【少女たちの聖火】(1)
(C) Eriko Kawaguchi 2021-12-18
1994年10月18日(火)。千里が3歳の時。
「秋祭り・・・ですか?そんなのがあったんですか?」
と津気子は翻田宮司に聞き返した。
「1950年頃までは行われていたらしいんですが、その後、途切れてしまったんです。途切れた理由もよく分からなくてですね。ニシン漁が不振になって人が減ったからとか、戦後の全国的な不景気のせいとか、子供を労働させることに日教組からクレームがあったとか」
「へー」
津気子が武矢と知り合って結婚したのは1989年(津気子22歳・武矢28歳)で、それ以前の留萌のことは全然知らない。武矢が旭川の中学を卒業して漁師を志し留萌に来たのは1977年なので、武矢も知らないだろう。
「でも、この春に私がP神社の宮司になってから、年配の氏子さんたちからぜひ秋祭りを復興させてほしいと言われて。以前の秋祭りを覚えている人もみんな65歳くらい以上なので、恐らくは今復興しないと、もう復興は無理だと思います」
「でしょうね!」
「念のため、日教組さんや教育委員会さんにも確認しましたが、子供の社会勉強ということで、巫女をさせるのは、全く問題ないですよということでした」
「だと思いますよー。子供に鉱山労働とかさせるわけでもないし」
「全くです」
「それで、この秋祭りでは“火”が重要な役割をするのですが」
「ひって燃える火ですか?」
「そうです。ファイア(Fire)です。それで、その火を取ってくる神事をこちらのお嬢さんにお願いできないかと思いまして。1泊2日の泊まりがけにはなりますが、うちの小春も付いて行きますので」
「娘って・・・玲羅はまだ2歳になったばかりですが」
「いえ、玲羅ちゃんではなくて、お姉さんの千里ちゃんですよ。千里ちゃんは夏祭りでも扇の要(かなめ)で巫女舞を舞ってくれて、神様にも気に入られているようなので・・・」
津気子は、千里は男の子ですけどと言おうとした。ところか宮司は言った。
「謝礼は交通費・宿泊費別で10万円でどうでしょう」
「やらせます」
と母は即答した。
1日前、大神様は千里と小春を神社深部(ここは大神様の他にはこの2人しか入ることができない)に呼んで言った。
「宮司の夢枕に立ってお前たち2人に“火”を取ってこさせるように言うから、取ってきなさい」
「ひってなんですか?」
「燃える火だよ」
「ライターでつければいいんじゃないの?」
「ある場所に神聖な火があるから、そこから頂いてくるんだよ」
「めんどくさそうー」
「私がとってこられたらいいのだけど、これは人間の女の子にしかできないのだよ」
「わたし、おとこのこですけど」
「忘れてたぁ!」
と大神様は言い、
「じゃ外見だけでも女の子に変えるから」
と言って、千里の身体を女の子に変えてしまった。
「わぁい!おんなのこになった。ずっとこのまま?」
「火を取ってくるまでね。あと、それ外見だけで、卵巣や子宮は無いから」
「それでもいいですから、ずっとこのままにしておいてください」(*1)
(卵巣とか子宮ということばの意味が分かってない)
「そういう訳にもいかないんだよ。色々規則があってな」
と大神様は言った。
(*1) 千里の膣や大陰唇・小陰唇・陰核・女性尿道は実はこの時にできた。神事が終わった後、男性器は戻したが、これらの女性器は“邪魔にならない”ので、大神様は面倒くさがってそのまま放置しておいた。尿道は女性尿道の出口から陰茎の根元まで人工的なパイプでつないだ(*2)。陰嚢があればそれに隠れてこれらの女性器は見えない。
女性器を取り付けようとすると男性器は邪魔になるが、男性器を取り付けるのに女性器は邪魔にならない!だから実は千里はこの時(1994年10月)から2000年9月の“ドミノ移植”まで一種の半陰陽状態になっていた。
それで小春が千里のリクエストに応じて男性器を一時的(?)に取り外してあげていると、完全な女性ボディになっていたのである。
小学1-3年生頃、女子の友人から
「千里、やはりちんちん無いじゃん」
と言われると、千里はよく
「ちょっと取り外して部屋に置いてきた」
などと言っていたが、それは実は本当のことだった!
(*2) 尿道延長手術を受けたFTMさんと同様の状態である。だから実は千里の陰茎には本来体内に隠れているはずの“根部”が無かった。当然勃起などしないので千里は“男の快感”を知らない。(でも根部が無いから津久美のように皮膚に埋没することもない)
そういう訳で、千里の陰茎は原理的に勃起しないので、ちんちんでオナニーしたり、女性とセックスすることも原理的に不可能である(但し陰茎の下に隠れている陰核には根部というより本体がある:だから陰茎を取り外せば女の子オナニーは可能である)。
でも千里はその日、“女の子のおしっこのしかた”に感動して、ずっとこのままの形で居たいなあと思った。お風呂は、女の子の形で入浴するのは3月に温泉に行った時以来で、あの時と同様に割れ目ちゃんを開いて丁寧に洗ったが、やはり感動ものだった。
「ほんと。ずっとこのままおんなのこでいたい」
と千里は思った。
なお、この日は、4月に札幌に行った時、従姉から借りたままの女児ショーツを穿いて寝た。
(札幌でダンプの泥はねに遭い、服が全身泥だらけになったので、従姉から服を借りたのである。キュロットや上着は洗って返却したが、下着はこちらが着たものを返しても迷惑かなと思い、津気子は「新しいの買ってあげて」と言って商品券を同封して送っておいた。それで女の子アンダーシャツと女の子パンティが1組残っていた。実は夏祭りで巫女舞をした時もこの下着を着けた)
秋祭りの話が出たのは、夏祭りが終わった後の氏子さんの集会の席だった。年配の氏子さんが
「今年の夏祭りは本当に素晴らしかった。ぜひ秋祭りも復興しましょう」
と言った。
「秋祭りというのがあったんですか?」
と宮司は訊き直した。
翻田宮司は30年前、増毛の神社に奉職していたことがあり、何度かP神社の神事の手伝いをしているのだが、秋祭りというのは聞いたこともなかった。
「50年くらい前に途切れてしまったんですよ」
「そんなに昔に」
「夏祭りは漁業の祭りでしょ?秋祭りは農業の祭りなんです」
「へー」
年配の氏子さん数人で秋祭りの次第はこうだった、ああだった、と話すが、お互いの記憶が違うので結構な妥協をする。しかしこの祭りは“火の祭り”だなというのを宮司は感じた。
祭りの期間中、境内に大量の蝋燭を立てる。町のあちこちにも蝋燭を立てる。神社の拝殿・神殿も提灯で明るくする。そして内部に蝋燭を立てた姫奉燈を運行する。
この姫奉燈は、弘前の“ねぷた”に似た扇形のもので、巫女さん4人が先導して町内を巡行する。姫奉燈には、この日集まった氏子さんたちが子供の頃、既に車を付けて曳いていたというので、復興する場合もその方式でいいでしょうということになる。ニシン漁が盛んだった明治時代には血気盛んな男衆が多かったから担いでいたのかも知れないが、今の留萌ではそんな力のある若い男たちを充分な数確保するのは困難である。
奉燈に描かれる絵は絵の上手い福島さんが画用紙に絵を描いてみせ、他の氏子さんたちも
「そうそう。こんな絵だった」
というので、福島さんが姫奉燈の絵も実際に描くことになった。
姫奉燈の内部の蝋燭、また町内や境内の蝋燭、神殿や拝殿の蝋燭については
「電球にしようよ」
という意見が大勢になった。
一部「それでは味気ない」という意見もあったが、蝋燭は火が消えやすいし、倒れて火事になったりすると大変である。それで道路沿いの蝋燭は電池式の電球、境内の電球は電気コードを引き、姫奉燈はバッテリーを積んで電球を灯すことになった。
拝殿の提灯も電球ということになったが、神殿の灯りについては、誰もよくは覚えていなかった。そもそも提灯だったかどうかもみんなの意見が食い違った。それで、やはり電球式の提灯をつければいいんじゃないかなあとその日は言っていたのだが、その夜、宮司の夢枕にP大神が立ったのである。
「翻田常弥よ、境内の灯りや拝殿までは電球でもよいが、神殿には本物の火を灯せ」
「はい。蝋燭を立てましょうか」
「蝋燭は風で火が消えやすい。燈台を使え」
「とうだい・・・ですか?」
「平安時代の絵巻の類いを見れば載ってるぞ。昔は天皇(すめらみこと)が剣と珠を見張るために使っていた夜御座には4隅に燈台が灯されていてその灯りは決して絶やさないようにしていたのだ」
「勉強します!あれは天皇(てんのう)が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の番をしていたのですか?」
「当然。その番をするのが天皇(すめらみこと)の仕事じゃ。もっとも剣はあくまでコピーで、本物は熱田神宮だがな」
「そうですよね!」
それで宮司は起きるとすぐに資料を調べて燈台(とうだい)というのがどういうものかを理解した。また室町時代には風で消えにくいように風防を立てたことも分かった。それで氏子さんたちに相談したら、工作の得意な氏子さんがすぐに風防付きの燈台を作ってくれることになった。
「なるほどー。毛細管現象で吸い上げられた油が燃えるだけで芯は燃えないんですね」
「ストーブと同じだね」
「あ、そうですね」
ストーブの芯自体が燃えてしまったら大変である。
万一にも本体に延焼しないように金属製がいいでしょう、ということになり、油を入れる燈盞(とうさん)は黄銅(おうどう)=真鍮(しんちゅう)で鍛造(*3)してくれた。風防は耐熱ガラスの板を4枚接着し、燈盞(とうさん)に付けた溝の上に載せる(二酸化炭素が排出されるための隙間をあける:二酸化炭素は空気より重いから必ず下に隙間が必要)。支柱と接地する足は丈夫な水楢(みずなら)(*4)で作ってくれた。
(*3)鍛造(たんぞう)とは、金属をハンマーで叩いたり圧搾したりして、圧力により変形し加工する技術である。熔解した金属を型に流し込む鋳造(ちゅうぞう)より丈夫な製品ができるし、型を作らないので少量生産向きである。ただし、加工する職人の技術を要する。
(*4)水楢(みずなら)は鹿児島付近から南千島付近まで分布する広葉樹。硬いので家具などに使用されるが、海外では特に組織が緻密な北海道産のみを Japanese Oak と呼んで珍重する。
制作費用(主として材料費)は町内のスーパーのオーナーが出してくれたので、その名前を工作してくれた人の名前とともに、足の裏(通常見えない)に入れさせてもらった。
作ったのはお告げに従って3基である。氏子さんたちは神様が三柱おられるのかなと思ったようだが、実際には万一どれかが消えたら他のから移せるようにというフェイルセーフである。
そして大神は10月17日の晩、再び宮司の夢枕に立ち、燈台に灯す火を千里と小春に取ってこさせるように言い、火を取る道具と運ぶためのランプを神殿に置いたと告げた。宮司は起きてから神殿に行くと道具とランプが置かれているので驚いた。実は一週間ほど前から小春に指示して作らせたり、購入させたりしておいたものである!(ランプはフォイアハント(Feuer-Hand)製だったりする。但し火を維持することが目的なので、カバーを取り付けて灯りが漏れないように加工した)
1994年10月18日(火).
宮司のリクエストを受けることにした津気子は、服装は洋装でよいというので、千里を町の衣料品店に連れていき、スカートを3枚、女の子用タイツを5足、女の子用シャツを5枚、女児用アンダーシャツ5枚、女児用ショーツ5枚、赤いセーラームーン(*5)のスニーカー、を買い、髪につけるカチューシャまで買ってくれた(1泊2日でもたくさん買ったのは千里が欲しがったことと、雨などで濡れた時の予備)。
千里は女の子の服をたくさん買ってもらって、凄く嬉しかった。
それで10月19日(水)朝、千里は朝、家まで迎えに来た宮司の車に乗り、小春(20歳くらいの外見になっている)と一緒に旅立ったのである。
(*5)女の子向けアニメの年代は下記
1992.3.7-1997.2.8 セーラームーン
1997-1998(2年間冬の時代)
1999.2.7-2003.1.26 おジャ魔女どれみ
2003.2.2-2004.1.25 明日のナージャ
2003.4.5-2004.12.25 ぴちぴちピッチ
2004.2.1- プリキュア
1994年は3作目の「美少女戦士セーラームーン・スーパー」が放送されていたが、津気子が買ったのは前年放送していた「美少女戦士セーラームーンR」のもので、しかも人気としては微妙なセーラー・プルートーがメインに描かれたものである。これを買ったのはワゴンで半額シールが貼られていたから!
千里と小春は宮司が運転する年代物のカローラで留萌駅まで送ってもらった。
「じゃ後はよろしくお願いします」
と言って、宮司は駅で2人を降ろすと帰る。
火を取ってくる場所は小春だけが大神様から教えられている。
小春は券売機で深川までの切符を“1枚”買い、3歳の千里の手を引き留萌駅の改札を通って、深川行きの快速“るもい”に乗った。そして深川駅(4番線)に到着すると、同じホーム反対側(3番線)で列車を待つ。すぐに特急オホーツクが入ってくる(乗換時間9分)ので乗車し、指定の座席に座った。
このオホーツクの切符は、月曜日に小春が深川駅で買っておいたものである。
「千里、窓側に座りなよ」
「ありがとう」
「トイレ行く時は遠慮無く言ってね」
「えんりょとかしないよ!でもこのきしゃ、どこにいくの?」
「網走(あばしり)」
「そこで、ひをとるの?」
「内緒」
「あばしりじゃないの〜?」
網走までの行程はこのようになっている。
留萌9:51(快速るもい)10:45深川10:54(オホーツク3)15:09網走
(1994年10月の時刻表が入手できなかったので1994年12月の時刻表を使用しています)
車掌さんが検札に回ってくるので、小春は留萌から深川までの自分の切符、そして深川から網走までの“2人分”の乗車券と特急券を見せた。
「お嬢さんの深川までの切符は?」
「指定席を使ってないので」
「ああ、そういうことですね。了解です」
千里はよく分からないままその会話を聞いていた。
小春は道中、アイヌの伝説をたくさん話してくれた。千里は興味深くそれに聞き入っていた。お昼は小春がお弁当を作って来ていたので、それを特急の車内で食べた。
千里は4時間ほどのオホーツクの乗車中に2度トイレに行ったが、トイレする度に女の子のおしっこの出方に感動していた。
特急オホーツクは札幌始発で、旭川から北海道の真ん中を横断する石北本線を通り網走まで行く。上川・遠軽(えんがる)・北見・網走と走って行く。石北本線は非電化なので、オホーツクは気動車特急である。
15時すぎに列車は網走駅に到着する。小春は千里を連れて出札を出たが、駅の外には出ずに、券売機で切符を1枚買った。
「こんどは1まいだけ?」
「小学生未満は無料だから」
「でもとっきゅうでは、きっぷ、つかったね」
「指定席特急券を使ったからね。そのためには運賃も払わなければならない」
「むつかしー」
「うん。ルールが難しい」
網走駅の待合室で30分ほど待つ。千里はここでも“記念に”女子トイレに行ってきた。女の子みたいな身体になっているのが、よほど嬉しいんだなと小春も思った。
案内があるので、改札を通り、陸橋を渡って2番ホームに行く。既に停まっている釧網(せんもう)本線“下り”の気動車に乗り込む。
わりとどうでもいいことだが、釧網本線自体は東釧路駅が起点なので網走から釧路に向かうのが上りになるのだが、列車は網走から釧路に向かう列車を下りと呼ぶ。このように線の上下と列車の上下が一致しない場所は時々ある。ここの場合は、解体されてしまった網走本線時代の名残もあるようである。
お客さんは少なかったのでゆうゆう座ることができた。千里を窓際に座らせて小春は通路側に座った。
網走15:40-17:36川湯温泉
駅前まで来ていた旅館の送迎バスに乗り、川湯温泉の予約していた旅館に入った。小春は宿帳には、
村山小春 24歳 女 留萌市・会社員
村山千里 3歳 女 留萌市・無職
と記帳した。
「お食事にビールかチューハイとかを付けますか?お子様にはジュースとか」
「いえ、どちらも要りません。お茶がいいです」
「分かりました」
先にお風呂どうぞということだったので、荷物を置いてふたりとも浴衣に着替えてから一緒にお風呂に行く。
むろん一緒に女湯に入る!
楽しく身体を洗って(楽しく洗うのは、お股!)、小春と一緒に浴槽につかる。
「千里って多分男湯に入ったことないよね?」
「はいったおぼえはないなあ」
「お父ちゃんと一緒に男湯に入ったことない?」
「いっしょにおんせんいっても、ちいさなこども、あつかえんとかゆって、おかあさんにまかされてた」
「なるほどねー」
(だから父は千里のペニスを見ていない。実は女湯に入っている他の客にも見せていない。小春と出会う以前にも、温泉ではタオルでたくみに隠したり、足の間にはさんで隠したりしていた。だから女湯の中でも「可愛いお嬢ちゃんですね」と言われて母は悩んでいた)
お風呂からあがり部屋に戻ると既に布団が敷いてあった、少しして、帳場から在室の確認があった上で晩御飯が運び込まれてきたので、美味しくいただいた。子供には子供向けの料理が用意されていたので、千里も楽に食べることができた。
その日は20時には寝た。北海道を横断400kmの旅をしてきているので結構疲れている。千里はぐっすりと眠った。
「千里起きて」
と言われて起こされる。まだ暗い。
「もう、おきるの?」
「あまり人に見られたくないからね」
「ふーん」
それでふたりがしっかり防寒具を付け(ボトムも小春が用意していた暖かいズボンを穿く)、小春が用意していた登山靴を履き、しっかりしたグローブを付けてステッキを持ち、旅館を密かに出たのは午前3時すぎである。西の空に十六夜(いざよい)の月が残っているので(この日の月入は6:08)、天文薄明前ではあっても空は明るく、足下が見えるので歩きやすかった。
(この日の網走の最低気温はプラス6.4度だがアトサヌプリは内陸部だし高度もあるので、ひょっとしたら0度前後だったかも)
約2.5kmの距離を子供の足なので1時間ほど掛けて歩く。
アトサヌプリ(43.6103 N 144.4386 E)の麓に到着したのが4時前である。焼け石に水を掛けたような臭いがすると言ったら、これが硫黄(いおう)の臭いだと言われた。そこから登山道(*6)に沿って登り始める。登り始めてすぐ、4:06に天文薄明が始まった。
「何とか人には見られず、こちらは目標物を見つけられるかな」
「ふーん」
(*6)この時期(1994)は、アトサヌプリは入山規制がされていない。2000年4月23日、登山道を外れてショートカットしようとしていた人が落石に遭い2人死亡1人重傷(同じパーティーで登山道にいた人たちは全員無事だった)の事故があり、この事故後、入山が禁止されてしまった。その後、20年も入山禁止状態だったが、2020年夏に、ガイドが付くことを条件に入山が再開された。
アトサヌプリは以前は日本語で“硫黄山”とも呼ばれていたが、硫黄山という山は道内だけでも少なくとも4つあり(もっとあるかも)、紛らわしいので、最近は元々のアイヌ語のままアトサヌプリと呼ばれることが多い。
アトサヌプリ 弟子屈町 川湯温泉で有名。
イワオヌプリ 倶知安町 ニセコ連峰のひとつ。近くに五色温泉がある。
イワゥヌプリ 羅臼町・斜里町 常に蒸気や噴煙をあげている。秘湯として知られるカムイワッカ湯の滝の近く。ヒグマが出没するので要注意。
硫黄山 函館市 詳細不明
知床半島・羅臼のイワゥヌプリは今回取り上げた弟子屈町のアトサヌプリともお互い近いし、どちらも活発に蒸気を上げているので、しばしば混同されていた。
山を登り始めて30分ほどした時、小春が「見つけた」と言う。その小春が見ている先に蒸気の激しく上がっている場所があった。
小春は自分がしょってる荷物の中から金属製の箱を取り出すと、箱に長い棒(カメラの三脚のように伸びる)を取り付ける。
「千里、この箱の取手を持って、箱をあの蒸気の上にやって。噴き出してる口のすぐそばに当てるように」
「うん」
それで千里がそっとその箱をその蒸気の上に掲げると、突然炎が燃え上がるのでびっくりする。
「火が取れたね」
「これでいいんだ?」
(この方法はたいへん危険なので、良い子は決して真似しないように)
それで千里はその箱を手元に引き寄せる。箱が燃えているので、小春はその火を紙を撚(よ)ったものに移し、その火をランプ2個に移した。
「この箱には凄く燃えやすい物質が入っていたんだよ。でもそのままでは持ち帰れないから、このランプに移した」
「いろいろたいへんなんだね。もえやすいものってガソリンとか?」
「ココアだよ」
「のむココア?」
「うん。ココアの粉はガソリンより遙かに燃えやすいのさ」
「へー!」
「白燐とか硫炭とかもっと燃えやすいものもあるけど、有毒ガスが出るから私たち死んじゃう」
「あまり、しにたくないね」
「だからココアを使ったのさ。実際にはもっと燃えやすくなるように少しだけ加工してるけどね。あと発火した火を維持するために植物油を染み込ませた紙や布も一緒に入れておいた」
「へー」
発火した箱の火はすぐに燃え尽きてしまったので、小春は別途持って来た水の中にそれを沈めてしまった(旅館に戻ってから水は捨てて、燃えがらだけ持ち帰った)。
「ランプは私と千里で1個ずつ持とう」
「うん。ふたりでもってれば、かたほうきえても、あんしんだね」
「そうそう、そうなんだよ」
それで2人は下山したが、ちょうど麓まで降りた頃、夜明け(5:05)になって、あたりが明るくなった。そのまままた1時間ほど掛けて旅館まで歩いて戻ったが、その途中で日出(5:41)になった。帰りついたのは6時頃である。
「つかれたぁ」
「お風呂入る?」
「あさごはんたべてから」
「その方がいいかもね」
小春は千里のランプの火を懐炉の豆炭にも移し、それは自分の腹巻きの中に入れた。ランプが2つとも消えるという、最悪の事態に備えるためである。ランプ自体は2人の各々の荷物の中に入れた。内部でランプを燃やすため、空気の出入りがしやすい素材で作られたかばんを使用している。
朝7時に朝御飯を食べ、また一緒にお風呂に行った。むろん一緒に女湯に入り千里は楽しく身体を洗った(楽しくお股を洗った!)。そして10時に旅館の送迎バスで川湯温泉駅まで送ってもらい、下記のルートで留萌に帰還した。
川湯温泉10:26(快速しれとこ)11:48網走13:53(特急オホーツク6)17:57深川18:22-19:26留萌
川湯温泉で買ったのは網走駅まての切符“1枚”である。網走で2時間待ち(ここは本当に連絡が悪い)なので、いったん改札を出、網走の町の食堂でのんびりと“ザンギ丼”を食べた。
(ザンギというと鶏肉のザンギが有名だが、網走のザンギ丼は鮭の唐揚げ)
(千里は誤って“サンキュー丼”と覚えていた!)
その後おやつを買ってから、公園で懐炉の豆炭を交換する。この後は帰り着くまでもつはずと小春は言った。駅に戻り、今度は2人分の切符を見せて改札を通る。特急オホーツクに乗り込み、指定された席に座った。
17時頃、オホーツクの車内販売で駅弁を2つ買い、車内で食べて夕食とした。
深川では少しだけ時間があったので、いったん改札を出て留萌までの切符を“1枚”券売機で買い直した。これは留萌駅で町の住人である駅員さんに網走からの切符を見られないようにするためである。行ってきた先はできるだけ秘密である。
留萌駅には翻田宮司が迎えに来ていたので、そのままP神社に行き、千里が持って来た火を神殿奥に設置した3つの燈台のいちばん奥の燈台に移した。そして小春が運んで来た火を手前左側の燈台に移す、双方の火を蝋燭に移してその2本の蝋燭を同時に手前右側の燈台に移した。そして蝋燭の火をいったん消した上で、手前右側の燈台の火から蝋燭に移し、これを社務所内に作ってもらった囲炉裏(いろり)に移した。以降はこの火はこの囲炉裏で永久に燃やし続けることにする。
「千里のランプを私に下さい。ある場所で予備として燃やし続けます」
「うん、よろしく」
小春は実際には、そのランプを神社深部に持ち込み、大神様が用意してくれた3つの燈台に移した。
「まあ神殿で燃えてるのが表の火、ここで燃えてるのが裏の火だな」
と大神様は言った。
神事が終わってから、20時すぎに千里は宮司に車で送ってもらい帰宅した。
「どうだった?」
「たのしかった」
「どこまで行ったの?」
「それはナイショなんだって」
「まあいいや」
「このスカートとかパンツとか、わたしつかっていい?」
「そうだねぇ。パンツはいいことにするか。スカートはお父ちゃんがいない日なら」
「うん」
そんな会話をしながら、千里のパンツにちんちんの形が出ないのはなぜだろうと津気子は悩んでいた。
千里はお役目を果たして、留萌に戻ってから、翌朝起きるとちんちんが付いていたので、とても悲しくなった。
でも女の子ショーツやスカートを買ってもらったので、この後、千里はタマラたちの前でスカートを穿いていることが多くなったが、そもそもタマラたちは千里のことを女の子だと思っているので特に何も思わなかった。
ただ、子供は成長が速いのでこのスカートや4月に札幌で(母の間違いで)買ってもらったスカートは翌年夏には穿けなくなり、玲羅に譲ることになる。千里があまりにも悲しんでいるので、母は
「父ちゃんには内緒だよ」
と言って1枚だけスカートを買ってくれた。
また女の子ショーツにしても昨年の90サイズがきつくなったので、100サイズのものを6枚(3枚セット500円×2)買ってもらって、喜んで穿いていた。
「だけどあんたのパンツ、なんで股布の部分が汚れるの?」
「なんか、おかしい?」
「男の子のパンツは前が汚れる。ちんちんが前にあるから。女の子のパンツは股布付近が汚れる。ちんちんが無くて、真下に割れ目ちゃんがあるから。でもあんたのパンツは女の子と同じように股布が汚れる」
「きっと、ちんちんがないんだよ」
「・・・・・」
宮司は息子の民弥を呼び、社務所の入口にある左右の門柱の上に、門柱と同じサイズの強化ガラス製のフレームを造り込んでもらった。そこにランプを入れて神殿の燈台3つの内のいちばん奥のものの火を移した。ここで囲炉裏の火の予備を燃やし続けることにしたのである。
1994年のイベント
1994.02.21(月) 千里がタマラと知り合う
1994.03.03(木) ひなまつり(兼千里の3歳の誕生日)でタマラ・小春と一緒にパーティー。その後温泉に行く。その深夜、狼退治。神様がP神社に着任。
1994.04.01(金) 新しい宮司さん(翻田常弥)が来る
1994.04.26(火) 藍川真璃子が航空機事故に遭い死亡?する。でも死亡?後、千里と亜津子に“基礎教育”をする
1994.07.15(金) P神社の例祭で千里は巫女舞を奉納
1994.10.15-16(土日) 七五三の参拝集中日。千里は満年齢、玲羅は数えで3歳の七五三
1994.10.18(火) 宮司が津気子に火取りを千里にさせたいと依頼
1994.10.19-20 小春と千里が火を取ってくる。
1994.10.22-23(土日) 秋祭り復興(約40年ぶり)。
1994.10.30(日) 幼稚園の入園試験
1994.11.05(土) 優芽子が吉子・愛子を連れて遊びに来る。幼稚園カバン・電子ピアノをもらう
1994.11下旬 タマラの父から木製の輪投げセットをもらう
1994.12.22(木) 幼稚園のクリスマス会に招待される
【少女たちの聖火】(1)