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■少女たちの七五三(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2018-09-08
 
2000年9月下旬、千里の家の近くにあるP神社では七五三の準備を進めていた。
 
ところが10月1日、宮司・翻田常弥の孫・和弥がバス事故に遭い、睾丸破裂・陰茎重度裂傷で出血も酷かったため、やむを得ず睾丸は摘出し、陰茎は切断した。
 
まだ高校生なのに男性器を全て失うという事態に、お父さんの民弥(常弥の息子)が、自分の陰茎と睾丸を息子・和弥に移植してやってくれと言った。すると宮司は自分の陰茎と睾丸を民弥に移植してやってくれと言った。
 
そこで10月2日にもその男性器ドミノ移植が行われるはずだった。すると宮司は1ヶ月くらい入院することになるので七五三が出来ない。それで緊急に札幌の神社庁所属の神職さんに来てもらって七五三は執り行おうかという話などもしていた。
 
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(各都道府県の神社庁には臨時に人手が必要な場合に対応可能な、一種の遊軍部隊の神職さんたちがいる)
 
しかしここで
「宮司が男性器を失うと急速に老け込み、神事が滞る!」
という神様側の都合から、小春の提案でこのような別のドミノ移植が行われた。
 
和弥の睾丸←民弥の睾丸を移動
和弥の陰茎←小春が調達してきた陰茎を移植
民弥の陰茎:そのまま
民弥の睾丸←小春が調達してきた睾丸を移植
常弥の睾丸と陰茎:そのまま
 
民弥は既に子作りを終えているので他人の睾丸を入れられても問題無い。和弥が将来結婚して子供を作った場合、その子は遺伝子的には自分の弟か妹ということになるが、大きな問題は無いものと思われる(和弥の母の遺伝子を引き継がない問題だけ)。
 
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この操作はP神社の大神様の手によって10月1日の深夜に行われた。神様の操作なので無血手術のようなものである。
 
小春が調達してきた陰茎と睾丸は実は13年後の2014年3月3日早朝、鹿島信子から取り外したものを羽黒山の大神様の手で時を遡ってここにもたらされたものなのだが、そのことはこの時点では誰も知らない(後に千里は大神様から教えてもらうが、例によってすぐ忘れてしまう!)。
 
10月2日の朝、和弥は切除されたはずの陰茎と睾丸が復活していて仰天する(医者も仰天する)のだが、ともかくも結果的に民弥も常弥も人間の医師の手術は受けることはなかった(和弥は他にもたくさん怪我しているので2ヶ月くらい入院する必要がある)。そのため、結局常弥宮司は10月3日(火)の夕方には神社に帰還したのである。
 
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「良かった。宮司さんが戻ってこられなくて、臨時の神職さんが七五三をするということになったら、どうしようと思っていました」
と小春は宮司に言った。
 
「いや、世の中には不思議なことがあるもんだよ。手術して取ったはずのペニスと睾丸が一晩で復活したなんて」
「それどういう処理になったんですか?」
「医者はスルーすることにしたようだよ」
「合理的な説明はできないでしょうね」
「まあ奇跡としか言いようが無い」
「お孫さんはだったら早く退院できるんですか?」
 
「あちこち怪我しているから2ヶ月くらいは入院しないといけないだろうということ」
「でもおちんちんが復活したのなら他の怪我はどうにでもなりますよね」
「うん。そうだと思う。ちんちんを取られたと聞いた時は、もう絶望的な気分だったけど、復活して嬉しくて嬉しくてたまらないと言っていた」
 
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「ふつうの男の人にとって、おちんちん無くすなんて凄いショックでしょうからね」
「まあおかげで僕もまだしばらく男として現役を続けることになったけどね」
「まだ引退するには早いですよ。林田さんのおばあちゃんもどうなることかと思ったと言っておられましたから、後で電話でもしてあげてください」
 
「・・・・・」
「どうしました?」
「小春ちゃん、こないだから僕と林田さんをくっつけようとしてない?」
「現役なんでしょ? 宮司さんのこと好きだから、私が夜のお相手務めてもいいですけど、狐の子供が産まれちゃうかもしれないし」
「うーん・・・・」
 

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「でもそしたら御守りを頑張って作らないといけないですね」
「うん。小春ちゃん、手伝ってくれない?うちの神社、巫女さんがいないし」
「小学生の子たちを徴用しましょうか?」
「何か霊的な能力の高い子が多いね!」
 
「千里ちゃんと蓮菜ちゃんは使えますよ」
「千里ちゃんが御守り作ったら凄い強力なのが出来そうだ」
 

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そういうわけで、千里と蓮菜に恵香・玖美子まで、10月は学校が終わると神社に行って御守り作りの作業をすることになった。
 
「千里は七五三は何歳でやったの?」
と恵香が御守りを作りながら訊く。
「3歳と7歳だよ」
と千里。
 
「女の子方式なんだ!」
と恵香が言うと
 
「まあ、そうも言えるよね」
と言って蓮菜が笑っていた。
 
「ん?」
 

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七五三は基本的には3歳(髪置き)は男女行い、5歳(袴着)は男の子だけ、7歳(帯解き)は女の子だけが行う。
 
(近年は関東を中心に男の子の3歳を省略する人たちも多いが、北海道では本則通り、3歳は男女やる家も多い。しかし北海道ではそもそも七五三自体をしない家も多い!)
 
ただこの「○歳」というのをどう数えるかで幾つかの流儀がある。
 
(1)11月15日現在の満年齢が3歳・5歳・7歳の子。
(2)数え年が3歳・5歳・7歳の子。
(3)学年方式。その学年に5歳になる子・7歳になる子。
 
元々は数えだったのが、戦後満年齢でする人たちが出てきたものの、同じ学年の子が一緒にできないのは寂しいという意見から最近は5,7歳は学年方式が増えている。3歳はまだ幼稚園に行ってないので満でするケースが多い。それは数え3歳はひじょうに幼いので着物を着せるのだけでも一苦労するという事情もある。満3歳なら分別も出てきているので「これ着るのよ」と言えば、ちゃんと着させてくれる。また7歳を満年齢でやろうとすると、11/16-4/01に生まれた子は小学2年生になってしまうが、小学2年生にもなって七五三というのは馴染まないので、11月16日以降に生まれた子も小1の段階でやってしまうケースが多いようである。結果的には学年方式になっている。
 
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全体的には満と数えのどちらがよいかは何月生まれかにもよるので、大まかに言えば、満で2-3歳頃、4-5歳頃、6-7歳頃にやると考えればよい。次の表は同じ学年の3種類の誕生日の子の七五三がいつになるかを示したものである。11/16-12/31に生まれた子は、満方式と数え方式で2年違ってしまうがその中間を取るケースも多いものと思われる(つまり満2歳で数え4歳の年)。
 
(三歳)_(1)満年齢方式 (2)数え方式 
1990.4.15 1993.11(3.07) 1992.11(2.07)
1990.1215 1994.11(3.11) 1992.11(1.11)
1991.3.15 1994.11(3.08) 1993.11(2.08)
 
(七歳)_(1)満年齢方式   (2)数え方式     1990.4.15 1997.11(小1-7.07) 1996.11(年長-6.07)
1990.1215 1998.11(小2-7.11) 1996.11(年長-5.11)
1991.3.15 1998.11(小2-7.08) 1997.11(小1-6.08)
 
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(七歳)_(3-a)学年満    (3-b)学年数え
1990.4.15 1997.11(小1-7.07) 1996.11(年長-6.07)
1990.1215 1997.11(小1-6.11) 1996.11(年長-5.11)
1991.3.15 1997.11(小1-6.08) 1996.11(年長-5.08)
 
数え方式・学年数え方式を採る場合、12月以降の生まれの人は満年齢1歳で3歳の七五三、“満年齢5歳で7歳の七五三”になる場合もある。
 

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なお、北海道では季節の問題もあり、内地より1ヶ月早く10月15日前後に七五三をする習わしである。11月15日では寒くてたまらないのである。
 
玲羅が生まれた時、津気子は、玲羅が1992年7月生まれなので、あまり悩まずに3歳の七五三は満3歳の1995.10におこない、七歳の七五三は満7歳・年長の1999.10におこえばいいかなと考えた。
 
しかしこの手の行事のことがよく分からないので不安だ。姉の優芽子に訊いてみようかとも思ったのだが、経済的なゆとりのある姉に訊くと何だか大袈裟なことを勧められそうで怖い。自分の母(紀子)に訊くと昔の風習を押しつけられそうである。
 
津気子は夫・武矢と相談したかったのだが、平日は出港しているし、土日はひたすら寝ているか会合または宴会に出ているので全く相談相手にならない。それで結局ご近所の横川さんに相談した。横川さんの所には当時小学3年生の女の子がいた。
 
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「あら、玲羅ちゃんのこと考える前にお姉ちゃんの千里ちゃんのことを考えてあげなきゃ」
と横川さんは言った。
 
「えっと・・・」
 
どこの家庭でも男の子の七五三なんて適当になりがちだ。
 
しかし千里は玲羅の“姉”なのか?
 

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「千里ちゃん、お誕生日いつだったかしら?」
と横川さんに訊かれる。
 
「1991年3月3日なんですよ」
「ああ、早生まれなのね。そしたら数えより満年齢でやった方がいいかもね」
「満か数えかって悩みますよね」
「3歳は満で、7歳は学年でやった方がいい感じになるのよね」
「へー」
 
「1991年3月3日なら、満でやると1994年10月3歳8ヶ月、数えなら1993年10月で2歳8ヶ月か」
「それ割とどちらでもいいかもですね」
「確かにね〜。あら?玲羅ちゃんは?」
 
「1992年7月23日なんですよ」
「だったら、玲羅ちゃんは数えで、千里ちゃんは満ですれば、ふたり揃って1994年10月にできるじゃん」
 
「なるほどぉ!」
 
この時、津気子の頭の中にひらめいたのは、《2人一緒にやれば神社へのお布施(*1)が1回で済む!》
ということであった。
 
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これが姉妹であれば、ずれてくれた方が着物の使い回しができるのだが、どっちみち男の子と女の子では、同じ服を着せる訳にはいかない。
 
(*1)神社への奉納金は「お布施(ふせ)」ではなく「初穂料(はつほりょう)」である。また兄弟姉妹をまとめてやる場合は、通常2人分納める。しかし津気子は1人分だけ出してバッくれるつもりである。
 

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そういう訳で、千里と玲羅は1994年10月にまとめて3歳の七五三をすることになったのである。実際問題として、P神社の宮司は前任者が1991年末に亡くなってから、1994年春に翻田常弥が赴任してくるまで不在であった。だから千里の場合、どっちみち数えではできなかった。
 
むろん近くのP神社でなくても留萌市内にはもっと大きなQ神社とかR神社もある。しかし「立派な神社だとお布施も高くなりそう」と津気子は考えていた。
 
七五三で着せる着物に関して津気子は姉の優芽子に電話してみた。
 
「ああ、玲羅ちゃん七五三なのね?」
「うん。千里は満3歳、玲羅は数え3歳で一緒にやっちゃおうかと思って」
「ああ、年子はそういう手もあるよね」
 
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「でもうち最近不漁で厳しくて、ひょっとして吉子ちゃんや愛子ちゃんが3歳の時に着たお衣装が残っていたら、貸してもらえないかと思って」
 
「あらだったら、あげるわよ。吉子や愛子の子供が3歳になるのなんてまだずっと先だもん。玲羅ちゃんたちが使ってくれるのなら嬉しいわ」
 
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少女たちの七五三(1)

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