【△・瀬を早み】(1)
1 2 3 4
(C)Eriko Kawaguchi 2018-07-14
「『瀬を早み、岩にせかるる滝川の、割れても末に、あはむとぞ思ふ』、誰かこの歌の意味を解説できる?」
と国語の先生は言った。
龍虎は「さっぱり分からなーい」と思って、当てられないように視線を少し伏せ気味にしていたのだが、
「はい」
と手を挙げた子がいる。龍虎と同様に忙しいはずの女子高生タレント天羽飛鳥(芸名:松梨詩恩)なので『すごーい!』と思う。
「はい、天羽さん」
と先生が指名する。
「『瀬を早み』の『み』は形容詞の語幹について連用修飾語を作る接尾語で、『川の流れが速いので』という意味です。『岩にせかるる』の『せかるる』は『堰き止める』という意味の『堰く』(カ行四段活用)の未然形に受身の助動詞『る』が付き、その『る』(下二段活用)が連体形になって『るる』になっています。これが『滝川』に掛かります。『すゑ』は流れの先の方という意味ですが、将来のことも表し、掛詞(かけことば)的になっています。『あはむ』は『あふ』の未然形に推量や意志を表す助動詞『む』が付いたものです。通して訳すと『川の流れが速いので岩に堰き止められて流れが2つに別れた水も少し先ではまたひとつに合流するであろう』ということなのですが、掛詞を使うことにより『恋人同士が無理に別れさせられても、将来はきっとまた再会してセックスすることができる』という意味を示唆しています。『ゴウ』の方の『合う』は合流するという意味ですが、『ソウグウ』の『遭ふ』なら男女のデートを表します。まあ男女とは限りませんが」
と飛鳥は一気に解説した。セックスなどという言葉を平気で発音したので教室内はざわついている。もっともタレントなどやっているとこの程度の単語はしばしば発音させられる。彼女がバラエティ番組で「ちんちん!」と絶叫させられたのも見たことあるが、さすがにそれは後でテレビ局に「可哀相」という抗議が殺到したらしい。
「完璧ですね!まさにそういうことなんです」
と国語の先生は飛鳥を褒めている。
「忙しいのによく勉強していたね」
「私、この歌、大好きなんです。百人一首にも入っていますけど、とってもロマンチックですよね」
と飛鳥は笑顔で言った。
『割れても末に合はんとぞ思う・・・か』
と龍虎は歌の下の句を頭の中で反芻する。
「ぼくたちも、きっと何かの“岩”にぶつかって3つに分かれちゃったんだろうけど、いつかはきっとひとつに戻れるよね?」
と龍虎は思った。
長野龍虎(学籍簿上は田代龍虎)は中学1年生だった2015年の1月にデビューして以来、凄まじい売れ方をしたため、学校の勉強など、とてもできないくらいに忙しい日々を送るはめになる。それで龍虎は中学2年と3年の勉強を全くしていないし、期末テストの成績も酷いものであった。
それでも龍虎は受け入れてくれる高校があり、2017年4月、東京北区のC学園芸術科に進学することができた。中高一貫校なので高校からの募集定員は少なく、しかも男子は3人までという狭い枠のひとつを与えてもらった。
そして高校に入って間もない、4月16日(日)の夜、自宅マンションに居た龍虎は唐突に3つに分かれてしまった。
最初はびっくりしたものの、自分が3人いるとわりと便利である。3人で分担してお仕事をしていると、当然のことながら仕事の負荷が3分の1で済むので、とっても楽になり、結果的にちゃんと学校のお勉強をする時間も取れるようになった。
もっとも食費は3倍掛かる!
3人の龍虎は“長期記憶”を共有しているので、ひとりが経験したり勉強したことは他の子も覚えている。それで、急いで台詞を覚えないといけないような時は分担して台本を読んだり、また短期間で音源製作をしなければいけない時も、3人で順番に練習したりしていた。しばしば1人がドラマの撮影に出ている時に、残った2人が1人はキーボードを弾いて伴奏し、1人は歌を歌う、などという形で練習していた。
ちなみに3人の龍虎は均等に分かれたのではなく、1人は男の子、1人は女の子、1人は男の娘であった!それで自分たちを区別するのに3人は話し合い、男の子を“龍虎M”、女の子を“龍虎F”、男の娘を“龍虎N”と呼ぶことにした。
Fは普通の女の子っぽい性格だが、積極的で楽天的な気質。Mは男の子っぽい性格だが、受け身的でクールな気質。そしてNは“女の子になりたい男の子”という感じで、女装好き!で霊感的な発言が多い。おっぱいを大きくしちゃおうかな?とか、おちんちん取っちゃおうかななどと考えたりするのはNである。また《こうちゃん》が本来の龍虎のおちんちんを取ってしまい、代わりにくっつけている《仮ちんちん》を持っているのはNである。また、青葉がホルモンのバランスを調整してくれているのもNである。
それで口に出しては言わないものの、龍虎Mも龍虎Fも、龍虎の本体はNで自分たちは、男になるのか女になるのか迷っている龍虎から派生した存在なのではという気がしていた。でもMとFは
「私たち多分セックスできるよね?やってみない?」
「Fのことは好きだけど、自分同士のセックスって凄くやばい気がする」
などという過激な会話をしていた。
ただN本人は
「僕が大人の女になりたいと思ったらFが、大人の男になりたいと思ったらMが最終的には残るのかも」
などと2人に言っていた。
「3人合体したら、ふたなりになっちゃったりして」
「ふたなりも悪くないなあ・・・」
少し時間を戻す。
2016年夏。ローキューツが2011年以来、本拠地として使用していた千葉市千城台にある体育館を所有していた房総百貨店が不渡り手形を2つ連続して出してしまい、事実上倒産した。この影響で、千城台の体育館も一時的に封鎖されたため、ローキューツは練習場所を失うことになる。
ローキューツのオーナーである冬子から、オリンピックのため南米遠征中の千里に電話で相談があり、千里は緊急に常総ラボを一時開放することを決める。そして千葉駅から常総市へのシャトルバス(外環道・常磐道経由で1時間半)を運行して急場をしのぐことにした。
このあたりの作業は、千里が代理人としてお願いした顧問弁護士の白金さんと冬子の共同で進められた。シャトルバスの運行費用は千里と冬子が折半した。
「なんか割ときれいな体育館がある」
「でも狭い」
「ここは千里がローキューツを辞めた後で、練習場所が無いので自主トレ用に建てた体育館らしいよ」
「へー!」
「自分が練習できればいいから1コートしか取らなかったらしい」
「なるほどー」
「1階にはスリーポイント練習室とかもある」
「さっすが世界のシューター!」
「1階の大半は車庫になってるでしょ。そこに千里が自分の管理している車やバイクを駐めるのに使っていて、そちらが目的の半分らしい」
「嘘。1階に並んでいたのは全部千里の車?」
「千里が所有している車は全然無いらしい。どこかの飽きっぽい大先生から『この車自由に使っていいよ』と言って押しつけられた車だって」
と冬子は説明した。
「なんて羨ましい」
「この土地を買うまでは駐車場代を毎月20万くらい払っていたとか」
「きゃー!」
「それはなんか迷惑かも」
「このあたりは土地が安そう」
「うん。1年半くらいで元が取れたらしいから」
「なるほどー!」
秋頃、房総百貨店の管財人が選定されると、白金弁護士は管財人に千城台の体育館の土地・建物を適正価格で買い取りたい、また買い取り交渉中も、この体育館を使用させてもらえないかと申し入れた。
管財人はその体育館がローキューツ側でかなりの投資をして改造して使用中であったことを鑑みてこれを了承。封鎖の解除を認めた上で買い取りに向けて交渉。中立的な不動産鑑定士に鑑定させて、建物は無価値、土地は2億円という結果が出たので、千里の個人会社・フェニックストラインがここを2億円で買い取った。
ローキューツでは封鎖が解除された段階で再びここを使用することができるようになり、ホッとしたのであった。
「常総の体育館もきれいだったけど、やはりバスで1時間半は辛かった」
という声もあったが、シャトルバス運行の費用もこの3ヶ月で500万円かかった!
千里はこの土地を買い取ったのを機に、冬子と相談してこの千城台に新しい体育館を建てることを決めた。元々の体育館はバレーボール用に建てられていたもので、バレーボールのコートはバスケットボールより狭いので、コートはぎりぎり取れるものの、コートの外側の余裕が狭くて、しばしば壁に激突する選手がいたのである(一応怪我しないように壁にはクッション材が貼られている)。
そこで、体育館に隣接する宿舎をまずは取り壊し、そこと駐車場の土地とを合わせて新しい体育館を建て、それが完成した所で旧体育館を取り壊して、そちらに新しい宿舎を建てるということをした。この建設費用は千里が全て出し、ローキューツは千里の会社に毎月賃貸料を払って使用するという方式を採ることにした。
この新しい体育館が完成したのは2017年の7月のことであった。千里が日本代表の合宿で多忙であり、また冬子もアルバム『郷愁』の制作で死にかけていたので、この竣工式を取り仕切ったのは若葉であった!
若葉はフェニックストラインの大株主で、実は常務の肩書きを持つ。なお、宿舎の建設は体育館の竣工後に進められ年末までに完成した。
千里と冬子が千城台体育館の建て直しの件で話し合ったのは2016年の9月頃であった。この時、共同所有とかにすると手続きなども面倒だし“大した金額でもないし”ということで、建築費用(約7億円)は千里が単独で出資することにした。
この時、若葉が言った。
「ビットコインで払えば1.2万BTCくらいだな」
「ビットキャッシュ?ゲームのお金で払うの?」
と千里が訊く。
「違う違う。ビットキャッシュじゃなくて、ビットコイン。仮想通貨だよ」
と若葉が言うと、
「何それ?」
と千里も冬子も訊いた。
それで若葉はビットコインについて説明した。
「普通の通貨は多くの場合どこかの国の公的機関が管理している。USD.アメリカのドルならFederal Reserve Systemが管理している。JPY.日本の円なら日本銀行が管理している。でもビットコインは誰も管理していない」
「管理していない?」
「取引は全てネットに公開されて、世界中のネットワーカーが監視することでその妥当性が検証される」
「そんな適当でいい訳?」
「この公開された取引台帳をブロックチェーンと言う。ブロックチェーンにトランザクションを追加するには複雑な素因数分解の計算をしなければならない」
と若葉が言うと
「なんか頭が痛くなりそうな話だ」
と千里が言う。
「素因数分解するのでも例えば35は暗算で5×7と分かる。851とかも数分考えると23×37と分かる」
と言ってから
「まあ、マリちゃんなら即答だろうけど」
と若葉が言うと、冬子は
「あの子、5〜6桁の数なら一瞬で素因数分解するよ」
と答える。
「さっすが。でもマリちゃんでも51326473378487みたいなのは一瞬では素因数分解できないよね?」
と若葉がメモを見ながら言う。
「どうだろう。訊いてみる」
と言って、冬子は政子に電話を掛ける。
「マーサ、素因数分解の問題、51326473378487を素因数分解できる?」
と冬子が尋ねると政子は
「6549139×7837133」
と即答する。
「あり得ん」
と若葉が呟いている。
「合ってる?」
と冬子が訊くと若葉は
「合ってる」
と言っている。
「今のはコンピュータにやらせても20-30秒かかりそうだ」
と千里は言っている。
「まあでもマリちゃんも多分桁数が20桁とか30桁になると答えるのに数秒かかるよね?」
「あの子は即答できるか、全然答えられないかだよ。数秒掛けて解答するということはない」
「ああ、そういうものか」
「で、ビットキャッシュのトランザクション追加には数千桁の素因数分解をしなければならないのよ」
「それは大変だ」
「だから新しいトランザクションが追加される時には、世界中の協力者がこの素因数分解の問題に取り組む」
「へー」
「そして最初にその計算に成功した人に、報酬として新しいビットコインが渡される。この報酬はこないだまで25BTCだったんだけど、今年の7月20日に半減期が来て12.5BTCになってしまった」
「ふーん。半減期ってあるんだ?」
「そして実は市場に出回る全てのビットコインはこの計算の報酬として発生したものなんだよ」
「なるほど!だから半減期が必要なのか」
「そうそう。半減期が無いと、ビットコインの数が無限に増えて行って、やがて価値が無くなってしまうから」
「その12.5BTCって何円くらいなの?」
「今の相場だと1BTCが6万円くらいだから75万円」
「計算するだけでそんなにもらえるっていいね」
と千里は言ったが
「いや、その計算にはたぶんかなり高速なコンピュータを数時間走らせる必要がある」
と冬子は言う。
「そんなに掛かるの!?」
と千里。
冬子は、文系でコンピュータ素人の自分でも想像つくことが、理学部を出てコンピュータの会社に勤めている千里になぜ分からん?と思っている。
「でも世界中のマイナーたちはこれを10分で計算している」
と若葉は言う。
「数千桁の素因数分解を10分?それとんでもないスーパーコンピューターでは?」
と冬子。
「うん。家庭のふつうのPCじゃ無理。絶対に1番になれない」
「それ2番以降の人は報酬無しだよね」
「もちろん。報酬をもらえるのは1番だけ。この作業をマイニングというんだよ」
「マイニング?金鉱掘り?」
「そうそう。結構な投資をして鉱山を掘って金を見つける」
「いや、確かにそれは金鉱掘りかも」
「まあそういう仕組みでビットコインは作られ、紡がれて行っているんだよ」
と若葉は言った。
「でもそのビットコインって実際にお金として使えるの?ゲームの装備とか買ったりするんだっけ?」
「違うよ。世界中のお金持ちが現金をビットコインに両替して所有している」
「なんで?」
「相場があがっていっているからだよ」
「へー!」
「ビットコインの相場は2010年頃は1BTC=6-7円だった。2011年頃は1000円くらいになって、2013年頃は5000円、2014年以降は数万円になっている」
「それ2010年にビットコインを1万円買っていて、2014年に売ったら1000万円になったということ?」
「そそ。だから今6万円でも、3〜4年後には6000万円になるかも」
「さすがにそこまでは行かない気がする」
「それで私、この春に5万円だった時に100億円ほど買っちゃったのよね」
「凄い!」
「これが7月には8万円になったんで、すごーいと思っていたら8月に急落して6万円になっちゃって」
「やはり危険だ」
「でもまた上がりつつあるんだよ。多分年内に8万円か、ひょっとしたら10万円くらいまでは戻すと思う」
「相場って、まだ上がると思ってると落ちるよ」
「まあ100億くらい無くなっても別に構わないし」
「さすが若葉だ」
「でもそういう感覚で相場をやる人は意外に儲かったりする」
と千里は言う。
「でしょ。冬も千里も少し買ってみない?」
「うーん。じゃ取り敢えず20億くらい」
と千里が言うので
「だったら私も20億くらい買ってみようかな」
と冬子も言った。
「OKOK。私の使っている取引所、紹介するね」
と若葉は楽しそうに言った。
この時点で20億円は33,333BTCである。
冬子は考えていた。この春に★★レコードの内紛で株価が何度も激しい上下をした時に、雨宮先生がその相場に参戦し、自己資金に加えて千里から10億と冬子から20億を借りて膨大な利益を得た。それで各々の出資額に合わせて千里に30億、冬子に60億を返してくれた。つまり千里は20億、冬子は40億の利益を得たことになる。
しかし千里は雨宮先生にお金を貸す時、3億は自己資金だけど残り7億は借りると言っていた。その7億を返したら千里の手元に残るのは23億である。
冬子と千里はこの莫大な資金を使って深川アリーナの建設をすることにした。この建設費は冬子・千里・雨宮先生・上島先生・KL銀行で出し合っているのだが、千里の出資額は15億円程と聞いている。しかし彼女は千城台体育館のほうでも9億円使った。
ということは資金的な余裕は全く無いはずである。更に★★レコード株で儲けた分の税金を10億円、来年の3月には払わなければならない筈である。
それなのに彼女は気軽に20億と言った。恐らくは“無くしても悔やまない”程度のお金のはずである。ひょっとして元々千里はかなりの資金を持っていたのかも知れないと冬子は考えたのである。ひょっとして私より多かったりして?(このあたりは嫉妬)
実際の千里の資金力であるが2016年春の段階で13億円ほどの資金を持っていた。だから雨宮先生から10億貸してと言われた時、本当は無借金で貸すことができたのだが、《たいちゃん》が7億借りろと言った。
それで千里は常総体育館と市川体育館の土地・建物を担保に銀行から7億借りた。ふたつの体育館の不動産評価は合計2億しか無かったが、銀行は千里の年収を見て、残りは信用で7億貸してくれた。但し保証人を求められたので、これは雨宮先生が保証人になってくれた。
雨宮先生は★★レコード株で70億を280億にするという莫大な利益を得たので、利益の2/3の出資比率配分で20億を千里に還元。出資金と合わせて30億返還してくれた。
210億×10/70×2/3=20
それで一時的に資金は40億になっている。
但し10億円は税金用に取っておく必要がある。
深川アリーナに15億出資したが、その後千城台体育館で9億使った。もっとも今年払う必要があったのは土地代の2億と体育館建設費の前金(半額)で合計5.5億で、両者の合計支払額は20.5億円となり、この時点で千里の手元にはちょうど20億ほどの資金があったのである。千里は実はこの手元にあった資金を全部ビットコインに注ぎ込んでしまった。
千里の考えとしては、どうせ毎月数千万円の収入があるし、自分は贅沢な暮らしもしないので、ビットコインにした資産が全部無くなっても特に問題無い、というところである。この付近は結果的には若葉とも似た発想だ。収入の桁が1つか2つ?違うだけである。
ビットコインは2017年2月末にいったん14.6万円まで高騰したので千里は売り時だと思い、33,333BTCを全部売却した。これが48億円になったので、千里は税金14億円を払い、銀行からの借入金7億円を返済した。2016年度の音楽関係の収入が8億円あったので、この時点で千里の資金は35億円になっている。
ビットコインは2017年3月末には高騰の反動で11万円くらいまで落ちたので、千里は33億円をまたBTCに交換した。これが3万BTCになっている。
その直後、上島先生が江戸娘のオーナーを降りることになり、深川アリーナの運営会社JER4の出資額12億円を買い取ってもらえないかと打診してきた。江戸娘のオーナーは政子が引き受けることにしたのだが、政子に12億円は払えないので千里がこの分は肩代わりした。結果的に千里のJER4の出資額は27億円となって全出資額の46.5%になる。
この時点で千里はビットコインに換えていなかった日本円2億円と、3月までの音楽関係の収入2億円の合計4億ほどの現金(正確には一週間以内に現金化できる資産)を持っていた。そこで再び銀行から8億円を借りて、上島先生に12億円を支払った。銀行は昨年7億円借りたのをきれいに返してくれたことと、昨年の税金支払額が14億もあったのを見て、再度常総体育館・市川体育館を担保に8億円貸してくれた。再び雨宮先生が保証人になってくれた。
しかし千里は、上島さんは数千億円の資産を持っていると思っていたので、上島さんにとって“ハシタ金”かと思っていた12億円程度の株式・債券を買い取ってもらえないかと打診されたことに疑問を感じた。
それで千里は上島先生の周辺を調査した方がいいかもと考え、顧問弁護士の白金さんに、必要なら興信所なども使用して内偵してもらえないかと依頼した。
さて、2017年4月16日23:00。代表合宿中であった千里は桃香・京平・雨宮先生から同時に緊急ヘルプを求められ「身体が3つ欲しい!」などと思いながら、取り敢えず最も緊急度の高そうな桃香の所に急行するため、合宿所の建物を出て、大雨の中、傘を差して駐車場に向かおうとしていた。
そこに突然の激しい音と光があり、千里は一瞬何が起きたのか分からなくなった。
そして千里は4つに分裂してしまったのである。
千里0は意識を失って落雷の現場に倒れていたので、救急車で病院に運び込まれた。実際には0には「千里の中身」が入っておらず、肉体だけだったので、意識を「失っている」のではなく「意識が存在しない」状態だった。
千里1は駐車場に駐めていたアテンザに乗って桃香のアパートに急行。切迫早産の状態になっていた桃香を近くの産婦人科に運び込んだ。入院手続きをして、桃香の容態が安定したのを見て、いったん合宿所に戻るが“自分が倒れて病院に運び込まれた”と聞いて驚き、千里0が運び込まれた病院に行く。そして千里0と《合体》したことで、千里(千里0+1:千里1の第2世代)は意識を回復した。この千里は持っていたガラケーT008が落雷で焼損したため代わりにiPhoneを購入した。
千里2は気がついたら大阪の、貴司のマンションに居た。京平からの連絡は“京平のママ”阿倍子が熱を出して倒れているということだった。それで彼女を貴司のランドクルーザー・プラドに乗せると病院に連れて行った。結局、阿倍子は入院することになり、貴司も合宿中なので千里2は阿倍子の要請に応じて、京平をプラドに乗せて東京に連れて来た。千里2はT008を継続使用している。
千里3は気がついたら羽田空港に居たので、タイでヘルプを求めている雨宮先生を救出にバンコクまで往復して来た。雨宮先生を“引き取った”三宅先生(雨宮先生の妻:事実上の夫)から「千里ちゃんガラケーだからLINEで連絡が取れないから」と言われて、Aquos Phoneを渡された。それで千里3は一時的にガラケーT008とAquosの2台を所有している状態になった。
千里が3つに分裂したことに気付いたのは《きーちゃん》と京平の2人であったが、すぐに3人の中の千里2も自分が3つに分裂していることに気付く。それでその後《きーちゃん》・京平・千里2の3人によって、数年後に千里が1つに戻るまで“△(trinity) Project”が始動することになるのである。
なお千里1と2は卵巣・子宮を持っていたが、3は持っていなかった。どうも性転換手術後に美鳳と大神様により消滅していたはずの《性転換手術で作られた女体》を千里3は所持しているようなのである。千里2は《卵巣》がひょっとして小春由来のもの《狐の卵巣》である可能性を考えて《きーちゃん》に生理の排出物を検査してもらったものの、どちらも人間の組織で出来ていたことを確認。1も2も人間の女の卵巣を持っていることが確認できた。つまり千里1には人間の女性生殖器、狐の女性生殖器の2系統が存在するものと思われる。
千里2と《きーちゃん》が話し合った結果、3人の千里が日本国内に居るまま、かち合わないようにするのは至難の業(わざ)だという結論に達し、取り敢えず千里3をフランスの女子プロバスケットボールリーグLFBに所属するMBF(Marseille Basket Feminin)に留学させてしまう。その時「ガラケーはもう海外では使えないんだよ」と言ってT008は取り上げてしまった。
これでiPhoneを使うのは千里1、T008を使うのは千里2、Aquosを使うのは千里3ということで交通整理ができたのである。
千里1は日本代表の合宿でアメリカに行き、結果的には千里2が国内に残ることになった。なお千里のパスポートは実は元々2つ(M,F)あったのが千里の分裂でMはM1,M2,M3に枝分かれしている。しかしM1,M2,M3はクローンで情報が連動してしまうので、《きーちゃん》は、千里3には独立したパスポートFを持たせて、入出国情報に矛盾が生じないように工作した。日本代表で海外渡航する千里1がMのパスポート(M1)を使用する。
また千里2自身は練習していないと身体がなまるが、国内の体育館で練習すると誰かに見られて変に思われることと、練習パートナーを得られないことから、アメリカのセミプロリーグWBCBLに所属するPSF(Philadelburgh Swallows Feminine)に入れてもらい、5月から7月までのシーズンに参加することにした。WBCBLは「無給」なので、就労ビザが無くても参加できるのである。
※2017.4-6月の3人の千里
1 日本代表に参加。アメリカ遠征→ヨーロッパ遠征
2 アメリカのWBCBL/PSFに参加
3 フランスのLFB/MBFに留学(研修生)
7月4日、東京駅を舞台に、アメリカから来た超絶パワーを持つ吸血鬼と日本の霊能者数名が戦闘する事態が発生し、山園菊枝を含む4人の霊能者が全治1年ほどの瀕死の重傷、羽衣も全治半年の重傷を負ったが、この戦闘に巻き込まれた千里1は死亡してしまった。
しかしそこにちょうど青葉が来たことから、青葉の適切な処置と、千里の小さい頃からの眷属・小春の自己犠牲によって千里1は蘇生する。ただ、その後遺症で全ての霊的能力を喪失し、バスケットの力も極端に低下した。千里1は代表落ちを宣告される。
この事態に千里2と《きーちゃん》は話し合い、千里3を緊急帰国させた。それで結局千里3が千里1と入れ替わる形で日本代表に復帰する。また千里が所属しているレッドインパルスの方では、千里1は2軍落ちして 66.村山十里、の登録名を使用し、千里3が33.村山千里の名前を使うことになる。レッド・インパルスでは、“村山十里”と“村山千里”はおそらく春の落雷の影響で発生した二重人格であろうと考えていた。
この後《きーちゃん》の誘導で、村山十里(千里1)は午前中に2軍体育館に、村山千里(千里3)は午後に1軍体育館に姿を見せるようになる。また住居でぶつからないようにするため、千里3には“通勤に便利なように”と言って、川崎市内に新たにマンションを契約し、そこに住むようにさせた。
やがてWBCBLの今シーズンの試合が終わると千里2はそのままアメリカからフランスに移動した。そして“ビザの書き換えのため”に帰国していた千里3に代わってMBFに参加することにした。こちらには就労ビザが必要なのだが、MBFの運営会社に社会的な信用があることと、千里が国際大会で活躍する程の選手であるということから、無事就労ビザは下りていた。この作業は春に千里3とともに渡仏した《えっちゃん》がやってくれていた。
※2017.7-2018.3の3人の千里
1 レッドインパルス2軍(村山十里)
2 フランスのLFB/MBFに選手として参加
3 日本代表としてインドでアジアカップに出場。レッドインパルス1軍(村山千里)
さて春に千里が依頼していた上島先生に関する調査であるが、7月に一通りの調査結果があがってきた。白金弁護士は元からの千里の電話番号に連絡してきたので、千里2がその内容を聞くことになった。千里2は弁護士事務所まで行って詳しい話を聞いた。
1.上島雷太の経済状態はここ数年急激に悪化している。
−上島がプロデュースしていた歌手の多くが2013年までに引退してしまい、その後、それに代わるほどの稼ぎ手が出ていない。
−AYAは2014年は実質休業、2015以降は自主プロデュースに移行。
−ローズ+リリーも2014以降、上島の手を離れている。
−あちこちに持っていた不動産を次々に手放している。軽井沢・六甲・湯布院に所有していた別荘も売却済み。
2.相変わらず女性問題のトラブルが多い。
−少なくとも4人の子供を認知しており、各々に毎月かなりの養育費を送金していて、これも経済情勢を圧迫している。
−毎年のように愛人が発覚しては、手切れ金を渡して別れるということをしている。奥さんとの離婚は時間の問題と予想している友人も多い。
3.怪しい交友がある。
−都議会議員Tとかなり頻繁に会っているが、Tは様々な黒い噂があり、新宿某所で、東京地検特捜部が内偵しているのではという情報を掴んだ(但しこの情報は情報源が特定できなかったのでガセの可能性もある。
千里2は調査内容を聞き、腕を組んで悩んだ
「白金さん、ここからはオフレコで。上島さんは社会的な制裁を受けるに至ると思いますか?」
白金弁護士は言葉を選ぶように言った。
「昨今の不倫に対する世間的な風当たりはかなり強いです。何人ものタレントさんが不倫をきっかけに激しい批判にさらされ、活動停止に追い込まれた人たちもかなりあります。上島さんはやばいですよ」
そういえば雨宮先生も女性関係は乱れているけど、既婚者と未成年には手を出してないよな、と千里は思った。
「怪しい関係の方は?」
「都議Tと、その親分のS衆議院議員には疑惑のデパートと言ってもいいくらい怪しい話が色々あります。一部の週刊誌がかなり追及していますが、決定打に欠く状態です。今はS議員が属している派閥の長であるP元大臣がいるのでSもTも無事ですが・・・」
「Pさん、もう長くないですよね?」
「それは何とも言えませんが」
とさすがに白金弁護士も言葉を濁して苦笑した。
千里2は《きーちゃん》と話し合った。
「これ絶対やばいよね」
「私にも先のことは分からないけど、絶対いつかは破綻する」
「上島さんが破綻したらさ」
「日本のポップス業界が大激震になるね」
「上島さんは儲からなくてもいいから、多数のアーティストに楽曲を提供している。その上島さんが居なくなると、新曲を発売できなくなる歌手が大量に出る。過去の楽曲まで歌えなくなってしまう。結果的には多数のプロダクションやひょっとするとレコード会社まで倒産する可能性もある。多数の歌手、バンド、音楽関係の事業に従事している人が路頭に迷う」
「多分、上島さんが書いていた楽曲を多数の作曲家でカバーせざるを得なくなる」
「上島さんって年間何曲くらい書いているんだろう?」
「多分300-400曲」
「多くの作曲家は年間20曲くらいしか書けない」
「千里は30曲くらい書いているね。凄く多作だと思う」
「私が3つに分裂したのは、ひょっとするとこれに対応するためなのかも。1人30曲なら3人でなら少し頑張ると100曲くらい書けるかも」
「だったら今頃冬子は10人くらいに分裂しているかも」
と《きーちゃん》が言う。
「冬子って、そもそも10人くらい居たりしない?」
「そのあたりは私にも良く分からないなあ」
ともかくも、千里はその“破綻”が起きた時に供えて、新島さんやコスモスから依頼される楽曲も前倒し・前倒しで書き、それ以外にも楽曲のストックを作っておくことにした。それで千里2と《きーちゃん》は、これ以降、3人の千里に毎月割り当てる楽曲を増やすことにしたのである。
幸いにも、千里1が“事故”の後遺症で、創造的な作曲はできないものの《埋め曲》的な曲ならどんどん書ける状態になっていた。千里1はこれから2018年7月3日まで約1年の間に物凄い数の《埋め曲》をまるでコンピュータが作曲しているかのように書いてくれることになる。
さて、その千里1は一度死んだことから、様々なものを喪失していた。一時的には貴司のことさえ忘れていたし、京平のことも忘れていた。また眷属たちとのコネクションが切れてしまっていたが、眷属たちは千里の回復を3年間は待つことにして、その間、陰から千里を守ることにした。
眷属たちは千里のリハビリのため、Jソフトでの営業的な作業にも積極的に参加させた。ところがそこで千里1は川島信次という男性と知り合い、彼からプロポーズされてしまった。
プロポーズされたのが千里2や千里3であったら、きっちりお断りする所だが、千里1は気が弱く流されやすい性格である。それで自分でも戸惑っている内にいつの間にか婚約してしまい、信次の母にも認められて、彼と結婚することになってしまった。
困った、どうしよう?と悩む千里1だったが、千里1が実質的恋愛関係にあった桃香からは「1年後に離婚して私の所に戻ってくるなら結婚しても良い」というおかしな約束をさせられた上で結婚を認めてもらった。そして千里1はやっとその存在を思い出していた貴司に、自分は結婚することになったのでふたりの関係を解消したいという手紙を書いた。
※3人の千里の状況(2017年冬〜2018年夏頃):千里2的見解
■千里1 桃香が好き。川島信次と結婚。緩菜を妊娠。レッドインパルス2軍。
桃香からもらった婚約指輪(プラチナ)も所有している(結婚指輪は2014.7返却済)。
信次からもらった婚約指輪・結婚指輪(ジルコニウム製)をつける。
用賀のアパート→千葉の川島宅→名古屋のアパートに住む。
全ての眷属が付いている(但し、こうちゃん・すーちゃんは不在がち)。
iPhone→故障→2018.1からGratina2 KYY10 pink(ヤマゴのストラップ付)
ミラを使用(アテンザとオーリスを知らない)
■千里2 貴司らぶ。全てを知っている。霊的能力・音楽能力が高い。MBF/PSFに参加。
貴司からもらった婚約指輪・結婚指輪(18金)をつける。
主として葛西のマンションに居ることが多いが千里3が葛西を使っている時はだいたい常総ラボに泊まり込んでいる。
《きーちゃん》《こうちゃん》の他《えっちゃん》と《つーちゃん》を使う。
ガラケーT008。主としてオーリスを使用。
■千里3 琴沢幸穂の主体。卵巣・子宮無し。レッドインパルス1軍・日本代表。
恋愛には興味が無い。バスケット一筋。川崎のマンションに住む。
《きーちゃん》《こうちゃん》が接触している。
Aquos Serie
主としてアテンザを使用(ミラも知っている。オーリスは知らない)
千里2・千里3の存在を知っている眷属は《きーちゃん》《こうちゃん》の他《すーちゃん》と《くうちゃん》である。他の眷属は千里の分裂に気付いていない。《こうちゃん》が知ったのは2018年4月、《すーちゃん》が“確信”したのは5月。
※千里の代理
■千里B(きーちゃん・天野貴子・天徳帰蝶)
千里の究極の守護神として大神様より特命を受けている。小春の事を知っていた。 千里に代わって大学に通い、巫女を代行して龍笛を吹き、卒業後はJソフトに 勤める。Java/C++/UNIX系担当。
Arrows NX F-02G whiteは自身の専用。他に千里1〜3全員のクローン携帯を持つ。 ホンダ・シャトルを専用車として使用
■千里C(せいちゃん)
Jソフトに勤める。BASIC/Perl/PHP/HTML/JavaScriptなど担当。
ハッカーとしての才能が高く、貴司関係の工作で電子メール改竄もしていた。 住宅などの電子ロックやセキュリティを突破できる。本当は女装が嫌でたまらない。 Arrows NX F-01J white
宮田雅希のクローン免許証を所持
■千里D(てんちゃん)
《すーちゃん》と2人でファミレスに勤めてくれていた。2人でやっていたのは、深夜勤務は(普通の女子には)ハードなため。
■千里E(すーちゃん・南野鈴子)
バスケットの能力が高い。実はバレーも上手い。しばしば千里の代理で練習に参加。 Xperia X Performance SOV33 Lime Gold
須賀秀美名義の運転免許証を所持(佐藤玲央美だけが知っている)
玲央美とお互いに協力関係にある。
■千里F(こうちゃん・四谷勾美(山村勾美)・紹嵐光龍)
眷属たちの中で別格の《くうちゃん》を除き最強のパワーを持つが悪い事が大好き。 女装も大好きで女子高生の制服を着ていたりするが、女子高生には見えないのが問題。 アクアのマネージャーをしている。昔、虚空の眷属であった。現在も協力関係にある。 Galaxy S7 edge SCV33 Black Onyx(アクアのマネージャーの携帯)
BMW X4 xDrive35i M Sports (右H) DBA-XW35 2979cc 8AT Fulltime-4WD 5名 Alpine White III (アクア絡みで使用することが多い)
※千里1の眷属(美鳳から貸与)
騰蛇・朱雀・六合・勾陳・青竜・天一貴人・天后・大陰・玄武・大裳・白虎・天空
★この他ヤマゴを羽衣から貸与されている。
※千里2の直接の眷属
帰蝶(=貴人)・光龍(=勾陳)・絵姫(工藤映玲南)・月夜(祐川紡貴)
★小春はむしろ千里1の直接眷属である。
※千里3の日常サポート(千里2が貸与)
花星(2017秋に絵姫と交替して2番の所に戻る)
※出羽の八乙女
恵姫・美鳳・磯子・佳穂・浜路・藻江・奈美・府音
※青葉の眷属
雪娘、紅娘、小紫、笹竹、玉鬘、海坊主
★「ゆう姫(姫様・玉依姫神)」は青葉の眷属ではなく単に居候しているだけである。
※虚空(丸山アイ・高倉竜・久保早紀)の眷属の一部
ふーちゃん:風生(芙貴子)、しーちゃん:四不象(詩浮子)
※女装ビーツのメンバー
戸田(騰蛇)、栗山(六合)、黒石(玄武)、水流(勾陳)、白鳥(白虎)
※市川ドラゴンズのメンバー
南田兄弟♂♂、前橋♀、七瀬♀、九重♂、清川♂、万奈♂、青池? (勾陳の“悪い仲間”たち)
2017年のローズ+リリーは★★レコードの村上社長から強引に《郷愁》というアルバムタイトルを押しつけられ、しかもそれを11月にリリースしてくれと言われて、ケイ(冬子)は本当に困ってしまった。それで短期決戦で音源製作をすべく、7月中旬までに必死に収録する曲のスコアを作成、8月にミュージシャンを“郷愁村”に集めて、集中して制作をしようとした。
短期決戦でやるのでいつものようにひとりが多数の楽器を演奏して多重録音するという手法が使えず、楽器の数だけミュージシャンを揃える必要がある。ここで冬子は龍笛の演奏者に困った。
龍笛は最初青葉に頼んでいたのだが、青葉がシビアな霊的相談事を処理していてどうにも時間が取れなくなってしまった。千里自身は7月の事故の後遺症でまだとてもまともに演奏できない状態だと聞いた。千里の後輩の林田さんは運転免許を取るために合宿に入っているという。
音源制作は龍笛が絡まない曲から始めたのだが、冬子が困っていたら千里(千里2)が連絡してきた。
「去年の春のツアーに参加した“謎の男の娘”(オクト)さんが平日の午前中、6時から12時くらいまでなら稼働できると思うんだけど、彼女じゃダメ?土日は朝から晩までOK」
「助かる!でも6時では誰も起きてないから、8時から12時か13時くらいとか頼める?」
「13時までならいい。彼女は実はバスケット関係者なんだよ。午後からは練習があるから出られないんだ」
「あぁ。でも13時までこちらに出ていて間に合う?」
「13時に音源制作から上がれば、K駅までバイクで走ると距離7kmだから10分程度で到達できる。13:33の新幹線に間に合うから、それで練習場に行けば間に合う」
「申し訳無い!交通費・ガソリン代は全部出すから」
「OKOK」
千里が冬子と電話で話した日、8月3日(木)に、青葉は高野山から戻って東京に行こうとして、梅田の地下街で迷子になり!阿倍子・京平の親子と偶然遭遇した。
阿倍子は青葉が千里の妹とは知らず、京平が生まれた時に助けてもらった霊能者とだけ思っている。青葉はなりゆきで京平に食事をおごってあげた。
「今日はキュロット穿いているんだね」
「うん。このズボン、スカートみたいで好き」
「へー。じゃスカート穿くのも好き?」
「好きだよ」
「女の子になりたい?」
「女の子になるには、おちんちん取らないといけないらしいから、なりたくない」
やはり、ちー姉の遺伝で女の子の服が好きなのかなあ、などとも思いながら京平と、たわいもない会話をしていた時、青葉はその京平から、手掛けていた事件に関する重大なヒントをもらうことになる。
青葉はそれで東京行きを中止して金沢に戻って放送局の人と、その計画について話し合うことにする(この連絡を受けて冬子は龍笛の代わりの演奏者を探すハメになった)。その計画には霊的な防御力の高いドライバーが必要であった。おりしも千里がちょうど北陸に来る途中であることを聞き、青葉は千里にそのドライバー役を頼んだ。
千里(千里2)は3日23時に高岡に到着した。それで青葉が詳しい状況を話すとそのドライバーをするのは全然問題無いと答えた。ほんの半月前にあれだけの重大な事故にあった千里が、物凄く回復している様子に内心驚きながら青葉は《霊回収車》の運転を頼んだ。
千里はそれをあらためて快諾した上で言った。
「そうだ、最近青葉、ヤマハの250ccバイク使ってる?」
「それが最近、なかなか乗れなくて。少し時間が取れたらFJR1300ASの方の練習ばかりしてるし」
「だったら、しばらくYZF-R25は私が借りてていい?」
「うん。いいけど」
「じゃちょっと借りるね」
「もしかして今から使うの〜?」
それで千里はYZF-R25に乗って、真夜中出かけて行った。朝までには戻ると言っていた。
実際には千里2は《きーちゃん》を通して《くうちゃん》に依頼し、YZF-R25を東京に転送してもらった。そして翌朝8時に《きーちゃん》に覆面をしてそのバイクに乗り、冬子たちが音源製作をしている郷愁村に乗り入れてもらったのである。そして13時であがると、そのバイクに乗って新幹線K駅まで移動してもらった。バイクは駅近くにわざわざ駐車場を借りてそこに駐めている(この駐車場代は冬子からもらった:制作費用として処理)。
千里が郷愁村への“通勤”用に青葉の250ccバイクを借りたのは、千里が所有するバイクはカワサキのNinja ZXR600R, ZZR-1400, スズキのGSX1300R"隼"と大きなバイクばかりで「渋滞と無関係に通行する」用途には微妙であったことと、実際に使用する《きーちゃん》が大きなバイクは自信が無いと言ったためである。《きーちゃん》は
「250ccかせめて400ccくらいまでなら何とかなると思うけど600以上は怖い」
と言った。
そういう訳で8月4-7日の『青い浴衣の日々』の音源製作で“謎の男の娘”として龍笛を入れたのは実は《きーちゃん》だったのである。彼女は自分が所有する室町時代に製作された古い煤竹の龍笛を使ってこの曲を吹いたので、ひじょうに趣きのある音を入れることができた(彼女がライブで使用しているのは明治初期に制作された花梨製の龍笛−但し野外で吹く時は同じ花梨製でも現代の作品あるいはプラスチック製を使用)。
制作の期間、《きーちゃん》は覆面をしたまま、朝8時に郷愁村に入り、13時には郷愁村を出るというパターンを続ける。村に居る間はずっと覆面をしたままである。YZF-R25も覆面をしたまま運転していた。但し8月5-6日は1日中、音源製作をしていた。
一方千里2自身は8月5日の朝まで青葉と一緒に飛散した霊の回収作業をし、5日の朝4時半頃にミッション完了。午前中の新幹線で東京に戻った。実際にはこの日の午後いっぱい仮眠して、夕方、アメリカのPSFチームに合流。日本時間6日0時(セントルイス時刻5日10時)からの試合に参加した。
千里2は8月6日14:00(日本時間7日8:00)の決勝戦を見ると、セントルイス市内で一泊した後、フランスのマルセイユに直行して、LFBのMBFチームに合流した。これがフランス時間の8月8日12時(日本時間8日19時)頃である。移動には3つの飛行機を乗り継ぎ、乗り継ぎ時間も入れて18時間ほど掛かっている(純粋な飛行時間は11時間ほど)。
そしてこの後は、フランス時間の9-18時(日本時間16-25時)に練習をするサイクルになる。但し試合は多くの場合土日の20:00-21:30または14:00-15:30(日本時間3:00-4:30, 21:00-22:30)に行われることが多い。これがフランスが冬時間に切り替わる10月29日以降は1時間遅くなるので、練習は日本時間の17-26時、試合は4:00-5:30, 22:00-23:30くらいの時間帯になる。
LFBのシーズンは9月29日に開幕したので、それまでの期間はローズ+リリーの音源製作にはだいたい千里自身が覆面をして《謎の男の娘》として参加し、シーズン開始以降、土日は《きーちゃん》、平日は千里2自身が参加していることが多い。ローズ+リリーの制作は2017年10月以降は《平日組》と《休日組》に分離して進行したので、《平日組》の制作の多くは千里、《休日組》の多くは《きーちゃん》が参加している。
千里の龍笛は中学1年の時に貴司のお母さんからもらった天然煤竹の龍笛、きーちゃんの龍笛は前述、室町時代の作品である。どちらも煤竹で過度な装飾はされていない実用品なので、民謡楽器の専門家ではあっても雅楽器に必ずしも詳しくない冬子は違いに気付かなかったようである。
なお、YZF-R25は『郷愁』の制作が終わったら青葉に返却するつもりだったのだが、例によって千里は物忘れが多く、借りたものを借りっぱなしにしやすい性格であること、青葉も忙しくてそもそもあまりバイクに乗っていなかったこと、そして何と言っても250ccバイクには車検がないことから、忘れられて、その後、ずっと千里が手元に置き(常総ラボの車庫に保管)、主として《きーちゃん》と《すーちゃん》が使用していた。
千里2は自分が3人に分裂してしまっていることを、ごく親しい数人にだけ打ち明けることにした。そうすることに決めたのは何と言っても千里1が川島信次と結婚することになってしまい、その話に困惑したり激怒した人たちがいたからである。
千里1が信次と婚約したのは9月16日(土)であるが、この日千里2は金沢に来ていて、青葉と一緒に「飛散した霊」の最終的な処理をしていた。
千里2は17日の深夜0時頃に、自分の車オーリスに乗って東京に戻っていった。そして同日朝7:00、千里1が青葉と朋子に、婚約したことを電話で伝えた。これに青葉は困惑し、その結婚には賛成できないと言った。ところがその直後、千里2から電話があり、免許証を忘れてきたことに気付いたので持って来て欲しいという。聞くと千里2はまだ東部湯の丸SAに居るという。
何か不可解な事態が起きていることを認識した青葉はとにかく千里が忘れていった免許証の入ったバッグ(高額現金やパスポートも入っている)を持ち、自分のアクアに乗って東部湯の丸まで行った。
青葉は千里と会うとその姿をよくよく観察した。
・これは間違い無く千里本人だ。眷属の擬態ではない。
・凄まじいオーラを持っていて、霊的能力の高さを感じる。
青葉は千里に「ちょっと電話していい?」と断って、用賀のアパートの家電に掛けた。するとそちらも千里が電話を取った。目の前にも千里がいるのに!青葉は電話の先の千里も観察する。
・向こうもやはり千里本人である。
・物凄く弱々しいオーラであり、霊感のかけらも感じない。
青葉は電話の向こうの千里に言った。
「変なこと言ってごめんね。結婚おめでとう。披露宴の司会をさせてよ」
そして電話を切ってから目の前の千里に言った。
「ちー姉。この春から、どうも納得の行かないことが多かったんだけど、やっと原因が分かったよ」
「青葉にしては気付くのに時間が掛かったね」
と千里は笑顔で言った。
その左手薬指にはいつの間にか金色の結婚指輪も輝いていた。
千里はそのまま青葉と一緒に東京に行き、葛西のマンションに連れて行った。このマンションを他の人に教えるのは初めてである。
(ここに千里が住んでいることを知っているのは他には佐藤玲央美と虚空、あとは龍虎だけ)
そして実は千里は3人に分裂していることを青葉に教えたのである。青葉は千里3にも会ってきて、そちらが千里2には劣るもののかなりの霊的な能力を持ち、プロバスケット選手として活動していること、そしてその千里は自分の分裂には気付いていないことを認識した。
更に青葉には、千里が3人に分裂した時、同時にアクアも3人に分裂してしまったことも語った。
1週間後の9月24日(日)、千里の結婚という話を貴司から聞いて困惑した保志絵は詳しい話を聞こうと大阪に出てきたものの、貴司は不在で阿倍子も出かけてしまい、京平と2人でお留守番することになった。そこに千里(千里2)が来訪する。
それで保志絵が千里2と話していた時に、千里1からの電話が掛かってくる。
へ?
保志絵は目をゴシゴシして、目の前の千里を再度見た。目の前の千里は微笑んでいる。そして電話の向こうの千里はしきりに謝って、言い訳めいた事情説明を長々とした。それで保志絵はその千里に伝えた。
「こちらこそ貴司が曖昧な態度を取り続けて御免ね。幸せになってね」
電話を切ってから保志絵は目の前にいる千里(千里2)に訊いた。
「あんた、千里ちゃんだよね?」
「私は間違い無く千里です。私は貴司さんの妻です」
と言って、千里2は落ち着いた表情、しかし燃えるような熱い目で、貴司との婚約指輪と結婚指輪を薬指に付けた左手を見せた。
「電話の向こうに居たのは?」
「あれも千里です。あの子は川島さんと結婚します」
「千里ちゃんって2人いるの〜〜〜!?」
「それが3人いるんですよね」
「うっそー!?」
千里2は春に落雷に遭った時、なぜか自分が3人に分裂してしまったこと、その内の千里1が7月に事故に遭いいったん死亡し、蘇生したものの霊的な能力と多くの記憶を失っていることを語った。
「それで結局、1番はバスケットの能力も落ちているので“村山十里”の名前でレッドインパルスの2軍でリハビリしているんですよ。3番が“村山千里”の名前で1軍登録され、日本代表としても活動しています。ふたりがかち合わないようにするのは、私の眷属が調整してくれています」
と千里2は説明した。
千里の眷属のことは、実は保志絵と留萌Q神社の宮司だけが全容を知っている。千里が12人の眷属たちを使いこなせるように訓練してくれたのがQ神社の宮司なのである。
「じゃ、あなた・・・2番さんはどうしてるの?」
「3人も日本に居たら調整不能なので、私は海外に居るんですよ」
「それでマルセイユに居るのか!」
「アメリカのWBCBLとフランスのLFBに参戦しています。WBCBLは5月から7月、LFBは9月から5月がシーズンなので、重ならないんですよね」
「へー!」
「WBCBLはセミプロリーグですが、LFBはプロリーグで、だから私も一応、女子プロバスケットボール選手なんですよ」
「凄い」
「実は私がもらっているお給料の方が、3番がもらっているお給料より高い」
「おぉ」
「東京五輪までには1つに戻れるといいなと思っているんです。そしたら日本代表として鍛えられている3番と、アメリカ・フランスで修行している私とが合体して、超強力な選手になれると思うから」
「そうなるといいね」
と保志絵は笑顔で答えた。
1 2 3 4
【△・瀬を早み】(1)