【△・死と再生】(1)

前頁次頁目次

1  2 

 
2017年7月4日(火)。運命の日。
 
この日、青葉はアクアに関する打合せのため、大学を休んで新幹線で東京に出てきた。ちょうどお昼頃に東京駅に着くので、お昼は彪志と一緒に食べる約束をして、東京駅で12時に待ち合わせていた。
 
青葉はその新幹線に乗っている間、ずっと自分の力が奪われている感覚があった。これは、何か大変な事態に対処する場合に、お互いにパワーを融通しあえるようになっている、天津子か菊枝が使っているのではないかと思った。ただ、そういう場合はふつう事前に連絡があるはずなのに、この日はどちらからも連絡は無かった。何かよほど緊急の事態が発生しているのだろうか?と訝る。青葉のパワーがたくさん奪われるので、結果的に青葉は千里からもパワーを融通してもらっていた。それで千里からも
 
「何かあったの?」
という連絡があったので
「どうも誰かが使っているみたい」
と返事をしておいた。
 
なお、青葉が引き出せるのは千里1のパワーであり、青葉に連絡したのも千里1である。
 

その日、早月は朝から体温が高めであった。桃香は抱っこした時に熱いなという気はしたのだが、水分不足かもと思いお乳で足りないならと思ってミルクもあげたりした。ところがそれでも熱が下がらず、どんどん体温が上がっていく。これ病院に行った方がいい?
 
と思うもどこに掛かったらいいのか分からない。
 
桃香は忙しそうにしているので申し訳無いと思ったが、千里に電話した。
 
この電話を受けたのは千里1であった。
 
千里1は現在日本代表候補の合宿の最中であるが、この日はメディアにも公開して、サウスカロライナ大学チームとの練習試合をすることになっていた。試合は午後からなので午前中は練習も無い。それで《すーちゃん》を身代わりに置いて外出し、経堂のアパートに行った。
 
《びゃくちゃん》に診てもらう。
 
『これ着せすぎ』
『え〜〜!?』
 
桃香にそれを言うと、熱が出ているから寒気がするのではと思い着せてあげたという。しかし厚着したことで、どんどん体温が上がってしまったのである。体温調整がまだ上手ではない赤ちゃんではありがちなことだ。
 
ともかくも、服を少し脱がせると体温は下がり始めた。
 
「良かったぁ!」
「でも水分は充分取った方がいいよ。赤ちゃん用ポカリスエットとかいいかも。そういうのあった?」
「アクアライトがある。あれ飲ませる」
「うん。だったら私、帰るね」
「忙しい時にごめんね」
 
《こうちゃん》に運んでもらおうかとも思ったのだが、居ないようである。最近彼はしばしばどこかに行って何かしているようだ。《りくちゃん》に頼もうかとも思ったが、考えてみると、昼間にこれをやると、人に見られる危険もある。それで時間もあるし、身代わりも置いているしと思って、千里1は電車で戻ることにした。
 

千里1は小田急で新宿まで出てきて、中央線で神田に出た上で、上野から宇都宮線に乗るつもりだった。
 
ところが千里1は神田で電車に乗り間違って、上野ではなく東京に出てしまった。ありゃあ、なんで私はこういう所で電車を乗り間違えるんだ?と思う。後ろの眷属たちも大半が呆れていたのだが、ただひとり《たいちゃん》だけは、
 
『千里が道を間違える時は間違える必要がある時』
と言って、他の子たちに警戒するよう伝えた。
 

千里1は東京駅に着いた途端、とんでもなく邪悪な気配の存在を感じる。
 
何だ!?これは悪魔か!??と思う。
 
こんなのには関わらない方がいいと思って、5番ホームで降りるといったんコンコースに出た上で、上野方面の4番ホームに移動しようとした。さっさと逃げるに限る。ところがその時、青葉が乗った新幹線が東京駅に到着したことを察知した。
 
やばい!
 
青葉は火中の栗を拾う性格だ。こんな奴を見たら、絶対対抗しようとするけど、こいつには青葉はかなわない!と思った。
 
それで千里1は青葉を守るため、自らの危険は意識しながらも、青葉が到着したホームの方へ行く。結果的にその巨大な邪悪の気配のそばを通過しなければならない。青葉はその気配に気付いているのかいないのか、そちらに接近している。
 
千里1がそのホームに上がってきた時、30歳くらいの男性がホームから転落するのを見た。そして凄まじい爆発音のようなものがある。何だ?何だ?と思った時、向こうの方に羽衣が居て、こちらを見たのを認識した。
 
次の瞬間、羽衣が天津子と千里1のコネクションを利用して、千里1から思いっきりエネルギーを吸い上げた。
 
千里1は何も分からないまま意識を失ってその場に倒れた。
 
2017/07/04 12:10 JST(= 7/3 23:10 EDT = 7/4 5:10 CEDT)頃のことであった。
 

この日、東京駅では実は壮絶な戦いが繰り広げられていた。
 
“吸血鬼”であるクロガーが、若い日本人女性マジシャンを連れ出した。それを内偵中の、山川春玄の弟子3人が目撃して尾行した。クロガーは東京駅の東側にある人通りの少ない一角でその女性の生き血をすすろうとした。そこに弟子が飛び出して阻止しようした。クロガーはまた邪魔が入ったかと、女性マジシャンを放置したまま、春玄の弟子たちと対峙するが、そこにサポートのため近くで待機していた菊枝も駆けつけ、4人でクロガーに対峙する形になった。菊枝はこいつは自分の力だけでは倒せないと見て、東京に出て来ていた天津子を呼んだ。天津子には、たまたま羽衣が付いて来ていて、物凄い相手だというのに興奮する。俺がやると言って天津子と一緒に東京駅に急行した。
 
クロガーも相手がひとりならどうにでもなるものの、4人に別方向から攻撃されると、簡単には倒せず、しかも菊枝が青葉経由で千里からエネルギーをもらっているので元気で、苦戦する。結局1時間ほど死闘が続いたものの、最終的には4人ともクロガーにやられてしまった。
 
しかしそこにちょうど羽衣と天津子が到着したので、クロガーは4人にとどめを刺すことができず、そのまま羽衣と対決する形になった。ふたりは戦いながら結局東京駅の構内に入り、そしてホームにあがってしまう。
 
羽衣はとんでもない相手に興奮するとともに、ちょっとこいつはヤバいかもと思い始めていた。実際不意を突かれてすんででやられる所をギリギリ防御した。もう自分の戦闘エネルギーはほとんど残っていない。相手は次の攻撃態勢に入っている。ダメだぁ!と思った時、ちょうどそこに千里1が来たのを見た。羽衣は千里1のエネルギーを勝手に引き出し、そのエネルギーをまとめてクロガーにぶつけた。
 
クロガーは一瞬で蒸発した。
 
しかし羽衣は自分自身もかなりダメージを受けているのを認識した。こりゃまた全治半年かなと思った。
 

千里が倒れたのを見て天津子が駆け寄る。
 
ところが千里は瞳孔が開いており、手首を取って脈をみたが脈が無い。更に息もしていないことを認識する。
 
うっそー!?まさか、千里さん死んじゃった!??
 
天津子は焦る。
 
ちょうどそこに青葉が彪志と一緒にこのホームに来た。
 
「青葉! どうしよう。千里さん死んじゃったよ!!」
 
青葉はじっと千里を見ると、いきなり右足を持ち、数回振るように動かした。千里は過去に何度か青葉や桃香に言っていた。私って、時々心臓が勝手に停まっちゃう時あるけど、そういう時は、たいてい足を激しく動かしたら蘇生するから、と。
 
これは千里によればバッテリーがあがったバイクの押し掛けのようなものらしい。足を振ることで強制的に血流が作られ、その血流が心臓を動かすと千里は説明していたが、かなり怪しい説明という気はした。
 
しかしまずはやってみる価値があると青葉は思った。
 
そして青葉が実際に足を動かしたら、千里は目をぱちりと開け、むっくと起き上がった。
 
天津子が「きゃっ」と言って腰を抜かした。
 

千里1は何かきれいな景色の所に来ていた。あれ〜?私どこに居るんだ?と思う。
 
草原のような所を歩いている。花がたくさん咲いていた。向こうの方に川が流れていて、人がいるようなので、そちらに行こうとしたら
 
「千里」
と呼ぶ声がする。小春の声である。
 
「小春?」
と言って、千里1は振り返って数歩戻ると、そこに小さな池があった。
 
「手を出して」
とどこかで聞いたことのあるような声がするので左手を差し出すと、池の中からも左手が出てきて、千里の左手をしっかり握った。
 
「あっ・・・」
 
その池の中から出てきた手から千里1の中に何かパワーのようなものが流れ込んでくる感覚があった。
 
「さあ、もう立ち上がれるよね?」
と池の中から手を出した人は言った。
 
「うん。頑張る」
と千里1は答えた。
 
そこで目が覚めた。
 
左手にはまだ握られた感触が残っていた。千里1はしなければならないことがあったことを思い出して立ち上がった。
 

羽衣がいきなり千里1の全エネルギーを持っていった時、後ろの子たちもその衝撃に皆悲鳴をあげた。多くの子が、千里のエネルギーのついでに自分固有のエネルギーまで結構奪われた。
 
この時、千里1についていたのは、遍在していて別格の《くうちゃん》を除くと、《とうちゃん》《りくちゃん》《てんちゃん》《いんちゃん》《げんちゃん》《たいちゃん》《びゃくちゃん》の7人である。
 
エネルギーを奪われるのと同時に千里とのコネクションも切れてしまった。
 
ここに居なかったのは4人である。《すーちゃん》は千里が経堂まで往復している間の身代わりで合宿所に居た。《きーちゃん》は千里2に付いていた。《こうちゃん》はアクアのマネージャーになるべく工作活動をしていた。《せいちゃん》は運転の練習をしていた。
 
しかし《くうちゃん》が別行動だった4人を即召喚した。
 
(せいちゃんが運転中の車はくうちゃんがエンジンを停め駐車場に転送した)
 

羽衣がうっかり千里1が死んでしまうほど、エネルギーを引き出してしまった要因は主に2つである。
 
・千里1は午前中青葉経由で菊枝からかなりエネルギーを引き出されていて、エネルギーの水位が下がっていた。
 
・千里1は実は元々の千里の2〜3割のパワーしか持っておらず、以前の千里を見ていた羽衣が、千里1の容量を勘違いしてしまった。
 
その上、羽衣自身、自分が死ぬかクロガーが死ぬかという瀬戸際で、焦っていたこと、また千里1は青葉のことを気にしすぎていて、自分の防御がおざなりになり、パワーが全部持って行かれるのを放置してしまった。
 

《小春》はもう自分の寿命が尽きるのを静かに待っていたのだが、その時にこの事故に遭い、残っていた僅かな生命エネルギーも大半をこの事故で奪われた。
 
『ああ、とうとう死ぬのか』
と思った時、ふと、千里が先に死んでしまっているのに気付く。
 
『何やってんのよ!?私が死んでいる間に勝手に死ぬなと言っておいたのに!』
と言って、小春は自分に残ってる、ごく僅かな生命エネルギーを全部千里にあげてしまうと同時に肉体から離れようとしていた千里の魂を強引に肉体に引き戻した。
 
その直後に青葉が蘇生処置をしたので、千里1は生き返ったのである。
 
小春は全てのエネルギーを失って死亡したが、その時、自分とポジションを入れ替えるような感じで、この世に呼び戻した千里に、小春は呼びかけた。
 
『私の愛しい人が今ホームから転落したの。あの人を助けて。ついでに、もし彼が気に入ったら私の代わりに千里、あの人と結婚してあげて』
 
それが小春の遺言となった。
 
深草小春は今度は人間の子供・細川緩菜として再びこの世に生まれるまで、415日間、中有の世界で休眠することになる。
 

小春の献身と青葉の処置で蘇生した千里1(第3世代)は、最初に小春から言われた人を助けなければと思った。
 
人だかりのしている所が、その人が落ちた所だなと思ってそこに駆け寄ると、電車が近づいているのは意識したものの、迷うことなく線路に飛び降り、倒れている男性を抱き抱える。そして、そのまま隣の線路に待避した。
 
その直後、急ブレーキを掛けた電車がそれでも凄い速度で入って来て、千里たちの横をかなり行きすぎてから停止した。
 

千里が助けた男性は川島信次と名乗った。
 
「ありがとうございます。命拾いしました。急にふらふらとして落ちてしまったのですが、今度は気が動転して動けませんでした」
「貧血ですか?」
「疲れが溜まっているんじゃないかと思うんですけどね」
「一度病院に行った方がいいかも」
 
「病院嫌いなもので。でも、あなた凄く太い腕ですね。スポーツか何かしてるんですか?」
「ええ。趣味程度ですけど、バスケットを」
「僕、腕フェチなんですよ。太い腕が大好きで」
「変わった趣味ですね」
「よく言われます」
 
千里はまさか信次が「男性の太い腕が好き」だとまでは思いもよらない。
 
結局、千里は信次と電話番号だけ交換して、合宿所に急いだ。
 

合宿所では千里1の身代わりをしていた《すーちゃん》が強制召還されて居なくなっていたので、集合時刻に千里が居ないというので騒ぎになっていた。電話もつながらない(実は東京駅での事故の際に、iPhoneも壊れてしまったのである)。それで千里1が戻ってくると
 
「何やってたんだ?」
と叱られた。
 
そして間もなく、メディア公開した練習試合が始まった。
 
千里1はスターターで出て行ったものの、全くいい所が無かった。スリーが全然入らない上に、かなり相手選手からスティールされた。
 
それで短時間で交代した。
 
風田コーチが
「村山君どうしたの?風邪でもひいた?」
と心配していた。
 
青葉と彪志は千里(千里1)の様子が明らかにおかしかったので、ナショナル・トレーニング・センターまで付いてきた。千里の親族だと言って中に入れてもらう。そして実際に千里のプレイを見て、さっきの事故の影響がもろに出ていることを感じた。
 
そして青葉は千里がその霊的な力をほとんど失っていることにも気付いた。
 

練習試合の終了後、マーシャル監督は千里に代表落ちを通告する。風田コーチは何とかかばおうとしたのだが、勝手に外出して集合時刻に遅れた上にあのプレイでは他の選手に示しが付かないと監督は言った。坂口代表も今日のプレイではやむを得んねと言った。そして千里にこう言った。
 
「君はやはりまだ落雷事故の影響が残っているんだと思う。今年いっぱい休養に務めなさい。来年のワールドカップの代表候補には必ず呼ぶから、それまで英気を養って、再起して欲しい」
 
「分かりました。大変申し訳ありませんでした」
 
さすがに意気消沈している千里1に青葉と彪志が寄ってくる。
 
「ちー姉、とりあえずアパートまで送るよ」
 
それで青葉と彪志は千里(千里1)の合宿所の部屋の荷物の整理を手伝い、合宿所に駐めていたミラを青葉が運転して、千里を経堂のアパートまで送って行った。青葉は本当はアクアの打合せに行かなければならなかったのだが、姉が事故に遭ったのでと言い、夕方に変更してもらった。
 

千里1がいったん死亡したことから、千里の守護を巡って、後ろの子たちの意見が割れた。
 
彼らは真の主(あるじ)である美鳳から、千里が死ぬまで守護するよう命じられていた。ところが千里は死んでしまった。これで自分たちの任務は終了したので出羽に帰還すべきという意見と、千里は生き返ったのだから任務は継続しているという意見が出て、議論するも結論が出ない。議長役をしていた《きーちゃん》も困って結局、リーダーである《とうちゃん》に決めて欲しいと言った。
 
それで《とうちゃん》は「3年待ってみよう」と提案した。
 
3年の間に、千里が霊的な力を復活させ、自分たちとの交信ができるだけのパワーを回復させたら自分たちは引き続き千里の守護をすればいい。3年経っても回復しなかったら、出羽に戻ろうと。人間の数十倍の寿命を持つ自分たちにとって3年なんて誤差の範囲だから出羽に戻るのにそのくらい掛かっても命令違反にはならないと《とうちゃん》は言った。
 
それでみんなは納得し、3年間、千里を守護しながら、千里の霊的な力の回復を待つことにした。
 
実際には千里は2年くらいで霊的な力を回復させるのでは?と、《とうちゃん》や《こうちゃん》など、千里の“丈夫さ”を知る眷属たちは思っていた。
 

千里1が死んだ時、千里3はフランスにいて当地は朝5:10である。マルセイユのアパルトマンで寝ていたが、ショックで目を覚ます。
 
どうしたんだ?
 
と思った時、誰か聞いたことのある声で
「千里、ちょっと力を貸して」
と言われる。
 
「うん」
と言って、声のした方に手を伸ばした。そこから少しエネルギーが吸い上げられる感覚がある。30秒ほどそうしている内に
 
「成功。ありがとう」
という声があった。
 
千里3は、今誰からの交信だったんだろう?などと思いながら起き上がると朝御飯を作り始めた。
 

千里1が死亡した時、千里2は日本に居たが葛西のマンションで仮眠中だった。しかしショックで目を覚ます。何だ何だ?と思う。そばで自分も目を覚ました《きーちゃん》が
 
「千里1が死んだ」
と言った。
 
「うっそー!?なんで?」
 
と千里が言った次の瞬間、《きーちゃん》の姿が消える。《くうちゃん》に強制召還されたなと千里2は思った。
 
集中して千里1の様子を伺う。千里2は千里1と3の位置を常にフォローしている。
 
ありゃあ、ホントに死んでいる。やばいじゃん。しかも完全放電してる!身体自体の損傷は無いけど、これでは助けようが無い。
 
(完全放電してしまった携帯電話は充電のために必要な回路も動かせないのでUSB経由では充電できないのに似ている)
 
そう思った時、千里1にごく僅かながらどこかから生命エネルギーが流れ込んできた。よし、これなら蘇生できると千里2は思い、千里1に呼びかけた。
 
「千里、手を出して」
そして精神的に千里1の手を握ってあげた。
 
そこからエネルギーを注入する。これは千里3と一緒にやった方がいいと思ったので、千里3にも呼びかけて、一緒に注入した。
 
ショック状態にあった千里1の生命維持システムが再稼働し始める。
 
が、まだ心臓が停まったままだ。これをどうやって動かそう?私にはAEDなんて効かないし、と思った時、千里1のそばに青葉が来たので、いったん作業を中止する。青葉が蘇生処置を施した。それで千里1の心臓が動き出す。よし、さすが青葉!と千里2は思った。
 
このようにコネクションの取れている相手の傍の状況をまるでそこに居るかのように視覚的に感じることができるのは千里の持つ特異な能力なのだが、本人はそれが特別なことであることを認識していない。もっとも3人の千里の内、これができるのは千里2のみである。
 

千里1は代表落ちしたことから、Jソフトの山口社長(6月末に専務から社長に昇格した)に家電から電話して、代表から落ちてしまったので、明日から会社に復職しますと連絡した。
 
この連絡に、結果的にそこで仕事をすることになる《せいちゃん》が悲鳴をあげた。
 
『女装生活復帰おめでとう』
などと《こうちゃん》が言う。
 
『お前、女装好きだよな?お前が代わりにやらない?』
『俺、コンピュータなんて全然分からないもん』
 
もっとも《こうちゃん》も色々社会体験したおかげで、Excelくらいは扱えるらしい。
 

翌日の朝、羽衣が千里の眷属たちにコネクトしてきた。
 
『私の失態で千里ちゃんを壊してしまって申し訳無い。実は美鳳さんに酷く叱られた』
 
美鳳が介入してきたことを知ったことで、眷属たちの多くはやはり千里を引き続き守護しておいてよいのだろうなと思った。
 
『それで私の眷属のヤマゴというのを千里ちゃんに貸したから。千里に何かさせた方がいいことがあったら、ヤマゴに話してもらえないだろうか。そしたら、ヤマゴが千里ちゃんに伝える』
 
ヤマゴというのは、羽衣が択捉島で捕獲したリスなのだが、羽衣が自分の眷属にして、千里のストラップに擬態させている。彼は『心の声』で伝えられたことを千里にだけ聞こえる声で伝え直すことができる。無線LANを有線に変換しているようなものだ。
 
『分かりました。利用させて頂きます』
と眷属を代表して《とうちゃん》は答えた。
 
『千里ちゃんの身体は私も全力で修復に努めるけど、大まかな修復に1年くらい、完全な修復には2年くらい待って欲しい』
 
『分かりました。それもよろしくお願いします』
 
ただ、多くの眷属は羽衣がその修復に成功する確率は50:50ではないかと考えていた。
 

《きーちゃん》から千里1に小春の気配が全く感じられず、恐らく亡くなったのだと思うと聞くと、千里2は覚悟していたこととはいえ、涙が止まらなかった。
 
千里1が死んだ直後に僅かにエネルギーが流入してきた。それで千里1を蘇生させることができた。あのエネルギーが多分小春由来だったのだろうと千里2は思った。千里の身体と一体化していた小春だからこそできた処置だ。元々小春は春頃からエイリアスも作れないほど衰弱していた。多分あれで力尽きたのだろう。
 
用賀のアパートに行き、小春を追悼する祭詞を奏上した上で
 
「今日は飲む」
と宣言して、フォックストロット(ラム+オレンジキュラソー+レモンジュース)を作って、1杯飲み干した。
 
これは実はかなり効く。千里もクラクラっと来た。
 
その後、ビール片手に、子供の頃の小春との思い出にふけった。
 
《きーちゃん》も今日はお酒に付き合ってくれた。千里は彼女に小春のことをたくさん話した。
 
「だったら千里って小春さんがいなかったら、とっくの昔に死んでたんだ?」
「たぶん10回くらい死んでいると思う」
 
「でも小春さんを千里が産み直してあげるんでしょ?」
と《きーちゃん》は言う。
 
「うん。そう約束している。それを世間的に誰が産んだことにするかが問題なんだけどね」
と千里は言った。
 
「小春は、1年くらいでこの世に戻って来るつもりだと言っていた。小春という名前にふさわしいように、秋に産んでくれたら理想と言っていたから、10月に産むなら、来年の1月くらいに妊娠するのが理想かな」
 
「誰かの精子を搾り取ってきて、千里妊娠しちゃえば?」
「千里1に産んでもらうのが助かるんだけどね。そしたら、私も千里3もバスケ活動を中断しなくて済む」
「なるほどー」
 
「あの子、体力と精神力を回復させるのに多分2年くらい掛かるでしょ?」
「正直、状況を聞いて蘇生したのが凄いと思った。やはり千里って死なないようにできているんだと思うよ」
 
「赤ちゃん産んだ方が頑張ろうという気になるだろうし」
「ほんとに産ませちゃう?」
「千里1は妊娠できるよね?」
「1と2は妊娠可能。3は卵巣と子宮を持ってないからNG」
 

千里2は《きーちゃん》に頼んだ。
 
「必要なら私自身が大神様にお願いするけど、こういうことにしてくれない?貴司に常に監視を付けておいて、貴司がセックスしようとした相手の女性器を私の女性器と交換して欲しい。すると貴司が誰かとセックスすることで私は妊娠することができる」
 
「《私》というより千里1の女性器と交換すればいいんだよね?」
「うん。それが理想」
「それはできると思う。それに近いことを過去にしたことあるから」
「へー!」
「まあ大神様の許可がなければできないけどね」
 
「うん。その辺りよろしく。それにこれをやると貴司は結果的に浮気できないんだよ。だって誰とセックスしても、私の女性器とセックスする訳だから」
 
「究極の浮気防止策だね」
 

「ところで千里、貴司さんが5月頃から、公子さんって男の娘と付き合っているの知ってる?」
と《きーちゃん》は訊いた。
 
「知ってるけど。放置している。どっちみちセックスできないし」
「まあ女性器が無いからね」
「私これまで自分の嫉妬から、貴司が浮気する度に相手を排除してきたけどさ」
「うん」
「それで結果的に貴司と阿倍子さんの結婚は維持されていた」
「うん」
「だから、それを放置していれば、貴司の結婚は破綻するんじゃないかと」
 
「わざと放置しているんだ!」
「まああまり長時間の浮気は本気になると怖いから、そろそろ壊そうかな」
「ああ、やはり壊しに行くのね」
 
「それでさ」
「うん?」
 
「貴司が誰か女性と付き合って、妊娠させればその人が小春の名目上の母親になる。本当に妊娠するのは私だけどね」
「うーん。。。。」
 
「ただ、その人と結婚される危険があるんだけどね」
「千里、それやはり凄く危険な戦略という気がするよ」
 

「ところで事故の時に、千里1のiPhoneが壊れてしまったみたいなんだけど」
と《きーちゃん》が言った。
「どうする?」
と千里は尋ね返す。
 
「本人、壊れたことに気付いてないみたいだから当面放置で」
「OKOK。適当にフォローするようにするよ。iPhoneの電話番号を通知した人の一覧とか無いよね?」
「朱雀が持っていると思うから彼女からコピーしてもらう」
「よろしく〜」
 

バスケ女子日本代表チームでは、千里を代表落ちさせたものの、花園亜津子はWNBAに行っているのでそちら優先で参戦できない中、シューター不在はチームの破壊力を著しく下げた。
 
7月8-9日の壮行試合対オランダ戦は、相手がもう30年ほどユーロバスケットからも遠ざかっている弱小だったので、何とか勝てたものの、スリー成功率が2割という不安すぎる結果であった。
 
背の高い選手を相手にする国際試合でスリーが入らないのはどうにもならない。そんな中、7月10日、スリーが入らない場合、突破口となるべき大型選手の一人大野百合絵が練習中に足をくじいてしまった。
 
幸い、骨などには影響が無く、しばらく静養していればいいという医者の話であったが、この時期に怪我をされると、7月23日からの本戦に出していいものか首脳陣は悩んでしまう。悪化させてしまうと、来年のワールドカップで困る。
 
首脳陣は、やはり誰かを緊急召集しようという方向になり、誰を入れるかの検討を始めた。
 

千里の眷属たちは、千里が精神力をできるだけ早く回復できるようにするためには色々仕事をさせるのが良いのではと話し合った。それで今まであまりさせていなかった、Jソフトでの営業的な仕事を積極的にさせようと話した。
 
7月10日。ちょうど新規のシステム作成の話があり、千里C(せいちゃん)は社長と一緒に千葉市内の建設会社を訪問したのだが、この時、会社までは千里Cが行って、現場で千里A(=千里1)とスイッチした。
 
そして千里1はその建設会社の担当者と会ったのだが、その時、眷属たちにも予想外のことが起きてしまう。
 
「あっ」
「あっ」
と千里と向こうの担当者が同時に声を出していた。
 
「どうしたの?もしかして知り合い?」
 
「いや、先日ちょっと東京駅で出会って」
「電話番号だけ交換したのですが」
とふたり。
 
「え?まさか恋人同士?」
と向こうの所長さんが言ったので、信次は焦ったような顔をし、千里も顔を赤らめてしまった。
 

なお、7月5-12日の3人の千里の標準的な行動はこんな感じである。
 

 
千里A(千里1)はJソフトには《時々》呼び出されていて、通常Jソフトには千里C(せいちゃん)が居る。
 
千里1は京平のことを一時的に忘れているし、そもそも霊的な力を喪失しているので、思い出したとしても、京平に会いに行くこと自体ができない。そして桃香に教育されて桃香Loveになっているので、桃香には毎日会っている。それで千里2は桃香と会うのは千里1に任せていたが、ある意味、桃香にとっては一番幸せな時期であったし、千里1がたくさんお世話をしてくれるので、生まれて間もない早月を抱えていて、桃香はとても助かっていた。
 

その日、《こうちゃん》は《きーちゃん》を都内の個室のある飲食店に呼び出した。
 
「私たちが言葉で会話するというのも不思議ね」
「こういう形で会えば、他の眷属には聞かれないからな」
「で何? こないだから何やら工作しているみたい」
「それはそのままそちらに返す」
 
ふたりは微笑んで見つめ合う。
 
「それでちょっと協力して欲しいんだけど」
と《こうちゃん》は言う。
 
「なんだろう?」
と《きーちゃん》
 
「頻繁にポジション換えを使いたいんだ。貴人の力を貸してくれない?」
「誰をポジション換えするの?一般の人にはこの力は見せたくないんだけど」
「それがさ」
 
と言って、《こうちゃん》が説明したことに《きーちゃん》は驚愕する。
 

そして考えた。
 
これは多分・・・千里が増殖した余波だ。
 
そもそも龍虎の生命というのは、小学1年生の時に燃え尽きるはずだったのを千里が《命の水》を使って45年延長したのである。つまり、龍虎の寿命は2053年、52歳の年までのはずである。
 
恐らくは龍虎の寿命が延びたこと自体が千里の(本人も自覚していない)能力によるものではないかという気がしていた。ところがその千里が増殖して3人になってしまったために、龍虎も3人になったのでは?
 
だから多分2〜3年後に千里が1人に戻れば龍虎も1人に戻るのだろう。
 
「分かった。私の入れ替え能力をいつでも使えるように、紹嵐光龍ちゃんにそのスイッチを預けるよ」
 
「ちょ・・・っ。お前、なんで俺の本名知ってんだよ!?」
 
「本名を呼ばないと渡せないからね。手を貸して」
「うん」
 
それで《きーちゃん》は《こうちゃん》に瞬間入れ替えの起動スイッチを渡した。
 

実際問題として現在《きーちゃん》は《くうちゃん》から預かっているスイッチを使って、瞬間移動の方ばかり使っている。しかし龍虎のケースはむしろ自分が元々持っている瞬間入れ替え能力の方が使えると感じた。
 
「じゃあ、あまりおイタがすぎないようにね」
と《きーちゃん》は注意しておく。
 
「正直、今の龍虎の使われ方では早々にあいつ健康を害すと思っていた。だからそれを緩和するために俺はあいつのマネージャーになろうと思ったんだけど、思わぬ事態で、仕事の量はちゃんとこなしながら、あいつを充分休養させられる」
と《こうちゃん》。
 
「それ男の子と女の子と男の娘なんでしょ? そのままにしておくと、各々の体型の差が出てこない?ホルモンの状態が違うんだから」
 
「全員同じホルモン状態にさせる。だからボディラインは変わらない。食事の量もしっかりコントロールする」
 
「じゃ、男の子龍虎もおっぱい大きくするの?」
 
「それは青葉がブロックしているから大丈夫。だから3人はおっぱいの分だけ体重が違うことになる」
 
「なるほどね〜」
 
「あ、ちんちんの重さの分もね」
「ふむふむ」
 
「でも男龍虎はこれまでより、男としての自覚が出てくるだろうな。ドラマや映画で女役する所は、女龍虎を使って、男龍虎には男役しかさせないから」
と《こうちゃん》は言う。
 
「それが彼がおとなになるということなのかもね」
と《きーちゃん》。
 
「まあ男の娘龍虎は今のままのモラトリアムだけど」
「その子が本体?」
「俺にも分からん。本人たちも分かってないらしい」
「ふーん」
 

7月12日。
 
千里2は冬子に電話した。青葉が先日の東京駅の事件のことを冬子に話してしまったようなので、こんな話を持ちかけるには絶好のタイミングだと千里2は思った。
 
「ローズ+リリー用に私3曲書くと言っていて、2曲までは書いて5月に送ったけど、もう1曲がなかなか思いつかなくて」
 
「あまり無理しないで、療養していた方がいいと思うよ」
などと冬子は言っている。
 
「それで、このままでは冬が困ると思ってさ。同じ雨宮グループの作曲家で、まだ自分の名前では曲を書いていないんだけど、琴沢幸穂(ことさわ・さちほ)ちゃんって人がいてね、凄くいい曲を書くんだよ」
 
「へー」
 
「良かったら、私の作品の代わりに使ってもらえないかと思って。とりあえずそちらにデータ送っていい?」
 
「うん。それは聴いてみてから」
 
千里の予想通り、冬子は既に3曲もらっているとはこの場では言わなかった。たぶん厳しいスケジュールで動いているので、もらえそうな曲があったら全部見てみて取捨選択したいのだろう。
 
それで楽譜とCubaseのデータを送ったら、やはり冬子の反応が良い。
 
「これ素敵な作品だね。ぜひ使わせて」
 
と言った上で、
 
「ところで千里からは私風の作品2つと、もうひとつ醍醐春海名義の『縁台と打ち水』という作品ももらっているんだけど、こちらも使っていいんだっけ?」
 
などと言う。
 
千里2はしらばっくれる。
 
「あれぇ?そんな作品書いてたっけ?最近私、物忘れが酷いんだよ。でも私が送った作品で気に入ったのあったら、自由に使って」
「うん。じゃ使わせてもらうね。でもほんと千里、身体大事にね」
「ありがとう」
 
そういう訳で、千里2は“新人作曲家”琴沢幸穂の売り込みに成功したのである。この作品『フック船長』は、先月『お嫁さんにしてね』を書いた後、1ヶ月掛けて練りに練って書き上げた、渾身の作品であった。
 

千里1の思わぬ事故で、対策を話し合った、千里2と《きーちゃん》は千里3を帰国させることにした。
 
それでフランスに居る《えっちゃん》に連絡して、バスケ協会から緊急の呼び出しがあったので日本に戻ってきて欲しいと伝えた。
 
千里3は良く分からないまま、日本行きの飛行機に乗った。アパルトマンにも荷物は放置したままである。洗濯物まで放置したままである!
 
《えっちゃん》はマルセイユ・バスケット・クラブ側に、千里3の帰国を
「90日間の短期滞在可能な期間が過ぎるので、その対策でいったん帰国させるが、また後で来仏させる」と説明した。
 
MRS 7/12(Wed) 9:35 (AF7669 A319) 11:05 CDG
CDG 7/12(Wed) 13:35 (AF276 777-300ER) 7/13 8:20 NRT (11:45)
 
それで7月13日8:20 千里は3ヶ月ぶりに日本に戻ってきた。入国手続きをしてから《きーちゃん》が運転するアテンザに乗って北区の合宿所に入る。到着したのは、10時頃であるが、本人もよく分からないまま風田コーチを呼んでもらった。
 

「済みません。ちょっと来てと言われて来たのですが」
と千里が言うと、その千里3の表情を見て、風田コーチはこれは先日までの生気の無い村山とは別人のようだと思った。
 
「君ちょっと来て」
と言って、練習場に連れて行く。マーシャル監督にも声を掛ける。練習場には明日からの合宿に備えて、既にNTCに来ていた玲央美が居た。
 
玲央美は千里3の姿を見るなり、鋭いパスを送った。
 
バシッと音を立てて千里はそのパスを受け取ると、ドリブルで玲央美の方に向かって行った。
 
一瞬にして千里3は玲央美を抜くと、スリーポイントラインの所まで行き、そこから美しいフォームでシュートした。
 
ボールはダイレクトにゴールに飛び込む。
 
「おぉ!!」
とマーシャル監督が声を挙げる。
 
「千里、復活したね」
と玲央美が言う。
 
「玲央美もスペインから呼び戻されたの?」
と千里3は訊いた。
 
「スペイン?何それ?」
「玲央美はスペインリーグに行ってたんでしょ?」
「そんな所行ってない」
「え〜〜〜!?」
 
「やはりまだ脳内は混乱しているようだが、バスケットは復活しましたよ」
と風田さんがマーシャルさんに言った。
 
「千里の顔を見ただけで、これはこないだまでの千里ではないと思いました」
と玲央美も言う。
 
風田アシスタントコーチはマーシャル・ヘッドコーチと見つめ合い、頷きあった。
 
「大野君が怪我したんだ。村山君、代わりに日本代表に復帰してくれない?」
と風田コーチが言った。
 
「はい、やります!」
と驚きながら千里3は答えた。
 

その後、玲央美は千里3に言った。
「千里、使っている携帯見せて」
 
千里3は「へ?」という顔をして
「これ?」
と言ってAquosを取り出してみせる。玲央美はなぜか頷いている。
 
「その携帯の番号教えて」
「あ、うん。伝えてなかったっけ?」
 
などと言いながら、千里3は玲央美にAquosのデータを渡した。玲央美も自分の電話番号とアドレスを渡したので千里3はその番号で玲央美のデータを上書きした。
 
「千里、その番号、コーチにも伝えておこう」
と玲央美が言う。
 
「あれ?村山君、また携帯変えたの?」
と風田コーチが言うので、千里はコーチにもAquosの電話番号とアドレスを送信した。
 

7月13日(木)の朝、千里1はヤマゴの指示で川崎のレッドインパルスの体育館に行った。実はちょうど千里3が帰国後ナショナル・トレーニング・センターに行った頃である。
 
この時点ではみんな千里が代表落ちしたのを聞いている。
 
「サン、日本代表は残念だったね」
「また頑張ろう」
などと声を掛けたのだが、千里1は松山コーチに言った。
 
「済みません。本当に心苦しいのですが、今物凄く調子が悪いんです。今の状態では、とてもレッドインパルスの1軍選手としても戦えません。私をいったん2軍に落としていただけませんか?」
 
「え〜〜!?」
 
それで松山コーチは千里にシュートをさせたり、何人かの選手とマッチアップさせたりした。
 
「ほんとに君どうしたの?」
とコーチは千里の体調を心配した。
 
「既に今年は1軍・2軍の登録期限が過ぎているんだよ。登録していなかった選手を8月に追加登録することはできるけど、既に登録している選手を外すことはできない」
「申し訳ありません。年俸を返上しますので、扱いだけ2軍選手ということに」
「分かった。それではそういうことにしよう」
 
それで千里1は翌日から、川崎市内の1軍が使用している体育館ではなく、横浜市郊外にある2軍が使用している体育館の方に練習に行くようになったのである。
 

レッドインパルスでは、松山ヘッドコーチ・黒江アシスタントコーチ・小坂代表が川崎の体育館に集まり、緊急の会議をしていた。千里が物凄い不調で、この状況では秋からのリーグ戦で全く使い物になりそうにない。それで彼女に代るシューティングガードをどうするか?場合によっては誰かをスカウトして8月までに追加登録するかというのを検討し始めていた。
 
ところが13時頃、千里3がキョロキョロしながらやってきた。実はナショナル・トレーニング・センターを出て、合宿の準備のためにいったん用賀に向かったところを《きーちゃん》に川崎まで行ってと言われて来たのである。
 
その様子を見て、小坂代表が出て行く。
 
「村山君、どうしたの?」
「いえ。何かよく分からないのですが、川崎の体育館に来てという連絡があったので」
「待って」
 
それで小坂代表は、松山か黒江が呼んだのだろうかと思い、声を掛けようとしたのだが、それ以前に黒江咲子アシスタントコーチが出てきて、鋭いパスを千里に送った。
 
しっかりとボールをキャッチする。
 
「シュートして」
と黒江さんが言うので、千里3はそのボールをドリブルして、スリーポイントラインの所から美しくシュートした。
 
きれいに入る。
 
「おぉ!」
 
「あのぉ、どうかしたんですか?」
と千里3は戸惑うように言った。
 
「この子、午前中に来た子とは別人だと思いません?」
と黒江咲子は言う。
 
「うん。だからこういうことにしない?」
と松山ヘッドコーチは言う。
 
「2軍に落とした村山君は村山十里、ここにいる村山君は村山千里くらいで」
 
「ああ、そんな感じでいいと思いますよ」
と黒江咲子。
 
この時点で、松山や黒江は、おそらく千里が二重人格状態になっていて、片方は極端にバスケの力が落ちているものの、片方は今まで以上にバスケが強くなっているのではと考えていた。
 
「何のことですか?」
と千里3は松山らが言っている意味がさっぱり分からないので、首をひねっていた。
 
「あ、そうそう」
と千里3は言った。
 
「協会から連絡が入ると思いますが、怪我人が出たので、私、日本代表に再召集されちゃったんですよ。ですからアジアカップが終わるまで、こちらに出てこられなくなりましたので、済みません」
 
「なるほどー」
「そりゃ再召集もされるだろうね」
 
(千里3のいう『再招集』というのは、4月に代表から外れていたのが、再招集されたということなのだが、松山らは7月4日に代表落ちした後の最召集と捉えている)
 
「こちらは何とかやっていくから、アジアカップ頑張ってきてね」
「はい!」
と千里3は元気に答えた。
 

バスケット協会は翌7月14日(金)、大野百合絵の怪我に伴い、村山千里を日本代表に緊急召集したことを発表した。
 
このニュースに一番驚愕したのが青葉である。
 
青葉はすぐに千里に電話してみたのだが、繋がらない!?
 
青葉はiPhoneの番号に掛けたのだが、iPhoneは東京駅の事故のため実は故障していた。そのことに千里1自身がまだ気付いていない。
 
青葉は少し考えてみて、アドレス帳に並んでいる3つの番号の内、別の電話番号に掛けてみた。これが実は元からのフィーチャホンの電話番号であった。それで青葉の電話は千里2につながった。
 
「代表復帰おめでとう」
「ありがとう。春先から調子落としていたからね。でもちょっと奮起したよ」
「ちー姉、電話を通してもパワーが伝わってくる。だいぶ元気になったね」
「うん。まあ打たれ強いのが私の長所だし。ただごめん。青葉をしばらく霊的にサポートしてあげられないかも」
 
瞬嶽の遺言に近い依頼でここ数年青葉のサポートをしてきたのだが、正直、青葉はそろそろ独り立ちすべきではと千里は思っていた。青葉は霊的な能力は大きいものの、そのあたりの覚悟が天津子に比べて弱すぎるし、それが青葉の弱点になっていると千里は考えていた。
 
「うん。いいよ。そちらはちー姉の回復を待つから、焦らず回復に努めて」
 
そう言って青葉は電話を切ったものの、この電話をしている最中に青葉の後ろに居候している《姫様》が実に奇妙な顔をしたことに、青葉は気付かなかった。
 

千里1の持っている壊れたiPhoneだが、《きーちゃん》の手で解約しておくことにした。するとそこに掛けた時『この番号は現在使用されていません』のメッセージが流れるので、前の番号も保存している人はそちらに(つまり千里2に)掛けてくれるだろう。千里2が電話を受けた場合はどうにでも処理できる。
 
そもそもiPhoneの番号を知っている人は、この端末を4月に買った時の経緯から、ほとんどバスケの日本代表関係者である。その人たちにはたいてい千里3がAquosの番号を再通知しているし、分からなければレッドインパルスに連絡して来るだろう。またJソフト関係の連絡は電話が通じなければメールしてくるはずなので、これは《せいちゃん》が処理できる。元々個人の携帯のアドレスは取引先などには開示しておらず、会社のサーバー上に定義したアドレスからIMAP4で取るようにしていた。
 
また本人はiPhoneから電話できなくても自分の操作が悪いのだろうと考え、家電などから電話をしている。千里1は3人の千里の中でも特に機械音痴度が大きく、機械音痴の人にスマホは辛い。
 
つまり千里1の持っているiPhoneが使えなくても、本人も周囲も誰も困らないのである。
 

千里3が緊急帰国した後の3人の千里の標準的な行動パターンはこのような感じである。
 

 
千里1の就寝中に、羽衣は千里1の治療を主として行っている。壊れた霊的な回路を少しずつ修復していく、時間の掛かる作業である。この時期は実は羽衣自身もけっこうな怪我を負ったままで、自分の治療と同時に千里の治療も進めている。
 
「でもこの子、確か前見た時は、男の娘で、卵巣と子宮を偽装していたはずなのに、今は卵巣と子宮が本当にあるじゃん。移植でもしたのかな?」
 
と言って、羽衣は首をひねっていた。
 

この時期、千里1は度々信次にお茶に誘われ、仕事上の関係で断れないものの、困ったなあと思っていた。
 
事故の衝撃があまりに大きかったため、千里1は様々なことを忘れていた。例えば自分が葛西に秘密のマンションを持っていたこと、アテンザを所有していたことも忘れている。小学生の頃に覚えたような「焼き付け」に近い知識だけが残っているので、今の千里1には簡単な一次連立方程式さえ解けない。但し車の運転のような小脳的記憶はしっかり残っている。
 
桃香との微妙な関係も忘れてしまったのだが、桃香がいいように教え込んで、早月は2人の愛の結晶であると教育したので、千里1は今、桃香と自分は大学生の時以来の恋愛関係にあると思い込んでいる。結果的に貴司との関係も忘れており、京平のことさえ覚えていない。また小春からこの人と結婚してと言われたことも忘れていた。
 
その付近は、羽衣と千里2が独立して千里1の治療を日々していたことから、年末くらいに掛けて少しずつ思い出していくのだが、かなり思い出した頃には既に信次と婚約してしまっていた。
 
信次は千里1と色々話していて、なぜ自分はこの子に興味を持ってしまったんだろうと自問していた。凄く女らしい子なので、普通なら恋愛対象外である。信次は基本的に男性にしか恋愛的興味が無いので春に言い寄ってきた多紀音という女の子の求愛も断っていたが、実は男っぽい女の子はギリギリ許容範囲である。この子、もしかしたらレスビアンかな?などとも考えていた。だったら、優子と付き合った時みたいに、自分がネコになれるかもなどと妄想もしていた。
 

一方、フランスから緊急帰国した千里3が加わったバスケ女子日本代表チームは7月14日の夕方から18日まで味の素ナショナル・トレーニング・センターで第五次強化合宿を行った。
 
「サン凄すぎる!」
とみんなが言う。
 
実際千里3はハイレベルなフランスリーグのチームで無茶苦茶鍛えられていた。マルセイユのチームの中で千里は6番目か7番目くらいのプレイヤーであった。自分よりずっと高いレベルの選手にもまれて、千里3はこの3ヶ月で物凄く進化していた。
 
7月19日、日本代表チームはインドに渡った。
 
アジアカップは23日からである。
 

《こうちゃん》は“彼女”と極秘に会っていた。
 
「鱒渕の容態がかなり悪化しているんです。助けてあげられませんか?」
 
「私は神様じゃないし、人の寿命までは関知できないけど」
「あなたならできるでしょう?」
 
“彼女”は少し考えていた。
 
「まあいいか。鱒渕ちゃんが死んだら《私のおもちゃ》が悲しむだろうし」
「じゃ助けてくれますか?」
 
「紹嵐光龍君の労働奉仕20年くらいで」
「いいですよ、虚空さん」
 
と言いながら、俺最近何人もから本名呼ばれているなと思う。
 
彼女は棚から硝子の瓶を取り出した。
 
「これ今ストックが5本しか無いんだよ」
「何かの薬ですか?」
 
「賭けをしよう。この薬を注射してごらん。90%の確率で回復に向かい出す」
「残り10%は?」
「すぐに死ぬ。もし死んじゃったら労働奉仕は無しでいいや。あと副作用で稀に性別が変わることもある」
 
「お預かりします。性別は変わった時は変わった時で。どっちみち彼女はこのままにしておくと年内には死にそうです。助ける道はこれしかないと思います」
 
「君の希望通りになるといいね」
 
と言って虚空は微笑んだ。
 

「それとついでみたいで申し訳ないのですが、千里は復活しますよね?」
と《こうちゃん》は彼女に尋ねた。
 
「復活する。但しあの子は来年、あと1回死にかけるから」
「え〜〜〜!?」
 
「落雷と羽衣ちゃんのミスは物理的なショックだけだったけど、次は精神的ショックも来る」
「あいつ厄年ですか〜?」
 
「でも死なない。君が思っているようにね。あの子は100歳まで生きるんだよ」
と虚空は言う。
 
「数百年生きるのかと思ってた」
と《こうちゃん》。
 
「まあ人間としての寿命は100歳までってことさ」
「なるほどね〜。じゃ千里って今はまだ人間なんですか?」
「もちろん。私も人間だよ、念のため」
「千里は人間かも知れないけど、虚空さんが人間だというのは絶対嘘です」
 
虚空はそれには答えず、こういうことを言った。
 
「だけどどうも君は気付いてないようだね」
「何にですか?」
「いいよ、いいよ、だけど労働奉仕20年は何してもらおうかなぁ」
「新しい大陸でも作りますか?」
「それも楽しそうだけどね」
 
と言って虚空は本棚から世界地図を取った。
 
「どこに作る?やはり太平洋の真ん中?」
「ほんとに作るんですか!?」
 

千里3を含むバスケット女子日本代表チームはデリー乗り継ぎでアジアカップの行われるインド・ベンガルールに渡った。
 
NRT 7/19(Wed) 11:15 (AI307 787-8) 17:00 DEL
DEL 20:30 (AI504 A321-Sharklets) 23:15 BLR
 
千里はこの連絡は、2010年にU20アジア選手権でチェンナイに行った時と同じパターンだなと思った。あの時はデリーからタミルのチェンナイ(旧マドラス)に飛んだのだが、今回はカルナータカ州のベンガルール(旧バンガロール)に飛ぶ。前回はタミル語圏だったが、今回はカンナダ語圏である。
 

 
ベンガルールの位置は、大雑把に言うとチェンナイの真西280kmくらいで、ひじょうに近い。カルナータカ州には実はタミル語を話す人たちもかなり住んでいて、文化的にも近い。同じ《南インド》文化圏である。
 
ベンガルールのケンペゴウダ国際空港(BLR)に到着したのは23:15だが日本とは3.5時間の時差があるので、日本時間では7/20 2:45である。大半の選手が機内で寝ていたし、ホテルに入ると、そのまま寝た。千里3も半分眠りながらベッドに辿り付き、熟睡した。
 

今回日本代表としてインドに渡航したのは下記の12名と補欠4名である。数字は生まれた“年度”である。
 
PG 5.武藤博美(EW.1983) 13.水原由姫(BM.1993)
SG 15.村山千里(RI.1990)
SF 6.佐藤玲央美(JG.1990) 4.広川妙子(RI.1984) 11.湧見絵津子(SB.1992) 14.前田彰恵(JG.1990) 12.渡辺純子(RI.1992)
PF 10.鞠原江美子(RI.1990) 7.高梁王子(JG.1992)
C 8.森下誠美(4m.1990) 9.馬田恵子(EW.1985)
 
補欠 16.平田徳香(PF.SB.1988) 17.夢原円(C.SB.1992) 18.宮川小巻(PG.SS.1993) 19.伊香秋子(SG.FM.1992)
 
1990-1993生が主力で、それ以上の年代で入っているのはキャプテンの広川妙子、ポイントガードの武藤博美、センターの馬田恵子、補欠参加になった平田徳香の4人である。
 
今回は「因縁の2人」馬田恵子と森下誠美が同じセンターとして代表になった。2009年に馬田恵子は日本代表にするという「口約束」を元に日本に帰化し、エレクトロウィッカに加入。そのため選手枠から弾き出された森下誠美はローキューツに移籍した。その後、バスケ協会はなかなかこの2人を同時に同じチームには呼ばないようにしていたので、結果的に森下誠美はなかなかフル代表に呼んでもらえなかった。ところが昨年は馬田さんが調子を崩していたことから、森下誠美がフル代表に呼ばれた。そして充分な活躍をしたので結局今年は調子を戻した馬田さんと2人が呼ばれることになったのである。
 
協会はかなり神経を使い、双方に親しい、数人の選手と一緒に2人が同席する食事会(玲央美も呼ばれた)を開き、そこで懇親を図ろうとしたが、ふたりは
 
「食事よりマッチアップがいい」
 
と言って、体育館に行き、たくさんマッチアップをしたり、リバウンド争いをした。それですぐにふたりは仲良くなってしまったのである。
 
今回千里が15番の背番号を付けているのは15番を付けていた大野百合絵と交代で入ったからである。7月4日までは実は7番を付けていた。
 
昨年のリオ五輪では補欠は3人リオまで同行したのだが、今年は4人インドに連れていくことになった。実はシューティングガードの伊香秋子はインド渡航のわずか2日前に頼むと言われて、補欠に加えられた。
 
それは何と言っても、千里が「また調子を落とさないか」という首脳陣の心配から《保険を掛けた》ものである。インドで調整している最中に千里がおかしくなってしまった場合は、千里を急病ということにして、伊香秋子と交代させるつもりである。
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【△・死と再生】(1)