとのことで明け方2人きりになったので仲昌は涼道を熱く抱きしめてから「恋しかったよぉ」言いました。それに対して涼道はクールです。
「私のことが好きなら、あまり露骨な視線は向けないで下さい。人が変に思いますよ」
「君のことが好きで好きでたまらない。今すぐにも君を僕の妻にしたいくらいだ」
と仲昌。
「こないだも言いましたけど、いつでも会えるんですから、人前ではもっと普通にふるまってください」
と涼道。
「僕にはもう君しか居ない。君の妹のことも、君の奥さんのことも、今はもう頭に無い。君だけに夢中なんだ」
と仲昌は言っています。
こいつ、堂々と私の妻と通じていることを言ってくれるな、と涼道はさすがに不愉快です。
「まあ、小夜は君の子供でもあるから時々顔を見に来てもいいけど、私の妻に会うのはやめてくれ」
「すまなかった。萌子とはこういうことだったんだよ」
と言って、仲昌は萌子との出会いの時から以降のことを、涼道に謝ると言って詳細に話します。
仲昌としては、涼道に謝っている気でいるのですが、涼道は別のことを考えていました。こいつは既に萌子への思いは絶ったのだろう。しかしその“昔の女”のことを“新しい女”である自分にしゃべっている。そういう男であれば、きっと自分に飽きたら私のことを別の新しい女に話すかも知れない。
こいつは危険な男だ。うかつなことは言えない。
そういう訳で、仲昌が涼道にメロメロになっているのに対して、涼道は愛の言葉をささやかれる度にどんどんクールになっていくのでした。このあたりが涼道の普通の女とは違う所です。
帝が涼道をお召しになるので参上します。帝は涼道を見てドキリとした顔をしましたが、涼道はそれに気付きません。帝は考えていました。
この兄妹はほんとによく似ている。こいつが髪を長くして化粧し、唐衣に裳などつけたら、すぐさま自分の妻にしてしまいたいくらいだ、などと。
仲昌に続いて帝までどうも危ない領域に踏み込みつつあるようです。
待て待て。天皇が男を妻にしたりしたら前代未聞の不祥事だぞ、などと思い直します。過去には男を妻にして皇位継承権を失った皇太子もいたぞ(*7)などと帝も考えました。
(*7)天武天皇の孫(天武天皇の子・新田部王の子)で孝謙天皇の皇太子であった道祖(ふなど)王。昔は一夫多妻だから女の妻も居て世継ぎを作れるなら1人くらい男の妻がいても大きな問題は無いはずだが、孝謙天皇に嫌われ、廃太子する理由として使われたものと思われる。
気を取り直して帝は言いました。
「そなたの妹君のことを私は気にしている。美人で字もうまく、音楽の才能もあり、歌も良いものを書く。実は何度か文を送ってみたのだが、お返事はお返しできませんと侍女を遣わせて言っておった。私の文を断るのは誰か良き男でもいるのかとも思ったのだが、左大臣に尋ねても、結婚させるつもりはないと言っておる。あのように才色兼備の姫なのに、それはあまりにもったいないと私は思うのだよ」
要するに「お前の妹を俺にくれ」と帝はおっしゃっている訳ですが、その一方で帝が涼道自身にもときめきを感じていることに涼道は気付いていません。どうも涼道はその付近の男女の機微に疎い面があるようです。
涼道は答えました。
「大変申し訳ありません。妹は元々男に興味が無いらしいのですよ。ですから結婚するつもりもないと言っております。陛下におかせられましても、あれを妻にしてもきっと人形を抱くかのようにつまらないと思います」
それでも帝はいろいろ言うのですが、涼道は丁寧にお断り申し上げました。
しかし帝が諦めずに長々と話しているのは、実は「このままずっと涼道を見ていたい」という気持ちがある故で、帝は既にかなり危ない道に踏み込んでしまっているようでした。
9月中旬。
東宮や花子たちの一行はまだ帰京していません。
涼道は、いつものように月の物が訪れたので「3日くらい休みます」と言って、六条辺り(ろくじょう・わたり)にある乳母の家に行き滞在していました。
(ここで六条を出してくるのは、源氏物語で光源氏が六条御息所の所に通っていたストーリーへのオマージュと思われる:現存の源氏物語にはそのシーンが欠落していて夕顔の所で言及されるだけなのだが、昔はあったのかも知れない)
夕方、時雨が降り、涼道は御簾をあげて外を眺めています。そして独り言のように歌を詠みます。
《時雨する夕の空の景色にも劣らず濡るるわが袂かな》
(時雨で全てかせ濡れてしまう夕方の空の景色にも劣らず、私は涙で袂(たもと)が濡れてしまう)
するとそこに仲昌が唐突に現れて勝手に返歌をします。
《かきくらし涙時雨にそぼちつつ訪ねざりせばあひ見ましやは》
(私もあなたが恋しいという涙に濡れつつ訪ねてきました。そうしなければ会えなかったでしょう)
涼道は仰天します。実は仲昌は彼に尾行を付けていて、それでここが分かったのです。しばらく前から覗き見していたようです。
《身一つにしぐるる空とながめつつ待つと言はで袖ぞ濡れぬる》
(べ、別にあんたを待ってたわけじゃないんだからね!)
「誰か別の恋人の所にでも通っているのかと思った」
などと仲昌は言いますが
「女には月に1度必要な休養なんだよ」
と涼道は言いました。何度も身体を許した相手だけに、今更月の物のことで恥ずかしがることもないだろうと涼道も開き直りました。
「だけどそれなら、女の格好してればいいのに。男の格好してて、そういう障りが来てると言われても変だよ」
と仲昌は素直に言いました。
「で、でもボクはずっともう長いこと男の格好でいるから、今更女の格好をするのも抵抗感があってさ」
「気にすることない。君は女として魅力的なんだから、女の格好をすべきだよ」
「えー!?そんなの大禿(おおかむろ:男の娘)みたいな恥ずかしい真似はできない」
「男なら大禿かも知れないけど、君は女なんだから女の格好が似合うはず。女の服持ってないの?」
「持ってないことはないけど・・・」
「じゃ着ようよ」
それで涼道もうまく仲昌に乗せられて、その日は女の服を着てしまいました。
「今すぐ君を抱きたい」
「月水(げっすい)の最中だよ!」
「あ、ごめん!」
さて東宮たちですが、能登に約1週間滞在した後、帰京します。これも大変な行程でしたが、花子はまた例の薬草をもらって飲み、何とか頑張りました。木の芽峠に近い敦賀で数十人、椿坂峠に近い木之本で数十人、そこに留まっていた兵を回収しますが、なぜか人数が増えていました!
彼らを助けてくれた地元の人たちの中から、東宮と清原中将の配下に入りたい!という若者が勝手に加わってしまったらしいのですが、清原中将は東宮の許可もとって彼らをそのまま配下に入れてあげました。それで一行が京に帰り着いた時は、兵の数は出発した時より多い、540人ほどになっていました。帝は一行をねぎらい、途中でリタイアしていた者たちも含めて、ご褒美をあげました。
花子たちが京に辿り着いたのは、9月20日で、1ヶ月半の旅でした。
なお、花子が学んだパン作りですが、結局国守は、東宮が随分パンに興味を持っているようだと感じ、パン作りに携わっている、国守の娘・尚子を花子に付けて京に派遣してくれました。東宮は酵母の扱いに慣れている酒司の女官たちの中に“麦餅作り”の部署を創設し、そこで尚子の指導の下、パン作りをさせることにしました。彼女たちは最初道具作りから始める必要があり、これは大膳職の中の工作の得意な男性官僚を動かして作らせました。
女性の皇太子という特殊な存在が、男性官僚・女性官僚の双方を動かして、このようなものを作ることができたのです。目的は東宮のほとんど趣味!ですが。それでこの後、雪子東宮の時代には、少量ですが宮中で“麦餅”の名称でパンが定常的に焼かれるようになり、雪子や花子などがそれを主として朝御飯に頂いていました。麗景殿の女御様なども興味を持ち、試食したら美味い!とおっしゃったので、毎朝それを何個か届けさせるようにしました。
さて、毎晩のように雪子の“慰みもの”にされている花子ですが、能登から戻って来てから、首をひねって言いました。
「なんか、胸が少し膨らんでる気がする」
「ああ、あの薬草が効いてきたな」
「・・・あのぉ、能登までの旅の間、頂いていた薬草ですか?」
「うん。あれは滋養強壮に良いのだが、胸を膨らませる副作用もあるのだよ」
(そちらが主作用だったりして)
「え〜〜〜!?」
「おぬし、女として生きていくのだから、胸くらい膨らんでいた方が良かろう?これからも毎日飲むように」
「そんなぁ」
「取り敢えず今夜はこういう体位をするぞ」
と雪子はあやしげな本に載っている体位を示します。実は旅の途中、敦賀で唐人の商人から買った本です。
「これどうなってるんですか?絵だけではよく分からないのですが」
「うん。私もよく分からない。まあやってみれば分かる」
「ひぇー」
翌日、身体のあちこちに痛みを感じる花子でした。
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男の娘とりかえばや物語・第二の事件(4)