【△・武者修行】(1)

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4月23日(日)。この日は千葉ローキューツでこの3月まで主将を務めた愛沢国香の結婚式であった。しかしこの時期は日本代表の合宿中ということで、出席はできないということを千里は予め伝えていた。
 
しかし落雷の影響で休んでいなさいと言われたことから、“千里”は出席できるなと考えた。
 
特にこの時期、千里3は桃香が入院していることも知らず、三宅先生から頼まれたAYAに渡す曲(『ゴールドラッシュ』)を仕上げるため、江戸川区葛西のマンションに籠もって曲作りをする傍ら、わりと地理的に近い深川アリーナに出かけてはバスケの練習をしていた。この時期、深川アリーナはまだサブ体育館の方は工事中なので、メインアリーナの方で練習する。
 
するとしばしばローキューツ・40 minutes・江戸娘のメンバーと一緒になり、だいたい人数が少ないので合同練習という感じになる。千里3はローキューツの原口姉妹、40 minutesの麻依子や星乃、江戸娘の青山さんや六本松さんたちと手合わせをしていた。
 
それで国香の結婚式のことについても話題が出る。
 
「そうだね。23日は合宿中のつもりで欠席と言っておいたけど、出席できるね」
と千里3は言い、原口姉妹も歓迎歓迎と言っていた。
 

一方、千里1はこの所、午前中に入院中の桃香のお見舞いをし、午後からはだいたい秋川あるいはどこか都内の体育館でバスケットの練習をして自宅アパート(経堂)に戻るという生活をしていた。しかし23日は国香の結婚式ということが分かっていたので、千里1は前日になってしまったが、国香に電話して出られるようになったことを伝えておいた。
 
(千里1は国香本人に、千里3は発起人である揚羽に連絡したことになる)
 
当日は朝からドレスと靴を用意した上で桃香の病院に行き、11時半頃病院を出て、国香の結婚式が行われる船橋市のホテルに向かった。13時くらいに船橋市のホテルに着く。結婚式は15時からの予定である。
 
車内でドレスに着換えてから、フロントで尋ねて花嫁の控室に行く。
 
「おめでとう!」
「わあ、ありがとう。忙しかったんじゃないの?」
「うん。何とかなったけど、ごめん。花束でも持ってこようと思っていたのにうっかり忘れていた。これ取り敢えずご祝儀」
と言って、分厚い封筒を渡す。
 
「おお、これさえもらえば問題無い」
と言って国香は祝儀袋を受け取る。
 
「あとこちらは祝賀会の会費ね」
と言って、祝賀会の発起人になっているソフィアに18,000円、お釣りの無い状態で渡した。
「どもども。じゃこれ領収書と記念品」
と言って、ソフィアが袋を渡す。
 
「揚羽は?」
と千里は部屋を見回して言う。
 
今回の結婚式祝賀会では、ローキューツの揚羽・ソフィア・万梨花の3人と、彼氏のチームメイト3人が発起人になっており、揚羽が発起人代表である。
 
「紫(揚羽の妹)と2人でバスケットのゴールを取りに行っている。祝賀会の会場の後ろに置いてみんなにシュートしてもらおうという話になって」
「さすが、バスケット選手の結婚式!」
 

それで30分くらい花嫁控室でおしゃべりしていた。
 
「ところで赤ちゃんの予定は?」
「まだ。私たち混雑を避けて5月の連休明けに新婚旅行に行くつもりだからその旅先で解禁にする予定。それまでは全弾ブロックショット。ゴールはさせない」
「なかなか厳しいディフェンスをしているようだ」
 
「リバウンドからターンオーバーして彼氏のゴールに放り込んでしまうとかは?」
「ああ。あいつが妊娠してもいいよね」
 
「どちらが産んでもいいけど、産まれた子はぜひローキューツの選手に」
 
「女の子なら入団できるけど、赤ちゃんが男の子だったら?」
「それは当然性転換させて」
「その話既に10回くらい言われている」
「もう完全に男の子が生まれたら性転換というのが刷り込まれているな」
 

ところが13:30頃に電話がある。
 
見ると日本代表チームの風田アシスタントコーチである。
 
「はい、村山です」
「風田だけど。体調はどんな感じ?」
「かなり回復してきたとは思うのですが」
 
風田コーチがこの千里1が持つiPhoneに掛けてきたのは、落雷で焼損した携帯に代えてこのiPhoneを買ったということで、取り敢えずバスケ関係者に新しい番号とメールアドレスを送信していたからである。
 
千里2は元からのフィーチャホン(東芝T008)を使っている。また千里3はアクオスを使ってはいるものの、ごく少数の親しい人にしかその番号は報せていない(この時点で知っているのは、桃香・朋子・青葉・玲央美・三宅・雨宮と、きーちゃん・千里2のみ)そういう訳で、風田コーチは以前のT008の番号に上書きしてこのiPhoneの番号を登録したので、風田コーチからの電話はiPhoneにつながるのである。
 
「リオ組は25日から合宿なんだけど、その前に1度今の君のプレイを見たいんだけど、良かったら今からでも、合宿所に来てくれない?」
「今からですか?」
 
と言って、国香たちの顔を見る。国香が
 
「代表活動なら行っておいでよ」
と言った。それで千里は返事をする。
 
「今船橋市にいるんです。そちらに行くのに1時間半くらい掛かるかも知れませんが」
「うん。構わない。だったら3時くらいになるかな」
「はい」
「じゃ待っているから」
 

それで千里1は電話を切ってから国香に言う。
 
「ごめんねー」
「日本代表なんて、私なんかは手が届かないし。頑張ってきて」
「うん」
「来てもらっただけで嬉しいですから」
と国香の母。
 
「千里さん、祝賀会に出られないんだったら、会費返します」
と言って、ソフィアがさっきの18,000円を返してくれる。
 
「ご祝儀はもらってていいんだっけ?」
と国香。
 
「もちろんもちろん。そちらは結婚のお祝いだから」
「千里さん、記念品は持っていってください」
とソフィアが言う。
 
「え〜?でも会費払ってないのに」
「会費の大半は食費ですから。なにせ今日のお客さんは胃袋の大きいバスケ選手ばかりだから」
とソフィア。
「うん。そもそも来てくれたし、ご祝儀ももらっているから問題無い。記念品代は私が出しておくから」
と国香。
 
ということで、記念品の袋だけもらって、千里1は会場を出たのである。
 
そして、ソフィアは出席者名簿の千里の所にいったん付けたチェックマークを消しゴムで消した。
 

それで千里1はミラで東京北区のナショナル・トレーニング・センターまで走った。到着したのは14:20くらいで、千里は駐車場の車の中で代表の練習用ウェアに着換え、軽く準備体操をしてから中に入った。ロビーで待っていたのだが、14:40くらいに風田コーチが通りかかり
 
「おお、来ているのなら今から見よう」
と言って、千里を練習が行われているフロアに連れて行った。
 
まずはスリーの精度を見る。
 
「あれ〜〜!?」
と千里自身が言うほど外してしまう。
 
いつもの千里ならフリーで打てば百発百中なのに、この日は10本の内8本くらいしか入らない。むろん“しか”とはいうが、これ以上の確率でスリーを入れられる選手は他には居ない。玲央美でもせいぜい5〜6割である。1on1をやってみる。
 
その玲央美とは4勝6敗。これは元々千里は玲央美には相性が悪いので仕方ない。しかし玲央美は言った。
 
「千里、どうした?キレが無い」
「うん。私も今レオとやってみて感じた」
 
江美子とは7勝3敗、絵津子とは8勝2敗、広川キャプテンと9勝1敗だった。そして3人が全員
 
「千里は本調子ではない」
と言った。
 
しかしこの4人以外には千里に勝てる人はいなかった。
 
「代表のレベルではあるけど、本調子ではないね」
「すみません。何とか上げていきます」
「うん。頼むよ」
 

一方、千里3はこの日、午前中深川の体育館でバスケの練習をして、それを1時くらいで切り上げると、体育館の牛丼屋さんでお昼を食べてから葛西のマンションに戻る。シャワーを浴びた上でドレスに着換える。そして船橋市のホテルに向かった。但し《きーちゃん》が
 
「百万円の札束を4つ用意しておいた方がいい」
 
と言ったので、銀行に電話した上で取りに行った。それで結局、到着したのは15時半頃である(千里1がこのホテルを出てから2時間ほど経っている)。結婚式は終わって祝賀会が始まるのを待っている時間である。千里3は結婚式自体には出る予定は無かったので、全然問題無い。
 
受付で会費18,000円を払い、出席者名簿にチェックしてもらう。領収書と記念品の引換券(荷物になるので帰る時に受け取る)をもらい、この会費とは別にご祝儀袋を受付に立っていた発起人代表の揚羽に託した。
 
やがて祝賀会が始まる。
 
会場内でソフィアに会う。彼女は驚いたようにして
「千里さん、バスケの方はいいんですか?」
と言った。
それで千里3はバスケの練習のことかと思い
「うん。終わらせてきた」
と言った。
 
「早かったですね!」
とソフィアは言った。
 
またローズ+リリーのケイにも会う。マリも一緒に来たが、マリはひたすら食べて回っているという話だった。
 
「よく来られたね!日本代表の合宿中かと思った」
「よく来られたね。KARIONでツアー中かと思った」
と言葉を交わしてからしばらく話す。ローズ+リリーの次のアルバム『Four Seasons』に入れる曲を1曲もらえないかというので快諾した。
 
他にも音楽関係のことで話していた時、千里3はふと、アメリカ遠征中に信子たちの結婚式があることに気付いた。そうか。《きーちゃん》が言っていた札束が必要というのはそれのことだと思い、千里はケイに尋ねる。
 
「冬は鹿島信子と中村正隆の結婚式には出るよね?」
「もちろん」
「ご祝儀、言付かってくれない?その時期はアメリカ遠征中だから」
「いいよー」
 
それでバッグからさっき用意しておいた100万円の札束を4つ出し、葵照子名義と醍醐春海名義で200万円入りの祝儀袋を2つ渡しておいてと頼んだ。
 

千里2は千里3がトイレに行ったタイミングを見計らって、会場内に入り、ダイレクトに雛壇の所にいる国香の所に行った。
 
「あらためて結婚おめでとう、国香」
「あれ?千里、代表の方は良かったの?」
「うん。すぐ終わったんで、とんぼ返りしてきた」
「わあ、お疲れ様ー」
 
それで国香とシャンパンのグラスを合わせ、それから少しおしゃべりした。そして適当なタイミングを見て、次に国香とグラスを合わせようとして待っている長門桃子(A商業での国香の後輩でローキューツのOG)に譲ってテーブルを離れた。そしてそのまま会場を出た。
 
ロビーで《きーちゃん》が待機している。
 
「きーちゃん、ありがとね。調整大変だったね」
「偶然、風田さんが1番を呼び出してくれたから、私も今日は助かりました」
「私はご祝儀もあげてないし、会費も払ってないけどいいよね?」
「会費は3番が払っていますし、ご祝儀を1と3が渡していますから」
 
そんな言葉を交わして千里2は《きーちゃん》に用賀のアパートに転送してもらった。
 

祝賀会が終わった所で、発起人グループが会費の集計をしていた所に国香が来る。
 
「ドタバタしてて忘れてた。千里ちゃんの分の会費、私が払っておくから」
と言ったのだが、出席表を見ていた万梨花が
 
「村山千里さんなら、会費頂いていますよ」
と言う。
「ありゃ、結局払って行ったのか」
と国香。
 
「そうそう、国香さん。会費と別にご祝儀を千里さん、冬子さんと政子さん、それから国香さんの会社の部長さんから頂いていますから」
と言って、揚羽が国香に金庫の中からご祝儀袋を4つ取り出して渡す。
 
「わっ、重い!」
といって国香が驚く。
 
「中に入っている金額が凄いのが多くて、金庫に入れておいたんですよ」
 
しかし国香は千里のご祝儀袋もあることに首をひねる。
 
「ちょっと待って」
と言って母に電話する。
 
「村山千里さんのご祝儀袋はお母ちゃん持っているよね?」
「あ。うん」
それで確認していたようだが
「こちらの金庫にちゃんと入ってるよ」
「中身を確認してくれない?」
と言うのでお母さんに確認してもらう。
 
「ちょっとぉ、これ50万円もあるんだけど!?」
とお母さんの焦ったような声。上書きだけ見て、5万円と思い込んでいたようだ。
 
「こちらのご祝儀袋も50万円入っている」
 
それで国香は千里に電話した。
 
「ね、千里ちゃん、千里ちゃんのご祝儀袋がなぜか2つあるんだけど」
「あれ〜!?私もしかして2回渡しちゃった?」
「うん。ひとつは私が結婚式が始まる前に受け取ったもので、もうひとつは再度千里ちゃんが祝賀会の方に来てくれた時に、揚羽ちゃんが受けてっているのだけど。どちらも50万円入っているのよね」
 
「ごめんねー。実はこないだ私、雷に撃たれてさ」
「え〜〜!?」
「雷に撃たれると、色々身体に異変が起きるという話もあるけど、取り敢えず性別は変わってないようだし」
「性別が変わると大変だよね」
 
「それで身体には異常は無いんだけど、その後遺症で、物忘れがひどいのよ。少しずつ回復していくとはいう話なんだけど。それで一度渡したこと忘れてまた渡したんだと思う」
 
「じゃ50万円はそちらに返すね」
「ううん。2度渡したのなら、そのまま受け取っていて。新婚旅行の代金の足しにして」
「そう?じゃもらっちゃうよ」
「うん。いい旅行にしてね」
 
それで電話を切った千里2はかなり冷や汗を掻いた。
 
国香が千里2のガラケーに電話して来たのは、千里1は国香にまでは自分のiPhoneの番号を通知していなかったからである。
 

翌4月24日。
 
千里3は今日は夕方には合宿所に入りたいからと思い、午前中に深川の体育館に行って、ひとりでバスケット練習をしていた。この日は他に誰も出てきていなかった。
 
誰も来なかったのが、体育館の入口に「電気系統故障中なので、午前中お休みします」という貼り紙がしてあったからだということは、千里3は知るよしも無い。
 
2時間ほどで300本ほどシュートを撃っていた時、パチパチパチパチという拍手を聞く。見ると日本代表の風田アシスタントコーチと坂口チーム代表である。
 
(昨日の午後、合宿所で“本物の”風田コーチたちに会ったのは千里1である。念のため)
 
「かなりよく仕上がっているね」
と風田コーチは言った。
 
「ちょっと話せる?」
「あ、はい」
 

それで40 minutesの選手控室に一緒に入った。千里は40 minutesのオーナーなのでここの鍵を持っている。
 
「実は今回のアジア選手権は若手中心に起用しようかという話になっていてね」
「はい?」
 
「アジア選手権は4位以内に入れば世界選手権に行くことができる。実際問題として、アジア選手権では、オーストラリア・中国・日本・韓国という上位4国とそれ以外の国との実力差が明確だから、まず5位以下ということはあり得ないと思うんだよね」
 
「それはそうですが」
 
「そこで、今回はWNBAに行っている平成元年生まれの花園亜津子君、平成2年生まれの佐藤玲央美君、平成3年生まれの村山千里君の3人は外してその分、若手にチャンスを与えてもいいんじゃないかということになって」
 
「ああ」
と反応しながらも千里としてはかなり不満である。
 
「そしてその3人はワールドカップでの主力になるから、各々今年は大会に惑わされることなく実力を磨いて欲しい。そして来年のワールドカップでその実力を発揮してもらえないかと思っているんだよ」
と坂口代表は言う。
 

「実力を磨いてですか?」
と千里は思わぬ話に驚く。
 
「それで花園君はWNBAに行っているから大いに鍛えられる。佐藤君にはスペインの女子リーグ、リーガ・フェメニーナ・デ・バロンセストに所属するCDバルセロナに短期留学してもらうことになった」
 
「凄い」
 
「それで急な話で本当に申し訳無いのだけど、村山君にはフランスのリーグ・フェミニン・ドゥ・バスケットボールに所属するマルセイユ・バスケット・フェミニンへの短期留学をしてもらおうと思ってね」
 
「フランスですか!」
 
「村山君はフランス語が得意と聞いたのだが」
「小学生の頃、フランス人の友人がいたんですよ。それで覚えたんです」
「それは心強い」
 
正確にはフランス系日本人なのだが、そこまで説明すると話が結構面倒である。
 
「WNBAは今からシーズンだけど、フランスとスペインはシーズンオフなんだよね」
「ですね」
「だから練習や練習試合だけに参加してもらうことになるけど、それでも大いに刺激されるのではないかと思って」
「刺激になると思います」
 

「期間は公式には5月から7月上旬までの2ヶ月半だけど、向こうは世界のスリーポイント女王のムラヤマなら、いつでも見たいと言っていて、明日からでも参加してもらっていいと言っているんだけど」
 
「すぐ行きたいです。ビザはどうなりますかね?」
「フランスはシェンゲン圏だから日本人はビザ不要」
「あっそうか!」
 
現在ヨーロッパの大半の国がシェンゲン協定に入っており、その内部はひとつの国の国内の感覚で移動できる。また日本人は短期(90日以内)の非商用の滞在にビザは不要である。
 
日本代表の遠征で行く予定だったスペインも、千里3が行くように言われたフランスもシェンゲン圏である。シェンゲン圏の西端はフランスとスペイン・ポルトガル、東端はバルト三国・ポーランド・スロバキア・ハンガリーで、ルーマニアとブルガリアも加入予定である。イギリスは加入する予定は無い。バルカン諸国は現在協議中だが、セルビアとマケドニアは日本人の場合、短期の非商用滞在にビザは不要である。
 
「だから今日渡航したければ今日渡航できるんだよ」
 
「今日というのはさすがにちょっと待って下さい」
「向こうは本当にいつでもいいと言っている。明日でもいい」
「だったら、明日行きます」
「分かった。じゃすぐ航空券手配するから」
 
「はい!」
 
と言って、千里3は風田さん・坂口さんと握手した。
 
なお、レッドインパルスの方には既に話を通しているということであった。千里3としては臨月を迎えている桃香のことは気になるものの、必要があれば《きーちゃん》に頼んでいつでも日本に転送してもらえるだろうしと思った。
 

それで千里3は桃香に長期間海外に出ることを伝えに行こうと思い経堂のアパートに行ってみる。これが13時頃である。しかし誰も居ない。
 
買物にでも出ているのかなと思い、掃除をしながら待つがなかなか帰ってこない。少し心配になったので桃香に電話をしてみた。
 
「ああ、千里どうしたの?」
「桃香今どこ?」
「どこって、病院にいるけど」
「病院って、桃香どうかしたの!?」
 
桃香は千里の記憶がまた混乱しているなと思う。私より千里を入院させた方がいいのではという気もしてきた。
 
(この日は千里1が午前中桃香の病院に来て、このあと合宿に入るから次は29日まで来れない。更にその後アメリカ遠征に行くと伝えている)
 
取り敢えず桃香は先日赤ちゃんが胎内で暴れて、緊急入院したこと、その後、大間産婦人科に転院し、このまま出産まで入院していることを説明した。この話は千里3は全然聞いていなかった。
 
「知らなかった!ごめんね。私に連絡してくれたら良かったのに」
と千里が言っているのは、桃香としてはスルーすることにする。
 
ともかくも千里3はそちらに行くと言った。
 

それで15時すぎに千里3はアテンザを走らせて大間産婦人科に行った。
 
話の内容がおかしいのは桃香はもう気にしないことにしているので、適当に千里と会話をする。それで千里3は急な話だが、明日にも日本を発って3ヶ月くらいフランスに行ってくると告げた。
 
桃香は千里(実は千里1)が午前中に来た時はアメリカに行くと行ってたのにと思ったものの、気にしないことにする。
 
「でも生まれそうだったら、呼んでもらったら飛んで帰ってくるから」
「大丈夫だよ。そのための入院だから」
「確かに病院にずっと入っていたらその点が安心だよね」
 
それで結局千里3は夕方まで桃香と一緒にいた。
 

この日、千里3は桃香が居ないのならと思い、用賀のアパートの方に戻った。そしてフランスへの渡航の準備を始めたのだが、そこに《きーちゃん》がやってくる。
 
「千里、フランス渡航の件だけど」
「あ、ごめんごめん。連絡しておくの忘れた」
「向こうはさ、もう携帯電話のシステムが変わっているから、日本のガラケーは使えないんだよ」
「あ、そうなんだっけ!?」
 
このあたりは、コンピュータに弱い千里を騙すのは楽な所だ。
 
「だから、三宅先生から借りたAquosをメインに使いなよ」
「そうしようかな」
 
「それ静電気でトラブらないようにする仕掛け作ってあげるから」
「あ、できる?」
 
それで結局千里はアースを付けられてしまった!
 
「こんなのつけて歩くの〜?」
「世界平和のためだよ」
 
具体的にはアース付きの靴を渡され、手首に付けたブレスレットからつながるアース線は服の中を通って靴のジョイントにつながっている。そこから地面に電気を導くようにしているのである。但し保安検査で引っかかるから、飛行機に乗る時は靴ごと預け荷物の中に入れておくように《きーちゃん》は注意していた。
 
ともかくもそれで《きーちゃん》は千里3のガラケー回収に成功したのである。アドレス帳は、その場でSDカードを利用してAquosの方にコピーしてあげた。また国盗りの端末登録も移行してあげたので、この後、国盗りは千里3が引き継ぐことになった。
 
「ところで私、京平に会いに行くのは何時にすればいいんだっけ?」
「当面フランスは夏時間だから、時差は7時間なんだよ。だからこないだ京平の希望で移動させた日本時間の14:00-15:00はフランスだと7:00-8:00だから、そちらの練習にはぶつからないよ」
 
「凄い!じゃこちらは朝の7時から8時半くらいを空けておけばいいんだね」
「そういうこと」
 

《きーちゃん》が帰った後、千里3は新島さんに電話し、3ヶ月ほどフランスに行ってくるが、作曲の作業は普通にできるから、普通に仕事は割り振って欲しいと連絡した。また、フランスと日本では昼夜が逆で連絡が取りにくいかも知れないから、友人の天野貴子に仲介を頼んでいるのでといって《きーちゃん》のスマホの番号・アドレスも伝えておいた。
 
その後、同時期にスペインに行くことになった玲央美にも電話する。
 
「私も突然言われてびっくりした!」
と向こうも言っている。
 
「スペインとフランスと、お隣同士で、頑張ろう」
「じゃ7月か8月くらいに日本で再会だね」
 
それで電話を切った。
 
ちなみに千里が掛けたのは、今日《きーちゃん》が“コピー”してくれたアドレス帳に登録されていた玲央美の電話番号である。
 

そして4月25日(火)11時、千里3はチーム代表の坂口さんに見送られ、千里に同行して3ヶ月間様々な雑用などもこなしてくれることになったバスケット協会の工藤映玲南(くどう・えれな)さんという25-26歳くらいの女性と一緒に、エールフランス機で旅立った。
 
NRT 11:00(AF275 B77W)16:30 CDG
 
「じゃ工藤さん、しばらくよろしくお願いします」
「ああ、映玲南でいいですよ」
「じゃこちらも千里でいいですから」
「なんなら、略して《えっちゃん》でもいいですから」
「だったら、こちらはコートネームのサンで」
 
千里3が旅立っていくのを見送った“坂口さん”の所に《きーちゃん》が寄ってくる。
 
「お疲れ様」
「バレないかとヒヤヒヤだった」
「やはり千里3はバスケットは強いけど霊力は弱いみたい。だからこういうお芝居に気付かなかったんだろうね」
 
「ということは結構なパワーのある千里1の対処が大変そうね」
 
千里2を100とすると1の霊力は30、3の霊力が10くらい、というのが《きーちゃん》の見立てであるが、今日の様子を見ていたら、もっと差があるのではと千里2は思った。
 
「まあね。それと夏以降の遭遇回避について作戦を練らないといけないけど」
「だけど私は15年ぶりくらいにまた、きーちゃんと一緒にお仕事できて嬉しいよ」
と《つーちゃん》は言った。
 
「私たち結構いいトリオだったよね」
 
なお、千里3が海外に出たので、しばらくの間、《きーちゃん》は様々な工作活動のために動き回るのに、アテンザを使用できることになる。
 
「なんなら、きーちゃん用にもう1台買おうか?」
と千里2は言う。
 
「じゃ7月以降に」
「OKOK」
 

4月24日夕方の女子日本代表候補の集合には、当然千里1がミラに乗って出ていった。駐車場に駐めていたら、ランエボを乗り付けた江美子が
 
「あれ?千里の車が違う」
と言う。
「うん。アテンザを他の子が使ってたから、こちらに乗ってきた」
と千里は言っている。
 
江美子は誰かに貸したのが返却が遅れているのかなと思った。
 

その日、アメリカのペンシルバニア州・フィラデルバーグに本拠地を置くWBCBL所属のフィラデルバーグ・スワローズ (PS Philadelburgh Swallows, or PSF Philadelburgh Swallows Feminine) のメンバーたちは暗い顔でアトキンス・コーチと話し合っていた。
 
チームの中心選手、ジュディが5月6日のシーズン開幕を前に足を骨折するという事態が起きた。昨シーズンはチーム得点の半分を取っていた選手である。残りの陣容では、かなり下位に低迷することは確実。あまり成績が酷いと、スポンサーに見捨てられてチーム消滅という危機さえもある。
 
WBCBLのチームはセミプロという微妙なポジションであることもあり、頻繁に活動停止あるいは消滅し、入れ替わりが激しい。リーグ戦でも途中で活動停止して不戦敗などというのが日常的に起きる。
 
スワローズのスポンサーは地元の食品メーカーで、今の所は同チームがWBCBLで上位に定着しているので宣伝になるとみなされて支援してもらっているが、低迷したら簡単に休部にされそうである。
 
誰か強そうな選手でフリーの選手、特にWNBAに入り損ねたような選手はいないかと話したりし、ネットで検索もしてみるも、入ってくれそうな選手の心当たりがない。
 
ホントにどうしよう?
 
となっていた時のことであった。
 
体育館の入口から背の低い金髪の女性が入って来た。ここはスワローズの専用体育館という訳ではなく、公共の体育館なので、チームと無関係の人が入ってきても不思議ではない。
 
しかし選手達はなにげなく彼女の動きを見ていた。
 
彼女は準備運動をした上で、ボールをドリブルしていき、ゴールからかなりの距離の所に立った。そして本当に美しい!と思うフォームでボールをシュートした。
 
ボールはきれいにゴールに飛び込む。
 
「おぉ」
という声が漏れる。
 
その女性はゴール下まで走っていき、ゴールの下に落ちてきたボールをワンバウンドでつかむと、再度遠くまでドリブルしていき、再度シュートする。また入る。
 
スワローズの選手たちが顔を見合わせる。
 
そしてこの後、この女性は10本連続でシュートを決めたのである。
 
キャプテンのリンダが思わず立って彼女の所に走り寄った。金髪なので白人かと思ったのだが、顔を見るとどうもアジア系っぽい。
 
「君、大学生?」
と少しゆっくりめの英語で尋ねる。
 
「いいえ。私はもうマスターを卒業してから2年経ちます」
と彼女はわりと上品な発音の英語で答えた。
 
「どこかのチームに入っている?」
「地元のチームに入ってますがリーグ戦は秋からなので夏まではフリーですよ」
「だったら、夏までうちのチームに入らない?」
「それをお願いしようかと思ってきました。今のシュートは挨拶代わりです」
「ぜひぜひ歓迎!」
 
とリンダは言ってその女性と握手した。
 
「ちなみに女の子だよね?」
「あんまり自信無いけど、10年来の恋人は私を女だと思っているみたい」
「なら多分大丈夫だな」
 
「あなたは外国人ですか?」
とコーチが寄ってきて尋ねる。
 
「日本人です」
「ビザは?」
「B1ビザ(長期出張ビザ)を持っていますよ」
と言って、彼女はパスポートのビザのページを提示した。
 
高額の報酬が支払われるWNBAに参加するにはスポーツ芸能就労ビザP1
(国際的に有名な選手ならO1が出る場合も)が必要なのだが、無報酬のWBCBLの場合は、単純な出張ビザで参加できるのである。実はWBCBLはそれによって世界中から「武者修行」したい女子選手を集めている。
 
なお、彼女が提示したパスポートでは黒髪長髪であるが、今金髪でショートなのは髪を切って染めたのだろうか。しかし顔つきは確かに同一人物である。
 
「B1ビザ持ってるなら即、参加できるじゃん!」
「その名前、チサト・ムラヤマでいいの?」
「それでいいですけど、武者修行中(I'm in errantry)なので登録名ヴィクトリアくらいで」
「おお!エラントリー!」
 
「OKOK」
「地元のチームって日本の?」
「そうそう。日本の女子プロリーグ。給料は安いけどね」
「へー。日本にも女子のプロリーグがあるのか」
 
なおWBCBLの試合は午後が多いのと、体育館が比較的空いている!という理由でスワローズのチーム練習は平日朝9-12時(日本時間では22-25時)に行うということであった。
 
シーズンは5月6日に始まり、毎週(主として)土日に試合をして7月中旬までリーグ戦を行う。7月下旬に各地区ごとのプレイオフをして、8月上旬にその勝者が集まり全米・ファイナル・プレイオフが行われる。
 

4月26日フランス時間で9:00(日本時間同日16:00)。千里3は工藤映玲南に連れられて、マルセイユ市内のサンベージュ体育館にやってきた。
 
ここは実質的にマルセイユ・バスケット・クラブの専用体育館となっている。朝から午後3時まで女子チーム、それ以降を男子チームが使うことになってはいるが、実際には境界線は曖昧で、女子選手の幾人かは、午後5時くらいまでは、男子選手のウォーミングアップの相手という名目で居残り練習をしているし、男子選手の中には1時頃から出てきて、女子選手の紅白戦に飛び入り参加してくる人もある。つまり1〜5時くらいは男女が入り乱れる時間帯である。練習中に男子と女子で身体の接触が生じることもあるが、お互いに全く気にしない。
 
工藤さんが、向こうのキャプテンっぽい人とフランス語で話している。
 
千里3は小さい頃、友人のリサやその家族と会話するのにフランス語を覚えてはいたものの、どの程度実践で使えるかは微妙という気もしたのだが、一応ふたりの会話はだいたい把握できた。
 
キャプテンは言った。
「Tout d'abord, nous voulons voir vos faculte」(まずは君の腕前を見たいな)
 
そして千里にボールをかなり強い勢いで投げた。
 
千里は平然とした顔でそれを受け取った。
 
ドリブルして行って、スリーポイントラインの所に立つ。
 
撃つ。
 
入る。
 
選手達はじっと見ている。千里はゴールから落ちてきたボールをワンバウンドで掴むとまたスリーポイントラインの所までドリブルして行った。
 
撃つ。
 
入る。
 
千里はこれを10回繰り返す。
 
1発も外れない。さすがに選手たちがざわざわと騒ぎ出す。
 
「Jouez avec moi」(私と遊ぼうよ)
 
と言って、180cmくらいの背丈の均整の取れた体格の黒人女子が出てきた。彼女は後で、エヴリーヌと名乗った。アフリカ系フランス人らしい。
 
彼女と1on1をやる。
 
千里の攻撃10回の内、彼女は1回だけ停めた。彼女の攻撃を千里は半分停めた。
 
「Jouez avec moi aussi」(私とも遊ぼうよ)
と言って、175cmくらいの白人のプレイヤーが出てきた。彼女は後でシモーヌと名乗った。
 
彼女との対決は、6:4でシモーヌの勝ちだった。千里はさすがフランスのトップリーグの選手は凄いと思った。
 
最初にボールをパスしたキャプテン(後でオリビエと名乗った)が言った。
 
「うちのチームでシモーヌは5番目の選手、エヴリーヌは6番目の選手だ。シモーヌに負けて、エヴリーヌに勝ったから、君が今日から6番目だ」
 
エヴリーヌが「Oh!」と嘆くような声をあげる。
 
「でも1年後までに1番目になります」
と千里は言った。
 
「うん。私、そういう性格の子好きだよ」
とキャプテンは笑顔で言った。
 

「君の名前は、これシサト・ムラヤマでいいの?」
と訊かれる。Chisato のChの音はフランス語ではシャ・シ・シュ・シェ・ショのように発音される。
 
「それでもいいですけど、長いからキュー(Queue)くらいで」
「ああ、その君の髪の毛、しっぽみたいだと思った!」
という声があがる。
 
しっぽはフランス語ではQueueである。
 
「そのしっぽ掴んだらファウルになるのかなぁ」
という声。
「そりゃホールディングだと思うけど」
とキャプテン。
 
「しっぽでもホールディングか」
「男の子のちんちん掴んでもホールディング」
「ちんちん掴んだらアンスポーツマンライクファウルが取られるかも」
「女子はちんちん無いから、どっちみちその反則は起きない」
 
と何やらその後はあやしげな話になっていく。
 
ともかくも、千里3のこのチームでの名前はキューということになった。
 

日本代表候補の第2次強化合宿は4月20-29日だったのだが、リオ五輪のメンバーは25日の練習から参加ということになっていた。そして最終日の29日にアメリカに遠征するメンバー15名が発表された。
 
この15名にはアメリカのWNBAに参加している花園亜津子は含まれていない。WNBAは5月から8月がレギュラーシーズンなので、シーズンの方を優先してくれということになっている。
 
むろん千里や玲央美、王子などは遠征メンバーに含まれている。
 
千里は
「やはり落雷事故の影響かなあ」
 
と言われるほど、スリーの精度が落ちて、1on1などの勝率も落ちていたのだが、それでも千里に1on1で1割以上勝てるのは、玲央美・絵津子・江美子くらいだし(広川キャプテンは23日の手合わせでは1回勝ったが、25日以降は全く勝てなくなった)、千里以上の精度でスリーを入れられる選手も居ない。
 
ということで、何の問題もなく選ばれた。
 
それで千里(千里1)は29日に一時外出させてもらい、入院中の桃香に会ってきた。
 
「へー。やはりアメリカに行くのか」
「5月13日までなんだよ。でも何かあったらすぐ戻るからね」
「分かった分かった。行ってらっしゃい」
 
桃香も千里の言葉にどんなに矛盾が含まれていても気にしないだけの耐性ができてしまった!
 
フランスに行った後、アメリカに行くなら、次はオーストラリア辺りに行くと言ってくるかなぁ〜。
 

それで4月30日。15名の日本代表候補のメンバーは11:10のダラス行きに乗り、半月間のアメリカ合宿に飛び立っていった。
 
なお、京平は千里1に『海外遠征中は大変だろうから来なくても大丈夫だよ』と言っておいた。すると千里1も『きーちゃんが大変だよね!』と言い、5月13日まで、千里1の京平とのデートはお休みとなった。
 
実際千里1の京平とのデート時間帯に設定しているAM2:00-3:00はアメリカでは昼の12:00-13:00に相当し、この時間帯に抜け出すのは困難である。
 
「さて、鬼の居ぬ間の洗濯かなあ」
と《きーちゃん》から報告を受けた千里2は大きく伸びをして、独り言を言った。
 
桃香の出産予定日は5月11日である。うまく千里1が帰国した後で産まれてくれると助かるんだけどなあ、と千里2と《きーちゃん》は話していた。
 

4月29日。神奈川県の某自動車学校。
 
《せいちゃん》は22-23歳くらいの女の子に擬態して、宮田雅希の住民票を持ちこの学校に入校した。合宿コースで最短での免許取得を目指す。
 
当日は視力検査、写真撮影などをした上で、一時間シミュレーターで練習した後、実車に乗った。《せいちゃん》はマジで運転したことがないので、30km/h走行でも『きゃー』と悲鳴をあげたくなった。
 
《せいちゃん》が女子大生に擬態しているので、40代かなという感じの男性教官が妙に優しい。
 
「どこの出身?」
「京都府かな」
「へー。京都の生まれなんだ。年とか訊いたらセクハラになるかな?」
 
うん。セクハラだ、と思いつつ“真面目に”答える。
 
「村上天皇が天徳歌合わせをお開きになった年に生まれましたよ」
ところがこの教官は村上天皇を知らないようだ!
 
「村上天皇?そんな人いたっけ?村上愛なら知ってるけど」
などと言っていた。
 

合宿コースなので、20時に教習が終わるとバスで宿舎に移動して、夕食の後各自部屋に入る。《せいちゃん》は“女子”として登録されているので、当然女子扱いである。ここはどうもマンションを丸ごと借り上げて(買い取って?)宿舎としているようであるが、低層階を女子用、高層階を男子用として使っているようであった。《せいちゃん》は214号室を指定されていた。
 
相部屋である。
 
「こんばんは。宮田と申します。よろしくお願いします」
「こんばんは。佐倉です。よろしくお願いします」
 
相部屋になったのは40歳くらいの女性である。若い子でなくて良かったぁ!と《せいちゃん》は思った。
 
Jソフトに千里の身代わりで女子として勤務していて、女の子たちとおしゃべりするのにはかなり慣れたものの、さすがに至近距離で若い女性と共同生活した場合、理性をちゃんとキープできるか自信が無い。
 
《せいちゃん》は一応健全(?)な1057歳男子である。
 
「女子大生さん?」
「はい。就職活動が始まるんで、その前に免許取っておかなくちゃと思って合宿コースに来たんですよ」
「なるほどー。私は離婚しちゃって、仕事探すのにやはり免許無いと仕事が限られるよなと思って取ることにしたんですよ」
「あらあ、大変ですね。お子さんとかは?」
「小学生の娘が2人いるけど、私が合宿に入っている間はその別れた旦那に預かってもらっている」
「へー。預かってもらえるなら、喧嘩別れとかじゃないのかな。あ、ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
「いえ、いいのよ。離婚の原因はね、あの人が密かに女装しているのを知ったから」
 
「女装ですか?でも最近わりと多くないですか?」
と言いつつ、《せいちゃん》は冷や汗を掻いている。
 
「女装だけならいいんですけどね〜。いづれは性転換手術を受けて女の子になりたいなんていうから、さすがに私は女の人とは結婚できないと言って別れることにしたんですよ」
「色々難しいですね」
 
「でも私と別れたら、即去勢して、おっぱいも大きくしてしまったみたい」
「あらら」
 
「あ、去勢って分かります?タマタマを取ることを去勢と言って、ちんちんまで取るのは性転換手術って言うらしいんですよ。私、その違いも知らなかった」
「ええ、その区別は聞いてます」
 
「最終的にはヴァギナも作って、ちゃんと男の人とセックスできるようにするらしいですね」
「まあ女になる以上、男の人とセックスできないと困るでしょうね」
「でも女とはセックスできなくなるわ」
「仕方ないですね」
 
「あれって、タマタマを取ってから、ちんちんを取るらしいですね。ちんちんを先に取る人はあまりいないらしい」
「おしっこする時に邪魔になるからじゃないですか?」
「あ、そういうことか!」
 
「だから、タマタマを取っただけで、性転換手術はまだしてないから男なんでしょうけど、実際はあそこさえ見られなかったらむしろ女にしか見えないです。元々女装させたいくらい美形だなあとは思っていたんだけど、本当に女になりたかったとは思わなかった。結婚した頃は凄い美男子と結婚して羨ましいとか友人や親戚から言われたんだけど」
 
「美しすぎたのかな」
「そうかも。来年くらいまでには性転換手術も受けたいと言っている」
 
「ああ。でも結婚していたということは、女の人が好きなんでしょうね?」
 
「そうみたい。自分はニューハーフのレスビアンだと言ってました。今でも私のこと好きだと言われたけど、私はレスビアンじゃないから、無理だと言った」
 
「なるほどですねぇ。でもそしたら今は女の人になってしまったお父ちゃんのところに娘さん2人はいるんですね。娘さんは普通にお父ちゃんと呼んでいるんですか?」
 
「あの人、私がいない所では結構娘たちに女装姿を曝していたみたい。だから娘たちはお父ちゃんが女の人の格好しているのは普通だと思っていたとか言うんですよね」
「最初から見てたら平気かも知れませんね」
「あの人、すね毛とかヒゲとか無いなあと思っていたんですけど、私と結婚する前に永久脱毛していたらしいです。女装しやすいようにそうしてたんですね。私、全然気付かなかった」
「まあ、男性として生活するのにも、すね毛は別に無くてもいいでしょうね。ヒゲもイスラムとかでなければ特に問題無いだろうし」
 
《せいちゃん》はこの人、わりとぼんやりしたタイプなんじゃないかなという気がした。ということは自分の女装も多分ばれずに済む!
 
 
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