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■春八(1)

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その日『北陸霊界探訪』の編集部には、明恵・真珠・初海の3人がおらず、双葉と、間島和栄 ・水野希望・米山舞佳が来ていた。
幸花は例によって「ネダはね〜が〜」と、うなっている。
 
「そうだ。こちらも【関東】同様、定点観測地点を作りましょうよ。そこをレポートすれば最低番組が成り立つみたいな」
 
「人形美術館は毎回レポートしていい気がする」
「ああいいね」
--
そんなことを言っていた時、唐突に双葉が言った。
「え?おじいさんの時計って百年動いてたんじゃないの?」
「ああ。あれは日本語歌詞の問題」
と和栄が言う。
「英語歌詞では90年なんだよ。Ninety years without slumbering, tick, tock, tick, tock,」
{それをどうして100年と訳したの〜?}
「さあ」
 
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「あれは何かモデルがあったんでしたっけ?」
「うん。作詞者がイギリスに旅行した時聞いた話が元になってる。泊まったホテルのロビーにもう動かない振り子時計があったらしい。なぜ動かない時計を置いてるのかと尋ねたら亡くなった創業者の兄弟が大事にしていたものだということだった。長年動いてきたけど、お兄さんが亡くなってからくるいはじめ、弟さんが亡くなった時止まってしまったというんだよね。兄弟はどらも独身だったけど、残されたスタッフがホテルと一緒に時計も守っていると」
 
「あれ?独身だったんですか?“きれいな花嫁やってきた”とあるのに」
「すぐ別れたとか」
「よくある話だ」
「息子さんの花嫁とか」
「ユニークな説だが、なぜ独身だったのに息子がいる?」
「それはあれですよ。ある日女の人がやってきて『あなたの子供よ』と言って赤ちゃんを置いていった」
「よくある話だ」
と和栄。
「怖い話だ」
と神谷内さんは言っている。
 
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「そういえば以前取材にいきましたね。古い時計」
「あ。また行ってもいいね」
「待って。あそこ行くなら」
と言って、幸花は千里に電話する。
「あ、またあそこに行くのね」
「それでガードしてもらえません?」
「してもいけど、熊が出たら殺すよ}
「はい」
「前回は出たのがヒグマの仲間のグリズリーだった。私は子供の頃からたくさん、北海道のヒグマとは遭遇してたくさん倒してきている。だから、どのくらいで死ぬかが分かるから、少し手加減したら、偶然うまく気絶させられた。でも最近石川県に出没してる月の輪熊は加減が分からない。だからみんなの安全のためには殺すしかない。それでも良ければ付いてくよ」
「それでいいです。私たちを守ってください」
「じゃ行く時言って」
「今からいいですか?」
「いいよー」
というので、千里は来てくれた。
それで神谷内さんの運転で、あの旅館まで行く。駐車場(前回はここに熊が出た)に駐めて旅館まで歩く。これがなかなかの距離である。しかし旅館に入ると、あの大きな時計はちゃんと動いていた。
 
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旅館の女将さんが歓迎してくれる。前回の放送以降、お客さんが増えたらしい。大時計の前に取材陣が全員並んで記念写真を撮った。
「そういえばこの時計について祖父が残した日記が見付かったんですよ」
と女将は言った。
 
それによると、この時計がここに来た経緯はこのようであった。
明治20年代に東郷平八郎提督(当時はまだ大佐)がこの旅館に宿泊したことがあった。この時、東郷が「朝6時に起こしてほしい」と依頼した。当時この旅館には時計というものがなく夜が明けたら朝食の準備を始めて日の出後、目を覚ました客から順に朝食を提供していたらしい。
しかし軍人さんに時間を指定されたからにはというので高岡の時計店で初めて時計なるものを買ってきた。この時はゼンマイ式の小さな時計だった。
 
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しかしそのあと、東郷率いる日本海軍連合艦隊が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利したことから、もっと立派な時計に替えようということになり、当時横浜の英国人の家にあった振り子時計をもらってきて設置した。その英国人というのが東郷がイギリスに留学していたとき滞在していた家の人だったらしい。この時計はそれ以来のものという。昭和の終わり頃には動かなくなっていたが、1990年代に時計の専門家に見てもらい、再度動くようになったらしい。
 
「つまり東郷平八郎提督ゆかりの時計ですか」
「だからここに来たのは日本海海戦後の1905年になりますが、元々横浜の英国人の家に設置されたのは1890年代のようです」
「本当に百年以上動いてるのか。すごいですね」
 
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「とーごーへいはちろーって誰?」
と訊いた子がいたので和栄が
「日露戦争でロシアの艦隊に勝った人」
と教えてあげた。
「天気晴朗なれども波高し」
「どういう意味?」
「よく分からん」
「晴れてて見やすいから狙いが定めやすい。ただし船も揺れやすいから気をつけろ、くらいの意味だと思う」
「運のいい男と言われた人だね」
「何それ?」
「彼が司令官になったとき、なぜ彼を選ぶのかと明治天皇が大臣に尋ねたらしい。すると大臣は『奴は運のいい男ですから』と答えたって」
「いや戦場では運がいいというのは大事だと思う」
「司令官となれば何万人の命を預かるからなあ」
 
「彼が日本海海戦で実行した敵の目の前で全艦回頭するという作戦はトーゴーターンと呼ばれて軍事史に残る名作戦と言われるけど、勝ったからそう言われるのであって、負けてたらきっと世紀の愚策と言われてる」
「いや、名作戦と愚策は紙一重」
「やはりそれが“運のいい男”なんだよ」
 
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「でも日本の勝利は当時の最先端技術である電信を使って全艦統一された行動を取ったからとも言われる」
「ハイテクの勝利か」
「あれ?タイタニックが何年だっけ」
「1912年」
「それより前って凄い」
「その時代に電信を使ったのは凄すぎるね」
「日本はやはり大した物だと思うよ」
 
(マルコーニの無線会社の営業開始が1907年でそれより早い。むろんそれは民間の話)
 
なお、この日はクマは出なかったので千里も殺生をせずに済んだ。猪は出たが、人間を見たら逃げてった。
 
「猪鍋でもよかったけどなあ」
「あれ?猪鍋がさくら鍋だっけ?」
「さくらは馬だね。猪はぼたん」
「あっそうか」
「日本は長く肉食が禁止されてたから、役人に見付かった時の言い訳だね」
「なるほどー」
 
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「肉食禁止って生類あわれみの令からですか」
「いや。奈良時代の仏教信仰の厚かった聖武(しょうむ)天皇の御触れに始まる」
「随分長く禁じられてたんですね」
「色々言い訳付けて食ってたけどね」
「禁じられても美味いものは美味い」
「ダイエットしようと思っても甘いものは食べたい」
 

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若葉は津幡の火牛センターに作っていたセントラルキッチンを南砺市に移転させるにあたり、お菓子の製造部門だけは津幡に残すかせめて高岡に置こうと思った。竹下姉妹・金堂多江の負荷を小さくするためである。高岡といえば青葉が住んでいる。そこで青葉の家の近くに土地を買おうと思う。すると青葉の家の近くにちょうど500坪ほどの土地があったがどうも気になった。それで青葉に電話してみた。青葉(R)はその土地を見て言った。
「ああ。これは神社の跡だね。何か変と感じたのはさすが若葉さんだね。ここはやめたほうがいい」
「神社の跡ならきちんと祭ればいいの?」
{私なら逃げる。ちー姉に聞いてみて}
 
それで千里が呼ばれてくる。
 
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「水の神様がおられる。これはそちらの姫様の案件だなあ」
「何じゃ?妾の別宅を作ってくれるのなら歓迎するぞ」
「ここにお菓子の工房を作りたいらしいです」
「お菓子は私の専門外だなあ。津幡の姫殿を呼べ」
 
それで津幡の姫と仲の良い?真珠に尋ねさせたら
「毎日お菓子をくれるのなら守護くらいしてやるぞ」
とおっしゃった。そこで津幡・辺来の里神社の斎藤宮司に頼み、この土地に元々あった神明社を復元してもらったうえで、津幡姫、玉依姫の順序で神社の勧請をしてもらった(最後に勧請した玉依姫が主神になる)御祭神は結局こうなる。
 
伏木大神(土地神様)
天照大神(最高神・太陽神)・豊宇気大神(食物神)
津幡姫(少女神)
玉依姫(女性神、楽器の神様、海や川・水辺の神様)主神
 
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神社の名前は“伏木菓子神社”とした。これは津幡姫の希望を玉依姫が認めてこうなった。
 
土地の表側から店舗・パティシエ・神社と並べる。神社には毎日ケーキなどのお菓子を奉納する。パティシエが休みでもどこかで買ってきて奉納する。これは津幡姫との約束で必ず実行しなければならない。その代わり姫様はこのパティシエを守護してくれる(だろう)。
 

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