【△・武者修行】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-10-22
千里2は日本時間で5/12の夜20時くらいでケイのマンションを出て、青葉を秋川のホテルまで車(オーリス)で送って行った。更に千里は桃香の病院まで運転して戻り、そこから自分だけ《きーちゃん》に頼んでアメリカに転送してもらう。日本の5/12 22:00は向こうの5/12 9:00 で、千里は現地時刻の9:00-12:00にチーム練習をした。
「明日はフィラデルバーグ空港に朝11時集合厳守だからね」
とコーチが言っていた。
「コーチお願いがあるのですが」
「何だね?」
「フロリダに行くついでに友人に会ってきたいので、帰りは別行動にしてもいいですか?」
「いいけど、その場合、帰りの飛行機代は出せないよ」
「はい。問題ありません。自費で帰って来ます」
「うん。だったらOK。行く時は一緒?」
「はい。みんなと一緒に現地入りします」
千里2はPSFの練習をした後、日本の深川に転送してもらった。向こうの5/12 12:00は日本の深夜5/13 1:00である。深川体育館で3時間ほどひとりだけで練習をした。4:00で切り上げ、葛西に転送してもらって寝る。朝9:00頃桃香の病院に転送してもらい、桃香のお見舞いをする。この日13日はまたお昼過ぎに青葉と一緒に病院を出て、車(オーリス)で青葉を都心まで送った後、千里2はこの日は葛西のマンションに帰って寝た。千里2が寝たのは5/13 15:00頃である。
さて、千里2がフィラデルバーグから日本に転送されたアメリカ東部夏時間の5/12 12:00は、アメリカ太平洋夏時間では5/12 9:00になる。《きーちゃん》は千里2を転送した後で、千里1に付いている《すーちゃん》に直信を掛けて頼み事をした。
『悪いけど、ちょっと工作ごとに使いたいんだよ。今日たぶん千里は帰りに桃香や貴司にお土産を買うよね?』
『うん。買うと思う』
『それで桃香に買ったお土産と同じものを別途1つ買っておいてくれない?』
『OKOK。貴人、こないだから色々工作事をしているみたい』
『そうなんだよ。大神様からの司令なんだ、実は』
『大変だね〜。じゃお土産は買っておいて、成田かどこかで渡せばいい?』
『うん。成田に取りに行くね』
それで千里1は午前中に日本代表のチームメイトと一緒にお土産選びをして、シアトル時刻の5/12 13:20(=5/13 5:20JST)にシアトル空港を離陸する。飛行機はやや遅れて、日本時間で 5/13 16:10頃に成田空港に到着した。入国手続きをしてから、空港内でバスケット雑誌の取材を受ける。それから解団式をして解散となった。
「じゃ次の合宿は18日からだからよろしく」
「お疲れ様でした!」
(千里がこういう行事をしている間に《すーちゃん》は千里から分離して空港内で《きーちゃん》にお土産のチョコを受け渡していた)
その後、千里1は玲央美たちと一緒にいったん北区の合宿所に行き、そこに置いている私物を取ってから別れた。千里は合宿所に駐めっぱなしにしていたミラで玲央美を彼女のマンションまで送って行ってから、あきる野市の桃香の病院に行く。これが5/13 20:00頃であった。
桃香から見ると“千里”はこの日午前中病院に出てきて、お昼過ぎに青葉と一緒に帰って行ったという認識である。しかし千里1は早月が生まれた日に新生児室で抱っこして、そのあと病室で桃香と少し話して以来である。
嬉しそうに早月を抱っこして撫で撫でする。その様子を見て桃香は、ここにいる千里は午前中に来ていた千里と別の千里かも。ひょっとしたら二重人格(解離性同一性障害)かも、などと考えたりした。
千里1はシアトルで買ってきたお土産のクッキーとフランズのチョコを桃香に渡してしばらくおしゃべりしてからミラを運転して用賀のアパートに戻った。正確には経堂のアパートに入ろうとしたら、経堂の駐車場にアテンザが駐めてあったので、用賀まで行き、そこにミラを駐めてアパートに入って寝た。これが5/13 22:30頃(日本時間)である。
千里1が用賀に戻った1時間後、5/13 23:30頃に葛西のワンルームマンションで目を覚ました千里2は《きーちゃん》に頼んでフィラデルバーグ空港に転送してもらった。PSFのメンバーと合流し、一緒にフロリダ州オーランド行きの飛行機に乗った。今日はオーランドで試合である。
オーランド空港に現地時間で14:00(=3:00JST)に到着する。フィラデルバーグとオーランドは同じ時間帯(東部夏時間EDT)を使用している。
試合は16:00からなので、それまでは準備体操や柔軟体操などをして身体をほぐしておく。この時、体育館に隣接した教会で、結婚式をやっていた。
みんな練習を中断してそちらを見て騒いでいる。千里はこの結婚式の写真を撮っておきたいと思った。それでチームメイトのエマに、自分の携帯で写真を撮ってくれないかと頼んだ。
「なぜ自分で撮らない?」
「私、機械音痴で一度としてまともな写真撮れたことない」
ところが千里が持っているのが日本独自仕様のフィーチャホンなので
「君の携帯は使い方が分からない!」
と言う。それで結局、エマが自分のiPhoneで撮影して、千里に写真をメールしてくれることになった。
「Thank you!!」
それで日本時間で5/14 4:08(=5/13 15:08 EDT)のタイムスタンプでApple端末で撮影された結婚式の写真ができたのである。
千里はその後、16:00から17:40くらいまで試合に臨んだ。今日の相手は強敵ではあったが、試合はヴィクトリア(千里)の活躍、そしてヴィクトリアの活躍に刺激されたティファニーの活躍もあって、僅差で勝利した。
その後、千里たちはオーランド空港に戻り、夕食を一緒に取ってから多くのメンバーは20:00(=5/14 9:00JST)のフィラデルバーグ行きに搭乗した。しかし千里と、もうひとりエマも友人に会いに行くということで、夕食の後、チームメイトと別れた。千里はすぐに日本の用賀のアパートに転送してもらい、シャワーを浴びて1時間ほど仮眠した。その後で、もう移動時間が無いので、《きーちゃん》に直接あきる野市の桃香の病院に転送してもらう。車は《つーちゃん》に桃香の病院に回送してもらうことにする。
そういう訳でこの日5/14、千里2は午前10時頃に桃香の病院に姿を見せた。
そして《すーちゃん》に買ってもらって《きーちゃん》が成田で受け取っていたフランズのチョコを使って昨夜桃香の所に来た千里1の言動で混乱していたのを何とか辻褄合わせをしておいた。
一方、千里3は5/13の夕方、夕暮れの風景から『l'Ouverture de l'hiver』という詩を発想した(直英訳するとThe opening of the winter)。頭の中がフランス語モードになっているので詩自体をフランス語で書き上げている。そして自分のアパルトマンに帰ってからそれをいったん日本語に直しタイトルも『冬の初めに』とした。悩んでいるっぽい冬子のためこれから冬子の時代は始まるんだよというメッセージも込めている。
そして徹夜でその詩に合わせた楽曲を書き上げた。
これ多分けっこうケイっぽいよね?
と思う。
千里はこれまで多くの楽曲をメロディーとギターコード、あるいはピアノ譜程度まで書き上げた所で《たいちゃん》に頼んでCubaseに入力してスコアにしてもらっていたのだが、眷属の使い方が問題になったということだったしなあと思い、これをこのあと自分で少しずつ入力していくことにしている。
一方、千里1は帰国した翌日、5月14日はさすがに昨日までのアメリカ遠征で疲れたので今日はバスケットの練習は休もうと思った。それで1日オフにすることにし、先日冬子から頼まれたという『郷愁』というアルバム用の曲を書くことにした。
出かけた方がいいかなと思い、矢鳴さんに電話する。
「醍醐です。お疲れ様です。よかったら、今日1日ドライブに付き合ってもらえませんか?」
「お帰りなさい。アメリカ遠征大変でしたね。どこに行けばいいですか?」
「それで相談なんですが、関東近辺でわりと古い町並みが残っている町って、どこら辺にありますかね」
「そうですね。。。熱海なんかも昭和40年代のまま時が止まっている感じだし、川越なども10年くらい前にテレビドラマで話題になりましたね。後は、青梅とか群馬まで足を伸ばせば甘楽町(かんらまち)とか桐生市とか・・・」
「じゃ、青梅、川越あたりを回って、それでいいアイデアが浮かばなかったら群馬の方に足を伸ばそうかな」
「今どちらにおられます?」
「今いるのは用賀のアパートですが、車を経堂の方に置いているので今から経堂の方に移動しますね」
「分かりました。では1時間くらいで経堂に参ります」
それで千里1は経堂に移動して矢鳴さんが来るのを待つ。そして彼女が運転するアテンザで最初青梅方面に行ったが、そこでは着想が得られず、川越に移動した。これがちょうどお昼頃だったので、矢鳴さんと一緒に町食堂に入った。
千里は天津丼、矢鳴さんは中華丼を頼む。
(御飯の上にカニ玉が載っているのが天津丼、八宝菜が載っているのが中華丼である)
「はい、天津丼お待ち」
と60歳くらいの店主さんに言われて、千里の前に丼が置かれたので、食べ始める。千里はアルファ状態に近いので、何も考えずに目の前にあるものを食べていた。そこに30歳くらいの女性が
「天津丼お持ちしました」
と言って持ってくる。千里は既に食べていて、矢鳴さんの前には何も無いので、そちらに置こうとして
「あれ?こちらのお客様が天津丼でしたっけ?」
と言う。
「ん?」
それで初めて千里は自分が食べているのが天津丼ではなく中華丼であることに気付いた。
「あ、これ中華丼だ。ごめーん!」
と千里。
「いえ、いいですよ。私が天津丼を頂きます」
と矢鳴さん。
「でもさっき、おやじさんが天津丼って言って置いていかなかったっけ?」
と千里。
「ええ。お店の人、間違えてるとは思ったものの、思考を邪魔したくなかったので、そのままにしました」
と矢鳴さん。
「ごめーん」
と千里も言うが
「ごめんなさい!うちの父、よく言い間違えるんです」
とその女性は言っている。
すると店主さんも奥から出てきて
「ごめん!また言い間違えた」
などと言っている。
「すみません。あらためて中華丼作ってお持ちしますね」
と娘さんの方は言っているが
「いえ、せっかく作って頂いたから私が天津丼食べますよ」
と矢鳴さんは言って、そちらを食べ始める。
「ごめんなさい!じゃサービスでコロッケでもつけますね」
と言って、娘さんはコロッケを2皿持って来てくれた。
「すみません。よけい申し訳無い感じだ」
と言って千里と矢鳴さんはコロッケを頂いた。
「俺よくAKBとSKDも言い間違える」
「それは同時期には活動していないから、何とかなりますね」
「藤竜也と藤原竜也を言い間違う」
「ああ、そういう人は多いです」
「新山千春と松山千春も言い間違える」
「それは性別が違ってくる」
「ちなみにお母ちゃんは柏木由紀と柏木由紀子がごっちゃ」
「まあそのあたりは名前が紛らわしいです」
「さすがに囲碁と将棋は言い間違えないね」
「将棋ごときと囲碁をごっちゃにするな」
とおやじさんは怒っている。
「ご主人は囲碁派ですか」
「ああ。俺は囲碁六段の免状持ってるぜ」
「それは凄い!」
「お母ちゃんは将棋の四段なのよね〜」
「棋士夫婦ですか!」
女性で四段というのは相当な高段者である。
「その間に生まれた私はオセロでも勝ち知らず」
「勝ち知らず!?」
「負け知らずの逆ね」
「こいつ本当に才能が無い。二眼も覚えないし」
「まあこういうのは個人差がありますし」
と矢鳴さんは言った。
「昔は囲碁やる奴多かったんだけどなあ。最近はみんなLPGゲームとかいうのに夢中になってて」
「お父ちゃんRPGだよ」
「どんな所で囲碁をなさってたんですか?やはり碁会所ですか?」
「うん。ある程度の腕になってからは碁会所に結構行った。最初の内は道端に縁台出して、そこで近所のガキたちと打ってたんだよな」
「縁台かぁ・・・」
「今はそんな風景も無くなっちゃったよね」
「昔は車なんて走ってなかったからでしょうね」
「そうそう。だから子供たちは道路でケンケンパーとか石蹴りとか陣取りとかして遊ぶことができたんだよ」
「道路も舗装されてないしね」
「うん。土の地面が出ている道が多かった。風が強いと砂ぼこりがして」
「それで打ち水するんだっけ?」
「そうそう。ほこり防止と、それで気温も下がるんだよ」
「下がった気がするだけじゃないの?」
「いや、下がりますよ。水の気化熱で熱が奪われますから」
と千里は言う。
「へー!ほんとに下がるのか」
と娘さんは感心している。
その時、千里(千里1)は唐突に昭和40年代頃の日本の風景が目に浮かぶような気がした。サザエさんとかちびまる子ちゃんとかで見る風景である。
バッグから紙を取り出すと、千里1は、さらさらと詩を書き始めた。みんな黙ってそれを見ている。そしてそれを5分ほどで書き上げると、更に五線紙に速筆でメロディーを書き入れ始めた。これが10分ほどで完成する。その間15分ほど、3人とも静かに見守ってくれていた。
「作曲家さん?」
「ええ。大して売れてないですけど」
「だったら、売れるといいね」
「ありがとうございます。売れるといいですね」
と言って千里1は微笑んだ。
5/14 14:00くらいであった。
長居してしまったので、お詫びも兼ねて、コロッケを10個買って、矢鳴さんと5個ずつシェアし、千里1はアテンザで経堂まで戻る。それで矢鳴さんはそこの駐車場に駐めていた自分のスイフトスポーツで自宅に戻る。
これが5/14 16:00頃である。
千里1はこの作品をその日いっぱい掛けて再整理し、その上で《たいちゃん》に頼んでスコア作成してもらうことにして、自分はその日は寝た。
千里1が青梅・川越に行っていた5月14日、千里2は午前10時頃桃香の病院に行き、そのまま夕方までいた。12時過ぎお昼を食べに青葉と2人で出た時、青葉には先に帰っていてと言い、貴司に電話を掛ける。青葉の眷属・小紫が自分をじっと見ているのを意識して内心微笑む。
「貴司、17日から代表合宿でしょ?いつこちらに来るんだっけ?」
「明日(15日)の朝から新幹線で移動しようかと思っていたんだけど」
本当は16日夕方までに入れば良いのだが、1日早く来て千里とデートしようという魂胆である。
「それなら今日の夜、プラドで走って来てくれない?」
「今夜!?」
「ちょっとそのプラドを借りたいのよね」
「分かった。でもひとりだと休憩しながらだから、明日の昼くらいになるかも」
「それは交代のドライバーをそちらにやるから」
「交代?」
「矢鳴さん、知っているよね?」
「うん。何度か会っているし」
「彼女を大阪にやるから。落ち合いやすい場所を指定して」
「だったら、彼女が来る時間帯に新大阪か伊丹に行くよ」
「分かった。じゃ彼女の方に確認して連絡するね」
「うん」
千里2は病院の事務の所に行くと、明日退院になるので概算で今日の内に支払っておきたいと言った。それで計算してもらったら、明日のお昼の御飯まで計算した上で825,336円ということであった。千里はそれを現金で支払って領収書をもらった上で、明日また退院の時に必要なら精算しますのでと言った。
16:00頃、千里2は、千里1が経堂に戻ったのを認識すると、飲み物を買ってくると言って病室を出てロビーに行き、矢鳴さんに電話した。
矢鳴さんは、ちょうど千里と別れて少し自分の車を走らせた所でこの電話を受けた。
「今日1日遠出に付き合ってもらったばかりで申し訳ないのですが、ちょっと大阪に行ってもらえませんか」
と千里2は言う。
千里1,3の行動は全て把握している。
「いいですよ」
と矢鳴さん。
「そのまま東京駅か羽田空港かに移動して、新大阪駅か伊丹空港に行って欲しいのですが。それで私事で申し訳無いのですが、細川貴司と会って、彼のランドクルーザー・プラドを東京に回送して欲しいんです。実際には運転は彼と美里さんの交代で」
「分かりました。だったら車を駐めやすいので羽田から伊丹に飛びます」
「よろしくお願いします」
それで貴司に伊丹で落ち合ってもらうよう頼んだ。時間などの連絡はふたりの間で直接してもらうことにして、双方に電話番号とアドレスを通知した。また千里は貴司に、後でその分渡すから、航空券代分と矢鳴さんの車の駐車場代相当で3万円を矢鳴さんが持っている千里のサブ財布に足しておいてくれるよう頼んだ。また矢鳴さんが疲れていると思うので、貴司が先に運転してくれるよう言っておいた。
その電話の後、千里2はいったん病室に戻り、青葉とふたりで病院を出ると、退院後に必要になるベビー用品などを一緒に買い出しに行った(オーリス使用)。
買い出しが終わった所で夕食を取ってからふたりで一緒に大宮の彪志のアパートまで移動する。青葉が自分の鍵でアパートを開け、ふたりで荷物を運び込んだ。
「掃除が必要だと思わない?」
「思う!」
ということで、その後2時間ほど掛けて2人でアパートの大掃除をした。
やがて彪志が帰宅するがすっかりきれいになっているアパートを見て
「わっ」
と声を挙げた。
「じゃ後はごゆっくり〜」
と言って千里は2人を放置して、オーリスで彪志のアパートを離れた。この日はスワローズの方は試合も無く、練習もお休みなので、千里2はそのまま深川まで走り、5/15 1:00頃から4:00頃までひとりでバスケの練習をした。それから京平とデートした上で、葛西のマンションに入った。;
「何か最近、私、2人分くらい活動しているような気がする」
と千里2がひとりごとのように呟くと、《つーちゃん》が
「いや、間違い無く2人分活動しています。だから今千里さんは4人くらい居る感じですよ」
などと言った。
「私、住所もたくさんある気がする」
「日本国内に、経堂・用賀・葛西、アメリカのフィラデルバーグ、フランスのマルセイユの5つですね。他に彪志さんのアパートに泊まり込むこともありますし、3番が帰国した後のために川崎に物件を探しています」
「私ひょっとして6人くらい居たりして?」
「居ても不思議でない気がします」
(5/14夜の時点でミラは用賀、アテンザは経堂、オーリスは葛西にある。千里1は経堂、千里2は葛西、千里3はフランスに居る)
5月14日、《せいちゃん》は無事卒業検定に合格した。合格した後で宿舎に行って荷物を片付けたが、同室の佐倉さんは
「おめでとう!でもうらやましい!」
と言っていた。
佐倉さんは《せいちゃん》より先にこの学校に入っていたのだが、仮免試験に7回落ちたらしく、《せいちゃん》の方が先に卒業することになった。
「じゃ頑張ってくださいね」
と言って退出したが、この人、この分なら卒業試験も5回くらい落としたりしてと思った。
5月15日、本物の宮田雅希が運転免許証を取得したので、《せいちゃん》はそのクローンを佳穂さんからもらった。
「ねえ。宮田雅希ってまさか****なの!?」
と免許証の写真を見て《せいちゃん》は驚く。
「念のため、彼女のサインの練習しておく?」
「俺が書いたらニセモノじゃん!」
しかし宮田雅希が女性なので、結局《せいちゃん》は女に見える格好をしていないと、この免許証を使うことができない!
5月15日朝。《きーちゃん》が千里1の居る経堂のアパートを訪れる。最近《きーちゃん》は千里と分離して独立行動していることが多い。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日、桃香さんが退院するのはご存知ですか?」
「え!?今日なの?」
「退院を手伝いますよね?」
「もちろん」
「それで独断で勝手なことして申し訳なかったのですが、千里さんを装って貴司さんに電話して、ランドクルーザー・プラドをこちらに運転してきてもらっているんですよ」
「プラドを?」
「退院する時にですね。今、朋子さんと青葉さんが来ていて、桃香さんと早月ちゃんが居て、千里さんがいると、アテンザには乗り切れないんですよ」
「ほんとだ!」
「プラドなら、3列目に桃香さんと早月ちゃん、2列目に朋子さんと青葉さん、運転席に千里さんが乗れば問題無いです。青葉さんに運転してもらってもいいし」
「なるほどー」
「今貴司さんは海老名SAまで来ています。もう少ししたらここに到着すると思いますので」
「きゃー。貴司ひとりで運転してきてもらって大変だったね」
「これも独断で申し訳なかったのですが、矢鳴さんに大阪に飛んでもらって交代で運転してもらっています」
「わっ。矢鳴さんは昨日も1日付き合ってもらったのに」
「アテンザは私が適当な所に一時移動させておきますね」
「うん。よろしく」
実際、貴司と矢鳴さんは8時頃に経堂に到着した。千里は矢鳴さんをねぎらい、疲れたでしょうから、よかったらこのアパートで少し仮眠してから帰って下さいと言い、彼女もそうすると言っていた。
それで千里1はプラドを運転して貴司と一緒に用賀まで行き、貴司を置いたままミラを運転して経堂の駐車場に戻って駐め、矢鳴さんには羽田まではミラで行き、ミラはそのまま放置しておいていいですと言った。後で《きーちゃん》に回収してもらおうと思った。
朝 経堂アテンザ 用賀ミラ
↓ 経堂− 用賀ミラ (きーちゃんがアテンザを移動)
↓ 経堂プラド 用賀ミラ (貴司到着)
↓ 経堂− 用賀ミラ/プラド (プラドで用賀に移動)
↓ 経堂ミラ 用賀プラド (千里がミラを回送)
※この後、千里1はプラドで桃香の病院へ。
矢鳴はミラで羽田に行き、羽田に置いていたスイフトスポーツで帰宅。
その後きーちゃんが羽田のミラを回収して経堂に戻す。
それで千里1は用賀のアパートまでジョギングしていき、貴司と少しだけ甘い時間を持った。その上でシャワーを浴びてから、貴司にはそのままこのアパートで休んでおいてもらい、自分はプラドを運転し、まずは《きーちゃん》に言われて、ホームセンターに行き、彼女お勧めのベビーシートを購入。その後、桃香の病院まで行った。到着したのが11時頃である。(貴司は運転してきて疲れた身体で性的な興奮状態を味わって、熟睡し、夕方まで寝ていた)
桃香は診察を受けて退院許可をもらうと、事務に行って病院代の請求書をもらおうとした。すると
「昨日、妹さんが払って下さいましたよ。その後、追加費用とかは発生していません」
と言われた。
「妹って、背の高い方?低い方?」
「背の高いかたです」
ああ、千里が払ったのかと思う。
それで病室を片付け、早月を籐製バスケットに入れて退院した。
千里1が持って来たランドクルーザー・プラドの3列目にベビーシートをセットし、そこに早月を乗せて自分は隣に座る。そして2列目に朋子と青葉、運転席に千里1が座って、彪志のアパートに移動した。
彪志のフリードは一時的に近くの時間貸し駐車場に移動させておいた。
一緒に夕食を取った上で夕方、千里1は高岡に帰る青葉と朋子を大宮駅まで送って行き、その後そのままプラドを運転して、自分は用賀に戻る。(桃香と早月はそのまま彪志のアパートに居る)
そして千里1は貴司と一緒に晩御飯を食べてから、その夜は同じ布団で寝た。(例によって一緒に寝るだけであって、何もしない)。
千里1と貴司は翌5月16日、午前中杉並区内の体育館(たまたま空いていた)で手合わせをした。ふたりにとってはこれが最高に楽しい時間である。その後、一度用賀に戻ってシャワーを浴びてから、貴司はプラドを運転して北区の合宿所に入った。
千里1は16,17日は午後から(きーちゃんが羽田から経堂に回送してくれていた)ミラを使って彪志のアパートまで行き、御飯を作ってあげたりして桃香と早月のお世話をした。17日の午前中も千里1は空いている体育館を探してそこで練習をしていた。
5月18日は合宿所に入らなければならないので、千里1は早朝に彪志のアパートに行き、今日から合宿に入り、5/24から6/13までヨーロッパに遠征してくることを言った。
そしてそのままミラで北区の合宿所に入り、合宿に参加した。
合宿所に入った後で、千里1は5月22日が青葉の誕生日であったことを思い出した。彪志が桃香のお世話のために動けないので、青葉自身が大宮に出てくると言っていた。それで千里1は《きーちゃん》に不二家の商品券を買って彪志のアパートに届けておいてくれるよう頼んだ。
実際には《きーちゃん》は千里2と話し合った上、不二家のルミネ大宮店に電話してバースデイケーキの予約を入れるとともに、千里2が、ケーキは私が買うねと彪志・桃香・朋子に連絡しておいた。
千里2は15日の桃香の退院、16-18日のお見舞いを千里1にさせておいて、自分は葛西のマンションで集中して作曲の作業をしていた。
「1番が貴司さんとデートしていて、2番は嫉妬したりしない?」
と《きーちゃん》が訊くと
「デートしたのが私だから問題無い」
と答える。
「それ本気で思っているなら、やはり千里は変わっているという気がする」
と《きーちゃん》。
「うん。私、変人だから」
と言って、千里2は笑っておいた。
《きーちゃん》は3人の千里を観察していて、貴司への思いが一番強いのは、千里2のような気がしていたのである。千里1はむしろ桃香のことを思っている気もする。貴司に対しては受け身的である。千里3は恋愛感情が弱くバスケットを愛している感じ。千里3の場合は、性腺が無いからかも知れないと《きーちゃん》は考えていた。
「千里3には女性ホルモンを錠剤か何かで摂らせた方がいいかな?女性ホルモン濃度が低すぎるのはIOC基準に照らしてまずいし」
などと《きーちゃん》は独り言を言った。
ところで、作曲の作業をするにはこの葛西は最高の環境である。大半の楽器をここに置いているし、魑魅魍魎のおかげで住民がほとんどおらず、気兼ねなくその楽器を鳴らすことができる(千里の演奏は浄化の助けにもなっているようである)。千里の部屋自体は、千里自身の手で強力な結界を張っているので、これを突破できるような妖怪・幽霊はまず存在しない。
他に住人が居ないというと“神様の場”である用賀もそうだが、あちらは環境がきれいすぎて、発想が浮かびにくいし、あまり大きな音を立てるのは神様に対して恐れ多い。俗な環境の葛西の方が使いやすい。
千里2が取り組んでいるのは、先日フロリダで結婚式を見て書いた作品『お嫁さんにしてね』である。1960年代のサーフィンや日本のグループサウンズのような世界を下敷きにした作品に仕上げている。エレキギター・エレキベースを楽器として指定し、いわゆるテケテケテケテケのサウンドまで組み込んでいる。これは村上社長へのサービスだな、などと千里2は思った。
なお今週の千里のアメリカのPSFでの練習時間は、日本時間でいうと5月15-19日の22-25hである。そちらで3時間練習した後、深夜の深川体育館でまた3時間練習し、日本時間での午前中は寝て、午後から桃香の所に行くというのが、千里2の生活パターンである。
5/18までにだいたい楽曲を仕上げ、19日は疲れたので少し休む。そして20日の夜、桃香のいる彪志のアパートから戻ってきてから、最終的な仕上げに掛かった。20日は土曜でPSFの練習も無いし、試合も無いので、深川での練習も休むことにして、夜通しこの調整作業を続けた。そして5/21朝、自分でも満足いく状態になったので、5/21 6:00頃、冬子に送信した。これが冬子に届いた《1曲目》である。
その後千里2は午前中いっぱい葛西のマンションで寝ていた。
一方マルセイユに居る千里3はだいたい日中MBFの練習に出て夕食後5時間くらい作曲活動をしている。千里3もだいたい18日までにはほぼ楽曲が完成した。
『冬の初めに』は1970年代の赤い鳥やグレープなどのような“叙情派フォーク”ともいうべき傾向の曲である。この曲はアコスティック楽器での演奏を指定。アコスティックギター(近藤)とヴァイオリン(鷹野)でシンプルに仕上げることを要求した。ドラムスも入れずに、あとは間奏にサックス(七星)が入るだけである。
アクア(龍虎)は4月21-24日にタイのプーケットで水着写真集の撮影をした後、ゴールデンウィークになる4月29日から5月7日まで、9日間で6ヶ所のドームツアーの日程が入っており、4月25-27日は、毎日学校が終わった後、スタジオに入って練習をしていた(28日は夕方の便で新千歳に飛ぶ)。
ところが4月25日の夕方、マネージャーの鱒渕さんがスタジオに出てこなかった。アクアのバックバンド・エレメントガードのヤコが事務所に問い合わせてみるが休みなどの連絡は入っていない。無断で欠席や遅刻をするような人ではないので、秋風コスモス社長はデスクの田所さんに様子を見てきてくれるよう頼んだ。するとドアは閉まっていたものの、鍵が掛かっていなかった台所の窓を開けて中の様子を見ると、居間に人間の手が見えてこちらから声を掛けても動かなかったのである。
マンションの管理会社に連絡し、鍵を開けてもらって中に入ると鱒渕さんが意識を失って倒れていた。すぐに救急車を呼び病院に運ぶ。
医者の見立てでは極度の疲労ということであった。
恐らくツアーの準備などもしながら、そこに海外の写真撮影まで入って疲労がピークに達したのであろう。
その週のアクアの練習スタジオへの付き添いは結局コスモス自身がおこない、その間の取材などの事務は、品川ありさ・白鳥リズムなどの管理をしている沢村さんが代行することにした。
しかしツアーの付き添いは兼任では無理だ。といってマネージングが未経験の人にもさせられない。∞∞プロから人を借りるしかないのではとコスモスは考えたものの、アクアの微妙な性的傾向(?)を理解できるような人でないと、アクアが強いストレスを感じる可能性がある。
それでコスモスは紅川会長と話し合った末に、∞∞プロで、丸山アイの初期の頃のマネージャーを務めていた、菱沼伊代さん(32歳)に頼めないかという話になった。丸山アイは公的には「女性シンガーソングライター」ということになっているものの、実は「男性演歌歌手」高倉竜と同一人物であることを、コスモスたちは知っている。彼女自身、実際問題として男なのか女なのか、どうも分からない。「僕はFTMなんです」と言ったり「私実はMTFなのよね」と言ったり、人によって使い分けしているので、それをそのまま信じている人も多い。
そういう曖昧な性別の歌手の初期の売り出しを担当した菱沼さんならうまくアクアの管理もできるのではと考えたのである。菱沼さんは現在Golden Sixの担当なのだが、幸いにもGolden Sixはゴールデンウィークはツアーが無い。
それで∞∞プロの鈴木社長に打診したら、ツアー中だけであれば、菱沼を貸すのは問題無いと言ってもらえた。
それで菱沼さんが来てくれた。彼女はアクアを一晩貸してと言って、4月26日の夜、一緒にホテルに泊まり込んで色々話し合ったようである。そして翌日彼女は「だいたいアクアのことが分かった」と言っていた。
しかしむろん、ツアー中の管理は菱沼さんひとりでは無理である。それで実際には、§§プロの研究生で高校を出たばかりの吉田和紗ちゃんを雑用係に付け、丸山アイのサブマネージャーでアイと同じ長崎市出身の楠本京華と3人体制でツアー中、アクアに付くことにした。彼女はアイの遠縁の親戚でもあると言っていた。
普通なら男の子の歌手に、年齢の近い女の子を付き人的に付けた場合、性的なトラブルが発生しないか注意する必要があるのだが、アクアの場合は、むしろ男の子の付き人を付けた方がまずいと、コスモスも紅川さんも考えた。
実際、和紗ちゃんは話をもらった時は売れっ子アクアの付き人というので喜んだ反面、もしHなこと迫られたりしたら、どうしよう?などと考えたものの、全く杞憂だった。
(むろん和紗はアクアとは別室に泊めている)
ツアー中、アクアに渡さなければならない譜面があったので、最初ドアをノックするものの返事が無い。寝てしまったのなら枕元に置いてこようと、預かっているキーでドアを開けて中に入ったら、ちょうどお風呂からあがってきたアクアと遭遇して
「きゃっ」
「わっ」
と声をあげた(ちなみに「きゃっ」と言ったのがアクア)。
アクアはまるで女の子がするように、胸から腰の付近までをバスタオルを巻いて覆っていた。
「ごめんなさーい」
「大丈夫だよ。何か用事だった?」
「あの、この譜面渡すように言われたんですが」
「ありがとう。見ておくね」
それで和紗は急いでアクアの部屋を出たものの、アクアちゃんの香りがまるで女の子みたいな香りだったなあと思った。
更に翌日ホテルをチェックアウトする時、アクアの部屋に忘れ物が無いか確認していたら、バスルームの汚物入れが倒れているのに気付く。それで何気なくそれを起こしたら、ふたが外れてしまった。あっ、と思い、そのふたをしようとしたのだが、そこに使用済みのナプキンが入っていることに気付く。
こういう場合、普通の男の子タレントであれば、
「誰か女の子を連れ込んだんだ?」
と思われる。
しかしアクアの場合、和紗は
「もしかしてアクアちゃんって、本当は女の子なの!?」
と思ってしまった!
アクアは、楠本京華さんを見た時、ドキッとした。
一瞬にして全てを見透かされたような気がしたのである。“アレ”がバレたらどうしよう?と心配したものの、彼女はアクア自身のことはあまり詮索しないようであった。
彼女は不思議な雰囲気を持っていた。こういう感覚は、まだ幼い頃に千里さんと初めて会った時以来という気がしたので、ひょっとしたら、京華さんも“完全なMTF”なのだろうか、などとも思った。
むろんそんなこと訊いたりはしない。そもそも“完全なMTF”というのは現代の医療技術ではあり得ない存在だし。。。と思ったら、どうも付き人をしてくれる吉田和紗ちゃんも似た感覚を持ったようである。
「違ってたらごめんなさい。もしかして京華さんって、元男性などということは?」
と和紗は訊いた。
彼女は微笑んで答えた。
「よく分かったね。実は私も中学生の時に、アクアちゃんが手術したのと同じ病院で性転換手術を受けたんだよ」
「ボク、性転換手術はしてません!」
「隠さなくてもいいのに。だって君、ちんちん無いじゃん」
「ありますよう!」
ということで、彼女が本当にMTFなのかそれとも天然女性なのか、結局はよく分からない感じになった。
ちなみにこの時のアクアは本当に“女の子”の方のアクアだったし、C学園の女子制服を着ていた(ボトムはスカート)。
そういう訳で、ドームツアーは菱沼・楠本・吉田の3人体制で乗り切った。実はアクア自身も日替わりで歌っていた。
4.29(祝)札幌 アクアM
4.30(日)福岡 アクアF
5.01(月)(学校)アクアN
5.02(火)(学校)アクアM
5.03(祝)大阪 アクアN
5.04(祝)名古屋 アクアM
5.05(祝)東京 アクアF
5.06(土)休み
5.07(日)東京 アクアN
実はアクアFは最初から福岡に行って待機していた。札幌に行ったアクアMはのんびりと東京に戻ってきて5月2日学校に行き、その後名古屋に行った。
アクアのライブはだいたい3時間なので歌い終わるとクタクタになる。
「ライブの翌日は休まないと、疲労でお肌が荒れる」
というアクアFの弁である。
ツアーが終わった後も、アクアのスケジュールは大変である。
取り敢えずの処置として、元社員の牛田さんという女性に一時的に復帰してもらって全体の管理をお願いする中で、出演や取材の交渉はコスモスやゆりこも自分の音源制作を延期して対応し、和紗や数人の研修生が雑用をこなすという体制で進めたものの、やはり専任で結構な交渉能力のあるマネージャーが必要と考えられた。経験者を中心に探し何人か面接もしたが決まらなかった。
その中で、6月になって楠本京華が
「自分の友人で、実体験としては演歌歌手のマネージャーしかしたことがなくてアイドル歌手は未経験なんだけど、凄く交渉能力のある30歳前後の女性がいるのだけど」
と言ってきた。
コスモス社長と紅川会長がその女性・四谷勾美さんに会ってみると、彼女の雰囲気を見ただけで、この人は凄い!とコスモスも紅川さんも思った。話してみると、しばらく音楽業界から離れていたとは言っても、現在のJPOP界のことをよくよく理解していることが分かる。
醍醐春海やAYA、鹿島信子などとも知り合いだと訊いたので、紅川さんがまず醍醐(実は千里2)に電話してみたところ、ああ、その人なら大丈夫ですと言い、AYAにも電話してみると、その人運転もうまいし、会話がとても面白いなどと言っていた。
車の運転がうまいというのはポイントが高い。
鹿島信子はなぜか笑っていたが「その人、性別の曖昧な人への理解がありすぎるくらいにあるから、アクアちゃんが今後性別を変更したとしてもうまく処理できますよ」などと言っていた。紅川さんは一応信子に「アクアは性別を変更する予定は無いので念のため」と釘をさして置いた。
それで非常に理想的な人のようだということになったものの、紅川さんは、ひとつだけ心配した。以前演歌歌手のマネージャーをしていたという場合、闇の社会とのつながりがないかという問題である。そこで興信所を使って半月程にわたり調査させてもらった所、そういう関わりは無さそうだということが判明した。
彼女は現在は別れた夫(開業医)からもらった慰謝料を株で運用して悠々自適の生活をしているようだ。日中はその株取引のため自宅に籠もっているようである。念のため借金も調査させてもらったが、ショッピングローンに15-16万円の残高があるだけで、サラ金などとも関わりがないことが判明する。
それで紅川さんとコスモスは彼女をアクアの新しいマネージャーとして採用する方向を固めた。
なお鱒渕はかなりの重症だったようで、内臓が全体的に衰弱しており、6月下旬になっても退院の目処がつかない状況であった。元々頑張る性格が災いして、体調不良が重症化していたようだ。4月頃はドリンク剤を毎日3本飲んで頑張っていたらしい。それでも弱音を吐かなったのは偉いが、結果的に死んでいてもおかしくないほど身体が弱っていた。
千里3は19-20日は《熟成》のため『冬の初めに』には触らなかった。21日(土)の朝になって再度MIDIを演奏して歌ってみて、再調整を掛けていった。この日はチームの練習は無い。それで調整作業が完了したお昼前に《きーちゃん》に指定された天野貴子のメールアドレスに送信した。
《きーちゃん》はそのデータを確認した上で、村山千里のメールアドレスから冬子のメールアドレスに送信した。これがフランス時間の5/21 13:00、日本の5/21 20:00頃になる。これが冬子に届いた《2曲目》である。
千里3は21日の午後はひたすら寝ていた。
千里3は5/22が青葉の誕生日というのは認識していたものの、妹の誕生日のために日本と往復するわけにも行かないので、Amazonを利用して、彪志のアパートにモエ・エ・シャンドンのシャンパンを送っておいた。
一方千里2は5月21日朝に楽曲を送信した後、午前中は寝ていて、午後からまた大宮に行って桃香のお世話をした。
夕方、葛西に戻って休んだが、その休んでいる間に冬子から電話が掛かっていた。しかし千里2は熟睡していて気付かなかった。それで5/22 1時頃になってから冬子に電話した。普通の人にはこんな時間帯には掛けないのだが、冬子ならたぶん2時頃までは起きているだろうと思って電話したものである。冬子からは2曲続けてもらったけどストックなどを使った物かと尋ねられた。千里2はここ数日で書いたものだと説明し、各々の背景についても語っておいた。
その後、アメリカに転送してもらい、5/21 16-18h(=5/22 5-7h JST)の試合に出た。その後、日本に戻ってきてから、5/22 9h頃、フロリダの結婚式の写真、マルセイユの夕方の風景の写真を冬子に送っておいた。
千里2は5月22日は、10時頃起きて彪志のアパートに出かけて行った。桃香も早月も寝ていたので、それを起こさないよう、できるだけ音を立てないようにして青葉の誕生会の準備を始める。
作業をしている時にアマゾンからの荷物(千里3が送ったシャンパン)が届く。これも他の人に見られると話がまた面倒になるので、自分の車に移しておいた。
12時頃、仮眠していた桃香が目を覚ますので、一緒にお昼ごはんを食べる。その後料理の下ごしらえの続きをしていたら、14時頃、朋子と青葉がやってくるので、千里2は料理の続きは朋子に任せてケーキやシャンパンを買ってくると言って出かけた。
ルミネに行って、不二家で予約していたケーキを受け取る。千里1は商品券を送ったつもりでいるが、実際には《きーちゃん》の介在でケーキ自体を予約しておいたのである。
それからサイダーやお茶なども買ってから帰った。この時、朝受け取っていたシャンパンも一緒にアパートに持ち込んだ。ついでに千里1が書いたバースデイカードを青葉に渡した。
18時頃から青葉の友人たちがやってきて、やがて彪志も帰宅するので、19時にお誕生会を始めた。
千里2は最近関女リーグ(関東大学女子バスケットボール・リーグ)で活躍中の奈々美に声を掛け、もしユニバーシアード代表とかに呼ばれたりしたら、どんどんスリーを撃つといいというアドバイスをした。
20時半頃、朋子が帰るというので千里も一緒に抜け出し、朋子を経堂まで送って行った。21時半頃到着し、千里は車を経堂に駐めたまま、アメリカに転送してもらって、日本時間の22-25h(=5/22 9-12h EDT)にスワローズの練習に参加した。その後、日本に戻してもらって、また深川の体育館で自主的な練習を3時間ほどする。
千里2のいつもの日常である。
一方、千里1は5月22日に合宿所での日本代表練習が終わった後、早めに仮眠を取って0時頃起き出す。そして夜通し『縁台と打ち水』の最終調整を行った。この楽曲は18日には《たいちゃん》がスコアを作り上げてくれていたのだが、その後自分の手で微調整を掛けていたのである。
明け方2時間ほど仮眠して、その後再度見直してから、冬子の所に送信した。これが“千里”が書いた《3曲目》である。
22日の夜は、青葉の友人たちが結局泊まり込んだので、彪志は台所の隅で小さくなって寝ていた。朝起きてきた青葉に朝御飯とお弁当まで作ってもらって会社に出て行く。お弁当を作ってあげたら、彪志は凄く喜んでいた。
青葉の友人たちも8時を過ぎると起きだし、10時頃までには全員退去。青葉自身も冬子との約束があったので、さいたま市内の料亭に出かけて行った。
それで桃香と早月だけが残ったのだが、11時頃、合宿所を抜け出して来て千里1がやってきた。
「ああ、青葉は出ちゃった?まだいたら、誕生日おめでとうを直接言いたかったのに」
などと言っているのは、もう桃香は気にしない。
「いよいよ明日からヨーロッパだけど、桃香も早月ちゃんも安定しているみたいだから大丈夫だよね?」
「まあ大丈夫だと思うけど」
桃香は“千里の病気はなかなか治らないようだ”と思っている。
「じゃ何かあったら連絡してね。日本とヨーロッパじゃ昼夜逆転しているからかえって夜中に何かあった時に私動けるかも」
「確かにね」
「お土産何か欲しいのある?」
「そうだなあ。スペインならアリオリソースでも」
それで千里1は合宿所に戻っていった。
(経堂のアパートで寝ていた)朋子は13時頃、(冬子と会っていた)青葉は14時頃、彪志のアパートに戻って来て、ふたりは一緒に新幹線で高岡に帰還した。千里2はこの日は桃香の所には行かず、翌5月24日にいつも通り午後から大宮にやってきた。
桃香は青葉経由で、冬子から早月の誕生祝いに100万円もらったことを言い、お返しはどうすればいいだろうと尋ねた。
「あとで早月ちゃんの写真撮って、それをプリントして、お礼状と、商品券を1万円分くらいでも入れて送ればいいよ」
「100万円のお返しが1万円でいいの?」
「冬子はお返し無しでも気にしないだろうけどね」
「ところで青葉が、入院費が100万円くらい掛かったんじゃないかと言ってたけど」
「さすがにそんなには掛かってない」
「そうか。良かった」
「実際には82万円くらいだよ」
「そんなに掛かったの!?」
「出産一時金の42万円と追加給付の10万円が出たのを私にくれない?あと30万は私が持つから」
「すまん。でもこの100万円はどうしよう?」
「桃香、ショッピングローンの残高をそれで精算したら?」
「そうするか!」
5月31日、東アジア選手権に出る男子代表12名が発表されたが、貴司の名前はそこには無かった。千里2は貴司に電話して
「残念だったね。また頑張ろうよ」
と言った。
「うん。やはり実力が足りなかったかなあ」
と貴司が言うので
「貴司に足りないのは、練習だと思う。特にハイレベルの練習。貴司、マジで、今の会社やめてBリーグに行きなよ。貴司なら絶対取ってくれるチームあるよ」
「でも今の会社に恩があるし、今僕は主将でもあるし、辞めるに辞められない。それにBリーグの給料では生活が成り立たない」
「それとも性転換して女子のWリーグに来る?」
「なんでそうなる!?」
「でもそちらの会社、かなり崩壊寸前のような気がするよ。経済的な問題なら、取り敢えず今のマンションは出て、もっと安いアパートとかに引っ越した方がいいと思う」
「そうだなあ」
「最悪、私が経済的に支援するよ」
「さすがにそういう訳にもいかないし・・・」
貴司としても結婚しているのに他の恋人から経済的な支援を受けるというのは罪悪感を感じるだろう。まあ罪悪感を感じるなら離婚して私と結婚してくれたらいいんだけどね!と千里は思う。
貴司の会社は2006年に若い社長が就任してから、バスケット部にテコ入れをしてくれた。大阪の3部リーグにいたのが、2007年に船越監督を招請。同年3部で優勝して2部昇格。2009年には2部で優勝して1部に昇格した。貴司が加入したのは2部にいた2008年である。この社長のもとでMM化学は会社の営業成績も以前の5倍に成長していた。
しかし2014年にまだ50歳だった社長が急病で倒れ執務不能になる。後任の社長(前社長の叔父)は大口の契約の更改にいくつも失敗。就任半年で営業成績を半減させて解任される。その後、銀行から送り込まれてきた社長が何とか建て直すものの、バスケ部の予算は削減され、スポーツ手当も大幅に減額された。
2015年春には大規模なリストラが行われ、高倉部長も退職して地元の千葉に戻る(翌年春、ローキューツの運営会社社長に就任)。そして2016年1月には船越監督も辞任した。チームの主力選手も次々にリストラの対象となり、結果的に貴司は主将兼アシスタントコーチに就任した。貴司はC級コーチライセンスを持っており、船越監督の後任の監督はD級しか持っていないので上位の大会に出るには実は貴司の存在が必要だ。もっとも今のチームの状況では上位の大会は望むべくもない。2016-2017シーズンでは1部で7位になり、入れ替え戦に出る羽目になった。何とか2部2位のチームに勝って1部残留を決めたものの、もう来期はヤバいのではという雰囲気だ。
千里は、貴司が今回落とされたのは、その自分のチームの成績の問題もあるのではという気がした。
5月10日の出産以来、ずっとさいたま市大宮の彪志のアパートに滞在していた桃香と早月は、6月10-11日の土日を使って、世田谷区経堂のアパートに移動した。移動の際は千里2がオーリスを持って来て、彪志のフリードスパイクと2台で荷物を運んだ(この時期、千里1はヨーロッパ遠征中である)。
「久しぶりだけど、かび臭くもないな」
と桃香は言う。4月16日の晩に赤ちゃんが暴れて区内の産婦人科に駆け込んで以来、約2ヶ月ぶりの我が家である。
「まあ結構私が使っていたからね。こないだはお母さんも来てたし」
「そうか!母ちゃんがここに来たんだ。やばいもんは見つかってないかな」
「今更だと思うけど」
ヨーロッパに遠征している千里1はスペイン(5.24-29), マケドニア(5.30-6.05), セルビア(6.06-6.11)と移動しながら小さな大会などにも出て、次の便でモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港経由で帰国した(ベオグラードと成田の間には直行便は無い)。
BEG 6/12 13:20(SU2091 737-800WL)17:15 SVO (2:55)
SVO 6/12 19:00(SU260 A330-300) 6/13 10:35 NRT (9:35)
千里1は解団式を終えてから13日の夕方、経堂のアパートに戻った。
「桃香ずっと放置していてごめんね!」
と言って桃香にキスする。千里から桃香にキスするというのは、わりと少ない。
「うん、まあ大丈夫だよ」
と桃香は言う。ホントに“病気”は深刻だなあと桃香は思う。
「これマドリードで買ったアリオリソース、スコピエ(*1)で買ったチョコレートだけど、よく見たらメイド・イン・ハンガリーと書いてあった。ごめん。それとベオグラードで買ったミントティーのセット。これは間違い無くセルビア産っぽい」
桃香はどこまでが現実で、どこまでが千里の頭の中の夢の世界なのか分からんなあと思ったが、取り敢えず話を合わせておいた。
「千里、この後はどこか行くの?」
「18日からまた合宿が始まるんだよ。その後インドに行ってくるから。今年の海外遠征はそれで終わりの予定」
「了解〜」
(*1)旧ユーゴスラビアが解体されてできた国(の2017年現在)の名前と首都は下記。
マケドニア共和国(スコピエ)
セルビア共和国(ベオグラード)
スロベニア共和国(リュブリャナ)
クロアチア共和国(ザグレブ)
ボスニア・ヘルツェゴビナ(サラエボ)
モンテネグロ(ポドゴリツァ**)
コソヴォ共和国(プリシュティナ)
(**)モンテネグロの首都は憲法上はツェティニェだが、議会と政府機関はポドゴリツァに設置されていて、ポドゴリツァが事実上の首都である。但し大統領府だけはツェティニェに置かれている。ポドゴリツァはモンテネグロの経済の中心地でもある。
モンテネグロという日本名はイタリア語(正確にはヴェネチア語)のMontenegroからの音訳と思われる。モンテネグロ語ではツルナゴーラ。黒い山という意味。
ベオグラードはかつてのユーゴスラビアの首都である。
「マケドニア」という名の使用に関して、元々のマケドニア地域の約半分が所属するギリシャが強行に反対しており、同国他、マケドニアという名前を認めていない国では「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という暫定名を使用している。
サラエボは第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件(1914.6.28)が起きた地であり、1984年には冬季オリンピックが開かれた地である。この当時はユーゴスラビアであった。
コソヴォの独立を認めていない国は「コソヴォ・メトヒヤ自治州」と呼称し、セルビア共和国の一部とみなしている。セルビア共和国自身、コソヴォの独立は認めていない。
セルビア共和国にはヴォイヴォディナ自治州というのもあり、独自の憲法や議会・政府を持っているが、現状では独立の動きは無いように見える。
千里2は千里1が帰国した翌6月14日、《きーちゃん》から《すーちゃん》経由で確保してもらっていたセルビアのラキヤ(果実酒)とお菓子を持って、冬子のマンションを訪ねた。
「昨日帰国したけど、アルバムの進捗状況どう?」
と尋ねると、悩んでいるようである。
「実は・・・」
と言って見せられたのが、青葉と七星さんが書いた“ケイ風の曲”である。見せてもらって、やはり想像した通りだと千里は思った。
「ケイになりきってないなあ」
と言って苦笑する。
青葉と七星さんに電話して、この楽曲をこちらで改訂させてもらうことの了承を取った。そして千里2がこの2曲の譜面とCubaseのデータを持ち帰った。
そして2日間掛けてこれを「ケイ色に染める」作業をした。
6月16日に再訪する。
「これだと本当に私が作ったみたいだ」
「こういうのは要領があるんだよ。長年ゴーストライターやってた人にしかできないかも知れないけどね」
と言って千里2は微笑んだ。
これでケイは「ケイ作」の楽曲を自身の本当の作品3曲を含めて7曲確保できたことになる。
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【△・武者修行】(3)