【少女たちの晩餐】(2)

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コンクールが終わった津久美は日曜日の夕方、帰宅した。
 
「ただいまあ」
「お疲れ」
「コンクールどうだった?」
と母親や2人の姉、日波(ひなみ)と涼葉(すずは)から訊かれる。
 
「7位だった。賞は取れなかった」
「残念だったね」
 
「部長の穂花さんが喉を痛めて高い声が出なくて、何かの時は私が代わることになっていたのに、私、急に声変わりが来ちゃって、私も高い声が出なくて、急遽他のソプラノの人がソロパート歌ったんだけど、あまり練習してないから、歌唱が微妙だってので賞は取れなかったみたい」
 
「声変わり?」
「あんたまさかまだ睾丸付いてるんだっけ?」
「付いてるけど・・・」
「それはいけない。すぐ取ろう」
「あんた早く取らないと、その内、声変わりがもっと進行して、ソプラノの声も出なくなっちゃうよ」
「今すぐ病院行って睾丸取ってもらいなさいよ」
「今からなの!?」
 
姉たちが言うので母も
「それがいいかもね」
と言い、津久美は今から病院に行くことになった。
 
病院行く前にお風呂入ってと言われたので、津久美はお風呂であの付近をきれいに洗った。それで母の運転するシャレード(G200)に乗せられてH婦人科に来た。
 
「婦人科なの?」
「紳士科という病院が無いからね」
 
そういえば、ちんちんとかタマタマに異常が起きた時はどこで診てもらうのだろう?と津久美は疑問を感じた。ちんちんが切れちゃったとかタマタマが潰れちゃったとかした時は?
 

「ああ、声変わりが来ちゃってそれを早急に止めたいのね。じゃすぐ睾丸を取ろう」
と病院の先生は言った。
 
「あんた何年生?」
「小学5年生です」
「それはいけない。睾丸なんて小学3年生くらいまでに取るものよ」
 
そうなんですか!?
 
最初に病室に入れられ、看護婦さんから、あの付近の毛をきれいに剃られた。すごく胸の大きな看護婦さんで「いいなあ。私もおっぱい欲しい」と思った。
 
毛を剃り終わると消毒液できれいに拭かれる。ちんちんの外側を消毒した後、皮を剥かれて中まで消毒された。どうしてそこまで消毒するのだろうと思った。
 
服を全部脱ぐように言われるので、(スカートとパンティは既に脱いでいるが)ポロシャツとアンダーシャツも脱ぐ。ゴム製の手術着を着せられてストレッチャーに乗せられる。それで手術室に運ばれ、手術台に乗せられた。手術室ってドラマとかで見ててピッシリドアの閉まる密閉された部屋かと思っていたら、一応ドアは付いているものの、トイレの出入口とかにあるようなスイングドアである。空気の出入りは自由だ。わりと適当なんだなという気がした。
 
麻酔の注射を打たれる。
「ここ感じる?」
「いえ」
「効いてるみたいね」
と先生は言う。
 
「じゃ今から津久美(つくよし)君の睾丸を取りますけど、いいですか?」
と先生は母に尋ねた。
「はい、こんなの付いてたら可哀想です。取ってやってください」
 
それで手術が始まる。ああ、これで男にならなくて済む、と津久美は思った。こないだ手術されたのは夢だったし。
 

何かカチャカチャしている音がする。痛みは無い。麻酔がかかっているからだろうなと思う。
 
「はい。睾丸取ったよ。この睾丸はどうします?持ち帰ります?」
と先生は訊いたが、母は
「要りません。捨ててください」
と言った。それで先生は
「分かりました」
と言って、本当にゴミ箱に捨てちゃった!
 
ごめんね。睾丸ちゃん。今度は男らしい声になってもいい人の所に生まれてきてね、などと思う。
 
「睾丸取って男の子ではなくなったから、名前は津久美(つくよし)から同じ字で津久美(つくみ)に変えようか」
と母が言う。
 
「うん、私普段から“つくみ”ってみんなから呼ばれているし」
と津久美。
 
「じゃ明日にも役場に届け出してくるね」
「うん。ありがとう」
 
へー。名前を変えるのは役場に届けを出すだけでいいのか。
 

先生は母に訊いた。
 
「睾丸を取ってしまうと、男性ホルモンが無くなって、ホルモン・ニュートラルになるんですが、その状態では骨粗鬆症になったり、視力が落ちたり、精神的にも不安定になって、鬱病などを引き起こす場合もあるんですよ。その対策をどうしましょう?」
 
えっと・・・そういう話はできたら睾丸を除去する前に話し合って欲しいな。
 
「人工的にホルモンを補充すればいいんですかね?」
と母は訊く。
 
「そうです。男性ホルモンか女性ホルモンを身体に入れてあげればいいです」
「男性ホルモン入れたら睾丸があるのと同じですよね」
「そうなります」
「じゃ女性ホルモンを入れるしかないですね」
と母は言う。
 
ドキドキする。やはり男の子を辞めたら女の子になるしかないのかな。
 
「女性ホルモンを入れるのにも、女性ホルモンの注射をする方法、女性ホルモンの錠剤を飲む方法、女性ホルモンを出す貼り薬を貼る方法、卵巣を移植する方法がありますが」
 
「この子はES細胞(*6)から作った女性器一式がありますから、それを移植してください」
「そんなものがあったんですか?」
「臓器バンクで保管されていますから、取り寄せましょう」
 
と言って、母はどこかに電話を掛けた。津久美は下半身に毛布を掛けられたまま手術台の上で待った。
 
(*6) ES細胞(Embryonic Stem cell 胚性幹細胞)とは、分裂開始初期の受精卵から細胞を1個取り、保存しておいたもの。どんな臓器にも発展させられる“万能細胞”である。山中伸弥が2006年にIPS細胞(Induced Pluripotent Stem cell, 人工多能性幹細胞)を作る技術を確立するまでは、唯一の万能細胞であった。
 
ES細胞は、発見当時、これがあれば臓器移植の際の拒絶反応が克服できると大きく期待された。『特命リサーチ200X』でも取り上げられ多くの人の関心を呼んだ。しかしこの手法は、分裂初期の受精卵から細胞を採取するという危険な手法であるため、倫理的に問題があるとされた。そんなことをして本当に産まれてくる子供に影響が出ないのかは未知数の部分が大きかった。
 
ES細胞の技術はマウスでは1980年代、人間では1998年に確立されたが、受精卵を“壊さずに”細胞を取り出すのには成功していない。つまり本人のES細胞というものは製作に成功していない。それがあまりに困難なので、代わりに本人のクローン受精卵を作り、そこからES細胞を作るという手法が考案されたが、その技術が確立する前にIPS細胞の技術が発見されてしまった。
 
なおクローン受精卵の製作は、そのまま育てるとクローン人間ができてしまうため、多くの国で禁止されている。
 
なお“万能細胞”という言葉は、日本のマスコミが勝手に作った用語で、科学用語ではないし、英語などにこれに相当する用語は存在しないらしい。
 

「到着しました。それでは移植します」
と言って先生は津久美に下半身麻酔を掛けた。レーザーメスを使っているようで、肉の焼ける臭いがする。手術器具の触れ合う音がしている。
 
津久美は手術されながら質問した。
「卵巣が移植されたら、月経も起きるんですか?」
「当然起きるよ。その排出される通路もちゃんと確保されるから安心してね」
「ナプキンが必要ですよね?」
と母が訊く。
「はい。当然必要になりますから、お母さん一緒に選んであげてくださいね」
と先生は言う。
 
やはりナプキンが必要になるのか。まあいいよね。
 
手術は1時間くらい掛かった気がした。傷口を縫い合わせていたようだが、やがて先生は言った。
 
「手術完了です。卵巣・卵管・子宮・膣・Gスポット・大陰唇・小陰唇のセットを移植しました。邪魔になる前立腺と陰嚢は除去しました」
 
と先生は言った。
 

Gスポットとか前立腺って何だろう?と思った。あ、でも陰嚢も除去したのか。まあ中身を取ったんだから、その“包み”も要らないよね。コンビニのお稲荷さん食べたら、お稲荷さんが乗ってたトレイは捨てていいのと同じ。
 
だけど大陰唇・小陰唇も移植したって、割れ目ちゃんができたということ?まああってもいいよね。でもおしっこはどこから出るんだろう?割れ目ちゃんの中かな?それともちんちんの先かな?どうせなら、女の子みたいに割れ目ちゃんの中からおしっこできたらいいな。私どうせ立っておしっこしないし。
 
「ひとつ注意点だけど、大陰唇・小陰唇の後の端はわりと肛門に近いのよ。だから今までは、うんこした後、後から前に拭いてたかもしれないけど、その拭き方をすると大陰唇に汚れたものが飛んで不潔になる場合がある。たから大をしたあとは、必ず前から後へ拭いてね」
 
「分かりました!」
 
それ学校の保健の先生も言ってた。だから実は今既にそういう拭き方にしている。腕の筋肉の使い方が全然違うから、これができるようになるのに1年かかったけど。
 
「新しいお股を見る?」
「はい」
 
それで手術台の上半身部分が起こされ、津久美は“新しいお股”を見た。
 
「え!?」
と思ったところで目が覚めた。
 

10月13日(日).
 
コンクール小学生の部・本番の日。
 
千里たちは6時半頃に起きて朝食(バイキング)に行った。小町の分の朝食券を1枚買い(1500円!)一緒に入る。それで適当に取って食べていたら、穂花たち3人が来るので「おはよう」と声を掛ける。
 
すると向こうも「おはよう」と答えたのだが、声が変だ。
 
「どうしたの?」
「空調が強すぎたのかも。なんか喉が痛い」
「え〜!?」
 
穂花・映子・美都の3人とも声が変である。
 
蓮菜が先生に連絡する、先生が飛んできて、取り敢えず3人の熱を測る。熱は無いので、風邪とかを引いたのではなさそうだ。
 
「病院に連れて行って来る」
と松下先生が言う。
「お願いします。9時になったら?」
「その前でも診てくれる所があると思う」
 
それで松下先生がフロントに尋ねてみると24時間診察してくれる病院を紹介してもらえたので、松下先生はタクシーで3人をそこに連れて行った。
 

「ホテルの空調はわりと調整が難しいのよね。乾燥しがちだから、窓が開けられる部屋なら開けておくとか、乾燥防止にバスルームのドアを開けておく手もある」
と蓮菜は言う。
 
蓮菜も実は以前空調で喉を痛めたことがあるらしかった。それで千里たちの部屋は湿度調整のためにバスルームのドアを開けておいた(但し、お湯を出しなから、あるいはシャワーなどを使っている最中に開けていると火災報知器が誤作動する場合もあるので、入浴が終わった後開けるのが鉄則)。
 
馬原先生と松下先生が手分けして全児童に確認したが、他にこの手のトラブルが起きている所は無いようだった。去年も一昨年もこの手のトラブルは起きていない。
 
実は昨夜は雨が降っていたので、多くの部屋で窓を閉めていた。これが去年や一昨年は晴れていたので「暑いね」などといって、多くの部屋で窓は開けていた。窓を閉めて空調を掛けると、湿度の問題が起きやすい。空調をタイマーなどで掛けた場合は問題無いのだが、一晩中掛けっぱなしにすると、部屋が乾燥しすぎて喉を痛める場合がある。家庭用のエアコンでは問題になることがないが、ホテルの部屋は密閉性が高いのでこういう問題が起きる場合がある。
 

9時頃、練習のために予約しておいた、ホテルのパーティールームに部員が集まった。松下先生から報告がある。
 
「矢野部長、花崎(映子)さん、風月(美都)さんの3人ですが、喉に炎症が起きているものの、風邪とかは発症していないそうです。一応トローチを頂いてきましたが、今日一日程度は喉を酷使しないようにしてくださいとのことです」
 
「今日1日・・・・」
 
「ごめんなさい、面目ないです」
と部長の穂花がみんなに謝る。
 
「先生、ソプラノソロは交替しましょう」
と蓮菜が言った。
 
「でも誰に?」
 
何かあった時のバックアップ歌唱者だったはずの津久美は声変わりが起きて歌えなくなってしまった。
 
「村山さんが歌えます」
と言ったのは、喉を痛めた1人、映子である。
 
「村山さん歌えるの?」
「村山は私の練習に付き合ってくれて、ひとりでピアノ伴奏からアルトパート、ソプラノパート、アルトソロ・ソプラノソロと歌ってくれました。だからアルトソロもソプラノソロも歌えます」
と映子は言った。
 
「それは知らなかった」
 
「村山は聴いていれば歌えるし弾けるんですよ。やってみましょう」
と蓮菜も言う。
 

それで、喉を痛めた3人が外れて、ピアノ:美那、篠笛:由依、アルトソロ:希望、ソプラノソロ:千里、というので演奏してみる。
 
「凄い。千里ちゃん」
と馬原先生。
「私よりうまいじゃん」
と穂花。
 
「村山さんがソロの方に取られると、ソプラノ集団がソロを追いかけて最高音を出す所がどうなるかなと思ったけど、星山(スミレ)さんと幡多(小町)さんが出してたから、何とかなったね」
と松下先生は言った。
 
蓮菜が念のため小町を呼んだのがここで利いた。
 
「最近星山さんが安定してあの音出せるようになったのが大きいです」
と穂花が言う。
 
しかし蓮菜は言った。
「そのソプラノ集団のD6なんですけど、千里もそこだけ歌うといいと思う」
 
「私はソロ歌ってるんだけど」
と千里。
「C6まで出せるのは6人いるけど、D6出せるのはスミレちゃんと小町の2人だけで音が細すぎるんだよ、でもソプラノ集団がD6出す瞬間、千里は休符なんだ」
と蓮菜は指摘する。実はこの部分の楽譜は下のようになっている。
 

 
つまり、ソプラノ集団の最高音は、ソロの最高音の部分をエコーするように歌う所で出てくるので、その部分ではソロ自体はお休みなのである。
 
「だから千里はラシドレ・ラと歌った後、ソプラノ集団がエコーするようにシドレ・ラと歌う、そのレ(D6)だけを歌う」
と蓮菜は説明する。
 
「ひぇー」
 
「物理的には可能だな。私はやりたくないけど」
と穂花。
「でも千里ならできる」
と穂花は付け加える。
「うん。千里は非常識だからできる」
と蓮菜。
 
それで蓮菜の言うような形で演奏してみたら、ちゃんとできたのである。そして蓮菜の言う通り、この方法を採るとソプラノ集団のD6の音が細くなりすぎない。千里・小町・スミレの3人が歌っているから充分なボリュームがある。それで
 
「じゃこの方式で」
ということになってしまった。
 
「スペシャル合唱団には、村山(千里)さん、琴尾(蓮菜)さん、広川(佐奈恵)さんが出て」
「分かりました」
 
「やはり最後の砦は千里だな」
と美那と穂花が言っている。
 
「津久美ちゃんは来年までに去勢してD6がまた出るように練習しておこう。そしたら、千里のような“最後の砦”になれる」
 
などと蓮菜が言うと、津久美はドキドキするような表情をした。どうしたのだろう?この子、ほんとに去勢手術受けるつもりになってたりして?などと蓮菜は思った。まあ小学生の去勢手術をしてくれるような病院は存在しないとは思うけど。
 
千里はロシアのモスクワだかイルクーツクだかで性転換手術を受けたなんて噂もある。ロシアなら小学生でも手術しちゃう病院あるかも知れないけど、千里の家にはロシアに渡航するようなお金は無いはず!千里の手術場所は謎だ。
 

喉を痛めている3人だが、風邪とかを引いている訳ではないので、歌唱自体には参加することにした。ただし無理をしない範囲で歌う。また映子は篠笛を吹くことにした。喉を痛めていても笛の音にはあまり影響はないと思われた。実際映子が練習で吹いてみると、ごく普通に吹くことが出来た。
 
それで11時頃、早めの昼食(映子は美都が監視する)をホテルのレストランで取ってから旅行会社が手配したバスで会場に移動した。
 
「しかしまあトラブルは起きるもんだね」
「何度も出場している学校もやはり様々なトラブルを乗り越えてきてるんだと思うよ」
「それが常勝校のノウハウなのかも知れないね」
「つまりトラブル対応、そしてトラブルをできるだけ起こさないようにすることがノウハウなのかもね」
 
と蓮菜と美那は話していた。
 

大会は14時から始まり、全国のブロック大会を勝ち抜いた10校が出場する。ブロック大会は8個である。
 
北海道、東北、関東甲信越、東海北陸、近畿、中国、四国、九州沖縄
 
ここで関東甲信越は2校になる。更に前年の優勝(金賞)校が所属するブロックは1枠増加されるので合計10校になる。昨年の優勝は東京のA小学校なので、今年は関東甲信越から3校出て来ている(2006年からは銀賞校の所属するブロックも1枠追加されて合計11校になった)。
 
N小は昨年熊本Z小と並んで銀賞を取っているので演奏順は10校中の8番目になっていた。N小の後、Z小と昨年の優勝校、東京のA小が歌う。
 
Z小は2年連続銀賞、A小は4年連続金賞である。
 
昨年銅賞の岩手M小、一昨年銅賞の長野K小・東京O小は出て来ていない。各々の地区で都道府県大会・ブロック大会を勝ち抜くのがどんなに大変かを表している。それに公立校の先生はあまり長時間ひとつの学校に居ないのもあるだろうなと蓮菜は思った。N小が上位大会に出られるのも馬原先生がいる間だろう。先生が以前いた小学校は全国大会出場の経験もあるのに、今年は道大会にも出て来ていなかった。
 
演奏順の1-7番目は抽選で選ばれたらしい。各々のステージは学校紹介のビデオに引き続き、課題曲・自由曲の順に演奏される。↓は予定なので多少後にずれる場合もある。
 
14:00 開式の辞
14:06 (関)東京S小
14:18 (海)大府J小
14:30 (中)倉敷C小
14:42 (四)徳島T小
14:54 (関)長岡B小
15:06 (東)郡山G小
15:18 (近)大阪W小
15:30 (北)留萌N小
15:42 (九)熊本K小
15:54 (関)東京A小
16:06 自由演奏
16:40 スペシャル合唱団の演奏
16:50 結果発表
17:00 閉式の辞
 

出場校の一覧が書かれた参加者用のパンフレットを見ていた何人かの子が言った。
 
「今年は大阪から2校出て来てるんですね」
「ん?」
 
それを聞いた馬原先生はしばらく出場校一覧を見ていたが、たっぷり30秒くらい考えてから言った。
 
「違うよ、大府(おおぶ)は愛知県だよ」
「え?」
 
先生はわざわざA4のPPC用紙を1枚取り出してマーカーで紙に書いた。
 
大阪府(おおさかふ):日本の都道府県のひとつ
大阪市(おおさかし):大阪府の府庁がある市
大府市(おおぶし):名古屋の近くにある市
 
先生はこの紙を部員たちに回覧!したが、この紙を受け取った子たちは数人で見て、みんな数十秒、どうかすると1分以上眺めてから、やっと理解し
「そういう名前の市があるのか!」
と驚いていた。
 
(一部最後まで分からなかった子もある:千里など!)
 
「社会科の勉強をひとつした」
「でも似た名前の地名があると、結構勘違いされますよね」
「そうそう。うちの近所の秩父別(ちっぷべつ)とか、東京の秩父(ちちぶ)(*7)と混乱する人がいるし」
 
(*7)秩父は埼玉県!
 
「深川だって東京の深川と混同される」
「札幌の隣の北広島市は広島県かと誤解される」
「新旭川駅は新幹線の駅と思われることがある」
 
「あと茨城県に水海道市(みつかいどうし)(*8)ってあるけど、ここ知らない人はうっかり北海道市(ほっかいどうし)と読んでしまう」
 
(*8)この時点では水海道市だったが、2006年に石下町と合併して常総市になった。joso.netみたいな感じのドメインを取得しようとするとだいたい常総地方の関係で押さえられている。千里が後2012年に作る“joso labo”は旧石下町の領域にある。なお常総はむろん女装とは無関係で、常陸(ひたち)国と下総(しもふさ)国の境界付近にあることから来ている。元々茨城県南部・千葉県北部付近の地域を常総地域と言っていたのである。
 
千里が後2010年に日本代表でリトアニアに遠征した時知り合った“変なリトアニア人”ルーカスさんは日本に留学した時、常総(Joso)市に住んでいたから女装(joso)は得意などと言っていたが、常総市には大学が無い!比較的近い筑波大学までもかなりの距離があり、全てジョークだと思った方がいい。ただ筑波大にもし留学していたのなら近隣に常総市というのがある(あるいは出来た)のには気付いたであろう。
 

演奏が始まってから自分たちの出番までが長いので、3校目の演奏まで聴いたところで一度ホールの外に出て、ロビーで身体をほぐしてストレッチなどもし、トイレに行く。それで席に戻ろうとしたら係の人が寄ってきて
「リハーサルの準備お願いします」
と言われる。それで直接そちらに向かう(映子と由依は篠笛を取ってくる:松下先生が付いていく)。リハーサル室で最後の練習をしてから舞台袖で控え、前の学校が終わったらステージに昇るという手順である。表にすると
 
Time 演奏 待機 リハ 準備
1442 4番 5番 6番 7番
1454 5番 6番 7番 N小
1506 6番 7番 N小 9番
1518 7番 N小 9番 10番
1530 N小 9番 10番
 
という動きになるようである。だから実は3番目の演奏が終わったら12分後には呼びにこられる所だったのである
 
それでリハーサル室に向かう。この時、先頭を5年生の希望(のぞみ)が歩いていた。ところが彼女が廊下の角を曲がろうとした時、ツルッと滑った!希望が倒れる。
 
「のんちゃん?」
とすぐ後に居た同級生の美知花が声を掛けるが反応が無い。
 
意識を失っている!?
 
「のんちゃん!」
と言って身体を揺すろうとしたので、蓮菜が
「揺らしてはダメ!」
と言って停めた。
 
「お医者さんか看護師(*9)さんを呼んで!」
と蓮菜が言うので、N小のメンバーを誘導していた係の人が
「私が呼んできます」
と言って走って行った。
 
(*9)それまで女性は看護婦、男性は看護士と呼んでいたものをこの年、2002年3月1日から性別によらず看護師と呼ぶようになった。
 
千里は姿を消して付いている《きーちゃん》に尋ねた。
『これ大丈夫?』
『大丈夫と思う。バイタルは正常。でもしばらく安静にした方がいい』
『うーん・・・』
 
『もっとも千里みたいに明らかに死んでたのに、簡単に蘇生する変な子もたまにあるけど』
『すんませーん。私、非常識だから』
 
小町が「誰と話してるんだろ?」みたいな顔で千里を見ている。きーちゃんの方が遙かに上位の存在なので、きーちゃんが許可しない限り、小町には、きーちゃんの姿は見えない。
 

蓮菜は千里が持っていたポーチを希望の頭の下にそっと入れた(千里は例によって、なぜ自分がポーチを持ってきたのか知らない)。お医者さんが3分ほどで駆け付けてきたが、そのお医者さんが到着する直前に希望は意識を回復した。
 
「すみません?今私倒れてました?」
と言って起き上がろうとしたが、医者が止めた。
「何分くらい意識を失っていた?」
「2分40秒くらいだと思います」
と蓮菜。
 
「だったら大丈夫とは思うが、このまま担架で医務室に運びましょう」
 
「私これから出番なんですけど」
「無理したら命の保証はできないよ」
「きゃー」
 
それで希望は担架で医務室に運ばれていったのである。希望のお母さんと穂花のお母さんが付き添った(松下先生は篠笛を取りに行った映子たちに付いている)
 

とりあえずリハーサル室に入る。
 
馬原先生が頭を抱えている。
「どうしようか?」
と言った。こんな所で弱音を吐くというのは馬原先生にしては珍しいが、まさかソプラノ・アルトのソロの正歌唱者・予備歌唱者が4人全員アウトまたはダウンという事態は想定外だろう。演奏開始は30分後である。希望がそれまでに回復するかどうかは微妙だ。
 
蓮菜が言った。
「津久美ちゃん、アルトソロ歌ってよ」
「私、アルトソロの下の方が出ません」
「声変わりで上の声が出なくなったんでしょ?代わりに下の声が出るのでは?」
「あ」
「やってみよう」
と言って、美那がその部分の伴奏を弾く。津久美が歌う。
 
「出た!」
「よし、それで行こう」
 
ちょうどそこに映子・由依・松下先生が到着したが、希望が倒れたと聞いて驚いていた。
「私様子見てくる」
と言って、松下先生が出ていった。
 

それで自由曲を通して1回演奏した。
 
「けっこう綺麗にまとまったじゃん」
 
課題曲も練習したいが、不安のある自由曲を再度通して歌った。
 
「そろそろ舞台袖で待機お願いします」
と言われるのでリハーサル室を出て舞台袖に向かう。松下先生が来て、医師がここにある範囲の検査機器で調べた範囲では異常は無いということだった。本人がステージに出たいと強く望んでいるので、ぎりぎりくらいに連れてくるという話である。
 
「でもソロは交替させるよ」
「それはその方が良いと思う。それあの子に言ってくる」
と言って、松下先生は再度医務室に行った。
 
15:28頃に、希望は、お母さん、穂花の母、松下先生に付き添われて戻って来た。
 
「ステージが終わったあと病院に行って精密検査受けるという条件でなんとか解放してもらった」
と希望。
 
「私が付いていくから」
と松下先生。
 
「米田(希望)さん、ソロは交替するよ」
「すみません。お願いします。でも誰が歌うんですか?」
「姫野(津久美)さん」
「おぉ」
と言って、希望は津久美をハグした。一瞬何人かの子がギョッとしたようだが、津久美は後から「あれで凄く落ち着けた」と言っていた。
 
「頑張ってね」
「ありがとう、頑張る」
 

前の学校・大阪W小の演奏が終わる。W小の演奏もソプラノソロをフィーチャーしていたが、ソロの子の調子が悪かったようだった。前の学校が微妙だっただけにこちらはリラックスして歌える。
 
N小の紹介ビデオが流れた後、係の人が
 
「舞台に上がってください」
と言った。
 
指揮台に楽譜を置いてくる役目は佐奈恵がした。部員たちがステージに入り、上手側にアルト、下手側、ピアノに近い位置にソプラノが並ぶ。アルトソロを歌う津久美、ソプラノソロを歌う千里はどちらもソプラノの最前列に立っている。2人ともソロパート以外ではソプラノ集団の中で歌う。
 
「みんな落ち着いてね」
と穂花がみんなに声を掛けた。
 
美那がピアノの所に座り、譜めくり役の香織が隣に座る。
 
馬原先生が指揮台の所まで行く。審査員に向かって一礼、会場にも一礼してから児童のほうに向き直る。指揮棒を掲げる。美那とアイコンタクトをして、指揮棒が振られる。課題曲の『おさんぽぽいぽい』を歌う。
 
この曲は結局今日は練習していない。昨夜練習したのが最後だが、これまで何百回と歌っているのであまり不安は無かった。
 

きれいに歌うことができて、自由曲に行く。篠笛を吹く映子がアルトの列から前に出てくる。
 
先生が指揮棒を掲げ、美那とアイコンタクトをして、指揮棒が振られる。ピアノ伴奏がスタートし、映子の篠笛の後、歌唱が始まる。アルトとソロの掛け合いで曲は進む。やがて津久美のアルトソロが入る。その間はアルト集団はほぼ休みで、ソプラノ集団との対話になる。続いて千里のソプラノソロになる。その間はソプラノ集団はぼ休みだが、千里のソロが最高音D6を2回出した後、ソプラノ集団もそれをエコーするかのようにD6を出す。
 
この時このD6をスミレ、小町と約束通り千里自身、更には津久美まで歌ったのでびっくりした。出るの??この音が出るなら津久美はG3-D6の2オクターブ半の音が出ることになる。
 
ソロが終わると篠笛の短いフレーズの後、アルト集団とソプラノ集団の美しいハーモニー歌唱となり、曲は大団円となる。
 
物凄く美しい終わり方に、会場から拍手が来た。
 
みんな笑顔である。直前にバタバタとソロ担当が変わったにしては、とてもうまく歌えた。
 

ステージを降りて会場内の自分たちの席に行く。希望はお母さんと松下先生が付き添い、病院に向かった。
 
「だけど津久美ちゃんD6が出たんだ?」
とみんなから言われる>
 
「なんか出そうな気がしたんですよ。それで出してみたら出たから自分でもびっくりしました」
と津久美。
 
「昨夜、私たちで津久美を取り押さえてハンマーで睾丸を叩きつぶしましたから」
などと同室の梨志が言っている。
「それはいいことだ」
と蓮菜。
 
「だからこれ以上、声変わりは進みませんよ。来年こそはソプラノソロ歌ってもらいましょう」
と香織。
「それは楽しみだ」
と美那。
 
「だって津久美の声変わりがこのまま進行して、アルト音域も出なくなったら、世界にとって損失ですし」
「確かに確かに」
 
「無茶苦茶やってるな」
と穂花はどこまで冗談なのか分からないまま言った。
 
「だって袋を切って取りだして切断したら、その後止血できないもんね」
「潰しても出血する気がするが」
 
「でもここに男の人がいなくて良かった」
「男の人はこの手の話がダメみたいですね」
などと言っていたら、教頭先生が遠慮がちに
 
「さっきから、お股の付近に痛みを感じるんだけど」
などと言っている。
 
「それはいけません。即摘出して、女性教頭に変身しましょう」
「女房から離婚されるよ!」
 
「でもハンマーとか持ってたの?」
「預け荷物に入れますから大丈夫です」
 

その後、熊本Z小、東京A小の歌唱が続いたが、どちらもソロを歌った子の調子がよくなかった。A小の子はソロの最高音の音(N小と同じD6)が出ずに一瞬無音になってしまった。
 
「調子悪いみたいね」
と馬原先生が言った。
 
しかしそれで出場校の演奏は終わり、審査時間となる。その間、スペシャル合唱団の練習と演奏が行われるが、その練習時間を使って自由演奏が行われる。
 
N小からは本当は、穂花・紗織・映子がスペシャル合唱団に参加する予定だった。しかし紗織の転校で代わりに美都が出てと言われていた。ところが、今朝穂花と映子と美都というまさにその3人が喉を痛めてしまったので、残る6年生3人、千里・蓮菜・佐奈恵がスペシャル合唱団には参加することにし、練習場所となるリハーサル室に向かった。
 
スペシャル合唱団の練習時間におこなわれる自由演奏には、実はその千里たちが宇多田ヒカルの『travelling』を演奏しようというので、ポータブルキーボードとギターをわざわざ持って来ていた。蓮菜はよろしくと言ってそれを穂花に譲ったので、穂花は美那・映子・美都と4人でステージにあがり、演奏してきた。喉を痛めていてもこの程度の音域の曲は充分歌える。他に5年生も4人組で参加してきた。実は希望も頭数に入っていたらしいが、代わりに梨志がスカウトされた。
 
「私この曲歌ったことないよー」
「でも聞いたことはあるよね?」
「うん」
「だったら歌えるはず」
 

千里たち3人はリハーサル室に集まる。各校から3人ずつ合計30人の歌唱者が集まっている。熊本Z小の人がどうも旧知らしい東京A小の人に話しかけていた。
 
「そちら**さん調子悪かったみたいですね」
「実は**はリハーサル室に向かう途中転んで」
「え?」
「本人大丈夫だと言ってたし、リハの時はちゃんと最高音出てたんですけど本番では出なくて」
「あの付近の声を出す機構は精密機械だもん」
「それでやはり転んだ時の影響かも知れないというので、出番が終わってから病院に向かったんですよ」
「実はうちも**がやはり転んでしまってそれで声が出なかったんですよ」
「病院行きました?」
「会場で休んでるんですが」
「それ絶対病院に行った方がいい」
とA小の人が言ったが、蓮菜が
「私も賛成」
と言った。
「実はうちもアルトソロ歌う子がリハーサル室に向かう途中転んで、頭打ったんで、ソロは別の子に交替したんですよ」
 
「交替できる子がいるのが凄い!」
と熊本Z小・東京A小の両方から感心される。
 
一般にソロを歌う子というのはその合唱団の中でもいちばん上手い子である。その子に何かあった時に代われる子はふつう居ない。4番バッターに代打が出せるのか?という問題である。
 
「それでうちの子も出番が終わった後、すぐ病院に連れて行きましたよ」
「うちも病院に連れて行くべきかなあ」
とZ小の人が言っているので
 
「絶対そうすべき」
とN小・A小の両方から言われる。
 
「でも飛行機の便が・・・」
「頭に怪我した状態で飛行機に乗ったら上空は気圧低いから頭の血管が切れて最悪死にますよ」
 
「きゃー」
「ちょっと先生に言って来よう」
それで1人が部屋を出て行った。
 
そんなことをしていたら、大阪W小の人まで
「なんでそんなにみんな滑ってるんです?」
と言い出す。
「まさかそちらも?」
「病院に連れて行くよう言ってくる」
と言って、その人も出て行った。
 
「廊下にワックスでも塗ってあったとか?」
「いや雨の日で廊下濡れてたから、滑りやすい所が出来ていたのだと思う」
 
この件は実は後で問題になり、廊下の掃除について再徹底させる指示が出たらしい。
 
また熊本Z小の頭を打った子は1人別途新幹線で帰郷した。この件は本当に危ないので、馬原先生から主宰者のスタッフ経由でもZ小側に伝え、お医者さんに確認して「1ヶ月くらいは飛行機に乗ってはダメ」ということになったらしかった(新幹線代を主宰者が出してくれた:N小の希望の分も!)。
 

今年スペシャル合唱団で歌ったのは『怪獣のバラード』である。楽しい曲だし、合唱団にいると、歌ったことのある子も多かったので練習はスムーズに進んだ。
 
それで30分くらい練習した所でステージに出て行き歌ったが、即席の合唱団で歌うというのは、本当に面白く、千里たちは小学校最後にいい体験ができたと思った。
 

審査結果が発表される。
 
「金賞・郡山市立G小学校」
 
凄い歓声が起きている。千里たちは優勝校に惜しみない拍手を贈った。代表が2人壇に昇り、賞状とトロフィー(文部科学大臣杯)が渡される。それを高く掲げて、またたくさん拍手をもらつたる
 
「いいなあ」
「また来年頑張ろう」
「希望ちゃん、スミレちゃん、津久美ちゃん頑張ってね」
「はい」
と3人は答えた。
 
「銀賞・留萌市立N小学校」
 
「やった!」
とみんな喜ぶ。穂花が辞退するので、先生の指名で、ピアニストの美那が出て行き賞状を受け取った。また会場から多数の拍手をもらう。
 
「銅賞・東京都私立S小学校」
「同じく銅賞・倉敷市立C小学校」
 
ということで、今回はソロ奏者の直前転倒という事態に対応できなかった、東京A小・熊本Z小・大阪W小は賞が取れず、同様の事態に見舞われたものの対処できたN小は銀賞を獲得したのであった。
 
「2000年銅賞、2001年と2002年は銀賞、できすぎですね」
と馬原先生は言った。
 
「まあこれは忘れて来年もまたセロから頑張りましょう」
と教頭は言った。馬原先生も頷いた。
 
2年連続の銀賞というのを意識しすぎたら絶対自滅する。次は金賞を、と思いたくなる所だが、それも考えるとプレッシャーになる。
 
でも希望やスミレ・津久美あたりが成長してくれると、来年も全国大会に出て来て上位を狙える可能性はある。
 

表彰式の後、金賞・銀賞・銅賞の4校の記念撮影があったが、N小は今夜も一泊するので、他の学校に撮影順を譲った。金賞の郡山G小も「新幹線に余裕があるから」と譲ったので、撮影は遠い所から順に、倉敷C小→郡山G小→留萌N小→東京S小、という順序で進んだ。
 
N小は18時すぎにホテルに戻った。喉を痛めない空調の使い方について旅行会社のベテラン添乗員さんから解説があった。その後、夕食を取ったが、銀賞を取っただけにみんな興奮していた。騒ぎすぎて馬原先生に叱られた。
 
病院に行っていた希望・希望の母、松下先生は21時近くになって戻って来たが、MRIまで取られたらしい。異常は無いが念のため飛行機はしばらく避けた方がいいということになり、明日新幹線で帰ることになる。22時近くになり主宰者から連絡があり、病状について確認された。それで別途新幹線で帰ると言うと、その分の旅費を本人と付き添いの分、出すので金額をあとでいいから出してくれということであった。
 
後から情報を集めてみると今回参加した10校の内6校までも転んで病院を受診した人があったらしい。しかしその内4人もソロ歌唱者だったのは当たりすぎだ!
 

翌日10月14日(祝).
 
飛行機を避けて鉄道で帰る希望、希望の母、松下先生は、ホテルで朝食も取らずに朝から旅行会社が手配してくれたハイヤーで東京駅に向かった。それ以外の子と先生・保護者は朝食のバイキングを食べた後、10時にホテルの玄関ロビーに集合ということだった。
 
津久美は買っておきたいものがあったので、先生に外出してもいいかと尋ねた。すると、誰かおとなの人に付き添ってもらってと言われた。東京で迷子にでもなられては困る。すると先生と同じ席で朝食をとっていた穂花の母が
「だったら私が付き合ってあげるよ」
と言った。
 
それで津久美は穂花の母に付き添ってもらい、出掛けることにした。
 
「何か急に必要になったの?」
「実は急に生理が来ちゃって。まだ来る時期じゃなかったから、2個しか持ってきてなかったから」
「ああ、こういう旅行とかの時は急に来ることがあるのよ」
と穂花の母が言っているので、津久美は、穂花さんのお母さんは私の性別のこと聞いてないみたいと思った。穂花さんのお母さんと聞いた時、実は津久美は、元々他の学年で私のことをあまり知らない可能性があること、そして穂花さんの性格から、他人のことをあまりしゃべらない人だろうという気がした。それで実際知らなかったようである。
 
ナプキンを2枚しか持って来てないのは事実だが、生理が来た訳ではない。でもいつ来てもおかしくないので1パック持っておきたかったのである。その時、地元で買っていると同級生に見られて変に思われるかもと思い、遠征中に確保しておきたかった。
 

コンビニに行こうかといってホテルを出たのだが、途中、早朝から営業しているドラッグストアがあった。
 
「すごい。ここ24時間営業なんだ。ここ入ろうか」
「はい」
 
それで一緒に中に入り、お店のお姉さんに生理用品の売場を尋ね、そちらに行く。
 
「普段何使ってるの?」
「えーっと」
 
どれにしようかな?と思って見ていたが、
「あ、あったあった」
と、まるでいつも買っているかのような言い方をして、エフティ資生堂のセンターイン(*10)の、ふつうの日用をかごに入れた。むろん本当は生理用品を自分で買うのは初めてである。
 
生理用品入れに入っている2枚のナプキンの内、1枚は旭川の街を歩いていたら青いサンバイザーをつけて白いシャツに青いミニスカートを穿いたお姉さんが配っていたのを受け取ったもの、1枚はこないだ夢に出て来て「声変わりしないようにしてあげようか」と言ったセクシーなお姉さんがくれたものである。
 
「念のためパンティライナーも買っておこうかな」
と言って、やはりFT資生堂のパンティライナーもかごに入れる。
 
(*10)この頃はセンターインはFT資生堂(資生堂の子会社)から販売されていた。2006年5月31日にユニチャームに移管され、資生堂は生理用品から撤退した。
 

「更についでにおやつ買ってっちゃおう」
「あ、私も買っていこう」
と穂花のお母さんも言い、別のかごを取ってチョコの大袋とかを入れていた。津久美もキットカットの大袋と明治ミルクチョコの26枚入りボックスをかごに入れた・・・が
「これ私が払ってあげるよ。おごり」
と言って、穂花のお母さんおやつを自分のかごに移した。
「すみませーん」
 
レジでは生理用品なのでレジのお姉さんは、黒いビニール袋に入れてからレジ袋に入れてくれた。こういうことをしてくれることは知ってはいたが、実際に自分で買物をしてこうしてもらったのは初めてだ。津久美は“おとなになった”気分だった。
 
レジを出た所で、穂花のお母さんは津久美が選んだおやつをこらのレジ袋に入れてくれた。
 
「ありがとうございます。付き添ってもらったのに、おごってもらって」
「だってあんたお小遣いそんなにないだろうに、急に生理来てお金使って大変だったでしょ?」
「実はそうなんですけどね」
「こういうのは、おとなにおごらせておきなさい。あんたがおとなになって子供産んだら、その子供のおともだちとかに親切にしてあげるといいよ」
「はい!」
 
私・・・赤ちゃん産めるかも知れないなあ。もしかしたら。
 

千里や津久美たちN小の児童や保護者の大半は、10時にホテル玄関に集合。点呼を取って全員いることを確認し、旅行会社のバスで羽田空港に向かった。チェックインは旅行会社でまとめてやってくれていたので、荷物を預け、手荷物検査場を通って中に入る。飛行機行きのバスが出るところまで行く。これが11時すぎだった。11時半頃お弁当が配られ、みんなでおしゃべりしながら食べた。その後トイレに行ってくるが、津久美は“生理は来てない”ものの、新しいナプキンをショーツに取り付けた。
 
そんなに遠くない内に、これ本当に使うことになるかなあ、などと夢見た。
 
このナプキンは以前から持ち歩いていたものではなく、今朝新しく買ったものである。生理用品入れの中に新しいナプキン2枚と、パンティライナー2枚を入れておいた。これは今朝買物に行ってホテルに戻った後、部屋に戻る前にホテルのロビーのトイレで入れておいたものである。生理用品とか持ってる所同室の子に見られたら何か言われそうな気がした(要するに恥ずかしがっている)。
 
12時半近くになって、搭乗案内が始まり、ひとりずつチケットを持ってゲートを通る。そしてバスで飛行機の駐機している所まで行き、タラップを昇って機内に入った。帰りも行きと同じエアバスA300てあった。
 
HND 13:15 (JAS195 A300)14:50 AKJ 15:20 (バス) 17:10 留萌N小
 
なお小町は髪留めに擬態させて千里が髪に付けて行った。
 
「タダ乗りだ」
と蓮菜が言っていたが!
 
津久美は機内でキットカットの大袋を開けたが、あっという間に無くなる。それで旭川から留萌へのバスで開けようと思っていてミルクチョコのボックスも開けて、これも一瞬で無くなった!
 
旭川空港からは旅行会社が手配してくれたバスで留萌のN小まで戻り、そこからは保護者の車で帰宅した。千里と美那は蓮菜の母の車で送ってもらった。
 

一方新幹線での移動になった、希望たちはこのような連絡で戻った。
 
東京7:40(やまびこ3)10:09盛岡10:19(はつかり5)14:38函館15:04(スーパー北斗13)18:18札幌18:30(ライラック19)19:40深川20:07- 21:02留萌
 
実はこの当時、東京から留萌まで鉄道で1日の内に帰られる唯一の連絡である。この当時、東北新幹線はまだ盛岡までしかできておらず、八戸開業はこの年の12月1日である。
 
留萌駅には連絡を受けて桜井先生が迎えに来てくれていて、希望本人を自宅に投下した上で、希望の母と松下先生を学校まで連れていった。それで2人は学校に駐めていた各々の車で帰宅した。
 

七五三に関する、小中学生の作業は18時で終わり、各自着替えて自宅に戻る。一応この後は、小春と、鈴恵・弓恵・守恵の三姉妹でお客さんがあったら対応する。
 
沙苗は友人達に乗せられて、スカートを穿いたまま神社を出て帰宅した。
 
「ただいまあ」
「お帰りって、あんたまさかスカートで帰って来たの?」
と母が訊く。
「そうだげど。ぼくがスカート穿いてるのなんて、いつものことじゃん」
「でもその格好で外を出歩くのは・・・」
「友だちはみんなぼくの実体知ってるから平気だよ」
 
「でもお父さん、今お風呂入ってるから、あがる前に着替えなさい」
「はーい」
と沙苗は気のない返事をして自分の部屋に戻り、ズボンに穿き換えた。でもパンティーはそのまま女の子用を穿いたままにした。
 
「千里とか勇気あるよなあ。よくスカートで学校に来てるし。でもなんであいつまだ声変わり来ないんだろう?まさか睾丸取っちゃったりしてないよね?」
 

沙苗はその日夢を見た。夢の中では自分が誰かに拉致されて、手術台に乗せられ、有無を言わさず女の子に改造する手術を受けさせられた。
 
夢の中では
「これで君は中学ではセーラー服を着られるよ」
と言われたが、目が覚めてから沙苗は
「本当にセーラー服着たいなあ」
と呟いた。でも親にセーラー服着たいと言う勇気がない。
 
それにそんなこと言っても父親に殴られるかも。
 
千里はどうするんだろう?あの子は本当にセーラー服着そうな気がする。鞠古君はセーラー服用意するかも知れないけど、あいつの場合はそれ着ていても全てジョークとして許してもらえそう。自分は彼みたいにジョークとして女装する勇気もない・・・・
 
でもこの2日間に巫女体験は楽しかったなあと沙苗は思った。
 

津久美は梨志(りこ)のお母さんの車に同乗して自宅まで送ってもらい帰宅した。梨志のお母さんによくよく御礼を言って降りる。玄関のドアを自分が持っている鍵で開けて中に入り
「ただいま」
と言った。
 
「お帰り、どうだった?」
と母、2人の兄・陽太(ひなた)と進武(すすむ)から訊かれる。
 
「銀賞だったよ。準優勝」
「おお、上出来、上出来」
「去年も銀賞だったっけ?」
「うん。だから2年連続の銀賞」
「じゃ来年はぜひ金賞を」
「そういうの意識すると自滅しやすいから、またゼロから始めるつもりで頑張ろうと先生たちは言っていた」
「その方がいいかもね」
 
「ソプラノソロは歌えたの?」
「部長の穂花さんが喉を痛めて歌えなかったんだよ。でも私も突然声変わりが来ちゃって、ソプラノのいちばん高い所の声が出なくて」
 
「それはよくない。お前は速攻で去勢すべき」
と進武兄は言っている。
 
「うん。それで私も即去勢しちゃったから、アルトの声は出て、代わりにアルトソロを歌ったよ」
 
「へー、それは凄い」
「ああ、去勢したんだ?」
「だからお父さんごめーん。私、お婿さんには行けなくなった」
「まあお前はお婿さんには行かないだろうな」
「俺たちが嫁もらうから、それは心配するな」
 
「代わりに私、誰かのお嫁さんになって子供産むからよろしく」
「ああ、それは楽しみだ」
とビールを片手にテレビを見ていた父は言った。
 

「ごはん食べた?」
と母が訊く。
「まだ」
「じゃ、御飯食べてからお風呂入るといいよ」
「そうする」
 
それで母が作っていた肉ジャガで御飯を食べてから、津久美は洗濯物を洗濯機に入れる。歯磨きした後、自分の部屋から着替えのショーツとキャミソールにキティちゃんのパジャマを持って来て、トイレに行って来てから、お風呂に入った。
 
髪を洗い、コンディショナーを掛けたまま、胸・腕・お腹を洗ってから、あの付近を指で優しく洗う。
 
「私、ちゃんと正直に言ったよね?」
と自問自答した。
 
「だけど夢の中でお兄ちゃんたちがお姉ちゃんになってたのは今思い返すと面白すぎる」
などと津久美は思う。陽太は野球部員、進武は柔道部員で、2人ともおよそ女装が似合いそうにないけど、夢の中ではわりと可愛い少女になっていた。
 
足まで洗い、足の指の間もきれいに洗ってからコンディショナーを流し、顔も洗った。浴槽に入って身体を温める。浴槽の中であの付近を触るが、そこを開けると浴槽中のお湯が入ってよくない気がしたので、開けないように我慢した。
 
「これの開け閉めのコントロール、練習しなくちゃ」
などと思う。
 
「でもタマタマが無くなっているの、早速梨志たちに見られちゃったからなあ」
と津久美は昨日の朝の出来事を思い起こしていた。
 

梨志(りこ)たちは
「睾丸はとっくに除去していたと思ったのに」
「私たちで去勢してあげようか」
などと言って、ナイフ片手に(危険物の持ち込み反対!)津久美のパジャマのズボンとパンティを無理矢理脱がせて、そこを見てしまった。
 
「いつ取っちゃったの?」
と訊かれた。
 
津久美は“本当に無くなっている”のに驚きながら
「みんなに迷惑掛けちゃったから、昨夜手術受けてきた」
と答えた。
 
「じゃこれで津久美は本当に私たちの仲間だね」
「うん、よろしくね」
「でも手術代高くなかった?」
「うーん。9000円かな」
「9000円でタマタマ取ってもらえるんだ!?」
「3割負担だからね」
 

浴槽から上がってから全身にシャワーを掛ける。ここであそこも開いてきれいに洗った。上がってから身体を拭いて、パンティを穿くが、この感触はいいなと思った。タマタマが無いとぶらぶらする感覚が無くて落ち着く。
 
キャミソールを着てからパジャマの上下を着る。髪は濡れているのでタオルを巻いた。
 
そしてお風呂から上がると
「おやすみなさーい」
と言って、自分の部屋に入る。
 
布団の中であの付近に触り、またドキドキした。
 
「蓮菜さんから即去勢しなさいって言われたけど、ほんとに去勢されちゃったぁ」
などとも思う。
 
夢なら醒めませんように、と津久美は祈った。
 
昨夜見た“夢”を思い出しながら、津久美は眠りに落ちていった。
 

きーちゃんは呟いていた。
 
「あの子があまりに可愛いから、ついよけいなことまでしちゃった。しかしあんな大物さんから女性器セットを頂くとは。あんな大物さんが関わって来たんだから、あそこまでして良かったんだよね?ね?」
 
と自己弁護する。
 
「生殖器はあの子の親族の女性のものだから、この女性器で妊娠してもあまり大きな問題は無いって言ってたけど、神様たちは臓器バンクでも持ってるのかね〜」
 
「本人はかなり驚いていたけど、きっと新しい身体でうまくやっていけるよね?おそらく2〜3ヶ月以内には生理始まるだろうけど、あの子ならちゃんと対処できるだろうし。1年半後にはセーラー服着ることになるのかな」
 
きーちゃんは、まだ千里が男の娘だ(った)ということに気付いていない(賀壽子は一瞬で気付いたが多分青葉をいつも見ているから)。
 

10月15日(火).
 
連休明けの15日には朝の全体集会で合唱サークルの全国準優勝が報告され、部長の穂花が賞状を全校児童に披露。拍手が起きた。
 
なお、2年連続準優勝を機に「合唱サークル」から「合唱部」に昇格させてはという意見もあったものの“サークル”とすることで、他の部に入っている子が兼部しやすい(元々そのためサークルにした)というのもあり、結局サー久ルのまま活動を続けることになった。だから練習もこれまで通り昼休み中心である。でも児童会のクラブ部長会議には、これまでオブザーバー出席だったのを正会員として出席することになった(議事の投票権も与えられる)。つまり部ではないが限りなく部に近い扱いになる。児童会からの支援費もこれまでの3倍くらいもらえる(どっちみち大した金額ではないが)。
 
火曜日の夕方は、校長先生が合唱サークルの児童たち(+馬原先生・松下先生・教頭先生)を個人的に招いて、お祝いのパーティーが開かれた。留萌市内の洋食屋さんを貸し切って「好きなだけ食べてね」と言い、歓声があがっていた。でも映子は美都が付いていて、度をすぎて食べないよう監視していた!
 
 
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【少女たちの晩餐】(2)