[*
前頁][0
目次][#
次頁]
会談は1週間ほど続いたのですが、基本的に話し合いは午前中だけにして(平安時代は仕事をするのは午前中:朝6時仕事開始で11時頃に終わる:午後は自由時間)、夕方近くからは宴が開かれます、兵士たちにも食事と酒が振る舞われて野営地には歌なども響いていました。
花子は能登国の幹部の前で舞を披露し
「美しい!」
と称賛されました。
「和茂、笛を吹け」
と言われて、国守の次男、源和茂が笛を吹きます。この笛がとても美しいので、花子の舞もますます冴えて美しさを増しました。
「お見事な笛でした」
と花子は舞終えた後で、笛を吹いてくれた和茂に言います。国守の長男・宗信(16)はまだ冠位も無いまま能登国府の事務方をしているのですが、次男の和茂(12)は、元服もしておらず、美豆良の髪で服もまだ少年の服装です。お客様が大勢来るので雑用係として徴用されていたようです。
「おぬしたち似てないか?」
と雪子東宮が言います。
「おお、そういえば雰囲気が似ている気がする」
と父親の宗中も今気づいたようで言いました。
「ほんとだ。男と女の違いがあるから気づかなかったが、似ている」
と清原中将まで言います。
春姫と能登守が従兄妹なので、花子と和茂は又従姉弟(又従兄弟?)になります。しかし隔世遺伝のせいなのか2人の雰囲気はわりと似ている気がしました。顔がそっくりという訳ではないのですが、同系統の顔という感じです。
「和茂殿、そなた優しい顔立ちだし、ちょっと髪を振り分け髪にして、小袿に裳など着てみぬか?うちの花子とそっくりになりそうな気がする」
「裳とかご勘弁を」
と和茂は恥ずかしがっています。まだ声変わりもしていないのでハイトーンのわりと可愛い声です。
「でも笛が上手いねー」
と花子は話題を変えてあげました。
「京から来てくださった先生に習っています」
「それは凄い。でも筋がいいな」
と東宮。
「ええ。うちの兄(涼道)にも負けない腕だと思いますよ」
と花子は言いました。
この能登国守が開いてくれた宴に出て来た食べ物の中で、花子が見たこともないものがありました。丸い食べ物なのですが、ちょっと触ってみると弾力があります。どうやって食べるのだろうと思っていたら、国府の女官が
「それは手でちぎって食べてください」
と言いました。
それで手で食べるなど、はしたない気もしたのですが、手で簡単にちぎることができましたので、そのまま口にすると、結構柔らかくて美味しいので
「美味しいですね!」
と花子は言います。それで花子が食べているのを見て、東宮も!同様にしてちぎって食べてみて
「これは本当に美味しいし柔らかい」
と言いました。
「時間が経つと硬くなるのですが、焼きたては柔らかいのですよね」
「これは何という食べ物ですか?」
「こちらではパン(*5)と呼んでいますが、麦で作った餅の一種です」
「へー!麦の餅ですか」
「どうやって作るんですか?」
と東宮が訊きます。東宮は男性的な教養も高いですが、裁縫や料理も得意です。
「麦や粟(あわ)または栗(くり)などを挽いて粉にし、少量の塩を加え、水を入れてこねます。そこに酵母というものを加えます」
「酵母?酒を作る時に使うものか?」
「そうです。そうです。でもうちで使っているのは、パン作りに適した酵母なのですよ。唐土(もろこし)由来のものなのですが、東宮さま、もし興味がありましたら少しお分けしましょうか?」
「おお、ぜひぜひ」
「では後で持たせます。これは増やしていくこともできますので」
「酒造りの酵母も増えるな」
「はい。あれと同じ方法で増やすことができます。興味がありましたら、念のため、そのあたりもお教えしましょうか?」
「知りたい!頼む」
「ではまた後で、その担当の者に説明させます」
女官はパンの作り方の説明を続けた。
「麦などの粉に水と塩を加えてよく錬ったものに、酵母を加えて、更に錬ります。そして手頃な大きさに分けて丸く整形します。そしてそれを半日ほど放置します」
「放置するのか!」
「その間に生地が膨らむのですよ」
「ほほぉ。酒造りの時もたくさん泡が出るからな。それで気泡ができるのだな」
「ほんとによくご存じですね」
と女官は言う。
「それで充分膨らんだ所で、専用の窯(かま)や少量なら焙烙(ほうらく)で蒸し焼きにすると、パンのできあがりです」
「結構手間がかかるな」
「実は、元々はお米があまり取れない地区で発達したんですよ。多分今でも造っているのは、北陸(くぬが)や陸奥(みちのく)くらいではないでしょうか」
「なるほどー」
「ですから、元々は材料は主として栗(くり)の粉だったのですが、色々な材料を試している内に麦の粉を使うのが美味しいということになって、麦で作るのが定着しました」
「ほほぉ」
それで、花子が!このパン作り、そして酵母の育て方・増やし方を能登国府の女官から学ぶことになったのでした(東宮は忙しいので)。
(*5)名称は現代中国語ではpau/bau/pang/phang などと呼ばれており、インドのnann も同系統の言葉である。現代日本語のパンはポルトガル語のpao(パン)に由来する。古代日本での表記はもしかしたら「ハン」だったかも知れないが、古代の「ハ(は)」の文字は現代的表記で書くと「パ(ぱ)pa」の音だったので、それを勘案してこの物語ではパンと書いた。
現代日本のパンに繋がるものは、戦国時代に西洋から渡来したパンであるが、青森県の三内丸山遺跡の出土物からは、当時の人たちが、栗(くり)やドングリを粉にして原始的なパンを焼いていたことが想像されるようなものが出土しているらしい。むろん当時のパンは、酵母を使用しない“膨らませない”タイプのパン(≒フラットブレッド *6)だったであろう。しかし酵母を使用して製造する日本酒はかなり古い時代から作られていたし、その製造過程でたくさん発泡しているのを見ていれば、酵母を利用してパンを膨らませてから焼いた人たちがいたとしてもおかしくない。
(パンと酒はどちらも同じ“アルコール発酵”である。チーズやヨーグルト・漬物は乳酸発酵になる)
パン文化は、奈良時代頃までは一部の地域(多分米が取れない地域)には、あったもようだが、平安時代初期に、うどんが中国から渡来すると、同じ小麦粉を材料にして、パンより簡単に作れるため、パンは駆逐されてしまったともいわれる。そもそも日本の料理には“焼く”という考え方が希薄で、加熱するというと“煮る”のが主流だった。特にパンは蒸し焼きにする必要があるのでそのための道具も必要で、大変である。
パンを焼くのは、大量に焼くには、オーブンやタンドールの類いの道具が必要だったと思われる。炮烙(関西では“ほうらく”、関東では“ほうろく”)は煎りゴマなどを作ったりするのにも使う道具で金属または陶製であり、蒸し焼きが可能。これで蒸し米なども作られていた。
(*6)平らなパンをフラット・ブレッドという。ピザやお好み焼きも、フラット・ブレッドの一種。フラット・ブレッドの多くは酵母を使用しないが、インドのナンの場合は酵母で発酵させ膨らんだものを、わざわざ空気を抜き平らに潰してから焼くという不思議な作り方をする。平らなパンに慣れた人が「膨らんでるのなんて、パンじゃないやい」とか言って、潰すようにした??
なお酵母を使わず発酵させずに膨らませることのできるベーキングパウダー(ふくらし粉:主成分は重曹)が発明されたのは19世紀末である。それまで、膨らませるパンを作るのは大変だった(温度管理が悪いと膨らまなかったり、腐敗したりする)こともあり、昔は、パンといえば、フラット・ブレッドの方が一般的であった。
花子が東宮に付き従って北陸に行っていた時期、仲昌王は、唐突に涼道に会いたくなりました。考えてみると、彼は自分が思いを寄せる、萌子・花子の双方にゆかりのある人物です(萌子の夫で花子の兄)。そこで、仲昌王は花子たちが出発した3日ほど経った日、涼道の家(右大臣宅)に行ってみました。左衛門が緊張した顔で
「姫様には会わせられません」
と言うのですが
「いやそうじゃなくて中納言と酒でも酌み交わそうかと思ってさ」
と言って瓶子(へいじ:徳利の古い形式)を見せます。
「殿様でしたら、ご実家にいらっしゃってます」
「あ、向こうか。分かった。またな」
と言って、仲昌王は左衛門に手を振ると、左大臣宅に向かいました。
仲昌王が中納言の居る西の対に行きますと、涼道は上着も脱いでくつろいだ格好をしていました。まだ結構残暑があるので、すずんでいたのです。
涼道はびっくりして
「ごめんごめん。両親ともに出かけているし、誰もいないと思って失礼な格好をしていた。今ちゃんと服を着てくるね」
と言って出ていこうとします。しかし仲昌はそれを引き留めて
「気にしないでいいよ。僕も服を脱いじゃうから」
と言い、自分も上着を脱いで下着姿になってしまいました。
このあたりは涼道としては薄着だと女の体型を隠せない問題があるのですが、仲昌王としては男同士だから何も気にしなくていいと思っています。
涼道は紅の絹の袴に白い絹の単衣(ひとえ)を着て、くつろいでいます。血行が良くて、いつもより美しい感じです。手の格好や身体付きが魅力的で腰の付近を見ると雪を丸めたように美しい。
『ああ、もしこんな女がいたら自分は夢中になってしまうだろう』
などと彼は思ってしまいました。そして涼道の姿を見ている内に、つい頭に血が上り、彼の傍に寄って抱きしめてしまいます!
「ちょっと何するんだ!?」
と涼道が言いますが、そんなこと気にする仲昌ではありません。
「父から用事かあるからと言われて来ていたんだよ。行かないと変に思われるから」
などと言う涼道を押しとどめて、仲昌は彼を強く抱きしめました。
「やめて。こんなことするなんて正気?」
と涼道が言いますが、仲昌は自分の萌子や花子への思いを口にしながら、本能のままに涼道の身体に触っていきました。
「涼道君、君って髪が長いんだね」
「僕は長いのが好きなんだよ」
仲昌は涼道の腰の付近に触ります。
「涼道君、腰の線がまるで女のようだ」
「僕は身体が華奢なんだよ」
仲昌は涼道の喉に触ります。
「涼道君、前から思ってたけど、まだ声変わりしてないよね。喉仏も無いし」
「僕って発達が遅いみたいなんだよね」
仲昌は涼道に胸の膨らみがあることに気付きます。
「涼道君、なんでこんなに胸が膨らんでいるの?」
「僕昔から胸板が厚いんだよね。弓矢の練習たくさんしてて胸の筋肉が発達したのかも」
しかし上半身裸にされてしまうと、とても「胸板の厚い男」には見えません。
「ああ、これはどうしたことか」
と仲昌は仰天しています。
「まさか・・・」
仲昌は涼道の下半身の服も全部脱がせてしまいました。
「涼道君、なんでちんちんが無いの?」
「まだ生えて来てないのかも」
「ちんちんって生えてくるもん!?」
「仲ちゃんはいつ生えて来た?」
「僕は生まれた時からあったよ」
そう言うと、仲昌は自分のものを涼道の中に入れてしまいました。
そしてこの日、仲昌は自分の鉾(ほこ)で何度も何度も涼道の火門(ほと)を貫いたのです。
「今はもう君のそばをひとときも離れていたくない気分だ」
と、およそ一時(2時間)近くにわたる事が終わってから、仲昌は涼道に言いました。
それに対して、とうとう性別がバレてしまったことで涙を流していた涼道は答えました。
「僕は普通ではない格好をしているけど、世間的なことさえ取り繕っておけば僕と君は、人目を忍んで会ったりする必要もない関係だよ。いつでも友人として会えるじゃん」
言われてみれば確かにそうです。いつも女に会うのに苦労しているので、ついその発想が出てしまったのですが、男同士ならいつでも会えます。
「だったら君たちは兄と妹ではなくて姉と妹だったのか」
この時点で仲昌としては、左大臣の子供が2人とも女だったので、それでは跡継ぎが無いため、姉が男のふりをして出仕したのかと思ったのです。それで涼道が萌子と目合(まぐわい)をしていなかった理由も分かりました。女同士では目合(まぐわい)のしようがありません(と仲昌は思っています)。
「そのあたりは追及しないで」
と涼道は言いました。妹の性別を明かしてしまうと、大罪に問われるかもと思い、妹を守るために、ここは嘘をつき通すしかないと思ったのです。
[*
前頁][0
目次][#
次頁]
男の娘とりかえばや物語・第二の事件(3)