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■夏の日の想い出・たまご(2)

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ベース担当のミズキ(山下瑞季)はスイート・ヴァニラズのElise(山下恵里)の娘である。「ミュージック」からミズキと名付けられた。父親が誰かというのは公表されていないし、知っているのはEliseとLondaの2人だけのようだ。ミズキ本人にも教えないとEliseは言っていた。ミズキは2014年3月8日生まれで、私は生まれてすぐの頃からこの子を見ていた。
 
フラワーガーデンズの5人の中では最も早くから記者のカメラのファインダーにさらされてきた子である。Eliseとのツーショットは何度も週刊誌やテレビに映されたし、小さい頃から母親のことを話題にされている状態で育ってきた。本人としても、少々非常識でぶっ飛んでいるものの、媚びずに筋の通ったことを言い、音楽的な才能の高い母親は自慢であった。小さい頃からピアノを習っていたし、家庭はいつも歌にあふれていて、瑞希も物心ついたころからたくさん歌を歌っていた。
 
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実際に瑞希の育児で頑張ったのは、アバウトな性格のEliseより、しっかり者の友人Londa(松元徳子)である。それで瑞希はLondaのことをお父さんだと思い込んでいた。EliseとLondaは恋愛関係にある訳ではなく、少なくともLondaは自分はレスビアンではないと言っているものの、仕事上の必要性から頻繁にEliseの家に行っており、泊まり込むことも多く、結果的に瑞希の世話もよくしていた。
 
実際瑞希はLondaを「おとうさん」と呼んでいたし、Londaも「お父さん」と呼んでいいよと言い、参観などにも行ってあげていた。
 
「うちのおとうさん、おんなだよ」
と幼稚園の頃に瑞希が言うと、クラスメイトたちはしばし悩んでいた。
 
「でもおとうさんなら、おちんちんあるんでしょ?」
「おとうさんには、おちんちんないよ。おかあさんにはおちんちんあるけど」
などと瑞希が言うと、クラスメイトたちは更に悩んでいた。
 
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「おかあさん、おとこなの?」
「おんなだよ。ちんちんないときもあるし」
「うーん・・・」
 
「わたしにはおちんちんないの?といったら、おちんちんはほしくなったらつければいいんだよ、とおかあさんいってた」
「あ、わたしもおちんちんほしいかも」
「おちんちんあると、おしっこするときべんりなんだって」
「あ、そうかもー」
 

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ところで瑞季はEliseの最初の子供であるが、彼女が妊娠したのは最初ではない。このことについて本人も周囲も何も言わないが、古くからのスイート・ヴァニラズのファンの間では公然の秘密となっていた。彼女が妊娠したのは2009年のことだったが、9月に流産してしまったのである。私は彼女が流産した直後にイベントに出演した時、とてもまともな演奏ができない状態であったEliseの代理演奏をしたのである。
 
私は彼女が流産した正確な日付は知らなかったのだが、ある時、千里がそれは9月12日だと言っていた(なぜこういうのを知っているのか私は千里のことが時々分からなくなる)。私がEliseの代理演奏をしたのが9月20日で、わずか8日しか経っていない。その状態でステージに立っただけでも凄い精神力だと私は思った。
 
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そしてEliseが流産した一週間後の2009年9月19日、和歌山県新宮市で、新たな生命が生まれていた。
 
それがフラワーガーデンズのもうひとりのメンバー、フジ(木花朔夜)であった。
 

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フラワーガーデンズというのは、ランとキキョウが作った「フラワーズ」とジャスミンとミズキが作った「ガーデンズ」の合体バンドなのだが、その両者の橋渡しをすることになったのが、フジだったのである。
 
彼女はジャスミンと同じ高校(東京の##女子高校)の茶道部!の先輩だったのだが、2028年頃からランたちとの関わりができていたので、ランたちが音源制作をしたいという時に、ドラマーとして後輩のジャスミンを紹介したのが、フラワーガーデンズの誕生のきっかけとなった。
 
「朔夜」(さくや)という名前は朔(新月)の夜に生まれたから付けられた名前(満月に向かって成長して行って欲しいという願いが込められている)なのだが、その結果彼女のフルネーム「木花朔夜」が、富士山の女神である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と似ていることから、中学の時の先生が「フジ」というニックネームを提案してくれたらしい。
 
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小さい頃からピアノとヴァイオリンを習っていて、特にピアノの腕は全国大会で優勝したこともあるほどである。それで勧誘されて東京に出てきて##女子高校の音楽コース(ピアノ専攻)に入ったのだが、ここでヴァイオリンの課外レッスンの先生として、担当教官のツテで蘭若アスカを紹介されたことから、フジと私の関わりができることになる。
 
彼女は高校3年間、毎週1回アスカの指導を受けていたが、アスカが海外出張などしている時に、私が代理で指導したこともある。
 
私がフラワーガーデンズのことを知ったのも、2029年秋にフジが 
「知り合い5人で集まってこんなの作ったんです。良かったら聴いてもらえませんか」
と言って自主制作した音源を私の所に持って来たからであった。
 
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フラワーガーデンズのメンバー5人の中でランはアイドルになるため東京に出てきたが、中学生だったこともあり結局母親も付いてきている。ミズキは東京生まれ、ジャスミンは父親の転勤に伴い富山県から東京に引っ越してきた。キキョウは東京の大学に入るのに18歳で石川県から出てきたが、父親である上島先生の目があるので、あまりハメは外せなかったようだ。
 
フジは15歳の年(2025年)に東京の高校に入るため単身上京している。そのことについて私は彼女に言ったことがある。
 
「和歌山から東京の高校に、よく女の子ひとりで出てくるのをご両親が認めてくれたね」
「うーん。私、親からは見放されている面があったし」
「え〜〜!?」
「両親は私の妹を溺愛してたんです」
「ああ、そういうのって辛いね」
 
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「それに女子高に誘われたってのに凄く心が揺れたし」
「和歌山は女子高無いんだっけ?」
「和歌山市にはあるんですけどねー」
「新宮からは遠いね!」
 
新宮市は和歌山県でも東部にあるので、県西部にある和歌山市までは電車でも車ででも3時間掛かる。
 
「それにそちらは入れてくれなさそうだったし」
「進学校か何かでレベル高いの?」
 
その質問にフジは曖昧な微笑みをしただけで何も答えなかった。
 

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フジは##女子高のピアノ専攻の生徒の中でもトップ3人くらいの中に入っていたらしく、プロピアニストの卵として期待する人も多かったようだ。それでバンドとしてデビューすると言ったら「もったいない」と言う人も結構あったらしい。
 
但しフジ本人は小さい頃からクラシック以上にポップスを弾いていたのだと言う。
 
「私の魂はポップスなんですよ。小さい頃からローズ+リリーとかラビット4とかの音楽聴いてて、常に8ビートや16ビートのリズムが心に流れているんです。だからクラシック曲を弾いていてもどうしてもポップス的になってしまう部分があって、それで情緒性を評価されていたんだけど自分としてはクラシック演奏家になるのは無理だと思っていました」
 
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と彼女は言っていた。
 
フジは音楽の専門教育を受けているだけあって音楽理論にも詳しく、ミズキやランたちが書いた曲の和音の誤りを指摘したり、いわゆる「書きリブ」を作ったり、複雑なオーケストレーションを編成したりもして、フラワーガーデンズの曲の品質は彼女によるところが大きい。
 
美しい黒髪の長髪で、美人だし、それでピアノやヴァイオリンも(そしてアルトながら)歌も上手いというので、さぞかしもてたのではないかと私は思うのだが、その件について本人は、
 
「少なくとも中学時代とかに男の子からラブレターの類いもらったことは1度も無いです」
 
と言っていた。私は美人すぎると敬遠される例だろうかと首をひねった。
 
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なおジャスミンは同じ##女子高校でも、進学コースであった。
 
(フジもジャスミンも一応普通科ではある。アスカが出た♪♪女子高のように音楽科として独立している訳ではなく、普通科が就職コース・進学コース・音楽コースと別れていて、高校2年に進級する時までなら、成績や単位の条件さえ満たせばコース変更も可能らしい)
 

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さて、話を一気に30年以上巻き戻そう。
 
これは1997-1998年頃のこと。
 
私が通った幼稚園は給食が出ていたので、お弁当というのは運動会の時くらいだった。それでそういう時のお弁当のおかずには、唐揚げとかウィンナーとか玉子焼きなどが入っていて、私は特に玉子焼きが大好きだった。
 
「リナはウィンナーがすきなの?」
「うん。タコさんウィンナーだいすき」
「じゃわたしのウィンナーとリナのたまごやきと、かえっこしない?」
「うん。いいよ」
 
そんなことを言って友だちと交換してまで、私は玉子焼きを食べていた。
 
ある時、その日もお弁当があるというので朝から母が玉子焼きを作っていた。
 
「おかあちゃん、そのたまごやき、おいしそうだね」
「うん。うちの玉子焼きはみりんが入っているから、ほんのり甘いんだよね」
「へー。リナのおべんとうのたまごやきはあまくなかったけど、ふわっとしてた」
「玉子焼きの作り方って、色々あるからね。何混ぜるかで随分変わるんだよ。それはきっとマヨネーズ混ぜたんじゃないかな」
 
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「へー。わたしもたまごやきつくってみたいなあ」
「今は急いでお弁当作らないといけないし、教えてあげられないけど、帰ってきてから、ちょっとやってみる?」
「うん!」
 

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それで私は幼稚園(小学校?)から帰ってから母に教えてもらって玉子焼きを作ろうとするのだが、これがなかなかうまくできないのである。
 
「あれ〜、まるくなってくれない」
「たまごがフライパンにくっついちゃう」
「なんかパサパサになっちゃう」
 
「まあ玉子焼きは難しいんだよ。でも毎日練習してごらん。1日1個卵使っていいから」
 
母はそう優しく言って、私に毎日玉子焼きを作る練習をさせてくれた。
 
ほんとに最初は失敗続きだったのだが、毎日やっている内に少しずつ要領が分かってくる。そして練習し始めてから半月も経たないうちに私はけっこう形になった玉子焼きを作れるようになった。
 
「だいぶ上手になったね。これなら次お弁当作る時は、冬、自分で玉子焼きを作れるかもね」
と母は言った。
 
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「えへへ、作りたいなあ」
 
「冬って料理好きみたい。おままごととかもしてるね」
「うん。お料理セットで野菜とかお肉とか切ってるよ」
「じゃ、本物の野菜とかお肉とか切ってみようか」
「わあ、やりたいやりたい」
 
それで母は私に夕食などで使う材料を切るのをやらせてくれた。ジャガイモやニンジンを切るのは楽しかった。タマネギのみじん切りは最初の頃、かなり苦労したものの、母から「根の所をわざと切り残すんだよ」と教えてもらってからは上手にできるようになり、むしろ楽しくてたまらなくなった。
 
お肉を切るのも野菜とは要領が違うので結構大変だった。特に脂身の多いバラ肉はすぐ包丁が切れなくなってしまう。それで母は「包丁を磁器の皿の裏で研いでから切ればいいんだよ」と教えてくれた。このやり方を覚えてから、お肉とかお刺身とかを切るのもうまくできるようになった。
 
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このタマネギのみじん切りの「根をわざと切り残す」方法とか、包丁を皿の裏で研ぐのとかは、私は母から習ったと記憶しているのだが、後から聞いてみると母は「そんなやり方は知らない」と言う。
 
もしかしたら誰か他の人から習ったのかも知れないが、私にもそのあたりの真相はよく分からないところである。
 

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私は小学2年生の頃にはオムレツ、オムライスも作れるようになり、そして私が小学3年生の時から、夕飯は母・姉(当時中2)・私の輪番制になった。基本的には月・木が母、火・金が私、水・土が姉であった。日曜はジャンケンをすることが多かったが、たいてい私が負けて作っていた。私は当時からジャンケンが極端に弱かったのである。
 
私は最初カレーとかおでんとか、あまり手間の掛からないものを作っていたのだが、やがてレシピの読み方を覚えて、結構難しい料理も作るようになっていく。一方、母は最初の頃は娘たちに負けるまいと頑張っていた気もするのだが、次第にラーメン・スパゲティ・焼きそば・野菜炒め・チャーハンあたりのリピートになっていく。
 
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そして姉の場合は、そもそもカレー・シチュー・ラーメンあたりしか作っていなかった。
 
それで父は食べたいものがあると、だいたい私にリクエストするようになっていった。また揚げ物は結局全部私がやるようになっていった。
 

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