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■夏の日の想い出・心の時間(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2013-05-11

 
ローズ+リリーとして活動した高校2年の4ヶ月間は、あまりにも忙しすぎて、私自身、何がどうなっているのか、何がなぜどうしたらそうなったのかというのが、よく分からないし、私自身記憶に矛盾があって、真実が良く分からない面も多い。
 
しかし、そのあたりの事情を多少とも整理することができるイベントが幸いにも例の大騒動からそう遠くない時期、3月下旬にあった。
 
○○プロ20周年のパーティーが行われたが、私はこのパーティーに招待され出かけて行った。
 

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私と政子は2008年の9〜12月に△△社と「暫定契約」し、ローズ+リリーとして活動したのであったが、この「暫定契約」は保護者の同意を得ていなかったので無効とされた。そのため、私たちは一時的に活動停止を余儀なくされたし、ローズ+リリーは「どこのプロダクションとも契約したことのないフリーのアーティスト」であると連盟から認定された。
 
私たちは大騒動の中、学校にも出て行けずに閉じこもりの生活を送っていたのだが、騒動も鎮静化してきたことから、2月2日の月曜日から学校に復帰した。
 
そしてその日学校が終わってから自宅に戻った時、「何これ〜!?」と絶句した。
 
私は自宅前に集まった人たちにもみくちゃにされながらも何とか自宅内に飛び込んだが、政子は恐れをなして逃げ出し、詩津紅の家にいったん保護してもらったらしい。
 
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要するに私たちが「フリーのアーティスト」となったことから、どこのプロダクションも自由に私と政子、及びその両親と交渉して、契約を目指すことができるものとされたため、私たちとの契約を目指すプロダクション関係者が大量に、私の家と政子の家に押しかけたのであった。2月2日が音楽制作者の連盟で決めた交渉解禁日だったらしい(畠山さんから「ごめん2月2日からって言い忘れた」
などと後で言われた)。
 
私はどうしていいか分からずオロオロしていた政子のお母さんと連絡を取り、話は一緒に聞くことにして、取り敢えず整理券を配った!
 
私の家の周りにいた人たちに、姉が奇数番号の整理券を配り、それからその足で政子の家の前まで行き、そちらには偶数番号の整理券を配った。
 
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そしてホテルの会議室を押さえて、そこで1社ずつお話を聞くことにした。この対応は私自身と私の母、政子の母、それに弁護士さんの4人で行った。
 
「マリは今騒動の余波で精神的に不安定なので、お母様が代理で聞きます」
と私は並んでいるプロダクションの人たちに言ったが、そのお母さんもかなりその日は精神的に不安定になっていた雰囲気だった。
 
私たちのヒアリングはシンプルである。畠山さんに電話して相談し、次の点を尋ねることにした。
 
・専属契約か委託契約か
・給料方式かマージン方式か
・原盤権はどこが管理するのか
・日程や仕事の選択などに関する自己決定権の有無
・どういうイメージで売ることを考えているのか
・どういう宣伝をしたいと考えているのか
 
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自己決定権については、ある程度の裁量権を認めていいと言ってくれる所が多かった。契約形式については「専属契約・マージン方式」を提示する事務所が大半であったし、原盤権は(アーティストに金銭的な負担を掛けないよう)レコード会社に管理を任せると大半が回答した。また「可愛いアイドルとして売る」「テレビ番組にも積極的に出演させる」「テレビスポットを積極的に打ち、雑誌にも積極的に売り込む」などという所が多かったが、結果的にそういう提示をした所や高額の契約金をやたらと強調する所には全てお断りの手紙を書いた。
 
その日お話を聞いたのは80社ほどに及んだが(1社10分で13時間!)、これでその8割が脱落した。
 
(私が全ての事務所に直筆で手紙を書き、うちの母・政子・政子の母のサインを入れたので、この手紙を書くだけでも大変だった。宛名は姉が代筆してくれた)
 
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私たちをアイドルよりむしろアーティストとして認識してくれた所、そして専属形式を望むが委託契約でもいいとした所、原盤管理はプロダクション側もしくは別会社で管理する(つまり制作費は原則的にアーティスト負担だがこちらの意向にそった制作ができるし、原盤使用料もこちらが受け取る)という所、更に宣伝についてもアーティスト側の希望に添う形で、などといった条件を提示してくれた15社が残った。つまり、ローズ+リリーというユニットの性質と私たちの方向性を最低限理解してくれた所がこの15社だった。
 
△△社と∴∴ミュージックはこの日は来ていないので、その2社を含めて17社で私たちの獲得を争うことになった。
 
しかし○○プロは、このようなローズ+リリーを獲得する競争には参加していなかった。○○プロとしては△△社が結果的には再契約に成功するのではないかと考え、敢えて直接契約には乗り出さなかったのである。これまで通り△△社と共同でローズ+リリーの制作はしていけば良いというスタンスである。
 
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しかし○○プロが、ローズ+リリーの獲得競争に参加しなかったことで、逆に私は○○プロとは自由に接触することができたのであった。
 

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2009年3月下旬に行われた○○プロ20周年パーティーは、肖像権のデリケートな歌手・タレントが大量に来場することから、撮影・録音禁止であった。おかげで、私も堂々と高校の女子制服を着て、出かけて行った。
 
「おお、話題の人が来てる」
と○○プロ所属の高校生アイドル、貝瀬日南(かいぜひな)ちゃんから言われる。
 
「どうもお騒がせしまして」
「これ、高校の制服?」
「そうです−」
「これで通学してるの?」
「ううん。高校では男の子の振りしてるから学生服」
「でも女子制服も持ってるんだ?」
「ローズ+リリーでデビューする前に、バックミュージシャンとかしてた頃はこの制服でスタジオとか放送局とか来てたよ」
 
「へー! でもケイちゃんの性別はもう全国民に知られちゃったし、開き直って、この制服で学校にも出て行けばいいのに」
「うん、みんなから言われてるんだけどね−」
 
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私と日南ちゃんが話していたら、そこに同世代の歌手や女優さんなども寄ってきて、しばし、私の日常生活について聞かれた。
 
「えー? ほんとに日中は男子高校生、放課後は女子高生アイドルって生活をしてたんだ、すごっ」
「それ、日中の方が実は男装女子高生じゃないの?」
「いやあ、女子制服で学校に出て行く勇気がなくて」
「ミニスカ穿いて女子高生アイドルしてて、女子制服で学校に行く勇気が無いというのは理解できん」
 
「ケイちゃんって、変な所で根性が無い」
「恥ずかしがることとかないのにー」
などと言われた。
 
「でもケイちゃんが、間違いなく女の子だってのは、こうして話しているとよく分かるね−」
 
「だいたいその顔で学生服着てても、男装女子高生にしか見えんと思う」
などとも言われる。
 
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「おっぱいはそれパッド?」
「ふふふ。秘密」
「へー」
 
「男の子の機能ってまだあるんだっけ?」
「それはさすがに消失済み」
「ああ、やはりね〜」
 
ということで、私はこのメンツには身体改造中であることを示唆した。
 

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「だけど、なんか凄い数のプロダクションでローズ+リリーの獲得競争してるって聞いたけど、ここに出てきても良かったの?」
 
「ああ、初日は整理券を配って話を聞いたよ。でも○○プロは私たちの獲得競争には加わってないから大丈夫。競争に無関係だから、自由に付き合える」
「なるほどー」
 
「それに私が今日招待されたのはローズ+リリーの線じゃなくて、○○ミュージックスクールの特別特待生という線だから」
「え? ○○スクールに通ってたんだ?」
 
「そそ。それで突然デビューしちゃったから、まだ特別特待生としての籍を抜いてなかったんだよね。だから私、今でも特別特待生だよ。去年の夏以来、授業には全然出席してないけど」
 
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(丸花さんがわざと籍を残していたもの。普通はデビューしたら除籍する)
 
「じゃ、元々こちらと縁があったんだ?」
 
「ここも含めて、いくつかのプロダクションに関わってたし、その中のどこかから昨年中にメジャーデビューするつもりでいたんだけど何故かそれまで関わりの無かった△△社からデビューすることになっちゃって。実はその付近の経緯が私にもよく分からない」
 
「ああ、超ビジーで動いてる時って、かなり記憶も欠落するよね」
「そうそう。だから、去年の6月頃から12月までの記憶って、曖昧だし、けっこう矛盾もあって、自分でも真実がよく分からないんだよね」
「ありがち、ありがち」
 
「私もデビュー前後の記憶が飛んでるよ」
とひとりの子も言っていた。
 
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「ダイアリー見ると、朝御飯を札幌で食べてお昼を博多で、夕飯を神戸で食べたなんて書いてある日があるんだけど、まさかねと思うし」
「いや、それは物理的に可能なはず」
「きっとそれは本当に1日で札幌と博多と神戸に行ってるんだよ」
「そうかな?」
 
私はそれまでその記述が不合理だと思っていたのだが、そう言われると本当にそんな行動をしたのかもという気がしてきた。
 
「私なんて、1日で札幌・那覇・大阪とキャンペーンで行ったこともあるよ。それで金沢泊まり」
「うっそー!」
 

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浦中部長がステージに上がり、○○プロの歴史についても話していた。
 
○○プロの前身は1976年に創設された芸能プロである。中堅どころのプロダクションだったが、1987年に経営者の脱税や不正経理が発覚して倒産してしまう。その時そこに所属していたタレントさんたちの受け皿を作ろうということで、そのプロダクションの社員だった3人の人が共同で○○ミュージックを設立した。この時、その創立者のひとりである丸花さんが浦中さんと津田さんをこの会社に呼んだらしい。
 
そして○○ミュージックが1989年に△▽芸能という会社と合併して○○プロダクションになっている。つまり今年はその合併して○○プロダクションという会社名が生まれてから20年である。合併の時の存続会社は○○ミュージックの方なので、会社の登記上は22年の歴史があるということになる。
 
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しかし○○ミュージックの創業者のひとりで会長をしていた人が1993年に亡くなる。この人が会社のまとめ役であったため社内は分裂含みになり、副社長をしていた人が△▽芸能の元専務と一緒にグラビア系のタレントなどを連れ分離独立し○△アーツを設立した。
 
そこで、丸花社長が、津田さんを専務、浦中さんを取締役にして、新体制を作る。この分離直後は、○△アーツの方が売れっ子ばかり、○○プロの方はあまり売れてない人ばかりで、経営はかなり苦しかったらしい。
 
しかし1995年に新人高校生歌手・保坂早穂が出て、ミリオンセラーを連発し、これで新生○○プロの経営も安定した。そして保坂早穂の「妹分」として売り出したアイドル歌手も次々とヒットを飛ばし、この事務所は「大手のプロ」
として世間に認識されるようになっていった。
 
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保坂早穂は1990年代のスーパースターで、現在でもテレビ・ラジオに多数のレギュラー番組を持っているが、今は○○プロの大株主でもある。本人も○○プロのご意見番、などと自称している。
 
そして浦中さんは次世代の○○プロを支えていくであろう期待の若手歌手・俳優さんとして、複数の名前をあげる。貝瀬日南も名前を呼ばれて
「きゃー。私も期待されてる!」
などと嬉しそうな声をあげていた。
 
会社はその後、津田専務が1998年に退任し、丸花社長も実質的な経営からは退き、浦中部長が、平の取締役の肩書きのまま、実質的にプロダクションの経営をしている状況にあるのである。
 

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このパーティーには、その津田元専務(津田アキさん:旧名津田昭弘)も来ていたし、友好会社の経営者として△△社の津田邦弘社長も来ていた。そのふたりがテーブルで何か話しているのを見かけた時、私は唐突にそのことに気付いてしまった。
 
私は寄って行った。
「おはようございま〜す」
「おお、話題の人だ」
「あの、もしかして、津田先生と津田社長って、ひょっとしてご姉弟なんてことは・・・・」
と私は尋ねる。
 
「あれ?知らなかったの?」
と津田アキさん(民謡教室の津田先生)。
「それは当然認識しているものと思っていた」
と津田邦弘さん(△△社の社長)
 
「えーー!?」
 
「△△社が○○プロと友好関係にあるのは、うちの姉ちゃんが○○プロの元専務だからだよ」
と津田社長(弟)。
 
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「君が、『期間限定ですけど唐突にユニット作って活動することになってしまってCDまで作っちゃいました』って私に連絡してきたじゃん。それで話聞いたらクニちゃんの会社だし、レコードの発行元は雀レコードだし。私が慌ててクニちゃんと丸花さんに電話したんだよね」
と津田先生(姉)。
 
「丸花さんには私からも電話してCDもお渡ししました」と私。
「うんうん。その連絡の方が早かったみたいね」
 
「それで、ケイちゃんは元々○○プロの方からデビューさせようと勧誘してたんだよ、という話だったから、じゃ△△社と○○プロの共同管理にしませんかって話になってさ」
 
「それでローズ+リリーの広報宣伝とかを○○プロでしてくださるようになったんですか?」
「そそ。でもまさか契約書が不備だったとは思わなかったよ」
「すみません」
 
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