【△・瀬を早み】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-07-16
16時頃、休日出勤していた貴司が会社から戻ってくるが、千里2は貴司が千里中央駅を出たのを察知した所で、いったんマンションから退出した。戻ってきた貴司に保志絵はあらためて千里のことを尋ねたが、貴司の返事は全く要領を得なかった。
「実際問題として、今あんたと千里ちゃんはどのくらいの頻度で会ってるのさ?」
「だいたい月に1度は会ってる」
「寝てるんだよね?」
「それが千里は絶対させてくれないんだよ。僕と阿倍子が離婚するまでは、結婚している男とセックスなんかできませんと言って」
と貴司が情け無さそうに言うと、保志絵は吹き出した。
「じゃデートするけどセックスしないんだ?」
「同じベッドには寝てくれるんだけどタッチ禁止。キスも禁止」
「中学生カップルみたい!」
「中学生の頃はセックスまではしてなかったけどキスはしてたよ」
「はいはい」
「今回、千里は自分たちの関係を解消したいからと言って、お揃いの携帯ストラップも送り返してきたんだけど、僕はこれだけは持っていて欲しいと言って返送した。千里もだったら机の引出しにしまっておくと言っていた」
と貴司は言っていたが、保志絵はさっきまで居た千里が自分の赤いガラケーにちゃんと金色リングのストラップを付けていたのを見ている。おそらく千里が3人に分裂した時、リングのストラップも3つに別れ、1番の千里はそれを机の引出しにしまっても、2番の千里はずっと自分の携帯に付けているのだろうと保志絵は思った。
そして保志絵は貴司が自分のスマホにちゃんと金色リングのストラップを付けているのを確認して、満足した。
阿倍子は遅くなっているようであったが、保志絵は
「今日は帰るね」
と言って、京平をハグしてからマンションを出た。
そしてマンションの外で千里2と合流し、一緒に伊丹に向かった。
千里中央17:46-17:59伊丹空港18:55-20:40新千歳空港
保志絵は大阪に来る時にも新千歳から飛んできていたので、新千歳空港の駐車場に自分の車ハスラーを駐めていた。それで千里2がそのハスラーを運転して、取り敢えず札幌に向かった。
飛行機の中で、そして車の中で千里と保志絵はたくさんお話をした。終始千里は泣いていた。その涙を保志絵は貴司への愛の証だと感じ取った。
「本当に千里ちゃん、翻弄してしまってごめんね。千里ちゃん、泣くこともできなかったんじゃないの?私の前では、いつでも泣いていいんだからね」
「はい、ありがとうございます」
と千里2は涙をぬぐいながら答えた。
21時半頃、予約していた札幌市内のホテルに到着する。
このホテルには既に、理歌・美姫・玲羅が保志絵からの連絡で来ていて、先にチェックインしていた。その部屋番号を理歌から訊いて2人はその部屋へ行く。
「みんな、心配掛けてごめんね」
と部屋に入るなり、千里2は妹たちに謝った。
「姉貴、どういうことなのか説明して欲しい」
と厳しい声で玲羅が言う。
「じゃ説明するね」
と言った千里は、持参のホワイトボードに1、2、3という数字を書くと
1 03-37**-****
2 080-****-****
3 080-****-****
と3つの電話番号らしきものを書いた。1は固定電話の番号のようである。
「理歌ちゃん、2番の番号に掛けてみてよ」
「うん」
それで理歌が掛けてみると千里が持っている赤いガラケーが鳴る。
「はい、もしもし。通話できるね」
「何の実験?」
「理歌ちゃん、今度は3番の番号に掛けてみて」
「うん」
理歌は首をひねりながら電話を掛ける。
「はい。千里です。理歌ちゃん、どうしたの?」
と、とても明るい千里の声が聞こえるので理歌は仰天する。
スマホから漏れてくる声を聞いて、美姫と玲羅も驚いている。
目の前の千里は無言で微笑んでいるだけである。
「あ、お姉さん。今、良かった?」
と理歌は訊いた。
「うん。さっき練習が終わってマンションに帰った所なんだよ。10月7日から今年のWリーグも開幕するし、去年はやや不本意な成績だったから今年は頑張らなきゃってんで、みんな練習に熱が入っているんだよね」
と話す千里の声は元気がみなぎっている感じだ。
「わあ。頑張ってね。今年もオールジャパン出るんだっけ?」
「出るよ。まあ正式には11月に予選を勝ち上がってきたアマのチームと対決して勝ったら出られるんだけど、負けることはないよ」
「だったら、見に行こうかなあ」
「来るんだったらチケット確保しておくよ。何人で来るか決まったら教えて」
「はい、お願いします!」
そんな話をして、理歌は千里(千里3)との通話を終えた。
「電話の向こうに居たのも千里さんだった。これどうなってんの?」
と理歌は目の前にいる千里(千里2)に尋ねる。
「ほんとに困っているんだよね〜。1番の番号には玲羅が掛けてみる?」
と千里2は言ったが、玲羅は腕を組んで考えるようにしてから言った。
「その電話番号の向こうにも、姉貴がいる訳?」
「そうなんだよ。よく分かったね。川島信次と結婚しようとしているのが、その1番の千里だよ」
「じゃ・・・えっとここに居る姉貴、2番は?」
「私は貴司の妻だよ」
と言って、千里は左手薬指をみんなに見せた。そこには金色の結婚指輪と1.2ctの巨大なダイヤモンドの付いた金色の婚約指輪が輝いている。
「姉貴、3人いる訳〜!?」
「パスポートのやりくりが大変だよ」
などと千里2は言っている。
「いつから3人いるんですか?最初から?」
と美姫が訊く。
「この春に私、落雷に遭ってさ。その時のショックで3つに別れてしまったみたい」
「うっそー!?」
「3人の千里は各々、他の千里のことを知らなかった。でも私は分裂した後の周囲の人たちの不可解な反応を見ていて気付いた」
と千里2は言う。
「どうしたら人間が3つに分裂する訳?姉貴って人間だよね?」
「そのつもりだけどなあ」
「うーん・・・」
「まあそういう訳で1番は川島信次と結婚しようとしているみたいだけど、私が観察するに、この人、貴司以上の浮気者みたいでさ。あ、ごめんね、お母さん」
と千里は保志絵を見て言うが
「いいよいいよ、ほんとに貴司はどうしようもない浮気性だから」
と、保志絵は匙を投げた言い方をする。
「だから千里1と川島さんは半年程度で破綻して離婚に至ると思う」
「はぁ・・・」
「だから放置でいいかな、と」
「千里ちゃん、貴司もあと4ヶ月で離婚すると言っていたね」
「それも間違い無いと思います」
「だったら兄貴が離婚して、千里姉さんもその川島さんと離婚して、半年後の2019年1月くらいには千里姉さんと兄貴が再婚できる感じ?」
と理歌は訊いたのだが、千里は少し悲しそうな目をして言った。
「私と貴司が結婚できるのは多分2021年」
「そんなに掛かるの!?」
「色々面倒な問題が起きそうなんだけど、私にも今の段階では何が起きるのかよく分からない」
玲羅も理歌も美姫もお互い顔を見合わせながら悩んでいた。しかしやがて理歌が言った。
「でも千里姉さんが兄貴を諦めていなくて、千里姉さんの占いでいづれは兄貴とちゃんと結婚できるということだったら、私たちは引き続き、千里姉さんは兄貴の奥さんと思っていていいよね?」
「そう思ってくれると嬉しい。私は貴司の妻だし、京平と環菜のお母さんだから」
「かんな?誰ですか?」
「貴司の2人目の子供」
「そんな子、いつ生まれたの?」
「たぶん来年の秋くらいに生まれると思う」
「へー!」
「“かんな”って名前なら女の子?」
と理歌が訊くと、千里は
「それが男なのか女なのかよく分からないのよね〜。男の子で“かんな”って人もいることはいるし」
千里・保志絵、玲羅・理歌・美姫の5人の話し合いはその夜遅くまで続いたが、全員、千里2を引き続き貴司の妻と考えること、そして3人の千里がいづれひとつに戻るまで様子を見ていくことで同意した。
「それでさ、玲羅、悪いけど、うちの母ちゃんと一緒に1番と信次さんとの結婚式に出席してくれない?」
「嫌だ」
「そこを何とか」
「姉貴はいい訳?」
「私も不愉快だけど、1番を悲しませたくもないんだよ」
「ああ・・・・」
と言って玲羅は悩んでいたが
「少し考えてみる」
と答えた。
「うん、よろしく」
10月、千里1はアクアのマネージャー山村勾美(こうちゃん)から
「醍醐春海先生、アクアに関して色々よくないことなども起きているので、みんなで厄払い旅行に行こうという話になったんですよ。よかったら10月11日にご一緒頂けませんか?」
と打診された。
(この時点で《こうちゃん》はまだ千里の分裂に気付いていない)
「厄払いですか・・・どこかの神社かお寺ですか?」
「東京の住吉神社、大阪の住吉大社に行った後、多賀大社、伊勢の神宮で打ち上げです」
と勾美は答えた。
「山村さん、神道にお詳しいみたい」
と千里が言う。
「え?」
「“伊勢神宮”ではなく“伊勢の神宮”とおっしゃったから」
「ああ。『伊勢神宮』なんて言葉を発したら、神道に少しでも知識のある方からは冷たい視線で見られますから」
「そんな名前の神社は存在しませんからね。あそこは何も修飾語の付かない“神宮”。でも神道に関わっていても、これ分かってない人結構いるんですよ」
と千里は言った。
千里1は作曲の依頼がここの所少し増えていてスケジュール的には結構辛い状態ではあったものの、旅行をすれば新たな発想が得られるかもと考え、了承した。そして2軍のキャプテンに10月11-12日の練習を休ませて欲しいと連絡しておいた。
それで千里1は10月11日(水)に、アクアの厄払いツアーに参加した。参加者は下記9名である。
アクア(F)、紅川勘四郎(§§ホールディング社長)、緑川志穂(アクアのマネージャー・会計係) 、三田原彬子(TKR課長)、松浦紗雪(ファンクラブ会長)、雨宮三森、千里、蓮菜、矢鳴美里(運転担当)
朝、東京都内の月島駅前に現地集合だったのだが、アクアの着けている衣装に吹き出す。
「龍、何て格好してるの?」
「マリさんに着せられたんです」
とアクアは言っているが、どうも楽しそうだ!?
彼女(彼?)はバスガイドの衣裳を着ているのである。松浦紗雪もその衣裳を見てはしゃいでいる。
「やはり今後は可愛い女の子の服で出演する路線に行こうよ」
などと言っている。
「それはさすがに世間が許さないので勘弁して下さい」
と言っているアクアが、今日は妙に色っぽい。バスガイドのコスプレのせいか凄く女の子らしいのである。
今回の厄払いツアーは参加者が多かったので日程を3つに分けたらしいのだが、アクア抜きで回るのは間が抜けているので、アクアは毎回参加なのである。同じルートを3度回るので
「ボクはもうバスガイドさんの気分です」
と9日の日程の時に言ったら、それを聞いた9日の参加者・マリが
「だったらバスガイドさんの衣裳をプレゼントするね」
と言って、昨日わざわざ事務所まで持って来たらしい。それで今日はそれを着ているのである。アクアも悪ノリして
「皆様、今から参ります住吉神社でございますが、大阪西淀川区佃(つくだ)にある田蓑神社(たみの・じんじゃ)の分霊をお祭りしたものでございます」
などとガイドさん調の抑揚で解説をしている。
「田蓑神社は神功皇后(じんぐう・こうごう)ゆかりの鬼板をお祭りしている神社で、当地の住人たちが江戸に移住した時、この地を埋め立てて人工島とし、出身地と同じ佃の名前を付けたので、ここは佃島(つくだじま)と申します。そして出身地の神社の分霊を勧請してここにこの神社を建てました。御祭神は住吉三神、神功皇后、そして東照権現つまり徳川家康公でございます」
「本能寺の変が起きた時に家康公は大阪に居ましたが、このままでは危ないと判断し、有名な伊賀越えをして岡崎に戻ります。この時大阪の佃村の住人たちが家康公の脱出に協力したのです。それから家康公と佃村の住人たちの協力関係は始まり、家康公が佃村の住人に全国の漁業権を与える一方、彼らは家康公の隠密のような役割も果たしたと言われます。その縁があって、家康公が江戸に下った時、佃村の漁夫33名と田蓑神社の神職が江戸に同行し、ここに人工島を作って住むようになったものです。佃煮(つくだに)は当地の漁民たちが保存食として作っていたものです」
「現在の佃島はこの元々の佃島と隣接していた石川島とが地続きになり一体化したものです。明治になるとこの地に石川島造船所が作られ、現在のIHI−石川島播磨重工業のルーツとなりました」
アクアの解説は本当にバスガイドさん並みに詳しい!
一行は住吉神社にお参りした後、3台のタクシーに分乗して東京駅に向かう。この時の組み合わせはこのようになった。
紅川・雨宮・松浦
緑川・三田原・アクア
矢鳴・千里・蓮菜
“危険人物”の雨宮と松浦は紅川会長が接待する方向のようである。雨宮は油断するとアクアをホテルに連れ込みベッドの上で弄びそうだし、松浦は目を離すとアクアを拉致して病院に連れ込み女の子に改造してしまいそうだ。
千里(醍醐春海)・蓮菜(葵照子)と一緒になった2人の専任ドライバー矢鳴が
「葵先生、新婚旅行からは、いつお戻りになったんですか?」
と尋ねた。
「仕事の都合上あまり休んでいられないのよね。だから23日に結婚式を挙げて24日から10月1日まで1週間ハワイに行ってきた。まあハワイなんてわりとどうでも良かったんだけど、新婚旅行やっておかないと周囲がうるさいし」
「でも1週間おふたりだけで過ごすのがいいんじゃないんですか?」
「私たちとっくの昔に枯れちゃってるから」
「あらら」
ところがそんな会話を聞いて千里1はびっくりした。
「蓮菜、結婚したの!?」
と訊くので、蓮菜の方が戸惑う。
「何を言ってる?千里、私の結婚式に出て、友人代表で挨拶してくれたし、余興でバスケット・パフォーマンスしてくれたじゃん」
「え?そうだっけ!?」
「やはり千里はこの春の落雷以来おかしい」
と蓮菜は言っている。
「でも醍醐先生とお話ししていて話が通じないのはいつものことですし」
と矢鳴が言うと
「うん。千里は10人くらい居るとしか思えん時がよくある」
と蓮菜も言っていた。
「あははは。自分が10人欲しいかも」
と千里。
「ところで誰と結婚したんだっけ?」
「田代とだけど」
「田代君と結婚したんだ!おめでとう!後でご祝儀渡すね」
「いや、既にもらっている」
「ほんとに?」
「葵先生も黙っていれば二重取りできたのに」
「あ、そうすればよかった」
実際には9月23日、千里1は用賀のアパートに居て、ひたすら作曲をしていた。
そして千里2は蓮菜の結婚式に出席して、祝賀会では矢鳴も言ったように友人代表としてスピーチをし、余興でバスケット・パフォーマンスをした他、ピアノの伴奏も何件かこなしている。式にはゴールデンシックスのメンバーなど、旭川N高校時代の友人たちも出ている。矢鳴もこの祝賀会に出席した。
一方千里3は実は都内の別の場所で女子日本代表・アジアカップ優勝祝賀会に出席していた!
一応蓮菜の結婚祝賀会と、日本代表の優勝祝賀会は時間帯がずれているので、1人の人物が両方に出席することは可能ではあった。
そして翌24日に千里2は大阪のマンションで保志絵と会うのである。
東京駅からの新幹線は目立たないように複数の車両に分散して座ったが、寝ている人が多かったようである。
新大阪駅で、近くの駐車場に駐めていたキャラバン・ワゴン10人乗りを持ってくる。これは9日に借りて9-10日は田代夫妻やエレメントガードの子たちを乗せて走り回った車で、今日明日も使ってから明日夕方返却する予定である。それで昨日から駐車場に駐めてあった。
今日の参加者が全員乗り、矢鳴が運転して住吉大社まで行き、お参りした。アクアはバスガイドのコスチュームのまま、旗!まで持って一行を案内した。
「イザナギの神とイザナミの神は一緒にたくさんの神様を産みますが、最後に火の神である迦具土神を産んだ時に大火傷をして亡くなってしまいます。妻を失って悲しみに沈んだイザナギの神は、黄泉の国までイザナミの神を連れ戻しに行くのですが、失敗してしまいます。それでイザナギの神は筑紫の日向の橘小門のアワギ原という所で禊ぎ(みそぎ)をするのです」
とバスガイドに扮したアクアが解説する。
「この時、川の底の方で身体を洗っている時に底津綿上津見神と底筒之男命、中程で洗っている時に中津綿上津見神と中筒之男命、川の水面近くで洗っている時に上津綿上津見神と上筒之男命が生まれました」
「この底津綿上津見神・中津綿上津見神・上津綿上津見神の三神を綿津見神(わだつみのかみ)と言い、海の神様として福岡県志賀島(しかのしま)の海神社(うみじんじゃ)に祭られています。そこが全国のわだつみ神社の総本社です。この志賀島というのは《漢委奴國王》の金印が発見された所で古代にはとても栄えた所と思われます。このわだつみ神を信奉していたのが古代の海洋の民、安曇一族で、長野県の安曇野にもその名前を遺しています」
「そしてもうひとつ底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三神を住吉大神(すみよしのおおかみ)と言い、綿津見神と並ぶ海の神様、海運の神様として、全国の住吉神社に祭られています。特に大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社が重要で、三大住吉と呼ばれます。この内、大阪の住吉大社には住吉大神の和魂(にぎみたま)、下関の住吉神社には荒魂(あらみたま)が祭られています。また博多の住吉神社が最初に創られた住吉神社とされます」
とアクアはよどみなく説明する。
「アクアちゃん、凄く詳しいね」
と松浦紗雪がマジで感心している。
「実は私の芸名の“アクア”というのは、このイザナギ命の禊ぎに由来するんです。人の心を洗い清めることのできるようなタレントになれたらいいね、ということで名付けられたんです」
「そうだったのか!」
「だけど、綿津見神も住吉神も3人セットなんだね」
という声があがるが、そこで千里が
「3つセットの神様というのは多いですね。日本では弁天様と習合しているもうひとつの海の神様である宗像神(むなかたのかみ)も3人の女神のセットですし、正月毎に来訪する年神(としがみ)は、大年神・御年神・若年神の三神とされます。宗像三女神は姉妹ですが、年神は親・子・孫ですね。また宇宙の始原の時に生まれた造化三神(ぞうかさんじん)、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神もあります」
「また、イザナギ命が最後に生んだのが、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)、須佐之男神(すさのおのかみ)の“三貴子”(さんきし)ですし、天孫降臨した邇邇芸命(ににぎのみこと)と富士山の神・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の間に生まれたのが、火照命・火須勢理命・彦火火出見尊の3人ですし」
と補足説明する。
「お、さすがは本職巫女」
住吉大社にお参りした後で、近くの料理店でお昼を食べる。アクアはバスガイドの衣裳がタイトスカートなので、お姉さん座りをしている。
「そういう座り方、きつくない?」
と紗雪が心配する。
「慣れてるから大丈夫ですよ。昔は女の子座りもしてたんですけど、骨盤が変形して赤ちゃん産むのに良くないからと言われて、この座り方に変えました」
「赤ちゃん産むのにね・・・」
と紗雪が少し悩んでいた。
午後は多賀大社まで行くが、千里が
「私が運転しますね」
と言ったので、矢鳴は助手席に乗って千里が運転した。もっとも実際に運転したのは《こうちゃん》で、矢鳴から
「今日の醍醐先生の運転は上手いんだけどワイルドだ」
と言われていた。むろんアクアを乗せているので、万が一にも警察に捕まったりすることがないように、制限速度を厳守しているのだが、けっこう早く進行していた。バスの中で三田原さんが言い出した。
「朝行った住吉神社は大阪の田蓑神社の御祭神の分霊を祭ったものということでしたが、神様の勧請(かんじょう)とか、分霊を祭るとかいうのはよく行われますよね。あれって、神様が分裂しているんですかね?」
と質問がある。
分裂という言葉を聞いてアクアはドキッとした。
「コピーを取っているんじゃないの?」
「コピーというよりクローンかな」
などという意見も出るが、蓮菜がこのように答えた。
「色々な解釈があっていいと思うのですが、私が聞いた所では、端末を増設しているのだそうです」
「ほぉ!」
「神様ってそもそも遍在してるんですよ。遍在って分かりますか?」
「かたよっていること?」
「偏っているのはニンベンの偏在で、ボーキサイトとか石油とかは偏在していますが、水とか空気はあまねくどこにでもありますよね。シンニョウの遍在は《あまねく存在する》ということで、神様ってそういうものなんです。実はどこにでもいらっしゃるんですね。これはゾロアスター教の教典などにも、水の女神であるアナーヒータが遍在していると書かれていて、古くからある概念のようなのですが、多くの神はこの遍在という性質を持つと考えられます」
「まあ水なら確かにどこにでもあるね」
「だから実はどこにいても神様とコンタクトを取ることは可能なのですが、神社は端末になっていて、特定の神様とコンタクトが取りやすい環境が作ってあるんですよ」
「ほほお」
「BS/CS放送電波はどこにでも漂っているのですが、テレビのチューナーにはその電波の内容を解読するための鍵が設定されていて、その鍵に適合する放送を拾いますよね。神社はテレビのチューナーみたいなものなんです」
「その考え方は面白い」
「だから全国に○○神社というのがある場合、そこの御祭神にアクセスする暗号鍵がその神社には設定されているし、勧請する場合は、その鍵をコピーして持っていっている訳ですね」
「じゃ御祭神がやたらと多い神社は多数の鍵をインストールしている訳か」
「そんなことだと思います」
「でも神様の中には勧請できない神もあるんですよ。天照大神などはその代表で、天照大神を祭る神社というのは、実は伊勢の神宮の遙拝所なんです」
「ほほお」
「だからどこの神社からも実は伊勢の神宮を拝んでいるわけですね」
「まあ太陽ってそんなものかもね」
「ええ。太陽はいくつもありませんから」
「太陽が3つあったら大変だ」
3つという言葉を聞いてアクアはギクッとする。
「お稲荷さんの場合はまた別で、あれはどんどん増殖しているのではと、私にこのあたりのことを解説してくれた人は言っていました」
と蓮菜。
「あれは伏見がベースキャンプになっているだけで、そこからたくさんの神が生まれて全国に行っているんだろうね」
と雨宮先生が言っている。
「ええ。だから伏見には、これからどこかに赴任なさる予定の神様たちが大勢いらっしゃるんですよ。任務を終えて戻ってこられた方たちもおられますが」
「ああ、あそこの一の峰・二の峰・三の峰とか見ると、そんな気がする」
「逆に合流してしまう場合もあるんですよ」
と更に蓮菜は言う。
「へー!」
「今、天神(てんじん)と言ったら菅原道真公、白山(はくさん)と言ったら菊理姫(くくりひめ)ですけど、元々は天の神様はみんな天神で、白い山、つまり雪を冠する山は白山だったんです」
「ほぉ!」
「それが菅原道真公の天神社、菊理姫の白山神社が有名になってしまったので元々関係無かった天神社・白山神社も御祭神は菅原道真公だろう、菊理姫だろうということになったのではないかという意見もあります」
「それはありそうという気がする」
「分かれてまた合体したような所もありますね」
と蓮菜が言うとアクアが興味深そうにこちらを見る。
「霧島神宮は元々はひとつだったのが、噴火の被害に遭う度に移転している内に6つに分かれてしまったんです。霧島神宮、霧島東神社、東霧島神社、夷守神社、霧島岑神社、狭野神社。ところが後に霧島岑神社が夷守神社の所に同居したので、今は5箇所になっちゃったんですよね」
「会社なんかも分かれたりくっついたりというのがあるよね」
「似たようなものだと思います。実は神社会社説というのもあるんですよ」
「へー!」
「つまりですね。勧請して分社を作るというのは、企業が支社や営業所を作っているようなものだというんです」
「それは凄く分かりやすいかも」
「分霊をどこかに持っていくというのは、その会社のベテラン社員に支店長の辞令を出して赴いてもらうようなもの、と」
「神様の世界も大変そうだ」
「だから○○神社というのはブランドであって、トヨタの販売店の支店長として赴任してきた人が、元はホンダの販売社員だったかも知れない」
「ありそう、ありそう」
「デザイナーなんかも様々なブランドを渡り歩きますよね。だから神様も以前は○○神社の神様だったのが、転勤なり転籍して、△△神社の神様になり、といったこともあるのではと」
「いや、その話は結構面白い気がします」
「むしろ日本人的宗教観に近い気がしますよ」
「戦前の日本製鐵が戦後GHQの指令で解体されて、八幡製鉄所と富士製鉄に分割されましたけど、後に合体して新日本製鐵(新日鉄)に戻りましたよね。企業でもそういうことがある訳だし、神様のブランドの分割・合体もあるのかも知れませんよ」
と蓮菜は言う。千里が何か2系統の神社が合流してしまった例を挙げていたけどなと思うが思い出せない。
しかしその分かれたものがまた合体するという話を、アクアが本当に真剣に聞いていた。
“千里”のワイルドな運転のお陰で、多賀大社には予定より少し早く到着した。お参りした後、多賀大社から伊勢までは、前半を矢鳴、土山SAから先を千里(中身:こうちゃん)が運転した。
翌10月12日、神宮に参拝するが、千里1は体内にあった様々な「壊れた物」が洗い流されてしまい、そこから新しいものが再建され始めたような感覚を覚えた。
あ・・・私このまま行けば再生できるかも、と千里1は思った。
しかし千里1は昨日・今日とアクアを見ていて、どうにも疑問を感じていた。
『この子、どう見ても女の子にしか見えないんだけど!?』
アクアの持っている雰囲気がどうにも女の子の雰囲気だし、妙な色気もあるし、気のせいか体臭も女の子の体臭のような気がするのである。まさか性転換しちゃったんじゃないよね?と裸に剥いて性別を確認したい気分であったが、さすがにそんなことをする訳にはいかない。。。。
と思っていたら、松浦紗雪が
「私、アクアちゃんを拉致して裸にして3〜4日、可愛がりたい」
などと真顔で言っていたので、今日のお参りツアーの組には自分も含めて危険人物が多いなと思った。
ところでJソフトの方には、最近はほぼ《せいちゃん》だけが勤めていて、3人の千里の調整で忙しい《きーちゃん》はほとんど顔を出していなかったのだが、10月13日(金)は《せいちゃん》が徹夜作業でクタクタになっている所に、社長から○○建設に行って打ち合わせてきてという指示がある。
『誰か代わって〜。俺眠くて無理』
と《せいちゃん》が言うので、昨日まで宮参りをしていて少し調子が良さそうな千里本人に打合せに出させることにする。
それで千里1は自宅で作曲作業をしていたのを中断してアパートを出て用賀駅に行く。
私システムのこと分からないんだけどなぁ〜と思いながらも、駅で社長から資料を受け取り簡単な説明を受けてから千葉に向かう。このルートは、東急が半蔵門線に直通するので錦糸町まで行き、総武線に乗り継いで千葉市内の○○建設最寄り駅まで行く。
ちなみに用賀駅で資料を渡したのは本当は《せいちゃん》である。《せいちゃん》は会社を出て二子玉川から東急に乗り、用賀駅で降りて社長に擬態(つまり女の千里から男の社長に一瞬で性転換!)して、千里に
「これ資料だから。よろしく」
と言ってアタッシェケースを渡した後、千里の代わりに用賀のアパートに入って取り敢えず寝た。
アタッシェケースを渡された時、千里は
「社長ってスカート穿く趣味あったのか?」
などと思った。《せいちゃん》は半分眠っていたので、性転換する時に服装の上は背広に変更したものの、下半身をスカートからズボンに変更するのをうっかり忘れてしまったのである!
ともかくもそれで千里が○○建設で信次たち同社の社員と打合せをしていた時、信次に恋して千里に勝手に嫉妬している多紀音が「失礼します」と言って、お茶を持って入って来た。千里の後ろの子たちがざわめく。
『おい、変な呪具を持ってるぞ』
『どういう系統のものか分かるか?』
『分からんが、多分千里が触るとまずいことになるものだと思う』
『青龍と入れ替える?』
『あいつ今ほぼ裸で寝てるけど』
『裸はまじぃな』
『ちんちん付いてるし』
『というか眠りながら女のパンティ穿いてちんちん触ってるし』
『ほとんど変態だな』
『でも今の千里でもこのくらいは平気じゃない?』
という話にはなるが、《いんちゃん》が
『念のため防御壁を作る』
と言った。
多紀音は千里の傍で、うっかりを装い、呪いを掛けた紙を落とす。千里1がそれに気付き
「落としましたよ」
と言って、その紙を拾った。
その千里が紙を拾う瞬間に《いんちゃん》は千里の指と紙の間に霊的なものを遮断する薄い膜を張った。
それで結果的に千里は手袋をして紙を拾ったような状況になったのである。千里がその紙を多紀音に渡す。
「ありがとうございます」
と言って多紀音は受け取ったが、内心は
《やった。こいつはもうこれで女ではなくなる》
と思っている。そして会社の屋上に出ると、呪いの紙を掌の上で燃やして呪いを完成させた。
この呪いは最初に触った人に掛かるようになっている。そのため多紀音はこれを作る時にゴム手袋をして作業している。紙を落とす時も自分では触らないようにスカートのポケットを裏側から押して地面に落とした。
しかし千里も結果的に触らなかったので“最初に触った”のは千里から紙を受け取った多紀音であった。
それで多紀音は呪いを自分でかぶり、生殖器が機能停止してしまうのである。
この様子をリモートで見ていた千里2は《きーちゃん》と話した。
「あれ、いんちゃんが何もせず、1番が本当に触っていたらどうなっていたと思う?」
と千里2が訊くと
「どんなに霊的な能力が落ちていても千里があの程度の素人の呪いにやられるわけがない。千里は平気だよ。しかもお伊勢さんに行ってきたばかりで神様の守護も強いよ」
と《きーちゃん》は言う。
「まあ、そうだろうね」
「そして呪い返しが来て、あの女は即死だったと思う」
「だったら、いんちゃんのお陰で命拾いしたね」
この日の打合せが終わった後、信次は千里1に言った。
「君のご両親に挨拶に行かなきゃいけないと思っているんだけど、今週末は休めそうなんだよ。急で申し訳ないけど、一緒に行かない?北海道だったっけ?」
「うん。留萌(るもい)という所。でも私、言ってたようにお父ちゃんから勘当されているんだよ。それでもお母ちゃんと会えるように話してみる。土日なら大丈夫のはず。あともし良かったら、富山県の高岡という所にいるもうひとりの“お母さん”にも会ってくれないかな?」
富山県高岡という言葉を出した時に信次がギョッとしたような表情を見せたのだが、千里1は深くは考えなかった。
「じゃ一気に行っちゃおうか?」
「うん」
それで千里1がまず津気子に電話してみた所、どっちみち父は会おうとしないだろうし、札幌で会わないかということになった。津気子は夕方までに自宅に戻らないと(そして御飯を食べさせないと)父の機嫌が悪くなるので、お昼を食べながら話そうよという。それで千里はすぐに札幌のレストランのお昼の御膳を個室で食べる予約をした。予約は3人で入れた。
玲羅にも電話で打診してみたのだが
「私は姉貴は貴司さん一筋と思っていたし、理歌ちゃんたちの手前があるから、出ない」
と言われた。それを言われると千里も辛い所だ。また、康子は体力的に北海道や北陸まで旅行する自信が無いと言っていると信次が言った(本当は康子がいると都合の悪いことがあるので、そもそも康子には何も言っていない)。
それで札幌は昼だけで終わることが確定したので、その日の内に富山に移動することにする。それでこういう日程を組んだ。
10/14 千葉駅前5:00-6:17羽田第1/羽田7:30(JAL503)9:00新千歳9:30-10:07札幌
会食11:00-12:00
札幌12:50-13:27新千歳14:30-16:10小松空港16:25-17:05金沢駅17:39-18:16高岡
10/15は北陸新幹線で東京に戻る。
札幌での会食時間が11-12時になったのは、下記の3つの理由による。
・めでたいことは午前中にした方が良い。
・直前の予約で12-14時くらいの時間帯は空いてなかった。
・このスケジュールなら1日に1本しかない新千歳→小松便に乗れる!
札幌から高岡に行く場合、新千歳→小松か、新千歳→富山を利用できると助かる。ところがそれはどちらも1日1便しかなく、
新千歳14:30-16:10小松
新千歳13:50-15:25富山
となっているので、時刻の遅い方の小松行きを使うことにしたのである。
14日の夕方は高岡市内で千里・信次の2人で夕食を取った後、千里は桃香の家に入り、信次は市内のホテルに泊まる。そしてあらためて15日午前中に信次が桃香の家を訪問することにした。
なお、桃香は早月を朱音に預けてひとりで14日の新幹線で高岡に移動する。
ちなみにこういう話が進んでいることを千里3は全く知らない!
14日の朝ふたりは千葉駅前で落ち合い、一緒に空港連絡バスで羽田に向かう。成田ではなく羽田を使うのは、どちらでも大差無いからである。なお、今回は交通費・宿泊費は信次が全部出し、食事代・お土産代は千里が出すことにした。
新千歳に飛び、札幌に移動して津気子と落ち合い、レストランに入った。なお千里は連日の作曲作業の疲れで飛行機の中ではひたすら眠っていた。信次は「やはりSEって大変なんだろうな」と思っていた。
なお、千里はしまむらで買った8000円のレディススーツ、信次もイオンで買った1万円のビジネススーツを着ている。実は信次はあまりいいスーツを持っていない。職場では作業服を着ているし、通勤はジーンズにTシャツである。そもそも彼はセクシャリティの問題もあって、あまり男っぽい服を着るのが好きではない。
なお13日は、会社には「直帰します」と連絡を入れた後、夕食は信次と一緒に取ったのだが、信次が「今夜一緒に過ごさない?」と誘ったのに対して千里は「ごめん。仕事があるから」と言って、千葉駅近くのホテルに単独で入り、会社に報告書をFAXした後、溜まっている作曲の作業をしていた。用賀に戻らず千葉市内に泊まったのは翌朝5時に千葉まで来る自信が無かったからである。
ちなみに用賀で寝ている《せいちゃん》は14日の夕方くらいまで起きなかった。ほぼ1日半眠っていたことになる。
14日11:00からの札幌での顔合わせでは、信次が礼儀正しい態度で津気子に挨拶したので、津気子は彼に好感を持ったようであった。この場での話し合いで、結納は11月3日(祝)大安に、千葉市内で行うことにした。
千里は新千歳から小松までの機内でもひたすら眠っていた。信次は
「スーツなんて着慣れてないから普段着に着替えちゃうね」
と言って、ポロシャツとジーンズの格好になってから飛行機に乗っている。
高岡に着いてから、駅近くの中華レストランで夕食を取った後、別れる。信次は近くのホテルを予約しておいたからと千里には言っていたのだが・・・・
実際には千里が氷見線に乗るのを見送った後、信次は駅1階の女子トイレ!に入ると、個室に入った。
信次は女装せずに女子トイレに入っても騒がれないという自信!?を持っている。
個室の中では、まずは服を全部脱いで裸になり、付け眉毛!を外して顔を洗う。
化粧水入りの肌拭きシートで身体中の汗を拭く。それからタマタマを体内に納め、おちんちんは後ろ向きにしてパンティの中に収納する。ブラジャーを着けてパッドを入れ、ミニスリップも着ける。但し“女性基準”では長身になる信次が着けるとミニスリップはキャミソールのようである(実は普通のキャミソールを着けるとおへそが出てしまう)。
パンティストッキングを穿き、落ちて来ないようにソフトガードルを穿く。ソフトガードルはストッキングのずれ落ち防止と、おちんちんを押さえるのの両方を兼ねる。ブラウスを着てスカートを穿く。カーディガンも羽織ってからお化粧をする。
化粧水を染み込ませてからマックスファクターのコンパクトを出し顔全体にはたいていく。アイカラーを入れ、眉毛を描き、マスカラを塗り指でカールを掛ける。チークを入れて最後に仕上げでルージュを塗る。更にセミロングのウィッグも付ける。
鏡を見ると、まあ普通にその付近にいる女性の顔になっている。
少なくとも男には見えない。もはや彼女は信次ではなく“信恵”である。
「やだなあ。僕、女装の趣味は無いのに」
などと、優子が聞いたら大笑いするようなことを言っている。
それで自分にはさすがに可愛すぎるかもと、買った後でやや後悔したローリーズファームのローファーを穿き、トイレを出た。このトイレに入ってから出るまでほんの10分ほどである。この1階のトイレは利用者があまり多くないのがミソでもある。実際信恵が“男から女への華麗なる変身”をしている間に誰も女子トイレに入って来た人は居なかった。
それで信恵は2階に上がると切符を買って、城端線に乗った。
高岡駅は東西に“あいの風とやま鉄道”(旧JR北陸本線)が通っていて、北へ氷見線、南へ城端線が出ている。鉄道の路線図で見ると南北に鉄道が貫いているように見えるが、実際には氷見線と城端線のレールはつながっていない。なお、高岡駅は、この東西南北に延びる鉄道の他に、万葉線↓のターミナルにもなっている。
それで千里は氷見線に乗ったが、信恵の目的地は城端線側である。
↓城端線の列車
戸出(といで)駅で降りて駅舎を出ると信恵を見て手を振る姿がある。信恵は微笑んでそちらに歩み寄り、優子の青いソリオの助手席に乗り込んだ。
優子は別に男装している訳ではないが、ほとんど男に見えるので、優子と信恵が並んでいると男女のカップルに見える。
深いキスをしてから優子は車を出す。
「結婚するというから、もう会ってくれないかと思った」
「奏音(かなで)には会いに来るさ」
「私には?」
「セックスしてくれるなら」
「その結婚相手とセックスしてるんじゃないの?」
「彼女が忙しすぎて、全然デートできないんだよ」
「信恵ちゃんがゲイと気付いて避けてるんじゃないの?」
「そんなことはないと思うけどなあ。来月には結納もするし」
「ふーん」
そういう訳でこの日、信次は“信恵”として優子の家に泊まり、奏音をたくさん可愛がり、優子の両親と歓談して、夜は望み通り優子と寝て、久しぶりに“女の子になる”ことができて、とても充実した夜を過ごしたのであった。
「ちんちん切ってあげようか」
「止血できないでしょ?」
「ふーん。止血できたら切ってもいいんだ?」
「いや、今切られると結婚するのに困る」
「自分は女役だとカムアウトすればいいじゃん。彼女ビアンなんでしょ?」
「だと思うんだけどなあ。ボイとかフェムなんて言葉も知っていたし、ハーネスを知っていたし」
「ああ。ネコ・タチは普通の人でも知ってる人けっこう居るけど、そのあたりまで知っている人は少ないね。ハーネスまで知ってるって、ひょっとすると経験あるのかもよ?」
「うん。それに期待している」
一方、桃香の家に入った千里だが。。。
津気子が単純に千里の結婚を喜んでくれたのに対して、桃香の家で、朋子は千里にこの結婚に関する“説明”を求めた。すると、千里は最初は事実関係を説明していたものの、しばしば朋子の質問に答えられない事態となる。
「千里ちゃん、ほんとにその状態で彼と結婚してもいいの?」
と朋子が尋ねると
「でも熱心にプロポーズされたし」
と他人事のような言い方をする。
それで朋子から
「千里ちゃん、もう一度この結婚について、よくよく考えた方がいい」
と言われる始末であった。
翌日は千里が朋子のヴィッツを借りて信次を高岡駅前まで迎えに行った。信次は昨日と同じスーツを着ている(むろん女装はしていない!)。それで千里の運転する車の助手席に乗り込んだ。
「昨夜はよく眠れた?」
「うん。札幌まで行って来たからかな。ぐっすり寝てたよ」
「ごめんねー。大旅行させちゃって」
「いや、平気平気」
実際は昨夜久しぶりにセックスをしたので、ぐっすり眠れたのである。
信次はさわやかな笑顔で朋子に礼儀正しく挨拶した。
それで朋子も笑顔で信次に応対した。
こちらは札幌での会食と違って、
「自分のうちだと思ってくつろいでくださいね」
と朋子が言い、桃香が
「背広なんて堅苦しいし、脱いじゃうといいですよ」
などと言うので、信次は背広も脱ぎ、ネクタイも外して、主として桃香と!歓談をしていた。
お料理は氷見の鰤の刺身、甘エビの刺身、富山湾の紅ズワイガニの塩茹で、ノドグロの塩焼き、富山名物・鱒寿司、フグの卵巣の粕漬け、能登産牡蠣のフライ、と海の幸尽くしであった。昨日青葉が買い付けておいたのを今朝から千里が一部調理している。
「お魚をさばいたり、甘エビの皮を剥いたりは、千里ちゃんがしたんですよ」
と笑顔で朋子が言う。
「へー、千里ちゃん、お魚さばけるの?」
「漁師の娘は魚くらいさばけなきゃと言われて小さい頃から仕込まれたから」
「なるほど〜。“娘”だったんだ?」
と言われると、千里は照れているが、青葉はニヤニヤしている。
また桃香から
「車じゃないから、いいでしょ?」
と言われて、ビール、更に水割りまで勧められて結構飲む。
今日のビールはヱビスビールの琥珀、ウィスキーは《響ジャパニーズハーモニー》である。
「ちょっと、桃香、あんたまで飲んでるの?」
と朋子から言われる始末である。
「今日はママ業はお休みだし」
「いいけど、あんた東京に戻ってからも2〜3日授乳禁止」
早月は朱音に預かってもらい、東京に置いて来たのである。もしこの日桃香が早月を連れてきていたら、信次は死後自分の娘ということになる早月に、生前に会うことができていた所だった。
「ああ、赤ちゃんがいるんですか?」
と信次が訊く。
「ええ。でもまだ生まれて半年だから富山との往復はきついかなと思って、友だちに預けてきたんですよ」
「なるほど」
10月24日(火)。《ビットコイン》からの“ハードフォーク”で《ビットコインゴールド》が誕生した。冬子は意味が理解できなかったが、その日郷愁村の食堂に若葉が来たので尋ねてみた。
「意見が分かれたから分裂しただけだね」
「私たちが持っていたビットコインはどちらになるの?」
「両方になる」
「へ?」
「冬は3万BTCくらい持ってたよね?だからビットコイン側は3万BTCになるし、ビットコインゴールド側も3万BTGになる」
「じゃ、両方の記録が連動して、例えばBTC側で1万BTC使えばBTG側も1万BTG減るの?」
「違う。この先はもうBTCとBTGは別の世界になる。だからBTCもBTGも独立して使うことができる」
「だったら、まさか20億円が倍になる訳?」
「各々がいくらで取引されるかによるけどね」
「それあまりにも美味しすぎる話なんだけど」
「だからハードフォークが予告されている時は、ハードフォークで資産が倍増することを期待してみんな買うから、元の仮想通貨の相場がどんどん上がる。ビットコインの相場は9月頃は40万円くらいだったのがハードフォーク直前には69万円まで上がっている」
「あれ?いったん40万円まで下がってたんだっけ?」
と冬子が言うので若葉は注意した。
「冬、桁を勘違いしてない?冬が買った時には6万円だったのが今年の夏には40万円くらいまで上がっていた。それが今は60万円まで上がっている」
「へ?」
「だから今冬が所有しているビットコイン3万BTCは日本円に戻したら200億円だよ」
「10倍になってるの〜〜!?」
と言って冬子は絶句した。
「それがハードフォークしたからBTCとは別にBTGも同額もらえる訳ね。この同額付与するかどうかは実は取引所次第。私たちが使っている取引所は同額付与をすると言っているから3万BTGもらえるはず。ただ出来たばかりの仮想通貨は最初は無価値だよ。これから実際にいくらくらいで取引されるかが決まっていく」
(実際にはハードフォークの少し前から先物市場で値が付いている)
「へー!」
「場合によっては元の仮想通貨が放棄されて、新しい仮想通貨が元の仮想通貨の地位に取って代わるかも知れない。マイナー(採掘者)次第」
「それは怖いね」
「うん。仮想通貨の世界は大量の富豪を生み出すと同時に、大量の破産者も生み出すはず」
「最終的にはゼロサムゲームだよね?」
と冬子は訊く。
「当然。仮想通貨は何も付加価値を生み出さないからね。今はみんながまだ上がると思って買っている。でもその内、価格上昇も限界点に到達する。行き詰まれば、その時持っていた人がババを引く」
と若葉は言う。
「壮大なババ抜きゲームか」
冬子は千里もこのことを知らないかも知れないから教えた方がいい、と言って、彼女を郷愁村に呼び出した。
千里(千里2)は巨大なバイクに乗ってやってきた。若葉が
「すごーい!隼だ!」
と言って、興奮している。
「どういうバイク?」
と冬子が訊くと
「世界最高速のバイクだよ。サーキットで時速333kmを出したんだよ」
と若葉が答える。
「新幹線より速い!?」
「そうそう。N700が時速300kmだから、それより速い」
「凄っ!」
「千里前からそんな巨大なバイクに乗ってたっけ?」
「私、バイクの国内ライセンスも持ってるよ」
「凄い!いつの間に」
「リッターバイクではもうひとつ1400ccの忍者もある」
「千里にそういう趣味があるとは知らなかった。車は得意みたいだけど」
「まあバイクも車も大半は、雨宮先生が飽きたのを『勝手に使っていいよ』と言われて駐車場に放置されていたものばかりなんだけどね」
「やはり」
「あの人は車も女も飽きるのが早い」
「ああ・・・」
郷愁村の食堂(若葉が経営するトレーラーレストラン)でビーフシチューを食べながら、再度若葉の説明を聞いた。
「通貨が分裂するというのは面白いね。日本がひょっとして西日本国と東日本国と北日本国に分裂したら、円が北円・東円・西円に分裂したりして」
「その分裂はどこかで聞いた名前だ」
「その場合元々1億円持っていた人は、1億北円+1億東円+1億西円になるんだろうか?」
「銀行ごとに丸ごとどれかに切り替わるという説に1票。三井住友は西円、東京三菱は東円、とか」
「リアル通貨の場合は分裂しても国が統一されると通貨も合流すると思うけど、仮想通貨の合流というのはあるんだろうか?」
「そういう仕組みは無いかも」
「まあ新しい仮想通貨に時価で等価交換という形で統合するんだと思うよ」
「ああ、それならあり得るか」
「システムにはなくても運用でできることはあるよね」
「でも最初に買った時から10倍になっているなというのは思ってた。8月にも一度分裂したよね?」
「そうそう。ビットコインキャッシュ。まだしばらくハードフォークが続くと思うけど、すぐ消えてしまうものもあると思う。でもハードフォークが続くから、相場は上がっている。ビットコインキャッシュも上がっている。それでそちらは取り敢えず放置していた」
「ということは若葉は今、20万BTCだけでなく、20万BCH, 20万BTGも所有している訳か」
「仮想通貨間で転がしていたから今25万BTC, 30万BCH, 25万BTGくらい」
「それリアル通貨からの追加購入は?」
「してない。元手は最初に注ぎ込んだ100億円だけ」
「凄いね」
「冬たちは運用してないの?」
「私は何もしてない。放置してた」
と冬子は言うが、千里は
「去年は全く動かさなかったんだけど、今年の春から夏に掛けて結構動かした」
と言う。
「実は上島さんのJER4出資額12億円を4月に肩代わりした時に、こちらも日本円の現金が4億円しか無くて、いったん銀行から8億円借りたんだよ」
「わっ、ごめん」
と冬子。
「それで最初はビットコイン少し売却しようかとも思ったんだけど、売り時が分からなくて、相場見ている内に、これ仮想通貨間の移動で利益出るぞと思って結構売買した。それで3万BTCをいったん3.6万BTCくらいまで増やしてから8月に8億円分の2000BTCだけ売却して、銀行に返済したんだよ。だから結果的に今、冬と同じくらいになっていると思う。その後も少し動かしていたけど、そんなに大きくは変わってないかも」
「運用益で8億円出るって凄いね」
「当時の相場で3万BTCは120億円相当だったから、120億円の運用で8億儲けるのはそんなに難しくない」
「そんなに増えてるんだっけ?」
「今は1BTCが70万円くらいになってるから、3万BTCは210億くらい」
「何かもうお金を扱っている感覚じゃないね」
と冬子が言っている。
「まあ、それでさ」
と若葉は言った。
「私が仮想通貨やってるの、お母ちゃんにバレちゃって」
「もしかして禁止令が出た?」
「そうなのよ。だから、1月までに全部撤退することにした」
「若葉が撤退するなら私も撤退しようかな。今は少し利益が出ているけど、いつまでもこれが続くとは思えないし」
と千里が言っている。
「そうなんだよね〜。私も『やったぁ』と思った時もあったけど一瞬で200億円無くして、2日くらい御飯食べる気にもならないこともあった」
と若葉。
「じゃ私も撤退しようかな。実際放置してたし。この後も放置になりそうだし」
と冬子が言っている。
「今年は『郷愁』の制作で死んでたもんね」
それで若葉、千里、冬子の3人は仮想通貨の取引から順次撤退することにしたのである。
3人は分離したばかりのビットコインゴールドの行く末に不安を感じたので、まずはこれを売却することにした。売るタイミングは若葉が使用しているプログラムに任せることにしたら、プログラムは11月11日に1BTG=1.5ETHになった時に売ってくれた。それで若葉は25万BTGが37.5万ETH, 冬子は3.33万BTGが5万ETH、千里は3.5万BTGが5.25万ETHになった。
仮想通貨同士の取引なので感覚が掴みにくいのだが、若葉の売却額は約130億円、冬子と千里の売却額は18-19億円に相当する。
なお、ビットコインゴールドは日本国内の取引所の多くが様々な理由で付与を行わなかったのだが、若葉たちはそもそも手数料の安い、海外の取引所ベースで運用していたので、すぐに付与が行われた。
「しかし何も無い所から18億円出現するというのは、ほとんど錬金術だ」
と千里が言う。
「こんな取引やってたら、もう金銭感覚がおかしくなるよ」
と冬子は言った。
「うん。実際、精神的におかしくなっている人も多いと思う」
と若葉も言っていた。
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