【△・死と再生】(2)

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アジアカップの選手宿舎はベンガルール市内の一流ホテルを2つ借り上げているようである。20日の朝、朝食に行くと、韓国選手団、ニュージーランド選手団、インド選手団と時間帯がぶつかった。インドの子たちが、顔見知りが多いので
 
「オハコンバンチワー」
「ムラヤマ!サトウ!マリハラ!また会たっね」
などと日本語で話しかけてきて、その後、主として英語で会話が進む。向こうのテーブルを動かしてきて!こちらにくっつけて、話し込んでいた。
 
なお、今回韓国は1部で上位4位以内でワールドカップ進出を目指しているが、インドは2部で、1部昇格が目標である。
 
センターのアーラーサーナーが千里たちに訊いてきた。
 
「日本のみんなは、マルジャンマは見てきた?」
「マルジャンマ?」
「バンガロール付近のあちこちの寺院でこの時期行われているお祭りだよ」
「お祭りかあ。でも私たち昨日着いたばかりだしね」
「きれいなお祭りだよ。見る価値あるよ」
「へー」
 

アジアカップは1部リーグ8ヶ国と2部リーグ7ヶ国で行われる。1部リーグの上位4ヶ国が来年のワールドカップに出場することができる。1部リーグは下記のAB2グループに分かれて予選を行い、A1-B4, A2-B3, A3-B2, A4-B1で準々決勝、その勝者で準決勝、その勝者で決勝が行われる。
 
つまり予選リーグの成績が何であっても、とりあえず決勝トーナメントには組み込まれる。そして準々決勝で勝ちさえすれば、ワールドカップに行けるのである。要するに今回の大会でいちばん大事なのが7月27日に予定されている準々決勝であり、それにさえ勝てば、後はわりとどうでもいいとも言える。
 
しかし日本はこの大会、2013,2015年と連覇している。今回優勝すれば3連覇なので、それを達成したい日本と、阻止したい中国、今回からアジアカップに参加することになったオーストラリアとの戦いということになる。
 
グループ分けは次のようになっていた。括弧内はFIBA Ranking
 
GrpA CHN(10) NZL(38) TPE(34) PRK(64)
GrpB AUS(4) JPN(13) KOR(15) PHI(49)
 
つまり予選リーグでまずはオーストラリアとぶつかるのである。
 

インドは2009年のU16アジア選手権、2010年のU20アジア選手権で訪れている選手も結構あり、朝から食べるカレーに
 
「おお、この味が懐かしい!」
 
などと言っている子もいた。もっともベンガルールは「インドのシリコン・バレー」とも呼ばれるIT都市で、外国人も多いし、インド人でも様々な民族の人が集まっている街なので、ヨーロッパ風の料理なども結構ある。朝からカレーは入らない!などという人はヨーロッパ風のパンにチキンなどをチョイスしていた。
 
大会は23日からなので、20-22日の3日間は練習場所に指定された中学校の体育館で基礎練習と紅白戦を中心に練習をした。
 
千里3はインドに来ても全く調子を落とすことなく、ますます冴えてきていたので、結局7月14日時点のオーダーのまま選手登録は行われた。
 

一方、アメリカでは、7月15-16日の試合で、WBCBLのレギュラーシーズンは終了した。今季はヴィクトリア(千里2)の活躍で全勝で地区優勝した。
 
7月22日に地区プレイオフが行われる。1位と4位、2位と3位が戦い、勝者で決勝をして、最終的な勝者が全米ファイナルに進出する。1日2試合というスケジュールである。
 
千里たちのプレイオフはバージニア州のハンプトンで行われた。ここもペンシルバニアやフロリダと同じ東部夏時間(EDT)が使用されている。
 
準決勝は7/22 12:00 EDT (= 7/23 1:00 JST = 7/22 21:30 IST)から行われ、スワローズは4位のチームに快勝した。
 
14:00から2位と3位の準決勝が行われ、2位のチームが1点差で勝利した。その後18:00 EDT (= 7/23 7:00 JST = 7/23 3:30 IST)に決勝戦が行われる。スワローズは2位のチームと延長戦にもつれる大接戦の末、最後は同点の場面から残り5秒で相手にゴールを決められたものの、その後、エマからのパスを受けたヴィクトリアの、ブザービーターのスリーで1点差逆転勝ちをした。
 
ブザービーターを決めた時、千里2はチームメイトからぼこぼこ殴られて
「Ouch! Ouch!」
と叫んだ。
 
これで結局スワローズは今季無敗のまま、全米ファイナルに進出である。
 

さて、インドでは7月23日からアジアカップが始まった。
 
日本は7/23 13:15(=7/23 16:45JST)からフィリピンとの試合をおこなったが、主力を出さないままダブルスコアで大勝した。
 
千里2がアメリカでプレイオフの決勝を戦ってから約半日後である。
 
翌日7月24日は同じく13:15から今度は韓国との試合をする。これはマジな布陣で戦う。しかし千里3や玲央美・王子などの活躍で14点差で快勝した。
 
韓国はこれまで何度もやられているので王子対策をしてきていたが、それでも王子はパワーで相手を粉砕してしまった。
 
そして7月25日には、やはり13:15から、グループB首位を掛けてオーストラリアとの試合をする。むろん全力である。
 
第1ピリオドでは日本がリードしていたのだが、第2ピリオドでオーストラリアが逆転する。こちらも必死で頑張ったのだが、じわじわと離されていき、結局11点差で破れた。
 
これで日本はB組2位で予選ラウンドを通過。A組3位の台湾とワールドカップへの切符を掛けて準々決勝で対決することになる。
 

アクアは7月9日(日)に『ときめき病院物語III』の撮影がクランクアップし、翌週7月15-17日(土日祝)の連休から映画『キャッツ▽アイ−華麗なる賭け』の撮影に入った。
 
主要4人が1人2役なので、各自結構混乱する。
 
平野刑事(フェイ)と武内刑事(ヒロシ)の会話シーンだったはずが、フェイはうっかり瞳の格好をしているし、ヒロシはうっかり泪の格好をしていて
 
「あ、間違った」
などとやっている。
 
「着換えて来ます」
 
「いいです。それなら瞳と泪のシーン24番に行きます」
と助監督が言ってそのシーンを撮影するなど、撮影現場は混乱しがちな所を何とか収集して行った。
 
アクアは来生3姉妹の末妹《愛》と(瞳の恋人の)内海俊夫刑事を演じているのだが、アクアの場合、2人のアクアが最初から愛の衣装と内海刑事の衣装を着けていて、着換えたりメイクを変えたりせずに、2つの役を演じていた。
 
どちらかの役が長時間続く場合も、もうひとりのアクアが同じ衣装を着けていて、シーン撮影のインターバルにチェンジしている。そのあたりは《こうちゃん》が瞬間入れ替えしているので、スムーズである。アクアは『これ楽〜。さすが、こうちゃんさん』などと思っていた。これまではトイレに行くとか言って交代していたのである。
 

「去年の撮影ほどではないけど、やはり結構なハードスケジュールだね」
「まあ、忙しい人が多いし、中高生の役者さんは稼働できる日が限られるし」
 
と楽屋で待機しているふたりのアクアが話している。
 
「ところでこうちゃんさん、今日はボクが男アクアだと思っている気がする」
「そして私が女アクアだと思っているよね〜」
 
「今日はボク男装したい気分だったし」
「今日は私、女の子の服を着たい気分だったし」
「やはり3人の見分けが付いてないよね」
「こうちゃんさんって、わりとアバウトな性格っぽい」
「実は誰が誰でもいいのかも」
「ボクたちも服装を適当にチェンジしてるからね〜」
 

「ところでMは女の子になりたくないの?わりとよくスカート穿いてるみたいだし」
「それは自分の中では決着がついている。私は女の子の服が好きなだけで、女の子になりたい訳では無い。Fはどうなの?」
 
「ボクは女の子になれて良かったと思ってる。ちんちんが無くなってる。嬉しい!と思ったよ。この身体凄くいい。みんな女の子になっちゃえばいいのに」
 
「私とFって、たぶん女の子になりたい気持ちと男の子になりたい気持ちが独立しちゃったんだろうね」
とアクアMは言う。
 
「そんな気はしてた。男の娘アクアもあれ、曖昧な性別のままでずっと居たいという気持ちが独立したんだよ」
「結局誰が本体かってのは考えるだけ無駄だよね」
 
「多分20歳頃までに2人は消えて誰か1人が残る。それがアクアが最終的に選択する性別」
 
ふたりはしばし見つめ合う。
 
「それって殺し合うの?」
「まさか。合体するんだと思うよ。むしろ私たち1人が死んだら全員死ぬかもね」
 
「安いオカルト映画とかにありそうな設定だ」
「合体しても3人の意識は全部残りそうな気がする」
「アクアがずっと男役も女役もこなしていたら、役の性別に合う子が表面に出ればいいのかな」
「たぶんそういうことになると思う。身体はどれが残るか分からないけどね」
 

するとFは少し考えるようにして言った。
 
「ね、女の子の身体が残った場合、どんな感じになるか、ボクのを見せてあげようか?」
 
「別に見なくてもいいよ。自分の身体だし」
「なんならセックスしてもいいよ」
「・・・・」
 
「どうかした?」
「私とFがセックスして万一妊娠したらどうなるんだろう?」
「それはきっと、もうひとりアクアが生まれるんだよ」
「うーん・・・・」
「だって自分の精子と自分の卵子で受精したら、完全に自分の形質を受け継ぐことになるし」
 
「クローンに近い?」
「少し違うとは思うけどね」
 
「Fが3人くらい産んでくれたら6人になるな」
「産んでもいいよ。バレーボールができるね」
「産むなら、男の子と女の子と男の娘で」
「男の娘ってどうやって産むのよ!?」
 

「ところで私のトランクスが全然無いんだけど、Fが持ってる?」
 
「持ってるよ。ボク、トランクス好き〜。女役の時は仕方ないからショーツ穿くけど。Mこそ女の子の服が好きなんだから、ショーツ穿いてればいいじゃん」
 
「女装の時はショーツでもいいけど、学校行く時とかは私はトランクスが穿きたい。ショーツは男の娘アクアに穿かせればいいんだよ」
 
「ああ、あの子は女の子パンティが好きみたいね」
 
「あの子は唆すと性転換手術受けちゃうかも」
「おっぱいも大きくしたがってる。ボクのおっぱい見て、いいなあとか言うし」
「おっぱい大きくするのも唆すといいよ。胸を曝す必要があったら、そのシーンは私がすればいいし」
 
「男の娘アクアが女の子になる手術受けちゃったら、私たちがその内1人に戻った時、手術で作った女の子の身体が残ったりしてね」
 
「それか、ボクたち3人が合体したら、ふたなりになったりしてね」
 
「ふたなりも悪くないな。おっぱいはいらないけど」
とアクアM。
「ふたなりも悪くない。ちんちんは要らないけど」
とアクアF。
 
ふたりは見つめ合って忍び笑いをした。
 

アジアカップは23-25日の予選リーグが終わり、決勝トーナメントは27日からである。それで間の26日、日本は練習は休みにして(ハメを外さない範囲で)オフにした。それで千里たちはインドの子たちが言っていた、マルジャンマを見に行くことにした。
 
本当は夜の方がきれいらしいのだが、夜は治安も悪化するので、午前中に行ってきた。
 
ベンガルール市内でも特に大きな寺院に一緒に行く。
 
細長い舞台が作られていて、そこに美しい衣装を着けた多数の男女の踊り手が入っている。踊りはその舞台を端から端まで移動しながら続いて行くのだが、その先頭付近に炎を模した紙細工があり、そこは女性の踊り手だけが通過するようである。
 
「あれはサティー?」
と玲央美が言う。
 
「そう。嫌な習慣だよね。私たちも100年前に生まれていたら、夫が死んだ時点で夫の火葬の火で一緒に焼き殺されていた」
とアルカが不快そうな顔で言う。
 
「なんでそんなおかしな習慣が生まれたんだろう?だいたい妻の方が夫より若いことが多いから、結果的に女はほぼ全員焼き殺されることになるじゃん」
と彰恵も不快そうに言う。
 
「お産で死ぬのが先か、サティーで焼き殺されるのが先かって話だね」
 
「でもそのサティーという野蛮な習慣の名前の語源になったのが、このサティーとシヴァの物語」
と言って、ステファニーが解説する。彼女はキリスト教徒なので、部外者的にこの物語を語ることができる。
 
「サティーはシヴァと結婚したんだけど、サティーのお父さんがシヴァを酷く嫌っていて、祭礼に夫のシヴァを呼ばなかった。サティーは父親に抗議して、火の中に自分を投じて自殺してしまう。だからサティーは夫が生きている時に自死しているから、ヒンズー教の習慣のサティーとは状況が違うけどね」
 
「確かに」
 
「サティーの死でシヴァは頭がおかしくなってしまって、彼女の遺体を抱いたまま、各地を放浪して回った」
 
目の前で展開している踊りでも、男の踊り手が女の踊り手を抱き抱えて歩く部分がある。あれ男性は大変そう!と千里は思った。
 
「でもサティーはやがてヒマラヤ地方の娘、パールヴァティーとして生まれ変わる。生まれ変わってもシヴァのことが好きだったから、再度シヴァと結婚したんだよ」
 
舞台には山の絵が描かれた書き割りがある。たぶんあれがヒマラヤなのだろう。
 
「悲しいけど美しい物語だよね」
と江美子。
 
「このマルジャンマは英語で言うとreborn(再生)ということ。サティーの死からシヴァの放浪、パールヴァティーとしての再生と、シヴァとの再婚までを一連の踊りにしているんだ」
 
とアーラーサーナーが説明する。
 
「踊り手の付けている衣装がきれーい」
「あれが夜になると、もっときれいなんだけどね。冠の燈籠に火も灯すし」
 
きっと山鹿の燈籠祭みたいな感じになるのでは?と千里は想像した。
 
「熱くないの?」
「別に髪を燃やす訳ではないから大丈夫」
「髪に火を点けたらマジでサティーになってしまう」
「それは嫌だ」
 
千里はじっとその踊りを見ていた。金色の飾りを付けた男女の踊り手が美しい仕草で踊りを踊っている。シヴァは108種類の踊りを踊ったという。アーラーサーナーによると、実際のマルジャンマのお祭りで男の踊り手が踊る踊りは9種類、女の踊りは18種類らしい。それを覚えないとこの祭で踊れないらしいので、なかなか大変である。この地域の男の子や女の子は小さい頃からこの踊りを練習していて、地域の学校などで行われたコンテストの上位入賞者がこういう晴れ舞台で踊るらしい。
 
今日千里3たちの前で踊っていたのは中高生くらいの男女が多いようであった。
 
死と再生か・・・。私、何か最近死んだ気がするんだけど、きっと気のせいだよね。死んでたら、私生きてないもん、などと思いながら千里3はその踊りを見ていて、心の中に何か新しい活力のようなものが育って行くのを感じていた。
 
「ケララにも時期が冬至の頃になるけど、プラジャーマンと言って似た祭があるんだよ。私も踊り手を務めたよ」
とケララ人のレーミャが言う。
 
「凄いね。やはりたくさん踊り覚えるの?」
「覚えた。でもさあ。私、背が高いから男役をやらされて」
「それもいいんじゃなーい?」
「ちなみに私の弟は背が低いから女役をやらされた」
「それもいいと思う」
 
「女の服を着るなんて嫌だぁ!と言っていたけど、強引に着せられてた」
「あはは」
「ちなみにいっそのこと、ちんちん取ってヒジュラになる?とか言われて、それは絶対嫌と言っていた」
「弟さんって可愛い?」
「私よりは美人だな。私とあいつはいつも男女逆ならよかったのにと言われていた。実際ふたり並んでいると、よく兄と妹だと思われる」
 
「ああ。そういう姉弟は割とよくある」
「でもバスケットのインド代表になったから、男ならよかったのにと言われなくなった。結婚しろというのも言われなくて済んでいる」
 
「良かった良かった」
 
「でも弟はいまだに女の子なら良かったのにと言われているようだ」
「ほんとにヒジュラになっちゃったりして」
 

7月27日。アジアカップは準々決勝が行われる。
 
日本は17:45(=21:15 JST)に台湾と対戦。日本は終始台湾を圧倒し、57-73で快勝した。
 
これで日本はワールドカップの切符を掴んだ。
 
続いて28日17:45からは中国との準決勝に臨む。
 
どちらも全力勝負である。
 
第1ピリオドでは日本がリードしたものの、第2ピリオドでは中国が盛り返して同点に追いつく。第3ピリオドでも中国の勢いは止まらず中国がリードする。しかし第4ピリオド、日本は序盤に猛攻を掛けて逆転に成功。その後激しい争いが続いたものの、最後は3点差で逃げ切った。
 
これで日本は決勝に進出した。
 

そして7月29日。
 
この日11:00から行われた7-8位決定戦でフィリピンが北朝鮮を破り、北朝鮮は2部陥落が決定した。そして17:45から行われた2部の決勝戦でインドが優勝。インドは来季1部昇格が決定した。
 
そしてこの大会の最後。
 
20:00から、オーストラリアと日本との決勝戦が行われた。両軍のスターターはこのようになった。
 
JPN 13.水原由姫/15.村山千里/6.佐藤玲央美/10.鞠原江美子/9.馬田恵子
AUS 4.Walker / 6.Jones / 8.White / 10.Brown / 9.King
 
相手のポジションはWalkerがポイントガード、Jones, White, Brown はフォワードで、Kingがセンターで登録されている。オーストラリアにはシューティングガード登録の選手はいない。
 
向こうは日本側に背番号の大きな選手が多いので、控組で様子を見に来たかと思ったような感じもあった。
 
ティップオフこそKingが取り、そのままKingがゴールを決めたものの、向こうがやや油断して掛かっていた感じの所に日本側は畳み掛けるように正確な攻撃を繰り出し、あっという間に2-8になる。向こうはいったんタイムを取ってポイントガードの Walker とスモールフォワードの Jones を下げてセンターのMartin, Strong を入れて来た。
 
それで向こうは総攻撃態勢のようになり、あっという間に追いついてくる。こちらは恵子を下げて王子(きみこ)を投入した。スピード重視の布陣である。
 
予選ラウンドでは195cmのKingには190cmの恵子でないと対抗できないのではと考えて彼女を当てていたのだが、Kingは背が高くてパワフルなだけでなく、かなりのスピードと瞬発力を持っていて、しばしば動きで振り切られる場面があった。そこで体格としては184cmで恵子に劣るもののスピードで勝る王子をぶつけてみたのである。
 
そしてこの試合ではこのKingと王子の対決がひとつのポイントとなった。
 
(彰恵が「王様と王子様の勝負だ」と言っていた)
 

Kingが攻めて来る。王子が腰を落とし、手を広げてディフェンスする。
 
一瞬のフェイント。王子はそれに引っかかったかのように見えた。逆方向にKingが突っ込むが、その前に王子が反応して、きれいにボールをはじき飛ばす。フェイント自体には引っかかったものの、その後の反射神経で対応してしまった。こぼれ球を江美子が取ってターンオーバー。
 
王子がパスをもらって中に飛び込んで行く。Kingが待ち受けている。王子はフェイントも入れずにそのままシュートに行く。物凄い跳躍力である。Kingがジャンプするが王子は構わずシュート。Kingの指がボールに触れたものの、ボールの勢いが凄いのでKingはブロックできず、ボールはそのままゴールに突き刺さる。
 
指が軽い突き指状態になり、指を押さえながら王子を睨むKing。しかし王子は柳に風である。
 
しかしKingも負けてはいない。フェイントとかの通じる相手ではないと判断して、次の攻撃では、パワーと高さできれいにボールをゴールに放り込んだ。そして次の王子のシュートでは指では停めきれないと考え、王子がフェイントを入れないのを見越して予測場所で思いっきりジャンプし、掌でボールを弾き返した。一瞬王子もKingを睨んだ。
 
しかし次の対戦では王子の方が勝つ。
 
ふたりはお互いにダンクをブロックしたし、ゴール下の争いでかなり激しく身体がぶつかりあったりもする。それでお互いに1回ずつファウルを取られたものの、それで臆することなく、ぶつかり合っていく。
 
小細工無しのパワーとスピードの戦いに、観客も大いに沸いていた。
 

結局前半は39-33とオーストラリアの6点リードである。
 
ハーフタイムは地元の女子高生たちによる。ダンスパフォーマンスが行われた。秋のお祭りナヴラトリで踊られる踊りをベースにしたオリジナル・ダンスということであった。複雑なコンビネーションが、まるでアルゴリズム体操みたいだと千里3は思った。
 
「あれよくぶつからないね〜!」
などという声もあがっていた。
 
「たぶん練習中は結構ぶつかっている」
「あり得るあり得る」
 

後半が始まる。
 
6点差ではあるが、充分挽回可能な点差と考えて、こちらは普通に出て行く。第3ピリオドは、彰恵/千里/玲央美/江美子/誠美と、1990年度組で出て行った。
 
もう何年も一緒にやってきているメンバー同士なので、一瞬のアイコンタクトで全てが分かり合える。
 
複雑なコンビネーション・プレイにオーストラリアが翻弄される。向こうの選手が「え〜〜!?」という顔をしていた。誰も居ない所にボールを放り投げ、そこに思わぬ選手が走り込んでキャッチして突破などというのもきれいに成功させる。相手をうまくトラップに誘い込み、行き場を無くして結果的にボールを奪ったり、3秒ルールや5秒ルールでこちらのボールにする。
 
あっという間に逆転し、日本はオーストラリアを大きく引き離した。
 
第3ピリオドは14-26というダブルスコアでここまで53-59と逆に6点差にする。
 

第4ピリオドでは、最初、ベテラン組中心のラインナップで始めたのだが、向こうの必死の攻撃に、じわじわと点差を詰められる。1点差まで詰められたところで、逆に若手中心のラインナップに変更する。由姫・絵津子・純子といったスピード型の選手が走り回って、相手の攻撃を早め早めに停めるようにする。これで向こうの勢いを止める。
 
その後、シーソーゲームが続く。
 
残り1分、2点リードされている局面から、由姫と江美子を下げて、千里と王子を投入する。
 
向こうのKingが王子を鋭い視線で見つめている。
 
投入された王子がいきなりKingを蹴散らしてゴールを決める。審判はファウルを取らない。これで同点である。向こうが攻めてきて、今度はKingが王子と接触したものの倒れながらシュート。ボールはゴールに飛び込む。しかし笛が吹かれる。
 
王子のファウルでバスケットカウント・ワンスロー?
 
と多くの人が思ったのだが、よく見ると、審判はトラベリングのジェスチャーをしている!
 
Kingが天をあおぐ。
 
当然得点は無効になり、日本ボール。
 
絵津子と純子のワンツーパスで攻め込む。ふたりが左右に展開しているので相手は防御の的を絞りきれない。結局純子がシュート。Martinがブロックしたものの、こぼれ球を玲央美がきれいに決めて、これで日本の2点リード。
 

相手が攻めて来る。残りは20秒ほどである。Kingにボールが渡ったので王子が激しくディフェンスするのだが、Kingはワンステップ後ろに下がるとそこからいきなりスリーを撃った。
 
これが決まってオーストラリアの1点リード。残りは12秒。
 
この人は体格もいいがスリーも上手いのである。この日3本目のスリーである。
 
純子から絵津子→千里と渡るが、向こうはスリーを警戒してMartinとJonesが2人がかりでディフェンスする。さすがの千里もこれでは撃てない。時間は過ぎていく。千里はバウンドパスでいちばん近い所に居た王子にボールを送る。しかしKingがすぐに寄ってきて激しい近接ガード。
 
千里は彼女の後ろに走り寄り、ハンドオフでボールをもらうと、そのまま身体を斜め後ろに飛ばしながら、フェイダウェイ・シュート。
 
直後に試合終了のブザーが鳴った。
 

両チームの選手が、そして大観衆が千里の撃ったボールの行方を見る。
 
ボールはリングに当たって跳ね上がったものの、落ちてきてそのままゴールに飛び込んだ。
 
近くに居た玲央美が千里に飛びつく。そこに王子も飛びつく。少し離れた所では絵津子と純子が抱き合っている。
 
日本がアジアカップで3連覇した瞬間であった。
 

整列して審判が日本の勝利を告げる。挨拶した後は、お互いに健闘を称えあった。
 
王子とKingが殴り合っているので、審判が驚いて近寄ったが、友好の殴り合いのようだ!と判断して、TO席の方に戻って行った。
 

試合の後、22時から表彰式が行われた。
 
1位日本、2位オーストラリア、3位中国と表彰され、金銀銅のメダルをもらう。千里は「やはり金メダルっていいなあ」と思っていた。4位の韓国までが、来年スペインで開かれるワールドカップに進出する。
 
得点女王は意外に北朝鮮のキョン選手が獲得した。北朝鮮は今回の大会では1部最下位だったのだが、一部選手の個人成績は良かったようである。キョンは実はブロックでも2位であった。
 
リバウンド女王とブロック女王はオーストラリアのキング、アシスト女王は玲央美、そしてスリーポイント女王は千里が獲得した。
 
MVPはキング、ベスト5は、千里・玲央美・王子・キング・マーティンと、優勝した日本から3人、準優勝のオーストラリアから2人選ばれた。王子とキングが名前を呼ばれて出てきた時、ハグしていた。すっかり仲良くなったような感じである。
 
千里は2008年のU18アジア選手権以来、花園亜津子が出ていないアジアの大会では出場すればほぼ3P女王を取っている。自分でもいくつ取ったか分からなくなりつつあった。
 

千里3たち日本A代表のメンバーは下記の便で日本に戻った。
 
BLR 7/30(Sun) 13:30 (AI501 A321-Sharklets) 16:10 DEL
DEL 19:35 (JL740 787-8) 7/31 7:25 NRT
 
そして千里3たちがデリーから成田への飛行機に乗っている最中、スペインではU19日本女子代表がU19ワールドカップで4位という好成績をあげていた。U19代表には旭川N高校出身の福井英美などが入っている。英美はリバウンド女王も獲得したというおまけ付きであった。高校時代さんざんインターハイやウィンターカップで様々な賞を取った英美はとうとう世界の勲章を手に入れた。東京五輪ではフル代表に来るだろう。
 
成田についてからその報せを聞き、千里3たちは
「やられたね!」
「こちらの優勝がかすんでしまう」
と言って、喜んだ。
 
U19日本女子代表は明日帰国するらしい。
 
取り敢えず今日の記者会見(12時より都内のホテルで行われた)は千里たちが主役である。
 

8月5日。WBCBLは全米ファイナルのトーナメント、準々決勝と準決勝がミズーリ州のセントルイス(St.Louis)で行われた。
 
ヴィクトリア(千里2)の所属するスワローズは午前中の準々決勝には勝ったものの、午後からの準決勝には僅差で敗れた。
 
この結果、スワローズは今季はBEST4に終わり、翌日の決勝に進出することはできなかった。
 
しかし昨シーズンは地区プレイオフの決勝で敗れて地区2位に終わっていたので、今季大健闘であった。
 
チームは6日の決勝を見学した後、現地で今季の解散式をした。
 
「ヴィクトリア、来年も来る?」
「特に何かの事態が起きない限り来たいです」
「じゃよろしく」
 
と言って、千里2はキャプテンのリンダたちやコーチのアトキンスさん、オーナーのカーターさんなどと握手をした。
 

決勝戦が終わったのが現地時刻(CDT = UTC-5)で16時頃であった。
 
セントルイスからは各々自分の地元に戻るようであったが、フィラデルバーグに戻る人たちだけは、チームで切符を用意して20時の飛行機で戻った。
 
千里2はセントルイス市内で1泊した後、次のような連絡でフランスのマルセイユに渡った。今回は大西洋を横断したので、日本には寄ってない!
 
STL 8/7(Mon) 10:45 (UA4896 ERJ-135) 13:48 IAD (2:03)
IAD 17:25 (UA915) 8/8 6:55 CDG (7:30)
CDG 9:55 (AF7662) 11:15 MRS (1:20)
 
STLはセントルイス市内のランバート・セントルイス国際空港、
IADはワシントンD.C.の玄関口になるワシントン・ダレス国際空港、
CDGはパリのシャルル・ド・ゴール国際空港、
MRSはマルセイユ・プロバンス空港である。
 
マルセイユ・プロバンス空港からタクシーでサンベージュ体育館に駆けつけると、マルセイユ・バスケット・クラブのメンバーは午前中の練習を終えて、お昼を食べに出ようとしていた所であった。
 
「ボンジュール」
と千里2は彼女たちに声を掛ける。
 
「キュー!」
「戻って来たのね?」
 
「どうも済みませんでした。今回はちゃんと就労ビザを取ってきました。滞在許可証も取りました」
と言ってパスポートや書類を見せる。
 
そのあたりの手続きは、実は5月頃から《えっちゃん》がフランス国内で進めておいてくれたのである。就労ビザの取得は結構大変なのであるが、バスケットのプロリーグ運営会社は充分社会的な信用があるし、千里自身が日本代表になる程の選手ということで、わりとすんなり取得することができた。
 
「だったら、今シーズンのリーグに参加する?」
「良かったから参加させて下さい」
 
4-7月は無報酬で単に練習に参加していただけだったのでビザ不要の短期滞在ということで良かったのだが、選手として登録されてリーグ戦に参加するには就労ビザと滞在許可証が必要である。
 
「よし。キューがいれば去年より2つくらい順位上げられるな」
「優勝しましょう」
 
それで千里2はキャプテンのオリビエや割と仲の良いエヴリーヌなどと握手した。
 
千里3が千里1に代わって日本代表になったので、千里2が千里3の代わりにMBFに参加することにしたのである。フランスの女子プロリーグのリーグ戦は10月に始まって5月上旬に終わる。つまり日本のWリーグとほぼ重なる日程である。千里2はこちらのリーグ戦が終わってから、また来季はアメリカWBCBLのPSF(フィラデルバーグ・スワローズ)に参加する予定である。
 

千里2がフランス・マルセイユのMBFに参加して以降の3人の標準的な日程はこのような感じである。これがフランスの夏時刻が終わる10月28日まで続く。
 

 
MBFの練習は基本的に平日だけなので、実は土日は千里は深夜の深川の体育館でひとりで練習をしている。たいていマルセイユのアパルトマンで寝ていることが多いが、作曲作業のために葛西に来ていることもあり、そのまま眠ってしまうこともある。また週に1〜2度はフィラデルバーグのアパートにも寄って、掃除をして空気を入れ換えたりしている。
 
それで千里2は朝は葛西で御飯とお味噌汁を食べ、昼はフランスで鴨のコンフィとブリオッシュを食べ、夜はアメリカでハンバーガーとフレンチポテトを食べるなどといったことをしたりする。もっとも、千里自身、どれが朝御飯でどれが夕ご飯なのか判然としない。ちなみに千里2は腕時計(貴司からもらったスントの腕時計)は面倒なので日本時間のままにしている。だからMBFの練習は千里2の時計では、夕方16時から夜中1時くらいまでしていることになる。
 

8月28日(月)。
 
○○建設との打合せに出ていた千里1はシステムの契約に至るのだが、その後、また川島信次からお茶に誘われる。困るんだけどなあと思いつつも断ることもできないので付き合ったら、いきなり結婚して欲しいと言われてしまった。
 
千里1は仕事も絡むことなので即答できないと答えて、翌29日、山口社長に相談する。山口は困ったと思ったものの、千里に性別を変更していることを川島に言ってもらえないかと要請した。千里1も仕方ないのでそうすることにする。
 
それで翌29日、千里1は社長と一緒に○○建設に赴く。向こうはこちらの社長が出てきたので驚いて所長も一緒に出てくる。
 
千里1はこんな人数がいる場所で言わないといけないのか?ともう逃げ出したい気分だったが、仕方ないので、2012年7月に性転換手術を受け、同10月に性別を変更していることを話した。
 
その上で、山口社長は、2人の関係が破談になった場合は、さすがに村山を担当にできないので自分が直接陣頭指揮を執ってシステムを完成させるので、システムについては心配しないで欲しいと所長さんに言った。
 
信次は少し考えさせてくれと言ったが、翌30日返事をしたいと連絡をしてきて、結局31日(木)の午後、また千里、信次、こちらの社長、向こうの所長の4人で会うことになる。
 
その場で信次は千里の過去の性別は気にしないから、結婚して欲しいと再度千里にプロポーズした。
 
こういう流れになってしまうと、千里1はこのプロポーズを断るすべが無かった。結局同意してしまうものの、絶対川島さんの親が反対するだろうからこの縁談は破談になると思った。
 

千里1はこの再求婚された日を含めて信次と数回デートし、4回目のデートではとうとうホテルに行ってセックスをしてしまう。
 
この時期、千里1はやっと貴司と京平のことも思い出していたので(ただしこの時点で千里1は京平のことを単に貴司の息子と思っている)、
 
「貴司ごめん。桃香ごめん」
と心の中で謝りながら信次を受け入れた。信次は実際にはホテルに行った後、
 
「千里ちゃん、前で受け入れられるんだっけ?なんなら、僕が女役で千里ちゃんが男役でもいいけど」
などと言うので千里は苦笑して
 
「大丈夫だよ。私のヴァギナはちゃんと男の人を受け入れられるよ。それに私、男役はできないよ」
 
と言って、信次が男役、千里が女役という(千里の感覚で)普通の結合をした。千里は「変なこと言う人だなあ」と思ったものの、まさか信次が本来は男性同性愛の女役であるとは、思いも寄らなかった。
 

このふたりが初めて結合した日、信次は千里に、来週の日曜日にでも母と会って欲しいと言ったが、千里は絶対お母さんは認めてくれないよと言った。信次は説得するからと言うので、千里も渋々了承した。
 
本当に困ったことになりつつある。どうやってこの縁談をぶち壊そうかと悩んだ千里1は、気分転換に、お茶教室に行ったのだが、そこで以前から親しかった康子さんから息子と見合いをしてくれないかと頼まれた。
 
「困ります。私、恋人がいるんです」
と千里は言う。
 
ところが康子が言うには、息子が変な女に引っかかって結婚すると言っているが絶対その女に騙されている。だから息子の目を覚ますために、こんな素敵な女性もいるのだということを示すために見合いして欲しいと言われるのである。
 
こういう状況に追い込まれたのが千里2や千里3であったら、こういうものに流されずに、きちんと信次のプロポーズも断り、康子の見合い話も断っていたであろう。しかし千里1はそもそも2や3に比べて受け身的で、流されやすい性格である。それで結局千里1はこの見合い話にも同意してしまうのである。
 
結局9月16日、千里1は見合いならこれかなあと考えて訪問着を着て、ミラを運転して、康子の家を訪問した。
 
康子の家では見合いしろという康子と、そんなのしないと言って、ヒゲも剃らずに、パジャマのままの信次が言い争いをしていた。そこに千里が入って行く。
 
信次はびっくりして棒立ちになる。
千里も驚いて立ち尽くす。
 
康子は何が起きたのか分からず、ふたりの顔を見比べていた。
 

ふたりの話を聞いて、いちばん衝撃を受けたのが康子であった。康子はひどくガッカリして座り込んでしまう。
 
千里1は言った。
 
「私の性別のことを言ってなくてごめんなさい。私は身を引きますから、信次さんには、もっといい女性を探してあげてください」
 
正直自分は身を引きたい!と千里1は思っている。
 
しかし信次は、身を引くなんて言わないで欲しい。自分は千里の過去の性別のことも気にしないし、子供を作れないことも気にしない。だから結婚したいと主張した。
 
身を引きたいと言う千里と、結婚したいという信次が言い争う形になってしまったのだが、そこで康子が発言した。
 
「千里ちゃん。私は千里ちゃんのこと気に入っているもん。だから信次と結婚してあげて」
 
うっそー!?と千里1は思う。
 
しかし康子がふたりの仲を認めてしまったことで、千里1はもうこの縁談を断るに断れなくなってしまった。
 

やばいよぉ、どうしよう?と思いながら、千里1は桃香の許を訪れ、婚約してしまったことを言う。当然のことながら桃香は激怒した。
 
「何〜〜〜?結婚するだとぉ?」
 
そして桃香は言う。
 
「取り敢えずセックスするぞ」
「ちょっと待ってぇ!」
 
千里が足腰立たないほどまでやってから、桃香は言った。
 
「他の男と結婚してもいいけど、条件がある」
「うん?」
 
「私と交換した指輪は持っていて欲しい」
「うん。それはずっと持っておくよ」
「私ともずっとセックスを続けること」
「勘弁してぇ。不倫になる」
「私がレイプするんなら、千里の意志でセックスするんじゃないから不倫じゃないよな?」
「変な理屈!」
「どうせ千里、細川さんともセックスしてる癖に」
「してないよぉ」
「嘘つく子はおしおきするぞ」
「これ以上やったら壊れる〜!」
 
「早月におっぱいはあげること」
「うん。ちゃんとおっぱいあげるよ。私の娘だもん」
 
「1年後には離婚して私の所に戻って来ること」
「そんな無茶な!」
 

何か変な条件を呑まされた感じはしたものの、取り敢えず千里は桃香の許可をもらい(?)、信次との結婚を進めることにした。
 
でも1年後に離婚って、どうやって切りだそう?などと悩んでいる。
 
千里は川島信次と結婚するということをまず青葉に伝えた。青葉は当惑する様子であったものの、朋子は「良かったじゃない」と喜んでくれた。ただ、千里が相手の名前を伝えた時、一瞬「え?」と言った。
 
それから千里1は貴司に手紙を書き、貴司との愛の証である金色のリング状のストラップも同封し、別の男性と結婚することを報せ、もう会わないようにしようと告げた。保志絵さんから返された婚約指輪と結婚指輪は置いていたはずの場所に見当たらないので、再度保志絵さんに返したんだっけ?などと思った。
 
貴司は「結婚おめでとう」という返事を書いてきてくれた。そして会わないことには同意するが、リングのストラップは持っていて欲しいと言ってそれは送り返してきた。それで千里1は桃香と交換したダイヤの指輪も、貴司と交換したストラップもそのまま持っておくことになった。
 
貴司のお母さんには手紙では済ませられないと思い、電話してそのことを伝えた。2017年9月24日(日)15時すぎであった。
 
お母さんは最初千里1からの電話を受けた時「へ?」という声をあげたものの、千里1の話を聞くと
 
「ずっと貴司が曖昧な態度を取っていて悪かったね。幸せになってね」
と言ってくれた。
 

9月の時期は、千里3は海外遠征が終わり、10月のWリーグ開幕に向けて、日々川崎の体育館で練習をしていた。この時期、千里3は《きーちゃん》に勧められて、川崎市内にマンション(2LDK 津田山駅の近くで駐車場代込み16万円)を借りており、そこから南武線でレッドインパルスが練習している体育館(武蔵中原駅の近く)に通っていた。
 
一方結婚問題で悩んでいる千里1も横浜市内(長津田駅の近く)の2軍練習場に用賀のアパートから東急田園都市線で通って、復活に向けての練習をしていた。
 
千里1と3の通勤路は溝の口駅でクロスするが、東急とJRで駅舎も別れているので問題無い。実は通勤ラインをクロスさせることで千里3から千里1にエネルギーを少し注入できる仕掛けが作られている。
 
千里1はバスケットの力が落ちているとはいえ、実業団扱いの2軍の中では充分強い選手であり、ここで練習をしていると、本人としてもかなり心が洗われていくような感覚があった。実際このバスケット活動が千里1の精神力を少しずつ回復させていくのである。
 
「『千里』から少し力が落ちているから1画取って、登録名『十里』で」
という話も千里1は受け入れていた。
 
それでこの時期、本当にレッドインパルスの1軍には33.村山千里、2軍に66.村山十里が登録されていたのである。両者は別々のバスケ協会登録番号を割り当てられていた。
 
首脳陣はこの2人はたぶん落雷を契機に生まれた二重人格なのだろうと考えていた(その考えはほとんど合っている。しかし物理的にも2人いるとまでは思いも寄らない)。
 
実際「村山十里」(実は千里1)は午前中に横浜の体育館に姿を表し、「村山千里」(実は千里3)は午後川崎の体育館に姿を現していたので、お昼を境に人格交代していると考えると矛盾が無いのである。(そのようなスケジュールになったのは《きーちゃん》の誘導によるものである)
 
ただ、その場合大事な試合の時に「十里」の方になっていては困るのだが、実際にはちゃんとそういう試合には「千里」の方が出てきているようなのでやはり気合いが入る時は入るんだろうなと首脳陣は考えていた。
 

そして1,3が日本国内で活動している間に、千里2はフランスのMBFで10月から始まるフランス女子プロリーグに向けて練習をしていた。
 
千里2がマルセイユでバスケの練習をしているのは9:00-18:00の間で日本では16:00-25:00に相当する。千里2は練習が終わると仮眠・夕食後、作曲活動をしてから寝ている。千里2の標準的な睡眠時間はフランス時刻で1:00-6:00で、これはフランスがまだ夏時刻なので日本の8:00-13:00にあたる。もう少しして冬時刻(10月29日から)になると9:00-14:00になる予定だ。
 

その日、千里Cこと《せいちゃん》はメーカーのSEとの打合せのため都内のメーカーのオフィスに行き、自分の会社に戻る所であった。いつものようにブラウスとスカート姿である。社内で作業している時はジーンズのパンツなのだが、やはり打合せにはスカートを穿くことが多い。
 
「嫌だなぁ。スカートなんて」
などとぶつぶつつぶやきながら、乗り換えのため駅構内を歩いていたら声を掛けられた。
 
「あら、宮田さん?」
 
振り返ると自動車学校の宿舎で同室だった佐倉さんである。
「こんにちは、佐倉さん」
 
「お仕事?」
「いえ。今終わって帰る所です」
「あら、だったらお茶でも飲まない?」
「それもいいかな」
 
《せいちゃん》は「会社に帰る所」という意味で言ったのだが、佐倉さんは「自宅に帰る所」と取った気もした。しかし少しサボりたい気分だったので付き合うことにした。
 
近くのカフェに入る。
「私ね。再婚したのよ」
と佐倉さんは言った。
 
「あら、おめでとうございます。いい彼氏が見つかったんですね」
「いや、それが元の旦那との再婚なの」
「え!?」
 
「いや、私免許取った後、中古のアリオン買って運転してたら、雨の日にスリップして道路から転落して」
「え〜〜〜!?」
「車は全損だけど私は無事。念のため一週間入院してあれこれ検査されたけどどこも何とも無いって」
「それは良かったです。でもそれアリオンだったから無事だった気もしますよ」
 
「そうなのよ。あいつにもこれ軽だったら大怪我してるよと言われた」
「ほんとですよ。吸収できる衝撃の量が全然違いますから」
「それで入院した一週間、あいつ毎日病院に来てくれて」
「へー!」
 
「それで私、またあいつに惚れてしまって」
「いいと思いますよ」
「娘たちがお母さんたち再婚しなよとか言うから、娘たちが言うなら再婚してもいいかなと思って」
「嫌いで別れたんじゃないですしね」
 
「でもあいつから運転は禁止って言われた」
「あらら」
 
と言いながらも、その方が地球の平和のためだと《せいちゃん》は思った。仮免試験を7回落としたし、卒業検定も5回落としたらしい。
 
「2度目だから人を招いての披露宴とかしないけど、ふたりで記念写真だけ撮って娘たちと一緒に割烹で御飯食べた」
 
「それでいいでしょうね」
「でもウェディングドレス同士の記念写真なのよ。恥ずかしかったぁ」
「最近多いから問題無いと思いますよ」
 
「それでさ・・・・私女同士の夜の営みにハマっちゃったかも」
「なんかあれ、終わりがないって言いますね」
「そうなのよ。男と女だと、男が出したら終わりじゃん。でも女同士だと、金曜の夜とか、つい朝までやっちゃうのよ。くたくたになるけど凄く気持ちよくて。あの人が男だった時もあんなに気持ちよくなれなかったのに」
 
「元々男性として弱かったのもあったと思いますよ」
「あ、そうかもね!」
「女同士だとツボが分かりやすいともいいますし。相方さんはもう性転換手術は?」
「手術は5月にやっちゃったのよ。だからまだ結構痛いらしいから、あまり大きなものは入れないようにしてるのよね」
 
向こうに入れるのか!?
 
「まあ少しずつ慣らしていけばいいですね」
と《せいちゃん》は言っておく。
 
「あいつも性転換手術で生まれ変わったと言ってたけど、私とあいつの関係もいったん死んでまた生まれたのかもね」
「愛は性別を超えるんですよ」
 

9月22日(金).
 
鱒渕水帆(22歳)は、4月25日に倒れて病院に運び込まれて以来、約5ヶ月ぶりに退院した。
 
入院中は人工透析などもしていて、退院後もずっと必要になると言われていたのだが、今月に入ってから奇跡的に腎臓の機能が回復し、これなら定期的に検査さえ受けていれば、透析までは必要無いですねと言われた。生理も入院中に止まってしまい、こちらはまだ止まったままだ。
 
自分は死の淵から蘇ったのかも知れないなという気がした。
 
秋風コスモス社長からは給料はちゃんと払うから年内は自宅で休養しておくといいと言われた。社長は入院中の医療費だけでなく、その間ずっと付いていてくれた母の東京での滞在費まで出してくれた。母はもう田舎に帰って来なさいと言ったのだが、自分はまた頑張りたいと言い、東京に残ることにした。社長と話し合い、復帰までの間、色々なジャンルのアーティストのライブを見たり、CD/DVDを聴いたりして過ごすことにする。
 
自分が倒れた後、アクアのマネージャーを務めてくれている四谷勾美さんとも何度か話したが、かなり神経の丈夫な人という感じである。ああ、こういう所は見習いたいなと思った。社長との話し合いで、年明けの2大ドーム公演から四谷さんと鱒渕、それに現在四谷さんのサブに入っている緑川志穂・高村友香の2人と4人体制でアクアのマネージングをすることになる。
 
確かにアクアって3人分くらい仕事してるから、そのくらいマネージャーが居ないと無理かもね。自分はよく1人でやってたなと思った。実際には何度かアクアに付き人を付けたこともあるのだが、あまりの多忙さにめげてすぐ辞めてしまっていたのである。
 

その日、大阪吹田のマンションに、北海道から貴司の母・保志絵が来ていた。
 
貴司から千里が別の男性と婚約したのでふたりの関係を解消したと聞き、貴司に直接事情を聞くために出てきたのである。
 
CTS 9/24 7:40(JL2000 737-800WL) 9:35 ITM
 
貴司のマンションに到着したのは、10時半頃である。
 
ところが貴司本人はこの日朝から会社に呼び出されて出て行っているということであった。更に実は阿倍子はこの日、実家の権利問題で、従伯母に当たる人(阿倍子の祖母の兄の養女)と話合いを持つことになっていた。
 
「お母さん、申し訳ないんですが、凄く角の立つ話をしに行くので京平は連れていきたくなかったんです。夕方まで見ていて頂けませんか?」
と言って、阿倍子は京平を置いて出て行った。
 
そういう訳で保志絵は京平と2人でマンションに取り残されてしまった。
 
「まあいいか。今日は京平のおばあちゃんだ」
と言って、京平に絵本を読んであげたり、レゴで一緒に遊んだりしていた。お昼は京平がホットケーキを食べたいというので焼いてあげた。
 
14時頃、訪問者があるが、見ると千里なので保志絵はびっくりする。保志絵はエントランスの開け方が分からなかったが、千里は
 
「大丈夫です。鍵を持っていますから」
と言って、自分の鍵でエントランスを開けてマンション内に入り、エレベータであがってきてから、自分で玄関を開けて入って来た。
 
「千里ちゃん、ここの鍵を持っているんだ!」
「ずっと持ってますよ」
 
と千里は言う。
 

入って来たのは千里2である。普通に毎日京平に会いに来る時間なのだが、今日は保志絵が来ているということだったので、わざわざ玄関から入って来たのである。
 
「お母ちゃーん」
と言って京平が抱きつくのをしっかり抱きしめる。
 
「今お茶でも入れますね」
と言って千里2はお茶を入れる。千里2はまるで自分の家のように迷わず食器や茶葉を取り出すので、保志絵は半ば感心し半ば呆れて見ていた。
 
マルセイユの街で買ったクッキーを出す。
 
「このクッキー、味付けがヨーロッパっぽい」
「マルセイユのギャラリーラファイエットで買った物です。私最近ずっとマルセイユと日本を往復する日々なんですよ」
「へー!」
 

千里2はクッキーを食べて一息付いたところで、京平にパパの書斎で絵本を読んでなさいと言った。
 
「はーい」
と言って京平がリビングを出て行く。それを見送って保志絵はごくりと唾を呑み込むと訊いた。
 
「千里ちゃん、他の男の人と結婚するんだって?」
 
すると千里は微笑んで言った。
 
「千里は結婚するらしいですね」
「え!?」
「今電話がかかってきます」
 
と千里2が言った途端、保志絵のスマホが鳴る。千里のアパートの電話番号である。保志絵は首をひねりながら取る。
 
「こんにちは、千里です」
「え!?」
 
と言って保志絵は目の前に居る千里を見た。千里は微笑んでいる。
 
それで電話の向こうの千里は、どうしても結婚してくれと熱心なプロポーズをされて、結婚することになってしまった。貴司さんにも保志絵さんにも申し訳無いのだが、貴司さんとの関係は解消させて欲しいと言った。
 
それで保志絵は目の前の千里(千里2)を見ながら電話の向こうの千里(千里1)に言った。
 
「ずっと貴司が曖昧な態度を取っていてごめんね。あんた、貴司が結婚してしまってからも、4年も待っていてくれたのにね。千里ちゃんこそ幸せになってね」
と言った。
 

そして電話を切ってから目の前の千里に訊いた。
 
「どうなってんの?」
 
すると千里(千里2)は言った。
 
「私も困っているんですけどねぇ」
 
そして愛用のバーバラウォーカーのタロットを取り出すと並べる。
 
「貴司さんと阿倍子さんはあと4ヶ月で離婚します」
と言って《世界》と《剣の4》のカードを見せる。
 
「え〜〜〜!?」
 
「そして千里と川島さんの結婚も10ヶ月後、つまり来年の7月に終了します」
と言って《塔》と《剣の10》のカードを見せた。
 
千里2にしてもここで塔のカードが出たので、川島信次と“千里”の結婚が早々に破綻すると見たのだが、まさか信次が《塔》のカードに示唆されるような最期を遂げるとは、思いも寄らなかった。
 

「あんた、千里ちゃんだよね?」
と保志絵は訊いた。
 
「私は間違い無く千里です。私は貴司さんの妻です」
 
と言って、千里2は落ち着いた表情、しかし燃えるような熱い目で、昨年11月に保志絵から返された貴司との婚約指輪と結婚指輪を薬指に付けた左手を見せた。保志絵は、この子、いつの間にこれを付けたんだろう?と思った。さっきタロットを扱っている時には気付かなかった。
 
「電話の向こうに居たのは?」
「あれも千里です。あの子は川島さんと結婚します」
 
「千里ちゃんって2人いるの〜〜〜!?」
 
「それが3人いるんですよね」
 
「うっそー!?」
 
京平が書斎から出てきて、千里2の膝に座った。そして保志絵に言った。
 
「おばあちゃん、ボクのママ(阿倍子)は1人だけだけど、お母ちゃん(千里)は3人居るんだよ。でも、3人とも確かにボクのお母ちゃんだよ」
 
これが2017年9月24日(日)15:20頃のことであった。
 
 
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【△・死と再生】(2)