【少女たちの晩餐】(5)
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(C) Eriko Kawaguchi 2021-12-17
12月10日(火).
早朝桜井先生が千里の家に来て、千里および母と一緒にJRで札幌に出た。桜井先生は母が逃亡したりしないようにする監視役である!
「千里ちゃん、前にも性別検査は受けてるよね」
「はい、剣道の大会に出た時に私の性別を確認したいと言われて、留萌市内のC病院で検査を受けて、あんたは女と言われました。それで以降は女子の部に出るように言われました」
正確には大会で女子の部に出るように言われて、大会後に性別検査を受けさせられている。
しかし母は千里が女子の大会に出ていたなんて知らなかったので驚いていた。
「まあ多分S医大の検査はそれを踏襲することになると思うよ」
「はい」
留萌5:54-6:48深川7:18(ライラック2)8:30札幌
「だけど、こないだあんたが結婚式に出たと言ったのにも、私、心臓が停まるかと思った」
などと母は言っている。
「結婚式?」
「この子ったら、ボーイフレンドとデートしてきた後、結婚式に出たよと言ってお料理渡すから、私、てっきりこの子が結婚したのかと思って」
「小学生が結婚するわけないじゃん」
「まあそうだけどね」
「結婚は16歳以上だし」
と千里が言うと、母は、この子は“女子として”16歳で結婚するつもりなのだろうかと、また悩んだ。
「でもボーイフレンドがいるんだ?」
と桜井先生が言う。
「別れますけどね」
「なんで?」
と母と桜井先生の双方が言う。
「だって、彼、他にも彼女がいるんだもん」
「ありゃ」
「だから、私、自分が女の身体であることは言わずに、私きっともうすぐ声変わりもするし、中学では短い髪にしないといけないから、あなたの可愛い彼女ではいられなくなる。だから心の中の私は永遠に可愛い女の子でいられるうように別れようと言いました」
「ハッキリ、浮気に怒ってると言えばいいのに」
「今回それで収まっても、絶対また浮気しますよ」
「確かに、浮気する男は何度でもする」
と桜井先生は言ったが、そういう頻繁に浮気する男と、やがて自分が結婚することになるとは、この時、千里は思いもよらなかった。
病院に行くと、最初に尿を取り(千里が女子トイレに平気で入るので母が焦っている)、身長・体重に血圧・脈拍・酸素量、トップバスト・アンダーバスト・ウェスト・ヒップを測られ、採血される。
それからMRIを撮ると言われてMRI室に行く。ここで30分待ちである。
「ブラジャーにワイヤーは?」
「入ってません」
それで下着はそのままでいいことになるので、髪留めはバッグの中に入れて桜井先生に預け、検査着に着替えてMRIの中に入る。この中でまた1時間くらい検査されていた。千里はMRIは初体験になった(昨年夏の検査ではCTしか取られていない)が、ドンドンドンドンという音を聴きながら、千里はスヤスヤと眠っていた。
千里の場合“性同一性障害の疑いは無い”ので、精神科などには行かず、そのまま婦人科に行く。
最初少しお話をする。
「今胸のサイズは・・・」
と言ってカルテを見ている。
「アンダーが56cm, トップが64cmか。ブラジャーは何を着けてる?」
「A55です」
「A60でいいね。55ではきついよ。お母さんに言って買い直してもらいなよ」
「はい」
「生理はいつ始まった?」
「去年の12月です」
「定期的に来てる?」
「ほぼ28日おきに来てます」
「いちばん最近来たのは?」
「えっと」
と言って千里は手帳を確認する。
「12月2日です」
「ほんとにほぼ正確に来てるみたいね」
と婦人科医は千里の手帳を覗き込んで言った。
裸になってと言われたので全身裸になる。医師は千里の体型やバストの発達具合を観察している。それでOKと言われ、上半身は服を着てよいと言われるので上だけ着る。下半身はアクリルのフレアースカートを穿いてきているので、そのスカートなら穿いてもいいと言われ、パンティ・タイツは穿かずにスカートだけ穿いた。むろん“次の検査”のためにフレアースカートを穿いてきたのである。
「君、内診をされたことある?」
「はい、昨年1度受けました」
「じゃ内容は分かってるね。少し恥ずかしい格好になるけど我慢してね」
「はい」
それで内診台に乗せられ、下半身を持ち上げられ、お股を広げられて“内部”を観察された。しかし・・・これは何度されても恥ずかしいぞ。
内診が終わり、パンティとタイツを穿いていったん診察室を出る。婦人科のロビーで母および桜井先生と待機する。20分ほど待ってから母と一緒に呼ばれ、2人で診察室に入る。
婦人科医は笑顔である。
「お嬢さんはどこをどう見ても完全な女性ですので、ご安心下さい」
と医師は言った。
「それはその・・・いわゆる半陰陽というやつでしょうか」
と母は訊くが医師は否定する。
「半陰陽ではありません。事情をお聞きすると、戸籍上は男性として登録されているということですが、単純な間違いと思われますから、家庭裁判所に申請して訂正してもらってください。何か手続き上のミスがあったんでしょうね」
母は狼狽している。
「ほんとに女なんですか?」
「MRIで見ると卵巣・卵管・子宮・膣が普通にあります。外陰部も大陰唇・小陰唇・陰核があり、尿道口は普通の女性の位置に開口しています。性ホルモンについても、エストロゲン・プロゲステロンともに成人女性の標準値です。この年齢の女子にしてはむしろ多すぎるくらいですね。卵巣の働きがとても活発なようです。月経もちゃんと定期的に来ているし、乳房も急速に発達しているようですね」
「あんた生理あるんだっけ?」
「あるけど」
「・・・・・」
「一方男性ホルモンは低く、これも女性の標準値の範囲です。念のため遺伝子も確認しましたが、普通に女性の性染色体XXです」(*18)
(*18) 千里の性染色体については、ほとんどのケースでXXと判定されるし、性染色体を見抜いて天然女性と性転換者を識別できる天津子にもXXに見えるが、何度かXYと判定されたこともある。冬子は千里のY染色体は不活性(PCRで増幅されないので検出困難:時々こういう人がいる)か、あるいはひょっとして千里は実はモザイクなのではと想像している。羽衣は本当の状態を知っているようだが、誰にも言わない。丸山アイはのんびりした性格なので、千里の性染色体のことは考えたこともない!
医師は説明を続ける。
「外見も観察させて頂きましたが、女性のボディラインです。全体的に丸みを帯びて肩も撫で肩です。脂肪の付き方も女性的です。どこにも性別を疑う余地はありません」
まあそんなものだろうなと千里は思ったが、母は完璧に混乱している。
「だったらどうしたらいいんでしょう」
「診断書を2枚書きます。1枚は学校に提出して、学籍簿上の性別を訂正してもらって下さい。もう1枚は家庭裁判所に必要書類と一緒に提出して戸籍上の性別を訂正してもらってください」
「はあ」
と母は返事しているが、思考停止してるなと思った。
「あ、そうそう。ブラジャーは今A55を付けているということですが、A55では小さいですから A60を買ってあげてください」
「あ、はい」
それで診察室を出た。
「どうだった?」
と桜井先生が訊く。
「どこをどう見ても女だと言われました」
と千里。
「まあそうだろうね」
と言って桜井先生は笑っている。
「だって、千里ちゃんの古い友だちに尋ねると、みんな異口同音に言うよ。千里ちゃんと一緒にお風呂入ったことあるけど、間違いなく女の子でしたよって。私の推測では、千里ちゃんは少なくとも3歳頃には既に女の子だった」
「まあそういうこともあるかも知れませんね」
「お母さん、千里ちゃんのちんちん見たことあります?」
「2歳頃までは確かにありましたけど」
「きっとその後、無くなっちゃって女の子の身体に変化したんですよ」
「そう言われると、そうかも知れない気がして来た。小学校にあがって以降、この子にブリーフとか買ってないし。買っても穿かないから。仕方なく女の子用のショーツ買ってました」
「女の子の身体なんだから、ブリーフとか穿けませんよね」
実際には母が千里にショーツしか買わなくなったのは、小学3年生頃からなのだが、このあたりは津気子も記憶が曖昧である。ショーツしか買わなくなったのは家庭の経済事情である。家計が厳しいので、どうせ穿いてくれないものは買わなくなった。
10分ほどで婦人科の受付で呼ばれ、診断書を2通渡された。開封無効なので決して開封しないよう言われる。念のため診断書の内容のコピーももらった。その後、1階の精算所に行き、桜井先生が支払いをしてくれた。学校に出す方の診断書は桜井先生が
「これ私が預かっていいですか?」
と言うので、母も(思考停止しているが)
「よろしくお願いします」
と言って先生に渡した。
「弁護士事務所に行きましょう」
と桜井先生は言い、予め調べていたのだろう、札幌市内の法律事務所に行く。そして弁護士さんとお話をした。
「なるほど。半陰陽とかではなく単純ミスの修正ですね」
「そうなんですよ」
「分かりました。戸籍謄本を取ってもらいたいのですが」
「取ってきました」
と言って千里は昨日の内に留萌市役所で取得しておいた、戸籍謄本の写しを提出する。そんなものが用意されていたことに母が驚いている。桜井先生も驚いている(千里は必要なものが予め分かっている)。
(津久美の場合は裁判所まで行ってから戸籍謄本が必要なことが分かり、留萌に戻ってからすぐに取って郵送している)
「ではこことこことここに署名を頂けますか?」
と言われたので、千里と、親権者である母が署名した。
「ではこれで旭川家庭裁判所に提出します」
「よろしくお願いします」
それで千里の戸籍は女性に訂正されることになったのである。
弁護士事務所を出た後、千里が母に新しいブラジャーを買って欲しいというので、桜井先生に少し待っていてもらって(実は疲れているだろう桜井先生を休ませるのもひとつの目的)、千里と母の2人でジャスコのランジェリー売場に行く。千里が堂々とランジェリー売場に入っていくので母は頭がくらくらしている。売場のお姉さんに再度サイズを測ってもらい、これは確かにA60ですねと確認してもらう。それで千里はピンク、ベージュの、わりと安いブラ、それに少し値段は張るが、お姉さんに言って出してもらったスポーツブラを1枚、母に買ってもらった。これは体育の時間用である。
帰りも切符は桜井先生が買ってくれて(実際の費用は校長と教頭が折半して出してくれている)、JRで留萌に戻る。
札幌17:00(スーパーホワイトアロー21)18:01深川18:05-19:03留萌
「千里ちゃん、去年性別診断受けた時に診断書もう1枚もらってそれを学校に提出してたらもっと簡単だったのに」
「すみませーん」
「でも父ちゃんには何て言おう?」
と母が悩むように言う。
「何も言わなくていいと思うよ」
と千里。
「それに賛成」
と桜井先生。
「どうせお父ちゃん戸籍なんて見ないし」
「確かにそうかも」
と母は少し安心したようである。
「我妻先生にお伝え頂けますか?『村山さんは女子になりましたので、女子のみなさん仲良くしてあげてね』みたいなお披露目はしないで欲しいと」
と千里。
「OKOK。伝えておく。そもそもあんたみんなから既に女子としか思われてないからね」
と桜井先生。
「そうなんですけどね」
帰りの汽車の中では、千里と桜井先生は楽しく会話していたが、母は終始悩んでいるようであった。しかし翌日、12/11付けで、千里の学籍簿は“誤って女子として登録されている状態”から“正しく女子として登録されている状態”に変化したのであった。
その日体育の時間に着替えていると、ひとりの子が優美絵のブラジャーに気付いた。
「ゆみちゃん、ブラジャーが変わってる」
「日曜日に新しいブラジャー買ってもらったぁ。これB60」
「B!?」
というので、みんな大騒ぎになる。
「ゆみちゃん凄い速度でバストが発達してる」
「なんかそういう時期があるんですよって、売場のお姉さんが言ってた」
そんなので騒いでいたら、別の子が千里のブラにも気付く。
「千里がなんか凄いブラ着けてる」
「これスポーツブラ。でも取り敢えずお試しで買った安物だよぉ。私もバストサイズが急成長してるから、春くらいに本格的なスポーツブラ買うつもり」
「これサイズは?」
「A60」
と答えてから、千里は優美絵に言った。
「ゆみちゃん、そこまでおっぱい大きくなったら、体育の時間にはスポーツブラつけた方がいいよ。でないと、おっぱいが邪魔になって動きづらくなるよ」
「そういうもん?」
「でもスポーツブラって高いよね?」
と恵香が言う。
「私が着けてるのは安いやつだから4000円」
「安くて4000円なのか!?」
「るみちゃんが着けてるのは本格的なのだから6500円」
「きゃー」
「お金は掛かるけど、しっかり押さえないと、バストを痛めるよ」
「ちょっとお母ちゃんに相談する」
と優美絵は言っていた。
実際この日の体育では、千里が比較的よい動きをしたのに対して、優美絵はどうも身体が思うように動かないようで
「バストが重しになる〜」
と言っていた。
12月13日(金).
「今日は13日の金曜日だ」
「殺戮の臭いがする」
などと言っている子たちがいた。
「こないだも13日金曜日だったね」
「ああ、熊ちゃんを食べた日ね」
などと言っていたら、玖美子が
「13日は金曜日が多いんだよ」
と言う。
「そうなの?」
「400年間に閏年は何回あるか知ってる?」
「4年に1度だから100回?」
「ブッブー。不正解。4で割り切れる年は閏年だけど、100で割り切れる年は平年で、400で割り切れる年は閏年」
「分からん」
「だから、閏年は400年間に97回あるんだよ」
「へー」
「だから400年間の日数は、 366×97 + 365×(400-97) = 146097 となる」
と玖美子が電卓を叩いて出すと
「よくメモせずにそんな計算を電卓でできるね」
と恵香が感心している。
「この電卓は数式通りに計算してくれるから掛け算優先・括弧優先で計算する」
「すごーい」
と(千里以外は)感心した!
(“数式通り”でない電卓の場合は、400-97×365= M+. 366×97= M+, MR と操作すればいいが、頭の中がかなり数式を組み替える必要がある)
「それでこの結果を7で割ってみると 20871 となって端数が出ない、つまり400年間の日数は7の倍数だから、曜日のパターンは400年ごとに繰り返される。だから実際に400年間の曜日の数を数えてみればいい」
「すごーい」
と(千里以外は)感心する。
「それ400年間のカレンダーを印刷して頑張って数えるの?」
と千里は訊く。
「まさか。全部コンピュータにカウントさせる」
「そんなことできるんだ」
と千里は感心しているが
「そういうのこそ、コンピュータの得意分野」
と美那は言っている。
「それで実際に計算させたのが、これ」
と言って、玖美子はランドセルからすごく小さな可愛いパソコンを取り出した。
「それ可愛い」
「可愛いけど、本格的なWindows98SEが動くマシンなんだよ。東芝のリブレットっていうんだよ」
「すごーい」
それで玖美子はそのリブレットを起動し(昔のマシンはすぐ立ち上がってくれた)何か操作していた。そして
「あったあった」
といって、1枚の表を開いた。
その表に書かれているのは、1-31日の各日付の曜日数を数えたもののようである。13日の所にはこう書いてあった。
13| Sun 687 Mon 685 Tue 685 Wed 687 Thu 684 Fri 688 Sat 684
「という訳で13日は金曜日がいちばん多い」
「いちばん少ないのは木曜と土曜か」
「でも差があるといっても400年間に4日なのね」
「そそ。微妙な差だよ」
「バストが68.1cmと68.2cmで僅差のようなものか」
「それ朝と夕方でも違う気がする」
「メジャーの当て方でも違うね」
「トップバストは緩く当ててもらう。アンダーはきつく当ててもらう」
「ふむふむ」
特に大量殺人も起きずに、ヒグマの襲撃も起きずに、給食も終わって昼休みに入った所で校内放送がある。
「5年生・6年生の男子、寒くない服装をして海岸に出て下さい」
海岸!?
呼び出されたのは男子だけだが、女子も見学に行く。見るとS中学校の男子生徒、P小の高学年の男子生徒も来ているようだ(少し遅れてS高校の生徒も来た)。そして漁協の組合長さんがいる。
「みなさん、申し訳無い。地引き網の巻上機が故障してしまって、大変申し訳ないのですが、網を引くのを手伝ったもらえないでしょうか」
「え〜〜!?」
と声があがるが、楽しそうに網の所に行く子たちも居る。我妻先生が留実子に言った。
「花和“君”も参加しておいでよ」
すると留実子は嬉しそうに「はい」と答えて、海岸に降りて行った。
「さあさあ、女子のみなさんは、炊き出しをしますよー」
「え〜〜!?」
それで千里も含めた5-6年生女子は、調理室に行き、お米を研いで炊飯ジャーをセットし、一方で暖かいお味噌汁を作り始めた。お味噌汁ができた所で6年生の子たちがそれを海岸に運んでいき、紙の器を使ってどんどん男子たちにふるまった。5年生たちは御飯が炊き上がったところで、どんどんおむすびを作り、6年生がまたそのおむすびを海岸に運んだ。
「6年生の方が体力使ってる気がする」
「だから6年生にしてもらってるのよ」
「なるほどー」
津久美も5年生女子として、頑張ってたくさんおむすびを作っていた。
一方海岸では、技術者さん(?)たちが網の巻取機の修理をしているようだった。
網の地引き作業が終わると、漁協さんから
「ありがとう」
と言って、参加者と、炊き出しをしてくれた女子にも、ビニール袋に入れたお魚が配られた。
「今日の晩御飯だ」
「今日の13日金曜日はお魚の大量殺戮だったのか」
12月14-15日(土日)には、ソフトボール部で、6年生の送別試合が行われた。学校の除雪機を借りて、部員の保護者が校庭の除雪作業をして使えるようにした。それでも雪は残っているので塁間の線は無しである。場外ラインだけ、青色のマーカーで引いた。
しかし雪のせいでボールがほとんど弾まない!すぐ停まるという絶好?のコンディションとなった。
それで6年生vs4-5年生で対決するが14日は千里、15日は杏子が6年生側のピッチャーとなった。
14日の試合で千里はエラー(雪の上では不可避!)でランナーを2回出したものの、後続を断ち、ノーヒットノーランを達成した。こないだ買ってもらったスポーツブラのおかげで、身体がよく動くと思った。女子はこれからどんどん運動に不向きな身体に変化していく。しかし千里の球を打てなかった4-5年生たちは
「あんな球打てませんよー」
「普段より速くないですか?」
などと言っていたが
「大会に出ていけば、上位のチームのピッチャーは私なんかよりずっと速いよ」
と千里は言っておいた。
むろんこれまでより速かったのはブラのおかげである。
そして翌日。雪が融けて一応地面は露出したものの、ビチャビチャ(但し一部再凍結!)のコンディションとなっている。この日は杏子が投げたが、4-5年生は三振の山を築く。杏子と交替でショートに入った千里のファインプレーが冴える。実はこの日千里は(昨日の靴がびしょ濡れだったこともあり)晋治が小学4年生の頃に使っていた靴をもらっていたのを使ったので、この状態の悪いグラウンドでもきれいに走ったり停まったりできた。それでとにかく守備範囲が広いし、キャッチするとファーストに正確で矢のように速い送球をする。それで1人もランナーが出ない、完全試合となった。
「4-5年生は冬休みは合宿だな」
と右田先生が言うと
「きゃー」
という声があがっていた。
(この日使った靴をあとで洗うのが大変だった!)
12月16日(月)は放課後に、剣道部で6年生の送別試合をした(板張りなので冬季は足袋を履く:でないと凍傷になりかねない)。男子は人数が多いので、4-5年生チームvs6年生チームで団体戦の要領で試合をしたが、女子は人数が少ないので、6年生2名vs4-5年生7人による総当たり戦で試合(2x7=14試合)をした。
結果は、千里も玖美子も全勝である、この日の試合でも千里はスポーツブラのおかげで身体がよく動いた。
「先輩たち強すぎる〜」
などと如月が言っていたが、角田先生は
「4-5年生は冬休みは合宿だな」
と言い
「きゃー」
という声があがっていた。
「よかったら6年生も出て来てよ。指導係として」
「いいですよ」
結局私たちも合宿することになるのか。
12月17日(火).
旭川家庭裁判所から呼び出しが来たので、千里はひとりでバスに乗って旭川まで行ってきた。裁判所の指定が「本人ひとりだけと面談したい」ということだったのである。これは親の意向に左右されない素直な本人の気持ちを確認したいからだろうと桜井先生は言っていた。
本人だけに面談する場合も、普通なら裁判所まで親が送っていくものだが、母は「仕事休みたくないから。悪いけどあんたひとりで行ってきて」と言って往復運賃とお昼代をくれたので、バスで行って来た(多分パートのお給料を少しでも増やさないとヤバいのだと思う)。
留萌駅前7:06-9:10旭川駅前
駅前からは市内バスでは迷いそうなので素直にタクシーに乗って裁判所まで行った。
面談は10時からの指定だったのだが、面談した判事さん(女性)は小学生の千里が1人で来たと聞いて驚いたようである。帰りはおとなの人に付き添ってもらってというので、美輪子叔母に連絡し、迎えに来てもらえるように頼んだ。
判事さんとは半ば雑談のような感じで話をした。向こうとしては“普段着の”千里の様子を確認したかったようである。
「そうですね。戸籍が男だからずっと男子として扱われてはいたものの、実際には物心ついた頃から自分が男だなんて思ったことは1度も無いし、周囲の子たちも私のことは女の子だと思っていました。小さい頃から温泉なんかも、女子の友人たちと一緒に女湯に入ってました」
「じゃ性別は疑いようもない」
「学校で男子の列に並ばされるから、女子の友だちからは『なんで男子の列に並んでるの?』と言われるし、男子からは『お前女の列に行けよ』と言われるし、トイレも女子トイレにしか入れなかったし」(*19)
「まあ女の子には男子トイレは使えないよね」
「妹まで『なんでお兄ちゃんって女なのにお兄ちゃんなの?』と言うし」
実際千里のちんちんを見ているのは、生まれた時のお医者さん・助産師さん、乳幼児健診の際の保健師さん、それにおむつの交換をしていた母くらいである。千里は3歳の頃以降、一度も誰にも、ちんちんは見せていない(半分は小春の力にも頼っている)。玲羅は千里にちんちんが“付いてない”のを何度も見ている。父は1度もちんちんを見たことがないはずである。父は子供のおむつを交換したりする人ではない。その1度もちんちんを見てない父が最も頑強に千里に男を強制するのも不思議だ。
「じゃ君のこと男の子だと思ってたのはご両親くらいなんだ!」
「だと思います。父は漁師なんで、私を跡継ぎの漁師にしたかったみたいですけど、そもそも私船酔いするし」
「そりゃ漁師になるのは厳しいね」
と判事さんは笑っていた。
そんな感じで、判事さんとは1時間ほど楽しく会話して面談は終了した。その後、美輪子叔母が迎えに来るまで裁判所内に留め置かれ、お昼休みに美輪子が迎えに来てくれたので、それで引き取られて裁判所を出た。
(*19)千里は話を脚色している。千里は幼稚園では女子トイレを使用していたが、小学1-3年の頃は結構男子トイレを使用していた(女子トイレを使っても咎められなかった)。4-6年生頃については本人は「男子トイレを使っていた」と言うが、蓮菜や留実子は「いや、女子トイレしか使ってない」と明確に否定する。どっちみち判事さんとの会話では自分が有利になるように脚色している。
「あんた、裁判所に何の用事があったの?ブラジャー万引きしたとかじゃないよね?」
と美輪子から言われる。
「まあかぁ。ブラジャーくらいちゃんと自分で買うよぉ」
と千里。
「確かにあんた、母ちゃんよりお金持ってそうだし」
「さすがにそこまではない」
(千里は毎月遠駒貴子さんから振り込まれている金額を知らない)
「私の戸籍上の性別が女に変更されるかも」
「ほんと!?」
「私が男と登録されたこと自体が誤りなんだって」
「確かにそれは納得する。あんたはどこをどう見ても女だもん」
「札幌のS医科大でもそう言われた。半陰陽でさえないって」
「確かに確かに。あんたには男の要素が全く無い」
「それは自覚してたけどねー」
「そしてあんた男の子の気持ちが全く分かってない」
「蓮菜とかからもよく言われる」
結局、美輪子の職場近くの大衆食堂で400円!の天麩羅定食(並)をおごってもらい、「仕事に戻らないといけないから」ということで、バス停の場所だけ教えてもらい、(駅前までの)バス代までもらって別れた。美輪子にはよくよくお礼を言っておいた。
お昼代を結局使わなかったので、それでお土産に「き花」を買った。
そして午後のバスで留萌に戻った。
旭川駅前15:00-16:57留萌駅前
12月23日(祝).
もう冬休みが目の前であるが、この日は天皇誕生日の祝日で学校は休みである。
千里を含むN小合唱サークルのメンバーは市民体育館に集まった。この日行われるクリスマスイベントに出演するのである。これが6年生にとってはラストステージになる。
この日は月曜だが祝日なので、父の船は明日火曜日に出港する。それで父が家にいることもあり、千里は中性的な格好で出掛け、現地で合唱サークルの制服に着替えた。
「津久美ちゃん、冬休みに女の子になる手術受けるんだって?」
「そうなんです。既に病院で『あんたは女』って診断書もらったから、それで学校の書類も戸籍も既に女に訂正済みなんですけど、冬休みにちんちん切ってもらって完全な女になります」
「ちんちん付いてても女なんだ!」
「卵巣・子宮・膣があるから、間違い無く女らしいです。ちんちんに見えるのは実際にはクリトリスが何らかの原因で肥大化したものらしいです」
「ちんちん切るの惜しくない?」
「ちょっと」
「逃亡するなら今の内だよ」
「どこに逃亡するんですか〜?」
今年のイベントは予算があったのか、全員にケーキとシャンパンまたはシャンメリー(子供は当然シャンメリー)が入口の所で配られた。蓮菜は大人びた雰囲気があるので誤ってシャンパンを渡されたが、匂いで気付いて申告し、シャンメリーに交換してもらった。
「飲んでから『うっかり飲んじゃったけど、これお酒だったみたいです』とか言ってシャンメリー追加でもらえば良かったのに」
「さすがに馬原先生から叱られる」
「でも飲めるんでしょ?」
「母ちゃんから叱られて禁酒中」
「まあ小学生には早い」
みんな席に付いてから「おいしい、おいしい」と言ってケーキを食べた。
「黄金屋のケーキかな」
「こっちのはディーベルトのケーキだと思う」
「留萌のケーキ屋さん総動員なのかも」
「もうこれでクリスマスは終わったな」
この日のプログラムはこのようになっている。
F幼稚園 ジングルベル・おおきなふるどけい
留萌商工会女声合唱団 アデステフィデレス、ファーストノエル
THE RUMOI BAND (支庁職員有志のバンド)
V小学校吹奏楽部
広中恵美オンステージ(1)
A菓子屋(バンド)
お元気会集団演技
N小学校合唱サークル ホワイトクリスマス・キツネの恋の物語
広中恵美オンステージ(2)
クリスマスツリー点灯式
留萌商工会女声合唱団は昨年のクリスマスイベントでは体育館の電源が落ちてしまって演奏できなかったので、今年は先頭の幼稚園の子たちの次に持って来た。また広中恵美ちゃんも昨年2度ステージをする予定が停電で1度しかできなかったので今年こそ2度ということで、またお願いした。彼女は昨年所属していたアイドルグループ“色鉛筆”をこの春に卒業したものの、卒業した後の方が売れている。夏に出したソロデビューシングル『ハートが勝手に動く』は26万枚を売るゴールドディスクとなった(*20).
色鉛筆本体はいまだにゴールドディスクが無いのに!
色鉛筆は昨年卒業した吉田セリカちゃんもソロデビューを成功させており、色鉛筆はひょっとすると、歌手養成学校かも知れないという意見も出て来ているようである(実際メンバーは毎月レッスン代を払っているので、ギャラがそれに満たない子もいる)。むろんソロデビューしても売れなかった子の方が多い!!
(*20)現在では10万枚でゴールド、25万枚でプラチナだが、2003年6月までは20万枚でゴールド、40万枚でプラチナであった。当時はトリプルプラチナはミリオンより多い120万枚だった。90年代の“CDバブル”が終了したのに伴い、適正基準に改訂されたものと思われる。
(2000年以降さかんに“CD不況”と言われたが、実際には1990年代後半が異様に売れすぎただけのことであると思われる)
A菓子屋(あかしや)は、留萌市および周辺の町出身の4人組の大学生バンド(V&B.女 V&KB.女 Gt.男 Dr.男/ベースの子がリーダーで作曲も手がける。男子メンバーもいるのに女子がリーダーなのは結構驚かれる)で、普段は札幌市内で活動している。名前はメンバー4人が全員、お菓子屋さんの息子・娘であることと、留萌市の木がアカシアであることに掛けている。
N小の出番は後の方なので、ゆっくりと待つ。昨年は漁協の団体さんが来ていて父も会場にいたので焦ったのだが、今年は漁協の団体さんはいたものの父はおらず安心して、コーラスサークルの制服(ペールピンクのチュニック+えんじ色のスカート:冬季はお揃いの黒のタイツを履く)を着ておくことができる。客の中に、父の同僚の漁労長・岸本さんはいたが、岸本さんはそもそも千里のことを女の子と思っているので全く問題無い。笑顔で挨拶しておいた。
(父の友人で千里を男の子と思っている人は1人も居ない。父と馬が合いよく一緒に飲んでいる神崎さんなども父からよく“息子”のことを聞いているが、千里とは別に男の子もいて子供は3人と思い込んでいる!神崎さんの奥さんは“正しく”娘2人と思っている)
(岸本さんと父は元々相性が悪いのであまり話をしない。ただ、船上で機関長と漁労長が喧嘩したら船の安全運用に支障が生じるので、ふたりとも大人として表面上は穏やかに付き合っている。船長の鳥山さんが器量の大きな人で対立しやすいふたりを双方うまく立ててあげているのもある。また千里の母にしても岸本さんの奥さんにしても相互に年賀状・暑中見舞い、中元・歳暮を欠かさず、どこかに行ったらお土産を買ってきたりで、両者の関係を良好に保つ努力を日々している)
昨年は途中でビンゴ大会をしたのだが、今年は何かあった時のために早めに進行させようというので、入場時に渡した整理券でコンピュータによる抽選が行われ、広中恵美ちゃんの1回目のステージの後、当選番号が発表された。当たった人は手をあげてもらい、動員している高校生のボランティアスタッフ(昨年千里たちが着たサンタガールの衣裳:動員されているのは多分女子高生のみだと思う)の手により商品が渡された。
千里は旭川ラーメン村のパスポート2枚セットが当たって、びっくりした。
抽選会の後、A菓子屋の演奏を楽しんでから席を立ち楽屋口の所でスタンバイする。お元気会の演技が終わった所でスタッフの人がステージ上に壇を並べ、グランドピアノ(ヤマハのかなり年代物)を引き出す。
ピアノの前に美那が座り、香織も隣に座って譜めくり役になる。今日は蓮菜に指揮して(指揮しながら歌って)と言われていたので、全員が並んだところで黒いスーツを着た蓮菜が入ってきて、会場に一礼。美那とアイコンタクトをして最初の曲『ホワイトクリスマス』の演奏が始まる。
英語歌詞だが、英語の読めない子たちには片仮名歌詞が印刷された譜面を配って覚えたものである。千里や蓮菜たちは英語は全く問題無かった。
それが終わると、映子が篠笛を持って指揮者の横まで出てくる。そして『キツネの恋の物語』を演奏した。
会場のほとんどの人が知らなかった曲だと思うが美しい掛け合いとハーモニーにみんな聴き惚れていたようで、演奏中会場内の雑談も停まり、静かに聴いてくれた。そして演奏が終わると物凄い拍手があった。
それでN小の子たちがステージを降りた後、下手から入ってきた広中恵美ちゃんも拍手をしながら
「素敵な歌でしたね」
と言ってくれた。
そしてこの日2度目のステージを務めた。
その後、大きなクリスマスツリーのランプのスイッチを恵美ちゃんが入れてクリスマスイベントは無事終了した。
千里たちは体育館の女子更衣室で普段着に着替え退出した。制服は洗濯した上で6年生は3学期はじめに返却することになっている。
12月24日(火).
千里が学校から帰ると母が
「中学から就学通知が来てたよ」
と言って見せてくれた(実際には中学ではなく教育委員会から来たもの)。
就学通知書
下記の通り、お子様の入学される学校を通知いたします。
入学日時:後日通知
学校名:留萌市立S中学校
児童名:村山千里
性別:男
生年月日:平成3年3月3日
S中学校では、1月26日(日)に入学予定者向けの説明会を行いますので、進学の可能性がある方はぜひご出席ください。なお私立に進学する方は1月中に教育委員会または所属の小学校にご連絡ください。
性別:男、と書かれているの嫌だなあと思う。
案の定母は
「性別の変更は却下されたのかねぇ」
などと言っている(きっと却下して欲しいんだ)。
「まだ審理中なんだと思うよ」
と千里は答えた。
この日はクリスマスイブなので、普段の年なら放課後、蓮菜の家に集まるのだが、蓮菜は来月上旬にある私立中学の入試に向けてお勉強で忙しい。それで千里は玲羅を連れて神社に行った。大神様が
「千里の妹は美事に霊感が無いな」
などと呟いているのは黙殺する!
(玲羅は“普通の人”よりは充分霊感があるが、千里と比べたら無いに等しい)
神社には、恵香・美那・穂花、更には留実子まで来ていた。小町がクリスマスケーキを買ってきていたので千里・玲羅・小春も入れて8人でケーキを取り囲んだ。
「神社でキリストさんの誕生祝いとかしていいんだっけ?」
と穂花が少し心配して言うが、小春は
「誰の誕生日でもめでたい」
と言う。
「そもそもクリスマスはキリスト教とは無関係だし」
「そうなの!?」
「元々は冬至祭だよ。ヨーロッパの古いお祭り。キリスト教からすると異教のお祭りだから、中世には何度もクリスマス禁止令が出され、サンタクロースに死刑判決が出て、サンタクロース人形が火あぶりにされたりしている」
「うむむ」
「だいたいキリストの誕生日は12月25日ではなく、本当は5月20日らしい」
「へー!」
(2世紀の神学者“アレクサンドリアのクレメンス”の研究による)
「キリスト教のお祭りといったらイースター(easter)、日本語でいえば復活祭だよ」
「そっちかぁ!」
「カーニバルというのは?」
「イースターの前祭りみたいなもの。イースターの前40日間は四旬節といって肉食が禁止されるから、その四旬節の前にたくさん肉を食ってどんちゃん騒ぎしようというのがカーニバル(carnival)、日本語でいうと謝肉祭。だから、イースターの41-48日前くらいにやる。国や宗派によっても期間は違う」
「お肉食べられないって大変だね!」
「現在では厳格な宗派以外ではほぼ無視される」
「ああ、外人さん、肉好きだもん。耐えられないよね。日本人なら肉食禁止にも耐えられるかも知れないけど」
「うちでは食卓にお肉やお魚が載ることはめったにない」
と留実子が言うと
「大変ね!」
とみんな言う。
ちょうど8人なので、ケーキを8分割し、シャンメリーを開けた。小春がケンタッキーフライドチキンをたくさん買ってきていたので、それも食べる。それで楽しいクリスマスイブを過ごした。
(ケンタッキー留萌店は2014年3月まであった)
玲羅は
「お肉だ、お肉だ」
と言って喜んでチキンを3本も食べていたので
「千里んちは、相変わらずだね」
と恵香が言っていた。
「きっとぼくの家よりはマシ」
と留実子が言うと
「そちらも大変ネ」
と穂花は言った。留実子は5本くらい食べていた。
「そうだ。るみちゃんこれあげるよ」
と言って、千里はクリスマスイベントで当たった、旭川ラーメン村のチケット2枚セットを留実子に渡した。
「これ抽選で当たったんだよ」
「へー。ありがとう」
と言って中身を見ている。
「凄い。これ1時間以内なら、全ての店で1杯だけ好きなラーメン食べられるんだ」
「へー。そうなんだ」
「あそこお店8つあったっけ?」
「つまりラーメン8杯食べられるということじゃん」
「でも1時間ならせいぜい2杯じゃない?」
と千里は言うが
「いやぼくなら8杯食べる」
と留実子は言う。
「どうも正しい人に譲ったようだ」
「知佐と2人で行ってこよう」
「鞠古君はせいぜい3杯だろうな」
「というか普通は3杯が限度だと思う。普通の女子は2杯が限界」
「ぼくは男の子と女の子兼ねてるから8杯行く」
「どういう計算なんだ?」
「2の3乗で8かもね」
と美那。
「一応1時間以内に8杯目のオーダーを入れたら食べる時間は1時間を少しオーバーしてもいいみたいね」
とチケットの裏の説明を見て穂花が言う。
ともかくも留実子はラーメンを食べに、鞠古君と2人で旭川まで行ってくるつもりのようだ。交通費の方がかかりそうだが、デートなのだろう。
なおチキンの最終的に残ったものも
「るみちゃん持って帰りなよ」
と恵香が言い、留実子も
「お言葉に甘えさせてもらう」
と言って持ち帰っていた。
きっと花和家の明日の晩御飯になる。
12月25日(水)は終業式であった。学校は明日から長い冬休みに入る。
終業式は体育館で校長先生の話を聞いた後、各自教室に入って通知簿(あゆみ)と身体測定表を受取る。千里は通知簿は音楽と体育以外、1の羅列なので(*21)溜息をついて閉じ、身体測定表を見ていた。
そしてドキッとする。先頭の氏名の横の性別は“女”という表示である。これまでも“女”という表示だったが、それは実は誤りだった。でも今回からは“正しく‘女’になった”んだよなと思うと感慨深いものがあった。チラッと留実子を見ると辛そうな顔をしている。前回までは“男”と書かれていたのが“女”になってしまったのが辛いんだろうなと思った。
(*21) 千里は3年生までは全ての科目が1だったが、音楽は4年生以降、馬原先生の担任になってから4を付けてもらえるようになった。千里の音楽的才能は音楽的な才能のある人にしか分からない。体育は3年生までは1だったが、4年生になって桜井先生の担当になってから2または3を付けてもらえるようになる。そして今学期からは“男子”としてではなく“女子”として評価されるようになったので今回初めて5をもらった。また英語は一貫して4である(5でないのは千里の英語は文法がめちゃくちゃだから)。
津久美は終業式の後の教室での通知簿渡しで、“あゆみ”と一緒に渡された身体測定表を見ていて、名前の横の性別欄が前回までは“男”と印刷されていたのが今回“女”になっているのを見て、ドキッとした。
私・・・女になったんだ。私、ほんとに女でやっていけるかなぁ。
津久美は少し不安を覚えた。でもセーラー服で通学したいというのも自分から言い出したことだ。頑張ろうとあらためて思い直した。
学級会が終わった後、迎えに来てくれていた両親の車に乗って札幌に向かった。学校が終わったのが11時頃たったので、札幌のS医大には13時すぎに到着した。診察券を提示し、そのまま入院する。
この日は入院着(女子なのでピンクの甚平+ズボン)に着替えてから、尿を取り、身長・体重・血圧などを測り採血してから、心電図を取った。そして夕方4時頃に早めの夕食を取る。この後は手術が終わるまで食事も水分も取れない。
20時頃になって、医師の診察を受ける。あらためて手術に関する説明を受け、同意書に、津久美と父が署名した。
津久美はお腹も空くので21時には寝てしまった。
12月26日(木)朝。
津久美は爽快に目を覚ました。あぁあ、とうとう今日でおちんちんともお別れかと思う。まあいいよね。自身の性別認識は正直に言うと男に近いけど、女としても生きていけると思う。昨日までは不安もあったけど、一晩寝たら吹っ切れた。多分自分は心理的には男7女3くらいかもという気がしていた。
そんなことを考えながらトイレに行く。津久美は当然女子トイレを使う。個室に入り、便器に座っておしっこをする。この身体から直接おしっこが出る感覚にもだいぶ慣れたなと思った。それでペーパーで拭こうとして「?」と思う。
邪魔なものが無いのである。
「え?」
と思い、指でその付近を触ってみる。
「嘘!?」
無くなってる・・・・・
「なんで無くなっちゃったの〜〜?」
これまではちんちんが付いてるのでおしっこした後を拭く時、手が必ずちんちんにぶつかっていた。ところがそれが無いので、邪魔になるものが無く、スムーズに拭けるのである。
津久美はしばらく考えていたが・・・
考えないことにした!
津久美は個室に入院している。入院期間中に読もうと『名探偵コナン』39巻を持ち込んでいたので(段ボール箱に入れて、お父さんが運んでくれた)、それを読み始めた。
朝7時頃、看護助手のおばちゃんが来て、体温と脈拍を測っていった。
7時半頃、再度トイレに行き、おしっこを済ませた後、診察に備えて、あの付近をウェットティッシュできれいに拭いた。なんか“これ”ちんちんより気持ちよくない?身体の髄から感じる快感というか。
8時頃、呼ばれて診察室に行く。それで津久美は病院着のズボンとショーツを脱ぎ、そこを見せた。
「え!?」
と先生は声を挙げた。
「どうして無いの?」
「分かりません。朝起きたらこうなってました」
「昨夜の診察の時はあったよね?」
「ありましたよね」
「ちょっと待って」
と言って先生は津久美の割れ目ちゃんを開き、中を観察している。
「これクリトリスだよね?」
「触られると感じるのでクリトリスだと思います」
「肥大化していたクリトリスが自然に縮んだ?」
「そうとしか思えないよなあと私も思っていた所です」
「ちょっと君、あらためて検査しよう」
それで手術はいったん中止となり、津久美はまたMRIに入れられたりして徹底的に検査された。
出た結論。
津久美は完全な女性であり、男性的な痕跡は全く無い。
ということで「手術の必要無し」という診断書を書いてもらって、夕方そのまま退院となってしまったのである!
ただ、お父さんはまさか今日退院になるとは思ってもいなかったので、既に留萌に帰っている(母は札幌市内のホテルに泊まっていて、連絡を受けて驚きすぐ出て来た)。結局、病院側と話し合い、今夜は病院の病室に泊まり、明日父に迎えに来てもらって退院することにした。
そういう訳で、津久美の読書はほとんど進まないまま、退院することになってしまったのであった。
津久美が27日(金)、診断書を提出に学校に出て行くと、馬原先生がびっくりして尋ねる。
「もう退院したの?」
「手術は中止になりました」
「ちんちん切るのやめたの?」
「切らないというか、切る前に勝手に消滅してしまったので」
「えぇ〜〜〜!?」
その場に担任の中沢先生、教頭先生、更に祐川先生と校長まで来たので津久美は事情を説明した。
「でも確かに自然に陰嚢が消滅して陰唇が出来たのなら、その続きで陰茎まで自然に消滅しても不思議ではないかもね」
「病院の先生は不可解だと悩んでましたけど、私は痛そうな手術受けなくて済んで助かりました」
「確かにちんちん切る手術って痛いだろうね」
「女には分からない痛みですけどね」
「あまりその話しないでよ。聞いただけで痛くなってくる」
ということで、津久美は何の手術もせずに(と思っている)、完全な女性に生まれ変わったのであった。
2ヶ月前の10月12日夜、きーちゃんは余命半年の千里の願いだし、津久美の去勢くらいしてあげてもいいかと思い、津久美をいったん亜空間に転送した。それで全身麻酔に近い状態にしてから、去勢手術をしようとしたら、そこに超大物の、A大神が姿を現し、仰天する。
叱られるかと思ったら、A大神は
「この女性器をその子に付けてあげて」
と言うので、渡された女性器を移植することにした。
女性器を移植するのに邪魔になる、陰茎・陰嚢(睾丸も)、前立腺、輸精管、精嚢、男性尿道、などは全て切り取り(A大神が「ちょうだい」と言うから渡した)、卵巣・卵管、子宮、膣、女性前立腺(Gスポット)、女性尿道、小陰唇・陰核・大陰唇のセットを接続した。
なお“準神様”のきーちゃんの作業なので全ての神経・血管をつないでしまう。手術が終わった後の痛みは全く無い。
しかし、いきなり完全な男から完全な女に変わったらショックが大きすぎるかもと思い、陰核の上にかぶせて、長さ3cmのダミー陰茎(尿道無し)を付けておいた。つまりあのペニスは実はダミーだった。ダミーだから当然勃起などはしない(元々勃起能力は既に失われていた)。3cmにしたのは元々の津久美の陰茎が平常時3cm(縮小時は皮膚内に埋没)だったからである。この陰茎ではそもそもこの子、立っておしっこするのは無理だよなと、きーちゃんは思った。
そしておまけのサービスで声変わりで男性的な喉になりかけていたのを、女性の喉の形に変えてあげた!(それで高音が復活するとともに低音は少し広がった)
その後、津久美に月経が来たことから「やはりこの子は“脳的半陰陽”だったな」と、きーちゃんは判断した。月経を起こすのは卵巣ではなく脳下垂体である。普通の男の子の場合は、胎児の内に月経を引き起こす回路が破壊されてしまうので、単純に卵巣を移植しても月経は起きない(男の身体は女の身体がY染色体の作用で男性化されて作られる)。
しかし時々、この回路破壊が起きていない男の子がいる。そういう子は元々男性化が中途半端で、たいてい“男の娘”に育つ。そしてそういう子のみが、卵巣移植で月経が起きるし出産も可能になるのである。要するにこの子は脳的には女の子である。つまり一種の半陰陽であり、半陰陽であれば完全な女の子に変えてあげるのはルール違反ではないと、きーちゃんは自己弁護した。
12月25日夜の手術?は10月に設置しておいたダミー陰茎を取り外しただけである。
A大神はきーちゃんに、この女性器のセットは津久美の親戚の女性のものであると言ったが、本当は津久美自身の体細胞から造ったiPS細胞を元にA大神自身の手で育てた女性器セットである。だから一切の拒絶反応が起きない。これは実は大神自身の“実験”でもあったし、(小春の上司である)A大神が小春のリクエストに応えて千里を助けるための操作の練習でもあった。
小春は2003.04危機のことばかり考えているがA大神は2017.07危機の方が更に深刻であると考えていた。
「そうだ、姫野さん、退院したのならちょっと音楽室に来てくれる?」
と馬原先生は言った。
「はい」
それで馬原先生と一緒に音楽室に行くと、希望とスミレが来ている。2人とも津久美は1週間くらい入院すると聞いていたので驚いている。津久美が状況を説明すると更に驚いていた。
「でもツクりんが出て来たのならちょうどいいや。ジャンケンするよ」
「何のジャンケン?」
「まあいいからさ」
「ツクりんには電話して電話を通して参加してもらうつもりだったんだけど」
それで3人でジャンケンすると、最初にスミレが勝ち抜けた。それで希望と津久美の勝負になる。今度は希望がパーで津久美がグーである。
「勝ったぁ!」
と希望が喜んでいる。
「ということで、部長はツクりん、よろしく」
「え〜〜〜〜!?」
「副部長は私がやってあげるからさ」
と希望は言った。
「しゃ津久美ちゃん、1年間よろしくね」
と馬原先生。
「正式には新学期始まってから最初の練習の時に」
「で、でも私、性別が不自由で」
「その不自由は解消されたから、全く問題無い」
「不自由は、ちんちんと共に去りぬ」
そういう訳でこれから1年間の合唱サークルの部長は津久美、副部長は希望ということになったのである。
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【少女たちの晩餐】(5)